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輸送船のクレーンの吊り上げ能力の低さで、重量を20トン程度に抑えないといけなかった事がネックになって、悲しいかな重装甲の戦車が造れなかった。仮に 四式戦車が配備できたとしても、本土防衛にしか活用できなかった。しかし米軍戦車に一矢報いた戦いもあった。サクラサク峠で活躍した90式野砲を搭載した一式砲戦車は、傑作中の傑作である。やはり戦車戦は、搭載火砲が戦いを制する。
これより重くなると、仮にエンジン出力を満たせても、トランスミッションの故障が頻発したはずです。九〇式野砲は、車載砲も含め、俯仰・旋回・撃発は別要員の担当で、ほぼ同口径のソ連ZiS-3師団野砲からみて、アナクロな設計でした(日ソ以外では師団砲はこれより大口径になります)。一式砲戦車は、待ち伏せして射撃したらすぐ後退、という戦闘にたまたま恵まれましたが、備砲は移動目標に対する見越し照準射撃さえ考慮していませんでしたから、「戦車戦」らしい戦闘は不可能でした。この点は三式中戦車でも改善されていません。
輸送船クレーンに合わせてポンコツブリキ戦車しか日本は作ってませんがアメリカの場合だとクレーンの能力が足りない?だったらクレーンを大型化すれば良いと言う合理的思考に至りますからね。戦車の場合この差がモロに出たんでしょうね。
@@古家武史-f5d 大型輸送船の真横まで路線を引き、貨車から直接、兵員と兵器を山積みし、短時間で大船団を繰り出せるアメリカ軍とは全く思想が違いますね。桁外れの国力と技術力を 無駄のない合理主義が後押ししてます。結局、アメリカと戦争したのが大間違いでした。
まぁ、日本戦車の一番ダメなところは、発射薬のカスを排気するベンチレーターを実用化出来なかったことか。幾ら強力な主砲を積んでも、効率的に排気出来ないと、乗員がガスでぶっ倒れてしまうか、防御を犠牲にして、開口部を開け放っておく必要が生じる。些細に見えても、実は重要な装備品に対する陸軍の無関心ぶりには呆れるしかない。
前線の戦車隊は、97式等で戦ったのだろうから、アメリカのM4には遥かに劣っていただろうに、奮戦しましたよね。
対戦車砲陣地や制空権陣地に誘導出来たからね。今と違いGPSがないから、アメリカにガチガチの制空権がなかった。
@@tennouheikabannzai 質と量で、アメリカには、劣勢だったが、硫黄島の西中佐の戦車隊は活躍しましたよね。
@@清水肇-c2k さん実際には単に洞窟やトンネル内をコソコソ逃げ回っただけで、大半がいじめによる自己崩壊か馬乗りされての火炎放射器で人間バーベキューでしたよ。
これが当時の日本の国力の限界。敗戦するのもやむなし…
紙装甲と豆鉄砲の貧弱な戦車でM4シャーマン戦車に立ち向かった日本軍戦車兵に敬意四式か五式中戦車が最強かな
艦載機一択で、制空権取りに行けば勝てたかも、、、ね。
仮に四式、五式戦車がもっと早く完成していても、当時の日本軍にそれを前戦に届ける事は出来なかった。同じく、大戦初期に強力な戦車を持たなかった独軍の例を見るに、日本が制空権を握っている間に爆撃機を活用して押し捲り、そのまま押し切る意外の戦法は無かったでしょうね。
ゲームなんかだと五式中戦車には90mm砲が装備されてるけど、実際は75mm砲装備の予定だったそうで完成したとしてもシャーマンと互角程度だったのではと言われています。
もし当時にタイムスリップしてしまっても戦車兵にだけはなりたくないとつくづく思う。
陸軍の歩兵にも絶対になりたくねーけどなwってこんなこと語らっている日本人って、なんて平和な事よ。徴兵されてウクライナで肉の盾にされているロシア兵のことを思うと。徴兵される前は、私たちと同じように歩きスマホしていたんだろうけどなw
開発時期を考えると優秀と言えるのは九七式中戦車ぐらいじゃないかな、特に第二次大戦開戦後は戦車の発達が凄まじく日本の開発した戦車は他国の同時期に開発されたものと比べて優秀とは言えない。
せめて携帯式対戦車火器があればなあ。ほぼ自爆攻撃しか有効な手がないのは哀しすぎる。
@@麦チョコ豆乳 さんパンツアーファストさえ有れば沖縄や硫黄島ではもっとマトモな出来たでしょうね。
投稿お疲れ様です!
特二式内火艇を入れて欲しい。水陸両用の割には完成度が、他国と比べ段違いに良い。
実戦配備されてない物まで評価されるようなら、世界最大の戦車になるはずだったオイ車を推したい!
九七式改や一式中戦車は、ドイツでは3号L型くらいかなイタリアのM系戦車にも似ている。今も昔も戦車兵は嫌だな航空機、歩兵の対戦車火器対戦車地雷 戦車の敵は戦車だけではないので
3号ならば、42口径50ミリ砲装備型が九七式改や一式に相当します。
今はドローンで、暑いからハッチを開けようものならそこからドローンが突入、戦車大破🔥
ちなみに戦車学校の操縦練習で一番駄目なのは、エンストさせることで、やると頭に硬い指揮棒が降ってきたとか・・・😣
当時の日本の戦車、軽油エンジンだから基本的にはガソリン車よりもエンストしにくいけれど、イワユル、ダイレクトドライブで、戦車だから超信地旋回が出来るような造りだから、左右個別クラッチと、レバー式変速装置で、兎に角、忙しいから、プッスンはなりやすかったと思う。でも、戦車は走ればイイだけだから、1950年頃より前の履帯式積み込み機(エクスかベーター)よりは易しいのかな。
日本帝国軍の戦車はポンコツのイメージが強すぎて残念です。ヨーロッパ戦線で戦える戦車はあったのでしょうか。独軍のティーガーIIと対戦したらと思うと。やはり前線の一般兵士の方々が日本の誇りだと思います。
特に陸軍の地上兵器はロクでもない物ばかりな上に、兵站も無能上層部の所為で滅茶苦茶、それでも我慢強く最後まで戦い抜いた一般兵士の方々は本当に凄いと感じます。
あくまでも歩兵支援戦車として発達している日本戦車なのでヨーロッパ戦線云々はあまり意味が無いと思います。日本がヨーロッパに存在していたらそれなりの戦車が出来ていたのではないでしょうか。ティーガーⅡとの対戦も場所が問題だと思います。
@@komatsu2199 貴方様のようなお考えの返信、お待ちしておりました。お互いの得意とする運用方法で、日本の戦車がティーガーⅡに優位性を持って戦える環境、場所を参考までにお聞きしたいです。当然小回りが利かない場所では、ティーガーⅡは少し開けた場所で待ち構えての攻撃です。独軍の指揮官は エルヴィン・ロンメル、日本の指揮官は誰が適任でしょうね。
@@HIDEHIDE-ol8so そもそも日本戦車で待ち伏せティーガーⅡと対戦させることが無茶な話なので日本戦車は逃げたが勝ちです。歩兵に襲撃させた方が何とかなるかもしれません。ただ、南方や日本本土(梅雨時期とか)ではティーガーⅡはすぐ動けなくなりそうで役にも立たないのでは無いでしょうか?。仮想戦の規模が不明で申し訳ありませんが戦術規模では独軍戦車隊の指揮官は数多いますがヴィットマンかバウアーでは無いでしょうか?。
@@komatsu2199 ご返信有難う御座います。最終的には貴方様の最初、その後のコメントからしても日本帝国軍の戦車は、独軍のティーガーⅡに太刀打ちできる戦闘能力を有していないという事になりますね。そして雨期であれば日本の戦車も同様ではないでしょうか。独軍の装甲師団の指揮官は、パンツァー・リートの音楽と共に思いを馳せてしまいます。貴方様のコメントで楽しい時間を与えて頂きありがとうございます。
日本の戦車の問題点は性能よりも生産能力が低いのが問題、新型戦車の生産が進まず旧式化した九五式や九七式といった古い戦車が主力だった。
実際にはどっちもダメダメ
車長:そこの敵戦車を撃てー!射手:戦車に当たりましたが、跳ね返されてしまいました!車長:オメーの打ち方が悪いんだ!もっと狙って撃て!といったやり取りの後、我が国の戦車隊は全滅してしまいました。射手、車長たちのご冥福をお祈りいたします。
亡くなった戦車兵達に10式を見せてあげたい。
アニメ版・劇場版のガールズandパンツァーでも出て来ては史実とは掛け離れた動きしての活躍してましたね😅🇯🇵戦車。WW2戦車と成ると…ドイツ・イギリス・ロシア・アメリカと👀が行きますが、戦車生産の材料の大半を海外資源からの生産でしたし…空襲、シーレーンの破断と進化改良は難しかった。大戦末期には97式中戦車の車体を改造したホニ1・2砲車(75m砲搭載)が生産されて少数ながら比島への荷上げ成功して米軍戦車に痛い打撃を与えてます。終戦後の米軍精密調査判定ても日本陸軍が唯一連合国戦車を撃破出来る車両であると認定してる程です。🫡✨
動画ではノモンハンが日本側の惨敗だと語っているが、ソ連(ロシア)邦側ではソ連の負け戦となっている。何故ならば、キルレシオ(日本戦死者約1万に対しソ連戦死者約2万)に置いて圧勝しているからです。
ソ連側ではノモンハンでの戦訓でデーゼルエンジンに切り替えました😅戦訓で切り替えが出来る国と終戦まで切り替えが遅々として進まなかった国🫡開戦時に最低でも50ミリの対戦車砲を装備して欲しかったです😢
@@Yoshio-h2w 日本軍も戦車の非力は理解していた様ですが、運搬の面で諦めたそうです。結局のところ「必要な時に必要な場所に必要な数」を揃える事が出来ない。ローマは兵站で勝つ、と言いますが日本は兵站で負けた、という事です。これは何も戦前に限った話ではありません。今、現在の日本に国家、国民を守るに足る必要な軍事力があるか?と考えれば答えは断じて否です。
ノモンハン事件(ハルハ河の戦い)は、ソ連/ロシア側では、ソ連とモンゴルの勝利(圧勝)とされています。というか、日本側勝利などと公言する人は、世界中で、日本のネトウヨくらいなのでは? その日本側主張の戦死者数も随分と怪しいものです。日本陸軍でもさすがに地上戦は惨敗という判断です。航空戦でさえ、日本側発表の戦果は著しく過大であったことが、ソ連崩壊後に判明しています。日本側搭乗員の述懐でも、後期は負け、です。日本側の損害がこの程度で済んでいるのは、独ソでポーランドを分割する密約のため、兵力を引き揚げる必要があり、ソ連側が停戦を急いだためでした。ソ連の兵站はますます強化され、日本の兵站は枯れていましたから、日本側は命拾いしたというほかありません。
@@whitepandajp そのソ連が崩壊した事により流出した資料でノモンハンはソ連側が自分達の負けと認識している事が明らかになったのですよ。リヒャルト・ゾルゲは知ってますか?尾崎秀実や西園寺公望は?ソ連が軍を移動したのはポーランド云々よりも日本が対ソ参戦の意思がない事を確認しての事です。日本が対ソ連に舵を切らなかったから独ソ戦に注力出来たのであって、当時の状況で日独挟み撃ちされていたらソ連は持たなかったでしょう。これは当時の旧ソ連兵器を見ても分かる事で、とてもではないが二正面戦出来る余裕など無かった。運が良かったと言うなら、日本と中立条約を結べたソ連の方です。まあ、その日ソ中立条約もソ連側から一方的に破っていますがね。
@@tukaikasumi4223さんアメリカだったらクレーンに戦車を合わせるのではなく戦車にクレーンを合わせるでしょうね。実際日本にも「樫野」と言う大和の46センチ砲を運ぶ船があったのであれに使われていたクレーン(工作艦「明石」さえ凌ぐ能力があった)を輸送船に取り付けていれば太平洋戦争開戦時には四号戦車のディーゼルエンジン型レベルまでは開発できたでしょうね。
日本の鉄道の狭軌道や、橋の強度等の制約とフランスと同じ歩兵支援としての位置づけの戦車運用。ノモンハン事件での戦訓を活かせないまま太平洋戦争に入り、悲惨な闘いを強いられた戦車兵が可哀想。
戦車って重量が重くてしかも履帯で走る燃費が最悪 駆動系統にも大きな負担がかかる普通の乗用車がいつでもローギヤで走っているようなものつまり、戦場に運ぶには鉄道か船舶クレーンの能力は低いし、国鉄は1067mmの狭軌それなりに小さな車両しか運べないだからブリキの棺桶にならざるを得ない島国だけに海軍国で陸軍は歩兵の銃剣突撃ばっかり重視開戦初期島田戦車隊がマレーで活躍できたのは英軍が戦車を配備していなかっただけしかし、アジア人が自力で、しかもディーゼルエンジン搭載の戦車を作った事自体は素晴らしい
日本軍は対戦車戦より歩兵援助、随行を目的としてたのを終盤まで思考転換できなかった感じ。
味方からもブリキの車と揶揄されていた事も、ありました。
トップ戦車ならキングチーハーかな
まぁ本土決戦だけはやりたくないのぅ、、
天皇陛下のご聖断で多くの日本人が無駄死にせずすみました。
第1次世界大戦→第二次世界大戦への 兵器の 指数関数的進化が凄まじすぎる😅人類の闘争本能の恐ろしさ😅
5000中2800台が95式軽戦車というのが悲惨な所ですね。94式37m砲では貫通力は30mしかありませんから…因みに90式57m砲の貫通力は12m以下。大戦末期タ弾が開発され97式中戦車の57m砲50mの貫通力を獲得しましたが射程は100m以内です。また37:m砲と云っても94式98式100式と三種類もあり100:式は51mの貫通力がありました。四式自走砲のタ弾も開発された、と云う話もありますが何分1945年6月と混乱を極めていた時期であり、定かではありません。百式砲戦車、二式砲戦車のタ弾は少々作られたらしく、この場合、90mの貫通力を発揮しました。三式中戦車、三式砲戦車、も同じく貫通力90mです。こちらは徹甲弾を使用する予定だった為、タ弾の開発はされていません。
北朝鮮にありそうなヤツで草
日本をバカにするな😡
本土決戦で投入されても活躍出来なかったような・・・制空権をアメリカに奪われているので戦闘爆撃機に攻撃されておしまいになりそうで・・・
真珠湾に3年分の石油・修復ドックがあったからな。局所短期攻略できなきゃ、勝てなかった。
こういうポンコツ戦車がすこ
用兵思想とリソースの問題上層部ガー戦略ガー云々以前に実際の用途に対しての性能で評価すればいいと思うんだが…そしてその使用用途以外に使えば誰だって性能的に使えなくなる事位分かるんだから、それをもって低性能で使い物にならない、は話が違うわな実際のWWⅡ被害ありきでしか語れず、純粋にその時の要求に対しての良し悪しな性能評価をしている人って少ないよね
物量が歯痒いm(__)m
ノモンハン事件を、もっと深堀したほうがいいよ。ソ連に対して戦術的には勝利しているよ。ソ連が正確な損害を出してなかったからね。損害や故障してからの修理復活して戦線復帰した日本戦車が圧倒してる。そもそもヨーロッパ戦線で戦車は急発達してる。比べることに土台無理がある。問題とするのは、工業力の極端な差。飛行機も戦車も船も。エンジン出力不足が設計の範囲を狭め、生産能力、動員人員差、基礎工業力の違いが根底にある。冷静に見るべき。
日本軍の使用した最強戦車はM3軽戦車でしょ。
その通りです。
当時、アメリカ雑誌ライフに装甲厚まで断面図入りで解説までされていたM3
チハの57ミリ砲弾が砲塔にあたっても傷一つつかなかったらしいね。逆に砲弾が粉々になったとか。
戦闘機といえばレイセンという代名詞の戦車ない
チハでしょう、、、。
一式中戦車も、三式中戦車も、内地にほとんど置かれていたのでは、宝の持ち腐れ。沖縄や硫黄島に送ってもらいたかったです。
大戦後期はシーレーンがボロボロだったので輸送船で運ぶこと自体もはや困難では?
いや、沖縄では艦砲射撃が届くので、制空権が取れない以上陳腐化する。
制海権を失っていたので、海没する可能性大ですな…
日本の鈍重な輸送船では半分も行かず撃沈されて終わりです。
@@tennouheikabannzai 戦艦と撃ち合いするわけではないのでそれなりに有効活用できるのではないでしょうか。問題は運ぶ手段です。
日本の戦車は駐退機がスマートじゃないのが残念
日本の戦車は弱いわけではなく、小さいだけ。東南アジアではあんな感じのが役にたつ。日本人も広いところではデカい戦車を使う。日本の戦車や陸軍は海軍に劣らず強い。
日本軍戦車で気になってるんだけど、砲ぼう
砲防盾から砲と一緒に突き出てる有れは何。もしかして駐退複座機の一部。だったらやべえじゃん。装甲を撃ち抜かれなくても、これが被弾して壊れたら砲は使用不能でしょ。
日本戦車の悲劇は軍上層部の無理解、そして一番は陸軍に金がなかったこと・・
何を持って優秀と言うかは微妙だけど。ただ97式中戦車に47mm砲搭載を検討した1941年時点ではドイツ軍の主力戦車のⅢ号戦車G型、J型前期は42口径50mm砲搭載ソ連軍のT34やKVもあったけど数の上での主力のBT戦車は45mm砲搭載。この時点では対戦車威力の向上が期待されたのでしょう。ただ次期戦車開発のスピードが英米ソ独と比べて遅れていた事は事実。本来なら97式中戦車制式の時点で次期主力戦車の開発が開始されないと。仮にこの時点で30トン75mm砲搭載の戦車を開発しても、それを海外に運搬し展開させる機材も揚陸艦も無かった(四式、五式はすでに本土戦想定なのでこう言う制約はなかった)しかし95式や97式もマレー半島戦では活躍した。火力装備の装甲車両は敵陣地攻撃には威力を発揮したのも事実。戦車だけが敵じゃないからね。
戦車兵を無駄死にさせる紙装甲で非力な駄戦車ばかり・・・訓練を重ねてこんな戦車で戦えとか本当に不憫でならない。
いかんせん、絶対数がアメリカに対して、遥かに劣っていたので、戦争には負けてしまう。後は、運用面の問題。三式中戦車を沖縄や硫黄島に配備しておければ、と思ってしまう。
輸送出来ないので無理です。途中で確実に撃沈されます。
戦車よりも空母と航空機を作っていれば・・・
アヴィオニクス(電子機器)も、注力しなきゃ負ける。戦後の忠米戦略も見抜けなきゃ負ける。
IFではなく、アメリカの忠犬にさせられてる戦後教育や、中露の愚かさを世界大戦期から学びとるべきだった
基本的に、工業力・基礎技術から用兵までがすべて負けていたから、”何を作っていても負け”でしかないけれど。(空母も飛行機も、いくら作っても当時日本で作れた性能ではタイシタ効果はない)
日本は戦車よりも空母と航空機を大量に作ってましたよ。
日本はシーパワーの国。戦車はどうしても後回しになる。
当時の戦車乗員の人達には、ただただお疲れさまでした、としか言いようがない。あの様な貧者で非力な車両で、M4シャーマン相手にしなければならなかったのは、所謂「無理ゲー」だっただろう。ソ連やドイツと比べる気は無いが、せめて旧型イギリス戦車とは撃ち合える位の装甲と火力位はとは思う。
国力の貧弱な我が国は航空機と艦船の開発整備に集中せざるを得なかったのです、日本戦車を責めないでやって下さい、アジアで戦車を設計開発出来たのは日本だけです、そう思えば愛しい戦車達です、因みに日本の戦車兵はドイツ戦車兵に次ぐレベルの高い物でした。
工業不足じゃ無く単に陸軍が戦車に重要性を見出さなかっただけ。
陸軍上層部が精神論ばかりだから・・・
チハたん∩(・ω・)∩ばんじゃーい
3:44 誤:47mm砲 正:45mm砲4:20 誤:太平洋戦争 正:大東亜戦争
なんで4式が無いの
第二次世界大戦前の戦車では、放送の様に世界レベルで合ったが、一式戦車以後は鉄の棺桶と言ったものでした。火力も防御力も最低な戦車で、数もたいして生産されていません。パンツアーハーアストを量産していれば、まともに戦えたのに残念です。
どういう基準で選定して話してんのか謎後半は実戦投入すらされてないし、九二式重装甲車とか九七式軽装甲車とかのが実戦の戦歴は多い
英軍戦車と戦ったの?
輸送船のクレーンの吊り上げ能力の低さで、重量を20トン程度に抑えないといけなかった事がネックになって、悲しいかな重装甲の戦車が造れなかった。仮に 四式戦車が配備できたとしても、本土防衛にしか活用できなかった。しかし米軍戦車に一矢報いた戦いもあった。サクラサク峠で活躍した90式野砲を搭載した一式砲戦車は、傑作中の傑作である。やはり戦車戦は、搭載火砲が戦いを制する。
これより重くなると、仮にエンジン出力を満たせても、トランスミッションの故障が頻発したはずです。九〇式野砲は、車載砲も含め、俯仰・旋回・撃発は別要員の担当で、ほぼ同口径のソ連ZiS-3師団野砲からみて、アナクロな設計でした(日ソ以外では師団砲はこれより大口径になります)。一式砲戦車は、待ち伏せして射撃したらすぐ後退、という戦闘にたまたま恵まれましたが、備砲は移動目標に対する見越し照準射撃さえ考慮していませんでしたから、「戦車戦」らしい戦闘は不可能でした。この点は三式中戦車でも改善されていません。
輸送船クレーンに合わせてポンコツブリキ戦車しか日本は作ってませんが
アメリカの場合だと
クレーンの能力が足りない?だったらクレーンを大型化すれば良い
と言う合理的思考に至りますからね。
戦車の場合この差がモロに出たんでしょうね。
@@古家武史-f5d
大型輸送船の真横まで路線を引き、貨車から直接、兵員と兵器を山積みし、短時間で大船団を繰り出せるアメリカ軍とは全く思想が違いますね。桁外れの国力と技術力を 無駄のない合理主義が後押ししてます。結局、アメリカと戦争したのが大間違いでした。
まぁ、日本戦車の一番ダメなところは、発射薬のカスを排気するベンチレーターを実用化出来なかったことか。
幾ら強力な主砲を積んでも、効率的に排気出来ないと、乗員がガスでぶっ倒れてしまうか、防御を犠牲にして、開口部を開け放っておく必要が生じる。
些細に見えても、実は重要な装備品に対する陸軍の無関心ぶりには呆れるしかない。
前線の戦車隊は、97式等で戦ったのだろうから、アメリカのM4には遥かに劣っていただろうに、奮戦しましたよね。
対戦車砲陣地や制空権陣地に誘導出来たからね。
今と違いGPSがないから、アメリカにガチガチの制空権がなかった。
@@tennouheikabannzai 質と量で、アメリカには、劣勢だったが、硫黄島の西中佐の戦車隊は活躍しましたよね。
@@清水肇-c2k さん
実際には単に洞窟やトンネル内をコソコソ逃げ回っただけで、大半がいじめによる自己崩壊か馬乗りされての火炎放射器で人間バーベキューでしたよ。
これが当時の日本の国力の限界。敗戦するのもやむなし…
紙装甲と豆鉄砲の貧弱な戦車でM4シャーマン戦車に立ち向かった日本軍戦車兵に敬意
四式か五式中戦車が最強かな
艦載機一択で、
制空権取りに行けば勝てたかも、、、ね。
仮に四式、五式戦車がもっと早く完成していても、当時の日本軍にそれを前戦に届ける事は出来なかった。
同じく、大戦初期に強力な戦車を持たなかった独軍の例を見るに、日本が制空権を握っている間に爆撃機を活用して押し捲り、そのまま押し切る意外の戦法は無かったでしょうね。
ゲームなんかだと五式中戦車には90mm砲が装備されてるけど、実際は75mm砲装備の予定だったそうで完成したとしてもシャーマンと互角程度だったのではと言われています。
もし当時にタイムスリップしてしまっても戦車兵にだけはなりたくないとつくづく思う。
陸軍の歩兵にも絶対になりたくねーけどなw
ってこんなこと語らっている日本人って、なんて平和な事よ。
徴兵されてウクライナで肉の盾にされているロシア兵のことを思うと。
徴兵される前は、私たちと同じように歩きスマホしていたんだろうけどなw
開発時期を考えると優秀と言えるのは九七式中戦車ぐらいじゃないかな、特に第二次大戦開戦後は戦車の発達が凄まじく日本の開発した戦車は他国の同時期に開発されたものと比べて優秀とは言えない。
せめて携帯式対戦車火器があればなあ。ほぼ自爆攻撃しか有効な手がないのは哀しすぎる。
@@麦チョコ豆乳 さん
パンツアーファストさえ有れば沖縄や硫黄島ではもっとマトモな出来たでしょうね。
投稿お疲れ様です!
特二式内火艇を入れて欲しい。
水陸両用の割には完成度が、他国と比べ段違いに良い。
実戦配備されてない物まで評価されるようなら、世界最大の戦車になるはずだったオイ車を推したい!
九七式改や一式中戦車は、
ドイツでは3号L型くらいかな
イタリアのM系戦車にも
似ている。
今も昔も戦車兵は嫌だな
航空機、歩兵の対戦車火器
対戦車地雷
戦車の敵は戦車だけでは
ないので
3号ならば、42口径50ミリ砲装備型が九七式改や一式に相当します。
今はドローンで、暑いからハッチを開けようものならそこからドローンが突入、戦車大破🔥
ちなみに戦車学校の操縦練習で一番駄目なのは、エンストさせることで、やると頭に硬い指揮棒が降ってきたとか・・・😣
当時の日本の戦車、軽油エンジンだから基本的にはガソリン車よりもエンストしにくいけれど、イワユル、ダイレクトドライブで、戦車だから超信地旋回が出来るような造りだから、左右個別クラッチと、レバー式変速装置で、兎に角、忙しいから、プッスンはなりやすかったと思う。でも、戦車は走ればイイだけだから、1950年頃より前の履帯式積み込み機(エクスかベーター)よりは易しいのかな。
日本帝国軍の戦車はポンコツのイメージが強すぎて残念です。
ヨーロッパ戦線で戦える戦車はあったのでしょうか。独軍のティーガーIIと対戦したらと思うと。
やはり前線の一般兵士の方々が日本の誇りだと思います。
特に陸軍の地上兵器はロクでもない物ばかりな上に、兵站も無能上層部の所為で滅茶苦茶、それでも我慢強く最後まで戦い抜いた一般兵士の方々は本当に凄いと感じます。
あくまでも歩兵支援戦車として発達している日本戦車なのでヨーロッパ戦線云々はあまり意味が無いと思います。
日本がヨーロッパに存在していたらそれなりの戦車が出来ていたのではないでしょうか。
ティーガーⅡとの対戦も場所が問題だと思います。
@@komatsu2199 貴方様のようなお考えの返信、お待ちしておりました。
お互いの得意とする運用方法で、日本の戦車がティーガーⅡに優位性を持って戦える環境、場所を参考までにお聞きしたいです。
当然小回りが利かない場所では、ティーガーⅡは少し開けた場所で待ち構えての攻撃です。
独軍の指揮官は エルヴィン・ロンメル、日本の指揮官は誰が適任でしょうね。
@@HIDEHIDE-ol8so
そもそも日本戦車で待ち伏せティーガーⅡと対戦させることが無茶な話なので日本戦車は逃げたが勝ちです。
歩兵に襲撃させた方が何とかなるかもしれません。
ただ、南方や日本本土(梅雨時期とか)ではティーガーⅡはすぐ動けなくなりそうで役にも立たないのでは無いでしょうか?。
仮想戦の規模が不明で申し訳ありませんが戦術規模では独軍戦車隊の指揮官は数多いますがヴィットマンかバウアーでは無いでしょうか?。
@@komatsu2199 ご返信有難う御座います。最終的には貴方様の最初、その後のコメントからしても日本帝国軍の戦車は、独軍のティーガーⅡに太刀打ちできる戦闘能力を有していないという事になりますね。そして雨期であれば日本の戦車も同様ではないでしょうか。
独軍の装甲師団の指揮官は、パンツァー・リートの音楽と共に思いを馳せてしまいます。貴方様のコメントで楽しい時間を与えて頂きありがとうございます。
日本の戦車の問題点は性能よりも生産能力が低いのが問題、新型戦車の生産が進まず旧式化した九五式や九七式といった古い戦車が主力だった。
実際にはどっちもダメダメ
車長:そこの敵戦車を撃てー!
射手:戦車に当たりましたが、跳ね返されてしまいました!
車長:オメーの打ち方が悪いんだ!もっと狙って撃て!
といったやり取りの後、我が国の戦車隊は全滅してしまいました。
射手、車長たちのご冥福をお祈りいたします。
亡くなった戦車兵達に10式を見せてあげたい。
アニメ版・劇場版のガールズandパンツァーでも出て来ては史実とは掛け離れた動きしての活躍してましたね😅🇯🇵戦車。WW2戦車と成ると…ドイツ・イギリス・ロシア・アメリカと👀が行きますが、戦車生産の材料の大半を海外資源からの生産でしたし…空襲、シーレーンの破断と進化改良は難しかった。大戦末期には97式中戦車の車体を改造したホニ1・2砲車(75m砲搭載)が生産されて少数ながら比島への荷上げ成功して米軍戦車に痛い打撃を与えてます。終戦後の米軍精密調査判定ても日本陸軍が唯一連合国戦車を撃破出来る車両であると認定してる程です。🫡✨
動画ではノモンハンが日本側の惨敗だと語っているが、ソ連(ロシア)邦側ではソ連の負け戦となっている。
何故ならば、キルレシオ(日本戦死者約1万に対しソ連戦死者約2万)に置いて圧勝しているからです。
ソ連側ではノモンハンでの戦訓でデーゼルエンジンに切り替えました😅
戦訓で切り替えが出来る国と終戦まで切り替えが遅々として進まなかった国🫡
開戦時に最低でも50ミリの対戦車砲を装備して欲しかったです😢
@@Yoshio-h2w
日本軍も戦車の非力は理解していた様ですが、運搬の面で諦めたそうです。
結局のところ「必要な時に必要な場所に必要な数」を揃える事が出来ない。
ローマは兵站で勝つ、と言いますが日本は兵站で負けた、という事です。
これは何も戦前に限った話ではありません。
今、現在の日本に国家、国民を守るに足る必要な軍事力があるか?と考えれば答えは断じて否です。
ノモンハン事件(ハルハ河の戦い)は、ソ連/ロシア側では、ソ連とモンゴルの勝利(圧勝)とされています。というか、日本側勝利などと公言する人は、世界中で、日本のネトウヨくらいなのでは? その日本側主張の戦死者数も随分と怪しいものです。日本陸軍でもさすがに地上戦は惨敗という判断です。航空戦でさえ、日本側発表の戦果は著しく過大であったことが、ソ連崩壊後に判明しています。日本側搭乗員の述懐でも、後期は負け、です。日本側の損害がこの程度で済んでいるのは、独ソでポーランドを分割する密約のため、兵力を引き揚げる必要があり、ソ連側が停戦を急いだためでした。ソ連の兵站はますます強化され、日本の兵站は枯れていましたから、日本側は命拾いしたというほかありません。
@@whitepandajp
そのソ連が崩壊した事により流出した資料でノモンハンはソ連側が自分達の負けと認識している事が明らかになったのですよ。
リヒャルト・ゾルゲは知ってますか?
尾崎秀実や西園寺公望は?
ソ連が軍を移動したのはポーランド云々よりも日本が対ソ参戦の意思がない事を確認しての事です。
日本が対ソ連に舵を切らなかったから独ソ戦に注力出来たのであって、当時の状況で日独挟み撃ちされていたらソ連は持たなかったでしょう。
これは当時の旧ソ連兵器を見ても分かる事で、とてもではないが二正面戦出来る余裕など無かった。
運が良かったと言うなら、日本と中立条約を結べたソ連の方です。
まあ、その日ソ中立条約もソ連側から一方的に破っていますがね。
@@tukaikasumi4223さん
アメリカだったら
クレーンに戦車を合わせるのではなく
戦車にクレーンを合わせる
でしょうね。
実際日本にも「樫野」と言う大和の46センチ砲を運ぶ船があったのであれに使われていたクレーン(工作艦「明石」さえ凌ぐ能力があった)を輸送船に取り付けていれば太平洋戦争開戦時には四号戦車のディーゼルエンジン型レベルまでは開発できたでしょうね。
日本の鉄道の狭軌道や、橋の強度等の制約とフランスと同じ歩兵支援としての位置づけの戦車運用。
ノモンハン事件での戦訓を活かせないまま太平洋戦争に入り、悲惨な闘いを強いられた戦車兵が可哀想。
戦車って重量が重くてしかも履帯で走る
燃費が最悪 駆動系統にも大きな負担がかかる
普通の乗用車がいつでもローギヤで走っているようなもの
つまり、戦場に運ぶには鉄道か船舶
クレーンの能力は低いし、国鉄は1067mmの狭軌
それなりに小さな車両しか運べない
だからブリキの棺桶にならざるを得ない
島国だけに海軍国で陸軍は歩兵の銃剣突撃ばっかり重視
開戦初期島田戦車隊がマレーで活躍できたのは英軍が戦車を配備していなかっただけ
しかし、アジア人が自力で、しかもディーゼルエンジン搭載の戦車を作った事自体は素晴らしい
日本軍は対戦車戦より歩兵援助、随行を目的としてたのを終盤まで思考転換できなかった感じ。
味方からもブリキの車と揶揄されていた事も、ありました。
トップ戦車ならキングチーハーかな
まぁ本土決戦だけはやりたくないのぅ、、
天皇陛下のご聖断で多くの日本人が無駄死にせずすみました。
第1次世界大戦→第二次世界大戦への 兵器の 指数関数的進化が凄まじすぎる😅
人類の闘争本能の恐ろしさ😅
5000中2800台が95式軽戦車というのが悲惨な所ですね。
94式37m砲では貫通力は30mしかありませんから…因みに90式57m砲の貫通力は12m以下。
大戦末期タ弾が開発され97式中戦車の57m砲50mの貫通力を獲得しましたが射程は100m以内です。
また37:m砲と云っても94式98式100式と三種類もあり100:式は51mの貫通力がありました。
四式自走砲のタ弾も開発された、と云う話もありますが何分1945年6月と混乱を極めていた時期であり、定かではありません。
百式砲戦車、二式砲戦車のタ弾は少々作られたらしく、この場合、90mの貫通力を発揮しました。
三式中戦車、三式砲戦車、も同じく貫通力90mです。こちらは徹甲弾を使用する予定だった為、タ弾の開発はされていません。
北朝鮮にありそうなヤツで草
日本をバカにするな😡
本土決戦で投入されても活躍出来なかったような・・・
制空権をアメリカに奪われているので戦闘爆撃機に攻撃されておしまいになりそうで・・・
真珠湾に3年分の石油・修復ドックがあったからな。
局所短期攻略できなきゃ、勝てなかった。
こういうポンコツ戦車がすこ
用兵思想とリソースの問題
上層部ガー戦略ガー云々以前に実際の用途に対しての性能で評価すればいいと思うんだが…
そしてその使用用途以外に使えば誰だって性能的に使えなくなる事位分かるんだから、それをもって低性能で使い物にならない、は話が違うわな
実際のWWⅡ被害ありきでしか語れず、純粋にその時の要求に対しての良し悪しな性能評価をしている人って少ないよね
物量が歯痒いm(__)m
ノモンハン事件を、もっと深堀したほうがいいよ。
ソ連に対して戦術的には勝利しているよ。ソ連が正確な損害を出してなかったからね。
損害や故障してからの修理復活して戦線復帰した日本戦車が圧倒してる。
そもそもヨーロッパ戦線で戦車は急発達してる。
比べることに土台無理がある。
問題とするのは、工業力の極端な差。飛行機も戦車も船も。エンジン出力不足が設計の範囲を狭め、生産能力、動員人員差、基礎工業力の違いが根底にある。
冷静に見るべき。
日本軍の使用した最強戦車はM3軽戦車でしょ。
その通りです。
当時、アメリカ雑誌ライフに装甲厚まで断面図入りで解説までされていたM3
チハの57ミリ砲弾が砲塔にあたっても傷一つつかなかったらしいね。
逆に砲弾が粉々になったとか。
戦闘機といえばレイセンという代名詞の戦車ない
チハでしょう、、、。
一式中戦車も、三式中戦車も、内地にほとんど置かれていたのでは、宝の持ち腐れ。沖縄や硫黄島に送ってもらいたかったです。
大戦後期はシーレーンがボロボロだったので輸送船で運ぶこと自体もはや困難では?
いや、
沖縄では艦砲射撃が届くので、制空権が取れない以上陳腐化する。
制海権を失っていたので、海没する可能性大ですな…
日本の鈍重な輸送船では半分も行かず撃沈されて終わりです。
@@tennouheikabannzai
戦艦と撃ち合いするわけではないのでそれなりに有効活用できるのではないでしょうか。
問題は運ぶ手段です。
日本の戦車は駐退機がスマートじゃないのが残念
日本の戦車は弱いわけではなく、小さいだけ。東南アジアではあんな感じのが役にたつ。
日本人も広いところではデカい戦車を使う。日本の戦車や陸軍は海軍に劣らず強い。
日本軍戦車で気になってるんだけど、砲ぼう
砲防盾から砲と一緒に突き出てる有れは何。もしかして駐退複座機の一部。だったらやべえじゃん。装甲を撃ち抜かれなくても、これが被弾して壊れたら砲は使用不能でしょ。
日本戦車の悲劇は軍上層部の無理解、そして一番は陸軍に金がなかったこと・・
何を持って優秀と言うかは微妙だけど。
ただ97式中戦車に47mm砲搭載を検討した1941年時点ではドイツ軍の主力戦車のⅢ号戦車G型、J型前期は42口径50mm砲搭載
ソ連軍のT34やKVもあったけど数の上での主力のBT戦車は45mm砲搭載。この時点では対戦車威力の向上が期待されたのでしょう。
ただ次期戦車開発のスピードが英米ソ独と比べて遅れていた事は事実。本来なら97式中戦車制式の時点で次期主力戦車の開発が開始されないと。
仮にこの時点で30トン75mm砲搭載の戦車を開発しても、それを海外に運搬し展開させる機材も揚陸艦も無かった(四式、五式はすでに本土戦想定なのでこう言う制約はなかった)
しかし95式や97式もマレー半島戦では活躍した。火力装備の装甲車両は敵陣地攻撃には威力を発揮したのも事実。戦車だけが敵じゃないからね。
戦車兵を無駄死にさせる紙装甲で非力な駄戦車ばかり・・・訓練を重ねてこんな戦車で戦えとか本当に不憫でならない。
いかんせん、絶対数がアメリカに対して、遥かに劣っていたので、戦争には負けてしまう。後は、運用面の問題。三式中戦車を沖縄や硫黄島に配備しておければ、と思ってしまう。
輸送出来ないので無理です。途中で確実に撃沈されます。
戦車よりも空母と航空機を作っていれば・・・
アヴィオニクス(電子機器)も、注力しなきゃ負ける。
戦後の忠米戦略も見抜けなきゃ負ける。
IFではなく、
アメリカの忠犬にさせられてる戦後教育や、
中露の愚かさを世界大戦期から学びとるべきだった
基本的に、工業力・基礎技術から用兵までがすべて負けていたから、”何を作っていても負け”でしかないけれど。(空母も飛行機も、いくら作っても当時日本で作れた性能ではタイシタ効果はない)
日本は戦車よりも空母と航空機を大量に作ってましたよ。
日本はシーパワーの国。戦車はどうしても後回しになる。
当時の戦車乗員の人達には、ただただお疲れさまでした、としか言いようがない。
あの様な貧者で非力な車両で、M4シャーマン相手にしなければならなかったのは、所謂「無理ゲー」だっただろう。
ソ連やドイツと比べる気は無いが、せめて旧型イギリス戦車とは撃ち合える位の装甲と火力位はとは思う。
国力の貧弱な我が国は航空機と艦船の開発整備に集中せざるを得なかったのです、日本戦車を責めないでやって下さい、アジアで戦車を設計開発出来たのは日本だけです、そう思えば愛しい戦車達です、因みに日本の戦車兵はドイツ戦車兵に次ぐレベルの高い物でした。
工業不足じゃ無く単に陸軍が戦車に重要性を見出さなかっただけ。
陸軍上層部が精神論ばかりだから・・・
チハたん∩(・ω・)∩ばんじゃーい
3:44 誤:47mm砲 正:45mm砲
4:20 誤:太平洋戦争 正:大東亜戦争
なんで4式が無いの
第二次世界大戦前の戦車では、放送の様に世界レベルで合ったが、一式戦車以後は鉄の棺桶と言ったものでした。火力も防御力も最低な戦車で、数もたいして生産されていません。
パンツアーハーアストを量産していれば、まともに戦えたのに残念です。
どういう基準で選定して話してんのか謎
後半は実戦投入すらされてないし、九二式重装甲車とか九七式軽装甲車とかのが実戦の戦歴は多い
英軍戦車と戦ったの?