震災で両親を亡くした高校生 ~旅立ち~ 祖母に約束した“恩返し”<岩手・陸前高田市> (22/03/11

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  • เผยแพร่เมื่อ 10 มี.ค. 2022
  • 東日本大震災直後、岩手県陸前高田市の避難所で出会った少年がいた。
    わずか6歳で訪れた両親との別れ。
    それでも多くの人に愛され、真っすぐに成長した姿とその旅立ちの日までを追った。
    3月1日、岩手県陸前高田市内の災害公営住宅で遺影に手を合わせる高校生。
    震災で両親を亡くした及川晴翔(はると)さん(17)は、人生の節目を報告していた。
    及川晴翔さん
    「『きょうで高校3年間終わり』ということと、『あっち(進学先)に行っても頑張るよ』みたいなことぐらいですよ」
    高校を卒業する晴翔さん。多くの人に支えられ、この日を迎えた。
    2021年の夏、伝統の七夕まつりの準備をする晴翔さんの姿があった。
    物心がつく前から両親と一緒に参加していたこの祭りを、毎年楽しみにしている。
    及川晴翔さん
    「生まれてからずっと、七夕まつりで街を歩くのが恒例みたいな。七夕まつりをやらないと夏が始まらない」
    11年前、津波で父・徳久さんと母・昇子さんを亡くした晴翔さん。
    震災直後の避難所では両親が行方不明だったにもかかわらず、兄の佳紀さんとともに小さな手で手伝いに励んでいた。
    ともに避難した母方の祖母・五百子さん(当時68)は、けなげな2人について、こう語っていた。
    祖母・五百子さん(当時68)
    「頑張っているから、よろしいです。まだお母さんとお父さんの顔をみていないから。すみません…」
    しかし、兄弟の明るい表情の裏には、ある願いが隠されていた。
    兄・佳紀さん(当時9)
    「(両親は)来てくれると思っている。頑張っていたら…」
    「目立っていれば両親が見つけてくれる」、そう信じて兄弟は気丈に振る舞い続けたが、願いは届かなかった。
    晴翔さんにとって、この七夕まつりは、父との思い出をたどることができる大切なものだ。
    及川晴翔さん
    「お父さんが(祭を)やっている姿があったから、それ見て『かっこいいな』『きれいだな』と思っていました。(山車に)上って太鼓をたたいていました。楽しそうに、生き生きした顔でやっていました」
    コロナ禍で町を練り歩くことはかなわなかったが、兄・佳紀さんが進学先の仙台から帰省し、兄弟で太鼓をたたくことができた。
    祭りを通して兄弟を見つめてきた大石七夕祭組の会長・斉藤正彦さんは、5歳から知るという晴翔さんの成長をこう語る。
    大石七夕祭組・斉藤正彦さん
    「うちの子どもと同級生だからね、晴翔はね。年を追うごとに頼もしくなってきている。(晴翔さんが)大きくなるまで、「よし、もう大丈夫だ」と思えるくらいまで、なんとか俺も頑張って、バトンタッチできたら安泰だろうなと思う」
    及川晴翔さん
    「楽しかったです。小さいころ憧れてたお父さんが(太鼓を)たたいていた姿と同じようにできて、すごくうれしい」
    卒業後は大学への進学を決めていた晴翔さんにとって、街を離れる前の最後の七夕まつりだった。
    将来は地元に就職し、街の発展に役立ちたいという晴翔さんは、第一志望だった仙台の大学に合格。
    まちづくりや防災の知識を学べる地域学を専攻することにした。
    卒業式当日の朝。
    震災後は、祖母の五百子さん(79)に引き取られ、2人で暮らす晴翔さん。
    五百子さんに負担をかけないよう、朝食は手軽に食べられるパンにしている。
    及川晴翔さん
    「小学校からずっと朝はパンなので慣れてます。部活をやっていたときは、ちょっと足りなかったけど」
    晴翔さんがいつもと同じように過ごす朝でも、五百子さんにはさまざまな思いがめぐる。
    祖母・五百子さん
    「みんなに助けられて…」
    晴翔さんが亡くした母は、五百子さんにとって最愛の娘。
    その代わりとなって愛情を注いできた11年を、この日の晴翔さんに重ね合わせていた。
    春からは1人暮らし。こうして見送ってもらうこともなくなる。
    晴翔さんは、面と向かって言えずにいるが、1人残される五百子さんを気にかけている。
    及川晴翔さん
    「俺と兄ちゃんの面倒をほぼ1人でずっとみてきたので、兄ちゃんも仙台に行っていて、俺もことしの春から仙台に行くから、やりきった感が出てしまって、倒れたりしないか、心配です」
    そして迎えた卒業式。五百子さんも出席し、晴れの日を見届ける。
    両親には今の姿を見せてあげることはできない。
    それでも、親代わりとして懸命に育ててくれた五百子さんに、頼もしく成長した姿を見せることができた。
    式の終わりには大石祭組の斉藤さんが駆け付けた。
    大石七夕祭組・斉藤正彦さん
    「七夕まつりには帰ってくるだろうから、待っているから。ふるさとへの思いも(街を)出て初めてわかることもあると思うし、ときどき様子を見せてもらえればいいなと思う。かんばってね」
    及川晴翔さん
    「仙台に行っても七夕の日にはちゃんと顔出しに帰ってくるので、待っていてください」
    自宅に戻った晴翔さんは、もらったばかりの卒業アルバムを五百子さんに見せてあげた。
    普段見ることがない学校での晴翔さんの表情は新鮮なようだ。
    そして、晴翔さんはこれまで言えずにいた感謝の気持ちを伝えた。
    及川晴翔さん
    「俺をここまでしっかり育ててくれて、ありがとうございました。大学を卒業したら稼いで、仕送りして恩返しをします。世話もするので、待っててね」
    祖母・五百子さん
    「頑張って。体に気をつけて。『陸前高田に帰ってきてね』って言ったの、さっきも」
    地域と祖母に見守られ、11年を歩んできた晴翔さん。
    旅立ちまでのわずかな時間を大切に過ごす。

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