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昔、天王寺−有井間で乗車した時を思い出します
この丁寧なアナウンスは、天王寺車掌区車掌長の川崎ケイゾウ氏かな?高校生の頃、924レはやたま号に週一お世話になってた頃、川崎車掌長によく遭遇し、お世話になりました。国鉄時代の良き思い出です。
さらに昔…和歌山で増結される車両は和歌山市からではなく、難波からの南海の客車でした。
南海の増結客車内の放送もハイケンスのメロディチャイムが流れたのでしょうか?
お金がなくいつか寝台車に乗ろうと思ったものです。急行特急は乗れたけど 普通は寝台車にのれなっかった。良い思い出です。
味気ない自動放送より、熟練の駅員さんの肉声の放送はいいですねぇ
寝台車付き夜行普通列車は80年代だと、このほかに、北海道の「からまつ」(小樽⇔滝川間、ED76牽引、 滝川⇔釧路間、DD51牽引 )や、山陰線の「山陰」(京都⇔出雲市、DD51牽引)などもありました。阪和線・紀勢線だとこのほかに、座席車のみの、普通夜行列車の「いそつり」(天王寺⇔新宮など、客車、気動車、電車)もありました。
阪和線鳳行きも夜行はやたま共に「普通列車」とアナウンスしててこちらは和歌山までノンストップ。う~ん、ロマンですね。
1:40 列車はゆっくり入ってくるから、霊夢&魔理沙が乗ってます⁉️
南紀ワイド周遊券で何晩も車中連泊したなぁ。新宮着は夜明けの時刻だったけど、駅前の喫茶店がもう営業してた。普通座席ばかりで10系寝台にはいちども乗らなかったのが今にして思えば勿体なかった。
過去、釣りに行く際に何回も利用しました。懐かしいです。田舎の小駅で通過待ちしている時の、なんともいえないシーンとした静寂感、油の匂い・・・走行中も開けっ放しのドア、便器の穴から地面が見えるトイレ・・・当時はこれで当たり前だった。今なら大問題になっちゃうかも。そんな大昔でもないのに、この頃の鉄道旅行をもう一度味わってみたい。
JR東日本では旧型客車を使ったイベント列車が運行されていますが、非日常となった乗車風景がかつては日常でした。残りわずかとなりましたが、「はまなす」などの夜行列車の旅ももうすぐ超贅沢な旅となるんでしょうね。
@@railway-sound JR東日本のはデッキぶら下がりできないからね。
列車がよく止まるまでお待ちください。大阪駅の福知山線ホームでもよく聞かれましたね
そう、福知山線が非電化時代に機関車にけん引された客車列車がその通りです。by酒向正也
旧客車の場合は走行中でもドアが手動で開閉でき、飛び乗り、飛び降りが可能でしたし、トイレは汚いが「垂れ流し」でしたからね。
今思えば危ない行為です。by酒向正也
オスすめに出てきたので、見入ってしまいましたよ、なつかしいですね。小学生のころ、名古屋から、天王寺まで乗車した記憶がありますよ、うれしかったから、天王寺に着くまで、ずうっと寝ずに起きてましたね。笑
丁寧な放送ですね
中学時分に一度だけ友達と乗った天王寺から夜通し掛けて新宮まで乗ったけど真夜中でも手でドアが開いちゃう客車が恐ろしくも印象的だった
新宮まで行っていたのは知っていましたが、亀山まで行っていたのですね。ロングランの急行列車で途中から、快速や普通になる列車は良くありましたが、最初から普通というのは近年ではあまりなかったですね。万博前は、「大阪発広島行き普通」というのもあったようです。
亀山行の前は、名古屋行でした。80系特急「くろしお」も紀伊半島をぐるっと周って天王寺-名古屋間の運行でした。
そんな時代もあったのですね。そんなロングランなら、当時の国鉄なら食堂車もつないでいたでしょう。世界遺産として注目されるまで「はやたま」が熊野3大社の1つから命名されたのは知りませんでした。
@@kazukazujcc2902 確かに名古屋「くろしお」は食堂車🍴🚄連結されてましたね。
旧型客車はトイレが垂れ流しだったら鳳までトイレの使用をやめてくださいとの放送をしていたんですね
和歌山までの阪和線内ではトイレの使用が禁止されていたなど沿線住民にはとても悪臭に悩ませていただろう。by酒向正也
鳳までトイレ禁止が時代を感じる。垂れ流しやもんな
私が最初に乗ったころは名古屋行きでした。亀山止まりになり、新宮止まりになり、紀伊勝浦止まりになり消滅してしまったのですが、、、その間列車も旧客から12系、165系電車になってからは寝台車の連結がなくなりましたね。
2000年10月1日のダイヤ修正で完全に紀伊田辺止まりとされたのち、2010年3月13日のダイヤ改正で御坊止まりとされてしまい、2018年3月17日のダイヤ改正で新大阪乗り入れがなくなって廃止された余力が和歌山止まりの特急「くろしお」の増発(というか格上げ)にそのまま回され、紀州路快速の一員として熊取以遠も各駅に停まるようになって現在に至ります。
12系化時に寝台はなくなった。
はやたま、懐かし~36年前に乗りました旧客車の寝台に薄暗い裸のナツメ電球そして寝台には俺1人だけ車掌さんも気を使って誰も居ないから好きな場所を使って良いですよと声を掛けてくれたのを画像を見てて思い出しました。古き良き時代の話です
この時、天王寺駅では列車はゆっくり入って来ますと案内をしていましたが第一発車する天王寺駅の阪和線ホームでは行き止まりとなっており、仕方がなくバックして入線していたからである。by酒向正也
そういえばかつて東京の上野駅東北本線ホームでも行き止まりの構造で客車列車(夜行寝台特急カシオペア、北斗星、はくつる、ゆうづる等)はバックしてゆっくり入線いましたね。by酒向正也
凄いな10系客車の車内初めて見た。天井にファンが付いてるのが時代を感じる。急行きたぐにのこの客車のNゲージを持ってるけど結構好きなんだよね
S44年5月の時刻表を見ると、長距離鈍行がうじゃうじゃいたようだ。
私は、はやたまより南紀やそれ以前の名無しの紀州夜行列車のほうが馴染みがあります。はやたまになってからは、10年も経っていない。名無しのほうがはるかに歴史が長い。たまたま最終になったのがはやたまだっただけだ。
コロタン文庫でこの列車の存在を知った小学生時代から、いつか乗ってみたいと思ってましたが、時間切れでした。。。。音だけでも聞けて良かったです。
私は165系の夜行列車 新大阪発新宮行きしか知りません。昔は亀山まで走っていたんですね・・・
世代によって様々ですよね。貴方よりもう少しお若い方なら165系紀伊田辺行しか知らないかも知れません。亀山行も少し前までは名古屋まで運行されていました。
+expresskitaguni いえいえ、その昔は天王寺から阪和線・紀勢線・関西線経由で名古屋まで行ってましたよ。
さらに昔は名古屋駅まで運用があった。無名時代。
名古屋時代も和歌山市発は亀山まで。
駅係員の放送いいですね。今は、ほぼ駅自動放送でやはり駅係員放送 車内も時代の流れで自動放送で英語アナウンスが流れ時代ですし なんか聞き飽きないですね。いつも動画アップありがとうございます。
ポート博の帰りに新宮まで乗りました。
末期は12系客車(天王寺-新宮)で、1000番代の出入口付近は一部ロングシートになっており、天王寺行では寝台車として横なって利用していました。
国鉄といえばさぞ殿様商売の感じの悪い乗務員が乗ってると思ってましたが、とても皆さん親切な案内をされていますね。物心付いたときにはJRだったのであまり国鉄の音声を聞いたことはありませんがこういう味のあるアナウンスって、残せなかったのかなぁって思います。
元国鉄車掌が著書の中でカミングアウトされていますが、労働組合によって違うようですね。国鉄改革に賛成派、旧態依然の既得権益を守りたい組合などペアを組む車掌も所属組合が違うとやり辛いこともあったようです。そういう視点で、国鉄末期の車内放送を聞き返してみると面白いですね。ほとんど未公開ですがチャイムもなし、シンプルなあっさりした放送は後者の車掌だったのかな?
なくさないで欲しかった、夜行普通列車。居住性は保証が利かないけど宿代も浮くし、行動効率も良い。1980年代初頭ではこの「はやたま」の他、「山陰」、「ながさき」、北海道の「からまつ」といった寝台車付き普通列車があり、10系寝台車は当然見劣りがあるものの1人での利用は心細いけどイメージ的には寝台券は完売となる事は滅多にないでしょう。私はGMのオハネフ12でも組み立てて(室内灯点灯仕様は欠かせないが複雑な工作や高額で困難な部材用品の入手など根気が必要カモ)それらの夜行普通列車をデモストレーションしてみたいなぁー。
大みそかに天王寺から「はやたま」の後の「きのくに22号」に乗車して、新宮から「はやたま」に乗り換えた記憶があります。
厳密に言うと、新宮からは「名無し」だよ‼️
@@psychedelicraspberry1457 寝台車を切り離すとマルスは関係ありませんからね。
普通列車と言っても阪和線はノンストップでしたね。165系新宮夜行も阪和線内はノンストップでしたが後に快速の停車駅のみ停車となっていましたね。座席のアナウンスは今でも関空、紀州路快速でよく聞きますね。
現在は新大阪-御坊間の快速で当時の雰囲気を思いだすことが出来ますね。
今では特急くろしおでさえ阪和線の岸和田に停車するのに。当時の感覚では長距離普通列車にとって阪和線の駅は全てスキップすべきものとでもいいましょうか、朴訥でいいですね。
今思うとさすが国鉄の威厳ってところ、ものすごい運用をしてくださってたなぁと。まだ地方都市が元気でそれほど過疎化していなかったはずなので需要があったのでしょうね。
威厳よりも郵便・荷物輸送でしょう…
名古屋行きとばかり思ってました。天王寺で亀山行きとはホームの人はピンと来ないだろうな。それが国鉄時代 最高ですね。
亀山は国鉄時代、天王寺鉄道管理局管内の駅でした。
trapics91 い
初めて乗った時は名古屋行きでした。記憶は定かではありませんが、オロハネ10が連結されていたと思います。機関車はDF50の500番代だったと思います。
「ロ」はないと思います…
いいですねー🎉小学生の頃、夕方の踏切を通過する天王寺ー名古屋の旧型客車のサボを見て長旅に憧れてましたが、小学生なので願い叶わずでした。😢
僕が小学生時代から中学生時代に、オハフ33-1が頻繁に新宮駅にいましたよ
「オハフ33 2」と「オハフ33 3」は福知山?におり、中学生時代に山陰本線で各1回乗車したことがあります。「キハ58 2」「キハ58 3」などは豊岡、「キハ47 1」は福知山など、福知山鉄道管理局には古い車両が集結していました。キハ47は新製配属だったと思います。
これって今の23時8分発快速御坊行きですか?
名古屋行が亀山行になり、新宮行になり、紀伊田辺行になり、今は御坊行ですね。
現在はこれが紀州路快速の一員として運転されており、大阪からでも直接乗って御坊まで帰れるようになり、熊取以遠も各駅に停まるようになっています。
今では周遊券がほぼ少なくなり、ムーンライトがなくなり入院していた時にふと東京駅迄何とか安くいわゆる18きっぷ使用するのを条件で頼まれたんですけど、鹿児島から東京は限りなく無理に近く、肥薩線使えないとなると最悪博多迄新幹線で移動してもらってそれからは切符使えばと話しましたけど、その時は改正前だったんですけど、改正後の旅行らしくひどい話ですいません。格安航空券が一番とこれで調べたら出てしまい!お互いに時代が変わったでしょうねと話しました。ちなみに鉄ではなかったんですけど、私よりやはり女性看護大学生。頭が切れる方で、それからはいろんな事話しました。安心です。相手様指輪入ってましたから、逆に気楽に話できました。
よく止まるまでお待ちくださいって昔は止まる前に乗れたんですかw
国鉄時代の旧型客車の乗降扉は手動式でロックはかかりませんでした。扉が開いた状態でも平気で運行していました。さらに、客車列車は加減速が遅いので、完全に止まるまで待ち切れずに飛び降りたり、発車後に飛び乗ったりという危険な状況も散見されました。20系寝台になり、ドアの開閉は手動でしたが、走行中は施錠出来るようになり、車掌が全車両の扉を手動で閉めてからロックをして発車させていました。
乗りましたwwwwあと、降りましたwwww
RINKOU99 お邪魔します。旧型客車今でも乗りたくてたまらない親父です❗ゆっくり動き出し、ゆっくり止まる、のんびりしていて良いですね🎵駅弁食べながら駅弁🍴
降りる時に早く降りすぎてコケました…
和歌山市駅発の1両の普通車の牽引ははDD13だったのかDF50だったのかかなぁ?はやたまが来るまで和歌山駅の何処に待機してたんでしょうか?進行方向と機関車の向きがややこしいですね。名古屋駅の出雲と紀伊みたいに。
和歌山市発の車両はDD13がけん引し、先頭に連結されたと思います。どういう動きだったかは定かではありません。
DD13は和歌山駅と和歌山市駅の区間だったと思いますよ1灯の初期型と2灯の後期型も見たことがあります。
それを言えば寝台特急「紀伊」が亀山で進行方向が変わってましたね
当時は広大な側線のあった紀和駅の隅っこにいつもポツンと置いてあったのですよ。
私が見た時はDE10でした。あと、和歌山市発は和歌山では本体よりも先に島式ホームの反対側に入線です。あと、名古屋時代も和歌山市発は亀山まででした。しかも、この列車はもっと昔は南海難波発(新宮行き)で南海の客車を使用していました(その時代はさすがに見た事ない)。
懐かしい写真と音声ありがとうございます。客車の先頭に、よく郵便車た連結されていました。短い汽笛の後に「ガチャン!」と飛び出す客車のきしみ音、旧型客車特有の油のような匂い・・・蘇ってくるようです。最近、国鉄時代の直流電関をめっきり見かけなくなりました。さびしい限りです。
もしかしてこれの名残が深夜の快速紀伊田辺行ですか?
旧型客車から12系客車になり新宮止まりとなり、165系電車6両で新宮行(3両は紀伊田辺止)という時代を経て紀伊田辺行きとなりました。
+城崎かすみ 返答ありがとうございます。そのような歴史背景があったとは驚きです😲
「普通」列車と「各駅停車」の違いがよく分かる物だと思います
常磐線の上野-松戸間なども、いわゆる国電だった「常磐快速」「各駅停車」よりも中・長距離の「普通電車」の方が停車駅が少なく早かったですね。
首都圏では列車の名残があり、東海道・宇都宮・高崎線が京浜東北線・横須賀線と並行する大宮から上野・東京・横浜経由で大船までで「普通」と「各駅停車」の違いが分かりますね(横須賀線は「普通」と呼ぶので、横浜から大船までは「普通」が東海道線と横須賀線に存在し停車駅も異なります)。新幹線開業前は、上野~大宮相互間のみの乗車は京浜東北線に誘導する案内標があったと聞きました。常磐線は「普通」が電車に合わせられ、我孫子以南は「快速」と呼ばれて久しくなりましたが、総武快速線は快速でも表示は行先のみ、列車の名残を留めているようですね。
東海道線普通列車と京浜東北線のような関係なんでしょうけど、それにしても極端過ぎますよね、天王寺の次は和歌山である、とか。阪和線の駅は全て街中の停車するに値しない駅というという当時の扱いですから。 今は特急くろしおですら岸和田に停車するのに。
普通列車なのに列車名が付いているのはマルスで寝台券を発売するからですかね?それにしても普通列車なのに天王寺〜和歌山間ノンストップとは、紀州路快速よりも早いですねw
その通りです。他に「山陰」「からまつ」「ながさき」がありました。「はやたま」の前は「南紀」と名乗っていました。JRになってからは、「ムーンライト八重垣」にも14系寝台が連結されていた時期があります。
@@railway-sound 「からまつ」以外乗ったけど「~八重垣」以外は座席💺…あと、ネーミング前は「924列車寝台券」みたいに売っていたみたいです。
話は違うけど紀勢貨物のコキには、全部で5両しかそんざいしないコキ110が5両が編成に入ってる事が数回あったよ。意図的に組んだとしか思えない編成だった。
🎉
20年ぐらい前には165系新宮夜行には乗ったことがあり、和歌山までは相席でしたよ。車内の画像が映ってましたがオハ35かなんかですか?
相席でも相当混雑しましたね。by酒向正也
善男善女誰でも利用出来た夜行普通列車だったのに今思えば羨ましいばかりかな。by酒向正也
何にもない田舎の駅に2時や3時に降りた後、乗客はどうするんだろうか…
釣りに出かける‼️
旧客最高~🎵
こんにちは。生まれが都内・現在も埼玉に住んでおり、関西に初めて行ったのは24年前ですがこのはやたまは懐かしいですね。「混み合いまして恐れ入ります。座席は必ず4人掛けからお願いします。」と放送しておりますが自由席には当時何時間ぐらい並びましたか?
そんなに長時間並んだ記憶はありません。30分程度と思います。夏休みの大垣夜行でも1時間前に並べば1人旅では座れました。グループでまとまって座りたい場合やこだわりの座席がある場合は皆さん何時間も前から並ばれたかとは思います。紀州夜行は、和歌山への用務客や通勤客が大半ですから、皆さんギリギリに乗車されることが多かったです。御坊を過ぎる空席が目立ち、紀伊田辺以南は釣りのピーク時以外は閑散としていました。
でも、和歌山出るとじきにワンボックス占領?できたよ⁉️この動画の時点では、大垣夜行以外はそんな感じ。あと、土讃夜行は急行編成で、キロ28格下げキハ28 5000番台に乗ったよ‼️
@@psychedelicraspberry1457 今はボックス席は苦情が来る時代になりました。
@@douga9996 夜行に乗れるなら苦情は出しません?
阪和線内ではトイレの使用が禁止されていたかな。
昔の鉄道はタンクがついてないため、厠を利用するのが、嫌だった覚えがある。現代っ子は、和式や水洗でない厠を嫌がる子が、多い。
夜行快速はやたま号でござるな、南海難波から南海夜行きのくに号、新宮行、23時00分、天王寺からの夜行急行きのくに22号、新宮行、23時20分でござる、和歌山市到着、23時50分、和歌山市発車、0時00分、和歌山到着、0時06分、夜行急行きのくに22号、和歌山到着、0時10分、夜行急行きのくに22号、南海夜行きのくに号、A号車、B号車、C号車、D号車、夜行急行きのくに22号は、指定席、1号車、2号車グリーン車、3号車、自由席、4号、5号、6号車でござる、和歌山-紀伊田辺間、10両編成でござる、途中、南海夜行きのくに号は、C号車、D号車、切り離しでござる、紀伊田辺-新宮考え、8両編成でござる、新宮到着、翌朝5時30分でござる😊
新快速がゆっくり通過しますから
霊夢&魔理沙だぜ⁉️
天王寺の次は和歌山だよね
そうでしたね、和歌山まではトイレの使用が禁止されていたとか・・・。
鳳まで、市街地を走る為トイレ使用禁止でしたよ。
この頃は12系ハザ+オハネフ12(一両)でしたね。12系の編成の隅っこにちょこんと所在無さげなハネ一両、何か……趣き深いですね💦
座席車は旧型客車でした。12系ハザになった頃には寝台車はあったかな?「山陰」ではありましたが。
城崎かすみ様 …ありゃま、"山陰"とごっちゃにしてしまったみたい💦 ご指摘多謝多謝✨
古き良き国鉄時代!
夜行鈍行って何ですか?
mtnob (終電後)真夜中に走る普通列車のことです。各駅停車といわれますが、一部は止まらない駅もあるのです。ほとんどは客車ですが、一部は寝台が連結されていて大昔に食堂車もあったそうです。寝台に乗車する場合は寝台券が必要でした。最終的に東京から大垣まで行く電車が残っていましたが、今は臨時電車を除いて廃止されています………
この動画の時点では、8系統15本が運転されてました。ちなみに、全部乗った私はオッサンです…あと、寝台(と大垣夜行に連結されていたグリーン車)は18きっぷでは乗車不可でした。
よく止まる…
速玉子
垂れ流しですとwww
保線作業員は列車通過の際、直撃を食らった方は数え切れず。
客車区の係員も大変⁉️
@@jeremiah864 このため「洗身」といって勤務中でも入浴が認められていましたが、これを「たるみ」だと国鉄当局が悪宣伝をし潰されて行きました。
かつての地方幹線は郵便、荷物輸送の関係で長距離客車による運行が多く設定されていました。その後、旅客のみとなり、車両運用の効率化で運行距離が短くなり、さらにディーゼル化、電車化が進みました。
その頃でしたら天王寺発白浜・串本・新宮経由名古屋行とがありましたねゴーサントーでなくなりましたが
@@railway-sound この動画の時点では、DC・ECでも夜行普通に郵便・荷物車連結されてたよ‼️
昔、天王寺−有井間で乗車した時を思い出します
この丁寧なアナウンスは、天王寺車掌区車掌長の川崎ケイゾウ氏かな?高校生の頃、924レはやたま号に週一お世話になってた頃、川崎車掌長によく遭遇し、お世話になりました。国鉄時代の良き思い出です。
さらに昔…
和歌山で増結される車両は和歌山市からではなく、
難波からの南海の客車でした。
南海の増結客車内の放送もハイケンスのメロディチャイムが流れたのでしょうか?
お金がなくいつか寝台車に乗ろうと思ったものです。
急行特急は乗れたけど 普通は寝台車にのれなっかった。良い思い出です。
味気ない自動放送より、熟練の駅員さんの肉声の放送はいいですねぇ
寝台車付き夜行普通列車は80年代だと、このほかに、北海道の「からまつ」(小樽⇔滝川間、ED76牽引、 滝川⇔釧路間、DD51牽引 )や、山陰線の「山陰」(京都⇔出雲市、DD51牽引)などもありました。
阪和線・紀勢線だとこのほかに、座席車のみの、普通夜行列車の「いそつり」(天王寺⇔新宮など、客車、気動車、電車)もありました。
阪和線鳳行きも夜行はやたま共に「普通列車」とアナウンスしててこちらは和歌山までノンストップ。う~ん、ロマンですね。
1:40 列車はゆっくり入ってくるから、霊夢&魔理沙が乗ってます⁉️
南紀ワイド周遊券で何晩も車中連泊したなぁ。新宮着は夜明けの時刻だったけど、駅前の喫茶店がもう営業してた。普通座席ばかりで10系寝台にはいちども乗らなかったのが今にして思えば勿体なかった。
過去、釣りに行く際に何回も利用しました。懐かしいです。
田舎の小駅で通過待ちしている時の、なんともいえないシーンとした静寂感、油の匂い・・・
走行中も開けっ放しのドア、便器の穴から地面が見えるトイレ・・・
当時はこれで当たり前だった。今なら大問題になっちゃうかも。
そんな大昔でもないのに、この頃の鉄道旅行をもう一度味わってみたい。
JR東日本では旧型客車を使ったイベント列車が運行されていますが、非日常となった乗車風景がかつては日常でした。残りわずかとなりましたが、「はまなす」などの夜行列車の旅ももうすぐ超贅沢な旅となるんでしょうね。
@@railway-sound JR東日本のはデッキぶら下がりできないからね。
列車がよく止まるまでお待ちください。
大阪駅の福知山線ホームでもよく聞かれましたね
そう、福知山線が非電化時代に機関車にけん引された客車列車がその通りです。by酒向正也
旧客車の場合は走行中でもドアが手動で開閉でき、飛び乗り、飛び降りが可能でしたし、トイレは汚いが「垂れ流し」でしたからね。
今思えば危ない行為です。by酒向正也
オスすめに出てきたので、見入ってしまいましたよ、
なつかしいですね。
小学生のころ、名古屋から、天王寺まで乗車した記憶がありますよ、
うれしかったから、天王寺に着くまで、
ずうっと寝ずに起きてましたね。
笑
丁寧な放送ですね
中学時分に一度だけ友達と乗った
天王寺から夜通し掛けて新宮まで乗ったけど
真夜中でも手でドアが開いちゃう客車が恐ろしくも印象的だった
新宮まで行っていたのは知っていましたが、亀山まで行っていたのですね。ロングランの急行列車で途中から、快速や普通になる列車は良くありましたが、最初から普通というのは近年ではあまりなかったですね。万博前は、「大阪発広島行き普通」というのもあったようです。
亀山行の前は、名古屋行でした。80系特急「くろしお」も紀伊半島をぐるっと周って天王寺-名古屋間の運行でした。
そんな時代もあったのですね。そんなロングランなら、当時の国鉄なら食堂車もつないでいたでしょう。世界遺産として注目されるまで「はやたま」が熊野3大社の1つから命名されたのは知りませんでした。
@@kazukazujcc2902 確かに名古屋「くろしお」は食堂車🍴🚄連結されてましたね。
旧型客車はトイレが垂れ流しだったら鳳までトイレの使用をやめてくださいとの放送をしていたんですね
和歌山までの阪和線内ではトイレの使用が禁止されていたなど沿線住民にはとても悪臭に悩ませていただろう。by酒向正也
鳳までトイレ禁止が時代を感じる。垂れ流しやもんな
私が最初に乗ったころは名古屋行きでした。亀山止まりになり、新宮止まりになり、紀伊勝浦止まりになり消滅してしまったのですが、、、その間列車も旧客から12系、165系電車になってからは寝台車の連結がなくなりましたね。
2000年10月1日のダイヤ修正で完全に紀伊田辺止まりとされたのち、2010年3月13日のダイヤ改正で御坊止まりとされてしまい、2018年3月17日のダイヤ改正で新大阪乗り入れがなくなって廃止された余力が和歌山止まりの特急「くろしお」の増発(というか格上げ)にそのまま回され、紀州路快速の一員として熊取以遠も各駅に停まるようになって現在に至ります。
12系化時に寝台はなくなった。
はやたま、懐かし~
36年前に乗りました
旧客車の寝台に
薄暗い裸のナツメ電球
そして寝台には俺1人だけ
車掌さんも気を使って誰も居ないから好きな場所を使って良いですよと声を掛けてくれたのを画像を見てて思い出しました。
古き良き時代の話です
この時、天王寺駅では列車はゆっくり入って来ますと案内をしていましたが第一発車する天王寺駅の阪和線ホームでは行き止まりとなっており、仕方がなくバックして入線していたからである。by酒向正也
そういえばかつて東京の上野駅東北本線ホームでも行き止まりの構造で客車列車(夜行寝台特急カシオペア、北斗星、はくつる、ゆうづる等)はバックしてゆっくり入線いましたね。by酒向正也
凄いな10系客車の車内初めて見た。天井にファンが付いてるのが時代を感じる。急行きたぐにのこの客車のNゲージを持ってるけど結構好きなんだよね
S44年5月の時刻表を見ると、長距離鈍行がうじゃうじゃいたようだ。
私は、はやたまより南紀やそれ以前の名無しの紀州夜行列車のほうが馴染みがあります。はやたまになってからは、10年も経っていない。名無しのほうがはるかに歴史が長い。たまたま最終になったのがはやたまだっただけだ。
コロタン文庫でこの列車の存在を知った小学生時代から、
いつか乗ってみたいと思ってましたが、
時間切れでした。。。。
音だけでも聞けて良かったです。
私は165系の夜行列車 新大阪発新宮行きしか知りません。
昔は亀山まで走っていたんですね・・・
世代によって様々ですよね。貴方よりもう少しお若い方なら165系紀伊田辺行しか知らないかも知れません。亀山行も少し前までは名古屋まで運行されていました。
+expresskitaguni いえいえ、その昔は天王寺から阪和線・紀勢線・関西線経由で名古屋まで行ってましたよ。
さらに昔は名古屋駅まで運用があった。無名時代。
名古屋時代も和歌山市発は亀山まで。
駅係員の放送いいですね。今は、ほぼ駅自動放送でやはり駅係員放送 車内も時代の流れで自動放送で英語アナウンスが流れ時代ですし なんか聞き飽きないですね。いつも動画アップありがとうございます。
ポート博の帰りに新宮まで乗りました。
末期は12系客車(天王寺-新宮)で、1000番代の出入口付近は一部ロングシートになっており、天王寺行では寝台車として横なって利用していました。
国鉄といえばさぞ殿様商売の感じの悪い乗務員が乗ってると思ってましたが、とても皆さん親切な案内をされていますね。物心付いたときにはJRだったのであまり国鉄の音声を聞いたことはありませんがこういう味のあるアナウンスって、残せなかったのかなぁって思います。
元国鉄車掌が著書の中でカミングアウトされていますが、労働組合によって違うようですね。国鉄改革に賛成派、旧態依然の既得権益を守りたい組合などペアを組む車掌も所属組合が違うとやり辛いこともあったようです。そういう視点で、国鉄末期の車内放送を聞き返してみると面白いですね。ほとんど未公開ですがチャイムもなし、シンプルなあっさりした放送は後者の車掌だったのかな?
なくさないで欲しかった、夜行普通列車。居住性は保証が利かないけど宿代も浮くし、行動効率も良い。1980年代初頭ではこの「はやたま」の他、「山陰」、「ながさき」、北海道の「からまつ」といった寝台車付き普通列車があり、10系寝台車は当然見劣りがあるものの1人での利用は心細いけどイメージ的には寝台券は完売となる事は滅多にないでしょう。私はGMのオハネフ12でも組み立てて(室内灯点灯仕様は欠かせないが複雑な工作や高額で困難な部材用品の入手など根気が必要カモ)それらの夜行普通列車をデモストレーションしてみたいなぁー。
大みそかに天王寺から「はやたま」の後の「きのくに22号」に乗車して、新宮から「はやたま」に乗り換えた記憶があります。
厳密に言うと、新宮からは「名無し」だよ‼️
@@psychedelicraspberry1457 寝台車を切り離すとマルスは関係ありませんからね。
普通列車と言っても阪和線はノンストップでしたね。165系新宮夜行も阪和線内はノンストップでしたが後に快速の停車駅のみ停車となっていましたね。座席のアナウンスは今でも関空、紀州路快速でよく聞きますね。
現在は新大阪-御坊間の快速で当時の雰囲気を思いだすことが出来ますね。
今では特急くろしおでさえ阪和線の岸和田に停車するのに。
当時の感覚では長距離普通列車にとって阪和線の駅は全てスキップすべきものとでもいいましょうか、朴訥でいいですね。
今思うとさすが国鉄の威厳ってところ、ものすごい運用をしてくださってたなぁと。
まだ地方都市が元気でそれほど過疎化していなかったはずなので需要があったのでしょうね。
威厳よりも郵便・荷物輸送でしょう…
名古屋行きとばかり思ってました。天王寺で亀山行きとはホームの人はピンと来ないだろうな。それが国鉄時代 最高ですね。
亀山は国鉄時代、天王寺鉄道管理局管内の駅でした。
trapics91 い
初めて乗った時は名古屋行きでした。記憶は定かではありませんが、オロハネ10が連結されていたと思います。機関車はDF50の500番代だったと思います。
「ロ」はないと思います…
いいですねー🎉
小学生の頃、夕方の踏切を通過する天王寺ー名古屋の旧型客車のサボを見て長旅に憧れてましたが、小学生なので願い叶わずでした。😢
僕が小学生時代から中学生時代に、オハフ33-1が頻繁に新宮駅にいましたよ
「オハフ33 2」と「オハフ33 3」は福知山?におり、中学生時代に山陰本線で各1回乗車したことがあります。「キハ58 2」「キハ58 3」などは豊岡、「キハ47 1」は福知山など、福知山鉄道管理局には古い車両が集結していました。キハ47は新製配属だったと思います。
これって今の23時8分発快速御坊行きですか?
名古屋行が亀山行になり、新宮行になり、紀伊田辺行になり、今は御坊行ですね。
現在はこれが紀州路快速の一員として運転されており、大阪からでも直接乗って御坊まで帰れるようになり、熊取以遠も各駅に停まるようになっています。
今では周遊券がほぼ少なくなり、ムーンライトがなくなり入院していた時にふと東京駅迄何とか安くいわゆる18きっぷ使用するのを条件で頼まれたんですけど、鹿児島から東京は限りなく無理に近く、肥薩線使えないとなると最悪博多迄新幹線で移動してもらってそれからは切符使えばと話しましたけど、その時は改正前だったんですけど、改正後の旅行らしくひどい話ですいません。格安航空券が一番とこれで調べたら出てしまい!お互いに時代が変わったでしょうねと話しました。ちなみに鉄ではなかったんですけど、私よりやはり女性看護大学生。頭が切れる方で、それからはいろんな事話しました。安心です。相手様指輪入ってましたから、逆に気楽に話できました。
よく止まるまでお待ちくださいって昔は止まる前に乗れたんですかw
国鉄時代の旧型客車の乗降扉は手動式でロックはかかりませんでした。扉が開いた状態でも平気で運行していました。さらに、客車列車は加減速が遅いので、完全に止まるまで待ち切れずに飛び降りたり、発車後に飛び乗ったりという危険な状況も散見されました。20系寝台になり、ドアの開閉は手動でしたが、走行中は施錠出来るようになり、車掌が全車両の扉を手動で閉めてからロックをして発車させていました。
乗りましたwwwwあと、降りましたwwww
RINKOU99 お邪魔します。旧型客車今でも乗りたくてたまらない親父です❗
ゆっくり動き出し、ゆっくり止まる、のんびりしていて良いですね🎵駅弁食べながら駅弁🍴
降りる時に早く降りすぎてコケました…
和歌山市駅発の1両の普通車の牽引ははDD13だったのかDF50だったのかかなぁ?はやたまが来るまで和歌山駅の何処に待機してたんでしょうか?進行方向と機関車の向きがややこしいですね。名古屋駅の出雲と紀伊みたいに。
和歌山市発の車両はDD13がけん引し、先頭に連結されたと思います。どういう動きだったかは定かではありません。
DD13は和歌山駅と和歌山市駅の区間だったと思いますよ
1灯の初期型と2灯の後期型も見たことがあります。
それを言えば寝台特急「紀伊」が亀山で進行方向が変わってましたね
当時は広大な側線のあった紀和駅の隅っこにいつもポツンと置いてあったのですよ。
私が見た時はDE10でした。
あと、和歌山市発は和歌山では本体よりも先に島式ホームの反対側に入線です。
あと、名古屋時代も和歌山市発は亀山まででした。しかも、この列車はもっと昔は南海難波発(新宮行き)で南海の客車を使用していました(その時代はさすがに見た事ない)。
懐かしい写真と音声ありがとうございます。客車の先頭に、よく郵便車た連結されていました。短い汽笛の後に「ガチャン!」と飛び出す客車のきしみ音、旧型客車特有の油のような匂い・・・蘇ってくるようです。最近、国鉄時代の直流電関をめっきり見かけなくなりました。さびしい限りです。
もしかしてこれの名残が深夜の快速紀伊田辺行ですか?
旧型客車から12系客車になり新宮止まりとなり、165系電車6両で新宮行(3両は紀伊田辺止)という時代を経て紀伊田辺行きとなりました。
+城崎かすみ
返答ありがとうございます。そのような歴史背景があったとは驚きです😲
「普通」列車と「各駅停車」の違いがよく分かる物だと思います
常磐線の上野-松戸間なども、いわゆる国電だった「常磐快速」「各駅停車」よりも中・長距離の「普通電車」の方が停車駅が少なく早かったですね。
首都圏では列車の名残があり、東海道・宇都宮・高崎線が京浜東北線・横須賀線と並行する大宮から上野・東京・横浜経由で大船までで「普通」と「各駅停車」の違いが分かりますね(横須賀線は「普通」と呼ぶので、横浜から大船までは「普通」が東海道線と横須賀線に存在し停車駅も異なります)。
新幹線開業前は、上野~大宮相互間のみの乗車は京浜東北線に誘導する案内標があったと聞きました。
常磐線は「普通」が電車に合わせられ、我孫子以南は「快速」と呼ばれて久しくなりましたが、総武快速線は快速でも表示は行先のみ、列車の名残を留めているようですね。
東海道線普通列車と京浜東北線のような関係なんでしょうけど、それにしても極端過ぎますよね、天王寺の次は和歌山である、とか。阪和線の駅は全て街中の停車するに値しない駅というという当時の扱いですから。 今は特急くろしおですら岸和田に停車するのに。
普通列車なのに列車名が付いているのはマルスで寝台券を発売するからですかね?
それにしても普通列車なのに天王寺〜和歌山間ノンストップとは、紀州路快速よりも早いですねw
その通りです。他に「山陰」「からまつ」「ながさき」がありました。「はやたま」の前は「南紀」と名乗っていました。JRになってからは、「ムーンライト八重垣」にも14系寝台が連結されていた時期があります。
@@railway-sound 「からまつ」以外乗ったけど「~八重垣」以外は座席💺…
あと、ネーミング前は「924列車寝台券」みたいに売っていたみたいです。
話は違うけど紀勢貨物のコキには、全部で5両しかそんざいしないコキ110が5両が編成に入ってる事が数回あったよ。意図的に組んだとしか思えない編成だった。
🎉
20年ぐらい前には165系新宮夜行には乗ったことがあり、和歌山までは相席でしたよ。車内の画像が映ってましたがオハ35かなんかですか?
相席でも相当混雑しましたね。by酒向正也
善男善女誰でも利用出来た夜行普通列車だったのに今思えば羨ましいばかりかな。by酒向正也
何にもない田舎の駅に2時や3時に降りた後、乗客はどうするんだろうか…
釣りに出かける‼️
旧客最高~🎵
こんにちは。生まれが都内・現在も埼玉に住んでおり、関西に初めて行ったのは24年前ですがこのはやたまは懐かしいですね。「混み合いまして恐れ入ります。座席は必ず4人掛けからお願いします。」と放送しておりますが自由席には当時何時間ぐらい並びましたか?
そんなに長時間並んだ記憶はありません。30分程度と思います。夏休みの大垣夜行でも1時間前に並べば1人旅では座れました。グループでまとまって座りたい場合やこだわりの座席がある場合は皆さん何時間も前から並ばれたかとは思います。紀州夜行は、和歌山への用務客や通勤客が大半ですから、皆さんギリギリに乗車されることが多かったです。御坊を過ぎる空席が目立ち、紀伊田辺以南は釣りのピーク時以外は閑散としていました。
でも、和歌山出るとじきにワンボックス占領?できたよ⁉️
この動画の時点では、大垣夜行以外はそんな感じ。あと、土讃夜行は急行編成で、キロ28格下げキハ28 5000番台に乗ったよ‼️
@@psychedelicraspberry1457 今はボックス席は苦情が来る時代になりました。
@@douga9996 夜行に乗れるなら苦情は出しません?
阪和線内ではトイレの使用が禁止されていたかな。
昔の鉄道はタンクがついてないため、厠を利用するのが、嫌だった覚えがある。現代っ子は、和式や水洗でない厠を嫌がる子が、多い。
夜行快速はやたま号でござるな、南海難波から南海夜行きのくに号、新宮行、23時00分、天王寺からの夜行急行きのくに22号、新宮行、23時20分でござる、和歌山市到着、23時50分、和歌山市発車、0時00分、和歌山到着、0時06分、夜行急行きのくに22号、和歌山到着、0時10分、夜行急行きのくに22号、南海夜行きのくに号、A号車、B号車、C号車、D号車、夜行急行きのくに22号は、指定席、1号車、2号車グリーン車、3号車、自由席、4号、5号、6号車でござる、和歌山-紀伊田辺間、10両編成でござる、途中、南海夜行きのくに号は、C号車、D号車、切り離しでござる、紀伊田辺-新宮考え、8両編成でござる、新宮到着、翌朝5時30分でござる😊
新快速がゆっくり通過しますから
霊夢&魔理沙だぜ⁉️
天王寺の次は和歌山だよね
そうでしたね、和歌山まではトイレの使用が禁止されていたとか・・・。
鳳まで、市街地を走る為トイレ使用禁止でしたよ。
この頃は12系ハザ+オハネフ12(一両)でしたね。12系の編成の隅っこにちょこんと所在無さげなハネ一両、何か……趣き深いですね💦
座席車は旧型客車でした。12系ハザになった頃には寝台車はあったかな?「山陰」ではありましたが。
城崎かすみ様 …ありゃま、"山陰"とごっちゃにしてしまったみたい💦 ご指摘多謝多謝✨
古き良き国鉄時代!
夜行鈍行って何ですか?
mtnob (終電後)真夜中に走る普通列車のことです。各駅停車といわれますが、一部は止まらない駅もあるのです。ほとんどは客車ですが、一部は寝台が連結されていて大昔に食堂車もあったそうです。寝台に乗車する場合は寝台券が必要でした。最終的に東京から大垣まで行く電車が残っていましたが、今は臨時電車を除いて廃止されています………
この動画の時点では、8系統15本が運転されてました。ちなみに、全部乗った私はオッサンです…あと、寝台(と大垣夜行に連結されていたグリーン車)は18きっぷでは乗車不可でした。
よく止まる…
速玉子
垂れ流しですとwww
保線作業員は列車通過の際、直撃を食らった方は数え切れず。
客車区の係員も大変⁉️
@@jeremiah864 このため「洗身」といって勤務中でも入浴が認められていましたが、これを「たるみ」だと国鉄当局が悪宣伝をし潰されて行きました。
S44年5月の時刻表を見ると、長距離鈍行がうじゃうじゃいたようだ。
かつての地方幹線は郵便、荷物輸送の関係で長距離客車による運行が多く設定されていました。その後、旅客のみとなり、車両運用の効率化で運行距離が短くなり、さらにディーゼル化、電車化が進みました。
その頃でしたら天王寺発白浜・串本・新宮経由名古屋行とがありましたね
ゴーサントーでなくなりましたが
@@railway-sound この動画の時点では、DC・ECでも夜行普通に郵便・荷物車連結されてたよ‼️