【戦国時代】宇都宮氏の戦い〜関東屈指の名門はなぜ滅亡したのか【栃木県の歴史】
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- เผยแพร่เมื่อ 10 ก.ค. 2024
- 今回特集するのは、戦国時代の宇都宮氏。主に下野国(現在の栃木県)を支配していた勢力です。
摂関家、藤原道兼の子孫を自認し、有力御家人として鎌倉幕府にも大きく貢献。
そんな超名門といえる宇都宮氏ですが、一体なぜ、戦国時代に滅亡してしまったのでしょうか?
◆目次
00:00 はじめに
00:26 宇都宮氏と享徳の乱
01:23 宇都宮錯乱
02:49 早乙女坂の戦い〜宇都宮広綱の登場
05:03 東方之衆の成立
06:42 宇都宮氏滅亡
◆主要参考文献
江田 郁夫『戦国大名宇都宮氏と家中』岩田選書
江田 郁夫『中世宇都宮氏 (戎光祥中世史論集9) 』戎光祥出版
江田 郁夫『下野宇都宮氏』岩田選書
黒田基樹 編『戦国武将列伝 2 関東編【上】』戎光祥出版
黒田基樹 編『戦国武将列伝 3 関東編【下】』戎光祥出版
黒田基樹 編『古河公方の新研究 第2巻 足利高基・晴氏』戎光祥出版 - บันเทิง
宇都宮、壬生、小山、佐野、芳賀、那須、塩谷・・・今もみんな地名に名前が残ってるのがすごいですね。
コメントありがとうございます!
他にも多功や大田原だったり本当に多いですね!
下野は戦国時代においても地名を名字とする伝統的な領主が多く見られますね^ ^
戦国の世をしぶとく生き残ったのに、最後は天下人の部下の抗争に巻き込まれて滅亡か…何とも切ないですね。
コメントありがとうございます!
同時期の他事例と比較しても、宇都宮氏の処分はやはり理不尽な印象が強いですね…
大名としては滅亡したわけだけども、辛うじてその命脈を保つことはでき、江戸時代は水戸徳川家の家老として家名を維持します。
宇都宮に多賀谷に伊達(国分)等々、江戸時代の秋田藩佐竹氏家中は何気に関東、東北の名家がちらほら
コメントありがとうございます!
真壁も秋田に移っていますし多いですね!
佐竹家中の宇都宮氏は宗家ではなく、結城朝勝の系譜ですね。国綱の弟・結城朝勝の娘が真壁氏から婿を取って宇都宮を名乗り始めたのです。
上三川町に上蒲生という地名がありますよね 蒲生氏と関係あるのかも
コメントありがとうございます!
興味深いですね!実際の由来は蒲生氏とは別のようですが気になります!
公家を軒並み没落させた秀吉にとっては超名門宇都宮家すら歯牙にかけるまでもない相手だったんだろうか
コメントありがとうございます!
実際に秀吉は宇都宮氏をどう考えていたのか気になりますね〜 再興の動きもあったようですが…>_
秀吉は武家名門の源平の子孫系は優遇し、藤原系はつぶす、一方、秀次は貴族とのつながりをもつのに積極的だった印象がある。
秀次が切腹してなかったら、宇都宮も生き残る道はあったのかも。
秀吉は関白になる瞬間は摂関家を利用したが、豊臣を下賜されて、豊臣家で世襲する正当性を得たら、藤原は邪魔になったんでは?
ただ結果論として、秀次粛清する時に秀次正室の実家まで連座で処罰して、朝廷を敵に回してしまったのはよくなかった。
結局秀頼が関白になることはなく、いわば朝廷が家康についてしまった結果、豊臣家は摂関家と切り離され、官位の上でも徳川が上回り、名実ともに天下人ではなくなり、天下様の家康に討伐される運命をたどる。
現在、筑西市の下館 筑西市中館、上館はなんと現在の真岡市久下田だそうですよ😮
関東奥羽諸侯に対して、四国九州とは異なる厳しく冷たい対応の豊臣政権は本当に嫌い。宇都宮は残って欲しかった。
コメントありがとうございます!
残っていたとしたら、関ヶ原ではやはり三成方ですかね…!
でも宇都宮を火の海にした後北条はもっと嫌い。
たかだか南関東押さえたくらいで関東の覇者顔してるの片腹痛いわ
平将門を倒した藤原秀郷。
コメントありがとうございます!
秀郷をルーツとする佐野氏や皆川氏もいずれ特集したいと思います^ ^
その御方は栃木の一番ヤバい人筆頭じゃん!
宇都宮氏が滅亡した原因。
某赤い彗星「……坊やだからさ」
結局、最後の当主国綱はどこかの大名に預けられたのか、それとも(北条氏直のように)領国から追放されたのでしょうか?
どちらにしても今日、栃木県の県庁所在地として名を残す大名にまったくふさわしくない最期ですね。
コメントありがとうございます!
国綱は結局宇喜多氏に預けられたみたいですね!
結果的に宇都宮は現在県庁所在地になりましたが元々は栃木市が県庁でした。政令指定都市の千葉の千葉氏だって北条傘下だったために小田原の陣で滅亡ですので似たり寄ったりです。
浅野長政が悪い世~浅野長政が!!
コメントありがとうございます!
東国の大名みんなの意見を聞いてみたいです!笑
主様が栃木県民なのかなww
小山氏とか下野注力ですね!
コメントありがとうございます!
関東在住ですが栃木ではありませんww
佐野や那須もやりたいので悩ましいです笑
豊臣政権は『取次の競合』が起きるから食い合いを起こしたのが奥羽仕置然り関東の処理然りって感じするし取次ガチャが凄い…
上杉・佐竹・津軽は石田が窓口だから順風満帆、南部と最上は領土割られて泣き寝入り(利家や家康窓口)、伊達は宇都宮の改易を見て浅野と絶交して家康に切り替え、里見は増田長盛を取次にしてたのに上総下総領没収。そして北条は富田と津田ら二人の職務不全で意思疎通が図れず上洛時期の認識が北条と豊臣で1ヶ月ズレてしまって…
コメントありがとうございます!
まさに取次ガチャですね!笑 そう考えると伊達政宗の立ち回りの上手さが際立ちます!
大雑把に歴史を見ると宇都宮方面は蚊帳の外みたいなイメージあるよね。
やべー相手に逆らわず臣従してたからなのかな。
目立ったドンパチって戊辰戦争くらい?
平安時代はどうだったかな。
コメントありがとうございます!
確かに治承・寿永の乱でも、隣国常陸に比べると宇都宮方面は控えめですね!