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現代では高層ビル群で埋め尽くされている東京都心の景色だが、幕末の写真を見る限り当時も大都会だったんだなぁと改めて思うこの頃の江戸にタイムスリップしてみたい
この写真、前から何気なしに見てはいたが、こんなに高解像度だったなんて。乾板が巨大だとはいえ、当時の技術でこれだけ解像する光学系があったとは驚きだ。
正直ビルだらけの街並みよりこういう街並みのほうが見ていて落ち着く
この時代にタイムスリップして、屋台や居酒屋で楽しんでみたい。高さが整えられ整然とした街並み、火の見櫓も十分機能しそうだ。
何食べてもすごくしょっぱいと思うよ。そして菓子などの甘いものは極あわい甘味だろう。江戸時代から同じ味というのが売りの和菓子屋さんがある。そこの江戸時代からの菓子は甘味がすっごく薄い。
治安が心配。辻斬りなどで命を落としそう。
1枚の写真でしかないですが、この国の持つ歴史的・文化的な成熟度を示していると考えています。そしてその成熟度こそが今にまで続く日本文化の強みであることをもう少し日本人自身が自覚してもよいとも考えています
これを見るとドラマ「仁」のセットや空気感がよくできてると改めて感心する
今とは違い、一定の調和がありますね。タイムスリップできるなら、この街を歩いてみたい。
関東大震災や東京大空襲がなければ、この整然とした江戸の街をベースに近代化されたかと思うと非常に残念です。
1800年代でこんなにも整然とたくさんの建物が並んでいたんですね!上下水道まで整備されていたとはさすが日本だなと思います。貴重な画像ありがとうございます♪
おお!今の東京とは比べ物にならないほどの美しさ、風情がありますね。この宝を失ったかと思うと、本当に残念でなりません。
この写真の高画質に驚きですが、歴史の解説にも感じ入りました。
日本の伝統文化・倫理感を大切にして、国を守り産業を興し、次代に引き継いでいく。今を生きる我々に課せられた責務だと思います。死ぬ間際に「狂った日本を残してしまってすまない」と思わぬようにしたいものです。
激しく同意!!!
見たかったリアル江戸。古地図でしか見てなくて。テロップで流れる解説も勉強になります。見せていただき、有難うございます💖😊
もし江戸の大名屋敷や日本中の城郭、お寺が空襲で焼かれず、残されていたら、素晴らしい観光名所になっていたんだろうな。
どうなんだろう。大体自分達では価値に気がつかないもの。使いにくいから、手どんどん手を入れる気がする。
焼かれていないお寺は結構ありますね。大名屋敷は焼かれなくても開発の中で消えたのでは。
大名屋敷は明治になって大名の手を離れ、あるものは政府や皇族に(その意味では江戸城が皇居になったのもそう)あるものは明治の重鎮に(現在の早稲田大学・大隈庭園など)、またあるものは財閥に売られたりしました(川越藩から三菱の創始者岩崎弥太郎が買った六義園など)。その際に大名庭園の多くは残り、上記大隈庭園や六義園のほか小石川後楽園や新宿御苑など、東京が他の大都市に比べて公園や緑が多い原因となっています。
@@inuinuchiichan 北陸に行けばよくわかります。大繁栄した前田家が作った京都奈良にも負けない巨大な佛院が多いです。我々が知らないだけで、東京名古屋大阪にも大量にあったはずです。
@@loinorn 当時は文化遺産の保存という概念自体がないですからね。和洋折衷という言葉もできましたが、にしても、近代化という西洋化を急ぎ過ぎたんでしょうね。
私は子供の頃、ずっと海外にばかり関心が高く。日本よりアメリカ、イギリス フランスが最高だと思っていました。食事もフランス イタリア アメリカが美味しいと。しかし大人になり日本の凄さを思い知らされた。戦後のどん底から逞しく立ち上がった。物凄い速さで挽回したのですから。この動画を見て素晴らしい国だと改めて思いました。
キレイだなぁ。本当に美しい。そしてこんな素晴らしい写真を残してくれたベアトありがとう!しかし、昔も今も、人々が生活してやってることは変わらないんだなぁと感じる。文明が発達して見た目や扱うモノは変わっても、疫病、天災、物価高、いつの時代もそういうものを乗り越えながら、生きて死んでを繰り返しているんだな。
素晴らしい映像をありがとうございます。日本の偉大さがよくわかります。
日本は本当に美しい国です。未来永劫この素晴らしい国、民族が守られますように。神様、お願いいたします。
港区にあるわずか標高25.7mの愛宕山に登り、高層ビルに囲まれた景色を眺めてみると、当時はここからこんな風に江戸市中が一望出来たということに驚きを隠せません。
素晴らしい写真をありがとうございます。それと40年の変換期の話がとてもためになりました。
整然とした美しい街並みですね。このまま残っていれば街全体が国宝かなぁ😊
時代劇のセットじゃない、当時の本物の江戸の街なのはすごい。彼方まで整然と家々が建っている。意外だったのは、昭和のドラマに出て来るような物干し台が一階屋根にある事。あれって、江戸時代からあったんだ。
整然と並んでいる街並み風景は素晴らしいですね
東洋の他の国では、この街並みは不可能だったと思いますよ。当時から異次元の存在だった日本。それが移民は入れるわ、観光立国なんてことをやりだしたり、三流国家へと転げ落ちている。本当にどうにかしたいですよ。
電柱がないので町の遠景がすっきりしている。今ではいち早く電柱の地中化をすすめたパリにその差をつけられてしまった。
甍の波と雲の波・・・本当に歌にある通りの景色で美しいですね。カラーで見ることができたらさぞ壮観だったでしょうね😊
感心しました。それぞれの解説や歴史的背景も説明されていて非常に面白かった。
カラーでも観たかったな~😲同じような建物が並び整然としているからか、200年以上前の街並みでもなんか安堵感というか心穏やかに見ることが出来ます😄
加工したらワンチャンいける
なんて美しい街でしょう‼︎✨誇らしいです‼︎⤴️⤴️
これだけ美しかった江戸(東京)も今では何の風情もない殺風景な都市に変わり果ててしまった
素晴らしい!現在の混沌とした街並みが恥ずかしいくらいです。
現代の千代田区、港区、文京区エリアは殆ど大名、武家屋敷。庶民は中央区、墨田区の狭い地域に密集していた。江戸東京博物館で長屋の再現モデルがあるがすごい狭さ。日本橋辺りの大店の住宅は広かったんだろうけど。
今回のように日本の過去の写真を拡大分析した動画は珍しいので、今後も同様な動画を期待したいです。😊
瓦葺きの家屋はいいね。今日の西洋化された東京よりよほど趣きが有る。
江戸博にオープン当初から大きく引き伸ばされたパネルが展示されてたはず。尾張藩などに残されている江戸屋敷の平面図、鍬形蕙斎なんかの江戸図、錦絵などと違ってこちらは実物の幕末の写真であり、かつ絵画では殆ど描かれない屋敷の内側も写っている。これによって大名屋敷の建築の細部の構造までわかるから凄まじい。因みに中央奥のフラットな森のようなものは御浜御殿(現浜離宮)、その手前は仙台藩上屋敷、会津藩中屋敷。
戦前生まれが、「戦後に日本の建物はひどくなった」って言ってたり、コラムで書いてたりするのを何度か見たけど、さもありなんだわな。
その通りですよね。そのコラムってネットにはないですか
出典となっている デジタル版 港区のあゆみ のサイトを見るとほかにも貴重な資料がたくさん掲載されていますね。
たまたまオススメに出てきて拝見しました。整然と並んだ瓦屋根が印象的です。窓には障子が貼られているけどほとんどが破れたりしていて、当時の冬はさぞかし寒かったのだろうなと思いました。貴重なものを観られて目の保養になりました✨
高精度過ぎる!! 当時、既に我々が想像している以上に高度な技術があったとしか思えない。それは故意に隠されて来たのかもしれない。
東京は開発開発の無機質コンクリートジャングルで風情は少ないよねシンプルだったり近代なデザインってその国特有って感じじゃないから他の国の都市と似ちゃう印象京都府はこのぐらい感じたかったなー、電車やタクシー、ショッピングモールとか和風にするとこうなるっての見たかった笑風情ある木製の建物も癒されるよね自然に調和しやすいのも良い
ヨーロッパの都市とか街並みに統一感があって美しいけど、昔の日本も同じくらい統一感があったんだなぁ…雑居ビルや高層ビルなんか今時、途上国の首都にも無数にあるからな
むかーし昔の、そのまた昔日本という、それはそれは美しい国があったそうな。
今の味気ないコンクリート作りのビル群や家屋の風景がテレビニュースの画面に出るたびに、この時代の美しく個性豊かな日本家屋と町並みが今に伝えられていたら、さぞかし他国に誇れただろうになぁと思う。火災や地震に強い木造家屋が日本の知恵で生まれたろうし。ただただ、残念。ともかく日本橋の高速道路は早急に撤去してね、恥ずかしい風景だから。
なにもかもいとおしい。なんて美しい町なんだろう(; ;)
高層ビルもそうなんだけど、電柱がないとこんなにすっきり。美しいなあ。現在なら大正モダン建築で家を建てたら住みよいだろうなあ。
原版があればさらに解像度は高くなりますね。素晴らしい写真です。至るところに矢倉があったのですね。
文久三年は長岡藩主牧野忠恭が老中に就任した年ですねこの屋敷はガトリング家老で有名な河井継之助が北越戊辰戦争の軍資金とするために売却しました江戸の一等地。高く売れたと思います
真面目さと誠実さを失わなければ日本は絶対大丈夫だ。
政治と官僚機構はすでに失っている
@@inuinuchiichan やっているのは日本人ではないので。日本人の手に政治を取り戻さないといけない。
これだけ広範囲を精密に映し出されているのに人影が全く見えないのは何故でしょう?
露出時間が長いので動くものが写らないのでしょう。
なるほどですね
この写真をもって露出、露光時間が長いと判断するのは難しいと思います。実際木々の輪郭を見てもそれほど露出時間が長いとは思えません。
幕末の写真がとても好きで良く見るのですが、洗濯物が干してある写真と、数時間後に同じ場所で撮ったものでちゃんと洗濯物がとりこまれているものがあり、自分たちとなんら変わらない日常があったのだなあとしみじみします。お寺の境内で遊ぶ子どもや、車夫など…天災や感染症が多くとも、力強く生きていたんだなあと150年前の人々を思ったりしています。
愛宕山から撮影の写真は何度か見た事がありましたが、江戸城の櫓まで写りこんでいる事に気づきませんでした。勉強になりました。右端の櫓が桜田二重櫓であれば、左の三重櫓は蓮池巽三重櫓ですね。その後ろにも櫓のような物も見えますが二の丸の東三重櫓(二重櫓、渡櫓門の可能性も有り)かもしれませんね。
昔、団塊の世代くらいの人から聞いた話だけど、70年代の初頭に北海道から上京した時の印象が「東京は一面黒かった。」って。表通りはビル街だけど、一歩入ったら、黒い屋根瓦で埋め尽くされてる感じだったそうです。
これ全て木造だからね、火災が凄く恐れられてたのがわかる。
昔の日本も🎌立派!偉大で荘厳な日本に生まれいでるたことが出来て、本当に感無量です😎
瓦屋根の凄さよ
あー😮💨こんなの見てたら鎖国してそのまま発展していたら幸せだったかなぁなんて思っちゃいました。地震🫨有るから駄目か…京都は、その点恵まれてますね。
拡大された道路にゴミ一つ写っていないのはやはりすごい。
もう3~40年前だったと思う、テレビで日本の写真事始め的な番組をやってた。フェリックス・ベアト、弟子の日下部金兵衛や、下岡蓮杖、上野彦馬、いろいろ紹介されててものすごく興味を惹かれて食い入るように見てた覚えがある。ベアトは金兵衛を連れて、幕末日本を積極的に撮影して回ったとか。
本物のお侍さんがいたんだよな😊
デジタルよりもアナログの方が画像も音響も優れているようです。デジタルでの情報量が少ないので処理速度が速く大量に処理できるのでしょうか?江戸末期のアナログ技術を現代のデジタル技術は超越しているのでしょうか?
人が写っていないのは露光時間が長いからでしょうか?
そのようですね。
父方の母が、どうも堂島の米問屋の娘だったようです。父の従兄弟は皆大学卒でした。大正8年生まれの父より年上の方ばかりでした。歴史は栄枯盛衰ですね。
電気と言う生活インフラが有ると無いとで全然違う感じがしてしまうが、この江戸末期まではそんなものなどなくても十分機能していたなら単に自分は現代文明に毒されてるだけのハナシか。。w
関東大震災もそうだが東京大空襲で増上寺等の建築物が消失したのは痛い。
時は令和だが気分は幕末ぜよ!みたいな!
近代化以降40年周期は前回で繁栄も衰退も終了したと思います何故か?もう世界は「次の」産業革命の時代に突入し、1865年と同じく「リセット」が掛かったからです今の日本は新たな周期を模索してる状況。それが20年なのか40年なのか、100年なのか1000年なのか築き上げてる状態と思います。一つ言えるのは、いま過去がこうだったから次もこうなるの考えは1865年以前の多くの日本人が、この状況がこれから何百年も続くと考えた(太平の眠りの感覚)と同じと思います
ロマンを感じるね!
昔は良かったと言われがちな東京ですが、この動画の風景は写真だけにリアルでそう感じてしまうかもしれませんね。でもね、幕末から関東大震災や太平洋戦争の戦禍も含めての破壊と再生を現在まで続けながら、東京は常に新しく生まれ変わっています。日本橋周辺は古い神社を街中に美しく再生したり、街灯やライトアップのカラーコードを設定し三井本館、三越など文化財級の建物が現代風に美しいです。江戸時代は建材も建て方もバリエーションが少なく、それゆえに揃った美しさがあります。今は数えきれない選択肢があるけれど、スッキリとまとめられた街づくりをいたるところに見付けられます。そんなふうに新しくなる街東京を毎日ワクワクしながら歩いています。
街並みというと一義的には建造物の群れを想像しますが、実は同時に土木構造物も含まれると思います。鉄道、道路の高架橋、地下構造物に繋がる入り口。。関東大震災後に隅田川に架けられた実験的ないくつかの橋梁群は今でも立派に機能しているものも多くあります。また醜いところも含めて首都高の景観も東京の風景の一分になっていますね。日本橋上の高架の地下化など時代や予算に応じて良くしていければ良いかと思います。共産主義国のように強制的に個人の土地を収用して何かを作るのではなく、地権者や地元民の意見も大切にしながら事業を進めてもらいたいし、街が安全に、便利に進化するのを見ていきたいです。
私は東京生まれ育ちですが、新しく生まれ変わる街の風景にいつもがっかりしています。特に高層ビルはもういい加減にしてほしい。木を伐って個性も洒落も感じられない商業施設ばかり。うんざりです。ライトアップがそんなに良いでしょうか?そうやって不動産や土建の人たちが、つまり町をスクラップアンドビルドで利益を得る人たちが、東京は美しいとか言って自画自賛しているのではないか?と疑心暗鬼になります。もう生まれ変わらなくて良いです。
2025年が景気の底で、次の繁栄(最盛期)は2065年か。若い子たち、話半分でも頭の片隅に覚えておくんやで。
当時の日本の文化文明レベルが高く、一般大衆の識字率が当時の欧米先進国より高かった事は素晴らしい事だ。が、当時の欧米が世界の他の国々を圧倒する、文明と科学技術と武力を有していた事も又間違い無い事だ。
人が見えないのは朝早く撮ったとかかなぁ…。
江戸湾方向の遠くに見える大きな森林は、浜離宮ですかね~。
正面奥の森林は浜離宮のようです。
江戸前エルフのOPで見ました!(^^)
長時間露光なので高解像度なのは当然。逆に、そのために人が全く写り込まず、生活感に乏しい(全くないとまでは言ってない)のが難点。写真機の画像を写し止めるガラス乾板が、大きかったのも高精細の理由のひとつですが。明治になると、愛宕山の他に築地本願寺の大屋根(0:55 にも写ってますね)の上から眺望できたと言われてます。一般的ではありませんでしたが。ここから見て、霞が関の官庁街をデザインしたようです。また、江戸城の富士見櫓が城内では最も高い位置にあったため、そこに天文観測台を設置しての測量や暦の観測をしていたとか。
昔、日本は素晴らしい国だった、と過去形でしかない。国はもちろん、今の日本人は当時の日本人とは全く別物になってしまった。
政治家の質は戦後最悪の状態と思う。公務員の言いなり、アメリカの言いなりの状態が続きすぎた
今のコンクリートジャングルなんて、何の風情も無いね。
あの永井荷風が『江戸文化を無秩序に破壊した明治維新』と批判。明治維新の見直しが必要なトキに来ている様です。貴重な画像配信、ありがとうございました。^_^
徳川以降の東国支配もまた、日本古来の風雅をぶちこわしたけどね。
この時代には欧州主要都市の多くはすでに下水道が完備されていましたが下水道とは名ばかりで糞尿を大きな河川に垂れ流す巨大なドブ川といったものでした。江戸では糞尿は農村に肥料として売られあらゆる物品には専門のリサイクル業者がいてゴミはほとんどなかったといいます。現在の都市と比しても究極のエコ社会を築いていました。
江戸時代、【気候変動】太陽黒点活動減少➡宇宙線増大➡土中と海水のCO2解放、地震、崖崩れ、洪水、感染症、飢饉、物価高騰、これは現代にも当てはまる。
江戸の頃、野菜とアワやヒエ、ムギのみの食事にも関わらず老若男女問わず60キロの米俵を2個3個と背負って運ぶ強靭な身体。暇つぶしの遊びは東大トップクラスの成績優秀者でも回答困難な超ハイレベルな数学をパズル感覚で解く頭脳。主な死因の各種病気を克服できる医療さえ進歩していれば未来はもっと違ったものになってたでしょうね。
櫓がかなりの数あったんですね、火の見櫓なのかな?
東京大空襲が憎い
それよりも、関東大震災
今日の2023年6月26日付の東京新聞に、インドで仏教を広めている佐々井秀嶺さんの事が書かれてます。四十四年ぶり日本に戻って感じたことは、「日本は国力がだんだん弱くなっているように思える。人口が減って、活気が無い。若い青年たちに活力が見えない」とのこと。今、日本の人口で最も多い世代は60代、70代、80代でこの人たちだけで約4千万人と言われてます。後、30年後にはこの人たちが日本から居なくなります。すると一億人は維持できません。2065年には人口が大きく減り、日本はアジアで八番目くらいの国に成るでしょう。
あちこちに火の見櫓っぽいのがある。流石火事の都。
この時代にこんなに拡大に耐え得るだけの写真を撮影できたカメラは一体何なんだ?
めちゃくちゃ都会だなw
忘れられがちな薩長土肥の肥前佐賀
薩摩藩邸の写真は、よく見るが、長土肥藩邸の写真って確かに見たことない。
年号の丸暗記ばかりやらされた歴史の授業がいかに無駄事だったのかが分かる。
通りを拡大しても、なんで人っ子一人写って無いんだろ?
徳川家康の功罪は色々あるが、功の一つとしては、日本で一番広い関東平野を肥沃な土地にしたことだと思う。その結果日本の人口は一気に倍増する。明治以降の日本の近代化は江戸時代に築かれた様々なインフラが礎になっていると言っても過言ではないと思う。あと、今の東京を家康と家臣が観たら何て思うだろう。
@@thehiromi7214 参勤交代で地方を衰退させ、それが今の東京一極集中に繋がったとする説。身分の固定化を決定付けてしまったこと。他にも色々ある。そんなの自分で勉強しろよ。
@@thehiromi7214 参勤は家光が実施。しかし家康が基盤を作ったの知らないんだwあんた何も知らないんだねw
@@thehiromi7214 反論どうぞ、受けて立つよ。
ナゾの佐賀推し
good [dani no motozime]
これから突っ込むんだな それか ただのスピン
これは忍者も屋根の上を走るわけだ
ピークは1940、1990でしょう。ドイツと同盟してなければ太平洋戦争は無く、団塊世代、左傾化も無く、1940、1990のピークアウトも無かった
人が全く写っていないのが不思議
当時の写真は露光時間が数十秒とか必要なので動くものは写らないのです。
右から2枚目の真ん中より少し右に、屋根瓦が剥がれてはしごがかかっている家の下で、4~5人が座って休憩しているように見えるけど違うかな~。
この美しい町並みが残っていたらなぁ…。今の日本の汚すぎる町並みとは比較にならない美しさ。それと、残念ながら2065年に日本が復活することは無いです。現に今既に先進国脱落寸前、このまま衰退していって、アジアの小国に逆戻り。
江戸時代の日本が貧しいなんて言った奴はだれだ!こんなにも整然として😅
人が、映ってないね。撮影時刻が、朝イチかなあ。
歴史的に見たら儲けてやろうとして同盟関係、投資等するんですけどね。
この写真を見て思うのは、この時代、既にスモッグが発生していたのだな。という事ですね。この写真を撮影した時の天候は分かりませんが、まだ乾式ではなく湿式の撮影だと思います。乾式と比べて感度の低い湿式では、より光度が求められるので、晴天であった可能性は高いと思われますが、推測です。この写真から、視程を考えると、大体五キロ位でしょうか。とすると、当時の江戸では、関東山地や伊豆半島、富士山は望めなかった可能性があります。冬の晴れた日や、雨上がりの翌朝位しか見ることが出来なかったのではないでしょうか。まあ、この写真だけで判断するのは尚早ですが、百万都市江戸は、当時世界でも有数の大都市ですから、充分にあり得たと思われます。まあ武蔵野の田舎に行ってしまえば、関東パノラマが一望できたでしょうが。
いやそういう観点から当時の公害状況を調べられる知識良いね他にも資料あればちゃんと当時の状況が推測できそうだね
なぜ写真に人が写っていないんだー??
現代では高層ビル群で埋め尽くされている東京都心の景色だが、幕末の写真を見る限り当時も大都会だったんだなぁと改めて思う
この頃の江戸にタイムスリップしてみたい
この写真、前から何気なしに見てはいたが、こんなに高解像度だったなんて。乾板が巨大だとはいえ、当時の技術でこれだけ解像する光学系があったとは驚きだ。
正直ビルだらけの街並みよりこういう街並みのほうが見ていて落ち着く
この時代にタイムスリップして、屋台や居酒屋で楽しんでみたい。
高さが整えられ整然とした街並み、火の見櫓も十分機能しそうだ。
何食べてもすごくしょっぱいと思うよ。そして菓子などの甘いものは極あわい甘味だろう。江戸時代から同じ味というのが売りの和菓子屋さんがある。そこの江戸時代からの菓子は甘味がすっごく薄い。
治安が心配。
辻斬りなどで命を落としそう。
1枚の写真でしかないですが、この国の持つ歴史的・文化的な成熟度を示していると考えています。
そしてその成熟度こそが今にまで続く日本文化の強みであることをもう少し日本人自身が自覚してもよいとも考えています
これを見るとドラマ「仁」のセットや空気感がよくできてると改めて感心する
今とは違い、一定の調和がありますね。タイムスリップできるなら、この街を歩いてみたい。
関東大震災や東京大空襲がなければ、この整然とした江戸の街をベースに近代化されたかと思うと非常に残念です。
1800年代でこんなにも整然とたくさんの建物が並んでいたんですね!
上下水道まで整備されていたとはさすが日本だなと思います。
貴重な画像ありがとうございます♪
おお!今の東京とは比べ物にならないほどの美しさ、風情がありますね。
この宝を失ったかと思うと、本当に残念でなりません。
この写真の高画質に驚きですが、歴史の解説にも感じ入りました。
日本の伝統文化・倫理感を大切にして、国を守り産業を興し、次代に引き継いでいく。
今を生きる我々に課せられた責務だと思います。
死ぬ間際に「狂った日本を残してしまってすまない」と思わぬようにしたいものです。
激しく同意!!!
見たかったリアル江戸。古地図でしか見てなくて。テロップで流れる解説も勉強になります。見せていただき、有難うございます💖😊
もし江戸の大名屋敷や日本中の城郭、お寺が空襲で焼かれず、残されていたら、素晴らしい観光名所になっていたんだろうな。
どうなんだろう。大体自分達では価値に気がつかないもの。使いにくいから、手どんどん手を入れる気がする。
焼かれていないお寺は結構ありますね。
大名屋敷は焼かれなくても開発の中で消えたのでは。
大名屋敷は明治になって大名の手を離れ、あるものは政府や皇族に(その意味では江戸城が皇居になったのもそう)あるものは明治の重鎮に(現在の早稲田大学・大隈庭園など)、またあるものは財閥に売られたりしました(川越藩から三菱の創始者岩崎弥太郎が買った六義園など)。
その際に大名庭園の多くは残り、上記大隈庭園や六義園のほか小石川後楽園や新宿御苑など、東京が他の大都市に比べて公園や緑が多い原因となっています。
@@inuinuchiichan 北陸に行けばよくわかります。大繁栄した前田家が作った京都奈良にも負けない巨大な佛院が多いです。
我々が知らないだけで、東京名古屋大阪にも大量にあったはずです。
@@loinorn 当時は文化遺産の保存という概念自体がないですからね。
和洋折衷という言葉もできましたが、にしても、近代化という西洋化を急ぎ過ぎたんでしょうね。
私は子供の頃、ずっと海外にばかり関心が高く。
日本よりアメリカ、イギリス フランスが最高だと思っていました。
食事もフランス イタリア アメリカが美味しいと。
しかし大人になり日本の凄さを思い知らされた。戦後のどん底から逞しく立ち上がった。
物凄い速さで挽回したのですから。
この動画を見て素晴らしい国だと改めて思いました。
キレイだなぁ。本当に美しい。
そしてこんな素晴らしい写真を残してくれたベアトありがとう!
しかし、昔も今も、人々が生活してやってることは変わらないんだなぁと感じる。
文明が発達して見た目や扱うモノは変わっても、疫病、天災、物価高、いつの時代もそういうものを乗り越えながら、生きて死んでを繰り返しているんだな。
素晴らしい映像をありがとうございます。日本の偉大さがよくわかります。
日本は本当に美しい国です。未来永劫この素晴らしい国、民族が守られますように。神様、お願いいたします。
港区にあるわずか標高25.7mの愛宕山に登り、高層ビルに囲まれた景色を眺めてみると、当時はここからこんな風に江戸市中が一望出来たということに驚きを隠せません。
素晴らしい写真をありがとうございます。
それと40年の変換期の話がとてもためになりました。
整然とした美しい街並みですね。このまま残っていれば街全体が国宝かなぁ😊
時代劇のセットじゃない、当時の本物の江戸の街なのはすごい。
彼方まで整然と家々が建っている。
意外だったのは、昭和のドラマに出て来るような物干し台が一階屋根にある事。
あれって、江戸時代からあったんだ。
整然と並んでいる街並み風景は素晴らしいですね
東洋の他の国では、この街並みは不可能だったと思いますよ。当時から異次元の存在だった日本。それが移民は入れるわ、観光立国なんてことをやりだしたり、三流国家へと転げ落ちている。本当にどうにかしたいですよ。
電柱がないので町の遠景がすっきりしている。今ではいち早く電柱の地中化をすすめたパリにその差をつけられてしまった。
甍の波と雲の波・・・本当に歌にある通りの景色で美しいですね。
カラーで見ることができたらさぞ壮観だったでしょうね😊
感心しました。それぞれの解説や歴史的背景も説明されていて非常に面白かった。
カラーでも観たかったな~😲
同じような建物が並び整然としているからか、200年以上前の街並みでもなんか安堵感というか心穏やかに見ることが出来ます😄
加工したらワンチャンいける
なんて美しい街でしょう‼︎✨
誇らしいです‼︎⤴️⤴️
これだけ美しかった江戸(東京)も今では何の風情もない殺風景な都市に変わり果ててしまった
素晴らしい!現在の混沌とした街並みが恥ずかしいくらいです。
現代の千代田区、港区、文京区エリアは殆ど大名、武家屋敷。庶民は中央区、墨田区の狭い地域に密集していた。江戸東京博物館で長屋の再現モデルがあるがすごい狭さ。日本橋辺りの大店の住宅は広かったんだろうけど。
今回のように日本の過去の写真を拡大分析した動画は珍しいので、今後も同様な動画を期待したいです。😊
瓦葺きの家屋はいいね。今日の西洋化された東京よりよほど趣きが有る。
江戸博にオープン当初から大きく引き伸ばされたパネルが展示されてたはず。尾張藩などに残されている江戸屋敷の平面図、鍬形蕙斎なんかの江戸図、錦絵などと違ってこちらは実物の幕末の写真であり、かつ絵画では殆ど描かれない屋敷の内側も写っている。これによって大名屋敷の建築の細部の構造までわかるから凄まじい。
因みに中央奥のフラットな森のようなものは御浜御殿(現浜離宮)、その手前は仙台藩上屋敷、会津藩中屋敷。
戦前生まれが、「戦後に日本の建物はひどくなった」って言ってたり、コラムで書いてたりするのを何度か見たけど、さもありなんだわな。
その通りですよね。そのコラムってネットにはないですか
出典となっている デジタル版 港区のあゆみ のサイトを見るとほかにも貴重な資料がたくさん掲載されていますね。
たまたまオススメに出てきて拝見しました。
整然と並んだ瓦屋根が印象的です。
窓には障子が貼られているけどほとんどが破れたりしていて、当時の冬はさぞかし寒かったのだろうなと思いました。
貴重なものを観られて
目の保養になりました✨
高精度過ぎる!! 当時、既に我々が想像している以上に高度な技術があったとしか思えない。
それは故意に隠されて来たのかもしれない。
東京は開発開発の無機質コンクリートジャングルで風情は少ないよね
シンプルだったり近代なデザインってその国特有って感じじゃないから他の国の都市と似ちゃう印象
京都府はこのぐらい感じたかったなー、電車やタクシー、ショッピングモールとか和風にするとこうなるっての見たかった笑
風情ある木製の建物も癒されるよね自然に調和しやすいのも良い
ヨーロッパの都市とか街並みに統一感があって美しいけど、昔の日本も同じくらい統一感があったんだなぁ…
雑居ビルや高層ビルなんか今時、途上国の首都にも無数にあるからな
むかーし昔の、そのまた昔
日本という、それはそれは美しい国が
あったそうな。
今の味気ないコンクリート作りのビル群や家屋の風景がテレビニュースの画面に出るたびに、この時代の美しく個性豊かな日本家屋と町並みが今に伝えられていたら、さぞかし他国に誇れただろうになぁと思う。火災や地震に強い木造家屋が日本の知恵で生まれたろうし。ただただ、残念。ともかく日本橋の高速道路は早急に撤去してね、恥ずかしい風景だから。
なにもかもいとおしい。
なんて美しい町なんだろう(; ;)
高層ビルもそうなんだけど、電柱がないとこんなにすっきり。美しいなあ。
現在なら大正モダン建築で家を建てたら住みよいだろうなあ。
原版があればさらに解像度は高くなりますね。素晴らしい写真です。至るところに矢倉があったのですね。
文久三年は長岡藩主牧野忠恭が老中に就任した年ですね
この屋敷はガトリング家老で有名な河井継之助が北越戊辰戦争の軍資金とするために売却しました
江戸の一等地。高く売れたと思います
真面目さと誠実さを失わなければ日本は絶対大丈夫だ。
政治と官僚機構はすでに失っている
@@inuinuchiichan
やっているのは日本人ではないので。日本人の手に政治を取り戻さないといけない。
これだけ広範囲を精密に映し出されているのに人影が全く見えないのは何故でしょう?
露出時間が長いので動くものが写らないのでしょう。
なるほどですね
この写真をもって露出、露光時間が長いと判断するのは難しいと思います。
実際木々の輪郭を見てもそれほど露出時間が長いとは思えません。
幕末の写真がとても好きで良く見るのですが、洗濯物が干してある写真と、数時間後に同じ場所で撮ったものでちゃんと洗濯物がとりこまれているものがあり、自分たちとなんら変わらない日常があったのだなあとしみじみします。
お寺の境内で遊ぶ子どもや、車夫など…天災や感染症が多くとも、力強く生きていたんだなあと150年前の人々を思ったりしています。
愛宕山から撮影の写真は何度か見た事がありましたが、江戸城の櫓まで写りこんでいる事に気づきませんでした。勉強になりました。右端の櫓が桜田二重櫓であれば、左の三重櫓は蓮池巽三重櫓ですね。その後ろにも櫓のような物も見えますが二の丸の東三重櫓(二重櫓、渡櫓門の可能性も有り)かもしれませんね。
昔、団塊の世代くらいの人から聞いた話だけど、70年代の初頭に北海道から上京した時の印象が「東京は一面黒かった。」って。表通りはビル街だけど、一歩入ったら、黒い屋根瓦で埋め尽くされてる感じだったそうです。
これ全て木造だからね、
火災が凄く恐れられてたのがわかる。
昔の日本も🎌立派!
偉大で荘厳な日本に生まれいでるたことが出来て、本当に感無量です😎
瓦屋根の凄さよ
あー😮💨こんなの見てたら鎖国してそのまま発展していたら幸せだったかなぁなんて思っちゃいました。地震🫨有るから駄目か…京都は、その点恵まれてますね。
拡大された道路にゴミ一つ写っていないのはやはりすごい。
もう3~40年前だったと思う、テレビで日本の写真事始め的な番組をやってた。
フェリックス・ベアト、弟子の日下部金兵衛や、下岡蓮杖、上野彦馬、いろいろ紹介されててものすごく興味を惹かれて食い入るように見てた覚えがある。
ベアトは金兵衛を連れて、幕末日本を積極的に撮影して回ったとか。
本物のお侍さんがいたんだよな😊
デジタルよりもアナログの方が画像も音響も優れているようです。デジタルでの情報量が少ないので処理速度が速く大量に処理できるのでしょうか?江戸末期のアナログ技術を現代のデジタル技術は超越しているのでしょうか?
人が写っていないのは露光時間が長いからでしょうか?
そのようですね。
父方の母が、どうも堂島の米問屋の娘だったようです。父の従兄弟は皆大学卒でした。
大正8年生まれの父より年上の方ばかりでした。歴史は栄枯盛衰ですね。
電気と言う生活インフラが有ると無いとで全然違う感じがしてしまうが、この江戸末期まではそんなものなどなくても十分機能していたなら単に自分は現代文明に毒されてるだけのハナシか。。w
関東大震災もそうだが東京大空襲で増上寺等の建築物が消失したのは痛い。
時は令和だが気分は幕末ぜよ!みたいな!
近代化以降40年周期は前回で繁栄も衰退も終了したと思います
何故か?もう世界は「次の」産業革命の時代に突入し、1865年と同じく「リセット」が掛かったからです
今の日本は新たな周期を模索してる状況。それが20年なのか40年なのか、100年なのか1000年なのか築き上げてる状態と思います。一つ言えるのは、いま過去がこうだったから次もこうなるの考えは
1865年以前の多くの日本人が、この状況がこれから何百年も続くと考えた(太平の眠りの感覚)と同じと思います
ロマンを感じるね!
昔は良かったと言われがちな東京ですが、この動画の風景は写真だけにリアルでそう感じてしまうかもしれませんね。でもね、幕末から関東大震災や太平洋戦争の戦禍も含めての破壊と再生を現在まで続けながら、東京は常に新しく生まれ変わっています。日本橋周辺は古い神社を街中に美しく再生したり、街灯やライトアップのカラーコードを設定し三井本館、三越など文化財級の建物が現代風に美しいです。
江戸時代は建材も建て方もバリエーションが少なく、それゆえに揃った美しさがあります。今は数えきれない選択肢があるけれど、スッキリとまとめられた街づくりをいたるところに見付けられます。そんなふうに新しくなる街東京を毎日ワクワクしながら歩いています。
街並みというと一義的には建造物の群れを想像しますが、実は同時に土木構造物も含まれると思います。鉄道、道路の高架橋、地下構造物に繋がる入り口。。関東大震災後に隅田川に架けられた実験的ないくつかの橋梁群は今でも立派に機能しているものも多くあります。また醜いところも含めて首都高の景観も東京の風景の一分になっていますね。日本橋上の高架の地下化など時代や予算に応じて良くしていければ良いかと思います。共産主義国のように強制的に個人の土地を収用して何かを作るのではなく、地権者や地元民の意見も大切にしながら事業を進めてもらいたいし、街が安全に、便利に進化するのを見ていきたいです。
私は東京生まれ育ちですが、新しく生まれ変わる街の風景にいつもがっかりしています。特に高層ビルはもういい加減にしてほしい。木を伐って個性も洒落も感じられない商業施設ばかり。うんざりです。ライトアップがそんなに良いでしょうか?そうやって不動産や土建の人たちが、つまり町をスクラップアンドビルドで利益を得る人たちが、東京は美しいとか言って自画自賛しているのではないか?と疑心暗鬼になります。もう生まれ変わらなくて良いです。
2025年が景気の底で、次の繁栄(最盛期)は2065年か。若い子たち、話半分でも頭の片隅に覚えておくんやで。
当時の日本の文化文明レベルが高く、一般大衆の識字率が当時の欧米先進国より高かった事は素晴らしい事だ。
が、当時の欧米が世界の他の国々を圧倒する、文明と科学技術と武力を有していた事も又間違い無い事だ。
人が見えないのは朝早く撮ったとかかなぁ…。
江戸湾方向の遠くに見える大きな森林は、浜離宮ですかね~。
正面奥の森林は浜離宮のようです。
江戸前エルフのOPで見ました!(^^)
長時間露光なので高解像度なのは当然。逆に、そのために人が全く写り込まず、生活感に乏しい(全くないとまでは言ってない)のが難点。
写真機の画像を写し止めるガラス乾板が、大きかったのも高精細の理由のひとつですが。
明治になると、愛宕山の他に築地本願寺の大屋根(0:55 にも写ってますね)の上から眺望できたと言われてます。一般的ではありませんでしたが。ここから見て、霞が関の官庁街をデザインしたようです。
また、江戸城の富士見櫓が城内では最も高い位置にあったため、そこに天文観測台を設置しての測量や暦の観測をしていたとか。
昔、日本は素晴らしい国だった、と過去形でしかない。国はもちろん、今の日本人は当時の日本人とは全く別物になってしまった。
政治家の質は戦後最悪の状態と思う。公務員の言いなり、アメリカの言いなりの状態が続きすぎた
今のコンクリートジャングルなんて、何の風情も無いね。
あの永井荷風が
『江戸文化を無秩序に破壊した明治維新』と批判。
明治維新の見直しが必要なトキに来ている様です。
貴重な画像配信、ありがとうございました。^_^
徳川以降の東国支配もまた、日本古来の風雅をぶちこわしたけどね。
この時代には欧州主要都市の多くはすでに下水道が完備されていましたが下水道とは名ばかりで糞尿を大きな河川に垂れ流す巨大なドブ川といったものでした。
江戸では糞尿は農村に肥料として売られあらゆる物品には専門のリサイクル業者がいてゴミはほとんどなかったといいます。現在の都市と比しても究極のエコ社会を築いていました。
江戸時代、【気候変動】太陽黒点活動減少➡宇宙線増大➡土中と海水のCO2解放、地震、崖崩れ、洪水、感染症、飢饉、物価高騰、これは現代にも当てはまる。
江戸の頃、野菜とアワやヒエ、ムギのみの食事にも関わらず老若男女問わず60キロの米俵を2個3個と背負って運ぶ強靭な身体。
暇つぶしの遊びは東大トップクラスの成績優秀者でも回答困難な超ハイレベルな数学をパズル感覚で解く頭脳。
主な死因の各種病気を克服できる医療さえ進歩していれば未来はもっと違ったものになってたでしょうね。
櫓がかなりの数あったんですね、火の見櫓なのかな?
東京大空襲が憎い
それよりも、関東大震災
今日の2023年6月26日付の東京新聞に、インドで仏教を広めている佐々井秀嶺さんの事が書かれてます。四十四年ぶり日本に戻って感じたことは、「日本は国力がだんだん弱くなっているように思える。人口が減って、活気が無い。若い青年たちに活力が見えない」とのこと。今、日本の人口で最も多い世代は60代、70代、80代でこの人たちだけで約4千万人と言われてます。後、30年後にはこの人たちが日本から居なくなります。すると一億人は維持できません。2065年には人口が大きく減り、日本はアジアで八番目くらいの国に成るでしょう。
あちこちに火の見櫓っぽいのがある。流石火事の都。
この時代にこんなに拡大に耐え得るだけの写真を撮影できたカメラは一体何なんだ?
めちゃくちゃ都会だなw
忘れられがちな薩長土肥の肥前佐賀
薩摩藩邸の写真は、よく見るが、長土肥藩邸の写真って確かに見たことない。
年号の丸暗記ばかりやらされた歴史の授業が
いかに無駄事だったのかが分かる。
通りを拡大しても、なんで人っ子一人写って無いんだろ?
徳川家康の功罪は色々あるが、功の一つとしては、日本で一番広い関東平野を肥沃な土地にしたことだと思う。その結果日本の人口は一気に倍増する。明治以降の日本の近代化は江戸時代に築かれた様々なインフラが礎になっていると言っても過言ではないと思う。
あと、今の東京を家康と家臣が観たら何て思うだろう。
@@thehiromi7214
参勤交代で地方を衰退させ、それが今の東京一極集中に繋がったとする説。身分の固定化を決定付けてしまったこと。他にも色々ある。そんなの自分で勉強しろよ。
@@thehiromi7214
参勤は家光が実施。しかし家康が基盤を作ったの知らないんだw
あんた何も知らないんだねw
@@thehiromi7214
反論どうぞ、受けて立つよ。
ナゾの佐賀推し
good [dani no motozime]
これから突っ込むんだな それか ただのスピン
これは忍者も屋根の上を走るわけだ
ピークは1940、1990でしょう。ドイツと同盟してなければ太平洋戦争は無く、団塊世代、左傾化も無く、1940、1990のピークアウトも無かった
人が全く写っていないのが不思議
当時の写真は露光時間が数十秒とか必要なので動くものは写らないのです。
右から2枚目の真ん中より少し右に、屋根瓦が剥がれてはしごがかかっている家の下で、4~5人が座って休憩しているように見えるけど違うかな~。
この美しい町並みが残っていたらなぁ…。今の日本の汚すぎる町並みとは比較にならない美しさ。それと、残念ながら2065年に日本が復活することは無いです。現に今既に先進国脱落寸前、このまま衰退していって、アジアの小国に逆戻り。
江戸時代の日本が貧しいなんて言った奴はだれだ!
こんなにも整然として😅
人が、映ってないね。
撮影時刻が、朝イチかなあ。
歴史的に見たら儲けてやろうとして
同盟関係、投資等するんですけどね。
この写真を見て思うのは、この時代、既にスモッグが発生していたのだな。という事ですね。
この写真を撮影した時の天候は分かりませんが、まだ乾式ではなく湿式の撮影だと思います。乾式と比べて感度の低い湿式では、より光度が求められるので、晴天であった可能性は高いと思われますが、推測です。
この写真から、視程を考えると、大体五キロ位でしょうか。
とすると、当時の江戸では、関東山地や伊豆半島、富士山は望めなかった可能性があります。
冬の晴れた日や、雨上がりの翌朝位しか見ることが出来なかったのではないでしょうか。
まあ、この写真だけで判断するのは尚早ですが、百万都市江戸は、当時世界でも有数の大都市ですから、充分にあり得たと思われます。
まあ武蔵野の田舎に行ってしまえば、関東パノラマが一望できたでしょうが。
いやそういう観点から当時の公害状況を調べられる知識良いね
他にも資料あればちゃんと当時の状況が推測できそうだね
なぜ写真に人が写っていないんだー??
右から2枚目の真ん中より少し右に、屋根瓦が剥がれてはしごがかかっている家の下で、4~5人が座って休憩しているように見えるけど違うかな~。