【戦国の官房長官】石田三成って実はすごい人だった!?
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- เผยแพร่เมื่อ 12 ส.ค. 2024
- 関ヶ原敗戦の将として知られる石田三成。
家康と対峙したこともあり、
彼の評価は江戸時代を通じて、決して高いものではありませんでした。
しかし現代では、その事務能力や調整力、折衝力などが見直されており、
日本史上最高のNo.2の異名をとるほどになりました。
そんな石田三成の秘密の数々を解き明かします。
★インデックス★
00:00 オープニング
01:56 秀吉に仕えるきっかけ
06:20 豊臣政権下での役割
07:42 有能な家臣を高禄でリクルート
10:27 名奉行として
11:39 三成の人脈
13:34 三成が嫌われる理由
16:33 三成と家康の関係
18:22 淀殿派の噂の真相
20:06 関ヶ原合戦に至るまで
23:40 関ヶ原前哨戦
25:51 関ヶ原本戦と敗戦後の三成
28:46 没後の意外なエピソード
30:25 エンディング
秀吉子飼い衆のブルーカラーの大半が家康さんに付いちゃった。今川義元の時代から現場で戦い続け生き残った家康さん or 毛利元就のボンボン嫡孫輝元さん。求心力は徳川だよなあ。
秀吉に気の利いたお茶の出し方をしたから召し抱えられたってのは創作だったかも知れないとは驚いたわ。でも斉藤道三が油屋だったのも創作だったとか創作が多すぎるから何が何だか分からないわね。
歴史って何が本当なのかわからないというところも想像力を掻き立てられて面白いんですよね!
嫌われ者というより
クソ真面目だった感じがします。上司がこれって言うとそれを実行するみたいな。
マニュアル人間のイメージがありますね
真面目過ぎて融通が利かないというイメージもありますね!
堺屋太一さんの「巨いなる企て」の石田三成公は実際の三成公にちかいんじゃないかなあ。
実際有能な人物ではあると思う
でも、トップに立つべき人間ではないんだよなぁ。実際家康に対して決起したものの、家康を倒した後どうするって言うビジョンが見えてこないんだよ… 下手したら「家康さえ倒せれば全てが丸く収まる」とか考えていたんじゃないかと思う位…
それに、最後の柿を差し出された際に断った話は気骨のある人物であると同時に、柿を差し出した人の心遣いやメンツを考えないって面の表れだと思うな
毛利家が桃を送った時も。季節外れだから、と秀吉に渡さない話もあります。