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昔から、四国では、よく唐がつく物や地名が多いよ、唐子浜など祭りのカッコが唐人で御面などで着飾っているよ!四国の人は他所から来る人に優しくて、お遍路さんには特に親切だよ、未だに親戚は半分くらい愛媛県に住んでいるよ、食べ物が豊富にあるから生活しやすいですよ
唐は加羅、伽耶、韓と同じ意味です、つまり朝鮮半島から来た渡来人の事ですね。
俺、愛媛県民やけど東京や大阪より徳島県がいっちゃん好きやぞ!
ありがとう。徳島県民より。
四国各県に事業所がある企業に勤務した経験があるんですが、やはり徳島市が一番特殊性を感じましたw
阿波国の阿南には古代辰砂採掘跡があったり、伊予の東の瀬戸内海側は、別子銅山など鉱山が多かった。宇摩地方の山中には金砂湖というのがあり、吉野川の支流の銅山川では砂金が多く取れていた。 8世紀には伊予国宇摩郡常里の金集史挨麿(カネアツメノフヒトヤカラマロ)という名の人が飛鳥寺で授戒したとの記録もある。
3000人の渡来人を連れてきた徐福が探してたのは不老不死の薬らしいが、その薬って水銀朱(辰砂)らしいのでここに大陸系の渡来人が取り付いてたと思う。
四国の者です。父方の祖父のご先祖様は、船で海外貿易をしていて、その貿易で得た宝物を地元のお寺に奉納した記録が残っています。ちなみに父は、実際にその宝物をお寺の方に見せていただいたことがあるそうです。ということで、四国は古くから海外との交流が結構盛んな地域だったようなので、渡来人の子孫が多くてもおかしくないと思います。あと、四国には平家の落人伝説が多く残っていて、都から流れ着いた人たちの子孫も多いので、その人達が渡来人の血を引いている可能性もあります。
大阪南部はほぼ韓国人です
四国出身やけど四国カルデラの調査とかいま進んでるらしいからまた新たな発見があればおもろいなって思ってる
さらに、私のYハプロも例に漏れずO1b2a1a1の弥生人系でした。弥生時代ではないけど、先祖は800年以上前に紀伊国から阿波に渡って来た熊野修験者であるとの伝承もあり、吉野川と紀ノ川を経由して阿波国は熊野、大和国とは繋がっていたともおう。吉野川沿いの古墳群や弥生時代の遺跡を見てもその時代から交流はあった。ってか吉野って大和国南部のことだし。
はぁ?😮
我が家は古代吉野国栖族の末裔です。我が家も明治以前は山伏で御師、御師宿をやってたみたいです。面白いのが、吉野郡は大和国の面積3分の2をしめながらも古代は国栖族の住む化外の地だったことです。
@@浄門道場 国栖族がいた紀ノ川の上流も吉野川ですね。古事記にて八咫烏が現れたあと吉野川の川尻(河辺?)で国栖族と合流してますね。この吉野川をさらに下っていくと紀伊水道に出て、そのまままっすぐ西に剣山を仰ぎながら淡路島南岸に沿って向かうと阿波国の吉野川に出ます。そこからまっすぐ西に遡ると阿波国の遺跡や神社や古墳群、剣山や祖谷に出ます。地理的にも中央構造線に沿って大和の吉野からまーっすぐです。
@@TheKzit1969 衛星写真から見ても吉野川、紀の川、それから淡路島を通って対岸の吉野川沿いに中央構造線がくっきり見えますね。神武天皇の大和征服時、吉野国栖族の祖の3神が井氷鹿、石押分之子、贄持之子ですが、神武天皇は吉野国栖族を滅ぼさないと決め、井氷鹿は吉野首長になりました。その飛鳥時代の末裔が井角乗といい、役小角の弟子となり、吉野修験の始祖となりました。口伝になりますが、山伏の頭巾とお尻に付けた毛皮の引敷は、国栖族から取り入れたものだそうです。
@@浄門道場 尻尾(引敷)の話、そうなのだろうとイメージしていましたが、あれって勇敢さを表すと同時に座布団だったんですね。また、趣味で北摂の低山をよく歩いていましたが、役小角を祭る祠や鳥居をよく見かけました。北摂も行者山などもあり修験者が多くいた場所のようです。四国では、吉野川の上流の伊予新宮に熊野神社の四国総本山があり、熊野12神をお祀りしています。修験者が修行を重ねていた四国の拠点が今の八十八箇所霊場になっているところも多くあるようです。(四国渡来人と離れてしまいましたね。苦笑)
古事記や日本書紀の国生みでは、淡路島からできたことになっている。阿波への道の島、あわじしま。阿波(徳島)が日本の首都だった時期がある。徳島とユダヤの関係と日ユ同祖論、ユダヤの祭りと神社の神輿、ヘブライ語。秦氏(秦の始皇帝)と幡多(はた)・八幡(やはたヤハウェ)と八幡様(はちまんさま)、稲荷(秦氏)とINRI(キリスト十字架に掲げられた文字)、いなり・いんり・ユダヤとの関係。犬神や蟲毒などの呪術や拝み屋は大陸(古代中国朝鮮)発祥と言われる、阿波の犬神、狗神、狐憑きと、お稲荷様。古墳時代の歴史書は大化の改新で蘇我氏の手によって焼失したため、謎とオカルトしかない。
高知には曽我部、宗我部と言う姓が多い、つまり蘇我氏の部が多かったって事でその配下の渡来人の所領も多かっただろう。長宗我部も氏は秦氏と公言してるし、蘇我氏没落の後、蘇我の部をその配下の秦氏が乗取った可能性は有ると思う。
@@simosimo-fs5gf 余談ですが、バンコラン(パタリロ!)等の名声優であった故曽我部恭也氏は長曾我部家の系統なのだとか。
香宗川の曽我部氏だから香曽我部を名乗りそれに倣って長岡の曽我部だから長宗我部になったと。総ては曽我部が最初にあって地名になりあとから来た宗我部氏が長宗我部になったんすね。鎌倉の頃の話だったような。歴史書に書いてました。でも、香曽我部は武田系曽我部氏で苗字もこちらに来る前は違うと聞きました。香曽我部は武田菱の家紋と戦旗で有名ですね、のぶやぼとかするとアレッてなるけどそうだ、武田系だったわってなるという
ヤマト朝廷期〜平安時代に四国が特別視というか尊重されているよね。なんでだろ?と思っていたのだが、蘇我氏→秦氏の支配領域と聞いてなるほどと納得いった。
@@谷内昌弘 成程💡😯そうなると、四国八十八箇所を修行しつつ廻っていた弘法大師(空海)の、知られざる裏の目的が見えてきますね🤔
そして、秦氏の氏は秦の始皇帝✨
渡来人は外人だけでなく、出戻り組もいたって説。
ても取り許さん、雷😢😂😮😅
約束は守れ、帝は忠義を尽くす。はあはあハイは一回ww
日本人の血統は渡来人と縄文人割合は平均9:1です、9はほとんど韓国人です、日本人が韓国人とそっくりなのはその為です
@@田上めぐみ-n8f 消す?私が?いやいや私にはそんな資格ありません
@@田上めぐみ-n8f 何を言ってるのかさっぱり分かりません、これから話せばいいんじゃないですか?自分の間違いを他人にするのはよくないです。
石川県の能登地方は、古くから渤海と交易していました。
リマン海流の一部が北陸に向かって流れていたから交易地になっていたんでしょうね。帰りは対馬海流に乗って北海道方面まで北上してからリマン海流に移って沿海州へのルートだったそうです。
@@bobuGsanだとしたら途中に交易地があったかも
@@shinchangreen36 そうですね。秋田能代湊や出羽、出雲などに使節が来航した記録がありますね。
弘法大師は密かに渤海との交易をして留学資金を稼いでいたという説がありますね
ですよね。自分は渤海国のあった地域との(当時は粛慎・挹婁かな?ウラジオストク周辺地域)交易ルートから古墳が伝わったのではと考えています。
由来のわからない巨大寺院?の跡が徳島県内陸にあるよ年代も規模もそして本格的大規模な調査もやられていない。
徳島県民だけど知らなかった。
何て言う寺院でしょうか❓ぜひぜひ、教えてください✨🙏🙇♀️❣️
@@かよちゃん-c2k 史跡名はこうざと廃寺、時代も範囲も不明確で現状広大な更地
卒アルの編集のバイトしてたけど、四国の子は卵型の輪郭、色白、スッキリした目の美形が多くてビビった。明らかに違う。渡来人多いって事なら納得。
四国は温暖で朝鮮からの渡来人達には住み心地良かったんじゃないかな。あと、徳島は本当に綺麗な所ですよ。
これ当時の地域による混血率以外にも現代の人の往来量もかなり反映されてるでしょ関西圏の中では四国はかなり人の出入りが少ない地域だから当時の混血率を維持しやすいわけで必ずしも当時の渡来人の定住数を反映してるわけじゃないと思うけど
その後に来た人は都会である近畿地方に定着して、わざわざ四国には行ってないということかな。あるあるですね。
ゲノム解析ではいつ頃、どのグループから分かれた存在なのかということも分かるので、畿内グループのゲノムと比較することでそれが畿内由来なのか、それとも別の系統なのかも分かると思います。まだサンプルが足りないんじゃないでしょうか。ちなみにご存知の通り、四国は昔から遠流の地で、数々の畿内で政争、戦争に敗れた人たちが逃げる、流されるを繰り返しているので、のちの時代になってから渡来系の血が濃くなった可能性はあると思います。
@@yasu7346 瀬戸大橋や明石海峡大橋ができるまでは、本当に関西は遠い遠い都会でした。
@@man-10 弥生時代の人骨をたくさん解析しないとわからないってことですよね
@@man-10それでも人の流れは地方から中央が主流です。
日本の最初の政治文化は四国阿波から、そして奈良とその周辺に、そして京都、大阪あたりに移る。今は江戸東京。文化の中心地が小さな場所から多くの人の集まりやすい場所へ移動するのはある意味当たり前だと思う。
自分は例の分布図では、四国と和歌山に渡来人の遺伝子が濃いように感じました。つまり、紀伊水道の両岸に多いって感じですね。渡来して来た先を朝鮮半島だけに限定する必要もないのでは?
そうですね
@@oniwakamarukumano8328 太伯の末裔とかもあると思う
@@TheKzit1969 さん可能性は0ではないでしょうね。
和歌山も以外も奈良、京都、滋賀、三重も四国と全くおなじ色やない?
@@oniwakamarukumano8328 私の先祖は源平合戦の時かそれ以前に紀伊から来た修験者と言われています。紀伊と阿波は一つだと思う。両方に吉野川があり、熊野と祖谷(同意らしい)があり。
四国在住です。戸籍で辿る高祖父母16人全員日本人、その上の判明している先祖も全員日本人なのですが、遺伝子検査をしたら、日本人86%・朝鮮民族13%・フィリピン人1%の驚きの結果でした。各家系の先祖を調査すると、源平藤橘の有名人複数と繋がり、やはりそういう事なのかと納得しました。
8:18 秦氏が奏氏になってる…
秦奏(はた かなで )当時の渡来系モデル。巫女。演奏者。シンガーシングライターで横笛奏者として有名な秦葵(はた あおい)の妹。弟は蹴鞠プロチーム阿波オドランカイのエースストライカーにして四国得点王の秦泰(はた やすし)。いとこに鉄器研究者の秦奉(はた まつる)がいる。
@@SoundOf_K39ww
これ系のやつ、面白いから、子どもとかにも見せたいけど、誤植とか誤読が多すぎるんだよなぁ。一万をいちよろず、とか読んだり。まぁ、よろずに間違いはないんだけど。
やっぱり「東征」はあったって事でしょうね。日本語での漢字の音読みは呉の発音が多く残っている。春秋の呉の滅亡の頃に断続的に九州東岸に上陸し、受け入れられ発展をしていった集団がいくつも出来上がっていった。時代が下り紀元後は朝鮮半島経由の流入が九州北部で頻発したのでしょうね。九州では先進小国家が乱立しつつ大陸との外交も始まった。外交の経験上、北部九州は大陸とのアクセスが良いのはメリットでありデメリットである事を学んだのでしょうね。だから更なる発展をするにはある程度アクセスの悪い防衛しやすい地域を求めていた。瀬戸内海の突き当たりの近畿エリアへの移住計画が実行されたのでしょう。また、九州に流入して後、豊後水道を渡る四国への流入ルートもできたのでしょうね。もちろん縄文後期頃黒潮に乗って四国へ漂着した渡来人もいたのでしょう。四国は多分縄文後期の寒冷化時代に東北の縄文人が南下してごく僅かな集落を形成し大量の九州経由の渡来人が入る一方で流動性が他の地域より少なかった。とにかく四国は特異です。九州の渡来系と近畿の縄文系のミックス国家となってから何が起きたか。九州から近畿へ流入して奈良王朝ができてから、彼らは防衛のためにどんどん東国人を九州へ送っていた。防人として望郷の念にかられながら帰郷がかなわず九州に住み着く人も年々増えたでしょう。その防衛体制は元寇まで続く。500年以上東国人が九州に送られていれば、渡来系のDNAも薄くなりますよね。
徳島出身のワイ、興味津々。
北海道は明治以降に全国から入植した移民が多いからたった50人の遺伝子検査では統計学的に偏りそうなんだけどどうなんでしょうかね
近代の開拓として本格的に入植してきたのは明治時代ですけど、実は鎌倉時代から和人が移り住んでいます。
熊襲征討の際に百済系の雑兵がエスニッククレンジングしまくったノイズが大きいので一足飛びに超古代と結び付けない方が良いと思います。
とっても興味深い動画でした!!私のご先祖様は平安時代以前は奈良にいたようでそれ以降もずっと近畿圏から出ていないこともあり、みんなめっちゃ渡来系の顔立ちです 笑一方、北九州出身の夫は「THE 縄文系」という顔立ちでゲノムの違いをひしひし感じてます💡私も遺伝子検査してみようかな〜と思っちゃいました📝
中国南部や台湾から黒潮に乗って四国に到着した渡来人が多かったのかとも思ったが、それならば九州南部も渡来人が多くてもよさそうだしな。古代の人は開けた広大な平野より適度に山に囲まれて水源がある地を好んだそうだけど、中央構造線により谷となって吉野川が流れる阿波は理想郷だったのかもしれない。
南九州は地質が終わってて、農業自体に適してないから大陸から来た渡来人は住みにかかったんじゃ無い?
@@爆弾鬼斬り 確かに昔はシラスの土壌は稲作には適さない土地でしたね。
火山性土壌は肥沃でインドネシアのジャワ島やアフリカのルワンダは人口密度が高いです。火山性土壌が共通点です。日本も地域全体でみれば火山性土壌が多い土地です。ただし作物を育てるには他の土地とは違って一工夫必要です。
その通りだよ中国南部のハプロ数値が四国だけ異常な数値逆に他日本人に多い朝鮮のハプロが四国沖縄だけほぼ入ってない北部九州から来た朝鮮弥生人は陸繋ぎでない四国には来なかった中国南部弥生人だけが来たということ中国南部弥生人の見た目はマレー系の南アジア形質だから四国は美形と無縁で他日本人よりも南方系の形質だから芸能人少なく南アジア形質のため骨格小さい為スポーツも弱い四国はほぼ中国南部人ということ
大江健三郎の小説に、縄文人につながるという「原・四国人」が出てくるが、あれは完全に大江の創作なんだろうか?
北海道のように当時は四国はニューフロンティアだったりして。
渡来人(→故郷に帰った人) vs 帰化人(→移民、混血して日本に定着した人)、を混同しないことが大切と思う。
「大切と思う」…キッショw 氷河期子供部屋壺ウヨ爺さんっていつも日本語ビミョーだよな😂
ネトウッちゃん「渡来人は渡来人じゃなくて元々日本に居た縄文人で世界各地に縄文文明を伝えたあと故郷に帰って来た」「アイヌは鎌倉時代に大陸から渡来して縄文人を滅ぼした。アイヌは先住民じゃない先住民は縄文人。縄文人は日本人」考古学的にはそんな結果になっていない。弥生渡来人は中国南部の人。遺伝子的にアイヌは本土人よりも、沖縄人よりも縄文人に近い。あとアイヌは日本の、北海道の先住民族じゃないって主張するのはロシアにとっては「日本の先住民族じゃないのなら、ロシアの先住民族ですね。」ってことになり好都合。最近、その手の主張はもしかしたらロシアのプロパガンダではないかと疑ってしまう。
故郷に帰った?どういうこっちゃ
私もそう思います❤混同しまいがちですが😅
@@yari-pg1tv 渡来人は明らかに縄文人と違うので帰ってきたわけではないのでわ。
四国、和歌山は「徐福系」の子孫ではないですか。「秦」の時代に3千人程が日本に渡ったそうです。
いつも楽しい配信ありがとうございます。とても興味深い内容でした。四国は日本が滅亡するときの最後の砦、その為の結界があるというのを思い出しました。動画と関係の無い内容かもしれませんが気になったので
ソノ結界って剣山ですかねぇ⁉️😅
四国については結界、隠されている、という意味の密教の手印があるというのを私も昔読んだことがあります。
近畿圏から遠ざけたい技術者集団を四国に集めたってのは説得力がある
@@user-th-monkey-kuro ただ忌部氏は阿波から各地に進出しているのですよ。忌部の祖神である天太玉、天日鷲はことごとく阿波から各地に、勧請されているのです。
阿波ってのは近畿にめちゃ近いんですよ。四国山地を越えた土佐ならいざ知らず、阿波に「遠ざけた」てのは全然説得力ない。
淡路島を経由するとして北も南も海を渡るけどそんなもの?
@@user-th-monkey-kuro そんなものです。古代人の感覚でも。イザナミイザナギの国造り神話を思い出してください。その舞台はどこでしたか?それほど皆が認識できるほど近しい土地です。海を隔てるなど、この島国の民にとっては大したことではない。土佐が鬼国と呼ばれたわけ、紀国が鬼の国に繋がる印象、すべて山ですよね。土佐は大歩危小歩危という難所を通り抜けなければいけない土地、紀州は役行者とともに語られる地。海よりも山で隔てられる土地の方が遠いんですよ。だから陸路で行く北陸が「越(遠いという意味)国」と呼ばれたんですよ。一方で瀬戸内各地と北九州などは近い土地なんです。船が使えるから。
@@島秋春 南海道に四国だけじゃなく紀伊が含まれてることがもう。
最近ペルシャ人も居たらしいってのを聞きました。
平家がペルシャ系だったかもという話もあるみたいですね
@@昔はベア 教えていただき、ありがとうございます。中国や韓国では残ってない中東がルーツのミトコンドリアDNAが日本に残ってたのは平家の栄華があったからかもしれませんね。☺️
聖徳太子の家庭教師にも日本人じゃないオリエント的な名前に読める当て字された人たちが発見されてるんだってね。祖国が生きづらい時期で逃げて逃げてたどり着いたんだろうかね
帰化人の名前から昔からも推測されてますね。50年くらい前に聞いた話です。
@@cherio1970 逆であったと記憶しています。中国や韓国は大陸だけあってY染色体やミトコンドリアから西ユーラシア系のものもわずかに検出されますが、日本からは近年の混血を省くと全く検出されていません。確かに鑑真はソグド人だったと言われていますが、そういった方の渡来はあくまでも一人二人という単位でしょうからね。
とても面白かったです。私も郷土史を研究している者です。私の住んでいる地域は高知県西部で「幡多(ハタ)」と呼びます。秦氏のハタから来ていると思われます。そして有名な観光スポットに咸陽島という場所もありますが、咸陽は中国での秦氏の本拠地でもあったとか✨四国のこともっと調べて頂きたいです❤
唐人駄場遺跡もありますから、渡来人との結びつきはあるんじゃないかと私も思っています。唐人駄場遺跡がちゃんと残されていればより学術的な調査もされて新しい発見もあっただけに残念ではありますが。
徳島県の阿波と千葉県の安房は同じで、海沿いに同じ系統の外国人が移り住んだ説があります。そして外人(縄文人以外)が持ち込んだ可能性が高い神道のトップクラスの格式の香取神宮・鹿島神宮があると。
漢書地理志呉地、後漢書倭傳などでは、弥生/後漢時代近畿、四国のあたりには呉など大陸から移り住んだ人たちによる東鯷(トウテイ)国とよばれる国があったと伝えています。祭事に銅鐸が使われ(ヤマトの支配で途絶える)、銅剣、銅矛を祭事に使うヤマトとは異なる人々が暮らす領域であったことが考古学的な遺物からわかります。
『日本へブル詩歌の研究』によると、日本全国に残る民謡の中の囃子言葉をヘブライ語で聞くと、全てに意味が有る事。そして、そのヘブライ語の時代が、古くは旧約聖書が作られた3000年前頃から、紀元後200年頃まで四回に渡って日本国に伝わった事が分かると言う。渡来人の中にユダヤ人も居た様です。
ずんだもんの音声を作った人は凄いと思う。魔理沙や霊夢とは比べ物にならない滑らかさ。とても合成音とは思えない。
瀬戸内特に四国側には水軍と呼ばれる船を自由に扱える部族が古くから海外と往来して交易をしていたから、中国・南方の人々とは繋がっていた。また空海の母親は中国大陸出身者一族の為、空海は幼い頃から中国語を話せ、中国に渡ってからも母親の一族の導きで仏教入門・勉強も破格の待遇でスムーズに行え短期間で色々吸収でき留学を終えることができた。
香川、徳島は縄文遺跡があまりないね。だから、容易に定着できたんだな
徳島市の矢野遺跡は西日本で最大規模の縄文遺跡。
いや、四国とか嘘やろ絶対九州人の捏造やろ九州が渡来人が多いと考えるのがどう考えても普通韓国から船で来れるし
論破されてて草😂
@@海原かもめ 正直くっそどうでもええよなだから何って感じ
「大陸から見たら九州北部が日本の玄関口である」という認識から違うんじゃないかと思ってますね。多分九州はほぼ外国と言う感覚だったんじゃないかな?日本書紀でやたらと淡路島が重要な位置に居るのが常に疑問でした。
高知県民ですが山間部の地域に何故か顔の作りが日本人っぽくない人をたまに見かけます。瞳も茶色でどっちかと言えばアラブ系な感じですがずっとその地域に先祖代々住んでいるそうです。
@@コロ助-y8n 縄文人ですね
高知には唐人駄馬とか唐浜とか異国の人を表す地名も残ってるし、アナナイとかクワナイとかアイヌっぽい地名もあり、巨大な磐座も存在する。海人族ルーツの痕跡が部落の存在なのかなとも思う。黒潮海洋圏として東京都の島嶼部との文化比較があれば面白いと思う。海外から帰国したのに市中の人達のスタイルが外国人みたいだって感じる。よさこいの派手な格好が似あうのはそのせいかも。朝鮮半島で迫害されていた職人たちを出兵後に高知へ連れ帰ったという話もある。だから豆腐が固い。香川徳島も山や平野に夥しい数の古墳が眠っている。空海の佐伯氏だけで数百に上る古墳群。外敵を遮るから佐伯という職業を名前としたのだとか。古代から瀬戸内海を渡る文物を関西へ送る交易が栄え、多くの鉱山もあったため四国はとてもいい立地なんだよね。
古代朝鮮半島の南部は日本の領土(前方後円墳 があるのが証拠)で普通に日本人が住んでいたし、百済は日本の属国だったので半島から来たのは普通に半島出身の日系の人達だったと言うべきで(現在でも百済の辺りに住む人達は韓国で差別されています)長江流域から来た人達だけを渡来人と言うべきだと思うよ
属国だったというのはどうだろう。古墳のソースがあったとしてもだいぶ乱暴な解釈だと思うけど。共存共生の不思議な文化圏だった可能性もあるわけで、そのころに日本と言う概念はもっとあいまいな物だったし。そういうことはもう少し学術的な経験値を積んでから発言すべきだと思うよ。
ほう。では学術的に日本人と半島人の状況を具体的に説明してみな。
その理屈で行くと朝鮮半島南部からはそこそこの割合で日本固有遺伝子であるハプログループDが検出されるのではないでしょうか?でも現実はほぼ検出されていませんので、日本→朝鮮という流れはかなり限定的であったことが想定されます。
任那、百済は日本人が作った。半島人でも日本人に近い顔がいるがその末裔だ
特に徳島県は他の県よりO型が多いって事も関係しているのでしょうか??
8:22 秦の字が違うように思います。
石川県のばあい 対馬→宗像 宗像町北九州市経由で日本海側を北上しています四国は当時遠賀川(北九州市八幡西区小彌御セ界隈まで入江=古遠賀湾→洞海湾→関門海峡から瀬戸内海→大阪湾から 暗峠超えて奈良と言うルートですねその途中の宿場?が四国です。
四国には 剣山も有りますしねw 一説には 剣山にキリストが眠っているとか・・・聖地だったのでしょうね。
渡来人(中国、朝鮮から来た人)の解釈はビミョーですね。中国、朝鮮の方から来た人が正しいのでは。もとの言い方だと渡来人=中国、朝鮮人に聞こえますよね。それはちょっと違うと思う。
消防署から来たと消防署の方から来たの違い
中国ではなく中国北部です、何故なら中国と北部は遺伝子が違いますからねつまり中国人は華夏族北部は扶余族です扶余族は高句麗と百済を作った民族で東夷族と呼ばれてますね。
中国北部では、五穀の長である稷(ウルチキビ)が育つとのこと。これより北は、米が育たないらしい😱食料が異なるとケンカになりますよ🙇♂️💦💦
水運が重要な時代ですし、海を越えてきた人たちだから、明石海峡も鳴門海峡も紀淡海峡も、山越えをするより苦にならなかったかと思います。どの程度の淡水化技術が有ったか解りませんが、水と食べ物、排せつ物の処理に困らないという意味でも、海を中心に考えて移住したでしょうね。
面白かった😀😀😀😀
関西や四国はいわゆる濃い顔は少ないよね
@@竈門炭治郎-r2u マジでそんなことない
それ、特定外国人では?
先祖が日本と朝鮮人のハーフだからだろ渡来人とか洒落た感じで言っても、所詮は朝鮮人又は中国人…
高知の人顔濃い。
四国の渡来人は弥生系の不老長寿を探していた秦氏で辰砂を宝として拠点として住み着いたんだろうね。
四国はよく知らんけど、大阪行くと気のせいじゃなくてマジで薄顔多い
そやな
天皇陛下も百済の子孫所謂渡来人ですからね。日本文化も渡来人が伝えたものばかり。
大阪は九州から来た人だらけだぞ。盆踊りが炭坑節のところまである。
夢の無い話になるけど、「比率」の問題だから、同じ数だけ渡来人が来ても、人口の少ない四国では比率が高くなるのでは?
北九州化から各地の第一波は真珠翡翠などの宝探しでしょう。大阪湾への第2波、吾妻などへ秦氏などの第3波は開拓移民で、現代で比率が高い地区は現地人と比較同率か低かったと考えられ、阿波で高度な技術があるのは、重要な物資があったからでそのなかでの石は古墳にも戦国の城・壕の基礎に使われています。四国勢は機内歴史のキーポイントでよく現れますから、機内中央権力との結び付きは強かったと思われます。
というか、日本人はみな程度の差こそあれ、渡来人の末裔ですよね。
@@ルート62 渡来人は元々日本に住んでいたスメラ(統べると言う意味)族の末裔で例えばアマテラス、スサノオ、ツクヨミ等の神々の一族で、各地の大王となり日本に帰ってきたのです!
日本神話だと淡路島が最初に誕生したし剣山とか宗教的に何か特別だったのかな?
渡来人としてひとまとめにしているけど、長江河口域系統の倭族と縄文人のゲノムが似ていた可能性があるから、朝鮮半島で混血したモンゴル系統のゲノムだけ強調された、後期渡来人分布として表れている可能性がありますよね。 鉄工技術に長けていたのは遊牧民族系の集団だったと言われています。そう考えれば北九州に渡来人の痕跡が薄い理由も説明できそうです。
結構前だけどイギリスが岡山県民は百済の子孫だと発表してた
道理で品のないやつが岡山に多いわけだ
くだらねえ奴が多い訳だ
日本人らしさはゲノムじゃねぇ、ってことだな。
日本は正統ユダヤ人が4割います。yaP遺伝子マイナス 優秀なのです。聖徳太子 ヘブライ語 ほりが深く大きかった。日本人のルーツユダ王朝(ダビデ王朝 神武天皇から男系男子で 八咫烏三種の神祇に守られています。
いや、九州にいってないんじゃない? 対馬から日本海を東に向かって出雲あたりで上陸して……みたいなことだったかもしれない。魏志倭人伝の「一大国」は壱岐とするのが通説だが距離や人口の点で矛盾があって、九州に向かわず出雲方面に(対馬海流に乗って)向かったといっている人がいる。
これ間違っていると思う。あのマップみたいな奴は縄文人の定義を明記していないし、本当の縄文人はN9bとかM7aの女性から生まれてきた人達で、渡来人も大きく2つのグループに分けられて、朝鮮半島経由で入ってきた弥生系と長江下流で入ってきた古墳系の2つに分けられて、古墳系が割合が多いので四国というだけ。それでこの古墳系こそが大和民族の祖先で日琉祖語を話していた勢力だと思います。
そうは言っても弥生系とされているハプログループO1b2が現代日本人には最も多いですよ。渡来系とされてるハプログループO2は弥生系、縄文系に次ぐ3番手ですね。そもそもハプロO2は漢民族のみならず朝鮮人にも凄く多い型なので、古墳期の渡来のみならず弥生系にも多く居たという指摘もありますが
悔しいのか?さっさと故郷にかえって母の母乳でも飲んでいれば?
14:09渡来人が縄文人を迫害しなかったと考えたほうが効率よくないですか?戦争の概念を縄文人よりあったはずなので。おそらく、朝鮮半島ですでに交流があったんでしょうね。で、少しづつ一緒に海を渡り、物流や情報交換してその親族や一族が少しづつ海を渡って来たというほうが理屈として成り立ちやすいです。
アカホヤの大噴火の為に、九州は住みにくい土地に成っていたと思うし、近畿地方は大和王権があるから、海で隔てた四国へ渡来人が多く移り住んだのかな?
偏西風の影響で九州(とくに北部)より四国の方がダメージが大きくて人口密度が低くて土地が確保しやすかったからかも。
逆です。火山がある土地は肥沃なので住みやすいです。インドネシアのジャワ島が人口が多い理由はそのためです。ただ火山なんでたまに災害があるんでしょう。あとは土壌が違うんで大陸とは育ちやすい作物が違っていたとも考えられます。
@@Muttonpalov 日本は黒ボク土だからそれは無理です。リン酸欠乏症になるので日本では火山性の土地では農業は向きません。
@@おせんうみと ジャワ島も黒ボク土です
@@Muttonpalov 黒ボク土が活用される様になったのは戦後のはずです。
今は、川口に渡来人が増えてますね
こんにちは、亀の楽園岡山のよしです。日本に渡来したクサガメという亀の遺伝子が各地域に寄って日本には4種類ぐらいの遺伝子に分かれてるみたいなのですが、石川県の遺伝子も日本の中で4分の1の違う遺伝子みたいなので海外から持って来られた亀の渡来した証拠になるように思いました。
高知の人は顔が濃いから違うと思う。
魏志倭人伝の距離測定的にも今は阿波が固いだろうしなぁ
空海さんは四國産まれで漢語が得意だったとか
ちなみに私の本籍は金田町金川で、近くに金生川も流れてる。ここから法皇山脈の峰を南に越えると金砂湖がある。😂 渡来人がおおく住んで、馬の牧もあったらしくこれが宇摩の由来とも言われてる。充分渡来人が来る理由があるよ😊
百済からの渡来人が馬をたくさん飼ってたとかって聞いたことありますね、金田の半田は「秦」から転じたとか
@@33rd_Head_Of_The_Family そういえば昔からその辺りに栗タルトの美味しい畑田本舗っていう和菓子屋さんがありますよね。この姓も秦氏からっぽい。
ラブレターフロムカナダー
弥生系の割合が最も高い関西に住んでいるが、縄文系の多い地域に住んでいたら、また違った人生だったのだろうかと思う。
違う遺伝子の異性に惹かれるので縄文系の中に弥生系来るとガチでモテます。
日本には縄文より前の旧石器時代の痕跡もあるのでそのあたりも是非調べてみて欲しい!
四国の特に徳島って攻撃的で激しい人が多いなぁってイメージだったのよw
関東人が関西に来て感じる事の、確か7~8位くらいに、「顔、薄っ!」っていうのがあったのと、私が20歳くらいの時に、知っている四国出身の人、みんな「顔、薄っ!」って思ったことがあるのを思い出した。今頃つながったかも!
先祖から阿波伊予讃岐の血を引く生粋の四国中央人でDNAもトライ系弥生人ですが、中国駐在時に自称ハーフで通じていたくらい濃い顔です。帰国してユダヤの血だって言われたけど、それは受け付けてません。😂
体感では関東の人の方が顔薄いけどね
関西でも都市部とかだと全国から来るし、本人じゃなくても両親や祖父母が他所から来てる場合多いからその薄いって顔は関東人かもよ?そもそも関東も都市部とかは関西出身多いと思うし、兄も北海道にいたり、今は東京にいるけど、顔は濃いめだから関西人ってあなたは見ても思わないと思う四国の田舎出身だけど、薄い顔はもちろん濃い顔もいるし中にはハーフにしか見えないタイプもそれなりにいるから関西薄いって先入観だと見ても勘違いしてしまうと思うそもそもあなたも薄い顔の関西人の1人って他人からは見られてるかもよ
関東人が関西に来て感じる事のアンケートで、7~8位くらいに「顔、薄っ!」っていうのがあった事を思い出しただけなんで・・・。私も関東には行ったことがないので、アンケートの関東人に聞かないとわかりません。
移住が多い近畿はまだしも、移住が少ない、特に瀬戸内海側ですらない高知の比率が高い事を考えると、四国全体が渡来人の居住区だったかもね
日高見国の東日本は西日本のヤマト論争を高みから見物
本州出身の四国住みですが、いわゆる東予、西予、西讃の方を見ていると、すごく特徴が一致した人を見ることが多くて驚きます。口元と目元です。気のせいと言われますが…。
If you could count the tribes of present Britain, you may count the same numbers of modern Japanese.
徐福伝説に一票畿内に近くて当時大和人が少なかったので拠点にしたのでは
縄文人も弥生人も日本語をしゃべっていたので争いがなっかった。
元のデータ収集方法に問題がある!
空海が有り得ない速度で外国語を習得したのは誇張なのか産まれた環境から当たり前に話せていたのかどうなのでしょうか?
倭国にその言語を話す者がいた
当時の日本語は発音を含めて中国語に近かったので習得しやすかった、と思う。
先代が古来朝鮮だったらやだなぁ・・・
元を辿ればアフリカ😂
なんか偉い先生はそれもまだ分からんって言ってました。ホモサピエンスが発生して最初の数十万年のDNAはまだ採取できてないらしく。これがヨーロッパでも出たとかなんとか、、、アフリカ以外から出ると説は逆転するらしいです。2000年前の弥生人と朝鮮半島南の方は、同じ倭人系だったことが古人骨DNAからわかっているようですけど。
以前は「渡来人」と言わず「帰化人」と言っていました。また「大和王権」と言わず「大和朝廷」と言っていました。
阿波は倭。聖徳太子も阿波で生まれたってことですよ。
大西は渡来人がルーツなんや、🤔日本より大きく西に位置しているって事かな?何となく自分の苗字の意味と祖先の事が分かりました。
なんか古墳人とかいう人の存在も分類され始めたよね最近、
渡来期の、大和王朝の幾内と朝鮮半島などを結ぶ渡来人の重要な航路が瀬戸内海だったのでしょう
四国は、縄文時代の早期・前期・中期・後期・晩期に於ける遺跡が多く残ってます。😮😮😮😮😮
どちらかと言うと、半島他近隣地域より寧ろ中東方面から海流に乗って渡来してきた人達の方が多い気もする…
九州北部や山口県あたりは防衛拠点として重要な位置にあるから、そこに渡来人を住まわせるのはリスクがでかいからなぁ。そこに住まわせるなんてリスクヘッジ考えたら無理筋。
付け加えて 可の アインシュタインも 四国劔山を 訪れて居ます 勿論 博士も ユダヤ人です!
古事記では淡路島は日本国の長男ってなってますね。
平安時代の坂上田村麻呂の東せい後、エミシのふしゅうで戦闘能力が高かったエミシを関東や九州へ派兵したから、関東や九州に縄文DNAが多く残ってるという事でもあるらしいですよ。のちの時代に板東武者や薩摩隼人のような強い武士になった理由でもあるらしいですよ。渡来して来る人は半島から来るから皆渡来人だと思ったんでしょうね。アカホヤの噴火で西日本に住めなくなった人達が大陸へ避難して来た、かつては渡来人と呼ばれた出戻り縄文氏族もいるようですよ。長江流域に倭人の集落があるという中国の文書や、新羅の初代王が倭国出身と書かれていたり、新羅の倭人が攻めて来たと書かれた高句麗の碑文もあるので避難した人たちが居たのはほぼ間違いないのかと、だから新羅、百済、加羅と仲が良かったり倭人の古墳がいっぱいあるんでしょうね。奈良時代の木簡に書かれたペルシャ人の役人も、避難してペルシャまで行った氏族が世代を経て戻って来たら、見た目がペルシャ人だったからペルシャ人の役人と書き残されたかもしれませんね。たとえ権力者が変わっても、あくまで日本のトップは縄文の王族だから、圧倒数の縄文人や出戻り縄文人やいくつかの渡来人たちが付いて来て纏まって今の日本まで男系にこだわって続いてるんでしょうねえ。秦氏はバックアップに徹したから、大王のお墨付きをもらって自分たちの影響(稲荷神社や八幡神社など)を全国に広められたんでしょうねえ。
縄文系が大陸に渡ってたら大陸の方にも、ハプログループD1a2a系残ってるよ殆ど残ってないから、殆ど出てないという判断になる
韓国、ミクロネシア、ティモール島、中国にD1a2aは残っていますね。中国の場合はかなり薄まっていますが、これは北方民族やモンゴルからの侵略を何度も受けているためかなと考察しています。神話の三貴子で天照は中国南部、月読は月氏族、素戔嗚は朝鮮半島の縄文系出戻り渡来人を表しているんじゃないかなと妄想してます。
北海道、東北や九州、沖縄の人達はお酒強そうなのも納得そうやって考えると四国の高知の人達がお酒が強いのが不思議耐性ではなく根性???それとも容堂公リスペクト???
四国って真ん中に山があるから移動が面倒で、現代でも香川とかから行くなら愛媛を通って行かないといけないから、高知は四国の中でも陸の孤島なんだと思う。動画では大雑把に四国で括ってるけどよく調べたら高知だけ数値が変わる可能性はあるよね
そういうイメージがあるだけで、酒豪遺伝子(ALDH2)発現率の都道府県ランキングだと高知が14位だから対して強くないよ。ちなみに1位は青森で、2位の沖縄をのぞいて6位までを東北5県が独占。残りの"東北で最下位"の福島ですら13位だから、"四国で最上位"の高知よりランキングが上。
高知県出身ですが、実際にお酒が強い人は多いです。僕の家も代々高知県ですが僕は一滴も飲めない下戸です。ちなみに高知県に来たらわかると思いますが、鹿児島のような顔の濃いひとが結構います。だから元は縄文ベースなんじゃないかと思いますが、顔が縄文で一滴も飲めない僕みたいな人たちは何処から来たのだろうという不思議があります。
@@man-10不思議な話ですね。色々な要素が合わさって、今の私達が居るのかもですね。ちなみに私は顔は超薄い塩顔ですが体毛は外国人も尻尾を巻いて逃げるレベルで毫毛ですwこんだけ体毛濃いなら顔も濃くしてくれよ……と年頃の頃は思ったものです😂
「酒好き」と「酒に強い」のは少し違う気もしますね(^_^;)💦
渡来人は国の宝であります
確かに渡来系が強い関西や四国って顔薄い人多いのと、皆気が強い
四国って堀が深いけど?弥生系はむしろ山陰や日本海側に多い。勿論大陸からの玄関口だし。ゲノムが〜とか言ってるけど参考文献は?北海道のウポポイこそ、DNA調べるべき。
@@言論統制するヨウツベ だからそれが違うんやって。四国 渡来系って調べろ。東大とか日経とか色んなとこが記事にしてるぞ。遺伝的な証拠や。
四国も関西も関東と比べて顔が濃い気がするけどね
@@言論統制するヨウツベ だから、渡来系の遺伝子が強いっていう文献あんねん。東大も理化学研究所も日経も出してるわ。近畿地方や四国地方は日本の他の地域に比べて大陸の渡来遺伝子が強いっていう記事、結果たくさんありますよ。調べてくださいよ。
実は濃いめも多いよ芸人のイメージだったり、ヤクザ系のイメージだと思うそもそも四国方面に至っては行く人がそもそも少ないので実物を知らなかったりするしね実際は顔のバリエーションそのものが多いし濃いはっきりしたタイプも多いよ実は関東のが一般人はあっさり顔多かったりすると思うよ
ゲノムで年代確定できる日が来たらいいですな。空海がサンスクリット語話せるようなので、空海さんの時代にはインド人もいたんでしょうね。日本カレー起源は、阿波?いや、カレーうどん起源が讃岐なのか???(笑)
空海がサンスクリット語を話せるのは中国に行って勉強したからだろ。じゃあジョン万次郎が英語喋れるから日本にはアメリカ人がいたのか?
@@Bloomerschwater 大陸行き前には、話せたらしいよ。伝承では、仁徳朝から大王家の壬生(家庭教師)と近衛的家柄だったらしい。ほんとかな🤣知らんけど。
四国劔山には ユダヤの 契約の箱が 隠されてい居ます 其処には 宮内庁管轄の道路迄有ります 空海も 其の事を 知って居た 可能性が有ります
新羅の王にも倭人がいた事を考慮して朝鮮半島での倭人達の力が強かった証拠であり朝鮮半島にあった中国の技術を倭人が日本に持ち帰ったとの意見もあるね
発掘人骨や遺物の地層年代や炭素14年代測定、瀬戸内海の海進具合、それらの結果と解釈はどうなっているのだろう🤔
昔から、四国では、よく唐がつく物や地名が多いよ、唐子浜など
祭りのカッコが唐人で御面などで
着飾っているよ!
四国の人は他所から来る人に優しくて、お遍路さんには特に親切だよ、未だに親戚は半分くらい愛媛県に住んでいるよ、食べ物が豊富にあるから生活しやすいですよ
唐は加羅、伽耶、韓と同じ意味です、つまり朝鮮半島から来た渡来人の事ですね。
俺、愛媛県民やけど東京や大阪より徳島県がいっちゃん好きやぞ!
ありがとう。徳島県民より。
四国各県に事業所がある企業に勤務した経験があるんですが、やはり徳島市が一番特殊性を感じましたw
阿波国の阿南には古代辰砂採掘跡があったり、伊予の東の瀬戸内海側は、別子銅山など鉱山が多かった。宇摩地方の山中には金砂湖というのがあり、吉野川の支流の銅山川では砂金が多く取れていた。 8世紀には伊予国宇摩郡常里の金集史挨麿(カネアツメノフヒトヤカラマロ)という名の人が飛鳥寺で授戒したとの記録もある。
3000人の渡来人を連れてきた徐福が探してたのは不老不死の薬らしいが、その薬って水銀朱(辰砂)らしいのでここに大陸系の渡来人が取り付いてたと思う。
四国の者です。
父方の祖父のご先祖様は、船で海外貿易をしていて、その貿易で得た宝物を地元のお寺に奉納した記録が残っています。
ちなみに父は、実際にその宝物をお寺の方に見せていただいたことがあるそうです。
ということで、四国は古くから海外との交流が結構盛んな地域だったようなので、渡来人の子孫が多くてもおかしくないと思います。
あと、四国には平家の落人伝説が多く残っていて、都から流れ着いた人たちの子孫も多いので、その人達が渡来人の血を引いている可能性もあります。
大阪南部はほぼ韓国人です
四国出身やけど四国カルデラの調査とかいま進んでるらしいからまた新たな発見があればおもろいなって思ってる
さらに、私のYハプロも例に漏れずO1b2a1a1の弥生人系でした。弥生時代ではないけど、先祖は800年以上前に紀伊国から阿波に渡って来た熊野修験者であるとの伝承もあり、吉野川と紀ノ川を経由して阿波国は熊野、大和国とは繋がっていたともおう。吉野川沿いの古墳群や弥生時代の遺跡を見てもその時代から交流はあった。ってか吉野って大和国南部のことだし。
はぁ?😮
我が家は古代吉野国栖族の末裔です。我が家も明治以前は山伏で御師、御師宿をやってたみたいです。面白いのが、吉野郡は大和国の面積3分の2をしめながらも古代は国栖族の住む化外の地だったことです。
@@浄門道場 国栖族がいた紀ノ川の上流も吉野川ですね。古事記にて八咫烏が現れたあと吉野川の川尻(河辺?)で国栖族と合流してますね。この吉野川をさらに下っていくと紀伊水道に出て、そのまままっすぐ西に剣山を仰ぎながら淡路島南岸に沿って向かうと阿波国の吉野川に出ます。そこからまっすぐ西に遡ると阿波国の遺跡や神社や古墳群、剣山や祖谷に出ます。地理的にも中央構造線に沿って大和の吉野からまーっすぐです。
@@TheKzit1969 衛星写真から見ても吉野川、紀の川、それから淡路島を通って対岸の吉野川沿いに中央構造線がくっきり見えますね。
神武天皇の大和征服時、吉野国栖族の祖の3神が井氷鹿、石押分之子、贄持之子ですが、神武天皇は吉野国栖族を滅ぼさないと決め、井氷鹿は吉野首長になりました。その飛鳥時代の末裔が井角乗といい、役小角の弟子となり、吉野修験の始祖となりました。
口伝になりますが、山伏の頭巾とお尻に付けた毛皮の引敷は、国栖族から取り入れたものだそうです。
@@浄門道場 尻尾(引敷)の話、そうなのだろうとイメージしていましたが、あれって勇敢さを表すと同時に座布団だったんですね。また、趣味で北摂の低山をよく歩いていましたが、役小角を祭る祠や鳥居をよく見かけました。北摂も行者山などもあり修験者が多くいた場所のようです。四国では、吉野川の上流の伊予新宮に熊野神社の四国総本山があり、熊野12神をお祀りしています。修験者が修行を重ねていた四国の拠点が今の八十八箇所霊場になっているところも多くあるようです。(四国渡来人と離れてしまいましたね。苦笑)
古事記や日本書紀の国生みでは、淡路島からできたことになっている。
阿波への道の島、あわじしま。阿波(徳島)が日本の首都だった時期がある。
徳島とユダヤの関係と日ユ同祖論、ユダヤの祭りと神社の神輿、ヘブライ語。
秦氏(秦の始皇帝)と幡多(はた)・八幡(やはたヤハウェ)と八幡様(はちまんさま)、
稲荷(秦氏)とINRI(キリスト十字架に掲げられた文字)、いなり・いんり・ユダヤとの関係。
犬神や蟲毒などの呪術や拝み屋は大陸(古代中国朝鮮)発祥と言われる、阿波の犬神、狗神、狐憑きと、お稲荷様。
古墳時代の歴史書は大化の改新で蘇我氏の手によって焼失したため、謎とオカルトしかない。
高知には曽我部、宗我部と言う姓が多い、つまり蘇我氏の部が多かったって事でその配下の渡来人の所領も多かっただろう。
長宗我部も氏は秦氏と公言してるし、蘇我氏没落の後、蘇我の部をその配下の秦氏が乗取った可能性は有ると思う。
@@simosimo-fs5gf 余談ですが、バンコラン(パタリロ!)等の名声優であった故曽我部恭也氏は長曾我部家の系統なのだとか。
香宗川の曽我部氏だから香曽我部を名乗りそれに倣って長岡の曽我部だから長宗我部になったと。総ては曽我部が最初にあって地名になりあとから来た宗我部氏が長宗我部になったんすね。鎌倉の頃の話だったような。歴史書に書いてました。でも、香曽我部は武田系曽我部氏で苗字もこちらに来る前は違うと聞きました。香曽我部は武田菱の家紋と戦旗で有名ですね、のぶやぼとかするとアレッてなるけどそうだ、武田系だったわってなるという
ヤマト朝廷期〜平安時代に四国が特別視というか尊重されているよね。
なんでだろ?と思っていたのだが、蘇我氏→秦氏の支配領域と聞いてなるほどと納得いった。
@@谷内昌弘 成程💡😯
そうなると、四国八十八箇所を修行しつつ廻っていた弘法大師(空海)の、知られざる裏の目的が見えてきますね🤔
そして、秦氏の氏は秦の始皇帝✨
渡来人は外人だけでなく、出戻り組もいたって説。
ても取り許さん、雷😢😂😮😅
約束は守れ、帝は忠義を尽くす。はあはあハイは一回ww
日本人の血統は渡来人と縄文人割合は平均9:1です、9はほとんど韓国人です、日本人が韓国人とそっくりなのはその為です
@@田上めぐみ-n8f 消す?私が?いやいや私にはそんな資格ありません
@@田上めぐみ-n8f 何を言ってるのかさっぱり分かりません、これから話せばいいんじゃないですか?自分の間違いを他人にするのはよくないです。
石川県の能登地方は、古くから渤海と交易していました。
リマン海流の一部が北陸に向かって流れていたから交易地になっていたんでしょうね。
帰りは対馬海流に乗って北海道方面まで北上してからリマン海流に移って沿海州へのルートだったそうです。
@@bobuGsanだとしたら途中に交易地があったかも
@@shinchangreen36 そうですね。
秋田能代湊や出羽、出雲などに使節が来航した記録がありますね。
弘法大師は密かに渤海との交易をして留学資金を稼いでいたという説がありますね
ですよね。
自分は渤海国のあった地域との(当時は粛慎・挹婁かな?ウラジオストク周辺地域)交易ルートから古墳が伝わったのではと考えています。
由来のわからない巨大寺院?の跡が徳島県内陸にあるよ年代も規模もそして本格的大規模な調査もやられていない。
徳島県民だけど知らなかった。
何て言う寺院でしょうか❓ぜひぜひ、教えてください✨🙏🙇♀️❣️
@@かよちゃん-c2k 史跡名はこうざと廃寺、時代も範囲も不明確で現状広大な更地
卒アルの編集のバイトしてたけど、四国の子は卵型の輪郭、色白、スッキリした目の美形が多くてビビった。明らかに違う。渡来人多いって事なら納得。
四国は温暖で朝鮮からの渡来人達には住み心地良かったんじゃないかな。あと、徳島は本当に綺麗な所ですよ。
これ当時の地域による混血率以外にも現代の人の往来量もかなり反映されてるでしょ
関西圏の中では四国はかなり人の出入りが少ない地域だから当時の混血率を維持しやすいわけで必ずしも当時の渡来人の定住数を反映してるわけじゃないと思うけど
その後に来た人は都会である近畿地方に定着して、わざわざ四国には行ってないということかな。あるあるですね。
ゲノム解析ではいつ頃、どのグループから分かれた存在なのかということも分かるので、畿内グループのゲノムと比較することでそれが畿内由来なのか、それとも別の系統なのかも分かると思います。
まだサンプルが足りないんじゃないでしょうか。
ちなみにご存知の通り、四国は昔から遠流の地で、数々の畿内で政争、戦争に敗れた人たちが逃げる
、流されるを繰り返しているので、のちの時代になってから渡来系の血が濃くなった可能性はあると思います。
@@yasu7346 瀬戸大橋や明石海峡大橋ができるまでは、本当に関西は遠い遠い都会でした。
@@man-10 弥生時代の人骨をたくさん解析しないとわからないってことですよね
@@man-10
それでも人の流れは地方から中央が主流です。
日本の最初の政治文化は四国阿波から、そして奈良とその周辺に、そして京都、大阪あたりに移る。今は江戸東京。文化の中心地が小さな場所から多くの人の集まりやすい場所へ移動するのはある意味当たり前だと思う。
自分は例の分布図では、四国と和歌山に渡来人の遺伝子が濃いように感じました。
つまり、紀伊水道の両岸に多いって感じですね。
渡来して来た先を朝鮮半島だけに限定する必要もないのでは?
そうですね
@@oniwakamarukumano8328 太伯の末裔とかもあると思う
@@TheKzit1969 さん
可能性は0ではないでしょうね。
和歌山も以外も奈良、京都、滋賀、三重も四国と全くおなじ色やない?
@@oniwakamarukumano8328 私の先祖は源平合戦の時かそれ以前に紀伊から来た修験者と言われています。紀伊と阿波は一つだと思う。両方に吉野川があり、熊野と祖谷(同意らしい)があり。
四国在住です。
戸籍で辿る高祖父母16人全員日本人、その上の判明している先祖も全員日本人なのですが、遺伝子検査をしたら、日本人86%・朝鮮民族13%・フィリピン人1%の驚きの結果でした。
各家系の先祖を調査すると、源平藤橘の有名人複数と繋がり、やはりそういう事なのかと納得しました。
8:18 秦氏が奏氏になってる…
秦奏(はた かなで )当時の渡来系モデル。巫女。演奏者。シンガーシングライターで横笛奏者として有名な秦葵(はた あおい)の妹。弟は蹴鞠プロチーム阿波オドランカイのエースストライカーにして四国得点王の秦泰(はた やすし)。いとこに鉄器研究者の秦奉(はた まつる)がいる。
@@SoundOf_K39ww
これ系のやつ、面白いから、子どもとかにも見せたいけど、誤植とか誤読が多すぎるんだよなぁ。
一万をいちよろず、とか読んだり。
まぁ、よろずに間違いはないんだけど。
やっぱり「東征」はあったって事でしょうね。
日本語での漢字の音読みは呉の発音が多く残っている。
春秋の呉の滅亡の頃に断続的に九州東岸に上陸し、受け入れられ発展をしていった集団がいくつも出来上がっていった。
時代が下り紀元後は朝鮮半島経由の流入が九州北部で頻発したのでしょうね。
九州では先進小国家が乱立しつつ大陸との外交も始まった。
外交の経験上、北部九州は大陸とのアクセスが良いのはメリットでありデメリットである事を学んだのでしょうね。
だから更なる発展をするにはある程度アクセスの悪い防衛しやすい地域を求めていた。
瀬戸内海の突き当たりの近畿エリアへの移住計画が実行されたのでしょう。
また、九州に流入して後、豊後水道を渡る四国への流入ルートもできたのでしょうね。
もちろん縄文後期頃黒潮に乗って四国へ漂着した渡来人もいたのでしょう。
四国は多分縄文後期の寒冷化時代に東北の縄文人が南下してごく僅かな集落を形成し大量の九州経由の渡来人が入る一方で流動性が他の地域より少なかった。
とにかく四国は特異です。
九州の渡来系と近畿の縄文系のミックス国家となってから何が起きたか。
九州から近畿へ流入して奈良王朝ができてから、彼らは防衛のためにどんどん東国人を九州へ送っていた。
防人として望郷の念にかられながら帰郷がかなわず九州に住み着く人も年々増えたでしょう。
その防衛体制は元寇まで続く。
500年以上東国人が九州に送られていれば、渡来系のDNAも薄くなりますよね。
徳島出身のワイ、興味津々。
北海道は明治以降に全国から入植した移民が多いから
たった50人の遺伝子検査では統計学的に偏りそうなんだけどどうなんでしょうかね
近代の開拓として本格的に入植してきたのは明治時代ですけど、実は鎌倉時代から和人が移り住んでいます。
熊襲征討の際に百済系の雑兵がエスニッククレンジングしまくったノイズが大きいので一足飛びに超古代と結び付けない方が良いと思います。
とっても興味深い動画でした!!
私のご先祖様は平安時代以前は奈良にいたようで
それ以降もずっと近畿圏から出ていないこともあり、みんなめっちゃ渡来系の顔立ちです 笑
一方、北九州出身の夫は「THE 縄文系」という顔立ちでゲノムの違いをひしひし感じてます💡
私も遺伝子検査してみようかな〜と思っちゃいました📝
中国南部や台湾から黒潮に乗って四国に到着した渡来人が多かったのかとも思ったが、それならば九州南部も渡来人が多くてもよさそうだしな。
古代の人は開けた広大な平野より適度に山に囲まれて水源がある地を好んだそうだけど、中央構造線により谷となって吉野川が流れる阿波は理想郷だったのかもしれない。
南九州は地質が終わってて、農業自体に適してないから大陸から来た渡来人は住みにかかったんじゃ無い?
@@爆弾鬼斬り 確かに昔はシラスの土壌は稲作には適さない土地でしたね。
火山性土壌は肥沃でインドネシアのジャワ島やアフリカのルワンダは人口密度が高いです。火山性土壌が共通点です。日本も地域全体でみれば火山性土壌が多い土地です。ただし作物を育てるには他の土地とは違って一工夫必要です。
その通りだよ
中国南部のハプロ数値が四国だけ異常な数値
逆に他日本人に多い朝鮮のハプロが四国沖縄だけほぼ入ってない
北部九州から来た朝鮮弥生人は陸繋ぎでない四国には来なかった
中国南部弥生人だけが来たということ
中国南部弥生人の見た目はマレー系の南アジア形質だから四国は美形と無縁で他日本人よりも南方系の形質
だから芸能人少なく南アジア形質のため骨格小さい為スポーツも弱い
四国はほぼ中国南部人ということ
大江健三郎の小説に、縄文人につながるという「原・四国人」が出てくるが、あれは完全に大江の創作なんだろうか?
北海道のように当時は四国はニューフロンティアだったりして。
渡来人(→故郷に帰った人) vs 帰化人(→移民、混血して日本に定着した人)、を混同しないことが大切と思う。
「大切と思う」…キッショw 氷河期子供部屋壺ウヨ爺さんっていつも日本語ビミョーだよな😂
ネトウッちゃん「渡来人は渡来人じゃなくて元々日本に居た縄文人で世界各地に縄文文明を伝えたあと故郷に帰って来た」「アイヌは鎌倉時代に大陸から渡来して縄文人を滅ぼした。アイヌは先住民じゃない先住民は縄文人。縄文人は日本人」考古学的にはそんな結果になっていない。弥生渡来人は中国南部の人。
遺伝子的にアイヌは本土人よりも、沖縄人よりも縄文人に近い。あとアイヌは日本の、北海道の先住民族じゃないって主張するのはロシアにとっては「日本の先住民族じゃないのなら、ロシアの先住民族ですね。」ってことになり好都合。最近、その手の主張はもしかしたらロシアのプロパガンダではないかと疑ってしまう。
故郷に帰った?どういうこっちゃ
私もそう思います❤混同しまいがちですが😅
@@yari-pg1tv 渡来人は明らかに縄文人と違うので帰ってきたわけではないのでわ。
四国、和歌山は「徐福系」の子孫ではないですか。「秦」の時代に3千人程が日本に渡ったそうです。
いつも楽しい配信ありがとうございます。とても興味深い内容でした。四国は日本が滅亡するときの最後の砦、その為の結界があるというのを思い出しました。動画と関係の無い内容かもしれませんが気になったので
ソノ結界って剣山ですかねぇ⁉️😅
四国については結界、隠されている、という意味の密教の手印があるというのを
私も昔読んだことがあります。
近畿圏から遠ざけたい技術者集団を四国に集めたってのは説得力がある
@@user-th-monkey-kuro
ただ忌部氏は阿波から各地に進出しているのですよ。
忌部の祖神である天太玉、天日鷲はことごとく阿波から各地に、勧請されているのです。
阿波ってのは近畿にめちゃ近いんですよ。四国山地を越えた土佐ならいざ知らず、阿波に「遠ざけた」てのは全然説得力ない。
淡路島を経由するとして北も南も海を渡るけどそんなもの?
@@user-th-monkey-kuro そんなものです。古代人の感覚でも。イザナミイザナギの国造り神話を思い出してください。その舞台はどこでしたか?それほど皆が認識できるほど近しい土地です。海を隔てるなど、この島国の民にとっては大したことではない。土佐が鬼国と呼ばれたわけ、紀国が鬼の国に繋がる印象、すべて山ですよね。土佐は大歩危小歩危という難所を通り抜けなければいけない土地、紀州は役行者とともに語られる地。海よりも山で隔てられる土地の方が遠いんですよ。だから陸路で行く北陸が「越(遠いという意味)国」と呼ばれたんですよ。一方で瀬戸内各地と北九州などは近い土地なんです。船が使えるから。
@@島秋春 南海道に四国だけじゃなく紀伊が含まれてることがもう。
最近ペルシャ人も居たらしいってのを聞きました。
平家がペルシャ系だったかもという話もあるみたいですね
@@昔はベア 教えていただき、ありがとうございます。
中国や韓国では残ってない中東がルーツのミトコンドリアDNAが日本に残ってたのは平家の栄華があったからかもしれませんね。☺️
聖徳太子の家庭教師にも日本人じゃないオリエント的な名前に読める当て字された人たちが発見されてるんだってね。祖国が生きづらい時期で逃げて逃げてたどり着いたんだろうかね
帰化人の名前から昔からも推測されてますね。50年くらい前に聞いた話です。
@@cherio1970
逆であったと記憶しています。
中国や韓国は大陸だけあってY染色体やミトコンドリアから西ユーラシア系のものもわずかに検出されますが、日本からは近年の混血を省くと全く検出されていません。
確かに鑑真はソグド人だったと言われていますが、そういった方の渡来はあくまでも一人二人という単位でしょうからね。
とても面白かったです。
私も郷土史を研究している者です。
私の住んでいる地域は高知県西部で「幡多(ハタ)」と呼びます。秦氏のハタから来ていると思われます。
そして有名な観光スポットに咸陽島という場所もありますが、咸陽は中国での秦氏の本拠地でもあったとか✨
四国のこともっと調べて頂きたいです❤
唐人駄場遺跡もありますから、渡来人との結びつきはあるんじゃないかと私も思っています。
唐人駄場遺跡がちゃんと残されていればより学術的な調査もされて新しい発見もあっただけに残念ではありますが。
徳島県の阿波と千葉県の安房は同じで、海沿いに同じ系統の外国人が移り住んだ説があります。
そして外人(縄文人以外)が持ち込んだ可能性が高い神道のトップクラスの格式の香取神宮・鹿島神宮があると。
漢書地理志呉地、後漢書倭傳などでは、弥生/後漢時代近畿、四国のあたりには呉など大陸から移り住んだ人たちによる東鯷(トウテイ)国とよばれる国があったと伝えています。祭事に銅鐸が使われ(ヤマトの支配で途絶える)、銅剣、銅矛を祭事に使うヤマトとは異なる人々が暮らす領域であったことが考古学的な遺物からわかります。
『日本へブル詩歌の研究』によると、日本全国に残る民謡の中の囃子言葉をヘブライ語で聞くと、全てに意味が有る事。
そして、そのヘブライ語の時代が、古くは旧約聖書が作られた3000年前頃から、紀元後200年頃まで四回に渡って日本国に伝わった事が分かると言う。渡来人の中にユダヤ人も居た様です。
ずんだもんの音声を作った人は凄いと思う。魔理沙や霊夢とは比べ物にならない滑らかさ。とても合成音とは思えない。
瀬戸内特に四国側には水軍と呼ばれる船を自由に扱える部族が古くから海外と往来して交易をしていたから、中国・南方の人々とは繋がっていた。
また空海の母親は中国大陸出身者一族の為、空海は幼い頃から中国語を話せ、中国に渡ってからも母親の一族の導きで仏教入門・勉強も破格の待遇でスムーズに行え短期間で色々吸収でき留学を終えることができた。
香川、徳島は縄文遺跡があまりないね。だから、容易に定着できたんだな
徳島市の矢野遺跡は西日本で最大規模の縄文遺跡。
いや、四国とか嘘やろ
絶対九州人の捏造やろ
九州が渡来人が多いと考えるのがどう考えても普通
韓国から船で来れるし
論破されてて草😂
@@海原かもめ 正直くっそどうでもええよな
だから何って感じ
「大陸から見たら九州北部が日本の玄関口である」という認識から違うんじゃないかと思ってますね。多分九州はほぼ外国と言う感覚だったんじゃないかな?
日本書紀でやたらと淡路島が重要な位置に居るのが常に疑問でした。
高知県民ですが山間部の地域に何故か顔の作りが日本人っぽくない人をたまに見かけます。瞳も茶色でどっちかと言えばアラブ系な感じですがずっとその地域に先祖代々住んでいるそうです。
@@コロ助-y8n 縄文人ですね
高知には唐人駄馬とか唐浜とか異国の人を表す地名も残ってるし、アナナイとかクワナイとかアイヌっぽい地名もあり、巨大な磐座も存在する。海人族ルーツの痕跡が部落の存在なのかなとも思う。黒潮海洋圏として東京都の島嶼部との文化比較があれば面白いと思う。海外から帰国したのに市中の人達のスタイルが外国人みたいだって感じる。よさこいの派手な格好が似あうのはそのせいかも。朝鮮半島で迫害されていた職人たちを出兵後に高知へ連れ帰ったという話もある。だから豆腐が固い。香川徳島も山や平野に夥しい数の古墳が眠っている。空海の佐伯氏だけで数百に上る古墳群。外敵を遮るから佐伯という職業を名前としたのだとか。古代から瀬戸内海を渡る文物を関西へ送る交易が栄え、多くの鉱山もあったため四国はとてもいい立地なんだよね。
古代朝鮮半島の南部は日本の領土(前方後円墳 があるのが証拠)で普通に日本人が住んでいたし、百済は日本の属国だったので半島から来たのは普通に半島出身の日系の人達だったと言うべきで(現在でも百済の辺りに住む人達は韓国で差別されています)長江流域から来た人達だけを渡来人と言うべきだと思うよ
属国だったというのはどうだろう。古墳のソースがあったとしてもだいぶ乱暴な解釈だと思うけど。共存共生の不思議な文化圏だった可能性もあるわけで、そのころに日本と言う概念はもっとあいまいな物だったし。
そういうことはもう少し学術的な経験値を積んでから発言すべきだと思うよ。
ほう。
では学術的に日本人と半島人の状況を具体的に説明してみな。
その理屈で行くと朝鮮半島南部からはそこそこの割合で日本固有遺伝子であるハプログループDが検出されるのではないでしょうか?
でも現実はほぼ検出されていませんので、日本→朝鮮という流れはかなり限定的であったことが想定されます。
任那、百済は日本人が作った。
半島人でも日本人に近い顔がいるがその末裔だ
特に徳島県は他の県よりO型が多いって事も関係しているのでしょうか??
8:22 秦の字が違うように思います。
石川県のばあい 対馬→宗像 宗像町北九州市経由で日本海側を北上しています
四国は当時遠賀川(北九州市八幡西区小彌御セ界隈まで入江=古遠賀湾→洞海湾→関門海峡から瀬戸内海→大阪湾から 暗峠超えて奈良と言うルートですねその途中の宿場?が四国です。
四国には 剣山も有りますしねw 一説には 剣山にキリストが眠っているとか・・・
聖地だったのでしょうね。
渡来人(中国、朝鮮から来た人)の解釈はビミョーですね。
中国、朝鮮の方から来た人が正しいのでは。もとの言い方だと渡来人=中国、朝鮮人に聞こえますよね。
それはちょっと違うと思う。
消防署から来たと
消防署の方から来たの違い
中国ではなく中国北部です、何故なら中国と北部は遺伝子が違いますからねつまり中国人は華夏族北部は扶余族です扶余族は高句麗と百済を作った民族で東夷族と呼ばれてますね。
中国北部では、五穀の長である稷(ウルチキビ)が育つとのこと。これより北は、米が育たないらしい😱
食料が異なるとケンカになりますよ🙇♂️💦💦
水運が重要な時代ですし、海を越えてきた人たちだから、明石海峡も鳴門海峡も紀淡海峡も、山越えをするより苦にならなかったかと思います。
どの程度の淡水化技術が有ったか解りませんが、水と食べ物、排せつ物の処理に困らないという意味でも、海を中心に考えて移住したでしょうね。
面白かった😀😀😀😀
関西や四国はいわゆる濃い顔は少ないよね
@@竈門炭治郎-r2u
マジでそんなことない
それ、特定外国人では?
先祖が日本と朝鮮人のハーフだからだろ
渡来人とか洒落た感じで言っても、所詮は朝鮮人又は中国人…
高知の人顔濃い。
四国の渡来人は弥生系の不老長寿を探していた秦氏で辰砂を宝として拠点として住み着いたんだろうね。
四国はよく知らんけど、大阪行くと気のせいじゃなくてマジで薄顔多い
そやな
天皇陛下も百済の子孫所謂渡来人ですからね。
日本文化も渡来人が伝えたものばかり。
大阪は九州から来た人だらけだぞ。盆踊りが炭坑節のところまである。
夢の無い話になるけど、「比率」の問題だから、同じ数だけ渡来人が来ても、人口の少ない四国では比率が高くなるのでは?
北九州化から各地の第一波は真珠翡翠などの宝探しでしょう。大阪湾への第2波、吾妻などへ秦氏などの第3波は開拓移民で、現代で比率が高い地区は現地人と比較同率か低かったと考えられ、阿波で高度な技術があるのは、重要な物資があったからでそのなかでの石は古墳にも戦国の城・壕の基礎に使われています。四国勢は機内歴史のキーポイントでよく現れますから、機内中央権力との結び付きは強かったと思われます。
というか、日本人はみな程度の差こそあれ、渡来人の末裔ですよね。
@@ルート62 渡来人は元々日本に住んでいたスメラ(統べると言う意味)族の末裔で例えばアマテラス、スサノオ、ツクヨミ等の神々の一族で、各地の大王となり日本に帰ってきたのです!
日本神話だと淡路島が最初に誕生したし剣山とか宗教的に何か特別だったのかな?
渡来人としてひとまとめにしているけど、長江河口域系統の倭族と縄文人のゲノムが似ていた可能性があるから、朝鮮半島で混血したモンゴル系統のゲノムだけ強調された、後期渡来人分布として表れている可能性がありますよね。 鉄工技術に長けていたのは遊牧民族系の集団だったと言われています。
そう考えれば北九州に渡来人の痕跡が薄い理由も説明できそうです。
結構前だけどイギリスが岡山県民は百済の子孫だと発表してた
道理で品のないやつが岡山に多いわけだ
くだらねえ奴が多い訳だ
日本人らしさはゲノムじゃねぇ、ってことだな。
日本は正統ユダヤ人が4割います。
yaP遺伝子マイナス 優秀なのです。聖徳太子 ヘブライ語 ほりが深く
大きかった。日本人のルーツ
ユダ王朝(ダビデ王朝 神武天皇から男系男子で 八咫烏三種の神祇に守られています。
いや、九州にいってないんじゃない? 対馬から日本海を東に向かって出雲あたりで上陸して……みたいなことだったかもしれない。魏志倭人伝の「一大国」は壱岐とするのが通説だが距離や人口の点で矛盾があって、九州に向かわず出雲方面に(対馬海流に乗って)向かったといっている人がいる。
これ間違っていると思う。あのマップみたいな奴は縄文人の定義を明記していないし、本当の縄文人はN9bとかM7aの女性から生まれてきた人達で、渡来人も大きく2つのグループに分けられて、朝鮮半島経由で入ってきた弥生系と長江下流で入ってきた古墳系の2つに分けられて、古墳系が割合が多いので四国というだけ。
それでこの古墳系こそが大和民族の祖先で日琉祖語を話していた勢力だと思います。
そうは言っても弥生系とされているハプログループO1b2が現代日本人には最も多いですよ。
渡来系とされてるハプログループO2は弥生系、縄文系に次ぐ3番手ですね。
そもそもハプロO2は漢民族のみならず朝鮮人にも凄く多い型なので、古墳期の渡来のみならず弥生系にも多く居たという指摘もありますが
悔しいのか?
さっさと故郷にかえって母の母乳でも飲んでいれば?
14:09渡来人が縄文人を迫害しなかったと考えたほうが
効率よくないですか?
戦争の概念を縄文人よりあったはずなので。
おそらく、朝鮮半島ですでに交流があったんでしょうね。
で、少しづつ一緒に海を渡り、物流や情報交換して
その親族や一族が少しづつ海を渡って来たというほうが
理屈として成り立ちやすいです。
アカホヤの大噴火の為に、九州は住みにくい土地に成っていたと思うし、近畿地方は大和王権があるから、海で隔てた四国へ渡来人が多く移り住んだのかな?
偏西風の影響で九州(とくに北部)より四国の方がダメージが大きくて人口密度が低くて土地が確保しやすかったからかも。
逆です。火山がある土地は肥沃なので住みやすいです。インドネシアのジャワ島が人口が多い理由はそのためです。ただ火山なんでたまに災害があるんでしょう。あとは土壌が違うんで大陸とは育ちやすい作物が違っていたとも考えられます。
@@Muttonpalov
日本は黒ボク土だからそれは無理です。
リン酸欠乏症になるので日本では火山性の土地では農業は向きません。
@@おせんうみと
ジャワ島も黒ボク土です
@@Muttonpalov 黒ボク土が活用される様になったのは戦後のはずです。
今は、川口に渡来人が増えてますね
こんにちは、亀の楽園岡山のよしです。
日本に渡来したクサガメという亀の遺伝子が各地域に寄って日本には4種類ぐらいの遺伝子に分かれてるみたいなのですが、石川県の遺伝子も日本の中で4分の1の違う遺伝子みたいなので海外から持って来られた亀の渡来した証拠になるように思いました。
高知の人は顔が濃いから違うと思う。
魏志倭人伝の距離測定的にも今は阿波が固いだろうしなぁ
空海さんは四國産まれで漢語が得意だったとか
ちなみに私の本籍は金田町金川で、近くに金生川も流れてる。ここから法皇山脈の峰を南に越えると金砂湖がある。😂 渡来人がおおく住んで、馬の牧もあったらしくこれが宇摩の由来とも言われてる。充分渡来人が来る理由があるよ😊
百済からの渡来人が馬をたくさん飼ってたとかって聞いたことありますね、金田の半田は「秦」から転じたとか
@@33rd_Head_Of_The_Family そういえば昔からその辺りに栗タルトの美味しい畑田本舗っていう和菓子屋さんがありますよね。この姓も秦氏からっぽい。
ラブレターフロムカナダー
弥生系の割合が最も高い関西に住んでいるが、縄文系の多い地域に住んでいたら、また違った人生だったのだろうかと思う。
違う遺伝子の異性に惹かれるので縄文系の中に弥生系来るとガチでモテます。
日本には縄文より前の旧石器時代の痕跡もあるのでそのあたりも是非調べてみて欲しい!
四国の特に徳島って攻撃的で激しい人が多いなぁってイメージだったのよw
関東人が関西に来て感じる事の、確か7~8位くらいに、「顔、薄っ!」っていうのがあったのと、私が20歳くらいの時に、知っている四国出身の人、みんな「顔、薄っ!」って思ったことがあるのを思い出した。今頃つながったかも!
先祖から阿波伊予讃岐の血を引く生粋の四国中央人でDNAもトライ系弥生人ですが、中国駐在時に自称ハーフで通じていたくらい濃い顔です。帰国してユダヤの血だって言われたけど、それは受け付けてません。😂
体感では関東の人の方が顔薄いけどね
関西でも都市部とかだと全国から来るし、本人じゃなくても両親や祖父母が他所から来てる場合多いからその薄いって顔は関東人かもよ?
そもそも関東も都市部とかは関西出身多いと思うし、兄も北海道にいたり、今は東京にいるけど、顔は濃いめだから関西人ってあなたは見ても思わないと思う
四国の田舎出身だけど、薄い顔はもちろん濃い顔もいるし中にはハーフにしか見えないタイプもそれなりにいるから関西薄いって先入観だと見ても勘違いしてしまうと思う
そもそもあなたも薄い顔の関西人の1人って他人からは見られてるかもよ
関東人が関西に来て感じる事のアンケートで、7~8位くらいに「顔、薄っ!」っていうのがあった事を思い出しただけなんで・・・。私も関東には行ったことがないので、アンケートの関東人に聞かないとわかりません。
移住が多い近畿はまだしも、移住が少ない、特に瀬戸内海側ですらない高知の比率が高い事を考えると、四国全体が渡来人の居住区だったかもね
日高見国の東日本は西日本のヤマト論争を高みから見物
本州出身の四国住みですが、いわゆる東予、西予、西讃の方を見ていると、すごく特徴が一致した人を見ることが多くて驚きます。口元と目元です。気のせいと言われますが…。
If you could count the tribes of present Britain, you may count the same numbers of modern Japanese.
徐福伝説に一票
畿内に近くて当時大和人が少なかったので拠点にしたのでは
縄文人も弥生人も日本語をしゃべっていたので争いがなっかった。
元のデータ収集方法に問題がある!
空海が有り得ない速度で外国語を習得したのは誇張なのか産まれた環境から当たり前に話せていたのかどうなのでしょうか?
倭国にその言語を話す者がいた
当時の日本語は発音を含めて中国語に近かったので習得しやすかった、と思う。
先代が古来朝鮮だったらやだなぁ・・・
元を辿ればアフリカ😂
なんか偉い先生はそれもまだ分からんって言ってました。ホモサピエンスが発生して最初の数十万年のDNAはまだ採取できてないらしく。これがヨーロッパでも出たとかなんとか、、、アフリカ以外から出ると説は逆転するらしいです。
2000年前の弥生人と朝鮮半島南の方は、同じ倭人系だったことが古人骨DNAからわかっているようですけど。
以前は「渡来人」と言わず「帰化人」と言っていました。また「大和王権」と言わず「大和朝廷」と言っていました。
阿波は倭。聖徳太子も阿波で生まれたってことですよ。
大西は渡来人がルーツなんや、🤔日本より大きく西に位置しているって事かな?何となく自分の苗字の意味と祖先の事が分かりました。
なんか古墳人とかいう人の存在も分類され始めたよね最近、
渡来期の、大和王朝の幾内と朝鮮半島などを結ぶ渡来人の重要な航路が瀬戸内海だったのでしょう
四国は、
縄文時代の早期・前期・中期・後期・
晩期に於ける遺跡が多く残ってます。
😮😮😮😮😮
どちらかと言うと、半島他近隣地域より寧ろ中東方面から海流に乗って渡来してきた人達の方が多い気もする…
九州北部や山口県あたりは防衛拠点として重要な位置にあるから、そこに渡来人を住まわせるのはリスクがでかいからなぁ。
そこに住まわせるなんてリスクヘッジ考えたら無理筋。
付け加えて 可の アインシュタインも 四国劔山を 訪れて居ます 勿論 博士も ユダヤ人です!
古事記では淡路島は日本国の長男ってなってますね。
平安時代の坂上田村麻呂の東せい後、エミシのふしゅうで戦闘能力が高かったエミシを関東や九州へ派兵したから、関東や九州に縄文DNAが多く残ってるという事でもあるらしいですよ。のちの時代に板東武者や薩摩隼人のような強い武士になった理由でもあるらしいですよ。渡来して来る人は半島から来るから皆渡来人だと思ったんでしょうね。アカホヤの噴火で西日本に住めなくなった人達が大陸へ避難して来た、かつては渡来人と呼ばれた出戻り縄文氏族もいるようですよ。長江流域に倭人の集落があるという中国の文書や、新羅の初代王が倭国出身と書かれていたり、新羅の倭人が攻めて来たと書かれた高句麗の碑文もあるので避難した人たちが居たのはほぼ間違いないのかと、だから新羅、百済、加羅と仲が良かったり倭人の古墳がいっぱいあるんでしょうね。奈良時代の木簡に書かれたペルシャ人の役人も、避難してペルシャまで行った氏族が世代を経て戻って来たら、見た目がペルシャ人だったからペルシャ人の役人と書き残されたかもしれませんね。たとえ権力者が変わっても、あくまで日本のトップは縄文の王族だから、圧倒数の縄文人や出戻り縄文人やいくつかの渡来人たちが付いて来て纏まって今の日本まで男系にこだわって続いてるんでしょうねえ。秦氏はバックアップに徹したから、大王のお墨付きをもらって自分たちの影響(稲荷神社や八幡神社など)を全国に広められたんでしょうねえ。
縄文系が大陸に渡ってたら大陸の方にも、ハプログループD1a2a系残ってるよ
殆ど残ってないから、殆ど出てないという判断になる
韓国、ミクロネシア、ティモール島、中国にD1a2aは残っていますね。
中国の場合はかなり薄まっていますが、これは北方民族やモンゴルからの侵略を何度も受けているためかなと考察しています。
神話の三貴子で天照は中国南部、月読は月氏族、素戔嗚は朝鮮半島の縄文系出戻り渡来人を表しているんじゃないかなと妄想してます。
北海道、東北や九州、沖縄の人達はお酒強そうなのも納得
そうやって考えると四国の高知の人達がお酒が強いのが不思議
耐性ではなく根性???それとも容堂公リスペクト???
四国って真ん中に山があるから移動が面倒で、現代でも香川とかから行くなら愛媛を通って行かないといけないから、高知は四国の中でも陸の孤島なんだと思う。動画では大雑把に四国で括ってるけどよく調べたら高知だけ数値が変わる可能性はあるよね
そういうイメージがあるだけで、酒豪遺伝子(ALDH2)発現率の都道府県ランキングだと高知が14位だから対して強くないよ。
ちなみに1位は青森で、2位の沖縄をのぞいて6位までを東北5県が独占。
残りの"東北で最下位"の福島ですら13位だから、"四国で最上位"の高知よりランキングが上。
高知県出身ですが、実際にお酒が強い人は多いです。僕の家も代々高知県ですが僕は一滴も飲めない下戸です。ちなみに高知県に来たらわかると思いますが、鹿児島のような顔の濃いひとが結構います。
だから元は縄文ベースなんじゃないかと思いますが、顔が縄文で一滴も飲めない僕みたいな人たちは何処から来たのだろうという不思議があります。
@@man-10
不思議な話ですね。
色々な要素が合わさって、今の私達が居るのかもですね。
ちなみに私は顔は超薄い塩顔ですが
体毛は外国人も尻尾を巻いて逃げるレベルで毫毛ですw
こんだけ体毛濃いなら顔も濃くしてくれよ……と
年頃の頃は思ったものです😂
「酒好き」と「酒に強い」のは少し違う気もしますね(^_^;)💦
渡来人は国の宝であります
確かに渡来系が強い関西や四国って顔薄い人多いのと、皆気が強い
四国って堀が深いけど?
弥生系はむしろ山陰や日本海側に多い。
勿論大陸からの玄関口だし。
ゲノムが〜とか言ってるけど参考文献は?
北海道のウポポイこそ、DNA調べるべき。
@@言論統制するヨウツベ だからそれが違うんやって。四国 渡来系って調べろ。東大とか日経とか色んなとこが記事にしてるぞ。遺伝的な証拠や。
四国も関西も関東と比べて顔が濃い気がするけどね
@@言論統制するヨウツベ だから、渡来系の遺伝子が強いっていう文献あんねん。東大も理化学研究所も日経も出してるわ。近畿地方や四国地方は日本の他の地域に比べて大陸の渡来遺伝子が強いっていう記事、結果たくさんありますよ。調べてくださいよ。
実は濃いめも多いよ
芸人のイメージだったり、ヤクザ系のイメージだと思う
そもそも四国方面に至っては行く人がそもそも少ないので実物を知らなかったりするしね
実際は顔のバリエーションそのものが多いし濃いはっきりしたタイプも多いよ
実は関東のが一般人はあっさり顔多かったりすると思うよ
ゲノムで年代確定できる日が来たらいいですな。
空海がサンスクリット語話せるようなので、空海さんの時代にはインド人もいたんでしょうね。
日本カレー起源は、阿波?いや、カレーうどん起源が讃岐なのか???(笑)
空海がサンスクリット語を話せるのは中国に行って勉強したからだろ。
じゃあジョン万次郎が英語喋れるから日本にはアメリカ人がいたのか?
@@Bloomerschwater 大陸行き前には、話せたらしいよ。伝承では、仁徳朝から大王家の壬生(家庭教師)と近衛的家柄だったらしい。ほんとかな🤣知らんけど。
四国劔山には ユダヤの 契約の箱が 隠されてい居ます 其処には 宮内庁管轄の道路迄有ります 空海も 其の事を 知って居た 可能性が有ります
新羅の王にも倭人がいた事を考慮して
朝鮮半島での倭人達の力が強かった証拠であり
朝鮮半島にあった中国の技術を
倭人が日本に持ち帰ったとの意見もあるね
発掘人骨や遺物の地層年代や炭素14年代測定、瀬戸内海の海進具合、それらの結果と解釈はどうなっているのだろう🤔