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キャバクラ紛いのコンカフェが増えたせいで、いかがわしい街になりつつあるのが許せない
そこらへん、伊藤和子と仁藤ゆめののデマ拡散が元凶と指摘されてますね
コンカフェとは何の略でしょうか❓️
@@モグモグ-g9m コンセプトカフェ一般的にはコラボカフェとかだけどこの話のはいわゆるメイド喫茶とかそういうの
@@モグモグ-g9m コンセプトカフェですね。アキバ的には初期にはメイド、魔法学園、忍者等々のコンセプトを持ったカフェの呼称として使用されていましたが、新宿池袋等ではコスプレ系キャバ・昼キャバの呼称として。アキバがキャバ昼キャバ系の侵蝕を受けてからは後者の意味で使用される事がおおいです。
あの不潔な女が握る寿司屋もあったね怪我した手で調理したら、ブドウ球菌が倍率ドンで増えるから掃除と皿洗い以外出来ないのに、絆創膏は無い
25年くらい前に、まだ電気街だった頃に行った秋葉原は楽しかった日曜の露店や裏路地なんか今では考えられないものを売っていたけど、そのディープな空気感が好きだった
とらのあな本店が消滅したり、あきばおーが見えなくなったり行きたいモチベーションがどんどん下がっていく今のアキバ
とら跡地はアニメイトになったという池袋も倍近く広くなったし、妙に調子が良いよなぁ
「シュタゲ」の作品内でリフォーム前のラジオ会館や、「アキバ冥途戦争」でヨドバシが来る前の駅前の風景とか、もはや失われた風景が映像で出ることのノスタルジーが凄い
AKIBA'S TRIPなんか街中走り回れるけどもう半分近くは存在しない風景に…
アニメのシュタゲで何話か忘れましたが、ED間際に別世界線に飛んで現れた電気街に狼狽する鳳凰院凶真に被るEDが印象的でした。
@@八意思兼神 フェイリスがDメール送った後のやつ?
アキバズトリップ switch版は2つ買ったけど本当懐かしい………あと昔あったアーケードゲームのセイギノヒーローでも秋葉原のステージがあったなぁ
調べたら9話でした。中央通りの店先がもっと映っているかと思っていましたが、それほどでもなかったですね(動画が上がってます)。オカリンが狼狽えて振り返るたびにスタッフ字幕が揺れるのは9話だけ特別だったのでしょうか?
ヤクザが運営する悪質冥土喫茶の地獄から派遣された冥土達が真昼間から路地裏で悪質手引きしてるのも秋葉原が敬遠され始めた理由でもあると思う。
アキバにもシノギにするヤクザはちゃんといるんだな・・
あそこ神田のすぐ近くだから下町のヤクザ多いよ。神田祭は制限厳しくなって墨入った人が神輿担ぐのは減ったけど未だに後援会のテントの中見るとちらほらおるし
冥土から、おいでおいでをする喫茶になったのね
駅前が再開発される前までは良くも悪くもかなり独特な雰囲気があったわな再開発後からはキレイだけど他と大きな差の無い繁華街に
アングラな雰囲気だから秋葉原なんだよなあ。本当に面白い店が多かったのだが。
石原前知事にいわせれば「小汚く雑然とし、外国の方にお見せするのは恥」だったらしいので…まさしく彼の希望通りの街になったとは思いますよ…外国の方がこれを求めていたかはさておき
@@miwasaka 確かに、狙い通りにはなったと思いますが海外の人がきれいな街並みを求めてここに来るとは思えないんですよね。アジアの独特なごちゃごちゃした街並みを求めてくる人が多いので・・・きれいな街並みとか見たければ都会であればニューヨークに行くでしょうし、昔の日本の街並みとかを見たいなら京都に行くと思うので逆に魅力を減らしちゃった感はありますね。最近は建物が古くて使いにくいとか、権利関係の事情で建て直したり移転したりってことが発生してますが、形が変わるにしても秋葉原は変化しながら残っていくとは思います。
綺麗になったけど、個性は無くなりました。居抜き物件はどこにでもあるから秋葉原だけの問題ではないです。まあ、昼ごはんには困らなくなりましたよね。
洋ゲー、アーケードゲームの基板、マイナー端末、マイナーOS、格安PC(バッタ屋)、尖った要求にも応えられた頃の秋葉原は面白かったな。
こういう文化の全盛期に、変に気取らずもっと全力で楽しんでおけばよかったなぁと今になって思う。
秋葉原、今はそんな事になってたんですね・・・自分が最後に秋葉原に行ったのは20年以上前、確かデジキャラットというキャラクターを街の至る所で見かけてました
上京して初めて秋葉原に出向いたのが電車男ブームの数年ほど前。田舎にいた頃はアニメショップが雑居ビルの一角など目立たない所にポツンとあるぐらいで肩身が狭かったのに、町全体が電化製品やアニメグッズの店だらけで衝撃を受けた。ホコ天もあったり2000年代頃のアキバは楽しかったですね。
トラックで突撃する事件もあって盛り上がってたよねぇ。
アキバ接客で罵倒され、喫茶店で回路図走り書きしてるおっちゃんに圧倒され、茶封筒に入っている謎のフロッピーに魅了された街はもうない😭
そうでしたそうでした!
良い時代だなぁ。。。
懐かしい。
使えるか分からない、ジャンク品に並んで、裏ビデオを売ってたのが懐かしい。
メイドを騙ったボッタが増えてメイド喫茶が衰退した気がするマハポーシャ懐かしい
ドスブイがぁー!激安だーっ心底気持ち悪かった思い出。その直後に地下鉄サリン事件起きたね。
秋葉原は電気街のジャンク屋に通ってたことがあるあれは見るだけでも楽しかった…
外神田3丁目が最高でした。パソコンはここで集めたガラクタで作った物を使っていましたが今は新品が安くなったのでそちらを利用していますが、この経験は後々大いに役立ちました。
初めて秋葉原に行ったのが小学五年生の頃だったなぁ………その後そこで今でも本当の友と呼べる友人が出来て秋葉原は自分にとって聖地であり、一人ぼっちだった自分を救ってくれた聖地であり出会いの場です!
「霊夢の神社関係の話するのって~」のくだりが、単に雑談モードではなくサラッとキャラ設定が活きてて良いですね。
変わり続けるだけだ。何も悲しむことは無い。ただ、こういう時代もあったと懐かしめばいい
きみ、哲学者だね秋葉原から万物の理を知ってしまった
まさかアキバから円環の理を学ぶなんて
ラジオ会館やヤブのジャンク屋の時代こそ秋葉の人間にとっちゃヲタ化した時代の方が違和感やしなw
アキバは死なず。ただオタクの聖地として存在し続けるのみ。変わるのはオタクの側の内容だけだ。
池袋もどきでヤクザや華僑ロシアマフィアの町になりそうなw
2000年ごろコスプレやオタク文化が秋葉原の歩行者天国で大々的に華開いたとき、オタクだった自分はもうこの街に居場所がないなと感じたものですただそれは電気街として愛した人たちも同じように思ったことでしょうというノスタルジー。各々の年代で秋葉原には懐かしさや空虚さが異なるのでしょうね
こちらの動画は解説役と聞き役がスッパリと別れているのではなくてお互いの得意分野で変わるから本当に会話してる感じがして楽しい
ゆっくりれいむ氏が神社に詳しいとこが、申し訳程度の東方要素。
「秋葉原」という地名を知ったのは1970年代、中学生の頃に読み始めた「初歩のラジオ」でした。まだCDの規格すら決定されておらず「ゆめのデジタルオーディオディスク(DAD)」などと呼ばれていた頃です。トランジスタがゲルマニュウムからシリコンに移行し、汎用型が安価で大量に出回りだした頃でもあります。当時は電子工作のたぐいの他にも無線機やオーディオ機器の自作なども盛んでした。オーディオ機器用のトランジスタが開発され採用されていた、今では考えられない時期です。私は高校卒業後に電気系の専門学校に進学・上京して初めて秋葉原に行くことが出来ましたが、夢のような場所でした。部品に限らず、配線部材・工具・測定器など必要な物が狭い空間で揃う場所でした。パソコンの普及によって幾分の変化はありましたが、その頃はまだ大方「電気街」だったと思います。大きく変化したのは「おたくの街」に変貌した後の時期、古いビルの建て替えが進んだ頃だと思います。各店舗の経営者が高齢になってしまったのも一因でしょうかね。
ここの霊夢ちゃんはちゃんと神職(巫女)としてしっかり神社関係の解説してくれるからとっても好き。神社の解説を巫女である霊夢にお願いする魔理沙も素敵。
1:05秋葉原5:26歴史10:57現在
勉強になる動画をありがとうございます。電子関係のエンジニアをしておりますが、仕事で急に電子部品が必要になった時には秋葉原に買いに行きますよ。電子工作用の部品が確実にその日に手に入る貴重な場所です。通販では早くても翌日入手になりますからね。昔は、部品はラジオ会館で探していたのですが、今は通販もしている電子関係のお店で纏めて買ってしまいますが・・・。自分が小学生の時に電子工作をしたくて、父に秋葉原に連れていてもらったのも懐かしい思い出です。大人になって、APPLE-IIのコピー品や家庭用ゲーム機の改造キットを買いにも来ましたね。我が子にゲームのチートキャラをプレゼントしてました。その様な穴場のお店はマニアが通って残ると思います。ありがとうございました。
少し離れていましたがAITENDOはどうなったんでしょうか?中国人のおねーさん達がやってたパーツ屋なんですが・・・最初はココネットいうジャンク屋で後に液晶工房になり電子パーツ屋&電子キット屋になり一度閉店して末広町に移りコロナの前くらいに無くなってしまいました。
80年代後半から90年代にかけて、ファミコンやPCエンジンソフトが店頭にズラーっと並んでいた時代が懐かしいです。ここにくると、格安になっているソフトがあるので行くのが楽しみでした。石丸電気にも、地元の店では見かけなくなったCDなんかがまだ売っていて重宝しました。
土日のラジオ会館のエスカレーター、いつかとんでもなくやばい事故が起きるんじゃねぇかとヒヤヒヤする。
母校が無くなってから自分の中の秋葉原は無くなった。けれどもどんどん変わっていく秋葉原も魅力的です。願わくば渋谷新宿みたいにはならず、いつまでも趣味の街である事を祈ります。
ひょっとして練成中学校でしょうか?10数年前に閉校して、校舎は芸術系の専門学校として再利用されていますね。
秋葉が電気街からオタクの街に変化していったのは、PC向け美少女ゲームが、PSやスーファミと違って規制されてなく自由な表現が許されてたからだと思います。90年代の秋葉はPCの街だったので、PC向けゲームも同時に販売されてました。日本がポリコレに甘い傾向があるのは秋葉の文化由来です。秋葉が衰退していくと言う事は、日本もポリコレに敗北していくと言う事になるので懸念してます。
アキバなんてその時一番儲かる商売をしてるだけだよ
ポリコレは思想的な是非はともかく、儲からないことがわかってきてるから、遠からず廃れるよ。資本主義的に悪だからね。
Sofmapも関係するのよな
今は池袋にアニメ系が移ってるから、ポリコレに負けたとは言えないよ。むしろ日本のアニメ文化の方がジェンダーなどにとっては有益だと気づくポリコレ活動家が出現する可能性が高い。欧米のポリコレはあえて美少女やイケメンをジェンダーに生かそうとせず、ありのままかより醜悪にキャラを造形する傾向が鮮明だ。
サトームセンや石丸電気、駅前のバスケのコートがあった頃が懐かしいなもう25年ぐらい前になるのかな?
電気街としてはスマホの登場がトドメだったと思う
秋葉原に行く時はわくわくしたもんだが、いつからだろうか。だんだんと違和感というか居心地の悪さを感じる様になって足が遠のく様になってしまったのは・・・
似非電気部品問屋の呼び込みが始まったのが80年代。それまでも電気製品店の呼び込みがあったけど、ウザさが上がったような。今はメイドの呼び込みが、ウザいというより悲壮感を纏っているようで嫌。80年代でも製品を買うのに秋葉原が安いということは無かったけど、製品自体も部品交換ではなくアッセンブリー交換になっていった時点で電気街の秋葉原の役目は終わっていたのかも。
なんかすごいわかる……
あそこは常に「無い物は作る」の精神の人達が集まる場所でしたこらね。電気回路がPCのパーツに、ソフトに、絵や音楽に、と移り変わりはあったとしても。萌えが入った時は危機でしたが絵や音楽と上手く転化しましたし。寄生虫みたいな業者が入り込んで消費消尽だけの街になりつつあるのがつらいところですね。例えば、AKBとアイドルオタが入り込んでいい感じに成長していたセルフプロデュース系の音楽・アイドル文化の芽を食いつぶしたり、今話題のコラボ系の連中が女子高生商売に汚染された街とのデマの結果として昼キャバみたいな店が入り込んできたりとかは、大きなマイナスだったと思います。
AKBからメイドカフェくらいなまだかわいいものだっけど、中央通りから1本入った、あきばお~のある通りがコンカフェだらけになり、コスプレした女の子たちが歌舞伎町なみに客引きするようになってから。
最後にカレー店の話をしているが、30年以上前の秋葉原は飲食店がほとんど無かった。ここ近年、牛かつやラーメン店で開店前からの行列を見ると、これこそが秋葉原の一番大きな変化だと思っている。
30年以上前のことは分からないが、20年前もほとんどなかったね。アキハバラデパートのイートインコーナー(伊呂波)が貴重な飲食店だったくらい。あとはじゃんがららぁめんとか、牛丼どんどんとか、まあ両手で数えるくらいしかなかったよねえ。あと、元旦の人出も様変わりしたなと思う。神田明神至近とは言え、秋葉原は店がやってなくてゴーストタウンみたいになってたんだよねえ。
増えたのは2010年代という現実
その中でもラホールやサンボは30年以上前からあった老舗よね。
昔は秋葉原で昼食といえば「牛丼のどんどん」が定番だったけど、今は無くなったのか。。
@@錬金術師の弟子 2009年に撤退したってさ
自分が通った頃はPen2が高価な時期で自作でPCを作って、等倍でCDRが安定して焼けるのがステータスだった時代。太陽誘電のCDRを買い、TeacのROMライターを探し回った頃が本当に懐かしいです。
頻度にして2,3年に1回行くくらいだが確かに20年前に比べてずいぶんこざっぱりはした気はする。今でもいくらかはあるかもしれないが、昔の秋葉原って電気街の他にも大通りからひとつ入った路地ではAVやら同人誌やらのアレなポスターとか普通に置いてあって、いわゆる赤線地区とか歓楽街みたいなのとはまた違う雰囲気でアングラ感あった。
僕なんか1月に1~2回ぐらいのペースで行ってるよ。確かにここでは手に入らないA〇はない!ってくらいの品数だね。
実際アングラだったから一掃されたんでしょ😅変な絵画を高額で売りつける店とかあったわけだし。当時の秋葉原なら、一日で兵器作る事も可能と言われてたくらい電子パーツの宝庫だった。
@@てすてす-o2u ああ、あったあった。雑居ビルの1室でラッセンの展示即売会みたいなのやってて一度入ったことあったな。
噂は聞いたデート商法だっけ
@@shimatani2456 自分の時はそういうのじゃなくて普通に通りでスタッフがパンフレット配ってて入った感じだった。セールストークも”年収いくらですか?”からの”それくらいの年収の方が一番買ってますよー、皆さん買っていってます!”みたいな典型的な日本人向け正攻法だったと思う。つかそんなこともやってたのね、むしろそっち知らなかった。
なんにしろ特化で成り立ってた街だからねぇ…最近は似た系統の街も多いし有名になった代償で犯罪の現場に選択される事も多かったしね。電気街の頃からなんとなく後ろ暗い雰囲気も秋葉の魅力だったし駅前周辺のうさん臭さも人を引き付ける部分だったんだけどね、ヲタ文化特化で成功したけど色々な事件現場にもなって下降して今はなんか何処にでもある特に特徴のない普通の街って感じになっちゃってるね。あの辺は川や暗渠、地下鉄なんかも多いから再開発するにしても難しいだろうしね
秋葉で飯食おうと思ったら電気街から外れたトコの喫茶店か自販機のおでん缶の2択しかなかった時代が好きだったわ
その時代のじゃんがららーめんは旨かった。今は外人さん向けのただの高くて旨くもないラーメン屋に成り下がったね。
@@broyossi よく考えたら秋葉原に行くようになって20余年、1回もじゃんがらに行ったことがないことに気がついた。博多とんこつイマイチ好きじゃないんだよね……。そういう私はアキハバラデパート内の伊呂波でカツ丼食ってました。
@@goyamada1177 関取ラーメン竜軒もかなり昔からあるよね。やっぱ一回も行ったことないけどw
秋葉原は男も女もニッチもメジャー(ジャンル)もオタクなら大体ぜんぶ受け入れられる混沌特有の寛容さがあって良い池袋の方もアニメイト大きいのあったりコスプレ服の店とかあったりするけど、陽キャと女性オタクの街、って感じでエリア全体オタクに優しいって感じじゃないんだよね~
すてきなサムシングww懐かしくて笑っちゃいました😂
あれってサトー無線だっけ?
@@聡山田-d6n そうですwTH-camで検索しちゃいました
今の秋葉原は外国人だらけで、聞こえてくる言葉は日本語のほうが珍しいくらいですインバウンドという意味では店舗の売り上げとかは昔より上がってるくらいじゃないのかな?
常磐線は複雑なルートを通るのにくらべTXは北東へ一直線に伸びる構造である 北東と言えば鬼門であり古来より様々な鬼門封じを施されてきている 常磐線のルートはそれも考慮してあのような蛇行したルートにしたことだろう。最短距離の合理化だけで鬼門を考えないTX開業により秋葉原は大きな影響を受け大きな変化してしまったとも思える。TX沿線は発展したが起点の秋葉原は逆に不安定になってしまったとも
興味深い説ですね
時代の流れは、いつまでも同じものではないことが伝わる
聖地が輝く時は、そのジャンルが人気の時と、そのジャンルが死にゆく時、後者は、干上がっていく生存圏の中、最後に残ったオアシスに生存者が集まる事で発生する最後っ屁。いつか秋葉原の引力が完全に失われる時は、一つのジャンルが終焉を迎えた事を意味する。そうなる可能性を思うと悲しくなる。いつまでも不滅でそこに在り続けてくれる象徴的なモノがあってほしい。
DOS/V時代に洋ゲーにハマりTWOTOPとかでDOOMやDIABLOをパッケージで買ってたのが懐かしい。子供の頃はオーディオ各社のカタログを紙袋いっぱいにして持ち帰るのが楽しかった記憶が・・😊
カルト教の信者が無差別〇人の現場付近で大声でショップブランドのPCのチラシを配っていた。W95ブーム前に閉店したが名を変えて3店舗に分かれて復活していた時期もあった。同じ場所で「萌え萌えキューン」とかやってましたね。
電気街が機能していた当時は客より店員の方が偉かった。客「この型番のパーツありますか?」店「…目の前。」客「あ、すみません」この雰囲気が大好きでした。
更には、「幾ら持ってんの?」と在庫の在る無しを言わず、金の話しをしだす店員(店主)が普通だった。
@@toushirouarai7258 うわぁ、それです!良い時代でしたw
@@zoltanV だから廃れるんだよ(笑)
@@馬超-e7h まさにそれですww
電子部品なら今でも行く価値はあります。まだバスケットコートがあって、近くに献血ルームがあった時代にはよく通ってました。
PCパーツや専門的な電気街の店も少なくなり、さらにアニメとか漫画の専門店とかも減ってきた。昔からの専門の店が集う街というよりも、ビジネスホテルや一般的な店が多い街になりわざわざ行く気はなくなった。ワクワク感がなくなったことが大きい。
サトームセン、石丸電気、オノデン。ゲームソフトを求めてハシゴをすると耳にした歌。あの頃に秋葉原には無かったヨドバシが今は残るのみ。時代の流れとはいえ、寂しさを感じます。
そもそもゲームショップがなくなったよな。秋葉原に限らず
オノデン坊やが未来と遊ぶ、確かめよう・見つけよう素敵なサムシング、でっかいわでっかいわまるまるでっかいわ。全部閉店してしまいましたね。
メッセサンオーも無いんですよねもう
メッセサンオーも?
@@くにに トレーダーに吸収合併されて、10年以上前からないよ。
正直、秋葉原に対する自分の中でのイメージが2000年代後半くらいのイメージだったから、初めて行ったときはなんかコレジャナイ感凄かったし、その後コロナとかで良くも悪くも様変わりしたけど、地方出身の田舎者からすると今でもサブカルの街としてはトップクラスだと思う。アニメ、漫画、ゲーム、パソコンetc...いろんな文化を一つの街で楽しめる場所なんてそう多くない。品揃えやお店の数も相変わらず桁違いだし。色んな人が衰退しただのオワコンだの言ってるが、それは昔を知ってる人の贅沢な嘆きにしか見えない。
それは一理あると思いますね。個人的には、依然としてオタクの街ではあるだろうと思っています。というのも、邦訳アメコミを買おうとすると、東京都内では秋葉原か池袋にしか専門店がなく、中古でいいやと思ったらまんだらけもあるからです。アキバにないものは、だいたい後は駿河屋にあるかないか、という感じなんですね。ほかには、ゲームショップやホビーショップの述べ面積で言っても、やっぱり依然として世界一なんじゃないでしょうか。一方で、いかがわしいお店や、逆に堅苦しいオフィスが進出してきていることも事実なので、少しずつ特色が薄れつつあるというのも、それはそうなのかなあとは思います。でも、秋葉原の次の“趣都”っていうのは思いつかないんですよねえ。
昭和30年代中頃、現在のラジオデパートはトタン屋根の長屋だった。雨の日に買物に行くとトタン屋根に当る雨音、所々の雨漏り、今は懐しく感じます。
戦後の闇市のようですね。魅力的です。
江戸っ子の父親が「秋葉っパラ(あきばっぱら)」って言っていたのは間違いじゃなかった事が理解できました。むしろ「正解」だったんですね。
江戸時代の刑場だった”小塚原(こづかはら)”も、時代小説や昭和のドラマじゃ「こづかっぱら」と発音してましたからね。
趣味の生産交流をするための街から、消費をするだけの街に変わったところで見切ったというか、趣味の生産交流はネットに移ったからなー
昔と違ってオタクグッズが割とどこでも買えるようになってわざわざそこに行く必要が無くなったのも要因の一つかなあオタクという言葉も昔は第三者から付けれる蔑称だったのが今やファッションで自ら名乗る物に変わってきてるし、本当に時代変わったよね
プライズフィギュアなんか下町のスーパーの近くの露店でも売ってた。(平日昼間)何でも屋のハードオフも近所に進出してきたし。フツーの街にマニアックな店が。。
この“ゆっくり解説”という名のネガキャン動画が蔓延るのなんとかして欲しい。
9:07 この建屋は現在1F&2Fがらしんばんとして使われている場所です。90年代PCを売る他、家電量販店がSFC以降のゲームとCDの取り扱うエリアが拡大していく。その中でゲーム=ギャルゲーがPCゲーと共に勢力を伸ばす。この辺りからアキバは電気街からオタク街へと変貌していく。 (ポスターやらオリジナルCD等がゲーム購入特典として付くようになっていく。)その後00年代からインターネットの普及に伴い、需要が伸びて関連商品(フィギュア等)を扱う店も増えていく。他にはヨドバシカメラが開店し、数年後客を取られた石●電機、サトー●センが閉店。また メイド喫茶の前進【コスプレ喫茶】が誕生したのもこの頃で、のちに給仕=メイドというのでメイド喫茶が誕生。10:56 消えた…というよりも 消された、変化したが正解ですかね。この背景にあるのは日韓ワールドカップとその後のオリンピック招致が大きく関係してくる。当時のアキバの街頭ポップは 肌色多めのイラストがあちらこちらに貼られていた。これが来日外国人へ向けて・・・とは恥ずかしいと思った都議会が条例(?指導?)で禁止となり、子供に見せても問題ないイラスト等に変わっていく。これが、オタク街の黎明期から通っていた人から見ると衰退したとみられて、オタク街が消えたと言われる原因の1つ。長文&駄文失礼しました。(違っているかもしれませんので、補足してくれると助かります。)
今思えば、アキバにパチ屋、AKB、風俗店が入り込んだ時が大きなターニングポイントになった気がする。それまでは、店が閉まる夜8時以降はゴーストタウンみたいになる街だったから。
AKBは本当にアキバをダメにしましたよね
ヨドバシ進出がターニングポイントだと思う
アキバがオタクの楽園ではなくなってしまったか諸行無常の響きあり
秋月電子はまだあって良かったです。昔は怪しさ含めて面白い街だったなぁ。
「電車男」で一般人に、オタク文化、秋葉原が注目されて今まで秋葉原に縁がなかった人達が急激に大量に集まってきたのが終わりの始まり。ピークは2010年くらいかな?でかいヨドバシができたりラジオ会館閉鎖あたりから今までのアングラな秋葉原らしさが無くなっていき急激にオワコン化2015年くらいは日本人と外国人観光客が半々くらいだった印象メインストリートで中国語が喧しかった。昔の秋葉原らしさが残ってるのは、もう「まんだらけ」くらいだな趣味人の街からオタクを排除して、大多数一般向けにシフトしたら街から活気が無くなって衰退しました。次はどんな街になるのかな?
現在は観光地そして風俗街になるかも・・・アングラ化
昔のイメージから変化しているし更に「只のオフィス街」になっていくのだろうなぁって……。
長い期間秋葉原に住んでるけど、昔のオタク文化から、今のオタク文化になってるんだと思うよ。衰退じゃなくて変化なんじゃないかと。流動が激しい街だから、観光客の街になってきたなとは感じる。変化し続ける町だから面白いよね。
アキバがまだ電気街だった頃はアニメショップって雑居ビルの一室だったりしたけど、それもそれで懐かしい。雑誌とかに場所は載ってるけど大きな看板とかはなくて人に教えてもらってたどり着く文化みたいなのもありました。
川西池田の駅前でアニメイトを利用した事ありますが最初は雑居ビルの一室で一階にコンビニがあり多少うらぶれた雰囲気でした。
大手のまんだらけ秋葉原店ですらわかりにくい裏通りの雑居ビル5Fとかで隠れ家みたいでした今は誰でも行ける立派な自社ビルに変わりました
アニメイトが昭和通り側のどっかのビルの中だった様な記憶どこだかわからなくて当時は結局行くの諦めたなw
@@XX-qn5gz 同郷ですね!川沿いのビルの1階か2階か半地下1階か、あまり高くはない位置にありましたね。他には旧松屋レディースの上のほうの階にもショップありました。店名忘れましたけど。
@@XX-qn5gz ライブハウスがあるビルの2階にありました。
通販やDL購入が主流になってわざわざ秋葉原まで行く必要が無くなったからなぁ
90年代初頭にアキバでPCゲームショップで働いてました。PC98全盛期で毎週の様にエロゲー発売してましたね。楽しい時代でした。また、PCが今より遥かに高価でしたので、モニター、プリンター、PC本体を買うと100万近くする事もザラでした。(しかもキャッシュで買っていく)あの頃⒈5メガの増設メモリが4万位したっけなぁ
凄く懐かしい。パソコンショップの店の中のあの独特な匂いが好きでした。私も情報処理系の専門学校に通った時にpc9821のパソコンを購入した。あの「カタカタカタ」という音が好きだった
今ではあまり聞かなくなりましたが、DOS/V機器の相性問題があったと思います。そんな情報を仕入れるためにも行きましたね。
@@八意思兼神 メーカーはIBMのマシンで動作確認を取ることが多いの長らくジャンク品のTHINKPADを使っていたが今はLENOVOになっちゃいました。
@@大深和 スイッチ入れるとピポっというビープ音が懐かしい。
20世紀の秋葉原は食べ物屋が少なくて、『何でお腹をすかせた若い男性が多いのに食べ物屋が少ないのだろう』といつも思っていた。だから未だにサンボを神聖視してしまうんだよね。
昔の秋葉原は飲食店が少ないと言うと異論があったので聞いてみると20年程度の昔で草生えた。青果市場移転のときに主だったものも消えて、問屋さんは自炊するから飲食店が少ないままでしたね。
1994年に秋葉原でバイトしていた頃、ランチをどこで取るか本当に悩みました。で、いつも駅ビルの中。
サンボで怒られたのはいい思い出w
世間一般の牛丼屋と思って入る初見の人が、「牛丼つゆだくで!」というとうちではそういうのやってない!って恐ろしく不機嫌になる、おっかないおばちゃん… いましたよねw
駅周辺の再開発で終わった、もう行くことはないだろう。
秋葉原の衰退がオタク文化のみに解説されてましたが、もともとは戦後の物資不足の闇市でラジオや電子部品の闇市がルーツであり、そこから家電販売店や電子パーツ店が多く軒を連ねる場所になりました。秋葉原で家電を買うと安いという時期は大手家電量販店の郊外大規模店出店やカメラ系のヨドバシ、ビックに淘汰された側面もあるでしょう。お茶の水に東京電大があり、そこの学生たちがパーツを買いに足を運んでいとこともあり、電大が移転した影響も少なくは無いでしょう。オタク文化は家電店が衰退した後に入れ替わっただけで、オタク文化も池袋の地で花開いていることから単純にオタク文化まで衰退するかのような解説はちょっと違う気がします。
オタク文化が終了したというより、作品数が多くなりすぎて1作品当たりの知識量が減っちゃった影響もありそうですね。正直、終了したというより海外観光客を呼び込もうとしてる影響で誰もが知ってる作品が表通りで販売されるようになり、よく言われるオタクの町の部分も昔からある古い店も残しつつ新しい店が入ってきてるって感じじゃないですかね。いわゆるオタクが求めるものはどちらにせよ買う店は普通にあるし、ネット通販は実は使いにくいっていう事情もあったり・・・
でも秋葉原が電気街だった時はどこの電気屋さんもすごい品揃えと地元じゃ考えられない値段の安さで見て廻るだけでも凄く楽しかった 田舎から出てきたばかりの自分にはとても衝撃的だった
自分の中では電気街であったと共にレコードの街でした。レコードがCDにとってかわられてもビデオ等の映像機器や高音質へのこだわりの音響機器は進化していました。大きな変化はアナログからデジタルへの変化でしょう。テープの時代からCD、DVDへと移行する時代はDOS/VからWindows、Macintoshへの初期PCの発展期だったと思います。ステレオの音質だったり、性能だったり、性能を活かすデバイスやソフトウェアだったり、知識や組み上げる技能も必要で、それらがオタクを刺激したのは間違いないと思います。アニメ系やアイドル系という分野は自分にとっては新しい物という感じでしたが、もうそれも変わっているんですね。年を取ったんだなと感じました。
秋葉原がこのまま廃墟と化すことは流石に考えにくい。次はどんな姿を見せてくれるか、(合法的な姿であれば)むしろ楽しみなところもあります。
東京駅からも近いので衰退も一時的なものだと思います。本当に次は何の街になるんだろうと楽しみです。
となると今は蛹の時期と考えたほうが良いのか
アキハバラデパートやT-ZONEやアソビットシティーや石丸電気や旧ラジオ会館があった頃がもはや懐かしい…
初めて秋葉原で降りたのは97年の夏休み。サトームセンのメロディが今でも忘れられない。交通博物館や石丸電気を目的に行ってたけど、今はもう・・・・
ラオックスもきかなくなったなぁ😅
お茶の水・御徒町が代替わりしながら続いてきたのに、秋葉原は出来なかったのが痛かったかも。交通博物館の秘宝が鉄道博物館への移転で破棄されたのも痛かった。
@@八意思兼神 代わりに鉄道模型の扱いが増えてきています。
オノデンもあったね
修学旅行で秋葉原行った時1番印象にあったのは、セーラー服を着たふかわりょう似のおっさんが目の前を通った事かな?今でも忘れない。
自分東京に居たころ28年前、休みの日秋葉原 ブラブラするのが楽しみでした。ちょうど次世代機戦争時代でゲームが熱かったなぁ。
半世紀近く前は、ラジオ等を自分で組み立てる『機械が趣味』の人達が集い、今は『アニメ&ゲームの聖地』だとか…。趣味を持つのは素敵な事だと思います。衰退は残念な事ですね。
ラジオ街→電気街→電脳(PC)街→アニメ&オタク街→現状、という変遷ですかね。
秋葉がPCパーツ街だった頃、秋葉でカレーの話してた時に「理系の(アタマの回る)人間は辛いものが好き」という説を高校時代にDOS-Basicを使いこなしFORTRANにも手を出していて理工大に行ったかなりアタマの良い先輩に聞いたことがあったな。
変わった・廃れたって感じるのはやっぱアンダーグラウンドのような裏方とか技術職とか陰の性質の街だったのが高層オフィスビルや観光客、風俗紛いのメイド店なんかの陽の性質へ、正反対の方向に向かっているのがそう感じさせるのかな…
サビれるのも発展するのも、善き哉。そうやって時代が廻りつないでいくんだよ。
昔は秋葉原デパートとサンボしか飯を食う場所がなかったよな。
喫茶店が2店に御徒町寄りに蕎麦店。最後に残った喫茶店も後継者がいなくて潰したのがウン十年前。
秋葉原デパート1階のどんぶり屋はよく行ってた。カツ丼の提供時間が早くコスパも良かった気が・・・
@@marinecorps573 あの丼屋にあったキジヤキ丼が食べたい。😢
@@茶川数馬 キジヤキ丼懐かしや・・・(´・ω・`)
青果市場(やっちゃば)の業務用冷蔵設備店として大きくなり市場の移転で家庭用電化製品に鞍替え全国展開高級家電が売れなくなるとPCやホビーに業種が移行するも経営失敗して破綻、斯くして電気街は消えていった
個人的にアキバに行き始めたのは駅前にスケート場やバスケのゴールがある広場があった頃ソフマップも何店舗もあったし、裏手に行けばマハーポーシャがあったそのせいか、青果市場があった頃のアキバには憧憬のようなものがある
本当にここ数年で普通のビジネス街になっちゃいましたね…アニメショップも外国人向けの形だけの存在になってます…どのショップも同じものしか売ってない
大阪の日本橋も同じ運命を辿っています。
30年前=家電やマニア機器などの高価な商品街20年前=PCやゲームやマニア機器など高価な商品街15年前=ニッチな町からヲタク街に変貌、低価格帯のグッズ街今=何も無い、観光向けの街、一部の層向けの街売っている商品の低価格化がどんどん進んだ、日本の賃金レベルに直接リンクしてる町って感じ
今はもう一般庶民はカネが無いからねアキバ衰退は日本の衰退・貧困化とリンクしてるこのままいけば5年後は過去の街になり果てそう
ちょうど15年〜の時期に進学して上京してからよく通ってたのですが、安いお店多いって感じでしたな🤔、それ以上前の秋葉原にも行って見たかったです
バスケゴール合った時代までは、飯どこで食う?ってそれこそその手の笑い方と、謎言語(専門用語過ぎて理解できない)話す人が普通だったんですがね30年前でもオタク系は増えてましたが当時は知らないが1980年代半ばからか、変化としてパーソナルコンピューターの普及があったのは
今年始めて秋葉原に行ったんですけどイメージと全然違って最初は色んなオタクに応えられる店があるんだろうな~と思ってたら、那覇の国際通りと似た感じで観光向けになってるのが何故か悲しかった(´・ω・`)
1990年前後、当時ソフトウェア開発会社勤務でしたがボーナスが出た週末に安い怪しげなPCパーツショップを見て回っていると会社の同僚や上司に会い「お、やっぱりいたなw」と笑い合った記憶がありますwそういえばいまじゃソフトとかソフトウェアとは言わずにアプリといいますね…
ホコ天がつまらなくなってから一度も行ってないです。
自分のあこがれた秋葉原はもう幻想なんだよなぁ…
90年代からの秋葉原を知ってる自分の感想だと。あのでかいヨドバシが出来た時、こんなの出来たらアキバにきてもお客はヨドバシに来ちゃうじゃんって思った。開発が進んで駅前のでかいビルが建ったり家具屋がパチンコ屋になったり、前は1軒しかなかった食べ物屋が増えていき、おしゃれさも加わっていくうちに自分の思ってたアキバが死んでいくような気がしていてだんだん行かなくなった。同好の人間で楽しく遊んでた場所、ジャンクで純粋な趣味の街で居て欲しかった気もする。でも、時代に合わせて変わっていくのは仕方ないとも思いますけどね(´-`*)
賑やかな頃に東京旅行して秋葉原に行けて良かった
排他的だったオタクが良くも悪くも市民権を得て一般化してしまったことで薄い退屈な街になってしまうという因果な皮肉...でも同じ様に青果市場、電子部品が好きだった人も変わってしまうことが嫌だったろうな...
さっき秋葉原に行って帰ってきたところだけど、なるほどそうだったんだ。面白い話だったです。
2005年のGWにいきなり観光地化したのが印象的でした。あの頃はブラウン管がなくなりVHSやLDの中古も処分していたり色々と変わり目でした。映像機器で古い方が機能性能がいいという状況もなくなり、PCももう部品が保守化寡占化して特殊なパーツを色々つけるものでなくなったしもう行く理由がありません…。
解説動画で聞き手から「素人質問で恐縮ですが・・・」みたいな切れ味感じるのなかなかないから新鮮
最近はちょっとアニメ見てる程度でアニメオタクを自称したるするしねぇ本物たちの知識量と熱量はすごかったんだけどなぁ
見ず知らずの話相手を「オタクは~」と呼ぶからオタクだとは言うけど、そんな会話は聞いたこと無いな。希少な同志でもあるから、相手を罵倒することも無かったし。でも宅さんが悪いとも思わない。
@@八意思兼神 滅多に聞かないのは基本的に他人と関わりたくないからとも言われてましたね。そんな引きこもりって意味もオタクに含まれてたそうです。
オタクアミーゴスの面々や、と学会の面々や、関西なら北野誠さんと竹内義和さんとかね。竹熊健太郎さんとかもかな?庵野秀明さんや島本和彦さんとかもそうですね。ガイナックスの面々達もそうですね。熱量と知識が半端ない。
25年前に行き始めて、パソコンや周辺機器が好きだった。秋葉原の連続殺傷が起きる前までは毎週末、出掛けては街を巡回してる感じだった。事件以降、行くのに気が引けるようになり、コロナ禍からほぼ行かなくなり、今は数ヶ月に1回行けばいいやって感じ。街も観光地化して、パソコン、電気機器、周辺機器の店は数えるほどになり、ただのカオスな街になってしまっている。その内、電気街の名残はほぼ消えて、大阪の新世界みたいに居酒屋、射的屋や土産屋みたいなものが軒を連ねるようになるのかなと思う。
投稿、お疲れ様でした。昔、秋葉原にある会社に通っていた時代がありました。パソコンやオーディオが全盛の時代でした。オタク文化の興隆により”此処じゃない”を感じましたね。まぁ個人的にはラジオデパートが無くなったら秋葉原に行く事もなくなると思います😢。因みにカレーは”ベンガル”という美味しいお店があって移転したけど今でも元気です。美味しいよ😀
石丸電機、サトー無線等のCMやってた頃が懐かしいからオノデンには頑張って欲しい。秋葉原デパートと駅前広場があった頃がギリギリ本当の意味でオタ街だったと思う。メッセサンオーも無くなって久しく、エ〇本屋リーフも無くなり、まさかのとらのあな閉店・・・。中央通り店も指摘通り、外人向け店ばかりになって、飲食店も雨後の筍の様に入れ代わり立ち代わりで訳が分からん。あの古臭くアングラ感満載の秋葉原はもう無いけれど、街の整備がもし無くても、ネット通販が当たり前になった時点で秋葉に未来は無かったよ。
石丸電機、ヤマギワ、T-ZONE、サトームセン、無くなりました。オノデン、千石電商、秋月電子通商、は残って欲しいです。
@@N--jv3goまぁそれも後10年続けるかどうかでしょうかね?街自体が本当に綺麗になっちゃいましたからね。住友ビル前だって昔はアーケード街だったし。 UDXの元地って駅前の公園とヤマギワとただっ広い駐車場でしたしね。
@@thukaji9156 あそこはやっちゃ場だったんですよ
@@maomao4548ソレ、もっと大昔の話じゃないですかー 遡るならせめて、駅前にガソリンスタンドがあったり、元AKBカフェが家電量販店だったとか位までかとw
ラジオやステレオコンポが廃れ、PCゲームがフロッピーやCDロムからオンラインになって、コミケも物販からコスプレイヤーばかり注目されるようになって…。そういう時代の変化をモロに受けた街のような気がしますね💦
東京の本社に勤めて居た時は、仕事が終わってから歩いてよく行きました。転勤後は通販の発達に伴い、運賃が馬鹿にならないので行かなくなりましたね。メイド喫茶が出来始めた頃かな?
昔はアキバに行きたいと思ってたけど、今は別に行かなくていいやって思っちゃう。
初めまして。皆さん、結構秋葉原に多くの思い入れがあるなあと感じました。自分が秋葉原に行ったのは2020年の1月でそれ以降行っていないなあという事を思い出しました。コロナウイルスもありますが、通販の利用や街中に行けば大体の物はそろってしまっているというのが大きな要因ですね。でもそれ以上に、自分の熱くさせるものが無くなってしまっているなあというのが最近感じるようになりました。自分も、動画と似たような感覚があります。それを前提で書くのですが、最近ポケモンカード等特定のカードに特化した店が秋葉原に数多く出来ているイメージがあるのですが、TCGの中心になっていく可能性は無理があるでしょうか?もちろん盗難、転売ヤーのような人たちのせいで治安が悪くなる可能性もありますが、結局はdiscordがあるといってもTCGプレイヤーは対面でやりたい人が想像以上にたくさんいるのは間違いないので。
TCGの中心になりかけてたんですけど(新店舗や現店舗の拡張などあった)連日の闇バイトなどの強盗被害でセキュリティ面が強化されたり監視の目が強まっていて今後どういう流れになるのかがあんまり検討がつかないですね…
この動画はコロナ開けまでの秋葉原の概要としてすごい優秀だなぁ
自宅から秋葉原まで近いから、よく行くけど今は観光で訪れる外国人だらけの街で、ホコ天となる日曜日は外国人の数がハンパない・・店舗もどちらかと言うとガチマニアをターゲットとした店より観光で来る外国人をターゲットとしたところが多いと思う
昔の秋葉原はオタクの購買意欲の受け皿になってたけど、今はインターネットでポチれば良い時代。土地価格の上昇で家賃が値上がり、コロナの影響で人が来なくなりオタク関連の店が潰れ始めている。ただオタク文化の終了というより、オタク文化の一般化というのが正しいような気がする。アニメ関連市場は売り上げは伸び続けているし、誰でも買えるインターネットだとこっそりと推しグッズを買う一般層もいるだろう。アマゾンプライムやその他のサブスクでアニメをこっそりと楽しむ人も多い。時代の移り変わりですねぇ。あと10年で秋葉原はどう変わっていくのか興味深いです。
キャバクラ紛いのコンカフェが増えたせいで、いかがわしい街になりつつあるのが許せない
そこらへん、伊藤和子と仁藤ゆめののデマ拡散が元凶と指摘されてますね
コンカフェとは何の略でしょうか❓️
@@モグモグ-g9m コンセプトカフェ
一般的にはコラボカフェとかだけどこの話のはいわゆるメイド喫茶とかそういうの
@@モグモグ-g9m
コンセプトカフェですね。
アキバ的には初期にはメイド、魔法学園、忍者等々のコンセプトを持ったカフェの呼称として使用されていましたが、新宿池袋等ではコスプレ系キャバ・昼キャバの呼称として。
アキバがキャバ昼キャバ系の侵蝕を受けてからは後者の意味で使用される事がおおいです。
あの不潔な女が握る寿司屋もあったね
怪我した手で調理したら、ブドウ球菌が倍率ドンで増えるから
掃除と皿洗い以外出来ないのに、絆創膏は無い
25年くらい前に、まだ電気街だった頃に行った秋葉原は楽しかった
日曜の露店や裏路地なんか今では考えられないものを売っていたけど、そのディープな空気感が好きだった
とらのあな本店が消滅したり、あきばおーが見えなくなったり行きたいモチベーションがどんどん下がっていく今のアキバ
とら跡地はアニメイトになったという
池袋も倍近く広くなったし、妙に調子が良いよなぁ
「シュタゲ」の作品内でリフォーム前のラジオ会館や、「アキバ冥途戦争」でヨドバシが来る前の駅前の風景とか、もはや失われた風景が映像で出ることのノスタルジーが凄い
AKIBA'S TRIPなんか街中走り回れるけどもう半分近くは存在しない風景に…
アニメのシュタゲで何話か忘れましたが、ED間際に別世界線に飛んで現れた電気街に狼狽する鳳凰院凶真に被るEDが印象的でした。
@@八意思兼神 フェイリスがDメール送った後のやつ?
アキバズトリップ switch版は2つ買ったけど本当懐かしい………
あと昔あったアーケードゲームのセイギノヒーローでも秋葉原のステージがあったなぁ
調べたら9話でした。中央通りの店先がもっと映っているかと思っていましたが、それほどでもなかったですね(動画が上がってます)。オカリンが狼狽えて振り返るたびにスタッフ字幕が揺れるのは9話だけ特別だったのでしょうか?
ヤクザが運営する悪質冥土喫茶の地獄から派遣された冥土達が真昼間から路地裏で悪質手引きしてるのも秋葉原が敬遠され始めた理由でもあると思う。
アキバにもシノギにするヤクザはちゃんといるんだな・・
あそこ神田のすぐ近くだから下町のヤクザ多いよ。
神田祭は制限厳しくなって墨入った人が神輿担ぐのは減ったけど未だに後援会のテントの中見るとちらほらおるし
冥土から、おいでおいでを
する喫茶になったのね
駅前が再開発される前までは良くも悪くもかなり独特な雰囲気があったわな
再開発後からはキレイだけど他と大きな差の無い繁華街に
アングラな雰囲気だから秋葉原なんだよなあ。本当に面白い店が多かったのだが。
石原前知事にいわせれば「小汚く雑然とし、外国の方にお見せするのは恥」だったらしいので…まさしく彼の希望通りの街になったとは思いますよ…外国の方がこれを求めていたかはさておき
@@miwasaka
確かに、狙い通りにはなったと思いますが海外の人がきれいな街並みを求めてここに来るとは思えないんですよね。
アジアの独特なごちゃごちゃした街並みを求めてくる人が多いので・・・
きれいな街並みとか見たければ都会であればニューヨークに行くでしょうし、昔の日本の街並みとかを見たいなら京都に行くと思うので逆に魅力を減らしちゃった感はありますね。
最近は建物が古くて使いにくいとか、権利関係の事情で建て直したり移転したりってことが発生してますが、形が変わるにしても秋葉原は変化しながら残っていくとは思います。
綺麗になったけど、個性は無くなりました。
居抜き物件はどこにでもあるから秋葉原だけの問題ではないです。
まあ、昼ごはんには困らなくなりましたよね。
洋ゲー、アーケードゲームの基板、マイナー端末、マイナーOS、格安PC(バッタ屋)、尖った要求にも応えられた頃の秋葉原は面白かったな。
こういう文化の全盛期に、変に気取らずもっと全力で楽しんでおけばよかったなぁと今になって思う。
秋葉原、今はそんな事になってたんですね・・・
自分が最後に秋葉原に行ったのは20年以上前、確かデジキャラットというキャラクターを街の至る所で見かけてました
上京して初めて秋葉原に出向いたのが電車男ブームの数年ほど前。田舎にいた頃はアニメショップが雑居ビルの一角など目立たない所にポツンとあるぐらいで肩身が狭かったのに、町全体が電化製品やアニメグッズの店だらけで衝撃を受けた。ホコ天もあったり2000年代頃のアキバは楽しかったですね。
トラックで突撃する事件もあって盛り上がってたよねぇ。
アキバ接客で罵倒され、喫茶店で回路図走り書きしてるおっちゃんに圧倒され、茶封筒に入っている謎のフロッピーに魅了された街はもうない😭
そうでしたそうでした!
良い時代だなぁ。。。
懐かしい。
使えるか分からない、ジャンク品に並んで、裏ビデオを売ってたのが懐かしい。
メイドを騙ったボッタが増えてメイド喫茶が衰退した気がする
マハポーシャ懐かしい
ドスブイがぁー!
激安だーっ
心底気持ち悪かった思い出。
その直後に地下鉄サリン事件起きたね。
秋葉原は電気街のジャンク屋に通ってたことがある
あれは見るだけでも楽しかった…
外神田3丁目が最高でした。パソコンはここで集めたガラクタで作った物を使っていましたが今は新品が安くなったのでそちらを利用していますが、この経験は後々大いに役立ちました。
初めて秋葉原に行ったのが小学五年生の頃だったなぁ………
その後そこで今でも本当の友と呼べる友人が出来て秋葉原は自分にとって聖地であり、一人ぼっちだった自分を救ってくれた聖地であり出会いの場です!
「霊夢の神社関係の話するのって~」のくだりが、単に雑談モードではなくサラッとキャラ設定が活きてて良いですね。
変わり続けるだけだ。
何も悲しむことは無い。
ただ、こういう時代もあったと懐かしめばいい
きみ、哲学者だね
秋葉原から万物の理を知ってしまった
まさかアキバから円環の理を学ぶなんて
ラジオ会館やヤブのジャンク屋の時代こそ秋葉の人間にとっちゃ
ヲタ化した時代の方が違和感やしなw
アキバは死なず。
ただオタクの聖地として存在し続けるのみ。
変わるのはオタクの側の内容だけだ。
池袋もどきでヤクザや華僑ロシアマフィアの町になりそうなw
2000年ごろコスプレやオタク文化が秋葉原の歩行者天国で大々的に華開いたとき、オタクだった自分はもうこの街に居場所がないなと感じたものです
ただそれは電気街として愛した人たちも同じように思ったことでしょう
というノスタルジー。各々の年代で秋葉原には懐かしさや空虚さが異なるのでしょうね
こちらの動画は解説役と聞き役がスッパリと別れているのではなくてお互いの得意分野で変わるから
本当に会話してる感じがして楽しい
ゆっくりれいむ氏が神社に詳しいとこが、申し訳程度の東方要素。
「秋葉原」という地名を知ったのは1970年代、中学生の頃に読み始めた「初歩のラジオ」でした。まだCDの規格すら決定されておらず「ゆめのデジタルオーディオディスク(DAD)」などと呼ばれていた頃です。トランジスタがゲルマニュウムからシリコンに移行し、汎用型が安価で大量に出回りだした頃でもあります。
当時は電子工作のたぐいの他にも無線機やオーディオ機器の自作なども盛んでした。オーディオ機器用のトランジスタが開発され採用されていた、今では考えられない時期です。
私は高校卒業後に電気系の専門学校に進学・上京して初めて秋葉原に行くことが出来ましたが、夢のような場所でした。部品に限らず、配線部材・工具・測定器など必要な物が狭い空間で揃う場所でした。パソコンの普及によって幾分の変化はありましたが、その頃はまだ大方「電気街」だったと思います。
大きく変化したのは「おたくの街」に変貌した後の時期、古いビルの建て替えが進んだ頃だと思います。各店舗の経営者が高齢になってしまったのも一因でしょうかね。
ここの霊夢ちゃんはちゃんと神職(巫女)としてしっかり神社関係の解説してくれるからとっても好き。神社の解説を巫女である霊夢にお願いする魔理沙も素敵。
1:05秋葉原
5:26歴史
10:57現在
勉強になる動画をありがとうございます。
電子関係のエンジニアをしておりますが、仕事で急に電子部品が必要になった時には秋葉原に買いに行きますよ。
電子工作用の部品が確実にその日に手に入る貴重な場所です。
通販では早くても翌日入手になりますからね。
昔は、部品はラジオ会館で探していたのですが、今は通販もしている電子関係のお店で纏めて買ってしまいますが・・・。
自分が小学生の時に電子工作をしたくて、父に秋葉原に連れていてもらったのも懐かしい思い出です。
大人になって、APPLE-IIのコピー品や家庭用ゲーム機の改造キットを買いにも来ましたね。
我が子にゲームのチートキャラをプレゼントしてました。
その様な穴場のお店はマニアが通って残ると思います。
ありがとうございました。
少し離れていましたがAITENDOはどうなったんでしょうか?中国人のおねーさん達がやってたパーツ屋なんですが・・・最初はココネットいうジャンク屋で後に液晶工房になり電子パーツ屋&電子キット屋になり一度閉店して末広町に移りコロナの前くらいに無くなってしまいました。
80年代後半から90年代にかけて、ファミコンやPCエンジンソフトが店頭にズラーっと並んでいた時代が懐かしいです。
ここにくると、格安になっているソフトがあるので行くのが楽しみでした。
石丸電気にも、地元の店では見かけなくなったCDなんかがまだ売っていて重宝しました。
土日のラジオ会館のエスカレーター、いつかとんでもなくやばい事故が起きるんじゃねぇかとヒヤヒヤする。
母校が無くなってから自分の中の秋葉原は無くなった。
けれどもどんどん変わっていく秋葉原も魅力的です。願わくば渋谷新宿みたいにはならず、いつまでも趣味の街である事を祈ります。
ひょっとして練成中学校でしょうか?10数年前に閉校して、校舎は芸術系の専門学校として再利用されていますね。
秋葉が電気街からオタクの街に変化していったのは、PC向け美少女ゲームが、PSやスーファミと違って規制されてなく自由な表現が許されてたからだと思います。90年代の秋葉はPCの街だったので、PC向けゲームも同時に販売されてました。
日本がポリコレに甘い傾向があるのは秋葉の文化由来です。
秋葉が衰退していくと言う事は、日本もポリコレに敗北していくと言う事になるので懸念してます。
アキバなんてその時一番儲かる商売をしてるだけだよ
ポリコレは思想的な是非はともかく、儲からないことがわかってきてるから、遠からず廃れるよ。資本主義的に悪だからね。
Sofmapも関係するのよな
今は池袋にアニメ系が移ってるから、ポリコレに負けたとは言えないよ。
むしろ日本のアニメ文化の方がジェンダーなどにとっては有益だと気づくポリコレ活動家が出現する可能性が高い。
欧米のポリコレはあえて美少女やイケメンをジェンダーに生かそうとせず、ありのままかより醜悪にキャラを造形
する傾向が鮮明だ。
サトームセンや石丸電気、駅前のバスケのコートがあった頃が懐かしいな
もう25年ぐらい前になるのかな?
電気街としてはスマホの登場がトドメだったと思う
秋葉原に行く時はわくわくしたもんだが、いつからだろうか。だんだんと違和感というか
居心地の悪さを感じる様になって足が遠のく様になってしまったのは・・・
似非電気部品問屋の呼び込みが始まったのが80年代。それまでも電気製品店の呼び込みがあったけど、ウザさが上がったような。今はメイドの呼び込みが、ウザいというより悲壮感を纏っているようで嫌。
80年代でも製品を買うのに秋葉原が安いということは無かったけど、製品自体も部品交換ではなくアッセンブリー交換になっていった時点で電気街の秋葉原の役目は終わっていたのかも。
なんかすごいわかる……
あそこは常に「無い物は作る」の精神の人達が集まる場所でしたこらね。
電気回路がPCのパーツに、ソフトに、絵や音楽に、と移り変わりはあったとしても。
萌えが入った時は危機でしたが絵や音楽と上手く転化しましたし。
寄生虫みたいな業者が入り込んで消費消尽だけの街になりつつあるのがつらいところですね。
例えば、AKBとアイドルオタが入り込んでいい感じに成長していたセルフプロデュース系の音楽・アイドル文化の芽を食いつぶしたり、今話題のコラボ系の連中が女子高生商売に汚染された街とのデマの結果として昼キャバみたいな店が入り込んできたりとかは、大きなマイナスだったと思います。
AKBからメイドカフェくらいなまだかわいいものだっけど、中央通りから1本入った、あきばお~のある通りがコンカフェだらけになり、コスプレした女の子たちが歌舞伎町なみに客引きするようになってから。
最後にカレー店の話をしているが、30年以上前の秋葉原は飲食店がほとんど無かった。ここ近年、牛かつやラーメン店で開店前からの行列を見ると、これこそが秋葉原の一番大きな変化だと思っている。
30年以上前のことは分からないが、20年前もほとんどなかったね。
アキハバラデパートのイートインコーナー(伊呂波)が貴重な飲食店だったくらい。
あとはじゃんがららぁめんとか、牛丼どんどんとか、まあ両手で数えるくらいしかなかったよねえ。
あと、元旦の人出も様変わりしたなと思う。
神田明神至近とは言え、秋葉原は店がやってなくてゴーストタウンみたいになってたんだよねえ。
増えたのは2010年代という現実
その中でもラホールやサンボは30年以上前からあった老舗よね。
昔は秋葉原で昼食といえば「牛丼のどんどん」が定番だったけど、今は無くなったのか。。
@@錬金術師の弟子
2009年に撤退したってさ
自分が通った頃はPen2が高価な時期で自作でPCを作って、等倍でCDRが安定して焼けるのがステータスだった時代。太陽誘電のCDRを買い、TeacのROMライターを探し回った頃が本当に懐かしいです。
頻度にして2,3年に1回行くくらいだが確かに20年前に比べてずいぶんこざっぱりはした気はする。
今でもいくらかはあるかもしれないが、昔の秋葉原って電気街の他にも大通りからひとつ入った路地ではAVやら同人誌やらのアレなポスターとか普通に置いてあって、いわゆる赤線地区とか歓楽街みたいなのとはまた違う雰囲気でアングラ感あった。
僕なんか1月に1~2回ぐらいのペースで行ってるよ。確かにここでは手に入らないA〇はない!ってくらいの品数だね。
実際アングラだったから一掃されたんでしょ😅
変な絵画を高額で売りつける店とかあったわけだし。
当時の秋葉原なら、一日で兵器作る事も可能と言われてたくらい電子パーツの宝庫だった。
@@てすてす-o2u ああ、あったあった。
雑居ビルの1室でラッセンの展示即売会みたいなのやってて一度入ったことあったな。
噂は聞いたデート商法だっけ
@@shimatani2456 自分の時はそういうのじゃなくて普通に通りでスタッフがパンフレット配ってて入った感じだった。
セールストークも”年収いくらですか?”からの”それくらいの年収の方が一番買ってますよー、皆さん買っていってます!”みたいな典型的な日本人向け正攻法だったと思う。
つかそんなこともやってたのね、むしろそっち知らなかった。
なんにしろ特化で成り立ってた街だからねぇ…最近は似た系統の街も多いし
有名になった代償で犯罪の現場に選択される事も多かったしね。
電気街の頃からなんとなく後ろ暗い雰囲気も秋葉の魅力だったし駅前周辺の
うさん臭さも人を引き付ける部分だったんだけどね、ヲタ文化特化で成功したけど
色々な事件現場にもなって下降して今はなんか何処にでもある特に特徴のない
普通の街って感じになっちゃってるね。
あの辺は川や暗渠、地下鉄なんかも多いから再開発するにしても難しいだろうしね
秋葉で飯食おうと思ったら電気街から外れたトコの喫茶店か自販機のおでん缶の2択しかなかった時代が好きだったわ
その時代のじゃんがららーめんは旨かった。
今は外人さん向けのただの高くて旨くもないラーメン屋に成り下がったね。
@@broyossi
よく考えたら秋葉原に行くようになって20余年、1回もじゃんがらに行ったことがないことに気がついた。博多とんこつイマイチ好きじゃないんだよね……。
そういう私はアキハバラデパート内の伊呂波でカツ丼食ってました。
@@goyamada1177
関取ラーメン竜軒もかなり昔からあるよね。やっぱ一回も行ったことないけどw
秋葉原は男も女もニッチもメジャー(ジャンル)もオタクなら大体ぜんぶ受け入れられる混沌特有の寛容さがあって良い
池袋の方もアニメイト大きいのあったりコスプレ服の店とかあったりするけど、陽キャと女性オタクの街、って感じでエリア全体オタクに優しいって感じじゃないんだよね~
すてきなサムシングww懐かしくて笑っちゃいました😂
あれってサトー無線だっけ?
@@聡山田-d6n
そうですw
TH-camで検索しちゃいました
今の秋葉原は外国人だらけで、聞こえてくる言葉は日本語のほうが珍しいくらいです
インバウンドという意味では店舗の売り上げとかは昔より上がってるくらいじゃないのかな?
常磐線は複雑なルートを通るのにくらべTXは北東へ一直線に伸びる構造である 北東と言えば鬼門であり古来より様々な鬼門封じを施されてきている 常磐線のルートはそれも考慮してあのような蛇行したルートにしたことだろう。最短距離の合理化だけで鬼門を考えないTX開業により秋葉原は大きな影響を受け大きな変化してしまったとも思える。TX沿線は発展したが起点の秋葉原は逆に不安定になってしまったとも
興味深い説ですね
時代の流れは、いつまでも同じものではないことが伝わる
聖地が輝く時は、そのジャンルが人気の時と、そのジャンルが死にゆく時、
後者は、干上がっていく生存圏の中、最後に残ったオアシスに生存者が集まる事で発生する最後っ屁。
いつか秋葉原の引力が完全に失われる時は、一つのジャンルが終焉を迎えた事を意味する。
そうなる可能性を思うと悲しくなる。
いつまでも不滅でそこに在り続けてくれる象徴的なモノがあってほしい。
DOS/V時代に洋ゲーにハマりTWOTOPとかでDOOMやDIABLOをパッケージで買ってたのが懐かしい。
子供の頃はオーディオ各社のカタログを紙袋いっぱいにして持ち帰るのが楽しかった記憶が・・😊
カルト教の信者が無差別〇人の現場付近で大声でショップブランドのPCのチラシを配っていた。W95ブーム前に閉店したが名を変えて3店舗に分かれて復活していた時期もあった。同じ場所で「萌え萌えキューン」とかやってましたね。
電気街が機能していた当時は客より店員の方が偉かった。
客「この型番のパーツありますか?」
店「…目の前。」
客「あ、すみません」
この雰囲気が大好きでした。
更には、「幾ら持ってんの?」と在庫の在る無しを言わず、金の話しをしだす店員(店主)が普通だった。
@@toushirouarai7258 うわぁ、それです!良い時代でしたw
@@zoltanV だから廃れるんだよ(笑)
@@馬超-e7h まさにそれですww
電子部品なら今でも行く価値はあります。
まだバスケットコートがあって、近くに献血ルームがあった時代にはよく通ってました。
PCパーツや専門的な電気街の店も少なくなり、さらにアニメとか漫画の専門店とかも減ってきた。
昔からの専門の店が集う街というよりも、ビジネスホテルや一般的な店が多い街になりわざわざ行く気はなくなった。ワクワク感がなくなったことが大きい。
サトームセン、石丸電気、オノデン。
ゲームソフトを求めてハシゴをすると耳にした歌。
あの頃に秋葉原には無かったヨドバシが今は残るのみ。
時代の流れとはいえ、寂しさを感じます。
そもそもゲームショップがなくなったよな。秋葉原に限らず
オノデン坊やが未来と遊ぶ、確かめよう・見つけよう素敵なサムシング、でっかいわでっかいわまるまるでっかいわ。全部閉店してしまいましたね。
メッセサンオーも無いんですよねもう
メッセサンオーも?
@@くにに
トレーダーに吸収合併されて、10年以上前からないよ。
正直、秋葉原に対する自分の中でのイメージが2000年代後半くらいのイメージだったから、初めて行ったときはなんかコレジャナイ感凄かったし、その後コロナとかで良くも悪くも様変わりしたけど、地方出身の田舎者からすると今でもサブカルの街としてはトップクラスだと思う。
アニメ、漫画、ゲーム、パソコンetc...いろんな文化を一つの街で楽しめる場所なんてそう多くない。品揃えやお店の数も相変わらず桁違いだし。
色んな人が衰退しただのオワコンだの言ってるが、それは昔を知ってる人の贅沢な嘆きにしか見えない。
それは一理あると思いますね。個人的には、依然としてオタクの街ではあるだろうと思っています。
というのも、邦訳アメコミを買おうとすると、東京都内では秋葉原か池袋にしか専門店がなく、中古でいいやと思ったらまんだらけもあるからです。アキバにないものは、だいたい後は駿河屋にあるかないか、という感じなんですね。
ほかには、ゲームショップやホビーショップの述べ面積で言っても、やっぱり依然として世界一なんじゃないでしょうか。
一方で、いかがわしいお店や、逆に堅苦しいオフィスが進出してきていることも事実なので、少しずつ特色が薄れつつあるというのも、それはそうなのかなあとは思います。
でも、秋葉原の次の“趣都”っていうのは思いつかないんですよねえ。
昭和30年代中頃、現在のラジオデパートはトタン屋根の長屋だった。雨の日に買物に行くとトタン屋根に当る雨音、所々の雨漏り、今は懐しく感じます。
戦後の闇市のようですね。
魅力的です。
江戸っ子の父親が「秋葉っパラ(あきばっぱら)」って言っていたのは間違いじゃなかった事が理解できました。むしろ「正解」だったんですね。
江戸時代の刑場だった”小塚原(こづかはら)”も、時代小説や昭和のドラマじゃ「こづかっぱら」と発音してましたからね。
趣味の生産交流をするための街から、消費をするだけの街に変わったところで見切った
というか、趣味の生産交流はネットに移ったからなー
昔と違ってオタクグッズが割とどこでも買えるようになってわざわざそこに行く必要が無くなったのも要因の一つかなあ
オタクという言葉も昔は第三者から付けれる蔑称だったのが今やファッションで自ら名乗る物に変わってきてるし、本当に時代変わったよね
プライズフィギュアなんか下町のスーパーの近くの露店でも売ってた。(平日昼間)
何でも屋のハードオフも近所に進出してきたし。
フツーの街にマニアックな店が。。
この“ゆっくり解説”という名のネガキャン動画が蔓延るのなんとかして欲しい。
9:07 この建屋は現在1F&2Fがらしんばんとして使われている場所です。
90年代PCを売る他、家電量販店がSFC以降のゲームとCDの取り扱うエリアが拡大していく。
その中でゲーム=ギャルゲーがPCゲーと共に勢力を伸ばす。
この辺りからアキバは電気街からオタク街へと変貌していく。
(ポスターやらオリジナルCD等がゲーム購入特典として付くようになっていく。)
その後00年代からインターネットの普及に伴い、需要が伸びて関連商品(フィギュア等)を扱う店も増えていく。
他にはヨドバシカメラが開店し、数年後客を取られた石●電機、サトー●センが閉店。
また メイド喫茶の前進【コスプレ喫茶】が誕生したのもこの頃で、のちに給仕=メイドというのでメイド喫茶が誕生。
10:56 消えた…というよりも 消された、変化したが正解ですかね。
この背景にあるのは日韓ワールドカップとその後のオリンピック招致が大きく関係してくる。
当時のアキバの街頭ポップは 肌色多めのイラストがあちらこちらに貼られていた。
これが来日外国人へ向けて・・・とは恥ずかしいと思った都議会が条例(?指導?)で禁止となり、子供に見せても問題ないイラスト等に変わっていく。
これが、オタク街の黎明期から通っていた人から見ると衰退したとみられて、オタク街が消えたと言われる原因の1つ。
長文&駄文失礼しました。(違っているかもしれませんので、補足してくれると助かります。)
今思えば、アキバにパチ屋、AKB、風俗店が入り込んだ時が大きなターニングポイントになった気がする。
それまでは、店が閉まる夜8時以降はゴーストタウンみたいになる街だったから。
AKBは本当にアキバをダメにしましたよね
ヨドバシ進出がターニングポイントだと思う
アキバがオタクの楽園ではなくなってしまったか諸行無常の響きあり
秋月電子はまだあって良かったです。昔は怪しさ含めて面白い街だったなぁ。
「電車男」で一般人に、オタク文化、秋葉原が注目されて今まで秋葉原に縁がなかった人達が急激に大量に集まってきたのが終わりの始まり。
ピークは2010年くらいかな?
でかいヨドバシができたり
ラジオ会館閉鎖あたりから今までのアングラな秋葉原らしさが無くなっていき急激にオワコン化
2015年くらいは日本人と外国人観光客が半々くらいだった印象
メインストリートで中国語が喧しかった。
昔の秋葉原らしさが残ってるのは、もう「まんだらけ」くらいだな
趣味人の街からオタクを排除して、大多数一般向けにシフトしたら街から活気が無くなって衰退しました。
次はどんな街になるのかな?
現在は観光地そして風俗街になるかも・・・アングラ化
昔のイメージから変化しているし
更に「只のオフィス街」になって
いくのだろうなぁって……。
長い期間秋葉原に住んでるけど、
昔のオタク文化から、今のオタク文化になってるんだと思うよ。
衰退じゃなくて変化なんじゃないかと。
流動が激しい街だから、観光客の街になってきたなとは感じる。
変化し続ける町だから面白いよね。
アキバがまだ電気街だった頃はアニメショップって雑居ビルの一室だったりしたけど、それもそれで懐かしい。
雑誌とかに場所は載ってるけど大きな看板とかはなくて人に教えてもらってたどり着く文化みたいなのもありました。
川西池田の駅前でアニメイトを利用した事ありますが最初は雑居ビルの一室で一階にコンビニがあり多少うらぶれた雰囲気でした。
大手のまんだらけ秋葉原店ですらわかりにくい裏通りの雑居ビル5Fとかで隠れ家みたいでした
今は誰でも行ける立派な自社ビルに変わりました
アニメイトが昭和通り側のどっかのビルの中だった様な記憶
どこだかわからなくて当時は結局行くの諦めたなw
@@XX-qn5gz 同郷ですね!川沿いのビルの1階か2階か半地下1階か、あまり高くはない位置にありましたね。
他には旧松屋レディースの上のほうの階にもショップありました。店名忘れましたけど。
@@XX-qn5gz
ライブハウスがあるビルの2階にありました。
通販やDL購入が主流になってわざわざ秋葉原まで行く必要が無くなったからなぁ
90年代初頭にアキバでPCゲームショップで働いてました。PC98全盛期で毎週の様にエロゲー発売してましたね。楽しい時代でした。また、PCが今より遥かに高価でしたので、モニター、プリンター、PC本体を買うと100万近くする事もザラでした。(しかもキャッシュで買っていく)
あの頃⒈5メガの増設メモリが4万位したっけなぁ
凄く懐かしい。パソコンショップの店の中のあの独特な匂いが好きでした。
私も情報処理系の専門学校に通った時にpc9821のパソコンを購入した。あの「カタカタカタ」という音が好きだった
今ではあまり聞かなくなりましたが、DOS/V機器の相性問題があったと思います。そんな情報を仕入れるためにも行きましたね。
@@八意思兼神 メーカーはIBMのマシンで動作確認を取ることが多いの長らくジャンク品のTHINKPADを使っていたが今はLENOVOになっちゃいました。
@@大深和 スイッチ入れるとピポっというビープ音が懐かしい。
20世紀の秋葉原は食べ物屋が少なくて、『何でお腹をすかせた若い男性が多いのに食べ物屋が少ないのだろう』といつも思っていた。
だから未だにサンボを神聖視してしまうんだよね。
昔の秋葉原は飲食店が少ないと言うと異論があったので聞いてみると20年程度の昔で草生えた。
青果市場移転のときに主だったものも消えて、問屋さんは自炊するから飲食店が少ないままでしたね。
1994年に秋葉原でバイトしていた頃、ランチをどこで取るか本当に悩みました。で、いつも駅ビルの中。
サンボで怒られたのはいい思い出w
世間一般の牛丼屋と思って入る初見の人が、「牛丼つゆだくで!」というと
うちではそういうのやってない!って恐ろしく不機嫌になる、おっかないおばちゃん… いましたよねw
駅周辺の再開発で終わった、もう行くことはないだろう。
秋葉原の衰退がオタク文化のみに解説されてましたが、もともとは戦後の物資不足の闇市でラジオや電子部品の闇市がルーツであり、そこから家電販売店や電子パーツ店が多く軒を連ねる場所になりました。秋葉原で家電を買うと安いという時期は大手家電量販店の郊外大規模店出店やカメラ系のヨドバシ、ビックに淘汰された側面もあるでしょう。お茶の水に東京電大があり、そこの学生たちがパーツを買いに足を運んでいとこともあり、電大が移転した影響も少なくは無いでしょう。オタク文化は家電店が衰退した後に入れ替わっただけで、オタク文化も池袋の地で花開いていることから単純にオタク文化まで衰退するかのような解説はちょっと違う気がします。
オタク文化が終了したというより、作品数が多くなりすぎて1作品当たりの知識量が減っちゃった影響もありそうですね。
正直、終了したというより海外観光客を呼び込もうとしてる影響で誰もが知ってる作品が表通りで販売されるようになり、よく言われるオタクの町の部分も昔からある古い店も残しつつ新しい店が入ってきてるって感じじゃないですかね。
いわゆるオタクが求めるものはどちらにせよ買う店は普通にあるし、ネット通販は実は使いにくいっていう事情もあったり・・・
でも秋葉原が電気街だった時はどこの電気屋さんもすごい品揃えと地元じゃ考えられない値段の安さで見て廻るだけでも凄く楽しかった 田舎から出てきたばかりの自分にはとても衝撃的だった
自分の中では電気街であったと共にレコードの街でした。
レコードがCDにとってかわられてもビデオ等の映像機器や高音質へのこだわりの音響機器は進化していました。
大きな変化はアナログからデジタルへの変化でしょう。テープの時代からCD、DVDへと移行する時代はDOS/VからWindows、Macintoshへの初期PCの発展期だったと思います。
ステレオの音質だったり、性能だったり、性能を活かすデバイスやソフトウェアだったり、知識や組み上げる技能も必要で、それらがオタクを刺激したのは間違いないと思います。
アニメ系やアイドル系という分野は自分にとっては新しい物という感じでしたが、もうそれも変わっているんですね。年を取ったんだなと感じました。
秋葉原がこのまま廃墟と化すことは流石に考えにくい。
次はどんな姿を見せてくれるか、(合法的な姿であれば)むしろ楽しみなところもあります。
東京駅からも近いので衰退も一時的なものだと思います。
本当に次は何の街になるんだろうと楽しみです。
となると今は蛹の時期と考えたほうが良いのか
アキハバラデパートやT-ZONEやアソビットシティーや石丸電気や旧ラジオ会館があった頃がもはや懐かしい…
初めて秋葉原で降りたのは97年の夏休み。サトームセンのメロディが今でも忘れられない。交通博物館や石丸電気を目的に行ってたけど、今はもう・・・・
ラオックスもきかなくなったなぁ😅
お茶の水・御徒町が代替わりしながら続いてきたのに、秋葉原は出来なかったのが痛かったかも。
交通博物館の秘宝が鉄道博物館への移転で破棄されたのも痛かった。
@@八意思兼神 代わりに鉄道模型の扱いが増えてきています。
オノデンもあったね
修学旅行で秋葉原行った時1番印象にあったのは、セーラー服を着たふかわりょう似のおっさんが目の前を通った事かな?今でも忘れない。
自分東京に居たころ28年前、休みの日秋葉原 ブラブラするのが楽しみでした。
ちょうど次世代機戦争時代でゲームが熱かったなぁ。
半世紀近く前は、ラジオ等を自分で組み立てる『機械が趣味』の人達が集い、今は『アニメ&ゲームの聖地』だとか…。趣味を持つのは素敵な事だと思います。衰退は残念な事ですね。
ラジオ街→電気街→電脳(PC)街→アニメ&オタク街→現状、という変遷ですかね。
秋葉がPCパーツ街だった頃、秋葉でカレーの話してた時に「理系の(アタマの回る)人間は辛いものが好き」という説を高校時代にDOS-Basicを使いこなしFORTRANにも手を出していて理工大に行ったかなりアタマの良い先輩に聞いたことがあったな。
変わった・廃れたって感じるのはやっぱアンダーグラウンドのような裏方とか技術職とか陰の性質の街だったのが
高層オフィスビルや観光客、風俗紛いのメイド店なんかの陽の性質へ、正反対の方向に向かっているのがそう感じさせるのかな…
サビれるのも発展するのも、善き哉。そうやって時代が廻りつないでいくんだよ。
昔は秋葉原デパートとサンボしか飯を食う場所がなかったよな。
喫茶店が2店に御徒町寄りに蕎麦店。最後に残った喫茶店も後継者がいなくて潰したのがウン十年前。
秋葉原デパート1階のどんぶり屋はよく行ってた。カツ丼の提供時間が早くコスパも良かった気が・・・
@@marinecorps573
あの丼屋にあったキジヤキ丼が食べたい。😢
@@茶川数馬 キジヤキ丼懐かしや・・・(´・ω・`)
青果市場(やっちゃば)の業務用冷蔵設備店として大きくなり
市場の移転で家庭用電化製品に鞍替え全国展開
高級家電が売れなくなるとPCやホビーに業種が移行するも
経営失敗して破綻、斯くして電気街は消えていった
個人的にアキバに行き始めたのは駅前にスケート場やバスケのゴールがある広場があった頃
ソフマップも何店舗もあったし、裏手に行けばマハーポーシャがあった
そのせいか、青果市場があった頃のアキバには憧憬のようなものがある
本当にここ数年で普通のビジネス街になっちゃいましたね…
アニメショップも外国人向けの形だけの存在になってます…どのショップも同じものしか売ってない
大阪の日本橋も同じ運命を辿っています。
30年前=家電やマニア機器などの高価な商品街
20年前=PCやゲームやマニア機器など高価な商品街
15年前=ニッチな町からヲタク街に変貌、低価格帯のグッズ街
今=何も無い、観光向けの街、一部の層向けの街
売っている商品の低価格化がどんどん進んだ、日本の賃金レベルに直接リンクしてる町って感じ
今はもう一般庶民はカネが無いからね
アキバ衰退は日本の衰退・貧困化とリンクしてる
このままいけば5年後は過去の街になり果てそう
ちょうど15年〜の時期に進学して上京してからよく通ってたのですが、安いお店多いって感じでしたな🤔、それ以上前の秋葉原にも行って見たかったです
バスケゴール合った時代までは、飯どこで食う?って
それこそその手の笑い方と、謎言語(専門用語過ぎて理解できない)話す人が普通だったんですがね
30年前でもオタク系は増えてましたが
当時は知らないが1980年代半ばからか、変化としてパーソナルコンピューターの普及があったのは
今年始めて秋葉原に行ったんですけどイメージと全然違って最初は色んなオタクに応えられる店があるんだろうな~と思ってたら、那覇の国際通りと似た感じで観光向けになってるのが何故か悲しかった(´・ω・`)
1990年前後、当時ソフトウェア開発会社勤務でしたがボーナスが出た週末に安い怪しげなPCパーツショップを見て回っていると会社の同僚や上司に会い「お、やっぱりいたなw」と笑い合った記憶がありますw
そういえばいまじゃソフトとかソフトウェアとは言わずにアプリといいますね…
ホコ天がつまらなくなってから一度も行ってないです。
自分のあこがれた秋葉原はもう幻想なんだよなぁ…
90年代からの秋葉原を知ってる自分の感想だと。
あのでかいヨドバシが出来た時、こんなの出来たらアキバにきてもお客はヨドバシに来ちゃうじゃんって思った。
開発が進んで駅前のでかいビルが建ったり家具屋がパチンコ屋になったり、前は1軒しかなかった食べ物屋が増えていき、おしゃれさも加わっていくうちに自分の思ってたアキバが死んでいくような気がしていてだんだん行かなくなった。
同好の人間で楽しく遊んでた場所、ジャンクで純粋な趣味の街で居て欲しかった気もする。
でも、時代に合わせて変わっていくのは仕方ないとも思いますけどね(´-`*)
賑やかな頃に東京旅行して秋葉原に行けて良かった
排他的だったオタクが良くも悪くも市民権を得て一般化してしまったことで薄い退屈な街になってしまうという因果な皮肉...
でも同じ様に青果市場、電子部品が好きだった人も変わってしまうことが嫌だったろうな...
さっき秋葉原に行って帰ってきたところだけど、なるほどそうだったんだ。面白い話だったです。
2005年のGWにいきなり観光地化したのが印象的でした。
あの頃はブラウン管がなくなりVHSやLDの中古も処分していたり色々と変わり目でした。
映像機器で古い方が機能性能がいいという状況もなくなり、
PCももう部品が保守化寡占化して特殊なパーツを色々つけるものでなくなったしもう行く理由がありません…。
解説動画で聞き手から「素人質問で恐縮ですが・・・」みたいな切れ味感じるのなかなかないから新鮮
最近はちょっとアニメ見てる程度でアニメオタクを自称したるするしねぇ
本物たちの知識量と熱量はすごかったんだけどなぁ
見ず知らずの話相手を「オタクは~」と呼ぶからオタクだとは言うけど、そんな会話は聞いたこと無いな。希少な同志でもあるから、相手を罵倒することも無かったし。
でも宅さんが悪いとも思わない。
@@八意思兼神 滅多に聞かないのは基本的に他人と関わりたくないからとも言われてましたね。そんな引きこもりって意味もオタクに含まれてたそうです。
オタクアミーゴスの面々や、と学会の面々や、関西なら北野誠さんと竹内義和さんとかね。竹熊健太郎さんとかもかな?庵野秀明さんや島本和彦さんとかもそうですね。ガイナックスの面々達もそうですね。熱量と知識が半端ない。
25年前に行き始めて、パソコンや周辺機器が好きだった。秋葉原の連続殺傷が起きる前までは毎週末、出掛けては街を巡回してる感じだった。事件以降、行くのに気が引けるようになり、コロナ禍からほぼ行かなくなり、今は数ヶ月に1回行けばいいやって感じ。街も観光地化して、パソコン、電気機器、周辺機器の店は数えるほどになり、ただのカオスな街になってしまっている。その内、電気街の名残はほぼ消えて、大阪の新世界みたいに居酒屋、射的屋や土産屋みたいなものが軒を連ねるようになるのかなと思う。
投稿、お疲れ様でした。昔、秋葉原にある会社に通っていた時代がありました。パソコンやオーディオが全盛の時代でした。オタク文化の興隆により”此処じゃない”を感じましたね。まぁ個人的にはラジオデパートが無くなったら秋葉原に行く事もなくなると思います😢。因みにカレーは”ベンガル”という美味しいお店があって移転したけど今でも元気です。美味しいよ😀
石丸電機、サトー無線等のCMやってた頃が懐かしいからオノデンには頑張って欲しい。秋葉原デパートと駅前広場があった頃がギリギリ本当の意味でオタ街
だったと思う。メッセサンオーも無くなって久しく、エ〇本屋リーフも無くなり、まさかのとらのあな閉店・・・。
中央通り店も指摘通り、外人向け店ばかりになって、飲食店も雨後の筍の様に入れ代わり立ち代わりで訳が分からん。
あの古臭くアングラ感満載の秋葉原はもう無いけれど、街の整備がもし無くても、ネット通販が当たり前になった時点で秋葉に未来は無かったよ。
石丸電機、ヤマギワ、T-ZONE、サトームセン、無くなりました。オノデン、千石電商、秋月電子通商、は残って欲しいです。
@@N--jv3go
まぁそれも後10年続けるかどうかでしょうかね?街自体が本当に綺麗になっちゃいましたからね。住友ビル前だって昔はアーケード街だったし。
UDXの元地って駅前の公園とヤマギワとただっ広い駐車場でしたしね。
@@thukaji9156 あそこはやっちゃ場だったんですよ
@@maomao4548
ソレ、もっと大昔の話じゃないですかー
遡るならせめて、駅前にガソリンスタンドがあったり、元AKBカフェが家電量販店だったとか位までかとw
ラジオやステレオコンポが廃れ、PCゲームがフロッピーやCDロムからオンラインになって、コミケも物販からコスプレイヤーばかり注目されるようになって…。
そういう時代の変化をモロに受けた街のような気がしますね💦
東京の本社に勤めて居た時は、仕事が終わってから歩いてよく行きました。転勤後は通販の発達に伴い、運賃が馬鹿にならないので行かなくなりましたね。メイド喫茶が出来始めた頃かな?
昔はアキバに行きたいと思ってたけど、今は別に行かなくていいやって思っちゃう。
初めまして。
皆さん、結構秋葉原に多くの思い入れがあるなあと感じました。
自分が秋葉原に行ったのは2020年の1月でそれ以降行っていないなあという事を思い出しました。
コロナウイルスもありますが、通販の利用や街中に行けば大体の物はそろってしまっているというのが大きな要因ですね。
でもそれ以上に、自分の熱くさせるものが無くなってしまっているなあというのが最近感じるようになりました。
自分も、動画と似たような感覚があります。
それを前提で書くのですが、最近ポケモンカード等特定のカードに特化した店が秋葉原に数多く出来ているイメージがあるのですが、TCGの中心になっていく可能性は無理があるでしょうか?
もちろん盗難、転売ヤーのような人たちのせいで治安が悪くなる可能性もありますが、結局はdiscordがあるといってもTCGプレイヤーは対面でやりたい人が想像以上にたくさんいるのは間違いないので。
TCGの中心になりかけてたんですけど(新店舗や現店舗の拡張などあった)連日の闇バイトなどの強盗被害でセキュリティ面が強化されたり監視の目が強まっていて今後どういう流れになるのかがあんまり検討がつかないですね…
この動画はコロナ開けまでの秋葉原の概要としてすごい優秀だなぁ
自宅から秋葉原まで近いから、よく行くけど今は観光で訪れる外国人だらけの街で、ホコ天となる日曜日は外国人の数がハンパない・・店舗もどちらかと言うとガチマニアをターゲットとした店より観光で来る外国人をターゲットとしたところが多いと思う
昔の秋葉原はオタクの購買意欲の受け皿になってたけど、今はインターネットでポチれば良い時代。土地価格の上昇で家賃が値上がり、コロナの影響で人が来なくなりオタク関連の店が潰れ始めている。ただオタク文化の終了というより、オタク文化の一般化というのが正しいような気がする。アニメ関連市場は売り上げは伸び続けているし、誰でも買えるインターネットだとこっそりと推しグッズを買う一般層もいるだろう。アマゾンプライムやその他のサブスクでアニメをこっそりと楽しむ人も多い。時代の移り変わりですねぇ。あと10年で秋葉原はどう変わっていくのか興味深いです。