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もう会う事の出来ない母親がこの時代を生きていたのだと思うと泣けてきます。
泣くなよ😢
いや、また会えますから。
国民がまだ裕福てもなく、そして不便な時代に一生懸命育ててくれた親に感謝。それに昔の親は自分の遊びよりも子を育てる事、家族を養う事が第一でしたから。。。
良いことばかりじゃなかったかもしれないけど、今の時代を生きる自分にとっては、「未来は今よりきっと良くなる」と信じて学んだり働いたりできたこの時代が本当に羨ましくてたまらない。
今も昔も同じじゃないですかね。単純に今は満たされ過ぎていて、おそらく良くなってる部分が見えづらくなってます。ただ失われてしまった良き部分も決して小さくはないかなとも思います。街中で子供達が自由に生き生きと遊び夢見ている姿が消え、塾だ中学受験だと過酷な現実と戦うのは本当に良き未来なのか考えさせられます。
@@os2man2さん、今の日本の政治を選挙で代えれば、希望はあると思います。私は【参政党】がいいんじゃないかな?って思っています。
@@kazuhikoikebe6102保守党が良いと思います
@@user-pm1tl9lb9h百田さん万歳
大丈夫!必ず「未来は今よりきっと良くなる」さ 2023/12/29
正直、スマホとかが無かった時代のほうが幸せが身近にあったように思えた気がする。
正直言ってマジ幸せだったよ。日本は高度成長期。給料も徐々に上がり「下から上へ」が当然のいわゆる「夢」を見れた。今は可哀想なのは未来の「夢」より「不安」が大きい。いちど下がる所まで下がらないとあの時代の「何か(幸セ感)」は得られないだろう😅
@@you8541私は日本がヨーロッパの様な安定と熟成期間に有ると思ってます。現在、アジア諸国やアフリカが成長期なので似た感覚が味わえますよ👍✨
無い物ねだり。なけりゃ欲しがり、溢れりゃ違うのがいい。…スマホがなかった時代がいい😮何かスマホ📱を持ったばっかりに、トラブルにあったんですか😃
@@kyokujitsunomao64 確かにそれは一理ありますね。還暦世代はまさに三丁目を体験。少年の心を踊らせた「将来の未来図」がモチベーションとなりました。あの時代の幸せは「創意工夫」とオタク文化の発展。携帯からスマホへと夢の実現。便利なのは良いけども同時に先の夢が見えなくなった。いまそれを体現できるのはアフリカやアジアの国々だろう。日本はいま伝統を見直し伝統を進化させる動きはとても期待してます。いわゆる「成熟期」。「熱さ」よりも「深さ」の時代かもね。
それはそういう面もあるけど昭和の暗い面を忘れてしまった点もあるのよ。
この頃は外を歩くとにおいがありました。今は少しでもにおいのするものは遮断され、建物自体、気密性が高いので、どこを歩いてもほぼ無臭です。子どもの頃は外で遊び、陽も落ちはじめると家々から夕食のにおいがしてきて、それが家に帰るサインになってました。懐かしい。
映画クレしん大人帝国の悪役yesterday once moreもそれに着眼してましたね。
このbgmを聞くと、条件反射で涙腺がうるんでしまう。日本人を童心へと返してくれる素晴らしいbgm。
なんでだろう、涙がとまらない
私は昭和40年生まれで、この映画の時代の少しあとに産まれました。でも、この雰囲気はとてもわかるし、とても懐かしく感じます。胸がキュンキュンします。令和の今の時代と、昭和のこの頃は本当に何もかもが違っていて、幸せの度合いが全くの別なものだと感じます。長い長い時間をかけて今の生活と今の自分になっているので、この頃の生活と自分に戻れるかと言ったら、違いすぎて、戻りたくても不可能と感じる。小さな幸せがたくさんたくさん身近にあった時代でした。
曲聞くだけでなんか泣ける
昭和の実態を知らない人間だから無闇に昭和は良かった…みたいな幻想を抱くわけではないけれど、この音楽のどこか懐かしくて温かく自分を包み込んでくれるような綺麗な旋律がたまらなく好きだ。
先祖から脈々と受け継ぐあなたの遺伝子に、それは残っているはずです。見たことは無くてもも感じることができるのは、そのお陰だとおもいます。
この頃のテクノロジーの進化は家電や自動車の普及に戦後初のオリンピック開催など、戸惑う人ももちろん居ただろうけど、登っていく希望の方が多かったと思う。しかし現代ではAiの進化にドローン、高齢化など未来に不安しかない。
進化は現代がピークであとは沈下していくのかな
ましてそれこそ高度経済成長から今は(建前上は自分で積み立てたということはあるが)年金を食い潰してゆく人たちの姿を見てるとバブルを指咥えて見てた世代やそれあとの生まれのひとは…不安しかないわなぁ。
この時代は、皆んな等しく貧乏で、でも皆んなが暖かくて、皆んなで幸せになろうと必死に生きていた。そんな時代だったと思います。
じゃあやっぱり日本はもう一度何も失って貧しくなった方がいいのかな。そうでもしないと人の心は動かないかも。
いつの時代にも長所があれば短所もある時代の流れに逆らってはいけませんよ
しかしながらこの時代犯罪率は今よりずっと多かったかと、強盗,殺人,強姦,等々。まあその手口はより直接的でそれはあまり手が込んでいなかった筈
残念ながら等しく貧乏というわけではありませんでした。まだまだ格差が大きく、特に都市部と地方の差がありました。その典型こそが0:56あたりの集団就職ですね。
なんか今は地域のつながりとかないよなー。近所付き合い、
この時代にタイムスリップしたい。不便だけど、人の情が濃い時代。とても素敵。
多くの人が各地に必要だろうな❤
まもなく69歳、東京タワーが出来た時は幼稚園でしたが、メンコ、ビー玉、チャンバラごっこに秘密基地で遊んで、〆は紙芝居の毎日でした。10円のお小遣いでアイスキャンディーを買うか、コロッケ2個買うかを真剣に考えてた自分がいました。この映画だけは一人で行ってボロ泣きしながら、けど小学校の同窓会のような懐かしさを感じながら見てました。夢とか希望なんて大それた物はありませんでしたが、毎日が楽しかった思い出はあります。
同感です、昭和35年地方の田舎から
自分はこの少年たちたより少し下の世代だけど街の夕暮れ、路地の暗さ、アセチレンランプのあかり、舗装されていない道…涙が出るほど懐かしいみんな貧しかった、だけど力強く元気があふれていた
携帯もパソコンもない、でも夢と元気はみんなが持てた時代!すべてが人の手で成り立ってた。こんな時代に戻ったら日本や世界中が再生されるかもなぁ。
東京タワーが建った同じ年にソ連は初の人工衛星を打ち上げ、そこから10年ちょっとの間にアメリカ人が月面を踏んで帰還した当時の少年はそりゃあ未来に夢を見るよなあ
先月、ばぁちゃんを亡くしました。通夜と葬送の儀の時にばぁちゃんの人生を振り返る動画が流れました。その時に Always 三丁目の夕日 の音楽が流れました。その日以降、この曲を聞く度にばぁちゃんの事や葬儀の事を思い出して胸が苦しくて張り裂けそうになります。😢
今の子供達に必要な道徳心を教える最高の教材だと思います。今の子供達はこの映画を観て何を思い、どう感じたかを先生と一緒に学んでほしいですね。孫を持つ私の率直な感想です。
今の方がずっとCGも進んでるけど、きっと今同じものを作っても、この映画を初めて見た時ほど心は動かないんだろうな。なんというか、唯一無二の良さがある。ああ、一度でいいからこの時代の子どもになってみたいな。未来はきっと今よりずっと良くなると、そう思いながら眠ることができたんだろう。
そのよくなった未来でこのコメントに泣かされてしまいました。生まれてきた子どもたちが同じように笑い、泣き、未来を希望にできるように頑張って、胸張って生きなければいけませんね。
やはり名作だなぁ。これだけで懐かしくて涙が止まらない。貧しかったけど幸せな時代だった。
しめつけられるような 懐かしさがある。物語に寄り添う音楽がセピア色の郷愁を誘いますね。遊んで帰る夕暮れ、晩ご飯のしたくのいい匂いが、どこからか漂ってきて、、。
まだ19歳なのにとても懐かしい気持ちにしてくれる映画。一日だけでもこの時代に行けたらな。
思ってるほど良くないよ?by当時の人間
@@XIIIRaphael だから1日だけなんだろww
分かる、無い記憶なのに、懐かしくなるって不思議なものですね、曲も相まって😊 (現中3)
原作はこんなに騒々しいハナシではないと思うんですがねえ。(´Д`|||)
この映画の公開からすでに20年近くが経過してしまったことに驚き
今日は、東京オリンピック開会式の日です。小生は、57年前の東京オリンピックの開会式の感動的なシーンを懐かしく思い出しました。 貧乏でしたが深い愛情を頂き、とても心は豊かでした。 映像の提供を、ありがとう😆💕✨ございました。 64歳の万年少年より 2021.7.23
この時代の数年あとに生まれました。オモチャは、年に一回、やっと買ってもらえるくらいでしたから、家に中に遊び道具はほとんどなく、毎日、夕暮れまで、外で遊ぶのが普通でした。砂と水を混ぜてだんごを作ったり、笹の葉を口にあてて吹いて音を出したり、あるいは船を作って川へ流したり、タンポポをつないでネックレスを作ったり、バッタやミミズをつっついたり、ツツジの花をもぎとって蜜を吸ってみたり、一日中ほっつき歩いて、お尻は毎日真っ黒に。今思えば、あの頃の子供たちは、けっこう自由だったと思います。懐かしいです。
このbgmのサビを聞いたらもう泣けてくる。涙腺崩壊するかも!!
日本人のDNAが疼くんですよ。遺伝子が受け継がれているんです。理屈のない懐かしさと自分よりも先ず他人が先という伝統の中にある日本人の心そのものだと思います。
この映画見に行った当時、CGでこんな使い方があったかと目から鱗だった。今では驚きはないけどまるでこの時代にタイムスリップしたような感覚で見てる間夢のようだった。ラストの夕日が奇麗で、もう現実に戻りたくないって思ったな。上映終わって照明が点いても、満席の客がしばらく誰も立とうとしなかったんだよ。あんな経験初めてだった。
今と違い本当に温かい時代だった。
いつの時代だって、1番大事なのは心の優しさと、自分の事だけじゃない、周りの気持ちも思える思いやりの心なんだと改めてつくづく思います。 この映画、何度リピートして観たか!一生大好きな大好きな映画です。
本当にその通りですね。
豊かさと幸せはイコールじゃないというのがよくわかる映画何回も見たなあ、懐かしい
自分が産まれて来る少し前の時代だから、全てをわかっている訳では無いけど。何処か懐かしく、泣けてくる。この時代の先輩たちか頑張ってくれたから今がこんなに豊かな時代になったんですよね。でも、自分はこの時代の方が物ではなくても心が豊かで、きっと今の時代には味わえないものが味わえた様な気がします。人と人との繋がり。今は有るのかなあ。
何でしょうこの曲。私を少年時代に戻してくれる曲です。いつ聴いても涙が出そうになります。
本当にいいお話しでした。この曲を聴くと昭和のあの日々の記憶が蘇ってきます。懐かしい…今より物は不便でしたが人情が熱かったあの時代……もう一度帰りたい、そう思ってしまう名曲ですね。
今日より明日は必ず良くなる時代だった。今は毎日不安になっていく時代。
むこう さんげん、両隣 今はないね!引きこもり、不登校イヤな時代になったもんだ
それ時代のだけのせいじゃないかも…?若い時って明日はいつもキラキラしてるもんだぜ。
itai@@sowhat7353
今の令和時代に、この作品をテレビで放送してほしいです!
なにもなくてもそれでも愛があって素敵な時代だったんじゃないかな
町並みがCGだという事を忘れてしまいそうなくらい綺麗な映像で感動します。この時代の事は映像でしか見たこと無い筈なのに何故か懐かしさを感じます
貧しかったし、汚かったし、不便だったし、いろいろ雑だったけど、もし一度だけ過去に戻れるなら、子供の頃の昭和に戻りたい。
貧しかったけど、未来が輝いていました。。
今、考えればトイレもくみ取り式で嫌でしたがまだ幼稚園から小学生だったので楽しかった事の方が思い出されます。夏休みの夜には校舎に大きな白い布を張り映画の上映会があったり、町会ごとに盆踊りがあって、盆踊りの梯子をよくしたものです。
貧しかった、、、豚の貯金箱、かあちゃんに、貸してって言われて、割った、遠い思い出。。。
山崎監督は当時そんなに汚なく無かったが自分の中の記憶やノスタルジーで鈴木オートの周りを汚しを入れた様に言っていましたね。
@@nyanneko964
懐かしいって、ほんとうに思えるんですよ。この映画、この曲。昭和生まれのおじさんには心にきてしまいます。
わかります。今は物が満たされているけど。あの頃は心が満たされていましたからね。
何回見ても飽きない。なんか温かい。
マジで何回泣かせれば気が済むんだってぐらいに泣ける。
これには心底、泣かされました・・ 三部作とも珠玉の宝物ような作品です。老後は無限ループ鑑賞ソフトになる予感です
昭和28年生まれです。みんな貧乏だったけど今より遥かに心の温もりがあったような気がします。この映画を観ると改めて昭和30年代の小学生で良かったと思います。
懐かしさが溢れて来ます。数え切れない程DVDを見たことか、堤さん始め出演者がもうぴったりで、素晴らしいストーリーでした。
昔は良かったと言っても 60年という年月を経たからこそ感じることのできる郷愁にすぎないのでは と私は思います 昔も楽しいこと苦しいこと両方ありました 今も同じですこの少し前は 戦争をしていた時代です 平和であることを前提にどのように生きていくのかが大切であるかがこの映画を通して考えさせられます
おじいちゃんおばあちゃんの話を聞かせてもらってこの映画を見よう!ってなりました。当時ってこんなにも人間味、生活感溢れる良き時代だったんだなぁとしみじみと感じました。今の時代が悪いわけではないですが、この時代の方がもっと人との交わりがあって楽しかったような気もする!!
金はなくとも、夢があった時代ですよね。心まで貧しくなる必要なんて無い。そう思わせてくれる。
何かと便利になった現代は、何かと世知辛い世の中になり、穏やかで過ぎた時間は、刺々しく過ぎている。だから、現代の若者がエモーショナルな昭和に惹かれるのではないかと思う。久しく、見に行きたいと思える、こんな良い映画が出て来ない。。
この時代には産まれてないのに何故か懐かしく涙が出る
そうか。みんな上を向いていたんだな。未来は今よりいいということにみんなが一点の疑いもなく過ごしていた時代だったんだな。
昨年還暦を迎えた僕には この風景は少しだけ記憶にあります 物心がついた頃で ここから東京いや日本は急成長を遂げる事となり 毎日毎日が発展で未来へと繋がって行く素晴らしい時代と時を過ごした様に思い 凄く懐かしく涙します 丸刈りで鼻水をたれて ランニングシャツに半ズボンそして裸足のスリッパばき 祖父や祖母もまだまだ元気でしたから そしてもう二人とも亡くなりましたが父と母の大きな声がして家中騒がしかったのを幼少でしたがおぼえています もし今この令和の時代に 父や母そして祖父母がいたならどう思うでしょうか?この時代と比べて?ぜひとも聞いてみたかったです!でもこの時代と同じ様に 令和も素晴らしい時代だったと言われる様に残して行きたいです!昭和 平成に負けないいい時代にしたいです!
「ゴジラ-1.0」のように、戦争にケジメを付けて、新しい時代に歩みだした先が「三丁目」なんですね。でもゴジラはあくまでもファンタジーで、実際には多くの日本人が、もがき苦しんで自分なりに戦争に落とし前を付けたんでしょうね。(弱いものは脱落したと思います。)「三丁目」を、そうした苦悩の末の話として見ると、決してノスタルジーだけではない、日本人の強い生き様を感じます。
映画公開当時は40年前の時代だったが、今や60年程前になってるんだよなぁ。。。懐かしいというより、遥か昔になってきてて本当に切なくなる。
この時代には僕はいなかったけど、今の生きずらく、ギスギスした世の中を思うと、本作のストーリーは素晴らしいと思う。暖かみ、人情が伝わってくるなぁ。
昭和36年早生まれなので、この時代は少し前。懐かしくもありますが、ガキの頃、都電は廃止が進み、東京タワーは完成していました。わずか数年で、東京の風景がガラッと変わったのを見ると、感慨深いものがあります。
五円で、駄菓子屋へ行き、チャンバラで遊んだあの日。練兵場、力道山、父に頼まれて買いに行ったシンセイ。みんな懐かしい。
この昭和の30年代懐かしいどこの家も平屋で丸いちゃぶ台夕飯食べていたな。あっちこっちに原っぱがあり手作りの飛行機飛ばして遊んでいたなー懐かしく思い出します。
私が産まれた時には既に東京タワーは完成していたものの、街中には都電やトロリーバスが当たり前に走り…(道路を横断する際など、よく都電のレールが埋まっている溝に足先を引っ掛けては転んでいました)…、浅草や上野恩賜公園へと通じる階段には傷痍軍人…(「傷痍軍人」と言っても、現在の若者には通じない?)…が陣取り、アコーディオンを奏でながら寄付を募っていたセピア色の光景を思い出します。浅草寺境内の脇では [ 啖呵売 ] のバナナ売りや “ サクラ ” がシクシクと泣いている隣で万年筆を売る [ 泣き売屋 ] 等も懐かしい限り。次第に都電の姿が消え行く様子を横目に、〈アメ横〉の魚屋で試食用の “ マグロぶつ ” を貰っては上野恩賜公園を中心とした上野界隈を駆けずり回っていたハナタレ小僧が私の幼少期〜少年期です。
いましたね、傷痍軍人。当時、母に連れられて何度か上野に行きました。たぶん、「上野動物園」に行った時だと思います。
@@user-pr8wj3ir5lさん。ご意見有り難う御座います。 母親から財布の中の小銭…(その時々によって金額はバラバラ、当時、100円は硬貨では無く、紙幣であったので、100円以上ではない筈?)…を受け取り、走って行っては前に置かれた白い布で覆われた箱に入れてました。募金をした直後、私の様な「鼻タレ小僧」に対しても深々と頭を下げる傷痍軍人の姿に、何故か居た堪れない気分に見舞われたものです。その影響か?傷痍軍人の姿は当に消え、成人となった現在でも、街中で募金活動を見掛けると、…(特に齢端の行かぬ小さな子供が参加している状況では)…率先して募金に協力したくなる衝動に駆られます。(一時期は募金し過ぎて、生活費に事欠く… (通勤定期の購入前であった時は、定期代まで募金して仕舞い、給料前の月末数日間は、徒歩通勤を強いられて仕舞った事も!)…位………。)
昭和の、良き時代、復興から、平和な日本に移り変わる、この背景をもっと、新しい時代にも、引き継いで欲しい。夏はランニングシャツに、麦藁防止、泥だらけで走り回る、冬は、火鉢で、お餅を焼いて食べる、凧揚げしたり、学校では、先生に、叱られて、廊下に立ってろ!何て言われた、懐かしき、あの頃が、甦る様な、作品です。平凡な中に常に、刺激を求めながら、毎日が、昭和の人にとっては、手応えを捉えながら、前向きな日本だったと、思いますね。
この世界観が大好き✨✨✨✨✨
なつかしくて、あったかい。便利さと引き換えに失ったものがいっぱい詰まっている。
昭和って、今思えば、夢の様な不思議な時代でした。
今、夕日を見ると綺麗には思う当時の夕日はもっと綺麗だったはずなんだけど、日常的に当たり前なことだったから考えたことなかったあの頃は良かったと思いながらも今を大切に生きていかないと
親父がこれ観て泣いてたなぁ親父は新橋の生まれで、都電の風景や東京タワーの景色をリアルに見て育ったと聞いた昔話をよくしてた、当時はやはり今と違い全てに希望が有ったんだって親父は老舗の蒲団屋の末っ子だったけど、暖簾を引き継ぎずっと頑張ってた時代はどんどん進んで変わって行ったけど、希望が有ったあの時代は忘れないって言う親父の姿に、何度も元気付けられたって言う昔話があるんですよ、僕の中で大切なお話がね
今を生きることに真剣になれるなら、今も美しい今を生きることに疲れたなら、過去を思い出すのもいいでも、過去に飲み込まれたり、立ち止まったりするなら、過去は美しくない過去が美しいのは、その時、みんなが真剣に生きていたからだと思う
懐かしい空気感です。みんな汚くて顔を真っ黒にして飛び回っていましたね 😊夕方、遠くから豆腐屋のラッパの音が聞こえると、また明日!と、みんな粗末な家に帰って行きました。夕飯は、粗末なオカズでしたが腹一杯になり身も心も満たされたものです。今の時代、物は確かに豊かになりましたが、心の豊かさをどこかに忘れてきた様な気がします。
この時代に生まれた親父に育てられた俺は若い頃本当に親父が鬱陶しくて早く独り立ちしたくて地元の静岡東部の田舎から上京したけど、親父が死んだ今は鬱陶しくて怒りっぽい親父が居た静岡に帰りたくてたまらない。親父頑張るよもう少し。
今でもこの時代っぽい空気感の建物たまに残ってるよね
そこがまたいいんよねぇ!
平成生まれだけど、うちの親は昭和生まれで、丁度この1950〜60年代生まれなので、この映画を家族で見た時に当時の自分は泣けないし、ただ昔の映像を再現してるだけじゃんと思っていたけど、現在20代になって改めて、込み上げてくるものがありますね😭因みに、映画館で親が泣いているところを見たのは、この映画と永遠の0だけだったと思います。日本史が好きで、明治維新期とか高度経済成長期とかやっぱり母国の成長する姿は大好きですねぇ
今ほど便利ではないですけど、生きる事に希望が溢れていた時代だと思います。そんな時代を知っている事が自分の宝です。
昭和から平成そして令和へと生きて来た者として、思い出すのは、、今の時代と比較して昭和の不自由さが当時は全く苦では無かった。あの不自由だった筈の昭和が何でこれ程までに懐かしく更にあの時代に戻りたいとまで思うのか🥺
自分は、昭和40年代生まれですが、子供のころはこんな感じでした。荒川の土手から見た高い建物は東京タワーとサンシャイン60で、今では考えられないと思いますが、子供のころの遊びは、空き地で、鬼ごっこやかくれんぼ、そして秘密基地なんてやっていました。裏路地でも、遊んで女の子たちはゴム段で遊んでいましたね。夕方なると各家庭から夕飯のにおいがしてきて、親が「ご飯だよ!」って言ってみんな解散して家に帰りましたね。その時その時の自分が育ってきた時代が、「よかった。」となると思いますが、完全アナログ時代自分は、そんな時代で育って来てよかったです。
昭和30年生まれ、同感です。
この頃俺生まれてないのに、日々バタバタ仕事して、週末とか一息ついた時、ふと定期的にこの映画見たくなるんだよな、このBGMも脳内再生されて、なぜか懐かしくなる。
あらためて良い作品だったなあと思います。
先週ゴジラ-1を観ました。特攻崩れの男、女性そして孤児の三人が生きて家族になろうとする物語でした。この映画も作家と女性そして男の子が家族になろうと生きる物語。ゴジラ-1の出発点はここに有ったかも。この映画にもゴジラが暴れて東京を破壊するシーンがありましたよね。どちらの作品も泣けました。
鈴木オートの社長も戦争の苦しい想い出が有りましたね。
実は2024年に初めてこの作品を見ました。淳之介役の須賀健太さんが自分の甥っ子の幼少期と雰囲気がとても似ていてびっくり。淳之介に感情移入しまくりでした(汗)この時代を知らない昭和生まれですが、母子家庭で生活は楽ではありませんでしたが、今思えば心までは貧しくなかったように感じます。(なんでもある今の世の中にいる自分の方が心が貧しいようにすら感じます)子供の頃を懐かしむことができ、心あらわれる作品ですね。劇中で流れる曲も素晴らしい。
この映画役者も歌もいいよね
正直原作そんな見てる人居るのかなぁ?ヒットしないんじゃないかな?って映画になると見たときに思ってた。俺は原作好きだったから見たけど、涙が止まらなかった。
戦時中に日本のために戦ってくださった方々のおかげで自分たちは生きていられてる。この時代に生きてた人たちは今よりも過ごしづらかったろうけど、その時代を必死に生き抜いていたことを考えると、本当に心の底から尊敬する。
100%同感です
今が辛くても未来に希望を感じられれば人は元気に頑張れる。そんなふうに思いました。
祖父母たちは、このような風景を眺めていたんだな~
昭和30年生まれ。まさにその時代の子供でした。
戦争で焼け野原になってから、まだ13年しか経ってなかったんだもんな。家族の事情で日陰を歩くしかなかった娘さん。空襲で家族を亡くしたお医者さん。でも東京タワーのように、みんな日本人は立ち上がってきたんだよなあ。
なかすな
狸の下りは見てて切なかった
山崎監督ってなぜ昭和30年代の「空気」をこんなに鮮明に描けるの?漫画を読み漁り少年ジャンプ発売1号を読んだ世代、怪獣ガメラ、ゴジラ。診療所の先生はベスパに乗っていた😂細かすぎる昭和、高度成長期の人々の生活感すべて完璧!マジ初泣きした映画😅
昭和30年生れです。あと2年で次の大台になります。今のデジタル化にも辛うじて付いて行けてはいますが、貧しくても家族が健在で愛情の詰まった時代私はこの頃は幼くて覚えていませんが子供の頃から古い写真と映像と生活用品やファッションが大好きでしたね。
現代は便利さを得る代わりに大事な何かを失ってしまった。こんな時代があったなんていまだに信じられない。羨ましい。
日本映画音楽史に燦然と輝く名曲だね❤
あの時代に戻れたら戻りたいですね。今の様にモノがそんなに無かった時代・・・。それでも逞しく人々が生きてた昭和の時代。昭和後半の産生れだけど、あの時代は本当に良かったです。子共達が活き活きしてた時代。小学校も一クラス40名が当たり前。それが6クラスもありました。
昭和は本当にいい時代だったんだろうね。自分は平成生まれだから、2000~10年が好き。311以降、スマホが急速に普及して、この5年くらいでTH-camが伸びてテレビの人気がガタ落ちしたね。
それがお前の感想ね他所にかけよ@@tomozo-rs3jf
この時代にできた家につい最近まで住んでいました。天井の高さ、木の床の心地よさ、柱の傷、木枠の窓、柔らかく光を散らすガラスの模様、白と水色に塗り分けられた壁。全てが懐かしく、愛おしく、もう失われてしまったことが悲しくて遣りきれません。長らく住んだその家と同じ時代。親しみ以上の気持ちがこみ上げて、泣けてきました。
ほんとに小さなひとつひとつの、今、日常化されてるようなことがこの時代は全部特別だったんだろうな。行ってみたいな。この時代に。
昭和33年、1958年、立教大学の長嶋茂雄選手がジャイアンツに入団、杉浦忠投手が南海ホークスに入団、東京タワーが立ち、少しずつ戦後の焼け跡から人々が立ち上がりそして貧しいながらも一生懸命働けばそれがお金になって戻ってくる。人々がみんな夢を持ち、努力すればそれがそのまま報われる、ある意味とても幸せな時代だったんでしょうね。そしてこれを書いている私が生まれた年。国が豊かになっていくことが実感できた時代なんですが、その分負の遺産もあるわけです。騒音、公害、景観破壊など、現代の環境問題の原点は実はこの時代にあるのです。昨年93歳でなくなった私の父もこの時代を支えた一人だったんですね。堀北真希さんが演じた六ちゃん、もし現代に生きていれば80歳になるはずです。
平成一桁生まれだけど、今思うと平成の頭のほうはまだ昭和の香りや面影が残っていたんじゃないかと思う。戦争経験のある祖父はまだ元気だったし、近所には昔からある駄菓子屋があった。思いっきり変わったのは2000年代入ってからじゃないかな。
今の便利な時代は、基本何でも探せばあるし、とっても便利。今こうやってTH-camでこの動画に出会えたり、SNSで情報発信したりして、同じ趣味や思考を持った人と繋がれる。自分はそんな「今」の時代が好きだけれど、この昔の雰囲気。もちろん今も変わらないのだけど人が暖かい。こんなにも人と人が触れ合う事がないと思う。なんかこの雰囲気いいなぁ
夢を持つことができた時代、「明日は今日よりも良くなる」と信じることができた時代。それが昭和30年代。よくしたり顔で「そんなもの幻想だ。信じるなんて馬鹿じゃないか」というものがいるが、そういう者はひねくれ者かその時代にまだ生まれていない者だろう。リアルタイムで過ごしてきた者たちは素直に平和を享受し希望を持ち続けたのである。
ワシのお母さんも白い割烹着を着て料理をしてたっけ。お母さんが作ったお雑煮を食べたいよ。
心地よい便利さと不便さのバランス、これが人の一番住みよい昭和だった気がします。手を伸ばせば、努力しさえすれば、何でも手が届きそうな、何でも理解出来そうな、そんな時代だった気がします。
何だか切ないBGM、淋しい時に聴くと心が癒えますね。建てかけの東京タワーもまた時代を感じます。
私は昭和34年生まれ🥰まさにこの時代を生きた世代です。何もかもすべてが懐かしい😂
今の時代よりかは、不便で不自由だったかもしれないけど、人の気持ちの温もりは、今の時代より沢山あったと思う😊
この曲作ったかた、天才だと思います私は昭和のもう少し後に生まれていますがなぜだか懐かしく切なく胸がキュッってなります🥲
街並みは何も無いけど、今よりいっぱい見えないけど幸せや正直があったのさ。
こんなきれいなことばかりじゃないけど癖になる他に代わりの無い漫画、映画
技術がいくら進んでも大事なものは変わらない、変わってはいけない。
Always三丁目の夕日の時代私が小学校のよねんせいくらいの頃です。懐かしさ1杯の映画ですね。あのさんぶさくは、DVDを購入してたまに見直しています。
もう会う事の出来ない母親がこの時代を生きていたのだと思うと泣けてきます。
泣くなよ😢
いや、また会えますから。
国民がまだ裕福てもなく、そして不便な時代に一生懸命育ててくれた親に感謝。
それに昔の親は自分の遊びよりも子を育てる事、家族を養う事が第一でしたから。。。
良いことばかりじゃなかったかもしれないけど、今の時代を生きる自分にとっては、「未来は今よりきっと良くなる」と信じて学んだり働いたりできたこの時代が本当に羨ましくてたまらない。
今も昔も同じじゃないですかね。単純に今は満たされ過ぎていて、おそらく良くなってる部分が見えづらくなってます。ただ失われてしまった良き部分も決して小さくはないかなとも思います。街中で子供達が自由に生き生きと遊び夢見ている姿が消え、塾だ中学受験だと過酷な現実と戦うのは本当に良き未来なのか考えさせられます。
@@os2man2さん、今の日本の政治を選挙で代えれば、希望はあると思います。
私は【参政党】がいいんじゃないかな?って思っています。
@@kazuhikoikebe6102保守党が良いと思います
@@user-pm1tl9lb9h百田さん万歳
大丈夫!必ず「未来は今よりきっと良くなる」さ 2023/12/29
正直、スマホとかが無かった時代のほうが幸せが身近にあったように思えた気がする。
正直言ってマジ幸せだったよ。日本は高度成長期。給料も徐々に上がり「下から上へ」が当然のいわゆる「夢」を見れた。今は可哀想なのは未来の「夢」より「不安」が大きい。いちど下がる所まで下がらないとあの時代の「何か(幸セ感)」は得られないだろう😅
@@you8541
私は日本がヨーロッパの様な安定と熟成期間に有ると思ってます。
現在、アジア諸国やアフリカが成長期なので似た感覚が味わえますよ👍✨
無い物ねだり。なけりゃ欲しがり、溢れりゃ違うのがいい。…スマホがなかった時代がいい😮何かスマホ📱を持ったばっかりに、トラブルにあったんですか😃
@@kyokujitsunomao64
確かにそれは一理ありますね。
還暦世代はまさに三丁目を体験。少年の心を踊らせた「将来の未来図」がモチベーションとなりました。あの時代の幸せは「創意工夫」とオタク文化の発展。携帯からスマホへと夢の実現。便利なのは良いけども同時に先の夢が見えなくなった。いまそれを体現できるのはアフリカやアジアの国々だろう。日本はいま伝統を見直し伝統を進化させる動きはとても期待してます。いわゆる「成熟期」。「熱さ」よりも「深さ」の時代かもね。
それはそういう面もあるけど昭和の暗い面を忘れてしまった点もあるのよ。
この頃は外を歩くとにおいがありました。今は少しでもにおいのするものは遮断され、建物自体、気密性が高いので、どこを歩いてもほぼ無臭です。子どもの頃は外で遊び、陽も落ちはじめると家々から夕食のにおいがしてきて、それが家に帰るサインになってました。懐かしい。
映画クレしん大人帝国の悪役yesterday once moreもそれに着眼してましたね。
このbgmを聞くと、条件反射で涙腺がうるんでしまう。日本人を童心へと返してくれる素晴らしいbgm。
なんでだろう、涙がとまらない
私は昭和40年生まれで、この映画の時代の少しあとに産まれました。
でも、この雰囲気はとてもわかるし、とても懐かしく感じます。胸がキュンキュンします。
令和の今の時代と、昭和のこの頃は本当に何もかもが違っていて、幸せの度合いが全くの別なものだと感じます。
長い長い時間をかけて今の生活と今の自分になっているので、この頃の生活と自分に戻れるかと言ったら、違いすぎて、戻りたくても不可能と感じる。
小さな幸せがたくさんたくさん身近にあった時代でした。
曲聞くだけでなんか泣ける
昭和の実態を知らない人間だから無闇に昭和は良かった…みたいな幻想を抱くわけではないけれど、この音楽のどこか懐かしくて温かく自分を包み込んでくれるような綺麗な旋律がたまらなく好きだ。
先祖から脈々と受け継ぐあなたの遺伝子に、それは残っているはずです。
見たことは無くてもも感じることができるのは、そのお陰だとおもいます。
この頃のテクノロジーの進化は家電や自動車の普及に戦後初のオリンピック開催など、
戸惑う人ももちろん居ただろうけど、登っていく希望の方が多かったと思う。
しかし現代ではAiの進化にドローン、高齢化など未来に不安しかない。
進化は現代がピークであとは沈下していくのかな
ましてそれこそ高度経済成長から今は(建前上は自分で積み立てたということはあるが)年金を食い潰してゆく人たちの姿を見てるとバブルを指咥えて見てた世代やそれあとの生まれのひとは…不安しかないわなぁ。
この時代は、皆んな等しく貧乏で、でも皆んなが暖かくて、皆んなで幸せになろうと必死に生きていた。そんな時代だったと思います。
じゃあやっぱり日本はもう一度何も失って貧しくなった方がいいのかな。
そうでもしないと人の心は動かないかも。
いつの時代にも長所があれば短所もある
時代の流れに逆らってはいけませんよ
しかしながらこの時代犯罪率は今よりずっと多かったかと、強盗,殺人,強姦,等々。まあその手口はより直接的でそれはあまり手が込んでいなかった筈
残念ながら等しく貧乏というわけではありませんでした。
まだまだ格差が大きく、特に都市部と地方の差がありました。
その典型こそが0:56あたりの集団就職ですね。
なんか今は地域のつながりとかないよなー。近所付き合い、
この時代にタイムスリップしたい。
不便だけど、人の情が濃い時代。
とても素敵。
多くの人が各地に必要だろうな❤
まもなく69歳、東京タワーが出来た時は幼稚園でしたが、メンコ、ビー玉、チャンバラごっこに秘密基地で遊んで、〆は紙芝居の毎日でした。10円のお小遣いでアイスキャンディーを買うか、コロッケ2個買うかを真剣に考えてた自分がいました。この映画だけは一人で行ってボロ泣きしながら、けど小学校の同窓会のような懐かしさを感じながら見てました。夢とか希望なんて大それた物はありませんでしたが、毎日が楽しかった思い出はあります。
同感です、昭和35年地方の田舎から
自分はこの少年たちたより少し下の世代だけど
街の夕暮れ、路地の暗さ、アセチレンランプのあかり、舗装されていない道…
涙が出るほど懐かしい
みんな貧しかった、だけど力強く元気があふれていた
携帯もパソコンもない、でも夢と元気はみんなが持てた時代!すべてが人の手で成り立ってた。こんな時代に戻ったら日本や世界中が再生されるかもなぁ。
東京タワーが建った同じ年にソ連は初の人工衛星を打ち上げ、そこから10年ちょっとの間にアメリカ人が月面を踏んで帰還した
当時の少年はそりゃあ未来に夢を見るよなあ
先月、ばぁちゃんを亡くしました。通夜と葬送の儀の時にばぁちゃんの人生を振り返る動画が流れました。その時に Always 三丁目の夕日 の音楽が流れました。その日以降、この曲を聞く度にばぁちゃんの事や葬儀の事を思い出して胸が苦しくて張り裂けそうになります。😢
今の子供達に必要な道徳心を教える最高の教材だと思います。
今の子供達はこの映画を観て何を思い、どう感じたかを先生と一緒に学んでほしいですね。
孫を持つ私の率直な感想です。
今の方がずっとCGも進んでるけど、きっと今同じものを作っても、この映画を初めて見た時ほど心は動かないんだろうな。なんというか、唯一無二の良さがある。
ああ、一度でいいからこの時代の子どもになってみたいな。未来はきっと今よりずっと良くなると、そう思いながら眠ることができたんだろう。
そのよくなった未来でこのコメントに泣かされてしまいました。
生まれてきた子どもたちが同じように
笑い、泣き、未来を希望にできるように
頑張って、胸張って生きなければいけませんね。
やはり名作だなぁ。
これだけで懐かしくて涙が止まらない。
貧しかったけど幸せな時代だった。
しめつけられるような 懐かしさがある。
物語に寄り添う音楽がセピア色の郷愁を誘いますね。遊んで帰る夕暮れ、晩ご飯のしたくのいい匂いが、どこからか漂ってきて、、。
まだ19歳なのにとても懐かしい気持ちにしてくれる映画。一日だけでもこの時代に行けたらな。
思ってるほど良くないよ?by当時の人間
@@XIIIRaphael
だから1日だけなんだろww
分かる、無い記憶なのに、懐かしくなるって不思議なものですね、曲も相まって😊 (現中3)
原作はこんなに騒々しいハナシではないと思うんですがねえ。(´Д`|||)
この映画の公開からすでに20年近くが経過してしまったことに驚き
今日は、東京オリンピック開会式の日です。小生は、57年前の東京オリンピックの開会式の感動的なシーンを懐かしく思い出しました。
貧乏でしたが深い愛情を頂き、とても心は豊かでした。
映像の提供を、ありがとう😆💕✨ございました。
64歳の万年少年より 2021.7.23
この時代の数年あとに生まれました。
オモチャは、年に一回、やっと買ってもらえるくらいでしたから、家に中に遊び道具はほとんどなく、毎日、夕暮れまで、外で遊ぶのが普通でした。砂と水を混ぜてだんごを作ったり、笹の葉を口にあてて吹いて音を出したり、あるいは船を作って川へ流したり、タンポポをつないでネックレスを作ったり、バッタやミミズをつっついたり、ツツジの花をもぎとって蜜を吸ってみたり、一日中ほっつき歩いて、お尻は毎日真っ黒に。今思えば、あの頃の子供たちは、けっこう自由だったと思います。懐かしいです。
このbgmのサビを聞いたらもう泣けてくる。涙腺崩壊するかも!!
日本人のDNAが疼くんですよ。遺伝子が受け継がれているんです。理屈のない懐かしさと自分よりも先ず他人が先という伝統の中にある日本人の心そのものだと思います。
この映画見に行った当時、CGでこんな使い方があったかと目から鱗だった。
今では驚きはないけどまるでこの時代にタイムスリップしたような感覚で
見てる間夢のようだった。
ラストの夕日が奇麗で、もう現実に戻りたくないって思ったな。
上映終わって照明が点いても、満席の客がしばらく誰も立とうとしなかったんだよ。
あんな経験初めてだった。
今と違い本当に温かい時代だった。
いつの時代だって、1番大事なのは心の優しさと、自分の事だけじゃない、周りの気持ちも思える思いやりの心なんだと改めてつくづく思います。 この映画、何度リピートして観たか!
一生大好きな大好きな映画です。
本当にその通りですね。
豊かさと幸せはイコールじゃないというのがよくわかる映画
何回も見たなあ、懐かしい
自分が産まれて来る少し前の時代だから、全てをわかっている訳では無いけど。何処か懐かしく、泣けてくる。
この時代の先輩たちか頑張ってくれたから今がこんなに豊かな時代になったんですよね。でも、自分はこの時代の方が物ではなくても心が豊かで、きっと今の時代には味わえないものが味わえた様な気がします。
人と人との繋がり。
今は有るのかなあ。
何でしょうこの曲。私を少年時代に戻してくれる曲です。いつ聴いても涙が出そうになります。
本当にいいお話しでした。この曲を聴くと昭和のあの日々の記憶が蘇ってきます。懐かしい…今より物は不便でしたが人情が熱かったあの時代……もう一度帰りたい、そう思ってしまう名曲ですね。
今日より明日は必ず良くなる時代だった。今は毎日不安になっていく時代。
むこう さんげん、両隣 今はないね!引きこもり、不登校イヤな時代になったもんだ
それ時代のだけのせいじゃないかも…?
若い時って明日はいつもキラキラしてるもんだぜ。
itai@@sowhat7353
今の令和時代に、この作品をテレビで放送してほしいです!
なにもなくてもそれでも愛があって素敵な時代だったんじゃないかな
町並みがCGだという事を忘れてしまいそうなくらい綺麗な映像で感動します。この時代の事は映像でしか見たこと無い筈なのに何故か懐かしさを感じます
貧しかったし、汚かったし、不便だったし、いろいろ雑だったけど、もし一度だけ過去に戻れるなら、子供の頃の昭和に戻りたい。
貧しかったけど、未来が輝いていました。。
今、考えればトイレもくみ取り式で嫌でしたがまだ幼稚園から小学生だったので楽しかった事の方が思い出されます。
夏休みの夜には校舎に大きな白い布を張り映画の上映会があったり、町会ごとに盆踊りがあって、盆踊りの梯子をよくしたものです。
貧しかった、、、豚の貯金箱、かあちゃんに、貸してって言われて、割った、遠い思い出。。。
山崎監督は当時そんなに汚なく無かったが自分の中の記憶やノスタルジーで鈴木オートの周りを汚しを入れた様に言っていましたね。
@@nyanneko964
懐かしいって、ほんとうに思えるんですよ。
この映画、この曲。
昭和生まれのおじさんには心にきてしまいます。
わかります。
今は物が満たされているけど。あの頃は心が満たされていましたからね。
何回見ても飽きない。なんか温かい。
マジで何回泣かせれば気が済むんだってぐらいに泣ける。
これには心底、泣かされました・・
三部作とも珠玉の宝物ような作品です。
老後は無限ループ鑑賞ソフトになる予感です
昭和28年生まれです。みんな貧乏だったけど今より遥かに心の温もりがあったような気がします。
この映画を観ると改めて昭和30年代の小学生で良かったと思います。
懐かしさが溢れて来ます。数え切れない程DVDを見たことか、堤さん始め出演者がもうぴったりで、素晴らしいストーリーでした。
昔は良かったと言っても 60年という年月を経たからこそ感じることのできる郷愁にすぎないのでは と私は思います 昔も楽しいこと苦しいこと両方ありました 今も同じです
この少し前は 戦争をしていた時代です 平和であることを前提に
どのように生きていくのかが大切であるかが
この映画を通して考えさせられます
おじいちゃんおばあちゃんの話を聞かせてもらってこの映画を見よう!ってなりました。当時ってこんなにも人間味、生活感溢れる良き時代だったんだなぁとしみじみと感じました。
今の時代が悪いわけではないですが、この時代の方がもっと人との交わりがあって楽しかったような気もする!!
金はなくとも、夢があった時代ですよね。
心まで貧しくなる必要なんて無い。そう思わせてくれる。
何かと便利になった現代は、何かと世知辛い世の中になり、穏やかで過ぎた時間は、刺々しく過ぎている。
だから、現代の若者がエモーショナルな昭和に惹かれるのではないかと思う。
久しく、見に行きたいと思える、こんな良い映画が出て来ない。。
この時代には産まれてないのに何故か懐かしく涙が出る
そうか。みんな上を向いていたんだな。未来は今よりいいということにみんなが一点の疑いもなく過ごしていた時代だったんだな。
昨年還暦を迎えた僕には この風景は少しだけ記憶にあります 物心がついた頃で ここから東京いや日本は急成長を遂げる事となり 毎日毎日が発展で未来へと繋がって行く素晴らしい時代と時を過ごした様に思い 凄く懐かしく涙します 丸刈りで鼻水をたれて ランニングシャツに半ズボンそして裸足のスリッパばき 祖父や祖母もまだまだ元気でしたから そしてもう二人とも亡くなりましたが父と母の大きな声がして家中騒がしかったのを幼少でしたがおぼえています もし今この令和の時代に 父や母そして祖父母がいたならどう思うでしょうか?この時代と比べて?ぜひとも聞いてみたかったです!でもこの時代と同じ様に 令和も素晴らしい時代だったと言われる様に残して行きたいです!昭和 平成に負けないいい時代にしたいです!
「ゴジラ-1.0」のように、戦争にケジメを付けて、新しい時代に歩みだした先が「三丁目」なんですね。
でもゴジラはあくまでもファンタジーで、実際には多くの日本人が、もがき苦しんで自分なりに戦争に落とし前を付けたんでしょうね。
(弱いものは脱落したと思います。)
「三丁目」を、そうした苦悩の末の話として見ると、
決してノスタルジーだけではない、日本人の強い生き様を感じます。
映画公開当時は40年前の時代だったが、今や60年程前になってるんだよなぁ。。。懐かしいというより、遥か昔になってきてて本当に切なくなる。
この時代には僕はいなかったけど、今の生きずらく、ギスギスした世の中を思うと、本作のストーリーは素晴らしいと思う。
暖かみ、人情が伝わってくるなぁ。
昭和36年早生まれなので、この時代は少し前。懐かしくもありますが、ガキの頃、都電は廃止が進み、東京タワーは完成していました。わずか数年で、東京の風景がガラッと変わったのを見ると、感慨深いものがあります。
五円で、駄菓子屋へ行き、チャンバラで遊んだあの日。練兵場、力道山、父に頼まれて買いに行ったシンセイ。みんな懐かしい。
この昭和の30年代懐かしいどこの家も平屋で丸いちゃぶ台夕飯食べていたな。あっちこっちに原っぱがあり手作りの飛行機飛ばして遊んでいたなー懐かしく思い出します。
私が産まれた時には既に東京タワーは完成していたものの、街中には都電やトロリーバスが当たり前に走り…(道路を横断する際など、よく都電のレールが埋まっている溝に足先を引っ掛けては転んでいました)…、浅草や上野恩賜公園へと通じる階段には傷痍軍人…(「傷痍軍人」と言っても、現在の若者には通じない?)…が陣取り、アコーディオンを奏でながら寄付を募っていたセピア色の光景を思い出します。
浅草寺境内の脇では [ 啖呵売 ] のバナナ売りや “ サクラ ” がシクシクと泣いている隣で万年筆を売る [ 泣き売屋 ] 等も懐かしい限り。
次第に都電の姿が消え行く様子を横目に、〈アメ横〉の魚屋で試食用の “ マグロぶつ ” を貰っては上野恩賜公園を中心とした上野界隈を駆けずり回っていたハナタレ小僧が私の幼少期〜少年期です。
いましたね、傷痍軍人。
当時、母に連れられて何度か上野に行きました。
たぶん、「上野動物園」に行った時だと思います。
いましたね、傷痍軍人。
当時、母に連れられて何度か上野に行きました。
たぶん、「上野動物園」に行った時だと思います。
いましたね、傷痍軍人。
当時、母に連れられて何度か上野に行きました。
たぶん、「上野動物園」に行った時だと思います。
@@user-pr8wj3ir5lさん。ご意見有り難う御座います。
母親から財布の中の小銭…(その時々によって金額はバラバラ、当時、100円は硬貨では無く、紙幣であったので、100円以上ではない筈?)…を受け取り、走って行っては前に置かれた白い布で覆われた箱に入れてました。
募金をした直後、私の様な「鼻タレ小僧」に対しても深々と頭を下げる傷痍軍人の姿に、何故か居た堪れない気分に見舞われたものです。
その影響か?傷痍軍人の姿は当に消え、成人となった現在でも、街中で募金活動を見掛けると、…(特に齢端の行かぬ小さな子供が参加している状況では)…率先して募金に協力したくなる衝動に駆られます。
(一時期は募金し過ぎて、生活費に事欠く… (通勤定期の購入前であった時は、定期代まで募金して仕舞い、給料前の月末数日間は、徒歩通勤を強いられて仕舞った事も!)…位………。)
昭和の、良き時代、復興から、平和な日本に移り変わる、この背景をもっと、新しい時代にも、引き継いで欲しい。夏はランニングシャツに、麦藁防止、泥だらけで走り回る、冬は、火鉢で、お餅を焼いて食べる、凧揚げしたり、学校では、先生に、叱られて、廊下に立ってろ!何て言われた、懐かしき、あの頃が、甦る様な、作品です。平凡な中に常に、刺激を求めながら、毎日が、昭和の人にとっては、手応えを捉えながら、前向きな日本だったと、思いますね。
この世界観が大好き✨✨✨✨✨
なつかしくて、あったかい。
便利さと引き換えに失ったものが
いっぱい詰まっている。
昭和って、今思えば、夢の様な不思議な時代でした。
今、夕日を見ると綺麗には思う
当時の夕日はもっと綺麗だったはずなんだけど、日常的に当たり前なことだったから考えたことなかった
あの頃は良かったと思いながらも今を大切に生きていかないと
親父がこれ観て泣いてたなぁ
親父は新橋の生まれで、都電の風景や東京タワーの景色をリアルに見て育ったと聞いた
昔話をよくしてた、当時はやはり今と違い全てに希望が有ったんだって
親父は老舗の蒲団屋の末っ子だったけど、暖簾を引き継ぎずっと頑張ってた
時代はどんどん進んで変わって行ったけど、希望が有ったあの時代は忘れないって言う親父の姿に、何度も元気付けられた
って言う昔話があるんですよ、僕の中で大切なお話がね
今を生きることに真剣になれるなら、今も美しい
今を生きることに疲れたなら、過去を思い出すのもいい
でも、過去に飲み込まれたり、立ち止まったりするなら、過去は美しくない
過去が美しいのは、その時、みんなが真剣に生きていたからだと思う
懐かしい空気感です。
みんな汚くて顔を真っ黒にして飛び回っていましたね 😊
夕方、遠くから豆腐屋のラッパの音が聞こえると、また明日!と、みんな粗末な家に帰って行きました。
夕飯は、粗末なオカズでしたが腹一杯になり身も心も満たされたものです。
今の時代、物は確かに豊かになりましたが、心の豊かさをどこかに忘れてきた様な気がします。
この時代に生まれた親父に育てられた俺は若い頃本当に親父が鬱陶しくて早く独り立ちしたくて地元の静岡東部の田舎から上京したけど、
親父が死んだ今は鬱陶しくて怒りっぽい親父が居た静岡に帰りたくてたまらない。
親父頑張るよもう少し。
今でもこの時代っぽい空気感の建物たまに残ってるよね
そこがまたいいんよねぇ!
平成生まれだけど、うちの親は昭和生まれで、丁度この1950〜60年代生まれなので、この映画を家族で見た時に当時の自分は泣けないし、ただ昔の映像を再現してるだけじゃんと思っていたけど、現在20代になって改めて、込み上げてくるものがありますね😭
因みに、映画館で親が泣いているところを見たのは、この映画と永遠の0だけだったと思います。
日本史が好きで、明治維新期とか高度経済成長期とかやっぱり母国の成長する姿は大好きですねぇ
今ほど便利ではないですけど、生きる事に希望が溢れていた時代だと思います。そんな時代を知っている事が自分の宝です。
昭和から平成そして令和へと生きて来た者として、思い出すのは、、今の時代と比較して昭和の不自由さが当時は全く苦では無かった。
あの不自由だった筈の昭和が何でこれ程までに懐かしく更にあの時代に戻りたいとまで思うのか🥺
自分は、昭和40年代生まれですが、子供のころはこんな感じでした。荒川の土手から見た高い建物は東京タワーとサンシャイン60で、今では考えられないと思いますが、子供のころの遊びは、空き地で、鬼ごっこやかくれんぼ、そして秘密基地なんてやっていました。裏路地でも、遊んで女の子たちはゴム段で遊んでいましたね。夕方なると各家庭から夕飯のにおいがしてきて、親が「ご飯だよ!」って言ってみんな解散して家に帰りましたね。その時その時の自分が育ってきた時代が、「よかった。」となると思いますが、完全アナログ時代自分は、そんな時代で育って来てよかったです。
昭和30年生まれ、同感です。
この頃俺生まれてないのに、日々バタバタ仕事して、週末とか一息ついた時、ふと定期的にこの映画見たくなるんだよな、このBGMも脳内再生されて、なぜか懐かしくなる。
あらためて良い作品だったなあと思います。
先週ゴジラ-1を観ました。
特攻崩れの男、女性そして孤児の三人が生きて家族になろうとする物語でした。
この映画も作家と女性そして男の子が家族になろうと生きる物語。ゴジラ-1の出発点はここに有ったかも。
この映画にもゴジラが暴れて東京を破壊するシーンがありましたよね。
どちらの作品も泣けました。
鈴木オートの社長も戦争の苦しい想い出が有りましたね。
実は2024年に初めてこの作品を見ました。淳之介役の須賀健太さんが自分の甥っ子の幼少期と雰囲気がとても似ていてびっくり。淳之介に感情移入しまくりでした(汗)この時代を知らない昭和生まれですが、母子家庭で生活は楽ではありませんでしたが、今思えば心までは貧しくなかったように感じます。(なんでもある今の世の中にいる自分の方が心が貧しいようにすら感じます)子供の頃を懐かしむことができ、心あらわれる作品ですね。劇中で流れる曲も素晴らしい。
この映画役者も歌もいいよね
正直原作そんな見てる人居るのかなぁ?ヒットしないんじゃないかな?って映画になると見たときに思ってた。
俺は原作好きだったから見たけど、涙が止まらなかった。
戦時中に日本のために戦ってくださった方々のおかげで自分たちは生きていられてる。
この時代に生きてた人たちは今よりも過ごしづらかったろうけど、その時代を必死に生き抜いていたことを考えると、本当に心の底から尊敬する。
100%同感です
今が辛くても未来に希望を感じられれば人は元気に頑張れる。
そんなふうに思いました。
祖父母たちは、このような風景を眺めていたんだな~
昭和30年生まれ。まさにその時代の子供でした。
戦争で焼け野原になってから、まだ13年しか経ってなかったんだもんな。
家族の事情で日陰を歩くしかなかった娘さん。空襲で家族を亡くしたお医者さん。
でも東京タワーのように、みんな日本人は立ち上がってきたんだよなあ。
なかすな
狸の下りは見てて切なかった
山崎監督ってなぜ昭和30年代の「空気」をこんなに鮮明に描けるの?漫画を読み漁り少年ジャンプ発売1号を読んだ世代、怪獣ガメラ、ゴジラ。診療所の先生はベスパに乗っていた😂細かすぎる昭和、高度成長期の人々の生活感すべて完璧!マジ初泣きした映画😅
昭和30年生れです。
あと2年で次の大台になります。今のデジタル化にも辛うじて
付いて行けてはいますが、
貧しくても家族が健在
で愛情の詰まった時代
私はこの頃は幼くて
覚えていませんが子供
の頃から古い写真と
映像と生活用品やファッションが大好きでしたね。
現代は便利さを得る代わりに大事な何かを失ってしまった。こんな時代があったなんていまだに信じられない。羨ましい。
日本映画音楽史に燦然と輝く名曲だね❤
あの時代に戻れたら戻りたいですね。今の様にモノがそんなに無かった時代・・・。それでも逞しく人々が生きてた昭和の時代。昭和後半の産生れだけど、あの時代は本当に良かったです。子共達が活き活きしてた時代。小学校も一クラス40名が当たり前。それが6クラスもありました。
昭和は本当にいい時代だったんだろうね。
自分は平成生まれだから、2000~10年が好き。
311以降、スマホが急速に普及して、この5年くらいでTH-camが伸びてテレビの人気がガタ落ちしたね。
それがお前の感想ね他所にかけよ@@tomozo-rs3jf
この時代にできた家につい最近まで住んでいました。
天井の高さ、木の床の心地よさ、柱の傷、木枠の窓、
柔らかく光を散らすガラスの模様、白と水色に塗り分けられた壁。
全てが懐かしく、愛おしく、もう失われてしまったことが悲しくて遣りきれません。
長らく住んだその家と同じ時代。
親しみ以上の気持ちがこみ上げて、泣けてきました。
ほんとに小さなひとつひとつの、今、日常化されてるようなことがこの時代は全部特別だったんだろうな。行ってみたいな。この時代に。
昭和33年、1958年、立教大学の長嶋茂雄選手がジャイアンツに入団、杉浦忠投手が南海ホークスに入団、東京タワーが立ち、少しずつ戦後の焼け跡から人々が立ち上がりそして貧しいながらも一生懸命働けばそれがお金になって戻ってくる。人々がみんな夢を持ち、努力すればそれがそのまま報われる、ある意味とても幸せな時代だったんでしょうね。そしてこれを書いている私が生まれた年。国が豊かになっていくことが実感できた時代なんですが、その分負の遺産もあるわけです。騒音、公害、景観破壊など、現代の環境問題の原点は実はこの時代にあるのです。昨年93歳でなくなった私の父もこの時代を支えた一人だったんですね。堀北真希さんが演じた六ちゃん、もし現代に生きていれば80歳になるはずです。
平成一桁生まれだけど、今思うと平成の頭のほうはまだ昭和の香りや面影が残っていたんじゃないかと思う。戦争経験のある祖父はまだ元気だったし、近所には昔からある駄菓子屋があった。思いっきり変わったのは2000年代入ってからじゃないかな。
今の便利な時代は、基本何でも探せばあるし、とっても便利。
今こうやってTH-camでこの動画に出会えたり、SNSで情報発信したりして、同じ趣味や思考を持った人と繋がれる。
自分はそんな「今」の時代が好きだけれど、この昔の雰囲気。
もちろん今も変わらないのだけど人が暖かい。
こんなにも人と人が触れ合う事がないと思う。
なんかこの雰囲気いいなぁ
夢を持つことができた時代、「明日は今日よりも良くなる」と信じることができた時代。
それが昭和30年代。
よくしたり顔で「そんなもの幻想だ。信じるなんて馬鹿じゃないか」というものがいるが、そういう者はひねくれ者かその時代にまだ生まれていない者だろう。リアルタイムで過ごしてきた者たちは素直に平和を享受し希望を持ち続けたのである。
ワシのお母さんも白い割烹着を着て料理をしてたっけ。お母さんが作ったお雑煮を食べたいよ。
心地よい便利さと不便さのバランス、これが人の一番住みよい昭和だった気がします。
手を伸ばせば、努力しさえすれば、何でも手が届きそうな、何でも理解出来そうな、そんな時代だった気がします。
何だか切ないBGM、淋しい時に聴くと心が癒えますね。
建てかけの東京タワーもまた時代を感じます。
私は昭和34年生まれ🥰まさにこの時代を生きた世代です。何もかもすべてが懐かしい😂
今の時代よりかは、
不便で不自由だったかもしれないけど、
人の気持ちの温もりは、
今の時代より沢山あったと思う😊
この曲作ったかた、天才だと思います
私は昭和のもう少し後に生まれていますが
なぜだか懐かしく切なく
胸がキュッってなります🥲
街並みは何も無いけど、今よりいっぱい見えないけど幸せや正直があったのさ。
こんなきれいなことばかりじゃないけど癖になる他に代わりの無い漫画、映画
技術がいくら進んでも大事なものは変わらない、変わってはいけない。
Always三丁目の夕日の時代私が小学校のよねんせいくらいの頃です。懐かしさ1杯の映画ですね。あのさんぶさくは、DVDを購入してたまに見直しています。