ขนาดวิดีโอ: 1280 X 720853 X 480640 X 360
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動画で使用しているBGMについてたまにお問い合わせ頂くのですが、「落ち着いたやつ001」など名前を変え保存していたので今まで曲名がお答え出来ませんでした。さきほどyoutubeオーディオライブラリからやっとこ探し出しましたので概要欄に記載しておきます。音楽が苦手でいつも同じ曲の使い回しなのはお許しください(^^)
前後編、大変興味深く拝見させていただきました。私事で恐縮ですが、今から40年ほど前、奈良市在住の子供だった私は小さな冒険でもしてみようと思い立ち、自転車に乗って郡山近辺に遠征しました。あちこち走り回っているうちに、真っすぐな道が延々と続くかと思われるような路地に入り込みました。子供心に見ても普通ではないと思われるような建物が建ち並んでいるような場所でした。しばらく進むと、建物の前に座っていたおばさんに、「ここはお前が来るような場所じゃないから戻れ」と言われました…その後、その場所には二度と行きつくことができなかったので、記憶の風化と共に、あれは夢だったのではと思うようになっていたのですが、やはり存在したのですね。長年の謎に答えを頂いたようで、本当に感謝しています。
共感しました。私も子供の頃、同じような経験をしたことがあります。私の場合は、びわ湖にブラックバスを釣りに行ったときに、雄琴のソープ街に迷い込んでしまったのでした。(笑)店先に立っていた客引きの若いにいちゃん二人が私に向かって、満面の笑顔で「パンパン」と大きく手をたたいて「さあ、どうぞどうぞ」とやっていました。(爆)
道迷いの記憶の場所。私にとっては桃源郷のような魅力があって羨ましく思います。幼少の頃でしたら三層楼も遣り手婆さんもさらに迫力あったことでしょうね(笑)
私の実家は、箕山新地で薬屋を営んでおりました。だから自分が中学生の頃まで、岡町は普通に営業しておりそこにあるのが当たり前の風景であり、あの頃の郡山の賑わいは今では考えられないほどでした。当時は理解できませんでしたが、友達の家も遊郭を営業してました。大変裕福で、羨ましく思ったものです。ただ、暴力団系の施設があり怖かったのもおぼえてます。夜になるとピンク色の街になり、飛田と瓜二つでした。
箕山新地にお住まいだったのですね。郡山の財政の多くを担っていましたからそれは賑やかだったんでしょうね。タイムスリップして垣間見てみたいです(^^)
こういう動画をやっとオススメしてきたTH-cam褒めたい。私も年齢的には全然時代じゃないのに物心ついた頃からこういう景色や、遊郭とか赤線とかそういうものに惹かれる…謎。とにかくチャンネル登録させて頂きます!素敵な映像に感謝します♡
コメントありがとうございます(^^) おすすめ動画は謎のとき多いですが、気に入ってもらえてようで嬉しいです!
素晴らしい!NHKではやってくれない、これこそTH-camだからこそできる番組ですね。他の動画も拝見しましたが、尊い取り組みをされておられ敬意を表します。今後の番組も期待しております。
当時のままの、貴重な映像、息を呑んで、視聴しました。ガラスが、とても綺麗でしたね。ひとりさんと、案内して下さった方に、感謝です。あっと言う間に、登録者数5000人、超えましたね😊色々、大変な事もあるでしょうが、頑張っくださいね🙋
いつも労いありがとうございます!確かに見ていただく方が増えていろいろ気を使って撮影しないとなぁと今一度考えているところです(^^)
様々な色恋やドラマがあったのかと思うと とても感慨深い動画でした。女性達の複雑な感情が投影されているようでした。
長い歴史のなかに計り知れない人間模様があったのでしょうね
大変、興味深い内容とまた癒しにもなりました。大人になったからこそ、この時代の事や建物をもっと見たり知りたいと思うのに...なかなか残せないのですね。自分に余裕があるのなら、あえてこんな造りの居場所を作りたいくらいです。
実際に自分が探索している様な、とてもワクワクした気分になりました。一人称視点でも、観ていて酔うこともなく、撮影を(編集もですが)とても丁寧にされていますね^^
自分で見返すともっと丁寧に撮っておけばよかったなぁと後悔ばかりなのですがそう言って頂けると救われます(^^)
音楽も相まって神隠しに逢いそうな美しい場所ですね
ただの廃旅館なんですが先入観も手伝っていろいろ想像してしまいますね(^^)
ムダな思考が飛び、集中して拝見させていただきました。残存している建物の回りには、新しい現代の建物。その落差が激しいですね。 もう、見る事の出来ない内部映像を本当にありがとうございました。まるで迷路のような造り。確かに傷んではおりますが、梁や柱、基礎がしっかりしていたようで、当時はさぞかし、立派だった事でしょう。窓のない3畳間が、とてつもなく切なさで、胸がいっぱいになりました。なんてったって、平成まで闇営業していたのですから、本当に驚きです。数々のあれだけの建造物。住民の方々は、果たして残せる限り残したい。かたや、闇営業何かしていた建造物何か、古くて危ないし、さっさと解体してしまえ。一体、どう思われているのか…ちょっと気になるところです。
今お住まいの近隣の方からすると壊してほしいのが本音でしょうね。ただ遊郭だったことが理由ではなく昨今の自然災害を理由にされるご意見は聞きました。確かにあれが倒れてきたら怖いものあります(^_^;)
なんなんだろう…この言葉では言い表せない心にぐっとくる感じは負の遺産ではあるのかも知れないが歴史的建造物として 補修してもらいたいな。
せめて取り壊しの前に映像にでも残しておいてもらえると良いのですけどね。
そうですね…寂しいです。
UP主様の動画を観ていると懐かしさ切なさが同居する不思議な感覚におそわれます。旧実家が元遊郭の建て直しだった事や父親の実家が五番町の近くの七番町であった事もあり何かの因縁を感じます。
細かい部屋割りなんかはどこも似たような感じでしょうから記憶の片鱗に残っておられるのやも知れませんね(^^)
かか
保存できたらいいのに。情緒があり美しいですね。華やかな頃の情景が浮かびます。普通の家がつまらなく見えてしまう
自分この辺をよく歩いてるんで以前から三層楼の中であったり界隈の過去にすごく興味をもっていました中の様子を見る事が出来たのは大変貴重でしたこれからも素晴らしいこの街並みを少しでも長くみていたいものです素晴らしい映像ありがとうございました!
お近くでしたら尚の事気になる存在でしょうね。少しだけでもお役に立てたようなら嬉しい限りです(^^)
全然懐かしいなんて年齢じゃないのによく分からない感情で心臓がきゅってなった行ってみたい
時代も国も違ったりするのに郷愁を覚える事ってたまにありますね(^^)
大和郡山市に住んでいる者です。丁度ほんの少し前に偶然この時代に取り残された様な建造物達を発見し、何とも言えない郷愁を感じたことを覚えています。私の住む町でありながらどの様な歴史を持つ建造物かどうかは存じておりませんでしたので、大変勉強になりました。
まだ残っている内に是非とも記憶に焼き付けておいてください。どのような要素であれ我が町の情報が多いほうがより郷土愛も深まると思うので(^^)
何時も、ご苦労さまです。編集もBGMもセンスある動画にされていますね。人影が見当たらので更にいいです。
ありがとうございます。やっぱり早朝は気を使わなくてよいので気楽ですね(^^)
@@路地裏にひとり やはり、早朝ですね。でも、遊廓の名残と言う事でピッタリですね。有り難う御座います。
昨日たまたまおすすめに出て来て知って、動画の雰囲気が好み過ぎてすぐに登録しました。この続きが気になってたので、うれしいです😊
ありがとうございます。さっそく見て頂いたのに高画質になるまで時間を要するようで申し訳ないです。
路地裏にひとり ご丁寧に返信下さりありがとうございます。何度も再生させて頂くので大丈夫です!笑次回作品まで、過去作品も見て楽しみに待ってます。
ここまで念が感じられる映像もそうそうないと感じました。映像になにか沢山の想いを感じこういう場所が残ってほしいような…またその念が成仏してほしいような不思議な気持ちになりました。
私は鈍感で分かりませんが、様々な感情が蠢いていた場所ですから何かあるのかも知れませんね。
大変貴重なものが見れました!ありがとうございます!
自分で散策しているみたいでとてもワクワクしました。登録させていただきました。
ありがとうございます(^^)
数年前に観光で大和郡山市を散策したのですが、今では無料でボランティアの叔父様たちが妓楼の歴史を説明をして下さる観光資源になってましたね。とても貴重な体験でした。この動画で紹介されている建物もその時に偶然拝見していて懐かしい気分になりました。
皆さんずいぶん勉強されているそうで、開館時分と比べるととても丁寧な説明になっていました。素晴らしいなと思います。
面白すぎました!!!写真全部拝見したいぐらいです!
素敵な動画ですが、デジカメが絶不調な所が怖い(心霊的な意味で)と思ってしまいました...しかし貴重な映像ありがとうございます。撮影した写真スライドショーで見てみたいです😊
500円のジャンク品だったので日によっては押しても叩いても動かず難儀したものです(笑)今はおかげさまでちゃんとしたカメラなのでいつかスライドもやってみたいです(^^)
大変貴重な映像ありがとうございました!福島県の郡山市を検索していたらたどり着きました。郡山は西にもあったんですね(笑)遊郭の内部は暗くてよくわからなかったけど、五社英雄監督の映画みたいな感じだったのでしょうね。大正時代によくあった色ガラスや丸く象った仕切りとかぐっときました。古い建築大好きなので他の動画も拝見させていただきます。余談になりますが、義兄の実家は明治から軍人や町の名士達や旅人のための旅館をやっていた家で、奥の客室や廊下は映像にあったような雰囲気です。今は廃業していて手前の住居部分に義兄の母と兄が暮らしていますが、私が子どもの頃に姉が嫁いで少しした時に奥まで見せてもらいましたが、あの時写真取っておけばよかったなと思いました。今、義兄の実家に見せてくださいなんて言いづらいけど、だいぶ家が傷んでいるので本来はこうして動画に遺すと歴史のためにもなりますよね。多分、義兄の母は嫌がるでしょうから言えません(^_^;)
私は古い家を壊してしまったのですが後になると撮っておけばよかったなぁと同じように思います。案外ちゃんと撮っていたものに限って見なかったりもするんですけどね(笑)
風格のある地って不思議ですよね。意外といやらしくなく、独特の美意識と文学性、芸術性もうかがえたり。遊廓って、いったいどういったところだったのでしょう。不思議の場所です。それにしても窓のない三畳の部屋は悲惨を思わせます。堀田善衛が、アメリカのハーレムの黒人の家で、窓がない家がある、非人道的だと紹介していたのを思い起こしました。
現代の風俗でもあまり違いがないですが、やはり事致すだけの部屋は見ていてなんだか胸を締め付けられますね。
その頃は、淫らで如何わしさが漂っていたのかも知れないけど、今は趣さえ感じる。
この安っぽさも時が経ち見方が変われば「良いなぁ」なんて思えてしまうんですから面白いですよね(^^)
果たして50年後、今の建築物が残るか否か
なぜか千と千尋を見てるかのよう
千と千尋を知らなかったので検索して画像を見てみましたが、なるほど舞台となる油屋はこの辺りの三層楼と似通ってますね(^^)
貴重な動画をありがとうございます。美麗な建築様式に惹かれますが、内部を見ると悲しい歴史を内包している実感が色濃くなり、複雑な気持ちに息を呑みました。
時間の流れの厳しい現実=老朽化しかし時間が止まったような妖艶な雰囲気は健在文化財としては残しにくいものではありますが、時代背景を象徴する美しい建物として少しでも永く残ってもらえるといいですね。貴重な動画、ありがとうございました。
現地で見ると台風で簡単に飛んでしまいそうな瓦が在ったりして安全面を考えると取り壊しの方法はやむを得ないところですね。
それも現実なんですね。受け止めて主の動画を行った気になってみますね(笑)!
個人的には17:26のガラス窓も良いなと思うんですけど。 個人での取扱いに色々困る点もあるでしょうが、建築物・文化・立地等、大変情報量の多い、しかも貴重な資料、特に音声カットの資料(伝聞)も合わせ、私には、公の資料並に、異常に価値の高い資料だと思います。生データも大切にしてくださいね。>デジカメの調子 私は戦跡探訪中でしたが、電子部品(私は車のダイレクトイグニッション)で、その場を離れると、何事も無かったかの様に、調子が戻るという不可解な現象って、有りますよね。
植生に侵されて雰囲気はたしかに良いですね(^^)昔全てのデータを馬鹿みたいにデジタル化してしまいパソコン壊れて全て失い自暴自棄で遊郭巡りまで辞めてしまった苦い過去があるのでバックアップ今は徹底しております(笑)
別世界にいるようで惚れ惚れしました。こういう所は行く機会もないので興味深いです。でも所々に個人の車のナンバープレートなんかが写っていたので別の意味でドキッとしました。
路地裏にひとりさんお疲れ様です❗サムネイルは洒落た窓ガラスですね⁉外からはうかがい知れぬ造りで中を拝見させて頂いた事は本当にラッキーでしたね🎵大便所の戸はすりガラスが何の形になっていたのか素敵な感じで撮影出来たのは路地裏さんの人徳ですね👍スライドショーも🆙するのですか❓(見たいです🎶)👋
ちょっとチープな色使いもかえって魅力的ですよね(^^)写真は記録用に適当に撮るだけなので傾いていたりむちゃくちゃでスライドショーは難しいですがちょっと興味でてきました。
路地裏先生!後編、有り難うございます!連休の散策時に“吉乃の燈籠”が見れなくて残念でした(涙)瓦礫の山探したらあったかも(笑)洞泉寺が“陽”なら東岡町は“陰”の気が独特で雰囲気有りますネェ👍色硝子の特別室、最高でした❤️そして登録㊗️5000人超え、おめでとうございます~🙋
確かに瓦礫のどこかにあったかもしれませんね。来歴は別にして骨董市とかで売ってたら高く売れそうなのに勿体無いです(^^)
@@路地裏にひとり 路地裏先生!今回の動画、路地裏先生の特別な思い入れを感じました。5000人も登録超えると色々変なコメント増えて(私チェックしてます(笑))、気苦労も増えますが路地裏先生のペースで続けて下さいね👍少なくとも夫婦二人は路地裏先生の味方ですので~ (^-^)v
@@志賀春樹-z3e それでも反応貰えるだけ有り難いことです(^^)
奈良県の生まれ育ちで高卒後、地元で就職しました。「オカマチで毛じらみ貰った」とか職場の先輩らが話をしていました。その後も度々「オカマチ」という言葉を聞くことになるのですが、風俗に疎かった僕は何のことか分かりませんでした。転職し県外に出て20年近く経ち、この動画をみてようやく「オカマチ」とは何かわかりました。僕がもう少し先輩らと仲良くなっていれば、これら旅館の色々お世話になっていたかもしれないなぁと思いました。
いつも興味深い動画をありがとうございます☆こんなにも後編upが待ち遠しかったの初めてやわー! やっと寝れる^_^☆彡貴重な内部映像、最高でした!まさに夢中でシャッターを押すって感じ。 写真全部見たかったです。
動画まだ画質悪いのに見て頂き恐縮です。写真。この時のカメラはジャンク品だったのでほとんど撮れてないかピンぼけでダメダメでした(笑)日頃からケチっているといざという時泣きをみますね(^_^;)
金儲けのyoutuberを否定はしないけど、路地裏さんのような動画が本来の目的で素晴らしいと思います有難うございます。コンプライアンスの世の中において必要悪は何なのか考えさせられますね。利権やお金の問題があると思いますが、所有権とかどうなってるのか疑問です。
私も当初youtuberさんに若干の否定的感覚が在ったのですが、動画投稿をやってみると数多の仕事同様大変さが身にしみてわかり、好きなことを仕事にしておられる覚悟に今では尊敬の念すら抱いています。私は専業じゃないのでお気楽ですが(^^)
大和郡山市は地元ですが通りすぎることはあってもゆっくり見回ることはないので興味深い感じですね!数年後には新しく駅も建て替えされます。今駅周辺は整備がかなりされつつあるのでその前に行こうと思います。
映画館を利用した駐輪所も無くなってましたもんね。昭和人間にはちょっと寂しいものがあります(^_^;)
大変貴重な内部動画ありがとうございました。玄関が開放されたままと聞き去年12月訪ねましたが、バリケードがあり断念した楼でした。動画内で更地になっていた妓楼はその時ちょうど解体中断中で、中が少し覗けたことは私には幸運でした。箕山新地という名称は知りませんでした。大変勉強になります。ありがとうございます。…もしかしてインスタされていたら、フォローさせていただいているかも知れません^-^
幸運にも許可を頂けて記録に残せたこと嬉しく思っています。インスタですが、私は未だにガラケーなので違う方ですね(^^)
返信どうもありがとうございました^-^ 花街・赤線・妓楼建築に惚れた人が沢山います。スマホになられたら是非インスタへm(_ _)m
15:01の部屋をカメラで撮影するシーンで、右下のカメラの画像に男性の顔が写ってるように見えてドキッとしました。実際は天井の光の加減でしょうが…
どうせ私のむさ苦しい顔が写り込んでいるんだろうと思って見てみたら、天井にバウンスした明かりが見ようによっては顔ぽく見えますね(笑)
素敵な建物群。この時代の華奢で繊細で遊び心のある建物ほんとに好きですわ。いいもの見せていただきありがとうございます。畳はさすがに抜いてあるんですね?
今は何でも規格品で組み立てるだけですから遊び心も技術も廃れてしまい残念に思います。何でも安いものを求める私にも責任の一端はありそうですが(^_^;)
@@路地裏にひとり なんでもそうですけど大きくて立派であればあるほど維持管理が難しいですしねホテルですけど白雲楼ホテルに泊まるの楽しみにしてたら予約してた日の一週間前に潰れたのが大変トラウマです笑私も他人ごとではないです…
大変興味深く拝見しました。世間知らずで恐縮ですが、本当に遊郭が存在したのだなと驚いています。現代の風俗街とは違うひっそりとした世間から隠れるような佇まいに、言葉に出来ませんが何かこみ上げるものを覚えました。また、上品な動画の作りで安心して拝見できました。多くの動画のように再生回数目当てでやたらと派手な字幕や撮影者のリアクションがあると廃墟の趣が薄れてしまうと思っているので、このように最低限の字幕のみで淡々と紹介していただけると廃墟ファンとしては嬉しい限りです。歴史的な価値と観光資源となれば廃墟の保存も望みがありますが、闇遊郭のような言わば歴史上の汚点扱いをされる場所はどんなに建築物が美してくても残されることは稀なので、このように動画に残していただけるのは重要な資料になりますね。これからも動画を楽しみにしております。
ずいぶんと月日が流れたおかげですこし冷静に見つめられる時期なのかもしれませんね。忘れてしまいたい女性も多かったことでしょうから。
撮った写真スライドショーでみたいです。めっちゃ素敵動画ありがとうございます!
記録用にちゃちゃっと撮ってるだけでいろいろと酷いので難しいですがスライドショーに耐えうる写真が撮れるようになったらトライしてみます(^^)
@@路地裏にひとり お返事ありがとうございます。楽しみにしてます。
何回か見に行ったことあります。今では見学できるようになってるところもありますね。あの色ガラスのある建物はあの3階建ての建物ですか?がれきの前の。色ガラスに魅了されます。大和郡山は遊郭だけでなく古い建物や街並みが残ってるのでまた散歩に行きたいと思います。
瓦礫の前の妓楼とは別になります。この部屋は良い意味で下品で生々しく感ぜられ刹那、息を呑んだのが思い出されます(^^)
依然の動画と見比べると町並みに急に近代化の波が押し寄せてきたって感じでしょうか。今や住宅地の中に遊郭関連の建物が埋もれつつありますね。そしていずれはこの地域に遊郭が存在したことすら忘れ去られる日が来るのでしょうね。
関西圏以外はほとんど行けていないのですが全国的に同じような感じみたいです。過ぎた時間を考えると仕方ないようなきもしますが寂しくもありますね。
最後に紹介された幾何学的な窓枠のデザインが、いかにも大正って感じでノスタルジックですね。あの窓枠のデザインは、近所の古い民家で見たことがあります。ステンドグラスは単なる貼り付けでしょうか? 前半に出てきた靴下工場で思い出したんだけど、奈良県は日本有数の靴下の産地だそうですね。数年前まで、近くのスーパーに定期的にソックスを売りに来るお爺さんがいて、見かけたら買っていました。安い上に品質が良かったからです。最後に買ったとき、問わず語りに「大和高田から来た」と仰っていました。その後一度も来られなくなって、寂しい思いをしています😢
感動する動画ありがとうございます建物の情緒というか哀愁というか…不思議な気持ちです私は福岡ですが、赤線地域は何となく雰囲気は残ってますあと、デジカメですが真っ暗な所ではパンフォーカスに設定すればシャッター切れますよ
想像する昔の賑わいからすると確かに哀愁を感じますね(^^)カメラは元からジャンク品で挙動が怪しかったのですがアドバイス感謝です
旅館内部公開ありがとうございます。2階にボールが飛び込んで破れた窓ガラスからWebで年末年始に調べて位置と名前を特定しました。それは角にあるタバ〇屋のすぐ隣ですね。自分は小学5年生まで大阪市に住んでいましたが、小学校の遠足で近鉄電車に乗り大和郡山市に差し掛かると、窓から踏切とその前後にその建物の3階部分がよく見えて、担任の女の先生から説明をよく受けました。当時、宇宙戦艦ヤマトがテレビ放送開始されていたので、屋号はよく覚えています。赤線廃止前の昭和30年に非常に悲しい出来事があった建物です。この建物は2020年2月に取り壊されてしまいましたが、1階の間取りがわかりません。判る範囲で良いですから教えて貰えませんでしょうか?特に知りたい部分は、玄関正面左側部屋と風呂場とトイレの位置、タバ〇屋に接する部分に窓があるかどうかです。
東岡町はネットのブログでも薄暗くて君が悪いや陰鬱な雰囲気が漂うなど、近くにある洞泉寺遊郭は細格子で優雅な雰囲気であるのと対照的という文章が散見されているので、妓楼内でのデジカメの不具合も考えると遊女の怨みや水子として堕された子供がいるのではないかなという気がします。最近では東岡町も新しい住宅地やアパートが建てられて暗いイメージが払拭されたように思いますが、二、三十年前に建て替えられた闇営業に使っていた旅館は暗い感じを纏っていますね。洞泉寺遊郭の妓楼が解体される時に内部を見学したのですが、赤、緑、青の色ガラスが二階の窓ガラスにあったので、上等な客を通す部屋の窓ガラスは華やかにするためにそうしたのかもしれません。
洞泉寺の方も赤線の名残りか色ガラスありましたね。私は日が合わず見学行けませんでしたが貴重なご経験されたようで羨ましいです(^^)岡町の方の色ガラスの部屋は仰るように上客用だと思います。裏階段のすぐ脇で、水回りも近く人目に触れず登楼できたのだろうと思われます。
A quiet thoughtとの親和性が高くて好きです
オーディオライブラリに感謝です(^^)
遊郭を見て何かを感じる人達は先祖様が遊女やったんか遊びに行ってたのか繋がっている気がして仕方ない
いい動画です。私は奈良市で育ちました。郡山にこんな歴史があったなんて知りませんでした。
奈良はどの町を歩いても歴史の積層が厚くて楽しいところですよね(^^)
懐かしい街並み❗️大学出るまで近くに住んでいました。近鉄郡山駅の改札出てまっすぐ右に行ったら岡町がありました。
貴重な動画ですね、見せて頂きありがとうございます。BGMが良いです😌無論ですが…住んでる方は、それらの前を当たり前に日常として自転車でベルを鳴らして 行き去るんですね😓内部を見るにつけ更に異質。…なんともエッジの弱い夢うつつのような。女として良くも悪くも息苦しい影像です。追憶に其れを生業とした多くの遊女の所作を想います、思念の詰まったこれらがいつ解放してくれるものか
遊郭跡というよりは廃旅館の色合いが強いところでした。三階の一室を除いては(^^)それでも確かに陰鬱とした独特の空気感はどうしてもありますね。
去年の暮、飛田新地を歩きました。あなた様の動画を見た後の事でした。そしてまた、歩いた後に見返すと、なんだか見え方が違うのです。昔の情景が浮かんでくるように思えました。日本各所に同じような街が点在した事実、そして一部はまだ同じように残り営業している事実複雑な気持ちになりました
私も遊郭どころか赤線も消えたあとの世代なので、全国各地にこれほどの色町があったのかといつも驚かされます。今はこのような事象が見えない場所に潜り込んでしまっていて良いのか悪いのか複雑な気持ちです。
最近前編がおすすめに出てきて、先程登録させて頂きました。大和郡山に実家があります。近鉄とJRの郡山駅を結ぶ東西の道路は昔から利用してきましたが、そこから南に少し入るとこんな路地裏があったのですね。
登録ありがとうございます。確かに東西の駅間を行き来するだけなら南に下ることは余り無さそうですね。もしお時間あったら散歩がてら行ってみてください(^^)
いつも歩いていた道でしたが、こんなにも知らないことがあったとは・・・ 貴重な映像、ありがとうごさいますm(*_ _)m
こちらこそ観て頂いて感謝です(^^)
夜の様子を観てみたいですな。
夜は猫ちゃんの寝床みたいですからそっとしておきます(^^)
三層楼のテレビがある部屋って今月解体予定の建物でしょうか?
欲というものは今も昔も変わらないんですねどこか懐かしさを感じるのは千と千尋のせいでしょうか窓のない外とは隔離された部屋体を売りにするとはそういうことなんですね
古典など読んでいてもとどのつまりは現代と変わらんですものね(^^)
いい曲
こんな雰囲気の町並みは、沖縄にいっぱいありんす🐤
四、五十年前がそのまま保存されている感じがしました。その頃の日本家屋はこんな感じでした。遊郭であろうと、一般家屋であろうと、こんな感じ。貧しかったのだ、日本は。記憶は美化されているけど、実際はこんなふうだったのだ。博物館として整備し、公開してほしい。昭和中期の日本がここにあります。
やっぱり窓のない狭い部屋は、そういう部屋なんでしょうか。音漏れしたり覗き見できない配慮出窓がないのかな…??なんかこの部屋はズーンとした気持ちになりました…。
ただ致すだけの部屋ですからね。見慣れていないと気も沈みますね。
何か当時のにぎやかさは、どうだったのか?今の風景が静かなので、ふと思う。
古い風俗案内誌など漁るとわずかに当時の写真やイラストが見れるようですが私もまだ直接は見たこと無いので興味ありますね。
こういう妓楼を買い取って一人で暮してみたいなあ
念がこもりすぎて見てて重苦しくなる。。
オーブもたくさん写ってましたね。生き霊かなぁ。
S Popopooon ねー沢山映ってましたね(=ω=;)どういう気持ちでそこに居るんだろうとか、あれやこれや考えちゃうともうダメです笑 体調崩すw
オフ会!ぜひお願いしますー
もちろん私も遊郭には縁がなかったですがー、ほー!の連続です
洞泉寺の建物が4棟ほど三月以降に大和郡山市により取り壊されるそうですよ
洞泉寺もですか。なんだか切ないですね。
表立って営業は出来ないからくらくて、怖いですわそして、とてつもなく見づらい……まぁ、そういう行為が表だってされるものじゃないからあの三畳間になったんだろうけど、なんかなぁ……
遊郭の周りの住民はこの様な所に住まわれてそちらの住民に興味があります。
10代後半まで、正に此処に住んでいました。夜は楼の玄関に初老のおばちゃんが座って、客引きをしていました。銭湯の帰り、酔っ払いの男性に、この子らが相手やとなぁって、言われて、スケベと吐き捨てて、走って家に帰った記憶があります。男性の相手をする女性は地方から流れてきたようで、奈良弁が話せませんでした。その女性達の子供達も同じ小中学校に通ってましたが、交流は親から禁止されてました。此処を仕切っていたのは、や○○さんでしたが優しくて、よくチョコレートを買ってもらったり、テレビを見せてもらいました!...、テレビが各家庭にない頃です。
この場所でそういうことが行われていたことに美しさを感じます。
長い時が過ぎた今だからこそ私も目線を変えて見学出来ましたが当時を思うとなかなか切ない側面もあり複雑ですね
もうどこも営業してないんでしょうかこれも文化だと思うんですが、ちょんの間だけ摘発対象なのがよくわからんです
平成の頭まで何件か闇営業されてましたがその後は普通の住宅街になっています。
7:30~ 地元の者です。現在は囲いがされていてこの広場に立ち入ることはできなくなってしまいました。
先日、洞泉寺の帰りに少し立ち寄りましたが柵されてましたね。酒屋と妓楼が残っていたころが懐かしいです。
BGMのタイトルわかる方いらっしゃいますか??
他にもBGM尋ねられる方おられたのであとで概要欄に追記しておきますね(^^)
オーブが写ってる((😨))
13:10 オーブ3つかな・・・ 14:22 も結構ある。人の欲とか色々なものが入り乱れて溜まりやすいのかなぁ
奈良県民ですか?ってくらい知ってますね(笑)
奈良はドライブコースなので好きで良く赴きます。静かでよい都市ですね(^^)
歴史と時代の雰囲気が好きで見ています。しかし、お願いです。もっと説明文字を見やすくしてください。スピードは良いのですが、背景により、文字が小さく、輪郭もぼやけていると、私には全く読めないヵ所があり。皆さん、良く読まれているなぁと思います。
貴重なご意見感謝です。文字を大きくすると字数が限られ、入れたい情報が収まらずで私も悩んでいるところです。スマホで見る方も多いみたいですから、次回作は大きめでやってみようと思いますが、編集時どうしても収まらず同じ文字サイズになってしまったときはごめんなさいm(_ _)m
@@路地裏にひとり ありがとうございます。字幕的にしたり、黒画面へのソフトな切り替えで間に説明を入れてくのも、風景の雰囲気を壊さないひとつの方法かもしれません。。はるか昔、NHKに『血縁』と言うドラマ(実話?)があって、息子が自分のルーツを辿って、亡くなった母の人生を辿り、最後は赤線と呼ばれる街に辿り着くのです。それは知ってる場所であり、当時は少しは残っていましたが、いまや、赤線を感じる風情は全くもってありません。幼い頃に見たそのドラマが重なるのと、その一方で、高校時代にボランティアで行った高齢者施設のお爺ちゃんが、認知になっても尚、赤線のことを嬉しそうに語ってた。。人生に対照的ですが、女性や家族には影を落としても、男性にとっては生涯に楽しかった時代の一時だったんでしょうね。。長くなりましたが、いずれは時代から消えてしまうかもしれない貴重な建物ですから、説明が見れたら、大変嬉しいです。宜しくお願いします。
最新作ではワンサイズ字幕サイズを上げて見ましたので良かったら見てみてください(^^)
@@路地裏にひとり ありがとうございます🤗✨既に見ましたよ~。空が白々と明けてくる朝焼けの感じが美しく、まだ灯籠の灯す暗い道の向こうから差す明けの光が、力強く、大変美しく、創作意欲を掻き立てられました。いつかこの目で実際に見てみたいです。
女性をターゲットとした撮影所にして、花魁ぽい衣装貸し出してコスプレとかして、そこで写真撮ったり…とかいうビジネスをついつい考えてしまう😂
いろいろと建屋を活かす道もあったかもしれませんね。
音楽の音量が少しうるさいねぇ。(=^_^=)
動画で使用しているBGMについてたまにお問い合わせ頂くのですが、「落ち着いたやつ001」など名前を変え保存していたので今まで曲名がお答え出来ませんでした。
さきほどyoutubeオーディオライブラリからやっとこ探し出しましたので概要欄に記載しておきます。音楽が苦手でいつも同じ曲の使い回しなのはお許しください(^^)
前後編、大変興味深く拝見させていただきました。
私事で恐縮ですが、今から40年ほど前、奈良市在住の子供だった私は小さな冒険でもしてみようと思い立ち、
自転車に乗って郡山近辺に遠征しました。
あちこち走り回っているうちに、真っすぐな道が延々と続くかと思われるような路地に入り込みました。
子供心に見ても普通ではないと思われるような建物が建ち並んでいるような場所でした。
しばらく進むと、建物の前に座っていたおばさんに、「ここはお前が来るような場所じゃないから戻れ」と言われました…
その後、その場所には二度と行きつくことができなかったので、
記憶の風化と共に、あれは夢だったのではと思うようになっていたのですが、やはり存在したのですね。
長年の謎に答えを頂いたようで、本当に感謝しています。
共感しました。
私も子供の頃、同じような経験をしたことがあります。
私の場合は、びわ湖にブラックバスを釣りに行ったときに、雄琴のソープ街に迷い込んでしまったのでした。(笑)
店先に立っていた客引きの若いにいちゃん二人が私に向かって、満面の笑顔で「パンパン」と大きく手をたたいて「さあ、どうぞどうぞ」とやっていました。(爆)
道迷いの記憶の場所。私にとっては桃源郷のような魅力があって羨ましく思います。
幼少の頃でしたら三層楼も遣り手婆さんもさらに迫力あったことでしょうね(笑)
私の実家は、箕山新地で薬屋を営んでおりました。
だから自分が中学生の頃まで、岡町は普通に営業しており
そこにあるのが当たり前の風景であり、あの頃の郡山の賑わいは
今では考えられないほどでした。
当時は理解できませんでしたが、友達の家も遊郭を営業してました。
大変裕福で、羨ましく思ったものです。
ただ、暴力団系の施設があり怖かったのもおぼえてます。
夜になるとピンク色の街になり、飛田と瓜二つでした。
箕山新地にお住まいだったのですね。郡山の財政の多くを担っていましたから
それは賑やかだったんでしょうね。タイムスリップして垣間見てみたいです(^^)
こういう動画をやっとオススメしてきたTH-cam褒めたい。
私も年齢的には全然時代じゃないのに物心ついた頃からこういう景色や、遊郭とか赤線とかそういうものに惹かれる…謎。
とにかくチャンネル登録させて頂きます!素敵な映像に感謝します♡
コメントありがとうございます(^^) おすすめ動画は謎のとき多いですが、気に入ってもらえてようで嬉しいです!
素晴らしい!NHKではやってくれない、これこそTH-camだからこそできる番組ですね。
他の動画も拝見しましたが、尊い取り組みをされておられ敬意を表します。今後の番組も期待しております。
当時のままの、貴重な映像、息を呑んで、視聴しました。
ガラスが、とても綺麗でしたね。
ひとりさんと、案内して下さった方に、感謝です。
あっと言う間に、登録者数5000人、超えましたね😊
色々、大変な事もあるでしょうが、頑張っくださいね🙋
いつも労いありがとうございます!確かに見ていただく方が増えていろいろ気を使って撮影しないとなぁと今一度考えているところです(^^)
様々な色恋やドラマがあったのかと思うと とても感慨深い動画でした。
女性達の複雑な感情が投影されているようでした。
長い歴史のなかに計り知れない人間模様があったのでしょうね
大変、興味深い内容と
また癒しにもなりました。
大人になったからこそ、
この時代の事や建物をもっと見たり
知りたいと思うのに...
なかなか残せないのですね。
自分に余裕があるのなら、あえてこんな造りの居場所を作りたいくらいです。
実際に自分が探索している様な、とてもワクワクした気分になりました。一人称視点でも、観ていて酔うこともなく、撮影を(編集もですが)とても丁寧にされていますね^^
自分で見返すともっと丁寧に撮っておけばよかったなぁと後悔ばかりなのですがそう言って頂けると救われます(^^)
音楽も相まって神隠しに逢いそうな美しい場所ですね
ただの廃旅館なんですが先入観も手伝っていろいろ想像してしまいますね(^^)
ムダな思考が飛び、集中して拝見させていただきました。残存している建物の回りには、新しい現代の建物。その落差が激しいですね。 もう、見る事の出来ない内部映像を本当にありがとうございました。まるで迷路のような造り。確かに傷んではおりますが、梁や柱、基礎がしっかりしていたようで、当時はさぞかし、立派だった事でしょう。窓のない3畳間が、とてつもなく切なさで、胸がいっぱいになりました。なんてったって、平成まで闇営業していたのですから、本当に驚きです。数々のあれだけの建造物。住民の方々は、果たして残せる限り残したい。かたや、闇営業何かしていた建造物何か、古くて危ないし、さっさと解体してしまえ。
一体、どう思われているのか…ちょっと気になるところです。
今お住まいの近隣の方からすると壊してほしいのが本音でしょうね。ただ遊郭だったことが理由ではなく
昨今の自然災害を理由にされるご意見は聞きました。確かにあれが倒れてきたら怖いものあります(^_^;)
なんなんだろう…
この言葉では言い表せない心に
ぐっとくる感じは
負の遺産ではあるのかも知れないが
歴史的建造物として 補修してもらい
たいな。
せめて取り壊しの前に映像にでも残しておいてもらえると良いのですけどね。
そうですね…寂しいです。
UP主様の動画を観ていると懐かしさ切なさが同居する不思議な感覚におそわれます。旧実家が元遊郭の建て直しだった事や父親の実家が五番町の近くの七番町であった事もあり何かの因縁を感じます。
細かい部屋割りなんかはどこも似たような感じでしょうから記憶の片鱗に残っておられるのやも知れませんね(^^)
かか
保存できたらいいのに。情緒があり美しいですね。華やかな頃の情景が浮かびます。
普通の家がつまらなく見えてしまう
自分この辺をよく歩いてるんで
以前から三層楼の中であったり
界隈の過去にすごく興味をもっていました
中の様子を見る事が出来たのは大変貴重でした
これからも素晴らしいこの街並みを少しでも長くみていたいものです
素晴らしい映像ありがとうございました!
お近くでしたら尚の事気になる存在でしょうね。少しだけでもお役に立てたようなら嬉しい限りです(^^)
全然懐かしいなんて年齢じゃないのによく分からない感情で心臓がきゅってなった
行ってみたい
時代も国も違ったりするのに郷愁を覚える事ってたまにありますね(^^)
大和郡山市に住んでいる者です。丁度ほんの少し前に偶然この時代に取り残された様な建造物達を発見し、何とも言えない郷愁を感じたことを覚えています。私の住む町でありながらどの様な歴史を持つ建造物かどうかは存じておりませんでしたので、大変勉強になりました。
まだ残っている内に是非とも記憶に焼き付けておいてください。
どのような要素であれ我が町の情報が多いほうがより郷土愛も深まると思うので(^^)
何時も、ご苦労さまです。
編集もBGMもセンスある
動画にされていますね。
人影が見当たらので更に
いいです。
ありがとうございます。やっぱり早朝は気を使わなくてよいので気楽ですね(^^)
@@路地裏にひとり
やはり、早朝ですね。
でも、遊廓の名残と
言う事でピッタリで
すね。有り難う御座います。
昨日たまたまおすすめに出て来て知って、動画の雰囲気が好み過ぎてすぐに登録しました。
この続きが気になってたので、うれしいです😊
ありがとうございます。さっそく見て頂いたのに高画質になるまで時間を要するようで申し訳ないです。
路地裏にひとり
ご丁寧に返信下さりありがとうございます。
何度も再生させて頂くので大丈夫です!笑
次回作品まで、過去作品も見て楽しみに待ってます。
ここまで念が感じられる映像もそうそうないと感じました。
映像になにか沢山の想いを感じこういう場所が残ってほしいような…またその念が成仏してほしいような不思議な気持ちになりました。
私は鈍感で分かりませんが、様々な感情が蠢いていた場所ですから何かあるのかも知れませんね。
大変貴重なものが見れました!ありがとうございます!
自分で散策しているみたいでとてもワクワクしました。登録させていただきました。
ありがとうございます(^^)
数年前に観光で大和郡山市を散策したのですが、
今では無料でボランティアの叔父様たちが
妓楼の歴史を説明をして下さる観光資源になってましたね。
とても貴重な体験でした。
この動画で紹介されている建物もその時に偶然拝見していて
懐かしい気分になりました。
皆さんずいぶん勉強されているそうで、開館時分と比べるととても丁寧な説明になっていました。
素晴らしいなと思います。
面白すぎました!!!写真全部拝見したいぐらいです!
素敵な動画ですが、デジカメが絶不調な所が怖い(心霊的な意味で)と思ってしまいました...
しかし貴重な映像ありがとうございます。撮影した写真スライドショーで見てみたいです😊
500円のジャンク品だったので日によっては押しても叩いても動かず難儀したものです(笑)
今はおかげさまでちゃんとしたカメラなのでいつかスライドもやってみたいです(^^)
大変貴重な映像ありがとうございました!
福島県の郡山市を検索していたらたどり着きました。郡山は西にもあったんですね(笑)
遊郭の内部は暗くてよくわからなかったけど、五社英雄監督の映画みたいな感じだったのでしょうね。
大正時代によくあった色ガラスや丸く象った仕切りとかぐっときました。
古い建築大好きなので他の動画も拝見させていただきます。
余談になりますが、義兄の実家は明治から軍人や町の名士達や旅人のための旅館をやっていた家で、奥の客室や廊下は映像にあったような雰囲気です。
今は廃業していて手前の住居部分に義兄の母と兄が暮らしていますが、私が子どもの頃に姉が嫁いで少しした時に奥まで見せてもらいましたが、あの時写真取っておけばよかったなと思いました。
今、義兄の実家に見せてくださいなんて言いづらいけど、だいぶ家が傷んでいるので本来はこうして動画に遺すと歴史のためにもなりますよね。多分、義兄の母は嫌がるでしょうから言えません(^_^;)
私は古い家を壊してしまったのですが後になると撮っておけばよかったなぁと同じように思います。
案外ちゃんと撮っていたものに限って見なかったりもするんですけどね(笑)
風格のある地って不思議ですよね。
意外といやらしくなく、独特の美意識と文学性、芸術性もうかがえたり。
遊廓って、いったいどういったところだったのでしょう。
不思議の場所です。
それにしても窓のない三畳の部屋は悲惨を思わせます。堀田善衛が、アメリカのハーレムの黒人の家で、窓がない家がある、非人道的だと紹介していたのを思い起こしました。
現代の風俗でもあまり違いがないですが、やはり事致すだけの部屋は見ていてなんだか胸を締め付けられますね。
その頃は、淫らで如何わしさが漂っていたのかも知れないけど、今は趣さえ感じる。
この安っぽさも時が経ち見方が変われば「良いなぁ」なんて思えてしまうんですから面白いですよね(^^)
果たして50年後、今の建築物が残るか否か
なぜか千と千尋を見てるかのよう
千と千尋を知らなかったので検索して画像を見てみましたが、なるほど舞台となる油屋はこの辺りの三層楼と似通ってますね(^^)
貴重な動画をありがとうございます。
美麗な建築様式に惹かれますが、内部を見ると悲しい歴史を内包している実感が色濃くなり、複雑な気持ちに息を呑みました。
時間の流れの厳しい現実=老朽化
しかし時間が止まったような妖艶な雰囲気は健在
文化財としては残しにくいものではありますが、時代背景を象徴する美しい建物として少しでも永く残ってもらえるといいですね。
貴重な動画、ありがとうございました。
現地で見ると台風で簡単に飛んでしまいそうな瓦が在ったりして安全面を考えると取り壊しの方法はやむを得ないところですね。
それも現実なんですね。
受け止めて主の動画を行った気になってみますね(笑)!
個人的には17:26のガラス窓も良いなと思うんですけど。
個人での取扱いに色々困る点もあるでしょうが、建築物・文化・立地等、大変情報量の多い、しかも貴重な資料、特に音声カットの資料(伝聞)も合わせ、私には、公の資料並に、異常に価値の高い資料だと思います。生データも大切にしてくださいね。
>デジカメの調子
私は戦跡探訪中でしたが、電子部品(私は車のダイレクトイグニッション)で、その場を離れると、何事も無かったかの様に、調子が戻るという不可解な現象って、有りますよね。
植生に侵されて雰囲気はたしかに良いですね(^^)
昔全てのデータを馬鹿みたいにデジタル化してしまいパソコン壊れて全て失い自暴自棄で
遊郭巡りまで辞めてしまった苦い過去があるのでバックアップ今は徹底しております(笑)
別世界にいるようで惚れ惚れしました。こういう所は行く機会もないので興味深いです。
でも所々に個人の車のナンバープレートなんかが写っていたので
別の意味でドキッとしました。
路地裏にひとりさんお疲れ様です❗
サムネイルは洒落た窓ガラスですね⁉
外からはうかがい知れぬ造りで中を拝見させて頂いた事は
本当にラッキーでしたね🎵大便所の戸はすりガラスが何の形になって
いたのか素敵な感じで撮影出来たのは路地裏さんの人徳ですね👍
スライドショーも🆙するのですか❓(見たいです🎶)👋
ちょっとチープな色使いもかえって魅力的ですよね(^^)
写真は記録用に適当に撮るだけなので傾いていたりむちゃくちゃでスライドショーは難しいですがちょっと興味でてきました。
路地裏先生!
後編、有り難うございます!
連休の散策時に“吉乃の燈籠”が見れなくて残念でした(涙)
瓦礫の山探したらあったかも(笑)
洞泉寺が“陽”なら東岡町は“陰”の気が独特で雰囲気有りますネェ👍
色硝子の特別室、最高でした❤️
そして登録㊗️5000人超え、おめでとうございます~🙋
確かに瓦礫のどこかにあったかもしれませんね。来歴は別にして骨董市とかで売ってたら高く売れそうなのに勿体無いです(^^)
@@路地裏にひとり
路地裏先生!今回の動画、路地裏先生の特別な思い入れを感じました。5000人も登録超えると色々変なコメント増えて(私チェックしてます(笑))、気苦労も増えますが路地裏先生のペースで続けて下さいね👍
少なくとも夫婦二人は路地裏先生の味方ですので~ (^-^)v
@@志賀春樹-z3e それでも反応貰えるだけ有り難いことです(^^)
奈良県の生まれ育ちで高卒後、地元で就職しました。
「オカマチで毛じらみ貰った」とか職場の先輩らが話をしていました。
その後も度々「オカマチ」という言葉を聞くことになるのですが、
風俗に疎かった僕は何のことか分かりませんでした。
転職し県外に出て20年近く経ち、この動画をみてようやく「オカマチ」とは何かわかりました。
僕がもう少し先輩らと仲良くなっていれば、これら旅館の色々お世話になっていたかもしれないなぁと思いました。
いつも興味深い動画をありがとうございます☆
こんなにも後編upが待ち遠しかったの初めてやわー! やっと寝れる^_^☆彡
貴重な内部映像、最高でした!
まさに夢中でシャッターを押すって感じ。 写真全部見たかったです。
動画まだ画質悪いのに見て頂き恐縮です。
写真。この時のカメラはジャンク品だったのでほとんど撮れてないかピンぼけでダメダメでした(笑)
日頃からケチっているといざという時泣きをみますね(^_^;)
金儲けのyoutuberを否定はしないけど、路地裏さんのような動画が本来の目的で素晴らしいと思います有難うございます。
コンプライアンスの世の中において必要悪は何なのか考えさせられますね。
利権やお金の問題があると思いますが、所有権とかどうなってるのか疑問です。
私も当初youtuberさんに若干の否定的感覚が在ったのですが、動画投稿をやってみると数多の仕事同様大変さが身にしみてわかり、
好きなことを仕事にしておられる覚悟に今では尊敬の念すら抱いています。私は専業じゃないのでお気楽ですが(^^)
大和郡山市は地元ですが
通りすぎることはあっても
ゆっくり見回ることはないので
興味深い感じですね!
数年後には新しく駅も建て替えされます。
今駅周辺は整備がかなり
されつつあるので
その前に行こうと思います。
映画館を利用した駐輪所も無くなってましたもんね。昭和人間にはちょっと寂しいものがあります(^_^;)
大変貴重な内部動画ありがとうございました。玄関が開放されたままと聞き去年12月訪ねましたが、バリケードがあり断念した楼でした。動画内で更地になっていた妓楼はその時ちょうど解体中断中で、中が少し覗けたことは私には幸運でした。箕山新地という名称は知りませんでした。大変勉強になります。ありがとうございます。…もしかしてインスタされていたら、フォローさせていただいているかも知れません^-^
幸運にも許可を頂けて記録に残せたこと嬉しく思っています。
インスタですが、私は未だにガラケーなので違う方ですね(^^)
返信どうもありがとうございました^-^
花街・赤線・妓楼建築に惚れた人が沢山います。
スマホになられたら是非インスタへm(_ _)m
15:01の部屋をカメラで撮影するシーンで、右下のカメラの画像に男性の顔が写ってるように見えてドキッとしました。実際は天井の光の加減でしょうが…
どうせ私のむさ苦しい顔が写り込んでいるんだろうと思って見てみたら、天井にバウンスした明かりが見ようによっては顔ぽく見えますね(笑)
素敵な建物群。この時代の華奢で繊細で遊び心のある建物ほんとに好きですわ。
いいもの見せていただきありがとうございます。
畳はさすがに抜いてあるんですね?
今は何でも規格品で組み立てるだけですから遊び心も技術も廃れてしまい残念に思います。
何でも安いものを求める私にも責任の一端はありそうですが(^_^;)
@@路地裏にひとり なんでもそうですけど大きくて立派であればあるほど維持管理が難しいですしね
ホテルですけど白雲楼ホテルに泊まるの楽しみにしてたら予約してた日の一週間前に潰れたのが大変トラウマです笑
私も他人ごとではないです…
大変興味深く拝見しました。世間知らずで恐縮ですが、本当に遊郭が存在したのだなと驚いています。現代の風俗街とは違うひっそりとした世間から隠れるような佇まいに、言葉に出来ませんが何かこみ上げるものを覚えました。
また、上品な動画の作りで安心して拝見できました。多くの動画のように再生回数目当てでやたらと派手な字幕や撮影者のリアクションがあると廃墟の趣が薄れてしまうと思っているので、このように最低限の字幕のみで淡々と紹介していただけると廃墟ファンとしては嬉しい限りです。
歴史的な価値と観光資源となれば廃墟の保存も望みがありますが、闇遊郭のような言わば歴史上の汚点扱いをされる場所はどんなに建築物が美してくても残されることは稀なので、このように動画に残していただけるのは重要な資料になりますね。
これからも動画を楽しみにしております。
ずいぶんと月日が流れたおかげですこし冷静に見つめられる時期なのかもしれませんね。
忘れてしまいたい女性も多かったことでしょうから。
撮った写真スライドショーでみたいです。めっちゃ素敵動画ありがとうございます!
記録用にちゃちゃっと撮ってるだけでいろいろと酷いので難しいですが
スライドショーに耐えうる写真が撮れるようになったらトライしてみます(^^)
@@路地裏にひとり お返事ありがとうございます。楽しみにしてます。
何回か見に行ったことあります。今では見学できるようになってるところもありますね。あの色ガラスのある建物はあの3階建ての建物ですか?がれきの前の。色ガラスに魅了されます。大和郡山は遊郭だけでなく古い建物や街並みが残ってるのでまた散歩に行きたいと思います。
瓦礫の前の妓楼とは別になります。この部屋は良い意味で下品で生々しく感ぜられ
刹那、息を呑んだのが思い出されます(^^)
依然の動画と見比べると町並みに急に近代化の波が押し寄せてきたって感じでしょうか。今や住宅地の中に遊郭関連の建物が埋もれつつありますね。そしていずれはこの地域に遊郭が存在したことすら忘れ去られる日が来るのでしょうね。
関西圏以外はほとんど行けていないのですが全国的に同じような感じみたいです。
過ぎた時間を考えると仕方ないようなきもしますが寂しくもありますね。
最後に紹介された幾何学的な窓枠のデザインが、いかにも大正って感じでノスタルジックですね。あの窓枠のデザインは、近所の古い民家で見たことがあります。ステンドグラスは単なる貼り付けでしょうか? 前半に出てきた靴下工場で思い出したんだけど、奈良県は日本有数の靴下の産地だそうですね。数年前まで、近くのスーパーに定期的にソックスを売りに来るお爺さんがいて、見かけたら買っていました。安い上に品質が良かったからです。最後に買ったとき、問わず語りに「大和高田から来た」と仰っていました。その後一度も来られなくなって、寂しい思いをしています😢
感動する動画ありがとうございます
建物の情緒というか哀愁というか…不思議な気持ちです
私は福岡ですが、赤線地域は何となく雰囲気は残ってます
あと、デジカメですが真っ暗な所ではパンフォーカスに設定すればシャッター切れますよ
想像する昔の賑わいからすると確かに哀愁を感じますね(^^)
カメラは元からジャンク品で挙動が怪しかったのですがアドバイス感謝です
旅館内部公開ありがとうございます。
2階にボールが飛び込んで破れた窓ガラスから
Webで年末年始に調べて位置と名前を特定しました。
それは角にあるタバ〇屋のすぐ隣ですね。
自分は小学5年生まで大阪市に住んでいましたが、
小学校の遠足で近鉄電車に乗り大和郡山市に差し掛かると、
窓から踏切とその前後にその建物の3階部分がよく見えて、
担任の女の先生から説明をよく受けました。
当時、宇宙戦艦ヤマトがテレビ放送開始されていたので、
屋号はよく覚えています。
赤線廃止前の昭和30年に非常に悲しい出来事があった建物です。
この建物は2020年2月に取り壊されてしまいましたが、
1階の間取りがわかりません。
判る範囲で良いですから教えて貰えませんでしょうか?
特に知りたい部分は
、
玄関正面左側部屋と風呂場とトイレの位置
、
タバ〇屋に接する部分に窓があるかどうかです。
東岡町はネットのブログでも薄暗くて君が悪いや陰鬱な雰囲気が漂うなど、近くにある洞泉寺遊郭は細格子で優雅な雰囲気であるのと対照的という文章が散見されているので、妓楼内でのデジカメの不具合も考えると遊女の怨みや水子として堕された子供がいるのではないかなという気がします。最近では東岡町も新しい住宅地やアパートが建てられて暗いイメージが払拭されたように思いますが、二、三十年前に建て替えられた闇営業に使っていた旅館は暗い感じを纏っていますね。洞泉寺遊郭の妓楼が解体される時に内部を見学したのですが、赤、緑、青の色ガラスが二階の窓ガラスにあったので、上等な客を通す部屋の窓ガラスは華やかにするためにそうしたのかもしれません。
洞泉寺の方も赤線の名残りか色ガラスありましたね。私は日が合わず見学行けませんでしたが
貴重なご経験されたようで羨ましいです(^^)岡町の方の色ガラスの部屋は仰るように上客用だと思います。
裏階段のすぐ脇で、水回りも近く人目に触れず登楼できたのだろうと思われます。
A quiet thoughtとの親和性が高くて好きです
オーディオライブラリに感謝です(^^)
遊郭を見て何かを感じる人達は
先祖様が遊女やったんか遊びに行ってたのか
繋がっている気がして仕方ない
いい動画です。私は奈良市で育ちました。郡山にこんな歴史があったなんて知りませんでした。
奈良はどの町を歩いても歴史の積層が厚くて楽しいところですよね(^^)
懐かしい街並み❗️大学出るまで近くに住んでいました。近鉄郡山駅の改札出てまっすぐ右に行ったら岡町がありました。
貴重な動画ですね、見せて頂きありがとうございます。BGMが良いです😌
無論ですが…住んでる方は、それらの前を当たり前に日常として自転車でベルを鳴らして 行き去るんですね😓
内部を見るにつけ更に異質。…なんともエッジの弱い夢うつつのような。
女として良くも悪くも息苦しい影像です。追憶に其れを生業とした多くの遊女の所作を想います、思念の詰まったこれらがいつ解放してくれるものか
遊郭跡というよりは廃旅館の色合いが強いところでした。三階の一室を除いては(^^)
それでも確かに陰鬱とした独特の空気感はどうしてもありますね。
去年の暮、飛田新地を歩きました。
あなた様の動画を見た後の事でした。そしてまた、歩いた後に見返すと、なんだか見え方が違うのです。
昔の情景が浮かんでくるように思えました。
日本各所に同じような街が点在した事実、そして一部はまだ同じように残り営業している事実
複雑な気持ちになりました
私も遊郭どころか赤線も消えたあとの世代なので、全国各地にこれほどの色町があったのかといつも驚かされます。
今はこのような事象が見えない場所に潜り込んでしまっていて良いのか悪いのか複雑な気持ちです。
最近前編がおすすめに出てきて、先程登録させて頂きました。
大和郡山に実家があります。近鉄とJRの郡山駅を結ぶ東西の道路は昔から利用してきましたが、
そこから南に少し入るとこんな路地裏があったのですね。
登録ありがとうございます。確かに東西の駅間を行き来するだけなら南に下ることは余り無さそうですね。
もしお時間あったら散歩がてら行ってみてください(^^)
いつも歩いていた道でしたが、こんなにも知らないことがあったとは・・・ 貴重な映像、ありがとうごさいますm(*_ _)m
こちらこそ観て頂いて感謝です(^^)
夜の様子を観てみたいですな。
夜は猫ちゃんの寝床みたいですからそっとしておきます(^^)
三層楼のテレビがある部屋って今月解体予定の建物でしょうか?
欲というものは今も昔も変わらないんですね
どこか懐かしさを感じるのは千と千尋のせいでしょうか
窓のない外とは隔離された部屋体を売りにするとはそういうことなんですね
古典など読んでいてもとどのつまりは現代と変わらんですものね(^^)
いい曲
こんな雰囲気の町並みは、沖縄にいっぱいありんす🐤
四、五十年前がそのまま保存されている感じがしました。その頃の日本家屋はこんな感じでした。遊郭であろうと、一般家屋であろうと、こんな感じ。貧しかったのだ、日本は。記憶は美化されているけど、実際はこんなふうだったのだ。博物館として整備し、公開してほしい。昭和中期の日本がここにあります。
やっぱり窓のない狭い部屋は、そういう部屋なんでしょうか。音漏れしたり覗き見できない配慮出窓がないのかな…??なんかこの部屋はズーンとした気持ちになりました…。
ただ致すだけの部屋ですからね。見慣れていないと気も沈みますね。
何か当時のにぎやかさは、どうだったのか?
今の風景が静かなので、ふと思う。
古い風俗案内誌など漁るとわずかに当時の写真やイラストが見れるようですが
私もまだ直接は見たこと無いので興味ありますね。
こういう妓楼を買い取って一人で暮してみたいなあ
念がこもりすぎて見てて重苦しくなる。。
オーブもたくさん写ってましたね。生き霊かなぁ。
S Popopooon ねー沢山映ってましたね(=ω=;)どういう気持ちでそこに居るんだろうとか、あれやこれや考えちゃうともうダメです笑 体調崩すw
オフ会!ぜひお願いしますー
もちろん私も遊郭には縁がなかったですがー、ほー!の連続です
洞泉寺の建物が4棟ほど三月以降に大和郡山市により取り壊されるそうですよ
洞泉寺もですか。なんだか切ないですね。
表立って営業は出来ないからくらくて、怖いですわ
そして、とてつもなく見づらい……
まぁ、そういう行為が表だってされるものじゃないからあの三畳間になったんだろうけど、なんかなぁ……
遊郭の周りの住民はこの様な所に住まわれて
そちらの住民に興味があります。
10代後半まで、正に此処に住んでいました。
夜は楼の玄関に初老のおばちゃんが座って、客引きをしていました。
銭湯の帰り、酔っ払いの男性に、この子らが相手やとなぁって、言われて、スケベと吐き捨てて、走って家に帰った記憶があります。
男性の相手をする女性は地方から流れてきたようで、奈良弁が話せませんでした。
その女性達の子供達も同じ小中学校に通ってましたが、交流は親から禁止されてました。
此処を仕切っていたのは、や○○さんでしたが優しくて、よくチョコレートを買ってもらったり、
テレビを見せてもらいました!
...、テレビが各家庭にない頃です。
この場所でそういうことが行われていたことに美しさを感じます。
長い時が過ぎた今だからこそ私も目線を変えて見学出来ましたが
当時を思うとなかなか切ない側面もあり複雑ですね
もうどこも営業してないんでしょうか
これも文化だと思うんですが、ちょんの間だけ摘発対象なのがよくわからんです
平成の頭まで何件か闇営業されてましたがその後は普通の住宅街になっています。
7:30~
地元の者です。現在は囲いがされていてこの広場に立ち入ることはできなくなってしまいました。
先日、洞泉寺の帰りに少し立ち寄りましたが柵されてましたね。
酒屋と妓楼が残っていたころが懐かしいです。
BGMのタイトルわかる方いらっしゃいますか??
他にもBGM尋ねられる方おられたのであとで概要欄に追記しておきますね(^^)
オーブが写ってる((😨))
13:10 オーブ3つかな・・・ 14:22 も結構ある。人の欲とか色々なものが入り乱れて溜まりやすいのかなぁ
奈良県民ですか?ってくらい知ってますね(笑)
奈良はドライブコースなので好きで良く赴きます。静かでよい都市ですね(^^)
歴史と時代の雰囲気が好きで見ています。しかし、お願いです。もっと説明文字を見やすくしてください。スピードは良いのですが、背景により、文字が小さく、輪郭もぼやけていると、私には全く読めないヵ所があり。皆さん、良く読まれているなぁと思います。
貴重なご意見感謝です。文字を大きくすると字数が限られ、入れたい情報が収まらずで私も悩んでいるところです。
スマホで見る方も多いみたいですから、次回作は大きめでやってみようと思いますが、編集時どうしても収まらず
同じ文字サイズになってしまったときはごめんなさいm(_ _)m
@@路地裏にひとり ありがとうございます。字幕的にしたり、黒画面へのソフトな切り替えで間に説明を入れてくのも、風景の雰囲気を壊さないひとつの方法かもしれません。。
はるか昔、NHKに『血縁』と言うドラマ(実話?)があって、息子が自分のルーツを辿って、亡くなった母の人生を辿り、最後は赤線と呼ばれる街に辿り着くのです。それは知ってる場所であり、当時は少しは残っていましたが、いまや、赤線を感じる風情は全くもってありません。幼い頃に見たそのドラマが重なるのと、その一方で、高校時代にボランティアで行った高齢者施設のお爺ちゃんが、認知になっても尚、赤線のことを嬉しそうに語ってた。。人生に対照的ですが、女性や家族には影を落としても、男性にとっては生涯に楽しかった時代の一時だったんでしょうね。。
長くなりましたが、いずれは時代から消えてしまうかもしれない貴重な建物ですから、説明が見れたら、大変嬉しいです。宜しくお願いします。
最新作ではワンサイズ字幕サイズを上げて見ましたので良かったら見てみてください(^^)
@@路地裏にひとり ありがとうございます🤗✨既に見ましたよ~。空が白々と明けてくる朝焼けの感じが美しく、まだ灯籠の灯す暗い道の向こうから差す明けの光が、力強く、大変美しく、創作意欲を掻き立てられました。いつかこの目で実際に見てみたいです。
女性をターゲットとした撮影所にして、花魁ぽい衣装貸し出してコスプレとかして、そこで写真撮ったり…とかいうビジネスをついつい考えてしまう😂
いろいろと建屋を活かす道もあったかもしれませんね。
音楽の音量が少しうるさいねぇ。(=^_^=)