ขนาดวิดีโอ: 1280 X 720853 X 480640 X 360
แสดงแผงควบคุมโปรแกรมเล่น
เล่นอัตโนมัติ
เล่นใหม่
お近くに、東條会館もありますよね。1912年創業らしいですから110年以上の歴史もありますね。
色々なことが思い浮かべられますね
写真のカラー化、判読、調査、撮影、ナレーションを全部お一人でやられているのですか? ナレーションの声もバックの音楽とマッチして素晴らしいですね!!
かつての世相を見ることが出来て嬉しいです😄貴重な写真を見ることが出来て感無量です😂👍👍👍
ありがとう(^^♪
カメラが個人で持てない高価だった時代があったからこそですね。写真館。
いつも楽しい企画ありがとうございます。物悲しくもノスタルジックです。楽しみにしています。
白黒の写真がカラーになったとたんに、鮮やかな赤が甦り、過去も現代も遜色無いように感じました。
写真に写っている人や場所はお会いした事も行った事もないけれど、なぜかあの時代に生きていたような不思議な気持ちになる。静かに流れている音楽もマッチしてます。いつも、ありがとうございます。
3:48丸木利陽写真館は東京(市)、芝(区)、新シ橋角とあります。神田和泉橋付近ではなく、新橋駅に近い場所にあったんじゃないかと思います。港区デジタル版、港区のあゆみに写真業丸木利陽の住所として芝区新桜田町一八を掲載しています。芝地区の町名は変遷が複雑ですが、新桜田町は震災復興後に田村町1丁目、現在は港区西新橋1丁目になるようです。6:15麹町界隈わがまち人物館というサイトによれば、武林写真館は麹町区一番町一一(今は千代田区三番町5) にあったそうです。
24秒の先生と生徒さんのお写真。 今 生きておられたら 124歳から134歳くらい。でもそんな昔でもないですね。
写真撮影が専門的知識を要する技術、「写真術」なんて言った時代。撮影する写真家も緊張していたのでしょうね。当時の人達が今のデジカメやスマホを見たら腰抜かして驚くだろうな…
撮影中は皆さん緊張した面持ちですね。直後はほっとして笑みが溢れたのではないでしょうか。想像を巡らせると、当時の人の息づかいまで感じとれます。
緊張と言うか当時のカメラは被写体が少しでも動くとぶれて写るから動かない様にするのに緊張した顔に成ってしまう
素晴らしい
1916年(大正5年)の写真は皆日本髪を結っていますね。その後大正10年ごろから洋髪が流行り出したと言われています。NHKの朝ドラおしんで日本髪の髪結いの師匠に弟子入りしたおしんが当時流行り出した洋髪を覚えてカフェの女給さんたちなどに新しい洋髪の髪結いをして大人気になるというエピソードがありました。
お疲れ様です。江戸時代後期の写真館には流派が有ったそうです。写真撮影の背景画で流派が判ったそうです。大正後期の写真は家とかが焼けて無いので関東大震災で火災が起きなかった日暮里から赤羽方面の家ではないでしょうか?
先輩方、いま生まれ変わってどこにおられるのやら?写真はまるでタイムマシーンですね。
明治10年!まだ西南戦争の頃、相当な資産家か貴族だね。
1916年は、うちのばあちゃんが4歳の時だね。関東大震災の時は揺れがすごくて転んだそうだし、玉音放送は雑音が凄くて聴き取れなかったと言ってた。
実家に明治時代に撮影した曾祖母さんの写真というかガラス板に焼き付けた物があります。会った事は無いですが亡くなる前までの写真が残ってて1本の映画を観たレベルの感動を覚えてます。関東大震災、戦争があったのによく残ってたなと。1番驚いたのは美人さんだった事。多分、そうじゃないかな?とは思っていました。祖母がミス◯◯って聞いてたし。私の世代でだいぶん薄まりましたが😊
初めまして~今・・昔面白いですね(^^♪どうなっていたか気になりますね。ついつい見ちゃいます。チャンネル登録させて頂きます。
これらの写真の撮影時、自分の先祖は「何処で何をしてたのだろう…」と、ふと思ったりします…
0:58お婆さん1843年生まれって何か凄い。
天保の時代に生まれて明治まで…そしてこの年に生まれた人がつい最近(10年くらい前)まで結構な数いたという事実…
2:10 に出てくるワイプには 「明治十年」とも書いてありますが、その左側には「東京九段坂」とも書いてありますので、支店開設後かもしれませんね。もし明治十年に撮影されたなら「東京九段坂」とは書いていないと思います。
私の曾祖母の写真は無いし曽祖父の写真も無いので、羨ましいです。
デジタル技術素晴らしいですね✨当時の日本人の息遣いが聞こえて来ます❗ この頃は大和魂が有り外国に負けない力が根付いて居たのですね✨今の日本人は寿命が二倍も三倍延びたが認知症が多く筋肉が衰え 病院に浸り切り生きる屍と云われても仕方有りません長生きをしても働く気力が湧きません政府の議員も🤸🏋️お坊ちゃんお嬢ちゃん育ち覇気が有りませんね✨老化してマサかこんな筈では無かったとため息付く詐欺の数も増え労働に耐え抜くポリシーも無く日本特有の四季も乱れ孤立する人々ばかり整形して若さを阻止して筋肉が衰え直した所だけが画ビョウで止めた様に成りお化け見たいな顔に成り自殺する人々が跡を立ちません形有る物は劣化して壊れて仕舞う事自然に逆らう事知りません百歳越えても農作業して居る人は元気です🇯🇵人間一生労働に励み滋養(栄養)有る物を食べると云う知識を忘れ生き延びようと生きた化石に成って居ます日進月歩何てあり得ません黄泉の国も無いのに面白い人ばかり❤
永田町駅から麹町駅へ続く道をよく通るのですが、途中に麹町中学校という学校があります学校の近所に最高裁判所とか自民党本部なんかがある環境で育った彼らは、卒業アルバムに「権力」とか書くんだろうか・・・なんて思いながらいつも歩いてます
遠景が無いと絞れませんね、名前で追ってくれる探偵団の活躍の場は有るかなあ?
和服が日常着であった頃は着付けがゆったりで今より動きやすそうですね。
写真はその人が生きていた証。ほんとにそうですね。説明書きがあると有りがたいですね。
昔の写真って裏に簡単な説明書きをされていた物が多かった気がします。何か特別な時の行事という事でしょうか。また、昭和40-50年頃ですがフィルム全部は現像せずにフィルムの中の小さな画像とにらめっこしながら吟味して、同じ様な写真は現像から省いたりしてました。現像代も確かに勿体ないけど、一度出来た写真は特に人が写っていると、捨てたりむやみに扱ってはいけないので…
お疲れ様です、ホント古い写真の足跡を辿るって泣けてきますねー!100年以上前の人なのに、しっかりした女性らしい人だと感じるので会えるものだったらあってお話をしてみたいと思いますが、しっかりして厳しく又優しい人だと思います。多分ですが、日本人男性の描く女子力また主婦力の高い誠実な女性の姿だと思います。これ以降の日本人は西洋文化がドンドン入ってきているので、純粋な日本人女子の最終版なのでは無いでしょうか、思い過ごしだと大変良いのですが。で、小田急タイムのこのデータが100年200年先まだそれ以上先にもずっと残って後世の人たちがこの私たちの時代を思い色々と感じる事になると良い事だととても思います。
1分14 の写真は、どうなっているのかよく分からないですよね、真ん中の立っている白い着物の大人、足は写っているのに、両手、顔なしですか?⁇
三人で写っている?んですか
BGMなんて曲名か教えて下さい。
現存する写真館もあるのでは?東條会館は戦前からある写真館、あと、渋谷の植村写真館はかなり古く、大正関東大震災前はもっと都心にあったとききます。
最後のお二人は果たして同一人物か否か……ちょっと分かりませんね(苦笑)ただ、二人とも右の耳が同程度見えていますので、識別自体は可能かも知れません。耳の形って個人差が大きく加齢で変化が少ないので、個人の識別が可能なんだそうです。
眉の長さと額の生え際から見て同じ人かなと思います。右側が数年若い頃の写真ですね
うちにもこういう写真あるんですが誰なのか名前を書いてないのでわかりません。
昭和バブルとか平成初期なら写真館も健在だったろけど。今は学校相手くらいだろから、みんなデジカメすらすっ飛ばしてスマホ📱だから、寂しいよな。逆に写真館で今も写真撮る人【家族写真】は基本相当裕福だろから、回帰 現象が起きている。貧乏人はスマホですますから!
欧州では第一次大戦の頃の写真か?特務艦隊の軍神の皆さんは同盟国英国の援軍としてドイツのUボードと奮戦していた時代の写真か❓🙄どの女性が先生か見極められん😅
今では着物姿なんて見苦しいです😑。やっぱラフな格好がいいね🎵🎵🎵🎵
お近くに、東條会館もありますよね。1912年創業らしいですから110年以上の歴史もありますね。
色々なことが思い浮かべられますね
写真のカラー化、判読、調査、撮影、ナレーションを全部お一人でやられているのですか? ナレーションの声もバックの音楽とマッチして素晴らしいですね!!
かつての世相を見ることが出来て嬉しいです😄
貴重な写真を見ることが出来て感無量です😂👍👍👍
ありがとう(^^♪
カメラが個人で持てない高価だった時代があったからこそですね。写真館。
いつも楽しい企画ありがとうございます。物悲しくもノスタルジックです。楽しみにしています。
白黒の写真がカラーになったとたんに、
鮮やかな赤が甦り、過去も現代も遜色無いように感じました。
写真に写っている人や場所はお会いした事も行った事もないけれど、なぜかあの時代に生きていたような不思議な気持ちになる。静かに流れている音楽もマッチしてます。
いつも、ありがとうございます。
3:48丸木利陽写真館は東京(市)、芝(区)、新シ橋角とあります。神田和泉橋付近ではなく、新橋駅に近い場所にあったんじゃないかと思います。
港区デジタル版、港区のあゆみに写真業丸木利陽の住所として芝区新桜田町一八を掲載しています。
芝地区の町名は変遷が複雑ですが、新桜田町は震災復興後に田村町1丁目、現在は港区西新橋1丁目になるようです。
6:15麹町界隈わがまち人物館というサイトによれば、武林写真館は麹町区一番町一一(今は千代田区三番町5) にあったそうです。
24秒の先生と生徒さんのお写真。
今 生きておられたら 124歳から134歳くらい。
でもそんな昔でもないですね。
写真撮影が専門的知識を要する技術、「写真術」なんて言った時代。撮影する写真家も緊張していたのでしょうね。当時の人達が今のデジカメやスマホを見たら腰抜かして驚くだろうな…
撮影中は皆さん緊張した面持ちですね。直後はほっとして笑みが溢れたのではないでしょうか。想像を巡らせると、当時の人の息づかいまで感じとれます。
緊張と言うか当時のカメラは被写体が少しでも動くとぶれて写るから動かない様にするのに緊張した顔に成ってしまう
素晴らしい
1916年(大正5年)の写真は皆日本髪を結っていますね。
その後大正10年ごろから洋髪が流行り出したと言われています。
NHKの朝ドラおしんで日本髪の髪結いの師匠に弟子入りしたおしんが当時流行り出した洋髪を覚えてカフェの女給さんたちなどに新しい洋髪の髪結いをして大人気になるというエピソードがありました。
お疲れ様です。江戸時代後期の写真館には流派が有ったそうです。写真撮影の背景画で流派が判ったそうです。
大正後期の写真は家とかが焼けて無いので関東大震災で火災が起きなかった日暮里から赤羽方面の家ではないでしょうか?
先輩方、いま生まれ変わってどこにおられるのやら?
写真はまるでタイムマシーンですね。
明治10年!
まだ西南戦争の頃、相当な資産家か貴族だね。
1916年は、うちのばあちゃんが4歳の時だね。
関東大震災の時は揺れがすごくて転んだそうだし、玉音放送は雑音が凄くて聴き取れなかったと言ってた。
実家に明治時代に撮影した曾祖母さんの写真というかガラス板に焼き付けた物があります。会った事は無いですが亡くなる前までの写真が残ってて1本の映画を観たレベルの感動を覚えてます。関東大震災、戦争があったのによく残ってたなと。1番驚いたのは美人さんだった事。多分、そうじゃないかな?とは思っていました。祖母がミス◯◯って聞いてたし。私の世代でだいぶん薄まりましたが😊
初めまして~今・・昔面白いですね(^^♪どうなっていたか気になりますね。ついつい見ちゃいます。チャンネル登録させて頂きます。
これらの写真の撮影時、自分の先祖は「何処で何をしてたのだろう…」と、ふと思ったりします…
0:58お婆さん1843年生まれって何か凄い。
天保の時代に生まれて明治まで…そしてこの年に生まれた人がつい最近(10年くらい前)まで結構な数いたという事実…
2:10 に出てくるワイプには 「明治十年」とも書いてありますが、その左側には「東京九段坂」とも書いてありますので、支店開設後かもしれませんね。もし明治十年に撮影されたなら「東京九段坂」とは書いていないと思います。
私の曾祖母の写真は無いし曽祖父の写真も無いので、羨ましいです。
デジタル技術素晴らしいですね✨当時の日本人の息遣いが聞こえて来ます❗ この頃は大和魂が有り外国に負けない力が根付いて居たのですね✨今の日本人は寿命が二倍も三倍延びたが認知症が多く筋肉が衰え 病院に浸り切り生きる屍と云われても仕方有りません長生きをしても働く気力が湧きません政府の議員も🤸🏋️お坊ちゃんお嬢ちゃん育ち覇気が有りませんね✨老化してマサかこんな筈では無かったとため息付く詐欺の数も増え労働に耐え抜くポリシーも無く日本特有の四季も乱れ孤立する人々ばかり整形して若さを阻止して筋肉が衰え直した所だけが画ビョウで止めた様に成りお化け見たいな顔に成り自殺する人々が跡を立ちません形有る物は劣化して壊れて仕舞う事自然に逆らう事知りません百歳越えても農作業して居る人は元気です🇯🇵人間一生労働に励み滋養(栄養)有る物を食べると云う知識を忘れ生き延びようと生きた化石に成って居ます日進月歩何てあり得ません黄泉の国も無いのに面白い人ばかり❤
永田町駅から麹町駅へ続く道をよく通るのですが、途中に麹町中学校という学校があります
学校の近所に最高裁判所とか自民党本部なんかがある環境で育った彼らは、卒業アルバムに
「権力」とか書くんだろうか・・・なんて思いながらいつも歩いてます
遠景が無いと絞れませんね、名前で追ってくれる探偵団の活躍の場は有るかなあ?
和服が日常着であった頃は着付けがゆったりで今より動きやすそうですね。
写真はその人が生きていた証。ほんとにそうですね。説明書きがあると有りがたいですね。
昔の写真って裏に簡単な説明書きをされていた物が多かった気がします。何か特別な時の行事という事でしょうか。
また、昭和40-50年頃ですがフィルム全部は現像せずにフィルムの中の小さな画像とにらめっこしながら吟味して、同じ様な写真は現像から省いたりしてました。現像代も確かに勿体ないけど、一度出来た写真は特に人が写っていると、捨てたりむやみに扱ってはいけないので…
お疲れ様です、ホント古い写真の足跡を辿るって泣けてきますねー!
100年以上前の人なのに、しっかりした女性らしい人だと感じるので会えるものだったらあってお話をしてみたいと思いますが、しっかりして厳しく又優しい人だと思います。
多分ですが、日本人男性の描く女子力また主婦力の高い誠実な女性の姿だと思います。
これ以降の日本人は西洋文化がドンドン入ってきているので、純粋な日本人女子の最終版なのでは無いでしょうか、思い過ごしだと大変良いのですが。
で、小田急タイムのこのデータが100年200年先まだそれ以上先にもずっと残って後世の人たちがこの私たちの時代を思い色々と感じる事になると良い事だととても思います。
1分14 の写真は、どうなっているのかよく分からないですよね、真ん中の立っている白い着物の大人、足は写っているのに、両手、顔なしですか?⁇
三人で写っている?んですか
BGMなんて曲名か教えて下さい。
現存する写真館もあるのでは?
東條会館は戦前からある写真館、あと、渋谷の植村写真館はかなり古く、大正関東大震災前はもっと都心にあったとききます。
最後のお二人は果たして同一人物か否か……ちょっと分かりませんね(苦笑)
ただ、二人とも右の耳が同程度見えていますので、識別自体は可能かも知れません。
耳の形って個人差が大きく加齢で変化が少ないので、個人の識別が可能なんだそうです。
眉の長さと額の生え際から見て同じ人かなと思います。右側が数年若い頃の写真ですね
うちにもこういう写真あるんですが誰なのか名前を書いてないのでわかりません。
昭和バブルとか平成初期なら写真館も健在だったろけど。今は学校相手くらいだろから、みんなデジカメすらすっ飛ばしてスマホ📱だから、寂しいよな。逆に写真館で今も写真撮る人【家族写真】は基本相当裕福だろから、回帰 現象が起きている。貧乏人はスマホですますから!
欧州では第一次大戦の頃の写真か?特務艦隊の軍神の皆さんは同盟国英国の援軍としてドイツのUボードと奮戦していた時代の写真か❓🙄どの女性が先生か見極められん😅
今では着物姿なんて見苦しいです😑。やっぱラフな格好がいいね🎵🎵🎵🎵