本多正純の生涯 家康に重用され父を超える大領を得るも秀忠に嫌われる【どうする家康】
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- เผยแพร่เมื่อ 8 ก.พ. 2025
- 参考文献
山本博文『お殿様たちの出世 : 江戸幕府老中への道』
amzn.to/3sHEwPW
山本博文『宮廷政治 : 江戸城における細川家の生き残り戦略』
amzn.to/3sFkNAr
高木昭作『日本近世国家史の研究』
amzn.to/47IScZW
渡辺英夫『成立期亀田藩と本多正純の大沢郷について』
(秋田大学史学会『秋大史学』68号)
小山市立博物館『小山藩主本多正純 : 第72回企画展』
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本多正純は、江戸にいる父 本多正信とは別に駿府で徳川家康に仕え、家康死後も秀忠の下で幕府政治の中枢に立ち続けていました。
宇都宮で15万石を与えられるまでになりましたが、突如として改易処分を喰らい、流人として寂しい生涯を終えることとなります。
その背景には、元々正純を毛嫌いしていた秀忠が将軍としての自分の権力を確立する過程で正純と相容れなくなったという事情があり、さしたる罪もないまま正純は一転して罪人の身分に落とされました。
今回は、父とともに初期の幕府政治の確立に大きく貢献したものの、時代の変化の犠牲となった本多正純の生涯について紹介します!
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【画像引用】
大河ドラマどうする家康公式サイト
www.nhk.or.jp/...
#どうする家康 #日本史 #歴史
家康、正信あっての正純。
2人が死ねば秀忠と側近から逆に疎まれ居場所がなくなるのは世の必定。
正信は若い頃からの他国での宮仕えでの経験で、同僚からの嫉妬、足のひっぱり合いがあるから決して加増を受けてはならぬと戒めた。
しかし正純は外部での辛酸をなめた経験は無いので、
他人の思惑は考慮せず、己の能力を勘違いして行動し失敗した。
藤堂高虎の斡旋により、加賀藩筆頭家老となった弟の政重は、徳川を出奔して
他国を渡り歩き親父と似た宮仕えの苦労をしていたので、幕府と交渉して新川郡20万石を加賀藩に加えた功績があったが、加増の話しは丁重に断っている。こちらの家系は幕末まで筆頭家老として残る。
久々に聞いたわ〜
良いですよね!
2部がスタートして頂きたいです
家康を深く尊敬していた3代将軍家光も、父秀忠死後に本多正純を赦免しよう、減刑しようと全くしなかった。
家光はみずから二世将軍と称して秀忠と距離があったという話もあるが、秀忠が失脚させた家康の腹心の正純をそのままにしたり、秀忠が始めた「鎖国」を家光が推進したり、秀忠の腹心の土井利勝を家光が引き続き重用したり、と秀忠の政治を家光が継承しているのが面白いです。
家康に正純、秀忠に正信を側に置く人事は絶妙だなと思いました。
家康・正純の方は家康にとっては正純の一世代若い知見を活用して政治に新風を取り入れられ、正純にとっては家康の経験豊富な政治手法を学びやすくなるメリットがあります。
秀忠・正信の方は秀忠にとっては経験が家康に比べて浅い状況を正信の経験豊富な能力でカバーしたり手法を取り入れて成長しやすくなりますし、正信にとっては次世代の主君に指南する立場として栄誉な事だったと考えています。
本多正純が仮に大河ドラマ化された場合、4章に分けるとこうなりそうと予想します。
1章信長時代後期〜正信の玉縄移封
2章正信の玉縄移封直後〜江戸幕府開設
3章家康の最側近〜大坂の陣
4章大坂の陣終了〜正純の生涯終盤
横手の本田正純父子の墓所に行ったことが有ります。高台の住宅街にあったと記憶してますが、あれだけ権力を握ってた人物にしては何とも寂しい場所。当時は住宅すらないところだと思うのでより悲哀を感じました。
徳川家康と父・本多正信がほぼ同時に亡くなったのもタイミングが悪かったと言える。
極端な話、この2人の後ろ盾があるから多少のゴリ押しが効いていた所もあっただろう。
大坂の陣までは結構自分の策が上手く嵌っていたので無自覚に図に乗っていたフシもあると思います。
自分がお世話になった人の息子を蹴落とすなんてこういう所が秀忠は嫌いだったんだろうな
よりにもよってそれが秀忠の信頼する大久保忠隣でしたからね…
@@rekishock ・・・この一件での因縁は十分に考えられますね。
彼と ライバルであり好対照の生き方をした 土井利勝 も取り上げて欲しいです 組織のトップに嫌われるだけではなく憎まれるとなると 生き抜く術はないんですね
流れ的には、葵徳川三代が詳しい気がしますが、釣天井はホントにあったんですかね?
宇都宮の領地は嬉々として受け取ったワケじゃないんだ💦
釣り天井は創作ですよ 正純失脚の動機が謎だったので
後世に動機付けとして作られた話です
良くある話で、父親の側近を自分の政権から疎外したい秀忠の意向と、政権内の権力争いと、文治派の本多正信・正純親子に対するやっかみが、失脚に繋がったのだろう。
あとは土井利勝にとって正純は目の上のたんこぶだった
それも秀忠の意向(正純邪魔)ってのと一致したんだろうね
@@もふもふ-x4pほ
まぁ重用して近くに置いても後々司馬懿みたいな感じになっちゃうんじゃない。
大変興味深く拝見しましたが、字幕に誤字の多い回でした。
父親の正信は遺言として、正純には、「我の死後に、汝は必ず増地を賜るだろう。3万石までは本多家に賜る分としてお受けせよ。だがそれ以上は決して受けてはならぬ。もし辞退しなければ、禍が必ず降り懸かるであろう」と言い残していた。
また、家康の後を継いだ徳川秀忠にも「もしこれまで正信のご奉公をお忘れでなく、長く子孫が続くことを思し召しされるのなら、嫡男正純の所領は今のままで、これより多くなさらないように」と伝え、正純が領地を求めないよう根回しをしていました。
しかし、正純は結局この後、宇都宮15万5千石の領地を得ます。その結果秀忠やその側近である土井利勝に危険視され様です。
反りが合わないというか馬が合わないというか
秀忠が小さいのか正純がズボラというか。
いつも楽しみに視聴させていただいています。
気になる点が一点あります。漢字の誤字が多いように感じられます。
サラリーマンの社内政治に敗れた形ですね。譜代大名子会社の社長並みの宇都宮15万石にはなれたけど、5万石に減封の話(子会社の役員に格下げね)が有った時、自分は仏門に入り、家督は息子に譲りますので、許してちょんまげ!という腹芸が出来れば。改易までは行かなかったかも。本多 正信が江戸幕府初期に老中並みの仕事をしていたので、数十年、将軍が何代か変わって完全にほとぼりが冷めれば、松平、土井、酒井、井伊の様に老中を輩出する家になれたかもしれない。平八郎家も千姫との間に男子が3人ぐらい生まれて長生きしていれば、徳川に血が近い家として老中になれたかもね。本多家は残念ながら江戸時代中期、後期は転封を繰り返されて落ち着かず活躍できなかったですね。
現代の会社でも無くはない。
企業役員がダメ社員をリストラ面談に呼んで
会議室で激しく罵声を浴びせている最中に
いきなり社長からの使者が入ってきて
その役員に対して僻地転勤&大幅減給の懲戒処分を言い渡すような場面だものね。
7:35 お互い様ですね。
若き頃の正純は父と異なり、一向一揆側へは付かなかったのですね。関ヶ原の戦いから本格的に活躍し始め、一時期は父と共に家康と差しで方針を決めるまでに重用され二頭体制を支えていたのに、秀忠治世下での不遇ぶりは極端ですね。秀忠はある意味独自の政策ややり方を通して、初代とは異なる画期的成果を期待していたのでしょうか?!正純後半生の処遇は、言い掛かりめいて感じられてしまいます。動画中でも言われていましたが、家康と秀忠の政治に対する姿勢の違いが大きく影響していると思います。ある程度家臣の裁量に任せる家康に対し、自身の権力の確立を目指す秀忠は、息子家光に将軍職を委譲するに際して、万全の態勢を取っておきたかったのでしょう。少しでも危ない芽は、たとえそれが思い過ごしでも、とにかく摘んでおきたかったように感じられます。二人は、きっと徹底的に気が合わなかったと思います。秀忠は、意外に”偉大な凡庸”と評されるのを嫌っていたのかもしれません。正純は、そのとばっちりを受けてしまったようにも感じられます。
家康の威光で諸大名が従っているという状況を息子に引き継ぐのは絶対NGですからね。
政治面では家康色を消すのに必死だったと思います。その象徴だった正純は哀れとしか…
@@rekishock さん やはり家康色を払拭し、自身のやり方を通そうとしていたわけですね。
佐竹義宣を讒言して秋田へ移封させたのに、よりによってその佐竹に身柄を預けられる皮肉。
長谷堂城を攻めて敗退した上杉に、
山形城受け取りのお役目をやらせた皮肉。
キレ過ぎて、警戒されたのね。
正純は仮に家康死後大人しくしていてもサボってるなど因縁つけられて排除されていたと思います。
どうする家康の千姫のことを伝えるシーンで、正純内心秀忠のことをバカにしてそうだなと見てしまいました。
秀忠というより亀姫に嫌われたのが駄目だった。亀姫は秀忠よりお姉さんで正室の子供だから頭が上がらない
確信が持てなかったので採用しませんでしたが、亀姫の力が関係しているのなら亀姫本人というよりも息子家昌の正室の弟 本多忠政の本多家の意向がより関係していたかと思います。
亀姫本人は実際あまり積極的に活動しておらず、亀姫の嫌悪という分かりやすい話が後世広まったのかなと…
宇都宮欲しさに奥平家に難癖付けて宇都宮を強奪して
自分がその宇都宮に入っちゃったからね
見てきたの?(笑)
本多正純は、司馬師と、なんか、重なる所が、あるでござる
「一筆啓上 火の用心」の本多重次も活躍したがなんとなく嫌われて表舞台から去ったなあ😮
まさに、「咬兎死走狗割烹」を地でいく。従順な犬も敵がいなくなれば不要な不穏分子。
面白かった
でも、誤字が多かった
うーん、秀忠動画の話と合わせると………
秀忠はちょっと こじらせちゃったのかなぁ。
弟は加賀藩筆頭家老5万石で繁栄しました。
今も金沢市には本多町って名が残るほど…
今の北陸放送(TBS系列)の辺り
嘗ての本多家老館に行きました。
三男も家臣に殺されてますから陪臣ながら次男が1番繁栄しましたね。5万石て中級藩主並みですからね
これだけ働き権力を得ても所詮は徳川家の駒の1つに過ぎない…。最後は…悲しいものですね。大久保忠隣のたたり…👻
政重は家老じゃないと何度いえば・・・
字幕の漢字誤字が多すぎます。
讒言粛正楽しんでたそうな節あるからよ・・・
安定して来た時代と二代目将軍とのそりが合わなかったんでしょうね。
誤字が多すぎ
漢字のミス気を付けて
正純と言えば『宇都宮釣天井』これの真偽は如何程か?
釣天井自体は創作として、動画でも触れた戦も想定される厳戒態勢がこの時期の秀忠の実際の行程と合わさって話の元になったと考えられます。
創作とスルーしましたが、流石に有名なので触れるべきでしたね…
@@rekishock わざわざのご返答、格入り候…
秀忠の器量じゃ。。。
こんにちは、
レキショック様
秀忠は結構好き嫌いの激しい人だったようですね。
立花宗茂なんかは外様ですが気に入られてます。真偽は不明ですが、大坂の陣の際、家康は秀忠が宗茂が豊臣方につかないよう説得していないことを咎めたようですが、秀忠は端から宗茂が徳川方につくものと信頼していたから説得しなかったとか。後に旧領に復帰させるあたりかなりお気に入りだったと思います。
正純は驕りはなかったにせよ、自分が嫌われていることにもう少し敏感になるべきだったと思います。
最上義俊に領地没収を伝えに行った出張先の山形で、皮肉にも自分自身が出羽への減封処分を言い渡されてしまうのは笑った。
それな
土井利勝さすが
どこかの分厚いラノベで名前くらいしかしらなっかたけど、こんなに影響力や権力あるのこの人...
大久保家と奥平家の恨みを買ったから没落した
将軍家筆頭家老だからってイキりすぎた
秀忠はほんとに残念な奴