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戦いの挽歌、ファミコンの移植が優秀だった。
闘いの挽歌のファミコン版は良移植でしたね^^
独眼鉄、影景、男爵ディーノですな!!
噛ませ犬的な存在に見えて、後半はカッコ良かったですよね^^
テーカンワールドカップは7秒あれば一点入れられるからね!初めのうちだと!自分も最高で5面まででした😭
サッカーのゲーム、懐かしっ操作で手が痛かったのを思い出します
テーカンワルドカップは、今遊んでも楽しそうですね^^
アルゴスの戦士はステージが多すぎて飽きる。
5:10 まだゲームセンターに行くことができない小学生だったため、ファミスタで登場したピノとアチャ(90年度版以降ではキャスターとして)がトイポップの主人公であることを知らなかったですね。10:48 以降相変わらず、「念のためネタ」が秀逸です。思わず大笑いしました😂
当時ハマったものは、今でも大好きなものが多いですね^^
待ってました😂このチャンネルで見なければ思い出す事もないゲームもあってすごい懐かしい今後も続き作ってくれたら嬉しいです。
ありがとうございます、また続編も作っていきたいですね^^
相変わらず凄い動画の数々御見それいたしましたしかしどれも知らないゲームばかり、あー情けない恋のホットロックが刺さりましたw最高です
恋のホットロックを知っている人は少なそうですね^^
当時戦いの挽歌はどこのゲーセンにもありました。それだけ人気があったということですよね。
闘いの挽歌は、当時から人気があったみたいですね^^
わぁ…トラックボールと筐体の間に手を挟んだ時の痛さ😱😱想像するだけで痛い😂😂😂😂
痛そうですよね^^;
恋のホットロックは楽曲の契約を考えるとアーケードアーカイブスで発売とはいかなさそうだなただゲーム自体があまり…
版権の嵐でいまだに移植されていない恋のホットロック。コナミの幻の名作です。
今となっては幻の作品ですね^^
「テーカンワールドカップ」は仲間うちでも大人気でした。シュートするときにトラックボールを手のひらでゴーーーッと転がすんですよね。ゴールのファンファーレが格別でした。「カルテット」はBGMがノリが良かったです。「初音ミク project DIVA ARCADE」では「多重未来のカルテット~QUARTET THEME~」として歌詞が付いて初音ミクが歌ってました。「MAGICAL SOUND SHOWER」「LIKE THE WIND (鏡音リン)」「AFTER BURNER (MEIKO)」も同様です。
テーカンワルドカップは。友達同士で遊ぶと盛り上がるでしょうね~^^
カルテットは音楽も最高てゲームも面白くて当時やりまくってましたね。✨闘いの挽歌もメジャーで、どこのゲーセンにもありました。✨ただ、カルテットは置いてあるとこが少なく、わざわざ遠くのゲーセンまで行きました。エンパイア・シティは置いてあるところがなく、ファミコンのマグナム危機一髪て初めてやりました。
当時はゲーセンも多く、色々自転車で回ってましたね~^^
マイナーなものが多い1986年でしたね
この頃にもなると各社からアーケードゲームが多数発売されて、人気の無いものはすぐに撤去されるか、そもそもお店に設置もされないことも多く、知らないゲームもたくさんありますよね^^;
テーカンワールドカップは田舎にもありました。自分もトラックボールに肉を挟みましたね。レトロゲームは奥が深いですね。
トラックボールに皮を挟むのは、想像しただけで痛そうですね^^;
いやぁ、懐かしい❗️当時はアーケードより先にファミコン版とかの移植された方を先にプレイすることが多かったので、アーケード版の存在を知らないゲームが多々ありました。(笑)逆にファミコン版→アーケードとプレイして、あまり変わりなかったナムコのゲームはスゲーな‼️て感心しました。ギャラクシアンとかディグダグとか😊
私もファミコン版から入ったゲームも多く、後にアーケード版を知って「難しい!」っと思ったものです^^
アルゴスの戦士とワンダーボーイは88年に近所のボウリング場ゲームコーナーで並んでて絶対両方やっていましたw前者は闘気のインドラ装着時に面クリアでカウント続行に少々引きました…😭結局最も嬉しかったアイテムはTマークかなw後者と高橋名人の冒険島で鍛えられたお陰でPCEカトケンはさほど苦にならなかったw
当時はボウリングやカラオケの待ち時間などにも、よくゲームをやってましたね^^
『恋のホットロック』は当時『月刊BEEP』の付録にソノシートが付いてきてよく聴いていたんですけど、実機が稼働しているゲーセンは何十年経った今でも見掛けませんね💦
恋のホットロックは、その存在は知っていても実際に見たことがある人は少なそうですね^^;
「テーカンワールドカップ」が流行ってた頃のゲーセンには、トラックボールを回す時の音がいつも鳴り響いていました。面白かったけど、力の弱い小学生には少し不利なゲームだったなあ。
ああ~確かにトラックボールは、力加減が難しそうですね^^;
東亜プランのアクションゲームなんてあったんですね😮
シューティングのイメージが強いですよね^^
黄金の城や初代ストリートファイターは覚えているけどゲットスターは覚えていないなぁ。戦いの挽歌は劇ムズですよね、分かりますwあれ?アルゴスの戦士→独眼鉄という時系列だったような…まぁこまけぇことは気にすんなよって感じでw男とはなんぞや(`・ω・´)
独眼鉄のモデルが、アルゴスの戦士だったかもしれませんねw
戦いの挽歌、ファミコンの移植が優秀だった。
闘いの挽歌のファミコン版は良移植でしたね^^
独眼鉄、影景、男爵ディーノですな!!
噛ませ犬的な存在に見えて、後半はカッコ良かったですよね^^
テーカンワールドカップは7秒あれば一点入れられるからね!
初めのうちだと!
自分も最高で5面まででした😭
サッカーのゲーム、懐かしっ
操作で手が痛かったのを思い出します
テーカンワルドカップは、今遊んでも楽しそうですね^^
アルゴスの戦士はステージが多すぎて飽きる。
5:10
まだゲームセンターに行くことができない小学生だったため、ファミスタで登場したピノとアチャ(90年度版以降ではキャスターとして)がトイポップの主人公であることを知らなかったですね。
10:48 以降
相変わらず、「念のためネタ」が秀逸です。
思わず大笑いしました😂
当時ハマったものは、今でも大好きなものが多いですね^^
待ってました😂
このチャンネルで見なければ思い出す事もないゲームもあってすごい懐かしい
今後も続き作ってくれたら嬉しいです。
ありがとうございます、
また続編も作っていきたいですね^^
相変わらず凄い動画の数々御見それいたしました
しかしどれも知らないゲームばかり、あー情けない
恋のホットロックが刺さりましたw最高です
恋のホットロックを知っている人は少なそうですね^^
当時戦いの挽歌はどこのゲーセンにもありました。それだけ人気があったということですよね。
闘いの挽歌は、当時から人気があったみたいですね^^
わぁ…トラックボールと筐体の間に手を挟んだ時の痛さ😱😱想像するだけで痛い😂😂😂😂
痛そうですよね^^;
恋のホットロックは楽曲の契約を考えると
アーケードアーカイブスで発売とはいかなさそうだな
ただゲーム自体があまり…
版権の嵐でいまだに移植されていない恋のホットロック。コナミの幻の名作です。
今となっては幻の作品ですね^^
「テーカンワールドカップ」は仲間うちでも大人気でした。シュートするときにトラックボールを手のひらでゴーーーッと転がすんですよね。ゴールのファンファーレが格別でした。「カルテット」はBGMがノリが良かったです。「初音ミク project DIVA ARCADE」では「多重未来のカルテット~QUARTET THEME~」として歌詞が付いて初音ミクが歌ってました。「MAGICAL SOUND SHOWER」「LIKE THE WIND (鏡音リン)」「AFTER BURNER (MEIKO)」も同様です。
テーカンワルドカップは。友達同士で遊ぶと盛り上がるでしょうね~^^
カルテットは音楽も最高てゲームも面白くて当時やりまくってましたね。✨
闘いの挽歌もメジャーで、どこのゲーセンにもありました。✨
ただ、カルテットは置いてあるとこが少なく、わざわざ遠くのゲーセンまで行きました。
エンパイア・シティは置いてあるところがなく、ファミコンのマグナム危機一髪て初めてやりました。
当時はゲーセンも多く、色々自転車で回ってましたね~^^
マイナーなものが多い1986年でしたね
この頃にもなると各社からアーケードゲームが多数発売されて、人気の無いものはすぐに撤去されるか、そもそもお店に設置もされないことも多く、知らないゲームもたくさんありますよね^^;
テーカンワールドカップは田舎にもありました。
自分もトラックボールに肉を挟みましたね。
レトロゲームは奥が深いですね。
トラックボールに皮を挟むのは、想像しただけで痛そうですね^^;
いやぁ、懐かしい❗️
当時はアーケードより先にファミコン版とかの移植された方を先にプレイすることが多かったので、アーケード版の存在を知らないゲームが多々ありました。(笑)
逆にファミコン版→アーケードとプレイして、あまり変わりなかったナムコのゲームはスゲーな‼️て感心しました。ギャラクシアンとかディグダグとか😊
私もファミコン版から入ったゲームも多く、後にアーケード版を知って「難しい!」っと思ったものです^^
アルゴスの戦士とワンダーボーイは88年に近所のボウリング場ゲームコーナーで並んでて絶対両方やっていましたw前者は闘気のインドラ装着時に面クリアでカウント続行に少々引きました…😭結局最も嬉しかったアイテムはTマークかなw後者と高橋名人の冒険島で鍛えられたお陰でPCEカトケンはさほど苦にならなかったw
当時はボウリングやカラオケの待ち時間などにも、よくゲームをやってましたね^^
『恋のホットロック』は当時『月刊BEEP』の付録にソノシートが付いてきてよく聴いていたんですけど、実機が稼働しているゲーセンは何十年経った今でも見掛けませんね💦
恋のホットロックは、その存在は知っていても実際に見たことがある人は少なそうですね^^;
「テーカンワールドカップ」が流行ってた頃のゲーセンには、トラックボールを回す時の音がいつも鳴り響いていました。面白かったけど、力の弱い小学生には少し不利なゲームだったなあ。
ああ~確かにトラックボールは、力加減が難しそうですね^^;
東亜プランのアクションゲームなんてあったんですね😮
シューティングのイメージが強いですよね^^
黄金の城や初代ストリートファイターは覚えているけどゲットスターは覚えていないなぁ。
戦いの挽歌は劇ムズですよね、分かりますw
あれ?アルゴスの戦士→独眼鉄という時系列だったような…まぁこまけぇことは気にすんなよって感じでw男とはなんぞや(`・ω・´)
独眼鉄のモデルが、アルゴスの戦士だったかもしれませんねw