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保険金が最小になるように判断していくんじゃね?
なるほど、確かに重大な事故が減少すれば...。コメントありがとうございます!
トロッコ問題は既に人間がポイントを操作して泣き別れ脱線させれば誰も犠牲にせずに解決可能と人間が正解を出してます。まだまだAIより人間の方が優れていると証明されてしまいました。
趣旨違っとるw
今回もすごく真剣に見させてもらいました!!
いつもコメントありがとうございます!
トロッコ問題とは少し逸れますが、1、もし5人とも80歳を超える高齢者で、1人が5歳の子供だったら?2、もし5人の中に自分の親や子供がいたら?3、もし5人が殺人鬼で1人が善良な市民なら?命の価値はやはり同じのはずですが、自分の心情では、状況によってレバーを引くかどうかが変わってしまいそうです。また、自殺願望の人を命を賭けてまで助ける人に立派で勇敢とは思いますが、果たしてそれで助けた人が死んだらどうするんだって思ってしまい、私は必ずしもその行為は正解ではないと思っています。生気溢れる若者が明日死ぬ老人を命懸けで助ける行為も立派ですが、私は複雑に思ってしまいます。映画で、1体の人型ロボットが救出活動をする際に2人の生存者を、生存確率が高い方を選び救出するシーンがありました。2人のうち1人は死に1人は生き残る状況です。1人は大人で、俺は死んでもいいからもう1人の子供を助けろと言いましたが、ロボットは生存確率が高い大人を救出しました。大人は言いました。『俺の助かる確率は45%であの子は11%しか無かった。俺を助けたのは論理的に正しい。でもあの子はまだ子供だった。11%でも充分だ。人間なら分かった筈だ』常識は人によっても違いますが、ロボットに倫理的な判断をさせるのは難しいと思います。また赤の他人同士なら公平に考えますが、最初に話した自分の親族が混じっていた途端に判断が変わってしまう人間の脆さがあるのも事実です。感情で動く人間。血圧や脈拍等の数値で判断し動くロボット。考察すると大変面白い内容ですね。一つ人類がぶち当たる大きな問題で興味深い内容でした。ありがとうございました😊
なるほど...とても興味深く拝見させて頂きました。考えをコメントでシェア頂きありがとうございます!
配信ありがとうございます(._.)
そう言って頂けますと非常に励みになります!コメントを頂きありがとうございます!
車にAIによる自動運転をさせる場合は、乗っている人の安全を第一に考える必要があると思う。単に5人を助けるか、1人を助けるかという判断だけでは無い、もし1人を助けると乗っている人が死ぬという条件が加わった場合 5人を助けないという選択をする必要があると思う。乗っている人の安全を優先しない自動運転では そんな車に乗る人はいないだろう。仮に乗っている人が死ななくても 1人を助けたほうが車が大破する場合は どうだろう? 衝突までの短い時間で経済的損失の小さいほうを正しく判断できるだろうか?更に 事故を起こした際の責任は誰が負うのか? 車のメーカー? 車の自動車保険会社? 車のオーナー? これらを色々考えると 自動運転が実現する未来は いつになることやら・・・
乗っている人の安全ももちろん必要であり、検討の意義はあれど確かにまだまだ課題は多いですよね...。興味深い考えをシェアして頂きありがとうございます!
どちらかを選択した時点で故意による札人になるから切り替えはしないかな最後までどちらとも助ける方法を模索してしまう
同感です、実際に遭遇すれば考えて考えてそうなりそうな気がします...。コメントありがとうございます!
トロッコ問題の問いたい主旨とは違うだろうが、人間は何を期待してトロッコ問題をAIにぶつけるか。AIにできて人間にできない事は感情と倫理感を持たない判断。トロッコ問題の話になると皆判断の左右性を問うのだが、功利主義と義務論に迫られどちらに転んでも何らかの難が残るような判断ではなく、全てが助かる方法を技術や物理法則の駆使により回避する術を期待してるはず。実はトロッコ問題は物理法則と技術で回避できる事がウィキペディアに記載されている。なぜこうなったか、それは功利主義と義務論の2極以外の選択肢を考える人がいたからに過ぎない。全ての問題に他の選択肢を考慮する事で、思わぬ解決になることがある。
どう考えても義務論でオッケー。世の中イカれてる人間が多いから、ルールを優先しないと言い訳出来なくなる
色々な意見や考え方がある中で、そういった面もあるかもしれませんね...考えをシェアして頂きありがとうございます!
この問題は自動運転だけじゃなく、AIの個人情報の開示に対しても 必ず認識されてくる。法人はホストコンピューターのシステム深化によってコントロール可能だろうが、個人は首輪がブロックチェーン化していくんだろうなァ。シンギュラリティの進化が、人間の価値観だけではなく倫理さえも歪めないことを祈りたい。
トロッコ問題は、そのまま人間も当てはまる。正解はないけど、アルゴリズムを作る際の議論・基準作りには多いに必要だな
考えることに意義がありますよね!コメントありがとうございます!
とんでもない死亡事故を減らす為に、AIによる自動運転車を開発して行ってほしいですね。
正解が何か解らない確かに…
トロッコ問題は5人の犠牲者か、1人の犠牲者か、の選択の問題のように見えますが、では1,000人と1人ではどうでしょうか? 本題の本質は、人は数字の概念は理解できるが、行動を起こすのは数字が感性にインパクトを与えることができた場合に限られることです。人の脳には数字を捉える部署が二つのあります。一つは意識(大脳皮質)で、もう一つは感性または本能(脳幹と辺縁系)です。我々は微分積分や難しい計算ができるので数字を理解していますが、これは生得の知識の応用なので意識の世界の話です。犬や猫は本能と習性だけで生きればよいので数字が分かりません。進化の過程で無用な脳力を身につけることはないからです。実はこの点は人も同じですが、人は虚弱な体躯を知恵でカバーして生きるため多数の脳細胞を持って生まれるので、数字の概念を習得し応用することができます。しかし人に行動を起こさせるのは、概念を理解した時ではなく、生命が危険に晒される恐怖など本源的な衝動を感じた場合です。例えば、パレスチナの戦争でイスラエル側で1,000人、パレスチナ側で30,000人死亡という記事を読んで、パレスチナが30倍の犠牲を出しているという数字の概念は分かります。しかしテレビで見る惨状はごく一部で、爆発の衝撃や匂いは伝わらないので、30倍という一方的な虐殺が行われていると実感できる人は少ないようです。このためか歴史上の誤りが今回も繰り返えされています。トロッコの問題では「概念の世界」と「感性の世界」で数字の認識が分かれることを前提にせず、一つの括りにしているため、様々な解釈が出てしまうわけです。以上、ご参考まで
なるほど...とても興味深く拝見させて頂きました。コメントでシェアして頂きありがとうございます!
保険金が最小になるように判断していくんじゃね?
なるほど、確かに重大な事故が減少すれば...。コメントありがとうございます!
トロッコ問題は既に人間がポイントを操作して泣き別れ脱線させれば誰も犠牲にせずに解決可能と人間が正解を出してます。
まだまだAIより人間の方が優れていると証明されてしまいました。
趣旨違っとるw
今回もすごく真剣に見させてもらいました!!
いつもコメントありがとうございます!
トロッコ問題とは少し逸れますが、
1、もし5人とも80歳を超える高齢者で、1人が5歳の子供だったら?
2、もし5人の中に自分の親や子供がいたら?
3、もし5人が殺人鬼で1人が善良な市民なら?
命の価値はやはり同じのはずですが、自分の心情では、状況によってレバーを引くかどうかが変わってしまいそうです。
また、自殺願望の人を命を賭けてまで助ける人に立派で勇敢とは思いますが、果たしてそれで助けた人が死んだらどうするんだって思ってしまい、私は必ずしもその行為は正解ではないと思っています。
生気溢れる若者が明日死ぬ老人を命懸けで助ける行為も立派ですが、私は複雑に思ってしまいます。
映画で、1体の人型ロボットが救出活動をする際に2人の生存者を、生存確率が高い方を選び救出するシーンがありました。
2人のうち1人は死に1人は生き残る状況です。
1人は大人で、俺は死んでもいいからもう1人の子供を助けろと言いましたが、ロボットは生存確率が高い大人を救出しました。
大人は言いました。
『俺の助かる確率は45%であの子は11%しか無かった。俺を助けたのは論理的に正しい。でもあの子はまだ子供だった。11%でも充分だ。人間なら分かった筈だ』
常識は人によっても違いますが、ロボットに倫理的な判断をさせるのは難しいと思います。
また赤の他人同士なら公平に考えますが、最初に話した自分の親族が混じっていた途端に判断が変わってしまう人間の脆さがあるのも事実です。
感情で動く人間。血圧や脈拍等の数値で判断し動くロボット。
考察すると大変面白い内容ですね。
一つ人類がぶち当たる大きな問題で興味深い内容でした。
ありがとうございました😊
なるほど...とても興味深く拝見させて頂きました。考えをコメントでシェア頂きありがとうございます!
配信ありがとうございます(._.)
そう言って頂けますと非常に励みになります!コメントを頂きありがとうございます!
車にAIによる自動運転をさせる場合は、乗っている人の安全を第一に考える必要があると思う。
単に5人を助けるか、1人を助けるかという判断だけでは無い、もし1人を助けると乗っている人が死ぬという条件が加わった場合 5人を助けないという選択をする必要があると思う。
乗っている人の安全を優先しない自動運転では そんな車に乗る人はいないだろう。
仮に乗っている人が死ななくても 1人を助けたほうが車が大破する場合は どうだろう? 衝突までの短い時間で経済的損失の小さいほうを正しく判断できるだろうか?
更に 事故を起こした際の責任は誰が負うのか? 車のメーカー? 車の自動車保険会社? 車のオーナー? これらを色々考えると 自動運転が実現する未来は いつになることやら・・・
乗っている人の安全ももちろん必要であり、検討の意義はあれど確かにまだまだ課題は多いですよね...。
興味深い考えをシェアして頂きありがとうございます!
どちらかを選択した時点で故意による札人になるから切り替えはしないかな
最後までどちらとも助ける方法を模索してしまう
同感です、実際に遭遇すれば考えて考えてそうなりそうな気がします...。コメントありがとうございます!
トロッコ問題の問いたい主旨とは違うだろうが、人間は何を期待してトロッコ問題をAIにぶつけるか。
AIにできて人間にできない事は感情と倫理感を持たない判断。
トロッコ問題の話になると皆判断の左右性を問うのだが、功利主義と義務論に迫られどちらに転んでも何らかの難が残るような判断ではなく、全てが助かる方法を技術や物理法則の駆使により回避する術を期待してるはず。
実はトロッコ問題は物理法則と技術で回避できる事がウィキペディアに記載されている。
なぜこうなったか、それは功利主義と義務論の2極以外の選択肢を考える人がいたからに過ぎない。
全ての問題に他の選択肢を考慮する事で、思わぬ解決になることがある。
どう考えても義務論でオッケー。世の中イカれてる人間が多いから、ルールを優先しないと言い訳出来なくなる
色々な意見や考え方がある中で、そういった面もあるかもしれませんね...考えをシェアして頂きありがとうございます!
この問題は自動運転だけじゃなく、AIの個人情報の開示に対しても 必ず認識されてくる。法人はホストコンピューターのシステム深化によってコントロール可能だろうが、個人は首輪がブロックチェーン化していくんだろうなァ。シンギュラリティの進化が、人間の価値観だけではなく倫理さえも歪めないことを祈りたい。
なるほど...とても興味深く拝見させて頂きました。考えをコメントでシェア頂きありがとうございます!
トロッコ問題は、そのまま人間も当てはまる。正解はないけど、アルゴリズムを作る際の議論・基準作りには多いに必要だな
考えることに意義がありますよね!コメントありがとうございます!
とんでもない死亡事故を減らす為に、AIによる自動運転車を開発して行ってほしいですね。
正解が何か解らない確かに…
いつもコメントありがとうございます!
トロッコ問題は5人の犠牲者か、1人の犠牲者か、の選択の問題のように見えますが、では1,000人と1人ではどうでしょうか? 本題の本質は、人は数字の概念は理解できるが、行動を起こすのは数字が感性にインパクトを与えることができた場合に限られることです。人の脳には数字を捉える部署が二つのあります。一つは意識(大脳皮質)で、もう一つは感性または本能(脳幹と辺縁系)です。我々は微分積分や難しい計算ができるので数字を理解していますが、これは生得の知識の応用なので意識の世界の話です。犬や猫は本能と習性だけで生きればよいので数字が分かりません。進化の過程で無用な脳力を身につけることはないからです。実はこの点は人も同じですが、人は虚弱な体躯を知恵でカバーして生きるため多数の脳細胞を持って生まれるので、数字の概念を習得し応用することができます。しかし人に行動を起こさせるのは、概念を理解した時ではなく、生命が危険に晒される恐怖など本源的な衝動を感じた場合です。例えば、パレスチナの戦争でイスラエル側で1,000人、パレスチナ側で30,000人死亡という記事を読んで、パレスチナが30倍の犠牲を出しているという数字の概念は分かります。しかしテレビで見る惨状はごく一部で、爆発の衝撃や匂いは伝わらないので、30倍という一方的な虐殺が行われていると実感できる人は少ないようです。このためか歴史上の誤りが今回も繰り返えされています。
トロッコの問題では「概念の世界」と「感性の世界」で数字の認識が分かれることを前提にせず、一つの括りにしているため、様々な解釈が出てしまうわけです。以上、ご参考まで
なるほど...とても興味深く拝見させて頂きました。コメントでシェアして頂きありがとうございます!