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喜びが一生続かないのと同じで、悲しみも一生は続かないって思うようにしてます。死にたい時も殺したい時もあったけど、大人が言う通り「時間」が解決しやがった。
私は、憎しみを捨てたいです。憎しみのパワーで色んなことをこなしてきたような所がありますが、それを使わなくても、私にはきっと出来ると信じています。
私も酷い虐めにあって学生時代を失いました。その人を許せるか?と聞かれたら許せないです。でも、自分の人生振り返った時に私も無意識のうちに誰かを傷つけていないだろうか?とも思うのです。傷つけたり傷つけられたりするのが人生なら、もう幸せになっていいと思うんです。呪ってやろう、不幸せになればいいと何度も思いましたが、それは過ぎたことで今を生きたいので私は幸せになりたいからもう自分に幸せになる権利をあげたいと思います。先生いつもありがとうございます。
無意識の領域にすごい憎しみを抱えていたら、どんなに「さあ、やるぞ」と思っても、現実にやることは見つからない。「頑張るぞ、頑張るぞ」と叫んでも、空回りする。なぜならその人が本当にやりたいことは、今まで自分が関係した人達に復讐することだからである。その人達にもっと認めてもらいたい。
私は、私の自尊心をズタズタにした人の事を一生許さない事にしてます。当時は息をしているだけで苦しかった。苦しいのでこの怒りと悲しみが許せば消えるのだろうか。ならば許したいと思いました。しかし、時間がたっても絶対許せないですが、苦しみは薄くなって消えました。しかし、たとえ相手謝ってきても許さないし、それはそれでいいのかな、と思って生きています。復讐する機会があったら復讐するかもしれないですが、許さないし、地獄に堕ちろとは思うけど、心はそこまで乱れずどうでもいいという心境になりました。確かに時間は何かを解決しますね。
お気持ち良くわかります。私も、私の大事なものを奪って酷い事をした人の事を許しません。許せない自分を以前は責めていました。酷い事をされたら許せないのは当然だし、むしろ許さなくて良い、と、許さない事を自分に許したら凄く楽になりました。許容すべきでない事は許容する必要ないと思います。許さないまま、私は自分の人生を歩いていけば良いのかと思っています。
怒りとか復讐心て基本二次感情だと思う愛されたかった、傷つけられて苦しかった、悲しかったその辺りを満たせるのなら二次感情も収まるそれが叶わない(と本人が思っている)場合は苦しくても持ち続けるしかなくなってしまうたとえ怒りが人生を破壊する真理だと頭で分かっていても加害者は罰せられずのうのうと幸せに生き、被害者がボロボロにされながら必死で苦しみを乗り越えるしかないのなら自分も冷淡な加害者になろうそういう思想にもなりうるでしょうまぁ痛みを知ってる優しい人はそうなりきれないんですけどきっとおかしいよなぁまぁ俺は色々と癪に障るので、自分を満たして心から幸せになってやろうとは思っています。難しいかもしれないけどそれが僕の最大の復讐です。
本当に色々な社会の目があるなかで心だけを専門に取り扱う事の重要性が勉強になりました。不合理な行動をとる人の事をあまり理解できない性格だったのですが、自分の中の心の火と向き合うためにたとえいけない事を考えていてもそれを心に住まわせておく必要のある人間は居るんだと名越先生の話し方から伝わってきました。
葛藤するのって本当に苦しくて疲れますね。
先生、ほんとに今日の授業わかりました。努力してみます。ありがとうございます。
セクハラに、モラハラに、遭ったのは自分なのに、夢に出てきては恐怖心を抱いて×にたいよりも×したいと思う気持ちが強い時期がありました。とてもとても苦しかったです。自分は被害者なのに、なんで加害者がのうのうと生きてるんだろうと、自分は障がい者になるまで追い詰めてしまったのに、追い詰められてしまったのに、と考える日はとても多かったです。いま、自分がカウンセリングに通っていて、色んな人への怨みや憎しみが、少し遠のいて、社会制度に助けられながら、大変なことは多いですが、いまを穏やかに生きれることに感謝出来るようになりました。でも、理不尽を許したつもりはありませんし、これから先も、もし忘れられないのであれば許せることはないと思います。難しい問題ですが、苦しみながらも質問を送った彼と、答えて下さった名越先生に感謝したいと思いました。ひとつの自分の中にはなかった解答が得られて、またもししんどくなってしまった時にはこの動画を見返して考えてみたいと思います。
復讐を遂げても決して幸福感を得ないだろうことはおそらく、御本人も分かっていらっしゃる仏教では、その憎しみは執着です。執着を手放した時、真の幸福がおとずれる執着を手放すための助言は誰にも出来ません。でもぜひ仏教の門を入って欲しいですいつの日かきっと憎しみは手放されます私もそうでした
憎しみを手放すのは難しいよなわかるいじめられてたことあるがやっぱ酷いことした人らのことは許せないよいじめっ子達にはもちろん腹が立ってるし親や教師の立場で私を利用することだけを考えていたことが許せないし逃げも戦いもしなかった自分も許せない
私も許せない人がいます。 許す必要は無い、と許さない事を自分に許したら凄く楽になりました。酷い事をされたら、許容する必要ないです。(最近ウクライナの方達を応援していたら、大事なものを壊されて酷い事をされた自分も同じ様に応援してあげたくなりました。)酷い事をした学校の人たちを許す必要は無いけど、自分の事は許してあげて下さい。私も酷い事をされた当時はあまりにもショックで、逃げも戦いも出来ませんでした。でも自分を応援してあげたいです。
私は彼ではないが、ありがとうを伝えたい
私も自分に酷い事をした許せない人より圧倒的に幸せで充実した人生にすると決めています。(比べる事では無いですが、、) 自分の優越の為に人に酷い事をする人達なんて控えめに言ってろくでもないし、許す必要も相手にする必要もなし!と思っています。
過去に不快なことをされたという思いは抱き続けています。いつか消えるかも知れませんが、積極的に消す「努力」を、不快な目に遭った上に更にしなければならない理由がよく分からないので。それに積極的に「なかったこと」にするのも違う気がしています。加害者はほぼ(語弊はあるでしょうが)下らない人間だったと思っています(真っ当な人間なら故意に嫌がらせを繰り返さないだろうし、もし指摘されたら謝罪したり改めたりするでしょう)。それなので、それらの人間は基本的に忘却しています。ただ嫌なことをされた、という思いは、漠然と心のどこかに抱き続けています。
人生観に関わるから心理学は沈黙する復讐するということに加担するというのは難しいわけで、どうしたいのか、ということをまず考えてもらうことになる復讐を諦めているのか或いは復讐してはいけないと思ってるのか、そこらへんのことを焦点にしてはっきりさせる(自身で分析)「復讐心を無くすことをしたくないのか、復讐心に支配されている自分の生活,自分の心をどうしたいのか」(有効かはわからないが)整理するべきこと誘導になってしまうから、カウンセリングはいったん休止するということも勉強になりました。あくまで本人が「どうしたいのか?」ということに応じていくことになるんですね、カウンセリングというものは。(自分のことでいうなら)あるとき、自分の心がふっと楽になるために、憎しみを持つのはやめようと思いました。(意識してしたというわけでもないとは思うけど。)憎しんでいることが苦しくて苦しくてしょうがなかったから。年月が経ち、そのときのことを事細かには覚えていないけれど、憎しみのエネルギーを自分が持っているというのも、本当に苦しいものだと思ったのは覚えています。憎しみを抱える、というのは本当に労力の要ること。でも、その憎しみのエネルギーが強ければ強いほど、(名越先生が言ったような)変換に向かうエネルギーにもなりやすいのではないかと、(個人的には)思っています。
先生はその人の落としどころを聞きたいんだろうな相談者が何を求めているのか復讐したらスッキリするのかそれともそんなことしたくないけど気持ちのモヤモヤを消したいだけなのかきちんとその人と向き合おうと意思を確認しようとしてるのやっぱさすがだなと思います
復讐してもしなくても大切な人は帰ってこないので復讐したほうがスッキリするんじゃないかなby キアヌリーブス
自身でその怨恨の感情をノート等に全部書き出してみると、カウンセリング同様に俯瞰的に自身の心理を分析できることがあるので良いかもしれません。後、写経等も無心になれるので、怒りの感情に支配されなくて済むようになれるかなと思いました。仏教を学ぶなら、TH-camで「仏教に学ぶ幸福論by菊谷隆太」「大愚和尚の1問1答」を観ると、学びやすいと思います。
いじめに限らず、加害が今現在続いている場合でも、怒りや憎しみを忘れ去る事はできるのでしょうか。復讐心などとっとと捨ててしまいたいものですね…。
投稿者さんが受けたいじめの程度がどれほどのものなのかわからないので何とも言えませんが、私も学生時代精神的な嫌がらせを受けたり、面と向かって「頭がおかしい」と言われたことがあるので少なからず復讐心はありますし、相手の顔と名前も一生忘れないと思います。人によって復讐心の扱い方は色々あると思いますが、私はデヴィ夫人が以前言っていた「自分の敵が全員死に絶えるまで長生きする」という発言を参考に、私も自分をいじめた奴より健康で充実した人生を送ろうと密かに思ってます。
でも根性悪婆パワハラしてたがな🤭
ウクライナの人がロシアを憎む気持ち良く分かります。ロシアを恨みますと言ってたウクライナのお母さんがいたけど、私も一緒に恨んであげたい。少なくとも私には、許した方が良いよ、とは言えない。。
消えがたい憎しみを植えつけられるので、加害というのは穢れなのだなと思いました。やっていて楽しかった事があるけど、それをやるたびに憎しみが思い出されるようになってしまいました。
私も高校時代、あまりにも毎日がつまらなかったので本気でジシを考えたけど、自分の性格を考えたら、絶対後で後悔すると思ったのでやめました。悪い人達は(被害者が復讐せずとも)亡くなった後に神様や仏様が裁いてくれるそうです。被害者の遺族の気持ちは当の本人達にしか理解できないものなのでしょうが、憎しみを抱えて残りの人生を過ごす事はとても苦しいのではないか…?と思ってしまいました。
程度は違うかもしれないけど中学時代虐められて加害者を階段から突き落としてしまいたいぐらい恨んだ時期があります。実際相手が階段を降りてるときじっと上から見つめたこともある。実行に移さなかったのは、自分が得しないからです。加害者はタヒんで楽できるつまり得です。なのに、何が起きるかわからない人生でずっと楽させるわけにはいかないと思ったから。実際私を虐めてた加害者はクラシックバレエで3位で、お金持ちで構成されたプライドの持ち主でしたが、一度だってテレビで有名バレエ団留学特集で出てきたこともないし、コロナ禍で彼女のバレエも経ち消えたでしょう。絶対に加害者は巡り巡ってツケが来る。自分自身なのか、その子供が代わりに負うのか形を変えてね。得させてはいけないです。
私は数年前 パワハラで死にそうになりまして。この世にこんな理不尽なことがあって許されるのか、神や仏はおらんのか!と嘆いていた時、崇徳天皇の話を読んで『上には上があるもんやな…🤔』と妙に慰められ 何故か溜飲が下がったのでした。
自分がいじめられる事は慣れてるし理由がわかると溶けていくのですが、大事な人の場合は、立ち向かわないと終わらないなと結論です。ただ、それぞれ氣付く時期があるようなので、邪魔をしないようにと思う無視も優しさだなとあと、傷付くとわかってても見守り、傷付いてから助けるのが良い女らしい私は無理(子どもには出来るだけそうしてますが)このへんの話って階層になってると思います憎しみが消えず、でも心理学的に悪用する行為も、私はしたくない戦う人を応援はしたいですただ、書いてて整理が出来ました結局は自滅するらしいですね自滅するよね自滅する火種をまいて歩いてたのかも切り替えがなかなかうまくいかずです。鬼滅の刃は藤の花が咲く時期に終わったから、大丈夫。大丈夫。大丈夫。
なら、相手を○すために、自分の人生を代償にして、納得いく結果を出せるように、計画をしっかりと立てて、相手や家族の未来を奪うべきです。自分がずっと過去を抱えて我慢しますか?やり方次第ですが、この世から命を奪うだけなら罪に問われない方法も必ずありますから、自分が鬼となり制裁を下すのが一番
「サトワさん」で読み方は正しいでしょうか。私からサトワさんに向けて言える事など、恐れ多いという意味で何もありませんが、サトワさんがどんなお気持ちであるのかを想像しながら動画を見ておりました。
自分は、人生で初めて憎たらしい人間がいる!そいつが今も何処かでご飯を食べて、心臓を動かして、トイレをして、お風呂に入って、家族や友人達と過ごしたり、仕事していつか年金を受給すると思うと虫唾が走る誰よりも不幸になって死んで欲しいしそいつを産んだ家族やまたその祖先も許さない❗️でも、一番嫌いなのは、そんな自分自身
名越先生の言うことは綺麗ごとだと思います。私は私の人生を台無しにした奴らを絶対に許しません。今でも殺してやりたいくらいです。復讐は美しいです。やり遂げる価値がある。
今を苦しんでる人に「時間が解決する」なんて言うのは一番残酷なことです。時間が解決してるんじゃねぇよ。時間って誰だよ。他人は至極簡単に、時間に責任を押し付ける。もしそれが解決するのなら、それを解決したのはその人自身であり、それにかかった対価が時間なのだから。「時間」が誰かを慈しんで誰かを諭してますか?自我があってその人に建設的な意見を?違いますよね。他でも無い自分が自分自身を修復しているんです。自己も他者もどうか受け入れてください。
逆に「今そのときのことを言っても過去なので何も変わらないんだし」といったような主旨のことをいう人もいて、こちらもそんなつもりで言ってるわけではないのに(,そもそも変わるなんて思ってないし。もうそんなところ(過去に戻って変えてやりたいとか???思う段階なんか)は遥かに過ぎてるし。)、ヘンな色眼鏡で話きかれたりすることあるんだよなー
「時間が解決する」というのを誤解してるでしょ。解決するら時間とは意志的生活における時間に他ならない。
他に沢山その人のために言葉をかけてくれたのに、「時間が解決してくれる」という部分だけに注視して、ひたすら揚げ足取りのようなことしてんじゃないよみっともない。
100歩譲って相談者がキレるならともかく、赤の他人がキレるとかまじで訳わからんから
俺はアドラー心理学で考えるからまたちゃうんかな
軽い重いにもよりますが重い事て時間でも解決しないんですよねしかも傷痕が残る、か、膿んだままなんだよなー時間が解決する、なんて言ってる奴等気が知れん。
仏教を少しだけ知るものとして感じたことを。ひとつの魂にひとつの体、輪廻転生を繰り返し、ひとつの魂を浄化する道筋が人生。という感じがありますね。前世での他者を害した、殺めた誹謗した貶した。その記録はしっかりと魂に刻まれ、命を汚すことになります。命が穢れる。ともいいますね。「何でこんなに苦労するんだ」「どうして!」と思う考えを、仏教基準で考えると...前世で他者に同じような思いをさせてきたからにほかなりません。前世で殺めてしまったのであれば、後世は短命にというのが仏教の教えにもあるので、魂に記録されているんですよね。人生そのものが、自分と向き合い浄化する道筋だと思えば、自ずと答えが見えてきます。すべての事柄がですね。それが私が見出した答えです。
ようそれ犯罪被害者に向かっていえるよな
短命にも色々な場合があると思うし、病死で短いいのちで終わった場合なども、何もせずけがれていない、きれいな魂がそのようになってしまうこともあると思うし、まるで全て悟ったかのようなことを(そうとられてしまうようなことを)述べるのは、避けた方がいいのではないかなと思う。((返信欄の上の方に向けての返信ではなく、)もとの方に向けて。)人のいのちに関して、すべてわかったかのようなことをいうのは危険。また、そう受け取られるようなこと。御自身がだれかを殺め、今生短命で終わっており(あり得ないことだけど。)それ故悟ったとかだったら、このように述べられても皆納得はするかもしれないけれど。(前世でも構わないけれど。人を殺めてしまい、のちに短命で終わってしまった記憶があるとか。)スピリチュアルカウンセラーとして活動されている方でも、発言する時・場所は考えられていると思うし、顔を出すリスクを孕んでの、そしてそこまでの責任を負っての御発言をされています。本名の方も多くいらっしゃると思いますし。「だって何を言われようと真理なんだもの,真理には変わりないんだもの。」といった貴方の立場は変わらないのかもしれませんが、相談者のような立場の方の少しでも力添えになりたいと思ったら、もう少し違う方法があるのではないかと思います。少なくとも貴方様の文章からは、仏教でいうところの慈悲は、私には感じられませんでした。こういった方(相談者のような方。)の前で、たとえばそれ(貴方が真実,真理としているもの)を述べたとしても、何か伝わるどころか、プラスは殆ど生じないのではないかと存じます
喜びが一生続かないのと同じで、悲しみも一生は続かないって思うようにしてます。
死にたい時も殺したい時もあったけど、大人が言う通り「時間」が解決しやがった。
私は、憎しみを捨てたいです。憎しみのパワーで色んなことをこなしてきたような所がありますが、それを使わなくても、私にはきっと出来ると信じています。
私も酷い虐めにあって学生時代を失いました。その人を許せるか?と聞かれたら許せないです。
でも、自分の人生振り返った時に私も無意識のうちに誰かを傷つけていないだろうか?とも思うのです。
傷つけたり傷つけられたりするのが人生なら、もう幸せになっていいと思うんです。
呪ってやろう、不幸せになればいいと何度も思いましたが、それは過ぎたことで今を生きたいので私は幸せになりたいから
もう自分に幸せになる権利をあげたいと思います。
先生いつもありがとうございます。
無意識の領域にすごい憎しみを抱えていたら、どんなに「さあ、やるぞ」と思っても、現実にやることは見つからない。「頑張るぞ、頑張るぞ」と叫んでも、空回りする。なぜならその人が本当にやりたいことは、今まで自分が関係した人達に復讐することだからである。その人達にもっと認めてもらいたい。
私は、私の自尊心をズタズタにした人の事を一生許さない事にしてます。
当時は息をしているだけで苦しかった。苦しいのでこの怒りと悲しみが許せば消えるのだろうか。ならば許したいと思いました。しかし、時間がたっても絶対許せないですが、苦しみは薄くなって消えました。
しかし、たとえ相手謝ってきても許さないし、それはそれでいいのかな、と思って生きています。
復讐する機会があったら復讐するかもしれないですが、許さないし、地獄に堕ちろとは思うけど、心はそこまで乱れずどうでもいいという心境になりました。
確かに時間は何かを解決しますね。
お気持ち良くわかります。
私も、私の大事なものを奪って酷い事をした人の事を許しません。
許せない自分を以前は責めていました。
酷い事をされたら許せないのは当然だし、むしろ許さなくて良い、と、許さない事を自分に許したら凄く楽になりました。
許容すべきでない事は許容する必要ないと思います。
許さないまま、私は自分の人生を歩いていけば良いのかと思っています。
怒りとか復讐心て基本二次感情だと思う
愛されたかった、傷つけられて苦しかった、悲しかった
その辺りを満たせるのなら二次感情も収まる
それが叶わない(と本人が思っている)場合は苦しくても持ち続けるしかなくなってしまう
たとえ怒りが人生を破壊する真理だと頭で分かっていても
加害者は罰せられずのうのうと幸せに生き、被害者がボロボロにされながら必死で苦しみを乗り越えるしかないのなら
自分も冷淡な加害者になろう
そういう思想にもなりうるでしょう
まぁ痛みを知ってる優しい人はそうなりきれないんですけどきっと
おかしいよなぁ
まぁ俺は色々と癪に障るので、自分を満たして心から幸せになってやろうとは思っています。難しいかもしれないけどそれが僕の最大の復讐です。
本当に色々な社会の目があるなかで心だけを専門に取り扱う事の重要性が勉強になりました。不合理な行動をとる人の事をあまり理解できない性格だったのですが、自分の中の心の火と向き合うためにたとえいけない事を考えていてもそれを心に住まわせておく必要のある人間は居るんだと名越先生の話し方から伝わってきました。
葛藤するのって本当に苦しくて疲れますね。
先生、ほんとに今日の授業わかりました。努力してみます。ありがとうございます。
セクハラに、モラハラに、遭ったのは自分なのに、夢に出てきては恐怖心を抱いて×にたいよりも×したいと思う気持ちが強い時期がありました。
とてもとても苦しかったです。自分は被害者なのに、なんで加害者がのうのうと生きてるんだろうと、自分は障がい者になるまで追い詰めてしまったのに、追い詰められてしまったのに、と考える日はとても多かったです。
いま、自分がカウンセリングに通っていて、色んな人への怨みや憎しみが、少し遠のいて、社会制度に助けられながら、大変なことは多いですが、いまを穏やかに生きれることに感謝出来るようになりました。
でも、理不尽を許したつもりはありませんし、これから先も、もし忘れられないのであれば許せることはないと思います。
難しい問題ですが、苦しみながらも質問を送った彼と、答えて下さった名越先生に感謝したいと思いました。
ひとつの自分の中にはなかった解答が得られて、またもししんどくなってしまった時にはこの動画を見返して考えてみたいと思います。
復讐を遂げても決して幸福感を得ないだろうことは
おそらく、御本人も分かっていらっしゃる
仏教では、その憎しみは執着です。
執着を手放した時、真の幸福がおとずれる
執着を手放すための助言は誰にも出来ません。
でもぜひ仏教の門を入って欲しいです
いつの日かきっと憎しみは手放されます
私もそうでした
憎しみを手放すのは難しいよなわかる
いじめられてたことあるがやっぱ酷いことした人らのことは許せないよ
いじめっ子達にはもちろん腹が立ってるし
親や教師の立場で私を利用することだけを考えていたことが許せないし
逃げも戦いもしなかった自分も許せない
私も許せない人がいます。 許す必要は無い、と許さない事を自分に許したら凄く楽になりました。
酷い事をされたら、許容する必要ないです。
(最近ウクライナの方達を応援していたら、大事なものを壊されて酷い事をされた自分も同じ様に応援してあげたくなりました。)
酷い事をした学校の人たちを許す必要は無いけど、自分の事は許してあげて下さい。
私も酷い事をされた当時はあまりにもショックで、逃げも戦いも出来ませんでした。
でも自分を応援してあげたいです。
私は彼ではないが、ありがとうを伝えたい
私も自分に酷い事をした許せない人より圧倒的に幸せで充実した人生にすると決めています。(比べる事では無いですが、、)
自分の優越の為に人に酷い事をする人達なんて控えめに言ってろくでもないし、許す必要も相手にする必要もなし!と思っています。
過去に不快なことをされたという思いは抱き続けています。いつか消えるかも知れませんが、積極的に消す「努力」を、不快な目に遭った上に更にしなければならない理由がよく分からないので。それに積極的に「なかったこと」にするのも違う気がしています。加害者はほぼ(語弊はあるでしょうが)下らない人間だったと思っています(真っ当な人間なら故意に嫌がらせを繰り返さないだろうし、もし指摘されたら謝罪したり改めたりするでしょう)。それなので、それらの人間は基本的に忘却しています。
ただ嫌なことをされた、という思いは、漠然と心のどこかに抱き続けています。
人生観に関わるから心理学は沈黙する
復讐するということに加担するというのは難しいわけで、どうしたいのか、ということをまず考えてもらうことになる
復讐を諦めているのか或いは復讐してはいけないと思ってるのか、そこらへんのことを焦点にしてはっきりさせる(自身で分析)
「復讐心を無くすことをしたくないのか、復讐心に支配されている自分の生活,自分の心をどうしたいのか」(有効かはわからないが)整理するべきこと
誘導になってしまうから、カウンセリングはいったん休止するということも勉強になりました。
あくまで本人が「どうしたいのか?」ということに応じていくことになるんですね、カウンセリングというものは。
(自分のことでいうなら)あるとき、自分の心がふっと楽になるために、憎しみを持つのはやめようと思いました。(意識してしたというわけでもないとは思うけど。)憎しんでいることが苦しくて苦しくてしょうがなかったから。
年月が経ち、そのときのことを事細かには覚えていないけれど、憎しみのエネルギーを自分が持っているというのも、本当に苦しいものだと思ったのは覚えています。
憎しみを抱える、というのは本当に労力の要ること。でも、その憎しみのエネルギーが強ければ強いほど、(名越先生が言ったような)変換に向かうエネルギーにもなりやすいのではないかと、(個人的には)思っています。
先生はその人の落としどころを聞きたいんだろうな
相談者が何を求めているのか復讐したらスッキリするのか
それともそんなことしたくないけど気持ちのモヤモヤを消したいだけなのか
きちんとその人と向き合おうと意思を確認しようとしてるのやっぱさすがだなと思います
復讐してもしなくても
大切な人は帰ってこないので
復讐したほうがスッキリするんじゃないかな
by キアヌリーブス
自身でその怨恨の感情をノート等に全部書き出してみると、
カウンセリング同様に
俯瞰的に自身の心理を分析できることがあるので
良いかもしれません。
後、写経等も無心になれるので、
怒りの感情に支配されなくて済むようになれるかなと思いました。
仏教を学ぶなら、
TH-camで「仏教に学ぶ幸福論by菊谷隆太」
「大愚和尚の1問1答」を観ると、
学びやすいと思います。
いじめに限らず、加害が今現在続いている場合でも、怒りや憎しみを忘れ去る事はできるのでしょうか。
復讐心などとっとと捨ててしまいたいものですね…。
投稿者さんが受けたいじめの程度がどれほどのものなのかわからないので何とも言えませんが、私も学生時代精神的な嫌がらせを受けたり、面と向かって「頭がおかしい」と言われたことがあるので少なからず復讐心はありますし、相手の顔と名前も一生忘れないと思います。
人によって復讐心の扱い方は色々あると思いますが、私はデヴィ夫人が以前言っていた「自分の敵が全員死に絶えるまで長生きする」という発言を参考に、私も自分をいじめた奴より健康で充実した人生を送ろうと密かに思ってます。
でも根性悪婆パワハラしてたがな🤭
ウクライナの人がロシアを憎む気持ち良く分かります。
ロシアを恨みますと言ってたウクライナのお母さんがいたけど、私も一緒に恨んであげたい。
少なくとも私には、許した方が良いよ、とは言えない。。
消えがたい憎しみを植えつけられるので、加害というのは穢れなのだなと思いました。
やっていて楽しかった事があるけど、それをやるたびに憎しみが思い出されるようになってしまいました。
私も高校時代、あまりにも毎日がつまらなかったので本気でジシを考えたけど、自分の性格を考えたら、絶対後で後悔すると思ったのでやめました。悪い人達は(被害者が復讐せずとも)亡くなった後に神様や仏様が裁いてくれるそうです。被害者の遺族の気持ちは当の本人達にしか理解できないものなのでしょうが、憎しみを抱えて残りの人生を過ごす事はとても苦しいのではないか…?と思ってしまいました。
程度は違うかもしれないけど中学時代虐められて加害者を階段から突き落としてしまいたいぐらい恨んだ時期があります。
実際相手が階段を降りてるときじっと上から見つめたこともある。
実行に移さなかったのは、自分が得しないからです。
加害者はタヒんで楽できるつまり得です。
なのに、何が起きるかわからない人生でずっと楽させるわけにはいかないと思ったから。
実際私を虐めてた加害者はクラシックバレエで3位で、お金持ちで構成されたプライドの持ち主でしたが、一度だってテレビで有名バレエ団留学特集で出てきたこともないし、コロナ禍で彼女のバレエも経ち消えたでしょう。
絶対に加害者は巡り巡ってツケが来る。
自分自身なのか、その子供が代わりに負うのか形を変えてね。
得させてはいけないです。
私は数年前 パワハラで死にそうになりまして。この世にこんな理不尽なことがあって許されるのか、神や仏はおらんのか!と嘆いていた時、崇徳天皇の話を読んで『上には上があるもんやな…🤔』と妙に慰められ 何故か溜飲が下がったのでした。
自分がいじめられる事は慣れてるし理由がわかると溶けていくのですが、大事な人の場合は、立ち向かわないと終わらないなと結論です。
ただ、それぞれ氣付く時期があるようなので、邪魔をしないようにと思う
無視も優しさだなと
あと、傷付くとわかってても見守り、傷付いてから助けるのが良い女らしい
私は無理
(子どもには出来るだけそうしてますが)
このへんの話って階層になってると思います
憎しみが消えず、でも心理学的に悪用する行為も、私はしたくない
戦う人を応援はしたいです
ただ、書いてて整理が出来ました
結局は自滅するらしいですね
自滅するよね
自滅する
火種をまいて歩いてたのかも
切り替えがなかなかうまくいかずです。
鬼滅の刃は藤の花が咲く時期に終わったから、大丈夫。大丈夫。大丈夫。
なら、相手を○すために、自分の人生を代償にして、納得いく結果を出せるように、計画をしっかりと立てて、相手や家族の未来を奪うべきです。自分がずっと過去を抱えて我慢しますか?やり方次第ですが、この世から命を奪うだけなら罪に問われない方法も必ずありますから
、自分が鬼となり制裁を下すのが一番
「サトワさん」で読み方は正しいでしょうか。
私からサトワさんに向けて言える事など、恐れ多いという意味で何もありませんが、
サトワさんがどんなお気持ちであるのかを想像しながら動画を見ておりました。
自分は、人生で初めて憎たらしい人間がいる!
そいつが今も何処かでご飯を食べて、心臓を動かして、トイレをして、お風呂に入って、家族や友人達と過ごしたり、仕事していつか年金を受給すると思うと虫唾が走る誰よりも不幸になって死んで欲しいしそいつを産んだ家族やまたその祖先も許さない❗️でも、一番嫌いなのは、そんな自分自身
名越先生の言うことは綺麗ごとだと思います。私は私の人生を台無しにした奴らを絶対に許しません。今でも殺してやりたいくらいです。復讐は美しいです。やり遂げる価値がある。
今を苦しんでる人に「時間が解決する」なんて言うのは一番残酷なことです。
時間が解決してるんじゃねぇよ。時間って誰だよ。他人は至極簡単に、時間に責任を押し付ける。
もしそれが解決するのなら、それを解決したのはその人自身であり、それにかかった対価が時間なのだから。
「時間」が誰かを慈しんで誰かを諭してますか?自我があってその人に建設的な意見を?
違いますよね。
他でも無い自分が自分自身を修復しているんです。自己も他者もどうか受け入れてください。
逆に「今そのときのことを言っても過去なので何も変わらないんだし」といったような主旨のことをいう人もいて、
こちらもそんなつもりで言ってるわけではないのに(,そもそも変わるなんて思ってないし。もうそんなところ(過去に戻って変えてやりたいとか???思う段階なんか)は遥かに過ぎてるし。)、ヘンな色眼鏡で話きかれたりすることあるんだよなー
「時間が解決する」というのを誤解してるでしょ。
解決するら時間とは意志的生活における時間に他ならない。
他に沢山その人のために言葉をかけてくれたのに、「時間が解決してくれる」という部分だけに注視して、ひたすら揚げ足取りのようなことしてんじゃないよみっともない。
100歩譲って相談者がキレるならともかく、赤の他人がキレるとかまじで訳わからんから
俺はアドラー心理学で考えるからまたちゃうんかな
軽い重いにもよりますが
重い事て時間でも解決しないんですよね
しかも傷痕が残る、か、膿んだままなんだよなー
時間が解決する、なんて言ってる奴等気が知れん。
仏教を少しだけ知るものとして感じたことを。
ひとつの魂にひとつの体、
輪廻転生を繰り返し、
ひとつの魂を浄化する道筋が人生。
という感じがありますね。
前世での他者を害した、殺めた誹謗した貶した。その記録はしっかりと魂に刻まれ、命を汚すことになります。
命が穢れる。ともいいますね。
「何でこんなに苦労するんだ」
「どうして!」
と思う考えを、仏教基準で考えると...
前世で他者に同じような思いをさせてきたからにほかなりません。
前世で殺めてしまったのであれば、
後世は短命にというのが仏教の教えにもあるので、魂に記録されているんですよね。
人生そのものが、自分と向き合い浄化する道筋だと思えば、自ずと答えが見えてきます。
すべての事柄がですね。
それが私が見出した答えです。
ようそれ犯罪被害者に向かっていえるよな
短命にも色々な場合があると思うし、
病死で短いいのちで終わった場合なども、何もせずけがれていない、きれいな魂がそのようになってしまうこともあると思うし、
まるで全て悟ったかのようなことを(そうとられてしまうようなことを)述べるのは、避けた方がいいのではないかなと思う。((返信欄の上の方に向けての返信ではなく、)もとの方に向けて。)
人のいのちに関して、すべてわかったかのようなことをいうのは危険。また、そう受け取られるようなこと。
御自身がだれかを殺め、今生短命で終わっており(あり得ないことだけど。)それ故悟ったとかだったら、このように述べられても皆納得はするかもしれないけれど。(前世でも構わないけれど。人を殺めてしまい、のちに短命で終わってしまった記憶があるとか。)
スピリチュアルカウンセラーとして活動されている方でも、発言する時・場所は考えられていると思うし、顔を出すリスクを孕んでの、そしてそこまでの責任を負っての御発言をされています。本名の方も多くいらっしゃると思いますし。
「だって何を言われようと真理なんだもの,真理には変わりないんだもの。」といった貴方の立場は変わらないのかもしれませんが、相談者のような立場の方の少しでも力添えになりたいと思ったら、もう少し違う方法があるのではないかと思います。
少なくとも貴方様の文章からは、仏教でいうところの慈悲は、私には感じられませんでした。
こういった方(相談者のような方。)の前で、たとえばそれ(貴方が真実,真理としているもの)を述べたとしても、何か伝わるどころか、プラスは殆ど生じないのではないかと存じます