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「彼を知り己を知れば百戦殆うからず」は「勝てる」と言ってないところがポイントだったりすると思ってる。「何回やっても負けない」
孫子の兵法書は、確か...一番最初に「戦うな」と説いていたのを覚えています兵法書なのに、まず「戦うな」に衝撃を受けた記憶があります。ww(国力疲弊のデメリットが大きいと)戦わずに勝つ方法も説いていましたね。まさに戦う前からが勝負なんですよね。
投資の本に、無茶するなと書いてあるのにも通じる
「相手の情報も自分の情報も正しく把握しようね(はぁと」と説いている一方で「相手の持っている情報を変えろ(謀略によって相手の強みを削げ。常に弱体化、不安定化させろ)」とも書いてあるエグい書物ですわ
確か、1970年代に孫ピンが記した竹簡が発掘されて、孫子=孫武が主流となったと聞きました。
自分が聞いたバージョンは孫子と孫臏兵法が両方とも発掘されたので、孫子は孫武が書いた書物だろうと言う結論が主流になった、です
「兵とは国の大事だいじなり、死生しせいの地、存亡そんぼうの道、察せざるべからざるなり」孫子の兵法書で一番大事なところはこの序文の一文だと思う
ドリフターズの信長なんか「合戦そのものはそれまで積んだ事の帰結よ、合戦に至るまで何をするかが俺は戦だと思っとる、猿以外、本質は誰も理解せんかったがな」なんて言ってるけどまさにこれ孫子の思想なのよね。野球だと野村克也なんかは孫子の兵法をよく体現してたな。
似たようなことを「センゴク」で信玄が言ってましたね
センゴクは一次史料にあたって制作してるだけあってたしかに臨場感ありますね。信玄が孫子ファンなのは従来知られていましたが確かに信玄なら言いそうなセリフが多いですね。
戦略の最上位が情報戦だと説いているのも孫子の凄い所やね
クラウゼヴィッツの戦争論はフランスの軍人ジョミニの著書「戦争概論」と組み合わせた時。初めて孫子の兵法と並ぶ効力を発揮する。
孫子にしても残って広まったのは曹操が注釈したものだから似たようなもんかと
兵法書も伝統的な格闘術も、戦のなきを上善とするところが深いです。それにしても、投稿ペースが高いっすね
戦争は国の存亡にかかわる大事だからよく心得て考えろこれで始まる兵法書ってすげえよ
「風林火山」、本当は「陰」と「雷」も入ってるんですよね。其の疾きこと風の如く、其の徐かなること林の如く、侵掠すること火の如く、動かざること山の如く、知り難きこと陰の如く、動くこと雷霆の如し。これが本来の「風林火山」なんです。
テニスの王子様で知った
大河ドラマで亀次郎が残りの二つも口にしてました@_@
文献によっては「動くこと雷霆の轟うが如し」と書いてあったりする
風林火山陰雷とかカッコ良すぎかよ
龐涓の散り際の言葉が格好良いですね!
孫子、本棚から引っ張り出してまた読みたくなってきた📖
実際バブル景気の頃に孫子の兵法書をビジネスの観点で読み解く本が結構あった
毎日投稿お疲れ様です。最後の方に字幕が止まったりしています。最近文字が抜けていたりとミスがあるので、疲れているのでは?毎日投稿はありがたいですが、是非休みも取ってください。
投稿お疲れ様です!
孫子を読んでる敵に対してどう戦うかを考えるために読む本だと思う。
春秋の話が、特に伍子胥の話が大好きなので、その辺の小説を色々読んだのですが、孫武登場の下りは、たいがいマズ伍子胥が孫子兵法書の竹簡を持って孫武を推挙し、その後に孫武が召し出されるという展開なんですが、史書にはないのですかねこのくだり。
たしか発掘で竹簡の孫子兵法書が発掘されて孫賓の時代には孫子は成立していたとされています。なので孫子=孫賓説は今ではほぼ否定されていますね。ただ呉の孫子のエピソードが怪しいのも事実で史書がどれだけ本当なのかはわかりません。
孫濱兵法って書も発見されているらしいから、これまたややこしい。
注釈をいれて纏めてわかりやすくした曹操とかいてさらに混迷に
彼を知らずして、己を知れば、一たび勝ちて、一たび負く。彼を知らず、己を知らざれば戦うごとに必ず敗るここが好き孫子の素晴らしい所は「こうすれば絶対に勝てる!」だけではなく「こうすれば絶対に負けない」という部分も多いということつまり完全なる敗北は死を招くが、何としても生き残れば再起できるとも主張している。勝ちも負けも自分でコントロールできると説いている日本が一番足りてないところ。「負け慣れる」は日本だと負け犬根性だと誤解されるが、自分でコントロール出来ればそれは敗者ではない法律を作ってもらい、軍隊すら持てず、法律の改正さえ出来ない、そもそも国民感情として改正に恐れと不安を感じるよう洗脳されている。それこそが真の敗北者「負け犬」だそうならないよう今でいう「主権(主導権)」を常に自分で確保、コントロールしろと、そう孫子は説いている
(7:30)「将たるものは陣中にある限り、君主の命令と言えども聞けないことがある」10代の頃読んでこの考え方に凄く感銘請けてそれから何十年と仕事をするときこの論理でうごいてたと思う。任された仕事は自分の軍隊で社長も口出す権限はない、みたいな。結果それは上手く行かなかったと思う。どんなに仕事が順調に成果を出していても突然解任される。好きな言葉だけど主君を選ぶ言葉だなと今は思う。
『孫子』九変編の『君命も受けざる所あり』『六韜』竜韜(立将)の『軍中のことは君命を聞かず、皆将より出ず』等々中国の兵法書には『軍権の君主からの独立』を重要視したフレーズがたびたび登場しますこれは君主権が強大であるという中華帝国のイメージからすれば意外なこと(むしろ強大だからこその指摘なのかも)のようですが一応建前として帷幕(司令部)を設置できる権限をもった将軍(かなり上位階級)は兵法書の教え通り現場では君命からの束縛を受けないこととなっており独立した命令権を持っているものとされました ちなみにこれが日本にも伝わり『征夷大将軍』は幕府(帷幕)の設置により朝廷から独立した命令系統が構築できることとされそれが時代が下り武家政権を設置する際の制度上の根拠とされるようになりました
野戦指揮では奮わなかったが指揮官をうまく指揮してアメリカを独立させたワシントン、人事畑から40人くらいの先任者をゴボウ抜きして太平洋艦隊司令長官として日本に勝利したニミッツも劉邦型かもね
マキャベリも孫氏と韓非子の影響を受けていると思うのですが15世紀のフィレンツェでこれらの書物を読む機会はあったのでしょうか?
大昔から古代ローマと東南アジアで交流があったし、なにかの拍子で輸出された可能性はあるかも
5:18会社経営者「ふむふむ、この書物によるとビルを爆破すれば取引で勝てるようじゃな。」
敵(の情報)を知り、己(の情報)を知れば勝つ。情報強者が情報弱者に勝つのは、はるか古代からの永遠の真理。
モンシア「敵を知り己を知れば百姓一揆って言うだろうが!」
キース「中尉殿!それを言うなら”百戦危うからず”では?」
ウラキ「人参いらないよ」
慣れたらこの贈り物の二人に「なんでこんなに好きなの?肌温度で熱く尊敬できるの?バカなの?」て部屋で一人で仁王立ちで言えるんだろうな世の中未曾有の危機がいよいよ未曾有さを増して今襲いかかってきたね誇張じゃなくもういつ社会を生かす為に誰かが僕かが死ぬか分からないよねすごいでもこの動画の行いのゃうな人びとがずっと続くならやっぱり簡単には生きることを諦めたくないよね
12:00から字幕がおかしくなってますね。。。
おかしい?
私が学生の時、昔は孫子は孫武ではなく孫賓が書いたという説もあったのが、どこかの墳墓から孫賓兵法が発見されたので孫賓が孫子の作者ではないかと言う説が否定されたとか世界史の先生に聞いたなぁ
魏延の官位を見ると諸葛亮政権下でその肩書は群を抜いており、かなり諸葛亮も気を遣っていたと思われます。ただまあ諸葛亮はトッㇷ゚として何でもやろうとしてたのは事実で、そこは魏延も不満が色々あったとは思いますね。ただ、諸葛亮もそう言った部分を自覚して気を遣っていたので、諸葛亮生存中は魏延はおとなしかったですよ。
孫子について書かれていた本で、百戦に~のくだりの主眼は己を知れば5分5分とも言及しているところだというものがあり、なるほどと思いました。
最強武将で、兵法家が来るとは予想外。確かに、直接殴るだけが戦いじゃないもんな。
ハンニバル先生も孫子みたいなもんなんだけどなぁ同じ扱いではないなぁ本にまとめたから文豪みたいな扱いなんだろうか
山梨県出身の母方の親戚で、結婚披露宴が有ると「風林火山」を叔父が吟じるのが、お約束です。 何時も思うのですが、先の大戦の日本軍の責任者たちは、どれほど敵をとことんまで研究をして知り、己の事も知っていた人がいたのでしょうか? 熱帯病はともかく、部下を餓死させたのですからね。特に牟田口さん!
兵は詭道(キリッ 拙速を貴ぶ(キリッ 糧は三度は載せず 敵を糧による(キリッ勝つべきものは攻なり(キリッ敵を知らず己も知らなかったのであんなことに・・・
最強の武将トーナメントー!
クラウゼヴィッツの解説も期待してます。でも、ナポレオンに負けに負け続けた人だから、どう紹介されるやらw
12:00~14:35まで画面おかしいですよ
わっほい!やっほい!最強!最強!王道と覇道の…かな。
今流通している孫子は曹操が編纂したというのは本当ですか?
いわゆる『孫子』自体の一番初めの原本(伝承通りの孫子)というのは見つかっていなくて(そもそんなものがあるのかも厳密には不明)考古学的に発見されている『孫子』、歴史的に伝えられている『孫子』ともに(誰が書いたかor誰が編集したかは別として)「どうやら一番最初の形からは幾分変化しているらしい」と言われています そのように歴史中に登場した『孫子』はさらに当初の物から加筆・注釈・編纂・意図しない誤伝等々が加わり複雑化していった(とされる)のですが曹操ができるだけシンプル(※1)に編纂し直し(※2)、それを本文としてさらに自身の注釈を加えたものを完成させました(いわゆる『魏武帝注釈孫子』(※3)) 実はその後も再編集、解釈論争(曹操の時点ですでに孫子は数百年昔の古典ですので曹操が再編集したといっても意味不明な点、コピペミスのような箇所が数点ある)は続くのですが基本的には曹操がまとめた(注釈無し版)段階のものをもって現代伝えられる、一般に読まれる『孫子』と見なされています ※1史記等に「孫子十三篇」とあるのに習い後世の加筆とされるものを省きもう一度『十三篇』に再編集したとされるただしこれは必ずしも『原本に近く直した』ということは意味しない(そも上記通り原本が十三篇だったかも不明ですし(^^;)) ※2、実は20世紀に考古学的に漢代の墓(曹操以前の時代)からある程度現代の物に近いいわゆる『孫子』が発見されており『曹操以前にすでに現在の形に近いものが流布していた』という可能性も現在充分考えられるわけですがただこの辺は深く探っても我々一般人にあまり益はなく(笑)上記※1にも言えることですが「曹操が製本した時点で『孫子』の編集合戦はお終い!締め切り!」となったというとりあえずの事実の理解でよいと思います 【余談の余談になりますがこの※2の考古学的に発見されたこのいわゆる『竹簡孫子』は現在(特に中国本国で)孫武作に近い(もっと言えば孫武作『そのもの』)とみなされることもありその場合『孫子』は原本成立以来ほぼ一貫して手は加えられていないこととなります(この見解には『孫子の内容の時代性』から否定的見解も少なくないですが)つまり上記「孫子が複雑化していった」という歴史上の事実は原本にプラスとして後世兵法家の注釈(加え書き、早い話『俺の意見』w)がどんどん増えていったに過ぎずその場合曹操の編集はそれを『整理した(削除した)』という話になります】 ※3、アマゾンキンドルで読めるようです(私は読んだことないですが(;´∀`))『著者』が『曹操、他(おそらく孫武w)』となってるのがなんか草生えるw
@@kappanouen 分かりやすく、かつ詳細な説明ありがとうございました詩人としても有名な曹操の編纂だから、これ以上の完成度のものを作ることが出来なかったというのもあるのでしょうね
孫武が偉大なのは理解できるが最強かと言われると白起や韓信、呉起。違う時代なら劉秀や謝玄といった強敵が居るからなぁ~。
チンギスハーンやアレクサンダー大王流の兵法って、残ってないのかな?
孫臏を扱っているのは嬉しいのですが、後半画面が全く固まる時間が数分あります。修正して再アップした方がよろしいかと。多忙で余裕がないようでしたらアップ頻度さげた方がいいのでは?解説内容その物は良質なのですから視聴者も充分待ってくれると思います。
格ゲーの世界でニューカマーが強いのも、相手を知ってるけど相手は知らない状態だもんな
動画が固まる箇所があるとのコメントがありますが、私は普通に見れました…。あれ?
孫武は本人も呉の将軍として、活躍する。呉が大きくなったのも、孫武が居たから、孫武は、一年も二年も相手国を、研究し、なるたけ、兵を喪わない方法を取って居る。孫武を呉がに紹介したのも伍子胥で有る。
曹操と司馬いは孫武タイプの武将。
崇められる傾向にある孔明がここまで叩かれる(?)のも珍しい
限総理も孫子をよくあ読みになったほうがよい、適材適所とは言いがたい。
途中で動画がおかしくなっておりますので、直していただければ幸い。それにしても、もう孫ピンが出てきましたか…確か20世に入ってから孫ピンの兵法が書かれた竹簡(孫ピン兵法)が発見されて、現在では孫子の著者ではないとされているはずですね。孫武の子孫とされていますが、そこらへんはビミョーですが…
情報収集の重要性や賞罰の厳格化など2000年以上も前に書かれたにもかかわらず現在の組織運営にも通じる完成度の高さ……軍事学・国際政治学における原点にして頂点左巻きの政治家にこそ読んで貰って現実の国際政治のリアルを感じとって貰いたい
なんかバグってる?
ある意味、戦争前後のマニュアル書
孫子の兵法一言で曰く『情報と情報の分析が全てを制す。』
あの時代は『いかに嘘で相手を騙すか』が全てだったからな…そのせいで『100年以上の大戦乱』だったんだよね。
11:58 あたりから画面固まってます..
かまどの数が減っているとおりに敵兵が減っているのかどうかの裏取りをせずに思い込みで突出したのが運の尽き、策士と策士の因縁死合いなのに、待てこれは○○の罠かも知れんと疑ってみないからやで
みんな、臏 孫子異伝は読んでいるのだろう。
そういえば孫堅も自称孫武の子孫だったような
鄭問の東周英雄伝で読んだなあ
10倍なら「包囲殲滅」、5倍なら「正面からゴリ押し」、同数なら…「戦わない」だったかな(笑)
銀英伝のヤンを思い出したのは私だけではないはず
野村克也監督の教え(笑)
実の所、この『孫子の兵法』は、後世の人間の『想像によるもの』だったりします。いや、『存在しない、後世の想像物』って意味ではなく、『書いてる字は読めるが、意味が解らない』為に、、後世の人間が『個々はこう読むだろうから、こういう意味だろ』って想像を繰り返して完成した物だったからだ。つまり『内容が全く違う可能性がある』って事。
孫子 沢山の著者がいる説は新しいね。私は孫武が著者だと思っているが色々な考察はあって当然。俺の世界史さん楽しませて貰いました。
まあ魏延は反乱起こしてないけどな……
蜀のこの時の記録は当然孔明死後のゴタゴタを勝ち残った遠征組の生き残りと遠征に参加せず本国に残った皇帝周辺の意見が『結果的に』記録されているにすぎませんので何とも言えませんが(^_^;)客観的におそらく確実であろうと言えることは ①孔明が234年に死亡したこと②その死後の遠征軍の方針・指揮系統に(孔明不在のため)何らかの混乱が生じ(※1)魏延・楊儀双方が双方を名指しで相手が「反逆した」と都の皇帝に上奏した③皇帝はおおいに困惑し周辺に意見を下問したところ都の高官の意見は楊儀を擁護するものであった④同時期にすでに実際に蜀漢遠征軍内部で何らかの戦闘があった⑤上記③の高官の一人蒋エンが現場に駆け付けようとしたがすでに魏延とその一族・関係者はすべて粛清された後であった 上記の事実関係もいつもの(笑)『生き残った側が残した記録』と言えるんですがもめ事があったことは確かなようで更に加えて言うと(本当に事実として何があったかは全く別の話として)事件の公式な事後処理としては他にやりようもなく『魏延が反乱を起こしたため』と後付けで処理(※2)されたようです(この件については正史三国志本文にさえ同情的論述があり、おそらく赤星レキさんの上記ご指摘はその部分のことですね) ※1,『魏延』がおそらくは蜀漢遠征軍の命令系統(ライン)では孔明に次ぐ次席であった(と思う。征西将軍だし)のに対し『楊儀』は軍権自体は低いのだが丞相府(孔明のスタッフ)の長史(幕僚長)であり孔明が不在になった場合双方「どちらが指揮権を(どの程度)持つのか」が非常にややこしいのかなとこの辺がお互いがお互いのやってることを『越権行為だ!(反逆だ)』と指摘・批判し合うことになった原因でしょうね(^_^;)
>戦争論よりも孫子政治国家まで含める視点に立つかどうかで、前者と後者の比重は異なる。
わっほい!やっほい\(^o^)/
ローマの将軍達と比較したら…ドーナル?
孫武の圧勝。ハンニバルやカエサルの考える戦術程度は軽く見抜く。
あるいは、戦闘にならない。ハンニバルに資産を貯めさせず、カエサルに人員を与えない。
実際の戦争や戦闘では孫武は、カエサルがやったほど広い領土を征服することなんて出来なかったし、ハンニバルやスキピオ・アフリカヌス、ポンペイウスがやり遂げたほどの特筆すべき戦果は挙げてませんね。
@@silversurfer512 求められていることが全然違うだろ。それにヨーロッパは蒙古の騎馬軍団にあっさり負けるレベルだぞ。
めんたいこたろう そんな事言ったら中国(宋)なんてモンゴルに滅ぼされてるやんけw
途中止まってる間に実際は解説画像があったかもと思うとちょっと勿体なかったですね・・・
信玄が常勝不敗ってのは言い過ぎ。普通に負け戦も経験してる。あと、百戦危うからずってのは「何回戦っても負けることはない。」って意味で何回戦っても「勝てる」って意味ではないよ。この動画はちょいと間違い多いね
動かざること山の如しといわれた怠惰な社員が昔の会社にいました。
元々居ないと思われた人物だが、その証拠が中国で見付かったから、今は孫武が居たことは、今は常識やないの?
キングダムに出てきた兵法だ
いつもゆっくりの話す速度の1.25倍で聞き流してるんだけど、最近それができないのは何故かな?
携帯電話で見ているなら、右上の点が縦に3つ並んでいる部分をタップすると、メニューが出て来るので、そこから速さの選択できまするの事アルネ。
PCで観ているなら、画面右下の歯車のマークをクリックするとメニューが出て来るので、速度を変更できるのコト。
おまいら最高
前の大戦で日本が先ず学ぶ事は古代ローマ帝国の歴史を学ぶ事だったと思います。ローマ帝国の将校候補の最初の仕事は兵站からで上手く仕事をした者を将軍が取り立てて行きました。兵站を理解してる者は自軍の勢力と物量を知り、限界も学べるからです。日本軍も其の事は良く分かって居ましたが、全て精神力に置き換えられてしまいましたからね。将校の育て方も戦術重視で兵站を学ばせませんでしたので、本来参謀の仕事とは兵站を滞り無くする事でしたが机上演習ばかりしてましたので、現地の将軍や作戦参謀達を差し置いて口出しし滅茶滅茶にしてしまいましたからね。海軍も兵力物量に劣るのに日本から遠い敵地で大消耗戦をして自ら体力を消耗してしまいましたからね。作戦云々の前に軍隊の基礎をスッカリ忘れてたかの様な戦い方でした。孫氏の兵法の前に軍隊とは巨大な胃袋だと下から上まで共通認識が有れば、避けられない負ける戦争でも真っ当な戦争は出来たと思います。日本には其れが出来なかったから今も批判が絶えないのです。
2:23「彼を知り己を知らば百戦危うからず」何で松井の甲子園5連続四球が非難されるんだ❓明徳義塾の馬渕監督は孫子の兵法を正に体現したのに😡
孫子を愛読してた有名人といえば『ジョセフ・ジョースター』やその敵で柱の男の一人『エシディシ』なんかも有名ですね😃(エシディシに至ってはご本人にあった可能性すらあるw)
競馬のエピソード・・・は?
で、トーナメントなんですが、誰と誰が戦うんですか?
今は出場者の説明の段階だから…
孫子は孫堅・孫権の御先祖様なんですか?
あくまで「自称」だから。箔付のためにそういう事にしてた可能性が高い。
バグってる
中国大好きみたいですね
尊師は孫子を読んでなかったから逮捕されたのだ
孫武じゃないの?
孫子のことなのに銀雀山漢墓竹簡のことを触れていないのはどうかと?伝聞ですが、『呉越春秋』に従うと、闔閭への謁見の大分前に呉に亡命しており、呉の宰相・伍子胥の知遇を得て推挙さてたとのことだから、当然謁見前に兵法書をさしでしているので闔閭が知っているのは当たり前かと?(『呉越春秋』は1世紀の作品で小説のようなものだからあてにならないけど)孫子呉起列以外の箇所でも孫武は簡単だが記述されており、伍子胥とともに活躍していたようですが、闔閭の死後記述がなくなっており、伝聞ですが『呉越春秋』では辞職したようになっているとのこと。銀雀山漢墓竹簡によれば、孫臏はダメな指揮官に部隊を預け、敵にぶつけて大敗させ、相手が油断させることをしています。カール・フォン・クラウゼヴィッツの『戦争論』ですが、研究者によると未完成の作品であり、作者本人が考えを何度か変更しているため最終的な方向が見えていない著作であるとのこと、そのため決定的会戦の重視や敵兵力の殲滅、敵国の完全打倒が主たる目的とした主張をしていると考えるのは早計であるとのこと。読んだことがないので何とも言えないですが。
>カール・フォン・クラウゼヴィッツの『戦争論』ですが、研究者によると未完成の作品であり↑『研究者によると』というか本人の没後出版で前書き(だったか後書きだったか)を普通に嫁さんが代筆してその辺の事情は(嫁さんによって)細かく説明されてますよ
魏延、サマソ放ちながら敵陣に突っ込むイメージしかない←カプコン「赤壁の戦いⅡ」
ちょっと待ってほしい。孫武と孫臏、二人一組でエントリーかい?武廟良将十哲の孫武と名将六十四名の孫臏だよ。もう孫子の優勝じゃん。當に「善く戦う者は、不敗の地に立ちて、敵の敗を失わざるなり。是故に、勝兵は先ず勝ちて而る後に戦を求め、敗兵は先ず戦いて而る後に勝を求む。」と言うことなのか!?
武廟に祀られてれば名将というのは成り立つけど、祀られていなかったら格下というわけでもない。例えば諸葛亮は十哲だけど司馬懿は六十四将にも入ってない。だからといって諸葛亮>>司馬懿という事もない。(司馬懿が武廟に祀られていないのは諡が宣帝なので君主として扱われていると思われる。)また、最強武将では必ず名前があがるであろう項羽も入っていない。あと、基本的に十哲>六十四将なんだけど価値観がわかれるのも結構ある。例えば、司馬穰苴は十哲、管仲は六十四将なんだけど斉に貢献したのはどっちだと言われれば管仲だろう。後世への影響だって司馬法と管子だったら管子の方が上じゃない?(将、軍にあっては君命も受けざるところありvs 衣食足りて礼節を知る)そもそも武廟がなんで建てられたかを考えれば、武廟十哲と武廟六十四将がセットだろうと太公望の方が格上になっちゃう。なので「もう孫子の優勝じゃん」というほどでもないと思う。
途中画像バクってる。
2分前に動画アップロードされたのにバッドボタン👎が既に押されてる(笑)
さてはアンチだなそいつ
アンチがちょくちょく湧くんですよ……
動画が16分なのにうp後2分でバットボタンて…歴史は近代に近づくにつれて思想・イデオロギーが入ってくるので、今後思想系のアンチ来るのがおっかないです。単にうp主様がお金儲けてそうで悔しいと言うアンチならその内飽きるだろうから、そんなに心配しないけど。
噓も100回言えば真実に成る、少しの真実に作り話、今の時代のメディアのやり方、時代は変われど、人は変わらず。
なんか整形した?
「彼を知り己を知れば百戦殆うからず」は「勝てる」と言ってないところがポイントだったりすると思ってる。「何回やっても負けない」
孫子の兵法書は、確か...一番最初に「戦うな」と説いていたのを覚えています
兵法書なのに、まず「戦うな」に衝撃を受けた記憶があります。ww(国力疲弊のデメリットが大きいと)
戦わずに勝つ方法も説いていましたね。
まさに戦う前からが勝負なんですよね。
投資の本に、無茶するなと書いてあるのにも通じる
「相手の情報も自分の情報も正しく把握しようね(はぁと」と説いている一方で
「相手の持っている情報を変えろ(謀略によって相手の強みを削げ。常に弱体化、不安定化させろ)」とも書いてある
エグい書物ですわ
確か、1970年代に孫ピンが記した竹簡が発掘されて、孫子=孫武が主流となったと聞きました。
自分が聞いたバージョンは孫子と孫臏兵法が両方とも発掘されたので、孫子は孫武が書いた書物だろうと言う結論が主流になった、です
「兵とは国の大事だいじなり、死生しせいの地、存亡そんぼうの道、察せざるべからざるなり」
孫子の兵法書で一番大事なところはこの序文の一文だと思う
ドリフターズの信長なんか「合戦そのものはそれまで積んだ事の帰結よ、合戦に至るまで何をするかが俺は戦だと思っとる、猿以外、本質は誰も理解せんかったがな」なんて言ってるけどまさにこれ孫子の思想なのよね。
野球だと野村克也なんかは孫子の兵法をよく体現してたな。
似たようなことを「センゴク」で信玄が言ってましたね
センゴクは一次史料にあたって制作してるだけあってたしかに臨場感ありますね。信玄が孫子ファンなのは従来知られていましたが確かに信玄なら言いそうなセリフが多いですね。
戦略の最上位が情報戦だと説いているのも孫子の凄い所やね
クラウゼヴィッツの戦争論はフランスの軍人ジョミニの著書「戦争概論」と組み合わせた時。初めて孫子の兵法と並ぶ効力を発揮する。
孫子にしても残って広まったのは曹操が注釈したものだから似たようなもんかと
兵法書も伝統的な格闘術も、戦のなきを上善とするところが深いです。
それにしても、投稿ペースが高いっすね
戦争は国の存亡にかかわる大事だからよく心得て考えろ
これで始まる兵法書ってすげえよ
「風林火山」、本当は「陰」と「雷」も入ってるんですよね。
其の疾きこと風の如く、其の徐かなること林の如く、侵掠すること火の如く、動かざること山の如く、知り難きこと陰の如く、動くこと雷霆の如し。
これが本来の「風林火山」なんです。
テニスの王子様で知った
大河ドラマで亀次郎が残りの二つも口にしてました@_@
文献によっては「動くこと雷霆の轟うが如し」と書いてあったりする
風林火山陰雷とかカッコ良すぎかよ
龐涓の散り際の言葉が格好良いですね!
孫子、本棚から引っ張り出してまた読みたくなってきた📖
実際バブル景気の頃に孫子の兵法書をビジネスの観点で読み解く本が結構あった
毎日投稿お疲れ様です。
最後の方に字幕が止まったりしています。最近文字が抜けていたりとミスがあるので、疲れているのでは?
毎日投稿はありがたいですが、是非休みも取ってください。
投稿お疲れ様です!
孫子を読んでる敵に対してどう戦うかを考えるために読む本だと思う。
春秋の話が、特に伍子胥の話が大好きなので、その辺の小説を色々読んだのですが、
孫武登場の下りは、たいがいマズ伍子胥が孫子兵法書の竹簡を持って孫武を推挙し、
その後に孫武が召し出されるという展開なんですが、史書にはないのですかねこのくだり。
たしか発掘で竹簡の孫子兵法書が発掘されて孫賓の時代には孫子は成立していたとされています。なので孫子=孫賓説は今ではほぼ否定されていますね。ただ呉の孫子のエピソードが怪しいのも事実で史書がどれだけ本当なのかはわかりません。
孫濱兵法って書も発見されているらしいから、これまたややこしい。
注釈をいれて纏めてわかりやすくした曹操とかいてさらに混迷に
彼を知らずして、己を知れば、一たび勝ちて、一たび負く。彼を知らず、己を知らざれば戦うごとに必ず敗る
ここが好き
孫子の素晴らしい所は「こうすれば絶対に勝てる!」だけではなく「こうすれば絶対に負けない」という部分も多いということ
つまり完全なる敗北は死を招くが、何としても生き残れば再起できるとも主張している。勝ちも負けも自分でコントロールできると説いている
日本が一番足りてないところ。
「負け慣れる」は日本だと負け犬根性だと誤解されるが、自分でコントロール出来ればそれは敗者ではない
法律を作ってもらい、軍隊すら持てず、法律の改正さえ出来ない、そもそも国民感情として改正に恐れと不安を感じるよう洗脳されている。
それこそが真の敗北者「負け犬」だ
そうならないよう今でいう「主権(主導権)」を常に自分で確保、コントロールしろと、そう孫子は説いている
(7:30)「将たるものは陣中にある限り、君主の命令と言えども聞けないことがある」10代の頃読んでこの考え方に凄く感銘請けてそれから何十年と仕事をするときこの論理でうごいてたと思う。任された仕事は自分の軍隊で社長も口出す権限はない、みたいな。結果それは上手く行かなかったと思う。どんなに仕事が順調に成果を出していても突然解任される。好きな言葉だけど主君を選ぶ言葉だなと今は思う。
『孫子』九変編の『君命も受けざる所あり』
『六韜』竜韜(立将)の『軍中のことは君命を聞かず、皆将より出ず』
等々中国の兵法書には『軍権の君主からの独立』を重要視したフレーズがたびたび登場します
これは君主権が強大であるという中華帝国のイメージからすれば意外なこと(むしろ強大だからこその指摘なのかも)のようですが
一応建前として帷幕(司令部)を設置できる権限をもった将軍(かなり上位階級)は兵法書の教え通り現場では君命からの束縛を受けないこととなっており独立した命令権を持っているものとされました
ちなみにこれが日本にも伝わり
『征夷大将軍』は幕府(帷幕)の設置により朝廷から独立した命令系統が構築できることとされ
それが時代が下り武家政権を設置する際の制度上の根拠とされるようになりました
野戦指揮では奮わなかったが指揮官をうまく指揮してアメリカを独立させたワシントン、人事畑から40人くらいの先任者をゴボウ抜きして太平洋艦隊司令長官として日本に勝利したニミッツも劉邦型かもね
マキャベリも孫氏と韓非子の影響を受けていると思うのですが
15世紀のフィレンツェでこれらの書物を読む機会はあったのでしょうか?
大昔から古代ローマと東南アジアで交流があったし、なにかの拍子で輸出された可能性はあるかも
5:18
会社経営者「ふむふむ、この書物によるとビルを爆破すれば取引で勝てるようじゃな。」
敵(の情報)を知り、己(の情報)を知れば勝つ。
情報強者が情報弱者に勝つのは、はるか古代からの永遠の真理。
モンシア「敵を知り己を知れば百姓一揆って言うだろうが!」
キース「中尉殿!それを言うなら”百戦危うからず”では?」
ウラキ「人参いらないよ」
慣れたら
この贈り物の二人に
「なんでこんなに好きなの?肌温度で熱く尊敬できるの?バカなの?」
て部屋で一人で仁王立ちで言えるんだろうな
世の中未曾有の危機がいよいよ未曾有さを増して今襲いかかってきたね
誇張じゃなくもういつ社会を生かす為に誰かが僕かが死ぬか分からないよね
すごい
でもこの動画の行いのゃうな人びとがずっと続くなら
やっぱり簡単には生きることを諦めたくないよね
12:00から字幕がおかしくなってますね。。。
おかしい?
私が学生の時、昔は孫子は孫武ではなく孫賓が書いたという説もあったのが、どこかの墳墓から孫賓兵法が発見されたので孫賓が孫子の作者ではないかと言う説が否定されたとか世界史の先生に聞いたなぁ
魏延の官位を見ると諸葛亮政権下でその肩書は群を抜いており、かなり諸葛亮も気を遣っていたと思われます。
ただまあ諸葛亮はトッㇷ゚として何でもやろうとしてたのは事実で、そこは魏延も不満が色々あったとは思いますね。
ただ、諸葛亮もそう言った部分を自覚して気を遣っていたので、諸葛亮生存中は魏延はおとなしかったですよ。
孫子について書かれていた本で、百戦に~のくだりの主眼は己を知れば5分5分とも言及しているところだというものがあり、なるほどと思いました。
最強武将で、兵法家が来るとは予想外。
確かに、直接殴るだけが戦いじゃないもんな。
ハンニバル先生も孫子みたいなもんなんだけどなぁ
同じ扱いではないなぁ
本にまとめたから文豪みたいな扱いなんだろうか
山梨県出身の母方の親戚で、結婚披露宴が有ると「風林火山」を叔父が吟じるのが、お約束です。 何時も思うのですが、先の大戦の日本軍の責任者たちは、どれほど敵をとことんまで研究をして知り、己の事も知っていた人がいたのでしょうか? 熱帯病はともかく、部下を餓死させたのですからね。特に牟田口さん!
兵は詭道(キリッ 拙速を貴ぶ(キリッ
糧は三度は載せず 敵を糧による(キリッ
勝つべきものは攻なり(キリッ
敵を知らず己も知らなかったのであんなことに・・・
最強の武将トーナメントー!
クラウゼヴィッツの解説も期待してます。でも、ナポレオンに負けに負け続けた人だから、どう紹介されるやらw
12:00~14:35まで画面おかしいですよ
わっほい!やっほい!最強!最強!
王道と覇道の…かな。
今流通している孫子は曹操が編纂したというのは本当ですか?
いわゆる『孫子』自体の一番初めの原本(伝承通りの孫子)というのは見つかっていなくて(そもそんなものがあるのかも厳密には不明)
考古学的に発見されている『孫子』、歴史的に伝えられている『孫子』ともに(誰が書いたかor誰が編集したかは別として)
「どうやら一番最初の形からは幾分変化しているらしい」と言われています
そのように歴史中に登場した『孫子』はさらに当初の物から加筆・注釈・編纂・意図しない誤伝等々が加わり複雑化していった(とされる)のですが
曹操ができるだけシンプル(※1)に編纂し直し(※2)、それを本文としてさらに自身の注釈を加えたものを完成させました(いわゆる『魏武帝注釈孫子』(※3))
実はその後も
再編集、解釈論争(曹操の時点ですでに孫子は数百年昔の古典ですので曹操が再編集したといっても意味不明な点、コピペミスのような箇所が数点ある)は続くのですが
基本的には曹操がまとめた(注釈無し版)段階のものをもって現代伝えられる、一般に読まれる『孫子』と見なされています
※1史記等に「孫子十三篇」とあるのに習い後世の加筆とされるものを省きもう一度『十三篇』に再編集したとされる
ただしこれは必ずしも『原本に近く直した』ということは意味しない(そも上記通り原本が十三篇だったかも不明ですし(^^;))
※2、実は20世紀に考古学的に漢代の墓(曹操以前の時代)からある程度現代の物に近いいわゆる『孫子』が発見されており『曹操以前にすでに現在の形に近いものが流布していた』という可能性も現在充分考えられるわけですが
ただこの辺は深く探っても我々一般人にあまり益はなく(笑)
上記※1にも言えることですが「曹操が製本した時点で『孫子』の編集合戦はお終い!締め切り!」となったというとりあえずの事実の理解でよいと思います
【余談の余談になりますがこの※2の考古学的に発見されたこのいわゆる『竹簡孫子』は現在(特に中国本国で)孫武作に近い(もっと言えば孫武作『そのもの』)とみなされることもあり
その場合『孫子』は原本成立以来ほぼ一貫して手は加えられていないこととなります(この見解には『孫子の内容の時代性』から否定的見解も少なくないですが)
つまり上記「孫子が複雑化していった」という歴史上の事実は原本にプラスとして後世兵法家の注釈(加え書き、早い話『俺の意見』w)がどんどん増えていったに過ぎず
その場合曹操の編集はそれを『整理した(削除した)』という話になります】
※3、アマゾンキンドルで読めるようです(私は読んだことないですが(;´∀`))
『著者』が『曹操、他(おそらく孫武w)』となってるのがなんか草生えるw
@@kappanouen 分かりやすく、かつ詳細な説明ありがとうございました
詩人としても有名な曹操の編纂だから、これ以上の完成度のものを作ることが出来なかったというのもあるのでしょうね
孫武が偉大なのは理解できるが最強かと言われると白起や韓信、呉起。違う時代なら劉秀や謝玄といった強敵が居るからなぁ~。
チンギスハーンやアレクサンダー大王流の兵法って、残ってないのかな?
孫臏を扱っているのは嬉しいのですが、後半画面が全く固まる時間が数分あります。修正して再アップした方がよろしいかと。
多忙で余裕がないようでしたらアップ頻度さげた方がいいのでは?
解説内容その物は良質なのですから視聴者も充分待ってくれると思います。
格ゲーの世界でニューカマーが強いのも、相手を知ってるけど相手は知らない状態だもんな
動画が固まる箇所があるとのコメントがありますが、私は普通に見れました…。あれ?
孫武は本人も呉の将軍として、活躍する。
呉が大きくなったのも、孫武が居たから、
孫武は、一年も二年も相手国を、研究
し、なるたけ、兵を
喪わない方法を取って居る。
孫武を呉がに紹介したのも
伍子胥で有る。
曹操と司馬いは孫武タイプの武将。
崇められる傾向にある孔明がここまで叩かれる(?)のも珍しい
限総理も孫子をよくあ読みになったほうがよい、適材適所とは言いがたい。
途中で動画がおかしくなっておりますので、直していただければ幸い。
それにしても、もう孫ピンが出てきましたか…
確か20世に入ってから孫ピンの兵法が書かれた竹簡(孫ピン兵法)が発見されて、現在では孫子の著者ではないとされているはずですね。
孫武の子孫とされていますが、そこらへんはビミョーですが…
情報収集の重要性や賞罰の厳格化など2000年以上も前に書かれたにもかかわらず現在の組織運営にも通じる完成度の高さ……軍事学・国際政治学における原点にして頂点
左巻きの政治家にこそ読んで貰って現実の国際政治のリアルを感じとって貰いたい
なんかバグってる?
ある意味、戦争前後のマニュアル書
孫子の兵法一言で曰く
『情報と情報の分析が全てを制す。』
あの時代は『いかに嘘で相手を騙すか』が全てだったからな…
そのせいで『100年以上の大戦乱』だったんだよね。
11:58 あたりから画面固まってます..
かまどの数が減っているとおりに敵兵が減っているのかどうかの裏取りをせずに思い込みで突出したのが運の尽き、
策士と策士の因縁死合いなのに、待てこれは○○の罠かも知れんと疑ってみないからやで
みんな、臏 孫子異伝は読んでいるのだろう。
そういえば孫堅も自称孫武の子孫だったような
鄭問の東周英雄伝で読んだなあ
10倍なら「包囲殲滅」、5倍なら「正面からゴリ押し」、同数なら…「戦わない」だったかな(笑)
銀英伝のヤンを思い出したのは私だけではないはず
野村克也監督の教え(笑)
実の所、この『孫子の兵法』は、後世の人間の『想像によるもの』だったりします。
いや、『存在しない、後世の想像物』って意味ではなく、『書いてる字は読めるが、意味が解らない』為に、、後世の人間が『個々はこう読むだろうから、こういう意味だろ』って想像を繰り返して完成した物だったからだ。
つまり『内容が全く違う可能性がある』って事。
孫子 沢山の著者がいる説は新しいね。
私は孫武が著者だと思っているが色々な考察はあって当然。
俺の世界史さん楽しませて貰いました。
まあ魏延は反乱起こしてないけどな……
蜀のこの時の記録は当然孔明死後のゴタゴタを勝ち残った遠征組の生き残りと
遠征に参加せず本国に残った皇帝周辺の意見が『結果的に』記録されているにすぎませんので何とも言えませんが(^_^;)
客観的におそらく確実であろうと言えることは
①孔明が234年に死亡したこと
②その死後の遠征軍の方針・指揮系統に(孔明不在のため)何らかの混乱が生じ(※1)魏延・楊儀双方が双方を名指しで相手が「反逆した」と都の皇帝に上奏した
③皇帝はおおいに困惑し周辺に意見を下問したところ都の高官の意見は楊儀を擁護するものであった
④同時期にすでに実際に蜀漢遠征軍内部で何らかの戦闘があった
⑤上記③の高官の一人蒋エンが現場に駆け付けようとしたがすでに魏延とその一族・関係者はすべて粛清された後であった
上記の事実関係もいつもの(笑)『生き残った側が残した記録』と言えるんですがもめ事があったことは確かなようで
更に加えて言うと(本当に事実として何があったかは全く別の話として)事件の公式な事後処理としては他にやりようもなく
『魏延が反乱を起こしたため』と後付けで処理(※2)されたようです(この件については正史三国志本文にさえ同情的論述があり、おそらく赤星レキさんの上記ご指摘はその部分のことですね)
※1,『魏延』がおそらくは蜀漢遠征軍の命令系統(ライン)では孔明に次ぐ次席であった(と思う。征西将軍だし)のに対し
『楊儀』は軍権自体は低いのだが丞相府(孔明のスタッフ)の長史(幕僚長)であり
孔明が不在になった場合双方「どちらが指揮権を(どの程度)持つのか」が非常にややこしいのかなと
この辺がお互いがお互いのやってることを『越権行為だ!(反逆だ)』と指摘・批判し合うことになった原因でしょうね(^_^;)
>戦争論よりも孫子
政治国家まで含める視点に立つかどうかで、前者と後者の比重は異なる。
わっほい!やっほい\(^o^)/
ローマの将軍達と比較したら…ドーナル?
孫武の圧勝。ハンニバルやカエサルの考える戦術程度は軽く見抜く。
あるいは、戦闘にならない。ハンニバルに資産を貯めさせず、カエサルに人員を与えない。
実際の戦争や戦闘では孫武は、カエサルがやったほど広い領土を征服することなんて出来なかったし、
ハンニバルやスキピオ・アフリカヌス、ポンペイウスがやり遂げたほどの特筆すべき戦果は挙げてませんね。
@@silversurfer512 求められていることが全然違うだろ。それにヨーロッパは蒙古の騎馬軍団にあっさり負けるレベルだぞ。
めんたいこたろう そんな事言ったら中国(宋)なんてモンゴルに滅ぼされてるやんけw
途中止まってる間に実際は解説画像があったかもと思うとちょっと勿体なかったですね・・・
信玄が常勝不敗ってのは言い過ぎ。
普通に負け戦も経験してる。
あと、百戦危うからずってのは「何回戦っても負けることはない。」って意味で何回戦っても「勝てる」って意味ではないよ。
この動画はちょいと間違い多いね
動かざること山の如しといわれた怠惰な社員が昔の会社にいました。
元々居ないと思われた人物だが、その証拠が中国で見付かったから、今は孫武が居たことは、今は常識やないの?
キングダムに出てきた兵法だ
いつもゆっくりの話す速度の1.25倍で聞き流してるんだけど、最近それができないのは何故かな?
携帯電話で見ているなら、右上の点が縦に3つ並んでいる部分をタップすると、メニューが出て来るので、そこから速さの選択できまするの事アルネ。
PCで観ているなら、画面右下の歯車のマークをクリックするとメニューが出て来るので、速度を変更できるのコト。
おまいら最高
前の大戦で日本が先ず学ぶ事は古代ローマ帝国の歴史を学ぶ事だったと思います。ローマ帝国の将校候補の最初の仕事は兵站からで上手く仕事をした者を将軍が取り立てて行きました。兵站を理解してる者は自軍の勢力と物量を知り、限界も学べるからです。日本軍も其の事は良く分かって居ましたが、全て精神力に置き換えられてしまいましたからね。将校の育て方も戦術重視で兵站を学ばせませんでしたので、本来参謀の仕事とは兵站を滞り無くする事でしたが机上演習ばかりしてましたので、現地の将軍や作戦参謀達を差し置いて口出しし滅茶滅茶にしてしまいましたからね。海軍も兵力物量に劣るのに日本から遠い敵地で大消耗戦をして自ら体力を消耗してしまいましたからね。作戦云々の前に軍隊の基礎をスッカリ忘れてたかの様な戦い方でした。孫氏の兵法の前に軍隊とは巨大な胃袋だと下から上まで共通認識が有れば、避けられない負ける戦争でも真っ当な戦争は出来たと思います。日本には其れが出来なかったから今も批判が絶えないのです。
2:23
「彼を知り己を知らば百戦危うからず」
何で松井の甲子園5連続四球が非難されるんだ❓
明徳義塾の馬渕監督は孫子の兵法を正に体現したのに😡
孫子を愛読してた有名人といえば『ジョセフ・ジョースター』やその敵で柱の男の一人『エシディシ』なんかも有名ですね😃(エシディシに至ってはご本人にあった可能性すらあるw)
競馬のエピソード・・・は?
で、トーナメントなんですが、誰と誰が戦うんですか?
今は出場者の説明の段階だから…
孫子は孫堅・孫権の御先祖様
なんですか?
あくまで「自称」だから。
箔付のためにそういう事にしてた可能性が高い。
バグってる
中国大好きみたいですね
尊師は孫子を読んでなかったから逮捕されたのだ
孫武じゃないの?
孫子のことなのに銀雀山漢墓竹簡のことを触れていないのはどうかと?
伝聞ですが、『呉越春秋』に従うと、闔閭への謁見の大分前に呉に亡命しており、呉の宰相・伍子胥の知遇を得て推挙さてたとのことだから、当然謁見前に兵法書をさしでしているので闔閭が知っているのは当たり前かと?
(『呉越春秋』は1世紀の作品で小説のようなものだからあてにならないけど)
孫子呉起列以外の箇所でも孫武は簡単だが記述されており、伍子胥とともに活躍していたようですが、闔閭の死後記述が
なくなっており、伝聞ですが『呉越春秋』では辞職したようになっているとのこと。
銀雀山漢墓竹簡によれば、孫臏はダメな指揮官に部隊を預け、敵にぶつけて大敗させ、相手が油断させることをしています。
カール・フォン・クラウゼヴィッツの『戦争論』ですが、研究者によると未完成の作品であり、作者本人が考えを何度か変更しているため最終的な方向が見えていない著作であるとのこと、そのため決定的会戦の重視や敵兵力の殲滅、敵国の完全打倒が主たる目的とした主張をしていると考えるのは早計であるとのこと。
読んだことがないので何とも言えないですが。
>カール・フォン・クラウゼヴィッツの『戦争論』ですが、研究者によると未完成の作品であり
↑『研究者によると』というか本人の没後出版で前書き(だったか後書きだったか)を普通に嫁さんが代筆してその辺の事情は(嫁さんによって)細かく説明されてますよ
魏延、サマソ放ちながら敵陣に突っ込むイメージしかない←カプコン「赤壁の戦いⅡ」
ちょっと待ってほしい。孫武と孫臏、二人一組でエントリーかい?
武廟良将十哲の孫武と名将六十四名の孫臏だよ。もう孫子の優勝じゃん。
當に「善く戦う者は、不敗の地に立ちて、敵の敗を失わざるなり。是故に、勝兵は先ず勝ちて而る後に戦を求め、敗兵は先ず戦いて而る後に勝を求む。」
と言うことなのか!?
武廟に祀られてれば名将というのは成り立つけど、祀られていなかったら格下というわけでもない。
例えば諸葛亮は十哲だけど司馬懿は六十四将にも入ってない。だからといって諸葛亮>>司馬懿という事もない。
(司馬懿が武廟に祀られていないのは諡が宣帝なので君主として扱われていると思われる。)
また、最強武将では必ず名前があがるであろう項羽も入っていない。
あと、基本的に十哲>六十四将なんだけど価値観がわかれるのも結構ある。
例えば、司馬穰苴は十哲、管仲は六十四将なんだけど斉に貢献したのはどっちだと言われれば管仲だろう。
後世への影響だって司馬法と管子だったら管子の方が上じゃない?
(将、軍にあっては君命も受けざるところありvs 衣食足りて礼節を知る)
そもそも武廟がなんで建てられたかを考えれば、武廟十哲と武廟六十四将がセットだろうと太公望の方が格上になっちゃう。
なので「もう孫子の優勝じゃん」というほどでもないと思う。
途中画像バクってる。
2分前に動画アップロードされたのにバッドボタン👎が既に押されてる(笑)
さてはアンチだなそいつ
アンチがちょくちょく湧くんですよ……
動画が16分なのにうp後2分でバットボタンて…歴史は近代に近づくにつれて思想・イデオロギーが入ってくるので、今後思想系のアンチ来るのがおっかないです。単にうp主様がお金儲けてそうで悔しいと言うアンチならその内飽きるだろうから、そんなに心配しないけど。
噓も100回言えば真実に成る、少しの真実に作り話、今の時代のメディアのやり方、時代は変われど、人は変わらず。
なんか整形した?