浄土真宗の教学「信心正因・称名報恩」ってホント? 親鸞聖人の場合①」平田聞思
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- เผยแพร่เมื่อ 6 ก.พ. 2025
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• 浄土真宗の教学「阿弥陀様はまだ成仏されていな...
平田聞思・編著『真実の信心を獲る~加茂仰順和上随聞記』探究社 2300円(税・送料込み)
勧学・加茂仰順和上のありがたいご法話・ご法語などを集めた本です。
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平田聞思の論文『親鸞聖人の往生理解』を公開中。
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平田聞思の論文『「信心正因・称名報恩」は正しい法義といえるのか?』を公開中。
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信因称報説は私が賜った御信心つまりお名号が正因であって私の称名、念仏は正因にならないということです。
①これは一念多念じゃなく無念義になるのか?
②お喚び声に対するハイと言う返事は含まず、助けるぞよと言うお喚び声のみを正因とするのか?
③ハイを含まないなら信順がなく無帰命安心にはならないのか?
④ハイを含むならこの私の意業がお念仏でも許されるのではないか?
こういう疑問が出ます。稚拙な理屈ばかりで申し訳ありませんがこんな事を考えました。南無阿弥陀佛🙏南無阿弥陀佛
それからいろいろ調べたりして考えました。やっぱり御信心に私の意業のハイは含まないで、阿弥陀如来様のお喚び声を聞いてそれを信受させて頂くところまでと考えました。その信受したところで私の往生の正因が成就したので、自然に信順、帰命が私の心に起こり、阿弥陀如来様のお働きのままに称名を相続するのだと整理しました。いろいろ疑問を並び立てて失礼しました。南無阿弥陀佛🙏南無阿弥陀佛
おっしゃる通り、信因称報説は矛盾が多いのです。間違いだから矛盾が生じるのです。南無阿弥陀仏。
@@monshian
ありがとうございます😊今回の問題提起のお陰で、いろいろな親鸞聖人のお言葉に触れることができました。これからも私の頭が追いつくところまで阿弥陀如来様のお心を知りたいと思います😊南無阿弥陀佛
あなたのおっしゃる「御信心に私の意業のハイは含まないで、阿弥陀如来様のお喚び声を聞いてそれを信受させて頂くところまでと考えました。その信受したところで私の往生の正因が成就したので、自然に信順、帰命が私の心に起こり、阿弥陀如来様のお働きのままに称名を相続するのだ」という理解は信因称報説と同じです。
南無阿弥陀仏。
繰り返しお聴聞させて頂いております、また、今後のお話も楽しみにしております。いつも有難うございますm(__)m
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏🙏
ようこそお聴聞くださいました。南無阿弥陀仏。
信心正因 称名報恩について教えて頂き誠にありがとうございました!
二念以後の念仏が報謝であったとは驚きです😮
本願成就文の一念は信心と念仏を同時に獲得することだったんですね❗️
初めて知らされました。
南無阿弥陀仏🙏🏿
ようこそお聴聞くださいました。引き続きお聴聞下さい。南無阿弥陀仏。
難しいですね 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏🙏
ようこそお聴聞くださいました。
ゆっくり、立ち止まりながら、繰り返し聞いて下されば、だんだん解るようになりますよ。
南無阿弥陀仏。
@@monshian さま 有難うございます。m(__)m 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏🙏
私にとっては難しい内容ですので、繰り返し拝聴させて頂きます。ありがとうございました。
ようこそお聴聞くださいました。南無阿弥陀仏。
ありがとうございます。南無阿弥陀仏🙏
ようこそお聴聞くださいました。南無阿弥陀仏。
お聖教に基づく真宗学は奥深いですね。聖人一流章に慣れ親しんだ一般門徒としては信心正因、称名報恩ですが、一心に弥陀に帰命した瞬間は、信心と称名とは裏表で同時であるとも言える気がします。それも全て阿弥陀様のお働きのお陰であっていづれにしても有り難く不思議なことですね。南無阿弥陀仏🙏南無阿弥陀仏
ようこそお聴聞くださいました。
聖人一流章については、後の動画で触れます。
お楽しみに。
南無阿弥陀仏。
@@monshianyoutubeでこんな素晴らしい講義を聴ける、現代の幸福に感謝申し上げるばかりです。南無阿弥陀仏🙏😊
何度もコメントすみません。リンクにある平田先生の論文を拝読させて頂きました。とても全部理解したとは言えませんが、こんなに大切な問題提起だとは思っていませんでした😮教行信証を読むと真実の行信は表裏一体で語られているようです。もし大信一つが正因なら、行の巻には念仏は正因ではなく報恩行であるとのいうことがもっと説明されている筈です。浄土真宗は他力の信心が重要だと思いますが名号と念仏も同時に同じ様に重要と思われていたと思います。私なんかに結論は出せませんがこれを機会にお聖教を少しづつ読みたいと思います😊南無阿弥陀佛🙏南無阿弥陀佛
論文をお読み下さったとのこと、嬉しく思います。
「もし大信一つが正因なら、行の巻には念仏は正因ではなく報恩行であるとのいうことがもっと説明されている筈です」とのご指摘、とても重要なことと思います。行の巻に限らず、お聖教のどこを探しても「念仏は正因ではない」とは説かれていません。
南無阿弥陀仏。
@@monshian 信の巻の 真実信心必具名号 名号必不具願力信心也 とのお言葉に辿りつきました。お名号もお称名も御信心も阿弥陀如来様から本願成就回向を賜ったに違いありませんが、自力の念仏、称名をこちらから回向するのでは正因にならないとのお言葉と領解しました😊一つの疑問から、お陰様で数多くの親鸞聖人のお言葉を聞くことができました。南無阿弥陀佛🙏南無阿弥陀佛
素晴らしい解説でした。確かに存覚が正しく、覚如の説は誤りだと思います。信心正因称名報恩では法然の教えとも矛盾しますしね。
ようこそお聴聞くださいました。
「信心正因・称名報恩」説は江戸時代に起こった説で、覚如上人も蓮如上人も存覚上人と違いはありません。
今後の動画で、このことを明らかにします。
南無阿弥陀仏。
@@monshianありがとうございます。 必ず聴聞させていただきます。
謹んで浄土真宗を案ずるに、二種の回向あり。一つには往相、二つには還相なり。往相の回向について真実の教行信証あり。(教巻)
謹んで往相の回向を案ずるに、大行有り、大信有り。 大行は則ち無碍光如来の名を称するなり。(行巻)
あれから考えましたが親鸞聖人の結論はこれなんじゃないでしょうか?ハイ、南無阿弥陀佛の信順、帰命を私の意業、口業と考えるからおかしいのであって、教行信証の全てを阿弥陀如来様から回向された御信心と考えられたのだと思います。
つまりイイエの選択は過去の一念の時なかったのであって、それが今も御回向くださり続けているのが今の私の南無阿弥陀佛のお念仏であると思います。南無阿弥陀佛😊
お聖教の言葉を解釈するときに注意すべきことは、自分の解釈がお聖教の他の言葉との間に矛盾を生じないかどうかです。
信心も念仏も如来回向の法に違いありませんが、私の意業・口業をすべて否定してしまったら、お聖教の次のような言葉との間に矛盾が生じます。
「信を発して称名すれば、光摂護したまふ」(『註釈版』P.486)
「帰命と申すは如来の勅命にしたがふこころなり」(P.651)
「「歓喜」といふは、「歓」は身をよろこばしむるなり、「喜」はこころによろこばしむるなり。うべきことをえてんずとかねてさきよりよろこぶこころなり」(P.678)
「本願のかたじけなさよ」(P.853)
「仏たすけたまへと申さん衆生をば」(P.1189)
意業・口業といっても、如来より起こさしめられた業ですが。
「イイエの選択」とは、どういう意味ですか?
ご回向の行信を頂いたのが行信の一念であって、その行信が臨終まで相続するのです。
「今も御回向くださり続けている」と考えると、御回向をその都度頂くようで、往生決定の一念の行信が分からなくなってしまいます。
南無阿弥陀仏。
平田先生、私のコメントにこんなに丁寧なご説明、誠に有難うございます。いや〜そうですね〜 おっしゃる通りです😅
お聖教の言葉を読むと 信じて 従う 喜ぶ 等々、私側の意業、口業を示す言葉が結構多いんですよね〜
この整合性を取る為には。。。ん〜どうしましょうかね?😅
本願に遇う前はイイエ、又は無視、逃げていた。つまり他力に任せていなかった、帰命していなかったと言う意味です。たまたま今生は南無阿弥陀仏のおいわれを聞いて本願他力に信順、帰命できた。でも私の自力の結果で遇えたのではない。
今も御回向続けてくださっている と言うのは、既に摂取されても私は分からず相変わらずの私に今も働き続けて下さっているという意味です。私の知らないうちにご利益、お育て下さっていると言う事です。過去の一念は大切ですが常に今ここの一念が大切だと思うのですが〜
私の頭ではここまでですね〜😂
参りました。。先生の次のご解説をお聴聞させていただきます🙇南無阿弥陀仏
@@monshian 説明、抜けていました。イイエの選択肢はなかったというのは、本願力に出遇った時に磁石に近付いた鉄の様に既に今までの私とは変わっていて、他力によって素直にハイと帰順する私に変えてくださっていたと言う事です。南無阿弥陀仏😅
@@山下清-i3b おっしゃること、よくわかりました。今回のコメントは尊いお領解です。信前信後のお育ては、本願招喚の勅命を聞くところに育てられます。勅命は煩悩具足と信知せしめ、本願力に乗ぜしめる働きであり、そのお育てによって、私は煩悩具足と信知して、本願力に乗ずるのです。本願力に乗じた後も、勅命によって育てられます。勅命は本願のお心ですから本願によって育てられるのであり、本願を広げれば浄土三部経になりますから、三部経を聞くことによって育てられるのです。南無阿弥陀仏。
@@monshian ありがとうございます😊引き続き御聖教を確認しながら、御本願のお働きにお育ていただきたいと思います。南無阿弥陀佛🙏南無阿弥陀佛
信因称報説の信心を私の信ずる心と取れば誤りと言えますが、この信心を阿弥陀如来様が私一人にお与え下さった南無阿弥陀佛のお名号、御回向、お喚び声に対する私の称名、信順、はい、ありがとうございますと言うお返事と取れば、この2つの説は同じ事を別の言葉で仰っているように思えます。私の言葉でしか表現できませんが私の聞思の経過です。引き続きお聴聞させて頂きます。南無阿弥陀佛🙏南無阿弥陀佛😊
尊いお領解です。ただし、「信因称報」説は、信前行後であり、念仏は正因ではないとします。「隠顕」説は、行信同時であり、念仏を信心と共に正因とします。この二つの説では、念仏の意味がまったく異なるのです。信心の内容も若干異なります。「信因称報」説は、覚如上人と蓮如上人のみ教えを誤解したものです。今後の動画でお話しします。南無阿弥陀仏。
@@monshianご説明誠に有難うございます。あれから買い物しながらよく考えました。南無阿弥陀佛のお名号を信受したら、そのまま私の称名の声(心の声も含む)となって出ると常々お聴聞しています。お称名を伴わない御信心では、一体何を信受したのか分からないですよね。壊れたラジオのようです。お前を助けるぞよのお喚び声に、今ここでお称名でお応えするより私の御恩報謝はありませんよね😊本年、お育て頂き誠に有難うございました😊次の動画、とても楽しみです❗️南無阿弥陀佛🙏南無阿弥陀佛
信因称恩説は信行不離だけど同時じゃなく前後があると言うことなんですね😮これは阿弥陀如来様が私に与えて下さった大信と大行に前後があって後ろの大行は因にならないことになりますね。私の口称念仏は届いた大信と大行が声になった状態、相であって往生の因そのものではないと思います。教行信証にある大信と大行を両方を往生の因として頂いて雑行雑修自力の心に用事がなくなった境目がご信心を賜った境目なのだとお聞きしております。今年もどうぞよろしくお願いいたします。南無阿弥陀佛😊南無阿弥陀佛
@@山下清-i3b 大行とは何か、ということについても、いろいろ説があるのです。信因正報説では名号を大行とします。南無阿弥陀仏。