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大久保「西郷を視察してくれ」西郷シンパ「大変だ!せごどんが刺殺される!みんなでせごどんを守るんじゃ!」→監禁
同音異義語…
時代に追い詰められた不平士族の蜂起って書くと、大阪の陣も西南戦争も変わらんな…。西郷どんは武人だった方だなぁと言う印象です…良くも悪くもですが。
個人的に西郷さんは思ったことを素直に言うお人好しってイメージ大久保は思ったことを言うけどそれはそれとして仕事できるタイプやと思う
大人物だったのはガチっぽいけどな。明治の偉人の評価って実際会った人が多い同時代人の評価でも結構割れる人が多い(つーか殆どの偉人が手放しで評価される例はほぼ無い)中で、西郷隆盛だけは大体凄かった優秀だった大人物だったって殆ど手放しで賞賛してるからな、全く空気も読まないし配慮ゼロで滅茶苦茶口の悪いあの福沢諭吉でさえ滅茶苦茶褒めてるし相当な大人物なのは確かっぽいけどな。
西郷隆盛の背中を追い、仕事を横で見ていた従兄弟の大山巌は後に大出世してますし。最後は陸軍の事実上トップである満州軍総司令官にもなってます。
大村益次郎は西郷をまったく評価しなかったらしい
@@sencha77さん 批評のしようがなかったんでしょうね。大村は軍事は天才でも政治はまるでわからなかったらしいです。第二次の長州征伐のあと江戸まで進むためにかかる時間を「最低5年」と軍事面のみで評価して政治という要素はまるで考慮しませんでしたから。
狡兎死して走狗煮られ、高鳥尽きて良弓は蔵さる。
西郷隆盛が政権をとった1871~1873こそ明治維新の真髄だった
西郷がなんでこんなに持ち上げられるのか分からないよね。西郷好きってやつもぐりだと思ってる
器と決断力と行動力の権化なんやろな
西郷がここまで言われる2chってなんなんや
最低限の知識もない奴らが三流陰謀本をベースに貶めてるだけの醜いスレ
俺の先祖が西南戦争で死んだ名のある薩摩の武士だったらしくて西郷隆盛には割と親近感があるんだけど、聖人だとは全く思わん
好き嫌いがハッキリしていて狭量
高杉も西郷も革命家の武闘派で、結局明治の世では活躍の場は限られたでしょう。足利尊氏兄弟のように、カリスマ、武力に秀でた西郷と政治、謀略に秀でた大久保の名コンビで上手く薩摩を討幕の雄にしましたが、明治の世では西郷はもう半ば不用な存在になりかけていました。西郷自身はそれを察知し身を引きましたが、薩摩士族を見捨てて隠居できるような非情さがなかった事が薩摩士族の自滅に自ら身を任せたのだと思います。ちなみにこういう話で刀を舐めた意見がよく出ますが、今も銃剣による近接戦闘があるように銃撃のみで決着がつくわけではなく、山岳戦や市街地戦でもかなり必要な戦術ですよ。後西郷は自身の病とかつて共に氏のうとして月照という僧と入水し、自分だけ生き残ってしまった負い目を背負って生きてきましたから、ある意味常に氏ぬ覚悟はできていたのかもしれませんね。
月照僧の死もそうですが戦争で弟が戦死してますし、明治になってからはどこか死に場所を探している様なイメージですね。
戦争が上手いわけではないし、未来を見通す能力もない。個人的なイメージは斉彬の側近だったという経歴もあって、薩摩教の教祖にされたというイメージ。
子孫の一人やけどワイの代で分家一つ滅亡やすまんなジッジ
まさか子孫から弱者男性が出るなんて思ってもないやろなぁ
ちなみに西郷は確かに情愛溢れる人物でしたが、討幕戦争に関しては冷酷非情な決断を結構しています。江戸を混乱に陥れて幕府側を挑発し開戦したり、赤報隊を濡れ衣で始末したのも西郷です。とはいえ最早大勢は決した後は庄内藩に寛大な処分をするなどしてますし、その時期は敢えて必要と考えて無理に厳しくしていたのかもしれません。後江戸開城は勝や山岡の誠意に打たれたのもなくは無いでしょうが、勝が開戦した場合のあらゆる抵抗手段をちらつかせ、その場合の自軍及び江戸の再建の費用、更にイギリスの反対を押し切ってまで慶喜を討つべく戦うのかを天秤にかけた冷静な判断であり、情だけでは西郷は納得しても総督府全体を納得させれなかったでしょうね。
庄内藩に寛大な処分って言っても、庄内藩を怒らせた張本人やん
高杉晋作の方が好き
木戸さんの方が好き
若い私学校生達の聞き間違いで政府と戦争起こしてしまった人だよなぁ。本人は政府と戦争する気無かったはずだけど教え子が暴発してしゃあないか上京するでって感じ。
結局、何をした人かようわからん(笑)
西郷さんが私利私欲?嘘は大概にせえよ。死後、西郷家に莫大な借金が残ったのは、士族や農民支援に家族そっちのけで自腹切ってたから。家族より赤の他人を優先するのはなんだかなぁ・・・とは思うものの、南州翁と慕われるだけのことはある。
時勢という悍馬に騎乗したまま…
走りすぎて周りが見えず崖から転落したの間違いでは?(自業自得の側面が...)
@@55tg 「時勢という悍馬には手綱がないのが特徴だ時勢そのものがくたびれ切ってしまうまでその暴走をやめない」ということなのかもしれない
大久保「西郷を視察してくれ」
西郷シンパ「大変だ!せごどんが刺殺される!みんなでせごどんを守るんじゃ!」
→監禁
同音異義語…
時代に追い詰められた不平士族の蜂起って書くと、大阪の陣も西南戦争も変わらんな…。西郷どんは武人だった方だなぁと言う印象です…良くも悪くもですが。
個人的に西郷さんは思ったことを素直に言うお人好しってイメージ
大久保は思ったことを言うけどそれはそれとして仕事できるタイプやと思う
大人物だったのはガチっぽいけどな。
明治の偉人の評価って実際会った人が多い同時代人の評価でも結構割れる人が多い(つーか殆どの偉人が手放しで評価される例はほぼ無い)中で、西郷隆盛だけは大体凄かった優秀だった大人物だったって殆ど手放しで賞賛してるからな、全く空気も読まないし配慮ゼロで滅茶苦茶口の悪いあの福沢諭吉でさえ滅茶苦茶褒めてるし相当な大人物なのは確かっぽいけどな。
西郷隆盛の背中を追い、仕事を横で見ていた従兄弟の大山巌は後に大出世してますし。最後は陸軍の事実上トップである満州軍総司令官にもなってます。
大村益次郎は西郷をまったく評価しなかったらしい
@@sencha77さん 批評のしようがなかったんでしょうね。大村は軍事は天才でも政治はまるでわからなかったらしいです。第二次の長州征伐のあと江戸まで進むためにかかる時間を「最低5年」と軍事面のみで評価して政治という要素はまるで考慮しませんでしたから。
狡兎死して走狗煮られ、高鳥尽きて良弓は蔵さる。
西郷隆盛が政権をとった1871~1873こそ明治維新の真髄だった
西郷がなんでこんなに持ち上げられるのか分からないよね。西郷好きってやつもぐりだと思ってる
器と決断力と行動力の権化なんやろな
西郷がここまで言われる2chってなんなんや
最低限の知識もない奴らが三流陰謀本をベースに貶めてるだけの醜いスレ
俺の先祖が西南戦争で死んだ名のある薩摩の武士だったらしくて西郷隆盛には割と親近感があるんだけど、聖人だとは全く思わん
好き嫌いがハッキリしていて
狭量
高杉も西郷も革命家の武闘派で、結局明治の世では活躍の場は限られたでしょう。
足利尊氏兄弟のように、カリスマ、武力に秀でた西郷と政治、謀略に秀でた大久保の名コンビで上手く薩摩を討幕の雄にしましたが、明治の世では西郷はもう半ば不用な存在になりかけていました。
西郷自身はそれを察知し身を引きましたが、薩摩士族を見捨てて隠居できるような非情さがなかった事が薩摩士族の自滅に自ら身を任せたのだと思います。
ちなみにこういう話で刀を舐めた意見がよく出ますが、今も銃剣による近接戦闘があるように銃撃のみで決着がつくわけではなく、山岳戦や市街地戦でもかなり必要な戦術ですよ。
後西郷は自身の病とかつて共に氏のうとして月照という僧と入水し、自分だけ生き残ってしまった負い目を背負って生きてきましたから、ある意味常に氏ぬ覚悟はできていたのかもしれませんね。
月照僧の死もそうですが戦争で弟が戦死してますし、明治になってからはどこか死に場所を探している様なイメージですね。
戦争が上手いわけではないし、未来を見通す能力もない。個人的なイメージは斉彬の側近だったという経歴もあって、薩摩教の教祖にされたというイメージ。
子孫の一人やけど
ワイの代で分家一つ滅亡や
すまんなジッジ
まさか子孫から弱者男性が出るなんて思ってもないやろなぁ
ちなみに西郷は確かに情愛溢れる人物でしたが、討幕戦争に関しては冷酷非情な決断を結構しています。
江戸を混乱に陥れて幕府側を挑発し開戦したり、赤報隊を濡れ衣で始末したのも西郷です。
とはいえ最早大勢は決した後は庄内藩に寛大な処分をするなどしてますし、その時期は敢えて必要と考えて無理に厳しくしていたのかもしれません。
後江戸開城は勝や山岡の誠意に打たれたのもなくは無いでしょうが、勝が開戦した場合のあらゆる抵抗手段をちらつかせ、その場合の自軍及び江戸の再建の費用、更にイギリスの反対を押し切ってまで慶喜を討つべく戦うのかを天秤にかけた冷静な判断であり、情だけでは西郷は納得しても総督府全体を納得させれなかったでしょうね。
庄内藩に寛大な処分って言っても、庄内藩を怒らせた張本人やん
高杉晋作の方が好き
木戸さんの方が好き
若い私学校生達の聞き間違いで政府と戦争起こしてしまった人だよなぁ。
本人は政府と戦争する気無かったはずだけど教え子が
暴発してしゃあないか上京するでって感じ。
結局、何をした人かようわからん(笑)
西郷さんが私利私欲?嘘は大概にせえよ。
死後、西郷家に莫大な借金が残ったのは、士族や農民支援に家族そっちのけで自腹切ってたから。
家族より赤の他人を優先するのはなんだかなぁ・・・とは思うものの、南州翁と慕われるだけのことはある。
時勢という悍馬に騎乗したまま…
走りすぎて周りが見えず崖から転落したの間違いでは?(自業自得の側面が...)
@@55tg 「時勢という悍馬には手綱がないのが特徴だ
時勢そのものがくたびれ切ってしまうまでその暴走をやめない」
ということなのかもしれない