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JUNHARUさん、いつも美しい映像を配信して頂き、有り難う御座います‼️今回の小楢山は、以前から登ってみたい山の一つで、特に、甲府盆地越しの富士山を、一日中眺めて見たかった場所です。歴史的な事柄を、勉強させて頂き誠に有り難う御座いました‼️また、次回の配信がとても楽しみです‼️有り難う御座いました‼️
小島浩さん、いつも温かいコメントをありがとうございます!小楢山、登ってみたいと思っていらっしゃったんですね!少しでもお役に立てたら嬉しいです。富士見の山は数々あれど、これほどの眺望の山とは想像していなかったので、感動しました。「甲府盆地越しの富士山」と書いてくださっているのを見て、ああなるほど、と思いました。富士の姿が秀麗なのはもちろんですが、私と富士山の間に広がる大きな空間――それが、なんだか心躍らせるようなワクワクするような気持ちになりました。そうした「間」の美しさを感じさせてくれる場所だと思います。小春日和のポカポカする冬の日に、一日中でも富士山を眺めていたくなりますね。小楢山を楽しむにはいろいろな視点がありますが、今回は「父母恋し路」を通ったこともあり、そこにフォーカスしてみました。
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Welcome from the Philippines! Feel free to share your thoughts or ask questions anytime. 😊Thank you🌈😍
@ you’re welcome
おはようございます。我がホームゲレンデにそのような歴史があったなんて、私もまだまだですね!武蔵の国人衆は雁坂峠を越えて甲斐へ、信濃の国人衆は大弛峠を越えて甲斐へ、その間にあるのが甲武信ケ岳ですね!増富温泉から瑞牆山荘に向かう途中に金山平という地区があります。良く武田軍勢の中に金山衆という鉱山労働者が現れます。金山のありかは極秘だった為、強制的に住居が制限された場所かもしれませんね。ぽっちさんの投稿、新しい登山スタイルですね
坂部誠司さん、こんにちわ!あら?こちらがホーム?意外と灯台下暗しで、地元すぎてしらなかったこともあったりしますよね。武蔵の国人衆が雁坂峠を越えて甲斐へ、信濃の国人衆は大弛峠を越えて甲斐へ――その間に甲武信ヶ岳がそびえる!もうゾクゾクするくらい面白いですね。おお!金山平!金山のありかが極秘とされ、居住地まで制限されたかもしれないという考察には、なるほど~と思いました。ここだけの話、黒川鶏冠山の東側に武田の金山ありますよ!内緒ですよ(笑)私の登山スタイル。は、興味のままに調べたり歩き回ったりしているだけですが、地図の等高線だけでなく、そこに重なる歴史や人々の営みをどうしても拾いながら歩いてしまうのです。坂部さんのように、山を熟知されている方の視点からも、また新しい発見があれば教えてください!
じゅんはるさん、こんにちは。今回行かれた小楢山…その山道には悲哀の伝承があるのですね。人々の暮らしのための道であったことも、ところどころの石仏が物語っているようです。姉と弟がそれぞれの山道を歩いたのはいつ頃の季節だったか、途中から分かれてひとりで歩くのにどんな思いだったのか偲ぶじゅんはるさん…姉も弟もひとりで歩く心細さを感じながらもいろいろな思いを抱きながら歩いたのでしょうね。山道はただ登るだけのものもあれば昔の往来の道だったところもありますから、他の山道にも伝承が残っていると思います。その山道やその場所の伝承や歴史を感じながら歩くのもいいものですね。いろいろな思いを抱き、伝承の偲ばれる山道の映像は、どこかもの悲しさを感じてしまいました。このところの冷え込みや寒さも感じる風の中、お疲れさまでした。さて、冬タイヤの交換したので金精峠冬季通行止め(12/25~)の前に戦場ヶ原を歩きに行こうと思います。果たして雪化粧はどこまで進んでいるでしょうね。戦場ヶ原、男体山の神は大蛇、赤城山の神は大百足に姿を変えて戦い、男体山の神が勝利した戦の場所…群馬県人の私としてはちょっと悔しいですwガソリンも値上がりするので遠出は痛手でもありますが^^;…
smik3on さん、こんにちは!昔の往来の道には、ただ登るだけではない、誰かの時間や思いが確かに残っていますね。他の山道にもきっと...伝承や歴史が静かに眠っていることでしょう。そうした物語に耳を傾けながら歩く時間は、少しもの悲しさもありますが、それがまた山旅の深さなのかなと思います。戦場ヶ原を歩かれるとのこと!うーん、やっぱり群馬も冬タイヤに交換するのか...。山へいくとなると必須ですね。季節が織りなす景色はどこまで進んでいるのか気になります。男体山の神と赤城山の神…戦の物語も、群馬県人としてのsmik3on さんの複雑な心情に思わずほっこりします(笑)。来年は巳年ですから、蛇に華を持たせてやりますか。でも、冷え込みも厳しくなってきましたので、どうぞ暖かくして歩かれてくださいね。戦場ヶ原の様子もまた、楽しみにしています!
金時豆のデニッシュでしょうか?じゅんはるさんの作品に出会ってから、パン屋さんの棚にデニッシュを探すようになった私です。こんにちは、今回も伝承を紐解きながら想像が膨らんでいくように辿る奥深い山旅でしたね。冬靴を調達して雪山へ!と勢い込んでいたのですが、カサコソと落ち葉じゅうたんを踏みながら、当時いろんな思いを抱えて歩いた古人の心を想い歩く山も捨てがたいんだよなあ、茶色の山も白い山に負けず劣らず魅力的だぁって、「さあ、どっち行く?」状態です。東京へ行く用事があって、ちゃっかり週末を挟んだ日程にして、高尾山に初めて登ってきました。富士山見えてラッキーでした。このコメントも帰りの新幹線で書いてます😂今朝雪になりました、風邪などもらわないよう気をつけて山楽しんでくださいね〜😊
でこぼこMamoさん、こんにちわ!パンの説明(笑)こちらは、「塩バター大納言」です。一応、塩パンなので甘じょっぱい!でもバターの甘みもしっかり感じます。バリっむちっとしたフランスパン生地にほんのり甘いあずきがたっ~ぷり。けっこうヘビロテしてしまうパンです。でこぼこMamoさん、東京にいらしてたんですね。でもしっかり、高尾山を予定に組み込むとは、すばらしい!関東はカラカラに乾いていますので、富士山も見られたんですね、良かったですね。茶色の山も白い山も、どちらもその時期ならではの味わいがありますね。えーっと。両方行くしかないですね!(笑)しかし、新幹線の中からコメントくださるなんて感謝です🚄✨今日の東京は、雪もちらついて寒かったですね。でこぼこMamoさんも暖かくして、体調くずされぬようお過ごしくださいね〜😊
小楢山??と思って調べてみたら、乾徳山や金峯山の南なんですね。 あの立札によると古那羅山の方が後でつけた名前なんですね。 この林道は落ち葉ふむ音といい、本当にいい雰囲気です。道標でフフ???と思っていたら案内図が表示されて、理解できました😅山頂は視界が開けてますね。ぅわ〜〜😮 街からどれだけ富士山が見えるのか知りませんが、良い街です。 私的には弟が、自分の成長した姿を、母に見せたかったとか、考えられませんか? その時代はやはり、困難な方が、父恋し道なんですかね。 峠道は古代から色んな思いが、脈々と引き継がれてるんですね。
國定さん、こんにちわ!私のマイナーシリーズに毎度お付き合いをいただき感謝です。はい。乾徳山や金峯山の南に位置する山で、そういう位置関係からも歴史のサテライト的な側面があります。私も「フフ」?はて?となったのですが、同様に案内図で納得しました。富嶽の展望スポットは数多くありますが、この見え方は本当に秀逸でした。眼前に広がる甲府盆地と富士山の大きさを実感できる...この空間の広がりがまた素晴らしかったです。ちょっと感動モノでした。ああ、いいですね!弟が母に自分の成長を見せたかったという考えも、とても素敵ですね。男の子の...ときにぶきっちょで無垢な感じ、どの時代にあってもそんな瞬間はあるかもしれないですね。峠道は、本当にいろいろなドラマをみせてくれます。
出発-4℃で薄着とは強靭な身体があってこそです。戦国の世も現在も戦が絶えず、地政学、経済・・・究極は自己同一と誇りですか?「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり」国力を上げれば城、石垣、堀は築けます。でも「情と仇」は一人ひとりが腑に落とすしかない世界です。「言ってみただけです」junharuさんが今の世を憂いていること。富士山を見ながらの熱いスープとパン美味しそうです。
1shun288 さん、こんにちは!強靭かどうかはわかりませんが、女性にしては手足が冷えないタイプなのですが、氷点下の場合、気づかず指がカチカチになってしまうことがあるので、うっかり凍傷とかならないよう時々チェックします(笑)信玄が言ったとされるこの言葉は、時代を超えて、今の世でもずしりと響きますね。さすが1shun288 さんの視点。国力という大きな城を築くよりも、一人ひとりの情と仇――それこそが根底にあって、時代を動かしていくのかもしれません。自分の中で腑に落とす世界……深いです。素晴らしい眺望でしたが、動かないと冷えてきますので、熱いスープはうれしいです。富士山を目の前に、五臓六腑に染み渡る美味しさでした!
JUNHARUさん、こんにちは!父恋し路、母恋し路ですか。史実的な名前が付けられているのが本州ならではの歴史を感じさせてくれます。きっと北海道だと旧道や新道だとか、登山口の地名に関係する〇〇ルートと名前が付くのが一般的です。おなじ山頂を目指すのでもハイキングコースと本格登山コースがあるのはいいですよね。ひとつの山で楽しみ方が違うと山頂で色々な人と出会えそうです。山梨県は土木工事に熱心なんですね。山ばかりだから道路を通すのにも治水をするにも苦労されたんでしょうね。北海道はそもそも平野部が多いので生活区画のために山間部を開削することは無かったのですが、交通のために山間部を開削する必要はあったようです。北海道ですから単純に道を作ると言っても、その長さや工期を考えると工事に携わる人は普通には集まらなかったようです。一つの道を通すのに何年もかかるわけですから当然その分の冬を越えなければなりません。なので北海道各地の集治監(現代で言う刑務所)などの囚人を使い、道を通したわけです。そのほとんどが重罪人として収監されていたわけですが、政治的な思想が当時にそぐわないという理由で重罪人として扱われた時代ですから何ともいたたまれない話です。詳しくは「囚人道路」で検索を… いや、やっぱ検索しない方がいいかな…そういった先人と現代の北海道開発局の苦労の上に安全な交通があるのだと思うとドライブひとつも趣深いものになる!はず!なんか登山とはかけ離れた話になってしまった… あ、いつもの事か…山頂からの富士山の景色!スゴイ良かった!行ってみたい!この流れで言うと白々しいですがホントに良かったですよ!富士山、来年こそはと毎年思うトミさんでした。
トミさん、こんにちわ!知らなかった。囚人道路。検索するなと言われると検索しちゃう。というわけではないですが、歴史にはダークな側面もありますね。このような過酷な歴史を知ると、囚人たちが置かれた状況の恐ろしさやその無惨さに苦しくなります。人権が無視され、命を軽視された時代において、囚人たちが経験した苦痛と絶望は言葉になりません。彼らの命は、ただの「労働力」。逃亡を試みる者は容赦なく命を奪われ、最終的にはその遺体が無惨に放置されていたことが、いかに冷酷なものであったかを物語っています。このような歴史を知ることで、今私たちが享受している自由や権利がどれほど大切で、また過去の苦しみに対してどれだけの敬意を払わなければならないかを深く考えさせられます。次に北海道を訪れる時、地平の先までどこまでも続く道を走るとき、どうしても思い出す。。。けれどそれは、無念な命が無駄にされることを防ぐ大事な一歩かもしれないな...と思いました。だから、教えてくださってありがとうございます。なんでしたっけ、富士山?(笑)冬になったら太平洋側はカラカラのお天気。どこからでも秀麗な富士山を見ることができます。富士山はやっぱり冠雪している方が「らしい」ですね。
山周辺は何度でしたか(文章短くてすみません)
当日は頂上5度くらいでした!😊朝は、氷点下スタート。日陰は寒かったですが、陽が出ると温度が上がっていきました。
おつかれさまです。15:52 あたりからの富士山、これだけを見に行っても価値があるかなと思いつつ、小楢山までをググったら460〜470km、休憩なしで6時間から6時間半。さぁ、どうしようか… 😂
369tata2 さん、おつかれさまです!私もこれほどの富嶽を眺められる山と思っていなかったので、感動しました!369tata2 さんのコメントには、これまでにも「1点の価値のためだけに登ってみる」に類するコメントがあったかと記憶していますが――その潔さ、369tata2 さんの登山スタイルを垣間見るようで、なんだか格好いいですね。とはいえ、460〜470km!(笑)これはですね...引退してうんと時間ができたときに、長期の旅の中の一日として、リストに加えておいてください😂
今回もこの時期にしてはいい山歩きだったのではないですか?小楢山からだと宝永山も少し隠れて富士山の形が一番綺麗に見える場所かも..宝永山も見えたほうが良いと好みの問題ですが...ただ言えるのは映像からだと分かりずらい富士山の巨大さに愕然すると思います (近く?の大菩薩峠から見た感想ですが...)ぼっちさんの解説を読んで私も同じ思いです 中世の人々の甚大な精神力!この地で生きる人々の強さが武田信玄を支え 人は城 人は石垣...と信玄は謳ったのではと思います。 柳沢峠を山梨側に下り途中にお寺の名前は忘れましたが そこで風林火山の文字が入った焼け残った本物の旗を見ました...感動の迫力でした。今回の映像で妙に心に残ったのが 雨乞い沢...石や岩についた苔の叫びですかね...。
hitosimiyaさん、こんにちわ! 0度くらいの晴れた冬の日は、登山には本当に快適ですね。軽く汗ばむくらいで、ちょうど良い感じです。 今回の山歩きは、道中の雰囲気も素晴らしく、頂上からの展望も抜群で、良い登山になりました。 宝永山が富士山のきれいな円錐形にアクセントを加えてしまいますが、 来年は富士山に登らなくても、宝永山には行ってみようかなと思っています。 判官びいきじゃないですが、行ったところは、やっぱり愛着が湧くので宝永山が見えてる方が良い派になるかもしれません(笑) hitosimiyaさんが訪れたお寺は、きっと「恵林寺」ですね! 信玄公の菩提寺であり、、国師が岳で修行したという夢窓国師のお庭もあったりします。これまで見学できる時間帯にそのあたりにいる機会がなかったので、まだ訪れてはいないのですが、風林火山の旗はぜひ一度見てみたいものです。 そして「雨乞い沢」という名前に心をとらわれるhitosimiyaさんの感性が素敵です。 風や石、草木の静かな叫びを感じ取れる人なんですね。
JUNHARUさん、いつも美しい映像を配信して頂き、有り難う御座います‼️
今回の小楢山は、以前から登ってみたい山の一つで、特に、甲府盆地越しの富士山を、一日中眺めて見たかった場所です。
歴史的な事柄を、勉強させて頂き誠に有り難う御座いました‼️
また、次回の配信がとても楽しみです‼️
有り難う御座いました‼️
小島浩さん、いつも温かいコメントをありがとうございます!
小楢山、登ってみたいと思っていらっしゃったんですね!少しでもお役に立てたら嬉しいです。
富士見の山は数々あれど、これほどの眺望の山とは想像していなかったので、感動しました。「甲府盆地越しの富士山」と書いてくださっているのを見て、ああなるほど、と思いました。富士の姿が秀麗なのはもちろんですが、私と富士山の間に広がる大きな空間――それが、なんだか心躍らせるようなワクワクするような気持ちになりました。
そうした「間」の美しさを感じさせてくれる場所だと思います。
小春日和のポカポカする冬の日に、一日中でも富士山を眺めていたくなりますね。
小楢山を楽しむにはいろいろな視点がありますが、今回は「父母恋し路」を通ったこともあり、そこにフォーカスしてみました。
wow interesting experience, new friend here from the philippines
Welcome from the Philippines!
Feel free to share your thoughts or ask questions anytime. 😊
Thank you🌈😍
@ you’re welcome
おはようございます。
我がホームゲレンデにそのような歴史があったなんて、私もまだまだですね!
武蔵の国人衆は雁坂峠を越えて甲斐へ、信濃の国人衆は大弛峠を越えて甲斐へ、その間にあるのが甲武信ケ岳ですね!
増富温泉から瑞牆山荘に向かう途中に金山平という地区があります。
良く武田軍勢の中に金山衆という鉱山労働者が現れます。
金山のありかは極秘だった為、強制的に住居が制限された場所かもしれませんね。
ぽっちさんの投稿、新しい登山スタイルですね
坂部誠司さん、こんにちわ!
あら?こちらがホーム?
意外と灯台下暗しで、地元すぎてしらなかったこともあったりしますよね。
武蔵の国人衆が雁坂峠を越えて甲斐へ、信濃の国人衆は大弛峠を越えて甲斐へ――その間に甲武信ヶ岳がそびえる!もうゾクゾクするくらい面白いですね。
おお!金山平!金山のありかが極秘とされ、居住地まで制限されたかもしれないという考察には、なるほど~と思いました。ここだけの話、黒川鶏冠山の東側に武田の金山ありますよ!内緒ですよ(笑)
私の登山スタイル。は、興味のままに調べたり歩き回ったりしているだけですが、地図の等高線だけでなく、そこに重なる歴史や人々の営みをどうしても拾いながら歩いてしまうのです。坂部さんのように、山を熟知されている方の視点からも、また新しい発見があれば教えてください!
じゅんはるさん、こんにちは。
今回行かれた小楢山…その山道には悲哀の伝承があるのですね。
人々の暮らしのための道であったことも、ところどころの石仏が物語っているようです。
姉と弟がそれぞれの山道を歩いたのはいつ頃の季節だったか、途中から分かれてひとりで歩くのにどんな思いだったのか偲ぶじゅんはるさん…
姉も弟もひとりで歩く心細さを感じながらもいろいろな思いを抱きながら歩いたのでしょうね。
山道はただ登るだけのものもあれば昔の往来の道だったところもありますから、他の山道にも伝承が残っていると思います。
その山道やその場所の伝承や歴史を感じながら歩くのもいいものですね。
いろいろな思いを抱き、伝承の偲ばれる山道の映像は、どこかもの悲しさを感じてしまいました。
このところの冷え込みや寒さも感じる風の中、お疲れさまでした。
さて、冬タイヤの交換したので金精峠冬季通行止め(12/25~)の前に戦場ヶ原を歩きに行こうと思います。
果たして雪化粧はどこまで進んでいるでしょうね。
戦場ヶ原、男体山の神は大蛇、赤城山の神は大百足に姿を変えて戦い、男体山の神が勝利した戦の場所…群馬県人の私としてはちょっと悔しいですw
ガソリンも値上がりするので遠出は痛手でもありますが^^;…
smik3on さん、こんにちは!
昔の往来の道には、ただ登るだけではない、誰かの時間や思いが確かに残っていますね。
他の山道にもきっと...伝承や歴史が静かに眠っていることでしょう。
そうした物語に耳を傾けながら歩く時間は、少しもの悲しさもありますが、それがまた山旅の深さなのかなと思います。
戦場ヶ原を歩かれるとのこと!うーん、やっぱり群馬も冬タイヤに交換するのか...。
山へいくとなると必須ですね。
季節が織りなす景色はどこまで進んでいるのか気になります。
男体山の神と赤城山の神…戦の物語も、群馬県人としてのsmik3on さんの複雑な心情に思わずほっこりします(笑)。来年は巳年ですから、蛇に華を持たせてやりますか。
でも、冷え込みも厳しくなってきましたので、どうぞ暖かくして歩かれてくださいね。
戦場ヶ原の様子もまた、楽しみにしています!
金時豆のデニッシュでしょうか?
じゅんはるさんの作品に出会ってから、パン屋さんの棚にデニッシュを探すようになった私です。
こんにちは、今回も伝承を紐解きながら想像が膨らんでいくように辿る奥深い山旅でしたね。
冬靴を調達して雪山へ!と勢い込んでいたのですが、カサコソと落ち葉じゅうたんを踏みながら、当時いろんな思いを抱えて歩いた古人の心を想い歩く山も捨てがたいんだよなあ、茶色の山も白い山に負けず劣らず魅力的だぁって、「さあ、どっち行く?」状態です。
東京へ行く用事があって、ちゃっかり週末を挟んだ日程にして、高尾山に初めて登ってきました。富士山見えてラッキーでした。
このコメントも帰りの新幹線で書いてます😂
今朝雪になりました、風邪などもらわないよう気をつけて山楽しんでくださいね〜😊
でこぼこMamoさん、こんにちわ!
パンの説明(笑)
こちらは、「塩バター大納言」です。一応、塩パンなので甘じょっぱい!
でもバターの甘みもしっかり感じます。バリっむちっとしたフランスパン生地にほんのり甘いあずきがたっ~ぷり。けっこうヘビロテしてしまうパンです。
でこぼこMamoさん、東京にいらしてたんですね。
でもしっかり、高尾山を予定に組み込むとは、すばらしい!
関東はカラカラに乾いていますので、富士山も見られたんですね、良かったですね。
茶色の山も白い山も、どちらもその時期ならではの味わいがありますね。
えーっと。両方行くしかないですね!(笑)
しかし、新幹線の中からコメントくださるなんて感謝です🚄✨
今日の東京は、雪もちらついて寒かったですね。でこぼこMamoさんも暖かくして、体調くずされぬようお過ごしくださいね〜😊
小楢山??と思って調べてみたら、乾徳山や金峯山の南なんですね。 あの立札によると古那羅山の方が後でつけた名前なんですね。 この林道は落ち葉ふむ音といい、本当にいい雰囲気です。道標でフフ???と思っていたら案内図が表示されて、理解できました😅山頂は視界が開けてますね。ぅわ〜〜😮 街からどれだけ富士山が見えるのか知りませんが、良い街です。 私的には弟が、自分の成長した姿を、母に見せたかったとか、考えられませんか? その時代はやはり、困難な方が、父恋し道なんですかね。 峠道は古代から色んな思いが、脈々と引き継がれてるんですね。
國定さん、こんにちわ!
私のマイナーシリーズに毎度お付き合いをいただき感謝です。
はい。乾徳山や金峯山の南に位置する山で、そういう位置関係からも歴史のサテライト的な側面があります。
私も「フフ」?はて?となったのですが、同様に案内図で納得しました。
富嶽の展望スポットは数多くありますが、この見え方は本当に秀逸でした。
眼前に広がる甲府盆地と富士山の大きさを実感できる...この空間の広がりがまた素晴らしかったです。ちょっと感動モノでした。
ああ、いいですね!弟が母に自分の成長を見せたかったという考えも、とても素敵ですね。男の子の...ときにぶきっちょで無垢な感じ、どの時代にあってもそんな瞬間はあるかもしれないですね。峠道は、本当にいろいろなドラマをみせてくれます。
出発-4℃で薄着とは強靭な身体があってこそです。
戦国の世も現在も戦が絶えず、地政学、経済・・・
究極は自己同一と誇りですか?
「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり」
国力を上げれば城、石垣、堀は築けます。
でも「情と仇」は一人ひとりが腑に落とすしかない世界です。
「言ってみただけです」junharuさんが今の世を憂いていること。
富士山を見ながらの熱いスープとパン美味しそうです。
1shun288 さん、こんにちは!
強靭かどうかはわかりませんが、女性にしては手足が冷えないタイプなのですが、氷点下の場合、気づかず指がカチカチになってしまうことがあるので、うっかり凍傷とかならないよう時々チェックします(笑)
信玄が言ったとされるこの言葉は、時代を超えて、今の世でもずしりと響きますね。
さすが1shun288 さんの視点。
国力という大きな城を築くよりも、一人ひとりの情と仇――それこそが根底にあって、時代を動かしていくのかもしれません。
自分の中で腑に落とす世界……深いです。
素晴らしい眺望でしたが、動かないと冷えてきますので、熱いスープはうれしいです。
富士山を目の前に、五臓六腑に染み渡る美味しさでした!
JUNHARUさん、こんにちは!
父恋し路、母恋し路ですか。
史実的な名前が付けられているのが本州ならではの歴史を感じさせてくれます。
きっと北海道だと旧道や新道だとか、登山口の地名に関係する〇〇ルートと名前が付くのが一般的です。
おなじ山頂を目指すのでもハイキングコースと本格登山コースがあるのはいいですよね。
ひとつの山で楽しみ方が違うと山頂で色々な人と出会えそうです。
山梨県は土木工事に熱心なんですね。
山ばかりだから道路を通すのにも治水をするにも苦労されたんでしょうね。
北海道はそもそも平野部が多いので生活区画のために山間部を開削することは無かったのですが、
交通のために山間部を開削する必要はあったようです。
北海道ですから単純に道を作ると言っても、その長さや工期を考えると工事に携わる人は普通には集まらなかったようです。
一つの道を通すのに何年もかかるわけですから当然その分の冬を越えなければなりません。
なので北海道各地の集治監(現代で言う刑務所)などの囚人を使い、道を通したわけです。
そのほとんどが重罪人として収監されていたわけですが、政治的な思想が当時にそぐわないという理由で重罪人として扱われた時代ですから何ともいたたまれない話です。
詳しくは「囚人道路」で検索を… いや、やっぱ検索しない方がいいかな…
そういった先人と現代の北海道開発局の苦労の上に安全な交通があるのだと思うとドライブひとつも趣深いものになる!はず!
なんか登山とはかけ離れた話になってしまった… あ、いつもの事か…
山頂からの富士山の景色!スゴイ良かった!行ってみたい!
この流れで言うと白々しいですがホントに良かったですよ!
富士山、来年こそはと毎年思うトミさんでした。
トミさん、こんにちわ!
知らなかった。囚人道路。検索するなと言われると検索しちゃう。
というわけではないですが、歴史にはダークな側面もありますね。
このような過酷な歴史を知ると、囚人たちが置かれた状況の恐ろしさやその無惨さに苦しくなります。人権が無視され、命を軽視された時代において、囚人たちが経験した苦痛と絶望は言葉になりません。
彼らの命は、ただの「労働力」。逃亡を試みる者は容赦なく命を奪われ、最終的にはその遺体が無惨に放置されていたことが、いかに冷酷なものであったかを物語っています。
このような歴史を知ることで、今私たちが享受している自由や権利がどれほど大切で、また過去の苦しみに対してどれだけの敬意を払わなければならないかを深く考えさせられます。
次に北海道を訪れる時、地平の先までどこまでも続く道を走るとき、どうしても思い出す。。。けれどそれは、無念な命が無駄にされることを防ぐ大事な一歩かもしれないな...と思いました。
だから、教えてくださってありがとうございます。
なんでしたっけ、富士山?(笑)
冬になったら太平洋側はカラカラのお天気。
どこからでも秀麗な富士山を見ることができます。
富士山はやっぱり冠雪している方が「らしい」ですね。
山周辺は何度でしたか(文章短くてすみません)
当日は頂上5度くらいでした!😊
朝は、氷点下スタート。
日陰は寒かったですが、陽が出ると温度が上がっていきました。
おつかれさまです。
15:52 あたりからの富士山、これだけを見に行っても価値があるかなと思いつつ、
小楢山までをググったら460〜470km、休憩なしで6時間から6時間半。
さぁ、どうしようか… 😂
369tata2 さん、おつかれさまです!
私もこれほどの富嶽を眺められる山と思っていなかったので、感動しました!
369tata2 さんのコメントには、これまでにも
「1点の価値のためだけに登ってみる」に類するコメントがあったかと記憶していますが――その潔さ、369tata2 さんの登山スタイルを垣間見るようで、なんだか格好いいですね。
とはいえ、460〜470km!(笑)
これはですね...引退してうんと時間ができたときに、長期の旅の中の一日として、リストに加えておいてください😂
今回もこの時期にしてはいい山歩きだったのではないですか?小楢山からだと宝永山も少し隠れて富士山の
形が一番綺麗に見える場所かも..宝永山も見えたほうが良いと好みの問題ですが...ただ言えるのは映像から
だと分かりずらい富士山の巨大さに愕然すると思います (近く?の大菩薩峠から見た感想ですが...)
ぼっちさんの解説を読んで私も同じ思いです 中世の人々の甚大な精神力!この地で生きる人々の強さが
武田信玄を支え 人は城 人は石垣...と信玄は謳ったのではと思います。 柳沢峠を山梨側に下り途中にお寺の
名前は忘れましたが そこで風林火山の文字が入った焼け残った本物の旗を見ました...感動の迫力でした。
今回の映像で妙に心に残ったのが 雨乞い沢...石や岩についた苔の叫びですかね...。
hitosimiyaさん、こんにちわ!
0度くらいの晴れた冬の日は、登山には本当に快適ですね。軽く汗ばむくらいで、ちょうど良い感じです。 今回の山歩きは、道中の雰囲気も素晴らしく、頂上からの展望も抜群で、良い登山になりました。
宝永山が富士山のきれいな円錐形にアクセントを加えてしまいますが、 来年は富士山に登らなくても、宝永山には行ってみようかなと思っています。
判官びいきじゃないですが、行ったところは、やっぱり愛着が湧くので宝永山が見えてる方が良い派になるかもしれません(笑)
hitosimiyaさんが訪れたお寺は、きっと「恵林寺」ですね!
信玄公の菩提寺であり、、国師が岳で修行したという夢窓国師のお庭もあったりします。
これまで見学できる時間帯にそのあたりにいる機会がなかったので、まだ訪れてはいないのですが、風林火山の旗はぜひ一度見てみたいものです。
そして「雨乞い沢」という名前に心をとらわれるhitosimiyaさんの感性が素敵です。
風や石、草木の静かな叫びを感じ取れる人なんですね。