@Tark75ifty Everyone makes war, Japanese was one of the most aggressive race in history, but there is nothing wrong about war, everyone must fight to survive, it is true today as it is true in the past. Every major cultural force around the world has painted their history with blood so they survived and shine in our modern age.
Os países asiáticos tem que agradecer ao Japão quando pelo seu expansionismo pela toda Ásia.gracas a força militar dos japoneses eles conseguiram se livrar do colonialismo europeu.
今の平和な日本が在るのは兵隊さんが命を捧げて下さったからだということを忘れてはならない。
ふっと亡くなった大正生まれの父親がカラオケで良く歌っていた事を思い出し 今 聴いてます 思い出が蘇り(涙) (涙)です 天国で母と楽しくやってるかなネコとも
これ、48年まえに(当時小学生、3年生の時)10歳だつたかな!?子供会で三好流水プールに行った時には観光バスのなかで、アカペラで(丸暗記していたので、)三番、(4番あったかな!?記憶が定かじゃ〜、ありませんが、それなりに、唄ったたのを思い出しました!😮そう、いや〜、バスガイドさんが誉めてくれたのを憶えています!親父がコンバット
テレビ映画
好きだったのを思い出しました!親父も、おふくろも、もう高齢でいつ逝ってもおかしく無いとしになりました!両親に 親不孝もので御免なさいね!と………………、etc😂手紙でも書いて
お詫びしたいです!
僕のなかの昭和時代が終わろうとしています!…………😭でも、もう令和になって6年目、色々、忙しいです!でも頑張らないと………!?Z世代、アルファー世代が 好みそうな曲も 努力して聴いています!😊勿論
40代
50代以上が好のむものも聴いています、!😊失礼しました!😂😊
亡くなった父
一緒に風呂にはいると いつも歌っていました。
当時、幼稚園児なのに覚えてしまいました。
今でも父の面影と共に、この歌を思い出します。
やはり同じように思い出します
死んだおじいちゃん(大正15年生まれ)が、じょしゅう〜じょしゅう〜と人馬は進む、、とよく歌っていました。大人になって、「麦と兵隊」あぁ!この曲だったんだと分かりました。悲しくて、良い曲で、おじいちゃんの歌声が頭に浮かびます。
私の母方の祖父は徐州会戦で手榴弾の破片で左目を失明しましたが昭和19年に再
招集されて戦後復員しました。この歌を歌う時には何時も涙を流していました。
コメント拝読し、落涙とどまるところがありません。
戦で隻眼となりてなお再度応召、勇戦敢闘されたお爺さまの忠烈と闘魂、男にしかわからぬものがございます。
大陸戦線から生きて復員されたること、本当によかったと男泣きの次第です。
我是徐州人,我的爷爷也在徐州战役中受伤,非常的惨烈
「すまぬすまぬ」を背中に聞けば、涙無くして聞けません。
義理の父は満州に居てソ連に不法に連行さてた過去が有りこの歌だけは途中から
歌えませんでした。
亡き母がよく歌っていた懐かしい
悲しい旋律の歌です。決して心から喜んで戦ったわけではなかったでしょう。
しかし国を守るということは並大抵ではありません。現代に生きる我々も
心しなければならない事でもあります。
資源がない国故の宿命だったのかもしれませんね。
国の未来を考えたら、大陸に行きざるを得なかったんでしょう。
父はだいぶ前になくなったのですが、河北へ出征していたそうです。子供相手には話しませんでしたが、やはり当時のことは懐かしかったようです。軍歌を口ずさむこともありました。苦しいことが多い兵役だったでしょうが、それも彼らの青春の一コマです。このような貴重な映像を見ながら当時の話が聞けたらと思いました。
行進を見ると泣けてきます😂感謝だけです、。‼️
お爺様、父上様、有難うございました
時代を超えて愛される日本の軍歌名曲がみんなを魅了します。懐かしさに涙あふれる、懐かしくて何回も繰り返して聴きました。ありがとうございます。
傘が無いときに雨が降ったらこの曲を歌いたいと思います。
私もそれをしてる人が好きなのでそうします。
グル…ワイもそうしてます。
それってg、、、いや、ワイもこれからそうします
それが理由で検索しに来たなんて言えねぇ…!
グr・・ 私もそうしたいと思います。
激しい戦いの中で、一番将兵の慰めになるのは軍歌でしょう、昭和十三年(1937)の日中戦争で日軍は北京を占領してから、次の行き先は徐州だった、ここの地勢は防禦に優勢で攻撃は難しいので、一旦戦いになれば、お互い数多く死傷を出すことは言うまでもない、それで当時だいぶ好まれた歌だった.忘れ難い歌を聞かせて頂いて、ありがとうございます。
詳しいなぁ。(尊敬)
2:50~の映像は昭和12年12月12日南京攻略戦の激戦地、中華門ですね。城壁の手前にあるクリークを渡るため白襷をした工兵決死隊が資材を持って突進していく様子が写っていますね。
帝国陸軍の軍歌ってしみじみとした歌が多いね
曲調が好きだなぁ
自分が産まれるずっと前に起きたことでも 今自分が立ってるこの地は人が何百と国のために悦んで亡くなったと思うと何だか不思議な気持ちになります,,,
私は戦争の経験がないから分からないことが沢山ありますが、世界平和構築の支えになった方々には感謝しかないです
私の家は代々?自衛隊等に居たらしく、
私曽祖父は戦争で亡くなったらしいです
世界平和が続きますように。
なんで教科書に世界中の行進曲は載るくせに、日本の愛国行進曲とか君が代行進曲は載らないんだろう。
麦と兵隊、教科書には載ってるようです。
@@ll-do5jc うちの教科書には載ってないよ
-- 意味不明な嘘つくなよ
仰げば尊し、一月一日なども音楽の授業では習いませんね。戦争と関係ないのに。日教組や教育分野の政治家が原因だと思います。
それはなぜか?日本は戦後左翼国家になったから。
露営の歌と並ぶくらいむっちゃ好きな歌ですね☺️
戦争はアカンけど😅
なっかしいな~30年位前に、良く酒が入ると友が歌ってた!
昔おばあちゃん家の近所にいた認知症のおじいさんがよく歌ってたのを思い出して探してみたら、こういう歌だったのかぁ……
若い頃戦争に駆り出されたときに歌ってた、みたいなこと言ってたのはなんとなく覚えてたけど、やっぱり軍歌だったんだね。
あとドリフターズがカバーしてたことにもちょっとビックリ。
重い荷物を背負いながらも不思議と足が前に出る。
そんな音楽ですね🤔
父ちゃんは、台湾に出兵したが、あまり父ちゃんとは話をせんかったもんで、戦場で銃を撃ったのかどうか知らん。衛生兵であったというから、銃を撃つ機会がなかったと思う。中国と戦闘状態になった時、もし、お役にたてるならこの年で何らかの後方支援をしたい。
戦争はいかんと言うが、戦争に至る過程は、人間の感情が激情したような状況にも似ており、それを穏やかにする手だては極めて限られているから、何らかの実力行動(戦争)に出ざるを得ず、それで落ち着くという事にならざるを得ない。
日中戦争で亡くなった兵士(日本兵に限らず、兵士に限らず)は、時代の激情に翻弄されたかもしれない。
いい曲だー
私の父親は、満州事変や支那事変や太平洋戦争に参戦しました。この話は母親から聞きました。父親は、多分年齢だと思いましました。子供は8人いましたから母親は、分け隔てし無く育ててくれました。私は、末っ子でしたから兄や姉達や母親から大変可愛がってくれました。
これ、勇ましい軍歌じゃねえな~ 悲歌、哀愁歌だよ・・反戦にもやや通じている・・
イントロめっちゃ好き
今の若い人に観て欲しい映像です。
重い背嚢を担いで長距離の徒歩行軍。
しかし、そこに歌あり笑顔あり、友への友情あり。
明日の戦闘で命を落とすかもしれないのに。
当時の日本人の素晴らしさを感じずにはいられませんでした。
戦争は双方の事情により生ずるものです。
それを一方的に侵略とする考えに怒りさえ感じます。
この映像に写っている兵士に何の罪がありましょうか?
私たち戦後生まれの者は、この兵士たちにもっと敬意を表すべきです。
大陸での日本軍の進軍は、徒歩と聞いていましたが、本当なんですね。一日で40キロも歩いたと聞きました。南京に国民党軍が逃げ込んで日本軍と戦闘になれば、巻き添えで民間人も死ぬでしょう。沖縄戦と同じです。
沖縄戦は、自国での戦いだから違うと思われる。
沖縄での日本軍の行動が悪かったのは、史実だし。
この歌、戦後もかなり歌われていた。戦中派の人には心に強く響くものが
あったのに違いない。現在では演奏されることはまれだが、軍歌の歴史の
中で重要な曲のひとつなのは間違いない。
发自生命的诚实歌唱。
私の父が大好きな、軍歌でした、朝日放送の朝の番組フレッシュキダタローの番組で歌ったのを、想い出します!優しい父でした。
The best Japanese military song. Our grandfathers were proud of such enemies! Samurai, Russia respects you!
Thank you
😊
私のおじさんはこの戦争で亡くなりましたした。絶対繰り返してはいけない事だと思います。
中国東北を旅行したとき、行けども行けどもトウモロコシ畑の大平原
華中の麦畑もかくありなん
それまで元気のいい歌詞が3番では
……行けど進めど麦又麦の 波の深さよ夜の寒さ
声を殺して黙々と 影を落として粛々と
兵は徐州へ前線へ……
と一転してなにか訴えるような調子に変わっています
「何の因果でこんな所で苦労するのだろう、いつまで続くのだろう」
と、私には聞こえるのです。
ある意味反戦歌、厭戦歌じゃないでしょうか。
徐州作戦を模して作られたそうですが
せめてその頃までに日中戦争をやめておけばその後の惨禍はなかったのに。
きのうのテレビ、戦争の証言「大陸打通作戦、インパール作戦」等を観てその感を強くしました。
戦意高揚に歌は大事なツールだった
歌のリズムは、明らかに軍歌の2拍子で、軍靴で地面を踏みしめて行進するリズムです。その中に、日本人の郷愁をそそる、佐渡おけさのようなメロディーが挿入されています。業界用語で「あんこ入り」といいますけど、実にうまく入っていて、これが大ヒットしたのはよくわかります。これが歌の怖いところですし、いけないと知りながら、懐かしい気持ちにさせられてしまうのが、歌の憎いところなんですね。
by歌の作詞もやった戦中派・五木寛之の「我が人生の歌がたり」
父の従兄弟が戦時中、中国にいました。帰国後、中学校の教員をしていて、新潟県の高田市(*現在の上越市)で校長を務めて退職しました。中国語が堪能だという話を父から聴いた記憶があります。直に会ったことがあまりなかったので思い出話を聴く機会がなかったことを悔やみます。貴重な体験談を聴けたかもしれません。
懐かしいです
言葉のひとつ、ひとつを見つめながら拝聴させて頂ました。
愛国の花 故鄉廢家
当時、貧しい国が、それよりもっと貧しい国へ往かざるを得なかった、
歴史があったと思うのです、戦後生まれの私には。
貴重な、動画、映像をありがとうございました。
当時は世界3位の経済大国ですよー
勉強してくださーいwww
あなたはどこの人間か 日本は当時アジア唯一の先進国ですよ
海軍のじいさんは なぜか?くちずさむ歌だったなぁ~🎶
軍歌、といいますが基本は「仕事歌」です。単調な時には過酷な時を紛らすため。我が国の軍歌は「攻撃的」「破壊的」なものが非常に少ない。
are you sure?
私の祖父は20歳で1938年で戦争に行ってからまたノモンハンに付いた時は戦いは終わってたと聞きましたが今で思うのは戦ってたら戦死の可能性もあったと思います。少年時代に祖父に聞いてましたが今では信じられないことですね。
日本軍の自動車化ですが、経理局の歴史が古く、経験豊富で柔軟な思考をしていたことからネットでのイメージとは裏腹にスムーズに進んでいたそうです。問題は工業がまだ発展途上だった為に生産が追いつかなかったこと、攻勢から防勢になってしまったことが原因で途中から細々となってしまったそうです。ドイツ軍は戦争計画で車両の鹵獲をあてにしていたそうですが、それは日本軍も同じだったようです。帝国陸軍師団変遷史より。
すごいです。
ドリフ時代の荒井注さんがカバーしています。
徐州ではないが、満州で戦っていた今は亡き祖父を思い出す。
I'm from India and I like to listen Japanese ww2 military songs everyday.
非常好
オリジナルのは昭和13年12月、東海林太郎様のsp盤で発売されていたのでしたね?slhs0083様、このビデオをアップロードして誠にありがとうございました。私もこの曲が大好きです。
オイラの親父がずいぶん前に酔っては歌っていました、昭和四年の親父も認知症になり今や介護に入ってしまいました
上層部を別にして、殆んどの日本帝国陸海軍将兵は戦争を望んでいませんでした。彼等は祖国の人達を守るために自ら戦場で命を捧げたのですよ。
TENOOOOOO HEIKAAAAAAAAAAAA BANZAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAIIIIIII!!!! banzaaaaaaaaai!
九七式(チハ)かな?
いや八九式か?
とにかく意外とでかいのね。
I'm from Poland and I love this song. I love learning the history of Japanese military.
私の父の従兄弟は太平洋戦争中に中国にいて中国語が堪能でした。帰国後就職に苦労したそうです。中学校の教師になり、校長で退職しました。私には憧れの存在でした。
KARAOKEで一番うたいます。いいうたですね
昭和20年父は16歳少年兵だったそうで出征を免れたそうです、父の叔父は少尉として中国満洲で戦死しました、この唄をレコードでよく聴いていました。
軍歌でありながら、日本特有の情緒がある歌です。息子の頼みました。私の葬儀の歌にしてくれと。
So nice senimental-Japanese-military-melody !! @^^@
70年前の防空壕をタイ国カンチャナブリの戦場にかける橋のたもとにある現場に行きました。まだ開かれていません。防空壕の発掘費用に寄付できませんか?
食料班で 兵隊の後でしょう 樽には水が入っているが水飲めず 馬の しょべん飲んでいたと、😭
映像が、いいですね。行軍の様子がリアルです。
悲痛な思いが浮かびます。104才の兄が今も元気です。
無理泣く
@Tark75ifty Everyone makes war, Japanese was one of the most aggressive race in history, but there is nothing wrong about war, everyone must fight to survive, it is true today as it is true in the past. Every major cultural force around the world has painted their history with blood so they survived and shine in our modern age.
俺は、戦後生まれだけど、この歌を聞くと、とても懐かしい気がする。
俺の親父は、陸軍で主計少尉をしていた。
規定では、主計官は少尉以上が任命されるとなっているが、実際には大尉が多かったね。
稀に主計中尉と云うのは居たが、主計少尉なんて聞いたことが無いよね。
主計大尉が戦死し、主計官になれる資格を持った中尉も戦死して、
「この際少尉でも良いか」となったわけだ。
(注:資格とは陸軍経理学校を卒業していること)
親父は、3ヶ月ほど朝鮮半島に赴任していたのだが、朝鮮人の不潔さには吐き気がするほど
だと言っていた。
特に朝鮮飴なんて、あまりの不潔さに卒倒しそうになったと言っていた。
板の間に職人が胡座をかいて座る。
両足で飴の端を抑えて、両手に唾をベッと吐き、その唾液で飴を練って行く。
唾液の中には酵素が含まれているので、こうすると美味しい飴が出来るのだそうだ。
俺の若い友だちは、作られた韓流にはめられて8年間ほど韓国大好き人間だった
(今はもの凄い嫌韓だが)。
その8年の間に15回も韓国旅行に行き、朝鮮飴も食べちゃったそうなんだよ。
きっ、きっ、きっ、汚ねぇ~。
それで一人で街中の大衆食堂で食事をしてしまった。
だから韓国人のウンチをたっぷり食わされてきたのね。
きっ、きっ、きっ、汚ねぇ~。
仮にウンチが入って居なかったとしても、ご飯も料理も前の客の食べ残しだし、
小皿に載った料理は、前の客が、しゃぶって皿に戻したものだから汚ねぇ~。
AirPodsもってる人はこれ聞いてみてくれ!!!
何故かこの動画の麦と兵隊だけ片方しか声が聞こえてこないから!!!
これ最初の歌詞検閲で変えられたんだよね……
大丈夫大丈夫!
歌詞変られた軍歌って割とあるから(違う、そうじゃない)
雪の進軍のいっちゃん最後の部分とかね
0:51 i love da flute sound
It's Japanese sound!
I love Pentatonic scale .
the love i have for this song is unreal
じゃあ見るなや!
過酷な戦闘の慰めは、歌であったでしょう。
悲しい事実です。ああっ、祖先の皆様、痛かったでしょう?
お心を察するに、歌に慰めの一滴を望み、遠い外地で散華して
さぞかしお辛かった事でしょう。英霊を私たちは、永遠に崇め、
奉る他に、いったいしようがありますでしょうか?。
GOOD......
いいかつた。
人間味がある
九重親方(元横綱・千代の富士)の持ち歌です。
亡き父がよくうたっていました。
戦が好きな人間がいると思うか?できることなら拒否したい。お国のためとは、愛する人たち、愛する故郷、愛する全てを守りたい、それだけだ。
私の父は昭和12年に広島歩兵11連隊に配属、徐州会戦に参戦。軽機関銃を前に一枚の写真が残っています。明日をも知れぬ最後と思って撮ったものでしょう。その年の10月に体調を崩し、台南病院に入院したので今の私があるのです。父が他界するまで戦争の話は一言も聞きませんでした。この「麦と兵隊」の歌詞も藤田まさとは「「ああ生きていた、生きていましたお母さん・・」という歌い出しが、軍当局から「軍人精神は生きることが目的ではない。天皇陛下のために死ぬことが目的だ」と一喝、「徐州徐州・・」に書き直したそうです。我々の戦争を体験した時代の人間が他界し、居なくなってくるとぞろぞろと戦争を美化する輩が出てきて、政府と一緒に「他国に侵略されるから防衛に力を入れろ」と!軍備に金を使うのではなく、平和憲法を持つ日本が「外交」という切り札で世界平和に貢献しなくては戦争を体験した兵士、国民に申し訳が立たない。
抛开政治不谈, 这首歌写的真的很好听, 每当听略帽吉他唱到 ”居よいか 住みよいか”
总是能使我浮想进入一个很舒服的状态
如此好听的一首歌是一首军歌。。 哎..
其实站在日本角度算有反战意味的
@@모개똥 違います!
弱い韓国は、黙っといて下さい!
反戦では、無いです!
政治を持ち込むなカス🖕🖕🖕🖕
みなさまのへいたいがいたからこそへいわになつていますやさしくやさしくてをあわせて
東南アジア出張時に現地法人の年配の日本の方が喜ぶかなと思い
この歌をカラオケで歌いましたが、プロモの映像で回りが引いていました。
それ以来、海外ではこの歌は封印しています。
ございますよ😃
悲しくなります。反戦歌に聞こえます。戦争反対の気持ちが込められてるのかな。軍歌としてだけど、気持ちは、平和への希望!大切な当時の曲ですね。
違うんじゃねw
@jo2877 三鷹淳さんです。軍歌を歌わせたら第一人者だと思います。
suiraisentai様、そうですね、でも、東海林太郎様の方がいいと思います。
右翼の街宣車はよく軍歌かけながら街宣してるけど、麦と兵隊はかけてるのは聴かないよな(泣)
映像が驚きです。どこの地の映像でしょうか?お教えくださればありがたい。行ってみたいと思います。
概要欄の字間違えてるぞ
深さが探さになってるけど
いいのか?
Japoneeese people,don't make war!peace and love for ever!
ss2nibon様は中国の方でしょう?わが日本の軍歌が好きながら、たいへん有り難うと申します。
非常好
Militarmente Japão não é nem a sombra do que era no princípio do século passado.
祖国日本を愛する一人として、私は、異国の戦場に斃れた祖先を心より憐れむ。だが、日本を守るのに、なぜ、隣国へ軍隊が出かけて、隣国人を殺戮し、家畜や穀物を奪わねばならなかったのか。赤紙1枚で自らの命をかけて、人殺しをさせられたわれらが父祖も哀れ。外国から来た侵略軍に殺された隣国の民も哀れ。徐州出身の中国人の親友を持ち、終戦間際に結核の身ながら徴兵され、40数歳で病死した祖父を持つ一日本人として、この唄を聞いて英霊やら聖戦やらときれいな言葉ばかり並べる者たちの心根が理解できない。死没した日本人兵士のために祈り、殺戮された中国人の兵士と民のためにも私は祈る。この唄の後段の歌詞の暗さには、作詞者の感じた哀しみがこめられていると思いたい。
何でやねん!遠回しに日本を批判してないか?字的にも日本人じゃない予感、まず、日本が悪いと言う前に通州事件を勉強しよか!いわゆる南京事件は、そのあと!
この上もなく理知的であるにも関わらず、それのみに終始しない、生身の人の身の哀しみをよくおわかりのコメントだと思います。
戦争とて外交手段の一つに過ぎないのですが、これをやたらと神格化するのは考えものというお考えに同感です。
とはいえ、コメント冒頭にある如くあなたもまた日本の人。その上で、このような鎮魂の祈りが込められたコメントをお寄せくださったことは驚嘆すべきと感じます。
そう、この唄は哀しみの塊なのです。戦没したる全ての方々に頭を下げることしか、いまを生きる我々にはなす術がありません。
Os países asiáticos tem que agradecer ao Japão quando pelo seu expansionismo pela toda Ásia.gracas a força militar dos japoneses eles conseguiram se livrar do colonialismo europeu.
higashi06様、同感です。
Слава Ямато!
徐州攻略の意義と重要性は何ですか?
歌い手は伊藤久男さんかな?
徐州会戦、中国と日本共通の悲しみ