【7月10日(水)19時30分~※冒頭30分】本郷和人「日本史夜話第9回 権門体制論とは何か?」
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- เผยแพร่เมื่อ 15 ต.ค. 2024
- ▼本編フル視聴は以下「文藝春秋 電子版」から、約60分の生配信をお楽しみいただけます(「文藝春秋 電子版」初回登録は今なら「月あたり450円」から)。
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歴史家・本郷和人さんの大人のための日本史講座(毎月1回、全12回予定)が第9回を迎えます。
社会に出てみると、教科書で習った日本史について様々な疑問が湧いてきませんか?
武士はどのように発生し、力をつけていったのか? 税金はどのように運んでいたのか? 荘園はいつまであったのか? 天皇はなぜ生き残ったのか? 下級武士が明治維新の原動力になったのはなぜか?……。
膨大な古文書を読み、歴史の実像を探ってきた本郷さんが、それらの疑問に答えながら、日本史の大きな流れがつかめる連続講義をお届けします。
第9回のテーマは、「権門体制論とは何か?」です。
「権門体制論」は、日本の中世の政治権力のあり方を説明する大きな枠組みです。
天皇が日本の「王様」だとすると、その下に政治を司る「公家」(朝廷や貴族)、軍事・警察を司る「武家」(幕府や武士)、祈祷・宗教を司る「寺家」(お寺や僧侶)が束ねられ、相互に協力しながら、それぞれの仕事をしてきた、とする考え方です。非常に整えられた論理と構造を持っているので、説得力があり、今や学会でも主流をなしています。ですから、日本の歴史を学んだり、日本史の本を読むためには、「権門体制論」についての基本知識は欠かせません。しかし、本郷さんは、それに対して批判・反論を展開してきました。
そこで、今回は「権門体制論」は、どのように生まれたのか、どのような学説なのかを本郷さんに丁寧に説明していただいた上で、それをきっちりと批判していただくことにしました。
ぜひご視聴ください。
◆番組概要
番組名:「日本史夜話」
出 演:本郷和人、高田なみ
日 時:7月10日(水)19時30分~20時30分 完全オンライン番組です
※視聴するには、「文藝春秋 電子版」の会員になる必要があります
戦前の史観より戦後のそれの方が朝廷を重きに置いていたのは中々興味深い
講座派の派閥や京都の派閥とかいろいろありますが、
やっぱり戦中に生きた人は天皇への狂気的な信奉を目の前で見たので、どうしても問題の中心におかれるんでしょうね
批判するにも擁護するにも、天皇の議論をあの世代はいい加減にできなかった。
未だに日本はタテ社会。家柄が決めている。個人的な話しですが、私の家は男系が途絶え、女系になりました。歴史の学問が廃れているお話し納得出来ました。
超面白い
キッレキレですね
歴史は昔から現代の価値観という静的視点で語られる事が多いですからね
時代毎立場毎の動的価値観で語るのは難しい…
区画整理 前の知事 で 土地売却 市民 だまして ならのちじ
見ないで話すとこいつダメ。東大生は努力して中学生に教えられる羽目になっている事が分かった。芥川賞・直木賞のいかがわしさの延長にこいつラのこの動画集が有る。
これ権門体制論者はバカだって言ってるよね。
現代の日本も一応形式的には天皇が内閣総理大臣を任命しますが、天皇には実質的な政治権力はありません。
古代や中世の日本も現代と同じように、実質的な政治権力は摂関、院、平家、征夷大将軍、執権、内管領、管領、老中、側用人などが担ってきた。
その実質的な支配者が御座していた場所を時代の名称にするという考えと思えばいいのかな。
対馬 仏像事件 で 神仏習合 ね かんりは 福岡 山口 でなく 長崎県 ですわ
食料自給率は さけて 経済界 内部留保 で 政情不安してから 自民党 憲法改正
早稲田の総理 戦前 暗殺だらけに 軍閥政治 経済界
維新大阪 かじの から 議員 増えだした
😅
いきなり学閥の話なんかいいから本題入れよ
自民党御用達の歴史研究者、本郷和人氏。
ステルス 維新大阪 選挙
未だに 竹中平蔵
天皇家には 祝詞 靖国には 亡い
岸田政権 なぜ 総理に なるか 戦前 ソックリ 暗殺 すでに 2件
むらがる 利権 変わらない
天皇家には 祝詞 あります 靖国 には ない
安倍晋太郎 統一協会 が 総理に
ていうか、言葉の定義があいまいな教育が日本語圏に蔓延っているから起きている問題のようにお見受けします。(何の問題なのかは知る由もないが)つまり、国家という意味で言えば、地域のことを指しているのか、権威が通用する範囲のことを指しているのか、権威を行使する権力機構のことを指しているのか、そうした定義を明らかにし、議論するべきだと思います。国家があったのかどうかという意味で言えば、国家という概念があったのかどうかを問う必要があり、いわゆる保守派などが持ち出す尊皇論などを整合的に解釈させる必要があります。ですので、国民が権威を感じる権力機構とその権力機構が支配し領土を主張する範囲があったのかどうか、そこに天皇という存在がどういう関りを持っているのかを明らかにする必要があるという意味であって、日本の文明の起こりから文書化し系譜を証明でき自他ともに認める意識が生まれている天皇家が国を作ったのかどうかを問うのであれば、その概念がどうやって生まれているかどうかを明らかにする必要があるというだけのことで、明らかにすることができるとするのであれば古事記や中国の魏書など古来の書物に頼るしかなく、その正当性は現代も議論され続け、あらゆる民意を通して予測可能な未来に備え最適化されるべきでしょう。少なくともそこを不在裁判をしたり、不当な権力を行使し正当性を壊すような工作を仕掛けたりしてはならず、公に明るく、官民問わず健全な運営が求められます。当たり前のことしか言ってませんが。