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90年代後半、年末は側のホテルを取って住之江競艇場でグランプリ(当時賞金王決定戦)に講じるのが恒例でした。おそらく何かゲストに呼ばれた小島先生をロビーで発見、思いきって声を掛けさせていただきました。気さくにサインと写真撮影に応じて下さりお迎えの方が来られるまで翌日のレース予想や麻雀談義に講じて30分ほど楽しい時間を過ごすことが出来ました。去り際に翌日の推奨レースを教えていただいてレース外れたもののまさに「神対応」で痺れました。懐かしい思い出です。
一度だけゲームのイベントで見ました。小島さんがツモのみのツモ上がりができたのですが手牌を変えたあとにリーチからツモ。カッコよかったです。
麻雀をギャンブルからマインドスポーツへ昇華させる一歩を作った一人。
「孫は十人いる」ではなく「孫は十人くらいいる」と言ったそうです。
小島さんは阿佐田哲也さんが小説で作ったイメージをうまく生かしてファンを喜ばせた。架空と現実の狭間を渡り歩いたのだ。大人の戦略だった小島さんが最高戦を優勝した時はファンみんなが狂気したなあ新撰組には田村光昭という恐ろしく強い若手がいたなあ評論家の大隈氏とよく言い争ってた
タミーラこと田村光昭さんも強豪でしたね。阿佐田さん、小島さんの麻雀新撰組にも参加されていたと記憶しています。4s5s持ちの3s-6sにするところを2sを引いて5sを打ち、カン3s待ちリーチ。これで5sが場に4枚見えて「3s-6s待ちは無い」と周りに思わせて3sで討ち取った闘牌が大昔に紹介されていましたが、相手心理の虚を突く雀士でした。
もうこの世を去りてから数年経つのですね…麻雀最強戦は大会のシステムが何回か変わっているのですが、現行の「麻雀最強戦20??」ではなく「第?回麻雀最強戦」だったころは、団体の最高峰タイトルホルダー以外は、皆予選会から参加する方式だったそうです。私がよく遊びに行く麻雀屋さんの店員(プロ資格持ち)が「三副露してホンイツに見せかけた、ただの役役2000点で俺のオーラス親を流されたんだよ(笑)」ってよく話しております。そのあとちゃんとサインも頂いたそうです(笑)
小島先生はいつも最強戦予選なしで推薦枠で決勝トーナメントスタートだったよ
よんあんこー?すーあんこー じゃん 一部動画と音声が合ってない…
小島さんは上京のきっかけは本人と阿佐田さんで異なっているんですね。本人はインタビューでコンピューター技師がいいと思って上京したと言ってますが、阿佐田さんの著書では麻雀で世の中を席巻するまで故郷には帰らない覚悟だったとか。魅せる麻雀は、プロなら普通に打っても意味が無いと考えていたそうで、タンピン三色やチンイツを半ば強引に狙っていたそうです。なので自分本来の麻雀でない部分と、タイトルで勝てない事にジレンマもあったそうです。初期は麻雀タレントとしての麻雀を打っていたようですが、中年期〜晩年は勝ちにこだわって打っていたそうです。
15:54 われめでぃーいーポン
売人じゃなく玄人です
その昔ある雀荘のメンバーだった人が、よく小島さんはアウト(店から不足分の借り)をしていたと言っていた。
麻雀は人柄が出るって言うからまさに小島先生は豪快な生活が麻雀に出ていたんだろうなぁ〜⁉︎そうなると堀内さんとは水と油だから合わないかも?余談ですが堀内さんがもしプロ復帰するなら最高位戦か麻将連合なら復帰できるかも?
プロって言うより、各団体は所詮はサークルだからねサークル内のルールが、魅せる麻雀ってなだけで雀鬼流麻雀で第一打字牌切って破門されたのと変わらんよね堀内さんは、ただ入るサークルを間違えただけ今はメディアが強いから、だいぶ緩和された
音声がとても苦手です……もう少し聞きやすいものだと良いと思いました
堀内事件があるだけに好きになれない…
小島と堀内は麻雀が全て逆なんだよね。確率的には堀内麻雀の方が強いと思う。あと、よんあんこうには笑えた。
小島はながしま
上手くもないのに長くやってるだけで小島"先生"なんて呼ばれてるクソみたいな界隈だな
よんあんこうじゃなく スーアンコ
天衣無縫やな
みなみみのがし-----せめて麻雀を知っている人を起用しなよ!
よんあんこう
ろくでなし 読んだだけ
小島先生連盟の4大タイトル一度も取ってないんだよね優勝した大会も招待制の少人数大会ばっかりだしそもそも誰よりも招待制の大会に招待されてたからね最強戦も予選なしで推薦枠で何度も決勝トーナメントから出てた
売人はヤバいだろw
しょうもない男
魅せる麻雀www小島みたいな下手くそだとその辺の雀荘やネット麻雀のそこそこレベルにも長期的スパンで負け越すわ。堀内と比べるとかギャグかよ
90年代後半、年末は側のホテルを取って住之江競艇場でグランプリ(当時賞金王決定戦)に講じるのが恒例でした。おそらく何かゲストに呼ばれた小島先生をロビーで発見、思いきって声を掛けさせていただきました。気さくにサインと写真撮影に応じて下さりお迎えの方が来られるまで翌日のレース予想や麻雀談義に講じて30分ほど楽しい時間を過ごすことが出来ました。去り際に翌日の推奨レースを教えていただいてレース外れたもののまさに「神対応」で痺れました。懐かしい思い出です。
一度だけゲームのイベントで見ました。
小島さんがツモのみのツモ上がりができたのですが手牌を変えたあとにリーチからツモ。
カッコよかったです。
麻雀をギャンブルからマインドスポーツへ昇華させる一歩を作った一人。
「孫は十人いる」ではなく「孫は十人くらいいる」と言ったそうです。
小島さんは阿佐田哲也さんが小説で作ったイメージをうまく生かしてファンを喜ばせた。架空と現実の狭間を渡り歩いたのだ。大人の戦略だった
小島さんが最高戦を優勝した時はファンみんなが狂気したなあ
新撰組には田村光昭という恐ろしく強い若手がいたなあ
評論家の大隈氏とよく言い争ってた
タミーラこと田村光昭さんも強豪でしたね。阿佐田さん、小島さんの麻雀新撰組にも参加されていたと記憶しています。
4s5s持ちの3s-6sにするところを2sを引いて5sを打ち、カン3s待ちリーチ。これで5sが場に4枚見えて「3s-6s待ちは無い」と周りに思わせて3sで討ち取った闘牌が大昔に紹介されていましたが、相手心理の虚を突く雀士でした。
もうこの世を去りてから数年経つのですね…
麻雀最強戦は大会のシステムが何回か変わっているのですが、
現行の「麻雀最強戦20??」ではなく「第?回麻雀最強戦」だったころは、
団体の最高峰タイトルホルダー以外は、皆予選会から参加する方式だったそうです。
私がよく遊びに行く麻雀屋さんの店員(プロ資格持ち)が
「三副露してホンイツに見せかけた、ただの役役2000点で俺のオーラス親を流されたんだよ(笑)」
ってよく話しております。
そのあとちゃんとサインも頂いたそうです(笑)
小島先生はいつも最強戦予選なしで推薦枠で決勝トーナメントスタートだったよ
よんあんこー?すーあんこー じゃん 一部動画と音声が合ってない…
小島さんは上京のきっかけは本人と阿佐田さんで異なっているんですね。
本人はインタビューでコンピューター技師がいいと思って上京したと言ってますが、阿佐田さんの著書では麻雀で世の中を席巻するまで故郷には帰らない覚悟だったとか。
魅せる麻雀は、プロなら普通に打っても意味が無いと考えていたそうで、タンピン三色やチンイツを半ば強引に狙っていたそうです。なので自分本来の麻雀でない部分と、タイトルで勝てない事にジレンマもあったそうです。
初期は麻雀タレントとしての麻雀を打っていたようですが、中年期〜晩年は勝ちにこだわって打っていたそうです。
15:54 われめでぃーいーポン
売人じゃなく玄人です
その昔ある雀荘のメンバーだった人が、よく小島さんはアウト(店から不足分の借り)をしていたと言っていた。
麻雀は人柄が出るって言うからまさに小島先生は豪快な生活が麻雀に出ていたんだろうなぁ〜⁉︎そうなると堀内さんとは水と油だから合わないかも?余談ですが堀内さんがもしプロ復帰するなら最高位戦か麻将連合なら復帰できるかも?
プロって言うより、各団体は所詮はサークルだからね
サークル内のルールが、魅せる麻雀ってなだけで
雀鬼流麻雀で第一打字牌切って破門されたのと変わらんよね
堀内さんは、ただ入るサークルを間違えただけ
今はメディアが強いから、だいぶ緩和された
音声がとても苦手です……もう少し聞きやすいものだと良いと思いました
堀内事件があるだけに好きになれない…
小島と堀内は麻雀が全て逆なんだよね。確率的には堀内麻雀の方が強いと思う。あと、よんあんこうには笑えた。
小島はながしま
上手くもないのに長くやってるだけで小島"先生"なんて呼ばれてるクソみたいな界隈だな
よんあんこうじゃなく スーアンコ
天衣無縫やな
みなみみのがし-----せめて麻雀を知っている人を起用しなよ!
よんあんこう
ろくでなし 読んだだけ
小島先生連盟の4大タイトル一度も取ってないんだよね
優勝した大会も招待制の少人数大会ばっかりだしそもそも誰よりも招待制の大会に招待されてたからね
最強戦も予選なしで推薦枠で何度も決勝トーナメントから出てた
売人はヤバいだろw
しょうもない男
魅せる麻雀www小島みたいな下手くそだとその辺の雀荘やネット麻雀のそこそこレベルにも長期的スパンで負け越すわ。堀内と比べるとかギャグかよ