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これは『ある機関助士』ですね。名作と名高い鉄道記録映画です。
取手で定時を何とか確保してやれやれ、といった感じで煙草を手にする姿が職人感あって格好良いな✨
今、乗務中に運手種がたばこでも吸ったら大事。これが昭和なんでしょうね。昔は、電車が駅に停車中に運転手が週刊誌を読んでいたのを見たことがある。今スマホをみたら大問題になる。時代を感じる。
@@ARAHIGA 昭和50年頃でもテレビのトーク番組のゲストの有名俳優さんが普通にタバコを吸いながら話してたぐらいなので、さらに12年前となれば、推して知るべしですね。
水戸で3分遅れで取手で3分遅れを定時に持って行った中島さんが優秀な機関士です!
自分は私鉄の車輌部でしたが、新入社員研修で400mの第二種列車防護の実習で発煙筒を回しながら車庫の中を走りました。発煙筒は蝋で燃えるので振り下ろした時に勢いをつけないと溶けた蝋が衣服に掛かりチノパンを焦がしてしまいました。
SLは格好いいという意見は多数ですが総てアナログな機関車は今と想像も付かない重労働。定時回復の一服は至高ですね。
機関士は、いつでもブレーキをかけられるように、制動弁を緩解から重なりに動かしますが、重なり位置のままだと漏気があるとブレーキが掛かってしまうため、制動弁(ブレーキハンドル)を緩解と重なりの位置を絶えず往復させます、
顔洗う石鹸の泡が、真っ黒。
この時期の常磐線はまだシロクニやデゴイチが活躍していましたね。特にシロクニは常磐線も走れるように少し重量の軽いタイプが使われていますね。
乗務時間が定められているし、乗務する区間の様子(駅間距離、曲線と勾配、駅の線形、閉塞信号の位置、徐行等の注意事項)を暗記せねばならず、長距離は乗務出来ません。従って多くの人手が必要になってきます。
戦後の復興が一段落し、全国の道路網整備で自動車に物流の主役を奪われる前の国鉄の黄金時代
ある機関助士ですね。
えーっと、記憶では・・関と士のあいだに? 「助ける」の字が入っていたような気がしないでもないような・・
さすが国鉄。ちょっと見ただけでも仕事に対するプライドが感じられる。今のJRにあるのか?本業を大切にしているだろうか?
アナウンサー、なべおさみさんですね、この手のドキュメンタリーのアナウンサー70年代後半TVで声が聴けました。しかし、蒸気機関車のキャブ内での仕事は過酷だった事でしょう、ボイラーからの熱、車体からの振動、ところで、今現在、信号雷管なんて装備して使うんだろうか?、海外では祭りで信号雷管を使った動画があったけど。
やっぱり気になりますね💦表題は『ある機関助士』として欲しいです!
シロクニが常磐線の急行列車を牽いて走る姿はあのきかんしゃトーマスのゴードンを思わせるほどですね。
火葬場の釜焚きと同じやね。デレッキ使って。
懐かしい映画
オリジナルですね!
ゴジラが出そうなBGMが怖い
上野水戸ひと往復で仕事終わりか…そりゃ職員も多くなるわな
戦時中、召集された職員が終戦で復員したので定員以上の人員がいたようです。召集時の役職で復帰したので、教導並の技術を持った機関助士がいたようです。
憧れシロクニが常磐線を走っていたことを知りませんでした。私は水戸在住の1975年生まれなのですが、いつごろまでSLが常磐線を走っていたのでしょうか?
頼りない発電機、薄暗い車内。煙と灼熱地獄の機関室、今は到底無理。
32:07危ないなぁ、この車。
24:27 デゴイチだ。
イッセキって何?
一ノ関の略称でしょうね。
@@Toshi.Horichiさん、ありがとうございます
これは『ある機関助士』ですね。
名作と名高い鉄道記録映画です。
取手で定時を何とか確保してやれやれ、といった感じで煙草を手にする姿が職人感あって格好良いな✨
今、乗務中に運手種がたばこでも吸ったら大事。これが昭和なんでしょうね。昔は、電車が駅に停車中に運転手が週刊誌を読んでいたのを見たことがある。今スマホをみたら大問題になる。時代を感じる。
@@ARAHIGA 昭和50年頃でもテレビのトーク番組のゲストの有名俳優さんが普通にタバコを吸いながら話してたぐらいなので、さらに12年前となれば、推して知るべしですね。
水戸で3分遅れで取手で3分遅れを定時に持って行った中島さんが優秀な機関士です!
自分は私鉄の車輌部でしたが、新入社員研修で400mの第二種列車防護の実習で発煙筒を回しながら車庫の中を走りました。発煙筒は蝋で燃えるので振り下ろした時に勢いをつけないと溶けた蝋が衣服に掛かりチノパンを焦がしてしまいました。
SLは格好いいという意見は多数ですが総てアナログな機関車は今と想像も付かない重労働。
定時回復の一服は至高ですね。
機関士は、いつでもブレーキをかけられるように、制動弁を緩解から重なりに動かしますが、重なり位置のままだと漏気があるとブレーキが掛かってしまうため、制動弁(ブレーキハンドル)を緩解と重なりの位置を絶えず往復させます、
顔洗う石鹸の泡が、真っ黒。
この時期の常磐線はまだシロクニやデゴイチが活躍していましたね。特にシロクニは常磐線も走れるように少し重量の軽いタイプが使われていますね。
乗務時間が定められているし、乗務する区間の様子(駅間距離、曲線と勾配、駅の線形、閉塞信号の位置、徐行等の注意事項)を暗記せねばならず、長距離は乗務出来ません。従って多くの人手が必要になってきます。
戦後の復興が一段落し、全国の道路網整備で自動車に物流の主役を奪われる前の国鉄の黄金時代
ある機関助士ですね。
えーっと、記憶では・・
関と士のあいだに? 「助ける」の字が
入っていたような気がしないでもないような・・
さすが国鉄。ちょっと見ただけでも仕事に対するプライドが感じられる。今のJRにあるのか?本業を大切にしているだろうか?
アナウンサー、なべおさみさんですね、この手のドキュメンタリーのアナウンサー70年代後半TVで声が聴けました。
しかし、蒸気機関車のキャブ内での仕事は過酷だった事でしょう、ボイラーからの熱、車体からの振動、
ところで、今現在、信号雷管なんて装備して使うんだろうか?、海外では祭りで信号雷管を使った動画があったけど。
やっぱり気になりますね💦
表題は『ある機関助士』として欲しいです!
シロクニが常磐線の急行列車を牽いて走る姿はあのきかんしゃトーマスのゴードンを思わせるほどですね。
火葬場の釜焚きと同じやね。デレッキ使って。
懐かしい映画
オリジナルですね!
ゴジラが出そうなBGMが怖い
上野水戸ひと往復で仕事終わりか…
そりゃ職員も多くなるわな
戦時中、召集された職員が終戦で復員したので定員以上の人員がいたようです。
召集時の役職で復帰したので、教導並の技術を持った機関助士がいたようです。
憧れシロクニが常磐線を走っていたことを知りませんでした。私は水戸在住の1975年生まれなのですが、いつごろまでSLが常磐線を走っていたのでしょうか?
頼りない発電機、薄暗い車内。煙と灼熱地獄の機関室、
今は到底無理。
32:07危ないなぁ、この車。
24:27 デゴイチだ。
イッセキって何?
一ノ関の略称でしょうね。
@@Toshi.Horichiさん、ありがとうございます