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褒める・叱るの二元論ではなくて、子ども時代、新人の今を思うと、叱る(注意)も褒めるもしてほしくて、それは「あなたのことを見ているよ」というメッセージが伝わるからだと思います。ミスしたと言う結果だけで叱られるのは嫌だし、むやみやたらと結果だけを褒め称えられても気分はよくないです。「結果でなく過程を褒める」というのは、あなたが頑張ってたことを知ってるよ、見守ってたよということを伝えることだと思います。
同意します。以前はひとつだけ良くない部分があると、全部認められないような𠮟り方をされる場面がありました。今は、いくらレベルが低いと周りに言われようと、10のうち、2つでも3つでも褒められることは大きく褒め、残りは小さく済ませようという雰囲気があります。
方法論として「むやみに褒める」のではなく、基本的には「(本人も自覚している)努力をちゃんと認める」という姿勢で接することかなあと思います。
おっしゃる通りだと思います。
それにはちゃんと見ててあげるが大前提だなぁと思いました!
結果を褒めるのではなく、努力を褒めるのが重要と言われてますね。結果だけ褒めると、嘘をつく子供になる傾向があるという研究もある
随分年下の上司が出来た時に、やたらと褒めてくれましたが、それがどんどんバカにされているような嫌悪感に変わっていった経験があります。それ以降、自分の部下には褒めることもありますが、どちらかというと感謝を述べることの方が自然と多くなっています。
「褒める」が増えすぎている、よりも「叱る」が圧倒的に減っている、ような。。叱っても、愛情があるからだよというのが、伝わらない人が多くなった気がします。
叱っても愛情があるからだよというのが、伝わらないのは、それだけの信頼関係が築ける場合が少なくなったことの現れでは!?
向き不向きは本当にあると思います。誉められても、「この人、頑張って誉めようとしてるな」ってことが分かると全然嬉しくないし、怒られても「この人、自分のこと分かってくれてるな」と思えたら素直に受け入れることができる。どちらかの手段を選ぶにしろ、気持ちが込もってないと見透かされると思う。
分かるな〜自己肯定感が低いんじゃなくて、自己評価が高すぎるんですよね。だから他者からの評価を過剰におそれるし、ちょっとしたことで、やる気をなくす。
まじでそれ!
自己評価が高すぎる!!ほんとにそうだと思います。自己評価が高すぎるが故に自己解釈が強くなり、報連相もおろそかになり、注意やミスを認められない。「自分は間違ってないのに」という自己評価がベースにあるので、ハラスメントだなんだと言い出すんでは?と。仕事において自分で最終確認するのは当たり前だし大事な事ですが、結果、評価をするのは他者なんですよね😅「気分を害したから」ハラスメントではないですよね?ハラスメントが認められるのは大多数の人が気分を害しますよねっていう事例。間違っていることを間違っていると伝えた。言われたこと自体に腹を立てた。なぜなら自分は間違ってないから。というのはハラスメントには当たりませんよね。。もちろん、間違っているからと見せしめのように叱咤するのはハラスメントですが。ミスをしてしまった過程や原因、なぜそう判断したのか、そういうのをきちんと突き詰めないと同じ間違いを繰り返しますよ😢仕事によっては命取りです。
注意するほどでもないけれど、周りへの配慮が足りないなあと常々感じていましたが、腑に落ちました。その通りですね。
おっしゃる通り!
上でもコメントありましたが褒める・叱るの二元論ではなく大事なのは承認だと今のところ信じて子育て5年目でーす
前職で内勤事務職をしていたときに、外勤営業の先輩がメールで「〇〇社の人があなたのこと対応が早くて助かるって褒めてたよ」と教えてくれてすごく嬉しかったです。そのメールにCCで上司も入れてくれていたのですが、その上司が何を思ったか事務所全員にそのメールを転送しやがって、みんなも見習って頑張れみたいなことを言い出したときは本当にやめてくれと思いましたね😓なんで先輩がこっそりメールにしたのか分からんのか😡一番下っぱだったので恥ずかしいの申し訳ないのなんのって…
その人をどうやって褒めたら自己肯定感が高くなるかって身も蓋もないけど結局「人による」のでは
褒めるとか叱るより、否定しないことが大切だと思う。
私の母親は全てにおいて否定しかしません。導入も結論も全て否定的なことしか言いません。それに加えて自分の言うことは何もかも正しいと過信していますね…人生の危機に陥っても家族ですけど関わりたくないですね
仕事などの場面で教育する立場になったとき、その場面だけでなく先の事を考えると、否定をせずに修正することに苦労します。ここでの否定と人格否定はまた別の問題です。
否定はダメって風潮だけどちゃんと話を聞いてあげた上でダメなものはきちんと否定してあげることも大事と思う。
@@wh0000000 それはいわゆる「あなたのためを思って」と否定するの考え方ですね。あなたにとってNGだ!と否定で終わるのではなく、NGな理由やそれをNGとするならOKなのは何か、なぜそれがOKなのかまで説明していくのであれば否定して終わりとはならないでしょう。そのうえで、その判断基準はあくまで個人の見解と願望に基づくものであることを忘れてはならないと思います。
@@hiroko_shimonoこういうの。最近の子って教わる側なのになぜかマウント取りに来るんだよね。教わってると言うか「教わってやってる」ああ、個人の見解と願望です。
ゴールデンボンバーの綾小路翔さんは、親に可愛い可愛いって育てられて中学生の時にジャニーズに入りたいって親に言ったら、思いっきりビンタされて「あなたは親の私たちにとっては可愛い子だけどブサイクなのよ!」って怒られたらしいです、正しい子育ってそういう事ですよね。
めっっっっちゃおもろいエピソードやけどゴールデンボンバーに綾小路翔はいない。でもエピソードおもろいが勝る
簡潔に言うと【褒めて育つ】という風潮そのものが間違えてると感じます。褒めたら自分のことを過信してしまい、周りの意見を聞くことを怠るなどのような危機感へと繋がってくるのではないかと感じます。それが自己肯定感が低いと同じ意味なのかなとも感じますね。私は菅さんの仰るところの『プロセスをちゃんと見てあげること』は本当に大切だと感じます。
イチローさんが言ってましたね。自己肯定感、、、自分で自分を肯定するのっておかしいと。
褒めてるけど内容になんの意味もなくテキトーに『今日もえーやん』『いーねー』みたいな…何ほめられてんの?みたいな謎の褒め方をする上司がめちゃくちゃ多いです…褒めたたら好かれると思ってるんだろうな。注意したらけむたがられるし。注意ができる人が少なくなっている。部下に気を遣いすぎて注意の前に決められたルールを守れていない人に対して『ごめん、○○は△△で…』と謎の謝罪から始まっていてなんで?っと感じる。変に褒められすぎて本当に打たれ弱い人多い…
46才です。そんなにできも良くなかったので、親に褒められたという記憶がありません。だからといって仲が悪いわけではないし、別に不満もないのですが、大人になった時に人を褒めることがとても下手だと感じます。褒められた経験があるとどうやって褒めると相手のプラスになるかが分かる方が人付き合いも上手くいくだろうし人生が歩みやすいのかなと思いました。
自己肯定感って、何何が出来るよりももっと大事なのは「自分は愛されて育った」って部分だと思うけどな。褒めて育てるっていうのは基本的には正しいよ。行動の成否に関してどう評価していくかって、子育てではオマケの部分だと思う。
昔、父親に宿題をしているところを見られて「えらいな~!」と褒められましたが、宿題をすることはご飯を食べることと同じぐらい当たり前なことなので、「何でそんなことで褒めるん?」と思い、父親の前では宿題をしないようになりました。今ならそれも愛だったと分かりますが、「お父さんは子供の時宿題をしていなかった」とか「当たり前のことができない人もいる」とか褒め方のアプローチが違ったら印象も変わったと思います。
最近5歳の息子のことがかわいくて仕方がなく、なんでもかんでも褒めてしまいます。菅さんのおっしゃる「褒めるは上から」にドキリとしました。徐々に息子に対しても1人の人間として接していきたいです。
皆の前で良かったことを褒めてハラスメントとか言われたら、管理職やってる人が病んだりしないか心配になる… 例外が山程存在する事務をしてたので、若い頃上司から「ナイス判断」って言われたらうれしかったけど。
めっちゃわかりやすくて、めっちゃ真理だと思いました。思ってたこと、感じてたことを言語化してくださってありがとうございます。褒め過ぎる、褒めるのが常態化してしまうと、自己愛が高まるというのは、凄く納得しました。若い人は褒められ慣れしてるなと感じます。菅ちゃんが言うように、自分がどう咀嚼するかが大事だと思いました。
職場で褒めることはできても、叱るとか、注意するとかは逆恨みが怖くてできません。だから今、職場がザワザワしてます。誰が猫😸の首に鈴を付けにいくか譲り合ってる状況です。菅さんの『らしくないことはせんでいい』が心にささりました。本人達が自分で気がついてくれることを願ってます。私自身は父は何でも褒めてくれる大甘。母は逆で怖かったけど嫌いではない。まだまだ正解はわかりませんがまぁまぁ幸せです☺️
「怒る」と「叱る」はちがうよね、という話を聞いてなるほど、と思ったことがあります。「褒める」時でも褒め方やタイミングが大切かと思います。ウチの子ども達が小学生の時にとても褒めるのが上手な先生がいらっしゃいました。その先生は「褒める」時と「叱る」時の区別もしっかりされてました。おかげでその先生のクラスはいつでもみんなが楽しそうで、生き生きとやる気に溢れていました。もうお年で退職されましたが、あんな先生ばかりなら素敵な大人がたくさん育つな〜と思いました。
たとえば亀田3兄弟はめちゃくちゃ叱られて育てても、まったく萎縮せずにああいう性格になってるので、これはもうその人の気質による。どんなに体罰うけててもケロっとしてる子もいるし、トラウマになってる子もいる。ポジティブ・ネガティブ、持って生まれた気質にあらがうことは、遺伝子レベルへの挑戦であって、不可能にちかい
ゆとり世代の自分は大勢の前で褒められるのが恥ずかしかったでも自分の子供はおそらくZ世代だけど皆の前で表彰等されるとえらく喜んでるあまりこの世代はこうした方が正解とか当て嵌めなくてもいいのかなと思ってしまう
シラフとは思えない一晩中しゃべれるテンションのお二人が楽しすぎました。(びばびば)
わたしも「一晩中しゃべれる」でバーを連想しました。
どんな時でも褒められたらやっぱり嬉しいです。
①自己肯定感を上げたい→褒めると良い→褒め散らかす②怒るのNG→兎に角褒めると良い多くの人が①②になってて、何でもかんでも褒めたら正解になってる気がしますその結果、プライドだけ高くなってしまった人が居る気がしますその人の心に刺さるタイミングで、その人に合った言葉で褒めるのが自己肯定感を上げるのには必要だと思います
人前だと褒めるも叱るも「周囲との差を明確にする」という意味では同じなのかもしれませんね。
「こうするのが良い」となったら「そうしないといけない」と極端に考えるのは日本人の特性なんですかねぇ?
ホンマ!ガーってそっちの方向に行きがちですよね。極端。
6歳差の子供を育てています。娘(10歳)を育てているときは褒めろ褒めろという風潮でしたが今(息子4歳)は褒めなくていいと言われますね。まったく褒めたらだめということはないと思いますが、基本的には評価せず事実を認定するだけでいいとよく聞くようになりました。絵を見せてきたら「上手だねー」じゃなく、「色んな色を使ったんだね」「紙いっぱいに描いたね」で良いみたいですね。勉強なら良くできた結果ではなく、これだけの時間勉強してたよねと認めてあげる。なるほどと思い、取り入れてますが子育ての正解は死ぬまで分からないのがはがゆいですね。(チロル)
ゆとり世代です。子どもに関わる仕事をしています。褒める、褒めないという以前に、ちゃんとみているかどうかなのかなぁと思います。見ててくださる先輩の褒め言葉は嬉しいけど、この人に言われても…いや、わたしの何を知ってんの?となりますし😂自己肯定感って言葉でバイアスがかかってる気分ですね。車の故障は、内部のパソコンのせいですね!みたいな…本当はちゃんと中を見たら配線かもしれないのに「今はシステム化してるんでねぇ」と言われると納得してしまうんですよね😅本当に自己肯定感が原因なのかどうかも、考え始めたら1晩お酒飲みながら語れそうです😂
自己肯定感の高い人ばっかりの社会もうまく行かない気がする。
旦那は自分のルールから私が外れた事をしたら、やいやいと叱って来ます。そうされると私は叱られた事をやりたくなくなります。それさえなければいい旦那なんですけどねえ。逆に旦那は、私が色んな事に目をつぶっている事には全く気が付いていません。そんかもんか。
かわいそう😢
褒めるではないのですが、感謝ができる子になって欲しくて私は子供に丁寧にありがとうを言うようにしていたら、子供は学校で友達がありがとうを言われなかった時に、「おれ?なんでありがとう言わないんだろう」て引っかかったことがあるようでした。私が丁寧にした結果、子供が「そっちでひっかかるんだぁ」「違う要素が混ざってくることがあるんだなぁ」と思ったできごとでした。一晩しゃべれるww
そもそも自己肯定感が低いって何となく悪いイメージがあるけど自己肯定感が高い人が溢れてる社会と、高くない人ばかりの社会とでどっちがどう良し悪しあるんだろう?捻くれてるかもしれないけど周囲が自己肯定感高い人ばっかりだったらしんどそう…
なるほど。新しい視点ですね。
自己肯定感が高い人って、時に傲慢というか、自分の価値観を他人にも押し付けるところありますからね。「(こんなに素晴らしい)自分が好きな料理だから周りもきっと好きだろう、今日食べたら好きになるはずだ」って勝手に思って勝手に注文してたりね。まぁ本当にそれで好きになることも多いから、微妙なところですが。「周囲に対する影響力が高い」ってだけで仕事の場では重宝されるから、やっぱり社会では求められるタイプなんだろうなぁ。
宇治原さん、菅さん、こんばんは😃私は、両親から何かを褒められたり、何かを頑張っても、認めてもらえたりした記憶がありません。何をしても、ダメ出しされたり、文句を言われた記憶しかありません。今の私は、仕事でやったことを、上司から褒められても、その言葉を素直に受け入れることができない自分になっています。上司からは、上司の言葉を信じていないと思われているのではないかと不安になりますが、ど~しても、相手からの褒め言葉を受け入れられず、「自分はそんなにできる人間ではない。」と思っています。何度も、「あなたは自己肯定感が低すぎる。」と言われます。どうしたら、相手からの褒め言葉を、素直に受け入れられるのか…受け入れている自分の姿を想像する事さえできません。自分に自信が欲しいとまでは言いませんが…。今の時代、自己肯定感を持つことは難しいのですかね?もう少し、お二人のお話を聞いていたかったなぁ…😊
当たり前のところからになりますが、自己肯定感は個人の価値観です。低い人は「己を低く捉える価値観で生きているだけ」であり、高い人はその逆です。「褒める」とは他人が他人を「私はあなたがこの事柄において良いと思った」と述べることであり、厳密には褒められた当人の価値観とは別、他人事です(自分ではそうは思えないのだが、なんだか褒められたなあ、と感じるだけで済ませる可能性があります)。褒めるだけで高まることも勿論ありますが、基本的に褒める行為で褒められた人の自己肯定感が高まるのは副産物と言えるでしょう。ではどうすればと言うと、第一には幼少期に「肯定する育て方」をすること。自然と褒める機会は増えるが、意識すべきは子どもを否定しないことの方です。愛情たっぷりに受けて育った子が自己肯定感高いケースは多いのですが、それは「ダメなところがあっても愛された」「失敗しても愛された」という感覚を得ているから。その後の人生で(学校の先生だとか、クラスメートから)強く否定される経験をした子も、やはり自己肯定感は低くなりやすいです。打たれ弱さとは別の話です。否定的な結果を受け止めたのちに、どう振る舞って生活を送れたのかということが「捉え方(価値観)」を育てます。自己肯定感の低さはにも「適応規制」として心の防衛にも繋がるため、テストが返ってくる前に低く見積もるのと同じように、思春期以降、癖になるとなかなか抜け出すことができません。己の心をどう守り、その性格でどんな甘い汁を吸ってきたかを自覚した上で、「最近この価値観だと採算が合わない気がしてきた」と考えて「ではどんな価値観ならいいのか」と、本人が組み直しを図ることで自己肯定感は高まっていきます。思春期以降の若者に対してできることは考え方の提示(ティーチング)、環境と機会の提供、コーチング、カウンセリングです。
ひねくれているのか、自己肯定感が低いのかほめられると それって本心?本気で思ってる?って内心素直に喜んでいない自分がいますでも人づてに ○○さんがほめてたよ とか聞くと妙に嬉しかったりします
啓発本などにあるテクニックですね。直接褒めるより間接的に褒める方が実感が増して印象が良くなるのだそうです。
褒めると叱るの極端なことじゃなく、若い人たちと話す時には叱らずに理解することが大切だと思います。褒めて欲しい人って多いのでしょうか…
褒める難しさ、の話ですが、昨日たまたま見ていたテレビの街頭インタビューで「メールが丁寧でいいね、と上司に褒められたがそれくらいしか褒めるとこなかったんだろうな、と気になり結局落ち込んだ」と答えてる若手社員の人がいて何でもかんでも褒めるもんではないな、と思いました😅あと、ハラスメントについてはされて一回目にいきなり「ハラスメントだ!」ではなく「それは自分は嫌なのでやめてください」と言って「そうか、分かった、ごめん」と言って二度とやらないそういう関係性や環境をいかに構築していくかが大事なんだろうなと思います。【はらぽち】
自分も「(そんなこと誰でもできるわ)」と内心思いながら、「ありがとうございます」と言います。笑なので自分が褒める立場になったときは「(こんな当たり前の事褒めたってしょうがない)」と思って、プラスアルファできた時しか褒めないです。【くどう】
@@ikanattoo さんその「当たり前」も「プラスアルファ」も人によって違うから、結局は自分基準で決めるしかないですよね~😅難しいもんですが、その難しさも楽しめる人になれたらいいなと思います💦
@@harapochi 本当におっしゃる通りだと思います。人によって分けると「あの人の事は褒めるのに、この人の事は褒めない」とか言われるんですよね。言って大丈夫な人なら「あなたはこれくらいの事で褒められて嬉しいの?(もう少しにオブラートに笑)」伝えますが、人によっては伝えると色々面倒になります。笑日々難しいと感じています…
@@ikanattoo さんそうですね、とりあえず現状を褒めた上で、向上心ある相手なら「ここをこうしたらもっと良くなるかも」を提案することはとても素敵な心がけですね!私はそこを忘れがちなので見習いたいです😊自分も後輩も日々成長ですね。
褒めるんなら毎回ちゃんと褒めて、叱るんなら毎回ちゃんと叱って欲しい。おざなりなやり方は子供は察するし傷つく、相手を信用しなくなる。
環境によるんですかね自分が子どもの時代も「◯◯くんは気が利くねー」と褒められる事で目立って周りから疎まれるような環境だったら嫌だったと思うし今の時代でも褒められる事で周りからの評価が上がる環境に身を置いてる人なら望むところな気がします
確かに。周りの大人から褒められるような子(人)がいじめのターゲットになる時代ありましたよね(今も!?)😔
それずっと気になってた!社会に出ると結局結果を求められるから、余計反動来ないか??って気になったし、「だが、情熱はある」と言ううドラマを見て、尚更否定され続いても、肯定しつづけて育ても、屈折しちゃってるやーん😮って気になってたけど、なるほどね。自己肯定感じゃなくて、自己愛が大きくなるって言うの凄く腑に落ちました。ありがとうございます😊
自分が姪っ子に対して気にしていたことは、「良いこと悪いことをしっかり教えるために、悪いことはしっかりと叱る、結果はどうあれ努力したことは徹底的に褒める」としてました「何をどうすることが正解であるか、何をしたら間違いなのか」、それを教えるために褒めると叱るをしっかりとした基準をもって接していました教える側がしっかりとした基準を持ちぶれないことが大切だと思っています なので姪っ子は親に「そんなことしたらお兄ちゃんに怒られるよ」って言われたときに「こんなことではお兄ちゃんは怒らないよ」って自信をもって言えるようになってたので、ちゃんと伝わっているなって嬉しかったです
何かの効果を期待して褒めるからダメなのかなと思いました。褒めることがあれば褒めれば良いですけど、大げさにわざと褒めることはない気がします。これは批判ではなく…ラフ次元の梅村さんが、お子さんに勉強を教える時、ものすごく褒めていらっしゃるのをテレビで見ましたが、子どもの性格もあるので、全員が真似して上手くいくとは限らないなと思いました。私は、子どもが息を引き取る時に「楽しい人生だったな」と思ってもらえるように育てています。【ミトン2】
「困難なことにチャレンジした時に褒めないと意味がない」えーーーー!存在を褒めることが安心感、チャレンジしに行く力になるっていいましたやん!!って声出ましたwww
宇治原さんも仰っていましたが、褒めるも叱るも実体験をベースに具体的に伝えるのが良いと思います。
「ピアノの先生がなんで優しいこと言ってくれるかわかるか?お前のこと諦めてるからで。怒ってもらえるうちが華やと思え」と小学生の頃母に言われたことを今でも鮮明に覚えています。そのせいか未だに、一緒に誰かと楽器演奏する時は、褒めてくれるだけの人よりも、音のミスやリズムのズレをきちんと指摘してくれる人の方が信頼できて安心します。ちゃんと自分の音を聞いてくれてたんだなと思えるからです。褒めようが、叱ろうが、菅ちゃんも冒頭で仰ってたように「この人はプロセスを見ていてくれた」と思えたら、そこから信頼関係が築かれていくのかなと思いました。
改善に向けて具体的に示してくれる人は、信頼して良いと思います。自分で考えろという人は、自分で考えたら何で聞かないのかと言われて詰みます
私の父は滅多に褒めないのですが、たまに本当に頑張った時は褒めてくれたので逆に信頼できました🎉なんでもかんでも褒められなくても子供は成長すると思います
一晩中でも話せる(話したい?)お二人、本当に仲がいいんですねお互いの言葉のキャッチボールを楽しみすぎてる
昨日に続いて心に響くお話ありがとうございます😊ほとんど叱られずに育った姪っ子は羨ましいくらい自己肯定感の塊ですけど、そうなんですね😮。成長の過程で関わる人も環境も変化するし、結局本人の性格で回りが出来る事は限られているのかも。
テクニックとして場所やタイミングを見て褒められてるっていうのが結構小さい頃から分かってしまう。調子乗らせてもっと求められるのでは?と考えてしまったりする。
どんなことでも褒められるのは嬉しいけど、褒められた時にどんな反応をしたらいいのか分からない。結果なんとなく気まずくなるから、褒められるのは苦手。
同じ「褒める」でも子育てにおける「褒める」と職場における「褒める」は褒められる相手が違うからひとくくりにそれで、自己肯定感が上がるとかも違う気もしますね!😊結局相手の「気持ち」に向き合って相手にあった方法で寄り添えることで自己肯定感は育つのかなぁと思いました🤗こーやって考えることなかったので、勉強になりました😌💕
本当に難しい時代になって来たと思います。新人スタッフから、褒められるのは嫌いです!と数人から言われた経験があります。褒めたいときは、どうして伝えたら良いのか、Z世代の指導者は苦労しています。
いつも新たな視点をもらえ、勉強になります!
過程が大切と思ってたけど今は結果(最終目的)が大切なんだと思うようになった。 挫折して乗り越えるから強くなる。褒めるのは上から目線の人で対等な関係ならむしろ褒めずに黙って存在を認めてくれる。社会に出てはじめて社会の理不尽さを理解する。何事も経験は大切だなあと最近つくづく思います。
アドラー心理学との共通点を感じました。褒められるために生きる→他人のために生きる、となってしまうんですよね、褒められすぎると。他人ではなく自分のために生きることが大事。でも実際、褒められるのは嬉しいし、だからこそ他人を褒めたりもしたくなってしまうんですよね。人生まだまだ勉強中です。
最近まで学童保育で仕事をしていました。小学校低学年の子たちのすることなので、たいていのことはスルーしたのですが、ある時当時2年生だった女子2人を本気で叱った(怒った?)ことがありました。本人たちは最初小馬鹿にした顔で聞いていましたが、私が本気だとわかると神妙な顔になって聞いていました。が、私は、ああこの子たちはもう私には寄り付かなくなるだろうなぁ、と思っていたのですが、その日の夕方、まず1人の子が私のところに来て、さっきはごめんなさい。私は〇〇 ちゃん(私のこと)のことが好きなの。だから私を嫌いにならないで、と言ってきました。私は、勿論嫌いになんかならないよ!と言ってその子を抱きしめました。もう1人の子は、言葉にこそしませんでしたが、私が階段を降りようとしていた時に私の後ろに来て、背中をツンツンしてきました。ハッとして振り向くと、その子は恥ずかしそうにニコッと笑いました。その後は、時々は小学生なのでまた叱るようなことも当然ありましたが、その日以来その2人とはなんとなく気持ちが通じ合ったような気持ちになれました。また、「褒める」シーンでは、みんなの前で褒めた方がその子にとっても周りの子どもたちにとってもいいだろうと思う時と、その子だけにわかるように褒めた方がいいだろうと思う時(安易に褒めると、周囲から反感を買ったり、いらぬ嫉妬を受けかねないと思う時)を使い分けました。褒める時の言い方にも気をつけました。いずれにしても、子どもたちは男子も女子もみんな面白くて、かわいかったです!
きょうだいでも、性格が違うので、全く同じ伝え方で良いのか首を傾げるところですし、他人なんて本当に分からない😱1歳と3歳の子どもに対しては、今のところ褒めて褒めて褒めまくっております。私の場合は同じことを言われたとしても、相手によって受け取り方が変わってきます。(あやの)
いくらアドバイスを受けても、根底で大人がしっくりきてなかったら子どもに見抜かれちゃいますよねー。ちゃんと咀嚼して納得してから実践しないとメッキは剥がれる(笑)子どもは怖い😱【ミスター水割】
賛成です!
ほめて育てるのは、体罰が当たり前の時代のカウンターだと思っています。暴力は肯定しませんが、厳しく育てる時代が、またやってくると思います。
困難な課題を乗り越えることができた時に初めて自己肯定感なるものが高まるように、普段、他人を褒めない人から珍しく褒められたり、実は評価されていると実感した時こそ自己肯定感が高まるのでしょうね。それから、菅さんが「宇治原さんはなかなか人を褒めない」ということを良いと評されてたのが興味深かったです。
褒めるも叱るも上から目線だからそういうところを見透かされてるのかもね
昭和世代ですが、子供の頃、しっかりしていた子供だったのでよく褒められましたが、内心「この程度のことで褒めるってことはこの人は私がこんな簡単なことができたことを特別だと思っているのか?子供扱いするな!」という気がして褒められるのが好きではありませんでした。「しっかりしてるね」を使う対象が子供や(言葉は悪いですが)朦朧しているお年寄りのみで、大人に使わないのと同じで、「この人はできて当たり前」と思っていることは褒めないと思うんです。子供であっても、大人であっても、「すごいな!」と思うことや「これはやってもらって助かった。ありがとう!」等は伝えますが、無闇矢鱈に褒める必要はないと思っています。また、大人同士の意見のすり合わせですが、うちは海外で暮らしているので、周囲の大人の常識も習慣も違います。なので、子供には大人の中で色んな意見や考え方があるものは自分にあった意見を選択したらいいけど、どこに行っても「人としてコレがいいことだ」とされているようなものは、大変でもそうしなさいと言っています。
ホンっと薄っぺらい褒め方する人もいて。バカにしてるのか!と思うことがある。褒めればいいってもんじゃない。こっちを正面から見てくれてないのは、すぐわかる。向き合ってくれていて、ココはダメだと伝えてくれる人の言葉は、薄っぺらい褒め言葉よりも、聞きたい言葉です。
褒めて伸ばそうとして勘違いしちゃって「俺すげーーー」みたいな無能部下も生まれる訳で。
お二人の意見とコメント欄の意見、めちゃくちゃ勉強になります。3歳の娘がいますが、最近色々屁理屈や反抗的な態度も増えてきて、どう接していくべきかいつも悩みます😂色々な方法を試すあまりコロコロ方針が変わるようなことになると子供は戸惑うでしょうし、難しいですね。
私は自分の好きな人に褒められたい人間、元夫はいないところでまで褒められている事が嬉しい人でした元旦那が良かれと思って「友達の〇〇がお前のこと褒めてたぞ」と言っても、私は知らない人に評価されるの嫌だなと思ってしまい…褒められ方についても、個人差があるのだなと感じました。
この二人の議論わかりやすい。
褒めるべきか叱るべきかよりも、褒め「方」叱り「方」が大事なんだと思う
褒め方にも色々あって、手放しに褒められて喜ぶ人もいれば、ちゃんと努力や成果を具体的に褒められたい人もいる。人前で褒められると恥ずかしいと思う人も居るし、逆にそれが嬉しい人も居る。そういうタイプを見極めるのが難しいですね。
必要なのは褒めるではなくて認めるということかなと…自己肯定感とは何でも大丈夫ということではなく、自分の良い部分も理解し、悪い部分も理解することで、決して自分の短所を無視することではないと思います。自己肯定感の、履き違えが問題なのかなと
菅ちゃんは自由奔放に育てるのかと思ったら、育児書大量に読んでた。【ミトン2】
ひとつの見方として、今と以前の風潮や在り方の違いを見ると、以前なら怠け者や能力が低いと片づけられた事柄が、現代は障害という言葉に置き換わり、困難な立場にいる人を認めましょうという理解が強くなったことが以前との大きく違う点だと思います。そうなれば自分らしく自分だけの価値観を見つけて肯定感を高めるのは良いものの、他人と擦れあった時に共通の認識を持てず摩擦が大きくなるのかなと思います。
褒めること許容をすることを混同している可能性はありますね。意識的に叱れない=本人にとっての幸福を追求しない傾向がはじまっている。必然的に他人に興味がない人付き合い方になり、本人の為に自分が悪となって被るリスクが大きい世の中にある。
子育てしていて、困難を乗り越えた時に褒めると子の自己肯定感が上がったと感じました。ネガティブなことをあまり口にしなくなりました。中学の運動部を朝から晩まで一から真剣にやって最後の小さな大会で優勝した時、子は泣いて喜びました。私たちは過程と結果を労いました。高校では自由時間が欲しいという理由で帰宅部。現在は大学受験勉強にシフトしていますが、それまでは子はやりたいと思ったことを楽しんでいました。一度困難を乗り越えた経験は、自己肯定感が高めてくれたように見えます。今は次の大学受験という壁と戦っているので、乗り越えた時にはまた過程と結果を労いたいと思います。
大人の場合、本人のいないところで褒めるのが効果的だと聞いたことがあります。子どもを褒めるのはタイミングが第一かなと思います。
第三者を出して間接的に褒めると、効果があるそうです。○○さんが褒めてたよ ○○先生が褒めてたよという具合に。反対に、○○さんが怒ってたよ ○○先生が怒ってたよ どうするつもりなの?私は知らないよというと否定が大きくなる。
母親はありのままを受け入れて愛する(母性)父親は社会のルールや厳しさを教える(父性)と聞いた事があります。褒めて育てる、子供の年齢や性格によりますよね、信頼してる人からなら褒めても厳しくされても自分の為になると思いますが、そうじゃない人から何を言われても響かない。ちなみに2人の子供がいますが、あまり褒めて育ててませんが、まあまあ、かなり?いい人間に育ちました笑
新しく入った人に仕事を教える時に「私褒められて伸びるタイプなので」と言われては? 大抵の人はそうやろと思ったのを思い出しました。子どもでも大人でも人を褒めるのは難しいし技術がいると思います。
確かにみんな怒られてる中で自分だけ褒められると周りの視線が気になるかも…こそっと自分にだけ「さっきはすまんかったな」って言われた方が嬉しいかなw褒める「理由」を理解したら、どんな時に褒める褒めないを決定できる。褒めたという「事実」しか見てないから考えもせず褒めるから相手に響かないんだろうね。だから褒めなくても相手を尊重してる事が伝われば、褒めるのが苦手な人でも良い関係が築けるんだと思います。
褒めること=結果や成果、の構図だから「恥ずかしい」「次へのプレッシャー」「勘違い」を生むために褒められたくないのかもしれません。菅さんの言うように過程に対して褒めたり、子ども(相手)の話を傾聴してその中身に対して褒めたり叱ったりするとのがいいのかって思いました。
親は褒めるか叱るかじゃなくて、、子どもを愛してるってことが伝わることが大事なんじゃないかな?愛があれば叱ろうが何しようが大丈夫というか。そういう環境で育った子は、社会に出て周りから褒められようが叱られようが特に何も思わないと思いますよ。生育時期に愛を感じることが足りないから、他人に求めちゃうのではないかと。
本当に子どもが小さい時は、褒めていました。ただ、これは危険、これは相手に迷惑とことに関しては厳しく叱っていました。その後、何でもかんでも褒めると、こんなことできるの当たり前やのに、なんで褒めるの?と子どもが思うのでは?と思った時期があります。今はただただ、うんうん、そうか。そう思うんや?と聞くだけにしようとしています。そして小さい頃とは違い、「相手に迷惑だ」と断定するのではなく「私やったら迷惑って感じるかなぁ。〇〇はどう?」と聞くようになりました。その結果がどうなるかはわかりませんが。
褒めたら自己肯定感高くなるのではなく、自分の弱みと向き合えるようになることが自己肯定感につながるんだと思うんだよな。
自分は人に仕事を発注する立場なんですが、それぞれに相手に対して一律な対応で、同じ結果が得られるとは限らないですね。「やりたいプランとかない?」「これは嫌だっていうのはある?」と振ると、自分のアイデアを出してくる人もいますが、どう振ってもはっきりした応えがなく、「発注のとおりにやります」という人も居ます。こう書くと後者の人は単にやる気がないようにも見えますが、必ずしもそんなことはなく、求められることを最大限の努力で実現しようとするプロだったりもします。こどもも本来は人それぞれ。絶対に正しい子育てのマニュアルはないと思っています。
海外の話をするのは本質的ではないですが、今アメリカで小学生2人を育てています。学校では心配なくらい先生は褒めることしかしません。そして自己肯定感の高い若者がいっぱい育っています。褒めるか叱るかの問題でなく、自ら考えるとか個性を伸ばすなど他の教育方針との組み合わせの問題かと思います。また叱って育てるとある程度均一な常識ある子が育つが、飛び抜けない。褒めて育てるというのは、逆に個々の責任に任せているとも言えます。伸びる子はもっと伸びるし、伸びない子はただストレス耐性のない子になるのでは?
ゆとり世代です🙋🏻♀️私は人前で褒められるのも好きですが、ひっそりとでも確かに評価されているのも好きです。学生時代だったら通知表だったり、社会人だったら昇給だったり。人前で褒められるのが恥ずかしいというタイプには、もしかしたら「出る杭は打たれる」経験を実際にしたことがあったり目撃したことがあったりするのかなと思いました。私は環境に恵まれていたので人前で褒められても嫌な思いをすることがありませんでした。褒める人、褒められる人の他にもそれを見ている人々のリアクションも大切なのではないでしょうか。
以前の放送で「本当に優秀な人は褒めても怒っても、メッセージの本日を理解している」を思い出しました。いないないばぁをしない、と言った時の宇治原さんの顔がワロター笑
「優しそうな彼氏さんだね」が"褒めるところないときの常套句"として認知されているように、褒めるのが目的化してて「なんか無理矢理褒めてるな」って子供でもそのうち分かると思うそれが他に褒めるところないから薄いところを大きくしてるって感じて自己肯定感低くなってそう
おそらくそれは5歳くらいまでが大事その間で「なんでできないの?」と否定されて育ってきたら自己肯定感が低くなったり、人目を異常に気にしたりできないことを誤魔化そうと嘘をつくようになったりする
会社の後輩見てても自己肯定感が低いと感じた事はないちゃんと指示を出せばそのようにみんなやってくれる言われた仕事はちゃんとこなしてくれる能力はもってる褒めるはしないけどそれに対して「ありがとう、助かったよ」と個人に対しての感謝は伝えます
私の友人、一人娘を褒めて褒めて育てて、25歳になった今、モンスターと化し、褒めて育てたのは失敗と、絶縁中。その娘、悪い所を注意されると、私には注意しないで!褒めて伸ばして!と逆ギレ。お母さんが私をこんなふうにした!他人とうまくいかない!とキレてしまうそうです…
私も褒めるの苦手。私自身も褒められ慣れていないので、大したことでないことで褒められるとリアクションに困る。でも、がんばったことで褒められるのは嬉しい。
考えはじめると、いろんな考え方がありますよね。私は、自己肯定感はまずは大人から高めた方がいいんじゃないかなと思っています。最初は子どものチャレンジを褒めて、チャレンジが難なくできるようになれば、善悪の判断を手伝ってあげる。その後は、少しずつ子どもだけで、物事を決めさせていく…のように最終的に子どもが一人で生活できるように手助けをしてあげる。大人はあくまで困った時に頼れる味方。しかし、その大人も経験がないとわかっていないことが多いし、移住が増えて、近隣と関係ができてないと、声をあげにくかったりする。だから大人も困った時に、駆け込み寺みたいなところが必要と思います。今の時代だからこそ、便利で楽なことばかりせず、たまにはネットを使わない日を作りこれが無かったら、何をしていたんだろうか、将来はどうしたいかを想像することが必要なんだと思っています。
小学校に入学して、落とし物を先生に届けて、初めて褒められると言う体験をする。その日から落とし物を探す子になった。
落とし物ならいいですが、先生に告げ口をして自己肯定感を得る子は、昔も今も周りから距離を置かれますよね。その先生ですら良くは思わない、それでいいのか?改めろといった見方になる
息子はめちゃくちゃ上手くいった例かもしれません。子供を作る前にたまたまテレビで見た場面がありまして、お父さんが年ごろちょっと手前の娘に「えっ、いつかは結婚したいの!? いやだ!お父さんは〇〇と離れたくない!」と言っていて「あ、こういうことを子供に言っても良いんだ」と感じたのがきっかけで、のちに生まれた息子に「大好きだ、宇宙一大好き、お前は宝物だ」と、存在そのものを褒めまくりました。 これはそうしようと思って褒めたというより本気で可愛いと思っていたからです。これにより息子は【謎の自信】を身につけ、色んなジャンルに挑戦してダメでも次に進んで今やっと夢の職業に就きました。これは「褒めて伸ばそう」とは違うかもしれませんが、子供の心の中に「帰る場所」みたいなものを作れたのかなと思います。本人曰く【こんなに楽しい人生はない】らしく、「どうせ俺は愛されているのだ」という【存在そのもの】に対する確固たる自信があるようです。何かの役に立てたら、と思います。
お二人とも 育児書を よく読んでおられますね!私も娘も保育士 ですが、育児と保育って違いますよぉ。永遠のテーマですね。 我が子は 褒めすぎてもいいと私は思っています。なぜなら 日常 むっちゃ怒るからです😂
「こんなんもできんのんか?!」「1回言うたろうが!!」って言われて生きてきたので、自己肯定感劇低人間でした。現在アラフィフになって思い出したときに、たくさん教えてきた人間がそんな言い方で教えるか?って思って、昔に戻れるんならめちゃくちゃ言い返す自信が今はある!w
33歳ですが新入社員の時にゆとりは打たれ弱いからなと言われてました。きっと氷河期世代も同じようなことを言われてたんじゃないかとふと思いました。大して学もないですが留学など経験して大抵なんとかなるし逃げたければそれこそ海外に逃げてもええなと思えるので時には上司に反抗しながらのんびり過ごせてます。
職場の後輩を褒めも指導も感謝もしますが、指導は本人にだけして、褒めや感謝は本人不在の場で周囲にも話します。自分が褒めの受け止めが苦手なので、私の本意なんだということが伝わるといいなと思うからです(Jane/ジェーン)
一番良くない褒め方の例。中学一年の時、私のクラスは荒れていて、ある先生が私を教壇に立たせ「私はこの子以外は信用しない」と言い出しました。私を褒めているようで実は、クラスを責めている姿勢に、私は生贄となったのです。それからしばらくは、クラスメイトに影で悪口を言われました。昔の先生とは言え、おかしな事をされたもんだと、嫌な思い出です。
褒める・叱るの二元論ではなくて、
子ども時代、新人の今を思うと、叱る(注意)も褒めるもしてほしくて、それは「あなたのことを見ているよ」というメッセージが伝わるからだと思います。ミスしたと言う結果だけで叱られるのは嫌だし、むやみやたらと結果だけを褒め称えられても気分はよくないです。
「結果でなく過程を褒める」というのは、あなたが頑張ってたことを知ってるよ、見守ってたよということを伝えることだと思います。
同意します。以前はひとつだけ良くない部分があると、全部認められないような𠮟り方をされる場面がありました。
今は、いくらレベルが低いと周りに言われようと、10のうち、2つでも3つでも褒められることは大きく褒め、残りは小さく済ませようという雰囲気があります。
方法論として「むやみに褒める」のではなく、基本的には「(本人も自覚している)努力をちゃんと認める」という姿勢で接することかなあと思います。
おっしゃる通りだと思います。
それにはちゃんと見ててあげるが大前提だなぁ
と思いました!
結果を褒めるのではなく、努力を褒めるのが重要と言われてますね。
結果だけ褒めると、嘘をつく子供になる傾向があるという研究もある
随分年下の上司が出来た時に、やたらと褒めてくれましたが、それがどんどんバカにされているような嫌悪感に変わっていった経験があります。
それ以降、自分の部下には褒めることもありますが、どちらかというと感謝を述べることの方が自然と多くなっています。
「褒める」が増えすぎている、よりも「叱る」が圧倒的に減っている、ような。。叱っても、愛情があるからだよというのが、伝わらない人が多くなった気がします。
叱っても愛情があるからだよというのが、伝わらないのは、それだけの信頼関係が築ける場合が少なくなったことの現れでは!?
向き不向きは本当にあると思います。
誉められても、「この人、頑張って誉めようとしてるな」ってことが分かると全然嬉しくないし、怒られても「この人、自分のこと分かってくれてるな」と思えたら素直に受け入れることができる。
どちらかの手段を選ぶにしろ、気持ちが込もってないと見透かされると思う。
分かるな〜
自己肯定感が低いんじゃなくて、自己評価が高すぎるんですよね。
だから他者からの評価を過剰におそれるし、ちょっとしたことで、やる気をなくす。
まじでそれ!
自己評価が高すぎる!!
ほんとにそうだと思います。
自己評価が高すぎるが故に自己解釈が強くなり、報連相もおろそかになり、注意やミスを認められない。
「自分は間違ってないのに」という自己評価がベースにあるので、ハラスメントだなんだと言い出すんでは?と。仕事において自分で最終確認するのは当たり前だし大事な事ですが、結果、評価をするのは他者なんですよね😅
「気分を害したから」ハラスメントではないですよね?
ハラスメントが認められるのは大多数の人が気分を害しますよねっていう事例。
間違っていることを間違っていると伝えた。言われたこと自体に腹を立てた。なぜなら自分は間違ってないから。というのはハラスメントには当たりませんよね。。
もちろん、間違っているからと見せしめのように叱咤するのはハラスメントですが。
ミスをしてしまった過程や原因、なぜそう判断したのか、そういうのをきちんと突き詰めないと同じ間違いを繰り返しますよ😢
仕事によっては命取りです。
注意するほどでもないけれど、周りへの配慮が足りないなあと常々感じていましたが、腑に落ちました。その通りですね。
おっしゃる通り!
上でもコメントありましたが
褒める・叱るの二元論ではなく
大事なのは承認だと今のところ信じて子育て5年目でーす
前職で内勤事務職をしていたときに、外勤営業の先輩がメールで「〇〇社の人があなたのこと対応が早くて助かるって褒めてたよ」と教えてくれてすごく嬉しかったです。そのメールにCCで上司も入れてくれていたのですが、その上司が何を思ったか事務所全員にそのメールを転送しやがって、みんなも見習って頑張れみたいなことを言い出したときは本当にやめてくれと思いましたね😓なんで先輩がこっそりメールにしたのか分からんのか😡一番下っぱだったので恥ずかしいの申し訳ないのなんのって…
その人をどうやって褒めたら自己肯定感が高くなるかって
身も蓋もないけど結局「人による」のでは
褒めるとか叱るより、否定しないことが大切だと思う。
私の母親は全てにおいて否定しかしません。導入も結論も全て否定的なことしか言いません。それに加えて自分の言うことは何もかも正しいと過信していますね…人生の危機に陥っても家族ですけど関わりたくないですね
仕事などの場面で教育する立場になったとき、その場面だけでなく先の事を考えると、否定をせずに修正することに苦労します。ここでの否定と人格否定はまた別の問題です。
否定はダメって風潮だけど
ちゃんと話を聞いてあげた上で
ダメなものはきちんと否定してあげることも大事と思う。
@@wh0000000 それはいわゆる「あなたのためを思って」と否定するの考え方ですね。あなたにとってNGだ!と否定で終わるのではなく、NGな理由やそれをNGとするならOKなのは何か、なぜそれがOKなのかまで説明していくのであれば否定して終わりとはならないでしょう。そのうえで、その判断基準はあくまで個人の見解と願望に基づくものであることを忘れてはならないと思います。
@@hiroko_shimono
こういうの。
最近の子って教わる側なのになぜかマウント取りに来るんだよね。
教わってると言うか「教わってやってる」
ああ、個人の見解と願望です。
ゴールデンボンバーの綾小路翔さんは、親に可愛い可愛いって育てられて中学生の時にジャニーズに入りたいって親に言ったら、思いっきりビンタされて「あなたは親の私たちにとっては可愛い子だけどブサイクなのよ!」って怒られたらしいです、正しい子育ってそういう事ですよね。
めっっっっちゃおもろいエピソードやけどゴールデンボンバーに綾小路翔はいない。
でもエピソードおもろいが勝る
簡潔に言うと【褒めて育つ】という風潮そのものが間違えてると感じます。
褒めたら自分のことを過信してしまい、周りの意見を聞くことを怠るなどのような危機感へと繋がってくるのではないかと感じます。それが自己肯定感が低いと同じ意味なのかなとも感じますね。
私は菅さんの仰るところの『プロセスをちゃんと見てあげること』は本当に大切だと感じます。
イチローさんが言ってましたね。
自己肯定感、、、
自分で自分を肯定するのっておかしいと。
褒めてるけど内容になんの意味もなくテキトーに『今日もえーやん』『いーねー』みたいな…何ほめられてんの?みたいな謎の褒め方をする上司がめちゃくちゃ多いです…褒めたたら好かれると思ってるんだろうな。
注意したらけむたがられるし。
注意ができる人が少なくなっている。
部下に気を遣いすぎて注意の前に決められたルールを守れていない人に対して『ごめん、○○は△△で…』と謎の謝罪から始まっていてなんで?っと感じる。
変に褒められすぎて本当に打たれ弱い人多い…
46才です。そんなにできも良くなかったので、親に褒められたという記憶がありません。だからといって仲が悪いわけではないし、別に不満もないのですが、
大人になった時に人を褒めることがとても下手だと感じます。褒められた経験があるとどうやって褒めると相手のプラスになるかが分かる方が人付き合いも上手くいくだろうし人生が歩みやすいのかなと思いました。
自己肯定感って、何何が出来るよりももっと大事なのは「自分は愛されて育った」って部分だと思うけどな。
褒めて育てるっていうのは基本的には正しいよ。
行動の成否に関してどう評価していくかって、子育てではオマケの部分だと思う。
昔、父親に宿題をしているところを見られて「えらいな~!」と褒められましたが、宿題をすることはご飯を食べることと同じぐらい当たり前なことなので、「何でそんなことで褒めるん?」と思い、父親の前では宿題をしないようになりました。今ならそれも愛だったと分かりますが、「お父さんは子供の時宿題をしていなかった」とか「当たり前のことができない人もいる」とか褒め方のアプローチが違ったら印象も変わったと思います。
最近5歳の息子のことがかわいくて仕方がなく、なんでもかんでも褒めてしまいます。菅さんのおっしゃる「褒めるは上から」にドキリとしました。徐々に息子に対しても1人の人間として接していきたいです。
皆の前で良かったことを褒めてハラスメントとか言われたら、管理職やってる人が病んだりしないか心配になる…
例外が山程存在する事務をしてたので、若い頃上司から「ナイス判断」って言われたらうれしかったけど。
めっちゃわかりやすくて、めっちゃ真理だと思いました。
思ってたこと、感じてたことを言語化してくださってありがとうございます。
褒め過ぎる、褒めるのが常態化してしまうと、自己愛が高まるというのは、凄く納得しました。
若い人は褒められ慣れしてるなと感じます。
菅ちゃんが言うように、自分がどう咀嚼するかが大事だと思いました。
職場で褒めることはできても、叱るとか、注意するとかは逆恨みが怖くてできません。だから今、職場がザワザワしてます。誰が猫😸の首に鈴を付けにいくか譲り合ってる状況です。菅さんの『らしくないことはせんでいい』が心にささりました。本人達が自分で気がついてくれることを願ってます。
私自身は父は何でも褒めてくれる大甘。母は逆で怖かったけど嫌いではない。まだまだ正解はわかりませんがまぁまぁ幸せです☺️
「怒る」と「叱る」はちがうよね、という話を聞いてなるほど、と思ったことがあります。
「褒める」時でも褒め方やタイミングが大切かと思います。
ウチの子ども達が小学生の時にとても褒めるのが上手な先生がいらっしゃいました。その先生は「褒める」時と「叱る」時の区別もしっかりされてました。おかげでその先生のクラスはいつでもみんなが楽しそうで、生き生きとやる気に溢れていました。もうお年で退職されましたが、あんな先生ばかりなら素敵な大人がたくさん育つな〜と思いました。
たとえば亀田3兄弟はめちゃくちゃ叱られて育てても、まったく萎縮せずに
ああいう性格になってるので、これはもうその人の気質による。
どんなに体罰うけててもケロっとしてる子もいるし、
トラウマになってる子もいる。
ポジティブ・ネガティブ、持って生まれた気質にあらがうことは、
遺伝子レベルへの挑戦であって、不可能にちかい
ゆとり世代の自分は大勢の前で褒められるのが恥ずかしかった
でも自分の子供はおそらくZ世代だけど皆の前で表彰等されるとえらく喜んでる
あまりこの世代はこうした方が正解とか当て嵌めなくてもいいのかなと思ってしまう
シラフとは思えない一晩中しゃべれるテンションのお二人が楽しすぎました。
(びばびば)
わたしも「一晩中しゃべれる」でバーを連想しました。
どんな時でも褒められたらやっぱり嬉しいです。
①自己肯定感を上げたい→褒めると良い→褒め散らかす
②怒るのNG→兎に角褒めると良い
多くの人が①②になってて、何でもかんでも褒めたら正解になってる気がします
その結果、プライドだけ高くなってしまった人が居る気がします
その人の心に刺さるタイミングで、その人に合った言葉で褒めるのが自己肯定感を上げるのには必要だと思います
人前だと褒めるも叱るも「周囲との差を明確にする」という意味では同じなのかもしれませんね。
「こうするのが良い」となったら「そうしないといけない」と極端に考えるのは日本人の特性なんですかねぇ?
ホンマ!ガーってそっちの方向に行きがちですよね。極端。
6歳差の子供を育てています。娘(10歳)を育てているときは褒めろ褒めろという風潮でしたが今(息子4歳)は褒めなくていいと言われますね。まったく褒めたらだめということはないと思いますが、基本的には評価せず事実を認定するだけでいいとよく聞くようになりました。絵を見せてきたら「上手だねー」じゃなく、「色んな色を使ったんだね」「紙いっぱいに描いたね」で良いみたいですね。勉強なら良くできた結果ではなく、これだけの時間勉強してたよねと認めてあげる。なるほどと思い、取り入れてますが子育ての正解は死ぬまで分からないのがはがゆいですね。(チロル)
ゆとり世代です。子どもに関わる仕事をしています。
褒める、褒めないという以前に、
ちゃんとみているかどうかなのかなぁと思います。
見ててくださる先輩の褒め言葉は嬉しいけど、
この人に言われても…いや、わたしの何を知ってんの?となりますし😂
自己肯定感って言葉でバイアスがかかってる気分ですね。
車の故障は、内部のパソコンのせいですね!みたいな…
本当はちゃんと中を見たら配線かもしれないのに
「今はシステム化してるんでねぇ」と言われると納得してしまうんですよね😅
本当に自己肯定感が原因なのかどうかも、考え始めたら
1晩お酒飲みながら語れそうです😂
自己肯定感の高い人ばっかりの社会もうまく行かない気がする。
旦那は自分のルールから私が外れた事をしたら、やいやいと叱って来ます。そうされると私は叱られた事をやりたくなくなります。それさえなければいい旦那なんですけどねえ。逆に旦那は、私が色んな事に目をつぶっている事には全く気が付いていません。そんかもんか。
かわいそう😢
褒めるではないのですが、感謝ができる子になって欲しくて私は子供に丁寧にありがとうを言うようにしていたら、子供は学校で友達がありがとうを言われなかった時に、「おれ?なんでありがとう言わないんだろう」て引っかかったことがあるようでした。私が丁寧にした結果、子供が「そっちでひっかかるんだぁ」「違う要素が混ざってくることがあるんだなぁ」と思ったできごとでした。一晩しゃべれるww
そもそも自己肯定感が低いって何となく悪いイメージがあるけど
自己肯定感が高い人が溢れてる社会と、高くない人ばかりの社会とでどっちがどう良し悪しあるんだろう?
捻くれてるかもしれないけど周囲が自己肯定感高い人ばっかりだったらしんどそう…
なるほど。新しい視点ですね。
自己肯定感が高い人って、時に傲慢というか、自分の価値観を他人にも押し付けるところありますからね。
「(こんなに素晴らしい)自分が好きな料理だから周りもきっと好きだろう、今日食べたら好きになるはずだ」って勝手に思って勝手に注文してたりね。
まぁ本当にそれで好きになることも多いから、微妙なところですが。
「周囲に対する影響力が高い」ってだけで仕事の場では重宝されるから、やっぱり社会では求められるタイプなんだろうなぁ。
宇治原さん、菅さん、こんばんは😃
私は、両親から何かを褒められたり、何かを頑張っても、認めてもらえたりした記憶がありません。何をしても、ダメ出しされたり、文句を言われた記憶しかありません。
今の私は、仕事でやったことを、上司から褒められても、その言葉を素直に受け入れることができない自分になっています。上司からは、上司の言葉を信じていないと思われているのではないかと不安になりますが、ど~しても、相手からの褒め言葉を受け入れられず、「自分はそんなにできる人間ではない。」と思っています。何度も、「あなたは自己肯定感が低すぎる。」と言われます。どうしたら、相手からの褒め言葉を、素直に受け入れられるのか…受け入れている自分の姿を想像する事さえできません。自分に自信が欲しいとまでは言いませんが…。
今の時代、自己肯定感を持つことは難しいのですかね?もう少し、お二人のお話を聞いていたかったなぁ…😊
当たり前のところからになりますが、
自己肯定感は個人の価値観です。
低い人は「己を低く捉える価値観で生きているだけ」であり、高い人はその逆です。
「褒める」とは他人が他人を「私はあなたがこの事柄において良いと思った」と述べることであり、厳密には褒められた当人の価値観とは別、他人事です(自分ではそうは思えないのだが、なんだか褒められたなあ、と感じるだけで済ませる可能性があります)。
褒めるだけで高まることも勿論ありますが、基本的に褒める行為で褒められた人の自己肯定感が高まるのは副産物と言えるでしょう。
ではどうすればと言うと、第一には幼少期に「肯定する育て方」をすること。自然と褒める機会は増えるが、意識すべきは子どもを否定しないことの方です。愛情たっぷりに受けて育った子が自己肯定感高いケースは多いのですが、それは「ダメなところがあっても愛された」「失敗しても愛された」という感覚を得ているから。
その後の人生で(学校の先生だとか、クラスメートから)強く否定される経験をした子も、やはり自己肯定感は低くなりやすいです。
打たれ弱さとは別の話です。否定的な結果を受け止めたのちに、どう振る舞って生活を送れたのかということが「捉え方(価値観)」を育てます。
自己肯定感の低さはにも「適応規制」として心の防衛にも繋がるため、テストが返ってくる前に低く見積もるのと同じように、思春期以降、癖になるとなかなか抜け出すことができません。
己の心をどう守り、その性格でどんな甘い汁を吸ってきたかを自覚した上で、
「最近この価値観だと採算が合わない気がしてきた」
と考えて
「ではどんな価値観ならいいのか」
と、
本人が組み直しを図ることで自己肯定感は高まっていきます。
思春期以降の若者に対してできることは
考え方の提示(ティーチング)、環境と機会の提供、コーチング、カウンセリングです。
ひねくれているのか、自己肯定感が低いのか
ほめられると それって本心?本気で思ってる?って内心素直に喜んでいない自分がいます
でも人づてに ○○さんがほめてたよ とか聞くと妙に嬉しかったりします
啓発本などにあるテクニックですね。直接褒めるより間接的に褒める方が実感が増して印象が良くなるのだそうです。
褒めると叱るの極端なことじゃなく、若い人たちと話す時には叱らずに理解することが大切だと思います。褒めて欲しい人って多いのでしょうか…
褒める難しさ、の話ですが、昨日たまたま見ていたテレビの街頭インタビューで
「メールが丁寧でいいね、と上司に褒められたがそれくらいしか褒めるとこなかったんだろうな、
と気になり結局落ち込んだ」と答えてる若手社員の人がいて
何でもかんでも褒めるもんではないな、と思いました😅
あと、ハラスメントについてはされて一回目にいきなり「ハラスメントだ!」ではなく
「それは自分は嫌なのでやめてください」と言って
「そうか、分かった、ごめん」と言って二度とやらない
そういう関係性や環境をいかに構築していくかが
大事なんだろうなと思います。
【はらぽち】
自分も「(そんなこと誰でもできるわ)」と内心思いながら、「ありがとうございます」と言います。笑
なので自分が褒める立場になったときは「(こんな当たり前の事褒めたってしょうがない)」と思って、プラスアルファできた時しか褒めないです。
【くどう】
@@ikanattoo さん
その「当たり前」も「プラスアルファ」も
人によって違うから、結局は自分基準で
決めるしかないですよね~😅
難しいもんですが、その難しさも楽しめる人になれたらいいなと思います💦
@@harapochi 本当におっしゃる通りだと思います。人によって分けると「あの人の事は褒めるのに、この人の事は褒めない」とか言われるんですよね。言って大丈夫な人なら「あなたはこれくらいの事で褒められて嬉しいの?(もう少しにオブラートに笑)」伝えますが、人によっては伝えると色々面倒になります。笑
日々難しいと感じています…
@@ikanattoo さん
そうですね、とりあえず現状を褒めた上で、
向上心ある相手なら「ここをこうしたらもっと良くなるかも」を
提案することはとても素敵な心がけですね!
私はそこを忘れがちなので見習いたいです😊
自分も後輩も日々成長ですね。
褒めるんなら毎回ちゃんと褒めて、叱るんなら毎回ちゃんと叱って欲しい。
おざなりなやり方は子供は察するし傷つく、相手を信用しなくなる。
環境によるんですかね
自分が子どもの時代も「◯◯くんは気が利くねー」と褒められる事で目立って周りから疎まれるような環境だったら嫌だったと思うし
今の時代でも褒められる事で周りからの評価が上がる環境に身を置いてる人なら望むところな気がします
確かに。周りの大人から褒められるような子(人)がいじめのターゲットになる時代ありましたよね(今も!?)😔
それずっと気になってた!
社会に出ると結局結果を求められるから、余計反動来ないか??
って気になったし、「だが、情熱はある」と言ううドラマを見て、尚更否定され続いても、肯定しつづけて育ても、屈折しちゃってるやーん😮って気になってたけど、なるほどね。
自己肯定感じゃなくて、自己愛が大きくなるって言うの凄く腑に落ちました。ありがとうございます😊
自分が姪っ子に対して気にしていたことは、「良いこと悪いことをしっかり教えるために、悪いことはしっかりと叱る、結果はどうあれ努力したことは徹底的に褒める」としてました
「何をどうすることが正解であるか、何をしたら間違いなのか」、それを教えるために褒めると叱るをしっかりとした基準をもって接していました
教える側がしっかりとした基準を持ちぶれないことが大切だと思っています なので姪っ子は親に「そんなことしたらお兄ちゃんに怒られるよ」って言われたときに「こんなことではお兄ちゃんは怒らないよ」って自信をもって言えるようになってたので、ちゃんと伝わっているなって嬉しかったです
何かの効果を期待して褒めるからダメなのかなと思いました。
褒めることがあれば褒めれば良いですけど、大げさにわざと褒めることはない気がします。
これは批判ではなく…
ラフ次元の梅村さんが、お子さんに勉強を教える時、ものすごく褒めていらっしゃるのをテレビで見ましたが、子どもの性格もあるので、全員が真似して上手くいくとは限らないなと思いました。
私は、子どもが息を引き取る時に「楽しい人生だったな」と思ってもらえるように育てています。
【ミトン2】
「困難なことにチャレンジした時に褒めないと意味がない」
えーーーー!存在を褒めることが安心感、チャレンジしに行く力になるっていいましたやん!!
って声出ましたwww
宇治原さんも仰っていましたが、褒めるも叱るも実体験をベースに具体的に伝えるのが良いと思います。
「ピアノの先生がなんで優しいこと言ってくれるかわかるか?お前のこと諦めてるからで。怒ってもらえるうちが華やと思え」と小学生の頃母に言われたことを今でも鮮明に覚えています。そのせいか未だに、一緒に誰かと楽器演奏する時は、褒めてくれるだけの人よりも、音のミスやリズムのズレをきちんと指摘してくれる人の方が信頼できて安心します。ちゃんと自分の音を聞いてくれてたんだなと思えるからです。
褒めようが、叱ろうが、菅ちゃんも冒頭で仰ってたように「この人はプロセスを見ていてくれた」と思えたら、そこから信頼関係が築かれていくのかなと思いました。
改善に向けて具体的に示してくれる人は、信頼して良いと思います。
自分で考えろという人は、自分で考えたら何で聞かないのかと言われて詰みます
私の父は滅多に褒めないのですが、たまに本当に頑張った時は褒めてくれたので逆に信頼できました🎉
なんでもかんでも褒められなくても子供は成長すると思います
一晩中でも話せる(話したい?)お二人、本当に仲がいいんですね
お互いの言葉のキャッチボールを楽しみすぎてる
昨日に続いて心に響くお話ありがとうございます😊
ほとんど叱られずに育った姪っ子は羨ましいくらい自己肯定感の塊ですけど、そうなんですね😮。成長の過程で関わる人も環境も変化するし、結局本人の性格で回りが出来る事は限られているのかも。
テクニックとして場所やタイミングを見て褒められてるっていうのが結構小さい頃から分かってしまう。
調子乗らせてもっと求められるのでは?と考えてしまったりする。
どんなことでも褒められるのは嬉しいけど、褒められた時にどんな反応をしたらいいのか分からない。
結果なんとなく気まずくなるから、褒められるのは苦手。
同じ「褒める」でも
子育てにおける「褒める」と
職場における「褒める」は
褒められる相手が違うから
ひとくくりにそれで、自己肯定感が上がるとかも違う気もしますね!😊
結局相手の「気持ち」に向き合って
相手にあった方法で寄り添えることで
自己肯定感は育つのかなぁと思いました🤗
こーやって考えることなかったので、勉強になりました😌💕
本当に難しい時代になって来たと思います。
新人スタッフから、褒められるのは嫌いです!と数人から言われた経験があります。
褒めたいときは、どうして伝えたら良いのか、Z世代の指導者は苦労しています。
いつも新たな視点をもらえ、勉強になります!
過程が大切と思ってたけど
今は結果(最終目的)が
大切なんだと思うようになった。
挫折して乗り越えるから強くなる。
褒めるのは上から目線の人で
対等な関係ならむしろ
褒めずに黙って存在を認めてくれる。
社会に出てはじめて社会の理不尽さを
理解する。何事も経験は大切だなあと
最近つくづく思います。
アドラー心理学との共通点を感じました。褒められるために生きる→他人のために生きる、となってしまうんですよね、褒められすぎると。他人ではなく自分のために生きることが大事。でも実際、褒められるのは嬉しいし、だからこそ他人を褒めたりもしたくなってしまうんですよね。人生まだまだ勉強中です。
最近まで学童保育で仕事をしていました。小学校低学年の子たちのすることなので、たいていのことはスルーしたのですが、ある時当時2年生だった女子2人を本気で叱った(怒った?)ことがありました。本人たちは最初小馬鹿にした顔で聞いていましたが、私が本気だとわかると神妙な顔になって聞いていました。
が、私は、ああこの子たちはもう私には寄り付かなくなるだろうなぁ、と思っていたのですが、その日の夕方、まず1人の子が私のところに来て、さっきはごめんなさい。私は〇〇 ちゃん(私のこと)のことが好きなの。だから私を嫌いにならないで、と言ってきました。私は、勿論嫌いになんかならないよ!と言ってその子を抱きしめました。
もう1人の子は、言葉にこそしませんでしたが、私が階段を降りようとしていた時に私の後ろに来て、背中をツンツンしてきました。ハッとして振り向くと、その子は恥ずかしそうにニコッと笑いました。
その後は、時々は小学生なのでまた叱るようなことも当然ありましたが、その日以来その2人とはなんとなく気持ちが通じ合ったような気持ちになれました。
また、「褒める」シーンでは、みんなの前で褒めた方がその子にとっても周りの子どもたちにとってもいいだろうと思う時と、その子だけにわかるように褒めた方がいいだろうと思う時(安易に褒めると、周囲から反感を買ったり、いらぬ嫉妬を受けかねないと思う時)を使い分けました。褒める時の言い方にも気をつけました。
いずれにしても、子どもたちは男子も女子もみんな面白くて、かわいかったです!
きょうだいでも、性格が違うので、全く同じ伝え方で良いのか首を傾げるところですし、他人なんて本当に分からない😱
1歳と3歳の子どもに対しては、今のところ褒めて褒めて褒めまくっております。
私の場合は同じことを言われたとしても、相手によって受け取り方が変わってきます。
(あやの)
いくらアドバイスを受けても、根底で大人がしっくりきてなかったら子どもに見抜かれちゃいますよねー。ちゃんと咀嚼して納得してから実践しないとメッキは剥がれる(笑)子どもは怖い😱【ミスター水割】
賛成です!
ほめて育てるのは、体罰が当たり前の時代のカウンターだと思っています。
暴力は肯定しませんが、厳しく育てる時代が、またやってくると思います。
困難な課題を乗り越えることができた時に初めて自己肯定感なるものが高まるように、
普段、他人を褒めない人から珍しく褒められたり、実は評価されていると実感した時こそ自己肯定感が高まるのでしょうね。
それから、菅さんが「宇治原さんはなかなか人を褒めない」ということを良いと評されてたのが興味深かったです。
褒めるも叱るも上から目線だからそういうところを見透かされてるのかもね
昭和世代ですが、子供の頃、しっかりしていた子供だったのでよく褒められましたが、内心「この程度のことで褒めるってことはこの人は私がこんな簡単なことができたことを特別だと思っているのか?子供扱いするな!」という気がして褒められるのが好きではありませんでした。
「しっかりしてるね」を使う対象が子供や(言葉は悪いですが)朦朧しているお年寄りのみで、大人に使わないのと同じで、「この人はできて当たり前」と思っていることは褒めないと思うんです。
子供であっても、大人であっても、「すごいな!」と思うことや「これはやってもらって助かった。ありがとう!」等は伝えますが、無闇矢鱈に褒める必要はないと思っています。
また、大人同士の意見のすり合わせですが、うちは海外で暮らしているので、周囲の大人の常識も習慣も違います。
なので、子供には大人の中で色んな意見や考え方があるものは自分にあった意見を選択したらいいけど、どこに行っても「人としてコレがいいことだ」とされているようなものは、大変でもそうしなさいと言っています。
ホンっと薄っぺらい褒め方する人もいて。バカにしてるのか!と思うことがある。褒めればいいってもんじゃない。こっちを正面から見てくれてないのは、すぐわかる。向き合ってくれていて、ココはダメだと伝えてくれる人の言葉は、薄っぺらい褒め言葉よりも、聞きたい言葉です。
褒めて伸ばそうとして勘違いしちゃって
「俺すげーーー」みたいな無能部下も生まれる訳で。
お二人の意見とコメント欄の意見、めちゃくちゃ勉強になります。
3歳の娘がいますが、最近色々屁理屈や反抗的な態度も増えてきて、どう接していくべきかいつも悩みます😂
色々な方法を試すあまりコロコロ方針が変わるようなことになると子供は戸惑うでしょうし、難しいですね。
私は自分の好きな人に褒められたい人間、元夫はいないところでまで褒められている事が嬉しい人でした
元旦那が良かれと思って「友達の〇〇がお前のこと褒めてたぞ」と言っても、私は知らない人に評価されるの嫌だなと思ってしまい…
褒められ方についても、個人差があるのだなと感じました。
この二人の議論わかりやすい。
褒めるべきか叱るべきかよりも、褒め「方」叱り「方」が大事なんだと思う
褒め方にも色々あって、手放しに褒められて喜ぶ人もいれば、ちゃんと努力や成果を具体的に褒められたい人もいる。人前で褒められると恥ずかしいと思う人も居るし、逆にそれが嬉しい人も居る。そういうタイプを見極めるのが難しいですね。
必要なのは褒めるではなくて認めるということかなと…
自己肯定感とは何でも大丈夫ということではなく、自分の良い部分も理解し、悪い部分も理解することで、決して自分の短所を無視することではないと思います。
自己肯定感の、履き違えが問題なのかなと
菅ちゃんは自由奔放に育てるのかと思ったら、育児書大量に読んでた。
【ミトン2】
ひとつの見方として、今と以前の風潮や在り方の違いを見ると、以前なら怠け者や能力が低いと片づけられた事柄が、現代は障害という言葉に置き換わり、困難な立場にいる人を認めましょうという理解が強くなったことが以前との大きく違う点だと思います。
そうなれば自分らしく自分だけの価値観を見つけて肯定感を高めるのは良いものの、他人と擦れあった時に共通の認識を持てず摩擦が大きくなるのかなと思います。
褒めること許容をすることを混同している可能性はありますね。
意識的に叱れない=本人にとっての幸福を追求しない傾向がはじまっている。
必然的に他人に興味がない人付き合い方になり、本人の為に自分が悪となって被るリスクが大きい世の中にある。
子育てしていて、困難を乗り越えた時に褒めると子の自己肯定感が上がったと感じました。ネガティブなことをあまり口にしなくなりました。
中学の運動部を朝から晩まで一から真剣にやって最後の小さな大会で優勝した時、子は泣いて喜びました。私たちは過程と結果を労いました。
高校では自由時間が欲しいという理由で帰宅部。現在は大学受験勉強にシフトしていますが、それまでは子はやりたいと思ったことを楽しんでいました。
一度困難を乗り越えた経験は、自己肯定感が高めてくれたように見えます。今は次の大学受験という壁と戦っているので、乗り越えた時にはまた過程と結果を労いたいと思います。
大人の場合、本人のいないところで褒めるのが効果的だと聞いたことがあります。子どもを褒めるのはタイミングが第一かなと思います。
第三者を出して間接的に褒めると、効果があるそうです。
○○さんが褒めてたよ ○○先生が褒めてたよという具合に。
反対に、○○さんが怒ってたよ ○○先生が怒ってたよ どうするつもりなの?私は知らないよというと否定が大きくなる。
母親はありのままを受け入れて愛する(母性)父親は社会のルールや厳しさを教える(父性)と聞いた事があります。褒めて育てる、子供の年齢や性格によりますよね、信頼してる人からなら褒めても厳しくされても自分の為になると思いますが、そうじゃない人から何を言われても響かない。ちなみに2人の子供がいますが、あまり褒めて育ててませんが、まあまあ、かなり?いい人間に育ちました笑
新しく入った人に仕事を教える時に「私褒められて伸びるタイプなので」と言われて
は? 大抵の人はそうやろと思ったのを思い出しました。
子どもでも大人でも人を褒めるのは難しいし技術がいると思います。
確かにみんな怒られてる中で自分だけ褒められると周りの視線が気になるかも…
こそっと自分にだけ「さっきはすまんかったな」って言われた方が嬉しいかなw
褒める「理由」を理解したら、どんな時に褒める褒めないを決定できる。
褒めたという「事実」しか見てないから考えもせず褒めるから相手に響かないんだろうね。
だから褒めなくても相手を尊重してる事が伝われば、褒めるのが苦手な人でも良い関係が築けるんだと思います。
褒めること=結果や成果、の構図だから「恥ずかしい」「次へのプレッシャー」「勘違い」を生むために褒められたくないのかもしれません。
菅さんの言うように過程に対して褒めたり、子ども(相手)の話を傾聴してその中身に対して褒めたり叱ったりするとのがいいのかって思いました。
親は褒めるか叱るかじゃなくて、、子どもを愛してるってことが伝わることが大事なんじゃないかな?
愛があれば叱ろうが何しようが大丈夫というか。
そういう環境で育った子は、社会に出て周りから褒められようが叱られようが特に何も思わないと思いますよ。
生育時期に愛を感じることが足りないから、他人に求めちゃうのではないかと。
本当に子どもが小さい時は、褒めていました。ただ、これは危険、これは相手に迷惑とことに関しては厳しく叱っていました。
その後、何でもかんでも褒めると、こんなことできるの当たり前やのに、なんで褒めるの?と子どもが思うのでは?と思った時期があります。
今はただただ、うんうん、そうか。そう思うんや?と聞くだけにしようとしています。そして小さい頃とは違い、「相手に迷惑だ」と断定するのではなく「私やったら迷惑って感じるかなぁ。〇〇はどう?」と聞くようになりました。
その結果がどうなるかはわかりませんが。
褒めたら自己肯定感高くなるのではなく、自分の弱みと向き合えるようになることが自己肯定感につながるんだと思うんだよな。
自分は人に仕事を発注する立場なんですが、それぞれに相手に対して一律な対応で、
同じ結果が得られるとは限らないですね。
「やりたいプランとかない?」「これは嫌だっていうのはある?」
と振ると、自分のアイデアを出してくる人もいますが、
どう振ってもはっきりした応えがなく、「発注のとおりにやります」という人も居ます。
こう書くと後者の人は単にやる気がないようにも見えますが、必ずしもそんなことはなく、
求められることを最大限の努力で実現しようとするプロだったりもします。
こどもも本来は人それぞれ。絶対に正しい子育てのマニュアルはないと思っています。
海外の話をするのは本質的ではないですが、今アメリカで小学生2人を育てています。学校では心配なくらい先生は褒めることしかしません。そして自己肯定感の高い若者がいっぱい育っています。褒めるか叱るかの問題でなく、自ら考えるとか個性を伸ばすなど他の教育方針との組み合わせの問題かと思います。また叱って育てるとある程度均一な常識ある子が育つが、飛び抜けない。褒めて育てるというのは、逆に個々の責任に任せているとも言えます。伸びる子はもっと伸びるし、伸びない子はただストレス耐性のない子になるのでは?
ゆとり世代です🙋🏻♀️
私は人前で褒められるのも好きですが、ひっそりとでも確かに評価されているのも好きです。学生時代だったら通知表だったり、社会人だったら昇給だったり。
人前で褒められるのが恥ずかしいというタイプには、もしかしたら「出る杭は打たれる」経験を実際にしたことがあったり目撃したことがあったりするのかなと思いました。
私は環境に恵まれていたので人前で褒められても嫌な思いをすることがありませんでした。
褒める人、褒められる人の他にもそれを見ている人々のリアクションも大切なのではないでしょうか。
以前の放送で「本当に優秀な人は褒めても怒っても、メッセージの本日を理解している」を思い出しました。
いないないばぁをしない、と言った時の宇治原さんの顔がワロター笑
「優しそうな彼氏さんだね」が"褒めるところないときの常套句"として認知されているように、褒めるのが目的化してて「なんか無理矢理褒めてるな」って子供でもそのうち分かると思う
それが他に褒めるところないから薄いところを大きくしてるって感じて自己肯定感低くなってそう
おそらくそれは5歳くらいまでが大事
その間で「なんでできないの?」と否定されて育ってきたら
自己肯定感が低くなったり、
人目を異常に気にしたり
できないことを誤魔化そうと嘘をつくようになったりする
会社の後輩見てても自己肯定感が低いと感じた事はない
ちゃんと指示を出せばそのようにみんなやってくれる
言われた仕事はちゃんとこなしてくれる能力はもってる
褒めるはしないけどそれに対して「ありがとう、助かったよ」と個人に対しての感謝は伝えます
私の友人、一人娘を褒めて褒めて育てて、25歳になった今、モンスターと化し、褒めて育てたのは失敗と、絶縁中。
その娘、悪い所を注意されると、私には注意しないで!褒めて伸ばして!と逆ギレ。お母さんが私をこんなふうにした!他人とうまくいかない!とキレてしまうそうです…
私も褒めるの苦手。私自身も褒められ慣れていないので、大したことでないことで褒められるとリアクションに困る。
でも、がんばったことで褒められるのは嬉しい。
考えはじめると、いろんな考え方がありますよね。
私は、自己肯定感はまずは大人から高めた方がいいんじゃないかなと思っています。
最初は子どものチャレンジを褒めて、チャレンジが難なくできるようになれば、
善悪の判断を手伝ってあげる。その後は、少しずつ子どもだけで、
物事を決めさせていく…のように最終的に子どもが一人で生活できるように
手助けをしてあげる。大人はあくまで困った時に頼れる味方。
しかし、その大人も経験がないとわかっていないことが多いし、
移住が増えて、近隣と関係ができてないと、声をあげにくかったりする。
だから大人も困った時に、駆け込み寺みたいなところが必要と思います。
今の時代だからこそ、便利で楽なことばかりせず、たまにはネットを使わない日を作り
これが無かったら、何をしていたんだろうか、将来はどうしたいかを想像することが必要なんだと思っています。
小学校に入学して、落とし物を先生に届けて、初めて褒められると言う体験をする。その日から落とし物を探す子になった。
落とし物ならいいですが、先生に告げ口をして自己肯定感を得る子は、昔も今も周りから距離を置かれますよね。
その先生ですら良くは思わない、それでいいのか?改めろといった見方になる
息子はめちゃくちゃ上手くいった例かもしれません。
子供を作る前にたまたまテレビで見た場面がありまして、お父さんが年ごろちょっと手前の娘に
「えっ、いつかは結婚したいの!? いやだ!お父さんは〇〇と離れたくない!」
と言っていて
「あ、こういうことを子供に言っても良いんだ」
と感じたのがきっかけで、のちに生まれた息子に
「大好きだ、宇宙一大好き、お前は宝物だ」
と、存在そのものを褒めまくりました。 これはそうしようと思って褒めたというより本気で可愛いと思っていたからです。
これにより息子は【謎の自信】を身につけ、色んなジャンルに挑戦してダメでも次に進んで今やっと夢の職業に就きました。
これは「褒めて伸ばそう」とは違うかもしれませんが、子供の心の中に
「帰る場所」みたいなものを作れたのかなと思います。
本人曰く
【こんなに楽しい人生はない】
らしく、「どうせ俺は愛されているのだ」という【存在そのもの】に対する確固たる自信があるようです。
何かの役に立てたら、と思います。
お二人とも 育児書を よく読んでおられますね!私も娘も保育士 ですが、育児と保育って違いますよぉ。永遠のテーマですね。 我が子は 褒めすぎてもいいと私は思っています。なぜなら 日常 むっちゃ怒るからです😂
「こんなんもできんのんか?!」「1回言うたろうが!!」って言われて生きてきたので、自己肯定感劇低人間でした。現在アラフィフになって思い出したときに、たくさん教えてきた人間がそんな言い方で教えるか?って思って、昔に戻れるんならめちゃくちゃ言い返す自信が今はある!w
33歳ですが新入社員の時にゆとりは打たれ弱いからなと言われてました。
きっと氷河期世代も同じようなことを言われてたんじゃないかとふと思いました。
大して学もないですが留学など経験して大抵なんとかなるし逃げたければそれこそ
海外に逃げてもええなと思えるので時には上司に反抗しながらのんびり過ごせてます。
職場の後輩を褒めも指導も感謝もしますが、指導は本人にだけして、褒めや感謝は本人不在の場で周囲にも話します。自分が褒めの受け止めが苦手なので、私の本意なんだということが伝わるといいなと思うからです(Jane/ジェーン)
一番良くない褒め方の例。中学一年の時、私のクラスは荒れていて、ある先生が私を教壇に立たせ「私はこの子以外は信用しない」と言い出しました。私を褒めているようで実は、クラスを責めている姿勢に、私は生贄となったのです。それからしばらくは、クラスメイトに影で悪口を言われました。昔の先生とは言え、おかしな事をされたもんだと、嫌な思い出です。