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なんであれ街から個性が消えるというのは良くないことだと思う。
街どころか国レベルで同じことが起きてるよね。同じような服、同じような建物、同じになるように強いられつつある価値観。このままいったら旅行という行為は消えるんじゃないか?どこにいっても同じだから。
DCブランドの軍服の国家が再び勃興するかな❤
本体のアキバは家電街だからなwキモヲタに占拠されてただけだぞキモヲタが去って本来の姿に戻っただけだぞ
😢😢😢
皆が思う都会の東京だって江戸時代からなんだし街の個性は変わっていくよ
90年代前半のオタクの聖地と呼ばれる前の電気店が全盛だった頃に某店に勤めてました街中の電気店のモニターに森高千里が映ってた時代ですw昼休みは社食をほとんど利用せず、どんどんやガード下の蕎麦屋さんによく行ってました秋デパも仕事帰りに寄れるので凄く便利でした自分が働いてた店はグループ系列の中でもアニメ関係の物が良く売れていて、常連さんもたくさん来てくれてましたショートヘアーで物凄い美人だけどガチオタだったお姉さん、登山家のガチオタお兄さん、病弱で特撮マニアのお兄さん他、会社の同僚や先輩方、お世話になった方々もみなさんお元気で過ごされてるといいですね会社は他社に吸収合併されてもう存在しないのを最近知ってショックですが、ドラクエIIIを抱き合わせでしか買えなかったあの雑多な時代というか、ごちゃごちゃした街の喧騒も好きでした
変わった変わったというが、相変わらず「日本一ヲタクに寛容な街」なのは確かなんだよね…
同じ考えです!
@@黄金のライバー 分かります!時代の変化に置き去りにされた可哀想な人達って印象がありますね😉
@@黄金のライバー確かに。東京都の条例制定も最終的には失敗に終わったし、「オタク文化は失われた」と感じるのは日本社会全体にあまりにもオタク文化が浸透し過ぎたが故に感じる。実際、オタクでなくともただアニメが好きなだけの人間ならその辺にごまんといるしな。実際オタクと真正面から敵対していたヤンキーにもガンダムや仮面ライダーが好きな奴もいる位だ。
@@黄金のライバーオタク文化が国内でも世界的にも浸透したからね悪く言えばかつてはアキバに隔離されてた文化だったわけだから
ケータイゲームの普及で萌えゲーやる人も増えたから、オタクっていうくくりの人が爆増したように思うオタクが文化として世に受け入れられて、さらに発展していく中でオタク文化もより一般化したってことなんだろうね今の秋葉原は2次元の広告とかオタッキーな店はあるけど、あくまで「日本のオタク文化の見本市」というようなライトな店が多いと思う。少なくとも学校帰りに覗いても変人をみる眼差しはされないくらいに。だからオタクの街の店をちょっと覗くみたいな一般客の取り込みには成功したけど、そういう一見の客が欲しいのは大資本だから、常連制みたいな感じのニッチな店はネット販売に移ったりネット販売に淘汰されたんだろうね。
「秋葉原に来てガンダムもVTuberコラボカフェも無かったらおかしいだろ」というのもそうだし、一方で「秋葉原以外じゃガンダムもVTuberコラボカフェも無いのはおかしいだろ」というのも正しい。昔はマニア(当時オタクと呼ばれてた)だけが行くディープな世界だった。今はそのマニアと同じ物をもっと多くの人が好きになった。街が変わったんじゃない、人が先に変わったんだ。仲間が増えたから変わった。風情は確かに無くなったが、決して悪い変化だけじゃないさ。
人の変化に真っ先に寄り添ってくれると考えると、相変わらず寛容なままだよなぁと思います。優しい街よね。
よく秋葉原は変わったと言われますが、当時は大衆に受け入れられていなかったPCやオタク文化が時代を過ぎて広く浸透し、もはやその文化自体を知らない見たことがない方が少数となって大衆化した結果、当時は希少であった秋葉原の特別性が結果として薄れてしまっただけだと思います。5〜7年前まではネットでいいじゃんとなりがちでしたが、意外と秋葉原という街を楽しみに来る人が多く、飲食店以外はそこまで悲観するほどでもないですよ。
昔はMDプレイヤーなんかのオーディオを買いによく秋葉原に行ったものです。昔は本当に飲食店がなくて困ってましたね。今の秋葉原は大衆化、観光地化したと思うけれど、いい街になったと個人的には感じます。
学生時代はよく行ってパソコン関係の物を購入していたが、20年ほど前に行ったのが最後かな。歩行者天国にメイドがたくさん居た。私の知る秋葉原は、家電~パソコン~美少女アニメやゲーム~メイド、AKBという流れで変貌している。
飲食店はむしろ数が増えて、選び放題になってる。悲観どころか良くなってるよ。老舗が減って他と乖離しない店が多くなったのを悲観するなら、その通りですけど。
@@nanakamiakiraアキバと同じぐらい活気溢れて朝から夜まで遊びまくれる街て、都内じゃ歌舞伎町含めて片手で数える程度な気がする...それぐらいアキバてパワーが溢れる街と言うか、今や日本の縮図て感じはする
サブカル文化産業とクロスオーバーしていた電機最先端都市から、行政の介入で前例主義のお役人の後追いと中抜きの風俗街に変貌したんじゃ…
最近アキバなどに行かなくてもほしいものは購入できるようになってるが、昔の掘り出し物を探しに行くワクワク感が楽しかったです。
欲しい物無くても、何となく行きたくなる所ではありました・・・最近、ちょっと時間ができてアキバで昼食ついでに歩いても、結局何も買わずに帰ってくる事多くて寂しいです。良くも悪くも、どこ行っても価格相応(orそれ以下)の物しか買えなくなりました。これならamazonやアリエクのアヤシイ中華パーツの方が楽しい!って話になっちゃいますよね。自分が徘徊してた90年代は同じビルの5Fで1000円で買った物が、そのまま同じビルのB1F行ったら買取価格5000円付いたなんて事ありました(まあ、5万出しても欲しい物だったんで、そのまま持ち帰りましたが)。
二昔前、掘り出し物を探しにいくのがすごく楽しみだった。
@@user-ob1zv8td3f 昔のジャンク屋は使い方の判らない物でも二束三文で箱に入れて売っていましたね。あたるドライバーの在り処を教える代わりに「一つくれ」なんて交渉ができました。ジャンク屋の親父はその情報をメモって即高額に販売していました。大阪の人が東京では値引き交渉をしないというけど嘘ですよ。面白い時代でしたね。
今でも現地に行かなければ買えない物はあります中古、ジャンク、どこからか放出された謎の製品、素人お断りとか書かれた特殊なモニタとかの変な物
@@yohi8005素人お断り系モニタは前はヤフオクとかによく出てたんだけど「ジャンク扱い」云々の規制が厳しくなってから出なくなっちゃったっぽいですね。
バブル前の1980年代後期、レコーディング・ウォークマンを求めて秋葉原を彷徨っていたら、なんと自分の住むド田舎の電気屋よりも1万円以上も安く買えたので非常に驚いた。「ここは夢の国?夢の国なの?」と時間を忘れていろいろな店を覗き込んでいましたね。懐かしい。
私も新幹線に乗ってパソコンを買いに行きました。地元で30万もしたノートPCが20万で売っていて、交通費や宿泊費を入れても安上がりでしたね。一日かけて部品を買い揃えて、モニターまで担いで帰ったのは懐かしい思い思い出です。数年前に行ったときにはメイドさんと巫女さんだらけで、いい年のオッサンになった私にはとても足を踏み入れることのできない場所になっていました(^^;;。
魂からの言霊は響くなぁ
学生時代は部品を買いに行ったな。
2000年頃は高めの商品を見ていると、肩パッド気味の社員さんがどこからともなく電卓を打ちながら近寄ってきて、「これでどうですか?」と、値引きした価格を見せてきて、「もうちょっと」「うーん、これでどうだ」みたいなやり取り(笑)
86年の春、大学入学式用にカメラを買おうと宿泊した池袋のメトロポリタンで近くにカメラ屋がないか聞いたら北口のビックカメラを紹介された。小さなカメラ専門店だったが賑わっていた。入学後、地元出身の同級生にテレビの安い店を聞いたら渋谷だったと思うが城南電機に連れてってもらった。奥で人相悪い小柄な爺さんが椅子にふんぞり返って誰に言うでなく大声で怒鳴っていた。後年テレビ出演で有名になる宮路社長だった。パソコンゲーム好きの友人にpc88の信長の野望を教わり、それから秋葉原によく行くようになった。まだアニメやゲームの街ではなく家電量販店の街だったが数年後にはソフマップやらパソコン関係の店が増えに増えた。よく行った。
秋葉原は時代によって街の様相が全取っ替えする奇特な街
隙自語りになるけど、それだけ特別な゙街だから語らせて欲しい。秋葉原は2005年、当時小6の頃から2016頃にかけておおよそ10年近く通い詰めた。最初はFFのアドベントチルドレンのDVD目当てに、親に連れて行って貰ったのが初めての来訪だった。当時はゲームとアニメと漫画漬けの日々で、2chやおもしろフラッシュ巡り、ビスケたんやかるたん等の擬人化系イラスト巡り、親に隠れて萌駅やもへもへ王国などを巡ってた。そんな子どもだったから、学校では友達も少なく、世間的にはまだ宮崎勤事件等の影響せいでオタク=犯罪者予備軍として扱われていて、真冬の体育倉庫に閉じ込められたりなんか当たり前の様に起こる時代だった。そんなで、父親からのDVが当たり前の家庭環境+学校にも居場所の無さの中で、オタク文化に唯一理解があった母親が、アキハバラ@DEEPの映画に連れて行ってくれ、実際に秋葉原に連れて行ってくれ、社会と唯一繋がれる場所として、与えてくれたのが、秋葉原だった。それから、中学に上がり1週間に「げんしけん」「らき☆すた」「ハルヒ」「ひぐらし」「もえたん」が放送される角川全盛期を過ごし、今ほど規制も緩かったから、ニコニコでも遊戯王が全話見れたり、ネットでも調べれば瓶詰妖精とか、一撃殺虫ホイホイさんとか古い作品も見れた。動画でも触れられてるけど、オタクへの風向きが本当に微々たるレベルで変わり始めたのが「電車男」がヒットしてからだった。このから極々一部の方で今で言うワンピース好き=オタクの様な「ファッションオタク」の足掛かりみたいなのが出来てきた。アキバにも子連れでそれこそベビーカー押しながら歩いてる人すら増えてきた。ちょうどこの頃位からおやじ狩りやオタク狩りのニュースに触れる事も増えてきた。この手のハンターは昔から居ただろうけど、その手の存在を知りながらも、アキバでおてん缶やらーめん缶を自販機前で喰ってたのはその頃だったと思う。それでも相変わらず風当たりは強かったけれど、僕が中3、高1位の2010年2011年になって、ようやくけいおん!や京アニブームみたいなのが起きて、オタクが市民権を得始めてきた。この頃が東方1色で街が染まり始めて、ホワイトキャンパスやメロンブックス、アニメイト、とらのあな、あたりが巡礼の必須ポイントになってきた。一方で、このあと以降、艦これが東方を圧倒し始めた位にはもう、かなり秋葉原の町模様は変わってきてた。リバティーも規模を縮小してて、お気に入りの格安カツカレー屋も消え、ケバブの移動販売も鳴りを潜め、ビルから飾られるオタクコンテンツ看板や壁のポスターの数も減ってきた。オタク系作品の数が減ったのもあるのかもしれない。僕の時代ではもう既に、バスケコートはなかったし。大人になってから、でじこの看板が外されたりしたけれど、僕に取っては唯一社会(外)と繋がれる場所だったから、思い入れがある。アキバがなかったら、きっとそれこそヒキニートになってたと思う。少子化もあるから、ここからあの時代の様な活気に戻るのはまず無理だろうけど。反社の進出や大量殺人とかもあったし、でも、あの頃の自分の様に、誰かが社会(外)に繋がれるきっかけのある場所では有り続けて欲しいって切に思います。隙自語りの駄文長文失礼しました。
熱量wいくつか作品とか時代とか被るとこあって「うんうん。そんな感じだったなぁ・・・」って思いながらコメ読んでたわ。昔を懐かしむ程懐古厨のおっさん乙wって感じなのはわかってるが、秋葉原はどうしても思う。あの頃が良かったなぁと。私は2006年頃が1番好きだったなぁ。まぁ今でも好きな街ではあるけどさ。結局。
もうブログ書けるレベルだな……
小説にしたらいいと思う、秋葉原の思い出を集めてドキュメンタリー映画にしたいな
ヲー詳しい解説ありがとうございました
格安カツカレー屋が懐かしい。今はかつやがあるとこだよね、懐かしい。自分としては、まんだらけが雑居ビルから今のでかいまんだらけビルになったところが潮目と思うかな、そのころにはもう中国人が爆買いだと言っていたはず。2012、13頃かな。
何だかんだで生き残ってるオノデンすげーよな
オノデン坊やは 宇宙を散歩しているんだよね 今日も 🥳
秋葉原の雰囲気が残っている数少ない場所。ヨドバシはまず日本橋の電気街を駆逐し、秋葉原の電気街も終焉に導いた存在。
秋葉原の護神だからね。そんなオノデンも再開発の煽りを受けている。あのオノデンの看板、ネオンは無くしてはいけない
@@ryuko8263 『 ノ 』の字を 取ったら『 おでん 』だねアキバは昔 缶に入ったオデン 流行ったね
@@ryuko8263 宇宙で散歩している間に経営危機か⁉️ 『 散歩して無いで 店番してっ 』宇宙から帰って来た オノデン坊やの毎日のちょっとしたエピソードをSNSで発信して見ては いかがですか
よく言われる「オタクの街」なんて認識こそがおこがましいオタクさえ受け入れる懐の深さこそが秋葉原最大の魅力である
"昔は"オタクの街だったんだけどな〜というネット高齢者のノスタルジーに対して、おこがましい!言うてもな。終わった話に終わった話を被せる時代の変化に適応できないロートルたちの悲哀よ。
行政や大資本の手が入り家賃が上がってベンチャー参入の間口が狭まり草の根からの新陳代謝を望めなくなった今のここは、歴代のどんな色の時代のアキバよりも無個性なつまらん街であり、また今後もそういう場にしかならない。いわば熱的死を迎えている。悪いが「懐の深さ」という認識こそが分かっているつもりのロートルのもの。もう、そんなものはない。
ちょっと前は家電の街だったし、さらに前はラジオの街。変化を受け入れる街って感じかな。
この世にオタクがいなかったら技術の進歩なんて起こりえないその技術の進歩という恩恵を受けて書き込んでるくせに「オタクさえ」と見下すわ『認識がおこがましい』とほざいてるそしてそれに100人近くがいいねしてる色々終わってますわ
オタクの街という認識自体は的外れじゃないでしょあくまでオタクの街であってアニオタの街ではないというだけアニメビジネスが台頭してラジオが駆逐されたように他のビジネスが出たからアニメが消えていく当たり前の流れよ
衰退したというよりもネットより優れた店に整理されたといった感がある。有名店は十分人気健在だし、今も混雑している。
秋葉原は年代で見慣れた景色が大きく変わる街ですよね。学校の関係で「鈴商」、「千石」、「秋月電子」にも行きましたけど、わたしとしては「LAOXザ・コンピューター館」の目の前でマハーポーシャの売り込みが叫んでいて、その通りの小さい店舗がどんどん「ソフマップ」に変わりながらアヤしい中古パーツを売っている、そんな雑多な風景が思い浮かびます。
「や〜すいや〜すいや〜すいや〜すい」をひたすら連呼してうつろな目でチラシを配る風景は懐かしいですね。
マハポーシャて、あの団体なんだよな…
秋葉で2番目に安いPCパーツのzoあとか。
@@くにに アレフ
そのザコンピューター館の北側信号の無い横断歩道を渡った所がJUNK通りと言って、ゴミを売ってるのかお宝を売ってるのか分からない不思議な空間であった。
90年代~10年代手前まで秋葉原の祖父地図で働いてましたが、当時が一番濃かったですねネット通販も弱かったので現地に行かないと買えないモノも多く、全国から人が集まってた感じがします(ポイントカード勧めたら地方の方の比率が高かった)オタクの聖地~メイド喫茶の出始め、アイドル文化の流入までしか体験してないですが、濃い面々が集まるのが秋葉原だった印象インバウンドの波が寄せてくる前に秋葉原からは遠のいたので、今も秋葉原にいたら昔のアキバは良かったなんて言ってるかもねw
昔はえろげの余ったポスターが歩道に箱に置いてあってご自由にお持ちくださいって書いてあったな。
分かる!wwもらってた(*^艸^)クスクスw
良いなぁ🥺
もっとオタクがエロむき出しで欲望のあり方が新宿や池袋とは違ってた。
2000年初期のホコ天がカオスで楽しかったな。みんなハルヒとか踊ってたね。
地方在住なんで子供の頃からたまーにしか秋葉原行かなかったから行くたびに雰囲気変わる不思議な街ってイメージですわ。小学生時代は完全に電気街、高校の頃はオタク文化が入り始めて、大学時代は完全にオタクの街社会人になってから行った時は商業に振ったオタク街で、コロナ禍直前に立ち寄った際は免税店の街そんな感じだった
アキバって昔から後ろを振り向かず年代ごとに変貌する街なんだよね。今から14年前の「ブラタモリ」のアキバ回でも同じ事言ってたし。家電の街になったのは戦後。戦前は荷揚げとやっちゃ場という流通の要衝地。江戸時代は火除け地として人気(ひとけ)のない草っ原だった。そこに造営されたのが鎮火の神様を祀った秋葉神社だったし、この街の地名の由来になったとか。オタクの街ってのも22.3年前がピークかね。昔はエロゲのいかがわしいポスターも堂々と表側に掲示してたし。で、その頃が「古き良きアキバ」て風潮が強いんだよね。新旧が入り混じってた頃。私もヤマギワソフトによく買い物に行ってたし、ラジオ会館の雑多な雰囲気が楽しかった。90年代の10年でジワジワオタク文化が流入してった感じ。バイト代貯めてスーファミ買いにアキバのラオックスに来たのが93年で、もうこの頃はホビーと家電を安く買える街のイメージは浸透してたんだよね。で、その位の時期のアキバを「俺たちの街」て風潮が強いのも、やっぱりオタクが好む街並みだったからと思う。近代的なビルの裏には戦後闇市からスタートした個人経営のジャンク屋が犇めきあってて、どことなく押井守のアニメっぽい郷愁を覚える情景の街だったから。何より人がたくさん集まる街なのに、渋谷や新宿と違って治安が良かった という奇跡的な街だったのが良かった。「オタクの街」というより、「オタクが安心して歩ける街」だったのが真実の様な気がする。同じ理屈で私個人は当時からお隣の神保町も愛用してた。客引きもメイドもいなかったのがこの時期ね。飲食店がびっくりする程少なかったから。通いや地元の人々が働く街であって、そもそも遊びに来る街では無かったから。そんな時代背景で「オタクだけが遊びに来てた街だった」て考えた方がしっくり来るんだよな個人的には。その分夜がとても早かった。20時になると殆ど閉店。その時間からリアカー牽いたおっちゃんが店先の段ボールをかき集めるのがこの街の風物詩だった。みんなこの街でイソイソと働いてるのを尻目に、遊びに来てた学生時代の私と連れら、一通り買い物済んでどっかで飯食おうぜって流れになっても入れる店がない。そんな不便な時代が数十年続いた印象。「アキバって昼は便利だけど夜喰う店ねえよな」という会話をその頃は頻繁に交わした記憶。電車男のヒット前後、2005年くらいからオタクをターゲットにした飲食店や風俗店が増え始め今に至る感じ。客引きやティッシュ配るメイドがうろつく様になって歩きづらくなったなと個人的に思う。要は「オタク文化」が隙間産業じゃなくなって、いつしか日本が世界に誇示するメインコンテンツ、みたいに企業やメディアが持ち上げ始めたのがこの頃。その延長線上に今がある感じ。あと、動画での解説通り、わざわざ買い物には行かなくなったのが大きいね。ネットで買えるもん。ホント、今は海外客が喜ぶ観光地の印象。でもオーディオ機器を買う時だけはやっぱり行くかな、実機で試聴しないと分からないからね、ヘッドフォンとか。今の「渋谷新宿化」にだけは抵抗あるな、動画で魔理沙と霊夢も云ってるけど。ただ魔理沙のような「こんなの俺たちのアキバじゃねえ!」みたいな何の根拠もない感情論じゃなく、単純に治安悪くなったから笑 アキバ的には「裏通り」に当たる昭和通りなんて、夜間は歌舞伎町ですかって云う程柄の悪い客引きが増えてて閉口以外なかった。もう二度と歩かないw色々綴りましたが今の街並みだって「時代の通過点」て考えた方が色々整理つきます。必要以上に嘆かず済む てのが本音なんだけどw
今の秋葉原は外国人観光客の街ですよね。
自民党もばか多いよな
秋葉原のみならず、都内はどこも外国人観光客多すぎるよね。特に夜の銀座とか池袋とかは日本語聞こえる方が珍しいくらいだよ…
最近のメイドは英語も話せます。オレより頭いい。
あとオフィス街
オタク文化の結束点である秋葉原が、ネット時代に突入しオタク文化のショールームになれば、リアルにオタク文化に触れたい外国人が集り相応のサービス体制も構築されますね。
秋葉原がオタクの文化が消えたんじゃなくて日本が秋葉原になったんでしょ
!!!なんと!!
たしかに
こいつぁ一本取られたワイ
なんというか日本人そのものがオタクと化した気がする
どこでも買えるてことか
今から20年くらい前、高校生だった俺は夏休みにバイトを頑張って、この秋葉原で散財するのが毎年の楽しみだった。勉強も運動も出来なかったけど、バイトに命を燃やして秋葉原で爆買いする俺は、人生で1番輝いていたかもなあ。それでも、その秋葉原も徐々に変わっていくんだな。確かに、ネット通販の方が確実だから、わざわざ秋葉原に来る意味は薄れただろうね。でも、俺は秋葉原でしか得られない何かがあると信じているよ。今は遠くに住んでいるけど、また秋葉原に行きたいな。
その言葉に強く理解!
アキバが近いので日常生活でもよく行ってますが、オタク趣味目的だと昔ほど見て回る場所がなくなったのはそう・・・おもしろみがない街にはなりつつあります。オフィスや飲食店が増えて、スーパーも増えて住みやすくはなってるから街としてはいい場所になってきてるんですけね。オタクの街からは変わろうとしてます。
秋葉原デパートがあった頃がギリ古き良き時代が残ってた時あのなんとも言えない雑多感が街中に充満していた頃が好きだった
多種多様なヲタクの人たちを受け入れてくれる『懐の深さ』が当時は有りましたしかし秋葉原が有名になるにつれ変な人たちやトラブルが増えてしまいました
あらま、20年前に高専生だった頃に電子部品買ってたお店がシャッターになっちゃってるのをこの動画で初めて知った。当時はまだ通り魔事件の前で、本当にオタクの街って感じてたから、寂しいながらもちょくちょく残ってるお店が見えるのが嬉しいな。
秋葉原に限らないけど色の濃い場所はどんどん消えてしまう
日本では出る杭は打たれるんだよ個人に限らず企業や街も
各論反対 総論賛成 みたいな流れで・・目先の利益でみんな満足するんだよ
ネットの個人サイトや個人掲示板とかもそうだけどニッチなものはいずれ大資本がやってきて全てを画一化していってしまうんだよね個人ブログはSNSに、お絵かきサイトはpixivに、攻略サイトは攻略wikiに全部統合されてしまった…やっぱ寂しいよな
色の濃い場所は犯罪も増えるし危険度も上がりますので、仕方ないですね。
頭が悪くなったのが全ての原因集団の平均知能がマシなら、目先のエサに飛びつく猿の様な真似はしない
自分は初めて秋葉原に行ったのは2007年末でしたギリギリ電車男の雰囲気があった感じがします次は2012夏に行き外国人も目立つけどまだオタな若者が溢れていた気がします今の近代的なオフィス感も好きで悪くないと思うんですが、なんせネットも外も暗く少子化で楽しげな日本人が居ないのが悲しいですねいつか綺麗なこの秋葉原に新旧融合した文化が訪れ再び活気が戻ることを願っています
引っ越してからは秋葉原に行かなくなって、ゲームも今ではネットで買うようになってしまったけど、昔は欲しいゲームが出るたびに秋葉原に行ってましたスーファミの「かまいたちの夜」の発売日に買いに行って、帰りの電車の中で説明書を読んでたのは、若かりし頃のほほえましい思い出ですw
なかなか、マニアックな作品を。😮
自分は『大貝獣物語』かなあ
恐らく同世代ですね。ファミ通、ゲーメスト、ファミマガ等、ゲーム雑誌をお金で実店舗で買って(何回も)読んで開発中の画像見て想像膨らませて、楽しかったですよね。
@@中段チェリ王 滅茶苦茶懐かしい。😙
秋葉原だけじゃなくて都市部や首都圏で再開発されるとテナント料や家賃が上がるから似たような感じになる。
そんな流れの中ではアキバはまだがんばってる方だよね・・・・歌舞伎町のキャバクラ・ホストクラブがコンカフェになってるだけの繁華街化してても
なんか、「推し」って言葉がヲタクの現状を物語ってるよねアニメとかが好きだからヲタクになったんじゃなくて、アニメとかそんな好きじゃないけど、都合の良い個性を求めた結果「ヲタクのような何か」になる、みたいな
自分は、推しって言うワード嫌いです。似たようなワードの「ファン」だと自分の好きな物という自己完結してる感じだけど「推し」って言うワードは自分が好き以外に自分の好きな物を周りに押し付けてる感じがして嫌い
現高校生です。自分は今の秋葉原の雰囲気が普通と思っていたのですがかなり変わっていたんですね。。。今はクレジットカードやオンライン販売が使えないので現地に行って買っているのですがやはり個人的な感想ではネットで買うより実際現地に行って何があるかわくわくして買い物をするのが楽しいです。今はメルカリなど個人でもグッズの売買はできてしまい顔を合わして買うことは少なくなってしまっていると思います。また2007年ごろの秋葉原に戻ってほしいと私は願っています。
やっぱりオタクや同族の友達が受け入れられるのはとても良かったけど今はメイドや外国人などが多くて居場所を感じられないからネットで良くなった
時代によって様式を変えるのが、アキバの真骨頂だと思ってるので、これもまあアリなんじゃないかと。
でも中国政府系の監視ビルはいらない
@@THE.Everestlist それは俺もいらない。
人心が腐敗すれば風俗街に転身か…
すっかり行かなくなった。電気オタク→PCオタク→アニメオタクと変化した。アニメオタクと外国人で溢れるようになり、通販一択に切り替えた。うちの近所にも数軒ハードオフもあるからジャンク漁りはたまにできるし。何より秋葉原で魅力的なジャンクショップが無くなりつつある。相当なことがないと行く機会がないな。
いつの間にか外国人が集まる街に変貌してたのか…知らなかった。貴重な情報ありがとう😊
個人的には旧ラジオ会館が消えた時点で終わった
秋葉原に家ありますが街の変遷はあるものの全然悪い状況じゃないと思うけどなぁ、PC関係はだいぶ無くなっちゃいましたが変わりは色々出てるし(変わったところでは買取屋の大手が集まってきてる)、飲食(ラーメン、肉関連が充実)も増えて日本人観光客は相対的に減ったかもしれないけど(オフィスビルが増えたせいもあって)秋葉原で働く人が昔と比較にならない程増えたおかげで動くお金も意外と大きいですし...また秋葉の風景という意味では(特に昭和通り側の変化の象徴として)ヨドバシの存在は大きいと思います(青果市場のターレーの話がありましたが実体験でしょうか? 動画作った方がどの程度秋葉に来られている方で何処までが実体験の情報で何処からが資料からの情報なのか気になりました)
>全然悪い状況じゃないと思う場所はいいからもっとよくなると思うけど 新築ビルで普通の町に近づくのかもね。オタク文化がどうなろうと関係ないのかも。
良く言えば「時代に合わせて多様化する町」なんだけど、変化が激しくてその時代、その時代を生きた人にとっては少し物悲しさを感じてしまう場所だよね。
確かにと思ったネットで好きなものがいつでも変えて家に届いてしまうご時世で、高い移動費かけて東京行く意味が無くなりつつある現状に
コミケも地方での開催が当たり前になったら東京は終わるかも
@@mitukan11 コミケはレイヤーやそれの写真を取る人で常にごった返してるから問題なし
結局再開発やら行政の手が入ると、小さな資本のショップが追い出されてソコにしか無い物が無くなって、足を運ばなくなってしまうんだよなぁ行政ってか利権屋は新たな金蔓が出来て万々歳だけど、どこ行っても同じになっちゃうと結局人は来なくなる
秋葉原には小学生の頃から通っている元電気少年だった私には、秋葉原は常に変化している印象しかないけどね。それも気がついたら変わっていたって感じで。最初は鉱石ラジオを作る為に行っていて、家電製品を買いに行き、パソコンを自作する為に通い、アニメオタクになってアニメ関係の買い物を追加して50年近く通っています。それでも現在は何の街になっているかよく解りません。
秋葉原は、お父さんとMacの周辺機器を買いに行ったののが最初あの時代はまだ電気街という感じで面白い電化製品があって楽しかったでもヲタク専門の店が増えて、お父さんと行ったMacの店がアニメイトに変わっていたりして寂しかった
見るのが楽しいだけで何も買わないじゃん
> お父さんと行ったMacの店がアニメイトに変わっていたりして寂しかった他の場所に移転しただけでは?ヨドバシアキバの1FにMacのスペースが昔からあるし、駅から少し離れたところにMac専門の中古ショップがあったと思うけど。
初めて秋葉原に行ったのが2016年頃で当時中学生だった者です。20になった今でも毎年定期的に秋葉原に通っています。カードやホビーなど自分の好きなものが沢山あってこの街が大好きです。時代の流れと共に変わってはいますが、それでも行けるときに行っています。
オーディオとアマチュア無線が抜けてますね。1960年代から80年代まで秋葉原はオーディオとアマチュア無線がけん引力になっていた。パソコンが増えたのは80年代からで、現在のようなアニメとゲームの町になったのは、1990年代バブルがはじけた後に、アダルトビデオと同人誌が怒涛のように増えたのがきっかけ。その後、フィギュアを扱う店が増えた。
オジサンの頃は電気や無線だけどラジコン部品を扱う店がまあまあありました
「エントリーAVアンプを買う無意味さ」について15分くらい説教もといアドバイスいただきました。ソニーの営業さん泣いちゃうよw まあ面白い時代でした。
CIAに無線売ってたからねぇ
@@珪素生物-w8g様へ 対するKGB職員は日本製のチップをトランク一杯買い込んでソ連大使館から外交梱でモスクワに発送していたとまことしやかに伝えられていた。
2008年頃はほぼラジオ会館に集約されていたようなイメージだったオタク的な店が2017年に行った頃には各所に散在していたイメージありますね、トレカショップの数も多くラジオ会館の店より、近隣に点在する個人店の方が状態も良く、値段も安く、店員さんの接客も好印象など印象良かったです。
チェーン化・大資本化が進んでいるとはいえ、関東圏でこれだけオタク系コンテンツの店が集積してる街は秋葉原ぐらいだからなぁ。池袋とかも最近そういう店が増えてるけど、分散しててで秋葉原程集積してるわけでもないし。TCGをやってる身としては秋葉原の店は競争激しい関係上からか買取単価が高くて重宝してるし、リユースショップもかなり多いからとにかく中古品の流通量が多くて、売りに出すにも買うにも便利なのがいいしかし個人的には今計画が上がってる大型複合商業ビルの計画は下手をすると秋葉原の名残ともいえる部分まで消してしまいそうな気もするんで、上手い事バランスとりながら計画の是非を含めて考えてほしいと思ってる
中三のときに親の事情で東京から西日本まで引っ越ししました東京に住んでいたときは、自分アニオタなものでよく秋葉原まで遊びに行ってました何か目的がなくても色々な店を回るだけでも楽しかったので好きでしたもうすぐ自分も高2です(まだあの頃から1年半しか経っていませんwでも体感はもっと長いんです)が、まだ東京には一回も戻っていません。もう一度秋葉原に遊びに行きたいものです
大阪市に20年以上住んでいますが、西の秋葉原と言われた日本橋は一足早く衰退からの再生の道を歩んでますね古き良きオタク街としての姿は、今はほぼオタロード周辺に集約される形になってしまいましたお隣の西成区が海外からのバックパッカーを多く受け入れるようになった影響もあって、日本橋も今や外国人だらけです秋葉原はまだまだ根強いかなという印象ですが、これから加速度的に変わって行くのかも知れませんね
機械だらけのヲタロードにまた戻って欲しいでござる。無理かぁ(´・ω・`)あの暗~いアングラ的な感じが良かったでござる・・・
良くも悪くも、ネットで何もかも揃う時代になって、アニメ、ホビーの専門店でさえ少し寂しくなってきた気がする。
昔は秋葉原事件が起きたその時も大阪の同人誌即売会場にいたほどしばしば関東から遠征していて、帰りの夜行バスを待つ間日本橋の中古同人店に立ち寄って関西でしか活動しないサークルの本を見つけると喜んで買ったものでした。かつて同人業界を牽引したとらkブが男性向中古同人から撤退しましたが近年はだらけ駿河、メロンはずっと残ってましたね。ああすべてが懐かしいまた大阪行きたい。
アキバのほうが残らんやろつくばエクスプレスも乗り入れてターミナル駅になってるし、西側のごちゃっとしたところが残るかどうかくらい加速度も何ももうオタクの街としては青色吐息駅前は映像の通り整理しまくられてるよコロナで南側から風関係が流れ込んで一時期治安も悪いやらなんやら
大阪のは元々秋葉原の関西支店って経緯でできたせいか東京の大資本主導なんですよね・・・地元中小資本もあるにはあるけど淘汰が著しいです
時代、時代に訪れた人の心に何かを残していくような街。だけど、よく見ると常に変わっていく街でもあるので、どの時代にこの街を訪れたかで、持つ印象も大きく違う。自分の中では90年代の自作PCブームの走りの頃が混沌の極みのようで、今考えると非常に懐かしい。街の通りのそこら中で格安の組み立て済みの自作PCのチラシを配っていたけど、実はその多くが、オームのお店だったっていうあの時代、オタク系ショップは有ったがそれ程多くは無く、正にごった煮状態で、この混沌がこの街だよなぁと勝手に納得していた。ただ、当時は街の明かりPM8時にはおおよそ消えていて、そこもまた特徴的だった。
模型民からすると安いジャンクがごろごろしてる店が密集している秋葉原は好き
なんというか時代と共に求められるモノが変わっていってるんだろうな。自分は「初歩のラジオ」「ラジオの製作」見て工作の為材料買いに行ったのが初めて。その後アマチュア無線、オーディオと趣味が変わったが通い続けた。その後石丸電気にレコード買いに行き、PC が普及し始めると自作のためまた通った。さらにその後はアニメ関連と相変わらず通ったな。最近は通ってないが今後はどうなるんだろうね?
確かに昔のアキバと比べるとアナーキーで無くなった、行っても歩き方も知らんチャイニーズやらコリアンだらけ、プライスフィギュアをコイツら向けに高値で売ってたりとつまらん要素が増えてしまったな。
宮城県の仙台ですが秋葉原みたくなりだしてます。数年前からですが雰囲気と言うか電気街は無いですがアニメ関連のショップが異様に増えてて仙台駅のすぐ近くには巨大なヨドバシカメラビルが出来ました。正直、見たらちょっと驚くと思う
実際ドトールの方が多いよ
俺が東京行く頃には令和になる直前だったから、俺が子供の頃に思ってた秋葉原と全く違ってショックだったなぁ。
20年くらい前の秋葉原の独特のアングラでカオスな感じが好きだったな 今は綺麗すぎる印象
自分は一昨年ぐらいから行くようになった若造だから昔の事は知らないけど、確かに外国人のための観光都市みたいだとは思う。人が作る街というより人を集めるための街みたいな
人は社会の中で居場所を探すもんなんだろうね。自分もその一人でオタクではないけど若い頃、自作PC部品を買いに秋葉を通っていた、いい思い出だ。また秋葉行きたいな。
15年前の旧ラジオ会館があった頃に良く行ってました。秋葉原はアニメゲームメイドだけじゃ無くて色んなサブカルが集まる町だから面白かったんですけどね、観光地付きオフィス街なら他の町とあまり変わらないので魅力が無くなりましたね。
それな
まるでフジテレビって感じ。本当に昔の河田町黄金時代のフジテレビはレベチにとても面白いエンタメだったなぁ…。
時代によって柔軟に変わっていけるからこそずっと賑わってるんじゃないかな、これからもそうであるといいですね。
大好きな街。転勤で行けてないけど、まもなく転勤が終わるので、またアキバに行けるのが嬉しい。
中央通りで歩行者天国やってた頃が一番活気があった。そして例の事件。。。あの時は中央通りに面したビルで働いてたけどビルの窓から見たあの様子は忘れられない
メイド喫茶が最大数あった時代が懐かしい。今はカドショが増えすぎた。雑多でカオスな秋葉原が一番楽しかった。テレビチャンピオンの「アキバ王選手権」の時代まで戻って欲しい。
あの頃のアキバは楽しかったですね 。ちょうど上京した頃だったので、よく通いました。
それ以前の秋葉を無視してヲタクを基準に時代を語るなよ
@@中平竜飛 誰もそんな基準でアキバを語ってないやろ。
@@たく-f8q4q 秋葉は元からヲタクの街なんかではない、分かってるかい?
@@中平竜飛さん、CPUとかパソコン部品やトランジスタ・ラジオの📻🛠️💻部品とかの問屋街でしょ?映画にも出てくる
2000年代の同人PCゲーム全盛期の頃が懐かしいネットで何でも買えちゃう今と違って実店舗じゃないと取り扱ってない物が多い時代だったから怪しげな雑居ビルで掘り出し物探すのもワクワクしたな今は外国人や田舎から来た観光客をカモにするようなぼったくり価格設定の物が増えてきて魅力が無くなったのが寂しい
10年ぶりくらいに観光で秋葉原に訪れましたけど動画にある様に裏通りなんかはイメージしていた秋葉原のイメージでしたね。そう考えるとまだ古き良き時代の秋葉原は完全に潰えているわけではないのかもと個人的には思えます。
ちょっと秋葉原いってくる
1970年代のアキバはまだ高いビルが少なくて遠くの風景も見えていました。でも人口の増加に対応するには上に高くするしかなくなった。その点、米国は土地面積が広大なのでL.Aに行くと高層ビルがなく道沿いに優雅な戸建の独立店舗が立ち並んでいる。今のアキバは建築業者泣かせの街と言われており、建築基準法を無視して建てられたビルが多いので、改修工事する時に役所に申請に行っても許可が出ない。建築許可申請をすんなり通すにはビル全体を一度壊してから建築基準法に沿った建物を作らないと行けない。なので普通に改修工事する予算の3倍以上かかる。
「ビル工事に伴い」テナントで入ってた店が出て行ってから何年も空き家状態になってるビルが割とあるのはそれが原因なんですね。最初の頃はいったん出て他の場所に居を構えた店が元の場所をまた借りて倉庫代わりや通販業務用の事務所?にしてたりしたのもありましたが……
良い所も悪い所も時代の移り変わりってのは等しく訪れるもんなんだねアングラで一般人が寄り付きづらいイメージを払拭しつつ少し沼ってるくらいのヲタク文化を忘れない街造りが個人的な秋葉への理想かな~
綺麗すぎても面白みがないもんね綺麗と雑多の混雑した感じがワクワクすると思うんよね
今回の霊夢はまるでツアーガイドみたいでした。アキバも渋谷をはじめとする各街と同様、時代の変化と移り変わりによって、また変貌するかもしれないけど、電気街・秋葉原、オタク文化の発祥地・アキバ、この各コンセプトは今後も継続してほしいです。一つ個人的に願いたくは、アキバを治安のいいスポットにしたいですね!秋葉原で働く皆さん、頑張ってください!訪れる皆さん、マナーよくアキバを探索してください!勉強になりました、サンキュー❤️
なるほど…アキバに行く前にこういう歴史を知る動画に触れることが出来た、とても有意義な動画でしたありがとうございます今年初めて、家族でプライベートで東京に行こうと思ってるそうなんですが、アキバに行ったらとある仲のいい音ゲー仲間とエンカしてアキバを歩こうと思ってます素晴らしい予備知識をありがとうございますネ友とアキバを歩くのがとっても楽しみになりましたアキバのメイトとビッカメ、行ってみたいな…
立地とアクセスは最強クラスなんよね…。そりゃ再開発されますわ。面白い街だったし、好きな街だった。
そういった点では飲食店増加も頷けるのよね上野駅近いが上野駅の改札でて周辺飲食店利用するより秋葉駅周辺行った方飲食店入り安いと感じた
ファミコンや8ビットパソコンの時代に秋葉原に行きましたが、電気店やゲーム屋ばかりで街が構成されていて不思議な街だなあと思いました。その後でじこビルがあった頃に行ったのが最後ですが、もう今はすっかり変わってるんですね
確かに俺が高校生だったほんの数年前と比べても秋葉原は変わった方だと思う。けど、やっぱりアキバはオタク文化の発信地であることに変わりは無いと思うんよ公共交通機関でのアクセスも抜群で、好きなものを好きだと言えて、品揃えも充実してて、「誰もが肩肘張らなくて良い場所」だと思ってる一言で言うなら「オタク入門の為の街」それが秋葉原の変わらない価値だと思ってる
今は観光外国人にフィギュアを高値で売る店ばっかり日本人はネット買った方が安いからね。プラモデルは全国で1番売っているかもね
「一見してオタクの街」ではなくなったとしても、オタクが必要なグッズを買いに行くのはやっぱり秋葉原と中野ブロードウェイなんだよな。
小さい頃は交通博物館によく行ってました。全国の記念切符が買えるブースがありましたね。青果市場上の高架線にたくさんの車両が留置されてました。ガード下の電気部品屋さんも活気があって、知らない部品も丁寧に教えてくれたな。大学生の頃はオウムのマハーボーシャがビラ配りしてましたね。昨年、久しぶりに訪れたら外国人、おそらく欧米人だと思いますが、古いゲームやアニメグッズをいろいろ買ってるのを見て驚きました。。私が知るアキバではなくなってました。
秋葉にいる人は全員ハレ晴レユカイを踊れるって言われてた時代が懐かしい
アニメの街になったのだってほんの20と数年前くらいのことその前はまんだらけや海洋堂のあった渋谷とかのほうがその手の店は多かったイメージある
昭和41年から御徒町と秋葉原の中間辺りの小学校に通ってました。ジャンク屋見たいのが沢山あってスピーカーから外した磁石を貰ってオモチャにしていました。メインストリートには夏になると扇風機がビニールの紐をヒラヒラと揺らし冬になるとコタツやストーブの赤い光が店頭を飾ってました。 神田市場もまだ有り、神田祭では市場のデカい神輿をヤッチャバの方々が威勢よく担いでいました。 日本最初のパンダ、ランランとカンカンがデコレーションしたトラックに乗って中央通りを通り、今は無い松坂屋前の歩道橋から日の丸の小旗を振って歓迎パレードをしましたね。
中学生の頃、40年前の秋葉原は女や子供に冷たい街だった。あと飲食店が少なかった。でも電子工作するキットはこの街でしか買えなかったから毎週行ってたなあ。若松通商とか昔のツクモはワンダーランドだった。今はメイドカフェ風のガルバで、アルマンド30万円近く、フィリコというただの水が10万円以上で出ている歌舞伎町化してしまった。
25年位前からならこの街をずっと知ってて見てきましたが、最初の頃は、確かにそうだけど、当時は秋葉原といえば電気街というイメージが定着していました。 その頃は確かに飲食店が全然なくって今とはまるで違う街。華やかさとは無縁ですが、それがその当時の秋葉原の色。長居すると食事ができないとか、トイレ行きたいけどなかなか無いのにようやく気付くような感じ。 でも、電気オタクは用事が明確で割と時間かからないことは多いんだけど、秋葉原でしか手に取れないような珍しいものとかに出会うと、その日はハッピーな気分になるほど面白い街だった。 今は今で時代とともに変化を受け入れられる色んな文化が集約した街になったと思う。
_実際コロナ禍で干上がった歌舞伎町からその手の業態でかなり侵出してきてますんで、その感覚は正しいですね。
40年前は知らないけれど、そういった部品屋、PC屋が飲食なんかになって普通の町に近づいてる。ビル開発でアキバらしい店は減っていく。
飲食店が少なかったのは食費を削ってでも部品を買うからと想像します。実際空腹を我慢して2SC372を一つでも多く買った遠いおもひで...あと知識の少ない初心者にはとても冷たかった。目の前の店員は話しかけても無視、隣の店員が驚いていた位無視。抵抗探して見つからず、店員に聞くと”そこに無きゃねえんだよ!”と怒鳴られた。リードのさびた10円の抵抗なんかいらないと泣いて帰った、純粋だったあの頃。
この前久しぶりに秋葉原に行ったけど中国とか韓国のゲームの広告ばかりで日本の文化はほとんど駆逐されててすごく悲しくなった。もうおわりだよ。
原神ブルアカ系が凄いのはマジでしゃーない日本のソシャゲメーカもっと頑張れ
外国人観光客にとって秋葉原はただのアニメ観光地なんだろうなネットとオタク文化の相性の良さを考えたらオタクの街としての秋葉原が衰退するのは必然だし時代とともに街が変わるのは仕方ないけど、観光地になってしまうのは何か残念な気持ちになるなぁ
今はネット通販が主流だけど昔は足を使って安い店を探すのが常だった同じ商品でも価格は千差万別だし、同じものだと思っても微妙にモデルが違ってたりするんでとにかくよく見てよく歩くという感じだったな一つの物を買うのも丸一日かかって途中じゃんがらでご飯食べて夕方閉店するまで(昔の秋葉は閉店がはやい)ず~~っと歩いていた途中で今回予定していなかった見つからずに諦めていたものがいきなり見つかったりして歩いて探すだけでも楽しかったダンジョンで宝探ししてる気分だったのかもしれない
当然よろしくないことで健全化された今の方こそ正しい姿なんですがアングラ方面がほぼ叩き潰されたのも大分変わりましたね、ブレードランナーもそうですしゲームのスナッチャーのネオコウベシティみたいな雰囲気が1990年代初頭にはあったのですがその辺りの匂いは微塵もなくなりましたね
ブレードランナーにスナッチャー…ポリスノーツのオールドLAかな
子供の頃には憧れの街でしたね。石丸電気やサトームセン、LAOXなど当時うるさいほどCMで流れていて嫌でも印象に残ってました。年に一度、父親が秋葉原に連れて行ってくれるイベントがあり、遊園地に行くよりもワクワクしていたのを思い出しました。親父・・・ありがとうToT
オタクの街云々ではなくその店秋葉原に無くていいだろ?っていう店が進出しまくってきちゃったからな。そういう店ばかりになると特徴がなくなっていくというか、それはもう新宿みたいなもん
秋葉原は皆が言ってる通りこれまで色々と変わっていったとあるけど次の変化が最後なんだろうな
アキバに行った事ないオタクからするとアキバは個人商店うずめく魔境ってイメージだったけど全然違うな…初めて行く人からしたら行きやすくなったとは思うけど、それだけ人との繋がりも減ったように感じる
石丸電気でCDを買った記憶が、もはや15年前とかだもんな。年取ったわ
建物の老朽化も進んでたし、あの通り魔の件もあったし政治的には利用しやすさはあったんだろうね。20年前位のレトロな雰囲気の怪しさと近代化の微妙なバランスが好きだったけど😅
20年から30年前良く言っていたけど、ヨドバシの辺りがずっと工事中で万世橋口(現在の電気街口)から昭和通り口まで行くのに回り道させられていた。常磐新線が併走するための工事だと思っていたけど結局つくばエクスプレスになってヨドバシとロータリーになった中央線に乗って旧万世橋駅屋上を見ると線路などの遺構があったけど、それも整備されちゃったあと、クレジットは使えないしサポートも全くない、土日は休日だけど激安の現金問屋店も多かったが、大資本が入ってきて駆逐されてしまった。マヤ電気がパソコン雑誌に広告打っていたっけ
人が集まりすぎてマニアックさがなくなったようなでっかい家電量販店みたいな感じ
私としては秋葉原デパートの前で実演販売&怪しい露天商あたりがいたころが一番の思い出が深いです(笑)メイドカフェはメイド服モドキを着てる(汚く言えば)商売女なイメージなので大っ嫌いです。一回見向きもしないで通り過ぎれば二度と声をかけられないのはうっとうしくなくていいのですが。裏通りは仰られた通りにまだ雰囲気はありますね、行けば何らかのパーツをつい衝動買いしちゃいます。私は古いゲームが好きなのでそういう意味では私にとってはまだ聖地な気がしてなりません。
ゲームも外国人向けに高くなっている気がします。それとメルカリとか出来てネットで安く買えるようになってしまって中古ショップも無くなったよね
穴あき包丁買った?(゚∀゚)
@@天秤ジジイ 私が買ったのはキャベツの千切りのやつですね(笑)
2000年代に生まれた自分にとっては、秋葉原は未だオタクの街としての機能を果たしていると思ってたけど、確かに利権の参入や外国人観光客など、昔と変わってしまった姿を悲しむ人がいるのは凄いわかる。自分も昔の秋葉原行ってみたいし。ただ、もうインターネットが普及して実際に物を外に買いに行く必要がなくなってしまった以上、オタクが集まる街というよりは、オタク文化の象徴としての秋葉原に役割が変わっていっていっているんだろうなと思う。
先日久しぶりに秋葉原に行ったけど、ネット通販メインの自分としては、あっという間に時間が過ぎたというか、やっぱり商品を目の当たりに出来る感動ってのを再認識出来た気はするかな通販でいいじゃんってのはその通りなんだけど、みんながみんな通販で事を済ませるようになると、メジャー通販店で在庫切れのものが現地の店頭にはしれっと並んでたりすることもままあるから、そういったところで得られるちょっとした感動やお得感は通販じゃ得難いあとは細かいこと言うと、通販の商品ページで見てる掲載画像って自分のPCモニターの影響や売り手側の撮影環境のせいで実物とだいぶ印象違うこともよくあるからさ、そういった意味でも実際に目で見た方が失敗や後悔は少ないかもねっていう当たり前の話
とらのあなが無くなったのはショックでしたね。マジであれから行かなくなりました笑時代に合わせて変化するのは街の宿命ですが、古き良き…みたいなものもあると思います実際まだ行っていた頃でさえすでに外国人観光客が半数ぐらい居た印象。今だともっと多いのかな?
日本には、アメリカみたいにどこ行っても同じ店しかない様な街づくりをして欲しくないです。
サターンとプレステの発売後に秋葉原の年齢層が中高生まで広がった気がする。それまでは大学生以上しか見かけない感じだった記憶。それから電子ホビー系のオタよりアニメとか漫画系が増えて、ガンプラやガレキのホビー系の店舗が増え、メイドカフェブーム、ついで駅ほぼ直結のヨドバシ出来て石丸電気やサトー無線などが消えて行き客層がまた変わった感じ。
住友不動産のまちづくりの失敗の果てだよ
最近のアキバ、住友不動産のお堅いビルが増えて居心地が悪い。
三井不動産もまち壊ししてるしな
コロナ禍を境に店舗の移り変わりも大きく変貌しましたね。同人誌委託の最大手とらのあなやゲームセンターセガ直営店舗撤退、外国人観光客の二-ズに合わせた商品入れ替えなど秋葉原で品物を手にとって選ぶ楽しみが減りました。
オタクに寛容じゃなかった時代にオタクを受け入れてくれる街だったんだよね今はオタクが若い世代でステータスになりつつあるからな
単純に ぼったくりバーの呼び込みや 治安の悪化で 居づらくなったな、物価も高いし。
昔は自分の買物や、食事以外に無駄な寄り道して余計な事に手を出さないて言う暗黙の了解があったから平和だったんだがな
@@くにに そもそも食事もアキバじゃロクな店が無いから、お茶の水、神田か御徒町まで歩いて移動が前提だったし。
20年ほど前、秋葉原の歩行者天国にはコスプレしてダンスしているオタクや歌、音楽を演奏する若者達が沢山いたそうです。しかし、警察がそれを執拗に取り締まったり(後に秋葉原事件があり一時歩行者天国が廃止になったり更に取締が過剰化)更にはフェミニストがお店にいちゃもんをつけてわざとトラブルを起こしたりと(今で言う迷惑TH-camrですね)オタク文化に嫌がらせばかりしていたそうです。警察の無理解(Winnyの件を含めて)とフェミニストのような異常者の存在が日本のサブカルチャーを衰退させた(いる)一因だと思いますね
非オタで常識人のつまらないお偉方公務員にサブカルは理解できない。確かに同感。
秋葉原といえば外国人が集う街のイメージは強くなりました。裏通りは今もジャンクパーツを扱ってる店や少し前の秋葉原とあまり変わらない印象ですがメイドのイメージは薄くなりましたね。これからどんな街に変わって行くか気になります。
電気オタク⇒アイドルオタク次はどんなオタクの街になるのかな?
100年後には家庭用ロボットを販売する店が並んでるかもね。
メイドロボット🙂
上京してきて初めてアキバに行った時の衝撃が忘れられません。本当にマンガみたいな街があるんだと驚きました。あれから時が流れました。来週末娘が行ってみたいというので一緒に行くつもりです。ガッカリさせなきゃいいな。
中には変な人が声かけてくる事あるから気をつけてください。
なんであれ街から個性が消えるというのは良くないことだと思う。
街どころか国レベルで同じことが起きてるよね。
同じような服、同じような建物、同じになるように強いられつつある価値観。
このままいったら旅行という行為は消えるんじゃないか?どこにいっても同じだから。
DCブランドの軍服の国家が再び勃興するかな❤
本体のアキバは家電街だからなw
キモヲタに占拠されてただけだぞ
キモヲタが去って本来の姿に戻っただけだぞ
😢😢😢
皆が思う都会の東京だって江戸時代からなんだし街の個性は変わっていくよ
90年代前半のオタクの聖地と呼ばれる前の電気店が全盛だった頃に某店に勤めてました
街中の電気店のモニターに森高千里が映ってた時代ですw
昼休みは社食をほとんど利用せず、どんどんやガード下の蕎麦屋さんによく行ってました
秋デパも仕事帰りに寄れるので凄く便利でした
自分が働いてた店はグループ系列の中でもアニメ関係の物が良く売れていて、常連さんもたくさん来てくれてました
ショートヘアーで物凄い美人だけどガチオタだったお姉さん、登山家のガチオタお兄さん、病弱で特撮マニアのお兄さん他、会社の同僚や先輩方、お世話になった方々もみなさんお元気で過ごされてるといいですね
会社は他社に吸収合併されてもう存在しないのを最近知ってショックですが、ドラクエIIIを抱き合わせでしか買えなかったあの雑多な時代というか、ごちゃごちゃした街の喧騒も好きでした
変わった変わったというが、相変わらず「日本一ヲタクに寛容な街」なのは確かなんだよね…
同じ考えです!
@@黄金のライバー 分かります!時代の変化に置き去りにされた可哀想な人達って印象がありますね😉
@@黄金のライバー確かに。東京都の条例制定も最終的には失敗に終わったし、「オタク文化は失われた」と感じるのは日本社会全体にあまりにもオタク文化が浸透し過ぎたが故に感じる。実際、オタクでなくともただアニメが好きなだけの人間ならその辺にごまんといるしな。実際オタクと真正面から敵対していたヤンキーにもガンダムや仮面ライダーが好きな奴もいる位だ。
@@黄金のライバーオタク文化が国内でも世界的にも浸透したからね
悪く言えばかつてはアキバに隔離されてた文化だったわけだから
ケータイゲームの普及で萌えゲーやる人も増えたから、オタクっていうくくりの人が爆増したように思う
オタクが文化として世に受け入れられて、さらに発展していく中でオタク文化もより一般化したってことなんだろうね
今の秋葉原は2次元の広告とかオタッキーな店はあるけど、あくまで「日本のオタク文化の見本市」というようなライトな店が多いと思う。少なくとも学校帰りに覗いても変人をみる眼差しはされないくらいに。
だからオタクの街の店をちょっと覗くみたいな一般客の取り込みには成功したけど、そういう一見の客が欲しいのは大資本だから、常連制みたいな感じのニッチな店はネット販売に移ったりネット販売に淘汰されたんだろうね。
「秋葉原に来てガンダムもVTuberコラボカフェも無かったらおかしいだろ」というのもそうだし、一方で「秋葉原以外じゃガンダムもVTuberコラボカフェも無いのはおかしいだろ」というのも正しい。
昔はマニア(当時オタクと呼ばれてた)だけが行くディープな世界だった。今はそのマニアと同じ物をもっと多くの人が好きになった。
街が変わったんじゃない、人が先に変わったんだ。仲間が増えたから変わった。風情は確かに無くなったが、決して悪い変化だけじゃないさ。
人の変化に真っ先に寄り添ってくれると考えると、相変わらず寛容なままだよなぁと思います。優しい街よね。
よく秋葉原は変わったと言われますが、当時は大衆に受け入れられていなかったPCやオタク文化が時代を過ぎて広く浸透し、もはやその文化自体を知らない見たことがない方が少数となって大衆化した結果、当時は希少であった秋葉原の特別性が結果として薄れてしまっただけだと思います。5〜7年前まではネットでいいじゃんとなりがちでしたが、意外と秋葉原という街を楽しみに来る人が多く、飲食店以外はそこまで悲観するほどでもないですよ。
昔はMDプレイヤーなんかのオーディオを買いによく秋葉原に行ったものです。
昔は本当に飲食店がなくて困ってましたね。
今の秋葉原は大衆化、観光地化したと思うけれど、いい街になったと個人的には感じます。
学生時代はよく行ってパソコン関係の物を購入していたが、20年ほど前に行ったのが最後かな。歩行者天国にメイドがたくさん居た。私の知る秋葉原は、家電~パソコン~美少女アニメやゲーム~メイド、AKBという流れで変貌している。
飲食店はむしろ数が増えて、選び放題になってる。悲観どころか良くなってるよ。
老舗が減って他と乖離しない店が多くなったのを悲観するなら、その通りですけど。
@@nanakamiakiraアキバと同じぐらい活気溢れて朝から夜まで遊びまくれる街て、都内じゃ歌舞伎町含めて片手で数える程度な気がする...
それぐらいアキバてパワーが溢れる街と言うか、今や日本の縮図て感じはする
サブカル文化産業とクロスオーバーしていた電機最先端都市から、
行政の介入で前例主義のお役人の後追いと中抜きの風俗街に変貌したんじゃ…
最近アキバなどに行かなくてもほしいものは購入できるようになってるが、昔の掘り出し物を探しに行くワクワク感が楽しかったです。
欲しい物無くても、何となく行きたくなる所ではありました・・・
最近、ちょっと時間ができてアキバで昼食ついでに歩いても、結局何も買わずに帰ってくる事多くて寂しいです。
良くも悪くも、どこ行っても価格相応(orそれ以下)の物しか買えなくなりました。これならamazonやアリエクのアヤシイ中華パーツの方が楽しい!って話になっちゃいますよね。
自分が徘徊してた90年代は同じビルの5Fで1000円で買った物が、そのまま同じビルのB1F行ったら買取価格5000円付いたなんて事ありました(まあ、5万出しても欲しい物だったんで、そのまま持ち帰りましたが)。
二昔前、掘り出し物を探しにいくのがすごく楽しみだった。
@@user-ob1zv8td3f 昔のジャンク屋は使い方の判らない物でも二束三文で箱に入れて売っていましたね。
あたるドライバーの在り処を教える代わりに「一つくれ」なんて交渉ができました。
ジャンク屋の親父はその情報をメモって即高額に販売していました。
大阪の人が東京では値引き交渉をしないというけど嘘ですよ。
面白い時代でしたね。
今でも現地に行かなければ買えない物はあります
中古、ジャンク、どこからか放出された謎の製品、素人お断りとか書かれた特殊なモニタとかの変な物
@@yohi8005素人お断り系モニタは前はヤフオクとかによく出てたんだけど「ジャンク扱い」云々の規制が厳しくなってから出なくなっちゃったっぽいですね。
バブル前の1980年代後期、レコーディング・ウォークマンを求めて秋葉原を彷徨っていたら、なんと自分の住むド田舎の電気屋よりも1万円以上も安く買えたので非常に驚いた。「ここは夢の国?夢の国なの?」と時間を忘れていろいろな店を覗き込んでいましたね。懐かしい。
私も新幹線に乗ってパソコンを買いに行きました。
地元で30万もしたノートPCが20万で売っていて、交通費や宿泊費を入れても安上がりでしたね。
一日かけて部品を買い揃えて、モニターまで担いで帰ったのは懐かしい思い思い出です。
数年前に行ったときにはメイドさんと巫女さんだらけで、いい年のオッサンになった私にはとても足を踏み入れることのできない場所になっていました(^^;;。
魂からの言霊は響くなぁ
学生時代は部品を買いに行ったな。
2000年頃は高めの商品を見ていると、肩パッド気味の社員さんがどこからともなく電卓を打ちながら近寄ってきて、「これでどうですか?」と、値引きした価格を見せてきて、「もうちょっと」「うーん、これでどうだ」みたいなやり取り(笑)
86年の春、大学入学式用にカメラを買おうと宿泊した池袋のメトロポリタンで近くにカメラ屋がないか聞いたら北口のビックカメラを紹介された。小さなカメラ専門店だったが賑わっていた。入学後、地元出身の同級生にテレビの安い店を聞いたら渋谷だったと思うが城南電機に連れてってもらった。奥で人相悪い小柄な爺さんが椅子にふんぞり返って誰に言うでなく大声で怒鳴っていた。後年テレビ出演で有名になる宮路社長だった。パソコンゲーム好きの友人にpc88の信長の野望を教わり、それから秋葉原によく行くようになった。まだアニメやゲームの街ではなく家電量販店の街だったが数年後にはソフマップやらパソコン関係の店が増えに増えた。よく行った。
秋葉原は時代によって街の様相が全取っ替えする奇特な街
隙自語りになるけど、それだけ特別な゙街だから語らせて欲しい。
秋葉原は2005年、当時小6の頃から2016頃にかけておおよそ10年近く通い詰めた。最初はFFのアドベントチルドレンのDVD目当てに、親に連れて行って貰ったのが初めての来訪だった。
当時はゲームとアニメと漫画漬けの日々で、2chやおもしろフラッシュ巡り、ビスケたんやかるたん等の擬人化系イラスト巡り、親に隠れて萌駅やもへもへ王国などを巡ってた。
そんな子どもだったから、学校では友達も少なく、世間的にはまだ宮崎勤事件等の影響せいでオタク=犯罪者予備軍として扱われていて、真冬の体育倉庫に閉じ込められたりなんか当たり前の様に起こる時代だった。
そんなで、父親からのDVが当たり前の家庭環境+学校にも居場所の無さの中で、オタク文化に唯一理解があった母親が、アキハバラ@DEEPの映画に連れて行ってくれ、実際に秋葉原に連れて行ってくれ、社会と唯一繋がれる場所として、与えてくれたのが、秋葉原だった。
それから、中学に上がり1週間に「げんしけん」「らき☆すた」「ハルヒ」「ひぐらし」「もえたん」が放送される角川全盛期を過ごし、今ほど規制も緩かったから、ニコニコでも遊戯王が全話見れたり、ネットでも調べれば瓶詰妖精とか、一撃殺虫ホイホイさんとか古い作品も見れた。
動画でも触れられてるけど、オタクへの風向きが本当に微々たるレベルで変わり始めたのが「電車男」がヒットしてからだった。このから極々一部の方で今で言うワンピース好き=オタクの様な「ファッションオタク」の足掛かりみたいなのが出来てきた。アキバにも子連れでそれこそベビーカー押しながら歩いてる人すら増えてきた。
ちょうどこの頃位からおやじ狩りやオタク狩りのニュースに触れる事も増えてきた。この手のハンターは昔から居ただろうけど、その手の存在を知りながらも、アキバでおてん缶やらーめん缶を自販機前で喰ってたのはその頃だったと思う。
それでも相変わらず風当たりは強かったけれど、僕が中3、高1位の2010年2011年になって、ようやくけいおん!や京アニブームみたいなのが起きて、オタクが市民権を得始めてきた。
この頃が東方1色で街が染まり始めて、ホワイトキャンパスやメロンブックス、アニメイト、とらのあな、あたりが巡礼の必須ポイントになってきた。
一方で、このあと以降、艦これが東方を圧倒し始めた位にはもう、かなり秋葉原の町模様は変わってきてた。
リバティーも規模を縮小してて、お気に入りの格安カツカレー屋も消え、ケバブの移動販売も鳴りを潜め、ビルから飾られるオタクコンテンツ看板や壁のポスターの数も減ってきた。
オタク系作品の数が減ったのもあるのかもしれない。
僕の時代ではもう既に、バスケコートはなかったし。大人になってから、でじこの看板が外されたりしたけれど、僕に取っては唯一社会(外)と繋がれる場所だったから、思い入れがある。
アキバがなかったら、きっとそれこそヒキニートになってたと思う。
少子化もあるから、ここからあの時代の様な活気に戻るのはまず無理だろうけど。反社の進出や大量殺人とかもあったし、でも、あの頃の自分の様に、誰かが社会(外)に繋がれるきっかけのある場所では有り続けて欲しいって切に思います。
隙自語りの駄文長文失礼しました。
熱量w
いくつか作品とか時代とか被るとこあって「うんうん。そんな感じだったなぁ・・・」って思いながらコメ読んでたわ。昔を懐かしむ程懐古厨のおっさん乙wって感じなのはわかってるが、秋葉原はどうしても思う。あの頃が良かったなぁと。私は2006年頃が1番好きだったなぁ。
まぁ今でも好きな街ではあるけどさ。結局。
もうブログ書けるレベルだな……
小説にしたらいいと思う、秋葉原の思い出を集めてドキュメンタリー映画にしたいな
ヲー詳しい解説ありがとうございました
格安カツカレー屋が懐かしい。今はかつやがあるとこだよね、懐かしい。
自分としては、まんだらけが雑居ビルから今のでかいまんだらけビルになったところが潮目と思うかな、そのころにはもう中国人が爆買いだと言っていたはず。2012、13頃かな。
何だかんだで生き残ってるオノデンすげーよな
オノデン坊やは 宇宙を散歩しているんだよね 今日も 🥳
秋葉原の雰囲気が残っている数少ない場所。
ヨドバシはまず日本橋の電気街を駆逐し、秋葉原の電気街も終焉に導いた存在。
秋葉原の護神だからね。
そんなオノデンも再開発の煽りを受けている。
あのオノデンの看板、ネオンは無くしてはいけない
@@ryuko8263 『 ノ 』の字を 取ったら
『 おでん 』だね
アキバは昔 缶に入ったオデン 流行ったね
@@ryuko8263 宇宙で散歩している間に
経営危機か⁉️
『 散歩して無いで 店番してっ 』
宇宙から帰って来た オノデン坊やの
毎日のちょっとしたエピソードを
SNSで発信して見ては いかがですか
よく言われる「オタクの街」なんて認識こそがおこがましい
オタクさえ受け入れる懐の深さこそが秋葉原最大の魅力である
"昔は"オタクの街だったんだけどな〜というネット高齢者のノスタルジーに対して、おこがましい!言うてもな。
終わった話に終わった話を被せる時代の変化に適応できないロートルたちの悲哀よ。
行政や大資本の手が入り家賃が上がってベンチャー参入の間口が狭まり草の根からの新陳代謝を望めなくなった今のここは、歴代のどんな色の時代のアキバよりも無個性なつまらん街であり、また今後もそういう場にしかならない。いわば熱的死を迎えている。悪いが「懐の深さ」という認識こそが分かっているつもりのロートルのもの。もう、そんなものはない。
ちょっと前は家電の街だったし、さらに前はラジオの街。変化を受け入れる街って感じかな。
この世にオタクがいなかったら技術の進歩なんて起こりえない
その技術の進歩という恩恵を受けて書き込んでるくせに「オタクさえ」と見下すわ『認識がおこがましい』とほざいてる
そしてそれに100人近くがいいねしてる
色々終わってますわ
オタクの街という認識自体は的外れじゃないでしょあくまでオタクの街であってアニオタの街ではないというだけ
アニメビジネスが台頭してラジオが駆逐されたように他のビジネスが出たからアニメが消えていく当たり前の流れよ
衰退したというよりもネットより優れた店に整理されたといった感がある。
有名店は十分人気健在だし、今も混雑している。
秋葉原は年代で見慣れた景色が大きく変わる街ですよね。
学校の関係で「鈴商」、「千石」、「秋月電子」にも行きましたけど、
わたしとしては「LAOXザ・コンピューター館」の目の前でマハーポーシャの
売り込みが叫んでいて、その通りの小さい店舗がどんどん「ソフマップ」に
変わりながらアヤしい中古パーツを売っている、そんな雑多な風景が思い浮かびます。
「や〜すいや〜すいや〜すいや〜すい」をひたすら連呼してうつろな目でチラシを配る風景は懐かしいですね。
マハポーシャて、あの団体なんだよな…
秋葉で2番目に安いPCパーツのzoあとか。
@@くにに アレフ
そのザコンピューター館の北側信号の無い横断歩道を渡った所がJUNK通りと言って、ゴミを売ってるのかお宝を売ってるのか分からない不思議な空間であった。
90年代~10年代手前まで秋葉原の祖父地図で働いてましたが、当時が一番濃かったですね
ネット通販も弱かったので現地に行かないと買えないモノも多く、全国から人が集まってた感じがします(ポイントカード勧めたら地方の方の比率が高かった)
オタクの聖地~メイド喫茶の出始め、アイドル文化の流入までしか体験してないですが、濃い面々が集まるのが秋葉原だった印象
インバウンドの波が寄せてくる前に秋葉原からは遠のいたので、今も秋葉原にいたら昔のアキバは良かったなんて言ってるかもねw
昔はえろげの余ったポスターが歩道に箱に置いてあってご自由にお持ちくださいって書いてあったな。
分かる!ww
もらってた(*^艸^)クスクスw
良いなぁ🥺
もっとオタクがエロむき出しで欲望のあり方が新宿や池袋とは違ってた。
2000年初期のホコ天がカオスで楽しかったな。
みんなハルヒとか踊ってたね。
地方在住なんで子供の頃からたまーにしか秋葉原行かなかったから
行くたびに雰囲気変わる不思議な街ってイメージですわ。
小学生時代は完全に電気街、高校の頃はオタク文化が入り始めて、大学時代は完全にオタクの街
社会人になってから行った時は商業に振ったオタク街で、コロナ禍直前に立ち寄った際は免税店の街
そんな感じだった
アキバって昔から後ろを振り向かず年代ごとに変貌する街なんだよね。今から14年前の「ブラタモリ」のアキバ回でも同じ事言ってたし。
家電の街になったのは戦後。戦前は荷揚げとやっちゃ場という流通の要衝地。江戸時代は火除け地として人気(ひとけ)のない草っ原だった。
そこに造営されたのが鎮火の神様を祀った秋葉神社だったし、この街の地名の由来になったとか。オタクの街ってのも22.3年前がピークかね。
昔はエロゲのいかがわしいポスターも堂々と表側に掲示してたし。
で、その頃が「古き良きアキバ」て風潮が強いんだよね。新旧が入り混じってた頃。
私もヤマギワソフトによく買い物に行ってたし、ラジオ会館の雑多な雰囲気が楽しかった。90年代の10年でジワジワオタク文化が流入してった感じ。
バイト代貯めてスーファミ買いにアキバのラオックスに来たのが93年で、もうこの頃はホビーと家電を安く買える街のイメージは浸透してたんだよね。
で、その位の時期のアキバを「俺たちの街」て風潮が強いのも、やっぱりオタクが好む街並みだったからと思う。
近代的なビルの裏には戦後闇市からスタートした個人経営のジャンク屋が犇めきあってて、どことなく押井守のアニメっぽい郷愁を覚える情景の街
だったから。何より人がたくさん集まる街なのに、渋谷や新宿と違って治安が良かった という奇跡的な街だったのが良かった。
「オタクの街」というより、「オタクが安心して歩ける街」だったのが真実の様な気がする。同じ理屈で私個人は当時からお隣の神保町も愛用してた。
客引きもメイドもいなかったのがこの時期ね。飲食店がびっくりする程少なかったから。通いや地元の人々が働く街であって、そもそも遊びに来る街
では無かったから。そんな時代背景で「オタクだけが遊びに来てた街だった」て考えた方がしっくり来るんだよな個人的には。
その分夜がとても早かった。20時になると殆ど閉店。その時間からリアカー牽いたおっちゃんが店先の段ボールをかき集めるのがこの街の
風物詩だった。みんなこの街でイソイソと働いてるのを尻目に、遊びに来てた学生時代の私と連れら、一通り買い物済んでどっかで飯食おうぜって
流れになっても入れる店がない。そんな不便な時代が数十年続いた印象。
「アキバって昼は便利だけど夜喰う店ねえよな」という会話をその頃は頻繁に交わした記憶。
電車男のヒット前後、2005年くらいからオタクをターゲットにした飲食店や風俗店が増え始め今に至る感じ。客引きやティッシュ配るメイドが
うろつく様になって歩きづらくなったなと個人的に思う。要は「オタク文化」が隙間産業じゃなくなって、いつしか日本が世界に誇示する
メインコンテンツ、みたいに企業やメディアが持ち上げ始めたのがこの頃。その延長線上に今がある感じ。
あと、動画での解説通り、わざわざ買い物には行かなくなったのが大きいね。ネットで買えるもん。
ホント、今は海外客が喜ぶ観光地の印象。でもオーディオ機器を買う時だけはやっぱり行くかな、実機で試聴しないと分からないからね、ヘッドフォンとか。
今の「渋谷新宿化」にだけは抵抗あるな、動画で魔理沙と霊夢も云ってるけど。ただ魔理沙のような「こんなの俺たちのアキバじゃねえ!」みたいな
何の根拠もない感情論じゃなく、単純に治安悪くなったから笑
アキバ的には「裏通り」に当たる昭和通りなんて、夜間は歌舞伎町ですかって云う程柄の悪い客引きが増えてて閉口以外なかった。
もう二度と歩かないw
色々綴りましたが今の街並みだって「時代の通過点」て考えた方が色々整理つきます。必要以上に嘆かず済む てのが本音なんだけどw
今の秋葉原は外国人観光客の街ですよね。
自民党もばか多いよな
秋葉原のみならず、都内はどこも外国人観光客多すぎるよね。
特に夜の銀座とか池袋とかは日本語聞こえる方が珍しいくらいだよ…
最近のメイドは英語も話せます。オレより頭いい。
あとオフィス街
オタク文化の結束点である秋葉原が、ネット時代に突入しオタク文化のショールームになれば、
リアルにオタク文化に触れたい外国人が集り相応のサービス体制も構築されますね。
秋葉原がオタクの文化が消えたんじゃなくて日本が秋葉原になったんでしょ
!!!なんと!!
たしかに
こいつぁ一本取られたワイ
なんというか日本人そのものがオタクと化した気がする
どこでも買えるてことか
今から20年くらい前、高校生だった俺は夏休みにバイトを頑張って、この秋葉原で散財するのが毎年の楽しみだった。
勉強も運動も出来なかったけど、バイトに命を燃やして秋葉原で爆買いする俺は、人生で1番輝いていたかもなあ。
それでも、その秋葉原も徐々に変わっていくんだな。確かに、ネット通販の方が確実だから、わざわざ秋葉原に来る意味は薄れただろうね。
でも、俺は秋葉原でしか得られない何かがあると信じているよ。今は遠くに住んでいるけど、また秋葉原に行きたいな。
その言葉に強く理解!
アキバが近いので日常生活でもよく行ってますが、オタク趣味目的だと昔ほど見て回る場所がなくなったのはそう・・・
おもしろみがない街にはなりつつあります。
オフィスや飲食店が増えて、スーパーも増えて住みやすくはなってるから街としてはいい場所になってきてるんですけね。
オタクの街からは変わろうとしてます。
秋葉原デパートがあった頃がギリ古き良き時代が残ってた時
あのなんとも言えない雑多感が街中に充満していた頃が好きだった
多種多様なヲタクの人たちを受け入れてくれる『懐の深さ』が当時は有りました
しかし秋葉原が有名になるにつれ変な人たちやトラブルが増えてしまいました
あらま、20年前に高専生だった頃に電子部品買ってたお店がシャッターになっちゃってるのをこの動画で初めて知った。
当時はまだ通り魔事件の前で、本当にオタクの街って感じてたから、寂しいながらもちょくちょく残ってるお店が見えるのが嬉しいな。
秋葉原に限らないけど色の濃い場所はどんどん消えてしまう
日本では出る杭は打たれるんだよ
個人に限らず企業や街も
各論反対 総論賛成 みたいな流れで・・
目先の利益でみんな満足するんだよ
ネットの個人サイトや個人掲示板とかもそうだけどニッチなものはいずれ大資本がやってきて全てを画一化していってしまうんだよね
個人ブログはSNSに、お絵かきサイトはpixivに、攻略サイトは攻略wikiに全部統合されてしまった…
やっぱ寂しいよな
色の濃い場所は犯罪も増えるし危険度も上がりますので、仕方ないですね。
頭が悪くなったのが全ての原因
集団の平均知能がマシなら、目先のエサに飛びつく猿の様な真似はしない
自分は初めて秋葉原に行ったのは2007年末でしたギリギリ電車男の雰囲気があった感じがします
次は2012夏に行き外国人も目立つけどまだオタな若者が溢れていた気がします
今の近代的なオフィス感も好きで悪くないと思うんですが、なんせネットも外も暗く少子化で楽しげな日本人が居ないのが悲しいですね
いつか綺麗なこの秋葉原に新旧融合した文化が訪れ再び活気が戻ることを願っています
引っ越してからは秋葉原に行かなくなって、ゲームも今ではネットで買うようになってしまったけど、
昔は欲しいゲームが出るたびに秋葉原に行ってました
スーファミの「かまいたちの夜」の発売日に買いに行って、帰りの電車の中で説明書を読んでたのは、
若かりし頃のほほえましい思い出ですw
なかなか、マニアックな作品を。😮
自分は『大貝獣物語』かなあ
恐らく同世代ですね。
ファミ通、ゲーメスト、ファミマガ等、ゲーム雑誌をお金で実店舗で買って(何回も)読んで開発中の画像見て想像膨らませて、楽しかったですよね。
@@中段チェリ王 滅茶苦茶懐かしい。😙
秋葉原だけじゃなくて都市部や首都圏で再開発されるとテナント料や家賃が上がるから似たような感じになる。
そんな流れの中ではアキバはまだがんばってる方だよね・・・・歌舞伎町のキャバクラ・ホストクラブがコンカフェになってるだけの繁華街化してても
なんか、「推し」って言葉がヲタクの現状を物語ってるよね
アニメとかが好きだからヲタクになったんじゃなくて、アニメとかそんな好きじゃないけど、都合の良い個性を求めた結果「ヲタクのような何か」になる、みたいな
自分は、推しって言うワード嫌いです。
似たようなワードの「ファン」だと自分の好きな物という自己完結してる感じだけど「推し」って言うワードは自分が好き以外に自分の好きな物を周りに押し付けてる感じがして嫌い
現高校生です。自分は今の秋葉原の雰囲気が普通と思っていたのですがかなり変わっていたんですね。。。
今はクレジットカードやオンライン販売が使えないので現地に行って買っているのですがやはり個人的な感想ではネットで買うより実際現地に行って何があるかわくわくして買い物をするのが楽しいです。今はメルカリなど個人でもグッズの売買はできてしまい顔を合わして買うことは少なくなってしまっていると思います。また2007年ごろの秋葉原に戻ってほしいと私は願っています。
やっぱりオタクや同族の友達が受け入れられるのはとても良かったけど今はメイドや外国人などが多くて居場所を感じられないからネットで良くなった
時代によって様式を変えるのが、アキバの真骨頂だと思ってるので、これもまあアリなんじゃないかと。
でも中国政府系の監視ビルはいらない
@@THE.Everestlist それは俺もいらない。
人心が腐敗すれば風俗街に転身か…
すっかり行かなくなった。
電気オタク→PCオタク→アニメオタクと変化した。
アニメオタクと外国人で溢れるようになり、通販一択に切り替えた。
うちの近所にも数軒ハードオフもあるからジャンク漁りはたまにできるし。
何より秋葉原で魅力的なジャンクショップが無くなりつつある。
相当なことがないと行く機会がないな。
いつの間にか外国人が集まる街に変貌してたのか…知らなかった。貴重な情報ありがとう😊
個人的には旧ラジオ会館が消えた時点で終わった
秋葉原に家ありますが街の変遷はあるものの全然悪い状況じゃないと思うけどなぁ、PC関係はだいぶ無くなっちゃいましたが変わりは色々出てるし(変わったところでは買取屋の大手が集まってきてる)、飲食(ラーメン、肉関連が充実)も増えて日本人観光客は相対的に減ったかもしれないけど(オフィスビルが増えたせいもあって)秋葉原で働く人が昔と比較にならない程増えたおかげで動くお金も意外と大きいですし...また秋葉の風景という意味では(特に昭和通り側の変化の象徴として)ヨドバシの存在は大きいと思います(青果市場のターレーの話がありましたが実体験でしょうか? 動画作った方がどの程度秋葉に来られている方で何処までが実体験の情報で何処からが資料からの情報なのか気になりました)
>全然悪い状況じゃないと思う
場所はいいからもっとよくなると思うけど 新築ビルで普通の町に近づくのかもね。
オタク文化がどうなろうと関係ないのかも。
良く言えば「時代に合わせて多様化する町」なんだけど、変化が激しくて
その時代、その時代を生きた人にとっては少し物悲しさを感じてしまう場所だよね。
確かにと思った
ネットで好きなものがいつでも変えて家に届いてしまうご時世で、高い移動費かけて東京行く意味が無くなりつつある現状に
コミケも地方での開催が当たり前になったら東京は終わるかも
@@mitukan11 コミケはレイヤーやそれの写真を取る人で常にごった返してるから問題なし
結局再開発やら行政の手が入ると、小さな資本のショップが追い出されてソコにしか無い物が無くなって、足を運ばなくなってしまうんだよなぁ
行政ってか利権屋は新たな金蔓が出来て万々歳だけど、どこ行っても同じになっちゃうと結局人は来なくなる
秋葉原には小学生の頃から通っている元電気少年だった私には、秋葉原は常に
変化している印象しかないけどね。それも気がついたら変わっていたって感じで。
最初は鉱石ラジオを作る為に行っていて、家電製品を買いに行き、パソコンを自作する
為に通い、アニメオタクになってアニメ関係の買い物を追加して50年近く通っています。
それでも現在は何の街になっているかよく解りません。
秋葉原は、お父さんとMacの周辺機器を買いに行ったののが最初
あの時代はまだ電気街という感じで面白い電化製品があって楽しかった
でもヲタク専門の店が増えて、お父さんと行ったMacの店がアニメイトに変わっていたりして寂しかった
見るのが楽しいだけで何も買わないじゃん
> お父さんと行ったMacの店がアニメイトに変わっていたりして寂しかった
他の場所に移転しただけでは?
ヨドバシアキバの1FにMacのスペースが昔からあるし、駅から少し離れたところにMac専門の中古ショップがあったと思うけど。
初めて秋葉原に行ったのが2016年頃で当時中学生だった者です。20になった今でも毎年定期的に秋葉原に通っています。カードやホビーなど自分の好きなものが沢山あってこの街が大好きです。時代の流れと共に変わってはいますが、それでも行けるときに行っています。
オーディオとアマチュア無線が抜けてますね。1960年代から80年代まで秋葉原はオーディオとアマチュア無線がけん引力になっていた。パソコンが増えたのは80年代からで、現在のようなアニメとゲームの町になったのは、1990年代バブルがはじけた後に、アダルトビデオと同人誌が怒涛のように増えたのがきっかけ。その後、フィギュアを扱う店が増えた。
オジサンの頃は電気や無線だけどラジコン部品を扱う店がまあまあありました
「エントリーAVアンプを買う無意味さ」について15分くらい説教もといアドバイスいただきました。ソニーの営業さん泣いちゃうよw まあ面白い時代でした。
CIAに無線売ってたからねぇ
@@珪素生物-w8g様へ 対するKGB職員は日本製のチップをトランク一杯買い込んでソ連大使館から外交梱でモスクワに発送していたとまことしやかに伝えられていた。
2008年頃はほぼラジオ会館に集約されていたようなイメージだったオタク的な店が
2017年に行った頃には各所に散在していたイメージありますね、トレカショップの数も多く
ラジオ会館の店より、近隣に点在する個人店の方が状態も良く、値段も安く、店員さんの接客も
好印象など印象良かったです。
チェーン化・大資本化が進んでいるとはいえ、関東圏でこれだけオタク系コンテンツの店が集積してる街は秋葉原ぐらいだからなぁ。池袋とかも最近そういう店が増えてるけど、分散しててで秋葉原程集積してるわけでもないし。
TCGをやってる身としては秋葉原の店は競争激しい関係上からか買取単価が高くて重宝してるし、リユースショップもかなり多いからとにかく中古品の流通量が多くて、売りに出すにも買うにも便利なのがいい
しかし個人的には今計画が上がってる大型複合商業ビルの計画は下手をすると秋葉原の名残ともいえる部分まで消してしまいそうな気もするんで、上手い事バランスとりながら計画の是非を含めて考えてほしいと思ってる
中三のときに親の事情で東京から西日本まで引っ越ししました
東京に住んでいたときは、自分アニオタなものでよく秋葉原まで遊びに行ってました
何か目的がなくても色々な店を回るだけでも楽しかったので好きでした
もうすぐ自分も高2です(まだあの頃から1年半しか経っていませんwでも体感はもっと長いんです)が、まだ東京には一回も戻っていません。
もう一度秋葉原に遊びに行きたいものです
大阪市に20年以上住んでいますが、西の秋葉原と言われた日本橋は一足早く衰退からの再生の道を歩んでますね
古き良きオタク街としての姿は、今はほぼオタロード周辺に集約される形になってしまいました
お隣の西成区が海外からのバックパッカーを多く受け入れるようになった影響もあって、日本橋も今や外国人だらけです
秋葉原はまだまだ根強いかなという印象ですが、これから加速度的に変わって行くのかも知れませんね
機械だらけのヲタロードにまた戻って欲しいでござる。無理かぁ(´・ω・`)あの暗~いアングラ的な感じが良かったでござる・・・
良くも悪くも、ネットで何もかも揃う時代になって、アニメ、ホビーの専門店でさえ少し寂しくなってきた気がする。
昔は秋葉原事件が起きたその時も大阪の同人誌即売会場にいたほどしばしば関東から遠征していて、帰りの夜行バスを待つ間日本橋の中古同人店に立ち寄って関西でしか活動しないサークルの本を見つけると喜んで買ったものでした。かつて同人業界を牽引したとらkブが男性向中古同人から撤退しましたが近年はだらけ駿河、メロンはずっと残ってましたね。ああすべてが懐かしいまた大阪行きたい。
アキバのほうが残らんやろ
つくばエクスプレスも乗り入れてターミナル駅になってるし、西側のごちゃっとしたところが残るかどうかくらい
加速度も何ももうオタクの街としては青色吐息
駅前は映像の通り整理しまくられてるよ
コロナで南側から風関係が流れ込んで一時期治安も悪いやらなんやら
大阪のは元々秋葉原の関西支店って経緯でできたせいか東京の大資本主導なんですよね・・・地元中小資本もあるにはあるけど淘汰が著しいです
時代、時代に訪れた人の心に何かを残していくような街。
だけど、よく見ると常に変わっていく街でもあるので、どの時代にこの街を訪れたかで、
持つ印象も大きく違う。
自分の中では90年代の自作PCブームの走りの頃が混沌の極みのようで、今考えると非常に懐かしい。
街の通りのそこら中で格安の組み立て済みの自作PCのチラシを配っていたけど、
実はその多くが、オームのお店だったっていうあの時代、オタク系ショップは有ったがそれ程多くは無く、
正にごった煮状態で、この混沌がこの街だよなぁと勝手に納得していた。
ただ、当時は街の明かりPM8時にはおおよそ消えていて、そこもまた特徴的だった。
模型民からすると安いジャンクがごろごろしてる店が密集している秋葉原は好き
なんというか時代と共に求められるモノが変わっていってるんだろうな。
自分は「初歩のラジオ」「ラジオの製作」見て工作の為材料買いに行ったのが初めて。
その後アマチュア無線、オーディオと趣味が変わったが通い続けた。
その後石丸電気にレコード買いに行き、PC が普及し始めると自作のためまた通った。
さらにその後はアニメ関連と相変わらず通ったな。
最近は通ってないが今後はどうなるんだろうね?
確かに昔のアキバと比べるとアナーキーで無くなった、行っても歩き方も知らんチャイニーズやらコリアンだらけ、プライスフィギュアをコイツら向けに高値で売ってたりとつまらん要素が増えてしまったな。
宮城県の仙台ですが秋葉原みたくなりだしてます。
数年前からですが雰囲気と言うか電気街は無いですがアニメ関連のショップが異様に増えてて
仙台駅のすぐ近くには巨大なヨドバシカメラビルが出来ました。
正直、見たらちょっと驚くと思う
実際ドトールの方が多いよ
俺が東京行く頃には令和になる直前だったから、俺が子供の頃に思ってた秋葉原と全く違ってショックだったなぁ。
20年くらい前の秋葉原の独特のアングラでカオスな感じが好きだったな 今は綺麗すぎる印象
自分は一昨年ぐらいから行くようになった若造だから昔の事は知らないけど、確かに外国人のための観光都市みたいだとは思う。人が作る街というより人を集めるための街みたいな
人は社会の中で居場所を探すもんなんだろうね。
自分もその一人でオタクではないけど若い頃、自作PC部品を買いに秋葉を通っていた、いい思い出だ。
また秋葉行きたいな。
15年前の旧ラジオ会館があった頃に良く行ってました。秋葉原はアニメゲームメイドだけじゃ無くて色んなサブカルが集まる町だから面白かったんですけどね、観光地付きオフィス街なら他の町とあまり変わらないので魅力が無くなりましたね。
それな
まるでフジテレビって感じ。
本当に昔の河田町黄金時代のフジテレビはレベチにとても面白いエンタメだったなぁ…。
時代によって柔軟に変わっていけるからこそずっと賑わってるんじゃないかな、これからもそうであるといいですね。
大好きな街。転勤で行けてないけど、まもなく転勤が終わるので、またアキバに行けるのが嬉しい。
中央通りで歩行者天国やってた頃が一番活気があった。
そして例の事件。。。
あの時は中央通りに面したビルで働いてたけど
ビルの窓から見たあの様子は忘れられない
メイド喫茶が最大数あった時代が懐かしい。今はカドショが増えすぎた。雑多でカオスな秋葉原が一番楽しかった。
テレビチャンピオンの「アキバ王選手権」の時代まで戻って欲しい。
あの頃のアキバは楽しかったですね 。ちょうど上京した頃だったので、よく通いました。
それ以前の秋葉を無視してヲタクを基準に時代を語るなよ
@@中平竜飛 誰もそんな基準でアキバを語ってないやろ。
@@たく-f8q4q 秋葉は元からヲタクの街なんかではない、分かってるかい?
@@中平竜飛さん、CPUとかパソコン部品やトランジスタ・ラジオの📻🛠️💻部品とかの問屋街でしょ?映画にも出てくる
2000年代の同人PCゲーム全盛期の頃が懐かしい
ネットで何でも買えちゃう今と違って実店舗じゃないと取り扱ってない物が多い時代だったから怪しげな雑居ビルで掘り出し物探すのもワクワクしたな
今は外国人や田舎から来た観光客をカモにするようなぼったくり価格設定の物が増えてきて魅力が無くなったのが寂しい
10年ぶりくらいに観光で秋葉原に訪れましたけど動画にある様に裏通りなんかはイメージしていた秋葉原のイメージでしたね。
そう考えるとまだ古き良き時代の秋葉原は完全に潰えているわけではないのかもと個人的には思えます。
ちょっと秋葉原いってくる
1970年代のアキバはまだ高いビルが少なくて遠くの風景も見えていました。
でも人口の増加に対応するには上に高くするしかなくなった。
その点、米国は土地面積が広大なのでL.Aに行くと高層ビルがなく道沿いに
優雅な戸建の独立店舗が立ち並んでいる。
今のアキバは建築業者泣かせの街と言われており、建築基準法を無視して
建てられたビルが多いので、改修工事する時に役所に申請に行っても
許可が出ない。建築許可申請をすんなり通すにはビル全体を一度壊して
から建築基準法に沿った建物を作らないと行けない。
なので普通に改修工事する予算の3倍以上かかる。
「ビル工事に伴い」テナントで入ってた店が出て行ってから何年も空き家状態になってるビルが割とあるのはそれが原因なんですね。
最初の頃はいったん出て他の場所に居を構えた店が元の場所をまた借りて倉庫代わりや通販業務用の事務所?にしてたりしたのもありましたが……
良い所も悪い所も時代の移り変わりってのは等しく訪れるもんなんだね
アングラで一般人が寄り付きづらいイメージを払拭しつつ少し沼ってるくらいのヲタク文化を忘れない街造りが個人的な秋葉への理想かな~
綺麗すぎても面白みがないもんね
綺麗と雑多の混雑した感じがワクワクすると思うんよね
今回の霊夢はまるでツアーガイドみたいでした。アキバも渋谷をはじめとする各街と同様、時代の変化と移り変わりによって、また変貌するかもしれないけど、電気街・秋葉原、オタク文化の発祥地・アキバ、この各コンセプトは今後も継続してほしいです。一つ個人的に願いたくは、アキバを治安のいいスポットにしたいですね!秋葉原で働く皆さん、頑張ってください!訪れる皆さん、マナーよくアキバを探索してください!勉強になりました、サンキュー❤️
なるほど…アキバに行く前にこういう歴史を知る動画に触れることが出来た、とても有意義な動画でした
ありがとうございます
今年初めて、家族でプライベートで東京に行こうと思ってるそうなんですが、アキバに行ったらとある仲のいい音ゲー仲間とエンカしてアキバを歩こうと思ってます
素晴らしい予備知識をありがとうございます
ネ友とアキバを歩くのがとっても楽しみになりました
アキバのメイトとビッカメ、行ってみたいな…
立地とアクセスは最強クラスなんよね…。そりゃ再開発されますわ。
面白い街だったし、好きな街だった。
そういった点では飲食店増加も頷けるのよね
上野駅近いが上野駅の改札でて周辺飲食店利用するより秋葉駅周辺行った方飲食店入り安いと感じた
ファミコンや8ビットパソコンの時代に秋葉原に行きましたが、電気店やゲーム屋ばかりで街が構成されていて不思議な街だなあと思いました。その後でじこビルがあった頃に行ったのが最後ですが、もう今はすっかり変わってるんですね
確かに俺が高校生だったほんの数年前と比べても秋葉原は変わった方だと思う。けど、やっぱりアキバはオタク文化の発信地であることに変わりは無いと思うんよ
公共交通機関でのアクセスも抜群で、好きなものを好きだと言えて、品揃えも充実してて、「誰もが肩肘張らなくて良い場所」だと思ってる
一言で言うなら「オタク入門の為の街」それが秋葉原の変わらない価値だと思ってる
今は観光外国人にフィギュアを高値で売る店ばっかり
日本人はネット買った方が安いからね。
プラモデルは全国で1番売っているかもね
「一見してオタクの街」ではなくなったとしても、オタクが必要なグッズを買いに行くのはやっぱり秋葉原と中野ブロードウェイなんだよな。
小さい頃は交通博物館によく行ってました。全国の記念切符が買えるブースがありましたね。青果市場上の高架線にたくさんの車両が留置されてました。ガード下の電気部品屋さんも活気があって、知らない部品も丁寧に教えてくれたな。大学生の頃はオウムのマハーボーシャがビラ配りしてましたね。昨年、久しぶりに訪れたら外国人、おそらく欧米人だと思いますが、古いゲームやアニメグッズをいろいろ買ってるのを見て驚きました。。私が知るアキバではなくなってました。
秋葉にいる人は全員ハレ晴レユカイを踊れるって言われてた時代が懐かしい
アニメの街になったのだってほんの20と数年前くらいのこと
その前はまんだらけや海洋堂のあった渋谷とかのほうがその手の店は多かったイメージある
昭和41年から御徒町と秋葉原の中間辺りの小学校に通ってました。ジャンク屋見たいのが沢山あってスピーカーから外した磁石を貰ってオモチャにしていました。メインストリートには夏になると扇風機がビニールの紐をヒラヒラと揺らし冬になるとコタツやストーブの赤い光が店頭を飾ってました。 神田市場もまだ有り、神田祭では市場のデカい神輿をヤッチャバの方々が威勢よく担いでいました。 日本最初のパンダ、ランランとカンカンがデコレーションしたトラックに乗って中央通りを通り、今は無い松坂屋前の歩道橋から日の丸の小旗を振って歓迎パレードをしましたね。
中学生の頃、40年前の秋葉原は女や子供に冷たい街だった。
あと飲食店が少なかった。
でも電子工作するキットはこの街でしか買えなかったから毎週行ってたなあ。
若松通商とか昔のツクモはワンダーランドだった。
今はメイドカフェ風のガルバで、アルマンド30万円近く、フィリコというただの水が10万円以上で出ている歌舞伎町化してしまった。
25年位前からならこの街をずっと知ってて見てきましたが、最初の頃は、確かにそうだけど、当時は秋葉原といえば電気街というイメージが定着していました。 その頃は確かに飲食店が全然なくって今とはまるで違う街。
華やかさとは無縁ですが、それがその当時の秋葉原の色。
長居すると食事ができないとか、トイレ行きたいけどなかなか無いのにようやく気付くような感じ。
でも、電気オタクは用事が明確で割と時間かからないことは多いんだけど、秋葉原でしか手に取れないような珍しいものとかに出会うと、その日はハッピーな気分になるほど面白い街だった。 今は今で時代とともに変化を受け入れられる色んな文化が集約した街になったと思う。
_実際コロナ禍で干上がった歌舞伎町からその手の業態でかなり侵出してきてますんで、その感覚は正しいですね。
40年前は知らないけれど、そういった部品屋、PC屋が飲食なんかになって普通の町に近づいてる。ビル開発でアキバらしい店は減っていく。
飲食店が少なかったのは食費を削ってでも部品を買うからと想像します。実際空腹を我慢して2SC372を一つでも多く買った遠いおもひで...あと知識の少ない初心者にはとても冷たかった。目の前の店員は話しかけても無視、隣の店員が驚いていた位無視。抵抗探して見つからず、店員に聞くと”そこに無きゃねえんだよ!”と怒鳴られた。リードのさびた10円の抵抗なんかいらないと泣いて帰った、純粋だったあの頃。
この前久しぶりに秋葉原に行ったけど中国とか韓国のゲームの広告ばかりで日本の文化はほとんど駆逐されててすごく悲しくなった。もうおわりだよ。
原神ブルアカ系が凄いのはマジでしゃーない
日本のソシャゲメーカもっと頑張れ
外国人観光客にとって秋葉原はただのアニメ観光地なんだろうな
ネットとオタク文化の相性の良さを考えたらオタクの街としての秋葉原が衰退するのは必然だし時代とともに街が変わるのは仕方ないけど、観光地になってしまうのは何か残念な気持ちになるなぁ
今はネット通販が主流だけど昔は足を使って安い店を探すのが常だった
同じ商品でも価格は千差万別だし、同じものだと思っても微妙にモデルが違ってたりするんで
とにかくよく見てよく歩くという感じだったな
一つの物を買うのも丸一日かかって途中じゃんがらでご飯食べて夕方閉店するまで(昔の秋葉は閉店がはやい)ず~~っと歩いていた
途中で今回予定していなかった見つからずに諦めていたものがいきなり見つかったりして歩いて探すだけでも楽しかった
ダンジョンで宝探ししてる気分だったのかもしれない
当然よろしくないことで健全化された今の方こそ正しい姿なんですがアングラ方面がほぼ叩き潰されたのも大分変わりましたね、ブレードランナーもそうですしゲームのスナッチャーのネオコウベシティみたいな雰囲気が1990年代初頭にはあったのですがその辺りの匂いは微塵もなくなりましたね
ブレードランナーにスナッチャー…
ポリスノーツのオールドLAかな
子供の頃には憧れの街でしたね。石丸電気やサトームセン、LAOXなど当時うるさいほどCMで流れていて嫌でも印象に残ってました。
年に一度、父親が秋葉原に連れて行ってくれるイベントがあり、遊園地に行くよりもワクワクしていたのを思い出しました。
親父・・・ありがとうToT
オタクの街云々ではなくその店秋葉原に無くていいだろ?っていう店が進出しまくってきちゃったからな。
そういう店ばかりになると特徴がなくなっていくというか、それはもう新宿みたいなもん
秋葉原は皆が言ってる通りこれまで色々と変わっていったとあるけど次の変化が最後なんだろうな
アキバに行った事ないオタクからするとアキバは個人商店うずめく魔境ってイメージだったけど全然違うな…
初めて行く人からしたら行きやすくなったとは思うけど、それだけ人との繋がりも減ったように感じる
石丸電気でCDを買った記憶が、もはや15年前とかだもんな。年取ったわ
建物の老朽化も進んでたし、あの通り魔の件もあったし政治的には利用しやすさはあったんだろうね。20年前位のレトロな雰囲気の怪しさと近代化の微妙なバランスが好きだったけど😅
20年から30年前良く言っていたけど、ヨドバシの辺りがずっと工事中で万世橋口(現在の電気街口)から昭和通り口まで行くのに回り道させられていた。常磐新線が併走するための工事だと思っていたけど結局つくばエクスプレスになってヨドバシとロータリーになった
中央線に乗って旧万世橋駅屋上を見ると線路などの遺構があったけど、それも整備されちゃった
あと、クレジットは使えないしサポートも全くない、土日は休日だけど激安の現金問屋店も多かったが、大資本が入ってきて駆逐されてしまった。マヤ電気がパソコン雑誌に広告打っていたっけ
人が集まりすぎてマニアックさがなくなったような
でっかい家電量販店みたいな感じ
私としては秋葉原デパートの前で実演販売&怪しい露天商あたりがいたころが一番の思い出が深いです(笑)
メイドカフェはメイド服モドキを着てる(汚く言えば)商売女なイメージなので大っ嫌いです。
一回見向きもしないで通り過ぎれば二度と声をかけられないのはうっとうしくなくていいのですが。
裏通りは仰られた通りにまだ雰囲気はありますね、行けば何らかのパーツをつい衝動買いしちゃいます。
私は古いゲームが好きなのでそういう意味では私にとってはまだ聖地な気がしてなりません。
ゲームも外国人向けに高くなっている気がします。それとメルカリとか出来てネットで安く買えるようになってしまって中古ショップも無くなったよね
穴あき包丁買った?(゚∀゚)
@@天秤ジジイ 私が買ったのはキャベツの千切りのやつですね(笑)
2000年代に生まれた自分にとっては、秋葉原は未だオタクの街としての機能を果たしていると思ってたけど、確かに利権の参入や外国人観光客など、昔と変わってしまった姿を悲しむ人がいるのは凄いわかる。自分も昔の秋葉原行ってみたいし。ただ、もうインターネットが普及して実際に物を外に買いに行く必要がなくなってしまった以上、オタクが集まる街というよりは、オタク文化の象徴としての秋葉原に役割が変わっていっていっているんだろうなと思う。
先日久しぶりに秋葉原に行ったけど、ネット通販メインの自分としては、あっという間に時間が過ぎたというか、やっぱり商品を目の当たりに出来る感動ってのを再認識出来た気はするかな
通販でいいじゃんってのはその通りなんだけど、みんながみんな通販で事を済ませるようになると、メジャー通販店で在庫切れのものが現地の店頭にはしれっと並んでたりすることもままあるから、そういったところで得られるちょっとした感動やお得感は通販じゃ得難い
あとは細かいこと言うと、通販の商品ページで見てる掲載画像って自分のPCモニターの影響や売り手側の撮影環境のせいで実物とだいぶ印象違うこともよくあるからさ、そういった意味でも実際に目で見た方が失敗や後悔は少ないかもねっていう当たり前の話
とらのあなが無くなったのはショックでしたね。マジであれから行かなくなりました笑
時代に合わせて変化するのは街の宿命ですが、古き良き…みたいなものもあると思います
実際まだ行っていた頃でさえすでに外国人観光客が半数ぐらい居た印象。今だともっと多いのかな?
日本には、アメリカみたいにどこ行っても同じ店しかない様な街づくりをして欲しくないです。
サターンとプレステの発売後に秋葉原の年齢層が中高生まで広がった気がする。それまでは大学生以上しか見かけない感じだった記憶。それから電子ホビー系のオタよりアニメとか漫画系が増えて、ガンプラやガレキのホビー系の店舗が増え、メイドカフェブーム、ついで駅ほぼ直結のヨドバシ出来て石丸電気やサトー無線などが消えて行き客層がまた変わった感じ。
住友不動産のまちづくりの失敗の果てだよ
最近のアキバ、住友不動産のお堅いビルが増えて居心地が悪い。
三井不動産もまち壊ししてるしな
コロナ禍を境に店舗の移り変わりも大きく変貌しましたね。
同人誌委託の最大手とらのあなやゲームセンターセガ直営店舗撤退、外国人観光客の二-ズに合わせた商品入れ替えなど秋葉原で品物を手にとって選ぶ楽しみが減りました。
オタクに寛容じゃなかった時代にオタクを受け入れてくれる街だったんだよね
今はオタクが若い世代でステータスになりつつあるからな
単純に ぼったくりバーの呼び込みや 治安の悪化で 居づらくなったな、物価も高いし。
昔は自分の買物や、食事以外に無駄な寄り道して余計な事に手を出さないて言う暗黙の了解があったから平和だったんだがな
@@くにに そもそも食事もアキバじゃロクな店が無いから、お茶の水、神田か御徒町まで歩いて移動が前提だったし。
20年ほど前、秋葉原の歩行者天国にはコスプレしてダンスしているオタクや
歌、音楽を演奏する若者達が沢山いたそうです。
しかし、警察がそれを執拗に取り締まったり(後に秋葉原事件があり一時歩行者天国が廃止になったり更に取締が過剰化)
更にはフェミニストがお店にいちゃもんをつけてわざとトラブルを起こしたりと(今で言う迷惑TH-camrですね)
オタク文化に嫌がらせばかりしていたそうです。
警察の無理解(Winnyの件を含めて)とフェミニストのような異常者の存在が日本のサブカルチャーを衰退させた(いる)一因だと思いますね
非オタで常識人のつまらないお偉方公務員にサブカルは理解できない。確かに同感。
秋葉原といえば外国人が集う街のイメージは強くなりました。裏通りは今もジャンクパーツを扱ってる店や少し前の秋葉原とあまり変わらない印象ですがメイドのイメージは薄くなりましたね。これからどんな街に変わって行くか気になります。
電気オタク⇒アイドルオタク
次はどんなオタクの街になるのかな?
100年後には家庭用ロボットを販売する店が並んでるかもね。
メイドロボット🙂
上京してきて初めてアキバに行った時の衝撃が忘れられません。
本当にマンガみたいな街があるんだと驚きました。
あれから時が流れました。
来週末娘が行ってみたいというので一緒に行くつもりです。
ガッカリさせなきゃいいな。
中には変な人が声かけてくる事あるから気をつけてください。