【僻地5級!?】かつて国道が行き止まりだった積丹の集落/神恵内村川白集落
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- เผยแพร่เมื่อ 9 ก.พ. 2025
- 今回は積丹の神恵内村にある川白集落を探訪します。
川白は、村域の西部に位置する小さな集落ですが、かつてはここで国道が途切れており、積丹町沼前までの区間が不通となっていました。
不通区間の工事は昭和61年(1986)から開始され、
平成8年(1996)11月に開通しています。
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BGM、効果音素材
イワシロ音楽素材 様
iwashiro-sound...
子供の頃まだ道路がない時代に親戚付き合いしていた川白の家まで漁船で迎えに来てもらい行ったことがあります。もちろんその後は旧道使って行きました。その頃は漁業もイカ釣り船など活気があり民宿も何件かあった記憶があります。漁港の隣の入江が遊び場でした。懐かしい。動画ありがとうございました。
あ、その頃はカワシロと呼ばれていた記憶があります。。
ありがとうございます。
私のおじは今から約60年近く前にここへ教員としての第一歩を踏み出しました。川白は断崖に挟まれた狭いところで、そこへの移動は粗末な船だったそうで、死を覚悟したと言ってました。
宮脇俊三氏が宿泊。著書にも登場し、おもてなしを受けた「旅館たかだ」の女将さんも当然、おじさまのことをご存じだったことでしょう。
なんと・・かつて歩古丹などに赴任した方も大変だった事でしょう・・
1985年に、当時学生だった自分は初めて北海道に行き、その時ここを訪れ、近くのユースホステルに泊まりました。その後、2001年だったか、バイクツーリングで再び訪れました。その時は半島を道路が周回していたわけなのですが、いろんな岩を横目に見ながらなつかしく感慨にふけりながら走った思い出があります。そして、初めてここを訪れた時に、友人の運転する車内で聞いていた楽曲と同じ曲が、その後のバイクツーリングの際に休憩で立ち寄ったここの道の駅のBGMでも流れていて、あまりの偶然に驚いた記憶があります。
宮脇先生の「ローカルバスの終点へ」は、傑作中の傑作だと思います。かつての本当の日本の姿が見えてくるようです。是非多くの方に読んでいただきたいと思う次第です。
鉄道ファンではない私にもとっつき易い内容でした。
残りの二箇所も動画にしたいところです
九州住んでるとこんな光景はまず見れない。一度生で見てみたいものです。雪景色が素晴らしすぎる
ありがとうございます!
kaname様ありがとうございます!
30年前
地元の高校の新聞局の企画で稲穂峠、神恵内村珊内の旧道を歩いて記事にしました。あの頃を思い出して懐かしく思いました。
懐かしいです♪
30年以上前の話になりますが、川白から船を出してもらって、賽の河原でテン泊したことがあります。
その頃はまだ賽の河原に座礁した難破船があり、とても物々しい感じでした。
確か積丹ユースホステルで賽の河原ツアーがあったはずです。
ググるとその頃の様子の写真が出てくると思いますよ☺️
ちょうどその頃、両端がトンネルで結ばれる前、積丹YHに宿泊したことがあります。
その「西の河原ツアー」はYHのウリのツアーで、手書きのポスターに、到達するまでのルートや途中区間の写真、当時あった難破船の写真などが貼りつけられており、最果ての秘境感をそそるには十分なものでした。ただし、連泊しないと無理なまる一日がかりのツアーということで、下調べもせずに行った自分は断念しましたが、その5年後にはものの20分で到達できる道路が開通。狂喜乱舞して西の河原だけを目的に車を走らせたものです。
いやあ、難破船、不気味な姿ですね。あそこがかつて観光地だったとは。私が行った時は残骸と化していましたが・・
@@ゾヌ廃道廃墟道路探索北 いや。観光地ではなく「道なき道を一日かけて辿り着いた人だけが目にすることのできる、この世の終末のような地」の扱いでした。
道路が全通した際に、駐車帯にはお土産屋&レストラン(今は廃業)が建設され、そこから遊歩道が取り付けられ、簡単に難破船にたどり着けるようになりましたが、確かいまその道も崩落して通行止だったような気がします。
当方の初めての川白行は60年近く前の昭和40年、高校の夏休みでしたね。
当時、所属クラブの活動の一環として積丹地区の漁村の歴史の現地調査のために行きました。
当時の裏積丹では、まともな道路が通じていたのは岩内から神恵内まで。
それから先は山道のみで当然バスは無くひたすら歩くのみ。
果たして何時間くらい歩いたのかすっかり忘れてしまいましたが、途中、山道の高いところから見下した裏積丹の海がきれいに輝いていたことを今でも鮮明に覚えております。
雪景色綺麗
いいよネ
子供の頃は、夏休みに家族で積丹半島の末端の雷電海岸に泊りがけで遊びに行くのが常でした。当時はその先は行き止まりでしたが、いつの間にか道路が開通していたのですね。とても懐かしい気持ちになる良い動画でした。ありがとうございます。
今度は雪の無い時期に来ていただいてあんない展望公園(安内小学校跡地)も訪れていただきたい。ノットとオブカル石という獣道で繋がれた2つの小さな集落にとって唯一とも言える希望だった学び舎です。
こんな地の果てにも人々の暮しがあったのです。
本当の最果てはそちらだったんですね
いつも通り過ぎてしまうここは川白集落というのですね🤩
こうしてゆっくり見ると綺麗なトンネルが多い事に気が付きました。
西の河原あたりからの絶壁は高さもあり迫力がありますね😊
なんやかや30年近く経過しているので、今後はどうなるのか・・
あんまり通る人はいなさそうです
懐かしいです。15年ほど前、子供の頃川白小中学校の廃校舎を利用した夏休みの臨海学校に行っていました。いつのものなのか、学校の掲示板に船で物資を運ぶ様子がありました。
珊内温泉も懐かしいです。田舎であまりうるさくないのか、お父さんに連れられた同年代の女の子が普通に男湯に入っておりました。一同歓喜でした
当時はまだ校舎があったのですね。写真を見ましたが、今の集落の規模に似合わない大きさに見えました。100人以上子供がいたとは。
@@ゾヌ廃道廃墟道路探索北 この村落にしてはずいぶん立派な校舎だなぁと思ったのはずっと後のことでした。たくさんの教室に大きな体育館。坂に立っているので半地下?みたいな教室もあって、中に撤去?された街灯が置いてありました。ガチで道路に使われてたものっぽかったので大きかったです。
今年の夏、この道を走って神威岬まで行きました。天候に恵まれて気持ちよく海岸線を走りました。冬は別世界ですね。道が無かった頃の住民の暮らしはさぞかし厳しいものだったのでしょう。
当時、神恵内村~積丹町開通の日に朝から並んで通りました。その数ヶ月後に豊浜トンネルの事故があり何とも言えない気持ちになりました。檜山、後志、留萌あたりの日本海ルートは厳つい雰囲気が好きで、何度も通ってますが、ゾヌさんの動画を見ると改めて行きたくなりますね♪
本当になんとも言えませんよね・・
檜山の方もまた行きたいな
ゾヌさんの動画は旅情があり、とても好きです。
ありがとうございます。
旅情は私が動画づくりで意識しているところです。
どこにも行けない時は自分の動画で旅行気分になっています(笑
真冬の積丹半島の国道229号の雪景色があまりに素晴らしくて感動しました!静かな川白集落を歩いて探索するシーンも印象に残りました。素晴らしい動画ありがとうございます。
良いものをお見せできて良かったです
神恵内は祖母が住んでいるのでとても嬉しいです😊
大森の橋は確か風台風の影響で橋が丸々落っこちた記憶
積丹の美しい光景と、技術力の凄さに、興味深く拝聴しました。キナウシトンネルの荒れ方は、自然の力に驚愕しかありせん。
名羽線を探索してもらえたら、うれしいです。
名羽線は興味があります。
1990年にバイクツーリングで終点の川白集落に訪れました。非常に懐かしいです。
1996年に訪問した時には開通後だったので素通りでしたね~。
夏にバイクで走りました
風が強く、道路の景色や交通量が黄金道路と似てるところがあるなという印象でした
神恵内村は人口が1000人を割って久しいですが、ぜひ頑張ってほしいです
宮脇氏が訪れた際は2000人いたそうです。
なかなか自治体として苦しいところですね…
@@ゾヌ廃道廃墟道路探索北
もう廃村だろ 札幌に集団移住させましょう
この夏40年ぶりにミツバチ族復帰して神恵内でキャンプ、もらった割引券で珊内ぬくもり温泉(動画では右手に見える黄色い建物)に行ってきました。夕日がきれいに見える温泉ですよ。40年以上前カニ族で積丹反時計回りにバスで行ったら道がなくなり余別から船で積丹岬沖まで遊覧しかできなかったリベンジで時計回りにこの道通りましたが、道路整備よくて感動しました。トンネル内は夏でも寒いので大変でしたが、、
毎度興味深い動画をUPしていただき、ありがとうございます。ついこの間までは、
特に廃道とか廃墟になんて興味なかったのに、いつの頃からか、この動画シリーズを観るようになってしまいました。
地道に楽しませていただいてます~(^^♪
ありがとうございます。
新しい世界にご招待できたのなら幸いです。
こんばんわ🌷
トンネルの数がそんなに多い国道、初めて知りました。道路の雪と空の白色であの山々がホント、なんとも言えませんね〰️何かアナログの世界にいるように感じました(^^)v
宮脇俊三さんの本鉄道も含めて読んでみたいです!! 堀淳一さんのは時々読んでます👍️ ゾヌさんおすすめ(^^) 勉強になりますね〰️☺️
寒い中の配信ありがとうございました❄️❄️
こんばんは。
晴天の景色はみんな撮影しているだろうから吹雪いている状況をお見せできて良かったです。宮脇氏の本も手にとってみて下さいね!
川白小中学校が現役の時に行ったことありますが、現在は村の生涯学習館ですね。廃校後、直接行ったことが無かったので助かりました。生涯学習館に至る黒い舗装路は小中学校時代の明るい色のタイルレンガ形状のブロック舗装でしたが何か残念な気持ち(子供が通わないので色が黒)になりました。
現役時をご存知なのですね。
真新しい生涯学習館はどの程度利用があるのか…中心街から離れているし
自分が学生の頃には、出てきたトンネルはほぼなかったのかと思うと感慨深いですね。
夏場に積丹半島を車でぐるっと回ったことがありますが、そのときは出来て間もない道路を通っていたんだな。
かなり昔に会社の行事で川白の民宿に泊まった。遅れて行ったのでろくに食べるものなかった。そうそう行き止まりね。子供の頃現地の子供と遊んだの覚えている。海は綺麗だったなぁ😊
いつもお疲れ様です。50年ほど前,岩内駅からバスで訪れたときは,赤石が終点だったように記憶しています。川白までは船だったような。
ゾヌさん、とりあげてくれてありがとうございます。川白の小中学校に通っていました。母校が無くなるのは寂しいものです。私が通っていた頃は全校生徒が15人程でした。
川白のご出身なのですね。全校生徒15人と言う事は宮脇氏が訪れた時代でしょうか。
鉛色の空に群青色の海… こういう天候の時の方が 「いかにも冬の日本海」 という風情が感じられてむしろいいですね。
私もこの景色はこの景色で味わいがあると感じます。
かつて、1983年にかもいないから賽の河原に山をいつつものりこえて、遊歩道をつかい徒歩でいきました。当時は道路はなく、積丹かもいYHの人々がツアーをくんで、夏の間「8時間コース」となずけて、いかせてました。
神恵内側からあそこに行くのはかなり大変なのではないでしょうか・・
かつては定番観光地だったのも驚きです
@@ゾヌ廃道廃墟道路探索北 さま、ぼくは、積丹YH のほうから と、積丹かもいYH の両方から到達しました。相当大変でした、かもいないからは往復8時間です。その道を開いたのはユースの先人たちです、危ない道でした。よく事故が起きないかとおもいました。
荒ぶっているは知っていますが、吹雪っているは初めて(笑)
漁業関係あろうの海岸沿いの家々が何とも良いですね。
夏に是非走りたいです🚗
ご両親へのお土産🐟が出来て良かったですね。
いい景色を撮ることができました(笑
ちなみに親とは離れて暮らしているので自分用の土産です( ・∇・)
こんばんにちは、大森大橋が落橋して鉄の仮橋が架けられていた時、旧大森と2代目ウエンチクナイとあわせて通ったことがあるというのは、当時被災中という大変な状況でありながら貴重な経験でワクワクしたのを憶えています
今はもう生活するための道路として走り慣れてるので気にかけることはほぼないですが、
改めて思うと岩内の雷電の山々もヤバいですよね(
しばらく雷電方面に行ってないので今年あたり探索したいなあ
20年ほど前に転勤で北海道にいた時に訪れた村 たまたま立ち寄った食堂で食べたエゾバフンウニ丼は美味かったなぁ あん時のおばあちゃん元気にしてるかな
積丹、近年はウニがダメなんでしたっけ
ゾヌさん✨❤ありがとうございます😊
毎回興味深くかつ札幌民としては実際行けそうなところが多く気に入っています。そして今回古平から998号線で神恵内に行き川白集落に行ってきました。月舟寺も見てきました。ちょうど住職の奥さんが外に出ていてyoutubeで見て来たと言ったらお寺の中も見せてくれました。いろいろお話してくださいました。岩内高校には歩いて神恵内まで出て通っていたそうです(まだバスは通っていなかった)。賽の河原地蔵祭は3年ぶりに今年はすると言ってました。もう陸からは行けないとの事でしたが。次回は「老古美小沢停車場線」ドライブしてきます。探索の際はくれぐれもお気お付けください。熊が怖いですね。
そうやって地元の方とお話したり出来ないコミュ障なのが私の難点か(笑
賽の河原、一応陸から行けますけどね。相当危なかったですが・・
宮脇さんの「ローカルバスの終点へ」は読んでいませんでした。「時刻表2万キロ」は初版時から読んでるんですけど。さて、89年にまだ道の終端だった神恵内に行ってました。どんな状態だったかも記憶になく写真も撮ってないのですが、道の終端より前の集落(神恵内の中心?)でちょうど夏祭りで神輿が担がれているのに出くわしました。ミツバチ族全盛の頃ですので、担ぎ手の兄さんたちから一斉に手を降ってもらったのを覚えています。妙に若い人が多かったので、はてと思ったのですが、当時は積丹かもいユースホステルがあったので、そこのホステラーだったんでしょうね。その日は当丸峠を越えて積丹ユースホステルに泊まったと思います。神恵内付近も海岸線断崖直下の道は通れなくなってるんですね…
この本、写真が全くない文章だけの本(バス路線と終点の場所を示す簡単な地図は、各章に1つだけある)なのですが、宮脇氏の文章からはその風景が伝わって、目に浮かんでくるのですよ。ホント名著です。当時GoogleMapなどという便利な媒体はなく、その地がどんなところかは想像するしかなかったわけです。それでもツーリングマップルやホクレンマップなどはありましたので、地形と照らし合わせながら妄想を膨らませたものでした。
その頃は神恵内も人口2000ぐらいあったはずなので今より人気があったことでしょう。ミツバチ族の由来を読んで笑ってしまいました。
ゾヌさん ミツバチ族も、もはやシ語の世界ですが、暖かくなって花が咲き始めると内地から🐝ブンブンやって来るからとか。当時は2ストロークバイクも多かったので、その音がミツバチのブンブンに近いからという説もあるようです。積丹かもいユースは中心地ではなく珊内地区なんですね。検索してみると当時も人気のあるYHだったみたいです。何年前の事かわかりませんが、まだ廃墟になった建物も存在しているとか。
Suさん 宮脇さんはカメラを持ち歩かない主義と著作で述べていたのを思い出します。「ローカルバスの終点へ」は鉄道じゃなくてバス旅本だから読んでなかったのかな?と思ったのですけど、初版は89年1月だったんですね。当時はバイク優先になってたのでスルーしてしまった感じです。この本もちょっと前なら、テレ東番組「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」で、再脚光を浴びたかもしれませんね。実際、第3弾 2008年10月放送は函館から宗谷岬で、(ルート一部抜粋)岩内ターミナル→北海道中央バス神恵内線→盃海水浴場 2日目宿泊 盃海水浴場→北海道中央バス神恵内線→神威岬→北海道中央バス積丹線→小樽駅 と、積丹半島を周回していました。
@@3poko 自分も由来は良く知らなかったのですが、勝手に『(養蜂業者のごとく)花が咲くところ(よい景色や祭りをやっているところ)を求めてハコごと(集団になって)移動して行く』からだと思ってました。
同じように流行った用語の「カニ族」は、カニを求めて道内の最果てをザックで歩き回る輩のことかと思ってましたw。
思い出すわ〜😂仕事で通ってた、出来上がって直ぐ😅
豊浜トンネルも事故前に通って仕事してた😅仕事が終ってしばらくしての事故だったから😱恐怖を覚えた😰
しばらく通って無いから又行って見たい😊
真冬の神恵内は随分雪が積もってるんですね!大森・とようみ・ウェンチクナイ・キナウシの各トンネルと大森大橋があった道は今は旧道なんですよね。昔その周辺の海で潜ったりして遊んでいました。海岸線ぎりぎりにつくられていたのでとても景色が良く海をすぐ近くに感じられるので好きなドライブコースでした。2004年の台風18号ではトンネルも道路も橋もぶっ壊れて、今は通れなくなってしまいとても残念です→(ゾヌさんの過去動画で今の状況みました)あれから20年近くの月日が流れたのかと思うしだいでございます。今ではすっかり山側に立派な道路がつくられトンネルもう~んと長くなってますからね、景色が昔ほど見れなくなったのが残念といいますか仕方ないのですけどね。「珊内ぬくもり温泉」は小さいですけど(鉄泉だったかな?茶色の湯)よく温まるし、やや高台にあるので休憩所から見える海の景色が素敵です。あとは勝栄鮨というお寿司屋さんうまいです!冬は運転が怖いので難しいですが雪が解けたら川白を超えて積丹・古平まで行きたいですねぇ😊冬の神恵内の雪景色きれいです。ありがとうございました。
旧道から見える景色はさぞや絶景だったと思います。
いずれまた探索したいところです。
神恵内のお寿司屋さん、この日も撮影を優先してしもうた・・
そうそう、割と最近まで海岸沿いを往くことはできなくて、島牧から余別に行くのに積丹の山中を突っ切って走ったことを思い出しました。
当時珊内に人気YH(積丹かもいYH)があって、沈没するホステラーが後を絶ちませんでした。賽の河原ツアーも人気でしたね。もう今は無いのかな。
賽の河原や念仏トンネルがかつて観光地だった言うのも興味深い事実ですね。
3:08キナウシトンネル南側入り口の上に見えるトンネルは旧道なんですかね、少し手前には道への入り口もあるみたいですが
そこを探索した動画のリンクです
th-cam.com/video/xJsJv56Zd9A/w-d-xo.html
旧旧道でしたか、ありがとうございます、行ってみたいですねー
神恵内といえばオスコイ!かもえないですよね
一度聞いたら印象に残る施設名ですね
道の駅の立地もかなり厳つい・・
国道229号線の積丹半島ルート。
集落はあるものの、生活道路と言うよりかは、ドライブを楽しむ為の道路の印象で。
鉛色の空と日本海を見つつ。
この日はぐるっと一周しましたがメシを食うタイミングを逃して、朝に中山峠で買ったあげいもで凌ぎました。
神恵内の道の駅は最初行ったときは通行止めで休業してましたね。2回目でようやく切符を買えました。
しかし、この圧雪の真っ白な道、恐怖しか感じませんわ(今住んでるのは関西なので)。ちなみに、先日JR西日本が大混乱になった雪、まだ日陰に少し残ってます(道産子なので私は全然慣れっこなんですが、京都市内猛吹雪でしたから、地元の人は恐怖しか感じなかったでしょうね)
いつだか私が行った時も休業中で、今回初訪問でした。
岩内まで晴れていたのでつまらないなと思っていたんですが、吹雪になった時はキターって感じでしたね。
うちは宮城県の田舎町ですが、岩手サファリパークの看板を見かけますねぇ。
せめて国道沿いに設置すれば良さそうなものですが、農村地帯の作業場の壁に貼ってあったりします。
いったい宣伝効果があるのか謎ですよねぇ。
そうそう。ホントになんでここにあるんだって場所に貼ってあります
神恵内は毎年行ってますが、川白の奥に神社あるんですね、珊内にもあるようなので見に行かなければならない気がします。珊内の郷土玩具館には行ったことありますがわりと面白かったですよ。
そういえば当丸峠の向こう側の古平の奥に稲倉石小中学校跡があり、そこは鉱山の施設になっていて良くわからないのですが、さらにその奥に稲倉石鉱山には抗口やら住宅跡やら遺構がまだあるようなのですが、いかがでしょうか。
ただあの辺も熊感があるのであれなんですが。
珊内ももっとみてまわりたいところです。
当丸峠周辺も面白そう
最近チャンネル登録をした者ですが、川白の地名を見た瞬間「もしや」と閃いてしまったのは元々宮脇氏のファンなもので。
この本しか読んだことがありませんが、宮脇氏の簡潔でサラッとした文はナレーションの参考にしています。
今回の映像場所R229も過去夏場にはツーリングして通っておりますが、冬のこの時期の映像は新鮮で美しいとも感じます。
このような話は内地者が何を甘い事言ってるんだ!道内の冬の生活は厳しいのだと怒られてしまいそうですが、R229を何度か走っている者には懐かしいと言うより新鮮で神秘的とも思ってしまうのが正直な気持ちです
この時期のゾヌさんの動画は山間や谷の藪こきとか羆との遭遇のハラハラは無いので安心して見られますが、スリップ事故などには気を付けて下さい・・道内の友人の話では雪に慣れたドサンコでも、結構冬場の事故に会ってしまう人が多いのだと聞きます
この時期は十二分に気をつけて下さい
吹雪いてきて若干ワクワクだったのは秘密ですw
冬の景色の方が神秘的だと私も感じます。
札幌から中山峠を通ってきましたが、そっちは晴天でした。
昨夏、逆方向で走ってきました。天候不良のため神恵内の予約した宿へ急ぎ雰囲気を少し感じる程度でした。雪の時期だとまったく別世界ですね。
より荒涼とした雰囲気が増します
こんにちは、35年くらい前に神威岬の後なんとなく進んだら、積丹トンネル(当時は沼前トンネルだったような?)が土砂崩れで行き止まり引き返しました、記憶が薄れてきました😂
むむ!?なんだろうそのトンネル。
@@ゾヌ廃道廃墟道路探索北 引き返そうと思いUターンしたらそんなに遠くない所に神威岬が見えていました、しょっちゅう工事中に土砂崩れとかがあったのでは?
この時期に、よく行きますね、私は石狩で仕事して、ひ〜ひ〜言っているのに😅
すまぬ!遊びで!
学生時代、開通してすぐの頃、この道を通りました。神恵内村と言えば、オスコイ!神恵内。
今回のレポートでも触れられている、トンネルや覆道が崩壊した災害の時に、初代「オスコイ!かもえない」も高波?の被害を受けて、長年休業にさらされていたと思います。
道の駅のおばちゃんに不審な目で見られた・・・(自意識過剰)
旧大森トンネル区間はカントリーロードの管理人さんがつべにアップしてます。カントリーロードの閉鎖はデカすぎた....
アーカイブでたまにサイトを見てます。
本題とはズレますが、𩸽の開きのチョイスをするなんてなかなか通ですね。
美味しかったです
M脇俊三が書いた場所だよな……と思ったらやはりそれがきっかけか。
もう小学校もなくなったような話聞いたな。
バスはまだ健闘しているらしい。
10月行った時はようかっ飛ばした道路やな。あーウニ食べたい。
どこだかでひどいウニ食わされたな…
昔TBSの「そこが知りたい」の路線バスの旅で賽の河原TNの手前まで行く模様が記憶にある。
今回のように雪の中の撮影でした。
どんどん進むにつれTNの坑口近くまでトコトコ歩いていたら、
当時のTN工事の係の人に「こんなとこまで入ってきちゃダメだよ!」って怒鳴られてた映像も。
出演者は薬袋美穂子や鈴木正幸と誰だったかな・・・・
92年だったか、93年だったと思う
(ノ_・。)
いや~今ならコンプラ的にアウトですが、牧歌的でいいですね~そんな企画
ゾヌさんありがとう(^^)v
今から30年程前、海岸線の全道一周を2回に分けてドライブしたんですが、この区間は未走破でした^^;
この動画のおかげで完全走破を達成出来ますm(_ _)m
天気の良い日なら素晴らしい景色でしょうね。
私は吹雪でも面白かったです。
北海道ではございませんが、青森県の国道338の先、県道175(むつ市脇野沢九艘泊地区)が先に道がなく行き止まりになっています。真鱈で有名ですのでぜひ。
遠征したいなぁ
失礼致します。
途中ご紹介されておりました旅荘みやしたですが既に廃業しておりますのでご旅行の際は気をつけて下さい。
あらら、そうなのですね
泊村と神恵内村に父方の親族がいて小さな頃はよく行ってましたけど、泊村に原発ができることが決まり、出来、3号機も増設し、どんどん周辺の道路が整備され原発事故があった場合のためのシェルター付き道路等土木事業が潤ってますよね。道路が開通したのもその辺の事情で、住民の要望だけでは繋がらなかったかも…大人の事情?
今年はいきなり攻めますねぇ!この吹雪に海岸沿いを走るなんて!潮で車が錆びますよ☺️洗車大事(笑)そういえば神恵内村も原発廃棄物調査に参加してるんですよね。どこの自治体も青息吐息ですから察するに余りあるということしか言えないです。お疲れさまでした(^-^ゞ
本当はトーマル峠を走るつもりでした。あそこはたしか避難ルートですよね。他にも新しい道路を建設中だったはず
歴史的に積丹半島開通もそうなんですが、
トーマル峠が229号だった時代の
ネタがWEB上に見当たらないです。
何かご存知でしょうか🤔
トーマルが旧229号だったのは知っています。
道路開削は戦後から始まり、昭和287年に国道指定。現在は原発からの避難路ですね。
今から50年以上前の中学生の時、札幌からテント泊しつつ自転車旅行で当丸峠を自転車で走りました。(中学生でしたのでカメラなど持っておらず旅行中の写真は1枚もないのですが。)
古平から当丸峠の入り口である六志内までは舗装されていましたが峠に入ると未舗装でした。
まさに石ころゴロゴロの酷道です。
ヘアピンの連続で高度を稼いでいました。
あまりにもひどい峠道でペダルを漕いで登るなんて無理なので仲間と一緒に自転車を峠のピークまで手押ししました。
暑い季節でしたので道中キリギリスの大合唱の中、汗だくでしたね。
峠から神恵内までは下りなのでサドルにまたがって走ったのですが思いっきりガタガタ揺れるので股ズレを起こしました。
パンクする仲間、チェーンが切れる仲間もいて散々な目にあいました(良い思い出ですが)。
神恵内にたどり着くまで対向車、追い越し車にも会わず道路貸し切り状態です。
道のど真ん中にへたり込んで時々休息したのが懐かしいいです。
今考えるとよく山親爺に出くわさなかったと思います。
当時は半島を周回するには余別から神威航運の漁船サイズの連絡船を使用して川白、神恵内に渡るか当丸峠を縦走するしかありませんでした。
ゾヌ様、3週間ほど前に埼玉から車を飛ばして青森から海を越え、オスコイに行きました。
(オスコイのベンチに座っていた流木怪人に会えなかったのが残念。。。)
冬の断崖絶壁も魅せられるものがありますね。
今年の8月の北海道は異様な暑さです。
帰宅後、埼玉の方が体感は涼しい感じがしました。
映像を見て少しひんやり気分を味わいました。
素敵な映像ありがとうございました。
半島を全通できるようになったのが1996年ならそれほど昔じゃないんですね。
むしろ、それまで通れなかったことが不思議なくらいです。
そんな最近だったのかと驚きますね。
函館の方にも確か函館山の裏を通って行けた廃集落と廃道があった気がしますね!
歩きで行くのは大変らしいですが😅
寒川集落でしたか。一度行ってみたいですね。
行きたいと思えどもう行けない遥か彼方、それも厳冬期の映像、ありがとうございます!
廃鉄・廃道屋的には、もう宮脇さんの跡を継がなければいけない歳なのに、なんとも情けない…
岩手のサファリパーク、栃木県以北で良く見かけますね。不思議です。
岩手のサファリパークは幅広い人々に宣伝するために、と言う意図らしいですが、効果はあるのかどうか・・
ゾヌたんお疲れ様です。
昔は日本海沿岸はニシンで栄えていましたからね。
いつの時代も欲たかりがいてこの先その先と漁場求めていつの間にか道が伸びて… 衰退してからは観光と称して道路族の食い扶持の為にどんどん開発されて…
積丹半島観光と言っても崖と海しか無いですよね。
ニシンが採れない今は釣り人の為の道になってますな。
そのうちトンネルの老朽化で再び通れなくなるんじゃないかなあ・・
矢羽根付きの標識がなくて吹雪いたら絶対走れない国道だな。雪山に突っ込むかなんかしてしまいそう。
この程度なら楽しいですが、ガチのホワイトアウトだとヤバイですね
道の駅巡りで何気なく通った道でしたが、まさか元々未開通区間だったとは…
細かい所ですが、別海町の読みは「べっかいちょう」ではなく、「べつかいちょう」だったりします。
別海出身の知人がべっかいと読んでいましたが町ではどっちの読み方も認めている様です
@@ゾヌ廃道廃墟道路探索北 そうでしたか。
20年位前の当時の町長が言っていたので、べつかいで覚えていました。
この前の桂沢といい、今回といい、よくもまぁホワイトアウトで遭難してもおかしくないような時期に車で行きますねぇ。
さてその宮脇俊三氏の「ローカルバスの終点へ」ですが、なんとまぁ、先月古本屋で300円で見つけ、今現在読みかけ状態で目の前の机の上にありますわw。
初版の単行本のあと文庫本サイズで出たのも絶版。その後洋泉社から復刊されたやつで、文庫本よりやや縦長のやつです。
実は、宮脇氏が宿泊した『旅館たかだ』を求めて4年前に川白を訪れました。そして、宿は既に更地になっていて消滅したことを地元の方から伺いました。たしか「旅荘みやした」の方は事前予約が必要だったような気がします。いまなお「じゃらん」や「楽天トラベル」にも載っていないので、真夏の超繁忙期でもミーハー観光客や外人観光客から逃れて静けさを堪能できる宿なのではないでしょうか?。川白小学校は宮脇氏が訪れた当時は14名の生徒がいたそうですね。ゾヌさん同様私も高台の空地には足を運びました。吹雪ではない初夏でしたので、果てしなく青い空の下に広がる積丹の海と静かな漁港の風景をしばし堪能しました。
「ノット」はバス停があるんですよ。カタカナだけの珍名バス停なので、車を停めて写真を撮っていたら、トラックの運ちゃんから怪訝な顔でガン見されました。航空・船舶系マニアにもたまらないバス停(ノット=kt=knot)として有名かどうかは定かではありません。
あと、珊内温泉は、同じ神恵内村の濃厚温泉「リフレッシュプラザ998」が廃業してしまったので、村内唯一の温泉となりましたが、内湯のみの小さな施設で地元民たちが憩う温泉という風情。隣にあった「日本郷土玩具館」ももちろん行きました。
私はこの著書で、十勝の「大津」にも惹かれて、何度も足を運んでいます(何もないんですが、そこがまた良い!)。同じ十勝管内の「浜大樹」も観光的なものは一切ない似たような地でオススメです(こちらは宮脇さんは未訪)
あの本を読んでこういう漁村の民宿に泊まってみたいと思いました。
ノットにバス停があるんですか!?国道沿いとは言え秘境染みていますね。
ここはトンネルが多いよね100年後には点在する集落が無人になりそう。
この動画とは少し関係ないかもしれませんが最近の北海道の国道トンネルは片方しか灯りがついてない気がします
節電の為なのでしょうかね?
多分そうなんでしょうね。
ていうかあの辺を夜走ったらめちゃめちゃ怖そう
全く関係ないんだけどサムネが一瞬南米に見えた。
神恵内から川白は山ルートもあったんだよ。
ハンドル切り損なうと落ちるんだけど。
その山ルート、行きたいですが長いしクマこわい・・
こうして見ると北海道の開拓遅すぎるな〜
そりゃあそもそものスタートがまったく違うから。本土は頭にちょんまげ結ってたくらい昔に開拓された街道や主要都市を利用して、そこから広げてるわけだし。
つくった道路も今後は利用がなくなって廃道だらけになるのかも
そういえば俺確か今から20年前仕事で1週間。神恵内村の民宿に泊まったな。確か居酒屋民宿だったかな?下が居酒屋で2階が民宿となっていて、そこに泊まって真冬道路の行く流れ、星作を設置作業に1週間神恵内村の民宿に泊まった魚居酒屋民宿は経口有名な野球のチームの社員なんかたくさん語ってあったねすぐ近くの目の前には港があって船着場があったね居酒屋民宿だけあって、朝昼晩の食事は美味しかったね。ま昼の弁当はそこの民宿からの弁当だったんだけど、まあ美味しかったね。朝ご飯も夜ご飯もばっちり上手かったら