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C62は、昭和30年台私が乗っておりました広島運転所に沢山在籍しておりました。その頃の列車番号は1が下りさくら、2がその上り、3があさかぜ、4がその上り、5がはやぶさ、6がその上り、となっていました。東海道~山陽に至る本線で1~6までの番号が使われていたということは、国鉄きっての花形列車であったということです。それぞれ16両の固定連結で、車両も軽く造られておりました。その当時のC62のほとんどが、広島と下関におりました。C62がブルートレインを牽引して走る姿は、残念なことに、ほとんど撮られておりません。非電化時のC62がさっそうとブルトレを牽き、最後尾車両の電源車のブーという音の違和感面白かったと思います。その当時、平均時速80キロで走るということは大変なことでした。C62には、自動給炭機なるものが備え付けられておりましたが、調子の悪いことが多く。これを使いこなすのは、ちょっと名人芸でした。ブルトレ乗務は、機関士1、助士2の3名で走らせていました。寒い冬に、釜の側に座ると、眠くなって困りました。それも楽しい思い出となりました。
なんといっても撮影者の惚れこみよう、情熱、愛が尋常じゃない。ひたすら「王者」だけをとりつづけ絶好の地点、絶妙のアングル、迫力の録音、徹底した素晴らしい編集で画面切り替えのテンポが憎い。30年近く前の撮影機材の制約を乗り越えた超弩級のSL作品だと思う。
ありがとうございます。 休みのたびに撮影に出てました。 すばらしい列車でした。
こんなにも贅沢な映像は初めてです。投稿してくださって本当にありがとうございます。
休みのたびに撮影に出ていました。
まだまだ撮り足りない場所はたくさんありましたが、街中から山中まで撮影しました。また撮りたいですね。
私が見る事が出来た現役のC62は2号機、3号機だけでした。と言っても急行ニセコは見れず、さよなら列車と雪まつり臨時列車の牽引した時だけでした。3号機が復活してからは夢のようでした。もしタイムマシンが有ればC62がたくさん居た時代に行ってみたいものです。
蒸気機関車には旧型客車がよく似合いますね。
山間に汽笛が反響してるのがめちゃくちゃかっこいい
列車を待っている時に、遠くから聞こえてくる汽笛にワクワクしました。
ありがとうございます。またこの場所でC62 3を見てみたいです。
山にこだまする汽笛の音がなんとも言えないねヾ(*´∀`*)ノいやぁ~かっこいい!
***** また山で汽笛を聞きたいな〜。
すばらしい映像でした。貴重な記録です。1969-1971年にC62重連を撮影した場所を思いだしました。
なんた坂、こんな坂って感じで登って行くC62が愛おしい
やっぱり北海道のD51はいいなぁ。泣ける…泣ける…小さい時、迫り来る蒸気機関車見て、怖くて大声で泣いたっけ。これから始まる人生みたいに思ったんよね
鉄道に興味が無い俺でもロマンを感じれるんだから好きな人にはたまらんのだろうね
休みの度に出かけました。
C62は京都に1号機、2号機、26号機があるけど2号機以外は静態保存だし、その2号機もストーカが装備されてないからC62の全力運転を見れたのは当時北海道だけなんですよね。一度でいいからC62が牽引するれっしゃに乗ってみたいです
2号機はストーカー外してましたか。重油タンクも下ろしてちゃいましたしね。東のC61もストーカー外しましたし、ストーカー生かして復活したのはC62 3だけですね。
ストーカーを装備していないとC62は空転が多発しますし2号機は軸重軽減も施されてると思うので本線なんか走らせたらダイアが乱れるかと思います。白鷺号牽引時の動画もアップされていますがあれは2号機の本気走行では無いと思います。C62の本気の力走を見たいなら北海道に期待したいですね
JR東日本がC6120を復活させる際にC623も候補に挙がっていてたそうですが、自分の個人的な意見ですが北海道に残ってくれて一安心です。C61のストーカーも外されているなら間違いなくC623のストーカーも外されていたでしょう。それにC623がイベント専用のヘッドマークを装備し12系客車を牽引しちんたら走っていると思うと何か悲しくなってしょうがないです。しかしC62とD51の重連は現役時代でもあったそうなのでそれは少し見たいですね
@@hiro-qu9rt C62 3復活当時は国内炭を使っていましたが、今使ってる輸入炭は石が結構混じっているそうです。ストーカーが有っても、今では石が引っかかって使えないので撤去されちゃうかも?C62とD51、C61の重連、三重連見て見たいですね。
hiro 0655 東日本側が自動給炭装置にコンクリートを詰めることを条件として、北海道側に提示したことも東日本への譲渡の話がなくなった1つの要因だったそうです...。
撮影に行きました。懐かしいです😊素晴らしい映像ありがとうございます。
休みの度に撮影に行きました。運行が終わってから随分経ってしまいました。また復活すれば良いですね。
僕の伯父がSLの整備士だったそうです。この動画を見たら喜んだでしょうね。とうに鬼籍に入られたのですが。素晴らしい動画ありがとうございました。
SLはたくさんの職人と呼べるような人たちに支えられて来ましたね。
苗穂工場の公開日、鉄道技術館の開放日に行くとC62 3をすぐそばで観察できます。ぜひ見に来て下さい。
動輪がデカイのは知っていたが、人との対比でホントにデカイのがわかる。自分の目で確認したい。
急行ニセコ号を思い出しました。C62蒸気機関車が重連で牽引していた頃。まさに王者の風格!素晴しい。
C62重連を再び見たいですね!
かっこいい✨
水戸に住む者です昔は水戸機関区にもC62がいたみたいです私が生まれる数年前22や39など、当時は常磐線の線路は普通のC62は走れなくて常磐型と言われる車両が走っていました
北海道に来たC62も軸重軽減改造されていました。
あら?そうなんですか2、3、16、17といたと思います何年か前、JR東日本水戸支社からJR北海道に対して「常磐線にC62を走らせたい、3号機を貸してほしい (あるいは譲ってほしい)」という話を持っていったようですJR北海道の答えはNO!常磐線に軸重軽減されてないC62走らせられるんか?軸重軽減されていないと走れなかったのは昔の話今は大丈夫軸重軽減されていたんですね
ありがとうございます。毎週のようにC62を撮りに行けたのは、今思うとなんと贅沢な事だったんだろうと感じますね。でもまた走る姿を見てみたい!
1:55711系が煙出してるように見える
ちょうど711の屋根から煙が出ているように見えますね。
再び復活して欲しいですね。
うまいですね!しかし、今思えば幸せな時期でしたよね!
まさに王者ですね。無駄のない洗練されたフォームながら王者の風格。音が他のSLと違う!!
C62は本当に王者の風格でした。C623は冬ごもりが終わって、定位置の展示場所に出ました。
c62は、銀河鉄道999のモチーフになったSLです。是非、生でこのc623を見てみたいです。
C62 3は苗穂工場に保存されています。春から秋まで毎月第二、第四土曜日に見られますよ。
「今 万感の思いを込めて汽笛がなる。今 万感の思いを込めて汽車が行く。一つの旅は終わり また新しい旅立ちが始まる。さらばメーテル。さらば銀河鉄道999。さらば少年の日。
やっぱC62には旧客ですよね
当時と同じ旧客牽引で最高でした。
nahanifu またいつかニセコの地を走って欲しいですね。
街中を走るシロクニを初めて見ました!
C62は蒸気機関車の中でも名機中の名機C57、C58もいいなあ
C62は別格です!!
ほんとに別格ですね!
お宝作品ですね。
SLはアナログ機械の最高峰の王者です。
王者ですね。
北海道新幹線の開通に伴い、函館本線は函館〜長万部〜小樽間が並行在来線としてJR北海道から経営分離される。だが、定期特急列車も貨物列車も走らず、普通列車の本数も少なく利用が全く見込めないことから長万部〜余市間は第3セクター鉄道への転換も断念され、とうとう廃止が決まった。
新函館北斗〜長万部も廃止されるかも?普通列車だけになるし、地元は列車要らないバスで良いって言ってるし。貨物鉄道として残すとしてもJR貨物だけでは線路維持できないし。そうなると線路は残らない。東室蘭〜長万部は新幹線接続で特急残るだろうけど・・・
SLって生き物のように感じます。
ひぐっぺTV SLは生き物にもっとも近い機械だと思います。
加速がすごいですねぇ…
迫力がありました。
この蒸気は一度、動態復元修理してから今はどうなってるのでしょうか?
今は苗穂工場で上屋の下で静態保存となっています。工場公開の時はDLに牽引されて構内を走っています。
@@nahanifu そうなんですね!動態保存では無いんですね。またいつかは釜に火が入る時が来るのでしょうか?梅小路のC62 2はもう本線は走れないようですから・・
2024年、SLはおろか鉄路さえ存亡の危機に直面しています。シロクニが聞いたら悲しむだろうな。
走れる場所がなくなります
ハドソンと騒がれた時代ですね!
この時の運行にはディーゼルの御付きはいなっかったんだね。もし御付きが付いていれば御不動さんになること無かったんだろうか?
DLの補機が付いたのは、ほとんどありませんでした。
C62は、昭和30年台私が乗っておりました広島運転所に沢山在籍しておりました。
その頃の列車番号は1が下りさくら、2がその上り、3があさかぜ、4がその上り、5がはやぶさ、6がその上り、となっていました。
東海道~山陽に至る本線で1~6までの番号が使われていたということは、国鉄きっての花形列車であったということです。
それぞれ16両の固定連結で、車両も軽く造られておりました。
その当時のC62のほとんどが、広島と下関におりました。
C62がブルートレインを牽引して走る姿は、残念なことに、ほとんど撮られておりません。
非電化時のC62がさっそうとブルトレを牽き、最後尾車両の電源車のブーという音の違和感面白かったと思います。
その当時、平均時速80キロで走るということは大変なことでした。C62には、自動給炭機なるものが備え付けられておりましたが、調子の悪いことが多く。これを使いこなすのは、ちょっと名人芸でした。
ブルトレ乗務は、機関士1、助士2の3名で走らせていました。寒い冬に、釜の側に座ると、眠くなって困りました。それも楽しい思い出となりました。
なんといっても撮影者の惚れこみよう、情熱、愛が尋常じゃない。ひたすら「王者」だけをとりつづけ絶好の地点、絶妙のアングル、迫力の録音、徹底した素晴らしい編集で画面切り替えのテンポが憎い。30年近く前の撮影機材の制約を乗り越えた超弩級のSL作品だと思う。
ありがとうございます。 休みのたびに撮影に出てました。 すばらしい列車でした。
こんなにも贅沢な映像は初めてです。
投稿してくださって本当にありがとうございます。
休みのたびに撮影に出ていました。
まだまだ撮り足りない場所はたくさんありましたが、街中から山中まで撮影しました。
また撮りたいですね。
私が見る事が出来た現役のC62は2号機、3号機だけでした。
と言っても急行ニセコは見れず、さよなら列車と雪まつり臨時列車の牽引した時だけでした。
3号機が復活してからは夢のようでした。
もしタイムマシンが有ればC62がたくさん居た時代に行ってみたいものです。
蒸気機関車には旧型客車がよく似合いますね。
山間に汽笛が反響してるのがめちゃくちゃかっこいい
列車を待っている時に、遠くから聞こえてくる汽笛にワクワクしました。
ありがとうございます。
またこの場所でC62 3を見てみたいです。
山にこだまする汽笛の音がなんとも言えないねヾ(*´∀`*)ノ
いやぁ~かっこいい!
***** また山で汽笛を聞きたいな〜。
すばらしい映像でした。貴重な記録です。1969-1971年にC62重連を撮影した場所を思いだしました。
なんた坂、こんな坂って感じで登って行くC62が愛おしい
やっぱり北海道のD51はいいなぁ。
泣ける…泣ける…小さい時、迫り来る蒸気機関車見て、怖くて大声で泣いたっけ。これから始まる人生みたいに思ったんよね
鉄道に興味が無い俺でもロマンを感じれるんだから
好きな人にはたまらんのだろうね
休みの度に出かけました。
C62は京都に1号機、2号機、26号機があるけど2号機以外は静態保存だし、
その2号機もストーカが装備されてないからC62の全力運転を見れたのは当時北海道だけなんですよね。
一度でいいからC62が牽引するれっしゃに乗ってみたいです
2号機はストーカー外してましたか。重油タンクも下ろしてちゃいましたしね。
東のC61もストーカー外しましたし、ストーカー生かして復活したのはC62 3だけですね。
ストーカーを装備していないとC62は空転が多発しますし2号機は軸重軽減も施されてると思うので本線なんか走らせたらダイアが乱れるかと思います。
白鷺号牽引時の動画もアップされていますがあれは2号機の本気走行では無いと思います。
C62の本気の力走を見たいなら北海道に期待したいですね
JR東日本がC6120を復活させる際にC623も候補に挙がっていてたそうですが、自分の個人的な意見ですが北海道に残ってくれて一安心です。
C61のストーカーも外されているなら
間違いなくC623のストーカーも外されていたでしょう。
それにC623がイベント専用のヘッドマークを装備し12系客車を牽引しちんたら走っていると思うと何か悲しくなってしょうがないです。
しかしC62とD51の重連は現役時代でもあったそうなのでそれは少し見たいですね
@@hiro-qu9rt C62 3復活当時は国内炭を使っていましたが、今使ってる輸入炭は石が結構混じっているそうです。
ストーカーが有っても、今では石が引っかかって使えないので撤去されちゃうかも?
C62とD51、C61の重連、三重連見て見たいですね。
hiro 0655 東日本側が自動給炭装置にコンクリートを詰めることを条件として、北海道側に提示したことも東日本への譲渡の話がなくなった1つの要因だったそうです...。
撮影に行きました。懐かしいです😊
素晴らしい映像ありがとうございます。
休みの度に撮影に行きました。
運行が終わってから随分経ってしまいました。
また復活すれば良いですね。
僕の伯父がSLの整備士だったそうです。この動画を見たら喜んだでしょうね。
とうに鬼籍に入られたのですが。素晴らしい動画ありがとうございました。
SLはたくさんの職人と呼べるような人たちに支えられて来ましたね。
苗穂工場の公開日、鉄道技術館の開放日に行くとC62 3をすぐそばで観察できます。
ぜひ見に来て下さい。
動輪がデカイのは知っていたが、人との対比でホントにデカイのがわかる。自分の目で確認したい。
急行ニセコ号を思い出しました。C62蒸気機関車が重連で牽引していた頃。まさに王者の風格!素晴しい。
C62重連を再び見たいですね!
かっこいい✨
水戸に住む者です
昔は水戸機関区にもC62がいたみたいです
私が生まれる数年前
22や39など、当時は常磐線の線路は普通のC62は走れなくて常磐型と言われる車両が走っていました
北海道に来たC62も軸重軽減改造されていました。
あら?そうなんですか
2、3、16、17といたと思います
何年か前、JR東日本水戸支社からJR北海道に対して「常磐線にC62を走らせたい、3号機を貸してほしい (あるいは譲ってほしい)」
という話を持っていったようです
JR北海道の答えはNO!
常磐線に軸重軽減されてないC62走らせられるんか?
軸重軽減されていないと走れなかったのは昔の話
今は大丈夫
軸重軽減されていたんですね
ありがとうございます。
毎週のようにC62を撮りに行けたのは、今思うとなんと贅沢な事だったんだろうと
感じますね。
でもまた走る姿を見てみたい!
1:55
711系が煙出してるように見える
ちょうど711の屋根から煙が出ているように見えますね。
再び復活して欲しいですね。
うまいですね!
しかし、今思えば幸せな時期でしたよね!
まさに王者ですね。無駄のない洗練されたフォームながら王者の風格。
音が他のSLと違う!!
C62は本当に王者の風格でした。
C623は冬ごもりが終わって、定位置の展示場所に出ました。
c62は、銀河鉄道999のモチーフになったSLです。是非、生でこのc623を見てみたいです。
C62 3は苗穂工場に保存されています。
春から秋まで毎月第二、第四土曜日に見られますよ。
「今 万感の思いを込めて汽笛がなる。今 万感の思いを込めて汽車が行く。一つの旅は終わり また新しい旅立ちが始まる。さらばメーテル。さらば銀河鉄道999。さらば少年の日。
やっぱC62には旧客ですよね
当時と同じ旧客牽引で最高でした。
nahanifu またいつかニセコの地を走って欲しいですね。
街中を走るシロクニを初めて見ました!
C62は蒸気機関車の中でも名機中の名機
C57、C58もいいなあ
C62は別格です!!
ほんとに別格ですね!
お宝作品ですね。
SLはアナログ機械の最高峰の王者です。
王者ですね。
北海道新幹線の開通に伴い、函館本線は函館〜長万部〜小樽間が並行在来線としてJR北海道から経営分離される。
だが、定期特急列車も貨物列車も走らず、普通列車の本数も少なく利用が全く見込めないことから長万部〜余市間は第3セクター鉄道への転換も断念され、とうとう廃止が決まった。
新函館北斗〜長万部も廃止されるかも?
普通列車だけになるし、地元は列車要らないバスで良いって言ってるし。
貨物鉄道として残すとしてもJR貨物だけでは線路維持できないし。
そうなると線路は残らない。
東室蘭〜長万部は新幹線接続で特急残るだろうけど・・・
SLって生き物のように感じます。
ひぐっぺTV SLは生き物にもっとも近い機械だと思います。
加速がすごいですねぇ…
迫力がありました。
この蒸気は一度、動態復元修理してから今はどうなってるのでしょうか?
今は苗穂工場で上屋の下で静態保存となっています。
工場公開の時はDLに牽引されて構内を走っています。
@@nahanifu そうなんですね!動態保存では無いんですね。またいつかは釜に火が入る時が来るのでしょうか?
梅小路のC62 2はもう本線は走れないようですから・・
2024年、SLはおろか鉄路さえ存亡の危機に直面しています。シロクニが聞いたら悲しむだろうな。
走れる場所がなくなります
ハドソンと騒がれた時代ですね!
この時の運行にはディーゼルの御付きはいなっかったんだね。
もし御付きが付いていれば御不動さんになること無かったんだろうか?
DLの補機が付いたのは、ほとんどありませんでした。