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この作品で武田勝頼を演じてたのが、今では龍が如くの桐生一馬役で有名な黒田崇矢氏。NHK時代劇では雲霧仁左衛門で2代目のナレーションを務めるなど、知る人ぞ知る活躍をなさってます。
えええ、マジですか。リアタイでこの大河見てましたし、「如く」も好きですけど全然気付かなかった😆
勝頼に最後まで付き添った兵がカッコイイな。最後の最後まで主君を守ろうとしてる。
後は身内が裏切る中最後まで勝頼に付いた真田昌幸も立派だね。主君をころころ変えて色々言われて武田軍に最後まで裏切らなかった真田昌幸と長篠で勝頼を守るために散った真田兄弟、真田軍こそ真の義の武将。
@@武田信玄-f9m まぁでも裏で北条に臣従する約束もしてるあたり、真田昌幸らしい。
@@myofficialchannel3068 ガチ❓️情報提供あすm(__)m
@@武田信玄-f9m そこが、最後の最後で勝頼を裏切って「古今未曽有の不忠者」と織田勢に首を刎ねられた小山田信茂との相違ですね。
跡部勝資ー元々跡部氏は、甲斐源氏の分裂一族だけど、信虎の代に本家は滅ぼされ分家は武田氏に従った。その子孫が勝頼とともに天目山で自害した跡部勝資。
信勝は勝頼の子供である一方で信長の孫でもある。寝返れば命は助かったはずだけど長篠以降も勝頼側につき続けた勝頼が慕われていたのがよくわかる
勝頼も決して無能ではなかったんですよね。ただ、「ある程度の有能さ」など蹴散らされてしまうほどに敵が強すぎた。いわば大阪桐蔭野球部がMLBのチームとガチンコ勝負するようなもんで。それだけに最期における悲劇性がより強まってくるという・・・・・
さすがの信長も、まさか自分の滅亡が数ヶ月に迫ってるなんて夢にも思っていないでしょうね。
岩櫃に逃げていればな。小山田は長篠のときも消極的な戦しかしなかった。穴山もそう。なぜその後もこいつ等を重用したのか。高坂弾正が長篠の直後「穴山や小山田を処刑すべき」と進言したのは正しかった。
前場所が分からず行けなかった北条夫人の墓参りいかないとなぁ。北条絶縁後も最後まで勝頼に付いてきて逃げずに立派な姫だわ。
え?厨二なのか?
@@鬼将会-n3m どうした?
信長には天が味方してるとしか見えなかったのに最後の最後で見放されたな・・・
ダーさシグマ果たすべき役割、時代の新築みたいなモノが終わったから召されたんだよ。
源義経や明智光秀や真田幸村や豊臣秀頼は、逃げ延びて生存伝説あるけど、武田勝頼はないねぇ。
一応四国説ありますよ〜
この時代に私は武田勝頼とかじゃなくてお付の武士として死にたい
北条姉妹の嫁ぎ先、武田勝頼と今川氏真。方や天目山、方やお屋敷で家族子供に恵まれ長寿を全う。運命の残酷さよ。
日本戰國時代 我觀看(40年前錄影帶電影) 戰國武將其中之一武將 武田信玄是我最喜歡 最欣賞的威武的武將 讚!讚!讚!Wonderful 💯👍👍👍👍👍👍🤗
そして、この3ヶ月後に信長も・・・・。
恵林寺を焼いた天罰じゃッ!
@@大石裕章 恵林寺を焼いたのは、信忠なんだよなぁ。『信長公記』読み直してこい、たわけめが。
@@本多平八郎忠勝-e4k 🙇🙇🙇
武田滅亡と本能寺ってやはり繋がりがあるのでしょうか?たらればになりますが勝頼が昌幸の城に行ってその3ヶ月後にも本能寺は起きたのでしょうか?それとも武田滅亡が本能寺フラグの必須なのか?いつも考えてしまいます。
@@高秘 たしか武田攻めに光秀も参陣していたので、時期は関係あると思います。
100日後に死ぬ信長 23日目
嫡男が(自害したとはいえ)いなくなった武田家は後継者問題で失敗するが武田家滅亡の半年後に嫡男が(謀叛で)いなくなった織田家は後継者問題で同じように弱体化し滅亡したのは皮肉。
山梨県民だからか辛い…
勝頼を主人公に大河を作って作ってくれないかな(くれないだろうな)
ムチャゴロー 第1話 天目山
まず勝頼の記録なさすぎて作ろうにも作れない
赤いアミ 第1〜49話 天目山 50話 10分の勝頼の生涯
(´・ω・`)…可能性はギレンの野望の新作が出るのと同等。。。
諏訪頼重・諏訪御寮人・諏訪勝頼の三代ものなら話が埋まるかも
北条夫人は自ら喉元突いてしまい、苦しむ姿を見てられなかった勝頼が介錯した話もあったような。(つまり自刃の順が違う)首を斬られたあとの亡骸は、没頭地蔵のあたりか、君臣ともに甲将殿のあたりに埋められた、と伝わっているものの、過去の発掘調査では人骨は見つかってない。今も景徳院のどこかで眠っているのか、と思うと。。。
個人意見🤔日本戰國時期最可惜就是武田家滅亡😢,假如武田勝賴能同兒子武田信勝兵分兩路逃亡,武田信勝去投奔真田昌幸,只要能等多3個月發生本能寺之變,武田家或者可能收復甲斐和信濃🙇♂️
勝頼の最期が作品によっててんでばらばら。文献だと自刃ではなく乱戦の末あっさりと首討たれたというが、いっぺんリアルな描写をやる余地おおいにあるだろう。大河ドラマ「勝頼」とかね。
織田信長め〜! のところは本当は 小山田信茂め〜! といっていただろう
穴山梅雪めーともね
ごめんね🙇🙏
温水洋一めー
介錯なしに切腹でバタバタと倒れていく違和感
お腹に剣を刺した位では簡単に絶命しません。テレビドラマだけの話ですね〜‼️
好意的?に見れば、心臓を一突きのようにも見えますが。😅
そうやな。瀕死の時間が結婚長くなるな
@@孝一阿部-r5nお腹に刺した剣で脊髄を切断したことで下半身不随状態になって動けなかった可能性も・・・・・
この頃から大河が薄っぺらくなってきた
信玄公の七男信清公だけは、越後上杉景勝公に亡命して、生き残ったんですよね。
武田家の親戚筋や譜代衆が勝頼を見限り離反する中、最期まで共にした元長尾家重臣の大熊朝秀。長男が真田家に使えていたので大熊家の血筋は真田信之の家中で受け継がれて行きました。
裏切りっていうイメージがあったけど最後は武田で終えたのか
勝頼をテーマに大河ドラマを作ってほしい(無理)
@妃の三村 さんへ恐らくそれは鈴木保奈美さんが初主演した「おんな風林火山」ですね。
@@djapan5948 裏の大河が独眼竜政宗だから仕方がないです。
勝頼ではなく真田昌幸をやるべき。真田昌幸をやれば昌幸の前半生と共に勝頼の生涯も描くことができますよ。
勝頼が信長に滅ぼされたとき、当時16歳だった勝頼の嫡男の信勝は土屋山城守高久に伴われて落ち延びた。信勝は、武田家と同じく新羅三郎義光を祖とする上州羽沢村(群馬県甘楽郡南牧村羽沢)の羽沢城主市川四郎兵衛貞吉に匿われた。信勝は49才で没し南牧村大日方笹ノ平に埋葬された。その後、武田家の嫡流は市川の分家という立場で生き延びた。なお、大正3年の大正天皇祖奥井式典に際し信玄公に従三位を贈位することになった。位記宣明を受け取る信玄公の正統の子孫を決めるにあたり、市川家伝承の古文書、墓等が山梨県によって詳細に調査されたが正統と断定されるまでには至らなかった。
生い立ちからして複雑だし織田徳川と真っ向からやりあってるからドラマにしやすいと思う
やはり、長篠での大敗が痛すぎた。信長は武田の抑えは家康に任せ、織田と武田の戦力差が十分すぎるほど開くのを待って一気に攻め滅ぼしたという感じだ。
その後7年間はもっているんですが、それはどう説明するんですかねぇ?
長篠は武田が総力かけて出陣した訳ではない。長篠城奪還の為出陣したが、兵力差優位にたてる為、織田・徳川連合軍が撃って出た。信長も総力戦なら危険であり勝負は挑まなかっただろう。逆に信玄なら戦わず甲斐に引き揚げただろう。この戦は単に数の差。だから、敗戦後も尚、武田は強いから信長もそうやすやすとは強襲はしなかった。勝頼は諏訪家の跡取りであり、武田家家臣は勝頼を裏切り、最期迄戦ったのは武田家では無く諏訪家と言える。
@@本多平八郎忠勝-e4k コメ主が書いている「戦力差が十分すぎるほど開くのを待って」というのがその7年じゃないの?
@@本多平八郎忠勝-e4k なんにせよそんなに偉そうにすることは無いし、間違っていると言えるなら説明してあげるべき
@@本多平八郎忠勝-e4k 7年待ったって言ってるやん笑笑
勝頼のミスも多々あったとはいえ、武田家滅亡は信玄の責任も大きいと私は思います。
桐生一馬の若かりし頃だな。このとき黒田隆也、今は黒田崇矢。カッコイイわ。
暮れなずむ街の光と影の中去り行くあなたへ贈る言葉
勝頼は決して愚鈍ではない、但し信玄との比較、効を焦ってしまった感はあります。でも、私はこの時代にいれば、小山田信茂、梅雪にはならず、お供の武士として死にたい。ラストサムライは信玄、勝頼に繋がるものがあります。
まあ、信玄のカリスマ性ありきの最強軍団ですからね。三国志の魏延と孔明の関係に近いかもしれませんね。
せいぜいがとこ、戸次川での仙石秀久だね。
愚鈍だよ。しかも見栄っ張り。必要の無いものに金使う。内外に武田の偉容を知らしめる為だけに葬儀に金かけたり、不要な城を築いたり(結果的に退却の際にあっさり焼いている。)しかも財政難の時にだよ。老重臣の忠告も聞かず側近をイエスマンで固め、長篠の敗退を招いた1番のアホ。
@@mashimashiforza8340 残念ですが、武田勝頼の資金不足は信玄の頃から始まってました。信玄は戦をして領土を拡大すればするほど赤字を出していました。あと、長篠の戦いも信玄なら撤退していたという意見もありますが、撤退してからどうするか?北条も敵に回ってるし、上杉も敵。すでに資金が尽きていた武田氏。しかし、それでも武田氏の財政面を立て直した勝頼は政治力は優れていたでしょう。もしミスをしたとしたら、上杉家のゴタゴタの時に上杉景虎についたことかもです。しかし、逆に景勝についたからといって生き残れるとは限りません。北条は信長について裏切る可能性もあります。どちらにしても武田家の滅亡は免れない。もし免れるとしたら、戦う前に国を明け渡すしかありません。
いちじくあたま 何ドヤ顔して資金不足とか(笑)そんな折、信玄は甲州金の裏打ちが有ればこその支出増大なの。対する勝頼はその金山収入が激減する中、無用な城を建てたり、信玄の葬式も過分な金をかけたの。そこを無能と言ってるの。わかる?脳味噌、いちじくなの?腐ってるの?
山本勘助と武田信繁が長生きしてれば武田はもう少し続いてたな
それはあるな
武田義信…飯富虎昌…山県昌景…彼等が生きておれば…
信繁はともかく勘助はどうかな?謙信に作戦見破れちゃった軍師だからね。秀吉のところで両兵衛よりだいぶレベル落ちる気がするんだけど。
後長篠で勝頼が家臣の言うこと聞いてればなーもう少し持ったのは間違いないよね
いうて山本勘助は生きてればって年齢ではないんじゃないか川中島で討たれなくても織田との戦いが本格化する前に寿命が来てそう
緒形直人、菊池桃子、的場浩司、保阪尚希、杉本哲太、仲村トオル、中山美穂、鷲尾いさ子、若村麻由美・・・、当時、この若い世代が大河「信長」を盛り上げたと思うッ!
中山美穂が大河に出てたの。珍しい。菊池桃子もだけど。若村麻由美は初めからアイドルというより女優な感じがするな。
アイドルとは言っていなかったですね。失礼しました。
・信玄の西上作戦直後で疲弊した国内・勝頼時代に枯渇した金山・信玄のカリスマ性に頼り切りで中央集権化出来なかったこと・勝頼の出自が元々は敵方だった諏訪氏だったこと(余談だか、織田連合軍の武田領侵攻の際、唯一徹底抗戦した高遠城は嘗ての諏訪領で、仁科盛信の下で戦った城兵はで諏訪家の旧臣や諏訪一族だった)・信玄が「勝頼は陣代で後継者は勝頼の子である信勝である」と宣言したため、勝頼がリーダーシップを取りづらい状況だったこと・場当たり的な外交で北条を敵に回し、西に織田、南に徳川、東に北条と三方を敵に囲まれたこと・唯一の同盟国上杉は御館の乱直後で、その上織田の侵攻を控えており到底援軍に迎える状況ではなかったこと・こういした状況で自軍が籠る高天神城を結果的に見殺しにしてしまい、これで自家の武将からの信用を完全に失ったこと(自家の武将から「武田の為に戦っても勝頼は助けてくれない」と失望されたことが、後の織田連合軍侵攻の際に離反が相次いだ原因となった)滅んだのは勝頼の時代だけど、信玄の頃から滅亡への布石は出来ていた。
KI I
信玄がもう少し生きていたらおそらく家康は信長を裏切っただろうそもそも武田代々の信は与えられておらず4男に家督を継承は当然考えていなかったしあくまでも諏訪家を継ぐ諏訪四郎勝頼である後に武田勝頼と言われているから正当な後継者の様に見えるが信玄が家臣、武田との血縁者はことごとく裏切った
武田家滅亡は勝頼のミスも多々あったんでしょうけど、根本的な原因は信玄が作っていたと私も思ってます。
結局勝頼は「信玄の死後速やかに信長に全領地を差し出して臣従する」しか生き延びる道はなかったわけか・・・・・もしそうしたとしても松永久秀と同類に見られていただろうけど。
@@shinpeikitajima7115 信玄が信長に謙信との和睦仲介を頼んでおきながら家康を攻めた事で信長は謙信への手紙に「武田とは金輪際手を結ばない」と書く程に激怒したらしいから、臣従が受け入れられないかもしれません。仮に臣従が受け入れられたとしても、勝頼は家臣達に追放されるか殺される事になった可能性もあると思います。武田家家臣達も名門意識や独立心、領土欲が強い者が多かったらしいですから、守護代の家臣筋という素性が怪しい身である織田に臣従しようとするかつて武田と敵対した諏訪家の血を引く勝頼を追放したり殺す事に躊躇いはないかもしれません。そして家臣達が別の信玄の血を引く者を担ぎ出して傀儡当主とし、織田との敵対姿勢を続けるかもと思います。
若かりし頃の、桐生一馬の切腹。
武田勝頼が戦闘で負けたのは、長篠の戦いだけ。
その1回が致命的過ぎ。それを言ったら、秀次も三成も負けは1回だけ。それで戦下手のイメージが付いちゃってるが、秀次は四国攻めや九戸鎮圧をそつなくこなしているし、三成も、忍城は負けたと言うより、決着つくまえに小田原が落ちちゃったので停戦和睦になっただけなので、厳密には負けではない。関ケ原も家康との調略合戦で負けたのであって、戦場での采配が下手で負けたわけではない。でも致命的な敗北をすると戦下手って言われちゃうんだよね。
第二次高天神も負けてるだろ
三成は忍城攻めも負けにカウントされるのでは...😅
@@ひで-r1x んー、あれは信長に騙されて援軍出さなかったからで、戦闘で負けたってことでは無いと思うです。
@@真田安房守-h4t 秀次は優秀だから消されたんでしょうね。
勝頼の敗因は御館の乱の際に景勝側につき、北条と手切れをしてしまったこと。南北に反武田勢力をつくったことでより滅亡の道に近づかせた。そして何よりも、高天神城の国衆を見殺しにしてしまったこと。これにより、勝頼頼むに足らずという印象を与えてしまった(おまけに、これは信長の術中でもあった)。
腹を刺したからとスグには死にません。出血し心臓が停止して3~4秒で意識がなくなるのです。スグに動かなくなるのは気絶しているのです。
死ぬまで数時間数話使って放送しましょうまだやっとんのやって感じても仕方ない
史実では、勝頼親子は織田の雑兵に討たれ、首を取られています。勝頼親子が切腹したという話は、武田の名誉を守りたいと思った甲陽軍鑑の作者の創作です。
逆に最後まで足掻いたのは素晴らしい
だよね。そして勝ちゃんの首は京都のオダノブの元に送られ、オダノブは勝ちゃんの首を罵りながらサッカーボールみたいに蹴り続けたんだよね。
甲陽軍鑑ではむしろ戦死として描かれていますよ。史実では、とおっしゃいますが、現状戦死したとする史料・・・甲陽軍鑑、三河後風土記、当代記自刃したとする史料・・・甲乱記、理慶尼記、三河物語と、分かれているのが実際のところです。私個人としては、父子共にひとしきり暴れて自刃した、というのが武田家らしいかな、と考えています。
@@khf-80eg16 三河物語などでは信長は勝頼の首と対面した時に日の本に隠れなき弓取りであったが運が尽きて斯様になったと語ったらしいです。
体中槍で突かれたそうで。
勝頼は力がなくなったあとも息子も妻も阿部勝富を始めとした多くの家臣が味方についた。信長は全盛期に家臣に裏切られたどころか直接殺された。人間性の違い。この三ヶ月後、信長は首も残らず消失した
このシーンに登場する勝頼の嫡男がおそらく元服間もない位でしょうにスゴく健気で素晴らしいです。よく子役で見かけた特徴ある長い顔の人だけど、伊崎充さん?でしたっけ。
演技力光ってますよね!
宗家が滅亡しただけで甲斐武田氏は滅亡してない
宗家が滅亡しただけで←ここ笑うとこ?
確か吉良さんや今川さんのような高家になった
曾て今川義元が桶狭間合戦で輿に乗って移動したことを後世の人は馬に乗れないだの、脚が短いだの、軟弱な京風志向だのと、散々なイメージで語り継がれましたが、こうして信長もよく時代劇で見る義元のと同じような拵えの輿に乗っています。これは武家でも将軍家に近い名門や高位の者に認められたステータスのようなものだそうです。脚の長さは関係ないのです。
龍造寺隆信「そうだぞ身体は関係ないんだぞ」
本当であれば腹を切ったぐらいでは人は苦しむだけでスグ死なないので介錯人がいたと思うのだが。
天目山の戦いっていうかもうこれ武田狩り。戦にすらならないレベルで兵力差があったそうな。数万数千VS数十じゃ無謀
無謀じゃないから織田は大軍で押し寄せた。それ位武田兵は強かった。それに天目山合戦の時は精鋭45人で尾張兵1000人以上を虐殺しているし。
@@杉田竜馬 戦闘力高過ぎて怖い!
@@黒狐-t8l つるを掴んで片手の短刀だけで織田兵を斬りまくった人もいたからね
@@nanasimovie7864 3世代揃ってゴリゴリの武道派だったのか😅
@@nanasimovie7864 それが作り話って信じてないのが笑えるわw
武田家存続のためには織田と対峙するのではなく信長・徳川との和睦・同盟しか道は無かったただ信玄の死後にその機会があったとしても家格と家臣が邪魔しちゃうかな方や新羅三郎以来の源氏の名門、織田なんぞは所詮成り上がり者って頭もあるだろうし勝頼がそう思っても甲州、信濃の国人衆も反対しただろうけど対等な同盟なら織田にも武田にも悪くない話多少遅れたけど信忠に松姫を輿入れさせりゃなんとかなったんじゃないだろうかあと第一次河東一乱のときにもし甲相駿三国同盟が締結されていれば「桶狭間の戦い」は無かっただろうし信長は尾張の一大名で終わっていたかもしれず秀吉や家康の出番も激減しただろう義元が存命で嫡男の氏真が天下を取る世界線があってもいいと思うんだな
武田信勝 実は、伊達政宗と真田幸村と同い年。
緒方直人かっこいい!
当時は緒形直人の信長じゃ柔弱だなみたいな声もあった記憶ですが今見ると凄く良いですね
こういう武家の滅び方を見ていると、やっぱ最後の方ではもう一族郎党か忠義の者数名しかいないよね。中世の軍団組織がいかに脆弱なものであったか、利害関係で成り立っていたかがよくわかる。
執権北条家の最後は東勝寺に一族郎党が集まってしたものだが、500人の集団切腹でありそれが日本史上一か所での最多の切腹のはず
第4次川中島の戦いで武田信繁が上杉勢に討ち取られなければ信玄亡き後も武田家は持ち堪えたかも。信繁が生きていれば信玄と嫡男の義信の仲違いも無かったかもしれないし、仮に史実通りに勝頼が当主であっても信繁が後見役になっていたら勝頼もやりやすかったかも。
確かに。信繁はガチの名将で、あの謙信ですら信繁には一目置いてたしたね
やはり諏訪御料人の怨念かと...
茶々が親の敵、秀吉をやはり怨んでいたのか・・・?太閤秀吉死後、自ら子・秀頼と共に大坂落城を選んだのは・・・?
天目山の戦いと言っても、織田軍数千人に対し、武田軍数十人。ほとんど落ち武者狩りのようなもの。それにしても、このBGMは武田滅亡の哀れを醸し出しているね。
甲斐之虎的意志由真田繼承!
勝頼役の人は龍が如くの主人公の声を当てている方
勝者為王 敗者為寇 天意 天地之間 如果 是 仁者為王 天下一片祥和 不知 該多好! 武田信玄 我還是崇拜他 尊敬為 武聖 讚!讚!讚! Wonderful💯👍👍👍👍👍👍🔥🔥🔥🔥🔥🔥💚💚💚💚💚💚
勝頼を責めはしない時代が悪すぎた。信長が生存なら次に上杉、毛利、長宗我部も同じ運命を辿っていただろう。
武田信玄晴信 おれは勝頼が悪いと思う。
全ては朝倉義景が元凶かと 陣引き上げ→信玄激怒病気悪化→滅亡へ
武田信玄晴信 雪を理由にだっけ?たしかに戦犯だね
勝頼の場合完全にバカ親の尻拭いだからねえ。バカな親を持つと子供は苦労する。
確かに信玄の3年動くなという遺言はアウトやな。その間に浅井、朝倉、長島一向一揆は滅ぼされ味方を失った。
有難うございます。勝頼ファンとして、映像を初めて見ました。この天目山での自刃は色々な記録がありますが、映画などで取り扱われることが極めて少なく殆ど、見た事がありません。勝頼の最後は謹慎にした土屋と言う部下が馳せ参じ勝頼と生死を共にしたい忠義。更に息子の信勝が16歳で敵を討ち取り勝頼も大変喜んだのです。奥様の北条から嫁いだ姫はまだ19歳、でも、北条に逃げる事を拒み、勝頼と死にたいと願ったのです。勝頼は37歳の壮絶な死です。これで武田宗家は滅びましたが、真田昌幸の上州沼田に逃げていれば、十分助かったのです。譜代の家臣、小山田信茂を頼ったために部下に裏切られ命を落としました。しかし、裏切る部下の中でも、40数名の女性たちや数少ない部下達は最後まで勝頼と生死を共にしました。有名な辞世の句もあります。家康は勝頼の死を惜しみ、部下を大勢、徳川軍団に召抱えました。家康は大嫌いですが、こういうところは高い評価を与えます。才能がありながら父、信玄公の存在が大きすぎたので部下に「器が違う」と見下され、苦労して10年支えましたが、無念の死です。実に残念です。
長篠の戦い以降家臣の裏切りが相次ぎもう戦える状態ではなかったその裏切った家臣たちは皆家康のもとへ流れ、やがて徳川幕府創設に貢献することになる
その中には志村けんさんのご先祖様の志村又左衛門貞盈と鶴見辰吾さんの父方のご先祖様の鶴見市右衛門則宗も含まれていました。志村又左衛門貞盈は武田二十四将の一人だった山県昌景の右腕的家臣で、長篠の戦いで戦死した山県昌景の首を織田・徳川連合軍に奪われないように守りきり、徳川家康の家臣になってからは甲州街道を守る八王子千人同心の志村組の組頭になりました。鶴見市右衛門則宗は詳しいことは分かりませんが武田二十四将のいずれかの右腕的家臣だったそうです。徳川家康の家臣になってからは、徳川家康の母親の於大の方の実家である水野家の家臣になりました。
名門ゆえに叩かなければならないことも歴史は語る… いつの時代も統一は難しいものだと。
このあと、「骨を折った甲斐があった」と若干寒いシャレを言って信長さんに怒られる光秀さんなのでした。
勝頼父子は真田を頼るべきでした。武田家は滅びませんでした
信長「国人領主の真田の元に行ったので攻めないでおきましょう」真田「勝頼様がきたので受け入れましょう」素晴らしい世界線
@@猫ドラム-q3u全く意味がわかりません。小学生以下です
岩櫃城に逃げ込んで3か月後に本能寺の変が起きないで信州に留まると北陸勢を除いて真田総攻めになるか。滝川、信忠、河尻、森、木曽、徳川、北条か。いくら真田でも無理ゲーか。
ナレーションが懐かしい!あてぶれーで!おぶりがーど!
そもそも武田が織田との同盟を翻意にしなければここまでの事には、ならなかったんじゃないの?
信玄…
@@たなつー-m4g 後年に信長自身も勝頼について「親父(信玄)の不始末に振り回されたツキの無い奴」とこぼしたと聞いたことある。跡継ぎ他にいるから養子に出されたが跡継ぎが使えなくなったと呼び出される(武田家当主としての正統性を疑われ内部の士気低迷?)、隣国との同盟関係の事実上破棄(外交、軍事面での課題?)などに悩まされ勝頼が「戦わなければ(武田家当主として)生き残れない」と血気盛んになった一因らしい。
確か武田勝頼の御先祖様の誰かも勝頼達が自害した場所の直ぐ近くで自害しているんだよね。歴史的な皮肉
武田信満公かな?
この終焉の地、景徳院には何度かお参りしました。
土屋昌恒という私のご先祖様はどちらへ?勝頼に最後まで付き従った数少ない武将としてそこそこメジャーだと思うんですがハブられる……
ちきんぱん 片手千人斬りで有名な武将ですよね
昔の日本って素晴らしいな。家臣とかそれを守る兵隊とかもちろん逃げたりする兵も居たんやろうけど昔の人は義があるから好き
大河ドラマでは無理だろうけど、勝頼が主人公のドラマを作ってくれないかなぁ。
正月特番とかならありそうですね
悲哀の猛虎ってタイトルで大河やって欲しい
迫真淫夢動物園 いいねそれ
勝賴的勝負 = 只是負於還處於冷兵器時代 ; 否則:就算他爹信玄來打打看??也還是會慘敗@@ ※因此勝賴的敗死只是時不我予 ≠ 並非他昏庸所致 註:勝賴昏庸推翻說
普通に国力差だよ。
古の天皇の血を引く一族同士が殺し合い首を取り合っていたと考えると、日本の歴史は中々に悍ましいよな。
今の医療技術だったら迅速に手当てすれば全員助かったかも・・・・・
あ、画面見てると勝頼は心臓を突き刺していたから即死に近い状態だったかも・・・・・
信玄もっと、長生きしてればなぁ。
長生きというより跡目をちゃんと決めれば。
信玄、謙信があと2年長生きしてたら信長はマジでヤバかったのでしょう。
@@慈悲-t9x やっぱり信玄が駿河欲しさに嫡男殺しちゃったのが痛いな…
@@たなつー-m4g 信玄とて人間の子だから判断ミスもあるんですよ。甲斐信濃だけじゃ海が無いから塩取れないし難しいね。
今年中に敵は本能寺にありて言えるのかな?
織田信長が強過ぎたのか。
リアルすぎる
結果論だけど、小山田信茂が裏切らず、大軍が攻めにくい岩殿城に籠って戦っていたら、かなりの年月を要しただろうし、そのうち信長が本能寺で討ち死にするわけだから、情勢が変わっていたかも知れない。
武田征伐が終わらないと信長は機内に帰らないからそもそも本能寺の変が起こらないよ
真田昌幸がどう出てたかで変わるからそこは気になるな
@@ひで-r1x引きこもって援軍も出さないんじゃない?
@@猫ドラム-q3u いやでも信長は真田に傍観するように促したから匿うのは別に自由。そうなってた世界線が気になった
時期がだんだん暖かくなるから、季節も武田軍に味方しないし、拠点もすぐ作れちゃうしね。籠もって防戦がやっとか。
素晴らし方
勝頼様・・・何処かで見たなと思ったら、黒田隆哉さんだ
「龍が如く」の桐生一馬でおなじみの
「飛ぶが如く」では別府晋介役・・・。
信長が生きてたら毛利も降伏したやろーな
家臣が皆離反したからな。
わたしが最後の一人になったらこっそり逃げる。ので、てっきりそうするのかとおもったわ。
勝頼「そなた達先に逝け。わしは当主として見届けてから黄泉に参ろうぞ」家臣「ありがたき幸せ!それではお先に!うっ」勝頼「ぴゅーーっと逃げよう」
緒形直人若いなーー
勝頼に関しては先代の信玄の代に相当問題あったからな、そもそも勝頼は武田家当主と言っても元々は母親の実家の諏訪氏の総領(だから武田家の子供の名前に付ける信が付かず諏訪家の子供に付ける頼が付いている)で武田家継いだ時は言わば出戻りって事で武田家の旧臣の中には侮る家臣がいたりとにかく家臣をまとめるだけでも一苦労、長篠の戦も本来撤退か静観すべき所もそういった家来の手前強気に出ないと家臣に見限られる可能性もあって仕方なく攻撃したなんて説もあるくらいだし。
山本勘助がもう少し長く生きてたらって思うと...
同じく、信繁さまもね。勘助は生きてたら80近いな
勘助なんて無能じゃん。
勘助って第四次川中島の戦いで「きつつきの戦法」を上杉謙信に見破られた責を負って、乱軍に突入し戦死したんだっけ?
戰國妹好漂亮@@"
日本の武士の自害の仕方は、非常に不合理。他の国々では、頸動脈を切る。そのほうが合理的。苦しまないし、確実に死ねる。
そこが美学よ、
作法に合理性を求めるのは野暮
切腹も腹を十文字に切った後に頸動脈を切るんですけど、なかなかそこまでコンプリートできなかったみたいですね。
騎馬戦という従来の戦法で戦ったのを新参かつチートの鉄砲にやられたことがなんか許せなくて小さい頃は信長が嫌いだったw
真田昌幸を信じて岩櫃に向かっていれば。。。
真田もろとも踏み潰されて終わりっすね
その真田も拒否るっすね
もしかして大河ドラマ「信長」では武田信勝を演じる小橋賢児もやっていましたね。
今の人たちは、これしか言わんか!んっまぁっ良かろ!
心頭を滅却すれば火もまた涼し。
コメントが面白いわ
切腹的是武田勝賴 武田信玄死後 遺志勝賴接手 然後硬A織田跟德川聯軍 被三千鐵槍把三萬多武田軍打到剩渣
I think I'm lost how the fuck did I get to this part of the internet
Lol
天目山の戦い (甲州征伐)天目山の戦いとは1582年(天正10年)織田信長が、1575年の長篠の合戦以降衰えた武田家を滅ぼした戦い。1582年(天正10年)信長は、天目山で武田勝頼をを敗った。敗れた勝頼は自刃した。武田家の滅亡。
除了腹切得不真实之外,战斗场面还算复原得不错
そもそもこの原因は信玄やと感じる…💧
いつの時代にも親の七光りってのは居るもんだね
真田の力をかりたらよかったのに、あとは国内に城を作らんかったのも問題。
敵を作りすぎたのもやな
信長の策略でほとんど家臣は裏切ったからねー
ブライアンの子役時代か
この作品で武田勝頼を演じてたのが、今では龍が如くの桐生一馬役で有名な黒田崇矢氏。
NHK時代劇では雲霧仁左衛門で2代目のナレーションを務めるなど、知る人ぞ知る活躍をなさってます。
えええ、マジですか。リアタイでこの大河見てましたし、「如く」も好きですけど全然気付かなかった😆
勝頼に最後まで付き添った兵がカッコイイな。最後の最後まで主君を守ろうとしてる。
後は身内が裏切る中最後まで勝頼に付いた真田昌幸も立派だね。主君をころころ変えて色々言われて武田軍に最後まで裏切らなかった真田昌幸と長篠で勝頼を守るために散った真田兄弟、真田軍こそ真の義の武将。
@@武田信玄-f9m まぁでも裏で北条に臣従する約束もしてるあたり、真田昌幸らしい。
@@myofficialchannel3068 ガチ❓️情報提供あすm(__)m
@@武田信玄-f9m そこが、最後の最後で勝頼を裏切って「古今未曽有の不忠者」と織田勢に首を刎ねられた小山田信茂との相違ですね。
跡部勝資ー元々跡部氏は、甲斐源氏の分裂一族だけど、信虎の代に本家は滅ぼされ分家は武田氏に従った。その子孫が勝頼とともに天目山で自害した跡部勝資。
信勝は勝頼の子供である一方で信長の孫でもある。
寝返れば命は助かったはずだけど長篠以降も勝頼側につき続けた
勝頼が慕われていたのがよくわかる
勝頼も決して無能ではなかったんですよね。ただ、「ある程度の有能さ」など蹴散らされてしまうほどに敵が強すぎた。いわば大阪桐蔭野球部がMLBのチームとガチンコ勝負するようなもんで。
それだけに最期における悲劇性がより強まってくるという・・・・・
さすがの信長も、まさか自分の滅亡が数ヶ月に迫ってるなんて夢にも思っていないでしょうね。
岩櫃に逃げていればな。
小山田は長篠のときも
消極的な戦しかしなかった。
穴山もそう。
なぜその後も
こいつ等を重用したのか。
高坂弾正が長篠の直後
「穴山や小山田を処刑すべき」と進言したのは正しかった。
前場所が分からず行けなかった北条夫人の墓参りいかないとなぁ。北条絶縁後も最後まで勝頼に付いてきて逃げずに立派な姫だわ。
え?厨二なのか?
@@鬼将会-n3m どうした?
信長には天が味方してるとしか見えなかったのに最後の最後で見放されたな・・・
ダーさシグマ
果たすべき役割、時代の新築みたいなモノが終わったから召されたんだよ。
源義経や明智光秀や真田幸村や豊臣秀頼は、逃げ延びて生存伝説あるけど、武田勝頼はないねぇ。
一応四国説ありますよ〜
この時代に私は武田勝頼とかじゃなくてお付の武士として死にたい
北条姉妹の嫁ぎ先、武田勝頼と今川氏真。方や天目山、方やお屋敷で家族子供に恵まれ長寿を全う。運命の残酷さよ。
日本戰國時代 我觀看(40年前錄影帶電影) 戰國武將其中之一武將 武田信玄是我最喜歡 最欣賞的威武的武將 讚!讚!讚!Wonderful 💯👍👍👍👍👍👍🤗
そして、この3ヶ月後に信長も・・・・。
恵林寺を焼いた天罰じゃッ!
@@大石裕章 恵林寺を焼いたのは、信忠なんだよなぁ。『信長公記』読み直してこい、たわけめが。
@@本多平八郎忠勝-e4k 🙇🙇🙇
武田滅亡と本能寺って
やはり繋がりがあるのでしょうか?
たらればになりますが
勝頼が昌幸の城に行って
その3ヶ月後にも本能寺は
起きたのでしょうか?
それとも武田滅亡が
本能寺フラグの必須なのか?
いつも考えてしまいます。
@@高秘 たしか武田攻めに光秀も参陣していたので、時期は関係あると思います。
100日後に死ぬ信長 23日目
嫡男が(自害したとはいえ)いなくなった武田家は後継者問題で失敗するが武田家滅亡の半年後に嫡男が(謀叛で)いなくなった織田家は後継者問題で同じように弱体化し滅亡したのは皮肉。
山梨県民だからか辛い…
勝頼を主人公に大河を作って作ってくれないかな
(くれないだろうな)
ムチャゴロー 第1話 天目山
まず勝頼の記録なさすぎて作ろうにも作れない
赤いアミ 第1〜49話 天目山 50話 10分の勝頼の生涯
(´・ω・`)…可能性はギレンの野望の新作が出るのと同等。。。
諏訪頼重・諏訪御寮人・諏訪勝頼の三代ものなら話が埋まるかも
北条夫人は自ら喉元突いてしまい、苦しむ姿を見てられなかった勝頼が介錯した話もあったような。(つまり自刃の順が違う)
首を斬られたあとの亡骸は、没頭地蔵のあたりか、君臣ともに甲将殿のあたりに埋められた、と伝わっているものの、過去の発掘調査では人骨は見つかってない。今も景徳院のどこかで眠っているのか、と思うと。。。
個人意見🤔日本戰國時期最可惜就是武田家滅亡😢,假如武田勝賴能同兒子武田信勝兵分兩路逃亡,武田信勝去投奔真田昌幸,只要能等多3個月發生本能寺之變,武田家或者可能收復甲斐和信濃🙇♂️
勝頼の最期が作品によっててんでばらばら。
文献だと自刃ではなく乱戦の末あっさりと首討たれたというが、いっぺんリアルな描写をやる余地おおいにあるだろう。
大河ドラマ「勝頼」とかね。
織田信長め〜! のところは本当は 小山田信茂め〜! といっていただろう
穴山梅雪めーともね
ごめんね🙇🙏
温水洋一めー
介錯なしに切腹でバタバタと倒れていく違和感
お腹に剣を刺した位では簡単に絶命しません。テレビドラマだけの話ですね〜‼️
好意的?に見れば、心臓を一突きのようにも見えますが。😅
そうやな。瀕死の時間が結婚長くなるな
@@孝一阿部-r5n
お腹に刺した剣で脊髄を切断したことで下半身不随状態になって動けなかった可能性も・・・・・
この頃から大河が薄っぺらくなってきた
信玄公の七男信清公だけは、越後上杉景勝公に亡命して、生き残ったんですよね。
武田家の親戚筋や譜代衆が勝頼を見限り離反する中、
最期まで共にした元長尾家重臣の大熊朝秀。
長男が真田家に使えていたので大熊家の血筋は
真田信之の家中で受け継がれて行きました。
裏切りっていうイメージがあったけど最後は武田で終えたのか
勝頼をテーマに大河ドラマを作ってほしい(無理)
@妃の三村 さんへ
恐らくそれは鈴木保奈美さんが初主演した「おんな風林火山」ですね。
@@djapan5948 裏の大河が独眼竜政宗だから仕方がないです。
勝頼ではなく真田昌幸をやるべき。
真田昌幸をやれば昌幸の前半生と共に勝頼の生涯も
描くことができますよ。
勝頼が信長に滅ぼされたとき、当時16歳だった勝頼の嫡男の信勝は土屋山城守高久に伴われて落ち延びた。信勝は、武田家と同じく新羅三郎義光を祖とする上州羽沢村(群馬県甘楽郡南牧村羽沢)の羽沢城主市川四郎兵衛貞吉に匿われた。信勝は49才で没し南牧村大日方笹ノ平に埋葬された。その後、武田家の嫡流は市川の分家という立場で生き延びた。
なお、大正3年の大正天皇祖奥井式典に際し信玄公に従三位を贈位することになった。位記宣明を受け取る信玄公の正統の子孫を決めるにあたり、市川家伝承の古文書、墓等が山梨県によって詳細に調査されたが正統と断定されるまでには至らなかった。
生い立ちからして複雑だし織田徳川と真っ向からやりあってるからドラマにしやすいと思う
やはり、長篠での大敗が痛すぎた。信長は武田の抑えは家康に任せ、
織田と武田の戦力差が十分すぎるほど開くのを待って一気に攻め滅ぼしたという感じだ。
その後7年間はもっているんですが、それはどう説明するんですかねぇ?
長篠は武田が総力かけて出陣した訳ではない。
長篠城奪還の為出陣したが、兵力差優位にたてる為、織田・徳川連合軍が撃って出た。
信長も総力戦なら危険であり勝負は挑まなかっただろう。
逆に信玄なら戦わず甲斐に引き揚げただろう。
この戦は単に数の差。
だから、敗戦後も尚、武田は強いから信長もそうやすやすとは強襲はしなかった。
勝頼は諏訪家の跡取りであり、武田家家臣は勝頼を裏切り、最期迄戦ったのは武田家では無く諏訪家と言える。
@@本多平八郎忠勝-e4k コメ主が書いている「戦力差が十分すぎるほど開くのを待って」というのがその7年じゃないの?
@@本多平八郎忠勝-e4k なんにせよそんなに偉そうにすることは無いし、間違っていると言えるなら説明してあげるべき
@@本多平八郎忠勝-e4k 7年待ったって言ってるやん笑笑
勝頼のミスも多々あったとはいえ、武田家滅亡は信玄の責任も大きいと私は思います。
桐生一馬の若かりし頃だな。
このとき黒田隆也、今は黒田崇矢。
カッコイイわ。
暮れなずむ街の光と影の中去り行くあなたへ贈る言葉
勝頼は決して愚鈍ではない、但し信玄との比較、効を焦ってしまった感はあります。でも、私はこの時代にいれば、小山田信茂、梅雪にはならず、お供の武士として死にたい。ラストサムライは信玄、勝頼に繋がるものがあります。
まあ、信玄のカリスマ性ありきの最強軍団ですからね。三国志の魏延と孔明の関係に近いかもしれませんね。
せいぜいがとこ、戸次川での仙石秀久だね。
愚鈍だよ。しかも見栄っ張り。必要の無いものに金使う。内外に武田の偉容を知らしめる為だけに葬儀に金かけたり、不要な城を築いたり(結果的に退却の際にあっさり焼いている。)しかも財政難の時にだよ。老重臣の忠告も聞かず側近をイエスマンで固め、長篠の敗退を招いた1番のアホ。
@@mashimashiforza8340 残念ですが、武田勝頼の資金不足は信玄の頃から始まってました。信玄は戦をして領土を拡大すればするほど赤字を出していました。あと、長篠の戦いも信玄なら撤退していたという意見もありますが、撤退してからどうするか?北条も敵に回ってるし、上杉も敵。すでに資金が尽きていた武田氏。しかし、それでも武田氏の財政面を立て直した勝頼は政治力は優れていたでしょう。もしミスをしたとしたら、上杉家のゴタゴタの時に上杉景虎についたことかもです。しかし、逆に景勝についたからといって生き残れるとは限りません。北条は信長について裏切る可能性もあります。どちらにしても武田家の滅亡は免れない。もし免れるとしたら、戦う前に国を明け渡すしかありません。
いちじくあたま 何ドヤ顔して資金不足とか(笑)そんな折、信玄は甲州金の裏打ちが有ればこその支出増大なの。対する勝頼はその金山収入が激減する中、無用な城を建てたり、信玄の葬式も過分な金をかけたの。そこを無能と言ってるの。わかる?脳味噌、いちじくなの?腐ってるの?
山本勘助と武田信繁が長生きしてれば武田はもう少し続いてたな
それはあるな
武田義信…飯富虎昌…山県昌景…
彼等が生きておれば…
信繁はともかく勘助はどうかな?
謙信に作戦見破れちゃった軍師だからね。
秀吉のところで両兵衛よりだいぶレベル落ちる気がするんだけど。
後長篠で勝頼が家臣の言うこと聞いてればなーもう少し持ったのは間違いないよね
いうて山本勘助は生きてればって年齢ではないんじゃないか
川中島で討たれなくても織田との戦いが本格化する前に寿命が来てそう
緒形直人、菊池桃子、的場浩司、保阪尚希、杉本哲太、仲村トオル、中山美穂、鷲尾いさ子、若村麻由美・・・、当時、この若い世代が大河「信長」を盛り上げたと思うッ!
中山美穂が大河に出てたの。珍しい。菊池桃子もだけど。若村麻由美は初めからアイドルというより女優な感じがするな。
アイドルとは言っていなかったですね。失礼しました。
・信玄の西上作戦直後で疲弊した国内・勝頼時代に枯渇した金山・信玄のカリスマ性に頼り切りで中央集権化出来なかったこと・勝頼の出自が元々は敵方だった諏訪氏だったこと(余談だか、織田連合軍の武田領侵攻の際、唯一徹底抗戦した高遠城は嘗ての諏訪領で、仁科盛信の下で戦った城兵はで諏訪家の旧臣や諏訪一族だった)・信玄が「勝頼は陣代で後継者は勝頼の子である信勝である」と宣言したため、勝頼がリーダーシップを取りづらい状況だったこと・場当たり的な外交で北条を敵に回し、西に織田、南に徳川、東に北条と三方を敵に囲まれたこと・唯一の同盟国上杉は御館の乱直後で、その上織田の侵攻を控えており到底援軍に迎える状況ではなかったこと・こういした状況で自軍が籠る高天神城を結果的に見殺しにしてしまい、これで自家の武将からの信用を完全に失ったこと(自家の武将から「武田の為に戦っても勝頼は助けてくれない」と失望されたことが、後の織田連合軍侵攻の際に離反が相次いだ原因となった)滅んだのは勝頼の時代だけど、信玄の頃から滅亡への布石は出来ていた。
KI I
信玄がもう少し生きていたらおそらく家康は信長を裏切っただろう
そもそも武田代々の信は与えられておらず4男に家督を継承は当然考えていなかったしあくまでも諏訪家を継ぐ諏訪四郎勝頼である
後に武田勝頼と言われているから正当な後継者の様に見えるが信玄が家臣、武田との血縁者はことごとく裏切った
武田家滅亡は勝頼のミスも多々あったんでしょうけど、根本的な原因は信玄が作っていたと私も思ってます。
結局勝頼は「信玄の死後速やかに信長に全領地を差し出して臣従する」しか生き延びる道はなかったわけか・・・・・
もしそうしたとしても松永久秀と同類に見られていただろうけど。
@@shinpeikitajima7115
信玄が信長に謙信との和睦仲介を頼んでおきながら家康を攻めた事で信長は謙信への手紙に「武田とは金輪際手を結ばない」と書く程に激怒したらしいから、臣従が受け入れられないかもしれません。
仮に臣従が受け入れられたとしても、勝頼は家臣達に追放されるか殺される事になった可能性もあると思います。
武田家家臣達も名門意識や独立心、領土欲が強い者が多かったらしいですから、守護代の家臣筋という素性が怪しい身である織田に臣従しようとするかつて武田と敵対した諏訪家の血を引く勝頼を追放したり殺す事に躊躇いはないかもしれません。
そして家臣達が別の信玄の血を引く者を担ぎ出して傀儡当主とし、織田との敵対姿勢を続けるかもと思います。
若かりし頃の、桐生一馬の切腹。
武田勝頼が戦闘で負けたのは、長篠の戦いだけ。
その1回が致命的過ぎ。
それを言ったら、秀次も三成も負けは1回だけ。
それで戦下手のイメージが付いちゃってるが、秀次は四国攻めや九戸鎮圧をそつなくこなしているし、三成も、忍城は負けたと言うより、決着つくまえに小田原が落ちちゃったので停戦和睦になっただけなので、厳密には負けではない。
関ケ原も家康との調略合戦で負けたのであって、戦場での采配が下手で負けたわけではない。
でも致命的な敗北をすると戦下手って言われちゃうんだよね。
第二次高天神も負けてるだろ
三成は忍城攻めも負けにカウントされるのでは...😅
@@ひで-r1x
んー、あれは信長に騙されて援軍出さなかったからで、戦闘で負けたってことでは無いと思うです。
@@真田安房守-h4t
秀次は優秀だから消されたんでしょうね。
勝頼の敗因は御館の乱の際に景勝側につき、北条と手切れをしてしまったこと。南北に反武田勢力をつくったことでより滅亡の道に近づかせた。そして何よりも、高天神城の国衆を見殺しにしてしまったこと。これにより、勝頼頼むに足らずという印象を与えてしまった(おまけに、これは信長の術中でもあった)。
腹を刺したからとスグには死にません。出血し心臓が停止して3~4秒で意識がなくなるのです。スグに動かなくなるのは気絶しているのです。
死ぬまで数時間数話使って放送しましょう
まだやっとんのやって感じても仕方ない
史実では、勝頼親子は織田の雑兵に討たれ、首を取られています。
勝頼親子が切腹したという話は、武田の名誉を守りたいと思った甲陽軍鑑の作者の創作です。
逆に最後まで足掻いたのは素晴らしい
だよね。
そして勝ちゃんの首は京都のオダノブの元に送られ、オダノブは勝ちゃんの首を罵りながらサッカーボールみたいに蹴り続けたんだよね。
甲陽軍鑑ではむしろ戦死として描かれていますよ。
史実では、とおっしゃいますが、現状
戦死したとする史料・・・甲陽軍鑑、三河後風土記、当代記
自刃したとする史料・・・甲乱記、理慶尼記、三河物語
と、分かれているのが実際のところです。
私個人としては、父子共にひとしきり暴れて自刃した、というのが武田家らしいかな、と考えています。
@@khf-80eg16
三河物語などでは信長は勝頼の首と対面した時に日の本に隠れなき弓取りであったが運が尽きて斯様になったと語ったらしいです。
体中槍で突かれたそうで。
勝頼は力がなくなったあとも息子も妻も阿部勝富を始めとした多くの家臣が味方についた。信長は全盛期に家臣に裏切られたどころか直接殺された。人間性の違い。この三ヶ月後、信長は首も残らず消失した
このシーンに登場する勝頼の嫡男がおそらく元服間もない位でしょうにスゴく健気で素晴らしいです。
よく子役で見かけた特徴ある長い顔の人だけど、伊崎充さん?でしたっけ。
演技力光ってますよね!
宗家が滅亡しただけで甲斐武田氏は滅亡してない
宗家が滅亡しただけで←ここ笑うとこ?
確か吉良さんや今川さんのような高家になった
曾て今川義元が桶狭間合戦で輿に乗って移動したことを後世の人は馬に乗れないだの、脚が短いだの、軟弱な京風志向だのと、散々なイメージで語り継がれましたが、こうして信長もよく時代劇で見る義元のと同じような拵えの輿に乗っています。
これは武家でも将軍家に近い名門や高位の者に認められたステータスのようなものだそうです。
脚の長さは関係ないのです。
龍造寺隆信「そうだぞ身体は関係ないんだぞ」
本当であれば腹を切ったぐらいでは人は苦しむだけでスグ死なないので介錯人がいたと思うのだが。
天目山の戦いっていうかもうこれ武田狩り。戦にすらならないレベルで兵力差があったそうな。
数万数千VS数十じゃ無謀
無謀じゃないから織田は大軍で押し寄せた。それ位武田兵は強かった。それに天目山合戦の時は精鋭45人で尾張兵1000人以上を虐殺しているし。
@@杉田竜馬 戦闘力高過ぎて怖い!
@@黒狐-t8l つるを掴んで片手の短刀だけで織田兵を斬りまくった人もいたからね
@@nanasimovie7864 3世代揃ってゴリゴリの武道派だったのか😅
@@nanasimovie7864
それが作り話って信じてないのが笑えるわw
武田家存続のためには織田と対峙するのではなく信長・徳川との和睦・同盟しか道は無かった
ただ信玄の死後にその機会があったとしても家格と家臣が邪魔しちゃうかな
方や新羅三郎以来の源氏の名門、織田なんぞは所詮成り上がり者って頭もあるだろうし
勝頼がそう思っても甲州、信濃の国人衆も反対しただろうけど対等な同盟なら織田にも武田にも悪くない話
多少遅れたけど信忠に松姫を輿入れさせりゃなんとかなったんじゃないだろうか
あと第一次河東一乱のときにもし甲相駿三国同盟が締結されていれば「桶狭間の戦い」は無かっただろうし
信長は尾張の一大名で終わっていたかもしれず秀吉や家康の出番も激減しただろう
義元が存命で嫡男の氏真が天下を取る世界線があってもいいと思うんだな
武田信勝 実は、伊達政宗と真田幸村と同い年。
緒方直人かっこいい!
当時は緒形直人の信長じゃ柔弱だなみたいな声もあった記憶ですが今見ると凄く良いですね
こういう武家の滅び方を見ていると、やっぱ最後の方ではもう一族郎党か忠義の者数名しかいないよね。中世の軍団組織がいかに脆弱なものであったか、利害関係で成り立っていたかがよくわかる。
執権北条家の最後は東勝寺に一族郎党が集まってしたものだが、500人の集団切腹でありそれが日本史上一か所での最多の切腹のはず
第4次川中島の戦いで武田信繁が上杉勢に討ち取られなければ信玄亡き後も武田家は持ち堪えたかも。
信繁が生きていれば信玄と嫡男の義信の仲違いも無かったかもしれないし、仮に史実通りに勝頼が当主であっても信繁が後見役になっていたら勝頼もやりやすかったかも。
確かに。信繁はガチの名将で、あの謙信ですら信繁には一目置いてたしたね
やはり諏訪御料人の怨念かと...
茶々が親の敵、秀吉をやはり怨んでいたのか・・・?太閤秀吉死後、自ら子・秀頼と共に大坂落城を選んだのは・・・?
天目山の戦いと言っても、織田軍数千人に対し、武田軍数十人。ほとんど落ち武者狩りのようなもの。
それにしても、このBGMは武田滅亡の哀れを醸し出しているね。
甲斐之虎的意志由真田繼承!
勝頼役の人は龍が如くの主人公の声を当てている方
勝者為王 敗者為寇 天意 天地之間 如果 是 仁者為王 天下一片祥和 不知 該多好! 武田信玄 我還是崇拜他 尊敬為 武聖 讚!讚!讚! Wonderful💯👍👍👍👍👍👍🔥🔥🔥🔥🔥🔥💚💚💚💚💚💚
勝頼が信長に滅ぼされたとき、当時16歳だった勝頼の嫡男の信勝は土屋山城守高久に伴われて落ち延びた。信勝は、武田家と同じく新羅三郎義光を祖とする上州羽沢村(群馬県甘楽郡南牧村羽沢)の羽沢城主市川四郎兵衛貞吉に匿われた。信勝は49才で没し南牧村大日方笹ノ平に埋葬された。その後、武田家の嫡流は市川の分家という立場で生き延びた。
なお、大正3年の大正天皇祖奥井式典に際し信玄公に従三位を贈位することになった。位記宣明を受け取る信玄公の正統の子孫を決めるにあたり、市川家伝承の古文書、墓等が山梨県によって詳細に調査されたが正統と断定されるまでには至らなかった。
勝頼を責めはしない時代が悪すぎた。信長が生存なら次に上杉、毛利、長宗我部も同じ運命を辿っていただろう。
武田信玄晴信 おれは勝頼が悪いと思う。
全ては朝倉義景が元凶かと 陣引き上げ→信玄激怒病気悪化→滅亡へ
武田信玄晴信 雪を理由にだっけ?たしかに戦犯だね
勝頼の場合完全にバカ親の尻拭いだからねえ。バカな親を持つと子供は苦労する。
確かに信玄の3年動くなという遺言はアウトやな。その間に浅井、朝倉、長島一向一揆は滅ぼされ味方を失った。
有難うございます。勝頼ファンとして、映像を初めて見ました。この天目山での
自刃は色々な記録がありますが、映画などで取り扱われることが極めて少なく
殆ど、見た事がありません。勝頼の最後は謹慎にした土屋と言う部下が馳せ参じ
勝頼と生死を共にしたい忠義。更に息子の信勝が16歳で敵を討ち取り勝頼も
大変喜んだのです。奥様の北条から嫁いだ姫はまだ19歳、でも、北条に逃げ
る事を拒み、勝頼と死にたいと願ったのです。勝頼は37歳の壮絶な死です。
これで武田宗家は滅びましたが、真田昌幸の上州沼田に逃げていれば、
十分助かったのです。譜代の家臣、小山田信茂を頼ったために部下に裏切られ
命を落としました。しかし、裏切る部下の中でも、40数名の女性たちや数少ない
部下達は最後まで勝頼と生死を共にしました。有名な辞世の句もあります。
家康は勝頼の死を惜しみ、部下を大勢、徳川軍団に召抱えました。
家康は大嫌いですが、こういうところは高い評価を与えます。才能がありながら
父、信玄公の存在が大きすぎたので部下に「器が違う」と見下され、苦労して
10年支えましたが、無念の死です。実に残念です。
長篠の戦い以降家臣の裏切りが相次ぎもう戦える状態ではなかった
その裏切った家臣たちは皆家康のもとへ流れ、やがて徳川幕府創設に貢献することになる
その中には志村けんさんのご先祖様の志村又左衛門貞盈と鶴見辰吾さんの父方のご先祖様の鶴見市右衛門則宗も含まれていました。
志村又左衛門貞盈は武田二十四将の一人だった山県昌景の右腕的家臣で、長篠の戦いで戦死した山県昌景の首を織田・徳川連合軍に奪われないように守りきり、徳川家康の家臣になってからは甲州街道を守る八王子千人同心の志村組の組頭になりました。
鶴見市右衛門則宗は詳しいことは分かりませんが武田二十四将のいずれかの右腕的家臣だったそうです。徳川家康の家臣になってからは、徳川家康の母親の於大の方の実家である水野家の家臣になりました。
名門ゆえに叩かなければならないことも歴史は語る… いつの時代も統一は難しいものだと。
このあと、「骨を折った甲斐があった」と若干寒いシャレを言って信長さんに怒られる光秀さんなのでした。
勝頼父子は真田を頼るべきでした。武田家は滅びませんでした
信長「国人領主の真田の元に行ったので攻めないでおきましょう」
真田「勝頼様がきたので受け入れましょう」
素晴らしい世界線
@@猫ドラム-q3u全く意味がわかりません。小学生以下です
岩櫃城に逃げ込んで3か月後に本能寺の変が起きないで信州に留まると北陸勢を除いて真田総攻めになるか。滝川、信忠、河尻、森、木曽、徳川、北条か。いくら真田でも無理ゲーか。
ナレーションが懐かしい!
あてぶれーで!おぶりがーど!
そもそも武田が織田との同盟を翻意にしなければここまでの事には、ならなかったんじゃないの?
信玄…
@@たなつー-m4g 後年に信長自身も勝頼について「親父(信玄)の不始末に振り回されたツキの無い奴」とこぼしたと聞いたことある。
跡継ぎ他にいるから養子に出されたが跡継ぎが使えなくなったと呼び出される(武田家当主としての正統性を疑われ内部の士気低迷?)、
隣国との同盟関係の事実上破棄(外交、軍事面での課題?)などに悩まされ
勝頼が「戦わなければ(武田家当主として)生き残れない」と血気盛んになった一因らしい。
確か武田勝頼の御先祖様の誰かも勝頼達が自害した場所の直ぐ近くで自害しているんだよね。歴史的な皮肉
武田信満公かな?
この終焉の地、景徳院には何度かお参りしました。
土屋昌恒という私のご先祖様はどちらへ?勝頼に最後まで付き従った数少ない武将としてそこそこメジャーだと思うんですがハブられる……
ちきんぱん 片手千人斬りで有名な武将ですよね
昔の日本って素晴らしいな。
家臣とかそれを守る兵隊とか
もちろん逃げたりする兵も居たんやろうけど
昔の人は義があるから好き
大河ドラマでは無理だろうけど、勝頼が主人公のドラマを作ってくれないかなぁ。
正月特番とかならありそうですね
悲哀の猛虎ってタイトルで大河やって欲しい
迫真淫夢動物園 いいねそれ
勝賴的勝負 = 只是負於還處於冷兵器時代 ; 否則:就算他爹信玄來打打看??也還是會慘敗@@ ※因此勝賴的敗死只是時不我予 ≠ 並非他昏庸所致 註:勝賴昏庸推翻說
普通に国力差だよ。
古の天皇の血を引く一族同士が殺し合い首を取り合っていたと考えると、日本の歴史は中々に悍ましいよな。
今の医療技術だったら迅速に手当てすれば全員助かったかも・・・・・
あ、画面見てると勝頼は心臓を突き刺していたから即死に近い状態だったかも・・・・・
信玄もっと、長生きしてればなぁ。
長生きというより跡目をちゃんと決めれば。
信玄、謙信があと2年長生きしてたら信長はマジでヤバかったのでしょう。
@@慈悲-t9x やっぱり信玄が駿河欲しさに嫡男殺しちゃったのが痛いな…
@@たなつー-m4g
信玄とて人間の子だから判断ミスもあるんですよ。甲斐信濃だけじゃ海が無いから塩取れないし難しいね。
今年中に敵は本能寺にありて言えるのかな?
織田信長が強過ぎたのか。
リアルすぎる
結果論だけど、小山田信茂が裏切らず、大軍が攻めにくい岩殿城に籠って戦っていたら、かなりの年月を要しただろうし、そのうち信長が
本能寺で討ち死にするわけだから、情勢が変わっていたかも知れない。
武田征伐が終わらないと信長は機内に帰らないからそもそも本能寺の変が起こらないよ
真田昌幸がどう出てたかで変わるからそこは気になるな
@@ひで-r1x引きこもって援軍も出さないんじゃない?
@@猫ドラム-q3u いやでも信長は真田に傍観するように促したから匿うのは別に自由。そうなってた世界線が気になった
時期がだんだん暖かくなるから、季節も武田軍に味方しないし、拠点もすぐ作れちゃうしね。籠もって防戦がやっとか。
素晴らし方
勝頼様・・・何処かで見たなと思ったら、黒田隆哉さんだ
「龍が如く」の桐生一馬でおなじみの
「飛ぶが如く」では別府晋介役・・・。
信長が生きてたら毛利も降伏したやろーな
家臣が皆離反したからな。
わたしが最後の一人になったらこっそり逃げる。
ので、てっきりそうするのかとおもったわ。
勝頼「そなた達先に逝け。わしは当主として見届けてから黄泉に参ろうぞ」
家臣「ありがたき幸せ!それではお先に!うっ」
勝頼「ぴゅーーっと逃げよう」
緒形直人若いなーー
勝頼に関しては先代の信玄の代に相当問題あったからな、そもそも勝頼は武田家当主と言っても元々は母親の実家の諏訪氏の総領(だから武田家の子供の名前に付ける信が付かず諏訪家の子供に付ける頼が付いている)で武田家継いだ時は言わば出戻りって事で武田家の旧臣の中には侮る家臣がいたりとにかく家臣をまとめるだけでも一苦労、長篠の戦も本来撤退か静観すべき所もそういった家来の手前強気に出ないと家臣に見限られる可能性もあって仕方なく攻撃したなんて説もあるくらいだし。
山本勘助がもう少し長く生きてたらって思うと...
同じく、信繁さまもね。
勘助は生きてたら80近いな
勘助なんて無能じゃん。
勘助って第四次川中島の戦いで「きつつきの戦法」を上杉謙信に見破られた責を負って、乱軍に突入し戦死したんだっけ?
戰國妹好漂亮@@"
日本の武士の自害の仕方は、非常に不合理。他の国々では、頸動脈を切る。そのほうが合理的。苦しまないし、確実に死ねる。
そこが美学よ、
作法に合理性を求めるのは野暮
切腹も腹を十文字に切った後に頸動脈を切るんですけど、なかなかそこまでコンプリートできなかったみたいですね。
騎馬戦という従来の戦法で戦ったのを新参かつチートの鉄砲にやられたことがなんか許せなくて小さい頃は信長が嫌いだったw
真田昌幸を信じて岩櫃に向かっていれば。。。
真田もろとも踏み潰されて終わりっすね
その真田も拒否るっすね
もしかして大河ドラマ「信長」では武田信勝を演じる小橋賢児もやっていましたね。
今の人たちは、これしか言わんか!んっまぁっ良かろ!
心頭を滅却すれば火もまた涼し。
コメントが面白いわ
切腹的是武田勝賴 武田信玄死後 遺志勝賴接手 然後硬A織田跟德川聯軍 被三千鐵槍把三萬多武田軍打到剩渣
I think I'm lost how the fuck did I get to this part of the internet
Lol
天目山の戦い (甲州征伐)
天目山の戦いとは
1582年(天正10年)織田信長が、1575年の長篠の合戦以降衰えた武田家を滅ぼした戦い。1582年(天正10年)信長は、天目山で武田勝頼をを敗った。敗れた勝頼は自刃した。武田家の滅亡。
除了腹切得不真实之外,战斗场面还算复原得不错
そもそもこの原因は信玄やと感じる…💧
いつの時代にも親の七光りってのは居るもんだね
真田の力をかりたらよかったのに、あとは国内に城を作らんかったのも問題。
敵を作りすぎたのもやな
信長の策略でほとんど家臣は裏切ったからねー
ブライアンの子役時代か