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うちの会社に居る中国人の二人が、二人で会話する時も日本語なので、「周りの日本人にも分かるように気を使ってくれてるんだな」と思ってたけど、本人に聞くと、「自分は北京語で相手が上海語なので、日本語でないと会話が出来ない」て言ってたな。
京都のシェアハウスで、いろんな国の出身者がいて共通語が日本語、それも関西弁だとか😊
台湾の或る山奥の地域で、隣の村の人と話すときは日本語で話す、そうでないと通じない、そんな地域があるそうです。
@@烏丸天狗見習い 面白いw
あー!台湾人のお兄ちゃんと上海人のお兄ちゃんが日本語になってたのそういうことかー!!
知り合いのインド人もインド人同士、日本語で話してたから「何で?」って聞いたら、英語は細かいニュアンスが伝わらないし、ヒンディー語は面倒くさいって言ってて...へぇー😅って驚いた😳
なるほど、私の長年の疑問を解かしてくれる分かり易い良い講義でした、ありがとう
丁寧に説明してくださって、ありがとうございます。私は香港生まれ、ずっと「広東語」が方言じゃなくてちゃんとした言語だと日本人の友達に伝えていますが、迷ったこともあります。この動画を拝見し、「そもそも方言かどうかの基準がややこしくて、標準がない」ということが分かって、少し安心しました。(日本語がおかしかったらすみません。翻訳なしで書いていますので多少ミスを犯したかなと思います。)
ぜんぜんおかしくありませんよ。生来の日本人が書いたと言っても違和感がありません。
日本で「方言」というと、中国語でいう「口音」レベルの違いで認識されるので、「別言語レベルに違う」ということは補足しないと分かってもらいずらいですよね。
政治的では方言あつかいなんだけど言語学では別の言語だってききました
perfectus laponicus😄
別言語です。方言といっているのは政治上だけなので学問上はれっきとした別言語です。
本土方言と琉球方言に日本語は大別されるって昔大学で習いました。沖縄の言葉を方言とするか一言語とするかは学派学閥によるのかな。
今は国際的・学術的には別言語とする人が多いように思いますね。10年前にはそうだったと思います。
興味深いお話をありがとうございます。欧州に住んでるのでお話の様な場面に良く遭遇します。スカンジナビア半島三国の知人に混じって話をしてて、それぞれが自分の国の言語で話してても、ゆっくり話せばそのまま会話が成立するよ(笑)、と言われたり。マレー人の友人の奥さんが中国系だけど、インドネシア人の友人とは普通に別の言葉(マレー語・インドネシア語)で会話したりとかです。その仕掛けが今理解できました。又面白いのはオランダ人のは結構「ドイツ語聞いてて何となくわかる」と言うけど逆の例は珍しい。ドイツ人はオランダ語はドイツ語の訛った成れの果てと言う意識があるからだ、と指摘するオランダ人は居る。大阪大学外国語学部のもととなった学校出身です。
ありがとうございました!!とても興味深く拝聴しました!!
17:03 英語からの借用が多いのはマレーシアの方だと思います(元イギリス植民地)インドネシアはオランダ語から借用ですね
15:33 クロアチアとセルビアの間で生じている対立は、宗教的理由による影響が大きかったから(勿論その他もある)と認識しています。クロアチアはカトリック教会、セルビアは正教会というように勢力が綺麗に二分されています。私も専門家程詳しくないので、柴宜弘氏著の「ユーゴスラヴィア現代史 」を是非読んで頂きたいです。
動画の最初の方で紹介されたコメントのかたは、2010年刊行のユネスコの Atlas of the World's Languages in Danger (世界消滅危機言語地図) 第3版でされているような言語と方言の区別のしかたを聞きかじってそうした発言をされた可能性もあるように感じられます。動画の最初の方で「奄美語」の話もされているわけですし、そちらの説明もされた方がよかったように思いました。「奄美語」という名称はユネスコの第3版のこの地図の刊行から出てきたものですし。いまちょっと暇なので、前記地図の記述を中心に、動画の補足説明を試みてみましょう。スイス・ドイツ語は、同書における消滅危機言語としては、軽度の危機=「脆弱」状態にある独立言語「アレマン語 (Alemannic)」に属するものとして見なされます。アレマン語に関しては、いかなる目的や基準での位置づけかによって独立言語か方言かが変わり、いずれかに絶対的に固定できるものではありません。まず、この地図での言語と方言の区別方法について見ておきましょう。「言語」という用語は、政治的、地理的、歴史的、社会学的、文化的各要素が入り込んでくるせいで、実は言語学の専門用語とは言いがたいという指摘が、1998年刊行の J. K. Chambers ・ P. Trudgill 編 Dialectology (方言学) にあります。しかし前記のユネスコの地図では、消滅危機言語の認定に限れば、「言語」と「方言」という概念を、言語学以外の要素を排除して、純然たる言語学の専門用語として用いようとする志向性があるように見えます。当該地図の「ヨーロッパ及びコーカサス」の章の、「言語、方言、および言語の境界」の節の冒頭は、「相互理解性の概念は、言語と方言を区別するための主要な、あるいは唯一の言語学的基準としてしばしば言及される。」(p.33、原文英語)という文章から始まりますが、消滅危機言語における言語と方言の区別では、相互理解性に重点が置かれているよう見受けられます。そうしている理由は明記されませんが、言語学と政治的理由など、違う原理のものを組み合わせた基準では必ず矛盾が生じること、例えばデンマーク・ノルウェー・スウェーデン各語が相互理解可能なのに政治的理由で別言語とされる一方、相互理解が不可能な中国語の7大方言が方言とされる類ですが、そうしたことを避けたり、国家主導の政治性から距離を取ろうとしていることなどが考えられるかもしれません。ただし同書では、消滅危機とは関係無い国家語だと、言語学以外の基準が入った言語の認定のしかたもしています。例えば相互理解が可能なチェコ語とスロヴァキア語などを別言語とするなど。消滅危機言語地図作成という目的外のところで、論争になりそうな話を避けているのかもしれません。さて、本書でアレマン語がなぜ独立言語とされるのかですが、相互理解性に基づく方言連続体を、比較的狭く取っているからです。この地図のp.37の記述では、通俗的に「ドイツ語」と呼ばれる言語については次のように細分化されています。まず、テューリンゲン語、上ザクセン語、低地シレジア語から構成される言語をドイツ語とし、独立した「地域言語」として、低地ザクセン語、リンブルフ・リプアーリ語、モーゼル・フランケン語(ルクセンブルク語を含む)、ライン・フランケン語、東フランケン語、アレマン語、バイエルン語を認めています。また、フランスで話されるアルザス語がアレマン語の方言連続体の一部とされているのですが、スイス国内のアレマン語が消滅危機に無いのにこの言語が消滅危機言語に指定されているのは、アルザス語などスイス国外のアレマン語が危機的状態にあるからです。上記のアルザス語の論法で行くと、仮にアレマン語をドイツ語の方言とした場合、アルザス語はドイツ語の方言連続体の一部だからドイツ語を消滅危機言語に認定するというような、おかしなことになりかねません。同書で方言連続体を狭く取る正確な理由は不明とはいえ、意図的にか結果的にか、アレマン語を消滅危機言語とすることによってアルザス語のような言葉を拾い上げるのに一役買っています。ちなみに、この地図における日本国内の消滅危機言語としては、アイヌ語や沖縄語のほか、八丈語、奄美語、国頭語、宮古語、八重山語、与那国語が挙げられています。この地図の刊行以前から日本語と明確に別言語とされてきたものはアイヌ語で、沖縄語 (Okinawan) は琉球王国の言語だっただけあって明治時代から「琉球語」などの名称が見られますが、それ以外は、従来は日本語や琉球語の方言とされてきたものです。ユネスコでは相互理解性などに基づいて独立言語として扱いました。動画で言及される奄美語は、CiNii のようなポータルサイトで「奄美語」や「奄美方言」のワードで検索すれば分かりますが、「奄美語」という名称が論文のタイトルに現れるのは2010年のユネスコの当該地図刊行以後で、それ以前は専ら「奄美方言」という名称です。動画の最初で紹介されているかたは、相互理解性に重点を置く方式やスイス・ドイツ語を含むアレマン語を独立言語とみなせることなどについて、部分的に聞きかじられている可能性があるように思いました。相互理解性を狭く取る方法からスイス・ドイツ語を標準ドイツ語と別の言語と見なすというのは、間違いではありませんが絶対的なものでもありません。なお、相互理解性からオランダ語を「オランダドイツ語」と呼べるかについて。前掲 Dialectology で、方言連続体を広く取って、「ドイツ語、オランダ語、フラマン語と通常呼ばれるものの全ての方言」を「西ゲルマン方言連続体」(同書p.6、原文英語)としている通り、方言学的にドイツ語とオランダ語を方言の関係とすることは可能ではあります。そこで、オランダ語を、強いて言うなら日本語名称としては「オランダ・ゲルマン語」と呼べなくもないのですが、ただその場合、方言としてはドイツ語とオランダ語が同格で、どちらかが一方の方言になるわけでないという点や、この方言連続体にスイス・ドイツ語も含まれる点、また、こうした方式は方言研究などを目的とする場合などに限って意味を持つという点がおさえられている必要があります。消滅危機言語の認定とは、言語・方言の分類の際の目的も基準も違っているわけです。余談ですが、次のリンクの動画の冒頭近くを聞いても、オランダ語とドイツ語だけでなく、同じく西ゲルマン語群に属する英語にもある程度の相互理解性があることが体感できます。th-cam.com/video/ryVG5LHRMJ4/w-d-xo.htmlおしまい2024年7月6日(土)
同語族でも違う語派であれば違う言語とみなされるって事ですね。
「違う語派である」という判断をしている時点で、その前に「違う言語である」という判断をしていなければいけない、別の言い方をすれば、「違う言語とみなされているから、違う語派だという系統の設定が可能になっている」ので、仰る理解は、順序が逆というか、「そりゃそう」みたいな話だと思います。
15:13 以前スロベニアに訪れた際に、スロベニア人の友人がその場にいたセルビア人やクロアチア人と普通に現地語で会話をしていて、君達は何語で話してるの?と尋ねたところ、旧ユーゴの国々は基本的に同じスラブ語のファミリーだから方言ぐらいの違いしか無くて普通に会話できるのよって説明されたのを思い出しました。
スロベニアもいけるんだ、知らなかった
日本で例えると青森県民と鹿児島県民と大阪府民が会話してる感じですかね (?)
スラブ系の国は国名も似ててとても面白いですよユーゴ スラビア(南スラブ人の国)、セルビア、スロベニア、スロヴァキア
ウーーン、お話を伺えば伺うほど、言語を巡る問題は、複雑で奥が深いですね。本来は、人間同士の単なる意思の疎通手段なので、もっと単純であってもいいように思えますが、人間同士、民族同士、そして国家同士の関係が絡んでいるからこそ、言語を巡る現象は、複雑な様相を呈するんでしょうね。これを研究課題にしたら、多分、一生かかっても、解明しきれないです。
「第二次子音推移」の有無がなぜ重要な線引きなのか、が疑問としてのこりました。偶然では起こらない変化?
どの言語/方言にどの変化が起きているのか、を調べていくと、どういう順番でそれぞれの変化が起きたのか、つまり言語/方言がどういう順番で分岐したのかが(だいたい)分かります。その結果から、第二次子音推移の有無は広義ドイツ語を2つに分ける適切な基準と見なされています。
@@Gengo_No_Heya ありがとうございます。写本の系譜や、生物の分子進化(主にDNAのランダム変化)の考え方に近いとは感じました。ただし怖いと思ったのは、「偶然一致する・似る」という事です。分子進化によって持ち主となる生物の系譜を書く場合、運の悪い偶然を否定はできないため、通常は複数の遺伝子で系譜を書いて決定します。遠く離れた種の系統を決定するためには、重要であるがゆえに変化しにくい(そこが揺らぐと生物として成立困難な)遺伝子を用います。それでも(特に細菌の場合は)遺伝子が別種に移動することも、よくあります(この場合、近縁種であっても当該遺伝子を持たず、この1点では比較的離れた種と類似する、ということもあります)。以上のような考え方で、単に早期に起こったと考えられるだけではなく、同じような変化が起こりにくい(特に「隣接しているだけでうつる」ことが無い)要素として注目されたのだろうか、と思いました。総合的に見れば、「重要なものだけでなく、比較的変わりやすいものも似ているので、間違いなく近縁」と言えることが多いのでしょうが、今回は意味が通じにくいということでしたので、余計に気になった次第です。
第二次子音推移について「偶然一致する・似る」という点について懸念をお持ちとのこと。もう1ヶ月も前のコメントなので解決済みかもしれませんが、手すさびに第二次子音推移とは何かを解説しつつ、その点について言及してみたいと思います。ご参考になれば幸いです。第二次子音推移とは、今のドイツ南部以南の古代ドイツ語で起こった複数の子音の変化で、今ではドイツ南部やスイス、リヒテンシュタイン、オーストリア、イタリア北部などのドイツ語に完全に伝播しているほか、その圏域の更に北、ドイツ中部まで、部分的に第二次子音推移が起こっています。それによってその他の地域のドイツ語と違う音の仕組み(音韻体系)が出来ています。ドイツ語のうち、この子音推移が完全に起こったドイツ南部以南と、部分的に起こっているドイツ中部のものを「高地ドイツ語」と言い、それ以北で同子音推移が起こらなかったものを「低地ドイツ語」と言います。地図上で、高地ドイツ語域と低地ドイツ語域には境界線が引けます。高地ドイツ語内の、完全に第二次子音推移が起こっている地域と部分的に起こっている地域にも境界線が引けます。高地ドイツ語や低地ドイツ語は、地理的には現在のドイツとその近辺にランダムに存在するものではありません。なお現代の標準ドイツ語のもとになっているドイツ語テューリンゲン方言やスイス・ドイツ語は高地ドイツ語、オランダ語は低地ドイツ語に属します。第二次子音推移がどのような変化だったのか具体的に見てみましょう。全ての単語の [p] [t] [k] の3子音に規則的な変化が起こったことが分かっています。以下に例を挙げますが、推移した子音部分について例を分かりやすくするため、現代のオランダ語と標準ドイツ語、スイス・ドイツ語、また、第二次子音推移が起こっていないという点に限って低地ドイツ語と同じく扱える現代英語から例示します。母音の後[p] → [f] 例:英 up, 蘭 op [ɔp], 独 auf [aʊf], 瑞 uf [ʊf][t] → [s] 例:英 water, 蘭 water [ˈvaːtə(r)], 独 Wasser [ˈvasə], 瑞 Wasser [ˈʋasər][k] → [x] 例:英 make, 蘭 maken [ˈmaːkən], 独 machen [ˈmaxən], 瑞 machä [ˈmɑxə]母音の後以外[p] → [pf] 例:英 plough, 蘭 ploeg [plux], 独 Pflug [pfluːk], 瑞 Pflug [pfluːk][t] → [ts] 例:英 two, 蘭twee [tveːʲ], 独 zwei [tsvaɪ], 瑞 zwee [tsʋeː]その他の変化もありますが省略します。上記の子音の変化は、ラテン語で記録された固有名詞などにより3世紀から5世紀の間に開始したと見られ、現存最古の古代高地ドイツ語の文献が8世紀に現れた時には、既に完成しています。ある言語内で、複数地域で別個に同じ複数子音が全て同じ変化をして同じ音韻体系を持つようになったという例は知られておらず、偶然そうなる蓋然性は経験則的に極めて低いとみなされます。現存する同時代資料や、高地ドイツ語と低地ドイツ語の地理的分布、比較言語学的検討などから、古代の一定地域で起こった第二次子音推移が隣接地域に伝播していったと見るのが妥当とされています。ただし、この子音推移が起こった地域や正確な伝播経路などは、同時代資料が乏しいせいで完全には実証不能で、複数の仮説が並立しているようです。第二次子音推移が起こった原因ですが、これも同時代資料が乏しいことなどから実証不能、複数の仮説が提示されるのみです。何か特殊な事態があったことだけは想定できます。仮説の一つを紹介すると、今のドイツ南部以南にあたる地域にいた何らかの先住民族が古代ドイツ語を使うようになった際、その先住民族の言語の特徴が出たためそうなったという、1979年のシュテファン・ゾンデレガー (Stefan Sonderegger) さんらの仮説があります。日本における参考例として、日本語を母語とする在日韓国・朝鮮人の韓国・朝鮮語が日本語と同じ5母音なのに対し、本国の同言語が8母音である違いがありますが、これは在日韓国・朝鮮人が大枠で日本語の音韻を使ったかたちで韓国・朝鮮語を操るからです。これと同じようなかたちで高地ドイツ語が生まれた可能性は皆無ではないのでしょう。なお、ある方言と別方言を隔てるポイントは、語彙の違いだけでなく、音韻や文法に、散発的でない、体系的な違いがあることです。第二次子音推移によって新しい音韻体系が生じ、古代ドイツ語内に高地ドイツ語という方言が生まれたということになります。体系的な違いという点で日本語を例にすると、東京方言と近畿方言の場合、東京方言のアクセントの位置が近畿方言のアクセント位置より規則的に一音節分うしろにずれるというものがあります。例を挙げると、東京方言の「花が」と「鼻が」のそれぞれの「なが」の部分のアクセントが、近畿方言の「花」と「鼻」のアクセントと同じになります。これは「花」と「鼻」に限りません。両方言で長い歴史の間に部分的な変化が起こっている語彙もあることなどから例外もあるのですが、現代の方言同士の比較でも大枠では規則的に起こっていることが見てとれる現象です。それによってもたらされる体系的な違いが、東京方言と近畿方言を分ける違いの一つということになります。以上ですが、第二次子音推移については次の図書を参照しています。Putman, Michael T. et al. (2020) The Cambridge Handbook of Germanic Linguistics. Cambridge University PressWolf, Norbert Richard (1981) Geschichte der deutschen Sprache, Band 1. Quelle & Meyer, Heidelberg スイス・ドイツ語の語例は Glosbe のオンライン辞書によりますが、発音は、Fleischer, Jürg; Schmid, Stephan (2006) "Zurich German" Journal of the International Phonetic Association 36(2)在日韓国・朝鮮語については、東京外国語大学公式サイト内の趙義成教授のページ「在日朝鮮語」によります。TH-cam以外のリンクを貼るとコメントが無効化されるので、リンクが貼れません。余談ですが、趙さんが「在日韓国・朝鮮語」でなく「在日朝鮮語」と呼称されている点について。「ことばを国家という単位ではなく、民族の単位に従って呼ばねばならないという科学の要求にもとづく」(田中克彦『ことばと国家』岩波新書、1981年、p.15)立場から、言語学の学術用語としては韓国で話されるものでも「朝鮮語」とされることがよくあります。趙さんの場合もたぶんそれです。ただ、東大出身の研究者は学術用語として「韓国語」と呼称することが多い印象があって、よく知りませんが学術用語としての言語名に学閥が現れているということもあるのかもしれません。日本語のアクセントについては、金田一 春彦 (2005) 『金田一春彦著作集』第7巻 玉川大学出版部ご理解の一助になれば幸いです。2024年7月21日(日)
@@ts_ts-ts 在日朝鮮語にも違いが出てくるというのはとても興味深いです。アフリカでオランダ語がアフリカヌスに進化したり、トルコ系ドイツ人が少し違う文法を使っていたりと、近現代でも他言語の影響で言葉に変化が起きることは少なくないので、それが昔起こったというのもあながち間違っていないかもしれませんね。
グラデーションって言う考えは、面白いですね。比較言語学と対照言語学の違いは、大変、勉強になりました。
分かりやすい説明です。動画で取り上げたドイツ語の事情については、例えば、「ハイジ」のはなしでは、スイスで生まれ育ったハイジと、フランクフルト出身のクララとは、通訳なしで分かり合えているようですし…まあ、これは物語だから、細かいことにこだわっていないのかもしれませんが。
現実的では、それぞれの土地の家庭で使われる伝統的な「方言」同士だと、事前の知識がなければほとんど理解できないと思います。学校で習う標準語を介せば通じ合えますが。
通じなきゃ方言じゃなくて別の言語だろと思っていたのですが、グラデーションの考え方があったのですね。1つ疑問に思ったのですが、英語を例にするとイギリス英語が標準だとした場合、アメリカ英語や特徴的なものだと日本のカタカナ英語、インド人が話す英語などは、方言になるんでしょうか?
標準語も方言の一つであり、非標準的なものとは「お互いに方言」という関係にある、というのが社会言語学の教科書的な説明です。英語に関しては、米国の標準語も英国の標準語もいずれもそれぞれの社会での標準語、という見方をするのが良いと思います。
アンドラの知り合いはスペイン語とフランス語をサクサク話していましたがヨーロッパ国境沿いのグラデーションがかかる地域はどうなのか?って疑問に思っていましたまた長距離ドライバーの人は4ヶ国語話すよってサラッと言っていて言語に対する感覚の違いを感じましたスイスの国会はドイツ語使うって言ってたなぁイギリスの英語留学でバケーション中はヨーロッパ各国更にアジア、アラブ人が来て英語勉強しに来ます。みんなと知り合いになって面白かったです
スペイン語とポルトガル語はどれだけ違うんでしょうか?
スペイン人の知り合いが「ポルトガル語はほぼ理解できる」って言っていたので、今回の動画的にいえば、「国境やアイデンティティ的要素で別言語にされた」パターンなのではないかと想像します
非常に面白い動画でした。端緒は「(専門家の知見よりも)ワタシの感覚と経験はこうだから間違ってる!」というコメントだったが、動画主さんの言語への愛が溢れて止まらない語りが非常に素晴らしい。以前、中国人・韓国人と話してたら某中東のアラブ人に「君たちってみんな会話通じるでしょ?どうして英語で話してるの?」って言われた。「自分らゼンゼン違う言語だよ。キミらイラン人と似たような文字だけど会話通じないでしょ?」って返したら、「アラビア語は世界で唯一の完璧な言語だ。イラン人の言葉とは違う!」と声を荒げた。「自分らから見たアラブ人とイラン人て似てるんでしょ?って感覚と、キミたちがコリアとジャパンもまとめて「チャイナ」って呼ぶのが同じイメージやで。」と改めて説明したら「オレは自分のバックボーンに誇りを持っている。君たちへの理解が足りなくてすまなかった。」とエキサイトしてたアラブ人がまじめな表情でビックリするくらい丁重に頭を下げてきた。別に謝るようなことじゃないし、どっちが上とか下じゃない。ただ違うだけだから。と話は収まったが、アラブ人のアラビア語に対する誇りを見た。
イスラム教の教義によれば、アラビア語は神が預言者ムハンマドにお告げを伝えた時に使った言語だからアラビア語が世界で最も優れてる、と考えられているらしい
フランス在住です。スペイン語なんてただの一回も勉強したことないのに、この間イタリアに旅行に行った際にアルゼンチン人の方と向こうはスペイン語、こちらはフランス語のゴリ押しで簡単な会話が成立しました。日本語母語話者なのに津軽弁や鹿児島弁なんて聞いても分からないのに。言語の線引きの明確な定義なんて出来ないんだな、と実感した瞬間でした。
3:29 方言連続体の話、生物の分類でも似たような話を聞いたことがある。ある種の亜種A, B, C, DはAからDにかけてグラデーションで、端のAとDのみなら別の種としてカウントされるだろうみたいなことがあったりするって。
環状種
分かり易かったです。面白かったです。興味が広がりました。有り難うございます。私は今年72歳になりますが、小学校の時は鼻濁音で発音することが授業で求められました。その影響で「ガーガー」言う発音が気になりましたが、最近はしっかりした鼻濁音が気持ち悪くなってきています。これらの変化を受け入れている自分の変移は、大げさだけれど生きている証なのかも知れませんね。
イデオロギーやアイデンティティが言語を分けることもあるとのことでしたが、アメリカ人の話す言語もアメリカ独立の際に「俺達の言語は"English"じゃなくて"American"だ!」となっていたら、英語と米語で分けられていたんでしょうかね。
中国人が「中国語」をどう捉えているかは少し複雑です。彼らは「中文」と言う。日本語は日语、韓国語は韩语、英語は英语なのに、中国語は「语」じゃなくて「文」らしい。(汉语という学術用語はあまり使われていない印象です)ここにあるのは、彼らにとっても「中国語」というカテゴリは他の言語とは違う、にも関わらずひとつの「言語」だ、という屈折した意識です。政治的理由で(ナショナリズムのために)別言語をひとつの言語だと言い張っているのだ、と外国人である我々が決めつけることは簡単です。しかし、問題はそう単純ではありません。広東語=「粤语」は公的な場でも用いられるタームですし、少数民族の言語はちゃんと存在を認められて民族言語教育も許されています。(ソ連の影響?)ここからは私見ですが、彼らにとっての「中文」の定義は「漢字を使っていること」なのだと思います。中国はつい最近まで話し言葉が統一されず、しかし書き言葉には千年単位で一貫性があった。彼らにとっては「話し言葉は通じないけど意思疎通はできる」という環境が常態だった。こういった中で、彼らが西洋による「言語」の定義= mutual intelligibility とは違う「言語」観を抱くのは当然でしょう。それは、漢字が通用する範囲が「中文」だ、という意識です。日本では中国語が使われている、とかいう見当はずれな発言が中国人から出るのも、この見方をとれば説明できます。彼らにとっては「漢字で書いてある」=読めるものは全て「中文」なのです。
漢字文化を共有しているから(漢民族であり)「中文」である、というのはその通りだと思います
脱線するかもしれませんが、今でも広東語では中文と同じように、日文、英文… 「〇文」で外国語を表しています。あくまで私の憶測ですが、もしかしたら唐代くらいの中原民族が元々「文」を使っていて、その色が強く残っている広東語ではそのままで(例えば詩を詠む時も広東語の方が韻が踏んでるなど)、一方現代の中国語はかつての北方民族の言葉がベースなので、もしかして「中文」が慣用的に使っているだけで、「語」が普通なのかもしれません。
「漢語」とも言うので、その人がどのように言語を見ているかでも違ってくるのかなと思いますね。
韓語と漢語、読み方が中国語ではイントネーションだけしか違わなく殆ど同じ音なので、漢語は使われる事があるけど区別しにくいので、あまり使わないかと思う
近代の日中・中日の知識人に、ややイデオロギー的な匂いもするが、中国語(中文)と日本語(日文?)は「同文」という捉え方があったと思う。東亜同文書院大学(源流の一つに同文会がある)や神戸中華同文学校などの学校名での用例がある。
八丈語、小笠原語はどうなのかな?
どうって、何がですか?
@ すみません、日琉語族を日本語・琉球諸語として二分するのか、三分割四分割する見方もあるのか疑問に思いました。特に小笠原語はクレオールに分類するとすれば系統的にまた別になるのかな?あと保護の対象とするには独立した言語とした方が都合の良い気もしますが、当事者的に不本意なら方言のままが良いのか?とか色々考えちゃいました💦
「言語とは軍隊を持った方言である」と言った言語学者がいたそうですが、これが一番はっきりすっきりする定義かも。
納得。だから軍隊を持たない言語は衰退しがちなんですよね。バスク語とかスコットランド語とか、そんな感じしますよね。カタルーニャ語は、独立運動頑張っていますし、話者は減っていないみたいですが、あれはスペインの中で「軍隊相当」の強い経済力があるからなんでしょうね。
BBCは標準語を廃止しました、クイーンズイングリッシュの定義で揉めたみたいです。
奄美出身です。一例として、作業、計画、世話、段取りなどの意味で「さばくり」という単語があるのですが、内地で全く通用しません。上京してから苦労しました。笑また沖縄県出身者の話している単語も違うものが多く、一緒くたに扱われるのも違うなという認識です。
それ、ひょっとすると「捌く」という言葉が動詞であるのにも関わらず、さらに「る」を付けて動詞化させた「捌くる」の名詞形の「捌くり」じゃないですか、意味は合ってるでしょ。
それより、奄美も「別言語」じゃなくて日本語の「方言」だよねえ、間違いなく。
「間違いなく」そうだとは言えないよねというのがこの動画の趣旨です(今の言語学では別言語として扱うことが多いです)
@@unkokusai. 投稿者様の言う通り、間違いなくそうとは言えないと思います。おじいちゃんおばあちゃんの話し方とかを考えるに、日本語の方言には当てはまらないのかなという認識です。(僕の世代はもう同化して、方言の認識でいいと思います)そもそもの単語が違いすぎて…また一例として出しますが、疲れた、面倒だという意味で「ばーど」という言葉があります。
@@Kein_Gezidus沖縄本島中部出身です私達も、嫌なことを「ばっど」と表現します!英語の「Bad」から来ていると思ってましたが、もしかすると琉球諸語(or北琉球諸語)の表現方法だったりするかもですね〜
詳しく説明してくださって、本当にありがたいんです。私の出身はインドネシアです、生まれから今までジャワ島のスマラン市の住んだり人です。インドネシア語はよく使われたことはそうですが、地元のジャワ語がインドネシア語と混ぜられて新しい方言が作っていました。ジャワ語の使う人はジャワ島にブツブツに広がったので、毎都市には別々な方言があります、スイスとドイツの状態みたいもあります。言語学はずっと面白いと思っています。
分かりやすくて面白い!日本語と中国語も、漢字が共通するからなんとなく何言いたいかは分かるけど全く違う言語ですね。オランダとドイツもそんな感じなのかな。
言語グループで考えたら中国語(普通語)と日本語は全く違う言語ですが、オランダ語とドイツは同じゲルマン語族に属します。なのでオランダ語とドイツ語の関係は中国の普通語と広東語の関係のようなものだと思います。「語族 地図」で調べると色々と分かります。
日本語と中国語の差は(借用語を排除して考えれば)英語とアラビア語ぐらいの差ですが、ドイツ語とオランダ語の差はせいぜい仙台弁と茨城弁ぐらい(それでも会話に支障をきたす)の差ですかね~
上海で会ったバーのチーママや女給さん達は「わたし安徽省のどこそこ出身、わたし湖北省のどこそこ出身、山ひとつ超えたら言葉通じない」と言ってました。グラデーションというかモザイクですね。結局インドみたいに共通言語でコミュニケーションするしかない模様です。仕事で会ったオランダ人は「まあ確かにお互い近い言語かも知れないけど、俺はドイツ人の彼女と同棲してても会話は英語だよ」スエーデン人は「ああ、スエーデン人だったら特に習わなくてもドイツに2週間も住めば現地人が喋ってる内容が分かるようになる」とも言ってました。私は広東語と北京語は方言どころじゃない別の言葉だと思います。本日も実に興味深い講義有難うございました。
「中国語」の意味を広義的に取れば、実は複数の言語で構成された、いわゆるシナ語派に属する言語(呉語、官話、広東語など)の総称です。広東語話者と官話話者との意思疎通は基本的に不可能ですので、学術的に言えば方言関係ではなく、親戚関係を持つ別言語として認識すべきです。
中華皇帝の天命思想に変わる支配の正当性を得る為の方便なんでしょうね
ちょっと離れると言葉が通じない、隣村ではうちの村とは違う言語で話している、こういう状況が、植民地の住民が団結して独立運動を起こそうとしたときに、共通言語としていやでも宗主国の言語を使わざるを得なかった事情なんですよね。
今でもそうなのですね、実際の日常生活の中で。 中国共産党の全国大会で演説しも、あそこに並んでいるお偉いさんはほとんど演説を聞いても意味判らないそうです。 なので、手元に配布されている冊子を読むと「漢字」で書いてある。 同じことが書いてあるので、それを「読んで」理解するという話が、生活の中でもそうだという事で、いまだに「科挙」のシステムが有効不可欠なことが判りました。 だからこそ、漢字が読めないと通用しないし、漢字が読み書きできれば発音(当時は直接の発音は伝わる機器がない、今でもなの?)奈良時代に遣唐使やらでの空海、最澄がエリートとしても通用する。 漢字の読みが違うという事で、日本語でいえばカタカナ的な発音と、漢字そのものの意味との合わせ技での読みと文章の理解としての漢字の正しい理解という意味で四書五経が唯一の教科書としての「科挙」だから全国的にあの大陸での統治をおこなうに「読み書きできる人」しかし、しゃべっても通じない、「会話とは、書いて、読んでもらって、相互で理解する」 だとすると国民のほとんどが文盲に等しいというのはどうしても、同郷人だけが同胞ですね。
グラデーションのどこに腰を据えて標準・共通語とするかっていう視点もありますよね。日本でもかつては近畿を中央に栄えてそこがスタンダードであったと想像しますが、江戸を経た現代では(政治的に)東京の言葉をベースに日本標準(共通)語が整備されていますよね。昔は東国の言葉と言われていたけれど今は関西弁と立場が逆転しています。
意思疎通で行くと、東北の人が何喋ってるのかわからないです。沖縄だけを別言語とする理由が意思疎通ならば東北や南九州だって怪しいです。
おっさんとギャルの意思疎通でさえ危うい。
17:02 インドネシアが旧オランダ領でマレーシアが旧イギリス領ってこと考えるとマレーシア語のほうが英語からの借用が多そうな気がして調べたけどよくわからん
個人的にはオランダ語はドイツ語の格変化が全てなくなってるから同じ言語とは呼べないな。
良く分析された素敵な動画だと思います。
ドイツ語ちょっとできるけどスイスの駅のアナウンスとか普通に聞き取れるし、わからないのはやはり日常会話とかですね。東西ドイツの話で行くとFührerschein(免許証)をFahrerlaubnisと呼んでいたというのは有名な話だと思います。それ以外にも意図的に改変された単語、違う形で導入された単語などで統一後東から来た人だということがすぐにわかってしまったようです。青森弁の人が田舎者扱いされたのと同じ感覚だと思います。
沖縄島の者ですが。。我々にとっては奄美語は何とか理解できるが、宮古語、八重山語、与那国語はほとんど理解出来ません。
ユネスコは全部「言語」として扱ってますし、言語学でも「琉球“諸”語」という呼称が定着してますね。
八重山出身ですが宮古の言葉はさっぱりわからない😓『ようこそ』でも沖縄本島では、めんそーれー八重山では、おーりとーり全く違いますもんね💦こんなに近いのに、それぞれの島でこんなに違うのが面白いです
@@aagtgdpzwmdgjw それぞれの言語が長期間隔離されたからでしょうね。奄美の方から聞いたんですが、琉球文化圏はグラデーションで繋がっていて、言葉は通じなくても空気感で感情が伝わると。。
宮古の方言聞いたけどまじでやばかった。ウチらの知ってるうちなーぐちじゃないあれは。
@@ryukyu1180これは言い得て妙
青森県=津軽弁に思われがちですが、津軽地方=津軽弁、南部地方=南部弁、下北地方=下北弁(ただし地域的には南部地方)に分けられてますね。際立つのが旧藩境でキッパリと分かれること、そしてお互いほぼ通じないってことですかね。津軽弁は秋田弁?の方が通じますし、南部弁は旧南部藩であればある程度は伝わりますので、言語を学ぶには歴史や地理を深く理解する必要があるなぁ、、って痛感してました。
沖縄の中でも、沖縄本島、宮古島、八重山、与那国では同じ意味でも全く違う単語だったりします。例えば、「美しい」という言葉は本島の言葉だと「ちゅらさん」、宮古島だと「あぱらぎぃ」、八重山だと「あっぱりしゃん」というようです。これらの違いは本島の言葉を標準語として、他のものは琉球語の方言という認識でよろしいのでしょうか。
最近の言語学やユネスコのリストだと、それぞれ別言語とするのが一般的ですが、だからといってそれが“正しい見方”だとは断言できないよねというのがこの動画の趣旨です。なお、標準語がなくても「本島の沖縄語、宮古語、八重山語、、、は、(総称としての)琉球語の方言である」のように言うことは可能だと思います。
日本も明治時代まで 標準語が確立するまでは、地方ごとに日本語が全く通じない時代が長くあったと思う日本人女性初めての留学生 大山捨松と大山巌 はフランス語や英語で会話をしていた夫婦であったそう。日本語の下手な会津出身の捨松と薩摩弁の巌らでは、日本語があまりにもかけ離れていたそうです。その国の言語の統一と、近代国家への国の統一には、言語が需要ですね。
江戸期まででも「会話は通じなくても書面は通じる」(=この動画内で言う「標準語がある」)ってラインは保たれていたのかな?とは思いますが…各藩の侍が集合すると「書面を読み上げる形式」で会話する、っていう時代劇で見た光景が本当にあったのかは知らんけど、それでは日常生活は送れないってことですね(笑)近代的教育には標準語の整備が欠かせないのは同意です。
「相互に通じなければ別言語と見做せ」と言ってしまったら、津軽弁も薩摩弁も日本語ではなくなってしまいますよね😅逆にヨーロッパ人から日本を見ると、標準語と出身地方言を操る日本人はバイリンガルだとよく言われますよね。結局、母語話者たちがどう思っているのか、つまりアイデンティティが最大の閾なのだと私は思っています。
イングランドなんかもそうですよね。一つの国の一つの地域なのに、多彩な英語方言があって、だいたいの人はRP(標準語みたいな)を理解できるから、RP風で話せばどの地域の人も理解はできるけど、それぞれ地元の感じで話すと理解できなくなることはよくあります。イギリスのドラマやコメディだと、イギリス人同士英語同士なのに言葉が通じないなんてシチュエーションがよくネタにされます。地域ごとに発音の訛りはあっても全土でだいたい意思疎通が問題ないアメリカとは対照的。
福沢諭吉が蘭学のレベルを試すために一念発起して、横浜に来た外国人へオランダ語で話しかけ撃沈し続けた際に、話を理解してオランダ語が世界的にマイナーな言語であることを福沢へ伝えたドイツ人の逸話を思い出しました。当時は、「たまたま多言語を習得しているドイツ人と出会ったのかな。」とイメージしていたのですが、其処まで確実性の低い話では無かったのですね。
言語や方言についての話を、非常に興味深く聞きました。津軽弁は日本の方言ですが、スイスドイツ語はいわゆるドイツ方言のスイス弁、と考えてもよいかと思います。スイス人と結婚してスイスに住んでいる日本女性の話では、自宅へ来た配達の人が自分の夫と話す時にはスイスドイツ語を話し、自分と話す時にはドイツ語を話す、と言っていたことを思い出しました。おそらく外国人にはスイスドイツ語を話しても解からないだろう、という気持ちがあったのでしょう。物事の判断にはいろいろな可能性があるので、「~ すべきだ」と決めつけない方が良いか、と思います。思い込みは、他の見方を消していく様な気がします。
そういやスイスってメジャーな言語(方言でなく)が4つだとか5つだとか聞いたことがある。いわゆるスイスドイツ語、フランス語(これもひょっとするとスイスフランス語?)、ロマンス語、イタリア語、そして英語だとか。本当だろうか?
正確にいえば、ロマンス語(ロマンシュ語)、スイスドイツ語、フランス語、イタリア語が国語として公認されており、英語は他言語話者との会話に必須、だとか。
モンゴル語と満州語の違いはどっちレベルですか⁇😮
大陸なのと遊牧民族は記録を残さないので複雑怪奇
似た言語があったとき、その類似点が共通祖語に依るものなのか言語接触に依るものなのか って素人には判断が難しいですよね。だから、できるだけ科学的な見解によって分類されてほしいと思いますし、"標準語"もその言語の方言の一つに過ぎないという認識が広まってほしいなぁと思います。(基本的に様々な方言が先にあって、そのうち1つの方言を基に、後から"標準語"が作られているケースがほとんどなので)単語だけを比べて同じ言語と見なされたり、力関係によって、一方は正規の言葉でもう一方は訛りだ といった優劣をつけられるのは悲しい。
私の印象ですが,北朝鮮と韓国は,名称は違ってもお互いを違う言語と認識してるようには感じないです。例えば,英訳はどちらもKoreanを使ってるイメージでしょうし。もちろん,方言レベルの違いはたくさんあるでしょうけど。これは,まさに後半に出てくるアイデンティティ,この場合は共通民族と認識してる部分があるからに感じますね。だからもし違う民族とのアイデンティティを持っていれば,違う言語になるんでしょうね。
これは確かにそうですね。
内容には概ね同意ですが、件のオランダ語・標準ドイツ語・スイスドイツ語の話に関していうと、これらは全体で方言連続体をなしていて、低地ドイツ語にも「ドイツ語」の名がつくことを考えると、多分にイデオロギー的側面によるものではないかと思います。
@@aiglon-bq5nz本篇の4章で話されているような話を指しています。本篇では比較言語学的な基準も理由に挙げられていましたが、他のドイツ語の姉妹言語の取り扱いを考えると、特に政治的な問題や思想・アイデンティティなどの違いによるところが大きいのではないか?という話でした。
奄美語と沖縄語は、国頭語で繋がってると理解していいんでしょうか?
奄美出身です。両親の夫婦喧嘩の内容が一切理解できないです。英語の方がまだ理解できるレベル。
ぬーち?
@@cpurpureus お、懐かしい笑そのレベルは理解できてました笑
国境・政治・アイデンティティの影響普通にあるでしょ、と思ったらすごく丁寧に解説されてて嬉しかった。方言連続体の考え方、輪状種のカモメみたいで面白いね。
インドネシア語を中の下レベルで話す者です マレー語とは初心者では同じような感じで、マレーに行ってもインドネシア語のままで旅行くらいならいける国ですが、単語が違うので面白い事が起こるってくらいならいいんですけど・・ネイティブレベルになると似ているが故に「英語で話す」と言っていました なので、スイスジャーマンとジャーマンとで差があるのと同じ感じだと思います 同じ単語なのにインドネシアとマレーとで違って居たり、文法上通じるけど違う意味だったり、かなり面倒です インドネシア語は、英語もそうですが、フィリピン経由でのスペイン語由来の単語も多いです 沖縄の言葉とも同じ単語があって地理や昔の交流などを感じます 面白いですよ例:Sendok インドネシア語:スプーン マレー語:しゃもじ Kamar kecil :トイレ :(原文直訳のまま)小さな部屋
本土方言と琉球方言は祖語がおなじでイタリア語とフランス語くらい離れてる(もとは今使われてないラテン語が祖語)
実際の世界でも韓国で話されてるのは「韓国語」であり、北朝鮮で話されてるのは「朝鮮語」と区分される場合もありますからね。やはり国境や政治的主張も大きく影響を与えてそうです。
韓国語という言葉はNHKが作りました。
パキスタンの人が日本のアニメのヒンディー語吹き替えのことを「ウルドゥー語版」と呼んでいたので、「それはインド製作だしヒンディー語版だよね」と指摘したら「ウルドゥー語だ!」と怒られたことがあって、言語の線引きと政治性について考えさせられたことがありました
理屈っぽくて面白いなあ!おすすめの本はありますか?
論理的といいなはれ
「お、ドイツ語シリーズか?ん、35分か、長いな」と思いながら見始めたのですが、吸い込まれるように見・聞き続けてしまいました。解説をしながらも、「絶対はないんだよ」とぐるぐる回るところが、わかりにくいのではなく、むしろ聞き手の納得性を高めてくれました。(マルタ語の本に興奮するマニアックさもよかったです。)
方言なのか言語なのか、政治的意図が大きいですね〜主人の出身地がオランダ、ベルギー、ドイツの三国が接する所です。いわゆるリプアーリー語なんですがなんかオランダ語?ドイツ語?本当に中間なんです。標準ドイツ語と標準オランダ語ではありません。国境で分かれていますがリプアーリ語話者なんで問題なく会話してます。オランダはドイツ語は公用語と認めていません。(特にヒットラーがオランダ語はドイツ語の方便だから政治的にも併合すべきだ、と言ったとか言わないとか)ベルギーはドイツ語地域(戦後ベルギーに併合された)で公用語として認めています。まあベルギーは言語対策が難航しているようで、、、言語を政治的にどう捉えるのか、お国によって違うんですね。
ウクライナ戦争の開戦時あたりに、ウクライナ語とロシア語は方言なのか別言語なのかが話題になってたな。
パラレルワールド複数日本語説、面白そうですね。仮に東日本、西日本で分離したら東京方言ベースの日本語、京都方言ベースの日本語がそれぞれ「自分たちの言語が歴史的にも正当な日本語だ」と主張することになりそう。
高校のときの国語の先生によると、奄美沖縄は古代の日本語(古文)が残ってるだけって解説してましたね。だから、ちゃんと古文をやるとわかるようになるんだよっていうことなんだそうですがイマイチピントこないですけど。
沖縄、琉球諸語を分解すると、なるほど奈良時代の人はこういう言い方してたのかと想像できます。実際の当時の言葉がわからないから想像、類推しかできませんが
方言には奈良時代の言葉も残されていて面白い
中国だと、言語学的には普通話と六代方言はドイツ語と英語ぐらい距離があったりして、実際香港人には広東語は普通話とは別言語だってのがアイデンティティだし対岸の深圳や広州でも広東語の地位が高いこともあってアイデンティティ意識が強いけど、内陸の湘語系等の言葉は普通話の圧力が強くて弱い。
上海区内の上海人の上海語のアイデンティティもすごいで。
東北三省の「東北人」「東北語」アイデンティティもすごいよ。少数民族がそこそこ多いからなのか、漢族は漢族で入植者が多いからなのか、とにかく「東北」であることにこだわる。とくに満族出身者はすごい。
初めのエピソードの「私はXX地方のドイツ語は判るがYY地方のドイツ語は判らない」の話の「判らない」は曲者では?吉田茂は、乗っていた車が 交通整理をしていた米兵(MP)に止められて、ちょっと面倒なことになったことがあって、その後GHQから、「首相の車ならそう言ってください」といわれて、米兵が話す言葉が「判らなかった」と言ったという逸話があります。50年以上前の私の子供の頃は、大阪の芸人が東京のTVに出ると、東京の芸人が、「ナニ言ってんだかわかんねーんだよ」と絡むのが定番であったし、ちょっと前迄は、フランスでフランス人に英語で話しかけたら「判らない」と返事されるものであったし、私自身の経験では、ポルトガルの格式の高いホテルで従業員にスペイン語で話しかけたら「判らない」と云われたこともあります。(私が、「判らない」といわれても、言い回しを変えながらスペイン語で話しつづけたら、彼は、やがて、私の質問に対し英語で返答するようになりました。その人以外のポルトガル人とは、大体、私がスペイン語を話して相手がポルトガル語を話して、なんとか通じる、ということが普通でした。ペルー人とブラジル人も普段そんな感じで会話しています。)
日本語(日琉語族)が独立した語族であることについてなんでもいいんで話してくれませんか?あと、日琉語族や朝鮮語が独立した語族であるということは、日中韓の言語間の関係はドイツ-英語-アイスランドの関係よりも遠いということだと思いますが、なぜこんなにも東アジアの言語はこんなにも違いが明瞭だと思いますか?
だいぶ地雷原なので生半可な認識で喋りたくないんですよねえとりあえずコメントでお答えしてみます。他にも存在していたであろう兄弟が消えてしまったから、と理解するのが良いかと思います。たくさんある印欧語のうち、ヒンディー語とフランス語と英語だけが生き残った(他の言語は文献すら消え果てた)世界線で、その3言語だけを見て系統関係を示せるだろうか?類似性が借用や接触によるものだけではないと言えるだろうか?日琉語族と朝鮮語が置かれているのはそういう状況だと思います(系統関係があるならの話ですが)。ちなみに、「日琉語族と朝鮮語はそれぞれ独立した語族であり互いに系統関係はない」ということが立証されたわけではなく、「少なくとも接触があったことは確かだが、系統関係があるという合意を得るに足りる証拠は今のところない」というような状況です。
@@Gengo_No_Heya 返信ありがとうございます。
モルドバの公用語は政治的󠄁理由でルーマニア語と別言語、同言語と行き来しましたね
複雑な問題でありながら、話の整理のされ方が素晴らしいと思いました! ありがとうございます!マレー語→マレーシア語/インドネシア語 については、もう少し事情が複雑かなと思います。もともとはマレー半島で話されていた言語が、商業で広く用いられる地域共通語になり、オランダ領東インドでも公的に使われた、一方でインドネシアで最も話者が多いのはジャワ語だが、待遇表現(いわゆる敬語)が複雑だったり、国としてのまとまりを持つために、オランダ領時代からの延長で、ジャワ語の要素を入れたりしながらできたのがインドネシア語。広い意味では「方言差」でしょうが、旧ユーゴ内の地域的な方言差などとはやや背景が違うように思われます。韓国語/朝鮮語 についても、地域方言差というよりは、用語の用法の違いではないかと。本人たちは、「韓国」も「朝鮮」も半島全体を指すものと思っているのではと思います。あとちなみに、DeutschとDutchって、語源同じですよね? だから何という感じですが。
最初に取り上げられている元コメント見てきたけど、全然話通じない感じの人だった...
2-3割理解できるだけで方言とみなしてよい、って暴論すぎますもんね笑
近い関係にある場合は結局政治的に決めるしかないですねただ、比較言語学によれば琉球諸語と言われる部分で日本語と分けられるわけですがこれって、沖縄のアイデンティティによって奄美のアイデンティティが否定される(またはその逆)みたいな可能性もありますね(奄美のアイデンティティが実際どっちよりであるという話をしたいわけではないですが)仮に奄美の言葉が日本語に所属するアイデンティティを持っていたとしたら、琉球諸語を日本語と別に分けることが困難になってしまう沖縄本島の言葉と奄美の言葉で分割しようとすると、今度はそれらより遠い関係にある宮古の言葉は琉球諸語に入れられないことになっていまう。。。場合によっては兄弟を切り離していとこを取り込むという分割方法も必要なんでしょうね言語と方言について語るときは毎回「ここではこう定義して話します」ってことわるしかないかな
このチャンネル好きなのでこれからも更新楽しみにしてます♪
既に共通語と化した?「うざい」と、その元となった多摩弁の「うざったい」はニュアンスが違う。そうした例は無数にある筈。「はんなり」とかもおそらくそう。
本当の「うざったい」はキノコなどが密集してウジャウジャ生えているようなさまを表すんでしたっけ。
「ほっこり」もそうですね。
鹿児島に青森から嫁いできた人がいるけど。言葉のイントネーションが似てるから結構わかると言ってたよ。
ケンミンショーでやってたやつだ笑
鹿児島県民ですけど、テレビで青森弁を聞くと一瞬「鹿児島弁かな?」と思うことがよくあります。
通じるけど別の言語、通じないけど方言が両立してるのって納得できる人の方が少ない状況ですね
この動画でこれだけ丁寧に色々と説明してくれているのにその呪縛から抜け出せないコメが散見してるのが面白い
30年ほど前は経験できたことですが、日本本土でも隣の県のお年寄りと話すと驚くほど話が理解できない事があったなんて知らない人も多いのしょう。本来の方言の話者がいなくなってそんな経験をする機会も失われているのですね。残念なことです
@@bridgesRB 年寄と若者がなまりが強くて通じない最後の世代かもしれないね
@@ManamoYouko方言連続体による説明と政治による分割という二重のクライテリアの両立が門外漢からすると不健康に見えるということです
初めまして。第3章を聞いて、ポルトガル語スペインのガリシア語が、まったく同じ関係ですね。ポルトガル語をスペイン語の文字規則で書いた言語がガリシア語であり、両者が同じ国だったら別の言語になっていないはずです。話し言葉としては、むしろブラジルとポルトガルの方が差の方が大きいと言われますが、それでもガリシア語はポルトガル語とは呼ばれず、ブラジルの言葉は(ブラジル語と呼ばれることもなくはないですが)通常はポルトガル語とされますね。
国語学を大昔に修めたので、大変興味深かったです。まあ、その「国語」とは何か、を持ち出すと更にカオスになるのでやめましょう。(笑そして、とてもとても分かりやすかったです。ヲタク語りの時に語る速度が速くなるところも好感が持てました。結論が「よくわからない」、良いですね。これは再生しながら酒が進みます。
若いころ時間はあったけど金はなかったので、東京から京都まで東海道線を各駅停車で行ったことがありました。各駅で止まる度に乗って来る人たちの会話の訛りが徐々に変化してくのがはっきりわかって、連続性がとても面白かったです。
軽いノリで動画見たらメッチャ内容濃かった🥺最後まで聞き入ってしまいました🥺
面白い話をありがとうございます。「ひとつの言語」というテーマについて納得のいく話でした。ちょっと違う視点からの疑問として以下が浮かびました。「何らかのできるだけ客観的な基準で、『言語および方言』を分類することを考える。この時、できるだけ粒度の細かい基準で分類するというようなことは考えられているか。もしそのようなものがあったとして、それはどのようなものになるのか」しかし、このチャンネルも登録者3万人越えですか(時宜の外れたコメントで申し訳ありません)最初に見た時に比べて(多分アラビア語のあたり)ものすごく増えていて驚きます。すばらしいですね
やばいめっちゃ楽しいです!好奇心が満たされつつ刺激されました!大学院でイスラム法について1セメスター分勉強してたのですが、アラブ諸国はコーランとかをもとに法律を作ってる的なことがあって、そうすると法律レベルで使う文言なども各国で共通しちゃって(方言はあれど)似た言語圏になっているのかなと想像しました
旧東ドイツのさもないパンフレットを西ドイツ出身の人に見せたら、東ドイツっぽい言い回しをしているなぁといってました。どう違うんですかって聞いたら、それは言葉には言い表せないけどって言ってました。不謹慎ですが、もし東西が別れたまま100年過ぎたら、イデオロギーも踏まえて別言語になっていたのでしょうね。
何時も明解な解説ありがとうございます。方言でいう「なまる」ことと、同じ事象に別語源の単語があたるあたりも興味があります。それと、そもそもというレベルで文字の歴史と言語の歴史のずれ、特に古い時代の話の整理をお願いします。
面白くて全部聞いちゃった。知性が溢れ出す人の話は興味深い
大学時代にセルビア・クロアチア語入門の講義を受けてました。ラテン文字の方が取っつきやすいだろうということでクロアチア語のテキストを使っていましたが、アシスタントはセルビア人留学生でした。今振り替えると本人も思うところはあったでしょうし、先生(日本人)も裏では気を遣ったりしてたのかなと考えてしまいますね。
シーボルトが日本に来たときに、流石に日本側のオランダ通信使も「あいつ、おかしくね?」って気づいたそうですが「いや、あいつ山の方の出身で、方言がきついんですよ」っといわれて、「方言って言われりゃ、そうかな?」と妙に納得されて、うまくすり抜けたというの聞いたことがあります。ドイツ=Hoch Lands オランダ=Netherlands なので、まあ、嘘は言ってないのかな?お話で行くと「方言」では無いわけですが
お話で行くと「方言」では無い↑オランダでは標準ドイツ語が通用せず別の標準語があるから「一般的に方言とはみなされない」というだけで、「方言ではない」という話ではないです。それどころか、「方言ではない」かどうかを断じることはできないというのがこの動画の趣旨です。
26:06 アラビア語圏の西の端はモロッコではなくアラビア語ハッサニア方言を話すモーリタニアですよ。モロッコ方言の存在感が大きくてモーリタニアが弱小なのでしょうがないですが。揚げ足とりでした。
イベリア半島が割とこんな感じでカタルーニャ語がスペイン語とは同じ言語を祖とする別言語とされるけれども、カタルーニャがもっと弱ければスペイン語の方言扱いされてたのかもしれないよね…とか・カタルーニャ語バレアレス諸島方言は方言なのに、バレンシア語が「カタルーニャ語バレンシア州方言」ではないのはどこに境目があるのか?って言われたらスペインという国の中でバレアレス諸島州はそれほど強くないけどバレンシア州はそこそこの地位があるからだよね…とかガリシア語が「ポルトガル語のガリシア方言」では無いのはスペイン国境の内側にあるからという理由が大きいよね…とか
ルーマニア人とイタリア人がお互い母語で話してましたねえ。スペイン語、ポルトガル語ならよく聞く話ですが、
北ゲルマン語群、とくに2つの標準語が併存するノルウェー語が気になっています。ニーノシュクとブークモールとデンマーク語でどれが「仲間はずれ(いとこ)」かというとニーノシュクになりそうです。だとすると、ニーノシュクとブークモールを同じノルウェー語の方言とは言い難い気がします。(たぶんにアイデンティティの問題だと思いますが)
とつも分かりやすい解説、ありがとうございます。科学的考察と社会的考察の間を行くところが、良いですねー、cleverで。🎉🎉🎉
ちなみに日本の言語教育について。基本的に日本の先生は共通語を喋れと矯正されているわけではないので、関西の先生は思い切り関西弁で授業します。小学校でも方言は取り扱いはしますが、もっぱらコラム的な感じなので子供たちに方言が定着することはありません。ちなみに北海道では「総合的な学習の時間」でアイヌ語を取り上げることがあるそうですが、やはりこれもあくまで地域教育の一環です。
通りすがりの者です。言葉のミニ講義「日本にはいくつ言語があるか?」-TH-camで見られます。ユネスコは言語と方言を区別してませんね。そういうことも調べてみるとさらに興味が湧いてきます。
こんな論理的に分かりやすくよく知らないジャンルの話聞けて感動しました
イデオロギーで言語が分けられるって聞いて、ルーマニア語とモルドバ語を思い浮かべました。
チェコスロバキア語が、分離後にチェコ語、スロバキア語になったのも、この感じに近いですね。
北京では香港映画は吹替え版を見るのを知られることが、日中🇯🇵🇨🇳の理解につながると思います。多数の言語が使われている国があることが知られれば、他国が一枚岩でないことの理解にもつながると思います😊
知り合いの韓国人曰く、「北朝鮮のアナウンサーが話している言葉ですら、理解が難しいときがある。使われている語彙や、イントネーションのクセが強い。あと、北の方がキムチは辛い」らしいです。言語の相互理解性って、社会制度や生活様式もかなり関係しくるみたいですね。
嘘くさい話ですね。北朝鮮は普通の漬物がメインでいわゆるキムチはあんま食べないです。唐辛子は寒い地域での栽培が難しいので。そもそも北朝鮮のキムチどこで食べたんでしょう?
↑私のコメントが不快に感じられたら、ここでお詫びします🙇実は、「知り合いの韓国人」は私の父親なんです。私自身、韓国語がまったく話せないので、昔父から聞いた内容を思い出しながらコメントしました。 なので、もしかしたら思い出補正or誇張があったかもしれません🙏
@@橘涵 そうだったんですね。うちの親も言うこと全く当てにならないです。非常に納得しました。不快に思ったりはしてないので謝罪されなくて大丈夫です。ちなみにお父さんは韓国育ちの方ですか?それとも在日系の方でしょうか?
いや、キムチめっちゃ食べてるぞ、北朝鮮。過去にキムチ用白菜不足がニュースになるくらい。
ちなみに在日の言語は南の本国の人からしたらウザいらしいです。言語というものは短期間でどんどん変化するものだなと思いました。
マルタ語アラビア語風?の発音がアルファベットで表記されてるっぽくて面白そう
マルタ語はアラビア語の口語の一種ですからねえ
アラビア語の世界は、地理的にとても広いのに、読み書き語(「文語」と呼んでいいのかな?)は統一を保っているという話、《 イスラム教では、コーランを読めることが人間である必須条件 》という話があるので、そのせいでは?だとしたら、マルタ語は、今後、アラビア語からどんどん離れていって独立した言語となるかもしれない。広いラテンアメリカ世界で使われているスペイン語は、方言の広がりは、幾分あるもの(例えば、México と Perú で言葉を学んだ私は、アルゼンチンのスペイン語はちょっと違うなと感じます)、その違いが 今後 どんどん広がってゆくかというと、そういう感じはなくて、寧ろ収束の方向にあるように感じます。その理由は、第1に、米国カリフォルニア州で作られるスペイン語の映画やドラマを見ている人が多いこと、そして、Internet の時代になって、米国 CNN のスペイン語版コンテンツを見ている人が多いこと。これらによって、南北アメリカ大陸のスペイン語話者は、米国スペイン語に収斂してゆく傾向にあるのではないかと思います。とはいうのもの、スペインで、欧州統合を進める為に スペイン語からスペイン語独特の Ñ ñ を無くそうという話が上がった時、ラテンアメリカ諸国から猛烈な反対があって、取りやめになったことがあります。南北アメリカ大陸スペイン語が、スペインのスペイン語から離れて独立したものとして変化しているというものでもないように思います。
言葉の均一化はネット社会でどんどん進むでしょうね。卑近な例だと関西弁もどんどん共通語化が進行している。成人後活動領域が増えるから捨てると言うのではなく子供の段階から友人同士で共通語を使用する現象も見られる。(TH-cam の影響大)文法や語彙も共通語の干渉が強く、上の世代でメジャーな表現が通じない事も少なくない。
国境などの政治的要因を含まない、言語の差異を数値化出来れば面白いと思いました。
最近、ネパール語に興味を持ってきたところだったので、大変興味深く聴講しました。ありがとうございます。
屋久島の尾之間温泉♨️の共同浴場行ったら地元民の会話 解読不能😅
ケンミンSHOWの方言回が好き〜
津軽弁と宮崎弁は似ているとケンミンショーでやってました。東京弁しか喋れない私はどっちもちんぷんかんぷんなのですが、最近は古代の日本人(それこそ縄文人とか)が操っていた言葉が方言として残っているのではないかと思うようになっています。カタカムナの50音一字に意味が込められているそうなので、方言の一字の意味と照らし合わせたら合致するのか興味があります。検証結果次第ではカタカムナが日本で最古の文字というのも信憑性が高まりそうです。
周縁に古い語が残ってるとか東北と九州で方言が似てるというのは、「そういう部分だけを切り抜いて見ればそう見える」というだけの話ですし、またその中には、「古形を双方が保存している」場合のほか、「双方でたまたま同じ変化が起きた」だけの場合もあります。あとカタカムナですが、はっきり言ってオカルトの域を出るものではありません。
@@Gengo_No_Heya 方言周圏論否定派ですか?個人的には音韻音声を含めればだいたい合ってると思います。
@@nurechin 項目ごとに見れば該当する例が少なからずあるというのは分かりますが、一般化できるものでは決してないと思います。下記推薦図書では、「かたつむり」の分布図から同心円を見て取るには、柳田のようによほどの才能が必要なのだ。(p.169)と皮肉たっぷりに、カタツムリの例さえ同心円を描いていないことを定量的に指摘しています。推薦図書→大西拓一郎 (2016)『ことばの地理学: 方言はなぜそこにあるのか』大修館書店. ※ちょうど私が読んでいたタイミングでゆる言語学ラジオで紹介されていた
@@Gengo_No_Heya 語彙だけでは謎理論に見えますがズーズー弁基層言語説を生物学的な目で見るとそれらの地方は縄文人由来のDNAを持つ人が多いという共通点が見られ、根拠の一つとして考えられると思います。なんで生物学と思うかもしれませんが他分野と連携がある学問は発展しやすいものです。
それと周圏論って関係ないですよね?
うちの会社に居る中国人の二人が、二人で会話する時も日本語なので、「周りの日本人にも分かるように気を使ってくれてるんだな」と思ってたけど、本人に聞くと、「自分は北京語で相手が上海語なので、日本語でないと会話が出来ない」て言ってたな。
京都のシェアハウスで、いろんな国の出身者がいて共通語が日本語、それも関西弁だとか😊
台湾の或る山奥の地域で、隣の村の人と話すときは日本語で話す、そうでないと通じない、そんな地域があるそうです。
@@烏丸天狗見習い 面白いw
あー!台湾人のお兄ちゃんと上海人のお兄ちゃんが日本語になってたのそういうことかー!!
知り合いのインド人もインド人同士、日本語で話してたから「何で?」って聞いたら、英語は細かいニュアンスが伝わらないし、ヒンディー語は面倒くさいって言ってて...へぇー😅って驚いた😳
なるほど、私の長年の疑問を解かしてくれる分かり易い良い講義でした、
ありがとう
丁寧に説明してくださって、ありがとうございます。
私は香港生まれ、ずっと「広東語」が方言じゃなくてちゃんとした言語だと日本人の友達に伝えていますが、迷ったこともあります。
この動画を拝見し、「そもそも方言かどうかの基準がややこしくて、標準がない」ということが分かって、少し安心しました。
(日本語がおかしかったらすみません。翻訳なしで書いていますので多少ミスを犯したかなと思います。)
ぜんぜんおかしくありませんよ。生来の日本人が書いたと言っても違和感がありません。
日本で「方言」というと、中国語でいう「口音」レベルの違いで認識されるので、
「別言語レベルに違う」ということは補足しないと分かってもらいずらいですよね。
政治的では方言あつかいなんだけど言語学では別の言語だってききました
perfectus laponicus😄
別言語です。方言といっているのは政治上だけなので学問上はれっきとした別言語です。
本土方言と琉球方言に日本語は大別されるって昔大学で習いました。沖縄の言葉を方言とするか一言語とするかは学派学閥によるのかな。
今は国際的・学術的には別言語とする人が多いように思いますね。10年前にはそうだったと思います。
興味深いお話をありがとうございます。欧州に住んでるのでお話の様な場面に良く遭遇します。スカンジナビア半島三国の知人に混じって話をしてて、それぞれが自分の国の言語で話してても、ゆっくり話せばそのまま会話が成立するよ(笑)、と言われたり。マレー人の友人の奥さんが中国系だけど、インドネシア人の友人とは普通に別の言葉(マレー語・インドネシア語)で会話したりとかです。その仕掛けが今理解できました。又面白いのはオランダ人のは結構「ドイツ語聞いてて何となくわかる」と言うけど逆の例は珍しい。ドイツ人はオランダ語はドイツ語の訛った成れの果てと言う意識があるからだ、と指摘するオランダ人は居る。
大阪大学外国語学部のもととなった学校出身です。
ありがとうございました!!
とても興味深く拝聴しました!!
17:03 英語からの借用が多いのはマレーシアの方だと思います(元イギリス植民地)
インドネシアはオランダ語から借用ですね
15:33 クロアチアとセルビアの間で生じている対立は、宗教的理由による影響が大きかったから(勿論その他もある)と認識しています。クロアチアはカトリック教会、セルビアは正教会というように勢力が綺麗に二分されています。私も専門家程詳しくないので、柴宜弘氏著の「ユーゴスラヴィア現代史 」を是非読んで頂きたいです。
動画の最初の方で紹介されたコメントのかたは、2010年刊行のユネスコの Atlas of the World's Languages in Danger (世界消滅危機言語地図) 第3版でされているような言語と方言の区別のしかたを聞きかじってそうした発言をされた可能性もあるように感じられます。動画の最初の方で「奄美語」の話もされているわけですし、そちらの説明もされた方がよかったように思いました。「奄美語」という名称はユネスコの第3版のこの地図の刊行から出てきたものですし。
いまちょっと暇なので、前記地図の記述を中心に、動画の補足説明を試みてみましょう。
スイス・ドイツ語は、同書における消滅危機言語としては、軽度の危機=「脆弱」状態にある独立言語「アレマン語 (Alemannic)」に属するものとして見なされます。アレマン語に関しては、いかなる目的や基準での位置づけかによって独立言語か方言かが変わり、いずれかに絶対的に固定できるものではありません。
まず、この地図での言語と方言の区別方法について見ておきましょう。
「言語」という用語は、政治的、地理的、歴史的、社会学的、文化的各要素が入り込んでくるせいで、実は言語学の専門用語とは言いがたいという指摘が、1998年刊行の J. K. Chambers ・ P. Trudgill 編 Dialectology (方言学) にあります。しかし前記のユネスコの地図では、消滅危機言語の認定に限れば、「言語」と「方言」という概念を、言語学以外の要素を排除して、純然たる言語学の専門用語として用いようとする志向性があるように見えます。当該地図の「ヨーロッパ及びコーカサス」の章の、「言語、方言、および言語の境界」の節の冒頭は、「相互理解性の概念は、言語と方言を区別するための主要な、あるいは唯一の言語学的基準としてしばしば言及される。」(p.33、原文英語)という文章から始まりますが、消滅危機言語における言語と方言の区別では、相互理解性に重点が置かれているよう見受けられます。
そうしている理由は明記されませんが、言語学と政治的理由など、違う原理のものを組み合わせた基準では必ず矛盾が生じること、例えばデンマーク・ノルウェー・スウェーデン各語が相互理解可能なのに政治的理由で別言語とされる一方、相互理解が不可能な中国語の7大方言が方言とされる類ですが、そうしたことを避けたり、国家主導の政治性から距離を取ろうとしていることなどが考えられるかもしれません。
ただし同書では、消滅危機とは関係無い国家語だと、言語学以外の基準が入った言語の認定のしかたもしています。例えば相互理解が可能なチェコ語とスロヴァキア語などを別言語とするなど。消滅危機言語地図作成という目的外のところで、論争になりそうな話を避けているのかもしれません。
さて、本書でアレマン語がなぜ独立言語とされるのかですが、相互理解性に基づく方言連続体を、比較的狭く取っているからです。
この地図のp.37の記述では、通俗的に「ドイツ語」と呼ばれる言語については次のように細分化されています。まず、テューリンゲン語、上ザクセン語、低地シレジア語から構成される言語をドイツ語とし、独立した「地域言語」として、低地ザクセン語、リンブルフ・リプアーリ語、モーゼル・フランケン語(ルクセンブルク語を含む)、ライン・フランケン語、東フランケン語、アレマン語、バイエルン語を認めています。また、フランスで話されるアルザス語がアレマン語の方言連続体の一部とされているのですが、スイス国内のアレマン語が消滅危機に無いのにこの言語が消滅危機言語に指定されているのは、アルザス語などスイス国外のアレマン語が危機的状態にあるからです。
上記のアルザス語の論法で行くと、仮にアレマン語をドイツ語の方言とした場合、アルザス語はドイツ語の方言連続体の一部だからドイツ語を消滅危機言語に認定するというような、おかしなことになりかねません。同書で方言連続体を狭く取る正確な理由は不明とはいえ、意図的にか結果的にか、アレマン語を消滅危機言語とすることによってアルザス語のような言葉を拾い上げるのに一役買っています。
ちなみに、この地図における日本国内の消滅危機言語としては、アイヌ語や沖縄語のほか、八丈語、奄美語、国頭語、宮古語、八重山語、与那国語が挙げられています。この地図の刊行以前から日本語と明確に別言語とされてきたものはアイヌ語で、沖縄語 (Okinawan) は琉球王国の言語だっただけあって明治時代から「琉球語」などの名称が見られますが、それ以外は、従来は日本語や琉球語の方言とされてきたものです。ユネスコでは相互理解性などに基づいて独立言語として扱いました。動画で言及される奄美語は、CiNii のようなポータルサイトで「奄美語」や「奄美方言」のワードで検索すれば分かりますが、「奄美語」という名称が論文のタイトルに現れるのは2010年のユネスコの当該地図刊行以後で、それ以前は専ら「奄美方言」という名称です。
動画の最初で紹介されているかたは、相互理解性に重点を置く方式やスイス・ドイツ語を含むアレマン語を独立言語とみなせることなどについて、部分的に聞きかじられている可能性があるように思いました。相互理解性を狭く取る方法からスイス・ドイツ語を標準ドイツ語と別の言語と見なすというのは、間違いではありませんが絶対的なものでもありません。
なお、相互理解性からオランダ語を「オランダドイツ語」と呼べるかについて。前掲 Dialectology で、方言連続体を広く取って、「ドイツ語、オランダ語、フラマン語と通常呼ばれるものの全ての方言」を「西ゲルマン方言連続体」(同書p.6、原文英語)としている通り、方言学的にドイツ語とオランダ語を方言の関係とすることは可能ではあります。そこで、オランダ語を、強いて言うなら日本語名称としては「オランダ・ゲルマン語」と呼べなくもないのですが、ただその場合、方言としてはドイツ語とオランダ語が同格で、どちらかが一方の方言になるわけでないという点や、この方言連続体にスイス・ドイツ語も含まれる点、また、こうした方式は方言研究などを目的とする場合などに限って意味を持つという点がおさえられている必要があります。消滅危機言語の認定とは、言語・方言の分類の際の目的も基準も違っているわけです。
余談ですが、次のリンクの動画の冒頭近くを聞いても、オランダ語とドイツ語だけでなく、同じく西ゲルマン語群に属する英語にもある程度の相互理解性があることが体感できます。
th-cam.com/video/ryVG5LHRMJ4/w-d-xo.html
おしまい
2024年7月6日(土)
同語族でも違う語派であれば違う言語とみなされるって事ですね。
「違う語派である」という判断をしている時点で、その前に「違う言語である」という判断をしていなければいけない、別の言い方をすれば、「違う言語とみなされているから、違う語派だという系統の設定が可能になっている」ので、仰る理解は、順序が逆というか、「そりゃそう」みたいな話だと思います。
15:13 以前スロベニアに訪れた際に、スロベニア人の友人がその場にいたセルビア人やクロアチア人と普通に現地語で会話をしていて、君達は何語で話してるの?と尋ねたところ、旧ユーゴの国々は基本的に同じスラブ語のファミリーだから方言ぐらいの違いしか無くて普通に会話できるのよって説明されたのを思い出しました。
スロベニアもいけるんだ、知らなかった
日本で例えると青森県民と鹿児島県民と大阪府民が会話してる感じですかね (?)
スラブ系の国は国名も似てて
とても面白いですよ
ユーゴ スラビア(南スラブ人の国)、
セルビア、スロベニア、スロヴァキア
ウーーン、お話を伺えば伺うほど、言語を巡る問題は、複雑で奥が深いですね。本来は、人間同士の単なる意思の疎通手段なので、もっと単純であってもいいように思えますが、人間同士、民族同士、そして国家同士の関係が絡んでいるからこそ、言語を巡る現象は、複雑な様相を呈するんでしょうね。これを研究課題にしたら、多分、一生かかっても、解明しきれないです。
「第二次子音推移」の有無がなぜ重要な線引きなのか、が疑問としてのこりました。偶然では起こらない変化?
どの言語/方言にどの変化が起きているのか、を調べていくと、どういう順番でそれぞれの変化が起きたのか、つまり言語/方言がどういう順番で分岐したのかが(だいたい)分かります。その結果から、第二次子音推移の有無は広義ドイツ語を2つに分ける適切な基準と見なされています。
@@Gengo_No_Heya ありがとうございます。
写本の系譜や、生物の分子進化(主にDNAのランダム変化)の考え方に近いとは感じました。
ただし怖いと思ったのは、「偶然一致する・似る」という事です。
分子進化によって持ち主となる生物の系譜を書く場合、運の悪い偶然を否定はできないため、通常は複数の遺伝子で系譜を書いて決定します。
遠く離れた種の系統を決定するためには、重要であるがゆえに変化しにくい(そこが揺らぐと生物として成立困難な)遺伝子を用います。
それでも(特に細菌の場合は)遺伝子が別種に移動することも、よくあります(この場合、近縁種であっても当該遺伝子を持たず、この1点では比較的離れた種と類似する、ということもあります)。
以上のような考え方で、単に早期に起こったと考えられるだけではなく、同じような変化が起こりにくい(特に「隣接しているだけでうつる」ことが無い)要素として注目されたのだろうか、と思いました。
総合的に見れば、「重要なものだけでなく、比較的変わりやすいものも似ているので、間違いなく近縁」と言えることが多いのでしょうが、今回は意味が通じにくいということでしたので、余計に気になった次第です。
第二次子音推移について「偶然一致する・似る」という点について懸念をお持ちとのこと。もう1ヶ月も前のコメントなので解決済みかもしれませんが、手すさびに第二次子音推移とは何かを解説しつつ、その点について言及してみたいと思います。ご参考になれば幸いです。
第二次子音推移とは、今のドイツ南部以南の古代ドイツ語で起こった複数の子音の変化で、今ではドイツ南部やスイス、リヒテンシュタイン、オーストリア、イタリア北部などのドイツ語に完全に伝播しているほか、その圏域の更に北、ドイツ中部まで、部分的に第二次子音推移が起こっています。それによってその他の地域のドイツ語と違う音の仕組み(音韻体系)が出来ています。
ドイツ語のうち、この子音推移が完全に起こったドイツ南部以南と、部分的に起こっているドイツ中部のものを「高地ドイツ語」と言い、それ以北で同子音推移が起こらなかったものを「低地ドイツ語」と言います。地図上で、高地ドイツ語域と低地ドイツ語域には境界線が引けます。高地ドイツ語内の、完全に第二次子音推移が起こっている地域と部分的に起こっている地域にも境界線が引けます。高地ドイツ語や低地ドイツ語は、地理的には現在のドイツとその近辺にランダムに存在するものではありません。
なお現代の標準ドイツ語のもとになっているドイツ語テューリンゲン方言やスイス・ドイツ語は高地ドイツ語、オランダ語は低地ドイツ語に属します。
第二次子音推移がどのような変化だったのか具体的に見てみましょう。
全ての単語の [p] [t] [k] の3子音に規則的な変化が起こったことが分かっています。
以下に例を挙げますが、推移した子音部分について例を分かりやすくするため、現代のオランダ語と標準ドイツ語、スイス・ドイツ語、また、第二次子音推移が起こっていないという点に限って低地ドイツ語と同じく扱える現代英語から例示します。
母音の後
[p] → [f] 例:英 up, 蘭 op [ɔp], 独 auf [aʊf], 瑞 uf [ʊf]
[t] → [s] 例:英 water, 蘭 water [ˈvaːtə(r)], 独 Wasser [ˈvasə], 瑞 Wasser [ˈʋasər]
[k] → [x] 例:英 make, 蘭 maken [ˈmaːkən], 独 machen [ˈmaxən], 瑞 machä [ˈmɑxə]
母音の後以外
[p] → [pf] 例:英 plough, 蘭 ploeg [plux], 独 Pflug [pfluːk], 瑞 Pflug [pfluːk]
[t] → [ts] 例:英 two, 蘭twee [tveːʲ], 独 zwei [tsvaɪ], 瑞 zwee [tsʋeː]
その他の変化もありますが省略します。
上記の子音の変化は、ラテン語で記録された固有名詞などにより3世紀から5世紀の間に開始したと見られ、現存最古の古代高地ドイツ語の文献が8世紀に現れた時には、既に完成しています。
ある言語内で、複数地域で別個に同じ複数子音が全て同じ変化をして同じ音韻体系を持つようになったという例は知られておらず、偶然そうなる蓋然性は経験則的に極めて低いとみなされます。現存する同時代資料や、高地ドイツ語と低地ドイツ語の地理的分布、比較言語学的検討などから、古代の一定地域で起こった第二次子音推移が隣接地域に伝播していったと見るのが妥当とされています。ただし、この子音推移が起こった地域や正確な伝播経路などは、同時代資料が乏しいせいで完全には実証不能で、複数の仮説が並立しているようです。
第二次子音推移が起こった原因ですが、これも同時代資料が乏しいことなどから実証不能、複数の仮説が提示されるのみです。何か特殊な事態があったことだけは想定できます。
仮説の一つを紹介すると、今のドイツ南部以南にあたる地域にいた何らかの先住民族が古代ドイツ語を使うようになった際、その先住民族の言語の特徴が出たためそうなったという、1979年のシュテファン・ゾンデレガー (Stefan Sonderegger) さんらの仮説があります。日本における参考例として、日本語を母語とする在日韓国・朝鮮人の韓国・朝鮮語が日本語と同じ5母音なのに対し、本国の同言語が8母音である違いがありますが、これは在日韓国・朝鮮人が大枠で日本語の音韻を使ったかたちで韓国・朝鮮語を操るからです。これと同じようなかたちで高地ドイツ語が生まれた可能性は皆無ではないのでしょう。
なお、ある方言と別方言を隔てるポイントは、語彙の違いだけでなく、音韻や文法に、散発的でない、体系的な違いがあることです。第二次子音推移によって新しい音韻体系が生じ、古代ドイツ語内に高地ドイツ語という方言が生まれたということになります。
体系的な違いという点で日本語を例にすると、東京方言と近畿方言の場合、東京方言のアクセントの位置が近畿方言のアクセント位置より規則的に一音節分うしろにずれるというものがあります。例を挙げると、東京方言の「花が」と「鼻が」のそれぞれの「なが」の部分のアクセントが、近畿方言の「花」と「鼻」のアクセントと同じになります。これは「花」と「鼻」に限りません。両方言で長い歴史の間に部分的な変化が起こっている語彙もあることなどから例外もあるのですが、現代の方言同士の比較でも大枠では規則的に起こっていることが見てとれる現象です。それによってもたらされる体系的な違いが、東京方言と近畿方言を分ける違いの一つということになります。
以上ですが、第二次子音推移については次の図書を参照しています。
Putman, Michael T. et al. (2020) The Cambridge Handbook of Germanic Linguistics. Cambridge University Press
Wolf, Norbert Richard (1981) Geschichte der deutschen Sprache, Band 1. Quelle & Meyer, Heidelberg
スイス・ドイツ語の語例は Glosbe のオンライン辞書によりますが、発音は、
Fleischer, Jürg; Schmid, Stephan (2006) "Zurich German" Journal of the International Phonetic Association 36(2)
在日韓国・朝鮮語については、東京外国語大学公式サイト内の趙義成教授のページ「在日朝鮮語」によります。TH-cam以外のリンクを貼るとコメントが無効化されるので、リンクが貼れません。余談ですが、趙さんが「在日韓国・朝鮮語」でなく「在日朝鮮語」と呼称されている点について。「ことばを国家という単位ではなく、民族の単位に従って呼ばねばならないという科学の要求にもとづく」(田中克彦『ことばと国家』岩波新書、1981年、p.15)立場から、言語学の学術用語としては韓国で話されるものでも「朝鮮語」とされることがよくあります。趙さんの場合もたぶんそれです。ただ、東大出身の研究者は学術用語として「韓国語」と呼称することが多い印象があって、よく知りませんが学術用語としての言語名に学閥が現れているということもあるのかもしれません。
日本語のアクセントについては、
金田一 春彦 (2005) 『金田一春彦著作集』第7巻 玉川大学出版部
ご理解の一助になれば幸いです。
2024年7月21日(日)
@@ts_ts-ts 在日朝鮮語にも違いが出てくるというのはとても興味深いです。アフリカでオランダ語がアフリカヌスに進化したり、トルコ系ドイツ人が少し違う文法を使っていたりと、近現代でも他言語の影響で言葉に変化が起きることは少なくないので、それが昔起こったというのもあながち間違っていないかもしれませんね。
グラデーションって言う考えは、面白いですね。比較言語学と対照言語学の違いは、大変、勉強になりました。
分かりやすい説明です。
動画で取り上げたドイツ語の事情については、例えば、「ハイジ」のはなしでは、スイスで生まれ育ったハイジと、フランクフルト出身のクララとは、通訳なしで分かり合えているようですし…
まあ、これは物語だから、細かいことにこだわっていないのかもしれませんが。
現実的では、それぞれの土地の家庭で使われる伝統的な「方言」同士だと、事前の知識がなければほとんど理解できないと思います。学校で習う標準語を介せば通じ合えますが。
通じなきゃ方言じゃなくて別の言語だろと思っていたのですが、グラデーションの考え方があったのですね。
1つ疑問に思ったのですが、英語を例にするとイギリス英語が標準だとした場合、アメリカ英語や特徴的なものだと日本のカタカナ英語、インド人が話す英語などは、方言になるんでしょうか?
標準語も方言の一つであり、非標準的なものとは「お互いに方言」という関係にある、
というのが社会言語学の教科書的な説明です。英語に関しては、米国の標準語も英国の標準語もいずれもそれぞれの社会での標準語、という見方をするのが良いと思います。
アンドラの知り合いはスペイン語とフランス語をサクサク話していましたが
ヨーロッパ国境沿いのグラデーションがかかる地域はどうなのか?って疑問に思っていました
また長距離ドライバーの人は4ヶ国語話すよってサラッと言っていて言語に対する感覚の違いを感じました
スイスの国会はドイツ語使うって言ってたなぁ
イギリスの英語留学でバケーション中はヨーロッパ各国更にアジア、アラブ人が来て英語勉強しに来ます。
みんなと知り合いになって面白かったです
スペイン語とポルトガル語はどれだけ違うんでしょうか?
スペイン人の知り合いが「ポルトガル語はほぼ理解できる」って言っていたので、今回の動画的にいえば、「国境やアイデンティティ的要素で別言語にされた」パターンなのではないかと想像します
非常に面白い動画でした。
端緒は「(専門家の知見よりも)ワタシの感覚と経験はこうだから間違ってる!」というコメントだったが、
動画主さんの言語への愛が溢れて止まらない語りが非常に素晴らしい。
以前、中国人・韓国人と話してたら某中東のアラブ人に「君たちってみんな会話通じるでしょ?どうして英語で話してるの?」って言われた。
「自分らゼンゼン違う言語だよ。キミらイラン人と似たような文字だけど会話通じないでしょ?」って返したら、
「アラビア語は世界で唯一の完璧な言語だ。イラン人の言葉とは違う!」と声を荒げた。
「自分らから見たアラブ人とイラン人て似てるんでしょ?って感覚と、
キミたちがコリアとジャパンもまとめて「チャイナ」って呼ぶのが同じイメージやで。」と改めて説明したら
「オレは自分のバックボーンに誇りを持っている。君たちへの理解が足りなくてすまなかった。」と
エキサイトしてたアラブ人がまじめな表情でビックリするくらい丁重に頭を下げてきた。
別に謝るようなことじゃないし、どっちが上とか下じゃない。ただ違うだけだから。
と話は収まったが、アラブ人のアラビア語に対する誇りを見た。
イスラム教の教義によれば、アラビア語は神が預言者ムハンマドにお告げを伝えた時に使った言語だからアラビア語が世界で最も優れてる、と考えられているらしい
フランス在住です。スペイン語なんてただの一回も勉強したことないのに、この間イタリアに旅行に行った際にアルゼンチン人の方と向こうはスペイン語、こちらはフランス語のゴリ押しで簡単な会話が成立しました。日本語母語話者なのに津軽弁や鹿児島弁なんて聞いても分からないのに。言語の線引きの明確な定義なんて出来ないんだな、と実感した瞬間でした。
3:29 方言連続体の話、生物の分類でも似たような話を聞いたことがある。ある種の亜種A, B, C, DはAからDにかけてグラデーションで、端のAとDのみなら別の種としてカウントされるだろうみたいなことがあったりするって。
環状種
分かり易かったです。面白かったです。興味が広がりました。有り難うございます。
私は今年72歳になりますが、小学校の時は鼻濁音で発音することが授業で求められました。その影響で「ガーガー」言う発音が気になりましたが、最近はしっかりした鼻濁音が気持ち悪くなってきています。これらの変化を受け入れている自分の変移は、大げさだけれど生きている証なのかも知れませんね。
イデオロギーやアイデンティティが言語を分けることもあるとのことでしたが、
アメリカ人の話す言語もアメリカ独立の際に「俺達の言語は"English"じゃなくて"American"だ!」となっていたら、
英語と米語で分けられていたんでしょうかね。
中国人が「中国語」をどう捉えているかは少し複雑です。
彼らは「中文」と言う。
日本語は日语、韓国語は韩语、英語は英语なのに、中国語は「语」じゃなくて「文」らしい。
(汉语という学術用語はあまり使われていない印象です)
ここにあるのは、彼らにとっても「中国語」というカテゴリは他の言語とは違う、にも関わらずひとつの「言語」だ、という屈折した意識です。
政治的理由で(ナショナリズムのために)別言語をひとつの言語だと言い張っているのだ、と外国人である我々が決めつけることは簡単です。
しかし、問題はそう単純ではありません。
広東語=「粤语」は公的な場でも用いられるタームですし、少数民族の言語はちゃんと存在を認められて民族言語教育も許されています。(ソ連の影響?)
ここからは私見ですが、彼らにとっての「中文」の定義は「漢字を使っていること」なのだと思います。
中国はつい最近まで話し言葉が統一されず、しかし書き言葉には千年単位で一貫性があった。
彼らにとっては「話し言葉は通じないけど意思疎通はできる」という環境が常態だった。
こういった中で、彼らが西洋による「言語」の定義= mutual intelligibility とは違う「言語」観を抱くのは当然でしょう。
それは、漢字が通用する範囲が「中文」だ、という意識です。
日本では中国語が使われている、とかいう見当はずれな発言が中国人から出るのも、この見方をとれば説明できます。
彼らにとっては「漢字で書いてある」=読めるものは全て「中文」なのです。
漢字文化を共有しているから(漢民族であり)「中文」である、というのはその通りだと思います
脱線するかもしれませんが、今でも広東語では中文と同じように、日文、英文… 「〇文」で外国語を表しています。
あくまで私の憶測ですが、もしかしたら唐代くらいの中原民族が元々「文」を使っていて、その色が強く残っている広東語ではそのままで(例えば詩を詠む時も広東語の方が韻が踏んでるなど)、一方現代の中国語はかつての北方民族の言葉がベースなので、もしかして「中文」が慣用的に使っているだけで、「語」が普通なのかもしれません。
「漢語」とも言うので、その人がどのように言語を見ているかでも違ってくるのかなと思いますね。
韓語と漢語、読み方が中国語では
イントネーションだけしか違わなく
殆ど同じ音なので、漢語は
使われる事があるけど
区別しにくいので、あまり使わないかと思う
近代の日中・中日の知識人に、ややイデオロギー的な匂いもするが、中国語(中文)と日本語(日文?)は「同文」という捉え方があったと思う。
東亜同文書院大学(源流の一つに同文会がある)や神戸中華同文学校などの学校名での用例がある。
八丈語、小笠原語はどうなのかな?
どうって、何がですか?
@
すみません、日琉語族を日本語・琉球諸語として二分するのか、三分割四分割する見方もあるのか疑問に思いました。
特に小笠原語はクレオールに分類するとすれば系統的にまた別になるのかな?
あと保護の対象とするには独立した言語とした方が都合の良い気もしますが、当事者的に不本意なら方言のままが良いのか?とか色々考えちゃいました💦
「言語とは軍隊を持った方言である」と言った言語学者がいたそうですが、これが一番はっきりすっきりする定義かも。
納得。だから軍隊を持たない言語は衰退しがちなんですよね。バスク語とかスコットランド語とか、そんな感じしますよね。
カタルーニャ語は、独立運動頑張っていますし、話者は減っていないみたいですが、あれはスペインの中で「軍隊相当」の強い経済力があるからなんでしょうね。
BBCは標準語を廃止しました、クイーンズイングリッシュの定義で揉めたみたいです。
奄美出身です。
一例として、作業、計画、世話、段取りなどの意味で「さばくり」という単語があるのですが、内地で全く通用しません。
上京してから苦労しました。笑
また沖縄県出身者の話している単語も違うものが多く、一緒くたに扱われるのも違うなという認識です。
それ、ひょっとすると「捌く」という言葉が動詞であるのにも関わらず、さらに「る」を付けて動詞化させた「捌くる」の名詞形の「捌くり」じゃないですか、
意味は合ってるでしょ。
それより、奄美も「別言語」じゃなくて日本語の「方言」だよねえ、間違いなく。
「間違いなく」そうだとは言えないよねというのがこの動画の趣旨です(今の言語学では別言語として扱うことが多いです)
@@unkokusai. 投稿者様の言う通り、間違いなくそうとは言えないと思います。おじいちゃんおばあちゃんの話し方とかを考えるに、日本語の方言には当てはまらないのかなという認識です。(僕の世代はもう同化して、方言の認識でいいと思います)
そもそもの単語が違いすぎて…
また一例として出しますが、疲れた、面倒だという意味で「ばーど」という言葉があります。
@@Kein_Gezidus
沖縄本島中部出身です
私達も、嫌なことを「ばっど」と表現します!英語の「Bad」から来ていると思ってましたが、もしかすると琉球諸語(or北琉球諸語)の表現方法だったりするかもですね〜
詳しく説明してくださって、本当にありがたいんです。
私の出身はインドネシアです、生まれから今までジャワ島のスマラン市の住んだり人です。インドネシア語はよく使われたことはそうですが、地元のジャワ語がインドネシア語と混ぜられて新しい方言が作っていました。ジャワ語の使う人はジャワ島にブツブツに広がったので、毎都市には別々な方言があります、スイスとドイツの状態みたいもあります。言語学はずっと面白いと思っています。
分かりやすくて面白い!
日本語と中国語も、漢字が共通するからなんとなく何言いたいかは分かるけど全く違う言語ですね。オランダとドイツもそんな感じなのかな。
言語グループで考えたら中国語(普通語)と日本語は全く違う言語ですが、オランダ語とドイツは同じゲルマン語族に属します。なのでオランダ語とドイツ語の関係は中国の普通語と広東語の関係のようなものだと思います。
「語族 地図」で調べると色々と分かります。
日本語と中国語の差は(借用語を排除して考えれば)英語とアラビア語ぐらいの差ですが、ドイツ語とオランダ語の差はせいぜい仙台弁と茨城弁ぐらい(それでも会話に支障をきたす)の差ですかね~
上海で会ったバーのチーママや女給さん達は「わたし安徽省のどこそこ出身、わたし湖北省のどこそこ出身、山ひとつ超えたら言葉通じない」と言ってました。グラデーションというかモザイクですね。結局インドみたいに共通言語でコミュニケーションするしかない模様です。
仕事で会ったオランダ人は「まあ確かにお互い近い言語かも知れないけど、俺はドイツ人の彼女と同棲してても会話は英語だよ」
スエーデン人は「ああ、スエーデン人だったら特に習わなくてもドイツに2週間も住めば現地人が喋ってる内容が分かるようになる」とも言ってました。
私は広東語と北京語は方言どころじゃない別の言葉だと思います。
本日も実に興味深い講義有難うございました。
「中国語」の意味を広義的に取れば、実は複数の言語で構成された、いわゆるシナ語派に属する言語(呉語、官話、広東語など)の総称です。広東語話者と官話話者との意思疎通は基本的に不可能ですので、学術的に言えば方言関係ではなく、親戚関係を持つ別言語として認識すべきです。
中華皇帝の天命思想に変わる支配の正当性を得る為の方便なんでしょうね
中国人が「中国語」をどう捉えているかは少し複雑です。
彼らは「中文」と言う。
日本語は日语、韓国語は韩语、英語は英语なのに、中国語は「语」じゃなくて「文」らしい。
(汉语という学術用語はあまり使われていない印象です)
ここにあるのは、彼らにとっても「中国語」というカテゴリは他の言語とは違う、にも関わらずひとつの「言語」だ、という屈折した意識です。
政治的理由で(ナショナリズムのために)別言語をひとつの言語だと言い張っているのだ、と外国人である我々が決めつけることは簡単です。
しかし、問題はそう単純ではありません。
広東語=「粤语」は公的な場でも用いられるタームですし、少数民族の言語はちゃんと存在を認められて民族言語教育も許されています。(ソ連の影響?)
ここからは私見ですが、彼らにとっての「中文」の定義は「漢字を使っていること」なのだと思います。
中国はつい最近まで話し言葉が統一されず、しかし書き言葉には千年単位で一貫性があった。
彼らにとっては「話し言葉は通じないけど意思疎通はできる」という環境が常態だった。
こういった中で、彼らが西洋による「言語」の定義= mutual intelligibility とは違う「言語」観を抱くのは当然でしょう。
それは、漢字が通用する範囲が「中文」だ、という意識です。
日本では中国語が使われている、とかいう見当はずれな発言が中国人から出るのも、この見方をとれば説明できます。
彼らにとっては「漢字で書いてある」=読めるものは全て「中文」なのです。
ちょっと離れると言葉が通じない、隣村ではうちの村とは違う言語で話している、こういう状況が、植民地の住民が団結して独立運動を起こそうとしたときに、共通言語としていやでも宗主国の言語を使わざるを得なかった事情なんですよね。
今でもそうなのですね、実際の日常生活の中で。 中国共産党の全国大会で演説しも、あそこに並んでいるお偉いさんはほとんど演説を聞いても意味判らないそうです。 なので、手元に配布されている冊子を読むと「漢字」で書いてある。 同じことが書いてあるので、それを「読んで」理解するという話が、生活の中でもそうだという事で、いまだに「科挙」のシステムが有効不可欠なことが判りました。 だからこそ、漢字が読めないと通用しないし、漢字が読み書きできれば発音(当時は直接の発音は伝わる機器がない、今でもなの?)奈良時代に遣唐使やらでの空海、最澄がエリートとしても通用する。 漢字の読みが違うという事で、日本語でいえばカタカナ的な発音と、漢字そのものの意味との合わせ技での読みと文章の理解としての漢字の正しい理解という意味で四書五経が唯一の教科書としての「科挙」だから全国的にあの大陸での統治をおこなうに「読み書きできる人」
しかし、しゃべっても通じない、「会話とは、書いて、読んでもらって、相互で理解する」 だとすると国民のほとんどが文盲に等しいというのはどうしても、同郷人だけが同胞ですね。
グラデーションのどこに腰を据えて標準・共通語とするかっていう視点もありますよね。
日本でもかつては近畿を中央に栄えてそこがスタンダードであったと想像しますが、江戸を経た現代では(政治的に)東京の言葉をベースに日本標準(共通)語が整備されていますよね。
昔は東国の言葉と言われていたけれど今は関西弁と立場が逆転しています。
意思疎通で行くと、東北の人が何喋ってるのかわからないです。
沖縄だけを別言語とする理由が意思疎通ならば東北や南九州だって怪しいです。
おっさんとギャルの意思疎通でさえ危うい。
17:02 インドネシアが旧オランダ領でマレーシアが旧イギリス領ってこと考えるとマレーシア語のほうが英語からの借用が多そうな気がして調べたけどよくわからん
個人的にはオランダ語はドイツ語の格変化が全てなくなってるから同じ言語とは呼べないな。
良く分析された素敵な動画だと思います。
ドイツ語ちょっとできるけどスイスの駅のアナウンスとか普通に聞き取れるし、わからないのはやはり日常会話とかですね。
東西ドイツの話で行くとFührerschein(免許証)をFahrerlaubnisと呼んでいたというのは有名な話だと思います。それ以外にも意図的に改変された単語、違う形で導入された単語などで統一後東から来た人だということがすぐにわかってしまったようです。青森弁の人が田舎者扱いされたのと同じ感覚だと思います。
沖縄島の者ですが。。
我々にとっては奄美語は何とか理解できるが、宮古語、八重山語、与那国語はほとんど理解出来ません。
ユネスコは全部「言語」として扱ってますし、言語学でも「琉球“諸”語」という呼称が定着してますね。
八重山出身ですが宮古の言葉はさっぱりわからない😓
『ようこそ』でも沖縄本島では、めんそーれー
八重山では、おーりとーり
全く違いますもんね💦
こんなに近いのに、それぞれの島でこんなに違うのが面白いです
@@aagtgdpzwmdgjw
それぞれの言語が長期間隔離されたからでしょうね。
奄美の方から聞いたんですが、琉球文化圏はグラデーションで繋がっていて、言葉は通じなくても空気感で感情が伝わると。。
宮古の方言聞いたけどまじでやばかった。ウチらの知ってるうちなーぐちじゃないあれは。
@@ryukyu1180これは言い得て妙
青森県=津軽弁に思われがちですが、津軽地方=津軽弁、南部地方=南部弁、下北地方=下北弁(ただし地域的には南部地方)に分けられてますね。際立つのが旧藩境でキッパリと分かれること、そしてお互いほぼ通じないってことですかね。
津軽弁は秋田弁?の方が通じますし、南部弁は旧南部藩であればある程度は伝わりますので、言語を学ぶには歴史や地理を深く理解する必要があるなぁ、、って痛感してました。
沖縄の中でも、沖縄本島、宮古島、八重山、与那国では同じ意味でも全く違う単語だったりします。例えば、「美しい」という言葉は本島の言葉だと「ちゅらさん」、宮古島だと「あぱらぎぃ」、八重山だと「あっぱりしゃん」というようです。これらの違いは本島の言葉を標準語として、他のものは琉球語の方言という認識でよろしいのでしょうか。
最近の言語学やユネスコのリストだと、それぞれ別言語とするのが一般的ですが、だからといってそれが“正しい見方”だとは断言できないよねというのがこの動画の趣旨です。なお、標準語がなくても「本島の沖縄語、宮古語、八重山語、、、は、(総称としての)琉球語の方言である」のように言うことは可能だと思います。
日本も明治時代まで 標準語が確立するまでは、地方ごとに日本語が全く通じない時代が長くあったと思う
日本人女性初めての留学生 大山捨松と大山巌 はフランス語や英語で会話をしていた夫婦であったそう。日本語の下手な会津出身の捨松と薩摩弁の巌らでは、日本語があまりにもかけ離れていたそうです。
その国の言語の統一と、近代国家への国の統一には、言語が需要ですね。
江戸期まででも「会話は通じなくても書面は通じる」(=この動画内で言う「標準語がある」)ってラインは保たれていたのかな?とは思いますが…
各藩の侍が集合すると「書面を読み上げる形式」で会話する、っていう時代劇で見た光景が本当にあったのかは知らんけど、それでは日常生活は送れないってことですね(笑)
近代的教育には標準語の整備が欠かせないのは同意です。
「相互に通じなければ別言語と見做せ」と言ってしまったら、津軽弁も薩摩弁も日本語ではなくなってしまいますよね😅
逆にヨーロッパ人から日本を見ると、標準語と出身地方言を操る日本人はバイリンガルだとよく言われますよね。
結局、母語話者たちがどう思っているのか、つまりアイデンティティが最大の閾なのだと私は思っています。
イングランドなんかもそうですよね。
一つの国の一つの地域なのに、多彩な英語方言があって、だいたいの人はRP(標準語みたいな)を理解できるから、RP風で話せばどの地域の人も理解はできるけど、それぞれ地元の感じで話すと理解できなくなることはよくあります。
イギリスのドラマやコメディだと、イギリス人同士英語同士なのに言葉が通じないなんてシチュエーションがよくネタにされます。
地域ごとに発音の訛りはあっても全土でだいたい意思疎通が問題ないアメリカとは対照的。
福沢諭吉が蘭学のレベルを試すために一念発起して、横浜に来た外国人へオランダ語で話しかけ撃沈し続けた際に、話を理解してオランダ語が世界的にマイナーな言語であることを福沢へ伝えたドイツ人の逸話を思い出しました。当時は、「たまたま多言語を習得しているドイツ人と出会ったのかな。」とイメージしていたのですが、其処まで確実性の低い話では無かったのですね。
言語や方言についての話を、非常に興味深く聞きました。
津軽弁は日本の方言ですが、スイスドイツ語はいわゆるドイツ方言のスイス弁、と考えてもよいかと思います。
スイス人と結婚してスイスに住んでいる日本女性の話では、自宅へ来た配達の人が自分の夫と話す時にはスイスドイツ語を話し、自分と話す時にはドイツ語を話す、と言っていたことを思い出しました。
おそらく外国人にはスイスドイツ語を話しても解からないだろう、という気持ちがあったのでしょう。
物事の判断にはいろいろな可能性があるので、「~ すべきだ」と決めつけない方が良いか、と思います。
思い込みは、他の見方を消していく様な気がします。
そういやスイスってメジャーな言語(方言でなく)が4つだとか5つだとか聞いたことがある。いわゆるスイスドイツ語、フランス語(これもひょっとするとスイスフランス語?)、ロマンス語、イタリア語、そして英語だとか。本当だろうか?
正確にいえば、ロマンス語(ロマンシュ語)、スイスドイツ語、フランス語、イタリア語が国語として公認されており、英語は他言語話者との会話に必須、だとか。
モンゴル語と満州語の違いはどっちレベルですか⁇😮
大陸なのと遊牧民族は記録を残さないので複雑怪奇
似た言語があったとき、その類似点が共通祖語に依るものなのか言語接触に依るものなのか って素人には判断が難しいですよね。
だから、できるだけ科学的な見解によって分類されてほしいと思いますし、"標準語"もその言語の方言の一つに過ぎないという認識が広まってほしいなぁと思います。
(基本的に様々な方言が先にあって、そのうち1つの方言を基に、後から"標準語"が作られているケースがほとんどなので)
単語だけを比べて同じ言語と見なされたり、力関係によって、一方は正規の言葉でもう一方は訛りだ といった優劣をつけられるのは悲しい。
私の印象ですが,北朝鮮と韓国は,名称は違ってもお互いを違う言語と認識してるようには感じないです。例えば,英訳はどちらもKoreanを使ってるイメージでしょうし。もちろん,方言レベルの違いはたくさんあるでしょうけど。
これは,まさに後半に出てくるアイデンティティ,この場合は共通民族と認識してる部分があるからに感じますね。だからもし違う民族とのアイデンティティを持っていれば,違う言語になるんでしょうね。
これは確かにそうですね。
内容には概ね同意ですが、件のオランダ語・標準ドイツ語・スイスドイツ語の話に関していうと、これらは全体で方言連続体をなしていて、低地ドイツ語にも「ドイツ語」の名がつくことを考えると、多分にイデオロギー的側面によるものではないかと思います。
@@aiglon-bq5nz
本篇の4章で話されているような話を指しています。
本篇では比較言語学的な基準も理由に挙げられていましたが、他のドイツ語の姉妹言語の取り扱いを考えると、特に政治的な問題や思想・アイデンティティなどの違いによるところが大きいのではないか?という話でした。
奄美語と沖縄語は、国頭語で繋がってると理解していいんでしょうか?
奄美出身です。両親の夫婦喧嘩の内容が一切理解できないです。英語の方がまだ理解できるレベル。
ぬーち?
@@cpurpureus
お、懐かしい笑
そのレベルは理解できてました笑
国境・政治・アイデンティティの影響普通にあるでしょ、と思ったらすごく丁寧に解説されてて嬉しかった。
方言連続体の考え方、輪状種のカモメみたいで面白いね。
インドネシア語を中の下レベルで話す者です マレー語とは初心者では同じような感じで、マレーに行ってもインドネシア語のままで旅行くらいならいける国ですが、単語が違うので面白い事が起こるってくらいならいいんですけど・・ネイティブレベルになると似ているが故に「英語で話す」と言っていました なので、スイスジャーマンとジャーマンとで差があるのと同じ感じだと思います 同じ単語なのにインドネシアとマレーとで違って居たり、文法上通じるけど違う意味だったり、かなり面倒です
インドネシア語は、英語もそうですが、フィリピン経由でのスペイン語由来の単語も多いです 沖縄の言葉とも同じ単語があって地理や昔の交流などを感じます 面白いですよ
例:Sendok インドネシア語:スプーン マレー語:しゃもじ
Kamar kecil :トイレ :(原文直訳のまま)小さな部屋
本土方言と琉球方言は祖語がおなじでイタリア語とフランス語くらい離れてる(もとは今使われてないラテン語が祖語)
実際の世界でも韓国で話されてるのは「韓国語」であり、
北朝鮮で話されてるのは「朝鮮語」と区分される場合もありますからね。
やはり国境や政治的主張も大きく影響を与えてそうです。
韓国語という言葉はNHKが作りました。
パキスタンの人が日本のアニメのヒンディー語吹き替えのことを「ウルドゥー語版」と呼んでいたので、「それはインド製作だしヒンディー語版だよね」と指摘したら「ウルドゥー語だ!」と怒られたことがあって、言語の線引きと政治性について考えさせられたことがありました
理屈っぽくて面白いなあ!
おすすめの本はありますか?
論理的といいなはれ
「お、ドイツ語シリーズか?ん、35分か、長いな」と思いながら見始めたのですが、吸い込まれるように見・聞き続けてしまいました。解説をしながらも、「絶対はないんだよ」とぐるぐる回るところが、わかりにくいのではなく、むしろ聞き手の納得性を高めてくれました。(マルタ語の本に興奮するマニアックさもよかったです。)
方言なのか言語なのか、政治的意図が大きいですね〜
主人の出身地がオランダ、ベルギー、ドイツの三国が接する所です。
いわゆるリプアーリー語なんですがなんかオランダ語?ドイツ語?本当に中間なんです。標準ドイツ語と標準オランダ語ではありません。
国境で分かれていますがリプアーリ語話者なんで問題なく会話してます。
オランダはドイツ語は公用語と認めていません。(特にヒットラーがオランダ語はドイツ語の方便だから政治的にも併合すべきだ、と言ったとか言わないとか)ベルギーはドイツ語地域(戦後ベルギーに併合された)で公用語として認めています。
まあベルギーは言語対策が難航しているようで、、、言語を政治的にどう捉えるのか、お国によって違うんですね。
ウクライナ戦争の開戦時あたりに、ウクライナ語とロシア語は方言なのか別言語なのかが話題になってたな。
パラレルワールド複数日本語説、面白そうですね。
仮に東日本、西日本で分離したら東京方言ベースの日本語、京都方言ベースの日本語がそれぞれ「自分たちの言語が歴史的にも正当な日本語だ」と主張することになりそう。
高校のときの国語の先生によると、奄美沖縄は古代の日本語(古文)が残ってるだけって解説してましたね。
だから、ちゃんと古文をやるとわかるようになるんだよっていうことなんだそうですがイマイチピントこないですけど。
沖縄、琉球諸語を分解すると、なるほど奈良時代の人はこういう言い方してたのかと想像できます。実際の当時の言葉がわからないから想像、類推しかできませんが
方言には奈良時代の言葉も残されていて面白い
中国だと、言語学的には普通話と六代方言はドイツ語と英語ぐらい距離があったりして、実際香港人には広東語は普通話とは別言語だってのがアイデンティティだし対岸の深圳や広州でも広東語の地位が高いこともあってアイデンティティ意識が強いけど、内陸の湘語系等の言葉は普通話の圧力が強くて弱い。
上海区内の上海人の上海語のアイデンティティもすごいで。
東北三省の「東北人」「東北語」アイデンティティもすごいよ。少数民族がそこそこ多いからなのか、漢族は漢族で入植者が多いからなのか、とにかく「東北」であることにこだわる。とくに満族出身者はすごい。
初めのエピソードの「私はXX地方のドイツ語は判るがYY地方のドイツ語は判らない」の話の「判らない」は曲者では?
吉田茂は、乗っていた車が 交通整理をしていた米兵(MP)に止められて、ちょっと面倒なことになったことがあって、その後GHQから、「首相の車ならそう言ってください」といわれて、米兵が話す言葉が「判らなかった」と言ったという逸話があります。
50年以上前の私の子供の頃は、大阪の芸人が東京のTVに出ると、東京の芸人が、「ナニ言ってんだかわかんねーんだよ」と絡むのが定番であったし、ちょっと前迄は、フランスでフランス人に英語で話しかけたら「判らない」と返事されるものであったし、私自身の経験では、ポルトガルの格式の高いホテルで従業員にスペイン語で話しかけたら「判らない」と云われたこともあります。(私が、「判らない」といわれても、言い回しを変えながらスペイン語で話しつづけたら、彼は、やがて、私の質問に対し英語で返答するようになりました。その人以外のポルトガル人とは、大体、私がスペイン語を話して相手がポルトガル語を話して、なんとか通じる、ということが普通でした。ペルー人とブラジル人も普段そんな感じで会話しています。)
日本語(日琉語族)が独立した語族であることについてなんでもいいんで話してくれませんか?
あと、日琉語族や朝鮮語が独立した語族であるということは、日中韓の言語間の関係はドイツ-英語-アイスランドの関係よりも遠いということだと思いますが、なぜこんなにも東アジアの言語はこんなにも違いが明瞭だと思いますか?
だいぶ地雷原なので生半可な認識で喋りたくないんですよねえ
とりあえずコメントでお答えしてみます。
他にも存在していたであろう兄弟が消えてしまったから、と理解するのが良いかと思います。たくさんある印欧語のうち、ヒンディー語とフランス語と英語だけが生き残った(他の言語は文献すら消え果てた)世界線で、その3言語だけを見て系統関係を示せるだろうか?類似性が借用や接触によるものだけではないと言えるだろうか?日琉語族と朝鮮語が置かれているのはそういう状況だと思います(系統関係があるならの話ですが)。
ちなみに、「日琉語族と朝鮮語はそれぞれ独立した語族であり互いに系統関係はない」ということが立証されたわけではなく、「少なくとも接触があったことは確かだが、系統関係があるという合意を得るに足りる証拠は今のところない」というような状況です。
@@Gengo_No_Heya 返信ありがとうございます。
モルドバの公用語は政治的󠄁理由でルーマニア語と別言語、同言語と行き来しましたね
複雑な問題でありながら、話の整理のされ方が素晴らしいと思いました! ありがとうございます!
マレー語→マレーシア語/インドネシア語 については、もう少し事情が複雑かなと思います。
もともとはマレー半島で話されていた言語が、商業で広く用いられる地域共通語になり、オランダ領東インドでも公的に使われた、
一方でインドネシアで最も話者が多いのはジャワ語だが、待遇表現(いわゆる敬語)が複雑だったり、国としてのまとまりを持つために、オランダ領時代からの延長で、ジャワ語の要素を入れたりしながらできたのがインドネシア語。広い意味では「方言差」でしょうが、旧ユーゴ内の地域的な方言差などとはやや背景が違うように思われます。
韓国語/朝鮮語 についても、地域方言差というよりは、用語の用法の違いではないかと。本人たちは、「韓国」も「朝鮮」も半島全体を指すものと思っているのではと思います。
あとちなみに、DeutschとDutchって、語源同じですよね? だから何という感じですが。
最初に取り上げられている元コメント見てきたけど、
全然話通じない感じの人だった...
2-3割理解できるだけで方言とみなしてよい、って暴論すぎますもんね笑
近い関係にある場合は結局政治的に決めるしかないですね
ただ、比較言語学によれば琉球諸語と言われる部分で日本語と分けられるわけですが
これって、沖縄のアイデンティティによって奄美のアイデンティティが否定される(またはその逆)みたいな可能性もありますね
(奄美のアイデンティティが実際どっちよりであるという話をしたいわけではないですが)
仮に奄美の言葉が日本語に所属するアイデンティティを持っていたとしたら、琉球諸語を日本語と別に分けることが困難になってしまう
沖縄本島の言葉と奄美の言葉で分割しようとすると、今度はそれらより遠い関係にある宮古の言葉は琉球諸語に入れられないことになっていまう。。。
場合によっては兄弟を切り離していとこを取り込むという分割方法も必要なんでしょうね
言語と方言について語るときは毎回「ここではこう定義して話します」ってことわるしかないかな
このチャンネル好きなのでこれからも更新楽しみにしてます♪
既に共通語と化した?「うざい」と、その元となった多摩弁の「うざったい」はニュアンスが違う。そうした例は無数にある筈。「はんなり」とかもおそらくそう。
本当の「うざったい」はキノコなどが密集してウジャウジャ生えているようなさまを表すんでしたっけ。
「ほっこり」もそうですね。
鹿児島に青森から嫁いできた人がいるけど。
言葉のイントネーションが似てるから結構わかると言ってたよ。
ケンミンショーでやってたやつだ笑
鹿児島県民ですけど、テレビで青森弁を聞くと一瞬「鹿児島弁かな?」と思うことがよくあります。
通じるけど別の言語、通じないけど方言が両立してるのって納得できる人の方が少ない状況ですね
この動画でこれだけ丁寧に色々と説明してくれているのにその呪縛から抜け出せないコメが散見してるのが面白い
30年ほど前は経験できたことですが、日本本土でも隣の県のお年寄りと話すと驚くほど話が理解できない事があったなんて知らない人も多いのしょう。本来の方言の話者がいなくなってそんな経験をする機会も失われているのですね。残念なことです
@@bridgesRB 年寄と若者がなまりが強くて通じない最後の世代かもしれないね
@@ManamoYouko方言連続体による説明と政治による分割という二重のクライテリアの両立が門外漢からすると不健康に見えるということです
初めまして。
第3章を聞いて、ポルトガル語スペインのガリシア語が、まったく同じ関係ですね。ポルトガル語をスペイン語の文字規則で書いた言語がガリシア語であり、両者が同じ国だったら別の言語になっていないはずです。話し言葉としては、むしろブラジルとポルトガルの方が差の方が大きいと言われますが、それでもガリシア語はポルトガル語とは呼ばれず、ブラジルの言葉は(ブラジル語と呼ばれることもなくはないですが)通常はポルトガル語とされますね。
国語学を大昔に修めたので、大変興味深かったです。まあ、その「国語」とは何か、を持ち出すと更にカオスになるのでやめましょう。(笑
そして、とてもとても分かりやすかったです。ヲタク語りの時に語る速度が速くなるところも好感が持てました。
結論が「よくわからない」、良いですね。これは再生しながら酒が進みます。
若いころ時間はあったけど金はなかったので、東京から京都まで東海道線を各駅停車で行ったことがありました。各駅で止まる度に乗って来る人たちの会話の訛りが徐々に変化してくのがはっきりわかって、連続性がとても面白かったです。
軽いノリで動画見たらメッチャ内容濃かった🥺
最後まで聞き入ってしまいました🥺
面白い話をありがとうございます。「ひとつの言語」というテーマについて納得のいく話でした。ちょっと違う視点からの疑問として以下が浮かびました。「何らかのできるだけ客観的な基準で、『言語および方言』を分類することを考える。この時、できるだけ粒度の細かい基準で分類するというようなことは考えられているか。もしそのようなものがあったとして、それはどのようなものになるのか」
しかし、このチャンネルも登録者3万人越えですか(時宜の外れたコメントで申し訳ありません)
最初に見た時に比べて(多分アラビア語のあたり)ものすごく増えていて驚きます。すばらしいですね
やばいめっちゃ楽しいです!
好奇心が満たされつつ刺激されました!
大学院でイスラム法について1セメスター分勉強してたのですが、アラブ諸国はコーランとかをもとに法律を作ってる的なことがあって、そうすると法律レベルで使う文言なども各国で共通しちゃって(方言はあれど)似た言語圏になっているのかなと想像しました
旧東ドイツのさもないパンフレットを西ドイツ出身の人に見せたら、東ドイツっぽい言い回しをしているなぁといってました。どう違うんですかって聞いたら、それは言葉には言い表せないけどって言ってました。不謹慎ですが、もし東西が別れたまま100年過ぎたら、イデオロギーも踏まえて別言語になっていたのでしょうね。
何時も明解な解説ありがとうございます。方言でいう「なまる」ことと、同じ事象に別語源の単語があたるあたりも興味があります。
それと、そもそもというレベルで文字の歴史と言語の歴史のずれ、特に古い時代の話の整理をお願いします。
面白くて全部聞いちゃった。知性が溢れ出す人の話は興味深い
大学時代にセルビア・クロアチア語入門の講義を受けてました。
ラテン文字の方が取っつきやすいだろうということでクロアチア語のテキストを使っていましたが、アシスタントはセルビア人留学生でした。
今振り替えると本人も思うところはあったでしょうし、先生(日本人)も裏では気を遣ったりしてたのかなと考えてしまいますね。
シーボルトが日本に来たときに、流石に日本側のオランダ通信使も「あいつ、おかしくね?」って気づいたそうですが
「いや、あいつ山の方の出身で、方言がきついんですよ」っといわれて、「方言って言われりゃ、そうかな?」と妙に納得されて、うまくすり抜けたというの聞いたことがあります。
ドイツ=Hoch Lands オランダ=Netherlands なので、まあ、嘘は言ってないのかな?お話で行くと「方言」では無いわけですが
お話で行くと「方言」では無い
↑
オランダでは標準ドイツ語が通用せず別の標準語があるから「一般的に方言とはみなされない」というだけで、「方言ではない」という話ではないです。それどころか、「方言ではない」かどうかを断じることはできないというのがこの動画の趣旨です。
26:06 アラビア語圏の西の端はモロッコではなくアラビア語ハッサニア方言を話すモーリタニアですよ。モロッコ方言の存在感が大きくてモーリタニアが弱小なのでしょうがないですが。揚げ足とりでした。
イベリア半島が割とこんな感じで
カタルーニャ語がスペイン語とは同じ言語を祖とする別言語とされるけれども、カタルーニャがもっと弱ければスペイン語の方言扱いされてたのかもしれないよね…とか
・カタルーニャ語バレアレス諸島方言は方言なのに、バレンシア語が「カタルーニャ語バレンシア州方言」ではないのはどこに境目があるのか?
って言われたらスペインという国の中でバレアレス諸島州はそれほど強くないけどバレンシア州はそこそこの地位があるからだよね…とか
ガリシア語が「ポルトガル語のガリシア方言」では無いのはスペイン国境の内側にあるからという理由が大きいよね…とか
ルーマニア人とイタリア人がお互い母語で話してましたねえ。スペイン語、ポルトガル語ならよく聞く話ですが、
北ゲルマン語群、とくに2つの標準語が併存するノルウェー語が気になっています。
ニーノシュクとブークモールとデンマーク語でどれが「仲間はずれ(いとこ)」かというとニーノシュクになりそうです。だとすると、ニーノシュクとブークモールを同じノルウェー語の方言とは言い難い気がします。(たぶんにアイデンティティの問題だと思いますが)
とつも分かりやすい解説、ありがとうございます。科学的考察と社会的考察の間を行くところが、良いですねー、cleverで。🎉🎉🎉
ちなみに日本の言語教育について。
基本的に日本の先生は共通語を喋れと矯正されているわけではないので、関西の先生は思い切り関西弁で授業します。小学校でも方言は取り扱いはしますが、もっぱらコラム的な感じなので子供たちに方言が定着することはありません。ちなみに北海道では「総合的な学習の時間」でアイヌ語を取り上げることがあるそうですが、やはりこれもあくまで地域教育の一環です。
通りすがりの者です。言葉のミニ講義「日本にはいくつ言語があるか?」-TH-camで見られます。
ユネスコは言語と方言を区別してませんね。そういうことも調べてみるとさらに興味が湧いてきます。
こんな論理的に分かりやすくよく知らないジャンルの話聞けて感動しました
イデオロギーで言語が分けられるって聞いて、ルーマニア語とモルドバ語を思い浮かべました。
チェコスロバキア語が、分離後にチェコ語、スロバキア語になったのも、この感じに近いですね。
北京では香港映画は吹替え版を見るのを知られることが、日中🇯🇵🇨🇳の理解につながると思います。多数の言語が使われている国があることが知られれば、他国が一枚岩でないことの理解にもつながると思います😊
知り合いの韓国人曰く、
「北朝鮮のアナウンサーが話している言葉ですら、理解が難しいときがある。
使われている語彙や、イントネーションのクセが強い。
あと、北の方がキムチは辛い」
らしいです。
言語の相互理解性って、社会制度や生活様式もかなり関係しくるみたいですね。
嘘くさい話ですね。北朝鮮は普通の漬物がメインでいわゆるキムチはあんま食べないです。唐辛子は寒い地域での栽培が難しいので。
そもそも北朝鮮のキムチどこで食べたんでしょう?
↑私のコメントが不快に感じられたら、
ここでお詫びします🙇
実は、「知り合いの韓国人」は私の父親なんです。
私自身、韓国語がまったく話せないので、昔父から聞いた内容を思い出しながらコメントしました。
なので、もしかしたら思い出補正or誇張があったかもしれません🙏
@@橘涵 そうだったんですね。うちの親も言うこと全く当てにならないです。非常に納得しました。不快に思ったりはしてないので謝罪されなくて大丈夫です。ちなみにお父さんは韓国育ちの方ですか?それとも在日系の方でしょうか?
いや、キムチめっちゃ食べてるぞ、北朝鮮。過去にキムチ用白菜不足がニュースになるくらい。
ちなみに在日の言語は南の本国の人からしたらウザいらしいです。
言語というものは短期間でどんどん変化するものだなと思いました。
マルタ語
アラビア語風?の発音がアルファベットで表記されてるっぽくて面白そう
マルタ語はアラビア語の口語の一種ですからねえ
アラビア語の世界は、地理的にとても広いのに、読み書き語(「文語」と呼んでいいのかな?)は統一を保っているという話、《 イスラム教では、コーランを読めることが人間である必須条件 》という話があるので、そのせいでは?
だとしたら、マルタ語は、今後、アラビア語からどんどん離れていって独立した言語となるかもしれない。
広いラテンアメリカ世界で使われているスペイン語は、方言の広がりは、幾分あるもの(例えば、México と Perú で言葉を学んだ私は、アルゼンチンのスペイン語はちょっと違うなと感じます)、その違いが 今後 どんどん広がってゆくかというと、そういう感じはなくて、寧ろ収束の方向にあるように感じます。その理由は、第1に、米国カリフォルニア州で作られるスペイン語の映画やドラマを見ている人が多いこと、そして、Internet の時代になって、米国 CNN のスペイン語版コンテンツを見ている人が多いこと。これらによって、南北アメリカ大陸のスペイン語話者は、米国スペイン語に収斂してゆく傾向にあるのではないかと思います。とはいうのもの、スペインで、欧州統合を進める為に スペイン語からスペイン語独特の Ñ ñ を無くそうという話が上がった時、ラテンアメリカ諸国から猛烈な反対があって、取りやめになったことがあります。南北アメリカ大陸スペイン語が、スペインのスペイン語から離れて独立したものとして変化しているというものでもないように思います。
言葉の均一化はネット社会でどんどん進むでしょうね。卑近な例だと関西弁もどんどん共通語化が進行している。成人後活動領域が増えるから捨てると言うのではなく子供の段階から友人同士で共通語を使用する現象も見られる。(TH-cam の影響大)文法や語彙も共通語の干渉が強く、上の世代でメジャーな表現が通じない事も少なくない。
国境などの政治的要因を含まない、言語の差異を数値化出来れば面白いと思いました。
最近、ネパール語に興味を持ってきたところだったので、大変興味深く聴講しました。ありがとうございます。
屋久島の尾之間温泉♨️の共同浴場行ったら地元民の会話 解読不能😅
ケンミンSHOWの方言回が好き〜
津軽弁と宮崎弁は似ているとケンミンショーでやってました。
東京弁しか喋れない私はどっちもちんぷんかんぷんなのですが、最近は古代の日本人(それこそ縄文人とか)が操っていた言葉が方言として残っているのではないかと思うようになっています。
カタカムナの50音一字に意味が込められているそうなので、方言の一字の意味と照らし合わせたら合致するのか興味があります。
検証結果次第ではカタカムナが日本で最古の文字というのも信憑性が高まりそうです。
周縁に古い語が残ってるとか東北と九州で方言が似てるというのは、「そういう部分だけを切り抜いて見ればそう見える」というだけの話ですし、またその中には、「古形を双方が保存している」場合のほか、「双方でたまたま同じ変化が起きた」だけの場合もあります。
あとカタカムナですが、はっきり言ってオカルトの域を出るものではありません。
@@Gengo_No_Heya
方言周圏論否定派ですか?個人的には音韻音声を含めればだいたい合ってると思います。
@@nurechin 項目ごとに見れば該当する例が少なからずあるというのは分かりますが、一般化できるものでは決してないと思います。
下記推薦図書では、
「かたつむり」の分布図から同心円を見て取るには、柳田のようによほどの才能が必要なのだ。(p.169)
と皮肉たっぷりに、カタツムリの例さえ同心円を描いていないことを定量的に指摘しています。
推薦図書→大西拓一郎 (2016)『ことばの地理学: 方言はなぜそこにあるのか』大修館書店. ※ちょうど私が読んでいたタイミングでゆる言語学ラジオで紹介されていた
@@Gengo_No_Heya
語彙だけでは謎理論に見えますがズーズー弁基層言語説を生物学的な目で見るとそれらの地方は縄文人由来のDNAを持つ人が多いという共通点が見られ、根拠の一つとして考えられると思います。
なんで生物学と思うかもしれませんが他分野と連携がある学問は発展しやすいものです。
それと周圏論って関係ないですよね?