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北部もみたいです。
わたしの父は明治20年那覇市松山町生まれです。1991年、61歳のときわたしは初めて沖縄を訪れました。首里城に行って帰り首里高校まで歩きました。夕方で柵から中を覗いてると生徒が7,8人ボールを蹴っていました。そのうちの一人がやって来て、何かご用ですかと聴いたので「ニューヨークに住んでるけど、私の父が明治時代に県立1中を卒業したので・・」といったら「そうですかー、握手してください」といって手を差し出しました。するとボールを蹴っていた男女の生徒がみんなやってきて全員と握手しました。「この辺でタクシー拾えるかしら?」というと、2人の男子生徒が、タクシーなら僕らが連れてきますといって駆け出し、タクシーを呼んできました。東京にもニューヨークにもこんないい生徒はいないなーと大感激しました。(ニューヨーク発)
ニューヨークから、ご視聴くださり、感謝感激です。30余年前の素晴らしいエピソード、ありがとうございました😭これからもよろしくお願いいたします。
毎回、貴重な写真の数々有難うございます! ところで「南陽薬品」は、祖父の金城保吉が同郷(大宜味村)の金城清松先生等と出資して起業したと聞いております。現在の「GRGホテル那覇東町」がある場所らしいです。又、倉庫は「那覇の記憶」に写ってるバスターミナル(現在の西武門交番のある一帯)にあったらしいです。余談ですが、西武門交番の土地は、祖父と清松先生が寄贈したとの事です。
立派なご先祖様がいらっしゃったのですね!
@@ain3588 自慢話になったようで申し訳ないです。ボケないうちに、少しでも記憶を記録に残したくてコメントしました😇
大門前と書いて「うふじょーめー」と読みます
なかなか読みづらいですよね(^.^)大門前通りは、那覇の戦前の那覇のメインストリートでもあったんですね。
【1:15】「中城御殿の復元は、なぜ停滞しているのか?・・・首里杜構想」 2020.05.17より沖縄県は、2020年4月24日に「首里城復興基本方針」を発表しました。 基本方針の中で、歴史的環境の創出(まちづくり)として、「首里城公園及び周辺地域の段階的整備」を掲げており、沖縄戦で焼失した★中城御殿、★円覚寺、★御茶屋御殿の復元を明記しています。 円覚寺は、今年度(2020年)中に復元工事に着手するとしています。しかし2013年7月12日付けで、琉球新報が「尚家国宝、中城御殿へ、2022年度公開目指す」という記事を公開しています。記事によると、”県が復興計画を進める中城御殿に、那覇市が所有する国宝「琉球国王尚家関係資料」を寄託、展示する計画が進んでいる。 NPO首里観光協会(金城英輝代表)が那覇市議会に尚家国宝の県への寄託を求める陳情が、6月26日に採択された。1897年の「琉球処分」の際、首里城から中城御殿に移され、その後東京に運ばれ戦火を逃れた琉球の宝が、長年の時を経て首里に戻ることになる。 県は2022年度中にも中城御殿の一般公開を目指している。今後、中城御殿跡地整備検討委員会で、国宝受け入れに向けた施設整備の内容を詰める” とあります。中城御殿の復元については、2001年6月6日の那覇市議会6月定例議会で、翁長雄志市長(当時)が、(前略)「県立博物館が移転した跡地に中城御殿を復元し、尚家遺産の常設展示が出来ないものか、検討していきたいと考えております」と発言し復元計画について議論されています。★なぜ沖縄の琉球王朝に関する建築物の再建復興に20年以上もの年月がかりり、現在に至るまで未だに工事を始めることができないのでしょうか???もし、これらの建築物の再建復興がこれほどまでに遅れている理由を知っている方がおりましたら、教えてください。
コメントありがとうございます。理由については定かではありませんが、私もそれを切望します。
戦前の廃墟みたいな首里城正殿が好きだけど、復活してまた中華会館みたいになっちゃうのが嫌だな。
They use Chinese
Thank you for your comment. At that time, Okinawa was heavily influenced by China.
北部もみたいです。
わたしの父は明治20年那覇市松山町生まれです。1991年、61歳のときわたしは初めて沖縄を訪れました。首里城に行って帰り首里高校まで歩きました。夕方で柵から中を覗いてると生徒が7,8人ボールを蹴っていました。そのうちの一人がやって来て、何かご用ですかと聴いたので「ニューヨークに住んでるけど、私の父が明治時代に県立1中を卒業したので・・」といったら「そうですかー、握手してください」といって手を差し出しました。するとボールを蹴っていた男女の生徒がみんなやってきて全員と握手しました。「この辺でタクシー拾えるかしら?」というと、2人の男子生徒が、タクシーなら僕らが連れてきますといって駆け出し、タクシーを呼んできました。東京にもニューヨークにもこんないい生徒はいないなーと大感激しました。(ニューヨーク発)
ニューヨークから、ご視聴くださり、感謝感激です。
30余年前の素晴らしいエピソード、ありがとうございました😭
これからもよろしくお願いいたします。
毎回、貴重な写真の数々有難うございます! ところで「南陽薬品」は、祖父の金城保吉が同郷(大宜味村)の金城清松先生等と出資して起業したと聞いております。現在の「GRGホテル那覇東町」がある場所らしいです。又、倉庫は「那覇の記憶」に写ってるバスターミナル(現在の西武門交番のある一帯)にあったらしいです。余談ですが、西武門交番の土地は、祖父と清松先生が寄贈したとの事です。
立派なご先祖様がいらっしゃったのですね!
@@ain3588 自慢話になったようで申し訳ないです。ボケないうちに、少しでも記憶を記録に残したくてコメントしました😇
大門前と書いて「うふじょーめー」と読みます
なかなか読みづらいですよね(^.^)
大門前通りは、那覇の戦前の那覇のメインストリートでもあったんですね。
【1:15】「中城御殿の復元は、なぜ停滞しているのか?・・・首里杜構想」 2020.05.17より
沖縄県は、2020年4月24日に「首里城復興基本方針」を発表しました。 基本方針の中で、歴史的環境の創出(まちづくり)として、「首里城公園及び周辺地域の段階的整備」を掲げており、沖縄戦で焼失した★中城御殿、★円覚寺、★御茶屋御殿の復元を明記しています。 円覚寺は、今年度(2020年)中に復元工事に着手するとしています。
しかし2013年7月12日付けで、琉球新報が「尚家国宝、中城御殿へ、2022年度公開目指す」という記事を公開しています。
記事によると、”県が復興計画を進める中城御殿に、那覇市が所有する国宝「琉球国王尚家関係資料」を寄託、展示する計画が進んでいる。 NPO首里観光協会(金城英輝代表)が那覇市議会に尚家国宝の県への寄託を求める陳情が、6月26日に採択された。1897年の「琉球処分」の際、首里城から中城御殿に移され、その後東京に運ばれ戦火を逃れた琉球の宝が、長年の時を経て首里に戻ることになる。 県は2022年度中にも中城御殿の一般公開を目指している。今後、中城御殿跡地整備検討委員会で、国宝受け入れに向けた施設整備の内容を詰める” とあります。
中城御殿の復元については、2001年6月6日の那覇市議会6月定例議会で、翁長雄志市長(当時)が、(前略)「県立博物館が移転した跡地に中城御殿を復元し、尚家遺産の常設展示が出来ないものか、検討していきたいと考えております」と発言し復元計画について議論されています。
★なぜ沖縄の琉球王朝に関する建築物の再建復興に20年以上もの年月がかりり、現在に至るまで未だに工事を始めることができないのでしょうか???
もし、これらの建築物の再建復興がこれほどまでに遅れている理由を知っている方がおりましたら、教えてください。
コメントありがとうございます。
理由については定かではありませんが、私もそれを切望します。
戦前の廃墟みたいな首里城正殿が好きだけど、復活してまた中華会館みたいになっちゃうのが嫌だな。
They use Chinese
Thank you for your comment. At that time, Okinawa was heavily influenced by China.