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いつも素晴らしい講義ですが今回は「いいね」をさらに100回程押したくなる講義でした!カタカナはほんと大事ですね!!
カタカムナ文字を少しずつ勉強しています。小名木先生のお陰でまたより深く文字の意味を知る事ができました。ありがとうございます😊先生はいつも字がお綺麗ですね!
ひらがなの起源は誰も疑う余地がないと思います。しかしカタカナの起源については腑に落ちない点もあり、小名木先生の説明がす~と納得感があり、素晴らしかったです。男系の「霊(ひ)」の考えが戦後完全に消されているのだなぁ~と感じました。
本当にすごい。胸にストンと落ちてくる感じです。本当にいい動画をありがとうございます。
歴史的事実として、戦前は小学校でもまずカタカナから教え、その次にひらがなを教えていました。これは戦前に学校を卒業した親から聞いたので間違いありません。戦後、法律文書もひらがなに置き換えられましたが、少なくともカタカナが消されることなく残ったことは、とても良かったと思います。
小名木先生の講義は、観る前に先ず👍押しますね…💧🔔〜🙏。
子供の頃、東北にある親の実家辺りでは、学校に行けなかった人はカタカナしか書けないとか言われてたりしたような記憶がありますが、逆なんですね。今日も勉強になりました。ありがとうございます。
とても面白いお話しを有り難うございました。カタカナ表記に対する印象として、カタイ、外来語、よく分からない言葉、漢文の訓読み、改まっているなど、日常にはないものを表記するときに使うのかなと思ってました。元々神代文字だったと考えると、この距離感はカタカナ表記にそもそも具わっていた特性だったのかもしれないなと思いました。
小名木さんのお話は楽しく学べるので良いですね✨
いつも勉強になります。ありがとうございます。カタカナは外国語発音を書いたり和製英語を表記する時に使うイメージでした。神様をなぜカタカナで書いているのかも納得しました。これからも先生の動画で勉強して日本人の誇りを取り戻したいと思います。
『雨ニモ負ケズ』の原文もひらがな使わずに書いてたので何故だろうって思ったやっと解決できました小名木先生ありがとうございます👍️
日本は神と共にある国であることを実感しました。漢字、ひらがな、カタカナの3つの表記に加えて古代からの文字もある日本語は奥深い。
本当にghq は何もかも日本の価値観をひっくり返したものですね。
そうなんですね。ビックリでした。楽しく学ぶ事が出来有難いです。有難う御座います。
現代カタカナは外来語の読みですが、戦前は皇室文書か法律に使用されていました。つまりカタカナは高貴な者の言葉として扱われていたようです。実家にある一番古い聖書もカタカナ表記でしたね。読みづらいことこの上ない(苦笑)
この内容は、NHKで放送するべき内容ですね。🧏♀️
今回は内容も非常に興味深いけども、先生の字の上手さも楽しめる講義になってますよね。
勉強になります。
大昔は漢字ばかりで、カタカナはここ1~2世紀の間に生まれた文字かと思っていました。神代文字がルーツという説もあるのは驚きです。調べてみると確かに、平仮名よりカタカナのほうが古いみたいですね。笑い話ですが、競馬をするとカタカナに強くなりますよ。
恥ずかしながら生れて初めて伺ったお話でした、よく理解出来ました。外来語は「カタカナ」で書くのがイイですね。「ちょこれーと」「はんばーぐ」も観直すとイイですね(爆笑)「れすとらんのめにゅー」も「ひらがな」ですか~アッチャ~御免なさい。先生のご講義はとても興味深いです、お聞きしてて楽しいです。有り難う御座いました(90歳です)
先生の字の上手さに震える
ですよね!崩し文字絶対読める方でしょうね。
先生の著書にサインを頂いた事がありますが、目の前で筆ペンでサラサラと書かれる様がまさに書家でした。
タブレットに書いてるのにうまいし、考えながら喋りながらやってるのに。すごい❗️❗️字が綺麗になりたいっ!٩( ◉ω◉ )و
カタカナって漢字の部首等その一部から作られたってことに平仮名との併用に於いて違和感(二種類の仮名の必要性が見いだせない。)を感じてたけど神代文字だったって説の方が説得力があると感じるね。
戦前の公文書は、全部「漢字とカタカナ」で文語体。明治憲法だけでなく、民法、刑法なども全部、漢字とカタカナ。戦後になってからも、「一部改正」ではそこだけ平仮名にするわけにもいかず、相変わらずカタカナで改正していましたが、平成になって、ようやく読みやすくということで、全部「漢字とひらがな・口語体」に改正されました。古来、日本人は「漢文」を「訓読」してきましたが、その時に用いるのが一貫してカタカナ。公文書は漢字中心なので、当然カタカナが使われてきたのだと思います。昔は電報もカタカナでしたが、やはりカタカナの方が「正式」という意識があったのではないかと思います。「漢文を訓読するときに既にカタカナがあった」という考え方も十分ありうるのではないでしょうか。
考えたこともない講義内容でした。びっくりしました。
大日本帝国時代を生きていたお年寄りは、カタカナを使うことが当たり前だったようです。女子でも高等女子学校出身の方年寄りはカタカナをよく使ってました。
昔、明治生まれの祖母が何かメモを書くとき、カタカナだったのですごい違和感がありました。昔の学校はカタカナしか教えてなかったのかな、と思った記憶があります。
昔の小学校ではカタカナから教えてました。戦前の教科書を見てみて下さい。平仮名は僅かに使われてるだけです。カタカナは直線と曲線しかなく単純で描きやすく、平仮名はあ・ね・を など複雑な字が多いですよね。本来小学校はカタカナから教える方が合理的だと思います。
漢字も草書が先だという説がありますね。「殷これ元倭なり」という碑文から鑑みて、漢字の元はカタカムナの可能性がありますね。
めっちゃ面白い!
勉強になりましたー!!
ということは、海外から入ってきた言葉をカタカナ表記させる意図もありそうですね
平仮名もカタカナを参考にして作られたように見えます。違う文字というには似過ぎです。
私の勤めていた重電会社の設計から製造現場への指示書は「漢字」と「カタカナ」でしたコピー機のない時代 カーボン紙をはさんて 原紙+7枚コピーに記入する為 力強く書ける「カタカナ」 でないと7枚に転写できない「ひらがな」だと字が薄くなり 指示ミスや誤作につながる現在はコピーしてますがこの「カタカナ」混じりの伝統が残っています。
カタカムナは文字の他に音階も示していたという口伝があるようです。神事の継承に用いていたそうな。音階があると言えば神楽ですね。とても説得力のある口伝でした。今年は御柱祭があるので諏訪にまつわるお話しも可能であればお願いします。調べれば調べるほど濃い情報が出てきて本当に面白いです。諏訪がユダヤにルーツを持つのではなく、ユダヤが諏訪にルーツを持っているんじゃないかと思えるぐらいです。個人的には後者と思ってますが。諏訪の末子相続という伝統は「モリヤ」がルーツ、タケミナカタは出雲にいなく諏訪にいた、出雲で敗けたのはタケミナカタではなくコトシロヌシであった、タケミナカタとモリヤの対決は旧約聖書でモーセがエジプトを脱出する時のエピソードと同じ、時代と共に西から東に東征したのはところてん方式、など色々質問して聞いてきました。オフレコ内容とかも半端なかったです。縄文時代の諏訪、地形や遺跡、黒曜石の分布、火山噴火の歴史、古神道の流儀、信仰の対象、役割分担、など掘り下げるのが夜寝れなくなるぐらい面白くなりました。是非!
勉強になりました。外国語をカタカナ表記で使っている日本は 海外より 発音が上手くできずコンプレックス。カタカナのせいではないか?と思っていました。『日本の伝統文化を継承する文字』敬意を持って使います🙏
いや、カタカナのせいではないでしょう(笑) GHQと文科省,学者,教育労組,メディアのせいですね。いくら時間かけて勉強しても英語ができるようにならない そういうダメなやり方(翻訳)を意図的にやらせているからです。
きりすと、さひえる、へるり、しよはん、へえとおへん、まつかあさあ、くあむ、さいはん...確かに戦前の文学作品では仮名文字は逆でしたね。
ひらがなとカタカナが漢字から、2種類生まれた必要性が、わかり難かったが、今とは異なる理由があったんですね。
全く先生の言う通りですぼくもかな文字の起源を調べたことがあり、片仮名については漢字起源を疑っていましたそこで出会ったのが神代文字ですとはいえそのほとんどが出所不明しかしここに片仮名の片鱗があることに気づきました
漢字起源だと書かれている学説に根拠はあるのですか? いつもの古代日本に文明や文化があってはならないから、すべてチャイナ起源にでっち上げるというものですか?
漢字からカタカナは一部は納得出来ても以前から違うのではないかと思ってた、昔の文字には色々あったらしく その中の一つに草文字があり これにも何種かあるらしい、菅原道真と平将門の有名な和歌を観た事あるが現代人には読めないが ひらがな表記も載って居たので意味は解った。ミミズが地を這っているような文字で これを簡略化したら ひらがなになるような気がしてるけれど50音表が無かったので自信は無い。
達筆ですね。[カタカナコトバ]から(ひらがなことば)にして日本人を腑抜けにしようとしたんですね。
カタカナにムを入れたらカタカムナになるなぁとは思ってました😦小学校の時には文字の成り立ちを見てるのが好きで見てましたが、カタカナはん?と思ったので、私なりに平仮名を簡単にしたものがカタカナだと思うようにしてました(笑)(それでも所々変ですが)カタカムナを検索してみます😊
ありがとうございます。
小学校で最初に学ぶのはカタカナだった。読みづらくはない。難しいのは変体仮名。江戸時代までは変体仮名が多かった。男も女も寺子屋では同じように学んだはず。時代が変わると奇妙な解釈がまかり通る。
カタカナから学ぶって合理的ですよね。
@@日本人で良かった-e1f様時代が変わると言葉が変わってしまう事は避けられませんが何か失ってしまっているのではないかと寂しくもあります。時代劇が現代語丸出し、なにか違和感。
@@田織園斎 様 至極同感です。もし良ければ『旧かなづかいで書く日本語』萩野貞樹/著書 幻冬舎新書/出版 を一読してみて下さい。なかなか面白いですよ。
@@日本人で良かった-e1f様ありがとうございます。旧仮名興味深いですね。残念ながら視力の90%を喪失し本が読めません。 旧仮名では「い」と同音のいがあり「え」も同様に同じ発音のえがありました。犬はいぬではなかったと記憶しています。確かカタカナでは井
@@田織園斎 い→ゐ イ→ヰ え→ゑエ→ヱ になります。例えばヰセキ、ニッカウヰスキー、ヱビスビールなどです。お体ご自愛下さい。
カタカナは、日本の古代文字だと思います✨どう見ても漢字から来たって思えません😊後付で漢字から取ったって言っていると思います🧐
書道を練習したり、古文書を読んでみたりすると平仮名カタカナが漢字から生まれたのが、よくわかるようになります。
そうですね、GHQが日本の学者,文科省にインチキな説,理論をつくって日本人に教え拡散するように命令したというのは如何にもありそうなことです。日本の憲法や法律はすべてそうやって書き換えられたものですし、歴史もほとんどそうです。その他にもたくさんありますね。それが日本の大学,学者,文科省,メディア,教育労組,日本学術会議であり利権構造です。
カタカナ、カタカムナ、、関係がないとは言い切れない母音を感じますね。
トーヒヤラーリ トヒトヒヤラリ トヒトヒャイトロ ヒャイヒャイヒャウヒャイト ヒャウヒャイトロヒャイトロヒャイト ヒャウトロ フヤラーラーイララト ヒーヒャーイヒャラリコ テン これは我が故郷、愛知県三河地区にある小さな城下町に伝わる ” 獅子舞 ”の笛を教わる時、まず初めにこの様に歌ってメロディーを覚え、それに合わせて指の動きを覚えてゆくものです。トヒャー イーヒャイト イヒャイトー トーヒャー イオヒャー トーヒャーイト ヒオヒャートヒャーイトロヒャー イーヒャイトー トヒャーイトロトヒャーイト イオヤー トヒャーイトロヒャー ヒーヒャイトー 、、、、と後はまた繰り返しとなり延々と目的地、つまり町外れの天王町にある八幡神社に至るまでの道中をねりあるいてゆく時に吹く ”道行き” の笛の歌です。偶然に、この意味不明な歌により篠笛を先輩たちから伝えられて来たわけですが、これと古代の倭語 の間に何か関係があり、しかも神への伝達、お知らせ、の様な意味があったのではないか?という閃きがあったのです。と言いますのも、”古代の婚姻”について、調べていたところ、” 男女どちらか(ツマ)の求婚の よびかけ(トヒ)ではじまり、、、”と書かれていたのを見つけたからです。この トヒ と 獅子舞や道行きの歌の中のトヒ 、トヒャイ、 トヒャウ などという言葉と関係があるのでは?つまり、トヒ が始まりを表す ’ よびかけ ’であるならそれに続く、極めて単純な歌のくる返しは、神に捧げる笛の音による音を代弁している 讃歌ではないだろうか?などど思ったわけです。東京にいた時、しばらくの間、鳳声晴光先生について、江戸祭囃子の笛の手解きを受けたことがありました。トヒヤオー イトロヒオヤー トロー ヒー オー ヤー ヒオ トロー 、 オヒャイトーヒャイ トヒャオトロ トヒャイツー トエヒャオトロ ヒャイトヒャ ヒエ トーヒャオヒャ ヒーヒャイヒャイトロ トーヒャーイー トーヒャーイー チエヒャイトーロー オヒャイトーヒャイ トーヒャオトロ トヒャーイーツー トエヒャオトーロー ヒャイトヒャ ヒエ トーヒャオヒャ トーヒャーイー チエヒャイトーロー、、、と続き、最後に、チヒーヒ チヒ と言う甲高い音で締めくくるのですが、ここでもやはり トヒャー というような言葉の出てくる歌を最初に楽譜のようにして覚えさせられました。古代大和言葉とお囃子に使われている単純なことばの持つ意味に関連があるのでは?
カタカナを取り入れて新たな漢字を作ったように見える。さんずいはカタカナのシにしか見えない。大和言葉でシは水を表す音。
格調高いお話しですね
あひる文字ってハングル?母音子音のパーツが同じのがたくさん
戰前から神代文字の存在に對しては否定的でしたよね。神代文字の學術的硏究はもつと進で宜いと思ふのですけど、中々進まぬ原因は何でせうね。
文科省,教育労組,学者,メディアが政治的理由で否定的であり、民間の研究者によるからでは?その背後にはGHQや民族組織,共産主義組織やチャイナ,半島などの国家権力があるのでは?
記憶が曖昧で申し訳ないですが、以前カタカナを考案した昔の文部省関係の人だったと思うのですが、そんな動画を見て納得していましたが今回漢字の渡来以前にカタカナが使われていたと聞き、ちょっと混乱しています。阿比留文字というのはハングル文字に似ているので、ひょっとしたら対馬國のト部阿比留氏より伝わったという説もありなのかなとこの講義を聞いて思いました。面白かったです、ありがとうございました。
この動画のお話とカタカナをヘブライ語に当てはめた説を組み合わせると衝撃を受けました。
なるほど
結美大学の「結び」は「産霊(むすひ)」と同じような意味ですかね?
何気に、阿比留文字を見ると、どこかで見た様な。そう、ハングル文字に似ていますね。阿比留文字から、カタカナが生まれたとしたら、ハングル文字が、お手本なのでしょうか?それとも逆に、阿比留文字から、ハングル文字が出来ているのでしょうか?
ハングルは満州文字が起源であると宮脇淳子先生がおっしゃってました
日本神話の神様の名前をひらがなで書くと感覚的に違和感あった理由が解けたような気がします。
なるほど!アメノウズメから名前を取っていると思われる『すずめの戸締まり』のすずめも、神様と人を繋ぐ存在だったもんね💡
なるほど、理解できました。生むのは、女だから、天照大神は、女?。でも、魂・神霊を、伝えて行くのは、男。八百万の神は、自然神だから、男でも在り、女でも在る。先生の言った、魂は、金玉・金珠で、繋いで行くは‼️、マジ、笑えた‼️。まぁ、でも、太陽は、女の笑顔に、確かに、似ている。
男性が私的にカタカナを使っていたのは鎌倉時代までですよ。公文書は漢文で書かれていましたし。明治政府が権威付けのために法文や布告にカタカナを復活させただけで一般にはみなひらがなを使っていました
「かな」とは神の名のことで、神名と書いて「カナ」と読みます。動画内で触れられているカタカムナとは神名(カムナ)の象(カタ)のことで、神象図です。カタカムナは神象図なので、神の働きを立体的に表現していて、対して平神名(ひらがな)は神の働きを平面的に表現して造られた文字と言えます。
カナは假名で、真名と対になる言葉です。
興味深いです…ただ、平仮名は漢字から、片仮名は神代文字からとすると、平仮名と片仮名が似ているのが気になります。「へ」はもう全く同じみたいなものですし、「き」「し」「せ」「や」等もかなり似ている。「ウ」「カ」「ツ」「ネ」みたいに平仮名の元となった漢字と繋がりがあるようにしか思えないものもある。偶然にしては出来すぎな気がするし、そんなに似せたり繋がりがあるような形にするかな?と思う。
カタカナは元々漢文を読むためのものと思っていました。和漢混淆文が出てくるまでは、漢文か平仮名だけの文章と極端でしたし。漢字+カタカナが男性が使うのは、その名残りかと思います。漢字+平仮名の文章は、大正時代の文章でも見かけたので、戦後、そうなった、というのはちょっと腑に落ちなく感じております。
私は現在62才です。幼稚園に入る前、お爺さんやお婆さんが、「これからはカナは平仮名を使うんだよ」と教えてくれました。その様に、私が小学校に入る頃はカナは全て平仮名でした。が、幼稚園の頃は、未だチラホラ、カタカナのカナで書かれた文章を見ました。誓約書何かは、カタカナでしたね。
ムー大陸の生き残りが日本に着いて神代文字を伝えたと思う。
40年以上台湾に住んでいる者です。「之」をカタカナの「シ」に近い(もちろん完全に同じではありませんが)書き方をする人もいます。カタカナは元々僧侶が仏典を読んだりする際、漢字とあまり違和感のないように漢字から作ったものとされており、私もそう思います。またかつての軍国主義時代は見た感じ弱々しいひらがなより力強い感じのするカタカナが好まれたとも聞いております。大日本帝国憲法もそのような経緯があって漢字とカタカナが用いられたのでしょう。神代文字云々はちょっと盛りすぎなのでは?
効果音も文字で表せばカタカナですね 「ドッカーン」「バキューン」
カナ文字に性別があるとは?漢字より古いのか、ラブラブと云ってテレるな。あびる文字は阿比留氏と関係が有るのでしょうか。
カタカナは外国人からしたら、ひらがなよりも書きやすいですよね。
実は意外にも平仮名の方が簡単なんですよ~カタカナは習得するのが難しいんです。
仏教が起源云々ってのは聞いては居ますけれど?、これも漢字の影響大ってのは有るや無しやですけれど?、何となくで説明は出来るかもだが、読みについては多少の変遷は有るでしょうが、今や、外来語由来を発音したりするって、比較的に新しい物程に表す傾向は有るみたいですよね?。
男と女の役割が明確に分かれているのが古代日本の考え方と理解しているのですが、昨今はジェンダーレスが当たり前の世の中になりつつあるとおもいます。この点において現代でも上手く解釈できるものなのかを知りたいです。
小名木先生、国立科学博物館長を務めた篠田謙一さんのアイヌ論文についての感想はいかがですか。
カタカナは、漢字のへんやつくりから造ったものじゃなかったんですね。カタカナにした漢字と、ひらがなにした漢字が、どうして違うのが、あるのか不思議だったんですよ。カタカナの文字が、神代文字とは恐れいったね。漢字が日本に伝わったときには、まだ神代文字が使われていたことになるのかな?神代文字が現代にもあること、これは素晴らしい。どこぞの国と違って抹殺することはしなかったんだ。祖先の人達の知恵だね。感謝!感謝だ。
仏教僧が使ってたのカタカナと思ってた。カタカナで書かれた仏教の歌詞あるよ。時代每に使われる字体があった。仏教僧が神代文字を使う?催馬楽を読むとき変体仮名を調べると読める。平仮名の成立分かる。
大体ひらがなよりカタカナは200年も早く成立したと云う。それも突然だ。平仮名は万葉文字が草書に砕けてやがて一つの独立した文字になっていった。しかしカタカナは突然800年代または700年代に突然出現。部首からとったにしては、ラなんてどこから来たかわからない。53年前ドイツでイスラエルの学生と話したとき、私のリュックサックのロゴを見てこれ、KIって読むんだろ?と指さした。そこにはメーカーの説明らにキの字があった。その時は何も感じなかったが最近なにかユダヤに関係あると思い始めた。
面白い。
カタカナってユダヤ文字と同じだぁーと思えるのですが、こちらの考察もお願い致します。
是非ハングルは日本人が作った話もして欲しいですよね。
そうか〜 神代文字からカタカナ文字ができたのか? 霊を繋ぐのか〜
私は漢字もカタカナも刀に鑽で名とか刻む事によってできたと独断と偏見で考えています。笑笑
タマタマ→魂 なんですね😲💦
カタカムナとかいう次元空間貫きそうな文字
40(50)音表漢字のつくり へんが元って習いませんでしたか? 常用漢字はかなり後です。明治時代の東京はトンキン(ベトナム)でしたので「東亰」記載でトウキヤウのふりがな、大正頃やっと普及で「東京」です。廃藩置県にかなりの年月かかり新聞書籍普及に伴いバラツキありましたよ。昔の人の方が知っていると思いますが…新説ならオモロイです。
変体仮名が三百種類くらいあり明治時代に五十個くらいにした。しかし屋号とか昔のまま使ってたので、今でも読めないような看板がある。別に読めんでも美味けりゃ客は来るので、関係ないが。古文書は書道で習う行書、草書、変体仮名を覚えんと読めない。楷書は経典とか文字を正確に書くやつが主流、崩し字は梵語とか却って難しい字を使う。結局全部覚えたいが、漢字自体が十万種類あるらしいので無理。漢字五万種載ってる辞典が、話題になった事もある。そして片仮名、何か由来が納得出来ない。(むすび豆蔵より)
神代文字ー1(じんだいもじ、かみよもじ)とは、漢字伝来以前に古代日本で使用されたと紹介された多様な文字、文字様のものの総称である。江戸時代からその真贋について議論の対象となっており、現代の研究水準において存在の確証が得られているものはない。概説神代文字と称されるものには、神話や古史古伝に深く結びつき神代に使用された文字であると主張されているものと、後代になって神代文字の一種とみなされるようになったものとがある。主に神社の御神体や石碑や施設に記載されたり[1]、神事などに使われており、一部の神社では符、札、お守りなどに使用するほか、神社に奉納される事もあった。また、機密文書や武術の伝書のほか、忍者など一部の集団で秘密の漏洩を防ぐために暗号として使用されたという。江戸時代の藩札の中には、偽造防止のため意図的に神代文字を使用したものもある。鎌倉時代のころから朝廷の学者によって研究されたほか、江戸時代にも多くの学者に研究されたが、近代以降は現存する神代文字は古代文字ではなく、漢字渡来以前の日本に固有の文字はなかったとする説が一般的である。その一方で、神代文字存在説は古史古伝や古神道の関係者を中心に現在も支持されている。明治のころまでは、単に「古い時代にあった(未知の)文字」という意味で「古代文字」と呼ばれるものもあり、遺跡や古墳、山中で発見された文字様のものがそう呼ばれた。この例としては、筑後国で発見され、平田篤胤の著書で有名になった筑紫文字、北海道で発見されたと主張されたアイノ文字等がある。歴史和字考敬光。寛政5年(1793年)。ヲシテの解説。古字について言及したものは『日本書紀』(720年)の「帝王本紀多有古字」であるが、神代の文字の可能性としてはじめて言及した文献は、鎌倉時代の神道家の卜部兼方の『釈日本紀』(1301年以前成立)である。兼方が『日本書紀』の原典の一つに『仮名日本紀』を挙げた[2]事に対する疑問と仮名の起源について答える中で、家伝として「肥人之字」の存在を挙げ[3]、続けて「於和字者、其起可在神代歟。所謂此紀一書之説、陰陽二神生蛭児。天神以太占卜之。乃卜定時日而降之。無文字者、豈可成卜哉者。」と述べ、『日本書紀』の、神代に亀卜が存在したとの記述から、文字がなければ占いはできないとして、神代から文字が存在した可能性を示した。その後、卜部神道では神代文字の存在を説くようになった。たとえば、清原宣賢(吉田兼倶の子)は『日本書紀抄』(1527年)で「神代ノ文字ハ、秘事ニシテ、流布セス、一万五千三百七十九字アリ、其字形、声明(シャウミャウ)ノハカセニ似タリ」と、神代文字の字母数や字形等について具体的に述べている。(例えば、伊勢神宮等で発見された阿比留草文字等の神代文字は声明や謡曲譜本の節博士に似ている。)清原宣賢が「秘事ニシテ、流布セス」と述べているように、神代文字の実物とされるものは一般に示されなかったが、江戸時代に入ると尚古思想の高まりにより、神代文字存在説も盛んになり、実物とされるものが紹介されるに至る。数十種類の文字が紹介されたが、過去に卜部神道が述べていた特徴からかけ離れたものも多く、出典となった書籍や発見場所などから名付けられた。江戸時代の神代文字の研究としては、平田篤胤が否定論から肯定論になって最初の論である『古史徴(こしちょう)』第1巻『開題記』所収「神世文字の論」、そして『神字日文伝(かんなひふみのつたえ)』とその付録『疑字篇』が著名である。また、鶴峯戊申(つるみねしげのぶ)は『嘉永刪定神代文字考』において天名地鎮(あないち)文字を世界のすべての文字の根源であると説いた。ほか、三井寺(園城寺)住職の敬光による『和字考』など、数多くの研究がなされた。それらの研究を集大成したのが落合直澄の『日本古代文字考』である。戦後の著名な論考として、神代文字実在論を「妄説」とした山田孝雄の『所謂神代文字の論』があり、実在性を問題とした研究史に終止符を打ったことで知られる[4]。現代では、清水豊、山下久夫、岩根卓史などによって、平田篤胤の思想研究のための「疑字であることを前提とした」神代文字研究が行われている[5][6][7]。主な神代文字と主張された記号荒神山の御札。左側にあるのが神代文字。「神代文字の一覧」も参照古史古伝とかかわりが深い文字天名地鎮 - 太占と関係があるという。ヲシテ - 『ホツマツタヱ』に使われた文字。カタカムナ文字 - カタカムナ文明で使われていたとされる。サンカ文字 - 豊国文字を基にした三角寛の創作とされる。豊国文字 - 『上記』(うえつふみ)において用いられる。物証を伴うが壁画や記号であって文字ではないとされる事が多いもの北海道異体文字 - 北海道で発見された。筑紫文字 - 筑後国の重定古墳にある壁画を文字とする見解。甲骨文字、金文など漢字(の原型)との類似が指摘されているもの阿比留草文字 - お札等によく使われる、比較的メジャーな神代文字。琉球古字 - 琉球で占いに使われたという文字。その他阿比留文字 - 対馬に伝わる。阿波文字 - 阿波国名東郡の神社で発見された。出雲文字 - 出雲国の書島(ふみしま)で見つかったとされる。対馬文字 - 対馬に伝わり、現在も神事に使われる。議論肯定論側には目的の異なる多様な主張(すべての文字の基になったものだとするものから、ただ意味を表す記号が存在していたと主張したいだけのものまで)が存在し、否定論側もそれぞれの主張に対する反論であるため、全ての記述が神代文字全般にあてはまるわけではない。また、言葉の定義が一定ではない為、すれ違っている主張もある。
昔の書物はなんで読みにくいのだろうと思うことが良くありましたが、GHQの占領政策の影響だとは知りませんでした。
光エネルギーを食べる『ライトボディの目覚め』『アセンションするDNA』『プレアデス+かく語りき』『ET地球大作戦』
カタカナは、平安時代の頃の坊さんがお経を読む時のルビが発祥。だから男性文字。ひらがなは、平安時代の女官の書く草書が発祥。だから女性文字。で明治時代に明治政府が男性文字であるカタカナと漢字の混交文を推奨したと聞いたことがある。因みに、戦国時代の武将や幕末の坂本龍馬の手紙なども漢字ひらがな混じり文章の様です。
これって漫談ですか?これほど荒唐無稽な珍説が何らの科学性もなく堂々と語られていることに感動しました。もう少し勉強しないと、小学生や中学生だって観てるわけだからなあ。含羞は日本人の誇りだったはずですが、現憲法は思想良心の自由を保障しています。現憲法に感謝しなければいけませんね。
カタカナって「空海」が発明したと聞いたけど。
漢字を開いたから「ひらがな」ですね。
こういった日本語の歴史分析は好きですね。今ある事実を根拠としてそこから自然な変遷の流れに感じ、中国や世界からの論理展開には不自然な流れが違和感を感じ更には突き詰めていくと矛盾が出てきたりする。それはたぶん事実を無視した妄想を無理やりつなげているからその歪が出てくるんだと思います。中国から伝来したという部分を全て排除して考えるとすんなり入ってきます。
それよりさらに踏み込むと国際政治や利権構造が現れてきそうです
女の子が「可愛いから」という理由でなんでもひらがにしてしまうけど、発端も「可愛いから」だったりして。
12:58 総ツッコミする姿が見えた
林佑香、肩ハ綺麗ダネ❤❤❤
朝鮮語のハングルの元は阿比留文字でしょうね。🧏♀️
そうみたいですね。
そっくり。
ハングルは日本人が作り教科書も日本人が作りました。
漢字の伝来以前に神代文字が存在していたことを確定された事実のように前提としていますが、神代文字の考古学的物証としては南北朝時代の物が最古らしいです。石に刻まれた神代文字にしても時代相応の風化が進んでいないのも不自然。神代文字を実在とする論調では風化していない理由として50年〜100年毎に彫り直しをしている人達がいるからという苦しい説明。漢字以前に神代文字が実在していたならそういうメンテナンスから離れた遺跡があるはずです。神代文字は実在したかもしれませんが、その可能性は今の所はかなり低いと感じます。神代文字が何かの権力に迫害を受け、その迫害から守ろうとする集団によって密かに綿々と受け継がれてきた、というロマンであるなら否定できないですけど。
万葉仮名ー1(まんようがな)は、主として上代に日本語を表記するために漢字の音を借用して用いられた文字のことである。『萬葉集』(万葉集)での表記に代表されるため、この名前がある。漢字(真名)を使った仮名であることから、真仮名(まがな)、真名仮名(まながな)[1]ともいう。仮借の一種。概要「波奈」(花)、「也麻」(山)のように、漢字をその字義にかかわらず日本語の音節の表記のために用いるのが万葉仮名の最大の特徴である。『万葉集』を一種の頂点とするので万葉仮名と呼ばれる[2]。『古事記』や『日本書紀』は漢文主体だが、歌謡や訓注などに同様の表記が用いられており、これも万葉仮名と呼ぶ。一つの音節に対して複数種の漢字が用いられ、例えば「し」に対して之、思、師、四、志など多くの漢字が使われている。大野晋の作成した一覧表(1958年)[3]から、万葉仮名で使われる漢字の数は973に達する、という説も流布している。万葉仮名の歴史万葉仮名文木簡(複製)大阪歴史博物館展示。漢字によって日本語の音を写すという点では、中国の史書『魏志倭人伝』(3世紀末)に「卑弥呼」「耶馬臺」等の先例がある。仏典でサンスクリット(梵語)の人名、地名などを漢字で表記するのと同様である。現在知られる国内最古の資料と言えるのは、5世紀の稲荷山古墳から発見された金錯銘鉄剣である。辛亥年(471年)の製作として、第21代雄略天皇に推定される名「獲加多支鹵(わかたける)大王」やその宮「斯鬼(しき)宮」、日本神話の登場人物で四道将軍の1人の大彦命に推定される「意富比垝(おほひこ)」を始祖として、鉄剣の製作者とある「乎獲居(をわけ)臣」に至る8代の系譜があり、それらの人名や地名を表記する文字が刻まれている。5世紀には江田船山古墳出土銀錯銘大刀にも、「獲加多支鹵(わかたける)大王」、「无利弖(むりて)」、「伊太和(いたわ)」という字音表記がある。なお、「癸未」銘のある隅田八幡神社人物画像鏡に「意柴沙加(おしさか)宮」、「斯麻(しま)」、「開中(かはち?)費直」の表記があり、「癸未」が443年で、かつ日本製だった場合は国内最古の資料となる(503年説や百済製説も有力)。いずれにしても漢字の音を借りて固有語を表記する方法は既に5世紀に存在していた事になる。7世紀初めの推古期になると上宮聖徳法王帝説や金石文(伊予道後温湯碑、法隆寺金堂薬師如来像光背銘、法隆寺金堂釈迦三尊像光背銘など)に多くの事例が見られる。ただし、これらの推古期遺文は年代についての異説も多い。7世紀中頃の木簡(大阪市中央区の難波宮跡出土。652年以前と推定[4])に「皮留久佐乃皮斯米之刀斯(はるくさのはじめのとし)」と和歌の冒頭と見られる11文字が記されている。7世紀末の木簡(徳島市、観音寺遺跡出土)にある「奈尓波ツ尓作久矢己乃波奈(なにわつにさくやこのはな)」は古来有名な難波津の歌を写したものとしてよく知られている。8世紀に成立した古事記・日本書紀や万葉集には多くの万葉仮名が使われている。それぞれ以下のような特徴がある。古事記(712年) - 呉音の字音を用いる。一字一音節(漢字一字で一音節を表わす)本文は漢文であるが、一部に日本語を万葉仮名で表記する。例:久羅下那州 多陀用弊流(くらげなす ただよへる)歌謡は万葉仮名で表記する。例:夜久毛多都 伊豆毛夜幣賀岐(やくもたつ いづもやへがき)日本書紀(720年) - 漢音を主とし、呉音も用いる。一字一音節。歌謡は万葉仮名で表記する。例:波魯波魯你 渠騰曽枳舉喩屢 之麻能野父播羅(はろはろに ことそきこゆる しまのやぶはら)(皇極紀)万葉集(8世紀後半) - 呉音に加え、和訓を用いる。その他、一字二音節などの表記や、十六(しし)のような言葉遊びも含め、自由な用法が見られる。また、万葉仮名を主体に表記するものと、和訓を主体に表記するものがある。仮名主体表記の例:安思比奇能 夜麻毛知可吉乎 保登等藝須 都奇多都麻泥尓 奈仁加吉奈可奴(あしひきの やまもちかきを ほととぎす つきたつまでに なにかきなかぬ)訓字主体表記の例:春過而 夏来良之 白妙能 衣乾有 天之香来山(はるすぎて なつきたるらし しろたへの ころもほしたり あめのかくやま)(持統天皇)一字一音節で漢字の字音(音読み)を用いるのが古い用例である。もっとも、漢字の音と日本語の音は必ずしも一致しておらず、例えば「ヌ」に当る音が中国語になかったため「奴」(no)の字を用いたが、この字は「ノ」とも読まれた。和訓(訓読み)は後に生まれたもので、推古期遺文にも見られる(前述のように年代の異論がある)。例えば「をはりだ」という地名は、音で「乎波理陀」、訓で「小治田」と書くことができる[5]。また、日本で一般的に使われていた音読みは呉音であり、『日本書紀で漢音(当時の中国語の音)が用いられているのは異例である[6](日本書紀中国人述作説の根拠の一つともなっている)。奈良時代にはこの他にも、正倉院文書(大宝二年戸籍、正倉院万葉仮名文書等)や金石文(仏足跡歌碑等)、木簡資料、風土記、続日本紀宣命などの例がある。平安時代に入っても「新撰万葉集」(893年、913年)のように万葉仮名が用いられていたが、やがて平仮名・片仮名が万葉仮名に代って広く用いられるようになる。平仮名は万葉仮名の草書体化が進められ、独立した字体と化したもの、片仮名は万葉仮名の一部ないし全部を用い、音を表す訓点・記号として生まれたものと言われている。ただし平仮名・片仮名が普及した後にも「催馬楽」などの歌謡、神道の祝詞、「和名類聚抄」などの辞書(漢字の読み方を万葉仮名で示す)などでは万葉仮名が使われている[7]。現代でも地名や人名(特に女性名)などで漢字の意味を離れ、音を使って書き表す例があり、万葉仮名と同様に捉えることができる[8]。
韓国語のハングルはズバリ!阿比留文字だったのですね!!韓国の人には言えない事実…
ハングルは、中央アジアの民族の文字を朝鮮語の発音に合わせて作りかえたものだと言われていて時代が随分新しいものだと思いますが?
昔のおばあちゃんの名前は女性でもカタカナが多いのはなんでですか?
「漢字の元は殷字 殷国すなわち倭国」日本語
漢字が体系化していった時、倭国の文字を人偏やうかんむりなどつくりとして採用したのですね。
へー😯漢字を作った民族はいまのチャイナ人ではなく、日本人と同じプロト-モンゴロイドだと思いますが、日本と大陸のプロト-モンゴロイドがどのくらい交流があったかわからないのですが?ふーん
昔は書き言葉と話し言葉も違ってた訳で日本語は謎だらけですね
それにしても考古学的に実証されている神代文字が未だに発見されていないのは疑問だ。従って後世ににカタカナをも参考にして、これらの神代文字が作られたとも考えられないか。
カタカナの発生と漢字、ひらがなの発生は別ではなかろうかと考えています。庶民の婦女子が書いたカタカナ文字が残っていますし生活の中のメモ書きであったり生活必需品を買う為の品物書きの羅列であったり。電報みたいな文字遣いです。カタカナは生活の中に古くからあったように思えてなりません。
上代特殊仮名遣(じょうだいとくしゅかなづかい)とは、上代日本語における『古事記』・『日本書紀』・『万葉集』など上代(奈良時代頃)の万葉仮名文献に用いられた、古典期以降には存在しない仮名の使いわけのことである。 名称は国語学者・橋本進吉の論文「上代の文献に存する特殊の仮名遣と当時の語法」に由来する。単に「上代仮名」とも呼ばれる。概要上代文献には、歴史的仮名遣では区別しない音節(具体的には、コ・ソ・ト・ノ・モ・ロ・ヨ・(ホ)、キ・ヒ・ミ、ケ・ヘ・メおよびその濁音)を示す万葉仮名が二通りにはっきりと書き分けられていることが知られている。(エにも2種類の書き分けが見られるが、こちらはア行とヤ行の区別であり、上代特殊仮名遣には含めないのが一般的になっている[1]。)二種類のうち、片方を甲類、もう片方を乙類と呼ぶ。例えば後世の「き」にあたる万葉仮名は支・吉・岐・来・棄などの漢字が一類をなし、「秋」や「君」「時」「聞く」の「き」がこれにあたる。これをキ甲類と呼ぶ。己・紀・記・忌・氣などは別の一類をなし、「霧」「岸」「月」「木」などの「き」がこれにあたる。これをキ乙類と呼ぶ。イ段・エ段の甲乙の区別は動詞の活用と関係があり、四段活用では連用形にイ段甲類が、命令形にエ段甲類が、已然形にエ段乙類が出現する。上一段活用ではイ段甲類が、上二段活用ではイ段乙類が、下二段活用ではエ段乙類が出現する。こうした甲乙の区別は、一々の単語ごとに習慣的に記憶されて使い分けられたものではなく、何らかの音韻の区別によると考えられている[2]。すなわち、上代日本語にはいろは47字+濁音20の67音でなく、それより20音多い87音(「モ」を加えれば88音、「ホ」[3]を加えれば89音。)の区別があった。後世存在しない音韻がどのように区別されていたかは諸説あって定論がないが、例えば母音が8種類あったなどと推定することが可能である。8世紀後半になるとまずオ段(コを除く)から区別が失われはじめた。このような中間的な状態は仏足石歌・宣命・正倉院万葉仮名文書・および木簡資料などに見られる。平安時代になるとほとんどの区別は消滅したが、コの区別は9世紀前半まで、エの区別は10世紀前半まで残った。音節表と万葉仮名の一覧表音節表上代特殊仮名遣における音節表。灰色部分が書き分けが存在する音節。(略)
漢字からひらがなが生まれた説は私もそう思います。しかしひらがながあるのに漢字からわざわざカタカナを生む理由が謎でしかありません。神代文字やカタカナが元々日本にはあって弥生人が統治したタイミングでカタカナにすり合わせる為に漢字からひらがなを生み出し共通語化した。と考えればすべて辻妻が合うかと思います。縄文人側はカタカナを弥生人側はひらがなを作り共通語にしたのではないでしょうか?ちなみに英語でもそうですが2種類の人種が入り混じってる状態では当然通訳者は居たと思います。イザナギも初めは縄文人側と弥生人側の神官により記載が違ったのではないでしょうか?
弥生人なるものは、ほぼ捏造だと思いますが?日本で見つかった古代の骨のDNAを調べればすぐわかることですが、大陸系のDNAとは異なると思います。 そのお話は政治的に日本に押しつけられたものと考えています。真実は真逆で、古い時代の大陸に住んでいたのは日本人と同じ人種プロト-モンゴロイドであると思います。
いつも素晴らしい講義ですが今回は「いいね」をさらに100回程押したくなる講義でした!カタカナはほんと大事ですね!!
カタカムナ文字を少しずつ勉強しています。小名木先生のお陰でまたより深く文字の意味を知る事ができました。ありがとうございます😊先生はいつも字がお綺麗ですね!
ひらがなの起源は誰も疑う余地がないと思います。
しかしカタカナの起源については腑に落ちない点もあり、小名木先生の説明がす~と納得感があり、素晴らしかったです。
男系の「霊(ひ)」の考えが戦後完全に消されているのだなぁ~と感じました。
本当にすごい。
胸にストンと落ちてくる感じです。
本当にいい動画をありがとうございます。
歴史的事実として、戦前は小学校でもまずカタカナから教え、その次にひらがなを教えていました。これは戦前に学校を卒業した親から聞いたので間違いありません。戦後、法律文書もひらがなに置き換えられましたが、少なくともカタカナが消されることなく残ったことは、とても良かったと思います。
小名木先生の講義は、観る前に先ず👍押しますね…💧🔔〜🙏。
子供の頃、東北にある親の実家辺りでは、学校に行けなかった人はカタカナしか書けないとか言われてたりしたような記憶がありますが、逆なんですね。今日も勉強になりました。ありがとうございます。
とても面白いお話しを有り難うございました。
カタカナ表記に対する印象として、カタイ、外来語、よく分からない言葉、漢文の訓読み、改まっているなど、日常にはないものを表記するときに使うのかなと思ってました。
元々神代文字だったと考えると、この距離感はカタカナ表記にそもそも具わっていた特性だったのかもしれないなと思いました。
小名木さんのお話は楽しく学べるので良いですね✨
いつも勉強になります。ありがとうございます。
カタカナは外国語発音を書いたり和製英語を表記する時に使うイメージでした。
神様をなぜカタカナで書いているのかも納得しました。
これからも先生の動画で勉強して日本人の誇りを取り戻したいと思います。
『雨ニモ負ケズ』の原文も
ひらがな使わずに書いてたので
何故だろうって思った
やっと解決できました
小名木先生ありがとうございます👍️
日本は神と共にある国であることを実感しました。漢字、ひらがな、カタカナの3つの表記に加えて古代からの文字もある日本語は奥深い。
本当にghq は何もかも日本の価値観をひっくり返したものですね。
そうなんですね。ビックリでした。楽しく学ぶ事が出来有難いです。有難う御座います。
現代カタカナは外来語の読みですが、戦前は皇室文書か法律に使用されていました。
つまりカタカナは高貴な者の言葉として扱われていたようです。
実家にある一番古い聖書もカタカナ表記でしたね。読みづらいことこの上ない(苦笑)
この内容は、NHKで放送するべき内容ですね。🧏♀️
今回は内容も非常に興味深いけども、先生の字の上手さも楽しめる講義になってますよね。
勉強になります。
大昔は漢字ばかりで、カタカナはここ1~2世紀の間に生まれた文字かと思っていました。神代文字がルーツという説もあるのは驚きです。
調べてみると確かに、平仮名よりカタカナのほうが古いみたいですね。
笑い話ですが、競馬をするとカタカナに強くなりますよ。
恥ずかしながら生れて初めて伺ったお話でした、よく理解出来ました。外来語は「カタカナ」で書くのがイイですね。
「ちょこれーと」「はんばーぐ」も観直すとイイですね(爆笑)「れすとらんのめにゅー」も「ひらがな」ですか~アッチャ~御免なさい。先生のご講義はとても興味深いです、お聞きしてて楽しいです。有り難う御座いました(90歳です)
先生の字の上手さに震える
ですよね!
崩し文字絶対読める方でしょうね。
先生の著書にサインを頂いた事がありますが、目の前で筆ペンでサラサラと書かれる様がまさに書家でした。
タブレットに書いてるのにうまいし、考えながら喋りながらやってるのに。すごい❗️❗️字が綺麗になりたいっ!٩( ◉ω◉ )و
カタカナって漢字の部首等その一部から作られたってことに平仮名との併用に於いて違和感(二種類の仮名の必要性が見いだせない。)を感じてたけど神代文字だったって説の方が説得力があると感じるね。
戦前の公文書は、全部「漢字とカタカナ」で文語体。明治憲法だけでなく、民法、刑法なども全部、漢字とカタカナ。戦後になってからも、「一部改正」ではそこだけ平仮名にするわけにもいかず、相変わらずカタカナで改正していましたが、平成になって、ようやく読みやすくということで、全部「漢字とひらがな・口語体」に改正されました。
古来、日本人は「漢文」を「訓読」してきましたが、その時に用いるのが一貫してカタカナ。公文書は漢字中心なので、当然カタカナが使われてきたのだと思います。昔は電報もカタカナでしたが、やはりカタカナの方が「正式」という意識があったのではないかと思います。「漢文を訓読するときに既にカタカナがあった」という考え方も十分ありうるのではないでしょうか。
考えたこともない講義内容でした。びっくりしました。
大日本帝国時代を生きていたお年寄りは、カタカナを使うことが当たり前だったようです。女子でも高等女子学校出身の方年寄りはカタカナをよく使ってました。
昔、明治生まれの祖母が何かメモを書くとき、カタカナだったのですごい違和感がありました。
昔の学校はカタカナしか教えてなかったのかな、と思った記憶があります。
昔の小学校ではカタカナから教えてました。戦前の教科書を見てみて下さい。
平仮名は僅かに使われてるだけです。
カタカナは直線と曲線しかなく単純で描きやすく、平仮名はあ・ね・を など複雑な字が多いですよね。
本来小学校はカタカナから教える方が合理的だと思います。
漢字も草書が先だという説がありますね。「殷これ元倭なり」という碑文から鑑みて、漢字の元はカタカムナの可能性がありますね。
めっちゃ面白い!
勉強になりましたー!!
ということは、海外から入ってきた言葉をカタカナ表記させる意図もありそうですね
平仮名もカタカナを参考にして作られたように見えます。違う文字というには似過ぎです。
私の勤めていた重電会社の
設計から製造現場への指示書は
「漢字」と「カタカナ」でした
コピー機のない時代
カーボン紙をはさんて
原紙+7枚コピーに記入する為
力強く書ける「カタカナ」
でないと7枚に転写できない
「ひらがな」だと字が薄くなり
指示ミスや誤作につながる
現在はコピーしてますが
この「カタカナ」混じりの
伝統が残っています。
カタカムナは文字の他に音階も示していたという口伝があるようです。神事の継承に用いていたそうな。音階があると言えば神楽ですね。とても説得力のある口伝でした。
今年は御柱祭があるので諏訪にまつわるお話しも可能であればお願いします。調べれば調べるほど濃い情報が出てきて本当に面白いです。諏訪がユダヤにルーツを持つのではなく、ユダヤが諏訪にルーツを持っているんじゃないかと思えるぐらいです。個人的には後者と思ってますが。
諏訪の末子相続という伝統は「モリヤ」がルーツ、タケミナカタは出雲にいなく諏訪にいた、出雲で敗けたのはタケミナカタではなくコトシロヌシであった、タケミナカタとモリヤの対決は旧約聖書でモーセがエジプトを脱出する時のエピソードと同じ、時代と共に西から東に東征したのはところてん方式、など色々質問して聞いてきました。オフレコ内容とかも半端なかったです。
縄文時代の諏訪、地形や遺跡、黒曜石の分布、火山噴火の歴史、古神道の流儀、信仰の対象、役割分担、など掘り下げるのが夜寝れなくなるぐらい面白くなりました。是非!
勉強になりました。外国語をカタカナ表記で使っている日本は 海外より 発音が上手くできずコンプレックス。
カタカナのせいではないか?と思っていました。『日本の伝統文化を継承する文字』敬意を持って使います🙏
いや、カタカナのせいではないでしょう(笑) GHQと文科省,学者,教育労組,メディアのせいですね。いくら時間かけて勉強しても英語ができるようにならない そういうダメなやり方(翻訳)を意図的にやらせているからです。
きりすと、さひえる、へるり、しよはん、へえとおへん、まつかあさあ、
くあむ、さいはん...
確かに戦前の文学作品では仮名文字は逆でしたね。
ひらがなとカタカナが漢字から、2種類生まれた必要性が、わかり難かったが、今とは異なる理由があったんですね。
全く先生の言う通りです
ぼくもかな文字の起源を調べたことがあり、片仮名については漢字起源を疑っていました
そこで出会ったのが神代文字です
とはいえそのほとんどが出所不明
しかしここに片仮名の片鱗があることに気づきました
漢字起源だと書かれている学説に根拠はあるのですか?
いつもの古代日本に文明や文化があってはならないから、すべてチャイナ起源にでっち上げるというものですか?
漢字からカタカナは一部は納得出来ても以前から違うのではないかと思ってた、昔の文字には色々あったらしく その中の一つに草文字があり これにも何種かあるらしい、菅原道真と平将門の有名な和歌を観た事あるが現代人には読めないが ひらがな表記も載って居たので意味は解った。ミミズが地を這っているような文字で これを簡略化したら ひらがなになるような気がしてるけれど50音表が無かったので自信は無い。
達筆ですね。
[カタカナコトバ]から(ひらがなことば)にして日本人を腑抜けにしようとしたんですね。
カタカナにムを入れたら
カタカムナになるなぁとは思ってました😦
小学校の時には
文字の成り立ちを見てるのが好きで見てましたが、
カタカナはん?と思ったので、
私なりに平仮名を簡単にしたものがカタカナだと思うようにしてました(笑)(それでも所々変ですが)
カタカムナを検索してみます😊
ありがとうございます。
小学校で最初に学ぶのはカタカナだった。読みづらくはない。難しいのは変体仮名。江戸時代までは変体仮名が多かった。男も女も寺子屋では同じように学んだはず。時代が変わると奇妙な解釈がまかり通る。
カタカナから学ぶって合理的ですよね。
@@日本人で良かった-e1f様
時代が変わると言葉が変わってしまう事は避けられませんが何か失ってしまっているのではないかと寂しくもあります。時代劇が現代語丸出し、なにか違和感。
@@田織園斎 様 至極同感です。もし良ければ『旧かなづかいで書く日本語』萩野貞樹/著書 幻冬舎新書/出版
を一読してみて下さい。なかなか面白いですよ。
@@日本人で良かった-e1f様
ありがとうございます。旧仮名興味深いですね。残念ながら視力の90%を喪失し本が読めません。 旧仮名では「い」と同音のいがあり「え」も同様に同じ発音のえがありました。犬はいぬではなかったと記憶しています。確かカタカナでは井
@@田織園斎 い→ゐ イ→ヰ え→ゑ
エ→ヱ になります。
例えばヰセキ、ニッカウヰスキー、ヱビスビールなどです。お体ご自愛下さい。
カタカナは、日本の古代文字だと思います✨どう見ても漢字から来たって思えません😊後付で漢字から取ったって言っていると思います🧐
書道を練習したり、古文書を読んでみたりすると平仮名カタカナが漢字から生まれたのが、よくわかるようになります。
そうですね、GHQが日本の学者,文科省にインチキな説,理論をつくって日本人に教え拡散するように命令したというのは如何にもありそうなことです。
日本の憲法や法律はすべてそうやって書き換えられたものですし、歴史もほとんどそうです。その他にもたくさんありますね。
それが日本の大学,学者,文科省,メディア,教育労組,日本学術会議であり利権構造です。
カタカナ、
カタカムナ、、
関係がないとは言い切れない母音を感じますね。
トーヒヤラーリ トヒトヒヤラリ トヒトヒャイトロ ヒャイヒャイヒャウヒャイト ヒャウヒャイトロヒャイトロヒャイト ヒャウトロ フヤラーラーイララト ヒーヒャーイヒャラリコ テン これは我が故郷、愛知県三河地区にある小さな城下町に伝わる ” 獅子舞 ”の笛を教わる時、まず初めにこの様に歌ってメロディーを覚え、それに合わせて指の動きを覚えてゆくものです。トヒャー イーヒャイト イヒャイトー トーヒャー イオヒャー トーヒャーイト ヒオヒャートヒャーイトロヒャー イーヒャイトー トヒャーイトロトヒャーイト イオヤー トヒャーイトロヒャー ヒーヒャイトー 、、、、と後はまた繰り返しとなり延々と目的地、つまり町外れの天王町にある八幡神社に至るまでの道中をねりあるいてゆく時に吹く ”道行き” の笛の歌です。偶然に、この意味不明な歌により篠笛を先輩たちから伝えられて来たわけですが、これと古代の倭語 の間に何か関係があり、しかも神への伝達、お知らせ、の様な意味があったのではないか?という閃きがあったのです。と言いますのも、”古代の婚姻”について、調べていたところ、” 男女どちらか(ツマ)の求婚の よびかけ(トヒ)ではじまり、、、”
と書かれていたのを見つけたからです。この トヒ と 獅子舞や道行きの歌の中のトヒ 、トヒャイ、 トヒャウ などという言葉と関係があるのでは?つまり、トヒ が始まりを表す ’ よびかけ ’であるならそれに続く、極めて単純な歌のくる返しは、神に捧げる笛の音による音を代弁している 讃歌ではないだろうか?などど思ったわけです。東京にいた時、しばらくの間、鳳声晴光先生について、江戸祭囃子の笛の手解きを受けたことがありました。トヒヤオー イトロ
ヒオヤー トロー ヒー オー ヤー ヒオ トロー 、 オヒャイトーヒャイ トヒャオトロ トヒャイツー トエヒャオトロ ヒャイトヒャ ヒエ トーヒャオヒャ ヒーヒャイヒャイトロ トーヒャーイー トーヒャーイー チエヒャイトーロー オヒャイトーヒャイ トーヒャオトロ トヒャーイーツー トエヒャオトーロー ヒャイトヒャ ヒエ トーヒャオヒャ トーヒャーイー チエヒャイトーロー、、、と続き、最後に、チヒーヒ チヒ と言う甲高い音で締めくくるのですが、ここでもやはり トヒャー というような言葉の出てくる歌を最初に楽譜のようにして覚えさせられました。古代大和言葉とお囃子に使われている単純なことばの持つ意味に関連があるのでは?
カタカナを取り入れて新たな漢字を作ったように見える。
さんずいはカタカナのシにしか見えない。大和言葉でシは水を表す音。
格調高いお話しですね
あひる文字ってハングル?
母音子音のパーツが同じのがたくさん
戰前から神代文字の存在に對しては否定的でしたよね。神代文字の學術的硏究はもつと進で宜いと思ふのですけど、中々進まぬ原因は何でせうね。
文科省,教育労組,学者,メディアが政治的理由で否定的であり、民間の研究者によるからでは?
その背後にはGHQや民族組織,共産主義組織やチャイナ,半島などの国家権力があるのでは?
記憶が曖昧で申し訳ないですが、以前カタカナを考案した昔の文部省関係の人だったと思うのですが、そんな動画を見て納得していましたが
今回漢字の渡来以前にカタカナが使われていたと聞き、ちょっと混乱しています。
阿比留文字というのはハングル文字に似ているので、ひょっとしたら対馬國のト部阿比留氏より伝わったという説もありなのかなとこの講義を聞いて思いました。
面白かったです、ありがとうございました。
この動画のお話とカタカナをヘブライ語に当てはめた説を組み合わせると衝撃を受けました。
なるほど
結美大学の「結び」は「産霊(むすひ)」と同じような意味ですかね?
何気に、阿比留文字を見ると、どこかで見た様な。そう、ハングル文字に似ていますね。
阿比留文字から、カタカナが生まれたとしたら、ハングル文字が、お手本なのでしょうか?
それとも逆に、阿比留文字から、ハングル文字が出来ているのでしょうか?
ハングルは満州文字が起源であると宮脇淳子先生がおっしゃってました
日本神話の神様の名前をひらがなで書くと感覚的に違和感あった理由が解けたような気がします。
なるほど!
アメノウズメから名前を取っていると思われる『すずめの戸締まり』のすずめも、神様と人を繋ぐ存在だったもんね💡
なるほど、理解できました。生むのは、女だから、天照大神は、女?。でも、魂・神霊を、伝えて行くのは、男。八百万の神は、自然神だから、男でも在り、女でも在る。先生の言った、魂は、金玉・金珠で、繋いで行くは‼️、マジ、笑えた‼️。まぁ、でも、太陽は、女の笑顔に、確かに、似ている。
男性が私的にカタカナを使っていたのは鎌倉時代までですよ。
公文書は漢文で書かれていましたし。
明治政府が権威付けのために法文や布告にカタカナを復活させただけで一般にはみなひらがなを使っていました
「かな」とは神の名のことで、神名と書いて「カナ」と読みます。
動画内で触れられているカタカムナとは神名(カムナ)の象(カタ)のことで、神象図です。
カタカムナは神象図なので、神の働きを立体的に表現していて、対して平神名(ひらがな)は神の働きを平面的に表現して造られた文字と言えます。
カナは假名で、真名と対になる言葉です。
興味深いです…
ただ、平仮名は漢字から、片仮名は神代文字からとすると、平仮名と片仮名が似ているのが気になります。「へ」はもう全く同じみたいなものですし、「き」「し」「せ」「や」等もかなり似ている。「ウ」「カ」「ツ」「ネ」みたいに平仮名の元となった漢字と繋がりがあるようにしか思えないものもある。
偶然にしては出来すぎな気がするし、そんなに似せたり繋がりがあるような形にするかな?と思う。
カタカナは元々漢文を読むためのものと思っていました。
和漢混淆文が出てくるまでは、漢文か平仮名だけの文章と極端でしたし。
漢字+カタカナが男性が使うのは、その名残りかと思います。
漢字+平仮名の文章は、大正時代の文章でも見かけたので、戦後、そうなった、というのはちょっと腑に落ちなく感じております。
私は現在62才です。幼稚園に入る前、お爺さんやお婆さんが、「これからはカナは平仮名を使うんだよ」と教えてくれました。その様に、私が小学校に入る頃はカナは全て平仮名でした。が、幼稚園の頃は、未だチラホラ、カタカナのカナで書かれた文章を見ました。
誓約書何かは、カタカナでしたね。
ムー大陸の生き残りが日本に着いて神代文字を伝えたと思う。
40年以上台湾に住んでいる者です。「之」をカタカナの「シ」に近い(もちろん完全に同じではありませんが)書き方をする人もいます。カタカナは元々僧侶が仏典を読んだりする際、漢字とあまり違和感のないように漢字から作ったものとされており、私もそう思います。またかつての軍国主義時代は見た感じ弱々しいひらがなより力強い感じのするカタカナが好まれたとも聞いております。大日本帝国憲法もそのような経緯があって漢字とカタカナが用いられたのでしょう。神代文字云々はちょっと盛りすぎなのでは?
効果音も文字で表せばカタカナですね 「ドッカーン」「バキューン」
カナ文字に性別があるとは?漢字より古いのか、ラブラブと云ってテレるな。あびる文字は阿比留氏と関係が有るのでしょうか。
カタカナは外国人からしたら、ひらがなよりも書きやすいですよね。
実は意外にも平仮名の方が簡単なんですよ~カタカナは習得するのが難しいんです。
仏教が起源云々ってのは聞いては居ますけれど?、これも漢字の影響大ってのは有るや無しやですけれど?、何となくで説明は出来るかもだが、読みについては多少の変遷は有るでしょうが、今や、外来語由来を発音したりするって、比較的に新しい物程に表す傾向は有るみたいですよね?。
男と女の役割が明確に分かれているのが古代日本の考え方と理解しているのですが、昨今はジェンダーレスが当たり前の世の中になりつつあるとおもいます。
この点において現代でも上手く解釈できるものなのかを知りたいです。
小名木先生、国立科学博物館長を務めた篠田謙一さんのアイヌ論文についての感想はいかがですか。
カタカナは、漢字のへんやつくりから造ったものじゃなかったんですね。カタカナにした漢字と、ひらがなにした漢字が、どうして違うのが、あるのか不思議だったんですよ。カタカナの文字が、神代文字とは恐れいったね。漢字が日本に伝わったときには、まだ神代文字が使われていたことになるのかな?神代文字が現代にもあること、これは素晴らしい。どこぞの国と違って抹殺することはしなかったんだ。祖先の人達の知恵だね。感謝!感謝だ。
仏教僧が使ってたのカタカナと思ってた。カタカナで書かれた仏教の歌詞あるよ。時代每に使われる字体があった。
仏教僧が神代文字を使う?
催馬楽を読むとき変体仮名を調べると読める。平仮名の成立分かる。
大体ひらがなよりカタカナは200年も早く成立したと云う。それも突然だ。平仮名は万葉文字が草書に砕けてやがて一つの独立した文字になっていった。しかしカタカナは突然800年代または700年代に突然出現。部首からとったにしては、ラなんてどこから来たかわからない。53年前ドイツでイスラエルの学生と話したとき、私のリュックサックのロゴを見てこれ、KIって読むんだろ?と指さした。そこにはメーカーの説明らにキの字があった。その時は何も感じなかったが最近なにかユダヤに関係あると思い始めた。
面白い。
カタカナってユダヤ文字と同じだぁーと思えるのですが、こちらの考察もお願い致します。
是非ハングルは日本人が作った話もして欲しいですよね。
そうか〜 神代文字からカタカナ文字ができたのか? 霊を繋ぐのか〜
私は漢字もカタカナも刀に鑽で名とか刻む事によってできたと独断と偏見で考えています。笑笑
タマタマ→魂 なんですね😲💦
カタカムナとかいう次元空間貫きそうな文字
40(50)音表漢字のつくり へんが元って習いませんでしたか? 常用漢字はかなり後です。明治時代の東京はトンキン(ベトナム)でしたので「東亰」記載でトウキヤウのふりがな、大正頃やっと普及で「東京」です。
廃藩置県にかなりの年月かかり新聞書籍普及に伴いバラツキありましたよ。
昔の人の方が知っていると思いますが…
新説ならオモロイです。
変体仮名が三百種類くらいあり明治時代に五十個くらいにした。しかし屋号とか昔のまま使ってたので、今でも読めないような看板がある。別に読めんでも美味けりゃ客は来るので、関係ないが。古文書は書道で習う行書、草書、変体仮名を覚えんと読めない。楷書は経典とか文字を正確に書くやつが主流、崩し字は梵語とか却って難しい字を使う。結局全部覚えたいが、漢字自体が十万種類あるらしいので無理。漢字五万種載ってる辞典が、話題になった事もある。そして片仮名、何か由来が納得出来ない。(むすび豆蔵より)
神代文字ー1
(じんだいもじ、かみよもじ)とは、漢字伝来以前に古代日本で使用されたと紹介された多様な文字、文字様のものの総称である。江戸時代からその真贋について議論の対象となっており、現代の研究水準において存在の確証が得られているものはない。
概説
神代文字と称されるものには、神話や古史古伝に深く結びつき神代に使用された文字であると主張されているものと、後代になって神代文字の一種とみなされるようになったものとがある。
主に神社の御神体や石碑や施設に記載されたり[1]、神事などに使われており、一部の神社では符、札、お守りなどに使用するほか、神社に奉納される事もあった。また、機密文書や武術の伝書のほか、忍者など一部の集団で秘密の漏洩を防ぐために暗号として使用されたという。江戸時代の藩札の中には、偽造防止のため意図的に神代文字を使用したものもある。
鎌倉時代のころから朝廷の学者によって研究されたほか、江戸時代にも多くの学者に研究されたが、近代以降は現存する神代文字は古代文字ではなく、漢字渡来以前の日本に固有の文字はなかったとする説が一般的である。その一方で、神代文字存在説は古史古伝や古神道の関係者を中心に現在も支持されている。
明治のころまでは、単に「古い時代にあった(未知の)文字」という意味で「古代文字」と呼ばれるものもあり、遺跡や古墳、山中で発見された文字様のものがそう呼ばれた。この例としては、筑後国で発見され、平田篤胤の著書で有名になった筑紫文字、北海道で発見されたと主張されたアイノ文字等がある。
歴史
和字考
敬光。寛政5年(1793年)。ヲシテの解説。
古字について言及したものは『日本書紀』(720年)の「帝王本紀多有古字」であるが、神代の文字の可能性としてはじめて言及した文献は、鎌倉時代の神道家の卜部兼方の『釈日本紀』(1301年以前成立)である。兼方が『日本書紀』の原典の一つに『仮名日本紀』を挙げた[2]事に対する疑問と仮名の起源について答える中で、家伝として「肥人之字」の存在を挙げ[3]、続けて「於和字者、其起可在神代歟。所謂此紀一書之説、陰陽二神生蛭児。天神以太占卜之。乃卜定時日而降之。無文字者、豈可成卜哉者。」と述べ、『日本書紀』の、神代に亀卜が存在したとの記述から、文字がなければ占いはできないとして、神代から文字が存在した可能性を示した。
その後、卜部神道では神代文字の存在を説くようになった。たとえば、清原宣賢(吉田兼倶の子)は『日本書紀抄』(1527年)で「神代ノ文字ハ、秘事ニシテ、流布セス、一万五千三百七十九字アリ、其字形、声明(シャウミャウ)ノハカセニ似タリ」と、神代文字の字母数や字形等について具体的に述べている。(例えば、伊勢神宮等で発見された阿比留草文字等の神代文字は声明や謡曲譜本の節博士に似ている。)
清原宣賢が「秘事ニシテ、流布セス」と述べているように、神代文字の実物とされるものは一般に示されなかったが、江戸時代に入ると尚古思想の高まりにより、神代文字存在説も盛んになり、実物とされるものが紹介されるに至る。数十種類の文字が紹介されたが、過去に卜部神道が述べていた特徴からかけ離れたものも多く、出典となった書籍や発見場所などから名付けられた。
江戸時代の神代文字の研究としては、平田篤胤が否定論から肯定論になって最初の論である『古史徴(こしちょう)』第1巻『開題記』所収「神世文字の論」、そして『神字日文伝(かんなひふみのつたえ)』とその付録『疑字篇』が著名である。また、鶴峯戊申(つるみねしげのぶ)は『嘉永刪定神代文字考』において天名地鎮(あないち)文字を世界のすべての文字の根源であると説いた。ほか、三井寺(園城寺)住職の敬光による『和字考』など、数多くの研究がなされた。それらの研究を集大成したのが落合直澄の『日本古代文字考』である。
戦後の著名な論考として、神代文字実在論を「妄説」とした山田孝雄の『所謂神代文字の論』があり、実在性を問題とした研究史に終止符を打ったことで知られる[4]。
現代では、清水豊、山下久夫、岩根卓史などによって、平田篤胤の思想研究のための「疑字であることを前提とした」神代文字研究が行われている[5][6][7]。
主な神代文字と主張された記号
荒神山の御札。左側にあるのが神代文字。
「神代文字の一覧」も参照
古史古伝とかかわりが深い文字
天名地鎮 - 太占と関係があるという。
ヲシテ - 『ホツマツタヱ』に使われた文字。
カタカムナ文字 - カタカムナ文明で使われていたとされる。
サンカ文字 - 豊国文字を基にした三角寛の創作とされる。
豊国文字 - 『上記』(うえつふみ)において用いられる。
物証を伴うが壁画や記号であって文字ではないとされる事が多いもの
北海道異体文字 - 北海道で発見された。
筑紫文字 - 筑後国の重定古墳にある壁画を文字とする見解。
甲骨文字、金文など漢字(の原型)との類似が指摘されているもの
阿比留草文字 - お札等によく使われる、比較的メジャーな神代文字。
琉球古字 - 琉球で占いに使われたという文字。
その他
阿比留文字 - 対馬に伝わる。
阿波文字 - 阿波国名東郡の神社で発見された。
出雲文字 - 出雲国の書島(ふみしま)で見つかったとされる。
対馬文字 - 対馬に伝わり、現在も神事に使われる。
議論
肯定論側には目的の異なる多様な主張(すべての文字の基になったものだとするものから、ただ意味を表す記号が存在していたと主張したいだけのものまで)が存在し、否定論側もそれぞれの主張に対する反論であるため、全ての記述が神代文字全般にあてはまるわけではない。また、言葉の定義が一定ではない為、すれ違っている主張もある。
昔の書物はなんで読みにくいのだろうと思うことが良くありましたが、GHQの占領政策の影響だとは知りませんでした。
光エネルギーを食べる
『ライトボディの目覚め』
『アセンションするDNA』
『プレアデス+かく語りき』
『ET地球大作戦』
カタカナは、平安時代の頃の坊さんがお経を読む時のルビが発祥。だから男性文字。ひらがなは、平安時代の女官の書く草書が発祥。だから女性文字。で明治時代に明治政府が男性文字であるカタカナと漢字の混交文を推奨したと聞いたことがある。
因みに、戦国時代の武将や幕末の坂本龍馬の手紙なども漢字ひらがな混じり文章の様です。
これって漫談ですか?これほど荒唐無稽な珍説が何らの科学性もなく堂々と語られていることに感動しました。もう少し勉強しないと、小学生や中学生だって観てるわけだからなあ。含羞は日本人の誇りだったはずですが、現憲法は思想良心の自由を保障しています。現憲法に感謝しなければいけませんね。
カタカナって「空海」が発明したと聞いたけど。
漢字を開いたから「ひらがな」ですね。
こういった日本語の歴史分析は好きですね。今ある事実を根拠としてそこから自然な変遷の流れに感じ、中国や世界からの論理展開には不自然な流れが違和感を感じ更には突き詰めていくと矛盾が出てきたりする。それはたぶん事実を無視した妄想を無理やりつなげているからその歪が出てくるんだと思います。中国から伝来したという部分を全て排除して考えるとすんなり入ってきます。
それよりさらに踏み込むと国際政治や利権構造が現れてきそうです
女の子が「可愛いから」という理由でなんでもひらがにしてしまうけど、発端も「可愛いから」だったりして。
12:58 総ツッコミする姿が見えた
林佑香、肩ハ綺麗ダネ❤❤❤
朝鮮語のハングルの元は阿比留文字でしょうね。🧏♀️
そうみたいですね。
そっくり。
ハングルは日本人が作り教科書も日本人が作りました。
漢字の伝来以前に神代文字が存在していたことを確定された事実のように前提としていますが、神代文字の考古学的物証としては南北朝時代の物が最古らしいです。石に刻まれた神代文字にしても時代相応の風化が進んでいないのも不自然。神代文字を実在とする論調では風化していない理由として50年〜100年毎に彫り直しをしている人達がいるからという苦しい説明。漢字以前に神代文字が実在していたならそういうメンテナンスから離れた遺跡があるはずです。神代文字は実在したかもしれませんが、その可能性は今の所はかなり低いと感じます。神代文字が何かの権力に迫害を受け、その迫害から守ろうとする集団によって密かに綿々と受け継がれてきた、というロマンであるなら否定できないですけど。
万葉仮名ー1
(まんようがな)は、主として上代に日本語を表記するために漢字の音を借用して用いられた文字のことである。『萬葉集』(万葉集)での表記に代表されるため、この名前がある。漢字(真名)を使った仮名であることから、真仮名(まがな)、真名仮名(まながな)[1]ともいう。仮借の一種。
概要
「波奈」(花)、「也麻」(山)のように、漢字をその字義にかかわらず日本語の音節の表記のために用いるのが万葉仮名の最大の特徴である。『万葉集』を一種の頂点とするので万葉仮名と呼ばれる[2]。『古事記』や『日本書紀』は漢文主体だが、歌謡や訓注などに同様の表記が用いられており、これも万葉仮名と呼ぶ。
一つの音節に対して複数種の漢字が用いられ、例えば「し」に対して之、思、師、四、志など多くの漢字が使われている。大野晋の作成した一覧表(1958年)[3]から、万葉仮名で使われる漢字の数は973に達する、という説も流布している。
万葉仮名の歴史
万葉仮名文木簡(複製)
大阪歴史博物館展示。
漢字によって日本語の音を写すという点では、中国の史書『魏志倭人伝』(3世紀末)に「卑弥呼」「耶馬臺」等の先例がある。仏典でサンスクリット(梵語)の人名、地名などを漢字で表記するのと同様である。
現在知られる国内最古の資料と言えるのは、5世紀の稲荷山古墳から発見された金錯銘鉄剣である。辛亥年(471年)の製作として、第21代雄略天皇に推定される名「獲加多支鹵(わかたける)大王」やその宮「斯鬼(しき)宮」、日本神話の登場人物で四道将軍の1人の大彦命に推定される「意富比垝(おほひこ)」を始祖として、鉄剣の製作者とある「乎獲居(をわけ)臣」に至る8代の系譜があり、それらの人名や地名を表記する文字が刻まれている。5世紀には江田船山古墳出土銀錯銘大刀にも、「獲加多支鹵(わかたける)大王」、「无利弖(むりて)」、「伊太和(いたわ)」という字音表記がある。なお、「癸未」銘のある隅田八幡神社人物画像鏡に「意柴沙加(おしさか)宮」、「斯麻(しま)」、「開中(かはち?)費直」の表記があり、「癸未」が443年で、かつ日本製だった場合は国内最古の資料となる(503年説や百済製説も有力)。いずれにしても漢字の音を借りて固有語を表記する方法は既に5世紀に存在していた事になる。
7世紀初めの推古期になると上宮聖徳法王帝説や金石文(伊予道後温湯碑、法隆寺金堂薬師如来像光背銘、法隆寺金堂釈迦三尊像光背銘など)に多くの事例が見られる。ただし、これらの推古期遺文は年代についての異説も多い。7世紀中頃の木簡(大阪市中央区の難波宮跡出土。652年以前と推定[4])に「皮留久佐乃皮斯米之刀斯(はるくさのはじめのとし)」と和歌の冒頭と見られる11文字が記されている。7世紀末の木簡(徳島市、観音寺遺跡出土)にある「奈尓波ツ尓作久矢己乃波奈(なにわつにさくやこのはな)」は古来有名な難波津の歌を写したものとしてよく知られている。
8世紀に成立した古事記・日本書紀や万葉集には多くの万葉仮名が使われている。それぞれ以下のような特徴がある。
古事記(712年) - 呉音の字音を用いる。一字一音節(漢字一字で一音節を表わす)
本文は漢文であるが、一部に日本語を万葉仮名で表記する。例:久羅下那州 多陀用弊流(くらげなす ただよへる)
歌謡は万葉仮名で表記する。例:夜久毛多都 伊豆毛夜幣賀岐(やくもたつ いづもやへがき)
日本書紀(720年) - 漢音を主とし、呉音も用いる。一字一音節。
歌謡は万葉仮名で表記する。例:波魯波魯你 渠騰曽枳舉喩屢 之麻能野父播羅(はろはろに ことそきこゆる しまのやぶはら)(皇極紀)
万葉集(8世紀後半) - 呉音に加え、和訓を用いる。その他、一字二音節などの表記や、十六(しし)のような言葉遊びも含め、自由な用法が見られる。また、万葉仮名を主体に表記するものと、和訓を主体に表記するものがある。
仮名主体表記の例:安思比奇能 夜麻毛知可吉乎 保登等藝須 都奇多都麻泥尓 奈仁加吉奈可奴(あしひきの やまもちかきを ほととぎす つきたつまでに なにかきなかぬ)
訓字主体表記の例:春過而 夏来良之 白妙能 衣乾有 天之香来山(はるすぎて なつきたるらし しろたへの ころもほしたり あめのかくやま)(持統天皇)
一字一音節で漢字の字音(音読み)を用いるのが古い用例である。もっとも、漢字の音と日本語の音は必ずしも一致しておらず、例えば「ヌ」に当る音が中国語になかったため「奴」(no)の字を用いたが、この字は「ノ」とも読まれた。和訓(訓読み)は後に生まれたもので、推古期遺文にも見られる(前述のように年代の異論がある)。例えば「をはりだ」という地名は、音で「乎波理陀」、訓で「小治田」と書くことができる[5]。また、日本で一般的に使われていた音読みは呉音であり、『日本書紀で漢音(当時の中国語の音)が用いられているのは異例である[6](日本書紀中国人述作説の根拠の一つともなっている)。奈良時代にはこの他にも、正倉院文書(大宝二年戸籍、正倉院万葉仮名文書等)や金石文(仏足跡歌碑等)、木簡資料、風土記、続日本紀宣命などの例がある。
平安時代に入っても「新撰万葉集」(893年、913年)のように万葉仮名が用いられていたが、やがて平仮名・片仮名が万葉仮名に代って広く用いられるようになる。
平仮名は万葉仮名の草書体化が進められ、独立した字体と化したもの、片仮名は万葉仮名の一部ないし全部を用い、音を表す訓点・記号として生まれたものと言われている。
ただし平仮名・片仮名が普及した後にも「催馬楽」などの歌謡、神道の祝詞、「和名類聚抄」などの辞書(漢字の読み方を万葉仮名で示す)などでは万葉仮名が使われている[7]。
現代でも地名や人名(特に女性名)などで漢字の意味を離れ、音を使って書き表す例があり、万葉仮名と同様に捉えることができる[8]。
韓国語のハングルはズバリ!阿比留文字だったのですね!!
韓国の人には言えない事実…
ハングルは、中央アジアの民族の文字を朝鮮語の発音に合わせて作りかえたものだと言われていて時代が随分新しいものだと思いますが?
昔のおばあちゃんの名前は女性でもカタカナが多いのはなんでですか?
「漢字の元は殷字 殷国すなわち倭国」日本語
漢字が体系化していった時、倭国の文字を人偏やうかんむりなどつくりとして採用したのですね。
へー😯
漢字を作った民族はいまのチャイナ人ではなく、日本人と同じプロト-モンゴロイドだと思いますが、日本と大陸のプロト-モンゴロイドがどのくらい交流があったかわからないのですが?ふーん
昔は書き言葉と話し言葉も違ってた訳で日本語は謎だらけですね
それにしても考古学的に実証されている神代文字が未だに発見されていないのは疑問だ。従って後世ににカタカナをも参考にして、これらの神代文字が作られたとも考えられないか。
カタカナの発生と漢字、ひらがなの発生は別ではなかろうかと考えています。
庶民の婦女子が書いたカタカナ文字が残っていますし生活の中のメモ書きであったり生活必需品を買う為の品物書きの羅列であったり。
電報みたいな文字遣いです。
カタカナは生活の中に古くからあったように思えてなりません。
上代特殊仮名遣
(じょうだいとくしゅかなづかい)とは、上代日本語における『古事記』・『日本書紀』・『万葉集』など上代(奈良時代頃)の万葉仮名文献に用いられた、古典期以降には存在しない仮名の使いわけのことである。 名称は国語学者・橋本進吉の論文「上代の文献に存する特殊の仮名遣と当時の語法」に由来する。単に「上代仮名」とも呼ばれる。
概要
上代文献には、歴史的仮名遣では区別しない音節(具体的には、コ・ソ・ト・ノ・モ・ロ・ヨ・(ホ)、キ・ヒ・ミ、ケ・ヘ・メおよびその濁音)を示す万葉仮名が二通りにはっきりと書き分けられていることが知られている。(エにも2種類の書き分けが見られるが、こちらはア行とヤ行の区別であり、上代特殊仮名遣には含めないのが一般的になっている[1]。)
二種類のうち、片方を甲類、もう片方を乙類と呼ぶ。例えば後世の「き」にあたる万葉仮名は支・吉・岐・来・棄などの漢字が一類をなし、「秋」や「君」「時」「聞く」の「き」がこれにあたる。これをキ甲類と呼ぶ。己・紀・記・忌・氣などは別の一類をなし、「霧」「岸」「月」「木」などの「き」がこれにあたる。これをキ乙類と呼ぶ。
イ段・エ段の甲乙の区別は動詞の活用と関係があり、四段活用では連用形にイ段甲類が、命令形にエ段甲類が、已然形にエ段乙類が出現する。上一段活用ではイ段甲類が、上二段活用ではイ段乙類が、下二段活用ではエ段乙類が出現する。
こうした甲乙の区別は、一々の単語ごとに習慣的に記憶されて使い分けられたものではなく、何らかの音韻の区別によると考えられている[2]。すなわち、上代日本語にはいろは47字+濁音20の67音でなく、それより20音多い87音(「モ」を加えれば88音、「ホ」[3]を加えれば89音。)の区別があった。後世存在しない音韻がどのように区別されていたかは諸説あって定論がないが、例えば母音が8種類あったなどと推定することが可能である。
8世紀後半になるとまずオ段(コを除く)から区別が失われはじめた。このような中間的な状態は仏足石歌・宣命・正倉院万葉仮名文書・および木簡資料などに見られる。平安時代になるとほとんどの区別は消滅したが、コの区別は9世紀前半まで、エの区別は10世紀前半まで残った。
音節表と万葉仮名の一覧表
音節表
上代特殊仮名遣における音節表。灰色部分が書き分けが存在する音節。
(略)
漢字からひらがなが生まれた説は私もそう思います。しかしひらがながあるのに漢字からわざわざカタカナを生む理由が謎でしかありません。
神代文字やカタカナが元々日本にはあって弥生人が統治したタイミングでカタカナにすり合わせる為に漢字からひらがなを生み出し共通語化した。と考えればすべて辻妻が合うかと思います。縄文人側はカタカナを弥生人側はひらがなを作り共通語にしたのではないでしょうか?ちなみに英語でもそうですが2種類の人種が入り混じってる状態では当然通訳者は居たと思います。イザナギも初めは縄文人側と弥生人側の神官により記載が違ったのではないでしょうか?
弥生人なるものは、ほぼ捏造だと思いますが?
日本で見つかった古代の骨のDNAを調べればすぐわかることですが、大陸系のDNAとは異なると思います。
そのお話は政治的に日本に押しつけられたものと考えています。
真実は真逆で、古い時代の大陸に住んでいたのは日本人と同じ人種プロト-モンゴロイドであると思います。