安国寺恵瓊 ~六条河原の露と消えた、毛利の最強ネゴシエーター~
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- เผยแพร่เมื่อ 26 ส.ค. 2024
- 安国寺恵瓊 ~六条河原の露と消えた、毛利の最強ネゴシエーター~
について紹介しています。
ナレーション:真加藤沙織
脚本・監修:歴史の細道
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~音源~
DOVA-SYNDROME 様
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輝元との関わりはない
大河ドラマの主人公にしても全く遜色は無い人物だと思うのだが‥‥。
輝元には過ぎた傑物だった
まさか前の大河ドラマの安国寺恵瓊役の山路和弘さんが今回の大河ドラマでは三好家とかなかなかに楽しみでございます
いつの大河でした⁉︎
@@user-dp7jh6dl8x 安国寺恵瓊は軍師官兵衛で三好家は麒麟がくるですm(_ _)m
@@user-ze1qz8jl8b 返信ありがとうございます。
官兵衛みてましたが恵瓊が山路さんとは失念してました!麒麟〜は見てたので三好長慶は知ってます(^ ^)
それにしても恵瓊は山路さんや同じ大河の秀吉では中条きよしさんが演じたようにイケメンオヤジの系譜がありますよね。
個人的には葵・徳川三代で財津一郎さんが演じた恵瓊が好みですね!
家康が断固として恵瓊の斬首だけは撤回しなかったという妖怪さがよく表現されてたと思います。
東の太原雪斎。西の安国寺恵瓊。
江戸時代の天海。いずれも知恵者。
大河ドラマでは備中高松城のシーンでよく見ます
何回聞いても腹が立つ❗豊臣方は武勇伝ですが、毛利方は恨みつらみでしかない❗とくに安国寺と小早川の密約は最悪。安国寺の晒し首は称賛です
15:49毛利家が創った逸話なんだろうな
他には 恵瓊が捕縛された時、恵瓊に着き従っていたのは5人の武士で その内 3人は恵瓊の寵童扱いの人だったそうです。 これも毛利の創作話かな⁉️
毛利家の太原雪斎といったところでしょうか
再始動hari-takeda 良い捉え方です
さすがに雪斎和尚の方が格上だと思うけど。
雪斎が育てた今川義元は桶狭間に消えた。
本年も楽しく拝聴させていただきます。「お弁当タイム」とは面白い表現ですねw
個人的には天下分け目の大戦でどっちに転んでも生き残るために西軍に安国寺、東軍に吉川を送り込んだのではないかと思ってる
真田の犬伏みたいに。
家の存続のための策なのかもしれないが、そういうやり口は嫌いですね。
恵瓊は未だに大名なのか大名じゃないのか論争が続いてるそうだ
又今回も楽しく拝見させて戴きました。尚、余談ですが此の時恵瓊を捕らえたのはあの「長篠の勇者」鳥居強右衛門勝商の子強右衛門信商だそうです。
一僧侶に徹していたら長生きしてたかも…
甲斐武田氏も安芸武田氏も😮
戦場はともかく外交は、小早川隆景さんよりも瑶甫恵瓊さんの方が毛利家を支えていた気がする~
特に関ヶ原の時に、毛利輝元さんが大阪城に入城できたのは大きかった~
瑶甫恵瓊さんが戦場に出ずに大阪城にいたら、吉川広家さんの幼稚な内通の後始末も、きっと上手くこなしてくれた気がする~
最後はあれだけどいい人生だったんじゃないかな。多くの武将を自分の手のひらの上で転がし転がし、さぞかしゆかいだっただろう
俺もそう思う
最期は捕虜になり引き回しされ斬首&晒し首と大恥を晒したが大毛利の外交を担当し、秀吉には僧侶でありながら大名にしてもらえたんだからまあいい人生を過ごした口かな?
実は毛利は親の仇だったとは知りませんでした。僧侶なのに謀略とか得意って、昔の寺は石山本願寺とかと同じでおっかない
某センゴク漫画では、実に胡散臭いネゴシエーターに描かれていましたね、恵瓊。
そんな恵瓊が国宝級の建物を守っていたとは驚きです。
虎御前(曾我兄弟)、大姫、信松尼、とかの心打つ話もお願いです。
隆景に「コイツを操縦できるのは俺しかいないから・・・」といわれたらしいけどどんだけイカれた人だったのだろうか
もし秀吉の用事で走り回らずに毛利の元に居続けてたら吉川元春の内通も防げたと思う。
輝元は三川の重鎮たちに強く出れなかったみたいだし、本当に残念。
コナキジジィじゃ!
...夢見るぞ。
ヤな野郎だなー、松本小雪って。おりゃ許せねえ!
子供の頃はイロモノ扱いしてました、ごめんなさい。
バトルボーズは?
お疲れ様でした。安国寺恵瓊の辞世の句が誰かを恨んでいたりこの世の未練などない清々しい句ですよね。
「清風は明日を払い 明日は清風を払う」本当は悪僧ではなく領民たちを戦渦から守りたいと云う願いを持っていた人物だと思うのですが。。。
めにあおば 毛利家からしたら関ヶ原の敗戦の責任を全て恵瓊に押さえつけたのであることないこと書かれたのでしょうな
野心家だろうな名君だとは思いますけど
吉川広家の裏切りは見抜けなかったようですね(--;)
大河ドラマ黄金の日日の神山繁さんが演じたのがイメージある、六条河原で斬首のとき僧侶に向かって「わしは坊主じゃぞ!!」と一喝、あれはすごかった。
TBSの関ヶ原でも神山さんは再登板ですよなぁ。
神山繁氏の遺作・「アウトレイジ・ビヨンド」での印象的なセリフ→ 一度 人を裏切った奴は何回でも裏切りよる‼️ ~花菱会・会長
やはり見ていた人がいたか
そのオチいいね!😁お前さん、儂を誰だと思うてか!
恵瓊が信長の死を予言したくだり。
『信長は5年も持たず・・・』ではなく、正しくは
『信長の代は5年から10年は持つだろう。』ではないでしょうか。
3~5年は持つ、その後転落するみたいな感じだったと思います
安国寺恵瓊…名前からして不穏な空気を子供の頃感じたものです(^ ^)
ほら!耳だけで聞くと暗黒児に聞こえるじゃないですか(汗)
恵瓊「三奉行を引き込んだぞ! 輝元を総大将にできたぞ!」
三成「おおっ!」
大谷「三成の嫡男・重家任せろ! 誰よりも早くに味方になってやる!」
三成「おお!」
左近「上杉挙兵させたぞ! 我らの挙兵の時間稼ぎしたぞ! 強襲成功したぞ!」
三成「おおっ!」
三成「家康は大垣抜けて佐和山行く気やで! 引くで!」
宇喜田・島津・小西・大谷「…は???」
おぐら 上杉挙兵させたってどういうことだ?西軍と上杉軍は全く別だが
@@user-wp9jn8fg4l
上杉の上洛拒否で家康が征伐に動く。
家康を引っ張り出し大坂、伏見を空に出来た。
だから蟄居(ちっきょ)中の三成が暗躍出来たんです。
関ヶ原の合戦に繋がる第一段はこの会津征伐なんです。
そして、それを景勝に促したのは左近です。
おぐら 上杉弾正と治部が懇意だったのは知ってるが陪臣の身である清興の促しだけで挙兵するとでも?それに清興が促したとあるがそれを裏付ける資料を教えていただきたい。
おぐら 会津征伐と関ヶ原合戦は同じように思われてるけど時期が重なってるだけで全く別だよ、現に西軍と上杉の間では全く連携できてない
坊さんのくせに戦場にしゃしゃり出てくるなんて斬首されて当然やな
あんこくじ えけい
この人、信長の野望でひたすら内政業務だけしてました( *´艸`)
父を滅ぼした相手に仕える。戦国の世に生きる性と割り切らなければ相手のために奔走出来ませんね。
安国寺といえば一休さんのイメージがつよいかな。。。(^-^ゞ
真加藤沙織って検索したのに何故これを出したのか
自分は尾張国だから織田信長公目線だから
毛利は義昭のせいで無能にみえたのかぁ…。
大河「軍師官兵衛」で、毛利の軍師&外交僧として、やっと広く知られるようになったよね。たしかに優れた超一流の人物だったわな。でも他人の将来は予測出来ても自分の将来が予測出来なかったのが残念。
秀吉の中国大返しの 立役者でしょう。 安国寺恵瓊いなければ、 秀吉の天下はなかったと思います!
安国寺恵瓊と吉川広家の仲が悪くなければ関ヶ原もどうなってたかわからない。吉川広家は幼少期からうつけと言われてたので智略派の三成、恵瓊とは馬が合わないのはやむを得なかったのだろうね。
元春の言葉を守り、元成の言葉、勢力を拡げず、領土を安堵せよ。を守り抜き毛利本家に尽くした広家、吉川家次男
広家はきちがいじみたとこがありましたからね。彼をもてあまし、統制しきれなかった毛利輝元にも問題があります。尤も国人連合的な毛利家の構造が原因ですが。
@@pianochandaisuki 広家は幼少期の頃からカブいていたようで、
今でいうところのヤンキーのような状態だったようです。
また、輝元が西軍総大将として各勢力に書状を送っていたことが家康にばれて毛利家は改易の危機に直面しましたが、
【もともと輝元が分別つかない人間であることを知っているはずだ。
自分がもらう予定であった周防・長門30万石を返上するから、
それを輝元に与えてほしい。】と輝元をかばっていますから、
自分を犠牲にしてでも毛利本家を守りたいと考えていたようです。
ただし、自分が家康に利用されていたことは最後まで見抜けなかったようで、
毛利改易の危機に直面した時に友人の黒田長政に、
【君のアドバイス通りに動いたのに、毛利家がつぶされる危機になっている。
どうしてくれるんだ】という意味合いの手紙を送っていたようです。
@@onseanimal9363 光成準治氏の本には吉川広家の自らを犠牲にして毛利家を守ったというのは広家の創作だと断じてますね。渡邊大門氏は毛利輝元は心は東軍で無理矢理西軍の総大将に祭り上げられたとしてますが、光成準治氏は貴方の言うように最初から積極的に西軍の総大将になってますし、四国九州に侵攻し領土拡張の野望を見せている。一方で東軍勝利の可能性も感じて家老の福原と吉川広家に輝元を粗略に扱わないという念書を家康から受け取っています。要するに東西どちらが勝ってもいいように二股をかけていました。自分は光成準治氏の意見に近く、彼は最後に、輝元は天下まではいかなくても自分が最高権力者になるという欲はあったが、家康のように最前線に出ず、自らは安全な場所で指揮していた。若い頃から修羅場を切り抜けてきた家康に比べて3代目のひ弱さが輝元にはあったと。
@@pianochandaisuki 輝元の環境を考えてみると、当時は毛利両川が健在であり、
外交官の役割を持っていた安国寺恵瓊といった優秀なブレーンがいて、
なおかつ当主についた時から大大名の位置でしたね。
軍事・戦略面についてはブレーンたちに任せて、内政に専念していたのだろうなとおもいます。
一方の家康は三河の一領主でいつ滅ぼされるかわからない環境での生まれ、
なおかつ人生の四分の一ほどの人質生活が続き、自分の領地は今川方として接収されておりいわばどん底から始まっていたわけです。
そして軍事・戦略も自分でたててなおかつ内政も自分で行う(奉行達もいましたが)。
そういったそれぞれの環境の中での人間構成や考え方が形成されて、
なおかつ相手がどのように行動するのかといった戦術的な思考を持っているか否か、
そして自分が今まで行ってきた仕事の実績の積み重ねがあったからこそ、
関ケ原の戦いおよびその戦前や戦後の所作に現れたのだなと感じました。
権謀術数が渦巻き、血みどろの乱世の時代を自分の体で渡り歩いてきた家康、
周囲の環境が揃っていたいわば安全な状態で過ごしてきた輝元。
両者の考え方は異なるもので、天下を取るためにはどの様なことでも計画を立てて実行していく前者、
【天下を望まず】という元就の遺言があったが、時代に巻き込まれるように天下の戦いに躍り出て、後先考えずに高い望みを手にしようとして失敗した後者。
色々な要因がありますが私としては輝元にもう少し情勢と相手を見極める力を養ってほしかったなと思いました。
殿は黒田官兵衛じゃないのか...
毛利の集団指導体制が良かったのか悪かったのか、議論の分かれるとこやね
敗軍の将は敗けたから行ってもいないことをさも行ったかのように貶める話があったり、家康公が神君扱いされてきた時、それに歯向かった人間になるから散々な評価されたと思う。
ご存じの方も多いと思いますが東海道新幹線は関ヶ原のど真ん中通りますよ〜
合戦中通過するシーンを想像した
在来線には関ケ原の"えき"もあります。
敗けた三成たちは下り列車に乗ろうとして満員で乗れず捕まってしまいましたが、
島津義弘隊は通りがかった上り急行に飛び乗って脱出出来ました。
余談ですが、奥羽本線には「後三年の駅」もあります。
源義家は雁の群れが乱れているのを見て列車事故を予見し、難を逃れました。
策略に次ぐ策略で嫌になっちゃうよね。
男の嫉妬、自己顕示、名誉欲・・・
嫌になる・・・・
策士策に溺れる。
戦国とは、斯くありけり。
かなしかな、しかし、後世に名を残した人物はあまた。
無名で散った武人のことを思えば、と、自分は思います。
星龍 くの前の漢字なんて読むか教えてほしいです
@@user-wp9jn8fg4l
あちちあちち様、かくありけり、の事でしょうか(御辞儀)(汗)
星龍 ありがとうございます!
坊主つながりで次は前田玄以を希望します。
金地院崇伝、施薬院全宗もお願いしたいですね
前田玄以は面白そうですね。
歴史じっくりの鎧の人と同じ人ですか?
「信長の高転びを予言した」というのは過大に評価されてると思う。
応仁の乱以降100年、何人もの大名が足利将軍を凌ぐ権力を手に入れたがみんな長続きしなかったわけで、信長もそうなると思うのは別に不思議でもない。高転びの具体的理由(謀反)を当てているわけでもないしね。むしろ本能寺の変までの信長の勢いは想定外だったと思うよ。
まじで信長の未来は予想出来たの凄いよね!!
なお自分の未来は予想出来なかった模様
mort _ 皮肉だな
あれは信長が秀吉に対して不信感を抱かせるための離間策な気がする。毛利元就の得意技でもあったし。
@@user-pp3ov5bs6r だとしたら凄いね
@@user-wp9jn8fg4l 戦国はそうゆう時代だよ…
mort _ そうだな
安芸武田氏は結構な重臣熊谷信直が毛利に裏切った時点でかなり追い詰められていたんですよね。
毛利側の背後にいる大内氏は当時まだ大勢力でしたし、いやまあ毛利元就が怪物過ぎただけかも知れませんが……。
大河に出てくる怪しいオッサンがこんな凄い人だったとはびっくりです。
甲斐武田氏の同族の安芸武田氏の出で信玄公の親戚筋に当たるってお人。
すごくとおーい親戚ですね
@@user-ry3du7we4k 様、そうですね。(>ω
6万石の立身て凄いでこざるな!やっぱなんか知ってたのかな
因みに鬼武者2だと脳筋ガチムチキャラでござったなあ
信長の野望だと裏切りまくりでお馴染み
鬼武者2のイメージが強いですsd=(^o^)=b
7月12日 前田玄以・増田長盛・長束正家は広島にいた毛利輝元宛に「大坂御仕置之儀」のための大坂入りを要請する書状を出す
7月13日 輝元の家臣の宍戸元次は安国寺恵瓊が輝元の命令として東進していた軍勢を近江から大坂に戻していること榊原康政・本多正信・永井直勝に書状で報告
7月14日 吉川広家も同様の報告を榊原康政に出す
7月15日 輝元が広島を出発
7月17日 「内府ちがひの条々」を諸大名に送付
7月19日 輝元が大坂城に入城
7月12日に書状を出して15日に出発は早すぎる
大坂に行く準備が出来ていたとしか思えないほどの早さ
しかも軍勢を大坂に戻している
これは「内府ちがひの条々」で三成が挙兵する前から毛利が西軍であることは明らか
安国寺恵瓊はかなり早い時期から毛利家中の根回しをして西軍に参加させることに成功していることになる
では恵瓊は何時から根回しを始めたのだろうか
信長の高転びを予見した恵瓊のことだから
早くから家康の天下取りを予見し対決は避けられないと思ったのかもしれない
輝元・恵瓊・奉行衆の間で話は出来ていたと考えるのが自然ですよね。おそらく宇喜多も
武将とは言えないが、秀吉から領地を貰った大名が戦で破れて、六条河原で打首等は、屈辱的だし、侮辱的だよな‼️
ゲゲゲの鬼太郎の子泣き爺 やん
安芸・武田氏は最近の学説では甲斐・武田氏よりも筋目としては上だとか⁉︎
だれかとおもえば 暗黒JK
出た暗黒JK
ナレーションはAI?デスヨネ?
勝った暁には毛利輝元を天下の主にせよと三成に迫る
そして自分は戦わずに捕まって斬首ww
もふもふ 何か馬鹿にしてるみたいで失礼だな、恵瓊は目の前の部隊が動かなかったから自分の部隊を動かせなかったんだよ、戦わずにじゃなくて戦えずにだ
このひとも大名だったから自前の軍隊率いて関ケ原に参戦したけど動かす暇もなく終戦。
@@user-wp9jn8fg4l 目の前の部隊に秀吉様の恩義を忘れたかといい、鉄砲で家康みたいに威嚇したらよかったのではないかと思う。
チュウピカ
どっちも豊臣の為に戦いました
逸話と共にサムネの後世の絵も相当ブサイクに描かれてますな
イラスト酷過ぎるw
もう一人の女性の方はちゃんと顔を出しているのに、なんでお面?もう見ません。
真面目に歴史を知りたいのです。
nanndemoNO 顔バレが嫌なんだと思う