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5:20 ここでも紅いもみたいな色の70系が活躍 この当時の車両は全て走り去ってしまいました
3:20 115系冷房準備車‼️5:18 70系新潟色‼️
115系1000番台ですね。40年近く乗ってますが、置き換えた70系電車の方がシートは良かったです。内装は安っぽいです。
169系ラストランの時に横川からバスで碓氷峠を超えました。169系が軽井沢駅を発車する時に鳴らした警笛の音は今でも覚えています。
EF62の貨物列車❤レア
ナレーション)信越線は、高崎から新潟までおよそ350km。0:05高崎―長野―新潟327.1km。!?
おおらかな時代だったんですよ・・・・きっと・・・・
字幕が正しいみたい。
北陸新幹線の開業により、碓氷峠のある横川~軽井沢は廃線に、軽井沢~篠ノ井・長野~妙高高原はしなの鉄道、妙高高原~直江津はえちごトキめき鉄道となり、高崎~横川・篠ノ井~長野は利用客が多いことから辛うじて残った。ホント、寂しい限りですわ。
軽井沢は新幹線の駅も作られたが(そりゃもちろん作るだろうな)、横川駅は盲腸線の終端駅となってしまった。この違いはいかんともし難く、地元の人には受け入れがたい現実だっただろう。碓氷峠という、特殊な区間を持っていた信越本線を取り巻く現実は、余りにも厳しすぎた。特急も普通列車も国鉄型ばかり。懐かしいというより、虚しい、寂しい思いだ。日に日に当時は遠い過去になっていく。
昔の長野駅だ!!善光寺を模した駅舎が懐かしい。
1:27 協調運転は一部だけ。後は単に押してもらうだけ‼️
信越本線の新潟口旧型国電最終日の時が懐かしく思いました。1962年から1978年と10数年の活躍だけしか活躍できませんでしたが、信越本線の輸送改善を行ったのは、記憶に新しいです。しかし、1970年代入りますと、木張りの床がボロボロになっており、また老朽化が酷く長い活躍は期待できないとずっと言われ続けてました。後継の115系後期車が1978年2月、長岡運輸区に本格投入されると1ヶ月程度で5割近い旧型国電が任を降ろされたと記憶しております。115系後期車はここ40年いやというほど乗りましたが、やはりセミクロスシートなので、あまり好きにはなれませんでしたね。旧型国電の車両は、古いとはいえお金をかけて作られてるのだなとは感じましたが、115系は安っぽい内装なのがやはり好きになれませんでした。
昨日横川に行って来ました。レトロ客車が止まっていました。SLD51が止まっていました。思わず写真を撮って懐かしいですね。おぎのやの峠の釜飯を買って食べました
横軽の廃止は果たして正解だったのだろうか、それとも間違いだったのだろうか……
碓氷峠区間は明治のお雇い外国人で近代日本登山の父と言われるウォルターウェストン氏が、馬車鉄道時とその後のアプト式を介して直江津まで繋がった汽車の両方を体験していて、それを「日本アルプスの登山と探検」で記していて興味深いです。山屋さんや歴史好きだけでなく鉄にも読み応えある一冊です。
上信越や北陸方面への輸送は、今では上越新幹線や北陸新幹線がその役目を担っています。それから1:03EF63形(通称:ロクサン)の2号機と2:11日本初の電気機関車EC40形は現在、軽井沢駅に隣接している旧軽井沢駅舎記念館で見ることが出来ます。そして1:19EF63形の24号機は、25号機とともに横川にある碓氷峠鉄道文化むらで動態保存されています。
仲宗根康太 旧軽井沢駅舎記念館は残念ながら昨年(2017年)3月を持って閉館してしまい今後、軽井沢駅周辺を再開発する計画があり、それにより取り壊されるのではないかと一部噂があるようです。旧軽井沢駅舎記念館の資料は軽井沢の物産館だと思うんですが、そちらに資料が移設、保存の10000形アプト機関車は今後、どうなるか気になります。特に軽井沢の169系湘南色が龍が如くの国鉄広島末期色に塗り替え、保存するようです。
シンカリオンでもいいけどやっぱ在来線でのんびり行く旅の方がいいと思うな
@@syamu172 うちの母も言ってました‼️昭和の頃に軽井沢に行った際は行きは「あさま」、帰りは普通列車高崎乗り換えでした。
新幹線があまり通ってないけど、在来線でいろんなところに行けた時代でもありましたね。
今では、北陸新幹線が北陸への移動手段になり、在来線は、通勤通学と短距離移動に専念できる時代になりました。その分、普通列車や快速列車を充実してほしいですね。
現状を見ると、新幹線開業が本当に良かったのか考えさせられる。しなの鉄道は、県職員の天下りなどで赤字経営が続き、田中県政時に杉野を社長に迎え改革を図った。私は田中や杉野を全面的に称賛するつもりは全くないが、当時の県やしなの鉄道など、問題があったのは明らか。トキ鉄の経営は苦しく、鳥塚氏を社長に迎え営業を続けている。しかし、元はと言えば、新幹線建設による経営分離が発端だ。整備新幹線の体制を作った国も悪い。碓氷線廃止の訴訟で勝てる訳がなかった。
昔の高崎駅だ!釜めしとお茶もなつかしい。
関口暁彦様伊東智美MI6とCIA
今は無き、関東唯一の国鉄湘南色115系及び国鉄色189系、とうとう引退するこの時が来てしまい、寂しいばかりです。この動画を見てると華々しい光景で懐かしく感じます。
EF63が重連で189を牽く姿は1度見てみたかったな
「牽く」というより「押す」でしょう…
@@psychedelicraspberry1457 そうでしたね
@@morimori185 オッサンだから碓氷峠は何回も乗ってます。
横川:信越 YOKOKAWA 山陽 YOKOGAWA
「(陽)横川駅」の入場券買った事あります⁉️
新幹線のせいでズタボロになったな直江津~新潟は残ってる分北陸線よりはマシか
横川駅🚉の峠の釜飯🍚食べたい。
碓氷峠の信越本線こと碓氷線横軽は廃線後の今は、横川駅~旧熊の平駅までのハイキングコースになり、当時の栄光を今に伝えています。また、EF63、ED42の拠点横川機関区こと横川運転区の跡は鉄道文化村に整備され、碓氷峠の急勾配66.7‰の鉄道を今に伝えています。
小生も、横川から旧熊ノ平駅跡地まで徒歩で往復しましたし、碓氷峠鉄道文化むらにも2回、行ってきました。
1:41 2:38辺りのシーンは、まんがはじめて物語「のぼり優先 発車オーライ! 登山鉄道」の時と同じですよ。
廃止前に写真撮りにいったな~
中線から発車してた時代と貨物の映像は希少。それよりEF63 2号機は本当いろんな映像に登場するよね。今は軽井沢で余生を過ごしてるけど。
碓氷線横軽廃線後、長野県エリアの信越本線は三セクのしなの鉄道(長野~軽井沢間)に移管され、さらに北陸シンカリオン金沢延伸により、長野~妙高高原間がしな鉄北しなの線に妙高高原~直江津間がえちごトキメキ鉄道妙高ラインになりとうとう軽井沢~長野~直江津間がJR信越本線ではなくなり、もしも、金沢延伸の北陸シンカリオンがなんらかの事故特に災害で使えなくなったら、トキ鉄、しな鉄で迂回するしかないでしょうね。そのためにも存続維持してほしい所です。
岡田裕志 てかシンカリオンが事故したら結構迂回しなきゃいけなくね中央本線に戻って行かなきゃいけないと思う、だから碓氷峠を残しとくことのほうがいいと思う
@@syamu172 そうすれば、EF63形に代わる新しい電気機関車が必要になりますね。
実は、NHKのブラタモリの碓氷峠のテーマで碓氷峠第三橋梁(めがね橋)及び横川機関区跡地の鉄道テーマパーク鉄道文化村にタモリが訪問・見物してED42及びEF63、ラックレールを見物、特にEF63を体験運転まで行い、これは是非訪れる観光地ではないでしょうか。
国鉄一色の時代ですね
115系1000番台はデビューして間もない頃の映像です。
だから冷房準備車なんです(上野に来る奴はもちろん冷房付き)…
いまの信越線:バラバラ
北陸新幹線の余波です。寂しいです。上越・北陸新幹線は果たして必要だったのでしょうか?
3417 konno 東海道・山陽新幹線だけで十分だと思います。
@大好きwotb 私も同感ですが、JRは「在来線の廃止はしない」公約だったはず。EF63はともかく、箱根登山みたいに自力で登れる電車は、3セクでもいいので残してほしかった…
@@konno-my8uy 必要かどうかはわかりませんが、東京~富山・小松で飛行機✈️から客を奪っているのは事実です。東京~新潟なんか飛行機ないですし…
最初に出てくる115系の運転士、前を向いてるんですかね…手を髪の毛に触れるときとか角度が・・・
80系電車も走っていたんですね。
花柳幻舟 終焉の地
もし仮に北陸新幹線長野開業後も信越本線高崎~長野がJR経営のままだったとして、横川~軽井沢間に関しては経営上のネックとなり、遅かれ早かれバス転換になっていたように思います。貨物列車も優等列車もなく、ごく僅かな本数のローカル普通列車の為に、その区間専用の補機機関車を配備し、保守の為の設備、人員を必要とし、重量のあるEF63が急勾配を往来するが故、保線コストも嵩む。関東~日本海側ルートとして信越本線が最短距離となる上越線より建設が早かったのは、上越国境区間は長大トンネルが必要だが明治期にはトンネルを掘る事が出来なかったから。アプト式鉄道として開通した横川~軽井沢間が早期に電化された事、専用補機の開発で速度の出ないアプト式から通常の粘着式軌道に転換した事。碓氷線建設当時は技術的、経済的理由で叶わなかった長大トンネルで碓氷峠を貫く事が可能になり、新幹線として実現した。鉄道に限らず、交通機関に限らず、人間は「豊かさ」「便利さ」「快適さ」を求めて生きる人が大半です。それを実現する為のその時代、その地域なりの「最適解」をその都度導き出して実現しています。時代が変わり「旅情」「風情」を感じるようになったものも、過去には人間が「速さ」「便利さ」を追求した最適解だったのでしょう。その答えが時代と共に変化するのは自然な事だとは思います。
4:15あたりに登場するきれいな女性も、今では年金生活または要介護認定を受けはじめるくらいの御年でございますね。
かるいさわ  ̄
真っ3つに
5:20 ここでも紅いもみたいな色の70系が活躍 この当時の車両は全て走り去ってしまいました
3:20 115系冷房準備車‼️
5:18 70系新潟色‼️
115系1000番台ですね。40年近く乗ってますが、置き換えた70系電車の方がシートは良かったです。内装は安っぽいです。
169系ラストランの時に横川からバスで碓氷峠を超えました。169系が軽井沢駅を発車する時に鳴らした警笛の音は今でも覚えています。
EF62の貨物列車❤レア
ナレーション)信越線は、高崎から新潟までおよそ350km。
0:05高崎―長野―新潟327.1km。
!?
おおらかな時代だったんですよ・・・・
きっと・・・・
字幕が正しいみたい。
北陸新幹線の開業により、碓氷峠のある横川~軽井沢は廃線に、軽井沢~篠ノ井・長野~妙高高原はしなの鉄道、妙高高原~直江津はえちごトキめき鉄道となり、高崎~横川・篠ノ井~長野は利用客が多いことから辛うじて残った。
ホント、寂しい限りですわ。
軽井沢は新幹線の駅も作られたが(そりゃもちろん作るだろうな)、
横川駅は盲腸線の終端駅となってしまった。
この違いはいかんともし難く、地元の人には受け入れがたい現実だっただろう。
碓氷峠という、特殊な区間を持っていた信越本線を取り巻く現実は、余りにも厳しすぎた。
特急も普通列車も国鉄型ばかり。懐かしいというより、虚しい、寂しい思いだ。日に日に当時は遠い過去になっていく。
昔の長野駅だ!!
善光寺を模した駅舎が懐かしい。
1:27 協調運転は一部だけ。後は単に押してもらうだけ‼️
信越本線の新潟口旧型国電最終日の時が懐かしく思いました。1962年から1978年と10数年の活躍だけしか活躍できませんでしたが、信越本線の輸送改善を行ったのは、記憶に新しいです。しかし、1970年代入りますと、木張りの床がボロボロになっており、また老朽化が酷く長い活躍は期待できないとずっと言われ続けてました。後継の115系後期車が1978年2月、長岡運輸区に本格投入されると1ヶ月程度で5割近い旧型国電が任を降ろされたと記憶しております。115系後期車はここ40年いやというほど乗りましたが、やはりセミクロスシートなので、あまり好きにはなれませんでしたね。旧型国電の車両は、古いとはいえお金をかけて作られてるのだなとは感じましたが、115系は安っぽい内装なのがやはり好きになれませんでした。
昨日横川に行って来ました。レトロ客車が止まっていました。SLD51が止まっていました。思わず写真を撮って懐かしいですね。おぎのやの峠の釜飯を買って食べました
横軽の廃止は果たして正解だったのだろうか、それとも間違いだったのだろうか……
碓氷峠区間は明治のお雇い外国人で近代日本登山の父と言われるウォルターウェストン氏が、馬車鉄道時とその後のアプト式を介して直江津まで繋がった汽車の両方を体験していて、それを「日本アルプスの登山と探検」で記していて興味深いです。山屋さんや歴史好きだけでなく鉄にも読み応えある一冊です。
上信越や北陸方面への輸送は、今では上越新幹線や北陸新幹線がその役目を担っています。それから1:03EF63形(通称:ロクサン)の2号機と2:11日本初の電気機関車EC40形は現在、軽井沢駅に隣接している旧軽井沢駅舎記念館で見ることが出来ます。そして1:19EF63形の24号機は、25号機とともに横川にある碓氷峠鉄道文化むらで動態保存されています。
仲宗根康太
旧軽井沢駅舎記念館は残念ながら昨年(2017年)3月を持って閉館してしまい今後、軽井沢駅周辺を再開発する計画があり、それにより取り壊されるのではないかと一部噂があるようです。旧軽井沢駅舎記念館の資料は軽井沢の物産館だと思うんですが、そちらに資料が移設、保存の10000形アプト機関車は今後、どうなるか気になります。特に軽井沢の169系湘南色が龍が如くの国鉄広島末期色に塗り替え、保存するようです。
シンカリオンでもいいけどやっぱ在来線でのんびり行く旅の方がいいと思うな
@@syamu172 うちの母も言ってました‼️昭和の頃に軽井沢に行った際は行きは「あさま」、帰りは普通列車高崎乗り換えでした。
新幹線があまり通ってないけど、在来線でいろんなところに行けた時代でもありましたね。
今では、北陸新幹線が北陸への移動手段になり、在来線は、通勤通学と短距離移動に専念できる時代になりました。その分、普通列車や快速列車を充実してほしいですね。
現状を見ると、新幹線開業が本当に良かったのか考えさせられる。
しなの鉄道は、県職員の天下りなどで赤字経営が続き、田中県政時に杉野を社長に迎え改革を図った。
私は田中や杉野を全面的に称賛するつもりは全くないが、当時の県やしなの鉄道など、問題があったのは明らか。
トキ鉄の経営は苦しく、鳥塚氏を社長に迎え営業を続けている。
しかし、元はと言えば、新幹線建設による経営分離が発端だ。
整備新幹線の体制を作った国も悪い。碓氷線廃止の訴訟で勝てる訳がなかった。
昔の高崎駅だ!
釜めしとお茶もなつかしい。
関口暁彦様
伊東智美MI6とCIA
今は無き、関東唯一の国鉄湘南色115系及び国鉄色189系、とうとう引退するこの時が来てしまい、寂しいばかりです。この動画を見てると華々しい光景で懐かしく感じます。
EF63が重連で189を牽く姿は1度見てみたかったな
「牽く」というより「押す」でしょう…
@@psychedelicraspberry1457 そうでしたね
@@morimori185 オッサンだから碓氷峠は何回も乗ってます。
横川:信越 YOKOKAWA
山陽 YOKOGAWA
「(陽)横川駅」の入場券買った事あります⁉️
新幹線のせいでズタボロになったな
直江津~新潟は残ってる分北陸線よりはマシか
横川駅🚉の峠の釜飯🍚食べたい。
碓氷峠の信越本線こと碓氷線横軽は廃線後の今は、横川駅~旧熊の平駅までのハイキングコースになり、当時の栄光を今に伝えています。また、EF63、ED42の拠点横川機関区こと横川運転区の跡は鉄道文化村に整備され、碓氷峠の急勾配66.7‰の鉄道を今に伝えています。
小生も、横川から旧熊ノ平駅跡地まで徒歩で往復しましたし、碓氷峠鉄道文化むらにも2回、行ってきました。
1:41 2:38辺りのシーンは、まんがはじめて物語「のぼり優先 発車オーライ! 登山鉄道」の時と同じですよ。
廃止前に写真撮りにいったな~
中線から発車してた時代と貨物の映像は希少。
それよりEF63 2号機は本当いろんな映像に登場するよね。
今は軽井沢で余生を過ごしてるけど。
碓氷線横軽廃線後、長野県エリアの信越本線は三セクのしなの鉄道(長野~軽井沢間)に移管され、さらに北陸シンカリオン金沢延伸により、長野~妙高高原間がしな鉄北しなの線に妙高高原~直江津間がえちごトキメキ鉄道妙高ラインになりとうとう軽井沢~長野~直江津間がJR信越本線ではなくなり、もしも、金沢延伸の北陸シンカリオンがなんらかの事故特に災害で使えなくなったら、トキ鉄、しな鉄で迂回するしかないでしょうね。そのためにも存続維持してほしい所です。
岡田裕志 てかシンカリオンが事故したら結構迂回しなきゃいけなくね中央本線に戻って行かなきゃいけないと思う、だから碓氷峠を残しとくことのほうがいいと思う
@@syamu172 そうすれば、EF63形に代わる新しい電気機関車が必要になりますね。
実は、NHKのブラタモリの碓氷峠のテーマで碓氷峠第三橋梁(めがね橋)及び横川機関区跡地の鉄道テーマパーク鉄道文化村にタモリが訪問・見物してED42及びEF63、ラックレールを見物、特にEF63を体験運転まで行い、これは是非訪れる観光地ではないでしょうか。
小生も、横川から旧熊ノ平駅跡地まで徒歩で往復しましたし、碓氷峠鉄道文化むらにも2回、行ってきました。
国鉄一色の時代ですね
115系1000番台はデビューして間もない頃の映像です。
だから冷房準備車なんです(上野に来る奴はもちろん冷房付き)…
いまの信越線:バラバラ
北陸新幹線の余波です。寂しいです。上越・北陸新幹線は果たして必要だったのでしょうか?
3417 konno 東海道・山陽新幹線だけで十分だと思います。
@大好きwotb 私も同感ですが、JRは「在来線の廃止はしない」公約だったはず。EF63はともかく、箱根登山みたいに自力で登れる電車は、3セクでもいいので残してほしかった…
@@konno-my8uy 必要かどうかはわかりませんが、東京~富山・小松で飛行機✈️から客を奪っているのは事実です。東京~新潟なんか飛行機ないですし…
最初に出てくる115系の運転士、前を向いてるんですかね…手を髪の毛に触れるときとか角度が・・・
80系電車も走っていたんですね。
花柳幻舟 終焉の地
もし仮に北陸新幹線長野開業後も信越本線高崎~長野がJR経営のままだったとして、横川~軽井沢間に関しては経営上のネックとなり、遅かれ早かれバス転換になっていたように思います。
貨物列車も優等列車もなく、ごく僅かな本数のローカル普通列車の為に、その区間専用の補機機関車を配備し、保守の為の設備、人員を必要とし、重量のあるEF63が急勾配を往来するが故、保線コストも嵩む。
関東~日本海側ルートとして信越本線が最短距離となる上越線より建設が早かったのは、上越国境区間は長大トンネルが必要だが明治期にはトンネルを掘る事が出来なかったから。
アプト式鉄道として開通した横川~軽井沢間が早期に電化された事、専用補機の開発で速度の出ないアプト式から通常の粘着式軌道に転換した事。
碓氷線建設当時は技術的、経済的理由で叶わなかった長大トンネルで碓氷峠を貫く事が可能になり、新幹線として実現した。
鉄道に限らず、交通機関に限らず、人間は「豊かさ」「便利さ」「快適さ」を求めて生きる人が大半です。
それを実現する為のその時代、その地域なりの「最適解」をその都度導き出して実現しています。
時代が変わり「旅情」「風情」を感じるようになったものも、過去には人間が「速さ」「便利さ」を追求した最適解だったのでしょう。
その答えが時代と共に変化するのは自然な事だとは思います。
4:15あたりに登場するきれいな女性も、今では年金生活または要介護認定を受けはじめるくらいの御年でございますね。
かるいさわ
 ̄
真っ3つに