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ムーさんと『論理哲学論考』についてお話出来た一時は、とても楽しい時間でした。次は『哲学探究』ですねw是非、今後とも宜しくお願い致します。
こちらこそ、こちらからの無理なお願いに心良くご協力いただきありがとうございました😊哲Gacktさんのお力添えがなければ絶対に完成できない動画でした。専門的に哲学を研究されている方の視点での様々なご意見によって、短期間で多くのことを学ばせていただきました。『生きるための学び』チャンネルでのウィトゲンシュタイン動画も楽しみにしています!コラボもぜひお願いしますね。
「ウィトゲンシュタイン全集⑨ 確実性の問題/断片」が好きです。従軍しながらも考え続けたというウィトゲンシュタイン、大好きです!
全集を読まれているのですね!私は全集の第1巻を注文したところです。9巻となると、だいぶ進んだところですよね。哲学探求も読みたいし、私はいつ到達できることやら、、😅コメントありがとうございます
めちゃくちゃ解りやすいです!
他のユーチューブに比べ、ダントツに一番解りやすく、ダントツに得るものが多く、大変勉強になりました。ありがとうございました。参考文献も、大変参考になりました。ありがとうございました。事態→写像形式→像、解りやすい。排他的ないし、包括的又はは、腑に落ち、参考になりました。今後も、活発に、文学と哲学の境界領域を、取り上げて欲しく思います。排中律が、保証されているならば、要素命題は論理的に、保証されている。ウィトゲンシュタインはフレーゲの論理主義を継承しています。しかし、数学基礎論において直観主義のブラウアーは、排中律は、不完全である事を、明らかにした。論理値表は、P⊃Qで一部間違いがあります。解説補助の字幕も間違いがある。
ヴィトゲンシュタイン関連動画の中で解りやすさ断トツの内容。ここまで丁寧に作品の背景を解説しての論考は流石です内容もとても解りやすい!
とても丁寧な解説。わかりやすい。
この難しい『論考』をここまで分解してくれて感謝してます!また『論考』に挑戦したくなりました!
「論考」と呼ばれている本。孔子の「論語」に匹敵するほど重要な本だと思う。私が現在、存在するのは、この本のおかげ。
1982頃、大学で滝浦静雄先生のヴィトゲンシュタインに関する哲学講義を半年間聴いたのを思い出しました。
ありがとうございます。すごく分かりやすかったです❗2週間だけだなんて思えないくらい分かり安かったです。やっぱり哲学はおもしろいですね
なかなか出会えないほどの楽しい動画でした。・ヴィトゲンシュタイン、はじめてわかった気になれました。・ムーさんの一人漫談の風味があって、楽しいような暖かいような気持ちになれました。
口裂け女「私綺麗?」ウィトゲンシュタイン「語り得ぬものについては沈黙しなければならない」
これは面白い🤣詩としてもいけそうですね、、、ってもうツイートされとるのかい笑!
一発でファンになりチャンネル登録しました。これからも動画配信、楽しみにしております!
凄く良い動画でした。認識の大切さはデカルトを読むと深く理解できると思います。
デカルトは気になります。
30回はみました。勉強になります。哲学探究とても楽しみにしてます。
ムーさんがおっしゃる様に、文学と哲学、そして音楽や芸術等の間に境界線は引けない様に思われます。なぜなら、文学も哲学も芸術も人間とは何か?世界とは何か?幸福とは何か?という「語りえないもの」をなんとか示そうと表現しようとしている様に思えるからです。ウィトゲンシュタインも最後に「語りえない事は沈黙せねばならない」といいつつ、このような本を書いてしまったのですから…
凄く納得できました。ありがとう
論理哲学論考といえば「終ノ空」や「素晴らしき日々」ですね。
なんだか講義を受けてるかんじですね。というか講義そのもの。あとの方にいくにしたがってわからなくなります。意志はナンセンスではない、ということなんでしょうか。自由な認識が意志、でそこに幸福があるということですか。個人的には事態を写す(映す?移す?)ものが言葉であり、写されうるものが事実というところでした。2週間でまとめられたと聞き驚いてます。
大学で半期2単位が50分!スゴ。
すごい。
分かりやすいし、頭良いですな。2週間とな。ぜひ哲学探究も動画にして欲しいですな。
やったー!師匠のお墨付きをいただけるとは😵哲学探究、早く読みたいです
AIによってできることの限界を表現している感じがします。
高校生の時に初めて読んで難解すぎて理解できてるのか出来てないのかさっぱりでしたがやっと少しだけ理解できた様な気がしました!ありがとうございます!
思考し得ることと語り得ることを峻別することがテーマですよね。言語って音楽言語とか芸術総体に関わる。文学専門youtuber、しかも論理的なアプローチが魅力的なムーさんが扱うことに意味があると思いました。私は鬼界先生の新書しか読んでませんが、ムーさんほとんど台本なしのフリートークですよね。それでもめっちゃ熱量が入ってきます。述語論理って主語述語の述語じゃないのね、ぐらいの出発点ですが、探求動画を上げられる頃にはまともなコメントをしたいと思います。
因みに、排中律の良い参考が、『ミリンダ王の問い。』ではないでしょうか。インド哲学とギリシャ哲学の対決です。
これ何度読んでも、論理式の細い操作が分からなかったので、非常に助かります 笑色んな人の論考解説を眺めているのですが、かなり分かりやすいです。引き続き読み解いていきたいと思います 苦笑
3:37 ここまで見た感想は、早く続きが見たい!です。
配信ありがとうございます。ヴィトゲン自身の話を教えて下さい。
「私は私の世界である」については、仰っていた通り、目も耳も肌も、それらを伝える神経も、それを解釈する脳も違うのだから、「私が見てる世界は、私にしか見えない」であり「私が見ている世界こそが、私にとっての世界」であり、「誰かの世界を見せてもらうことは出来ない。(私の世界しか見ることができない)」故の、「私は、私の世界である」かなぁと (何だこの説明 笑)
参考文献をご紹介します。以下参照■参考文献 →数学を使わない数学の講義■参考文献 →数学嫌いな人のための数学―数学原論上記の参考文献を更に深めると以下もお勧めです。■参考文献 →経済学をめぐる巨匠たち■参考文献 →日本人のための経済原論■参考文献 →論理の方法―社会科学のためのモデル■参考文献 →韓非子の帝王学
全部、小室直樹先生じゃないですか笑!未読なのでチェックしてみますね。ありがとうございます😊
@@mouxx ムーさん、本人が登場♬\(^_^)/♬勿論です。ネオ民さんの企画(私、成りきり哲学者では、小室直樹_博士です。)から。因みに、以下もお勧めです。■参考文献 →日本人のための宗教原論■参考文献 →「天皇」の原理
@@mouxx そうそう、因みに、小室直樹_博士は、『韓非子の矛盾(反対、即ち、排中律も含む)と‟アリストテレスの矛盾(形式論理学または記号論理学の矛盾)”は、矛盾する。』と言っています。
36:49数学的直観主義や直観主義論理では排中律は認めないそうですよ!
自分は全く知らないですけどね!(そーゆーお話もあるそうですよーという事です)
対象が無限についての操作を認めない立場ではそうなりますよね。数学的帰納法も無限に対しての操作を前提としているので、直観主義では認められません。
物理で言えば、相対論ですね。130億光年離れた銀河を見る事が出来ますが、その銀河から見た私たち地球は存在すらしないので。現在なんて無いしそもそも、現在が主観でになりますね。仏教なら諸行無常 諸行無我 一切皆苦 涅槃寂静人間はいつか死ぬ運命なのに、その瞬間、瞬間の自己の欲求に重きをおいてしまいますね。
ゲーデルの不完全性定理???ハイゼンベルグの不確定性原理???アローの不可能性の定理???■参考文献 →理性の限界 不可能性・不確定性・不完全性 限界シリーズ■参考文献 →不可能、不確定、不完全―「できない」を証明する数学の力
ドヴィエール分からない。
全て否定するのは根性ある。パンクの例えは無し。
面白いですね。でも、完全にいかれていますよね。私は哲学の専門家でも何でもないのに世界一の哲学者だと本気で思いこんでいる者なのですが、そもそもその、ifだのorだの自体が命題でもよいのが事実なわけで、その事実というか現実の中で人間が相互に理解しやすいように勝手に分けて表現して「これは述語でこれは名詞!」とか決めているだけなので、例えば命題を演算?するそのifとかが、!とかでも現実の事実の事象としては成り立たないわけではないんですよ。逆に言えば日本語で言うところの「に」とか「は」を動詞と捉えることもできるわけで、数学で使用するようなプラスマイナスとかも同じように機能するはずなのだから、その演算には×や÷も考慮して世界を記述するべきだということを深く試行していただければ、世界の全てを記述しようとした場合、!とかでもなんでも利用する必要があるということはご理解いただけることだと思います。なのでそうした前提を排除して考えると、考えられないことが出てくるんです。事前に排除したからです。なので、世界は存在するのか?という問いで言えば、世界と記述した時点で存在を明記しているので、存在は存在するのか?という意味とイコールの表現のように考えることもできるわけです。となると、すでに認識している中に認識をしようとすると、「あれ?ほげ?考えられない。」となるわけです。すでに排除している、或いはすでに存在させていると言い換えてもいいのかもしれません。そしてそうした表現の最たるものがいわゆる離散数理と言われる01の表現なのであって、結局言語も突き詰めれば、有無だけで全てを表現することになるというだけのことです。なので考えられることは有で、考えられないことは無です。なぜ考えられないのかというと、そこ(考えようとしているところ)に無いからです。ウィトゲンシュタインが現代に生きていたら、苦しみから解放されていただろうし、何かもっと違う業績でその名を高めていたことでしょうね。非常に惜しい、残念です。無駄に追い込みをかけて人々を虐待している社会が憎いです。
Very nice 😍💋 💝💖♥️❤️
ムーさんと『論理哲学論考』についてお話出来た一時は、とても楽しい時間でした。次は『哲学探究』ですねw是非、今後とも宜しくお願い致します。
こちらこそ、こちらからの無理なお願いに心良くご協力いただきありがとうございました😊
哲Gacktさんのお力添えがなければ絶対に完成できない動画でした。
専門的に哲学を研究されている方の視点での様々なご意見によって、短期間で多くのことを学ばせていただきました。
『生きるための学び』チャンネルでのウィトゲンシュタイン動画も楽しみにしています!コラボもぜひお願いしますね。
「ウィトゲンシュタイン全集⑨ 確実性の問題/断片」が好きです。従軍しながらも考え続けたというウィトゲンシュタイン、大好きです!
全集を読まれているのですね!
私は全集の第1巻を注文したところです。9巻となると、だいぶ進んだところですよね。哲学探求も読みたいし、私はいつ到達できることやら、、😅
コメントありがとうございます
めちゃくちゃ解りやすいです!
他のユーチューブに比べ、ダントツに一番解りやすく、ダントツに得るものが多く、大変勉強になりました。ありがとうございました。参考文献も、大変参考になりました。ありがとうございました。事態→写像形式→像、解りやすい。排他的ないし、包括的又はは、腑に落ち、参考になりました。今後も、活発に、文学と哲学の境界領域を、取り上げて欲しく思います。排中律が、保証されているならば、要素命題は論理的に、保証されている。ウィトゲンシュタインはフレーゲの論理主義を継承しています。しかし、数学基礎論において直観主義のブラウアーは、排中律は、不完全である事を、明らかにした。
論理値表は、P⊃Qで一部間違いがあります。
解説補助の字幕も間違いがある。
ヴィトゲンシュタイン関連動画の中で解りやすさ断トツの内容。
ここまで丁寧に作品の背景を解説しての論考は流石です
内容もとても解りやすい!
とても丁寧な解説。わかりやすい。
この難しい『論考』をここまで分解してくれて感謝してます!また『論考』に挑戦したくなりました!
「論考」と呼ばれている本。孔子の「論語」に匹敵するほど重要な本だと思う。
私が現在、存在するのは、この本のおかげ。
1982頃、大学で滝浦静雄先生のヴィトゲンシュタインに関する哲学講義を半年間聴いたのを思い出しました。
ありがとうございます。すごく分かりやすかったです❗2週間だけだなんて思えないくらい分かり安かったです。やっぱり哲学はおもしろいですね
なかなか出会えないほどの楽しい動画でした。
・ヴィトゲンシュタイン、はじめてわかった気になれました。
・ムーさんの一人漫談の風味があって、楽しいような暖かいような気持ちになれました。
口裂け女「私綺麗?」
ウィトゲンシュタイン「語り得ぬものについては沈黙しなければならない」
これは面白い🤣詩としてもいけそうですね、、、ってもうツイートされとるのかい笑!
一発でファンになりチャンネル登録しました。
これからも動画配信、楽しみにしております!
凄く良い動画でした。認識の大切さはデカルトを読むと深く理解できると思います。
デカルトは気になります。
30回はみました。勉強になります。哲学探究とても楽しみにしてます。
ムーさんがおっしゃる様に、文学と哲学、そして音楽や芸術等の間に境界線は引けない様に思われます。
なぜなら、文学も哲学も芸術も人間とは何か?世界とは何か?幸福とは何か?という「語りえないもの」をなんとか示そうと表現しようとしている様に思えるからです。
ウィトゲンシュタインも最後に「語りえない事は沈黙せねばならない」といいつつ、このような本を書いてしまったのですから…
凄く納得できました。ありがとう
論理哲学論考といえば「終ノ空」や「素晴らしき日々」ですね。
なんだか講義を受けてるかんじですね。というか講義そのもの。あとの方にいくにしたがってわからなくなります。意志はナンセンスではない、ということなんでしょうか。自由な認識が意志、でそこに幸福があるということですか。個人的には事態を写す(映す?移す?)ものが言葉であり、写されうるものが事実というところでした。2週間でまとめられたと聞き驚いてます。
大学で半期2単位が50分!スゴ。
すごい。
分かりやすいし、頭良いですな。2週間とな。
ぜひ哲学探究も動画にして欲しいですな。
やったー!師匠のお墨付きをいただけるとは😵哲学探究、早く読みたいです
AIによってできることの限界を表現している感じがします。
高校生の時に初めて読んで難解すぎて理解できてるのか出来てないのかさっぱりでしたが
やっと少しだけ理解できた様な気がしました!
ありがとうございます!
思考し得ることと語り得ることを峻別することがテーマですよね。言語って音楽言語とか芸術総体に関わる。文学専門youtuber、しかも論理的なアプローチが魅力的なムーさんが扱うことに意味があると思いました。私は鬼界先生の新書しか読んでませんが、ムーさんほとんど台本なしのフリートークですよね。それでもめっちゃ熱量が入ってきます。述語論理って主語述語の述語じゃないのね、ぐらいの出発点ですが、探求動画を上げられる頃にはまともなコメントをしたいと思います。
因みに、排中律の良い参考が、『ミリンダ王の問い。』ではないでしょうか。
インド哲学とギリシャ哲学の対決です。
これ何度読んでも、論理式の細い操作が分からなかったので、非常に助かります 笑
色んな人の論考解説を眺めているのですが、かなり分かりやすいです。
引き続き読み解いていきたいと思います 苦笑
3:37 ここまで見た感想は、早く続きが見たい!です。
配信ありがとうございます。
ヴィトゲン自身の話を教えて下さい。
「私は私の世界である」については、
仰っていた通り、
目も耳も肌も、
それらを伝える神経も、
それを解釈する脳も違うのだから、
「私が見てる世界は、私にしか見えない」
であり
「私が見ている世界こそが、私にとっての世界」
であり、
「誰かの世界を見せてもらうことは出来ない。(私の世界しか見ることができない)」
故の、
「私は、私の世界である」
かなぁと
(何だこの説明 笑)
参考文献をご紹介します。以下参照
■参考文献 →数学を使わない数学の講義
■参考文献 →数学嫌いな人のための数学―数学原論
上記の参考文献を更に深めると以下もお勧めです。
■参考文献 →経済学をめぐる巨匠たち
■参考文献 →日本人のための経済原論
■参考文献 →論理の方法―社会科学のためのモデル
■参考文献 →韓非子の帝王学
全部、小室直樹先生じゃないですか笑!
未読なのでチェックしてみますね。
ありがとうございます😊
@@mouxx
ムーさん、本人が登場♬\(^_^)/♬
勿論です。
ネオ民さんの企画(私、成りきり哲学者では、小室直樹_博士です。)から。
因みに、以下もお勧めです。
■参考文献 →日本人のための宗教原論
■参考文献 →「天皇」の原理
@@mouxx
そうそう、因みに、小室直樹_博士は、『韓非子の矛盾(反対、即ち、排中律も含む)と‟アリストテレスの矛盾(形式論理学または記号論理学の矛盾)”は、矛盾する。』と言っています。
36:49
数学的直観主義や直観主義論理では排中律は認めないそうですよ!
自分は全く知らないですけどね!
(そーゆーお話もあるそうですよーという事です)
対象が無限についての操作を認めない立場ではそうなりますよね。数学的帰納法も無限に対しての操作を前提としているので、直観主義では認められません。
物理で言えば、相対論ですね。
130億光年離れた銀河を見る事が出来ますが、
その銀河から見た
私たち地球は存在すらしないので。
現在なんて無いし
そもそも、現在が主観でになりますね。
仏教なら
諸行無常 諸行無我 一切皆苦 涅槃寂静
人間はいつか死ぬ運命なのに、
その瞬間、瞬間の自己の欲求に重きを
おいてしまいますね。
ゲーデルの不完全性定理???
ハイゼンベルグの不確定性原理???
アローの不可能性の定理???
■参考文献 →理性の限界 不可能性・不確定性・不完全性 限界シリーズ
■参考文献 →不可能、不確定、不完全―「できない」を証明する数学の力
ドヴィエール分からない。
全て否定するのは根性ある。
パンクの例えは無し。
面白いですね。でも、完全にいかれていますよね。私は哲学の専門家でも何でもないのに世界一の哲学者だと本気で思いこんでいる者なのですが、そもそもその、ifだのorだの自体が命題でもよいのが事実なわけで、その事実というか現実の中で人間が相互に理解しやすいように勝手に分けて表現して「これは述語でこれは名詞!」とか決めているだけなので、例えば命題を演算?するそのifとかが、!とかでも現実の事実の事象としては成り立たないわけではないんですよ。逆に言えば日本語で言うところの「に」とか「は」を動詞と捉えることもできるわけで、数学で使用するようなプラスマイナスとかも同じように機能するはずなのだから、その演算には×や÷も考慮して世界を記述するべきだということを深く試行していただければ、世界の全てを記述しようとした場合、!とかでもなんでも利用する必要があるということはご理解いただけることだと思います。なのでそうした前提を排除して考えると、考えられないことが出てくるんです。事前に排除したからです。
なので、世界は存在するのか?という問いで言えば、世界と記述した時点で存在を明記しているので、存在は存在するのか?という意味とイコールの表現のように考えることもできるわけです。となると、すでに認識している中に認識をしようとすると、「あれ?ほげ?考えられない。」となるわけです。すでに排除している、或いはすでに存在させていると言い換えてもいいのかもしれません。
そしてそうした表現の最たるものがいわゆる離散数理と言われる01の表現なのであって、結局言語も突き詰めれば、有無だけで全てを表現することになるというだけのことです。
なので考えられることは有で、考えられないことは無です。なぜ考えられないのかというと、そこ(考えようとしているところ)に無いからです。
ウィトゲンシュタインが現代に生きていたら、苦しみから解放されていただろうし、何かもっと違う業績でその名を高めていたことでしょうね。非常に惜しい、残念です。無駄に追い込みをかけて人々を虐待している社会が憎いです。
Very nice 😍💋 💝💖♥️❤️