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百瀬さんは偉大なエンジニアでしたね。行く世代もの時代の先を行ってました。
スバル1000!、若い時に乗っけてもらった。静かで、床が平らだったので、荷物が積めた。今有っても充分通用する車である!
百瀬さんの技術力製品開発は素晴らしい!😊
理想主義の開発姿勢が水対エンジンの採用、インボードFブレーキなど詰まったクルマでしたが一番の功績は当時のFF車の弱点だった等速ジョイントの改良でこの車のために開発されたダブルオフセットジョイントはそれまで使われていたバーフィールドジョイントの欠点のジョイントから起こる振動の問題や耐久性を改善し、現代使われている等速ジョイントの原型となりました。これが開発されていなければFF車の普及は格段に遅れたと思います。
スバル360は、それまでの自動車もどきだった軽自動車を一気に実用レベルに押し上げてマイカーブームに貢献した、日本の名車。スバル1000は、その開発の過程でダブルオフセットジョイントを生み出して、世界レベルでのFF車の開発・普及を年単位で早めた、世界の名車。・・・なんだけど、スバル1000の方の功績はコアなスバリストしか知らないんだよね。
スバルの先進性を象徴した生粋のスポーツセダン
あの当時はスバルはカッコ悪いと言われていた!音もボロボロと言う音が嫌われた、しかし私は当時1300Gを中古で買いスプラインを抜いてはめなおし車高を落として乗っていた!タイヤを185に替えただけで前輪のフェンダーに当たり内側の鉄板をハンマーで叩いて曲げて対処した!電動ファンダブルラジエターやインボードディスクやトーションバーや水平対向エンジンや電磁ポンプなど乗った事が無い人にはわからない素晴らしさがあった!外で聞くエンジン音と走って聞くエンジン音は全く違うアクセルを軽く吹かすだけでこのエンジンの良さが体感出来た!四輪トーションバーはポルシェを真似したか、重心が低くまるで板の上に乗って走ってる様な感覚当時のセリカ1600GTと競争しても負けなかった!
懐かしい!FF-1 1100スポーツ、1300Gスポーツと乗り継ぎました。加速の素晴らしさは最高でした。
スバルにはこれ位の5ナンバーサイズの車をもう一度つくってほしい。安全衝突性能の向上はわかるけど サイズが大きくなり過ぎて、次回買い替えたい車種がない。
ff-1は父が社用車で乗っていて、私用(!)にも使っており、当然小学生の私も助手席に乗せてもらっていました。当時の子供の目にもお世辞にもかっこいい車とは思わなかったけれど、なんとも懐かしい車の物語・・この車がのちのレオーネ、レガシィの源流となることをもっと理解していれば、スバル沼にはまっていたかも・・ありがとうございましたm(__)m
スバルが不整地に強かったのは、ほとんど舗装路のなかったド田舎・群馬で鍛えられたからだと思う。
FF1、F1300はエンジンの音がドコドコと鳴るため「ドコドコ」というニックネームが付けられたみたいですね。
SUBARU1000も他の動画で見ましたが、ブーンではなくブルルという音で、むしろヨタ8やパブリカのようなボクサーサウンドでした。今でそれに近いものは単車のBMWのRシリーズのボクサーエンジンです。
親父が乗ってました。
私の父は、中島飛行機の設計部にいましたのでラビット、360、1000、ff-1その他を自分で弄ってましたね。点火位置をチョット変えたりキャブをツインにしたりして1速で65キロまで出して楽しんでいたのは遠い思い出です。レオーネの頃からあんまり弄れ無くなりレガシィrsの頃は運転するだけでした。
半世紀以上前、母親に連れられて行ったはえ取り紙のたくさん下がった汚い土間のスーパーでこれのプラモ買ってもらいました。その頃は、駄菓子屋、雑貨屋、文具店、クリーニング取次店など色々な店でプラモ売ってました。モーターライズで、金属玉ジョイントで、舵切りした状態でも前輪が駆動する様になってました。なんで前輪駆動なんだろう程度にしか考えませんでした。この頃の車や戦車のプラモは子ども向けにモーターライズが主流で、ディスプレイモデルは年齢の高いマニア向けでした。
自分が小学校に入った頃のウチのクルマ。当時は当たり前だと思っていたけど室内は相当広かった。ただしハネ石もらってフロントスクリーンが真っ白に。コレがきっかけで手放した。この下取りを持って帰ったマツダのセールスが峠でタックイン喰らって横転。なかなか個性的なクルマだった。
うちは、SUBARU1000のスーパーデラックス。 あの頃確か、64万円位だったと。
スバル1000ですね。この車はアルファロメオスッドを参考にしたそうです。エンジンが水平対向4気筒です。スバルの技術者集団の叡知がつまってます。ちなみにスバル1000が登場した1966年は日本は高度経済成長期で3Cカラーテレビクーラーカーと言われていてライバルのトヨタカローラ日産サニーと新車が出た頃でなので水平対向エンジンで整備性が悪く整備工場が嫌がる車でした。ちなみにスバル1000から1300に発展します。ちなみにスバル1000とスバル360の前に1954年にP1という乗用車を完成させてますがいざ生産販売する時設備投資やメインバンクが融資してくれず試作車で終わっています。ちなみにP1はテスト車とか地元のタクシー会社に譲られたそうです。P1を開発する時に外国の自動車の本を読みあさって研究機関がフォルクスワーゲンビートルを分解すると聞けば出向いて後はルノー4CVやシトロエン2CVを参考にしたそうです。後は戦中は中島飛行機で戦闘機を作っていて戦後は富士産業に改名してバスのボディーやラビットスクーターを生産してました。ちなみにスバル1300のバンに当時人気だった日産ブルーバード510のパーツを使って富士重工業と宮城スバルが東北電力の要望でスバル1300のバンの4WDモデルを開発して生産して東京モーターショウに商用車として出してます。これが翌年1972年にレオーネになります。
失礼ながら、アルファスッド『を』ではなく、アルファスッド『が』スバルを参考にしたのです。それぞれの車輌の設計~製造~販売年次をご確認ください。
@@nori-san.0724 ご指摘ありがとうございます。他の動画でスバル1000を特集していたのでこれでいいだろうと思ったのです。次回から気をつけてコメントします。すみません。
@@慎二山田-n9hさんこの時代の日本は、 何事も最初は舶来物を参考にするのが常套手段です。今の中国経済を見れば分かるように最初はパクリから始まり、技術を吸収する事で新しい産業や技術が発展していくのと同じです。ある意味、貴殿のコメは決して間違っていない部分もありますよ!私自身の経験から、この手のコメントをすると俗に云う「スバリスト」なる人々が出現して、中には結構、頑固者がおり、スバルアンチ的なコメを叩き、決して自分の考えを曲げない者に高確率で遭遇します。参考までに・・・。用心下さいませ・・・。😅
@@つゆだく-c5h ありがとうございます。そうですね。その通りです。気をつけます。
@@nori-san.0724 昨日のご指摘ありがとうございます。アルファロメオスッドを開発する時スバル1000を参考にしました。失礼しました。
正に戦時中に航空技術者として才能を開花させた高学歴のエリートエンジニア達による機械遺産にも認定されたあのスバル360に次ぐ一大傑作だったのですね、そして第二のスバル1000が初代レガシィなのですよね。^^y
うp主のクルマチョイスのセンス❤
(13:36)4WD車の成り立ちが、初代・2代目トヨタ「ターセル・コルサ」と同じですね!ターセル・コルサもFFながらエンジン縦置きで成り立っていたため、2代目の派生車として4WDワゴンの「スプリンターカリブ」が登場しましたね!
富士重工と違って、消極的な理由での縦置きFFだったんだけどね・・・
初代ターセル、コルサと初代レオーネのサイズがほぼ一致し、サスペンション型式なども一致するという事実。トヨタは日野自動車にレオーネをパクらせたとも言う。但し水対エンジンはパブリカでの経験もあり一般的な直4にした。
これうちの近くにあった1300の方ですが音が特徴的だったバタバタというか、なんとも、変わった音、バンもありましたね。ボコボコちょうなおとです。
こんにちは、スバルのカリスマ百瀬晋六さんの本当に作りたかったクルマはね、トヨタが実現した世界初初代MIRAI水素燃料で発電するFCVだったのです。百瀬イズムは凄いのです。🇯🇵😊
家の親父が黄色のff1スポーツに乗っていました(*^ワ^*)
全幅1480mm、という事は、今の軽自動車と全く同じ。水平対向4気筒660ccのプレオ、ステラ、サンバーなんて、アメリカ市場しか見ていないスバルに、作れっこないよね(涙)
トヨタが辞めるように言ったのよ。スバルのせいじゃない・・・商売が下手なだけ。レオーネなんかは「売る気があるのか?」ってくらいで、初代レガシィツーリングワゴンの大ヒットが無きゃ潰れていたと思う。 R1はデザインもいいクルマだったけど、理解されなかった・・・
@@IzumizukiPinky レオーネはセンターピボットをやめたせいで重ステに。
富士重工はねぇ、技術が良ければ売れる思想があったから、バブル期でも軽自動車しか売れ筋がなかった。レガシィがヒットしなかったらどうなってたか。いい車は多いけどね。
Alfa Sud スッド、イタリア語で南という意味です。
南イタリアの工場で生産してました。
カローラZXをリクエストします
スバル1000ってカローラやサニーより高かったの?!! 子供の頃時々見掛けたけどカッコ悪い車だなぁと思ってました。 まぁ当時カッコ良いと思ってた国産車はフェアレディZとセリカだけなんですがw スバル360とかベレットなんてふざけてわざと丸っこくデザインした車だと勝手に本気で思ってました。 まぁ子供の妄想なんですけどw
大人になって見ると、サニーやカローラよりも「悪くないな」て思える。初代ファミリアには完全敗北だけど・・・(当たり前かw)
今70歳?ほどになる 当時の会社関係の息子が好んで乗っていたなあっ音を楽しむ?ように乗っていた この車が初めて聞くボクサー音だった今では 排気干渉を起こした 欠陥音だけど まあっそこでも記憶に残る名車?なんじゃないかな 軽そうに加速していたでなあっ
これの排気音が済んだ音で、耳障りが凄く良かったです。
アルファスッドが参考にした!ってのは、俗説らしいですけどね。発売時期及び開発期間などを考えると、つじつまが合わないようで。
百瀬さんは偉大なエンジニアでしたね。行く世代もの時代の先を行ってました。
スバル1000!、若い時に乗っけてもらった。静かで、床が平らだったので、荷物が積めた。今有っても充分通用する車である!
百瀬さんの技術力製品開発は素晴らしい!😊
理想主義の開発姿勢が水対エンジンの採用、インボードFブレーキなど詰まったクルマでしたが一番の功績は当時のFF車の弱点だった等速ジョイントの改良でこの車のために開発されたダブルオフセットジョイントはそれまで使われていたバーフィールドジョイントの欠点のジョイントから起こる振動の問題や耐久性を改善し、現代使われている等速ジョイントの原型となりました。これが開発されていなければFF車の普及は格段に遅れたと思います。
スバル360は、それまでの自動車もどきだった軽自動車を一気に実用レベルに押し上げてマイカーブームに貢献した、日本の名車。
スバル1000は、その開発の過程でダブルオフセットジョイントを生み出して、世界レベルでのFF車の開発・普及を年単位で早めた、世界の名車。
・・・なんだけど、スバル1000の方の功績はコアなスバリストしか知らないんだよね。
スバルの先進性を象徴した生粋のスポーツセダン
あの当時はスバルはカッコ悪いと言われていた!
音もボロボロと言う音が嫌われた、しかし私は当時1300Gを中古で買いスプラインを抜いてはめなおし車高を落として乗っていた!タイヤを185に替えただけで前輪のフェンダーに当たり内側の鉄板をハンマーで叩いて曲げて対処した!
電動ファンダブルラジエターやインボードディスクやトーションバーや水平対向エンジンや電磁ポンプなど乗った事が無い人にはわからない素晴らしさがあった!
外で聞くエンジン音と走って聞くエンジン音は全く違うアクセルを軽く吹かすだけでこのエンジンの良さが体感出来た!
四輪トーションバーはポルシェを真似したか、重心が低くまるで板の上に乗って走ってる様な感覚当時のセリカ1600GTと競争しても負けなかった!
懐かしい!
FF-1 1100スポーツ、1300Gスポーツと乗り継ぎました。加速の素晴らしさは最高でした。
スバルにはこれ位の5ナンバーサイズの車をもう一度つくってほしい。
安全衝突性能の向上はわかるけど サイズが大きくなり過ぎて、次回買い替えたい車種がない。
ff-1は父が社用車で乗っていて、私用(!)にも使っており、当然小学生の私も助手席に乗せてもらっていました。当時の子供の目にもお世辞にもかっこいい車とは思わなかったけれど、なんとも懐かしい車の物語・・この車がのちのレオーネ、レガシィの源流となることをもっと理解していれば、スバル沼にはまっていたかも・・ありがとうございましたm(__)m
スバルが不整地に強かったのは、ほとんど舗装路のなかったド田舎・群馬で鍛えられたからだと思う。
FF1、F1300はエンジンの音がドコドコと鳴るため「ドコドコ」というニックネームが付けられたみたいですね。
SUBARU1000も他の動画で見ましたが、ブーンではなくブルルという音で、むしろヨタ8やパブリカのようなボクサーサウンドでした。今でそれに近いものは単車のBMWのRシリーズのボクサーエンジンです。
親父が乗ってました。
私の父は、中島飛行機の設計部にいましたのでラビット、360、1000、ff-1その他を自分で弄ってましたね。点火位置をチョット変えたりキャブをツインにしたりして1速で65キロまで出して楽しんでいたのは遠い思い出です。レオーネの頃からあんまり弄れ無くなりレガシィrsの頃は運転するだけでした。
半世紀以上前、母親に連れられて行ったはえ取り紙のたくさん下がった汚い土間のスーパーでこれのプラモ買ってもらいました。
その頃は、駄菓子屋、雑貨屋、文具店、クリーニング取次店など色々な店でプラモ売ってました。
モーターライズで、金属玉ジョイントで、舵切りした状態でも前輪が駆動する様になってました。
なんで前輪駆動なんだろう程度にしか考えませんでした。
この頃の車や戦車のプラモは子ども向けにモーターライズが主流で、ディスプレイモデルは年齢の高いマニア向けでした。
自分が小学校に入った頃のウチのクルマ。当時は当たり前だと思っていたけど室内は相当広かった。ただしハネ石もらってフロントスクリーンが真っ白に。コレがきっかけで手放した。この下取りを持って帰ったマツダのセールスが峠でタックイン喰らって横転。なかなか個性的なクルマだった。
うちは、SUBARU1000のスーパーデラックス。 あの頃確か、64万円位だったと。
スバル1000ですね。この車はアルファロメオスッドを参考にしたそうです。エンジンが水平対向4気筒です。スバルの技術者集団の叡知がつまってます。ちなみにスバル1000が登場した1966年は日本は高度経済成長期で3Cカラーテレビクーラーカーと言われていてライバルのトヨタカローラ日産サニーと新車が出た頃でなので水平対向エンジンで整備性が悪く整備工場が嫌がる車でした。ちなみにスバル1000から1300に発展します。ちなみにスバル1000とスバル360の前に1954年にP1という乗用車を完成させてますがいざ生産販売する時設備投資やメインバンクが融資してくれず試作車で終わっています。ちなみにP1はテスト車とか地元のタクシー会社に譲られたそうです。P1を開発する時に外国の自動車の本を読みあさって研究機関がフォルクスワーゲンビートルを分解すると聞けば出向いて後はルノー4CVやシトロエン2CVを参考にしたそうです。後は戦中は中島飛行機で戦闘機を作っていて戦後は富士産業に改名してバスのボディーやラビットスクーターを生産してました。ちなみにスバル1300のバンに当時人気だった日産ブルーバード510のパーツを使って富士重工業と宮城スバルが東北電力の要望でスバル1300のバンの4WDモデルを開発して生産して東京モーターショウに商用車として出してます。これが翌年1972年にレオーネになります。
失礼ながら、アルファスッド『を』ではなく、アルファスッド『が』スバルを参考にしたのです。
それぞれの車輌の設計~製造~販売年次をご確認ください。
@@nori-san.0724 ご指摘ありがとうございます。他の動画でスバル1000を特集していたのでこれでいいだろうと思ったのです。次回から気をつけてコメントします。すみません。
@@慎二山田-n9hさん
この時代の日本は、 何事も最初は舶来物を参考にするのが常套手段です。今の中国経済を見れば分かるように最初はパクリから始まり、技術を吸収する事で新しい産業や技術が発展していくのと同じです。ある意味、貴殿のコメは決して間違っていない部分もありますよ!私自身の経験から、この手のコメントをすると俗に云う「スバリスト」なる人々が出現して、中には結構、頑固者がおり、スバルアンチ的なコメを叩き、決して自分の考えを曲げない者に高確率で遭遇します。参考までに・・・。用心下さいませ・・・。😅
@@つゆだく-c5h ありがとうございます。そうですね。その通りです。気をつけます。
@@nori-san.0724 昨日のご指摘ありがとうございます。アルファロメオスッドを開発する時スバル1000を参考にしました。失礼しました。
正に戦時中に航空技術者として才能を開花させた高学歴のエリートエンジニア達による機械遺産にも認定されたあのスバル360に次ぐ一大傑作だったのですね、そして第二のスバル1000が初代レガシィなのですよね。^^y
うp主のクルマチョイスのセンス❤
(13:36)4WD車の成り立ちが、初代・2代目トヨタ「ターセル・コルサ」と同じですね!
ターセル・コルサもFFながらエンジン縦置きで成り立っていたため、2代目の派生車として4WDワゴンの「スプリンターカリブ」が登場しましたね!
富士重工と違って、消極的な理由での縦置きFFだったんだけどね・・・
初代ターセル、コルサと初代レオーネのサイズがほぼ一致し、サスペンション型式なども一致するという事実。トヨタは日野自動車にレオーネをパクらせたとも言う。但し水対エンジンはパブリカでの経験もあり一般的な直4にした。
これうちの近くにあった1300の方ですが音が特徴的だったバタバタというか、なんとも、変わった音、バンもありましたね。ボコボコちょうなおとです。
こんにちは、スバルのカリスマ百瀬晋六さんの本当に作りたかったクルマはね、トヨタが実現した世界初初代MIRAI水素燃料で発電するFCVだったのです。百瀬イズムは凄いのです。🇯🇵😊
家の親父が黄色のff1スポーツに乗っていました(*^ワ^*)
全幅1480mm、という事は、今の軽自動車と全く同じ。水平対向4気筒660ccのプレオ、ステラ、サンバーなんて、アメリカ市場しか見ていないスバルに、作れっこないよね(涙)
トヨタが辞めるように言ったのよ。スバルのせいじゃない・・・商売が下手なだけ。
レオーネなんかは「売る気があるのか?」ってくらいで、初代レガシィツーリングワゴンの大ヒットが無きゃ
潰れていたと思う。 R1はデザインもいいクルマだったけど、理解されなかった・・・
@@IzumizukiPinky
レオーネはセンターピボットをやめたせいで重ステに。
富士重工はねぇ、技術が良ければ売れる思想があったから、バブル期でも軽自動車しか売れ筋がなかった。レガシィがヒットしなかったらどうなってたか。いい車は多いけどね。
Alfa Sud スッド、イタリア語で南という意味です。
南イタリアの工場で生産してました。
カローラZXをリクエストします
スバル1000ってカローラやサニーより高かったの?!! 子供の頃時々見掛けたけどカッコ悪い車だなぁと思ってました。 まぁ当時カッコ良いと思ってた国産車はフェアレディZとセリカだけなんですがw スバル360とかベレットなんてふざけてわざと丸っこくデザインした車だと勝手に本気で思ってました。 まぁ子供の妄想なんですけどw
大人になって見ると、サニーやカローラよりも「悪くないな」て思える。
初代ファミリアには完全敗北だけど・・・(当たり前かw)
今70歳?ほどになる 当時の会社関係の息子が好んで乗っていたなあっ
音を楽しむ?ように乗っていた この車が初めて聞くボクサー音だった
今では 排気干渉を起こした 欠陥音だけど まあっそこでも記憶に
残る名車?なんじゃないかな 軽そうに加速していたでなあっ
これの排気音が済んだ音で、耳障りが凄く良かったです。
アルファスッドが参考にした!ってのは、俗説らしいですけどね。
発売時期及び開発期間などを考えると、つじつまが合わないようで。