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やたてつさん、パタパタ持ってるって凄い。自分の最寄り駅は普通(各停)しか止まらないので臨時列車はあまり馴染みは無いのですが、色んな臨時列車あってびっくり。個性的で愛おしい路線
この間南大阪線吉野行き急行に乗ったら、車内放送で上の太子に臨時停車するて聞いてみかん狩りの季節やなぁとほっこりしましたよ。
臨時停車の理由言わなくてもよさそうなのにわざわざ言うあたり「こういう観光地がありますよー」みたいなのをアピールしたかったんだろうか
言わなわからんやろ。
現在、なばなの里でイルミネーションを…なので、長島に臨時停車すんでー
阿部野橋駅のパタパタは良いですね地元なので覚えてる事を書くとつつじ号御所行急行は過去休日ダイヤの定期急行でした定期急行ですが小型愛称板付で普段は葛城高原号つつじシーズンはつつじ号冬は樹氷号臨時停車の定期急行でぼたん号と案内されていた時期があったので、阿部野橋駅と橿原神宮前駅の列車案内の設置された時期の違いでは大台号(元大台大杉号) ・ 和佐又山号も休日ダイヤの朝の定期特急に小型愛称板付大阿太臨時停車の定期特急はなし狩号冬は霧氷号とかもありました後は、桜シーズンの夕方の河内長野行き準急に、夜桜号の小型愛称板付もありました
今日のゲストであべの橋のパタパタ(本物) は、パワーワードすぎるww
両親の実家が近鉄御所なので、急行御所の案内表示を見れて良かったです。南大阪線は、沿線もカオスです。田んぼを掘り返したら1500年前の銅の鏡が出たり、私の祖父の葬儀に坊さんが3名で読経したり、時間が止まっています。地下街がない、立体駐車場がない、そんなネタは驚くに足りません(笑)
坊主3名の読経か サビのハモリはどうでした? なんまいだ なんまいだの所
@@米満勇輝 ハモっていたか否かは、お経に注目していなかった(祖父のことを思い出していた)ので、覚えていません。お寺は来迎寺という浄土宗の寺で、忍海駅と御所駅の間にあります。
今でも急行の開運号と快速急行のさくら号にはヘッドマークを装着して走っていますね。決まった時期に毎年見れるヘッドマークも、南大阪線ならではの光景ですね。
バファローズのヘッドマークがありましたね。
開運号の初乗りは、1990年初頭でしたね‼️(当時の年末年始ダイヤは、エリア版だったので、大阪エリアまで、貰いに交通費が必要だった。郵送もできたが、申し込みの郵送費も必要)2002〜2008年度までは、全線対応タイプでした。(ネットのPDFファイルでも可能だけど、バソコン無い時😭)でも開運号のダイヤは、臨時快速急行のスジと共通なので、参考になりますね❣️笑🥺😊
確かパタパタのなかで、野球観戦輸送の藤井寺行きの準急は、種別の横にバファローズのマークが付いていたはずだったような
南大阪線のことをここまで自虐的に仕上げた動画、はじめて見ました。南大阪線愛が詰まってますけどね笑。
阿部野橋パタパタがうらやましすぎる
吉野の桜以外にもこんなに特急や急行に名称が付いていたとはさすがはカオスの南大阪線…藤井寺臨時停車は今や懐かしい響きです!
当時、高校の帰りに松原であえて長野行準急を見送り、次発の藤井寺行普通に乗り、藤井寺で臨時停車の急行に乗って古市に着くと、長野行準急に追いつくので、そこから富田林方面へ、というアホなことやってました。松原から準急に乗ってた友達を驚かすのが楽しかったです。「いやいや、お前松原で乗ってなかったやん!何でここにおるねん?」って言われるのが。藤井寺停車の急行には、バッファ君のヘッドマークが貼られてましたね。その急行にはバファローズ号という愛称があったような…私の記憶違いですかね。
やっぱり南大阪線は特にカオスですね…
ここまでの詳細な検証ができるのはこのうぷ主だけだわ。
子どもの頃自宅の最寄が土師ノ里だったので阿部野橋からの帰りに臨時急行という種別の列車に乗れるのが楽しみの一つでもありました。それまでは準急か各停のみだったので、ある種の特別感みたいなものですかね。いや、懐かしいものを見せていただきありがとうございます。
葛城高原号はむしろ冬の樹氷シーズンに運行されるパターンが多かったですね。つつじ号は樹氷シーズン運転の葛城高原号があった年の運行が多いですね。ちなみに御所線直通は概ね往路が葛城高原号、復路が樹氷号、だったのですがこれは往路運行時間に富田林行き臨時急行「樹氷号」が運行されていた為です。
やたてつさんの臨時停車放送やレア放送を聞いて、いつも楽しんでおります!!なかなか周りに停車駅好きの人がいないのであんまり言えないのですが、古市〜尺土間では、駒ヶ谷、上ノ太子、二上神社口、当麻寺と、6駅中4駅が急行の臨時停車駅に含まれていて、かなり最近までそれが行われていたと思うと、なかなかにアツいですよね…笑
あの区間は日本でも有数の臨時停車駅密度(?)を誇る区間だと思います。実はあべの橋駅の放送には、今も「駒ヶ谷」含めて臨時停車関連の放送が残ってはいるんですよね。いつかどうがで取り上げます。
@@SubYata 返信ありがとうございます!!楽しみしてます〜!!!
奈良への観光客様と生駒の上級市民様が乗る快速急行には東大阪市民は絶対に乗せん!という強い意志を感じる奈良線もぜひお願いします
すごくよく出来ててオモロいです
特急高見山号って…かのハワイ出身の力士の高見山を想像してしまった。
高見山への観光輸送が早期に消えたのは冬季運転の臨時バス「霧氷号」が上市駅発着から榛原駅発着に変更されたからです。
元土師ノ里民ですが、本当南大阪線はカオスです
吉野神宮ゆきの臨時特急なし狩り号というのもあって自分が乗ったときは終点の吉野神宮では吉野行きホームの裏にある留置線に入線し扉を1ヶ所だけ開けて客を下車させていた。
あべの橋から8両で来た列車が尺土で4+2+2になって前4両が橿原神宮前行き、中央2両が先発の御所行き、後ろ2両が後発の御所行きとかしてたもんな10年ぐらい前の話だから、もう無いだろうけど
さすがにその運転は残っていませんね。自分が購入したあべの橋のパタパタには、それ用と思われる案内が残っていました↓「尺土で後4両切り離し、切り離した前2両は御所行きになります」
懐かしい放送とパタパタが多数・・・小学生くらいの頃に「ナニコレいつ使うねん」だらけだったのを思い出しましたちょろっと映った時刻表の備考欄にこそ南大阪線の真骨頂が詰まってる感じが・・・
ぼたん輸送は大阪線にもあり、急行(快急・区間快急が停まっていたかどうかは記憶ありません)が長谷寺に臨時停車していましたが、現在は正式に急行停車駅になりましたね。また行楽期に「高速伊勢志摩号」というのがあり、車両は一般用ながら特急並に停車駅を絞った列車でしたが、東青山に停車していました。
長谷寺臨時停車、ありましたね~。
長谷寺臨時停車の快急は90年代まであった行楽シーズンの臨時列車(大阪上本町~鳥羽)で存在した。大阪上本町~名張や大和八木~名古屋の臨時急行もあった
@@森田和也-f1i へえ〜。
名古屋線急行では、霞ヶ浦(四日市競輪場),鼓ヶ浦(海水浴場),高田本山(専修寺関連)での臨時停車が、ありました。(千代崎駅は、毎年恒例の1月のセンター試験→大学共通テストによる臨時停車があります。)2024年4月20、21日には、近鉄鉄道まつりでの臨時列車での、急行運転(貸切 扱い。四日市↔白塚。途中停車駅塩浜のみ。白子,伊勢若松駅は、通過。)という列車が、運転されました。🏮👘✨
二上神社口と当麻寺は、沿線小学校の遠足下車駅だからなぁw「どんずるぼう」ね。
懐かしい!
ちょうど風邪をひいてしまってこの遠足に行けなかったのを思い出したわ。By 道明寺小学校卒業土師ノ里民
昭和末期の正月に開運号に乗った記憶が甦り、ああそう言えばあれって臨時急行なのになんで土師ノ里に停まってたんかなぁと思ったのですが、今日のカオス解説聞いて納得しましたwwwあと親戚が御所にいたので臨時急行御所行きは便利でしたねぇ
「臨時急行」時代に実際に乗車されたというのは、貴重な体験でしたね! 現存しない設定だけにうらやましいです
6:45 行先「吉野神宮」になっていることにツッコミがない。
さすが南大阪線!いつ見ても異常だった。昔から変わってないな
名鉄のカオスダイヤと南大阪線のダイヤはいい勝負です。
近鉄はひのとりとしまかぜに至るまで、列車には基本愛称をつけない列車番号をつける方針だったけど(昭和30年代にはかつらぎやおわりなどがあったようですが)例外はこれでしたかねえ
学生の時の最寄駅は道明寺でした。今思えば終点まで乗ったりして楽しめばよかったと後悔しています。
なんか京王に似てるね公営ギャンブル輸送のとことか
コロナ禍前は大和川まで散歩へ行く途中、住道矢田をよく通ったなぁ…じゃなくて。だから~、桜の時期も終わり、何の催しもない上に雨まで降っていた土曜日、確かにさくらライナーは空気輸送だったけれど、青の交響曲は結構乗車率は高かったよ。販売カウンターにも列ができて商品もよく売れていたし、そういう意味での観光需要はある程度あるよ。
藤井寺野球開催は懐かしい。高校野球の大阪府決勝戦も藤井寺球場でしたね。
1989年のプロ野球パ・リーグ「10・14」で近鉄が優勝を決めたのは藤井寺でのダイエー戦でしたね。この年のパ・リーグは前年に続いて近鉄が絡んだ大混戦になり、終盤から日本シリーズにかけては運賃収入も弾んだことでしょう。しかし、近鉄が先に3連勝しながら4連敗して日本一を逃したのも藤井寺。あれは痛恨でした😢
野球で藤井寺臨時停車の時は、パタパタに「バファローズ号」と岡本太郎氏の牛マークが書かれていた覚えが。
「バファローズ号」という文字入りのパタパタは見たことがありませんが、バファローズのマーク入りパタパタは、あべの橋駅の3番線?限定で設置されていましたね。手に入れたい廃品の1つです。
20年ほど前だったか、一時期河内松原に停車するさくらライナーとかもありましたね
南大阪線は沼ですね
先日の大阪阿部野橋~御所間運転の臨時急行に乗りに行った際に御所駅の発車標(パタパタ式)を確認したのですが単なる「急行」と表示される一方でディスプレイ式だと「葛城高原号」の表示がありました柔軟性のあるディスプレイ式(車両側のLED式)ならこの手の案内もやりやすいので、再興したら面白いのにと思ったりもします
尺土に16年住んでますが、開運号、さくら号、葛城高原号しか見たことありません。
90年代の藤井寺を少年時代に過ごした僕は藤井寺球場にて試合がある日は特別で好きでした。急行が止まってくれるから笑
大昔ですがヘッドマーク出して、滝谷不動号、葛城高原号、二十世紀号ですね、バッファローズ号。今はさくら号と開運号かな…
まともな観光地、橿原神宮前とPL花火だけじゃねww
古市まで準急、古市から急行www
音源が昭和感あって好きです
ボタン輸送=ボタン(服のやつ)、ボタン(押すやつ)ボタン(花)かな?
もっと調べてみたら藤井寺と大阿太臨時停車の吉野行快急 藤井寺と二上神社口と当麻寺3駅臨時停車の吉野行急行 藤井寺行臨時準急(途中停車駅河内松原だけ)があった。なお藤井寺行臨時快急は吉野始発で臨時区急は橿原神宮前始発であったらしい。吉野神宮行臨時特急や終夜運転の下市口行特急とか実際あったのか怪しい吉野駅のパタパタに大阿太臨時停車と当麻寺と二上神社口臨時停車の快急が更新されて残っている(流石に藤井寺は消えていた)
特急下市口は定期の設定になりました。
その異常路線で育ったんだが………😅
見えないけど似たようなパタパタが多いな~って感じてたのは、そういうことやったのか。
まさかの消滅した2月11日に運転されたあべのー橿原神宮前の建国号
結論;狭軌線区、”CHAOS”
まぁ南大阪線は辺鄙な所を走っているからヘンなことが多い。
愛称付き列車でかもしか号 ありました
PL花火大会の日に臨時列車は運行されなかったのかな?
臨時列車というより特別ダイヤを編成して富田林発着の準急を多く設定して長い編成にして対応。替わりに早朝しかない河内長野発着の普通が走ったり普段と全く異なるダイヤに本数は少ないものの南海高野線も臨時準急(通常ない河内長野行があった年も)を走らせている
やたてつさん、パタパタ持ってるって凄い。自分の最寄り駅は普通(各停)しか止まらないので臨時列車はあまり馴染みは無いのですが、色んな臨時列車あってびっくり。個性的で愛おしい路線
この間南大阪線吉野行き急行に乗ったら、車内放送で上の太子に臨時停車するて聞いてみかん狩りの季節やなぁとほっこりしましたよ。
臨時停車の理由言わなくてもよさそうなのにわざわざ言うあたり「こういう観光地がありますよー」みたいなのをアピールしたかったんだろうか
言わなわからんやろ。
現在、なばなの里でイルミネーションを…なので、長島に臨時停車すんでー
阿部野橋駅のパタパタは良いですね
地元なので覚えてる事を書くと
つつじ号
御所行急行は過去休日ダイヤの定期急行でした
定期急行ですが小型愛称板付で
普段は葛城高原号
つつじシーズンはつつじ号
冬は樹氷号
臨時停車の定期急行でぼたん号と案内されていた時期があったので、
阿部野橋駅と橿原神宮前駅の列車案内の設置された時期の違いでは
大台号(元大台大杉号) ・ 和佐又山号も
休日ダイヤの朝の定期特急に小型愛称板付
大阿太臨時停車の定期特急はなし狩号
冬は霧氷号とかもありました
後は、
桜シーズンの夕方の河内長野行き準急に、
夜桜号の小型愛称板付もありました
今日のゲストであべの橋のパタパタ(本物) は、パワーワードすぎるww
両親の実家が近鉄御所なので、急行御所の案内表示を見れて良かったです。
南大阪線は、沿線もカオスです。田んぼを掘り返したら1500年前の銅の鏡が出たり、私の祖父の葬儀に坊さんが3名で読経したり、時間が止まっています。地下街がない、立体駐車場がない、そんなネタは驚くに足りません(笑)
坊主3名の読経か サビのハモリはどうでした? なんまいだ なんまいだの所
@@米満勇輝
ハモっていたか否かは、お経に注目していなかった(祖父のことを思い出していた)ので、覚えていません。お寺は来迎寺という浄土宗の寺で、忍海駅と御所駅の間にあります。
今でも急行の開運号と快速急行のさくら号にはヘッドマークを装着して走っていますね。
決まった時期に毎年見れるヘッドマークも、南大阪線ならではの光景ですね。
バファローズのヘッドマークがありましたね。
開運号の初乗りは、1990年初頭でしたね‼️(当時の年末年始ダイヤは、エリア版だったので、大阪エリアまで、貰いに交通費が必要だった。郵送もできたが、申し込みの郵送費も必要)
2002〜2008年度までは、全線対応タイプでした。(ネットのPDFファイルでも可能だけど、バソコン無い時😭)
でも開運号のダイヤは、臨時快速急行のスジと共通なので、参考になりますね❣️笑🥺😊
確かパタパタのなかで、野球観戦輸送の藤井寺行きの準急は、種別の横にバファローズのマークが付いていたはずだったような
南大阪線のことをここまで自虐的に仕上げた動画、はじめて見ました。南大阪線愛が詰まってますけどね笑。
阿部野橋パタパタがうらやましすぎる
吉野の桜以外にもこんなに特急や急行に名称が
付いていたとはさすがはカオスの南大阪線…
藤井寺臨時停車は今や懐かしい響きです!
当時、高校の帰りに松原であえて長野行準急を見送り、次発の藤井寺行普通に乗り、藤井寺で臨時停車の急行に乗って古市に着くと、長野行準急に追いつくので、そこから富田林方面へ、というアホなことやってました。
松原から準急に乗ってた友達を驚かすのが楽しかったです。「いやいや、お前松原で乗ってなかったやん!何でここにおるねん?」って言われるのが。
藤井寺停車の急行には、バッファ君のヘッドマークが貼られてましたね。
その急行にはバファローズ号という愛称があったような…私の記憶違いですかね。
やっぱり南大阪線は特にカオスですね…
ここまでの詳細な検証ができるのはこのうぷ主だけだわ。
子どもの頃自宅の最寄が土師ノ里だったので阿部野橋からの帰りに臨時急行という種別の列車に乗れるのが楽しみの一つでもありました。それまでは準急か各停のみだったので、ある種の特別感みたいなものですかね。
いや、懐かしいものを見せていただきありがとうございます。
葛城高原号はむしろ冬の樹氷シーズンに運行されるパターンが多かったですね。つつじ号は樹氷シーズン運転の葛城高原号があった年の運行が多いですね。
ちなみに御所線直通は概ね往路が葛城高原号、復路が樹氷号、だったのですが
これは往路運行時間に富田林行き臨時急行「樹氷号」が運行されていた為です。
やたてつさんの臨時停車放送やレア放送を聞いて、いつも楽しんでおります!!
なかなか周りに停車駅好きの人がいないのであんまり言えないのですが、古市〜尺土間では、駒ヶ谷、上ノ太子、二上神社口、当麻寺と、6駅中4駅が急行の臨時停車駅に含まれていて、かなり最近までそれが行われていたと思うと、なかなかにアツいですよね…笑
あの区間は日本でも有数の臨時停車駅密度(?)を誇る区間だと思います。実はあべの橋駅の放送には、今も「駒ヶ谷」含めて臨時停車関連の放送が残ってはいるんですよね。いつかどうがで取り上げます。
@@SubYata 返信ありがとうございます!!
楽しみしてます〜!!!
奈良への観光客様と生駒の上級市民様が乗る快速急行には東大阪市民は絶対に乗せん!という強い意志を感じる奈良線もぜひお願いします
すごくよく出来ててオモロいです
特急高見山号って…かのハワイ出身の力士の高見山を想像してしまった。
高見山への観光輸送が早期に消えたのは
冬季運転の臨時バス「霧氷号」が上市駅発着から榛原駅発着に変更されたからです。
元土師ノ里民ですが、本当南大阪線はカオスです
吉野神宮ゆきの臨時特急なし狩り号というのもあって自分が乗ったときは終点の吉野神宮では吉野行きホームの裏にある留置線に入線し扉を1ヶ所だけ開けて客を下車させていた。
あべの橋から8両で来た列車が尺土で4+2+2になって前4両が橿原神宮前行き、中央2両が先発の御所行き、後ろ2両が後発の御所行きとかしてたもんな
10年ぐらい前の話だから、もう無いだろうけど
さすがにその運転は残っていませんね。自分が購入したあべの橋のパタパタには、それ用と思われる案内が残っていました↓
「尺土で後4両切り離し、切り離した前2両は御所行きになります」
懐かしい放送とパタパタが多数・・・
小学生くらいの頃に「ナニコレいつ使うねん」だらけだったのを思い出しました
ちょろっと映った時刻表の備考欄にこそ南大阪線の真骨頂が詰まってる感じが・・・
ぼたん輸送は大阪線にもあり、急行(快急・区間快急が停まっていたかどうかは記憶ありません)が長谷寺に臨時停車していましたが、現在は正式に急行停車駅になりましたね。また行楽期に「高速伊勢志摩号」というのがあり、車両は一般用ながら特急並に停車駅を絞った列車でしたが、東青山に停車していました。
長谷寺臨時停車、ありましたね~。
長谷寺臨時停車の快急は90年代まであった行楽シーズンの臨時列車(大阪上本町~鳥羽)で存在した。大阪上本町~名張や大和八木~名古屋の臨時急行もあった
@@森田和也-f1i へえ〜。
名古屋線急行では、霞ヶ浦(四日市競輪場),鼓ヶ浦(海水浴場),高田本山(専修寺関連)での臨時停車が、ありました。(千代崎駅は、毎年恒例の1月のセンター試験→大学共通テストによる臨時停車があります。)
2024年4月20、21日には、近鉄鉄道まつりでの臨時列車での、急行運転(貸切 扱い。四日市↔白塚。途中停車駅塩浜のみ。白子,伊勢若松駅は、通過。)という列車が、運転されました。🏮👘✨
二上神社口と当麻寺は、沿線小学校の遠足下車駅だからなぁw
「どんずるぼう」ね。
懐かしい!
ちょうど風邪をひいてしまってこの遠足に行けなかったのを思い出したわ。
By 道明寺小学校卒業
土師ノ里民
昭和末期の正月に開運号に乗った記憶が甦り、ああそう言えばあれって臨時急行なのになんで土師ノ里に停まってたんかなぁと思ったのですが、今日のカオス解説聞いて納得しましたwww
あと親戚が御所にいたので臨時急行御所行きは便利でしたねぇ
「臨時急行」時代に実際に乗車されたというのは、貴重な体験でしたね! 現存しない設定だけにうらやましいです
6:45 行先「吉野神宮」になっていることにツッコミがない。
さすが南大阪線!いつ見ても異常だった。昔から変わってないな
名鉄のカオスダイヤと南大阪線のダイヤはいい勝負です。
近鉄はひのとりとしまかぜに至るまで、列車には基本愛称をつけない列車番号をつける方針だったけど
(昭和30年代にはかつらぎやおわりなどがあったようですが)
例外はこれでしたかねえ
学生の時の最寄駅は道明寺でした。今思えば終点まで乗ったりして楽しめばよかったと後悔しています。
なんか京王に似てるね
公営ギャンブル輸送のとことか
コロナ禍前は大和川まで散歩へ行く途中、住道矢田をよく通ったなぁ…じゃなくて。
だから~、桜の時期も終わり、何の催しもない上に雨まで降っていた土曜日、確かにさくらライナーは空気輸送だったけれど、青の交響曲は結構乗車率は高かったよ。
販売カウンターにも列ができて商品もよく売れていたし、そういう意味での観光需要はある程度あるよ。
藤井寺野球開催は懐かしい。
高校野球の大阪府決勝戦も藤井寺球場でしたね。
1989年のプロ野球パ・リーグ「10・14」で近鉄が優勝を決めたのは藤井寺でのダイエー戦でしたね。この年のパ・リーグは前年に続いて近鉄が絡んだ大混戦になり、終盤から日本シリーズにかけては運賃収入も弾んだことでしょう。しかし、近鉄が先に3連勝しながら4連敗して日本一を逃したのも藤井寺。あれは痛恨でした😢
野球で藤井寺臨時停車の時は、パタパタに「バファローズ号」と岡本太郎氏の牛マークが書かれていた覚えが。
「バファローズ号」という文字入りのパタパタは見たことがありませんが、バファローズのマーク入りパタパタは、あべの橋駅の3番線?限定で設置されていましたね。手に入れたい廃品の1つです。
20年ほど前だったか、一時期河内松原に停車するさくらライナーとかもありましたね
南大阪線は沼ですね
先日の大阪阿部野橋~御所間運転の臨時急行に乗りに行った際に御所駅の発車標(パタパタ式)
を確認したのですが単なる「急行」と表示される一方でディスプレイ式だと「葛城高原号」の表示がありました
柔軟性のあるディスプレイ式(車両側のLED式)ならこの手の案内もやりやすいので、再興したら面白いのにと思ったりもします
尺土に16年住んでますが、開運号、さくら号、葛城高原号しか見たことありません。
90年代の藤井寺を少年時代に過ごした僕は藤井寺球場にて試合がある日は特別で好きでした。
急行が止まってくれるから笑
大昔ですがヘッドマーク出して、滝谷不動号、葛城高原号、二十世紀号ですね、バッファローズ号。今はさくら号と開運号かな…
まともな観光地、橿原神宮前とPL花火だけじゃねww
古市まで準急、古市から急行www
音源が昭和感あって好きです
ボタン輸送=ボタン(服のやつ)、ボタン(押すやつ)ボタン(花)かな?
もっと調べてみたら藤井寺と大阿太臨時停車の吉野行快急 藤井寺と二上神社口と当麻寺3駅臨時停車の吉野行急行 藤井寺行臨時準急(途中停車駅河内松原だけ)があった。なお藤井寺行臨時快急は吉野始発で臨時区急は橿原神宮前始発であったらしい。吉野神宮行臨時特急や終夜運転の下市口行特急とか実際あったのか怪しい
吉野駅のパタパタに大阿太臨時停車と当麻寺と二上神社口臨時停車の快急が更新されて残っている(流石に藤井寺は消えていた)
特急下市口は定期の設定になりました。
その異常路線で育ったんだが………😅
見えないけど似たようなパタパタが多いな~
って感じてたのは、そういうことやったのか。
まさかの消滅した2月11日に運転されたあべのー橿原神宮前の建国号
結論;狭軌線区、”CHAOS”
まぁ南大阪線は辺鄙な所を走っているからヘンなことが多い。
愛称付き列車で
かもしか号 ありました
PL花火大会の日に臨時列車は運行されなかったのかな?
臨時列車というより特別ダイヤを編成して富田林発着の準急を多く設定して長い編成にして対応。替わりに早朝しかない河内長野発着の普通が走ったり普段と全く異なるダイヤに
本数は少ないものの南海高野線も臨時準急(通常ない河内長野行があった年も)を走らせている