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キター、管鮑の交!管仲は突出した宰相だが、その管仲を推挙して自分より上位者とした鮑叔牙の漢は無限にデカい。
「先ず民を富ますにあり」はすべての時代で正論だと思う。無理せず減税できた国家は長く続く。現代の為政者にも肝に銘じて欲しい。
財務省「せやろか」
@@rokuemu114 さん康熙帝「やってみなはれ」
2600年も前に示された正解を未だに見つけられない東大卒官僚(笑)
管仲作といわれる『管子』は法家思想の漢籍として明治書院の漢文大系にあります。有名な『衣食足りて礼節知る』も勿論載っています。
春秋戦国誌だったかな管仲の言葉に「政治力とは 例えば猛獣を捻じ伏せる事ではなく、檻に追い込む技術のことに他ならない」というのが書いてあった。これは現代でも通ずると感じた。
いつも楽しみにしてます!管仲の動画ありがとうございます!!
失敗し続けたから、人間が力を発揮するにはある程度の余裕がないといけないということが骨身に染みて解っていたのですよ。
管鮑の交わりは作り話が入っているかもしれないとしてもやはり無二の友情ですね
管仲大好きな人物なので取り上げてくれて嬉しかったです!一代で覇者の国にしたのに、その死後から内乱内乱&内乱が続く斉というのが歴史の重さを感じますね。
最近論語を学ぶ中、管仲の話が出てきてもイマイチ分からなかったのですが、今回の動画で理解が深まったように思えます。とても勉強になりました、ありがとうございました!
孔子は周の世代・慣習復活を重要視しているように見えます。だかどの国にも用いられなかった。すでに時代遅れの思想だと考えてます。勉強するのは意味無いかと。アメリカの哲学者もインディアンの口喧嘩と評してます。
ご意見ありがとうございます。当時においても時代遅れの思想ですか、そういった見方もあるんですね…『インディアンの口喧嘩』というのも初めて聞きました、教えて頂きありがとうございます。意味が無いと断ずる事が出来るほど知らないので、学んでいきたいと思います!
結果を重視する姿勢が好き
接待で浪費したり佞臣に入れ込んだりの強い「チヤホヤされたい願望」があったからこそ領土の譲り渡しや管仲の助命・抜擢みたいな太っ腹系行為への提言もすんなり受け入れることが出来たのかも知れませんね、桓公さんは。
投稿頻度高くて嬉しい😂人が休みは仕事のワイ深夜にじっくり見まする。
どの国でもそうだけど後の時代の役職とかその辺の在り方の、目標になる人物ってホント凄いよね。ゼロから歩みを進む者の失敗は後の時代の後を追う者の失敗とは訳が違うし、それでも折れずに自分を貫ける管仲はほんと怪物。
理想論でなく、現実的視点で政治を行い、成功させているすごい人物ですよね。
戦国時代に儒学が国の方針として受け入れられなかったのは理想ばかりで戦乱の世の中には全く話にならないことばかり言ってばかりだし 33:41
まず明確な目標 (理想) があって、それを現実路線で実現していった政治家。結果として儒学の徒が求めてた理想もそこそこ実現してたという。「今管仲」出てきてほしいなあ
三国志のゲームで、やたらに能力が高いレジェンド武将の中に菅仲もいましたね。どんな人かは知らなかったので、興味深いです。
陳舜臣の「小説十八史略」での管仲と鮑叔牙のやり取りが好き。鮑叔牙が自身の理想の政治を行う為に管仲を立てて裏方に徹し管仲はそれに納得している。鮑叔牙が臨終の際に枕元にいる管仲に謝意を表す。良い友情だなぁ~と思った名シーンだった
陳舜臣は近現代史があれ
いつも楽しみにしてます!管仲の動画ありがとうございます!(*≧∀≦*)
衣食足りて礼節を知る、まさにいま話題のホームレス批判の件と繋がる気がします。現在の状況だけでその人間を判断してはいけないのです。
財テク宰相管仲と清貧宰相晏嬰をまとめて管晏列伝に編んだ司馬遷。まあ姜斉はこの二人に尽きるからねぇ。
鮑叔牙が大好きです。誰だって自分が上になりたいのが普通だと思うのですが、なかなか言えないですよ。斉一国を治めるのなら自分の補佐でも事足りるが覇者になるには管仲の力が要るなんて。人を見る目、大局を見極める冷静さ、友人を立てて信頼する心意気。何もかもが素晴らしすぎて感動します。鮑叔牙なくして管仲の活躍はないのです。男のなかの漢、器のスケールが半端ないです。
宮城谷昌光先生が管仲について指摘していた事で、彼は無税国家を考えていたというくだりがあったと記憶しています。この時代に単なる理想論ではなく、結果としてここまで民と国家に空前の繁栄をもたらした事は凄いと改めて思いますね。
動画面白かったです。「帝者は師と与(とも)に処(お)り、王者は友と与に処り、覇者は臣と与に処り、亡国は役(えき)と与に処る。」皇帝となる人は師と、王となる人は友と、覇者となる人は家臣と生活するが、国を滅ぼす人物は召使いと生活するとの燕の昭王の話しを思い出しました。君主が真に賢者を大切にしなければ、ろくでもない人物しか来ないという意味かと思いますが、まさにそういった逸話ですね。管仲が気の毒ですね。長文すみません。(笑)
ありがとうございます!
ありがとうございます!ご支援誠に大感謝でございます!!
苗字と字で呼ばれている事・主君に絶大な信頼を受けた事・名宰相として国を発展させるのに際し、経済政策に重きを置いた事・死後国が衰退していった事など、管仲と諸葛孔明には似た点がとても多いなと感じました!
秦の春秋戦国時代で暗君無しな所がすごいですね。
面白かったです。桓公の顛末が残念でした。40年も名宰相のとなりにいて何も学ばなかったのは悪い意味ですごいな…
ところで覇者の前身である小伯及び会盟というのは桓公以前の頃は私的なものだったが、桓公の時代になると公的な要素が強まっていく。この時代は中華こそが世界のすべてだったため、どちらかと言うと国連安保理やNATOのようなものがイメージとして近いと佐藤信弥氏は解説している。
曹沫の件、「桓公ビビりすぎじゃない?」と思ってたらそんな説があるのね、確かに魯公が直々に脅して来たら刺客一人よりはずっと効果的よねただ和約を守ったことで諸侯が付き従うようになった、てのはどうしても「諸侯に付け入る隙を与えて逆の結果にならんの?」って疑問がどうしても消えないんだよなぁ春秋時代は後の時代より礼節が重要視されてたんかねぇ、もしくは当時の斉の権勢が強すぎたのか
それまでの斉というか桓公は欲が前面に出過ぎてて、非礼の国を討伐するといっては小国滅ぼして版図に加えるって形で国力と国土を増大させてきてたからね。その中には斉の友好国もいたわけで、周辺国からすると「斉が言ってることもわかるけどあいつら実は征伐の口実にいちゃもんつけてるだけの乱暴者じゃないの?」という目で見られてたのよ。桓公も敵対者には暗殺者送りまくったりしてたし。それが桓公のライバルだった公子糾を庇護し斉に逆らい続けた魯に対して、脅されて結んだ約でも守る姿勢を見せたことで、少なくとも斉は約束は守る国らしいという評価を得る事に成功した。総合すれば「桓公は敵対者には容赦ないけど、傘下に入るときにちゃんと盟約を結べばそれは守ってもらえる」と諸侯はみたわけで、それまでの悪行がむしろ諸侯に舐められない牽制になった感じだね
桓公と劉禅の評価を見ると・・・劉禅が不憫で仕方ありません。
この前、済南にある、鮑叔牙のお墓に行ってきました。済南の街中に高いところにあるので、比較的行きやすいです。地元の人に一応手入れされているような感じでしたが、人も殆どいなく、あまり地元でも有名ではないようでした。^ ^
楽毅の特集もやってほしい!
ゲームアサシンクリードオリジンにプトレマイオスを「周囲に流され易く影響を受けやすい」と評するシーンがあったが、斉桓公もそうだったのかな?後年の孫権や唐玄宗や徳川綱吉等も前半だけなら賢君っぽいが晩年汚したのは、有能な家臣・側近がいてそのやり方を学んで上手くいったがそれらが少なくなって奸臣が増えてそれらに影響されるパターンかな?
管仲 大好
古典の故事は既に知っているのに何度も読み返したくなる名作の宝庫
管仲の死後に当時放浪生活中の重耳が斉に仕官を望んでいたんだが登用されていたら斉はどうなっていたことやら(結局重耳は晋に帰参し晋の文侯として偉大なる二大覇者の一人なったけど)
36:20宰の字が料理人を意味すると知らなかったです。もしかしなくても伊尹からきてるって事ですよね?
そういえばあの人も料理人でしたね
小刀の象形文字とされますね商などは神権政治にて、儀式には当然生贄なども使ったでしょう家畜などならおそらくですが最後にはみんなで平らげたはずなのでそうした家畜を切り分ける役(切り分けナイフ)が重要となるわけですというわけで 宰が「取り仕切る(役)」という意味を帯びたとされますね例えば今でも米国ではサンクスギビングデイでは大統領自らが七面鳥を切り分けています
ひさしぶりの春秋戦国時代だ!
晏嬰「桓公が凡庸😲❗じゃあ景公はどうなるんだ...」
凡庸な君主だからその臣下が目立てる訳で…………。このチャンネル動画では漢王朝の創始者高祖劉邦ですらコテンパンですし。
@@おごうさん-u6y 景公に関しては大抵の歴史書で暗君扱いよ。劉禅登場までは非暴君系暗君の代表といえば斉の景公と言われてたレベル。まあ晏嬰が宰相の間は第二の黄金期と言われる繁栄してたのに、その死後一気に急落したからね。ただ、晏嬰自身は「大器でも覇気もないし教えたこともすぐ忘れる仕方のない人だが、人の言うことを素直に聞くし性質は善良だから悪い君主ではない、一生かけて教えていくさ」みたいなこと言ってるので、案外晏嬰からみるとそこまで悪い君主でもなかったっぽい。景公も晏嬰危篤の報に接するや慟哭しながら馬車を自ら走らせるほど晏嬰を慕ってたしね。その意味ではいい絆をもった君臣でもあったんだろうね。
能力的には無能ではなかったけど、人を見下したり、猜疑心が強かったりで人を用いることができない君主もいますしね。良い君主だったどうかという判定は難しいです。
天才宰相諸葛亮さんは使えた君主が良かったんだなあと…
劉備は苦労人だからね
董仲舒より伊尹より呂尚より荀彧より王佐の才がある王佐を超えたキングメーカー管仲
斉の宰相繋がりで晏嬰も頼むで
倉廩 満ちて礼節を知り 衣食足りて 栄辱を知るこれは現在でも政治とは何たるかを表している言葉である。国民にとって最も重要な事は日々の生活であり、即ち経済だ。それを分かっていない政治家が多過ぎる。
以前民王というコメディドラマで管鮑の交わりの故事がネタとして登場していました。その頃は中国史に興味がなかったのでなんか知らないけどアワビは美味しいよね!とか呑気なものでしたが詳しく知れて嬉しいです。古今、管仲のような合理的思考は普遍だと思いました。
何かの話で始め桓公は後継を鮑叔牙にしようとしたら管仲が品行方正な彼では自身の後任に耐えれないと反対している。管仲死後、桓公は鮑叔牙を宰相にしたがやはり真面目な性格が祟って激務に堪えきれず過労死してしまいその後例の奸臣3人衆を側近くに据えたと記憶しています。
徳を求める政治も大事だが堅実さを求める政治も大事。管仲は、政治家らしい政治家ですね。綺麗事では、国は、治まらない。国家安泰は、合理的でないとね。それと鳥人間が斬首されそうな時は、助命しますね。
動画拝見しました。内政もさりながら外交についてもかなりすごいと思います。ヨーロッパであればもっと有名な人物となったかもしれませんね。
管仲を斉に送る時に、管仲を送ったら斉でおもくもちいられるからころした方が良いと提言した魯の施伯は見る目があると思う。
管仲が支えた桓公と、晏嬰が支えた景公。どちらも碌な君主ではなかったが、まだ景公のほうが人間味が感じられる。
晏嬰が没した際、景公が晏嬰の遺体にすがって泣いた。近臣が「非礼でございます」と言ったが景公は「昔、夫子(晏嬰)に従って公阜に遊んだ時、一日に三度わしを責めた。今誰がわたしを責めようか」と言い、泣き続けた。景公は暗君として史書に描かれますがこのエピソードからは景公の人間味が伺えます。
景公が呑み仲間を探していて、晏嬰と司馬穣苴には断られ、最後に梁丘拠と呑むわけなんだが、いちいち彼らの屋敷を訪れて誘っている所が笑えるし。ただこれは晏子春秋のお話だから、ホントかどうかはわからない。
@@バンブーキャット 晏嬰は晏嬰で、景公をどうしようもないけど憎めない主君といって一生かけて教えていくと思い定めてたみたいだし、この主従にはちゃんとした絆があるのが見えるからね。景公が後世暗君扱いされてるのを泉下で晏嬰が憤慨してたりするかもしれないw
久しぶりの春秋
金文に歴史が書いてあるの不思議だわね今もなんか鉄板とかに2021年のことを刻んだ方がいいのかしら
「管仲が三貴を処して逝かなかったのは手落ち」みたいな主張を見たことがあるなあ……
曹操に「人間のクズだけど有能」と言わしめた管仲さん好き
流石「能力さえあればOK」と言った曹操。
赤星レキさん、出典を教えて頂けないでしょうか?
@@難波はじめ 求賢令だかなんだかの実施時に陳平と並んで人格クズだけど有能な人物として挙げられてた
おまいうの極み
@@REKI-AKAHOSI 有難うございます。
往時は覇者と呼ばれた人の名声が後世臣下にぜんぶ持ってかれて可哀想やなー、とか途中まで同情しかかってたけど終末辺りエピソードがガチの暗君で後世の評価に大納得。
忠義が建前の儒教としては主君を乗り換えたことは批判の対象なのだろうが、人民の富裕が国家の元と考えた先進的な人。この時代の斉の人民は幸福だったろうな。品行なんて功績に比べたら二の次。あと、なんとなく藤堂高虎を思い出した。
儒教と今の日本のマスコミ、通じるものがありますな…
現代でいう『世論』に近いものなのかもしれませんね。三国志でも名士からの評判=儒教的な面で見た評価は何処でもついて回る感じですし。
「衣食足りて礼節を知る」の話であったように、人民を富ますことによって礼節を備えた人が増えて国に秩序がもたらされたなら管仲1人の人間性の話なんて大した問題ではないよなぁ。
やはり、管仲の才能を見抜き支えた鮑叔牙が素晴らしい(*’ω’ノノ゙☆パチパチ(*’ω’ノノ゙☆パチパチ
孔子って有名だけど正直分類としては「自分の売り込みに必死なマナー講師」の域を出ない感じがするんだよな
こんなに上手い表現はじめてみました。
巨漢というのもポイント
晏嬰「理想は高いんだけど現実が見えてない。利にうるさい斉の国民性や、緊張が続かない景公の性格に彼の思想とその政策は合わないのに、それで理想の国家になんてなるわけがない」
最高🎉
実際に当時の宰相クラスからはほぼ評価されてないしねというか儒学って狭い世界でしか生きたことのない君主くらいにしか受け入れられなかったし
優れた経済政策、人間関係づくりのうまさ、強い上昇志向・金・権力欲…個人的には田中角栄と重なります
Thanks!
ありがとうございます!ご厚意をいただけて、すごく嬉しいです!!
今の時代にも必要な政治家だなぁ。
孔明「自分を管仲になぞらえていたら、 本当に諫言を素直に聞けるのだけが取り柄で、 佞臣を近づける、阿なにがし様を支えるハメになったでござる」
宰はもともと料理人。因みに料理を意味する語は「菜」で、料理の語は葬儀などを「処理」するという意味みたいですね、だから口語で使うと人頃シの意味になるんだとか、ならないんだとか(・・)
中国は奥が深今の日本は…日本がはってんしてるならいいか中国すごい道徳尊敬してます、ありがとうございます
あんなに(斉と)一緒だったのに夕暮れはもう違う(末期)色
斉の後継者争いで、両陣営に分かれた管仲と鮑叔牙。勝った方が命乞いと推挙をする、二人の高等戦略だったという説もありますね(笑)。桓公の遺体が放置されて、棺桶の外まで虫がぞろぞろと這い出てきた逸話は、中国史の中でも印象に残るホラーな場面かも。
実利実益を優先し現実を見据え合理的に物事を進めていく。現在の政治にも繋がりますね。実の無い空理空論を弄び他者の足を引っ張ることだけに主眼を置いた詭弁の輩にはもっと学んで欲しいと思わずにはいられません
管鮑の交わり、裏読みすぎかも知れませんが、管仲が矢面に立ちつつ、鮑叔牙が相当に管仲の発言、行動に関わっていたのかなーって思ってます。
斉の桓公が後継者を定めぬまま没すると、子供達は互いに争い最終的に宋に亡命した太子の昭こと考公が即位するまで混乱が続いた。その後の斉は覇者としての地位を失い国力は衰え、更に田氏の簒奪が起きると管仲の子孫は魯や楚等に亡命した。楚に亡命した子孫は陰太夫の役職を楚王から任じられ、自ら苗字を管から陰に変更した。その子孫は荊州の新野に住むようになり、漢世祖光武帝劉秀の皇后である陰麗華(陰光烈皇后)や執金吾で太傅の陰識(陰麗華の兄)や和帝劉肇の陰皇后等が出た。その他の子孫には、三国時代に青州に住むも魏の皇帝からの招聘を断り続け、高潔な志を保ちつつ在野で亡くなった管寧が知られている。
ついに来た管仲!!ということはいよいよ楽毅も近い...?
桓公って劉禅みたいな奴だな、周りの臣下次第で白にも黒にもなる
こういう居なくなったら勢力が衰退する名臣って多いよなぁ。今川の雪斎しかり朝倉宗滴しかり。というかこの時代に民の事や経済を中心とした政策を打ち出すとか凄い人物だな。
まあ、自勢力の後継が盆暗で自滅した場合と、敵対勢力の方が力を付けてきて、後継も頑張ったけど太刀打ちできなくなって衰退した場合とでは違う気がするけど……
結局、時代時代に応じて国力の源泉が何であるかを管仲や名宰相たちがリアリズムで見抜いていたってことだろうと。古代・中世の為政者は、自分の欲得に走るか、理想主義に走るかが多かったんで。その点、個人の視点で機会主義に陥っちゃうリアリストとは違うかも。
日本人の優れた為政者や商人の考え方は管子の考え方に近いと思います。
近代までの名臣って基本的に個人の才覚に依存してる場合が多いからね。ただ、そんな突出した才能持ちなんてそうほいほいいるもんではないからその人がいなくなるとあっという間にボロボロになるその意味では紀元前に人ではなく法によって政治のシステムを構築した商鞅は偉人だと思うよ。西欧で同種の国家のシステム化が行われたのってプロイセンの登場以降だもの。
管仲を用いた、その一点だけで桓公は名君ですよ。
管仲は老いた、と最後の助言を守らなかったのが桓公の唯一の汚点。
斉なら晏嬰、晋なら趙衰を取り上げてくれると嬉しいです
女の子がやたらやってる目の下のぽっこりは2000年前からブームだったのか。
まさに名宰相
お、後世で色々と有能宰相の例に挙げられるレジェンド来たな。
遂に天下の名宰相管夷吾、有り難う!!管仲・晏嬰ともに「民を先にす」という政治を行い、姜氏斉の繁栄期をもたらした。現代にも通ずる、実に理に適った政治であったと言えるのでは?あと、主さんの「宰」についての解説は、実にスバラシイ!!👍
もし、桓公が斉一国で満足するだけなら〜とあったけど、鮑叔牙でも諌めきれなかったのではないでしょうかね?管仲の手腕が凄かった、キングメーカーと呼ぶに相応しいと思います。以下、おふざけパート鮑叔牙「あなたが斉一国で満足されるなら、補佐は私だけで十分です。しかし、諸侯に覇を唱えるなら、管仲を用いるべきです。」桓公「何を言っておる?余は痔ではないぞ。切れ痔でもなければイボ痔でもない。因みに便秘でもない。」鮑叔牙「それは、「浣腸」や!!」
管仲の動画、ありがとうございます。動画を見ていて「管仲と鮑叔牙のような政治家達は今の時代にも必要だろうな」と思いました。有能な政治家も1人ではできることも限られているし、独裁は腐敗するのも早いですからね。
この管仲に自らを例えた、後世の諸葛孔明は、この事実を知っていたのでしょうか。知っていたらば、例えなかったかも知れませんよねえ。現代だからこそ伝わってきているこの内容だとしたらば、その桓公に劉備を重ねて考えているのですよね(笑)管鮑の交わりが、水魚の交わりに更新されただけな感じがあります。
桓公がそこそこ有能だったり、自己主張が強かったら管仲もここまで活躍できなかっただろうな。有能な部下を信頼し、任せられるだけで君主としては十分。うちの2代目社長に見習ってもらいたい。
トリィは全ガンダムシリーズを通して見ても、アスランが個人的に作った謎の超性能ロボットだと思う。
一番好きな宰相だ!
名が同じ「夷吾」なのに晋の恵公との名声の差よ
さて、ビール呑みながら中国史を楽しむ時間がやってきました!
管仲は後継者の育成ができてなかったんかな?
鮑叔牙の意見を容れて管仲を採用した辺りは桓公は度量が広かったと言えようが、その後は魯から奪った地を渋々返還する等管仲のフォローがなければ危なっかしい行動も目立った。このように管仲あっての桓公と言うのは分かるが、鮑叔牙がいなければ管仲が採用されることはなかったから、当然大活躍はなかっただろう。そういう意味では、桓公が覇者になれたのは間接的には鮑叔牙の功績と言えるだろう。
管仲隰朋従、於桓公而孤竹。春往冬反、迷惑失道。管仲曰、老馬之智可用也。乃放老馬而随之、遂得道。行山中無水。隰朋曰、蟻冬居山之陽、夏居山之陰。蟻壌一寸而仭有水。乃掘地、遂得水。以管仲之聖而隰朋之智、至其所不知、不難師於老馬与蟻。今人不知以其愚心而師聖人之智、不亦過乎。要約:人並み外れて聡明な管仲や頭のよさで知られる隰朋でさえ、自分が分からぬ時には、老馬や蟻を先生として学ぼうとした。ところが近頃では、自分が愚でありながら聡明な人の智恵に学ぼうとしないのだから、失敗する、しないどころの話ではない。by韓非子「説林」
歴史を学ぶ事は知識歴史から学ぶ事は知恵
管仲は、周穆王の子孫で、一応、大夫階級です。ただ、父親の代で没落して貧乏だった。
現代貨幣理論の本からこの人知った
管仲は何をもって自制したか?金もいらぬ、名誉もいらぬ、地位もいらぬ、命もいらぬ人は始末に困るが、そんな人でなきゃ真の政治はできないとの先人の言葉。仕える人を牧し政治を楽しむ。人が欲してやまぬものをくれてやるのが実にうまいなあ。誉めすぎかな。
儒教を選んだ中国人よりも、日本人の方が知ってか知らずか、管仲の考え方に近いと思います。管仲に共感されている貴方も、管仲の様な生き方が出来ている人だと思います。
米倉の天井まで積み、はじめて落ち着き祖先礼拝ができる。空腹をおぼえず、寒さを防ぐ衣服に困らずして、人を思いやり礼節を知る。筆を持ち働かず命令し収奪し、仁義礼節を説く。管仲はこのふたつの礼節の違いにどんな思いをしたか想像できるなあ。
@@shigeoido7784 形骸化してしまっているかもしれませんが、日本の生活保護も同じだと思います。(勿論、改善が必要だと思います)自立支援の為の制度として、管子に通じるものがあると思います。
それにしても、斉の桓公。暗君の代表格とされる、蜀の後主・劉禅とどっこいの素質じゃない?人の言う事に唯々諾々と従うので、優れた人物がサポートしてくれる間は国を保ったり隆盛したりするけど、その人物がいなくなった後の後継の選択眼は本人には無いという……斉桓公自身が管仲が亡くなった後に割と早くに亡くなった事と当時最強国だったお陰で、国が滅亡するまでには行かなかったけど……。
劉禅「美人で満ちた後宮王に俺はなる!」董允「ダメです」劉禅「ごめん。言ってみただけ…」カニバル公とはレベルが違う
劉禅との違いは覇気のあるなしかな。管仲のいうことに従ってた形の桓公だけど、そも覇者になることは桓公の望みだったっぽいのよね。いわゆる戦略目標を決定するのは桓公で、管仲はそれに至る戦術全般を委任された形。劉禅や、晏嬰の補佐受けてたのに暗君呼ばわりされる景公は、そうした戦略目標の決定なんかも家臣任せにしてた。その辺が暗君呼ばわりされるか否かの違いなんだろうね
管仲と鮑叔牙の仲の良さが最早おしどり夫婦のそれで尊さ天元突破や。もしかして桓公コントロールの手腕も当時の鮑叔が自分にしてくれた事を参考にしてたのだとしたら尊死しちゃう…
匕首全権大使こと曹沫の一件を見た諸国が第二の曹沫を用意しなかったのは時代というべきかなんというべきか…しかし、超遅咲きの覇者・晋の重耳(文公・そういやこの人流浪中の一時期、桓公最晩年の斉にいたんでしたっけ)と比べると、なんか桓公の軽薄さが…
まあ、ああいう手は最初の一回だから成功する訳で……<曹沫あとは、斉の桓公本人が油断しまくりだっただろうし……
この時期の斉魯関係は、斉が魯を執拗に攻撃して嬲ってたから諸侯の同情が魯にあったのもあるからね。更に当時の斉は周辺国を滅ぼして領土拡張したり属国化に勤しんでて、桓公も自分の敵対者に暗殺者派遣しまくってたんで狂犬っぽく見られてたのもあるw
あのNHKに出演して「おねえさん!」の台詞が有名な喋る黄色い猫
桓公の死体が腐ったのは、「殯(もがり)」の可能性が微レ存
つかみのトークが最高٩( 'ω' )و
桓公「押すなよ!? 押すなよ!? 絶対押すなよ!?」
易牙でた!!まぁさらりと触れるのがいいよなこういう人は
糾が斉公になってた方がよかったんじゃね?
まるでプロイセン王国がドイツ帝国になる時のビスマルクやローンやモルトケを見るような・・
キター、管鮑の交!
管仲は突出した宰相だが、その管仲を推挙して自分より上位者とした鮑叔牙の漢は無限にデカい。
「先ず民を富ますにあり」はすべての時代で正論だと思う。無理せず減税できた国家は長く続く。現代の為政者にも肝に銘じて欲しい。
財務省「せやろか」
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康熙帝「やってみなはれ」
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管仲作といわれる『管子』は法家思想の漢籍として明治書院の漢文大系にあります。有名な『衣食足りて礼節知る』も勿論載っています。
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最近論語を学ぶ中、管仲の話が出てきてもイマイチ分からなかったのですが、今回の動画で理解が深まったように思えます。
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ご意見ありがとうございます。当時においても時代遅れの思想ですか、そういった見方もあるんですね…『インディアンの口喧嘩』というのも初めて聞きました、教えて頂きありがとうございます。意味が無いと断ずる事が出来るほど知らないので、学んでいきたいと思います!
結果を重視する姿勢が好き
接待で浪費したり佞臣に入れ込んだりの
強い「チヤホヤされたい願望」があったからこそ
領土の譲り渡しや管仲の助命・抜擢みたいな太っ腹系行為への提言も
すんなり受け入れることが出来たのかも知れませんね、桓公さんは。
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どの国でもそうだけど後の時代の役職とかその辺の在り方の、目標になる人物ってホント
凄いよね。
ゼロから歩みを進む者の失敗は後の時代の後を追う者の失敗とは訳が違うし、それでも折れずに
自分を貫ける管仲はほんと怪物。
理想論でなく、現実的視点で政治を行い、成功させているすごい人物ですよね。
戦国時代に儒学が国の方針として受け入れられなかったのは理想ばかりで戦乱の世の中には全く話にならないことばかり言ってばかりだし 33:41
まず明確な目標 (理想) があって、それを現実路線で実現していった政治家。結果として儒学の徒が求めてた理想もそこそこ実現してたという。「今管仲」出てきてほしいなあ
三国志のゲームで、やたらに能力が高いレジェンド武将の中に菅仲もいましたね。どんな人かは知らなかったので、興味深いです。
陳舜臣の「小説十八史略」での管仲と鮑叔牙のやり取りが好き。
鮑叔牙が自身の理想の政治を行う為に管仲を立てて裏方に徹し管仲はそれに納得している。
鮑叔牙が臨終の際に枕元にいる管仲に謝意を表す。
良い友情だなぁ~と思った名シーンだった
陳舜臣は近現代史があれ
いつも楽しみにしてます!管仲の動画ありがとうございます!(*≧∀≦*)
衣食足りて礼節を知る、まさにいま話題のホームレス批判の件と繋がる気がします。
現在の状況だけでその人間を判断してはいけないのです。
財テク宰相管仲と清貧宰相晏嬰をまとめて管晏列伝に編んだ司馬遷。まあ姜斉はこの二人に尽きるからねぇ。
鮑叔牙が大好きです。誰だって自分が上になりたいのが普通だと思うのですが、なかなか言えないですよ。斉一国を治めるのなら自分の補佐でも事足りるが覇者になるには管仲の力が要るなんて。人を見る目、大局を見極める冷静さ、友人を立てて信頼する心意気。何もかもが素晴らしすぎて感動します。鮑叔牙なくして管仲の活躍はないのです。男のなかの漢、器のスケールが半端ないです。
宮城谷昌光先生が管仲について指摘していた事で、彼は無税国家を考えていたというくだりがあったと記憶しています。
この時代に単なる理想論ではなく、結果としてここまで民と国家に空前の繁栄をもたらした事は凄いと改めて思いますね。
動画面白かったです。「帝者は師と与(とも)に処(お)り、王者は友と与に処り、覇者は臣と与に処り、亡国は役(えき)と与に処る。」皇帝となる人は師と、王となる人は友と、覇者となる人は家臣と生活するが、国を滅ぼす人物は召使いと生活するとの燕の昭王の話しを思い出しました。君主が真に賢者を大切にしなければ、ろくでもない人物しか来ないという意味かと思いますが、まさにそういった逸話ですね。管仲が気の毒ですね。長文すみません。(笑)
ありがとうございます!
ありがとうございます!
ご支援誠に大感謝でございます!!
苗字と字で呼ばれている事・主君に絶大な信頼を受けた事・名宰相として国を発展させるのに際し、経済政策に重きを置いた事・死後国が衰退していった事など、管仲と諸葛孔明には似た点がとても多いなと感じました!
秦の春秋戦国時代で暗君無しな所がすごいですね。
面白かったです。
桓公の顛末が残念でした。40年も名宰相のとなりにいて何も学ばなかったのは悪い意味ですごいな…
ところで覇者の前身である小伯及び会盟というのは桓公以前の頃は私的なものだったが、桓公の時代になると公的な要素が強まっていく。
この時代は中華こそが世界のすべてだったため、どちらかと言うと国連安保理やNATOのようなものがイメージとして近いと佐藤信弥氏は解説している。
曹沫の件、「桓公ビビりすぎじゃない?」と思ってたらそんな説があるのね、確かに魯公が直々に脅して来たら刺客一人よりはずっと効果的よね
ただ和約を守ったことで諸侯が付き従うようになった、てのはどうしても「諸侯に付け入る隙を与えて逆の結果にならんの?」って疑問がどうしても消えないんだよなぁ
春秋時代は後の時代より礼節が重要視されてたんかねぇ、もしくは当時の斉の権勢が強すぎたのか
それまでの斉というか桓公は欲が前面に出過ぎてて、非礼の国を討伐するといっては小国滅ぼして版図に加えるって形で国力と国土を増大させてきてたからね。その中には斉の友好国もいたわけで、周辺国からすると「斉が言ってることもわかるけどあいつら実は征伐の口実にいちゃもんつけてるだけの乱暴者じゃないの?」という目で見られてたのよ。桓公も敵対者には暗殺者送りまくったりしてたし。
それが桓公のライバルだった公子糾を庇護し斉に逆らい続けた魯に対して、脅されて結んだ約でも守る姿勢を見せたことで、少なくとも斉は約束は守る国らしいという評価を得る事に成功した。総合すれば「桓公は敵対者には容赦ないけど、傘下に入るときにちゃんと盟約を結べばそれは守ってもらえる」と諸侯はみたわけで、それまでの悪行がむしろ諸侯に舐められない牽制になった感じだね
桓公と劉禅の評価を見ると・・・劉禅が不憫で仕方ありません。
この前、済南にある、鮑叔牙のお墓に行ってきました。済南の街中に高いところにあるので、比較的行きやすいです。地元の人に一応手入れされているような感じでしたが、人も殆どいなく、あまり地元でも有名ではないようでした。^ ^
楽毅の特集もやってほしい!
ゲームアサシンクリードオリジンにプトレマイオスを「周囲に流され易く影響を受けやすい」と評するシーンがあったが、斉桓公もそうだったのかな?後年の孫権や唐玄宗や徳川綱吉等も前半だけなら賢君っぽいが晩年汚したのは、有能な家臣・側近がいてそのやり方を学んで上手くいったがそれらが少なくなって奸臣が増えてそれらに影響されるパターンかな?
管仲 大好
古典の故事は既に知っているのに何度も読み返したくなる名作の宝庫
管仲の死後に当時放浪生活中の重耳が斉に仕官を望んでいたんだが登用されていたら斉はどうなっていたことやら
(結局重耳は晋に帰参し晋の文侯として偉大なる二大覇者の一人なったけど)
36:20
宰の字が料理人を意味すると知らなかったです。
もしかしなくても伊尹からきてるって事ですよね?
そういえばあの人も料理人でしたね
小刀の象形文字とされますね
商などは神権政治にて、儀式には当然生贄なども使ったでしょう
家畜などならおそらくですが最後にはみんなで平らげたはず
なのでそうした家畜を切り分ける役(切り分けナイフ)が重要となるわけです
というわけで 宰が「取り仕切る(役)」という意味を帯びたとされますね
例えば今でも米国ではサンクスギビングデイでは大統領自らが七面鳥を切り分けています
ひさしぶりの春秋戦国時代だ!
晏嬰「桓公が凡庸😲❗じゃあ景公はどうなるんだ...」
凡庸な君主だからその臣下が目立てる訳で…………。このチャンネル動画では漢王朝の創始者高祖劉邦ですらコテンパンですし。
@@おごうさん-u6y 景公に関しては大抵の歴史書で暗君扱いよ。劉禅登場までは非暴君系暗君の代表といえば斉の景公と言われてたレベル。まあ晏嬰が宰相の間は第二の黄金期と言われる繁栄してたのに、その死後一気に急落したからね。ただ、晏嬰自身は「大器でも覇気もないし教えたこともすぐ忘れる仕方のない人だが、人の言うことを素直に聞くし性質は善良だから悪い君主ではない、一生かけて教えていくさ」みたいなこと言ってるので、案外晏嬰からみるとそこまで悪い君主でもなかったっぽい。景公も晏嬰危篤の報に接するや慟哭しながら馬車を自ら走らせるほど晏嬰を慕ってたしね。その意味ではいい絆をもった君臣でもあったんだろうね。
能力的には無能ではなかったけど、人を見下したり、猜疑心が強かったりで人を用いることができない君主もいますしね。
良い君主だったどうかという判定は難しいです。
天才宰相諸葛亮さんは使えた君主が良かったんだなあと…
劉備は苦労人だからね
董仲舒より伊尹より呂尚より荀彧より王佐の才がある王佐を超えたキングメーカー管仲
斉の宰相繋がりで晏嬰も頼むで
倉廩 満ちて礼節を知り 衣食足りて 栄辱を知る
これは現在でも政治とは何たるかを表している言葉である。
国民にとって最も重要な事は日々の生活であり、即ち経済だ。
それを分かっていない政治家が多過ぎる。
以前民王というコメディドラマで管鮑の交わりの故事がネタとして登場していました。その頃は中国史に興味がなかったのでなんか知らないけどアワビは美味しいよね!とか呑気なものでしたが詳しく知れて嬉しいです。古今、管仲のような合理的思考は普遍だと思いました。
何かの話で始め桓公は後継を鮑叔牙にしようとしたら管仲が品行方正な彼では自身の後任に耐えれないと反対している。管仲死後、桓公は鮑叔牙を宰相にしたがやはり真面目な性格が祟って激務に堪えきれず過労死してしまいその後例の奸臣3人衆を側近くに据えたと記憶しています。
徳を求める政治も大事だが堅実さを求める政治も大事。管仲は、政治家らしい政治家ですね。綺麗事では、国は、治まらない。国家安泰は、合理的でないとね。
それと鳥人間が斬首されそうな時は、助命しますね。
動画拝見しました。内政もさりながら外交についてもかなりすごいと思います。
ヨーロッパであればもっと有名な人物となったかもしれませんね。
管仲を斉に送る時に、管仲を送ったら斉でおもくもちいられるからころした方が良いと提言した魯の施伯は見る目があると思う。
管仲が支えた桓公と、晏嬰が支えた景公。どちらも碌な君主ではなかったが、まだ景公のほうが人間味が感じられる。
晏嬰が没した際、景公が晏嬰の遺体にすがって泣いた。
近臣が「非礼でございます」と言ったが
景公は「昔、夫子(晏嬰)に従って公阜に遊んだ時、一日に三度わしを責めた。今誰がわたしを責めようか」と言い、泣き続けた。
景公は暗君として史書に描かれますが
このエピソードからは景公の人間味が伺えます。
景公が呑み仲間を探していて、晏嬰と司馬穣苴には断られ、最後に梁丘拠と呑むわけなんだが、いちいち彼らの屋敷を訪れて誘っている所が笑えるし。ただこれは晏子春秋のお話だから、ホントかどうかはわからない。
@@バンブーキャット 晏嬰は晏嬰で、景公をどうしようもないけど憎めない主君といって一生かけて教えていくと思い定めてたみたいだし、この主従にはちゃんとした絆があるのが見えるからね。景公が後世暗君扱いされてるのを泉下で晏嬰が憤慨してたりするかもしれないw
久しぶりの春秋
金文に歴史が書いてあるの不思議だわね
今もなんか鉄板とかに2021年のことを刻んだ方がいいのかしら
「管仲が三貴を処して逝かなかったのは手落ち」みたいな主張を見たことがあるなあ……
曹操に「人間のクズだけど有能」と言わしめた管仲さん好き
流石「能力さえあればOK」と言った曹操。
赤星レキさん、出典を教えて頂けないでしょうか?
@@難波はじめ 求賢令だかなんだかの実施時に陳平と並んで人格クズだけど有能な人物として挙げられてた
おまいうの極み
@@REKI-AKAHOSI 有難うございます。
往時は覇者と呼ばれた人の名声が後世臣下にぜんぶ持ってかれて可哀想やなー、とか途中まで同情しかかってたけど終末辺りエピソードがガチの暗君で後世の評価に大納得。
忠義が建前の儒教としては主君を乗り換えたことは批判の対象なのだろうが、人民の富裕が国家の元と考えた先進的な人。
この時代の斉の人民は幸福だったろうな。品行なんて功績に比べたら二の次。
あと、なんとなく藤堂高虎を思い出した。
儒教と今の日本のマスコミ、通じるものがありますな…
現代でいう『世論』に近いものなのかもしれませんね。
三国志でも名士からの評判=儒教的な面で見た評価は何処でもついて回る感じですし。
「衣食足りて礼節を知る」の話であったように、人民を富ますことによって礼節を備えた人が増えて国に秩序がもたらされたなら管仲1人の人間性の話なんて大した問題ではないよなぁ。
やはり、管仲の才能を見抜き支えた鮑叔牙が素晴らしい(*’ω’ノノ゙☆パチパチ(*’ω’ノノ゙☆パチパチ
孔子って有名だけど正直分類としては「自分の売り込みに必死なマナー講師」の域を出ない感じがするんだよな
こんなに上手い表現はじめてみました。
巨漢というのもポイント
晏嬰「理想は高いんだけど現実が見えてない。利にうるさい斉の国民性や、緊張が続かない景公の性格に彼の思想とその政策は合わないのに、それで理想の国家になんてなるわけがない」
最高🎉
実際に当時の宰相クラスからはほぼ評価されてないしね
というか儒学って狭い世界でしか生きたことのない君主くらいにしか受け入れられなかったし
優れた経済政策、人間関係づくりのうまさ、
強い上昇志向・金・権力欲…
個人的には田中角栄と重なります
Thanks!
ありがとうございます!
ご厚意をいただけて、すごく嬉しいです!!
今の時代にも必要な政治家だなぁ。
孔明「自分を管仲になぞらえていたら、
本当に諫言を素直に聞けるのだけが取り柄で、
佞臣を近づける、阿なにがし様を支えるハメになったでござる」
宰はもともと料理人。
因みに料理を意味する語は「菜」で、料理の語は葬儀などを「処理」するという意味みたいですね、だから口語で使うと人頃シの意味になるんだとか、ならないんだとか(・・)
中国は奥が深
今の日本は…日本がはってんしてるならいいか
中国すごい道徳尊敬してます、ありがとうございます
あんなに(斉と)一緒だったのに
夕暮れはもう違う(末期)色
斉の後継者争いで、両陣営に分かれた管仲と鮑叔牙。勝った方が命乞いと推挙をする、二人の高等戦略だったという説もありますね(笑)。桓公の遺体が放置されて、棺桶の外まで虫がぞろぞろと這い出てきた逸話は、中国史の中でも印象に残るホラーな場面かも。
実利実益を優先し現実を見据え合理的に物事を進めていく。現在の政治にも繋がりますね。
実の無い空理空論を弄び他者の足を引っ張ることだけに主眼を置いた詭弁の輩にはもっと学んで欲しいと思わずにはいられません
管鮑の交わり、裏読みすぎかも知れませんが、管仲が矢面に立ちつつ、鮑叔牙が相当に管仲の発言、行動に関わっていたのかなーって思ってます。
斉の桓公が後継者を定めぬまま没すると、子供達は互いに争い最終的に宋に亡命した太子の昭こと考公が即位するまで混乱が続いた。
その後の斉は覇者としての地位を失い国力は衰え、更に田氏の簒奪が起きると管仲の子孫は魯や楚等に亡命した。
楚に亡命した子孫は陰太夫の役職を楚王から任じられ、自ら苗字を管から陰に変更した。
その子孫は荊州の新野に住むようになり、漢世祖光武帝劉秀の皇后である陰麗華(陰光烈皇后)や執金吾で太傅の陰識(陰麗華の兄)や和帝劉肇の陰皇后等が出た。
その他の子孫には、三国時代に青州に住むも魏の皇帝からの招聘を断り続け、高潔な志を保ちつつ在野で亡くなった管寧が知られている。
ついに来た管仲!!
ということはいよいよ楽毅も近い...?
桓公って劉禅みたいな奴だな、周りの臣下次第で白にも黒にもなる
こういう居なくなったら勢力が衰退する名臣って多いよなぁ。今川の雪斎しかり朝倉宗滴しかり。というかこの時代に民の事や経済を中心とした政策を打ち出すとか凄い人物だな。
まあ、自勢力の後継が盆暗で自滅した場合と、敵対勢力の方が力を付けてきて、後継も頑張ったけど太刀打ちできなくなって衰退した場合とでは違う気がするけど……
結局、時代時代に応じて国力の源泉が何であるかを管仲や名宰相たちがリアリズムで見抜いていたってことだろうと。古代・中世の為政者は、自分の欲得に走るか、理想主義に走るかが多かったんで。その点、個人の視点で機会主義に陥っちゃうリアリストとは違うかも。
日本人の優れた為政者や商人の考え方は管子の考え方に近いと思います。
近代までの名臣って基本的に個人の才覚に依存してる場合が多いからね。ただ、そんな突出した才能持ちなんてそうほいほいいるもんではないからその人がいなくなるとあっという間にボロボロになる
その意味では紀元前に人ではなく法によって政治のシステムを構築した商鞅は偉人だと思うよ。西欧で同種の国家のシステム化が行われたのってプロイセンの登場以降だもの。
管仲を用いた、その一点だけで桓公は名君ですよ。
管仲は老いた、と最後の助言を守らなかったのが桓公の唯一の汚点。
斉なら晏嬰、晋なら趙衰を取り上げてくれると嬉しいです
女の子がやたらやってる目の下のぽっこりは2000年前からブームだったのか。
まさに名宰相
お、後世で色々と有能宰相の例に挙げられるレジェンド来たな。
遂に天下の名宰相管夷吾、有り難う!!
管仲・晏嬰ともに「民を先にす」という政治を行い、姜氏斉の繁栄期をもたらした。
現代にも通ずる、実に理に適った政治であったと言えるのでは?
あと、主さんの「宰」についての解説は、実にスバラシイ!!👍
もし、桓公が斉一国で満足するだけなら〜とあったけど、鮑叔牙でも諌めきれなかったのではないでしょうかね?
管仲の手腕が凄かった、キングメーカーと呼ぶに相応しいと思います。
以下、おふざけパート
鮑叔牙「あなたが斉一国で満足されるなら、補佐は私だけで十分です。しかし、諸侯に覇を唱えるなら、管仲を用いるべきです。」
桓公「何を言っておる?余は痔ではないぞ。切れ痔でもなければイボ痔でもない。因みに便秘でもない。」
鮑叔牙「それは、「浣腸」や!!」
管仲の動画、ありがとうございます。
動画を見ていて「管仲と鮑叔牙のような政治家達は今の時代にも必要だろうな」と思いました。
有能な政治家も1人ではできることも限られているし、独裁は腐敗するのも早いですからね。
この管仲に自らを例えた、後世の諸葛孔明は、この事実を知っていたのでしょうか。知っていたらば、例えなかったかも知れませんよねえ。
現代だからこそ伝わってきているこの内容だとしたらば、その桓公に劉備を重ねて考えているのですよね(笑)
管鮑の交わりが、水魚の交わりに更新されただけな感じがあります。
桓公がそこそこ有能だったり、自己主張が強かったら管仲もここまで活躍できなかっただろうな。
有能な部下を信頼し、任せられるだけで君主としては十分。
うちの2代目社長に見習ってもらいたい。
トリィは全ガンダムシリーズを通して見ても、アスランが個人的に作った
謎の超性能ロボットだと思う。
一番好きな宰相だ!
名が同じ「夷吾」なのに晋の恵公との名声の差よ
さて、ビール呑みながら中国史を楽しむ時間がやってきました!
管仲は後継者の育成ができてなかったんかな?
鮑叔牙の意見を容れて管仲を採用した辺りは桓公は度量が広かったと言えようが、その後は魯から奪った地を渋々返還する等管仲のフォローがなければ危なっかしい行動も目立った。このように管仲あっての桓公と言うのは分かるが、鮑叔牙がいなければ管仲が採用されることはなかったから、当然大活躍はなかっただろう。そういう意味では、桓公が覇者になれたのは間接的には鮑叔牙の功績と言えるだろう。
管仲隰朋従、於桓公而孤竹。
春往冬反、迷惑失道。
管仲曰、老馬之智可用也。
乃放老馬而随之、遂得道。
行山中無水。
隰朋曰、蟻冬居山之陽、夏居山之陰。
蟻壌一寸而仭有水。乃掘地、遂得水。
以管仲之聖而隰朋之智、至其所不知、不難師於老馬与蟻。
今人不知以其愚心而師聖人之智、不亦過乎。
要約:人並み外れて聡明な管仲や頭のよさで知られる隰朋でさえ、自分が分からぬ時には、老馬や蟻を先生として学ぼうとした。ところが近頃では、自分が愚でありながら聡明な人の智恵に学ぼうとしないのだから、失敗する、しないどころの話ではない。
by韓非子「説林」
歴史を学ぶ事は知識
歴史から学ぶ事は知恵
管仲は、周穆王の子孫で、一応、大夫階級です。ただ、父親の代で没落して貧乏だった。
現代貨幣理論の本からこの人知った
管仲は何をもって自制したか?金もいらぬ、名誉もいらぬ、地位もいらぬ、命もいらぬ人は始末に困るが、そんな人でなきゃ真の政治はできないとの先人の言葉。仕える人を牧し政治を楽しむ。人が欲してやまぬものをくれてやるのが実にうまいなあ。誉めすぎかな。
儒教を選んだ中国人よりも、日本人の方が知ってか知らずか、管仲の考え方に近いと思います。
管仲に共感されている貴方も、管仲の様な生き方が出来ている人だと思います。
米倉の天井まで積み、はじめて落ち着き祖先礼拝ができる。空腹をおぼえず、寒さを防ぐ衣服に困らずして、人を思いやり礼節を知る。筆を持ち働かず命令し収奪し、仁義礼節を説く。管仲はこのふたつの礼節の違いにどんな思いをしたか想像できるなあ。
@@shigeoido7784 形骸化してしまっているかもしれませんが、日本の生活保護も同じだと思います。(勿論、改善が必要だと思います)
自立支援の為の制度として、管子に通じるものがあると思います。
それにしても、斉の桓公。
暗君の代表格とされる、蜀の後主・劉禅とどっこいの素質じゃない?
人の言う事に唯々諾々と従うので、優れた人物がサポートしてくれる間は国を保ったり隆盛したりするけど、その人物がいなくなった後の後継の選択眼は本人には無いという……
斉桓公自身が管仲が亡くなった後に割と早くに亡くなった事と当時最強国だったお陰で、国が滅亡するまでには行かなかったけど……。
劉禅「美人で満ちた後宮王に俺はなる!」
董允「ダメです」
劉禅「ごめん。言ってみただけ…」
カニバル公とはレベルが違う
劉禅との違いは覇気のあるなしかな。管仲のいうことに従ってた形の桓公だけど、そも覇者になることは桓公の望みだったっぽいのよね。いわゆる戦略目標を決定するのは桓公で、管仲はそれに至る戦術全般を委任された形。
劉禅や、晏嬰の補佐受けてたのに暗君呼ばわりされる景公は、そうした戦略目標の決定なんかも家臣任せにしてた。その辺が暗君呼ばわりされるか否かの違いなんだろうね
管仲と鮑叔牙の仲の良さが最早おしどり夫婦のそれで尊さ天元突破や。もしかして桓公コントロールの手腕も当時の鮑叔が自分にしてくれた事を参考にしてたのだとしたら尊死しちゃう…
匕首全権大使こと曹沫の一件を見た諸国が第二の曹沫を用意しなかったのは時代というべきかなんというべきか…
しかし、超遅咲きの覇者・晋の重耳(文公・そういやこの人流浪中の一時期、桓公最晩年の斉にいたんでしたっけ)と比べると、なんか桓公の軽薄さが…
まあ、ああいう手は最初の一回だから成功する訳で……<曹沫
あとは、斉の桓公本人が油断しまくりだっただろうし……
この時期の斉魯関係は、斉が魯を執拗に攻撃して嬲ってたから諸侯の同情が魯にあったのもあるからね。更に当時の斉は周辺国を滅ぼして領土拡張したり属国化に勤しんでて、桓公も自分の敵対者に暗殺者派遣しまくってたんで狂犬っぽく見られてたのもあるw
あのNHKに出演して「おねえさん!」の台詞が有名な喋る黄色い猫
桓公の死体が腐ったのは、「殯(もがり)」の可能性が微レ存
つかみのトークが最高٩( 'ω' )و
桓公「押すなよ!? 押すなよ!? 絶対押すなよ!?」
易牙でた!!まぁさらりと触れるのがいいよなこういう人は
糾が斉公になってた方がよかったんじゃね?
まるでプロイセン王国がドイツ帝国になる時のビスマルクやローンやモルトケを見るような・・