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聞思庵 浄土真宗のみ教え
Japan
เข้าร่วมเมื่อ 12 ม.ค. 2022
浄土真宗の教学「信心正因・称名報恩」ってホント? 蓮如上人の場合①」平田聞思
「親鸞聖人の場合①」はこちらから。
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「浄土真宗の教学」(平田聞思)の再生リストはこちらから。
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平田聞思・編著『真実の信心を獲る~加茂仰順和上随聞記』探究社 2300円(税・送料込み)
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平田聞思の論文『「信心正因・称名報恩」は正しい法義といえるのか?』を公開中。
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วีดีโอ
浄土真宗の法話「歎異抄のこころ㉚」第十五条「今生に本願を信じて②」平田聞思 2018年5月22日 長門市・西光寺
มุมมอง 37521 วันที่ผ่านมา
「今生に本願を信じて①」はこちらから。 th-cam.com/video/GJVTS-OKtvo/w-d-xo.html 「歎異抄のこころ」の再生リストはこちらから。 th-cam.com/video/6wJz1zDK71g/w-d-xo.html 平田聞思・編著『真実の信心を獲る~加茂仰順和上随聞記』探究社 2300円(税・送料込み) 勧学・加茂仰順和上のありがたいご法話・ご法語などを集めた本です。 ご注文・お問い合わせはこちらへ ⇒ monshian91@yahoo.co.jp 聞思庵のウェブサイトはこちらから。 sites.google.com/view/monshian/ホーム 平田聞思の論文『親鸞聖人の往生理解』を公開中。 sites.google.com/view/monshian/論文/親鸞聖人の往生理解 平田聞思の論文『「信心正因・称名報恩」は正しい法義といえるのか?...
浄土真宗の法話「歎異抄のこころ㉙」第十五条「今生に本願を信じて①」平田聞思 2018年5月22日 長門市・西光寺
มุมมอง 47921 วันที่ผ่านมา
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浄土真宗の法話「加茂仰順和上の「新しい領解文」」加茂仰順和上 朗読:平田聞思
มุมมอง 617หลายเดือนก่อน
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浄土真宗の教学「信心正因・称名報恩」ってホント? 親鸞聖人の場合①」平田聞思
มุมมอง 888หลายเดือนก่อน
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浄土真宗の教学「三願転入のこころ④」平田聞思
มุมมอง 7152 หลายเดือนก่อน
「三願転入のこころ①」はこちらから。 th-cam.com/video/-WSylzVSb6E/w-d-xo.html 「三願転入のこころ②」はこちらから。 th-cam.com/video/nrDngBfV85Q/w-d-xo.html 「三願転入のこころ③」はこちらから。 th-cam.com/video/Ho65ffOQx3c/w-d-xo.html 「浄土真宗の教学」(平田聞思)の再生リストはこちらから。 th-cam.com/video/_SvHAPiUBYk/w-d-xo.html 平田聞思・編著『真実の信心を獲る~加茂仰順和上随聞記』探究社 2300円(税・送料込み) 勧学・加茂仰順和上のありがたいご法話・ご法語などを集めた本です。 ご注文・お問い合わせはこちらへ ⇒ monshian91@yahoo.co.jp 聞思庵のウェブサイトはこちらから。 sites.goog...
浄土真宗の法話「凡夫の計らいがあってはいけない②」加茂仰順和上 1990年8月10日 長門市 西光寺
มุมมอง 6592 หลายเดือนก่อน
「凡夫の計らいがあってはいけない①」はこちらから。 th-cam.com/video/yIfWk5Wvu0U/w-d-xo.html 「勧学・加茂仰順和上のご法話」の再生リストはこちらから。 th-cam.com/video/v94fCjnXG60/w-d-xo.html 平田聞思・編著『真実の信心を獲る~加茂仰順和上随聞記』探究社 2300円(税・送料込み) 勧学・加茂仰順和上のありがたいご法話・ご法語などを集めた本です。 ご注文・お問い合わせはこちらへ ⇒ monshian91@yahoo.co.jp 聞思庵のウェブサイトはこちらから。 sites.google.com/view/monshian/ホーム?pli=1 平田聞思の論文『親鸞聖人の往生理解』を公開中。 sites.google.com/view/monshian/論文/親鸞聖人の往生理解 平田聞思の論文『「信心正因・...
浄土真宗の法話「凡夫の計らいがあってはいけない①」加茂仰順和上 1990年8月10日 長門市 西光寺
มุมมอง 7192 หลายเดือนก่อน
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浄土真宗の教学「三願転入のこころ③」平田聞思
มุมมอง 7433 หลายเดือนก่อน
「三願転入のこころ①」はこちらから。 th-cam.com/video/-WSylzVSb6E/w-d-xo.html 「三願転入のこころ②」はこちらから。 th-cam.com/video/nrDngBfV85Q/w-d-xo.html 「浄土真宗の教学」(平田聞思)の再生リストはこちらから。 th-cam.com/video/_SvHAPiUBYk/w-d-xo.html 平田聞思・編著『真実の信心を獲る~加茂仰順和上随聞記』探究社 2300円(税・送料込み) 勧学・加茂仰順和上のありがたいご法話・ご法語などを集めた本です。 ご注文・お問い合わせはこちらへ ⇒ monshian91@yahoo.co.jp 聞思庵のウェブサイトはこちらから。 sites.google.com/view/monshian/ホーム 平田聞思の論文『親鸞聖人の往生理解』を公開中。 sites.googl...
2018年3月22日 浄土真宗の法話「歎異鈔のこころ㉘」第十四条「摂取不捨の願②」平田聞思 長門市・西光寺
มุมมอง 4303 หลายเดือนก่อน
「摂取不捨の願①」はこちらから。 th-cam.com/video/xMWin8hJYxM/w-d-xo.html 「歎異抄のこころ」の再生リストはこちらから。 th-cam.com/video/6wJz1zDK71g/w-d-xo.html 平田聞思・編著『真実の信心を獲る~加茂仰順和上随聞記』探究社 2300円(税・送料込み) 勧学・加茂仰順和上のありがたいご法話・ご法語などを集めた本です。 ご注文・お問い合わせはこちらへ ⇒ monshian91@yahoo.co.jp 聞思庵のウェブサイトはこちらから。 sites.google.com/view/monshian/ホーム 平田聞思の論文『親鸞聖人の往生理解』を公開中。 sites.google.com/view/monshian/論文/親鸞聖人の往生理解 平田聞思の論文『「信心正因・称名報恩」は正しい法義といえるのか?』を公...
2018年3月22日 浄土真宗の法話「歎異鈔のこころ㉗」第十四条「摂取不捨の願①」平田聞思 長門市・西光寺
มุมมอง 4333 หลายเดือนก่อน
「摂取不捨の願②」はこちらから。 th-cam.com/video/lKmCN4h-azs/w-d-xo.html 「歎異抄のこころ」の再生リストはこちらから。 th-cam.com/video/6wJz1zDK71g/w-d-xo.html 平田聞思・編著『真実の信心を獲る~加茂仰順和上随聞記』探究社 2300円(税・送料込み) 勧学・加茂仰順和上のありがたいご法話・ご法語などを集めた本です。 ご注文・お問い合わせはこちらへ ⇒ monshian91@yahoo.co.jp 聞思庵のウェブサイトはこちらから。 sites.google.com/view/monshian/ホーム 平田聞思の論文『親鸞聖人の往生理解』を公開中。 sites.google.com/view/monshian/論文/親鸞聖人の往生理解 平田聞思の論文『「信心正因・称名報恩」は正しい法義といえるのか?』を公...
浄土真宗の法話「歎異鈔のこころ㉖」第十三条「我が心の善くて殺さぬにはあらず②」平田聞思 2018年1月16日 長門市・西光寺
มุมมอง 3604 หลายเดือนก่อน
「我が心の善くて殺さぬにはあらず①」はこちらから。 th-cam.com/video/w56x1gwCDZw/w-d-xo.html 「歎異抄のこころ」の再生リストはこちらから。 th-cam.com/video/6wJz1zDK71g/w-d-xo.html 平田聞思・編著『真実の信心を獲る~加茂仰順和上随聞記』探究社 2300円(税・送料込み) 勧学・加茂仰順和上のありがたいご法話・ご法語などを集めた本です。 ご注文・お問い合わせはこちらへ ⇒ monshian91@yahoo.co.jp 聞思庵のウェブサイトはこちらから。 sites.google.com/view/monshian/ホーム 平田聞思の論文『親鸞聖人の往生理解』を公開中。 sites.google.com/view/monshian/論文/親鸞聖人の往生理解 平田聞思の論文『「信心正因・称名報恩」は正しい法義と...
浄土真宗の法話「歎異鈔のこころ㉕」第十三条「我が心の善くて殺さぬにはあらず①」平田聞思 2018年1月16日 長門市・西光寺
มุมมอง 4854 หลายเดือนก่อน
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浄土真宗の教学「三願転入のこころ②」平田聞思
มุมมอง 9975 หลายเดือนก่อน
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浄土真宗の教学「三願転入のこころ①」平田聞思
มุมมอง 1.6K5 หลายเดือนก่อน
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浄土真宗の法話「歎異鈔のこころ㉔」第十二条 本願を信じ念仏を申さば仏になる② 平田聞思 2017年11月22日 長門市・西光寺
มุมมอง 4685 หลายเดือนก่อน
浄土真宗の法話「歎異鈔のこころ㉔」第十二条 本願を信じ念仏を申さば仏になる② 平田聞思 2017年11月22日 長門市・西光寺
浄土真宗の法話「歎異鈔のこころ㉓」第十二条 本願を信じ念仏を申さば仏になる① 平田聞思 2017年11月22日 長門市・西光寺
มุมมอง 4775 หลายเดือนก่อน
浄土真宗の法話「歎異鈔のこころ㉓」第十二条 本願を信じ念仏を申さば仏になる① 平田聞思 2017年11月22日 長門市・西光寺
浄土真宗の法話「あなたの名を呼ぶ」加茂仰順和上 1992年1月14日 長門市・向岸寺
มุมมอง 7806 หลายเดือนก่อน
浄土真宗の法話「あなたの名を呼ぶ」加茂仰順和上 1992年1月14日 長門市・向岸寺
浄土真宗の法話「歎異鈔のこころ㉒」第十一条 誓願・名号の不思議② 平田聞思 2017年9月22日 長門市・西光寺
มุมมอง 5357 หลายเดือนก่อน
浄土真宗の法話「歎異鈔のこころ㉒」第十一条 誓願・名号の不思議② 平田聞思 2017年9月22日 長門市・西光寺
浄土真宗の法話「歎異鈔のこころ㉑」第十一条 誓願・名号の不思議① 平田聞思 2017年9月22日 長門市・西光寺
มุมมอง 6377 หลายเดือนก่อน
浄土真宗の法話「歎異鈔のこころ㉑」第十一条 誓願・名号の不思議① 平田聞思 2017年9月22日 長門市・西光寺
浄土真宗の法話「歎異鈔のこころ⑳」第十条 無義をもって義とす② 2017年7月22日 長門市・西光寺
มุมมอง 5668 หลายเดือนก่อน
浄土真宗の法話「歎異鈔のこころ⑳」第十条 無義をもって義とす② 2017年7月22日 長門市・西光寺
浄土真宗の法話「歎異鈔のこころ⑲」第十条 無義をもって義とす① 2017年7月22日 長門市・西光寺
มุมมอง 6398 หลายเดือนก่อน
浄土真宗の法話「歎異鈔のこころ⑲」第十条 無義をもって義とす① 2017年7月22日 長門市・西光寺
浄土真宗の法話「大悲の願船」加茂仰順和上 1992年1月14日 長門市・向岸寺
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浄土真宗の法話「大悲の願船」加茂仰順和上 1992年1月14日 長門市・向岸寺
浄土真宗の法話「岩尾の身(勅命に順う)」加茂仰順和上 1992年1月14日 長門市・向岸寺
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浄土真宗の法話「地獄ゆきの私⑤」加茂仰順和上 1979年7月20日 京都・三河詰所
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浄土真宗の法話「地獄ゆきの私⑤」加茂仰順和上 1979年7月20日 京都・三河詰所
南無妙法蓮華経🙏
ようこそお聴聞くださいました。南無阿弥陀仏。
阿弥陀様に帰命せよ!😊南無阿弥陀仏🙏方角違いとは何かを理解しました。信心したかどうかの議論はしてはいけない。方角違いに気をつけます。阿弥陀様に段々と育てていただく。ありがとうございます。🙏
ようこそお聴聞くださいました。南無阿弥陀仏。
ありがとうございます。宝のような動画です。何度もご聴聞致します。
ようこそお聴聞くださいました。南無阿弥陀仏。
いつも分かりやすいご解説ありがとうございます。勉強になります。
ようこそお聴聞くださいました。南無阿弥陀仏。
“弥陀をたのむが念仏なり“ 行信は同時不離一体なんですね! 行信一念隠顕説が正しいとしらされました、ありがとうございました🙏🏿 南無阿弥陀仏
ようこそお聴聞くださいました。南無阿弥陀仏。
ありがとうございます。南無阿弥陀仏
ようこそお聴聞くださいました。南無阿弥陀仏。
もったいないご本願です なまんだぶ なまんだぶ ありがとうございます
本当にもったいないご本願ですね。南無阿弥陀仏。
ありがとうございます。南無阿弥陀仏
ようこそお聴聞くださいました。南無阿弥陀仏。
Facebook上で、諸先生方に、平田先生のこの動画について、ご意見を伺ってみました。 A布教使さま「自覚があろうが無かろうが、自覚を往生の証拠とするのが間違い。証拠は南無阿弥陀仏😊🙏」 F先生「この考え方でいくと、信一念以後の信は過去形になってしまいますね。自分の記憶になった信は、 その時々の意識によって、これで大丈夫と思ったり、これではダメだと思ったり、変化してしまうのです。 ところで、仏教では「時に別体なし、法によって立つ」と言いますが、時には実体はなく、ものごとの変化を時間としているだけなのです。 親鸞聖人が「信の一念」ということをおっしゃったのは、本願を信受したと同時に、往生が定まるという変化があるからです。 この前後は「時間的前後」を言っているのではなく、同時に起こることの「論理的前後」なのです。 光が届くのと闇が去るのは同時です。この状況を「明来闇去」とは言えますが、「闇去明来」とは言えません。 これが「論理的前後」ということです。このような獲信は本願力回向という法義の所談です。 『愚禿鈔』の「信受本願は前念命終、即得往生は後念即生なり」という釈がそれです。 この文の「前念命終」とは自力を捨てたことを指し、「後念即生」とは他力にまかせたことを言っています。 ただし、信一念以後も信心は相続することになるのですが、「信を獲た」という記憶を持ち続けるのではなく、 つねに「必ず救う、我にまかせよ」と如来が私をよびたもう声を聞いて、「必ず往生できると、弥陀におまかせ」と安心していくのです。 これが法然聖人や親鸞聖人が「一念多念」ということをおっしゃる意味でした。 信は過去の記憶でもなければ、未来への希望でもなく、ただいま聞こえる仏さまの声に安心することです。 法然聖人が「声につきて往生の思いをなすべし」と言われたとおりです。 先哲が「信は仏辺に仰ぎ、お慈悲は罪悪の機中に味わう」と言われていることを大切にしたいです。 これが浄土真宗の二種深信ということなのです。」 H先生「近代主知主義的理解をふまえた信心解釈ですね。 終始説明に終わっていて、最後の要は「信仰体験」といわれています。これが一念覚知派です。伝統的な異安心です。 「信心決定した心をさして」といわれている「心」は凡夫の心をいわれていますので、親鸞さまの信心が「まこと心」といわれるのは如来の慈悲心ですから。 また、近代主知主義のもたらした言語観を無批判にいらっしゃるので、この論法は、実は戦後の西のありかたからいえば、出てくる言い方であり説明です。 漢文と日本語とのずれを理解しないままに進むとこうなります。」 ご一考、宜しくお願い致します。 合掌 桜嵐坊拝
コメント有難うございます。諸先生方のご意見について私の考えを述べさせていただきます。 A布教使さま「自覚があろうが無かろうが、自覚を往生の証拠とするのが間違い。証拠は南無阿弥陀仏」 「自覚を往生の証拠とするのが間違い。証拠は南無阿弥陀仏」に賛同します。 現在、「自覚があるのかないのか」の論争が行われています。その論争は不毛であり、本願招喚の勅命(=南無阿弥陀仏)から目がそれています。そのことを示すためにこの動画をつくりました。「自覚があるのかないのか」と議論していること自体が自力に陥っているのです。 「自覚があろうが無かろうが」には賛同しかねます。これでは無帰命安心になってしまいます。「仏たすけたまへ」がないからです。ただし「仏たすけたまへ」と帰命した自分の心を眺めたら、それは自力です。私の視線は仏勅に向かっていなければなりません。それでも「仏たすけたまへ」と帰命した一念には、客観的にみれば自覚はあるのです。存覚上人・蓮如上人が言われる「おもひ定むる」です。それがなければ回心はありませんし、報恩の念仏もでません。 F先生「この考え方でいくと、信一念以後の信は過去形になってしまいますね。自分の記憶になった信は、その時々の意識によって、これで大丈夫と思ったり、これではダメだと思ったり、変化してしまうのです」 全くその通りで、このお言葉は、論争で「自覚はある」と主張なさっている方々に当てはまりす。自覚した自分の心を確認し、それを頼りにしているのです。自分の心はふらふらして当てにならないものなのにです。この自分のこころを当てにしたのを自力というのです。②の動画でお話しした「方角違い」です。自分の意識は仏勅に向かっていなければなりません。本願力回向の信心は仏勅を聞くことの外はなく、信の一念から臨終の一念まで一貫して続くものです。自分の心を眺めず、仏勅を頂き、仏勅を頼りにし、生涯仏勅を聞き続けるのですから、この信心は決して揺らぐことがないのです。「自覚があるのかないのか」の論争にはこの視点がありません。このことを②の動画で指摘しました。 F先生「ところで、仏教では「時に別体なし、法によって立つ」と言いますが、時には実体はなく、ものごとの変化を時間としているだけなのです。親鸞聖人が「信の一念」ということをおっしゃったのは、本願を信受したと同時に、往生が定まるという変化があるからです。この前後は「時間的前後」を言っているのではなく、同時に起こることの「論理的前後」なのです。光が届くのと闇が去るのは同時です。この状況を「明来闇去」とは言えますが、「闇去明来」とは言えません。これが「論理的前後」ということです。このような獲信は本願力回向という法義の所談です。『愚禿鈔』の「信受本願は前念命終、即得往生は後念即生なり」という釈がそれです。この文の「前念命終」とは自力を捨てたことを指し、「後念即生」とは他力にまかせたことを言っています。ただし、信一念以後も信心は相続することになるのですが、「信を獲た」という記憶を持ち続けるのではなく、つねに「必ず救う、我にまかせよ」と如来が私をよびたもう声を聞いて、「必ず往生できると、弥陀におまかせ」と安心していくのです。これが法然聖人や親鸞聖人が「一念多念」ということをおっしゃる意味でした。信は過去の記憶でもなければ、未来への希望でもなく、ただいま聞こえる仏さまの声に安心することです。法然聖人が「声につきて往生の思いをなすべし」と言われたとおりです。先哲が「信は仏辺に仰ぎ、お慈悲は罪悪の機中に味わう」と言われていることを大切にしたいです。これが浄土真宗の二種深信ということなのです。」 このお言葉からは多くのことを学ばせて頂きましたが、基本的に私の領解と一致しております(②の動画をご参照下さい)。帰命するのも回心するのも、仏勅に促されて私が私の意識のうちにするのです。させられると言った方がいいかもしれませんが、お聖教ではもっぱら機辺で語られています。この辺のことも「自覚があるのかないのか」の論争には欠けていると思います。 H先生「近代主知主義的理解をふまえた信心解釈ですね」 江戸時代から現代にいたる先哲の中には、お聖教の言葉に自分の解釈を加える方が多く見られます。私は、それはよくないと思っていて、お聖教の言葉の通りを頂いています。ですから、H先生のご指摘は、「ほんとうに私の話についておっしゃっているのだろうか?」と、まったく腑に落ちません。 H先生「終始説明に終わっていて、最後の要は「信仰体験」といわれています。これが一念覚知派です。伝統的な異安心です」 私は、お聖教の言葉に語ってもらおうという立場です。それに若干の説明を加えているに過ぎません。私の解釈や味わいを加える意図は毛頭ありません。お聖教から外れてしまう危険があるからです。 私は②の動画の最後のところで「信仰体験」を否定・批判しているのですから、これも私の話についておっしゃっている言葉とは思えません。 H先生「「信心決定した心をさして」といわれている「心」は凡夫の心をいわれていますので、親鸞さまの信心が「まこと心」といわれるのは如来の慈悲心ですから。また、近代主知主義のもたらした言語観を無批判にいらっしゃるので、この論法は、実は戦後の西のありかたからいえば、出てくる言い方であり説明です。漢文と日本語とのずれを理解しないままに進むとこうなります。」 信心には、「助ける」の仏心(親心)と「助けたまへ」の凡心(受け心)の二面があります。仏心が信心の本体で、それは金剛堅固の親心です。この親心を受け心で頂いたのです。これが仏凡一体です。『御和讃』に「帰命せよ」と言われ、『御文章』に「帰命すれば」と言われているのは受け心です。受け心のない信心を「無帰命安心」といいます。H先生のお説は「無帰命安心」のにおいがします。 「帰命」という言葉について、『教行信証』では主に仏辺から解釈され、『尊号真像銘文』ではもっぱら機辺から解釈されています。『教行信証』だけで領解すると「無帰命安心」に陥りやすいです。蓮如上人は「帰命」という言葉を、もっぱら機辺で語っておられます。 私は、信心のことについて「自覚」という言葉を使うのが嫌いで、他の動画では一切用いていませんが、この動画は「自覚があるのかないのか」の論争について述べたのであることと、中に「信心はだんだんと自覚される」という説があることと、お聖教に「おもひ定むる」という言葉があることとを考え合わせて、あえて「自覚」という言葉を使いました。『観経疏』に「自覚・覚他・覚行窮満、これを名づけて仏となす。「自覚」といふは凡夫に簡異す」と言われているように、「自覚」という言葉は、お聖教では、仏の覚りについていう言葉なのです。ですから私は、信心決定のことを言うに際し、この言葉を使うことを好まないのです。
@ さん 早速、諸先生方に、ご報告して、 ご意見を乞うてみます。
新しい領解文の和上様のお言葉を何度もお聞かせいただいておりますと、だんだんと法然上人様の最期の一枚起請文のように感じます。このお言葉は、私にはまさに加茂仰順和上様の一枚起請文です。
ほんとうに有難いお言葉ですね。南無阿弥陀仏。
@@monshian様 ハイ、なんまんだぶ なんまんだぶ
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 貴重なお話、聴かせていただき、ありがとうございました。
ようこそお聴聞くださいました。南無阿弥陀仏。
拝聴させていただき、ありがとうございました。なかなか真宗で言われる信心をいただくということが腑に落ちなかったのですが、拝聴させていただき、光をあてていただきました。ありがとうございます。 私自身、宗教関係者ではなく、門徒でもない者です。 そのため、ご法話をありがたく聴かせていただきました。
ようこそお聴聞くださいました。引き続きお聴聞ください。南無阿弥陀仏。
拝聴させていただき、ありがとうございました。なかなか真宗で言われる信心をいただくということが腑に落ちなかったのですが、拝聴させていただき、光をあてていただきました。ありがとうございます。 私自身、宗教関係者ではなく、門徒でもない者です。 そのため、ご法話をありがたく聴かせていただきました。
ようこそお聴聞くださいました。南無阿弥陀仏。
例えば教団同士の法論などの場合、お互いが五逆罪になるんでしょうか❓🤔
破和合僧のことでしょうか? 教義について議論することは、正しい教え(正法)を明らかにする営みですから、おおいになされるべきことです。間違った教えを広めることは、それが間違いであることに気づかずに行ったとしても、正法を誹謗することになりますから、人の間違いを指摘し考えを改めさせる行為は、是非とも必要なことです。唯円大徳は「歎異鈔」を書かれ、覚如上人は「改邪鈔」を書かれ、存覚上人は「破邪顕正鈔」を書かれました。いずれも世に広まる邪義を正すためでした。邪義を指摘された者は、考えを改め、指摘されたことに感謝し、正しく領解できたことを喜ぶべきです。自分と自分の教えを受けた人が共に救われる道が開けたのですから。
@@monshian 例えば今回の本願寺派と親鸞会の場合ですが、まだ終わりそうにありません。 SNS上ですが修羅場と化しています。 どうやら、本願寺派側も100%正しいわけでもなさそうに思います。 難しい問題です…
@@HiroyukiIto-Singonsyu-Hakuun おっしゃる通りです。間違いを正しいと思いこんでしまったら、そこから抜け出すのは非常に困難です。正しい教えを聞いても、そちらの方こそ間違いだと感じてしまうのです。 「信心正因・称名報恩」は東西本願寺、親鸞会に共通した教義で、これが正義であり根本義であるとされていますが、私の「「信心正因・称名報恩」ってホント?」という動画を見て頂けばお分かりになりますが、この「信心正因・称名報恩」も怪しいのです。が、この法義に疑義を唱えて本願寺派を破門になった学者すらいらっしゃいます。私は、破門になった学者の方こそ正しかったと考える者です。正しい教えを明らかにし広めるのは大変難しいことなのです。
仰せに従いなんまんだぶつ なんまんだぶ なんまんだぶ
ようこそお聴聞くださいました。南無阿弥陀仏。
ありがとうございます。南無阿弥陀
ようこそお聴聞くださいました。南無阿弥陀仏。
また突然ですみません。 罪業もとよりかたちなし 妄想顛倒のなせるなり 心性もとよりきよけれど この世はまことのひとぞなき (正像末和讃 P619) この和讃は、どんな”意”なのでしょう? またこの和讃を通して、親鸞聖人は私たちに何を伝えたかったのでしょうか?
お釈迦様の教えによると、善悪はもともと一如であって区別はなく、悪という固定した形はないとのことですが、ありもしないことを真実と思う誤った考えによって悪業を起こしてしまっているのです。私たちの心の本性はもともと澄んだ水のように清らかなのだそうですが、風が吹くと波が起こるように心は乱れていて、末法の世にはまことの人はいないのです。 このような私たちですから、阿弥陀様のご本願にお縋りする外に救われる道はないのです。
良くわかりました。ありがとうございました。
己のことしか考えず、この煩悩堕落の心とカラダと口から必ず助ける。と南無阿弥陀仏と来て下さるお慈悲が、恥ずかしくもあり頼もしくもあり本当にお念仏は、泥沼状態の心の中に咲く百蓮華です。 なんまんだぶ なんまんだぶ
ようこそお聴聞くださいました。 諸仏が念仏する人を白蓮華と褒めて下さいます。阿弥陀様のお徳によるとは言え、勿体ないことです。南無阿弥陀仏。
@@monshian 様 いつも、お導きありがとうございます。この先生の動画サイトにたどり着けたのも、きっと阿弥陀さまの本願力です。不思議です。 なんまんだぶ なんまんだぶ
法蔵菩薩様の長い長い御修業が、ありがたいと一言で言うのは勿体なく 阿弥陀さまをお慕いするしかありません。 お念仏も途切れ途切れな私ですが、それでも見捨てること無く摂取していただいて下さる、阿弥陀さま なんまんだぶ なんまんだぶ
ようこそお聴聞くださいました。 まことに勿体ないお慈悲ですね。 南無阿弥陀仏。
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏🙏
ようこそお聴聞くださいました。南無阿弥陀仏。
私たちは南無阿弥陀仏を与えてお浄土へ連れて行くという仏様に成らせて頂くんですね! 本願文の心を詳しく教えて頂きありがとうございました❗️ 南無阿弥陀仏
ようこそお聴聞くださいました。南無阿弥陀仏。
“即得往生“は平生の利益 “往生“は臨終の利益 と教えて頂きとても良く納得できました!①が正しかったんですね、ありがとうございました🙏🏿 南無阿弥陀仏
ようこそお聴聞くださいました。南無阿弥陀仏。
南無阿弥陀仏
ようこそお聴聞くださいました。南無阿弥陀仏。
南無阿弥陀仏
ようこそお聴聞くださいました。南無阿弥陀仏。
平田先生。 引き続き貴重なご法座を公開下さり、有難う御座います。 嘆異抄についてのお話で、師訓十条、異義八条、とのこと。だとすれば、最も誤解されると思われる『悪人正機』とされる(第三条)項は異義ではなかったのですね。 と言うことは、唯円坊の眼から見て、『悪人正機』は誤解されずに伝わっていた。けれども誤解され兼ねないから、改めて説く趣旨の内の一条だと受け止めてよいのでしょうか。 お教え、どうぞ宜しくお願い申し上げます。 併せて、 阿弥陀佛様の本願に接したいと存じ、お聴聞させて頂くと、お聴聞すればする程、疑問が涌いて来るのはどのように考え、どのようにすれば、その隘路から抜け出せるのでしょうか。 お教え、どうぞ宜しくお願い申し上げます。
TH-camnの法話は玉石混淆です。確かな法話を聞かなければ惑わされます。加茂仰順和上と梯實圓和上をお勧めします。ご信心の話になると加茂和上は別格です。 浄土真宗は悪人正機の教えです。異義ではありません。悪人正機の教えを聞いて誤解する人が多いのです。それが異義です。「本願ぼこり」「造悪無礙」などの異義があります。 第三条は真実で、この第三条に対する異議が第十三条です。第十三条の異義が広まっているから、それを正すために、先ず第三条に真実を示して下さっているのです。
平田先生。 こんばんは。 このTH-camを令和7年1月15日に視聴させて頂いて居ます。貴重な過去ご法話をTH-camに揚げて下さり、有難う御座います。 さて、 ①聖徳太子様は救世観音菩薩様ですね。 と言うことは阿弥陀如来様を中心に考えると観音様=聖徳太子さま⇒親鸞聖人さまに示現、が右側で、勢至菩薩様=法然坊源空聖人さまが左側に位置すると考えてよいのでしょうか。 ②また、一般には、聖徳太子さま絵像は阿弥陀三尊とは別のお軸で掛けられて居るかと存じますがその心は何処に有りますでしょうか。 ③そして、本TH-camでの御法座の肝要の一つは、念仏が仰せの様に出来るだけ多く、が望ましいとは存じますが然りとて日々の生活を営む上でお念仏に割ける時間には限度が有ろうかと存じます。その前提の元に、平田先生が阿弥陀佛との一体感を得る為には此れくらいの回数はと感じて居られる回数は何回くらいなのでしょうか。 先生の日日の勤行体験からお教え賜われば幸いです。 また、①、②、何れも本ご法座の肝要かと存じます。併せてお教え賜われば幸いです。どうぞ宜しくお願い申し上げます。
①お寺の本堂では、普通、ご本尊の右に親鸞聖人の軸、右余間に聖徳太子の軸を掛け、ご本尊の左に蓮如上人(法然聖人んの生まれ変わりと言われます)の軸、左余間に七高僧(その七番目が法然聖人)の軸が掛けられます。この掛け方は弥陀三尊に倣ったものです。 ②弥陀三尊は『観無量寿経』に説かれていますから仏説です。その外は伝承です。 ③念仏の数に限りはありませんし、数にこだわるのもよくありません。それは、自分の行いに目が向いているからです。自力に陥る危険性があります。 阿弥陀様の勅命を思い出すことが多ければ念仏も多くなります。念仏が多く称えれば、勅命を思い出すことも多くなります。しかし、念仏の回数を数えることはありません。 法然聖人が念仏を6万遍も7万遍もお称えになったというのは、行としてなさったものと思われます(自力の行ではありません)。
拝聴させて頂きました。ありがとうございました。
ようこそお聴聞くださいました。南無阿弥陀仏。
拝聴させて頂きました。ありがとうございました。
ようこそお聴聞くださいました。南無阿弥陀仏。
落ちこぼれがない。そのままのお助け。法蔵菩薩様のお誓いは本当にありがたいですね〜。巨大で偉大な本願力。 素晴らしい御法話の配信、誠にありがとうございました。南無阿弥陀仏😊
ようこそお聴聞くださいました。南無阿弥陀仏。
ありがとうございます。南無阿弥陀仏
ようこそお聴聞くださいました。南無阿弥陀仏。
南無阿弥陀仏 ハイ、ありがとうございます。参らせていただきます。 なんまんだぶ なんまんだぶ
ようこそお聴聞くださいました。南無阿弥陀仏。
南無阿弥陀仏
ようこそお聴聞くださいました。南無阿弥陀仏。
“落ちるお前よ 我に任せて念仏申せ 必ず浄土へ連れて行くぞよ“ 参らせてもらいます 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 大変尊い御説法ありがとうございます❗️
ようこそお聴聞くださいました。南無阿弥陀仏。
加茂仰順和上のこのお言葉は、お聖教の以下のようなお言葉に基づいています。 私は、阿弥陀如来さまの仰せの (「本願招喚の勅命」・『註釈版』P.170) 「助けるぞよ」を、 (「あまねくもろもろの貧苦を済はずは、誓ひて正覚を成らじ」・P.24) そのまま (「きくといふは、信心をあらはす御のりなり(聞即信)」・P.678) 素直に (「疑蓋間雑なきがゆゑに、これを信楽と名づく」・P.231 「他力には義なきを義とす」・P.621) 「ハイ」と (「帰命と申すは如来の勅命にしたがふこころなり」・P.651) 頂きましたのです。 (「弘誓一乗海は、無礙無辺最勝深妙不可説不可称不可思議の至徳を成就したまへり。(中略)ことに頂戴すべきなり」・P.200~P.202) それが信心を頂きましたのです。 その時、私は阿弥陀如来さまのお助けにお任せしたことになりますから、 (「往生ほどの一大事、(中略)ひとすぢに如来にまかせたてまつるべし」・P.860) 仏徳を全領しまして、 (「功徳は行者の身にみてり」・P.599) 光明に摂取せられまして、 (「一々の光明は、あまねく十方世界を照らし、 念仏の衆生を摂取して捨てたまはず」・P.102) 私は助けられまして、 (「御たすけ治定」・P.1227) お浄土へ参らせて頂くことになりましたのです。 (「往生一定」・P.1227) 私は必ずお浄土へ参らせて頂きます。 (「「願生」はよろづの衆生、本願の報土へ生れんとねがへとなり」・P.678) その後は、「参らせて頂きます」と思うて称名です。 (「そのうへの称名念仏は、如来わが往生を定めたまひし 御恩報尽の念仏とこころうべきなり」・P.1197) 死にます時も、「参らせて頂きます」と思いながら息を切ります。 (「この一念、臨終までとほりて往生するなり」・P.1231) 息の切れた時が、お浄土へ参らせて頂いた時です。 (「念仏の衆生は横超の金剛心を窮むるがゆゑに、 臨終一念の夕、大般涅槃を超証す」・P.264) ああ、まことに嬉しゅうございます。 (「慶喜と申し候ふことは、他力の信心をえて、 往生を一定してんずとよろこぶこころを申すなり」P.806) 有難いことでございます。 (「本願のかたじけなさよ」・P.853) 私の人生はこれだけでございます。 (「一向に金剛の信心ばかりにて、仏恩のふかさ、 師主の恩徳のうれしさ、報謝のためにただ御名を となふるばかりにて」・P.762) これを、声にだして、毎日申させて頂きます。 (蓮如上人の『領解文』をお唱えするのと同じ) 阿弥陀様、有難うございます。 (「憶念の心つねにして、仏恩報ずるおもひあり」・P.555) 嬉しゅうございます。 (「慶喜と申し候ふことは、他力の信心をえて、 往生を一定してんずとよろこぶこころを申すなり」P.806) ナンマンダブ、ナンマンダブ……。
謹んで浄土真宗を案ずるに、二種の回向あり。一つには往相、二つには還相なり。往相の回向について真実の教行信証あり。(教巻) 謹んで往相の回向を案ずるに、大行有り、大信有り。 大行は則ち無碍光如来の名を称するなり。(行巻) あれから考えましたが親鸞聖人の結論はこれなんじゃないでしょうか?ハイ、南無阿弥陀佛の信順、帰命を私の意業、口業と考えるからおかしいのであって、教行信証の全てを阿弥陀如来様から回向された御信心と考えられたのだと思います。 つまりイイエの選択は過去の一念の時なかったのであって、それが今も御回向くださり続けているのが今の私の南無阿弥陀佛のお念仏であると思います。南無阿弥陀佛😊
お聖教の言葉を解釈するときに注意すべきことは、自分の解釈がお聖教の他の言葉との間に矛盾を生じないかどうかです。 信心も念仏も如来回向の法に違いありませんが、私の意業・口業をすべて否定してしまったら、お聖教の次のような言葉との間に矛盾が生じます。 「信を発して称名すれば、光摂護したまふ」(『註釈版』P.486) 「帰命と申すは如来の勅命にしたがふこころなり」(P.651) 「「歓喜」といふは、「歓」は身をよろこばしむるなり、「喜」はこころによろこばしむるなり。うべきことをえてんずとかねてさきよりよろこぶこころなり」(P.678) 「本願のかたじけなさよ」(P.853) 「仏たすけたまへと申さん衆生をば」(P.1189) 意業・口業といっても、如来より起こさしめられた業ですが。 「イイエの選択」とは、どういう意味ですか? ご回向の行信を頂いたのが行信の一念であって、その行信が臨終まで相続するのです。 「今も御回向くださり続けている」と考えると、御回向をその都度頂くようで、往生決定の一念の行信が分からなくなってしまいます。 南無阿弥陀仏。
平田先生、私のコメントにこんなに丁寧なご説明、誠に有難うございます。いや〜そうですね〜 おっしゃる通りです😅 お聖教の言葉を読むと 信じて 従う 喜ぶ 等々、私側の意業、口業を示す言葉が結構多いんですよね〜 この整合性を取る為には。。。ん〜どうしましょうかね?😅 本願に遇う前はイイエ、又は無視、逃げていた。つまり他力に任せていなかった、帰命していなかったと言う意味です。たまたま今生は南無阿弥陀仏のおいわれを聞いて本願他力に信順、帰命できた。でも私の自力の結果で遇えたのではない。 今も御回向続けてくださっている と言うのは、既に摂取されても私は分からず相変わらずの私に今も働き続けて下さっているという意味です。私の知らないうちにご利益、お育て下さっていると言う事です。過去の一念は大切ですが常に今ここの一念が大切だと思うのですが〜 私の頭ではここまでですね〜😂 参りました。。先生の次のご解説をお聴聞させていただきます🙇南無阿弥陀仏
@@monshian 説明、抜けていました。イイエの選択肢はなかったというのは、本願力に出遇った時に磁石に近付いた鉄の様に既に今までの私とは変わっていて、他力によって素直にハイと帰順する私に変えてくださっていたと言う事です。南無阿弥陀仏😅
@@山下清-i3b おっしゃること、よくわかりました。今回のコメントは尊いお領解です。信前信後のお育ては、本願招喚の勅命を聞くところに育てられます。勅命は煩悩具足と信知せしめ、本願力に乗ぜしめる働きであり、そのお育てによって、私は煩悩具足と信知して、本願力に乗ずるのです。本願力に乗じた後も、勅命によって育てられます。勅命は本願のお心ですから本願によって育てられるのであり、本願を広げれば浄土三部経になりますから、三部経を聞くことによって育てられるのです。南無阿弥陀仏。
@@monshian ありがとうございます😊引き続き御聖教を確認しながら、御本願のお働きにお育ていただきたいと思います。南無阿弥陀佛🙏南無阿弥陀佛
余計なことかもしれませんか、残念ながら桜庭さん、添谷さんにかなり論破され叩かれているようです。。。
お知らせ有難うございます。 批判されるべきは、お聖教に基づかない理解、お聖教と矛盾する理解です。加茂和上のお言葉は、一つ一つのお言葉がみなお聖教に基づいています。これを批判される方がいらっしゃるとすれば、その方はお聖教を十分に理解されていないと言わねばなりません。それこそ、お聖教に基づいていないのです。 和上のお言葉が、お聖教のどのようなお言葉に基づいているのかを、コメント欄にお示ししました。
@@monshian ありがとうございます。 書き方がよくありませんでしたね。。失礼しました。 桜庭(桜嵐坊)さんが、添谷氏に批判されているということです。 加茂和上については、桜庭さんは信じていますが、添谷氏は残念ながらアンチのようですね。
@@HiroyukiIto-Singonsyu-Hakuun 了解しました。
@@monshian もちろん私も加茂和上派です。 いつも、ありがとうございます。
南無阿弥陀仏 助けるぞよの仰せをハイ、といただいたのです。 お浄土へ参らせていただきます。 南無阿弥陀仏
ようこそお聴聞くださいました。南無阿弥陀仏。
“自力無効を自覚して自力を捨てて 他力に任せれば往生すると自覚して他力に任せる“ そういう意志をお釈迦と阿弥陀様が起こして下さるのですね! 二尊の勅命に順うしかないことを教えて頂きありがとうございました。 南無阿弥陀仏
ようこそお聴聞くださいました。南無阿弥陀仏。
本願召喚の勅命に順うしかないですね! 南無阿弥陀仏
その通りですね。 南無阿弥陀仏。
光明に摂取される事も不退転に住する事も実際には体験できないご利益(密益)と教えて頂きましたが実際に体験できるご利益(顕益)には具体的にどんなものがあるのでしょうか? よろしくお願い致します❗️
@@たかはしかつまさ 現生十種の益のうち、心多歓喜の益、知恩報徳の益、常行大悲の益が顕益です。(『註釈版』P.251 )
@@monshian 教えて頂きありがとうございました🙏🏿 南無阿弥陀仏
信因称報説は私が賜った御信心つまりお名号が正因であって私の称名、念仏は正因にならないということです。 ①これは一念多念じゃなく無念義になるのか? ②お喚び声に対するハイと言う返事は含まず、助けるぞよと言うお喚び声のみを正因とするのか? ③ハイを含まないなら信順がなく無帰命安心にはならないのか? ④ハイを含むならこの私の意業がお念仏でも許されるのではないか? こういう疑問が出ます。稚拙な理屈ばかりで申し訳ありませんがこんな事を考えました。南無阿弥陀佛🙏南無阿弥陀佛
それからいろいろ調べたりして考えました。やっぱり御信心に私の意業のハイは含まないで、阿弥陀如来様のお喚び声を聞いてそれを信受させて頂くところまでと考えました。その信受したところで私の往生の正因が成就したので、自然に信順、帰命が私の心に起こり、阿弥陀如来様のお働きのままに称名を相続するのだと整理しました。いろいろ疑問を並び立てて失礼しました。南無阿弥陀佛🙏南無阿弥陀佛
おっしゃる通り、信因称報説は矛盾が多いのです。間違いだから矛盾が生じるのです。南無阿弥陀仏。
@@monshian ありがとうございます😊今回の問題提起のお陰で、いろいろな親鸞聖人のお言葉に触れることができました。これからも私の頭が追いつくところまで阿弥陀如来様のお心を知りたいと思います😊南無阿弥陀佛
あなたのおっしゃる「御信心に私の意業のハイは含まないで、阿弥陀如来様のお喚び声を聞いてそれを信受させて頂くところまでと考えました。その信受したところで私の往生の正因が成就したので、自然に信順、帰命が私の心に起こり、阿弥陀如来様のお働きのままに称名を相続するのだ」という理解は信因称報説と同じです。 南無阿弥陀仏。
繰り返しお聴聞させて頂いております、また、今後のお話も楽しみにしております。いつも有難うございますm(__)m 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏🙏
ようこそお聴聞くださいました。南無阿弥陀仏。
平田聞思先生。 動画配信ありがとうございます。 最近動画にて、ご聴聞致しております。日課になりつつあります。 ありがたいです。 急ぎお礼まで。 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
ようこそお聴聞くださいました。南無阿弥陀仏。
大変尊い御説法ありがとうございました、何回も重ねて聞かせていただきます❗️ 参らせてもらいます 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
ようこそお聴聞くださいました。南無阿弥陀仏。
たびたび自分の心の内を観ている自分がありますが、その度に阿弥陀さまのお心に立ち戻り、仰せをお聞かせいただくばかりです。 ありがたいです。 なんまんだぶ なんまんだぶ
おっしゃる通り、そこが有難いところですね。 南無阿弥陀仏。
有難うございました 南旡阿彌陀佛🙏
ようこそお聴聞くださいました。南無阿弥陀仏。
有難うございました 南旡阿彌陀佛🙏
ようこそお聴聞くださいました。南無阿弥陀仏。
有り難うございます🙇🙏
ようこそお聴聞くださいました。南無阿弥陀仏。
阿弥陀さまのご本願のお心、お聞かせいただきました。 「はい、参らせていただきます。」なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ
ようこそお聴聞くださいました。南無阿弥陀仏。
南無阿弥陀仏
ようこそお聴聞くださいました。南無阿弥陀仏。
何度もコメントすみません。リンクにある平田先生の論文を拝読させて頂きました。とても全部理解したとは言えませんが、こんなに大切な問題提起だとは思っていませんでした😮教行信証を読むと真実の行信は表裏一体で語られているようです。もし大信一つが正因なら、行の巻には念仏は正因ではなく報恩行であるとのいうことがもっと説明されている筈です。浄土真宗は他力の信心が重要だと思いますが名号と念仏も同時に同じ様に重要と思われていたと思います。私なんかに結論は出せませんがこれを機会にお聖教を少しづつ読みたいと思います😊南無阿弥陀佛🙏南無阿弥陀佛
論文をお読み下さったとのこと、嬉しく思います。 「もし大信一つが正因なら、行の巻には念仏は正因ではなく報恩行であるとのいうことがもっと説明されている筈です」とのご指摘、とても重要なことと思います。行の巻に限らず、お聖教のどこを探しても「念仏は正因ではない」とは説かれていません。 南無阿弥陀仏。
@@monshian 信の巻の 真実信心必具名号 名号必不具願力信心也 とのお言葉に辿りつきました。お名号もお称名も御信心も阿弥陀如来様から本願成就回向を賜ったに違いありませんが、自力の念仏、称名をこちらから回向するのでは正因にならないとのお言葉と領解しました😊一つの疑問から、お陰様で数多くの親鸞聖人のお言葉を聞くことができました。南無阿弥陀佛🙏南無阿弥陀佛