【ゆっくり解説】平安時代最強の男「源為朝」がヤバすぎる!

แชร์
ฝัง
  • เผยแพร่เมื่อ 18 ธ.ค. 2024

ความคิดเห็น • 26

  • @yusuken8593
    @yusuken8593 8 หลายเดือนก่อน +8

    腕の腱を切られて流刑という、マンガのような話。日本の項羽

  • @user-honey_candy
    @user-honey_candy 8 หลายเดือนก่อน +8

    やっぱりこの頃は源氏の方が少年魂をくすぐる人達多いなぁ😅
    東国からの帰還者・源義朝
    鎌倉幕府初代将軍・源頼朝
    鎌倉軍天才軍略家・源義経
    木曽軍の暴れん坊・源義仲

    • @bamboo8875
      @bamboo8875 8 หลายเดือนก่อน +1

      悪源太義平とかね。

    • @kureyon-shinchan
      @kureyon-shinchan 8 หลายเดือนก่อน +3

      歴史において勝者側は盛りに盛って語られ、敗者側は蔑まれて書かれるのが常だからね。

    • @silversurfer512
      @silversurfer512 8 หลายเดือนก่อน +1

      いやいや平氏にも、平将門がいますよ。

    • @silversurfer512
      @silversurfer512 8 หลายเดือนก่อน +1

      源氏は身内同士、血族同士の骨肉の争いがあまりにも多い😢
      源義朝が実父の為義を斬ったのは、日本史どころか世界史でもあまり類を見ませんし、
      義朝、頼朝と続く河内源氏の血筋も結局、身内の殺し合いでことごとく根絶やしになってしまう😢

  • @ShimizuNaotoOrigin
    @ShimizuNaotoOrigin 13 ชั่วโมงที่ผ่านมา

    我が家の近所には鎮西八郎為朝が大島を脱出して妻子と共に隠れ住んでいたと言う「隠れ里」があります。
    頼朝が八郎為朝の子孫を探した末、この土地の一族を見つけ、土地を安堵し武蔵に土地を与えたとの記録があります。

  • @上田Uえだ
    @上田Uえだ 7 หลายเดือนก่อน +1

    偶然Wikipediaで為朝に辿り着いて好きになったなぁ
    とにかく逸話や伝説が豪快でネチネチしてないのが堪らない。
    知性的でも脳筋的でもないけどとにかく力業で最後まで突っ走って散る。
    最期の呆気なさがまた逆にスッキリしてると僕は思うんです。

  • @武闘派のび太
    @武闘派のび太 8 หลายเดือนก่อน +2

    頼義は「後三年の役」の頃には亡くなっている。「判官びいき」の前に「鎮西びいき(とでも言おうか)」があったとは意外だ。強弓の強者伝説は原哲夫氏の漫画が似合いそう。

  • @鹿島高穂
    @鹿島高穂 8 หลายเดือนก่อน +2

    源氏のガンダム😊以前TVの歴史番組で戦前に沖縄県で為朝公の唄ってのが有ったって紹介されてましたネ

    • @拓郎松田
      @拓郎松田 8 หลายเดือนก่อน +1

      沖縄には、為朝が運を天に任せると言って出航した港が現在運天港としてあります
      本当の事かわからないですが

    • @silversurfer512
      @silversurfer512 8 หลายเดือนก่อน +1

      ​@@拓郎松田
      伊豆七島には為朝神社があって、島外から来て島の女性と結婚して島に永住した男性は今も、「為朝さん」と呼ばれたりしてますね😊

  • @AsukaKyoya
    @AsukaKyoya 4 หลายเดือนก่อน

    日本の武士として切腹を初めて自分で解釈なしで行った男。最後まで本当に漢気しかない

  • @間藤-d9u
    @間藤-d9u 7 หลายเดือนก่อน

    忠通と頼長の対立図って、室町時代の足利将軍の対立図と似てますね…(義政▶義視▶義尚の予定が、義視の子供義稙が生まれて、話がガラッと変わる的な…)

  • @catmanserishadow
    @catmanserishadow 8 หลายเดือนก่อน

    佐賀県のとある町がこの人のアニメーションTH-camで流してましたねぇ。

  • @100EIZO
    @100EIZO 7 หลายเดือนก่อน

    為朝を琉球の王の祖とするという伝説は、実際に当地あるらしいけど、いつ頃からあったんだろうなあ

  • @ka1409
    @ka1409 7 หลายเดือนก่อน

    弓は掴まないでしょう、掴んだのは矢でした。

  • @wa33785
    @wa33785 8 หลายเดือนก่อน

    (平治の乱後に頼朝を助ける事になる)重仁親王の乳母池禅尼(清盛の継母)が崇徳上皇側に味方するように清盛に働きかけていたら、上皇方勝利で源平勢力拮抗。
     義朝と為朝が源氏の中で身内争いが勃発かも。

  • @silversurfer512
    @silversurfer512 8 หลายเดือนก่อน

    源為朝と崇徳上皇側の運命、そして保元の乱の行方を決めたのは、為朝が進言した夜襲を崇徳上皇側が却下してしまったことでしたね。
    もしも崇徳上皇方が先手を打って先に奇襲をかけていたら。
    為朝の九州での活躍は、かなり誇張や脚色があるにせよ、為朝がかなり実戦を積んで戦上手になっていたのは事実だったはずなので、
    その為朝の夜襲のプランと、戦闘者として、現場指揮官としての為朝の実力を考えたら、為朝に任せて先に夜襲をかけさせていたら、かなりの戦果を挙げていた可能性はある。
    もしそうなっていたら、その後の日本史は大きく変わっていたでしょうね。
    しかしその前に為義と義朝の親子が仲違いして敵味方に分かれてしまったのも致命的でしたね。
    河内源氏が1つに纏まっていたら、後白河天皇方だろうと崇徳上皇方だろうと、纏まった河内源氏がついた方が(おそらく反対側についた)平家を破っていた可能性が高いと思います。
    河内源氏はその後も頼朝と義経のように骨肉の争いで滅びてしまいますよね😢

  • @諭田村
    @諭田村 8 หลายเดือนก่อน

    シラギ三郎✕………シンラ三郎(新羅三郎源義光)と呼んで欲しいもの。

  • @bruuzar
    @bruuzar 8 หลายเดือนก่อน

    ステゴロ最強は花形敬🎉

    • @silversurfer512
      @silversurfer512 8 หลายเดือนก่อน

      真樹日佐夫さんはタイマン張って互角でしたね。

    • @bruuzar
      @bruuzar 8 หลายเดือนก่อน +1

      @@silversurfer512 様
      あれは、映画化する時のフェイクでは❓という説もあります。
      どうなのか?それは、二人のみぞ知る。
      私見ですが。

    • @silversurfer512
      @silversurfer512 8 หลายเดือนก่อน

      ​@@bruuzarさん
      私の友達に真樹道場で空手習ってたのがいますが、真樹日佐夫さんご本人から、花形敬さんとタイマン張った話を聞いたそうです。
      まあ相手の花形敬さんがとっくに亡くなられてるので、真樹日佐夫さんは好きなことを言える状況でしたが、ただ真樹日佐夫さんも喧嘩空手でかなりの実力者でしたからね。ロマンのある話ですね。

    • @bruuzar
      @bruuzar 8 หลายเดือนก่อน +1

      @@silversurfer512 様
      真樹先生とは、若い頃、広島で知人に紹介されて飲みに行きました。
      まあ、本物より本物らしいファッションでしたが、それが、なかなかきまっておりまして、飲み屋の女の子にはモテモテでした。
      男前やからな。
      しかも、強い。
      タイで、ワイシャツの仕立て屋でセンサックと揉めて喧嘩した話もしてましたが、普通センサックと揉めたら逃げるか謝るけど、戦うのだから、相当な実力者であられたのだと思います。
      格闘技四角いジャングルにも出演されて、氷柱割り、手刀による畳抜きなどをされていましたね。
      懐かしいです。