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日本の歴史の一つ、銅鐸の始まりが知る事ができて、勉強に成りました。感謝申し上げます。
神戸市に住んでいる74才の秀さんです。今年の春ごろのテレビ番組で「ゴッサカイト」と「イザナギ・イザナミ」神社のことを放映している番組で知りました。面白そうなので,天気もよかったので,数日後の昼前にドライブがてらに家内と2人で,神社とゴッサカイト遺跡を訪ねて,淡路島に渡りました。「ゴッサカイト」遺跡は,カーナビに誘導してもらいながら伺ったのですが,道が途中で分らなくなり、仕方なく車を降りて,十数分探しまくった後,何とか遺跡会館の様な場所にたどり着き,ほっとしました。その中に入ると,案内の女性がおられ,パンフレットをいただき,ガラス越しに緑の丘が見えたので,そちらに行くと,テレビで案内されていた通りの竪穴式住居?の風景に出会い,感激しました。緑の斜面の向こうには,瀬戸内海が広がり,何となく懐かしい場所に来た様な不思議な感覚にとらわれました。たまたま伺った時は,見学者は我々2人だけで,何となく秘密の場所に来た気分になり,ヤッター!という気分で,気持ちよく帰りました。いいものを発見され,見学させていただき,関係者の皆様,ありがとうございます。また,行きたいと思います。
日本書紀「及至産時先以淡路州為胞」(産む時に及至り、先づ淡路州を以ちて胞と為す)とあるように淡路島は国の始まりにおいてなにがしかの重要な位置づけにある。この文献上の位置づけと淡路島における考古学的発見のつながりが明らかになったとき日本史は大きく動くに違いない。
同じことを思ってました。
タタラ製鉄跡では無く、鍛冶工房跡と言うのが興味をそそりますね。瀬戸内の交易路の中で原料がどこから来て、鉄器がどこに運ばれたか?鉄の産出製鉄鍛冶加工流通を探る事が、歴史の解明に繋がるように思えます。
本土側の播磨地方(兵庫県)では千種川上流でタタラ製鉄が行われていたし、お隣の備前(岡山県)では長船の名刀が造られるようになったのは偶然ではないと思う。播磨には古墳や古い寺院も多い。イザナギ・イザナミの伝承の地であり、渡来人である秦氏が土着した地であり、斑鳩寺など聖徳太子にまつわる寺院がある。倭国、大和国が発展する起点になったのでは?
天照系は宮﨑~四国~大阪~名古屋~千葉・茨城と太平洋の海岸線で勢力を伸ばしたのでしょう。①内陸に向けて侵攻し古墳時代以降、都市開発・農業土木で発展する。②水が乏しく平地が狭い四国には将来性が無い。③国産の鉄を利用出来る技術を得た。などなどの理由で四国は田舎のままの状態が保存されたと思います。
銅鐸の音を初めて聞きました。思ったより軽い音だった。感動しました。
2,500年昔の銅鐸の音に感動しました😂
日本が産まれた島だものなにが出てきても不思議じゃ無いよね。❤大事な島なのに...
淡路島は国産み神話発祥の地なので、凄くロマンティックな新発掘ですね。
鐘の音でしたか。想像はしていたけど実際に聞いてみると現代的な音ですね。私たちがスペースインベーダーの電子音を初めて聴いたような衝撃をを古代の人も受けたのでしょうね。
古い時代だけど、どんどん新しく更新されていく面白さ。
淡路島が熱いね。
1979年に九州は糸島市の曲り田遺跡で発掘された鉄器が見つかり 当時は3〜4世紀辺りに造られた物と考えられていましたしかし2003年に千葉県佐倉市にある歴博と言う大きな施設で新しく開発された放射性炭素年代測定器と言う年代を測定する機械で 測定すると 何と3000年以上前に加工された鉄器である事がわかっちゃったんです。それならば 大陸から渡って来たと言う説を考えても おかしな話です。当時の大陸から発掘されるモノは全て青銅器しか出ていなく 鉄は未だに発掘されてません。朝鮮半島なんか人さえいな無かった事が発掘の結果分かっているんです。世界中のあちこちで黒曜石や縄文土器が見つかっていていますが縄文人は海洋民族だったからでは無いでしょうか!もしかすると世界で最初に鉄を作ったのは火山大国で砂鉄や餅鉄に恵まれた日本で造られたのかも知れません。今も昔も日本は火山大国なので降って積もった火山灰が木々の周りにたまり 火山の影響で山火事が起こり 鉄を含む火山灰が木の根元に残り木や泥は燃え餅鉄となって残ります。それが そこら中に落ちていたのでは無いでしょうか!砂鉄なんかは 日本の川に行けば沢山落ちてます。昔 小学校の課題で砂鉄が欲しいと言ったら、叔母さんが利根川に連れて行って貰って砂がある所に行ったら黒くなってる部分があり ラップを磁石に巻き大量に砂鉄を集めたもんです。砂鉄を使って作られる「玉鋼」は日本独自技法の「たたら」と言う溶鉱炉?は 日本刀に使われる「ハガネ」を作る製法です。 例えばシナリオとして、火山で出来た餅鉄を炭と間違えて家へ持ち帰り 家で火に入れたが全く燃えず ちょっと 赤くなるだけで 一向に燃えないもんだから 隅に置いて翌日に 邪魔だから外に出そうと触ったら怪我をした、それで「あれっ!」と気がついたのかも知れません。想像です。とにかく長い時を掛ければ有り得る行動をとるのは必須で何らかの方法でトンカチやクワの穂先などを作ったのでは? 今まで石で肉や野菜を切っていたから、指が切れると言う事は肉もキレると言う発想は少し職人の沙汰がある。この塊はモノを切ったり削ったりする道具になるのでは?と思ったのかも知れないし 思わなかったかもしれませんね。縄文人が疑問に思わない筈もないし、人は長い年月が経つ内に この物体を何かに使えないかと思うのは当然です。この謎の物体は椅子にしたり重石にしたり 燃えないかと燃やしてみたり 様々な嗜みをしない訳がありません。それと 約7000年前の角材が九州で見つかってます。 考えたら分かりますが とんでもない発掘ですやよ?だって石器では材木を 角材に加工する事は到底 加工は出来ないからです。7000年前ですよ?バグミスか?また、8000年前の縄文人って凄いです、漆の櫛を作ったりしてたんです、漆は人間が長年かけ 品種改良しないと漆液が出ないんです。8000年前ですのよ!おったまげ です。話は戻して、3000年前に鉄が加工出来たって事は土器も薄くて硬い弥生土器が加工できた筈です。想像ですが7000年前の藁や葦で作った住居ってみんな家奥で火を燃やした跡が見つかってますよね、キャンプをやった事がある人なら分かりますが 家奥で木材は燃やせます? それこそ燻製になってしまいます。当然ですが 当時から煙の出ない炭を作って使っていたのではないでしょうか。薪を燃やした時の温度がだいたい600〜700度に対して 炭はふーふーと息をかけると1300度まで上がります。弥生土器なら冷たい空気が入らない様に囲って炭をおこし ふーふーすれば 出来ちゃうんです。鉄の溶ける温度は2500度くらいですが しかし加工するのに鉄を溶かさなくても 真っ赤に熱し 赤い内に 繰り返し叩いてパチパチと不純物を飛ばせば 多少なり良い鉄ができます。と言う事は弥生時代は弥生式土器が作れる様になったから弥生時代であって、弥生時代はBC3000年以上前からずっとあったと行ってもおかしくは無いですよ、逆にその推測の方が合ってますよ。道理で日本の考古学会や文科省がダンマリを決め込んでる訳だよ!なんで今もまだ中国やアメリカに譲歩してんだろ。
すごっ!読んでいてワクワクしました。でも日本の考古学会、文科省てなんなんでしょうかね(*´Д`)
人類初の鉄の使用とされているヒッタイトが3200年前ですから、その話が本当なら日本の鉄使用はヒッタイトに並んで世界最古級だったことになりますね。大変興味深いです。
あたまわるそー、お前
肝心の縄文時代まで遡るタタラ場跡が見つかっていないのが弱くはあるんですけどね…砂鉄自体は日本には大量に有り、雨の後のぬかるんだ公園の水たまりから水の流れたあと…そこにある黒いスジが砂鉄だったりしますし…朝鮮半島は仰るとおりの何も無い荒野なので、大陸からの文化だとしたら稲作と同じく南方からだろうと感じます。銅鐸にしても、大陸から渡った物だろう→なら貴重だったはず→稲作の絵のあるのが見つかった→なら豊穣の儀式の信仰の対象だったのでは?の様な非常にフワッとした根拠に感じます。音を鳴らす機能があったなら、音を獣よけや魔除け、合図などに使ったはずで、それなら一つの集落から複数発見されるのもわかりますが、逆に信仰の対象、儀式の道具というのなら一つの集落にそんな大量に集めて使うでしょうか?という疑問も…まぁもしかしたら信仰の対象では無く、儀式の際に縄文ハンドベル部みたいなのが演奏会開いてた可能性はあるでしょうけどw入れ子になってたのも、楽器をしまってただけだったりして…
そうーですね〜、たたらは発掘されてませんね。たたらは繰り返し使えないので終わったら壊すと言うのが決まりになっており 作成する時は新たにタタラから作るそうです。そう言う意味で発掘されないのかも知れませんね!とにかくよく分かってない と言うのがワクワクしますね、あーじゃ無いか、こーじゃ無いかと皆んなで考えて、想像する事は唯ですし楽しいっす。
四国にも素晴らしい山がありますね。山岳信仰の鳥居や神殿が目に入ると、身が引き締まり、厳粛な気持ちになります。石鎚山は登っておりませんが、やっし-さんのこの歌を、心が引き締まる思いで聴きました。有りがとうございます。
興味深い発見だ銅鐸とは関係ないけど、最近琵琶湖底で大規模な歴史的遺構が見つかったと聞く、これから出てくる研究が楽しみだ。
有り難う御座います素晴らしい事ですね。
銅鐸で儀式が想像出来るって夢の中に居る様 当時の生活もロマンを感じる。やったぜ!日本❣❣
シュメールやエジプトの絵に書かれている、人物が持っている「バッグ」みたいなものは、もしかしたら銅鐸「鐘を鳴らす物」かもと、映像を見ていて閃きました!
興味の無い人にとっては、どーでもヨイ事かもしれんけど拙者個人としては、本当感動しました!凄かった!!
確かに初めて聞いたら神聖な、超常現象を感じるような 音色だと思います!!
もしかして出雲と繋がりがあるんじゃないかという感で動画を見ていたら最後に出雲という地名が出てきて背筋が寒くなりました。何だかの繋がりがあるのは間違いないでしょう。何故淡路島の山の上に製鉄技術工房があるのか妄想が走り出します。
鍛治に必要な木炭が大量に確保出来る場所が山中だったからではないでしょうか?
本家と分家の関係は古代から凄く重要であり、本家は周りで採れた鉄がどのくらいなのか確認をする、ようするに1か所に集める。そしてそこで製錬を行い鉄の塊まで作って、そして周りの分家に鍛冶をしろと塊を送り付ける。本家がどこにあるかはそれで分かる。
この近くに住んでいます。竹内文書の竹之内清麿の子孫の方も住まわれています。ここより少し北側の舟木地区でも ここよりも大規模でありそうな鉄工房が見つかりました。今 発掘調査中です。 また海側で縄文遺跡も見つかっています。最古の製塩の跡も…洲本の淡路観光ホテルにはユダヤ人上陸の跡も。 国産みの淡路島 何が出てくるか分かりません。
銅鐸の正確な使われ方が分かったのはスゴイですね!!
淡路島産の玉ねぎは実に美味しく、鳴門の渦もあるし、土壌が何か違う❓と思ってました。やはり何か違うかもしれませんね。興味深い動画でした。ありがとうございます🙏
南あわじ市に住んでるけど知らなかった…銅鐸の音聞いた時に鳥肌立ったわ。
兵庫県芦屋市に金津山古墳というのがある。名前から鉄の搬出港だったと想像出来る。日本海側の丹後あたりで荷揚げした鉄を瀬戸内海側の鍛治工房へ送っていたのかもしれない。
古地図を見たことあるけど、淡路島はかなり内部まで水浸しみたいな形してた天然の港の様だった。舟の移動が盛んだったと思う
いつも勉強になります❤
銅鐸はベル型なので、ベルなのかと子供の頃思ったが、五十年ほど前の歴史書では楽器では無いとされていたと思う。でもやっぱり楽器だったっていうのがビックリだしちょっと嬉しいかも笑笑
行ってみてえ。
祭祀で使っていたと言うよりは、日常で使っていたのではないかなと、それこそ村々で集まりの合図や終わりの合図など。出土した数の多さなどから。リズムで緊急や、敵襲などにも使いわけれるだろーし。銅鐸が発見された地域は同じ共同体に属していたとも思えるし。太古の昔の人々もこのような鐘の音で1日が始まりそして終わる。組織されそれなりに規律された人達に思いを馳せずにはいられません。
銅鐸が鐘(聞く道具)であることが判明してスッキリしました。
加茂宮ノ前遺跡(徳島県)もすごいですよ。淡路島は阿波への路ですね。
今まで使い道が分からない銅鐸が遂に確定しましたね
緯度を計る計測器でしょ。林ひろし先生が解明してましたよ。鉄は日本製でしょね。朝鮮半島にはなにもありません。兵庫県のスプリング8で、鉄も青銅器も日本と確定してます。何にもオリジナルの無い中国と半島です。兵馬俑もドイツが偽物と認定してます。
すごくワクワクする内容!
これは国が本気で守るべきですが今の政治家にとっては負の材料になりそうで潰しにかかりそうなので必ず守らなければなりません。
良いですね~ロマンですね~~~
淡路の当時の役目が面白いですね日本における位置的な場所も興味深いこの場所が邪馬台国の卑弥呼のいた場所とは断定出来ないけど何らかの関係はありそうでロマンを感じますね
邪馬台国の卑弥呼のいた場所が徳島県 淡の国という説もあり アマのいわくらや卑弥呼の灯台もあるので ひょっとしたら⁉️
@@---he1cy これは私の夢なのですが卑弥呼は倭国の各国を常時巡回してまわっていたんじゃないかと思ってます。それによって結束力を高めたんじゃないかと・・・夢ですけどね(;^ω^)
主な鍛冶遺跡五斗長垣内遺跡遺物の鉄器は、矢尻、鉄片、鏨(たがね)、切断された鉄細片など75点が出土した。方保田東原遺跡 合計500点以上の鉄が見つかっていて、その多さは全国でも際立った数です。種類は斧やナイフなどのほか、鎌や釣り針など非常に多彩です。注目されるのは、製品ではない塊や棒や板状の破片です。これらは鉄器の素材となった物と考えられます。出土数は全体の約半分を占めているので、この遺跡ではかなりの規模で鉄器づくり(鉄鍛冶)が行われていたようです。西弥護免遺跡弥生終末期(581点の鉄器、細い針状の鉄滓など)
朝鮮半島から〜とか卑弥呼とかいいかげんリセットして分析した方が良いのではないでしょうか
素晴らしい✴️淡路島は瓦も有名ですし。農業、酪農、漁業、基本的に何でもできますね。
淡路島は、国生みの地ですよね😃
10年後、世界遺産登録目指して頑張って下さい。
私の時代の教科書には、銅鐸は祭事で使われたと書かれており、使用目的が不明なものは、全て祭事にしてしまえ!という動きがありました。ゼツが見つかるまでは、明らかに鐘の形だけど、鐘じゃ無いと言われてました。それも円錐じゃなく楕円だからという理由w
外から叩いて鳴らすのを「鐘」、内から舌で叩いて鳴らすのを「鐸」と申します・・・と茶化してみるwなお舌は以前から結構見つかっておりますが、銅鐸の数のわりになぜか少なく、減るもんじゃないのに石製や骨製のものも見つかってたり。とにもかくにも、この遺跡の銅鐸は①きわめて古い時代のものだったこと(舌は弥生時代中~後期のものばかりだった)②ほぼ完全な形で、纏まった数見つかったこと(古いものは潰されていることも多い)③銅鐸と舌が完全なセットで発見されたこと(なおかつ吊るし紐つきで)という、銅鐸界のミッシングリンクを埋め立ててしまった点に高い価値があるのです。
@@golpie さま鍛冶工房も見つかった淡路島で青銅短剣が出土したらまたややこしい事に……😀
ちょっとあやしい学説も、まだこれから解明される新しい発見に繋がっていく資料です。
松帆地区にはまだ他にも銅鐸が埋まっているのではないか?
淡路は九州久留米の高良大社との繫がりは、古くからありますね~
「続日本紀」に和銅六年(713年)大和国宇陀郡で見つかった銅鐸が献上されたと記されている。【原文】銅鐸於長岡野地而獻之高三尺口徑一尺其制異常音協律呂銅鐸を長岡野の地に得て献る。高さ三尺、口径一尺、その制、常に異にして、音、律呂に協う「其制異常」 とは 大和朝廷と制度風習が違う異世界の生産物であるが楽器のような音階がある
「其制異常」の解釈が違うのではないだろか?作り(または扱い方)にはいろいろある(または今とは異なる)が、とか?
弥生時代なんかなかったですよ。でっち上げ。タルタリヤ文明のものです。
素晴らしいですね。
凄いなあ、若一さんめちゃくちゃテンション高いやん。
それらの銅鐸は 元は海岸近くの砂からですか おめでとう 最古の銅鐸。綺麗な音色。銅鐸を鳴らして豊作を祈ったのかな ロマンがありますね
貴重な土地を外資に買われているのでは?そういうことも合わせて報道すると良いんですけどね~
初めてこの二ュウスを見ることが出来ました。私は無学で分かりませんが、その他の地域での発見は何処に、国内ないしは、東アジアとかにも出ているのですか?こんな凄い二ュウスがあったが事を知りませんでした。少なからず興味があったのに、有り難うございました。更に楽しみにしてます。
すごいですね。
まともな解釈ができる考古学者がいれば日本の歴史学も今とは違うものになっているのに、真実言うと潰される。
ゴッドハンドを恨め
例のあの事件か笑
欧米のジャーナリストは彼らを「歴史修正主義者」と呼びそうです。
王朝交替説みたいな珍説が真剣に論じられている世界だからなあ(呆)
🌴🌏🐎配信メッセージありがとう🙏御座います淡路島を狙う竹中平蔵氏には気お付け無いとね⛩️🪐✨🧜🐉⛩️
私からみたら松帆銅鐸はかなり完成形に見えるので、あの形になるまでに数百年いやそれ以上経ったのかなと思うとかなり昔から銅鐸の加工が行われていと思うとワクワクします。
古事記の話も歴史的事実との関連性を感じられますねー
夢が膨らむ発見ですね!山陰から船で砂鉄運んだんでしょうか?
砂を採取した、元々あった場所はどんな所なんだろう。
昔ダイアナロスが日本公演した時、息子を帯同させました。治安が良い事は勿論ですが新幹線に乗れる事が息子さんは何より嬉しかったそうです
素晴らしい 遺跡ですね大いに 勉強になりますね、何も知らない ことばかり。
そりゃ淡路島は日本神話では日本最初の土地なんだから
淡路島🙌 古事記日本書紀の国生みの神話は歴史的事実をフィクション物語にしたことでしたね💓
すごい発見。今のところ淡路島と島根が多いとのことだが、日本全国、縄文の昔から人は住んでいたので、まだまだ全国に埋まっているかもしれない。
「ゴッサカイト遺跡」名前がもうロマン
中国の古代の遺跡では、銅鐸と似たようなものはたくさん出土されています。ベル式であったり叩いたりする楽器ですよね。日本でも、当初は同じだったと思いますが、その後、どんどんデカクなり威信財に変化していきます。
出土されて⇒出土して受け身でないのに「れるられる」を使うな、無学な輩め
古代ユダヤ人は何年ごろに日本国に住み着いたのか。
少数ですが「日本の古代には既に文明ができていて社会はある程度組織化されていた」と説く人が居ます。状況証拠しかないことから史実とはなりません。また日本の古代を高度だと認めたくない学者が幅を利かせていることも大きな要因です。彼らはそれが分かっていても書かれたものが無いと認めないのです。ここでも材料が朝鮮半島から入ったと言っていますが、それは変。重い材料をわざわざそんな遠くから運ばなくても材料は日本にあります。弥生時代に朝鮮から鉄鉱石を輸入していたなどあり得ません。
いわゆる古事記、日本書紀には、銅鐸のことが出て来ない!なんて言われているけどさあ、思い鐘🔔の神って、神様がちゃんと登場してくれているんだわ。
なるほど!そんなに状況証拠が揃っていましたか!
わくわくするような話ですね。長生きして、面白い事でも無ければ、生き甲斐は無いと思う日々ですが、古代史の新発見が相次いで、年寄り役に徹する楽しみになっています。😂
凄い発見ですね。楽しめました。
なるほどー!風鈴って銅鐸の名残なんじゃないですかなんて思ったり。日本人がお寺の鐘の音や、風鈴の音が好きなのは古代からってことなんでしょうか😊鋳物の風鈴の音が好きなので、昔の人が銅鐸を聞くために使っていたというのはすごく納得というか腑に落ちます。鏡は光を反射させたり古代の人が驚くのも分かりますが銅鐸はどう使うんだろと教科書で思った記憶あります。金属のこの音って科学的に身体に何が良い作用があるのではないですか?なんてー
神庭荒神谷遺跡での銅剣358本の発見、翌年銅矛と銅鐸の発見、十年後の加茂岩倉遺跡での銅鐸の大量発見。そして中国山地あちこちにある古代の製鉄遺跡と今も残っているタタラ。出雲はある意味で日本の源流の様に感じていましたが、そもそも弥生時j代がいつから始まるのかが分かっていないのですから、将に謎が謎を生む状態です。
見に行きたーい!!
世界は淡路島から始まった。っていうのは本当なのか
こういうのを全国ネットでゴールデンに流せよ。
倭国大乱時に半島から鉄の材料が来たってまた、松帆銅鐸の本来の出土場所は何処なんでしょうか?
古墳文化の広がりと共に銅鐸が作られ無くなったことが不思議ですね。一種の宗教的儀式の変革があったんでしょうね。古墳時代にいわゆる【古墳人】の渡来があったことを最近の分子遺伝学は証明していますよね!
おおー、倭国大乱と同じタイミングだと、すごいじゃないですか。これで、淡路島近くの四国とか、瀬戸内海周辺に邪馬台国の可能性が高まりましたね。
えー、ヒモまで残ってるのすごい!!
名付け親、中ノクニ→邪魔な大国
残念ながら、ドウタクは鐘ではありません。もう10年以上前になりますが、はやし浩司氏が唱えた簡易天文観測装置説こそ、真理を、射当てたもので、ほとんど文化勲章級の大発見といわなければなりません。しかしながら、はやし氏の説は、いまだに学会から一顧だにされず、それどころか黙殺されている状況です。さて、ここで舌なるものについて考えてみましょう。よーく頭の中でイメージを働かせてください。いわゆる舌なる棒は、鐘をならすための道具ではありません。装置上部の水平をとるための装置の一部と考えます。舌に細いひもを掛けて、弧の最上部から、水平部分の中心部にある穴を通して、胴体の中に垂らすのです。胴体上部側面には4つの穴が空いてますが、穴を覗くと、胴体内の舌も見えます。1つの穴から対角線上にある穴を見ると、穴と穴の途中に舌があるのですが、舌が穴と穴を結んだ対角線上に見えるように胴体の設置位置を調整するのです。舌は常に垂直に保たれています。舌がどの穴から覗いても、穴と穴を結んだ対角線上に見えるようになれば、その装置は水平に設置ができているということになるのです。4つの穴と舌はいわば水平器の役割を果たしているのです。松帆銅鐸の発見で当初の銅鐸は鳴らす銅鐸であったというのは、ベル説を唱えてきた研究者の早合点にすぎません。歴史学会の通説や権威に果敢に意を唱えてきた、あの逆説の日本史で有名な井沢元彦氏もベル説で決着がついたようなことを書いていましたが、ちょっと洞察が足りないのではないかと言わざるをえませんね。ところで、出雲の話が出ていましたが、ドウタクも一緒に発見された荒神谷遺跡からは整然と並べられた多数の銅剣と呼ばれるものが発見されています。さて数はいくつだったと思いますか?なんと358個なんです。注目してほしいのは、この358という数値の意味するところなのです。現在の1年の日数365日にとても近いことから考えると、はるか昔の出雲では1年は358日であり、銅剣の一つひとつは1日を表しているのではないでしょうか。ドウタク及びドウケンは、暦と関係があったのではないでしょうか。
ま~ハヤシ氏の論文は知らないのでなんとも言えないですが、ゼツで垂直を取る? ただ吊るすだけで問題ない筈?当時な世界で、微妙なレヴェル制度は必要か? 最大の疑問は、簡易天文観測装置がなぜ必要?古代ではそこそこ重要な情報。固定式のしっかりした物があった方が BEST では?ゼツの役割は有るとすれば時間測定でしょうか? 天文学には時間が必須事項。けど昼間の天体観測は?回転方向の方角は? 冬至・夏至は測定方法は銅鐸に限らないし、方角の設定は?そこそこ膨らんだ楕円の意味は? 円じゃ駄目なのは理解できるが?表面の文様は、個体別にかなり異なる。この意味は?358個の意味は、多分間違い偶然。これは科学で、簡単に結論が出るでしょう!現在より7日短い自転時期?おそらく数万年~数十万年以上昔。銅剣が数本紛失の方が解りやすい。 素人考えでも15分でこれ位の疑問。中央で無視されるのは、致し方無い!書きながら思い出したのは、林浩司さん。もしかしたら、白髪眼鏡の先生っぽいご老人?私が観たのは「レイライン」関連。英語バージョンも出されている方?数年前の話ですが。でしたらチョット疑問。当たり外れの、振幅が大きい方! 解りやすくて良いんですけどね!
出土状況から銅鐸の使い方が完全に分かった、これは大きいよね。
何を今更、鉄器の制作使用は縄文時代ですよ。
銅鐸の音、初めて聞いた! 結構、モダンな音でびっくり
何で安易に朝鮮半島から鉄素材がきたと言うのだろうか。具体的にどこで鉄が取れたのか、それと同じ性質の鉄と検証しているのか?出雲で砂鉄が取れていたが、それとの比較は?京大の考古学の先入観はダメだ。
銅鐸を鳴らすもの?馬鹿か、どうやってぶら下げるのか、あの上部の取っ手で?取っ手が壊れているはずだが、その量は?打撃あとがどれにもついでいるはずだが?あるのか?いい加減に嘘言うのは止めろよ。
賛成👏→そうしておきたいのですよ😁
そんなにいうならばアンタが科学的に調べりゃいい。けどもこうやって文句言ってるということは自分ではやらない。
同感 近所の浜辺から集めた砂鉄だよ 原料は
日本の鉄器文化は鍛造加工だと言われていますね。これは炭で(約1.000℃)鉄を融解(1.536℃)する程の高熱を得る事が出来ない為に赤く熱して加工した為です。銅は(1.084℃)
そうですね、タタラ製鉄と言っても還元してカーボンの多い鉄を産出するだけ……鍛冶鍛鍊して折れにくく加工して、刃を鍛接する鍛冶文化ですね。
何でもかんでも卑弥呼に結び付けなさんな!
なるほど~ 弥生時代にも歳末福引で銅鐸を鳴らしてたのか~ 一等でハワイにも行ってたのかな?
地理的に考えて朝鮮から鉄材料が入ってきたというのは無理が有るようだが。少量だったとしても近くで鉄材料が採れたのでは?砂鉄の可能性は無いのか?玉鋼でなくて、低質の鉄なら砂鉄から出来ないのかな?
対馬や壱岐の遺跡からも延べ板状態の鉄が出土してますからね朝鮮半島で製鉄が行われ、その後日本に輸入していたのは間違いないです
淡路縦貫高速道路開通工事の折に、野島に近い所で、空白の年代に造られた物見櫓跡や狼煙台跡が発見されましたが、明石大橋開通に合わせる為に埋められてしまいましたな
銅鐸内に残された植物の照射性炭素を調べた結果、その時代が分かるとありましたが、いつの時代なのでしょうか。
回答されてませんね。倭国大乱は 2世紀後半 だそうなので、同じかもしれないですね。卑弥呼のちょっと前ですね。
いや、銅鐸の最初の方で言ってますよ。11:082300~2100年前に埋納と言ってます。これは植物遺体の分析結果だと思われます。だから卑弥呼の時代より300年以上前になります。それより、鉄器の工房の時代が気になりますね。銅鐸と同時期なのか卑弥呼の時代くらいなのか?卑弥呼の時代なら銅鐸文化が征服された後になるし、銅鐸と同時期なら出雲にも鉄器文化があったと考えるべきということになる(出雲の銅鐸と同じ鋳型で作られた銅鐸だったと動画の中で言っている)。
島の始まりが淡路島!次が四国!日本神話が真実を語っています‼️
俺の住んでる淡路島で古代のお宝が!?
スゴい。😊😊😊😊😊
邪馬台国四国説なら斯馬国とかになるはず(しまぁこく=しまこく)この説が正しければこの辺りから何らか出土するかなぁとは思っていたけど…もっと色々出てきてほしい🙂
牛の首に吊すより、鋳物風鈴に涼を感じられる感性の国に生まれてよかった。
実際、鉄器は日本では半島よりも古くからあり、紀元前10世紀のものが見つかっていますからね。日本独自に様々な発達しており、それを半島に伝えた可能性の方が今は高いですものね。
ゴッサとは?以下、仮説《gossa》[ጎሳ ]は現在エチオピアで使われるアムハラ語(Amharic)では部族[クラン,clan,あるいはトライブtribe]を意味するそうです。アルファベット表記はgosaになる場合が多いかも知れない。アムハラ語に関して、同じセム語族でヘブル語とともに古代ユダヤ人が使っていたアラム語(Aramic)との間に言語学的(単語レベル)に共通点があるという人もいます。ちなみにエチオピアのユダヤ人は金属加工の技術に優れていたと言われます(wiki情報)。
3:30 海岸線から3km→もう少し詳しい説明が要るのでは?(当時は現在より2~4m海面上昇していたはず)
砂鉄を集めて熱すると鉄が精製されますが、砂鉄を集める磁石はなかったでしょうから何を使ったのでしょうかね😅河原や海岸の砂の上を磁石を滑らせれば簡単に取れますが😊別のやり方で砂鉄が取れるなら大量生産は可能でしょうね😂それが解れば弥生人自身で砂鉄は手に入れることは可能だったのでは?❤❤
当時の鉄鉱石の生産地は朝鮮半島ですね朝鮮半島で製鉄が行われ、鉄の延べ板の状態で輸入していました
マツモト産業の集積場には、どこの工事現場から搬入された砂なのでしょう?数年前から、複数の工事現場から集積された砂だというが、未だ発見されていない遺跡や遺物があるのではないかと思う。
青銅の鋳型はどうやって作ったのか?👀👀👀
日本の歴史の一つ、銅鐸の始まりが知る事ができて、勉強に成りました。感謝申し上げます。
神戸市に住んでいる74才の秀さんです。今年の春ごろのテレビ番組で「ゴッサカイト」と「イザナギ・イザナミ」神社のことを放映している番組で知りました。
面白そうなので,天気もよかったので,数日後の昼前にドライブがてらに家内と2人で,神社とゴッサカイト遺跡を訪ねて,淡路島に渡りました。「ゴッサカイト」遺跡は,カーナビに誘導してもらいながら伺ったのですが,道が途中で分らなくなり、仕方なく車を降りて,十数分探しまくった後,何とか遺跡会館の様な場所にたどり着き,ほっとしました。その中に入ると,案内の女性がおられ,パンフレットをいただき,ガラス越しに緑の丘が見えたので,そちらに行くと,テレビで案内されていた通りの竪穴式住居?の風景に出会い,感激しました。緑の斜面の向こうには,瀬戸内海が広がり,何となく懐かしい場所に来た様な不思議な感覚にとらわれました。たまたま伺った時は,見学者は我々2人だけで,何となく秘密の場所に来た気分になり,ヤッター!という気分で,気持ちよく帰りました。
いいものを発見され,見学させていただき,関係者の皆様,ありがとうございます。また,行きたいと思います。
日本書紀「及至産時先以淡路州為胞」(産む時に及至り、先づ淡路州を以ちて胞と為す)とあるように淡路島は国の始まりにおいてなにがしかの重要な位置づけにある。この文献上の位置づけと淡路島における考古学的発見のつながりが明らかになったとき日本史は大きく動くに違いない。
同じことを思ってました。
タタラ製鉄跡では無く、鍛冶工房跡と言うのが興味をそそりますね。
瀬戸内の交易路の中で原料がどこから来て、鉄器がどこに運ばれたか?
鉄の産出製鉄鍛冶加工流通を探る事が、歴史の解明に繋がるように思えます。
本土側の播磨地方(兵庫県)では千種川上流でタタラ製鉄が行われていたし、お隣の備前(岡山県)では長船の名刀が造られるようになったのは偶然ではないと思う。播磨には古墳や古い寺院も多い。イザナギ・イザナミの伝承の地であり、渡来人である秦氏が土着した地であり、斑鳩寺など聖徳太子にまつわる寺院がある。倭国、大和国が発展する起点になったのでは?
天照系は宮﨑~四国~大阪~名古屋~千葉・茨城と太平洋の海岸線で勢力を伸ばしたのでしょう。
①内陸に向けて侵攻し古墳時代以降、都市開発・農業土木で発展する。
②水が乏しく平地が狭い四国には将来性が無い。
③国産の鉄を利用出来る技術を得た。
などなどの理由で四国は田舎のままの状態が保存されたと思います。
銅鐸の音を初めて聞きました。思ったより軽い音だった。感動しました。
2,500年昔の銅鐸の音に感動しました😂
日本が産まれた島だもの
なにが出てきても不思議じゃ無いよね。❤
大事な島なのに...
淡路島は国産み神話発祥の地なので、凄くロマンティックな新発掘ですね。
鐘の音でしたか。想像はしていたけど実際に聞いてみると
現代的な音ですね。私たちがスペースインベーダーの電子音を
初めて聴いたような衝撃をを古代の人も受けたのでしょうね。
古い時代だけど、どんどん新しく更新されていく面白さ。
淡路島が熱いね。
1979年に九州は糸島市の曲り田遺跡で発掘された鉄器が見つかり 当時は3〜4世紀辺りに造られた物と考えられていました
しかし2003年に千葉県佐倉市にある歴博と言う大きな施設で新しく開発された放射性炭素年代測定器と言う年代を
測定する機械で 測定すると 何と3000年以上前に加工された鉄器である事がわかっちゃったんです。
それならば 大陸から渡って来たと言う説を考えても おかしな話です。当時の大陸から発掘されるモノは全て青銅器
しか出ていなく 鉄は未だに発掘されてません。朝鮮半島なんか人さえいな無かった事が発掘の結果分かっているん
です。世界中のあちこちで黒曜石や縄文土器が見つかっていていますが縄文人は海洋民族だったからでは無いでしょうか!
もしかすると世界で最初に鉄を作ったのは火山大国で砂鉄や餅鉄に恵まれた日本で造られたのかも知れません。
今も昔も日本は火山大国なので降って積もった火山灰が木々の周りにたまり 火山の影響で山火事が起こり 鉄を含む火山灰が
木の根元に残り木や泥は燃え餅鉄となって残ります。それが そこら中に落ちていたのでは無いでしょうか!
砂鉄なんかは 日本の川に行けば沢山落ちてます。昔 小学校の課題で砂鉄が欲しいと言ったら、叔母さんが利根川に
連れて行って貰って砂がある所に行ったら黒くなってる部分があり ラップを磁石に巻き大量に砂鉄を集めたもんです。
砂鉄を使って作られる「玉鋼」は日本独自技法の「たたら」と言う溶鉱炉?は 日本刀に使われる「ハガネ」を作る製法です。
例えばシナリオとして、火山で出来た餅鉄を炭と間違えて家へ持ち帰り 家で火に入れたが全く燃えず ちょっと 赤く
なるだけで 一向に燃えないもんだから 隅に置いて翌日に 邪魔だから外に出そうと触ったら怪我をした、それで
「あれっ!」と気がついたのかも知れません。想像です。とにかく長い時を掛ければ有り得る行動をとるのは必須で
何らかの方法でトンカチやクワの穂先などを作ったのでは? 今まで石で肉や野菜を切っていたから、指が切れると言う
事は肉もキレると言う発想は少し職人の沙汰がある。この塊はモノを切ったり削ったりする道具になるのでは?
と思ったのかも知れないし 思わなかったかもしれませんね。
縄文人が疑問に思わない筈もないし、人は長い年月が経つ内に この物体を何かに使えないかと思うのは当然です。
この謎の物体は椅子にしたり重石にしたり 燃えないかと燃やしてみたり 様々な嗜みをしない訳がありません。
それと 約7000年前の角材が九州で見つかってます。 考えたら分かりますが とんでもない発掘ですやよ?
だって石器では材木を 角材に加工する事は到底 加工は出来ないからです。7000年前ですよ?バグミスか?
また、8000年前の縄文人って凄いです、漆の櫛を作ったりしてたんです、漆は人間が長年かけ 品種改良しないと
漆液が出ないんです。8000年前ですのよ!おったまげ です。
話は戻して、3000年前に鉄が加工出来たって事は土器も薄くて硬い弥生土器が加工できた筈です。
想像ですが7000年前の藁や葦で作った住居ってみんな家奥で火を燃やした跡が見つかってますよね、キャンプを
やった事がある人なら分かりますが 家奥で木材は燃やせます? それこそ燻製になってしまいます。
当然ですが 当時から煙の出ない炭を作って使っていたのではないでしょうか。薪を燃やした時の温度がだいたい
600〜700度に対して 炭はふーふーと息をかけると1300度まで上がります。
弥生土器なら冷たい空気が入らない様に囲って炭をおこし ふーふーすれば 出来ちゃうんです。
鉄の溶ける温度は2500度くらいですが しかし加工するのに鉄を溶かさなくても 真っ赤に熱し 赤い内に
繰り返し叩いてパチパチと不純物を飛ばせば 多少なり良い鉄ができます。
と言う事は弥生時代は弥生式土器が作れる様になったから弥生時代であって、弥生時代はBC3000年以上前から
ずっとあったと行ってもおかしくは無いですよ、逆にその推測の方が合ってますよ。
道理で日本の考古学会や文科省がダンマリを決め込んでる訳だよ!なんで今もまだ中国やアメリカに譲歩してんだろ。
すごっ!読んでいてワクワクしました。
でも日本の考古学会、文科省てなんなんでしょうかね(*´Д`)
人類初の鉄の使用とされているヒッタイトが3200年前ですから、その話が本当なら日本の鉄使用はヒッタイトに並んで世界最古級だったことになりますね。大変興味深いです。
あたまわるそー、お前
肝心の縄文時代まで遡るタタラ場跡が見つかっていないのが弱くはあるんですけどね…
砂鉄自体は日本には大量に有り、雨の後のぬかるんだ公園の水たまりから水の流れたあと…そこにある黒いスジが砂鉄だったりしますし…
朝鮮半島は仰るとおりの何も無い荒野なので、大陸からの文化だとしたら稲作と同じく南方からだろうと感じます。
銅鐸にしても、大陸から渡った物だろう→なら貴重だったはず→稲作の絵のあるのが見つかった→なら豊穣の儀式の信仰の対象だったのでは?
の様な非常にフワッとした根拠に感じます。
音を鳴らす機能があったなら、音を獣よけや魔除け、合図などに使ったはずで、それなら一つの集落から複数発見されるのもわかりますが、
逆に信仰の対象、儀式の道具というのなら一つの集落にそんな大量に集めて使うでしょうか?という疑問も…
まぁもしかしたら信仰の対象では無く、儀式の際に縄文ハンドベル部みたいなのが演奏会開いてた可能性はあるでしょうけどw
入れ子になってたのも、楽器をしまってただけだったりして…
そうーですね〜、たたらは発掘されてませんね。たたらは繰り返し使えないので終わったら壊すと言うのが決まりになっており 作成する時は新たにタタラから作るそうです。そう言う意味で発掘されないのかも知れませんね!
とにかくよく分かってない と言うのがワクワクしますね、あーじゃ無いか、こーじゃ無いかと皆んなで考えて、想像する事は唯ですし楽しいっす。
四国にも素晴らしい山がありますね。山岳信仰の鳥居や神殿が目に入ると、身が引き締まり、厳粛な気持ちになります。石鎚山は登っておりませんが、やっし-さんのこの歌を、心が引き締まる思いで聴きました。有りがとうございます。
興味深い発見だ銅鐸とは関係ないけど、最近琵琶湖底で大規模な歴史的遺構が見つかったと聞く、これから出てくる研究が楽しみだ。
有り難う御座います素晴らしい事ですね。
銅鐸で儀式が想像出来るって夢の中に居る様 当時の生活もロマンを感じる。
やったぜ!日本❣❣
シュメールやエジプトの絵に書かれている、人物が持っている「バッグ」みたいなものは、もしかしたら銅鐸「鐘を鳴らす物」かもと、映像を見ていて閃きました!
興味の無い人にとっては、どーでもヨイ事かもしれんけど
拙者個人としては、本当感動しました!
凄かった!!
確かに初めて聞いたら神聖な、
超常現象を
感じるような 音色だと思います!!
もしかして出雲と繋がりがあるんじゃないかという感で動画を見ていたら最後に出雲という地名が出てきて背筋が寒くなりました。何だかの繋がりがあるのは間違いないでしょう。何故淡路島の山の上に製鉄技術工房があるのか妄想が走り出します。
鍛治に必要な木炭が大量に確保出来る場所が山中だったからではないでしょうか?
本家と分家の関係は古代から凄く重要であり、本家は周りで採れた鉄がどのくらいなのか確認をする、ようするに1か所に集める。そしてそこで製錬を行い鉄の塊まで作って、そして周りの分家に鍛冶をしろと塊を送り付ける。本家がどこにあるかはそれで分かる。
この近くに住んでいます。竹内文書の竹之内清麿の子孫の方も住まわれています。ここより少し北側の舟木地区でも ここよりも大規模でありそうな鉄工房が見つかりました。今 発掘調査中です。
また海側で縄文遺跡も見つかっています。最古の製塩の跡も…
洲本の淡路観光ホテルにはユダヤ人上陸の跡も。
国産みの淡路島 何が出てくるか分かりません。
銅鐸の正確な使われ方が分かったのはスゴイですね!!
淡路島産の玉ねぎは実に美味しく、鳴門の渦もあるし、土壌が何か違う❓と思ってました。やはり何か違うかもしれませんね。興味深い動画でした。ありがとうございます🙏
南あわじ市に住んでるけど知らなかった…
銅鐸の音聞いた時に鳥肌立ったわ。
兵庫県芦屋市に金津山古墳というのがある。名前から鉄の搬出港だったと想像出来る。
日本海側の丹後あたりで荷揚げした鉄を瀬戸内海側の鍛治工房へ送っていたのかもしれない。
古地図を見たことあるけど、淡路島はかなり内部まで水浸しみたいな形してた
天然の港の様だった。
舟の移動が盛んだったと思う
いつも勉強になります❤
銅鐸はベル型なので、ベルなのかと子供の頃思ったが、五十年ほど前の歴史書では楽器では無いとされていたと思う。でもやっぱり楽器だったっていうのがビックリだしちょっと嬉しいかも笑笑
行ってみてえ。
祭祀で使っていたと言うよりは、日常で使っていたのではないかなと、それこそ村々で集まりの合図や終わりの合図など。出土した数の多さなどから。
リズムで緊急や、敵襲などにも使いわけれるだろーし。銅鐸が発見された地域は同じ共同体に属していたとも思えるし。太古の昔の人々もこのような鐘の音で1日が始まりそして終わる。組織されそれなりに規律された人達に思いを馳せずにはいられません。
銅鐸が鐘(聞く道具)であることが判明してスッキリしました。
加茂宮ノ前遺跡(徳島県)もすごいですよ。
淡路島は阿波への路ですね。
今まで使い道が分からない銅鐸が遂に確定しましたね
緯度を計る計測器でしょ。
林ひろし先生が解明してましたよ。
鉄は日本製でしょね。
朝鮮半島にはなにもありません。
兵庫県のスプリング8で、鉄も青銅器も日本と確定してます。
何にもオリジナルの無い中国と半島です。
兵馬俑もドイツが偽物と認定してます。
すごくワクワクする内容!
これは国が本気で守るべきですが今の政治家にとっては負の材料になりそうで潰しにかかりそうなので必ず守らなければなりません。
良いですね~ロマンですね~~~
淡路の当時の役目が面白いですね
日本における位置的な場所も興味深い
この場所が邪馬台国の卑弥呼のいた場所とは断定出来ないけど
何らかの関係はありそうでロマンを感じますね
邪馬台国の卑弥呼のいた場所が徳島県 淡の国という説もあり アマのいわくらや卑弥呼の灯台もあるので ひょっとしたら⁉️
@@---he1cy これは私の夢なのですが卑弥呼は倭国の各国を常時巡回してまわっていたんじゃないかと思ってます。それによって結束力を高めたんじゃないかと・・・夢ですけどね(;^ω^)
主な鍛冶遺跡
五斗長垣内遺跡
遺物の鉄器は、矢尻、鉄片、鏨(たがね)、切断された
鉄細片など75点が出土した。
方保田東原遺跡
合計500点以上の鉄が見つかっていて、その多さは全国でも際立った数です。
種類は斧やナイフなどのほか、鎌や釣り針など非常に多彩です。
注目されるのは、製品ではない塊や棒や板状の破片です。
これらは鉄器の素材となった物と考えられます。
出土数は全体の約半分を占めているので、この遺跡ではかなりの規模で
鉄器づくり(鉄鍛冶)が行われていたようです。
西弥護免遺跡
弥生終末期(581点の鉄器、細い針状の鉄滓など)
朝鮮半島から〜とか卑弥呼とかいいかげんリセットして分析した方が良いのではないでしょうか
素晴らしい✴️淡路島は瓦も有名ですし。農業、酪農、漁業、基本的に何でもできますね。
淡路島は、国生みの地ですよね😃
10年後、世界遺産登録目指して頑張って下さい。
私の時代の教科書には、銅鐸は祭事で使われたと書かれており、使用目的が不明なものは、全て祭事にしてしまえ!という動きがありました。ゼツが見つかるまでは、明らかに鐘の形だけど、鐘じゃ無いと言われてました。それも円錐じゃなく楕円だからという理由w
外から叩いて鳴らすのを「鐘」、内から舌で叩いて鳴らすのを「鐸」と申します・・・と茶化してみるw
なお舌は以前から結構見つかっておりますが、銅鐸の数のわりになぜか少なく、減るもんじゃないのに石製や骨製のものも見つかってたり。
とにもかくにも、この遺跡の銅鐸は①きわめて古い時代のものだったこと(舌は弥生時代中~後期のものばかりだった)②ほぼ完全な形で、纏まった数見つかったこと(古いものは潰されていることも多い)③銅鐸と舌が完全なセットで発見されたこと(なおかつ吊るし紐つきで)という、銅鐸界のミッシングリンクを埋め立ててしまった点に高い価値があるのです。
@@golpie さま
鍛冶工房も見つかった淡路島で青銅短剣が出土したらまたややこしい事に……😀
ちょっとあやしい学説も、まだこれから解明される新しい発見に繋がっていく資料です。
松帆地区にはまだ他にも銅鐸が埋まっているのではないか?
淡路は九州久留米の高良大社との繫がりは、古くからありますね~
「続日本紀」に和銅六年(713年)大和国宇陀郡で見つかった銅鐸が献上されたと記されている。
【原文】
銅鐸於長岡野地而獻之高三尺口徑一尺其制異常音協律呂
銅鐸を長岡野の地に得て献る。高さ三尺、口径一尺、その制、常に異にして、音、律呂に協う
「其制異常」 とは 大和朝廷と制度風習が違う異世界の生産物であるが楽器のような音階がある
「其制異常」の解釈が違うのではないだろか?作り(または扱い方)にはいろいろある(または今とは異なる)が、とか?
弥生時代なんかなかったですよ。でっち上げ。タルタリヤ文明のものです。
素晴らしいですね。
凄いなあ、若一さんめちゃくちゃテンション高いやん。
それらの銅鐸は 元は海岸近くの砂からですか おめでとう 最古の銅鐸。綺麗な音色。
銅鐸を鳴らして豊作を祈ったのかな ロマンがありますね
貴重な土地を外資に買われているのでは?そういうことも合わせて報道すると良いんですけどね~
初めてこの二ュウスを見ることが出来ました。私は無学で分かりませんが、その他の地域での発見は何処に、国内ないしは、東アジアとかにも出ているのですか?こんな凄い二ュウスがあったが事を知りませんでした。少なからず興味があったのに、有り難うございました。更に楽しみにしてます。
すごいですね。
まともな解釈ができる考古学者がいれば日本の歴史学も今とは違うものになっているのに、真実言うと潰される。
ゴッドハンドを恨め
例のあの事件か笑
欧米のジャーナリストは彼らを「歴史修正主義者」と呼びそうです。
王朝交替説みたいな珍説が真剣に論じられている世界だからなあ(呆)
🌴🌏🐎配信メッセージありがとう🙏御座います淡路島を狙う竹中平蔵氏には気お付け無いとね⛩️🪐✨🧜🐉⛩️
私からみたら松帆銅鐸はかなり完成形に見えるので、あの形になるまでに数百年いやそれ以上経ったのかなと思うとかなり昔から銅鐸の加工が行われていと思うとワクワクします。
古事記の話も歴史的事実との関連性を感じられますねー
夢が膨らむ発見ですね!山陰から船で砂鉄運んだんでしょうか?
砂を採取した、元々あった場所はどんな所なんだろう。
昔ダイアナロスが日本公演した時、息子を帯同させました。治安が良い事は勿論ですが
新幹線に乗れる事が
息子さんは何より嬉しかったそうです
素晴らしい 遺跡ですね大いに 勉強になりますね、何も知らない ことばかり。
そりゃ淡路島は日本神話では日本最初の土地なんだから
淡路島🙌 古事記日本書紀の国生みの神話は歴史的事実をフィクション物語にしたことでしたね💓
すごい発見。今のところ淡路島と島根が多いとのことだが、日本全国、縄文の昔から人は住んでいたので、まだまだ全国に埋まっているかもしれない。
「ゴッサカイト遺跡」名前がもうロマン
中国の古代の遺跡では、銅鐸と似たようなものはたくさん出土されています。ベル式であったり叩いたりする楽器ですよね。日本でも、当初は同じだったと思いますが、その後、どんどんデカクなり威信財に変化していきます。
出土されて⇒出土して
受け身でないのに「れるられる」を使うな、無学な輩め
古代ユダヤ人は何年ごろに日本国に住み着いたのか。
少数ですが「日本の古代には既に文明ができていて社会はある程度組織化されていた」と説く人が居ます。状況証拠しかないことから史実とはなりません。また日本の古代を高度だと認めたくない学者が幅を利かせていることも大きな要因です。彼らはそれが分かっていても書かれたものが無いと認めないのです。
ここでも材料が朝鮮半島から入ったと言っていますが、それは変。重い材料をわざわざそんな遠くから運ばなくても材料は日本にあります。弥生時代に朝鮮から鉄鉱石を輸入していたなどあり得ません。
いわゆる古事記、日本書紀には、
銅鐸のことが出て来ない!
なんて言われているけどさあ、
思い鐘🔔の神って、神様がちゃんと登場してくれているんだわ。
なるほど!
そんなに状況証拠が揃っていましたか!
わくわくするような話ですね。長生きして、面白い事でも無ければ、生き甲斐は無いと思う日々ですが、古代史の新発見が相次いで、年寄り役に徹する楽しみになっています。😂
凄い発見ですね。楽しめました。
なるほどー!風鈴って銅鐸の名残なんじゃないですかなんて思ったり。日本人がお寺の鐘の音や、風鈴の音が好きなのは古代からってことなんでしょうか😊
鋳物の風鈴の音が好きなので、昔の人が銅鐸を聞くために使っていたというのはすごく納得というか腑に落ちます。
鏡は光を反射させたり古代の人が驚くのも分かりますが銅鐸はどう使うんだろと教科書で思った記憶あります。
金属のこの音って科学的に身体に何が良い作用があるのではないですか?なんてー
神庭荒神谷遺跡での銅剣358本の発見、翌年銅矛と銅鐸の発見、十年後の加茂岩倉遺跡での銅鐸の大量発見。そして中国山地あちこち
にある古代の製鉄遺跡と今も残っているタタラ。出雲はある意味で日本の源流の様に感じていましたが、そもそも弥生時j代がいつから
始まるのかが分かっていないのですから、将に謎が謎を生む状態です。
見に行きたーい!!
世界は淡路島から始まった。
っていうのは本当なのか
こういうのを全国ネットでゴールデンに流せよ。
倭国大乱時に半島から鉄の材料が来たって
また、松帆銅鐸の本来の出土場所は何処なんでしょうか?
古墳文化の広がりと共に銅鐸が作られ無くなったことが不思議ですね。
一種の宗教的儀式の変革があったんでしょうね。
古墳時代にいわゆる【古墳人】の渡来があったことを最近の分子遺伝学は証明していますよね!
おおー、倭国大乱と同じタイミングだと、すごいじゃないですか。これで、淡路島近くの四国とか、瀬戸内海周辺に邪馬台国の可能性が高まりましたね。
えー、ヒモまで残ってるのすごい!!
名付け親、中ノクニ→邪魔な大国
残念ながら、ドウタクは鐘ではありません。もう10年以上前になりますが、はやし浩司氏が唱えた簡易天文観測装置説こそ、真理を、射当てたもので、ほとんど文化勲章級の大発見といわなければなりません。
しかしながら、はやし氏の説は、いまだに学会から一顧だにされず、それどころか黙殺されている状況です。
さて、ここで舌なるものについて考えてみましょう。よーく頭の中でイメージを働かせてください。いわゆる舌なる棒は、鐘をならすための道具ではありません。装置上部の水平をとるための装置の一部と考えます。舌に細いひもを掛けて、弧の最上部から、水平部分の中心部にある穴を通して、胴体の中に垂らすのです。胴体上部側面には4つの穴が空いてますが、穴を覗くと、胴体内の舌も見えます。1つの穴から対角線上にある穴を見ると、穴と穴の途中に舌があるのですが、舌が穴と穴を結んだ対角線上に見えるように胴体の設置位置を調整するのです。舌は常に垂直に保たれています。舌がどの穴から覗いても、穴と穴を結んだ対角線上に見えるようになれば、その装置は水平に設置ができているということになるのです。
4つの穴と舌はいわば水平器の役割を果たしているのです。
松帆銅鐸の発見で当初の銅鐸は鳴らす銅鐸であったというのは、ベル説を唱えてきた研究者の早合点にすぎません。
歴史学会の通説や権威に果敢に意を唱えてきた、あの逆説の日本史で有名な井沢元彦氏もベル説で決着がついたようなことを書いていましたが、ちょっと洞察が足りないのではないかと言わざるをえませんね。
ところで、出雲の話が出ていましたが、ドウタクも一緒に発見された荒神谷遺跡からは整然と並べられた多数の銅剣と呼ばれるものが発見されています。さて数はいくつだったと思いますか?
なんと358個なんです。注目してほしいのは、この358という数値の意味するところなのです。現在の1年の日数365日にとても近いことから考えると、はるか昔の出雲では1年は358日であり、銅剣の一つひとつは1日を表しているのではないでしょうか。
ドウタク及びドウケンは、暦と関係があったのではないでしょうか。
ま~ハヤシ氏の論文は知らないのでなんとも言えないですが、ゼツで垂直を取る? ただ吊るすだけで問題ない筈?
当時な世界で、微妙なレヴェル制度は必要か? 最大の疑問は、簡易天文観測装置がなぜ必要?
古代ではそこそこ重要な情報。固定式のしっかりした物があった方が BEST では?
ゼツの役割は有るとすれば時間測定でしょうか? 天文学には時間が必須事項。けど昼間の天体観測は?
回転方向の方角は? 冬至・夏至は測定方法は銅鐸に限らないし、方角の設定は?
そこそこ膨らんだ楕円の意味は? 円じゃ駄目なのは理解できるが?
表面の文様は、個体別にかなり異なる。この意味は?
358個の意味は、多分間違い偶然。これは科学で、簡単に結論が出るでしょう!現在より7日短い自転時期?
おそらく数万年~数十万年以上昔。銅剣が数本紛失の方が解りやすい。
素人考えでも15分でこれ位の疑問。中央で無視されるのは、致し方無い!
書きながら思い出したのは、林浩司さん。もしかしたら、白髪眼鏡の先生っぽいご老人?
私が観たのは「レイライン」関連。英語バージョンも出されている方?数年前の話ですが。
でしたらチョット疑問。当たり外れの、振幅が大きい方! 解りやすくて良いんですけどね!
出土状況から銅鐸の使い方が完全に分かった、これは大きいよね。
何を今更、鉄器の制作使用は縄文時代ですよ。
銅鐸の音、初めて聞いた! 結構、モダンな音でびっくり
何で安易に朝鮮半島から鉄素材がきたと言うのだろうか。
具体的にどこで鉄が取れたのか、それと同じ性質の鉄と検証しているのか?
出雲で砂鉄が取れていたが、それとの比較は?
京大の考古学の先入観はダメだ。
銅鐸を鳴らすもの?
馬鹿か、どうやってぶら下げるのか、
あの上部の取っ手で?
取っ手が壊れているはずだが、その量は?
打撃あとがどれにもついでいるはずだが?あるのか?
いい加減に嘘言うのは止めろよ。
賛成👏→そうしておきたいのですよ😁
そんなにいうならばアンタが科学的に調べりゃいい。
けどもこうやって文句言ってるということは自分ではやらない。
同感 近所の浜辺から集めた砂鉄だよ 原料は
日本の鉄器文化は鍛造加工だと言われていますね。これは炭で(約1.000℃)鉄を融解(1.536℃)する程の高熱を得る事が出来ない為に赤く熱して加工した為です。銅は(1.084℃)
そうですね、
タタラ製鉄と言っても
還元してカーボンの多い鉄を産出するだけ……
鍛冶鍛鍊して折れにくく加工して、刃を鍛接する鍛冶文化ですね。
何でもかんでも卑弥呼に結び付けなさんな!
なるほど~ 弥生時代にも歳末福引で銅鐸を鳴らしてたのか~ 一等でハワイにも行ってたのかな?
地理的に考えて朝鮮から鉄材料が入ってきたというのは無理が有るようだが。
少量だったとしても近くで鉄材料が採れたのでは?砂鉄の可能性は無いのか?
玉鋼でなくて、低質の鉄なら砂鉄から出来ないのかな?
対馬や壱岐の遺跡からも延べ板状態の鉄が出土してますからね
朝鮮半島で製鉄が行われ、その後日本に輸入していたのは間違いないです
淡路縦貫高速道路開通工事の折に、野島に近い所で、空白の年代に造られた物見櫓跡や狼煙台跡が発見されましたが、明石大橋開通に合わせる為に埋められてしまいましたな
銅鐸内に残された植物の照射性炭素を調べた結果、その時代が分かるとありましたが、いつの時代なのでしょうか。
回答されてませんね。倭国大乱は 2世紀後半 だそうなので、同じかもしれないですね。卑弥呼のちょっと前ですね。
いや、銅鐸の最初の方で言ってますよ。
11:08
2300~2100年前に埋納と言ってます。これは植物遺体の分析結果だと思われます。だから卑弥呼の時代より300年以上前になります。
それより、鉄器の工房の時代が気になりますね。銅鐸と同時期なのか卑弥呼の時代くらいなのか?卑弥呼の時代なら銅鐸文化が征服された後になるし、銅鐸と同時期なら出雲にも鉄器文化があったと考えるべきということになる(出雲の銅鐸と同じ鋳型で作られた銅鐸だったと動画の中で言っている)。
島の始まりが淡路島!
次が四国!
日本神話が真実を語っています‼️
俺の住んでる淡路島で古代のお宝が!?
スゴい。😊😊😊😊😊
邪馬台国四国説なら斯馬国とかになるはず(しまぁこく=しまこく)
この説が正しければこの辺りから何らか出土するかなぁとは思っていたけど…もっと色々出てきてほしい🙂
牛の首に吊すより、鋳物風鈴に涼を感じられる感性の国に生まれてよかった。
実際、鉄器は日本では半島よりも古くからあり、紀元前10世紀のものが見つかっていますからね。日本独自に様々な発達しており、それを半島に伝えた可能性の方が今は高いですものね。
ゴッサとは?
以下、仮説
《gossa》[ጎሳ ]は現在エチオピアで使われるアムハラ語(Amharic)では部族[クラン,clan,あるいはトライブtribe]を意味するそうです。アルファベット表記はgosaになる場合が多いかも知れない。
アムハラ語に関して、同じセム語族でヘブル語とともに古代ユダヤ人が使っていたアラム語(Aramic)との間に言語学的(単語レベル)に共通点があるという人もいます。
ちなみにエチオピアのユダヤ人は金属加工の技術に優れていたと言われます(wiki情報)。
3:30 海岸線から3km→もう少し詳しい説明が要るのでは?
(当時は現在より2~4m海面上昇していたはず)
砂鉄を集めて熱すると鉄が精製されますが、砂鉄を集める磁石はなかったでしょうから何を使ったのでしょうかね😅河原や海岸の砂の上を磁石を滑らせれば簡単に取れますが😊別のやり方で砂鉄が取れるなら大量生産は可能でしょうね😂それが解れば弥生人自身で砂鉄は手に入れることは可能だったのでは?❤❤
当時の鉄鉱石の生産地は朝鮮半島ですね
朝鮮半島で製鉄が行われ、鉄の延べ板の状態で輸入していました
マツモト産業の集積場には、どこの工事現場から搬入された砂なのでしょう?
数年前から、複数の工事現場から集積された砂だというが、未だ発見されていない遺跡や遺物があるのではないかと思う。
青銅の鋳型はどうやって作ったのか?👀👀👀