13年前津波で両親失った6歳の少年が二十歳の誓い 育ててくれた祖母への感謝<岩手・陸前高田市> (24/01/17
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- เผยแพร่เมื่อ 4 ธ.ค. 2024
- 1月7日、岩手県陸前高田市で開かれた二十歳のつどいに、6歳のとき東日本大震災の津波で両親を失った男性が出席した。
愛情いっぱいに育ててくれた祖母への感謝を胸に迎えた節目の日を取材した。
3月に二十歳を迎える及川晴翔さん。
1月7日、地元・陸前高田市の二十歳のつどいに、はかま姿で出席した。
及川晴翔さん
「心も引き締まってるし腹も引き締まってるけど、着られて良かった」
東日本大震災で両親を失った晴翔さんは、この日を支えてくれた人たちへの感謝の思いで迎えた。
13年前、津波で父・徳久さん(享年39)と母・昇子さん(享年39)を亡くした晴翔さん。
震災直後の避難所では両親が行方不明だったにも関わらず、兄の佳紀さんと一緒に一生懸命みんなを支えた。
兄の佳紀さん(当時9歳)
「晴翔、あっちの手伝い終わった?」
晴翔さん(当時6歳)
「うん終わった」
ともに避難した母方の祖母・五百子さん(当時68歳)は、2人を温かく見守っていた。
祖母 五百子さん(当時68歳)
「頑張っているからよろしいです。まだお母さんとお父さんの顔を見ていないから」
明るくふるまう兄弟の表情の裏には、ある願いが隠されていたのだ。
兄 佳紀さん(当時9歳)
「(両親は)来てくれると思う。頑張っていたら…」
「目立っていれば両親が見つけてくれる」そう信じて兄弟は気丈に振る舞い続けたが、願いは届かなかった。
高校を卒業した晴翔さんは、将来は地元に就職し街の発展に役立ちたいと考え仙台の大学に進学、まちづくりや防災の知識を学べる地域学を学んでいる。
この年末年始(2024年)には、二十歳のつどいに出席するため地元の陸前高田市に戻ってきた。
及川晴翔さん
「自分が二十歳になる実感はあまりないが、本当早かったなと感じる。これからは自分の力でやっていかなくてはいけない歳だと思う」
一人暮らしの五百子さん(81)は、晴翔さんが帰ってくるとうれしそうだ。
及川晴翔さん
「ばあちゃんからしたら、自分の子どもも含めて俺と兄ちゃんで2回目の子育てだったと思う。中学・高校ずっと迷惑かけたと思う」
夕ご飯は晴翔さんが大好きな豚汁にした。
及川晴翔さん
「いただきます。普段仙台にいて豚汁を食べること全然ないので、たまに定食屋に行ってセットで頼むくらい。でも、ばあちゃんが作ってくれたのが一番おいしい」
二十歳のつどいを前に6歳のときから育ててくれた祖母へ感謝を伝える。
及川晴翔さん
「あすで私、成人式ですよ」
祖母 五百子さん
「おめでとう」
及川晴翔さん
「ばあさんのおかげです。たくさん迷惑かけてきたけど、いつもありがとうね。稼ぐようになったら何か買ってやるから」
今の気持ちを素直に伝えた晴翔さん。
五百子さんへの思いやりがあふれていた。
そして、式当日(1月7日)。
震災発生当時は小学1年生だった旧友たち、ともに苦難を乗り越えこの日を迎えた喜びを分かち合った。
五百子さんが持っていたのは晴翔さんの両親・徳久さんと昇子さんの写真。凛々しい晴れ姿を見せていた。
式を終え晴翔さんは2人の名前が刻まれた刻銘碑を訪ねた。
及川晴翔さん
「きょうで人生の節目になると思う。震災とかいろいろあったが、二十歳(二十歳のつどい)を健康で迎えられたことを報告した」
将来は地元の魅力を発信する仕事につきたいという晴翔さんは、これまで支えてくれた人たちに感謝し決意を新たにしていた。
及川晴翔さん
「何かしらの形で地元貢献できたらいいのかなと思うし、ちゃんとしていたら今まで支援してくれた方々への恩返し、『自分は頑張っている』という姿を見せて安心させることができるかなと思う」
13年間の感謝から生まれた二十歳の誓い。
ふるさとへの思いが未来を照らしている。