戦友 歌詞14番完全歌唱版 日本の名曲 Cover 華之将
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- เผยแพร่เมื่อ 4 ธ.ค. 2024
- 「戦友」(1905年「明治38年」)...唱歌:軍歌、作詞:真下飛泉作詞、作曲:三善和気...この歌は全14番の詞から成り立っており、日露戦争時の戦闘の詩がつづられている。戦友を失う兵士の哀愁を切々と歌い込む歌詞と、同じく哀切極まりない曲調が人々の共感を呼び、たちまち全国に広まって永く歌い継がれました。戦前の日本でこの歌を知らない人はなかったといわれます。日露戦争当時の陸軍は最終的に将兵がこの歌を歌う事を禁止した。太平洋戦争中も「戦友」は禁歌だったが、多くの兵士に愛されて歌唱されていたと言う。この「戦友」は戦争を美化している歌ではなく、むしろ戦争の悲惨さを歌ったもの。幼い頃父が好きで良く歌っていました。当時は歌詞の意味など全くしりませんでしたが、亡き父の思い出の唄でもあります。日本は日露戦争や大東亜戦争などで心ならずも散っていった多くの若者の命を踏み台にして現在の繁栄があるのでしょう。唱歌「戦友」を軍歌という人もありますが、唱歌「戦友」は軍歌ではなく、反戦歌でもなく、戦死者を弔う鎮魂歌だと思います。....(●^o^●)♪....
歌詞は時代背景が違うので、現代風の漢字などに変えています。
1,ここは御国を何百里 離れて遠き滿洲の 赤い夕陽にてらされて 友は野末の石の下
2,思へば悲し昨日まで 眞つ先駆けて突進し 敵を散々懲らしたる 勇士は比虜に眠れるか
3, 嗚呼戦ひの最中に 隣に居りし我が友の 俄かにはたと倒れしを 我は思はず駆け寄って
4,軍律厳しき中なれど 是が見捨てて置かれうか 「しっかりせよ」と抱き起し 仮繃帯も彈丸の中
5,折から起る突貫に 友はやうやう顏上げて 「お国の為だ、構わずに 後れて呉れなと」と目に淚
6,後に心は残れども 残しちやならぬ此の身体 「それぢゃ行よ」と別れたが 永の別れとなったのか
7,戦い済んで日が暮れて 探しに戻る心では どうぞ生きて居てく呉れよ 物等言へと願ふたに
8,空しく冷えて魂は 国へ帰ったポケットに 時計許りがコチコチと 動いて居るも情けなや
9,思へば去年船出して 御国が見えずに為った時 玄界灘に手を握り 名をなのったが始めにて
10,それより後は一本の 煙草も二人わけて喫み ついた手紙も見せ合ふて 身の話繰り返し
11,肩を抱いては口癖に どうせ命は無いものよ 死んだら骨を頼むぞと 言ひ交はしたる二人中
12,思ひも寄らぬ我一人 不思議に命永らへて 赤い夕陽の滿洲に 友の塚穴掘らうとは
13,隈無くはれた月今宵 心染み染み筆とって 友の最期細々と 親御へ送る此の手紙
14,筆の運びは拙いが 行燈のかげで親達の 読まるる心思い遣り 思はず落とす一雫
私の父は、満州で捕虜になり、想像を絶する生活をして帰還しました。92歳で旅立つまで、戦争の事はあまり口にしませんでした。今はあちらの世界で、戦友と再会して酒を飲みながら昔話をしていると思います🥺
今の平和な日本は多くの犠牲の上に成り立っていますね。
父上、天国で楽しんでいると良いですね。
本当に悲しく、日本国民として有り難く感謝にたえない歌です。
多くの方の犠牲で今の日本の繁栄がありますね。
コメント有りがとうごさいます貴方様が申される様に日本兵士沢山の犠牲者の中日本を守って下さたお蔭ですから私達国民は今の平和を守って行くのは当前だと思います有りがとうごさいました
八坂神社の石段下で白い病院服を着た傷痍軍人がアコーディオン
で悲しげに歌われていたのが思い出されます。心の籠った歌い方
感動致しました。
父が好きでよく歌っていましたが、
父は歌詞をよく覚えて無く、今考えると随分適当に歌っていました。
子供の頃TVで流れてたこの歌がとてもとても好きだった
今改めて聴くと胸が締め付けられる
この歌は戦争の悲惨さを歌に込めたものですが、
哀愁あるメロディーが好きです。
私の父親も満州に行って来ましたこの歌とTH-cam見てると涙が出てきます。時々聞いて父親を思い出しています
コバヤシ三代子さん こんばんは
戦争の歌はどちらかと言うと勇ましい歌が多いなかで数少ない哀愁ある歌ですね。
私は戦後生まれですが、父が良く歌っていたので知らない内に覚えていました。
本当に悲しい曲です私の父親も戦争末期に満州に行きました。運良くソ連には連れて行かれなかったのですが、生前満州の夕陽を見ると涙が溢れたと言っていました。
岡田信行さん、こんばんは
この歌は哀愁があってとても好きです。
軍歌でもあるのでしょうが、私は単に名曲として歌っています。
私はS28年生まれで戦争を知りませんが戦後の貧乏は覚えています。けれども軍歌を聞くと知らない曲でも涙が出ます。
軍神になられた方々に感謝しつつ生きながらえてこのまま何もせず逝ってしまうことをとても恥ずかしく思います。
もしあの世というのがあって会えることがあれば心からの謝意を伝えたいです。
。。
伊藤雅彦さん、お聞きいただきありがとうございます。
この歌は日露戦争時の歌ですが、軍歌と言えばやはり戦意高揚の歌が大半です。
この歌は軍隊では禁止されていたようですが、
哀愁あるメロディーと歌詞が愛されて太平洋戦争でも
最後の突撃前夜等では将校も兵隊が歌うのを見逃していたようです。
私は、この歌を…介護で歌った初めてだったかもしれません。この歌は、老人の人達にとって思い出したくないかもしれない。でも私は、あえて歌いました。勿論アカペラです。みんなは悲しそうにはならないんです。まるで幸せそうに歌うんです。悲しみは消えないかもしれないけど忘れていくんだなぁって思い歌ってみて良かったなぁって今言えるんです。勿論。嫌な人もいらっしゃるそれを分かって歌ってみて安心しました。
終わりがあって未来に繋がりますね。戦争に行きたかったと言う声…息子が帰って来る気がすると言う声…生きて帰って来たんやって言う声…なんで悪い事していないのにこんなに苦しんで死ななきゃいけないと、そんな沢山の方々は、平和に歌うんです。悲しみは乗り越えられると、教えられた気になりました。
宮川幸子さん おはようございます。
この歌は戦前の日本人で知らない人はいないと言われている名曲です。
私の介護施設でもこの歌が好きなご婦人がいて、いつも歌っています。
昭和8年生まれの亡き父が子守唄に歌ってくれてました。布団の中で胸のあたりをポンポンと軽くたたきながら「ここはおくにのなんびゃくり~」父の大きな手と低い声を思い出します。「露営の歌」「同期の桜」「異国の丘」…中学をでて働いて働いて遊ぶこともなくに軍歌しか知らない父でした。
ただ日露戦争の歌とは知りませんでした。だから満州だったんですね、勉強になりました。
軍歌には珍しく哀愁があふれていますね。
亡くなった祖母がよくこの歌を歌っていました。明治36年生まれです。
日露戦争の歌で、太平洋戦争時軍は禁止したが密かに歌わていたようです。
戦前の日本人でこの歌を知らない人は居なかったといわれています。
歌詞を読みながら聞き入っていました、
もう涙が。
藤本さんもうまい。
日本軍の気持ちと言うより戦地に行かなければならない人の気持ちがにじみ出ていると思います。
ご苦労様でした。心より感謝します。戦死した人に安らぎを
とても悲しい歌ですね。歌詞の心情描写には素晴らしいものがあります。
だからこそ今にまで人気があるのでしょうね。
いまでも人気があるようですね。現在でも一番再生が多い曲です。
遠征時に歩兵が一人ずつ口ずさむ行進曲だったようだが、歌詞をよく覚えていたものだと思う。
早速お返事頂き、ありがとうございます。
それにしても、hananosyouさんの唄声は、心に伝わってくるものがあります。聞き入ってしまいますよ。
ところで、お尋ねを致しました曲も、とっても哀愁があって、家族を、そして国を守るために生命を賭して戦った父たちの切なくも悲しい胸の内が、ひしひしと伝わってくる名曲だと思います。
あれから時代は大きく舵を取り直し、平和と繁栄の時を当然のように過ごして来ましたが、何やら又々戦争前夜特有の嫌~な空気感が密やかに流れ始めたなぁと危惧して居るのは私だけでしょうか?。
何時も犠牲を強いられるのは、市井の人々。
何はさて於き、誰も幸せに成れない悲惨な戦争は、断固NOですよね。
華之将さん、こんばんは!
これは100年以上前の歌なんですね♪!
解説を読みましたが、いろいろな時代を経てきた曲・・・、深いです!
そのような歌を見事に歌いこなされて素晴らしいです!
ただ、ただ、涙が流れます😭
この歌には戦争の悲しみが一杯あふれていますね。
手を合わさずにいられない。
どうぞ心安らかになさって下さい。
戦争は理由の如何を問わず嫌ですね。
本当に、悲しい😢💦歌ですね、胸にしみます。
いかなる理由でも戦争はしたくないですね。
今も思い出す子供の頃を⁉️
すぎうらおさむさん、こんばんは
私も父の中途半端な歌で覚えました。
現在わ沢山の戦士の方を感謝しか有りません感謝感謝有難う御座います今の幸せ頭下がります、
いさ子さん、勝っても負けても、いかなる理由があっても戦争は悲しみの連鎖しかありませんね。
その戦争もウクライナとロシアの闘いを見ると日本も他人事ではいられませんね。
祖母が囲炉裏で祖父の話するとき歌ってました。おもいだします。
昔の日本人で知らない人は殆どいなかったようです。
本当に悲しい曲ですね二度と戦争はしてはならない日本国民は願っています
松岡英幸さん こんにちは
ウクライナでの状況を見ると戦争は過去のものでは無いのですね。
藤本様今日は私にコメント有りがとうごさいます私は戦争に行かれた方からお話を聞きましたその方は戦友を食べて生き延びて戦ったと言いつておられました私は戦争に行かれた方全員に我が日本を守って下さつた事に深く感謝申し上げます
鶴田浩二 版本 (戰友)聽了就人忍不住流淚…
這個版本還要悲傷
鶴田浩二はセリフに哀愁があって良かったですね。
momoka0619 さん こんにちは
この戦友は亡き父が好きで子供のこと良く歌っていました。
自然に覚えていました。戦争の是非は別にして哀愁あるメロディーが大好きです。
広い分野の歌を歌うことにより、各ジャンルの良さがわかります。
単に歌好きの叔父さんですよ・・・
幾つもおききいただきありがとうございます。
tw431569さん こんにちは
戦争は良く判りませんが、色々な体験をされたのでしょうね。
この歌は戦争の是非と関係なく、父の思い出だけで歌っています。
作詞者は、もと学校の先生、校長先生のような方と記憶
しています。違うかもしれません。この歌は、やがて軍が
禁じたというのも分かる気がします。中学の時、授業中に
これを歌ってくれた先生がいました。45年くらい前です。
禁じられた歌なのに、みんな知ってるというのは、救いかもしれませんね。
5:49 に乃木希典大将の長男である乃木勝典中尉の墓があるのなんかエモい。
水師営の会見で「二人の我が子を其々に死処を得たるを喜べり」という歌詞があることより中尉は旅順攻囲戦で乃木希典中将と共に戦って殉じたと勘違いされがちだが、実際には旅順攻囲戦の少し前に南山の戦いで戦死した。当時、日本を発つために広島にいた中将は中尉の訃報を聞き、東京にいた妻に名誉の戦死を喜べと電報を打った。乃木が大将に昇格したのは中尉が殉じた僅か11日後である。
nasidooriさん こんばんわ
普通軍歌は戦争を正当化し、指揮を鼓舞するものが多いですね。
この歌詞のように戦争の悲哀を表現した歌は軍歌とは違うのではと...
私は父がよく歌っていたので意味も判らず覚えていました。
お聞きいただきありがとうございます。
moon tono さん こんばんわ
お聞きいただきありがとうございます。
父が良く歌っていたので覚えていました。
@karaokemasu さん こんばんわ
いつもお聞きいただきありがとうございます。
軍歌の要素がある歌はアップにためらいがあるのですが
この詩は戦争を賛美しているわけでもないのでアップしてみました。
他に数曲好きな軍歌があるのですが...誤解が怖いので
@sonzoo2007 そんくんさん こんにちは
今年は明治に換算すると丁度100年目になります。
この歌は100年以上経ったいまでも好きな方が多く名曲ですね。
軍歌にも分類されますが、本来は唱歌だったようです。
誤解が嫌でアップは随分ためらったのですが、純粋に名曲として歌ってみました。
いつもありがとうございます。
鼻歌でよく出てくるのに、歌詞の一部が出て来ないので、確認にしに閲覧致しました。今回もまた有難うございました。
この歌は知って居ても前歌詞知って居る人は少ないですね。
我的父親是大曰本帝國的台灣人。
大日本帝國,good。
Thanks Japanese government in Taiwan for 51 years
台湾の方は日本人に好意的ですが、韓国の方は極端に酷い方がいますね。
@misaki888 さん こんにちは
私も軍歌は普段はうたいませんが
「戦友」については父の思い出の曲として心に刻まれています。
今思い出すと父の「戦友」は1~14番の歌詞を部分的につなぎあわせて
かなりでたらめな歌詞でした。(笑)
長時間お聞きいただきありがとうございます。8分超は長いね~~;
j8aa さん こんにちは
この歌は死んでいった同胞や家族の悲しみ
戦争の悲惨さを訴えたのでしょうね。
この歌は軍が禁止しても兵士で歌い継がれたようです。
敵味方多くの犠牲で成り立った平和、大切に守りましょう。
そろそろ幾度目かわからぬ8月。我らのご先祖様は何を思い戦地に赴き散っていったのか。何を思いこの歌を歌ったのか。考えさせる月である。これ以上赤い夕日の大地に友の墓を一人掘ることないように平和を切に願えどもまだまだ戦争は起きる。国を最後まで守った御先祖様はまだまだ起こる戦争に何を思うのだろうか?私にはわからない。
この歌をアップした2011年は平和で他人事だったのですが、
ロシアとウクライナの闘いを見ると、戦争は他人事ではありませんね。
日露戦争の死者は2万7千、太平洋戦争に死者が230万人(軍人)
破壊力の強い兵器の戦争ではどの程度の被害か想像もつきませんね。
もうじき8月ですね。
こういう中に強制的に置かれた前世代の皆様には感謝の限りです
軍歌の名前こそ付けられますが、
当時としてはせいいっぱいの立派な反戦歌でしょう
yuji tomiさん こんばんわ
この歌は哀愁があって良いですね。私の父もこの歌が好きで
良く歌っていたので自然と覚えてしました。
あまり軍歌は知りません。ご質問の歌の歌詞には心当たりがありません。
お聞きいただきありがとうございます。
hananosyou)さん 軍歌アップされたんですね 群青に次いで戦友いい歌です(^^)
私も古い人間ですな。
この歌、全部知っています。
最後の方は涙無しでは歌えません。
この映画も何処かに保管して有るはずです。
確か、仲代さんが明治天皇に扮した映画だったと思いますが??
UPされた方にお礼申し上げます。
日露戦争時に歌われた歌ですが...
軍はこの歌を禁止したようですが、太平洋戦争時も兵士が歌ったようです。
@@hananosyou 様。そうでしたか。ご返信とご教示に感謝いたします。有難う御座いました。
コメント許可いただきありがとうございます。
東海林太郎さんの「麦と兵隊」も、傷ついた
戦友を背負って行軍している歌詞があります。
この歌も好きです。
作詞者が長く教員を勤めたのは確かめられました。
校長にはなっていません。文学方面に進んだよう
です。
この歌詞とは
違う歌詞があるんですか?
先に書いたコメントのあとまだあったのですが書ききれなくて父親はシベリアに抑留され3年も捕虜されていました。同じ戦友の歌いくつもあるけど私は華之将さんの歌唱が一番いいです実感こもっていて、でももう戦争はいやです。父が決まった事故がなかったので貧乏生活に耐えて育って来ました。今の子供は幸せだと思います。ロシアウクライナ平和を祈ってます
nasidoori さん 軍歌にかぎらず歌には色々な歴史がありますね。
純粋に歌と聞けば軍歌には名曲が一杯ありますね。
私ももう数曲好きな軍歌があり、録音済みなのですが...
戦争鼓舞的な歌は、思想的な誤解が嫌でアップをためらっています。
たかが歌ですが、されど軍歌には色々な思いがね...
せめてに兵士の魂
靖国に帰れと、思い歌えばと😢
この歌は、オヤジが生前酒の席で全編を通しで良く歌っていたものです。懐かしく思い出しました。 ありがとうございます。
ところで、その父が愛唱していた曲でタイトルは判らないのですが、「♫ ア・ア~アアアアア~♫ 叉も雪空ぁ~夜風の寒さ、遠い満州が、ア・アアアア~満州が気にかかる・・・」と云う曲をご存知でしたら、聴かせていただけないでしょうか?
@kazuyan1961 さん こんばんわ
この歌の元になっている詩は出征から国に戻り出世する人物を描いた教科書の物語の一部のようです。いづれにせよ軍歌に分類される可能性があるものはアップに気を使いますね。
歌より戦争議論になってしまう可能性がありますからね。
この歌はカラオケには6番までしかないので、同じカラオケで14番まで歌い編集したものです。すっかり暗記してしまいました。
最近は著作権の警告がくるので動画作りが大変です。
素人歌唱曲にも著作権侵害をレコード会社が出す傾向が出てきましたね。
yuji tomiさん おはようございます。
軍歌や戦時歌謡には純粋な歌として良い作品が多いですね。
数曲は知って居るのですが、軍歌系をアップすると戦争を知らない
世代が戦争を賛美するようなコメントが多く入ります。
その様なコメントは削除させていただいていますが
あまり戦争議論は好きでないので殆どアップしません。
世の中歴史的にはやむを得ない戦争もあるのかも知れませんが
非戦闘員の多くが犠牲になる戦争は哀しみだけしか残りませんね。
世界のどこからも戦争が無い地球になってほしいものです。
@nakao25m 中尾 勝さん こんにちは
「戦友」をアップしている方の、TH-camを拝見すると戦争是非の議論が多い。まるで現在でも日本と中国が戦争状態のコメントも目立ちます。
そこでこの動画に関してはコメントは承認が必要な設定にしました。
私は戦争は如何なる事由があっても許されるはずもなく...
国益や宗教観のためなどに戦争を起こす今の世の中は怖いですね。
戦争の無い世界が早く着てほしいですね。
いつもコメントありがとうございます。
学校の音楽の授業で使うべき。馴染みもない外国の音楽聞かされるよりよっぽどいい。
良い歌ですが、やはり戦争の歌は授業では?
悲しいですね。胸が痛みます。出兵した方達は何を思い、戦い、死んだんでしょうね。御国のためにご苦労様(合掌) でもいい歌だよなぁ(´•̥ _ •̥`)
戦争は悲惨ですね。日露戦争時代の歌ですが当時この歌を知らない日本人は殆ど居なかったようです。
もしかして、唄は美空ひばりさんでは。私は「戦友」は13番だと思い、全部の歌詞を記憶していたつもりでしたが、途中に覚えていない部分がありました。全部で14番だったのですね。
山田実様お聞きいただきありがとうございます。
声が似ているのか歌い方が似ているのか他の歌もよく美空ひばりの歌唱に間違えられます。
あくまで素人歌唱です。
この歌はあえて1番を最後にも歌い直し15番構成にしてみました。
私より後ですが、島津亜矢さんも最後に1番を再度歌い15番構成にしています。
@@hananosyou さんへ。
ちょっと気になったので、調べたのですが、華之将さんも三味線で弾き語りをするのですね。私も、某大学の落語研究会出身で、大学院時代には、長唄の三味線を弾いてました。古い唄に興味があり、「少なくとも江戸時代位なら、唄う」と周囲には豪語しています。
貴殿のYouTubeの作品を暫くは、楽しませていただきます。
シベリア抑留にて戦死した祖父の兄に贈りたい曲です・・
戦争は悲惨ですね。ウクライナの例をみても。
この曲は 超 反戦歌なんですよね !
過去様、反戦歌との見方もあるのでしょうが、
私はお国のための戦死者を弔う鎮魂歌だと思います。
納得です 失礼を致しました。