【正岡子規こぼれ話】病床で子規が見たかったものとは・・・?
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- เผยแพร่เมื่อ 8 ก.พ. 2025
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【夏井いつき】
昭和32年生れ。松山市在住。
8年間の中学校国語教諭の後、俳人へ転身。創作活動に加え、俳句の授業〈句会ライブ〉、「俳句甲子園」の創設にも携わるなど幅広く活動中。
TBS系「プレバト!!」俳句コーナー出演などテレビラジオでも活躍。
Twitter: / natsui_haiku
Instagram: / natsui_haiku
夏井&カンパニー ホームページ:www.natsui-com...
長~い緊急事態宣言が解けた途端の体調不良で、ベッドの上で拝見しています。それだけに子規さんの好奇心が身に染みます。グッドタイミング😃✌️
アガニョークです、こんばんは。
「蝦茶袴の運動会」びっくり!!この旺盛な好奇心が、子規の晩年を支えたのですね。じ〜んと来るモノがあります。
時代の節目。わくわくするような今までにない何か。その場で体感して自分の魂に触れさせてみたい欲求。
ヘソもツムジもコシも曲がっても、句や歌の短い言葉の内に鮮烈を刻むのは、こういう、好奇心が煌めくような一瞬を生涯にずっと追ってたからなのかもなぁ、とか思いました。
とても楽しかったです。今は何でも調べられ、知ってる気分になってしまいますが好奇心をもう一度大事にしたいと思いました。
俳人の背景を教えてくださって 思いが深まりました
この様な動画嬉しく有難い事です
又お願いします
とても楽しいです、ありがとうございます。10分の動画を作るために時間と努力、才能。週に二回の更新。ずっと続けることの偉大さを感じます。
組長、正人さん、今晩は😃
薄っぺらな私は子規さんの事は NHKドラマの「坂の上の雲」と我が地元紙に掲載された子規さんのシリーズでしか認識がありませんでした
医療の進んだ現代なら子規さんの苦しみも少しは軽減されたかも知れませんね
地元紙には子規さんを陰で支えた妹の律さんにも言及していました
律さん なかなか肝の座った賢い人だったよあです
好奇心旺盛な子規さんだからこそ 詠まれた句は私たちを惹き付けるのですね
いつも楽しい組長と正人さんのTH-camですが今日は格別でした
お忙しい中ありがとうございます🎵
正岡子規が見たかったものアイコンが正岡子規をオマージュしてて良い仕事してますね!
へぇー!正岡子規は、若くして逝かれたので、その時代の元気な青年だったら都会へでて、観れそうな物も、
観たいなぁ~!とリストにされたんでしょうね。なんか切ないですね。それだけに遺作になった俳句は尊いですね。今の何でも観れてしまう時代とは、価値観は違うのでしょうね。良いお話ありがとうございます。和婆
子規さんの好奇心は果てはありませんね。自分は病に伏していても、みたい物がどんどん湧いてくるなんてさぞかし動けぬ身がもどかしかったでしょうね。「生」への強い執着が感じられました。
苦しい闘病生活の中でもユーモアを忘れない子規、励まされます。
昨日は「青天を衝け」でまさに、郵便が生まれるところを見ました!
まだ、紅色でなかったですが、気持ちの想像がしやすいです。
蝦茶袴は、やはり大河の勘九郎さんのマラソンの回のとき、かなりあれこれ、女子が運動するとは!といったバトルがあり、ああ、あのあたりのことか、と思いました(^-^)
教科書で見る名前の方について、「教科書で見た!」以外知らないことが多いです。
人となり、エピソードなどきけると、実像が立体的に出てきて親しみもわきます。これからも俳人さんにかぎらず、ぜひ、人柄のご紹介、よろしくお願いいたしますm(_ _)m
蓮生(東京)
やはり好奇心というのは大事ですね。実際に見ることはできなくても想像して楽しむ!現代にはインターネットがあるので何でも調べられますが、想像するのも大切だなあと思いました。こぼれ話、また機会がありましたらぜひお待ちしております(*^_^*)✨
子規さんの好奇心の如くつらつら書き連ねまする。
組長、石垣は萌えます。江戸以前の人々が一つずつ積み上げたのです。
北朝系の現天皇のお住まいに南朝の忠臣の銅像とはこれ如何に。
子規博物館が無理なら根岸の子規庵に行きたいと思ったのですが、まだ当分再開しないようです😭
子規博物館四十周年記念イベントでの館長のお話は強烈でした。
4人の先生方のお話も楽しかったです。
蝦が魚偏、浅草にあったたこ最中も魚偏でした。時代で違うのかしら。
以上感想でした。
今の正人さんと同年代なんですね
俳句を発展させた子規、俳句の根を広げる正人さん、なんか運命的な感じがします
まあ、みなさん、いろいろと間違いがあるのは、ひとつ、ゴメンやしておくれやして。みなさんに突っ込んでもらう動画を作るのも、欠航、いや、結構、たいへんなんですよ。
間違いの指摘は非難ではなく、兼光さんのコメント待望かと思われます。
お久しぶりのコメント有難うございます💕
組長、正人さん、こんばんは!
子規こぼれ話、楽しかったです😊
子規さんが見たかったものリスト、すごくたくさんあったんですね。
というか、子規が見たかったもののところ、子規さんの横顔の写真と思ったら正人さんの写真なのに紅色郵便箱のところで気付きました🤣
もう、そこが一番面白かったです。
正岡子規は、新し物好き
なのですね。
そのうちに、お札の顔に
なってほしいです。
上野公園に子規記念球場があることを考えると、動物園にも結構行っていたのかなあ。
ちなみに当時グランドは無く、空き地で野球をしていたらしいです。
友人の夏目漱石の小説にもビアホールが出てきますし、漱石との世間話に出てきたの
かもしれませんね。こういったお話も面白いですね。
結構物好きだったのですね。
映像なら、「坂の上の雲」の子規さん、(原作は司馬遼太郎)小説は伊集院静の「ノボさん」。どちらも好きだな。凡人の私も、正岡子規に親しみを覚えましたよ。
見附けの言葉ですか、
寂しい気持ちを文面に出さずに、寂しさを伝えたかったんでしょうね。
子規はまさにカメラマン
閉塞で辛い病床の営みを時代を超えて『愛おしい』と言ってくれる人がいる 子規は予想外でとてと嬉しいと思ってると思います
何だが涙が出ました
今はベッドで寝たきりでも大抵は何でもipadで見れるし人とも話せるものね🌀
もし正岡子規さんが現在にいたら見たい物リストも携帯に記してるかもね😀
正岡子規の一面が知れて良かったです。今回は、肩の力が抜けて楽しかったです。○○のこぼれ話というのをこれからもリクエストします。
Wikipedia 日本の自転車 によれば、『1898年(明治31年)11月、東京・上野不忍池のほとりで開かれた「内外連合自転車競走運動会」を皮切りとして自転車競技大会も開かれ、大変な人気を集めた』 そうです。
思うように動けなかったから好奇心があったのでしょうね。全部見られていたら俳句も変わっていったのでしょうね。情報は入って来るから五感全てで確かめたかったのだろうな。産まれるのがもっと遅かったら見られたのに。想像して思い描いて実物との違いを俳句に活かされるのだろうか。女子学生の運動会その頃なら薙刀 とか
この回面白かったです
また お願いします
明治当時、女子が運動するのは考えられなくて「女学生が運動会をやる」ってのは一瞬の女性改革だったらしい
楠公は「なんこう」だったと思いますが...
「蝦茶袴の運動会」これそのものが、中七下五のような。
この頃は『運動会』はまだ季語じゃなかったでしょうね。
子規さんならどんな上五の季語を、置かれたかな?
子規さんご存命中に、あの巨大カボチャの様なブルマーが導入されてたかどうか。気になるところではあります。
親友の秋山真之は、智謀湧くがごとしと云われました
子規さんは、好奇心湧くがごとしですね
土台の跡、確か四ッ谷駅の辺りにもあります。こちらは水門跡だったと思いますが。
しかし、いつの時代も女子高生を垣間見たがるオヤジはいたのですね…しかも(病床の)子規まで…。男って奴は…。
タヒになってる 笑
正人さん大好きです。
夏井先生とのやり取りも楽しいです。
優しくて柔らかくて。
お友達になって欲しいです。
「楠公」を「くすのきこう」とは読みません。「なんこう」です。大楠公(だいなんこう)小楠公(しょうなんこう)て知りませんか?あの人の姓は「楠木」で「楠」では無いですから。
勿論、大も小もつかない「楠公」は「なんこう」て読みますよ。神戸・大阪では楠公さん(なんこうさん)て大昔から言います。
他の人なら、仕方ないかもしれませんけど、俳句でどうこうと他人を添削する人がこの程度なんですね。
偉人といわれる方の人間らしさが紹介されて面白かった。しかし没年は正しく伝えて下さい。あとでテロップで修正しても、残念な印象が残ります。また楠公を「くすのきこう」とおっしゃったけど我々の年代は「なんこう」と読むのが普通でした。
間違いは間違いとして擁護するものではないのですが、また気持ちは分からないでもないのですが、好奇心からお尋ねすると、その「我々の世代」というのは、金さえ払えば何でもやってもらえる世代ですか? それとも、金すら払いもせずに人任せにしてやってもらって当たり前だと思い込む世代ですか? 欲しがりません勝つまではを知っている世代ですか?
金さえ出せばの部分の意味がよくわかりませんでした。私は昭和二十年代の生まれです。
@@須賀葉子-b1x 金さえ出せば~というのは「お客様だぞ神様扱いしろ」というみっともない人々の揶揄です。自覚がないようならばおそらく関係性はないのでしょう。
お子さんはいらっしゃいますか?
あなたは、お子さんに誤った知識を与えたことはありますか? もしくは、間違ったことにあとから気づいた際テロップは流れましたか?
もしお子さんがいないようならば、あなたを慕い、あなたを信頼していた人に残念がられたことはありますか? あるいは、あなたの人生は一点の曇りも過ちも間違いもなかったですか?
@@片岡正也-k5j 金さえ…についてご説明ありがとうございました。私は普段寛容な方だと自認しています(?)。今回こだわったのは子規さんの命日が36年だとしたら「病床六尺」が35年5月~9月という短い期間に書かれた作品ということ、36年までご存命ならロンドンから帰国した漱石に会えたはず、などと思いをめぐらせたこと、登録者7万人が視聴していること、それらが衝動的に投稿した原因です。「ア~夏井先生、うっかりしたんだね」とニヤっとしていればよかったものを。片岡様、ご意見ありがとうございました。
@@須賀葉子-b1x おみごとでした。
ただ、間違い(誤情報)の指摘はあってしかるべきだとは思うのです。私が衝動的に食ってかかっているのは
「~して下さい。~残念です。」
↑
この構文が、論理的には6歳の子が書いたサンタクロースの手紙
「◯◯がほしいです。◯◯があればどんなに嬉しいでしょう。だから下さい」
↓
「私を残念がらせたくないなら、~をしなさい」
という、自己への愛情を人質にとったあどけない脅迫めいて映るからです。
いずれにしても、俳句のタネになりうるのがまた面白いところです。
冷静なご返信をありがとうございました。