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お看取りに関してたくさんのご経験談のコメントありがとうございます。大変学びとなりますし、ご覧の皆さんにとってもそうだと存じます。ぜひご体験談などありましたら、コメント遠慮なくお寄せ下さい。よろしくお願い申し上げます。
65'?2222,
何度も すみません😢⤵️⤵️是非とも大学での先生方様一度取り上げて…頂きたく思っております。私達身内は、痛み和らげる点滴注射💉10日前から!打たれて…最後胸肺がん駄目との話し でももう脳迄既に!本人目👀飛び出し痙攣した状態でした。もう少し最後迄脳の検査も一度して欲しかった!先生方様の話しは、余命1ヶ月との話しだけ!丸3日間苦しみ家族身内は、あの苦しみ忘れる事が…出来ません。亡くなる一時間近くでの院長先生のお話し通り意識無く少し本人楽になり涙😢流し亡くなりました。癌の死の怖さに…忘れる事無いです😭初めて知りました。両親二人又若くして友達も何人かしら最後迄死に…直面致しましたけど…やはり娘婿の最後の様な事無かったです。
私の妻が65歳で2019年12月すい臓がん初期1Aで発見、3ヶ月抗癌剤経口投与、3ヶ月後手術、2020年11月肝転移、2021年1月抗癌剤が無いと告げられる。以後免疫療法と遺伝子療法しかないと説明、お願いしている最中、大腸がん抗癌剤を進められ投与されるがうまく進まないまま、4月に入り吐気が強く出るようになる。痛みはそれ程無いようであった。亡くなるまで痛いと言わなかった。4月終わり頃より体力も落ちて食事も2口位しか食べれなくなった。自力で歩くのも困難になってきた。5月に入り殆ど歩けなくなり、トイレも夫が何とか連れて行くようになった。5月8日頃より一口しか食べれなくなり‼️それも吐いてしまう様になった。水も吐いてしまう。5月11日~13日ガンセンターにて点滴を受ける。が、栄養剤は打てないと言われ水分補給のみ。13日最期が近いので入院を進められる。が、コロナの関係もあり自宅で看ることにした。直ぐに訪問医や看護をお願いして看て貰う。そのときは既に寝たきりになってしまっていた。オシッコはドレーンを入れて貰う。本人に痛いと聞いても大丈夫だと小さな声で言うだけであったが、訪問医師がパッチ式の痛み止めと舌下錠を出してくれた。通院病院で出してあるのは効かないと言っていた。殆ど口を開かなくなっていたが、14日の昼間、か細い声でお父さん子供たちを呼んでと言うので、家族そろってベットぎわに行くと、一人一人に本当にか細い声でお父さん今まで有難うね。長男の名前を言い同じ様に今まで有難う。長女の名前を言い今まで有難う。と発したのが最後の言葉であった。実は妻のお父さんも87歳で亡くなる1日前に同じ様な行動をしていたことにビックリした。以後痛み止めが効いているせいか安らかな昏睡状態であった。15日にいきなり目を大きく開き上目づかいでまばたきも全くしなかった。直ぐに訪問医師に来て貰い今日明日ですと告げられる。治療は何もない。腹水がたまり苦しそうであったので一時でも楽になれば抜いて欲しいと頼んだが先生は抜かない方が良いと言われた。本人は痛いとか苦しいとか何も発しない。又そのまま昏睡状態になってしまったので、親戚や友達を最後の別れと思い呼んで本人に話し掛けてもらった。寝たきなのに友達が呼び掛けるといきなり起き上がろうとしたので夫が後ろに回っておこしてあげていたら、家族が呼び掛けても反応しなかったのが、友達が呼びかけた途端に目を大きくひらきまばたきもしないで、聞こえているのかいないのか分からないが友達をジーと見つめていた。友達が又くるから元気になるんだよと言い、席を離れた途端、左目から涙が溢れた。聞こえて居たんだと思い家族で又話し掛けたがそのまま又昏睡状態で寝込んでしまった。16日訪問看護に来て貰い身の回りを綺麗にして貰う。がやはり応答する意識はない。午後22時過ぎに突然ウーと言い起き上がった。直ぐに支えて、痛そうに口を開けて息が荒くなってきた。うめき声を出すので訪問医師に連絡したら痛み止めを数枚貼ってと指示されたが、強い痛み止めなのでそのまま息が止まる場合があるので家族同意でとお願いしますと説明された。訪問看護に連絡したら直ぐに伺いますと言われ、舌下錠を舐めさて下さいと指示されたので舌の下に入れようとしたら口の中がからからに乾いていたので訪問看護に再度連絡したら粉して水でといて綿棒で塗ってと指示されたが、痛みは止まらなかった。訪問医師も訪問看護も来ないまま23時10分頃、起き上がって天井を目開きしたまま見つめてウーとうなっていたが、大きく息を一回吸った途端にウッと言いそのまま逝ってしまった。その間は家族で呼び掛けていたが駄目だった。その様な流れでした。
@@眞田賢一-w1h有難うございました🙇凄いお話し聞かせて頂きました🙇そして最後迄奥様の介護との向き合い死を、見取りされて…本当に気持ちが…わかります。でも最後奥様ご主人様に…面倒見て貰えて…感謝されたか😊私も父親が…食道癌での自宅の3年見取りして 又大事友達肺がんでの死を、自分の母親死又若くして娘婿亡くし。癌の怖さ治療方針など色々違い有る様に思います。人間誰しも…あの世に…辛いですね。娘婿亡くし。三回忌法要法事終わり未だに娘が…立ち止まり前向き進めずに居る姿に…私も何も出来ない✨今では、遠くから…見守っております。ふとした言葉での!きっかけで絶縁状態です。娘の気持ちも痛いほどわかります…いつか!又分かち合う日が、来るかな⁉️待つ事に致してます。貴重お話し聞かせて頂き感謝です🙇有難うございました🙇何卒奥様の分までお身体に…気を付けて頑張って下さいませ。
先生💕暑い一日お疲れ様です🌴🌴🍀今回も7つのまとめと見易いテロップで助かりました🤙🍀そうですね〜私の様に高齢者になると、実家の祖父母、両親、主人の両親も見送りました🙏🌸先生のご説明の通りでした。拝見していて、色々な事が思い出されてて涙が止まらず💧今に至りました。以前、先生のご投稿を拝見しておりましたが、このように解りやすいお話、有難かったです。万が一の時に出来る事なら先生の病院に入院して旅立てたら、どんなに幸せだろうとも思っています🍀良い機会ですので、後日に子供達にも拝見させていただきます🌸先程は4回目のワクチン接種のお話を再度確認致しました💕✨その後の情報などありましたら宜しくお願いします。私の周りの友人達からもチラホラと接種済みの話を聞く今日この頃です。筑西市も38度、39度.酷暑の毎日です😵♨️体力をつけ引き続き感染防止に努めます🍀先生もくれぐれもご自愛下さいませ❤️🙏❤️
このお話に感銘しました。両親を亡くす時に、最後の看取りに立ち会いました。父が先に逝ったのですが、誤嚥性肺炎で、以前から介護を必要とし、最後は病院に於いて、最後の時を迎えました。そして1年後に母が、多臓器不全でICUに運ばれ、約9日後に息を引き取ったのですが、その時に耳元で「ありがとう」と伝えたら、やはり先生が仰った「聴覚」は最後まであったと確信しました。それは言葉を掛けた瞬間に、目から一筋の涙が流れ、安心したように亡くなりました。医療に関しては全くの素人でありますが、先生の仰る「聴覚」は、やはりあるのだなと感じた次第です。
今、全てのコメントを再読させて頂きました。今回の動画を見せて頂いた事、先生に深く感謝致します。未熟な私もコメントさせて頂き、深く感謝致します。本当に素晴らしい動画と皆様のコメントの数々。感動しました。本当に感動しました。
動画はコメントも含めての作品だということを再認識するものでしたね。
父を最期看取りました。苦しそうな呼吸の頃呼ばれました。意識の無い父に泣きながら「ありがとう」と伝えていると、一瞬目が開き意識が戻りました。私だとわかり、壁に飾っている家族写真に目がゆっくりと向き、すると涙が父の瞼にあふれていました。やがてすぐ意識がまた無くなり次第に呼吸がゆっくりになっていきました。父の最後の涙を一生忘れられません。
お父様のお話、ありがとうございます。印象的なお話です。
😮😮😮😮😮😮😮😮😮😮😮😮😮ささそせ😮😮😮😮😮😮😮😮😮😮😮😮😮😮😮😮😮😮😮😮😮😮😮😮😮😮😮😮😮😮😮😮
良いお話を、あ・り・が・と・うございます🙇
私も昨年春父を看取りました。私は母や弟にありがとうと伝えるよう声をかけました。弟と母が父の手を握りありがとうを繰り返し、私は身体をさすっていました。亡くなる少し前父からひとすじの涙が流れ、次第に呼吸がゆっくりとなり、静かに息を引き取りました。穏やかな見送りが出来、安堵感を感じました。享年87歳、良い人生だった、と確信します。
ありがとうございます!!。感動しました!
とても暖かく貴重なお話をして頂きありがとうございました。
ロス女史はインチキ人生を終えましたね
先生のお話を聞いていてひさしぶりに亡き父の事を思いだし涙が流れてきました。完全に意識が朦朧とする数時間前水を飲んでくれたこと、声をかけ続けていたとき一時的ではあったけれど少しだけ安定して皆が揃うまで頑張ってくれたこと。意思疎通はできていなくてもとても大切で温かい時間を過ごせたと思っています。
私の父が病院のベッドで唇が乾いていたので、nurseから勝手に飲み物、食べ物をやらないで❗と言われてたけど、喉が渇いてるのではとガーゼにペットボトルの水を少し含ませて唇に当てたら、何も言わない父がガーゼをちゅちゅと吸ってたので、その動きを父が止めるまで少しずつ水分摂取して貰いました🎵私は父には何も出来なかったと15年以上後悔していましたが、先生のお話しを最後まで聴いて、私と父の事を今、思いだして、自分も少しでも父が喜ぶ事をしたんだと少しだけ良かったと自己満足してます🎵ありがとうございます🙏母とのこれからの時間を大切にしていこうと、改めて思いました🎵明日12/30昼から実家の母の所に泊まりに言って、92才の母と母の好きな歌番組を見たり好きなものを一緒に食べようと思ってます🎵私も64才で体調不良ですができるだけの事はこれからも改めてしたいと思いました🎵ありがとうございます🙇優しさは大切ですね😃
@@八ヶ代康弘
先日、100歳の祖母が亡くなりました。親族みんなから愛された祖母でした。亡くなる前日くらいから、呼吸が早くなりハーハーと苦しそうに見えて辛かったのですが、今回の話を聞いて苦しくてハーハーしていたのではなかったと知り、気持ちが軽くなりました。ありがとうございます。
お祖母様、そうだったのですね。見守る側としては「苦しくないのか?」とご不安にもなりますよね。一般に、意識が低下していれば苦しみからは解放されているとは存じます。お役に立ったのならば幸いです。
本当に考えさせられる動画でした。これだけいいコメントの数々見るの、初めてです。どこの家庭でも病や老いや死は身近ですね。
コメントの一つ一つが素晴らしいですね。改めて近しい人との最後や別れについて考えさせられるものですね。
@@kanwa 本当に考えさせられました。いい勉強させていただき感謝いたします。
いままで怖くてこういう動画を避けていました。でも見て良かった。先生、ありがとうございます。
一見、怖く感じますよね。ご視聴、お言葉、ありがとうございます。
父が亡くなった時の事を考え直してみました。意識不明の状態が1ヶ月以上続き覚悟はしていました。医療処置としては胃ろう、人工呼吸(切開)、点滴のみでした。父はうめき声を上げていたし涙も流していたので、さぞ苦しいのだろうと意識のない父に語りかけ、父の涙を拭い、側に居ました。父を看とることは出来ませんでした。1ヶ月以上いつも側に居ることは出来ません。亡くなった連絡を受け 駆けつけると父の体は温かく穏やかでした。おとうさん、苦しかったね、よく頑張ったねと遺体にすがりついて号泣しました。先生のお話を聞いて救われました。父は最期まで苦しんだんじゃないんですね。側で語りかける私の声もちゃんと意識の外で聞いてたかもしれません。当時を思いだし今また号泣しています。パパ大好き!ずっと大好き!パパありがとう❤️
お父様のお話、ありがとうございます。想いは届いたと思います。
高齢者施設で介護職をしている者です。施設内で看取りをさせていただく利用者さんが増えてまいりました。この動画をとても興味深く拝見しました。ご本人の状態の捉え方、ご家族や周囲の心構え方等。成る程、と思えました。コメント欄も、貴重な経験…納得できたお見送りや後悔した事等沢山読ませていただきました。私自身、初期のガンの手術と再発予防のための抗がん剤治療を終えて二ヶ月前から仕事に復帰できました。命拾いできたので、恩返しだと思って利用者さんとご家族の併走者になりたいと思います。素晴らしい動画をありがとうございました。
コメントありがとうございます。施設だとお看取りも多いですよね。お疲れ様です。
はじめまして。とても参考になりました。最近95才の母が老衰で亡くなりました。2年2カ月お世話になった特養から、そろそろ面会に来てくださいと、兄に連絡があったのが、亡くなる10日前でした。ところが、その同じ日にいわゆる心臓麻痺で生涯独身の弟が亡くなっているのを、電話に出ないことに心配になった兄が、弟の家を訪ねて見つけました。検死の結果では、亡くなったのは2日前でした。家族葬ではあったものの、忙しくて、母に面会できたのは、亡くなる4日前。母が孤独死するんじゃないかと(実際そうでしたが)一番心配していた弟の納棺前の写真や、葬儀場の写真を持って、母に会いに行きましたが、すでに母は、私にしがみついて「ばあちゃん、ばあちゃん」と、自分を可愛がってくれた、自分のお婆さんと勘違いしてるようでした。「ほら、〇〇(兄の名前)も来たよ」というと、力強く兄の手を握っていました。目は開けられないようなので、ひととおり、母との面会が終わったところで、側にいた職員の方に、わざと母に聞こえるように大きな声で、弟の急死について、写真を見てもらいながら、聞いてもらいました。その日はまさに身の置き所がないように、苦しそうに右に左に動いていたので、私も介錯してあげたいぐらいでした。次の面会は亡くなる2日前、やはり苦しそうでしたが、看護師さんが来てくれて、「もう幸せホルモンが出ている状態だから大丈夫ですよ」と言ってくれて、とても救われました。弟は一瞬で亡くなって(倒れた所から、動いた形跡がない)、母は点滴さえしなかったのに、死ぬのに何日も苦しんで、私はどんな死に方になるんだろう?と心配になりました。おじさん、おばさんのうち、3人は癌で、亡くなる前日、当日までトイレに行けたそうですが、癌は癌で、罹った直後は心が折れそうになるだろうし、生きるのも死ぬのも、なかなか大変ですね。
2年8ヶ月前、急性骨髄性白血病で16歳だった娘を失いました。余命宣告から10ヶ月も頑張ってくれました。治療をやめてお家に帰りたいと主治医に伝え、お家に帰り6日目にお空に還っていきました。亡くなる2日前、私と息子と娘でお話しをしていると、『mamaの初恋はいつですか?お兄ちゃんは?』と聞いてその後『しあわせ』と言いニッコリ微笑んでくれて…その言葉があるから私は頑張っていられます。TH-camとちスペで4日前に娘のことを取り上げてくれました。先生のおっしゃるように呼吸が苦しくなり、吸って〜吐いて〜とあにが呼吸の誘導をしました。本人が『優生が苦しそうにしたら吸って、吐いてって声かけてね』と私達に伝えてくれていました。呼吸の誘導してるシーンも載っているので観てください。ありがとう!よく頑張ったね。と息を引き取ったばかりの娘にも伝えることができ、娘も穏やかな顔でした。
大変勉強になりました、ありがとうございます。介護職をしておりますが、終末期からおなくなりになるまでの経過と必要な支援、ご家族ができる支援について貴重なお話を聞くことができました。ターミナルケアは介護の現場でも多く行われておりますが、詳細が細く記載された書物は少なく、呼吸がとまり亡くなられるまでの経過や苦痛を和らげる緩和ケア、ご家族ができる支援まで詳しくおはなしして下さった先生のお話はとても参考になりました。
ありがとうございます。介護の皆さんにも必要に応じて用立てて頂ければ作った甲斐があります。
今回初めて7兆候についてお聞きできました。私の父は56歳で肺癌で亡くなりました。もう35年も前のことでしたが、このような知識があったら少しでも見取り方が違っていたのではないかと思えました。義母、義父も亡くなりましたが、未だにもっと何かしてあげれたのではと思いだし胸が熱くなることがあります。先生の最後のお話もとても胸が熱くなりました。亡くなられたお母さんも勿論だと思いますが、一人残されたお子さんもきっと救われたのだと。先生が今まで大切にされてきたこと、医療現場の皆様の優しさに感謝の気持ちになりました。貴重なお話ありがとうございました。
お話、ありがとうございます。お父様、35年前だったのですね。亡くなる方を支える医療もこの20年ほどでだいぶ進歩しました。これからもだれもが人らしく生きて生を完結できることを願います。
知らなかった!できれば3~4年前に母が闘病生活をしている時にこの動画があってくれたらよかった・・病院では母の状況を全く教えてもらえず、聞いても何の説明も無く「何時どうなるか分かりません」みたいなことしか言われませんでした。当時、母の反応がほぼ大津先生の説明通りでした。その時分かっていれば反応が無くとも声をかけたり、手を握ったりしてあげれたのに・・・先生の話を聞いていてあの日の状況が蘇って泣いてしまいました。
お母様、そうだったのですね。それは大変でしたね。お気持ち拝察する次第です。なかなかこれらの説明が行き届いているとも限らないですものね。いざという時に、この動画を活用して頂ければと願います。
非常に分かりやすい大切な情報をありがとうございます。一番ショックでビックリしたのは『鎮静剤投与しても苦痛が消えない』という例があったという点で恐怖を感じました。それとやはり耳の機能が最後まで残り易いとは知ってましたが改めて重要な事が最後のエピソードで理解出来ました、ありがとうございます。
コメントありがとうございます。鎮静剤には使い方次第な点があり、かなりつらさを抑えられるのですが、中には厳しいケースもあります(それでも手段はあります)。やはり鎮静に長けた医療者に最後お願いすると安心だと存じます。
私も最後まで亡くなる方は回りのことが良く聴いています。お袋の時も、叔父さんの時にも此方がはの言葉を聴いて安らかな笑顔になり亡くなりました。
そうだったのですね。お話、ありがとうございます。
医師として生きようとしている息子に是非見て貰おうと思います。肉体から離れる時の経験を私もそのうちすることになるのでしょう。覚悟して迎えようと思います。有り難うございました。
息子さん、そうなのですね。ご参考になれば幸いです。
院長先生 貴重なお話ありがとうございます悔いのない様 日々感謝して生きるのが良いですね
仰る通りです!
大変貴重な情報ありがとうございます。もしもの時があったら、近づいたらこの動画を何度も見返して少しでも良い最後を迎えてもらえるよう。そして自分も良い最後を迎えられるようにしたいと思います。
何回見てもすごい動画、コメント欄。剣道で例えるなら、竹刀を使った試合ではなく、本当の刀を使った真剣勝負!押し寄せる感動!本当にTH-camなのだろうか!私も参加出来たことをコメント出来たことを大変嬉しく思います。
コメント欄は凄いですね。それぞれの人生とそれぞれの別れ。ずしりと重みとともに迫ってきます。
私は2週間の臨死状態から帰ってきました、耳だけは聞こえて、手足、口、目等、すべては動きませんが、皆の声だけ聞こえていました。
何の病気?意識不明?で、臨死状態になったのですか?
@@makiko1215 ただの厨二病だからほっとき
@@69アンチェイン そうなんだぁ〜。。。😑
貴重なお話をありがとうございました。
コメントありがとうございます。
大変よくわかりました 知っておきたいことでした。今までで思い当たることもありました。そして 今後後悔しないためにも繋げていこうと思いました ズバッと言っていただきありがとうございました。
ありがとうございます。
とても良いお話でした。先生の人となりの人柄を感じました。頑張ってくださいね♪ お会いしたいです!
ありがとうございます!
知ることができて本当に良かった、落ち着いて見送れると思います。有難うございます。ところで「がん」は最後まで生活動作が保たれやすい、のところがもっと知りたいです。最後は激痛を鎮静してもらえるからでしょうか、それは何回目の耐えられない状態になればでしょうか。一般的に多い例で教えてください。ポジティブに考えられる貴重な情報です。
状況に依りますね。なのでしっかりコミュニケーションを図れ緩和ケアに精通した医療者に関わってもらうことが大切ですね。
中学在学中に、同級生や先輩の病死や自殺はあり、クラスで家の前まで行った時どちらも親が泣き叫んで倒れたのを覚えています😨。詳しいことは書けませんが、校長先生が「親より先に亡くなるのは親不孝だ」と言って泣いてたの覚えてます。みんな辛いこと体験されてるのですね。私もジャンヌダルクさんのトルストイ「イワンイリイチの死」の素晴らしいコメント見てから読みました。岩波から出てる。私も死ぬときいつかくるのでしょうが恐いです。先生は怖くないのですか?
誰もが迎えるものですからね。数千も拝見していると、それを実感しますね。
仲の良い友人が心不全の終末期です。心不全の急性増悪によりICUで治療しています。携帯OKなので話をしますが、本人は筋力が落ち歩けない事、オムツ生活、息切れ、呼吸困難などで苦悶しています。こんな体になってしまって生きていても意味がない、身の置きどころもない苦痛や恐怖と闘っています。外科的手術は勿論大切ですが、終末期におけるメンタルケアも、並行して頂ける病院が増える事を願わずにいられません。先生の動画を拝見し断末魔と闘っている友人を、院外で送る心積もりが出来ました。本当に、ありがとうございました。
詳しい死の七つの兆候の動画有難うございました。先日最愛の人をが亡くなりました本当に7つの兆候が有りました意識があるときに私は彼にあなたと巡り会えて幸福だった楽しかった日々色々なことを教えてくれて有難う次の世界で又あなたとめぐりあいたいとしつかりと伝えました彼はにつこりわらつてうなずいてくれました。毎日苦しんでいたのを見ていてとてもつらかつたのでこれで苦しみもなくなつたので悲しいけど心の中では安堵しています。
そうだったのですね。そのようなお言葉を交わせたとのこと、素晴らしいことです。そのような機会を持つことは、いずれの側にも力を与えてくれるものと存じます。ご最愛の方に、深く哀悼の意を表します。
素晴らしいチャンネルです感動しました。これは学校で流すべきです。生まれる時も苦しかったのではわからないだけですね私も両親を見送りました、そして次です。哲学だと思います。素晴らしい話ありがとうございました。
お言葉、ありがとうございます。
両親とも、昨年、今年と緩和ケア病棟におりました。そして病棟にて看取りをしました。先生のお話~たいへん貴重なものでした。早い時期に、先生のお話に出会れば良かったです。気づきがありました。先生のような、緩和ケアに優れた医師が増えると、多くの患者が助かります。これから医師になられる方は、先生のような医師を目指して欲しいです。
いいお話ありがとうごさいます。94歳の母をいつかは看取らなければいけない立場です。私自身も高齢で、色々勉強していきます。先生のお話とてもわかりやすく、聞きたくない内容もきちんと聞けてそして全て意味が有り、怖くないこと理解できました。本当にありがとうごさいます。他の動画もこれからの生活に役にたちそうでゆっくり見させて頂きます。
二か月ほど前父親を看取りました。全く言われる通りです。出来たことは余りなかったのですが、在宅に切り替えることが出来て最後を見届けることが出来たのは少しは親孝行できたのかなと思うことができました。病院で亡くなられて最後を見届けられなかった同級生とかいますので人生とは思うように終われないものだなと思いました。良い動画ありがとうございました。
在宅でお看取りになったのですね。お疲れ様でした。なかなか思うようにはならない側面もありますよね。それでも、その期間そばにいらっしゃったことは間違いなく親孝行だと存じます。
@@kanwa それでもこの動画を先に観ていたらもっと気持ち的に父親に寄り添えたのではないかと思いますのでそれは仕方ないとはいえ悔いが残っています。これから同じ境遇になった人たちには同じ悔いは繰り返して欲しくないと思います。
親父が癌で逝った時、その場に立ち会いました。足に毛布を掛けてあげたのに、蹴って剥がすようにしてました。この動画で、その理由がはっきりと分かりました。それと、点滴の速度が速かったようなので「ちょっと、遅くしちゃおうかな」って言った時、今まで閉じていた目を大きく見開いたんです。あれ、やっぱり聞こえてたんですね。そして、動画の最後の話、胸が熱くなりました。チャンネル登録させて頂きます。
4月末に母が病院で亡くなりましたが、このコロナで最後の数日はなかなか会うのが困難でした。
そうだったのですね。この期間に死期を迎えた方たちは本当に大変でしたね。私も看取らせて頂きましたが、現場もできるだけ会えるようにと意を砕いて来ました。
母を2週間前に亡くしました。風邪だと思って町医者に行ったら、大きな病院で見てもらうように言われ、下った診断は末期の肺癌。できた箇所が手術できない気道のところ。抗がん剤治療も、高齢のことで、死のリスクがあってできません。あとは死を待つだけと言う医師の冷ややかな告知に、気丈な母は相当落ち込みました。突然下った余命3ヶ月、取り敢えずは、やはく酸素をつけてもらって、在宅で、と思っていたのに、酸素つけるための練習で入院するつもりが、苦しくなって救急車で運ばれそのまま緩和ケア病棟に入院。本人は、少ししたら帰るつもりで、帰ったら、楽しかったデイケアの皆様に復活してきたよ、と最後のお別れがいいたい、自分の着ていく着物も用意したい、お金のことも整理せんといかんしと言っておりました。少し楽になったときに、酸素つけて、車椅子で、介護タクシー使って桜見に行こうね、といったら、行けるだろかといいながらも、介護タクシー高いんじゃないかと心配したり。いま介護の申請してるから、そんなん心配せんでいいんよ、といっていたのに、申請がおりるのも待たず、桜の咲くのもまたず、分かってから一ヶ月にも満たず、入院してわずか17日でいってしまいました。もっともっとお世話してあげられると思っていたのに残念でなりません。でも、みんなに迷惑をかけたくないと思う母らしいかなと思い直しています。さいごは、先生のおっしゃる通りの経過をたとりました。あるときは、なんか自分がおかしい、あっちから帰ってきたような気がする、魂が抜けていくような感じがするとか言ったりしました。大丈夫よ、大丈夫よ、と私がそばで声をかけたら、そうかい、なんだか、わたしとあんたが反対になったね、といいました。泊まって次の朝、病室を出るわたしに、サヨナラといったのが、気がかりで、翌日職場から電話したら、苦しい息の下で、お世話なりました、どいいました。まだまだ時間はあると思っていたけど、あの時、母は覚悟していたのかと思うと涙涙です。それから1週間後に行きましたが、子ども産んどいてよかったと何度もいってくれました。難しい肺がんで、痛みどめもあまりきかず、最後の3日間は見ている方もつらかったです。最後の最後は、ゆっくりした呼吸になり、みんなに声かけられて、見守られたなかでいきました。いよいよのとき、眠りのなかの母が、薄目を開けて見て、瞼をとじたら、涙が出てきたのが、今でも忘れられません。私たちの声がとどいたのでしょうか。お母さんありがとう。よいところへ行ってください。医療関係者のみなさまありがとうございました。母の生きた印を残したくて、思わずここにコメントしてしまいました。長々読んで下さりありがとうございました。
昨年母を送りました。意識がないのに私が話しかけるとしっかり話してる事が解った風で「お父さんやお兄ちゃんの事は私がみるから安心してね 大丈夫だよ」と話したら安心した様に深い吐息を吐きました。その数分後にあの世にいきました。聴覚はやはり残ってるのだなと思いました。母を看取ることが出来て本当に良かったです。
もうすぐ私の順番が来ます。教えていただきありがとうございます。不安なく旅立ちたいと思います。
貴重なお話ありがとうございました。今年始めに亡くした祖母にも幾つか兆候が当てはまっていました。もう少し早くこの動画に出会っていたらな・・と。
お祖母様、そうだったのですね。これらの情報をもとに、皆さんが落ち着いて逝く方を見守られることを願ってやみません。
先生は、人の死についてよくご存知ですね。緩和ケアの難しさ個人差がよく見えますね。人生の最終イベント、必ず人が通る道ですね。勉強になります。
当事者になると違うとは皆さん仰っていましたから、見送る側とは異なるとは存じますが、送る側としては貴重な経験をたくさんさせて頂いてきました。感謝ですね。
@@kanwa 当事者としたら、生きれるのであればもっと生きたいというような、割り切れない何かがあるのかも?
それはあるでしょうね。大なり小なり。
ありがとうございます。私の終活の参考にさせて頂きます。
ご参考になれば幸いです😊
とても為になります。ありがとうございます。
なかなか尋ねる事のできない貴重なお話でありがとうございました。
先生18年間介護間ヘルパーとしてきましたが、分からない事もありました今後とも宜しくお願いしますありがとう御座いましたブラジルより
今日を見ていて、昨年のパートナーが亡くなった時のことがよみがえってきました。私のパートナー.はドクターから亡くなる数か月前にクオリティーオブライフを考えた方が.いいと言われていました。昨年はパンデミック下ということもあり自宅にいる時も感染予防を考えながら静かに生活を送っていました。亡くなったのは土曜日だったのですが水曜日の朝呼吸困難困難なり救急施設に運んで直ぐドクターからは今回ダメかもしれないと言われてしまいました。それでも金曜日の.午後の時点でいったん回復の兆しを見せたのですが翌日土曜日にはなくなりました。僅か4日間の出来事で残された方としてはあれもこれもを考えて.しまいますが、それこそ彼は安らかにやす等かに逝ったと思っています。そしてパンデミック下でのことでしたが 医療機関側として私たちのパートナーシップを尊重して頂き最後まで寄り添うことができて感謝しています。
この間にお看取りになられたのですものね。詳細にありがとうございます。経過が早くても長くても様々な思いが去来するものなのだということを感じています。
素晴らしい内容です。もしかするとこれは学校教育の中でやるべき課題かもしれない。
詳しく知っておくと役立ちます。ありがとうございます。心構えができます。昔、子供の頃、家で亡くなった老人の最後を見たのですが、先生のおっしゃるのは病院での亡くなり方でしょうか。彼女は普通にしていていつの間にか亡くなっていました。その晩は、みんなで居間で一緒に寝ました。
ありがとうございます。家でも同じ様態ですね。ただご高齢の方で老衰等だと静かな旅立ちであることもしばしばありますね。
高齢者にご教授を有難うございました。
お言葉ありがとうございます。
伯父は89歳まで普通に生活して、普通に朝食を摂り、新聞を読んだ後、少し横になっている間に旅立ったそうですが、そのような亡くなり方はほぼないということですね。親族を失うことは悲しいことですが、出来ることなら自分も他人に迷惑をかけずに旅立ちたいものです。しかし生命の神秘と言いますか、どうして人は生まれて死んでいくのか、答えはないのですがお話を拝見しながらそんな感覚になりました。
ある意味、一番理想とされる逝き方ではないでしょうか。ただそれを選べないのが人の難しさですね。看取りは生と死、意味を考えさせられますね。
わたしの旦那さんの祖父もいつものように草刈りに行って祖母が朝ごはんを作る間にベッドに横たわって休憩してる間に眠るように息をひきとったそうです。89歳でした。2日前のことです、、、
素晴らしいお話有難うございました。私はヨガのインストラクターとして皆さんに呼吸へ意識を向ける事をお伝えしています。生徒さんの呼吸を聞くと生命のあたたかさを感じます。緩和ケアの知識はまだまだありませんが人の命に向き合う事に非常に興味があります。
膵臓癌で亡くなった母は亡くなる日の朝、緩和ケアに転院する予定でした。意識がないように見えた母は私の呼びかけに、口元が私の名を呼びましたもっと何かできたんじゃないかと後悔がつきません
大切なお話を聴かせて頂き、ありがとうございます。私の家では「しに水など取りに来るな!」との約束が有りましたので、両親とも式の当日、喪主でも途中からとなりました。つまらない事で、迷惑はかけたく無かった様です。親戚からはさんざん言われましたけど。生き恥をさらすのが嫌いだったみたいで、「ボケたら腹を斬るから、肩を二つ叩いてくれ」と。そろそろダメだじゃないかと連絡があり、肩を叩いて短刀を渡しに行った事も有ります。その直後、一時的にいきなり回復したみたいです。関係者の方々には比類ないご迷惑をお掛けした事でしょうが、最後までお殿様でいられて良かったのかと。私も身内や関係者には、極力ご迷惑を掛けずに、手早くひっそりといけたらと思います。
詳細にありがとうございます。
人も獣です。そのときが来たら自然と本人だけに感じられる振り返りあります。それでいいです。他人のために生きてるわけではなく、ご自身の人生時間なのですから。他人と楽しくもいいのですが、ご自身を大切にしてない方が多いのではないでしょうか。自分の人生の主役は自分であるべきです。それを体験しに来てるはずです。ご自身を大切してる方は、他者にも優しい対応できます。いたわりの世界です。
自分を大切にする。肝要ですね。
緩和ケア医"かんわいんちょー"の真骨頂ですね。慌てず落ち着いて穏やかな看取りを出来れば、、と思います。
慌てず落ち着いて。これは確かに何事もそうとも言える重要なことですね。
医療の端に携わったことがあるので先生が話されたことに関して多少の知識はありましたが22分のエピソードは心に響きました。
お携わりになったことがあるのですね。
貴重なお話をありがとうございました。益々ACPの重要性を感じました。生前、意識のはっきりしているうちにどう過ごして生きたいか、看取る側、看取られる側ともに話を擦り合わせて納得いくお別れをしたいと思いました。
非常に貴重なお話勉強になります。
私の母は、認知症で長く施設に入所していて、最後インフルエンザでなくなりました。死に目にも会えなく、もっと面倒見てやれば良かった、人一倍苦労した人なのに、ずっと後悔しています、もっと早く先生のお話しを聞いていたらと、思いました。ありがとうございました。
私の父の体験で亡くなる1日まえの異状行動で父はベットで半身になり天井に指を指してじっと何かを見つめていました、私は幻覚症状と思っておりましたが院長の動画で第3の見当識障害が現れか、せん妄状態で多分生んでくれた両親がお迎えに来ていたのかと推測され父の異常行動がこの動画で納得いたしました、その晩から食事も取らずに翌朝には眠るように亡くなりました。
お父様のお話、ありがとうございます。そうだったのですね。きっと何かが見えていたのでしょう。ただ「じっと見つめていた」とのことなので、怯えさせるような悪いものではなかったと推測はされます。お父様のご両親など、気持ちを鎮めるようなものが最後に見えていたことを願います。
ありがとうございます。。
一旦書き直そうとしましたが まんま再投稿で すみません 失礼しました↓身内として人には語れないお話しをありがとうございます 涙が溢れました 私の大切な人は 「緩和ケア」を怖がっていたようで 結果 頼ることができませんでした 悔しさ無念さ無力さ 表に出さないように苦しんで生きています2人に1人ガンに罹る時代と言われているのに なぜ知る機会が無かったのか 小学校の性教育とセットで生死を学べたら理想と思いました
ありがとうございます。緩和ケアというと怖いイメージを抱いておられる方もいらっしゃいますものね。この動画のような発信で、緩和ケアに対する見方が変わっていけば良いと感じています。
皆さん、こんにちは。誰もが当事者として、あるいは見守る者として避けられないこの話題。すべての方にお送りします。情報をたくさん盛り込んだので、1.5~2倍速再生もお勧めです。ぜひご覧ください。
いつもコメントありがとうございます。今日もぜひよろしくお願い申し上げます!
某Cが顕著に猛威をふるっている時期はこのような内容の動画をあげるのも難しかったです。心理的な圧迫を深めることが懸念されたためです。これを紹介できる状況になったとは言えますが、引き続き皆で元気に健康的な生活や予防等を行って参りましょう。
私の両親は病院で最期を迎えました。入院中は毎日見舞いに行っていました。父は亡くなる前日、母は当日、口が動いても声が出ず、口の動きを見て何とか理解しようとしましたがわかりませんでした。なので笑顔でうんうんとうなずいて、聞こえているフリをしていました。何とか伝えようと口をゆっくり大きく動かしている親を目の前にしながら、理解できなかったことが残念でなりません。血圧を表示しているモニターのブザーが鳴って、看護師さんが駆け込んできた後、よくがんばったねと話しかけた声が、親に届いていればせめてもの救いです。
お話、ありがとうございます。届いてくれたのではないでしょうか。
父は最期を緩和ケア病棟でお世話になったのですが、医師がひとりしかおらずたまたま最期の日の前日が医師のお休みの日にあたり医師不在のため尿が貯まって苦しんでいるのになかなか導尿をしてもらえず私から看護師さんに訴えてやっと他の科の先生に導尿をしてもらえました日本はまだ緩和ケアをして下さる医師が本当に少ないんだということを初めて知りました病気を治すことも大切ですが痛みをとり安らかな死を迎えることができるかどうかは患者の不安をどれほど和らげるかとても大切です緩和ケアを目指す医師が増えることを心から望みます
お父様のお話、ありがとうございます。ますますの普及に尽力したいです。
はじめまして。大切なお話を有難うございます。4年前に母を、その2ヶ月後に義父を看取りました。2人ともガンでしたが、母は感染症で救急搬送されて処置室で息を引き取りました。その時、下顎呼吸で「病棟に移すのはやめましょう。」と医師から説明があり、耳元で「ありがとう、ありがとうね。ゆっくり休んで、また会いましょうね。」と語りかけたのを思い出しました。義父は肺ガンで、とにかく呼吸が苦しくて、先生が仰るとおり身の置き所がない状態になり、自分から「モルヒネを使って欲しい。」と訴え、意識のない状態で暫く頑張ってくれましたが、最後は心臓が頑張りすぎて不正脈を起こして息を引き取りました。義父にも最期に声をかけられたので、納得して見送ることができました。親は身をもって子供に「老い」や「死」を見せてくれるのだと思います。介護は大変でしたが、感謝の気持ちで見送ることができ、私は幸せでした。事情があってあと3人、親がおります。先生のお話を胸に介護します。有難うございました。
確かにある意味、それぞれの親が最後に教えてくれることなのかもしれませんね。ご体験のお話、ありがとうございます。
ご説明の通りに85歳の母は旅立っていきました。速い呼吸で苦しそうなところ、レスキューの薬で少し楽になり、表情が柔らかくなり・・・呼吸が止まりました。下顎呼吸、二度ほどでした。最期のときについて、わかっているといないとでは、本当に気持ちのいきようが違うと思います。告別式の後、やけに人なつこいアキアカネに遭遇しました。1日目は逃げることなく、3匹で。2日目は玄関のドアのところにとまっていて、私の手に止まってしばらくしてから飛んでいきました。母が来てくれたのならうれしいと思っています。
お母様、そしてアキアカネ。そうでしたか。印象的です。お話、ありがとうございます。
私も父の最後を病室で看取りました。病院の先生から 「最期が近いですから皆さんお声がけしてあげてください」と言われ、皆で順番にそばに行って声かけてたのですが 私が「お父ちゃん ありがとう・・」といいましたら 父の両目から涙がスーとひとすじ流れました。苦労多い父の人生の中で、私は10代の頃にとても心配かけたりしてました(最後の時は もう30代で結婚しており、子供も2人おりました) 偶然なのかもしれませんが きっと聞こえていたと思います。大好きな父でした、今でもこうして思い出すと涙が出そうになります。
お話ありがとうございます。聞こえていたと思いますね。
17日に母が亡くなりました。日に日にでしたが10日位前から顕著になってきました。母はお迎え体験ではなく「知らない人が見てる」と言って痛みのない方の腕で追い払う仕草と顔を歪めながら怯える程のせん妄がかわいそうでした。ただ、せん妄は無かったですが父も癌で看取っているので苦しまないだろうなと思っていたので、同じように穏やかな表情になると最後の一呼吸、母は旅立ちました。父は緩和ケアのある病院に転院する日の朝、血圧低下の連絡。苦渋の決断で転院、数時間でしたが先生や看護師さん達のお陰で私達も穏やかに父を見送ることができました。それがあったので母も緩和ケアでお世話になり、本人はもちろんのこと家族にも寄り添ってくださった緩和ケアチームの皆様に感謝です。
お母様、お父様のお話、ありがとうございます。お母様、せん妄があったのですね。最後は穏やかだったとのことで良かったと存じます。
緩和ケア、あまりにも少ないです。必要だと思います。痛みを取り除き、心の支えになる医療は絶対に必要です。
普及が必須です。尽力したいと存じます。
👍あと2つで100にしといたよ(⌒▽⌒)いんちょーもオロナインちゃんも凄いね!👍👍←で100!おけ!
私の姉は末期がんなんですが、ずいぶんと不幸に捺せられましたが、最期くらい、優しくいてあげたいから、わがままを聴いています。
皆さん、こんにちは。数多くのご体験のお話、誠にありがとうございます。コメント欄自体が、非常に学びを与えてくれるものとなっています。よかったらぜひコメント欄もご覧いただき、それぞれのご体験をお寄せください(もちろん実際に体験しておられなくても、こう思う、こう感じているなどのご意見も歓迎です)。
私も以前に緩和ケアの担当をやっていて、現在は老人ホームで働いています。動画の説明は癌の方の看取りですが、老衰の看取りはだいぶ違います。老衰の場合は経口摂取、水分摂取の減少が最初に来ます。次に睡眠時間が徐々に長くなり、永遠の眠りへと至ります。老衰の場合は、がんと違って全身の細胞の活力低下ですので、食物や水分の摂取量が減っても飢餓感や渇きなどはありません。昔は高カロリー輸液を大量に行っていたのですが、現在は点滴で高カロリー輸液をしても栄養分は細胞に吸収されず、水分も過剰になって体がむくむので余計につらいのであまり行われません。特にご高齢者では心不全の方が多いので、自分でとれるだけの経口摂取による看取りが一番安楽な方法と思います。
コメントありがとうございます。私もホームでも診療しているので、ご指摘通り異なる部分と同じ部分があります。その方に合った方法を選択することは大切ですね。
三年程前に妻を看取りました。緩和ケアの看護師さんから後一週間くらいですと告げられ、職場を休み最期まで側に居る事が出来ました。彼女自身も看護婦であったので全てを受け入れた上で、闘病生活を続けました。痛み止めの薬も自らの意識がわからなくなるのが辛いらしく、痛みに耐えながら義母と私に接してくれました。また、トイレの介助だけは最期まで受けない姿勢に彼女の意地を感じました。最期は座椅子に座らせた彼女を私がトイレの前に運び、そこから自力で便座へ…最期の時は私の腕の中で、『ありがとう』とかすかに唇を動かせて涙が頬をつたったのを鮮明に覚えています。例外的なのかも知れませんが、すごく救われた気がしました。すべての医療スタッフの方々に大変感謝しております。これからもお身体に気を付けて頑張って下さい。
非常に沢山見とってきた事がよく分かる動画でした。私も、今は大分回復してきましたが、交通事故で1週間程ICUに入り、意識回復後ICUは出ましたが、最初は左半身麻痺で歩けず、複視で字もまともに読めず、3分前の事も思え出せず、見舞いに来てくれた知人や親族と、会話が続きませんでした。そして、意識回復から多分1週間後位に、直近した会話内容を思い出せなかった私が何を話して良いか分からず、見舞いに来ていた親に聞いたのは、今が何時かと、ここは何処の病院かという事でした。今でも事故った状況や、ICUで目を覚ました時の事は思い出せませんが、今話したことが分からず、別の疑問を投げた事だけはショックで強烈に覚えています。その後来てくれた同僚達も、顔は覚えていましたが、名前が思い出せず、せっかく見舞いに来てくれたのに名前を聞くのも失礼なので、その後来てくれた総務の人に、「名前を全て忘れてしまったので、座席表を持ってきて欲しい!」と頼み、必死に覚えました。もしかしたら、これが良かったのかもしれません。私は1日以内で意識を回復したようで、後遺症はそこまで酷くありませんでしたが、次の月に転院した都立病院のリハビリ科では、記憶力は80代だと言われ前の日の晩飯をお思い出せるようになるのに、2ヶ月かかりました。初めは朝食すら分からず、朝食の次は昼食、その次は夕食と思い出せるようになり、前日の夕食をを思い出せるようになったところで強制退院となりますたwwでもまだ美味しかった印象の強い1週間前の食事と、3日前に食べた普通の食事、どちらが最近食べたかも定かでは無い状態で放り出されてしまい、会社には戻れず、労災は出ましたが、復帰しても新入社員扱いだったため、結構病んだ事を覚えています。80代の方が間際で循環器の能力が低下し、酸素の供給能力も低下すれば、恐らくあんなもんじゃなく、私以上の記憶障害(前後間隔の喪失)があるはずで、今がいつかも分からない状態で、全てを否定されたら、恐らくこの世の終わり位の絶望感でしょう。亡くなる1か月前の祖母に会ったところ、私を、私の父と思っていたよで、叔母が否定していましたが、先生のお話を聞いて合点が行きました!!
約半年前に父がガンで亡くなりました。緩和ケアの病院に入院した時にこれはもう最期が近いなと判断して、早めに父の意識があるうちに伝えておきたい事をメモに残して貰いました。思い返せば、このような兆候は思い当たる事が沢山ありました。今でも昨日のように思い出します。血圧低下から24時間以上でしたが、最後は静かに息を引き取ったので病院のスタッフの皆様には感謝してます。動画を見る前でしたが、自分たち家族はちゃんと看取る事が出来て良かったです。
動画を拝見しました。今年、父方母方ともに祖母を見送りました。父方の祖母は同居していた為、孫の私は近寄りがたい祖母でしたが…家で最後を迎えました。この動画で数ヶ月前からの兆候にも納得しました。大変だった時に拝見出来れば良かったです。母方の祖母も肺炎で入院し、3ヶ月後に他界しました。コロナ禍で面会に行きたかったですが、病院指定の曜日や時間に仕事を休めず…最後は呼吸不全でしたので、頑張っている祖母へ「大丈夫よ。」と肩をさする事が精一杯でした。先生の動画や祖母たちの体験を忘れず、両親や自分達が今後前向きにとらえられるように考えていきたいです。
医師がこれだけ専門用語や余計な『あの、えーっと、その』等の言葉を使わずに、しっかりと要件を的確、簡潔に伝えるのをER以外で見たことがない。如何に患者さん親族らと向き合い、ゆっくり丁寧に説明と対処してきたのか、経験の積み重ねの多さが伝わった。【先生へ】日々のご研鑽と苦悩、本当に素晴らしいと思います。根治治療や処方だけが治療、医療ではなく、最期まで患者を支える。それも治療であり命を預かる医療なのを話を聞かせて下さってありがとうございます。
最近家内を百十四日の入院で亡くした者ですが、このお話をもう少し早く聞いておけば良かったと今更ながら思い書かせていただきます。全くその通りの経験を致しました。ただ私の場合最後の息を引き取る瞬間に亡くなる本人が、両目を開き何かを話しかけてくれた(もちろん声は聞こえなかったですが)この様なことが起きました。本当にその姿に感動し、家内にありがとうと言って抱いてあげ涙があふれました。先生のお話はきっと皆さんの参考になる事でしょう。ありがとうございました。
独特の雰囲気の中、ホスピスの同僚のことを書いたのですが。亡き友は怒ってるのだろうか、それとも覚えてくれてありがとう、いや、多少、お怒りかも。書かされた感じもするのですが😅。荘厳な鐘が鳴っているような、今までで感じたことのない動画とコメントの数々。襟を正しました。その中で、夏目漱石の臨死体験と則天去私にうまく絡めて、認知症という憐れみがあるのだから、死後の世界も心地よい憐れみと書いたオロナインさまに、この人、本当にスゴイ方だと感心しました。
故人からすると、覚えていてくれることは嬉しいのではないでしょうか。忘れられた時が二度目の死だと言いますよね。
大切なお話をお聴きすることが出来ました。まだ私自身そのような状態ではなく、長命な家系故まだ10数年程先のことと考えております。しかし、今は何とか元気に生活しておりますが、いつ来るかはわからないことですので、大変貴重なお話でした。ありがとうございました。心から感謝申し上げます。77才男です。
人生観が変わるようなビデオでした。本当にありがとうございます。何度も見返そうと思います。
職業柄、これまで二桁の方の亡くなる瞬間を見てきましたが、やはり様々ですね。概ね、看取りケアを経て亡くなられた方(要は老衰)は、苦しむことも少なく「枯れたように」亡くなられます。点滴や酸素吸入は、終末期においては生活の質を維持することには繋がりにくいですし、それよりは家族が見守られ、好きなものを口にしたほうがよほど良いということを多くの方に知っていただきたいです。
好きなものを口にしたほうが良い、大切な情報です。ありがとうございます。多様性がありますよね。
先生、有り難うごさいました。先程、チャンネル登録しました!二年前に看取った父親の事を思い出しました。ある意味、人の死は神秘的なものであるとも感じました。
最近母を亡くしました。その様子は、ズバリ 先生のおっしゃる7つの兆候がありました。先にこちらの動画を観ていたら、もっと出来ることがあったのではないかと、少し後悔します。また、母の最期の兆候が出ていたにも関わらず、帰宅したことをとても後悔しています。病院の面会時間が過ぎていて、明日もまた会えるだろうと思い、帰宅したその後早朝に亡くなり看取ることが出来ませんでした。危篤の連絡をして下さってから、病院の方は酸素マスクをつけ布団を掛けたまま待っていてくださっていたので、もう逝ってしまったと分かっていたけれど、身体はまだ温かいので生きていると思い、最期は「ありがとう」という言葉を言い続けました。こちらの動画にあった『 耳が最期まで聞こえているかもしれない』という言葉にとても救われた気持になりました。看取りの演出という病院側の気遣いがあったものの、病院の先生方が7つの兆候を知っていたとしたら、私たち家族を『 今晩は居てあげて下さい』と引き止めて下さっていても良かったのにとも思いました。でも毎日話せてこれたので、看取れなかったけどお互いの思いは、意識のあるうちに届けあえたと思います。そう思わせてくれる動画でした。ありがとうございます。
父ですが、がんの末期です。腹水がたまり、お腹のしんどさと、腰に痛みがあります。寝返りしても腰の痛みは続きました。医師から痛み止めとして、体に貼るシール(麻薬)を勧められました。しかし、ピリピリ感が嫌で使用を断りました。痛みがあるときは、点滴(アセリオ?)かオキノームとかいう薬で対応ということでが、一時的なものということで拒むそうです。家族として、どうしてあげたらいいか。夜だけでも寝れるような点滴をしてもらったのですが、翌日自分自身が分からなくなるようで怖いということです。病院側は、一生懸命対応してもらえてるとでも、苦痛はかわらないと。どうすることが、本人が楽になるかおしえてほしい。助けてください。
とても自分のためになるお話で勉強になりました。親も若くはないので遠くない未来に看取ることでしょう。その時や自分の時の多少の心の準備になりありがたく思います。
こんばんは、気が強いものです😊。死の問題と言えば夏目漱石ですね。吐血した後、臨死体験してますが、何の意識も存在しなかったと書かれてます😲。ただ、その時、漱石は本当に死んだわけではないので、死のもっと奥底は何かあるかも知れませんね。亡くなる時も認知症という憐れみがあるのだから、何か途方もない大きな愛というか慈悲に包まれて、心地よいものかも知れません😊。私は漱石の則天去私、学校で習うようなものではなく、本当の則天去私は未完の明暗以降の作品で、読者に感じて欲しかったのではと思います😊。
夏目漱石も今だったらもっともっと長生きして様々な作品を残してくれたでしょうね。現在だったら余裕で救える病気でもひと昔には致命的であったという場合もあり、色々と考えさせられます。
死についてもなかなか死ねないことだとおもいました。早く知りたかったです。母の最後を送りる時、私は何も解らず、後悔がいまだに残ってます今度の自分の番です早めに準備をする事をまなびました。有り難うございました。
お言葉ありがとうございます。お母様の時、そうだったのですね。お役に立ったのならば幸いです。
父が危篤だと聞いて200キロ離れた場所から駆け付けました。会社からだったので移動、到着まで5時間ほどかかりましたが父は自分の到着をずっと待っていたようです。病室に入って声掛けしたら多分見えていないであろう目を精一杯見開いて震える手を伸ばしてきました。手を握り返した後、時間を置かず旅立ちました。あれから12年、近い将来、母を看取る事になりそうです。辛い話ですが知っておいて良かったと思います。有難うございました。でも両親がいなくなった後、気落ちした自分が諸々の事など責任を果たせるか不安になります。
待っていたのですね。
たいへん貴重な死にゆく人の7つの兆候とみとりのありかたについてのお話ありがとうございました。身内の者の体験をしておりますが亭主が重度にて入院なので身にしみて拝聴させていただきました。
7つの兆候と分類されることは知りませんでしたが思い当たります。最期は体温がだんだん失われていって、冷たくなっていくのが、とても悲しかったです。
コメントありがとうございます。確かにそれは見送った人が、亡くなったということを実感する変化ですよね。
亡き友達、いると思うのです。本当にそう思うのです。ところで、あの方、ジャンヌダルクさまと言った方がいいのですか?本当にアカウント名もジャンヌダルクの方がいいのでは?その方が格好いいですよ。似あってます。
改名という手もありますね😊
彼氏が癌の末期で亡くなりました秘密の関係だから会いに行く事もできず病院のベットからスマホでメールを送ってくれてました亡くなる一週間前の 「あかんわ 」と4文字が最後になりましたメールするのがもうあかんのか❓生きるのがもうあかんのか❓真意がわかりません😭
そのようなことがあったのですね・・。メッセージ、印象深いですね。そして確かに、色々考えてしまうものと拝察します。
父が亡くなって約1ヶ月。突然のことでまだしっかりと受け止めきれていない自分がいます。動画を見ていて「父もそうだったなぁ」と思うことばかりでした。最期の時もみんなで話しかけてた言葉は届いてたんですね。この動画をみて少し心が落ち着きました。ありがとうございます。
コメントありがとうございます。お父様、そうだったのですね。届いていたと思います。
@@kanwa❤😅😢❤❤
いんちょー、今日も貴重な情報、ありがとうございます。今考えると、癌で亡くなった父の最後の一週間はこんな感じだったと思いました。 すごく辛そうでしたが、この動画で一つ一つの意味がよくわかりました。癌でお母さんを亡くした娘さんの話も共感してしまいました。先生は素晴らしいお仕事をされていますね。 自分もどうやって亡くなりたいのか、考えたくないですが、考えることは重要だなと思いました。今後も応援しています📣
お父様、そうだったのですね。見守るがわは少しの変化にも驚き戸惑うことがあるので、知っておくとそれを和らげてくれることを感じています。
ら
動物、うちはインコでしたが犬とか大きな動物もインコのような小さなペット達もそのような最後でした。ころっと突然ではなく、(インコ🦜)徐々に弱り、目も見えづらいのか、足も弱りふらふらと壁や🦜の場合カゴにぶつかり、止まり木にもとまらずに地べたに伏せたり息が激しくハアハアとして、ゆっくりになったり、目も閉じたままだったり、どうしてあげることも出来ずでした。意識が薄れながら"息を引き取る"の言葉がぴったりです。小さな命でも悲しい出来事でした。
そうなのです。実は動物も似通っています。生きとし生けるものは同じなのですよね。ただおそらくはそのような時にそばにいあわせることは、幾分かでも死への道をつらくないものにしてくれるのだと思います。
@@kanwa 不安がやわらぐのかも知れませんね。動物も最後は甘えた声ですり寄って来ます。離れません😭
心細いのでしょうかね。みな、同じですね。
@@花すいせん 先生のお言葉のように、そのワンちゃんは花すいせんさんの腕の中で、心細さが安心にかわって、幸せなワンちゃんですね。私が🐶ならそんな飼い主様が理想です。
大変勉強になり為になりました、両親を見送っています、入院していましたが虫の知らせで早くに行き間に合いました、何日も前から意識がなかったですが感謝の言葉を述べ続けていました。
第六感はすごいですね。お声、届いたのではないかと拝察します。
父は癌が肝臓に転移して数ヵ月後、亡くなりました。意識が混濁することもしばしば。身の置き所がなくなることもしばしば。最期の日、検査の結果状況がよくなかったようですが父は鎮静を望まず。でもその話を母から聞いた夕方、ちょうど夕飯の支度で忙しく、また父は何度も症状が改善していたので、話を聞いて電話を切りました。それから数時間、母から長くはないようだと連絡が。夫が翌日仕事なこともあり悩んでいるうちに再度連絡が。呼吸が止まってしまったようでした。なぜ夕方のうちに行ってあげなかったのか。また終末に行くことも考えていたのをやめたところだったので、行けばよかった。父が鎮静を拒んだのは、孫にも会いたかったからではないか。母を一人で看取らせてしまった。父が亡くなって一ヶ月後に生まれた次男の寝るそばで動画を見て、涙が止まらなくなってしまいました。
そうだったのですね。どうしても最期の瞬間に間に合う時ばかりとは限らないのは悲しいことですよね。ただお話を伺うと、その本当に最期以外のお姿も見られていたようであり、しっかりお看取りを為さったように感じました。お看取りは点ではなく線であり、その場に居合わせられたことはお父様にとって心強かったのではないかとも存じます。
先生の、素晴らしいお話しが聞けて、本当に本当に良かったです!!感謝でいっぱいです!🙇🙏🙏🙏絶対に死は避けられないし、皆が経験する事ですし、人生最後の予習ができました!毎日悔いのないように生きる事は、大切ですね!最後は、鎮静して穏やかに逝きたいです!先生本当に有難う御座いました!🙇🙏🙏🙏🙏🙏先生にお聞きしたい事がありまして、私のネコちゃんが亡くなった時は、死ぬ瞬間凄い力で、手足をもがいてあばれて、パタっと亡くなりましたが、あの力は、何だったんだろうと今も不思議です!😭😭😭
ありがとうございます。人でも最期に動いたりすることはあるので、それと同じだったのかもしれませんね。
@@kanwa 様、素早いお返事本当に有難う御座いました!夢みたいです!先生は、きっと凄くお忙しくてお疲れと思いますのに、読んで頂けただけでも有難いのにお返事まで!感謝感激あめあられです!先生くれぐれも御身体に気を付けてゆっくり休んで下さいね!これからも、日本にとってとても大切なお人ですのでね!🙇🙏💖
高齢の両親と暮らしていると、やはり以前はできていたことができない、探し物が多くなる等々「ああ、私もいつかは通る道だよなぁ」と切ない気持ちになります。当然私も同じスピードで年老いていくわけで😅出来るだけ元気に楽しく過ごしたいものですね。
考えさせられますよね。日々楽しく、本当に大切なことだと思います。
お看取りに関してたくさんのご経験談のコメントありがとうございます。大変学びとなりますし、ご覧の皆さんにとってもそうだと存じます。ぜひご体験談などありましたら、コメント遠慮なくお寄せ下さい。よろしくお願い申し上げます。
65'?2222,
何度も すみません😢⤵️⤵️是非とも大学での先生方様一度取り上げて…頂きたく思っております。
私達身内は、痛み和らげる点滴注射💉10日前から!打たれて…最後胸肺がん駄目との話し でももう脳迄既に!本人目👀飛び出し痙攣した状態でした。
もう少し最後迄脳の検査も一度して欲しかった!先生方様の話しは、余命1ヶ月との話しだけ!
丸3日間苦しみ家族身内は、あの苦しみ忘れる事が…出来ません。亡くなる
一時間近くでの院長先生のお話し通り
意識無く少し本人楽になり涙😢流し亡くなりました。
癌の死の怖さに…忘れる事無いです😭
初めて知りました。
両親二人又若くして友達も何人かしら最後迄死に…直面致しましたけど…やはり
娘婿の最後の様な事無かったです。
私の妻が65歳で2019年12月すい臓がん初期1Aで発見、3ヶ月抗癌剤経口投与、3ヶ月後手術、2020年11月肝転移、2021年1月抗癌剤が無いと告げられる。以後免疫療法と遺伝子療法しかないと説明、お願いしている最中、大腸がん抗癌剤を進められ投与されるがうまく進まないまま、4月に入り吐気が強く出るようになる。痛みはそれ程無いようであった。亡くなるまで痛いと言わなかった。4月終わり頃より体力も落ちて食事も2口位しか食べれなくなった。自力で歩くのも困難になってきた。5月に入り殆ど歩けなくなり、トイレも夫が何とか連れて行くようになった。5月8日頃より一口しか食べれなくなり‼️それも吐いてしまう様になった。水も吐いてしまう。5月11日~13日ガンセンターにて点滴を受ける。が、栄養剤は打てないと言われ水分補給のみ。13日最期が近いので入院を進められる。が、コロナの関係もあり自宅で看ることにした。直ぐに訪問医や看護をお願いして看て貰う。そのときは既に寝たきりになってしまっていた。オシッコはドレーンを入れて貰う。本人に痛いと聞いても大丈夫だと小さな声で言うだけであったが、訪問医師がパッチ式の痛み止めと舌下錠を出してくれた。通院病院で出してあるのは効かないと言っていた。殆ど口を開かなくなっていたが、14日の昼間、か細い声でお父さん子供たちを呼んでと言うので、家族そろってベットぎわに行くと、一人一人に本当にか細い声でお父さん今まで有難うね。長男の名前を言い同じ様に今まで有難う。長女の名前を言い今まで有難う。と発したのが最後の言葉であった。実は妻のお父さんも87歳で亡くなる1日前に同じ様な行動をしていたことにビックリした。以後痛み止めが効いているせいか安らかな昏睡状態であった。15日にいきなり目を大きく開き上目づかいでまばたきも全くしなかった。直ぐに訪問医師に来て貰い今日明日ですと告げられる。治療は何もない。腹水がたまり苦しそうであったので一時でも楽になれば抜いて欲しいと頼んだが先生は抜かない方が良いと言われた。本人は痛いとか苦しいとか何も発しない。又そのまま昏睡状態になってしまったので、親戚や友達を最後の別れと思い呼んで本人に話し掛けてもらった。寝たきなのに友達が呼び掛けるといきなり起き上がろうとしたので夫が後ろに回っておこしてあげていたら、家族が呼び掛けても反応しなかったのが、友達が呼びかけた途端に目を大きくひらきまばたきもしないで、聞こえているのかいないのか分からないが友達をジーと見つめていた。友達が又くるから元気になるんだよと言い、席を離れた途端、左目から涙が溢れた。聞こえて居たんだと思い家族で又話し掛けたがそのまま又昏睡状態で寝込んでしまった。16日訪問看護に来て貰い身の回りを綺麗にして貰う。がやはり応答する意識はない。午後22時過ぎに突然ウーと言い起き上がった。直ぐに支えて、痛そうに口を開けて息が荒くなってきた。うめき声を出すので訪問医師に連絡したら痛み止めを数枚貼ってと指示されたが、強い痛み止めなのでそのまま息が止まる場合があるので家族同意でとお願いしますと説明された。訪問看護に連絡したら直ぐに伺いますと言われ、舌下錠を舐めさて下さいと指示されたので舌の下に入れようとしたら口の中がからからに乾いていたので訪問看護に再度連絡したら粉して水でといて綿棒で塗ってと指示されたが、痛みは止まらなかった。訪問医師も訪問看護も来ないまま23時10分頃、起き上がって天井を目開きしたまま見つめてウーとうなっていたが、大きく息を一回吸った途端にウッと言いそのまま逝ってしまった。その間は家族で呼び掛けていたが駄目だった。その様な流れでした。
@@眞田賢一-w1h有難うございました🙇凄いお話し聞かせて頂きました🙇
そして最後迄奥様の介護との向き合い死を、見取りされて…本当に気持ちが…わかります。
でも最後奥様ご主人様に…面倒見て貰えて…感謝されたか😊
私も父親が…食道癌
での自宅の3年見取りして 又大事友達肺がんでの死を、自分の母親死又若くして娘婿亡くし。
癌の怖さ治療方針など色々違い有る様に思います。人間誰しも…あの世に…辛いですね。娘婿亡くし。
三回忌法要法事終わり未だに娘が…立ち止まり前向き進めずに居る姿に…私も何も出来ない✨今では、遠くから…見守っております。
ふとした言葉での!
きっかけで絶縁状態です。
娘の気持ちも痛いほどわかります…
いつか!又分かち合う日が、来るかな⁉️
待つ事に致してます。貴重お話し聞かせて頂き感謝です🙇
有難うございました🙇何卒奥様の分までお身体に…気を付けて頑張って下さいませ。
先生💕暑い一日お疲れ様です🌴🌴🍀今回も7つのまとめと見易いテロップで助かりました🤙🍀そうですね〜私の様に高齢者になると、実家の祖父母、両親、主人の両親も見送りました🙏🌸先生のご説明の通りでした。拝見していて、色々な事が思い出されてて涙が止まらず💧今に至りました。以前、先生のご投稿を拝見しておりましたが、このように解りやすいお話、有難かったです。万が一の時に出来る事なら先生の病院に入院して旅立てたら、どんなに幸せだろうとも思っています🍀良い機会ですので、後日に子供達にも拝見させていただきます🌸
先程は4回目のワクチン接種のお話を再度確認致しました💕✨その後の情報などありましたら宜しくお願いします。私の周りの友人達からもチラホラと接種済みの話を聞く今日この頃です。筑西市も38度、39度.酷暑の毎日です😵♨️体力をつけ引き続き感染防止に努めます🍀先生もくれぐれもご自愛下さいませ❤️🙏❤️
このお話に感銘しました。
両親を亡くす時に、最後の看取りに立ち会いました。
父が先に逝ったのですが、誤嚥性肺炎で、以前から介護を必要とし、最後は病院に於いて、最後の時を迎えました。
そして1年後に母が、多臓器不全でICUに運ばれ、約9日後に息を引き取ったのですが、その時に耳元で「ありがとう」と伝えたら、やはり先生が仰った「聴覚」は最後まであったと確信しました。
それは言葉を掛けた瞬間に、目から一筋の涙が流れ、安心したように亡くなりました。
医療に関しては全くの素人でありますが、先生の仰る「聴覚」は、やはりあるのだなと感じた次第です。
今、全てのコメントを再読させて頂きました。今回の動画を見せて頂いた事、先生に深く感謝致します。未熟な私もコメントさせて頂き、深く感謝致します。本当に素晴らしい動画と皆様のコメントの数々。感動しました。本当に感動しました。
動画はコメントも含めての作品だということを再認識するものでしたね。
父を最期看取りました。苦しそうな呼吸の頃呼ばれました。意識の無い父に泣きながら「ありがとう」と伝えていると、一瞬目が開き意識が戻りました。私だとわかり、壁に飾っている家族写真に目がゆっくりと向き、すると涙が父の瞼にあふれていました。やがてすぐ意識がまた無くなり次第に呼吸がゆっくりになっていきました。父の最後の涙を一生忘れられません。
お父様のお話、ありがとうございます。印象的なお話です。
😮😮😮😮😮😮😮😮😮😮😮😮😮ささそせ😮😮😮😮😮😮😮😮😮😮😮😮😮😮😮😮😮😮😮😮😮😮😮😮😮😮😮😮😮😮😮😮
良いお話を、あ・り・が・と・うございます🙇
私も昨年春父を看取りました。私は母や弟にありがとうと伝えるよう声をかけました。弟と母が父の手を握りありがとうを繰り返し、私は身体をさすっていました。亡くなる少し前父からひとすじの涙が流れ、次第に呼吸がゆっくりとなり、静かに息を引き取りました。穏やかな見送りが出来、安堵感を感じました。享年87歳、良い人生だった、と確信します。
ありがとうございます!!。感動しました!
とても暖かく貴重なお話をして頂きありがとうございました。
ロス女史はインチキ人生を終えましたね
先生のお話を聞いていてひさしぶりに亡き父の事を思いだし涙が流れてきました。
完全に意識が朦朧とする数時間前水を飲んでくれたこと、声をかけ続けていたとき一時的ではあったけれど少しだけ安定して皆が揃うまで頑張ってくれたこと。意思疎通はできていなくてもとても大切で温かい時間を過ごせたと思っています。
私の父が病院のベッドで唇が乾いていたので、nurseから勝手に飲み物、食べ物をやらないで❗と言われてたけど、喉が渇いてるのではとガーゼにペットボトルの水を少し含ませて唇に当てたら、何も言わない父がガーゼをちゅちゅと吸ってたので、その動きを父が止めるまで少しずつ水分摂取して貰いました🎵私は父には何も出来なかったと15年以上後悔していましたが、先生のお話しを最後まで聴いて、私と父の事を今、思いだして、自分も少しでも父が喜ぶ事をしたんだと少しだけ良かったと自己満足してます🎵ありがとうございます🙏母とのこれからの時間を大切にしていこうと、改めて思いました🎵明日12/30昼から実家の母の所に泊まりに言って、92才の母と母の好きな歌番組を見たり好きなものを一緒に食べようと思ってます🎵私も64才で体調不良ですができるだけの事はこれからも改めてしたいと思いました🎵ありがとうございます🙇優しさは大切ですね😃
@@八ヶ代康弘
先日、100歳の祖母が亡くなりました。
親族みんなから愛された祖母でした。
亡くなる前日くらいから、呼吸が早くなりハーハーと苦しそうに見えて辛かったのですが、今回の話を聞いて苦しくてハーハーしていたのではなかったと知り、気持ちが軽くなりました。
ありがとうございます。
お祖母様、そうだったのですね。見守る側としては「苦しくないのか?」とご不安にもなりますよね。一般に、意識が低下していれば苦しみからは解放されているとは存じます。お役に立ったのならば幸いです。
本当に考えさせられる動画でした。これだけいいコメントの数々見るの、初めてです。どこの家庭でも病や老いや死は身近ですね。
コメントの一つ一つが素晴らしいですね。改めて近しい人との最後や別れについて考えさせられるものですね。
@@kanwa 本当に考えさせられました。いい勉強させていただき感謝いたします。
いままで怖くてこういう動画を避けていました。
でも見て良かった。
先生、ありがとうございます。
一見、怖く感じますよね。ご視聴、お言葉、ありがとうございます。
父が亡くなった時の事を考え直してみました。意識不明の状態が1ヶ月以上続き覚悟はしていました。
医療処置としては胃ろう、人工呼吸(切開)、点滴のみでした。父はうめき声を上げていたし涙も流していたので、さぞ苦しいのだろうと意識のない父に語りかけ、父の涙を拭い、側に居ました。父を看とることは出来ませんでした。1ヶ月以上いつも側に居ることは出来ません。亡くなった連絡を受け 駆けつけると父の体は温かく穏やかでした。おとうさん、苦しかったね、よく頑張ったねと遺体にすがりついて号泣しました。先生のお話を聞いて救われました。父は最期まで苦しんだんじゃないんですね。
側で語りかける私の声もちゃんと意識の外で聞いてたかもしれません。
当時を思いだし今また号泣しています。パパ大好き!ずっと大好き!パパありがとう❤️
お父様のお話、ありがとうございます。想いは届いたと思います。
高齢者施設で介護職をしている者です。
施設内で看取りをさせていただく利用者さんが増えてまいりました。この動画をとても興味深く拝見しました。
ご本人の状態の捉え方、ご家族や周囲の心構え方等。
成る程、と思えました。
コメント欄も、貴重な経験…納得できたお見送りや後悔した事等沢山読ませていただきました。
私自身、初期のガンの手術と再発予防のための抗がん剤治療を終えて二ヶ月前から仕事に復帰できました。
命拾いできたので、恩返しだと思って利用者さんとご家族の併走者になりたいと思います。
素晴らしい動画をありがとうございました。
コメントありがとうございます。施設だとお看取りも多いですよね。お疲れ様です。
はじめまして。とても参考になりました。最近95才の母が老衰で亡くなりました。2年2カ月お世話になった特養から、そろそろ面会に来てくださいと、兄に連絡があったのが、亡くなる10日前でした。ところが、その同じ日にいわゆる心臓麻痺で生涯独身の弟が亡くなっているのを、電話に出ないことに心配になった兄が、弟の家を訪ねて見つけました。検死の結果では、亡くなったのは2日前でした。家族葬ではあったものの、忙しくて、母に面会できたのは、亡くなる4日前。母が孤独死するんじゃないかと(実際そうでしたが)一番心配していた弟の納棺前の写真や、葬儀場の写真を持って、母に会いに行きましたが、すでに母は、私にしがみついて「ばあちゃん、ばあちゃん」と、自分を可愛がってくれた、自分のお婆さんと勘違いしてるようでした。「ほら、〇〇(兄の名前)も来たよ」というと、力強く兄の手を握っていました。
目は開けられないようなので、ひととおり、母との面会が終わったところで、側にいた職員の方に、わざと母に聞こえるように大きな声で、弟の急死について、写真を見てもらいながら、聞いてもらいました。
その日はまさに身の置き所がないように、苦しそうに右に左に動いていたので、私も介錯してあげたいぐらいでした。
次の面会は亡くなる2日前、やはり苦しそうでしたが、看護師さんが来てくれて、「もう幸せホルモンが出ている状態だから大丈夫ですよ」と言ってくれて、とても救われました。
弟は一瞬で亡くなって(倒れた所から、動いた形跡がない)、母は点滴さえしなかったのに、死ぬのに何日も苦しんで、私はどんな死に方になるんだろう?と心配になりました。おじさん、おばさんのうち、3人は癌で、亡くなる前日、当日までトイレに行けたそうですが、癌は癌で、罹った直後は心が折れそうになるだろうし、生きるのも死ぬのも、なかなか大変ですね。
2年8ヶ月前、急性骨髄性白血病で16歳だった娘を失いました。
余命宣告から10ヶ月も頑張ってくれました。
治療をやめてお家に帰りたいと主治医に伝え、お家に帰り6日目にお空に還っていきました。
亡くなる2日前、私と息子と娘でお話しをしていると、『mamaの初恋はいつですか?お兄ちゃんは?』と聞いてその後『しあわせ』と言いニッコリ微笑んでくれて…
その言葉があるから私は頑張っていられます。
TH-camとちスペで4日前に娘のことを取り上げてくれました。
先生のおっしゃるように呼吸が苦しくなり、吸って〜吐いて〜とあにが呼吸の誘導をしました。
本人が『優生が苦しそうにしたら吸って、吐いてって声かけてね』と私達に伝えてくれていました。
呼吸の誘導してるシーンも載っているので観てください。
ありがとう!よく頑張ったね。と息を引き取ったばかりの娘にも伝えることができ、娘も穏やかな顔でした。
大変勉強になりました、ありがとうございます。介護職をしておりますが、終末期からおなくなりになるまでの経過と必要な支援、ご家族ができる支援について貴重なお話を聞くことができました。ターミナルケアは介護の現場でも多く行われておりますが、詳細が細く記載された書物は少なく、呼吸がとまり亡くなられるまでの経過や苦痛を和らげる緩和ケア、ご家族ができる支援まで詳しくおはなしして下さった先生のお話はとても参考になりました。
ありがとうございます。介護の皆さんにも必要に応じて用立てて頂ければ作った甲斐があります。
今回初めて7兆候についてお聞きできました。私の父は56歳で肺癌で亡くなりました。もう35年も前のことでしたが、このような知識があったら少しでも見取り方が違っていたのではないかと思えました。義母、義父も亡くなりましたが、未だにもっと何かしてあげれたのではと思いだし胸が熱くなることがあります。先生の最後のお話もとても胸が熱くなりました。亡くなられたお母さんも勿論だと思いますが、一人残されたお子さんもきっと救われたのだと。
先生が今まで大切にされてきたこと、医療現場の皆様の優しさに感謝の気持ちになりました。
貴重なお話ありがとうございました。
お話、ありがとうございます。お父様、35年前だったのですね。亡くなる方を支える医療もこの20年ほどでだいぶ進歩しました。これからもだれもが人らしく生きて生を完結できることを願います。
知らなかった!
できれば3~4年前に母が闘病生活をしている時にこの動画があってくれたらよかった・・
病院では母の状況を全く教えてもらえず、聞いても何の説明も無く「何時どうなるか分かりません」みたいなことしか言われませんでした。
当時、母の反応がほぼ大津先生の説明通りでした。その時分かっていれば反応が無くとも声をかけたり、手を握ったりしてあげれたのに・・・
先生の話を聞いていてあの日の状況が蘇って泣いてしまいました。
お母様、そうだったのですね。それは大変でしたね。お気持ち拝察する次第です。なかなかこれらの説明が行き届いているとも限らないですものね。いざという時に、この動画を活用して頂ければと願います。
非常に分かりやすい大切な情報を
ありがとうございます。
一番ショックでビックリしたのは
『鎮静剤投与しても苦痛が消えない』
という例があったという点で恐怖を
感じました。
それとやはり耳の機能が最後まで
残り易いとは知ってましたが改めて
重要な事が最後のエピソードで理解
出来ました、ありがとうございます。
コメントありがとうございます。鎮静剤には使い方次第な点があり、かなりつらさを抑えられるのですが、中には厳しいケースもあります(それでも手段はあります)。やはり鎮静に長けた医療者に最後お願いすると安心だと存じます。
私も最後まで亡くなる方は回りのことが良く聴いています。
お袋の時も、叔父さんの時にも此方がはの言葉を聴いて安らかな笑顔になり亡くなりました。
そうだったのですね。お話、ありがとうございます。
医師として生きようとしている息子に是非見て貰おうと思います。肉体から離れる時の経験を私もそのうちすることになるのでしょう。覚悟して迎えようと思います。有り難うございました。
息子さん、そうなのですね。ご参考になれば幸いです。
院長先生 貴重なお話ありがとうございます
悔いのない様 日々感謝して生きるのが良いですね
仰る通りです!
大変貴重な情報ありがとうございます。もしもの時があったら、近づいたらこの動画を何度も見返して少しでも良い最後を迎えてもらえるよう。そして自分も良い最後を迎えられるようにしたいと思います。
何回見てもすごい動画、コメント欄。剣道で例えるなら、竹刀を使った試合ではなく、本当の刀を使った真剣勝負!押し寄せる感動!本当にTH-camなのだろうか!私も参加出来たことをコメント出来たことを大変嬉しく思います。
コメント欄は凄いですね。それぞれの人生とそれぞれの別れ。ずしりと重みとともに迫ってきます。
私は2週間の臨死状態から帰ってきました、耳だけは聞こえて、手足、口、目等、すべては動きませんが、皆の声だけ聞こえていました。
何の病気?意識不明?で、臨死状態になったのですか?
@@makiko1215 ただの厨二病だからほっとき
@@69アンチェイン
そうなんだぁ〜。。。😑
貴重なお話をありがとうございました。
コメントありがとうございます。
大変よくわかりました 知っておきたいことでした。今までで思い当たることもありました。
そして 今後後悔しないためにも繋げていこうと思いました ズバッと言っていただきありがとうございました。
ありがとうございます。
とても良いお話でした。先生の人となりの人柄を感じました。頑張ってくださいね♪ お会いしたいです!
ありがとうございます!
知ることができて本当に良かった、落ち着いて見送れると思います。有難うございます。ところで「がん」は最後まで生活動作が保たれやすい、のところがもっと知りたいです。最後は激痛を鎮静してもらえるからでしょうか、それは何回目の耐えられない状態になればでしょうか。一般的に多い例で教えてください。ポジティブに考えられる貴重な情報です。
状況に依りますね。なのでしっかりコミュニケーションを図れ緩和ケアに精通した医療者に関わってもらうことが大切ですね。
中学在学中に、同級生や先輩の病死や自殺はあり、クラスで家の前まで行った時どちらも親が泣き叫んで倒れたのを覚えています😨。詳しいことは書けませんが、校長先生が「親より先に亡くなるのは親不孝だ」と言って泣いてたの覚えてます。みんな辛いこと体験されてるのですね。私もジャンヌダルクさんのトルストイ「イワンイリイチの死」の素晴らしいコメント見てから読みました。岩波から出てる。私も死ぬときいつかくるのでしょうが恐いです。先生は怖くないのですか?
誰もが迎えるものですからね。数千も拝見していると、それを実感しますね。
仲の良い友人が心不全の終末期です。
心不全の急性増悪によりICUで治療しています。
携帯OKなので話をしますが、本人は筋力が落ち歩けない事、オムツ生活、息切れ、呼吸困難などで苦悶しています。
こんな体になってしまって生きていても意味がない、身の置きどころもない苦痛や恐怖と闘っています。
外科的手術は勿論大切ですが、終末期におけるメンタルケアも、並行して頂ける病院が増える事を願わずにいられません。
先生の動画を拝見し断末魔と闘っている友人を、院外で送る心積もりが出来ました。
本当に、ありがとうございました。
詳しい死の七つの兆候の動画有難うございました。先日最愛の人をが亡くなりました本当に7つの兆候が有りました意識があるときに私は彼にあなたと巡り会えて幸福だった楽しかった日々色々なことを教えてくれて有難う次の世界で又あなたとめぐりあいたいとしつかりと伝えました彼はにつこりわらつてうなずいてくれました。毎日苦しんでいたのを見ていてとてもつらかつたのでこれで苦しみもなくなつたので悲しいけど心の中では安堵しています。
そうだったのですね。そのようなお言葉を交わせたとのこと、素晴らしいことです。そのような機会を持つことは、いずれの側にも力を与えてくれるものと存じます。ご最愛の方に、深く哀悼の意を表します。
素晴らしいチャンネルです感動しました。
これは学校で流すべきです。
生まれる時も苦しかったのでは
わからないだけですね
私も両親を見送りました、そして次です。
哲学だと思います。素晴らしい話ありがとうございました。
お言葉、ありがとうございます。
両親とも、昨年、今年と緩和ケア病棟におりました。そして病棟にて看取りをしました。先生のお話~たいへん貴重なものでした。早い時期に、先生のお話に出会れば良かったです。気づきがありました。先生のような、緩和ケアに優れた医師が増えると、多くの患者が助かります。これから医師になられる方は、先生のような医師を目指して欲しいです。
いいお話ありがとうごさいます。
94歳の母をいつかは看取らなければいけない立場です。
私自身も高齢で、色々勉強していきます。
先生のお話とてもわかりやすく、聞きたくない内容もきちんと聞けて
そして全て意味が有り、怖くないこと理解できました。
本当にありがとうごさいます。
他の動画もこれからの生活に役にたちそうでゆっくり見させて頂きます。
二か月ほど前父親を看取りました。全く言われる通りです。出来たことは余りなかったのですが、在宅に切り替えることが出来て最後を見届けることが出来たのは少しは親孝行できたのかなと思うことができました。病院で亡くなられて最後を見届けられなかった同級生とかいますので人生とは思うように終われないものだなと思いました。良い動画ありがとうございました。
在宅でお看取りになったのですね。お疲れ様でした。なかなか思うようにはならない側面もありますよね。それでも、その期間そばにいらっしゃったことは間違いなく親孝行だと存じます。
@@kanwa それでもこの動画を先に観ていたらもっと気持ち的に父親に寄り添えたのではないかと思いますのでそれは仕方ないとはいえ悔いが残っています。これから同じ境遇になった人たちには同じ悔いは繰り返して欲しくないと思います。
親父が癌で逝った時、その場に立ち会いました。
足に毛布を掛けてあげたのに、蹴って剥がすようにしてました。
この動画で、その理由がはっきりと分かりました。
それと、点滴の速度が速かったようなので「ちょっと、遅くしちゃおうかな」って言った時、
今まで閉じていた目を大きく見開いたんです。
あれ、やっぱり聞こえてたんですね。
そして、動画の最後の話、胸が熱くなりました。
チャンネル登録させて頂きます。
4月末に母が病院で亡くなりましたが、このコロナで最後の数日はなかなか会うのが困難でした。
そうだったのですね。この期間に死期を迎えた方たちは本当に大変でしたね。私も看取らせて頂きましたが、現場もできるだけ会えるようにと意を砕いて来ました。
母を2週間前に亡くしました。風邪だと思って町医者に行ったら、大きな病院で見てもらうように言われ、下った診断は末期の肺癌。できた箇所が手術できない気道のところ。抗がん剤治療も、高齢のことで、死のリスクがあってできません。あとは死を待つだけと言う医師の冷ややかな告知に、気丈な母は相当落ち込みました。突然下った余命3ヶ月、取り敢えずは、やはく酸素をつけてもらって、在宅で、と思っていたのに、酸素つけるための練習で入院するつもりが、苦しくなって救急車で運ばれそのまま緩和ケア病棟に入院。本人は、少ししたら帰るつもりで、帰ったら、楽しかったデイケアの皆様に復活してきたよ、と最後のお別れがいいたい、自分の着ていく着物も用意したい、お金のことも整理せんといかんしと言っておりました。少し楽になったときに、酸素つけて、車椅子で、介護タクシー使って桜見に行こうね、といったら、行けるだろかといいながらも、介護タクシー高いんじゃないかと心配したり。いま介護の申請してるから、そんなん心配せんでいいんよ、といっていたのに、申請がおりるのも待たず、桜の咲くのもまたず、分かってから一ヶ月にも満たず、入院してわずか17日でいってしまいました。もっともっとお世話してあげられると思っていたのに残念でなりません。でも、みんなに迷惑をかけたくないと思う母らしいかなと思い直しています。さいごは、先生のおっしゃる通りの経過をたとりました。あるときは、なんか自分がおかしい、あっちから帰ってきたような気がする、魂が抜けていくような感じがするとか言ったりしました。大丈夫よ、大丈夫よ、と私がそばで声をかけたら、そうかい、なんだか、わたしとあんたが反対になったね、といいました。泊まって次の朝、病室を出るわたしに、サヨナラといったのが、気がかりで、翌日職場から電話したら、苦しい息の下で、お世話なりました、どいいました。まだまだ時間はあると思っていたけど、あの時、母は覚悟していたのかと思うと涙涙です。それから1週間後に行きましたが、子ども産んどいてよかったと何度もいってくれました。難しい肺がんで、痛みどめもあまりきかず、最後の3日間は見ている方もつらかったです。最後の最後は、ゆっくりした呼吸になり、みんなに声かけられて、見守られたなかでいきました。いよいよのとき、眠りのなかの母が、薄目を開けて見て、瞼をとじたら、涙が出てきたのが、今でも忘れられません。私たちの声がとどいたのでしょうか。お母さんありがとう。よいところへ行ってください。医療関係者のみなさまありがとうございました。母の生きた印を残したくて、思わずここにコメントしてしまいました。長々読んで下さりありがとうございました。
昨年母を送りました。意識がないのに私が話しかけるとしっかり話してる事が解った風で「お父さんやお兄ちゃんの事は私がみるから安心してね 大丈夫だよ」と話したら安心した様に深い吐息を吐きました。その数分後にあの世にいきました。聴覚はやはり残ってるのだなと思いました。母を看取ることが出来て本当に良かったです。
もうすぐ私の順番が来ます。教えていただきありがとうございます。不安なく旅立ちたいと思います。
貴重なお話ありがとうございました。今年始めに亡くした祖母にも幾つか兆候が当てはまっていました。もう少し早くこの動画に出会っていたらな・・と。
お祖母様、そうだったのですね。これらの情報をもとに、皆さんが落ち着いて逝く方を見守られることを願ってやみません。
先生は、人の死についてよくご存知ですね。緩和ケアの難しさ個人差がよく見えますね。人生の最終イベント、必ず人が通る道ですね。勉強になります。
当事者になると違うとは皆さん仰っていましたから、見送る側とは異なるとは存じますが、送る側としては貴重な経験をたくさんさせて頂いてきました。感謝ですね。
@@kanwa 当事者としたら、生きれるのであればもっと生きたいというような、割り切れない何かがあるのかも?
それはあるでしょうね。大なり小なり。
ありがとうございます。私の終活の参考にさせて頂きます。
ご参考になれば幸いです😊
とても為になります。
ありがとうございます。
なかなか尋ねる事のできない貴重なお話でありがとうございました。
先生18年間介護間ヘルパーとしてきましたが、分からない事もありました今後とも宜しくお願いしますありがとう御座いました
ブラジルより
今日を見ていて、昨年のパートナーが亡くなった時のことがよみがえってきました。私のパートナー.はドクターから亡くなる数か月前にクオリティーオブライフを考えた方が.いいと言われていました。昨年はパンデミック下ということもあり自宅にいる時も感染予防を考えながら静かに生活を送っていました。亡くなったのは土曜日だったのですが水曜日の朝呼吸困難困難なり救急施設に運んで直ぐドクターからは今回ダメかもしれないと言われてしまいました。それでも金曜日の.午後の時点でいったん回復の兆しを見せたのですが翌日土曜日にはなくなりました。僅か4日間の出来事で残された方としてはあれもこれもを考えて.しまいますが、それこそ彼は安らかにやす等かに逝ったと思っています。そしてパンデミック下でのことでしたが 医療機関側として私たちのパートナーシップを尊重して頂き最後まで寄り添うことができて感謝しています。
この間にお看取りになられたのですものね。詳細にありがとうございます。経過が早くても長くても様々な思いが去来するものなのだということを感じています。
素晴らしい内容です。もしかするとこれは学校教育の中でやるべき課題かもしれない。
詳しく知っておくと役立ちます。ありがとうございます。心構えができます。昔、子供の頃、家で亡くなった老人の最後を見たのですが、先生のおっしゃるのは病院での亡くなり方でしょうか。彼女は普通にしていていつの間にか亡くなっていました。その晩は、みんなで居間で一緒に寝ました。
ありがとうございます。家でも同じ様態ですね。ただご高齢の方で老衰等だと静かな旅立ちであることもしばしばありますね。
高齢者にご教授を有難うございました。
お言葉ありがとうございます。
伯父は89歳まで普通に生活して、普通に朝食を摂り、新聞を読んだ後、少し横になっている間に旅立ったそうですが、そのような亡くなり方はほぼないということですね。親族を失うことは悲しいことですが、出来ることなら自分も他人に迷惑をかけずに旅立ちたいものです。
しかし生命の神秘と言いますか、どうして人は生まれて死んでいくのか、答えはないのですがお話を拝見しながらそんな感覚になりました。
ある意味、一番理想とされる逝き方ではないでしょうか。ただそれを選べないのが人の難しさですね。看取りは生と死、意味を考えさせられますね。
わたしの旦那さんの祖父も
いつものように草刈りに行って
祖母が朝ごはんを作る間に
ベッドに横たわって休憩してる間に
眠るように息をひきとったそうです。
89歳でした。2日前のことです、、、
素晴らしいお話
有難うございました。
私はヨガのインストラクターとして
皆さんに呼吸へ意識を向ける事を
お伝えしています。
生徒さんの呼吸を聞くと
生命のあたたかさを感じます。
緩和ケアの知識はまだまだありませんが
人の命に向き合う事に
非常に興味があります。
膵臓癌で亡くなった母は亡くなる日の朝、緩和ケアに転院する予定でした。
意識がないように見えた母は私の呼びかけに、口元が私の名を呼びました
もっと何かできたんじゃないかと後悔がつきません
大切なお話を聴かせて頂き、ありがとうございます。
私の家では「しに水など取りに来るな!」との約束が有りましたので、両親とも式の当日、喪主でも途中からとなりました。つまらない事で、迷惑はかけたく無かった様です。親戚からはさんざん言われましたけど。
生き恥をさらすのが嫌いだったみたいで、「ボケたら腹を斬るから、肩を二つ叩いてくれ」と。そろそろダメだじゃないかと連絡があり、肩を叩いて短刀を渡しに行った事も有ります。その直後、一時的にいきなり回復したみたいです。
関係者の方々には比類ないご迷惑をお掛けした事でしょうが、最後までお殿様でいられて良かったのかと。
私も身内や関係者には、極力ご迷惑を掛けずに、手早くひっそりといけたらと思います。
詳細にありがとうございます。
人も獣です。そのときが来たら自然と本人だけに感じられる振り返りあります。
それでいいです。他人のために生きてるわけではなく、ご自身の人生時間なのですから。
他人と楽しくもいいのですが、ご自身を大切にしてない方が多いのではないでしょうか。
自分の人生の主役は自分であるべきです。それを体験しに来てるはずです。
ご自身を大切してる方は、他者にも優しい対応できます。いたわりの世界です。
自分を大切にする。肝要ですね。
緩和ケア医"かんわいんちょー"の真骨頂ですね。
慌てず落ち着いて穏やかな看取りを出来れば、、と思います。
慌てず落ち着いて。これは確かに何事もそうとも言える重要なことですね。
医療の端に携わったことがあるので先生が話されたことに関して多少の知識はありましたが22分のエピソードは心に響きました。
お携わりになったことがあるのですね。
貴重なお話をありがとうございました。益々ACPの重要性を感じました。生前、意識のはっきりしているうちにどう過ごして生きたいか、看取る側、看取られる側ともに話を擦り合わせて納得いくお別れをしたいと思いました。
非常に貴重なお話勉強になります。
ありがとうございます。
私の母は、認知症で長く施設に入所していて、最後インフルエンザでなくなりました。死に目にも会えなく、もっと面倒見てやれば良かった、人一倍苦労した人なのに、ずっと後悔しています、もっと早く先生のお話しを聞いていたらと、思いました。ありがとうございました。
私の父の体験で亡くなる1日まえの異状行動で父はベットで半身になり天井に指を指してじっと何かを見つめていました、私は幻覚症状と思っておりましたが院長の動画で第3の見当識障害が現れか、せん妄状態で多分生んでくれた両親がお迎えに来ていたのかと推測され父の異常行動がこの動画で納得いたしました、その晩から食事も取らずに翌朝には眠るように亡くなりました。
お父様のお話、ありがとうございます。そうだったのですね。きっと何かが見えていたのでしょう。ただ「じっと見つめていた」とのことなので、怯えさせるような悪いものではなかったと推測はされます。お父様のご両親など、気持ちを鎮めるようなものが最後に見えていたことを願います。
ありがとうございます。。
ありがとうございます。
一旦書き直そうとしましたが まんま再投稿で すみません 失礼しました
↓
身内として人には語れないお話しをありがとうございます 涙が溢れました
私の大切な人は 「緩和ケア」を怖がっていたようで 結果 頼ることができませんでした 悔しさ無念さ無力さ 表に出さないように苦しんで生きています
2人に1人ガンに罹る時代と言われているのに なぜ知る機会が無かったのか 小学校の性教育とセットで生死を学べたら理想と思いました
ありがとうございます。緩和ケアというと怖いイメージを抱いておられる方もいらっしゃいますものね。この動画のような発信で、緩和ケアに対する見方が変わっていけば良いと感じています。
皆さん、こんにちは。誰もが当事者として、あるいは見守る者として避けられないこの話題。すべての方にお送りします。情報をたくさん盛り込んだので、1.5~2倍速再生もお勧めです。ぜひご覧ください。
いつもコメントありがとうございます。今日もぜひよろしくお願い申し上げます!
某Cが顕著に猛威をふるっている時期はこのような内容の動画をあげるのも難しかったです。心理的な圧迫を深めることが懸念されたためです。これを紹介できる状況になったとは言えますが、引き続き皆で元気に健康的な生活や予防等を行って参りましょう。
私の両親は病院で最期を迎えました。入院中は毎日見舞いに行っていました。
父は亡くなる前日、母は当日、口が動いても声が出ず、口の動きを見て何とか理解しようとしましたがわかりませんでした。なので笑顔でうんうんとうなずいて、聞こえているフリをしていました。
何とか伝えようと口をゆっくり大きく動かしている親を目の前にしながら、理解できなかったことが残念でなりません。
血圧を表示しているモニターのブザーが鳴って、看護師さんが駆け込んできた後、よくがんばったねと話しかけた声が、親に届いていればせめてもの救いです。
お話、ありがとうございます。届いてくれたのではないでしょうか。
父は最期を緩和ケア病棟でお世話になったのですが、医師がひとりしかおらずたまたま最期の日の前日が医師のお休みの日にあたり医師不在のため尿が貯まって苦しんでいるのに
なかなか導尿をしてもらえず私から看護師さんに訴えてやっと他の科の先生に導尿をしてもらえました
日本はまだ緩和ケアをして下さる医師が本当に少ないんだということを初めて知りました
病気を治すことも大切ですが
痛みをとり安らかな死を迎えることができるかどうかは患者の不安をどれほど和らげるかとても大切です
緩和ケアを目指す医師が増えることを心から望みます
お父様のお話、ありがとうございます。ますますの普及に尽力したいです。
はじめまして。大切なお話を有難うございます。4年前に母を、その2ヶ月後に義父を看取りました。2人ともガンでしたが、母は感染症で救急搬送されて処置室で息を引き取りました。その時、下顎呼吸で「病棟に移すのはやめましょう。」と医師から説明があり、耳元で「ありがとう、ありがとうね。ゆっくり休んで、また会いましょうね。」と語りかけたのを思い出しました。義父は肺ガンで、とにかく呼吸が苦しくて、先生が仰るとおり身の置き所がない状態になり、自分から「モルヒネを使って欲しい。」と訴え、意識のない状態で暫く頑張ってくれましたが、最後は心臓が頑張りすぎて不正脈を起こして息を引き取りました。義父にも最期に声をかけられたので、納得して見送ることができました。親は身をもって子供に「老い」や「死」を見せてくれるのだと思います。介護は大変でしたが、感謝の気持ちで見送ることができ、私は幸せでした。事情があってあと3人、親がおります。先生のお話を胸に介護します。有難うございました。
確かにある意味、それぞれの親が最後に教えてくれることなのかもしれませんね。ご体験のお話、ありがとうございます。
ご説明の通りに85歳の母は旅立っていきました。速い呼吸で苦しそうなところ、レスキューの薬で少し楽になり、表情が柔らかくなり・・・呼吸が止まりました。下顎呼吸、二度ほどでした。最期のときについて、わかっているといないとでは、本当に気持ちのいきようが違うと思います。告別式の後、やけに人なつこいアキアカネに遭遇しました。1日目は逃げることなく、3匹で。2日目は玄関のドアのところにとまっていて、私の手に止まってしばらくしてから飛んでいきました。母が来てくれたのならうれしいと思っています。
お母様、そしてアキアカネ。そうでしたか。印象的です。お話、ありがとうございます。
私も父の最後を病室で看取りました。
病院の先生から 「最期が近いですから皆さんお声がけしてあげてください」と言われ、皆で順番にそばに行って声かけてたのですが
私が「お父ちゃん ありがとう・・」といいましたら 父の両目から涙がスーとひとすじ流れました。
苦労多い父の人生の中で、私は10代の頃にとても心配かけたりしてました(最後の時は もう30代で結婚しており、子供も2人おりました)
偶然なのかもしれませんが きっと聞こえていたと思います。
大好きな父でした、今でもこうして思い出すと涙が出そうになります。
お話ありがとうございます。聞こえていたと思いますね。
17日に母が亡くなりました。日に日にでしたが10日位前から顕著になってきました。
母はお迎え体験ではなく「知らない人が見てる」と言って痛みのない方の腕で追い払う仕草と顔を歪めながら怯える程のせん妄がかわいそうでした。ただ、せん妄は無かったですが父も癌で看取っているので苦しまないだろうなと思っていたので、同じように穏やかな表情になると最後の一呼吸、母は旅立ちました。
父は緩和ケアのある病院に転院する日の朝、血圧低下の連絡。苦渋の決断で転院、数時間でしたが先生や看護師さん達のお陰で私達も穏やかに父を見送ることができました。それがあったので母も緩和ケアでお世話になり、本人はもちろんのこと家族にも寄り添ってくださった緩和ケアチームの皆様に感謝です。
お母様、お父様のお話、ありがとうございます。お母様、せん妄があったのですね。最後は穏やかだったとのことで良かったと存じます。
緩和ケア、あまりにも少ないです。必要だと思います。痛みを取り除き、心の支えになる医療は絶対に必要です。
普及が必須です。尽力したいと存じます。
👍あと2つで100にしといたよ(⌒▽⌒)
いんちょーもオロナインちゃんも凄いね!
👍👍←で100!おけ!
私の姉は末期がんなんですが、ずいぶんと不幸に捺せられましたが、最期くらい、優しくいてあげたいから、わがままを聴いています。
皆さん、こんにちは。数多くのご体験のお話、誠にありがとうございます。コメント欄自体が、非常に学びを与えてくれるものとなっています。よかったらぜひコメント欄もご覧いただき、それぞれのご体験をお寄せください(もちろん実際に体験しておられなくても、こう思う、こう感じているなどのご意見も歓迎です)。
私も以前に緩和ケアの担当をやっていて、現在は老人ホームで働いています。
動画の説明は癌の方の看取りですが、老衰の看取りはだいぶ違います。
老衰の場合は経口摂取、水分摂取の減少が最初に来ます。
次に睡眠時間が徐々に長くなり、永遠の眠りへと至ります。
老衰の場合は、がんと違って全身の細胞の活力低下ですので、食物や水分の摂取量が減っても飢餓感や渇きなどはありません。
昔は高カロリー輸液を大量に行っていたのですが、現在は点滴で高カロリー輸液をしても栄養分は細胞に吸収されず、水分も過剰になって体がむくむので余計につらいのであまり行われません。
特にご高齢者では心不全の方が多いので、自分でとれるだけの経口摂取による看取りが一番安楽な方法と思います。
コメントありがとうございます。私もホームでも診療しているので、ご指摘通り異なる部分と同じ部分があります。その方に合った方法を選択することは大切ですね。
三年程前に妻を看取りました。緩和ケアの看護師さんから後一週間くらいですと告げられ、職場を休み最期まで側に居る事が出来ました。彼女自身も看護婦であったので全てを受け入れた上で、闘病生活を続けました。痛み止めの薬も自らの意識がわからなくなるのが辛いらしく、痛みに耐えながら義母と私に接してくれました。また、トイレの介助だけは最期まで受けない姿勢に彼女の意地を感じました。最期は座椅子に座らせた彼女を私がトイレの前に運び、そこから自力で便座へ…最期の時は私の腕の中で、『ありがとう』とかすかに唇を動かせて涙が頬をつたったのを鮮明に覚えています。例外的なのかも知れませんが、すごく救われた気がしました。すべての医療スタッフの方々に大変感謝しております。これからもお身体に気を付けて頑張って下さい。
非常に沢山見とってきた事がよく分かる動画でした。
私も、今は大分回復してきましたが、交通事故で1週間程ICUに入り、意識回復後ICUは出ましたが、最初は左半身麻痺で歩けず、複視で字もまともに読めず、3分前の事も思え出せず、見舞いに来てくれた知人や親族と、会話が続きませんでした。
そして、意識回復から多分1週間後位に、直近した会話内容を思い出せなかった私が何を話して良いか分からず、見舞いに来ていた親に聞いたのは、今が何時かと、ここは何処の病院かという事でした。
今でも事故った状況や、ICUで目を覚ました時の事は思い出せませんが、今話したことが分からず、別の疑問を投げた事だけはショックで強烈に覚えています。
その後来てくれた同僚達も、顔は覚えていましたが、名前が思い出せず、せっかく見舞いに来てくれたのに名前を聞くのも失礼なので、その後来てくれた総務の人に、「名前を全て忘れてしまったので、座席表を持ってきて欲しい!」と頼み、必死に覚えました。
もしかしたら、これが良かったのかもしれません。
私は1日以内で意識を回復したようで、後遺症はそこまで酷くありませんでしたが、次の月に転院した都立病院のリハビリ科では、記憶力は80代だと言われ前の日の晩飯をお思い出せるようになるのに、2ヶ月かかりました。
初めは朝食すら分からず、朝食の次は昼食、その次は夕食と思い出せるようになり、前日の夕食をを思い出せるようになったところで強制退院となりますたww
でもまだ美味しかった印象の強い1週間前の食事と、3日前に食べた普通の食事、どちらが最近食べたかも定かでは無い状態で放り出されてしまい、会社には戻れず、労災は出ましたが、復帰しても新入社員扱いだったため、結構病んだ事を覚えています。
80代の方が間際で循環器の能力が低下し、酸素の供給能力も低下すれば、恐らくあんなもんじゃなく、私以上の記憶障害(前後間隔の喪失)があるはずで、今がいつかも分からない状態で、全てを否定されたら、恐らくこの世の終わり位の絶望感でしょう。
亡くなる1か月前の祖母に会ったところ、私を、私の父と思っていたよで、叔母が否定していましたが、先生のお話を聞いて合点が行きました!!
約半年前に父がガンで亡くなりました。緩和ケアの病院に入院した時にこれはもう最期が近いなと判断して、早めに父の意識があるうちに伝えておきたい事をメモに残して貰いました。思い返せば、このような兆候は思い当たる事が沢山ありました。今でも昨日のように思い出します。血圧低下から24時間以上でしたが、最後は静かに息を引き取ったので病院のスタッフの皆様には感謝してます。
動画を見る前でしたが、自分たち家族はちゃんと看取る事が出来て良かったです。
動画を拝見しました。今年、父方母方ともに祖母を見送りました。
父方の祖母は同居していた為、孫の私は近寄りがたい祖母でしたが…家で最後を迎えました。この動画で数ヶ月前からの兆候にも納得しました。大変だった時に拝見出来れば良かったです。
母方の祖母も肺炎で入院し、3ヶ月後に他界しました。
コロナ禍で面会に行きたかったですが、病院指定の曜日や時間に仕事を休めず…
最後は呼吸不全でしたので、頑張っている祖母へ「大丈夫よ。」と肩をさする事が精一杯でした。
先生の動画や祖母たちの体験を忘れず、両親や自分達が今後前向きにとらえられるように考えていきたいです。
医師がこれだけ専門用語や余計な『あの、えーっと、その』等の言葉を使わずに、しっかりと要件を的確、簡潔に伝えるのをER以外で見たことがない。
如何に患者さん親族らと向き合い、ゆっくり丁寧に説明と対処してきたのか、経験の積み重ねの多さが伝わった。
【先生へ】日々のご研鑽と苦悩、本当に素晴らしいと思います。根治治療や処方だけが治療、医療ではなく、最期まで患者を支える。それも治療であり命を預かる医療なのを話を聞かせて下さってありがとうございます。
最近家内を百十四日の入院で亡くした者ですが、このお話をもう少し早く聞いておけば良かったと今更ながら思い書かせていただきます。全くその通りの経験を致しました。ただ私の場合最後の息を引き取る瞬間に亡くなる本人が、両目を開き何かを話しかけてくれた(もちろん声は聞こえなかったですが)この様なことが起きました。本当にその姿に感動し、家内にありがとうと言って抱いてあげ涙があふれました。先生のお話はきっと皆さんの参考になる事でしょう。ありがとうございました。
独特の雰囲気の中、ホスピスの同僚のことを書いたのですが。亡き友は怒ってるのだろうか、それとも覚えてくれてありがとう、いや、多少、お怒りかも。書かされた感じもするのですが😅。荘厳な鐘が鳴っているような、今までで感じたことのない動画とコメントの数々。襟を正しました。その中で、夏目漱石の臨死体験と則天去私にうまく絡めて、認知症という憐れみがあるのだから、死後の世界も心地よい憐れみと書いたオロナインさまに、この人、本当にスゴイ方だと感心しました。
故人からすると、覚えていてくれることは嬉しいのではないでしょうか。忘れられた時が二度目の死だと言いますよね。
大切なお話をお聴きすることが出来ました。まだ私自身そのような状態ではなく、長命な家系故まだ10数年程先のことと考えております。しかし、今は何とか元気に生活しておりますが、いつ来るかはわからないことですので、大変貴重なお話でした。ありがとうございました。心から感謝申し上げます。77才男です。
人生観が変わるようなビデオでした。本当にありがとうございます。何度も見返そうと思います。
職業柄、これまで二桁の方の亡くなる瞬間を見てきましたが、やはり様々ですね。
概ね、看取りケアを経て亡くなられた方(要は老衰)は、苦しむことも少なく「枯れたように」亡くなられます。
点滴や酸素吸入は、終末期においては生活の質を維持することには繋がりにくいですし、それよりは家族が見守られ、好きなものを口にしたほうがよほど良いということを多くの方に知っていただきたいです。
好きなものを口にしたほうが良い、大切な情報です。ありがとうございます。多様性がありますよね。
先生、有り難うごさいました。先程、チャンネル登録しました!
二年前に看取った父親の事を思い出しました。
ある意味、人の死は神秘的なものであるとも感じました。
最近母を亡くしました。その様子は、ズバリ 先生のおっしゃる7つの兆候がありました。
先にこちらの動画を観ていたら、もっと出来ることがあったのではないかと、少し後悔します。また、母の最期の兆候が出ていたにも関わらず、帰宅したことをとても後悔しています。病院の面会時間が過ぎていて、明日もまた会えるだろうと思い、帰宅したその後早朝に亡くなり看取ることが出来ませんでした。
危篤の連絡をして下さってから、病院の方は酸素マスクをつけ布団を掛けたまま待っていてくださっていたので、もう逝ってしまったと分かっていたけれど、身体はまだ温かいので生きていると思い、最期は「ありがとう」という言葉を言い続けました。こちらの動画にあった『 耳が最期まで聞こえているかもしれない』という言葉にとても救われた気持になりました。
看取りの演出という病院側の気遣いがあったものの、病院の先生方が7つの兆候を知っていたとしたら、私たち家族を『 今晩は居てあげて下さい』と引き止めて下さっていても良かったのにとも思いました。でも毎日話せてこれたので、看取れなかったけどお互いの思いは、意識のあるうちに届けあえたと思います。そう思わせてくれる動画でした。ありがとうございます。
父ですが、がんの末期です。
腹水がたまり、お腹のしんどさと、腰に痛みがあります。寝返りしても腰の痛みは続きました。医師から痛み止めとして、体に貼るシール(麻薬)を勧められました。
しかし、ピリピリ感が嫌で使用を断りました。
痛みがあるときは、点滴(アセリオ?)かオキノームとかいう薬で対応ということでが、一時的なものということで拒むそうです。
家族として、どうしてあげたらいいか。
夜だけでも寝れるような点滴をしてもらったのですが、翌日自分自身が分からなくなるようで怖いということです。
病院側は、一生懸命対応してもらえてると
でも、苦痛はかわらないと。
どうすることが、本人が楽になるかおしえてほしい。
助けてください。
とても自分のためになるお話で勉強になりました。
親も若くはないので遠くない未来に看取ることでしょう。
その時や自分の時の多少の心の準備になりありがたく思います。
こんばんは、気が強いものです😊。死の問題と言えば夏目漱石ですね。吐血した後、臨死体験してますが、何の意識も存在しなかったと書かれてます😲。ただ、その時、漱石は本当に死んだわけではないので、死のもっと奥底は何かあるかも知れませんね。亡くなる時も認知症という憐れみがあるのだから、何か途方もない大きな愛というか慈悲に包まれて、心地よいものかも知れません😊。私は漱石の則天去私、学校で習うようなものではなく、本当の則天去私は未完の明暗以降の作品で、読者に感じて欲しかったのではと思います😊。
夏目漱石も今だったらもっともっと長生きして様々な作品を残してくれたでしょうね。現在だったら余裕で救える病気でもひと昔には致命的であったという場合もあり、色々と考えさせられます。
死についてもなかなか死ねないことだとおもいました。早く知りたかったです。母の最後を送りる時、私は何も解らず、後悔がいまだに残ってます
今度の自分の番です早めに準備をする事をまなびました。有り難うございました。
お言葉ありがとうございます。お母様の時、そうだったのですね。お役に立ったのならば幸いです。
父が危篤だと聞いて200キロ離れた場所から駆け付けました。会社からだったので移動、到着まで5時間ほどかかりましたが父は自分の到着をずっと待っていたようです。病室に入って声掛けしたら多分見えていないであろう目を精一杯見開いて震える手を伸ばしてきました。手を握り返した後、時間を置かず旅立ちました。あれから12年、近い将来、母を看取る事になりそうです。辛い話ですが知っておいて良かったと思います。有難うございました。でも両親がいなくなった後、気落ちした自分が諸々の事など責任を果たせるか不安になります。
待っていたのですね。
たいへん貴重な死にゆく人の7つの兆候とみとりのありかたについてのお話ありがとうございました。身内の者の体験をしておりますが亭主が重度にて入院なので身にしみて拝聴させていただきました。
7つの兆候と分類されることは知りませんでしたが思い当たります。最期は体温がだんだん失われていって、冷たくなっていくのが、とても悲しかったです。
コメントありがとうございます。確かにそれは見送った人が、亡くなったということを実感する変化ですよね。
亡き友達、いると思うのです。本当にそう思うのです。ところで、あの方、ジャンヌダルクさまと言った方がいいのですか?本当にアカウント名もジャンヌダルクの方がいいのでは?その方が格好いいですよ。似あってます。
改名という手もありますね😊
彼氏が癌の末期で亡くなりました
秘密の関係だから会いに行く事もできず
病院のベットからスマホでメールを送ってくれてました
亡くなる一週間前の 「あかんわ 」と4文字が最後になりました
メールするのがもうあかんのか❓
生きるのがもうあかんのか❓
真意がわかりません😭
そのようなことがあったのですね・・。メッセージ、印象深いですね。そして確かに、色々考えてしまうものと拝察します。
父が亡くなって約1ヶ月。突然のことでまだしっかりと受け止めきれていない自分がいます。動画を見ていて「父もそうだったなぁ」と思うことばかりでした。最期の時もみんなで話しかけてた言葉は届いてたんですね。この動画をみて少し心が落ち着きました。ありがとうございます。
コメントありがとうございます。お父様、そうだったのですね。届いていたと思います。
@@kanwa❤😅😢❤❤
いんちょー、今日も貴重な情報、ありがとうございます。
今考えると、癌で亡くなった父の最後の一週間はこんな感じだったと思いました。 すごく辛そうでしたが、この動画で一つ一つの意味がよくわかりました。
癌でお母さんを亡くした娘さんの話も共感してしまいました。
先生は素晴らしいお仕事をされていますね。 自分もどうやって亡くなりたいのか、考えたくないですが、考えることは重要だなと思いました。今後も応援しています📣
お父様、そうだったのですね。見守るがわは少しの変化にも驚き戸惑うことがあるので、知っておくとそれを和らげてくれることを感じています。
ら
動物、うちはインコでしたが
犬とか大きな動物もインコのような小さなペット達もそのような最後でした。
ころっと突然ではなく、(インコ🦜)徐々に弱り、目も見えづらいのか、足も弱りふらふらと壁や🦜の場合カゴにぶつかり、止まり木にもとまらずに地べたに伏せたり息が激しくハアハアとして、ゆっくりになったり、目も閉じたままだったり、どうしてあげることも出来ずでした。意識が薄れながら"息を引き取る"の言葉がぴったりです。
小さな命でも悲しい出来事でした。
そうなのです。実は動物も似通っています。生きとし生けるものは同じなのですよね。ただおそらくはそのような時にそばにいあわせることは、幾分かでも死への道をつらくないものにしてくれるのだと思います。
@@kanwa
不安がやわらぐのかも知れませんね。
動物も最後は甘えた声ですり寄って来ます。離れません😭
心細いのでしょうかね。みな、同じですね。
@@花すいせん
先生のお言葉のように、そのワンちゃんは花すいせんさんの腕の中で、心細さが安心にかわって、幸せなワンちゃんですね。
私が🐶ならそんな飼い主様が理想です。
大変勉強になり為になりました、両親を見送っています、入院していましたが虫の知らせで早くに行き間に合いました、何日も前から意識がなかったですが感謝の言葉を述べ続けていました。
第六感はすごいですね。お声、届いたのではないかと拝察します。
父は癌が肝臓に転移して数ヵ月後、亡くなりました。意識が混濁することもしばしば。身の置き所がなくなることもしばしば。最期の日、検査の結果状況がよくなかったようですが父は鎮静を望まず。でもその話を母から聞いた夕方、ちょうど夕飯の支度で忙しく、また父は何度も症状が改善していたので、話を聞いて電話を切りました。それから数時間、母から長くはないようだと連絡が。
夫が翌日仕事なこともあり悩んでいるうちに再度連絡が。呼吸が止まってしまったようでした。
なぜ夕方のうちに行ってあげなかったのか。また終末に行くことも考えていたのをやめたところだったので、行けばよかった。
父が鎮静を拒んだのは、孫にも会いたかったからではないか。
母を一人で看取らせてしまった。
父が亡くなって一ヶ月後に生まれた次男の寝るそばで動画を見て、涙が止まらなくなってしまいました。
そうだったのですね。どうしても最期の瞬間に間に合う時ばかりとは限らないのは悲しいことですよね。ただお話を伺うと、その本当に最期以外のお姿も見られていたようであり、しっかりお看取りを為さったように感じました。お看取りは点ではなく線であり、その場に居合わせられたことはお父様にとって心強かったのではないかとも存じます。
先生の、素晴らしいお話しが聞けて、本当に本当に良かったです!!感謝でいっぱいです!🙇🙏🙏🙏絶対に死は避けられないし、皆が経験する事ですし、人生最後の予習ができました!毎日悔いのないように生きる事は、大切ですね!最後は、鎮静して穏やかに逝きたいです!先生本当に有難う御座いました!🙇🙏🙏🙏🙏🙏先生にお聞きしたい事がありまして、私のネコちゃんが亡くなった時は、死ぬ瞬間凄い力で、手足をもがいてあばれて、パタっと亡くなりましたが、あの力は、何だったんだろうと今も不思議です!😭😭😭
ありがとうございます。人でも最期に動いたりすることはあるので、それと同じだったのかもしれませんね。
@@kanwa 様、素早いお返事本当に有難う御座いました!夢みたいです!先生は、きっと凄くお忙しくてお疲れと思いますのに、読んで頂けただけでも有難いのにお返事まで!感謝感激あめあられです!先生くれぐれも御身体に気を付けてゆっくり休んで下さいね!これからも、日本にとってとても大切なお人ですのでね!🙇🙏💖
高齢の両親と暮らしていると、やはり以前はできていたことができない、探し物が多くなる等々「ああ、私もいつかは通る道だよなぁ」と切ない気持ちになります。当然私も同じスピードで年老いていくわけで😅出来るだけ元気に楽しく過ごしたいものですね。
考えさせられますよね。日々楽しく、本当に大切なことだと思います。