【秒速5センチメートル 考察④】結末の踏切シーンは何を意味する?絶望の第3話を解説!ラストはなぜハッピーエンドと言えるのか!?
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- เผยแพร่เมื่อ 7 ก.พ. 2025
- 悲しすぎる作品「秒速5センチメートル(新海誠)」を考察しました。
「鬱作品」と言われることもありますが、その表現が正しいと思えるほど感情を揺さぶる作品です。
私が初めて観たのは、大学生の頃でした。
それ以来、2〜3年に1度見直して、気分を落ち込ませることを繰り返していました。
私もおっさんになり、作品に描かれている内容がわかり始めた気がしたので考察動画を作ってみました。
一緒に作品の魅力を楽しみましょう!
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初めて新海作品に触れたのはこの作品でした。
見終わった後一週間ぐらい鬱状態で息苦しい日々を過ごしていた事を覚えています(笑)
その頃ネットで「鬱と感じたならそれは勘違いだ!10回みてみろ!」
との書き込みを見て連続で3回見たところで・・・あーこれはハッピーエンドだったーと気付きました
細かいところまで拘って作り込まれている作品だからキャラクターが実在してるのかな?
と思ってしまう場面が多々ありますよね
水野さんの携帯アドレスはおそれく誕生日ですよね・・・だとするとクリスマスまで連絡とらなかった貴樹の心はもう
彼女にはないのでしょうね・・・なんて考察も出来ちゃいますね(笑)
この作品は考察が止まりませんよね
今日リバイバル上映見に行きます。
秒速5センチメートルは名作です
「鬱だけどハッピーエンド」が正解だと思うんですよね…
当時「鬱は間違い」と言い切った人達が、作品の悲しい表現をちゃんと拾えていたか、と言えばそうでもないと思います。
確かに!アドレスには気が付きませんでした!
小説の水野理紗に関する部分、決定的な要素は書かずに関係が終わっていくんですよね。
映画の情報ですとまさにその考察かと!
この映画は漫画版がよくできていて、細かい心理描写の補足や、別れた後の話があり、それが蛇足になっておらずとても良いんですよね。
希望のある終わり方でありつつ、その先は読者が想像できるような内容で。
それぞれに良さがあって良いですよね!
映画版も希望はありますが、悲しみの方が伝わりやすすぎたという!
映画版、小説版をみてもいまいち貴樹の気持ちが理解できませんでしたが、こちらのコメントを参考に、早速漫画版を
購入して、一気に読みました。結果非常にスッキリした気持ちで、内容が理解できました。非常に満足です。
漫画版をご紹介いただきありがとうございました。
申し訳ない、嘘を付きたくないので言ってしまうのですが、私は漫画版は嫌いです!
もう覚えていないのですが、映画・小説と比べると明らかに矛盾する描写もあったと思います。
ただ、優しい人が書いたのだな、とは思っておりまして、その優しさが蛇足になっています。
「貴樹の気持ち」という面で見ればもっと魅力に気づけていたかもしれないので、見直してみます!
今、リバイバル上映中で、先日観に行ってきました!
君の名は。以降の新海作品は観ていますが、秒速こそが深海ワールドの真骨頂ですね。
大好きな作品となりました!
色んな人の考察動画を見ましたが、非常に素晴らしく、より深い解釈ができたように思います。ありがとうございました。
小説も購入して手元にあるので、近日中に読み進めるつもりです。
次回の動画も楽しみにしています、チャンネル登録もしました、応援しています!
本当にそうっすよねぇ。これが真骨頂だと思います。
小説は最後の部分が映画とは違っていて、私は映画派です。
小説で微妙と感じた部分も、新海誠監督の苦悩が見えるようで、複雑な気分になっています。
また次の動画も作ります。
この秒速5センチの歩みの違いがきっと、大きな差になっていき、大人になった年月分、もう取り戻しのつかない距離になっていたんだと解釈しました。
多感な時期の歩き方と社会人の歩幅が異なるように、一緒に歩いていけない人が多いからこそ、ささる映画でした。
確かに!
子供の頃は少しの差だったのが、積み重なってしまったわけですね…
その理不尽を救うための映画なのですよね。
食べ物に困るとか、子供が小さくして命を落とすとか、そういう理不尽は現代はないのですが、それでも思い通りにならないのが人生でして。
最近DVD借りて今日みたら、リバイバル明日まで!考察見て再度いきます!
なんぼ観ても良いですよね!
最高の作品です!
素晴らしい考察ありがとうございます!今ちょうど東京の調布で特別興行があるようなので観に行ってきます!小説の解説も楽しみにしていますね。
こちらこそ、ありがとうです!
再上映、良いですよね!私も行く予定です。
小説は映画ほどは共感できなくて、新海誠監督もかなり葛藤があったんじゃないかと思ってます。
ズバッと言えば説明が分かりやすくなるのですが、作り手を悪く言う内容にしたくないなと思って、筆が遅くなってます!
すずめの戸締りで常世の世界を見た時、秒速5センチメートルの空想の世界を思い浮かべたのは俺だけかな?
やっぱり、新海誠監督の映画の世界は共通しているのかもしれないですね!他の作品を匂わせる描写が出てくると嬉しくなります。
フランスの哲学者のドゥルーズが何かの講演で「黒澤の作品やドストエフスキーの作品にでてくる登場人物を思い浮かべてください、彼らはなぜあそこまで深刻なのでしょうか」みたいなこと言っていたのを覚えてますが、その感覚が秒速の「大人時代」を見たときに感じました。この中に出てくる大人はなぜこうも「生気」がないのかと…そして過去はなぜあそこまで美しいのかと…
新たな始まりを感じさせる桜の花と終わりを感じさせる雪の冷たく物悲しい印象を作品全体で対比して表現する映画的な対位法…新海監督、見事ですね…
つまるところ、秒速は「大人になるとはどういうことか」よりももっと深く「生きるとは何なのか」「時間とは何なのか」「この世とは何なのか」という哲学的な議題を扱った作品のようにも思えてきます、といったらさすがに妄想がすぎるでしょうか…でも秒速を見るといつもそう感じてしまうのです…
それと非常に素晴らしい考察でした。もはや本にできそうな考察です。
たしかに!ポリフォニーですね!
雪と桜、大人と子供が入り混じって展開しております。
作品で描かれた「大人が生気がない」、鋭い視点ですよね。
成熟して可能性、欲望、活力がなくなっていくのが大人になってからの変化で、それに抵抗すると貴樹達のように「深刻」になるのではと思いました。
ただ、大人になって諦めて手放していく様子だけでは「汚い現実」で誰も観ないので、子供の頃の失った要素が美しく描かれていますね!
よほどクリエイターでない限り、避けたい、消化しきれないテーマだと思います。
私は「時間」だけはちょっとドライにとらえております。
視聴者に「時間・距離」を無視されるとこの作品はなりたたないので、約束・ルールとして念押ししている気もしました。
大人になる速度の違いはまた別ですが。
ちょうど彼女に振られた後にこの映画を見て酷く病んだ記憶がある
いちばん染みるときに、観てしまいましたね…
病むくらい自分にとって大事だった、というのは素敵なことだと思います!
それでもやっぱり会えなかった秒速が好き。
「再び会ってほしい」と思ってしまうからこそ、会えないのが良いですよね!
人間ってめんどくさいですわ。
こんばんは!
秒速観て感じたことは、その時々の出会いをいかに大事にし、後悔せず人生の歩みを進めていけるのか?
ということでした。
貴樹と明理が結ばれていても全く不思議ではなく、人生の行き違いの儚さを感じました。
素晴らしい動画ありがとうございます(^▽^)/秒速の奥深さを気付かせていただきました。
観ていただいて心より感謝です!
現代に残る理不尽さを慰めるために作られた、素晴らしい作品でございます!
キャラクター、背景、音楽、脚本など、全てが考え尽くされていて、奥深いですねぇ…
私は考察を作った結果、考え過ぎになりがちなのですが、最初に感じたことは大事にしたいですね!
一人で電車乗るのにどういう表情を見せて欲しいですかw
明里の電車の表情の話ですかね?貴樹の中学生の頃?
それぞれ重ための顔をしてますよねぇ…
悲しく受け取られて当然の顔ですが、これはこれで良いと思ってます。
この作品を最初に見た時はラストのシーンで胸を締め付けられました(これは圧倒的に男性に多いようです)。
しかし他の見た人からラストシーンでこう言われ、なるほど悲しい結末ってわけじゃないなと気付きました。
踏切ですれ違った二人はお互い相手に気付いている。
明里はすでに家庭を持っている身。貴樹への想いは消えてはないがここで去る事が大人の選ぶ道と分かっていた。
今までずっと明里の幻影に縛られていた貴樹もこの明里のアクションで明里の状況を理解した。
そして遮断機が上がった時の貴樹の足は明里の居た方向とは逆に踏み出し、顔も呪縛から解き放たれた清々しい表情になっている。
最後のシーンをよく見るとそんなメッセージが読み取れると思います。
お互いにとって今後の未来に対しハッピーエンドという解釈は間違いではないと思う(少なくとも踏切で再会したら今後泥沼になってしまう)。
これは苦しくなりましたよね…
それぞれに思いが残っている描写がちゃんと含まれていて、良いですよね!
それでも前に進まねばならない。
「ちょっと話すぐらいはいいんじゃねぇか」と思ってた時期もありましたが、この2人が話してしまうとちょっとじゃ済まないので、おっしゃるとおりの泥沼が始まってしまいますね。
泥沼に沈んでいく速度、時速5センチメートル。
大人になって、味わったことのない悲しみを経験した
秒速5センチメートルは何度観ても悲しいですね…
様々な要素が繋がっていく様子に震えます!
たかきの空想で横に居るのはあかりというよりあかりをベースとした自身の女性に対する理想像なのではないでしょうか。カエルさんがいった通り理想を見ている場合は顔がかかれていなく、あのシーンも女性の顔は無かったはず。そう考えると全体のたかきの行動も納得できるというか、あかりが好きなら会いに行けば良いじゃん問題も、あかりではなく自身の女性に対する理想像を追っていたと考えれば受け身なのに理由がつくなと。最後のシーンも女性の顔がないですしあそこでたかきが理想を追い続けるのを諦められたと考えれば、ハッピーエンドに繋がりそうです。
現実の明里と貴樹の理想が乖離していったというのは、めちゃあり得そうですね!
「どうにもならない恋の思い出を慰める」という思想を重視して、そっちの考え方を無意識に避けていたフシがありました。
私も含めて、人は都合が悪いことには気が付かないという。
悲しさによる慰めと同じようにハッピーエンドは重要ですから、直接気が付かないように現実を描いていた可能性は高いですね!
個人的な解釈としては、ラストは絶望的なまでのバッドエンドに思えました(貴樹にとってですが...)
明里?と思われる側を通過する電車は左から右へ、一方貴樹側を通過する電車は逆の右から左へ...
時間は左から右へ進む、といった描写はたまこラブストーリー等、多くの作品で描写されていることから、明里は過去から未来へ歩を進める一方、貴樹は過去に囚われたまま諦めとも言える顔をして道路を左側(過去)へゆっくりと進んでいってしまう...とも思えました。
一方、時間は右から左へと進むといった解釈もあるのは事実ですので、そのように見れば貴樹の成長を見れる、ハッピーエンドとも見れるかと思います!長々と失礼いたしました。皆さんのご感想、お待ちしてます。
貴樹が笑顔だったとしても、情報が少ないので、「それが必ずしもハッピーエンドを示す!」とは言えないですもんね。
ラストシーンに関しては、あんまり厳密には方向の意味を考えませんでした!
2台の電車も、貴樹と明里も、すれ違っているので、どっちかは必ず左に行く必要があるためです。
「電車の右左」の時点では、まだ貴樹は吹っ切れていないので、当てはまるかもしれません。
京都アニメーション、かなり厳格に描写のルールを守ってきますよね。
写真を勉強してやっと何をしているかが分かりました。
踏切で最後すれ違うのは、「明里のような人」ではないのですか?
小説では明確に明里だと断言していなかった気がします
小説、見直しました!確かに明里だと書いてはいないですね…
やっぱり明里であって欲しいなと、個人的な希望込みで思っております。
@@kaeru.review
そうですね、明里であってほしいなと思いますが、個人的には明里でなかったとしてもいいとは思っています。誰かは分からない女性とすれ違うことで最後の最後にたかきくんが前を向いて歩くことができるようになる、というのがこの物語の終着点であることが大事だと思っており、そこがとても好きです。
明里側の電車が先に通ってその後に貴樹側が通ったから明里は先を行くんだなって思った!
そうですね!明里は先を行きます・・・
その点からも分かりますね!
たったそれだけの事実が切ないっす!
自然なことのはずなのに!
秒速5センチメートル 考察 ありがとうございます。
こちらこそ、観ていただき感謝でございます!