楽しく学ぶ聖書教室 エフェソの信徒への手紙① 1章1~14節 横浜戸塚バプテスト教会 牧師 堀野浩嗣

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  • เผยแพร่เมื่อ 3 ก.ย. 2024
  • エフェソの信徒への手紙①
    エフェソの信徒への手紙の導入と概要 
    この手紙は、冒頭に「使徒パウロから、キリスト・イエスにある忠実なエフェソの信徒たちへ」(1:1)と記されていることからも、使徒パウロが著者であることは明らかで、紀元六十年頃にローマの牢獄の中で書かれたと思われます。本書はフィリピ、コロサイ、フィレモンの手紙とともにパウロが獄中から書いたと考えられるため「獄中書簡」と言われています。
    【内容】
    この手紙の中で最も重要な聖句は、「教会はキリストのからだであり、すべてのものをすべてのもので満たす方が満ちておられるところです」(1:23)と言えるでしょう。この手紙の中心テーマは普遍的な意味での地上の教会(エクレシア)です。
    パウロはまず、キリストを救い主と信じる信仰者が神から与えられている祝福の全体像を述べ、祈りとともに、キリストと教会に焦点を当てます(一章)。
    教会を構成する信仰者たちが、どのようなところから、どのように救われたかについて述べます。信仰による救いはすべての人に与えられるので、ユダヤ人と異邦人を隔てていた壁は取り壊されて、両者はともにキリストのからだ(教会)とされ、キリストの十字架の贖いの恵により、キリストにおいて互いに愛し合うことによって、ともに一つの神の家族とされます(二章)。
    ここまで述べて来たことが神の啓示によって与えられた奥義であることを明らかにし、感謝とともに信仰者が神ご自身の満ち満ちたさまにまで満たされるように祈ります(三章)。
    そして後半の三つの章には、キリストのみからだの一部とされた者たちが、この地上の生涯をいかに生きるかということが述べられています。実際に読みつつ学びましょう。
    エフェソの信徒への手紙1:1-14
    エフェソの信徒への手紙の主要テーマは普遍的地上の教会であり、教会とはイエス・キリストを救い主と告白し、バプテスマ(洗礼)を受けた信仰者たちを指します。したがって、あなたが信仰者であるなら、あなたは教会の一部ということになります。それゆえに、この手紙を読むことによって教会についての理解が深まったとしたなら、それは信仰者であるあなた自身についての理解が深まったということです。
    今日のみことばには、信仰者の誰もがすでにキリストを救い主と信じる信仰によって神からいただいている霊的祝福がいくつも記されています。それらを数えてみよう。
    ・信仰者は、世界の基がすえられる前からキリストにあって選ばれ、御前に聖なる傷のない者とされていた(4)。
    ・信仰者は、イエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定められていた(5)。
    ・信仰者は、キリストの血による贖い、背きの罪の赦しを受けている(7)。
      *能力や行いによって選ばれるのではなく、すでに私たちはキリストによって愛されている。
    ・信仰者は、一切のものがキリストにあって一つに集められるという奥義を知らされている 。(10)
    *現代の人間社会は多様性を声高に求めます。一方で様々な分断や対立が浮き彫りとなっています。しかし、教会はキリストにあって、聖霊の実が一人ひとりにむすばれ、一致が与えられます。
    ・信仰者は、キリストにあって、御国を受け継ぐ者となった (11)。
    ・信仰者は、約束の聖霊によって証印を押されている(バプテスマ)。聖霊は私たちが御国を受け継ぐことの保証である (13ー14)。
    *水と聖によるバプテスマ(洗礼)は、神の国の永住権カードです。神の国はすでに私たちのところに来ています(ルカ11:20)。その永住者である「神の民」は様々な神の国の権利を受け、寛容と柔和と自制を行使し、知恵と洞察力を発揮できます。その権利を実際に使うことが、神の栄光となります。
    信仰者とは、なんと素晴らしい祝福を神からいただいた者たちなのでしょうか。教会とはこのような幸いな者たちの集まりであることを、どんなことがあっても忘れてはなりません。そして、これらの霊的な祝福のすべては、わたしたちが栄え、ほめたたえられるためではなく、神の栄光がほめたたえられるようになるためです。(6、12、14) 私たちは人生が神の栄光を現す場であると認識しているでしょうか。神の栄光を中心に人生の計画を立てているでしょうか。また、今日という日も神の栄光を現す場です。一日を始める時、祈りの中で、どのようにして神の栄光を現わすべきか、思い巡らすべきです。
     パウロはこの手紙を獄中から書いていますが、彼は獄中にあっても神の栄光を現すことを第一に考えていたことがわかります。私たちも神の栄光を現すことを日々考えましょう。
    次週はエフェソの信徒への手紙1章15~23節を学んで行きます。

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