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当時、ウィリアムズのサイドプロテクターにフィンを立てて規定を満たしたものを見たとき、「このチームが一番安全性を考えなくっちゃいけないのに、何だよこれ!」と思った。
フェラーリとベネトンだけがトデカいサイドプロテクターを付けてましたね😅
ジョニーは、キャリアとしては不遇ではあったのだけど、天賦の才を持ったドライバーだったのだと思う。
だってミカハッキネンとLotusで遜色ない走りしてたし、F1参戦初戦で6位入賞してるし、MAZDA787Bでル・マン優勝してるし…
@@マジックリンT ハーバードは初入賞4位だったと思った。
確かにジョニーはデビュー戦4位です。それも優勝したマンセルからは10秒位しか離れて無かったはず。
個人的にはジョニーは単にドライバーとしての腕前ではハッキネンやシューマッハよりも上だったと思います。
シューマッハは王様に例えると曹操や斎藤道三、カエサル、フィリップ2世みたいな奸雄、梟雄タイプな人物でですからね。チーム主導権やピット戦略など権謀術数や緻密な作戦で場を支配する所が。
ミハエル・シューマッハ離脱後のベネトンは徐々に優勝から見放される事になってしまうも…その2年後の1998年のウィリアムズにおいても1996年をもってウィリアムズから離脱したデイモン・ヒル、1997年にエイドリアン・ニューウェイ等も離脱してしまう事も考えると…。ウィリアムズ、ベネトンは王座陥落のチームへ…。
ポディウムに立つ、シューマッハとベルガー。あれだけの身長差があると、前年度のマシンの正常進化型のB196のコクピットは、ベルガーにとって狭いんだろうなと、改めて感じましたね。改善されたB197では、ベルガーがその答えを出してくれましたが、ベネトンが消えるとは、その頃は思いもしなかったですね。
B196は優勝できなかったマシンだけどカッコいいですね🏁
B196に手こずっていたベルガーですが、翌シーズンにかなり操縦性やバランスが改善されたマシンB197で、ドイツGPで意地のポール・トゥ・ウィンを決めてくれましたね。(これには自分も歓喜した)しかしこれがベルガーのキャリアで最後の勝利、またベネトンチームにとっても最後の勝利となってしまうとは思わなかった。
そのレース、アレジ2位でワンツーフィニッシュでしたよね?
@@sakuhaya70402位はシューマッハで3位がミカ。アレジは5位か6位だったはず。ちなみにアレジはモンツァでポールを獲得したけど決勝ではデビクルに逆転され2位フィニッシュだった…
@@willywonka6468 さん自分の勘違いでしたか。情報ありがとうございます m(__)m
ベネトン初勝利もB186でベルガーでしたよね~
ハンガリーかな
4:02 91年といい、アレジはつくづくウィリアムズには縁がない😅ウィリアムズに行っていたら何回か勝てていただろうに…。
ウィリアムズはドライバーをただの駒としか見てないから行かなくて正解。マンセル、ヒルは言うまでもなく、セナ、プロストですら行って後悔したらしいし。ドライバーの扱いに激怒してニューウェイがマクラーレンに行ったのは有名な話。
ゲルハルトは速いけど 車🏎️に合わせた乗り方が出来ないんで シューマッハスペシャルは乗りこなせないでしょう😅 そんなマシンで2勝したジョニーってやっぱりスゲー😉
さすが怪我治ってない足でデビューイヤーを飾りスチィワートを優勝に導いた人だ。
アレジのファンなので当時、アレジ特集の雑誌をよく買っていました。その中で確かAS-Fでの特集(96 開幕前)記事でシューマッハスペシャルと言われたB195をアレジは簡単に乗りこなしタイムも早かった。と書かれていた氣がしました。それはシューとセッティングの好みが似ていたそうです。そしてベルガーの好みは二人と逆。とも。そして196は、その中間を取った感じで結局、中途半端だったそうです。
AS+F私も買っていました。カナダGPのアレジが優勝した写真に「これやりたくて(フェラーリに)優勝しました!」とシューマッハの顔が合成されていたり、「FORZA!ALESI」というアレジの手記のコーナーがありましたね。
最初のプライベートテストでアレジはB195でシューとタイムも遜色なしベルガーはシューのセッティングで走るもスピン。アレジ寄りのマシンだったらまだマシだったかもしれない
本当の真実のコメントの数々、 有り難う御座います。何処の馬の骨やガラクタ供がワーワーと何を言おうがベルガーとアレジは最強のF1ドライバーなのですよ❕👍️
@@ナイトセイバーチャンネル それ、私もAS+Fで拝見致しました(笑)アレジのとシューのコラージュでしたが、ベネトンのアレジの体付きが完全にシューの体付きだったので違和感アリアリでは有りましたが(苦笑)ですけどアレジは何に着けてもオシャレには煩い(うるさい)そうで、マシンのカラーリングとかはピカイチでしたね。更には開発能力に乏しすぎる等の短所を独自のテクニックで走らせてリカバーするトンでも無い技術も持ち合わせている事も然り、タイヤと会話が出来る数少ない実力の持ち主でも有りますからね。(セナ亡き後からF1を見始め、気が付いたら誕生日が自分と殆ど近い理由でアレジを引退するまで熱烈に応援してました。)
この頃のシューマッハがいかに「特殊なスタイル」を好んだかっちゅうこと。
マシンのカラーリングはすごい爽やか
ブリアトーレの形振り構わないスタイルが嫌ってスタッフ根こそぎ引き抜いて時にはダーティーも辞さないドライビングをしていた人が言えるわけ無い
ベルガー「こんなピーキーなマシン乗れたもんじゃねえ。よくあいつ(シューマッハ)これでチャンピオン取ったな。」シューマッハ「なんでこのマシン(フェラーリ412T2)であいつら(ベルガー、アレジ)勝てなかったんだ?」うーんこの
それはおまえが受けて来た様な一極集中でフェラーリがやっていなかったからだよ
結果論だがアレジはNo.2待遇でもウイリアムズに行くべきでしたね結局アレジはティレル時代が1番輝いていた
2度もチャンスを逃していたとはどうしようもない。最強のFW14を逃したのを目の当たりにしたらNo2でもFW18には乗りたいと思うけどね。ヒルには当時なら勝てそう感ある、まあ実際には無理だったろうけどね。
イタリア系フランス人のアレジにとってフェラーリは特別だったんだと思います…(T-T)F1の生涯成績からすると残念な結果でしたがフェラーリでのあの情熱的な走りは忘れられません(≧∇≦)b
フェラーリの誘惑に負けウィリアムズとの契約を蹴ったのが全て。ただ1997年にウィリアムズに乗っていればフレンツェンより活躍してたかもしれない
@@moririn-oq1qbその背景にはウィリアムズが他の複数のドライバーにも同じ条件の交渉やオファーもしていたらしく、不信感と失望に陥ったアレジの元にフェラーリからも話が来たとの事で、個人的には当時のウィリアムズにも非が有る感は拒めないんですよね。アレジの引退表明後の最後のレース(鈴鹿)では決勝レース前にウィリアムズのテクニカルディレクターのパトリックヘッドがアレジと口惜しそうに語り合っていたのが印象的で、ウィリアムズが多々起こした大きな選択的失敗の一つの象徴で有ったと、セナ亡き後からF1を観始めたのと同時にアレジファンとして応援してきた自分は勝手ながらの解釈をしています。もう一つアレジが如何に大きな存在のF1ドライバーで在るかとの証として、引退の前年は絶不振で引退を仄めかすもFOCA会長バーニー・エクレストンからの熱意的な引退引き留めは涙物で、『(ベルギーGP前辺りの前夜祭?で)君は若いF1ドライバー達の模範なんだ!だから絶対に引退などしてはいけない!』との叱咤激励を受けたとの事。当時のF1誌に載ってました。)
過剰にクイックなマシンはベルガーとアレジには合わないだろうな…って思っていたけどその通りなシーズンでしたね正直その二人よりハーバートの方が乗りこなせるんじゃないかなって今でも思ってます
対応出来なかったのはベルガーで、逆にアレジは対応出来ていたそうです。(しかも楽しんでたとかw)ただ、ベルガー好み寄りのマシン開発に成ってしまい、この部分でアレジのドライビングのスタイルに影響が出てしまったのですね。況してやこのシーズンにマクラーレンにアドバイザー?として在籍していたプロストも予選や決勝でウィリアムズに水を開けられているベネトンのマシンに付いて、全体的に挙動が安定しないベネトンのマシンに対し、「ベネトンのマシンの何処かに欠陥が有るのでは無く、ベネトンのマシン其の物自体が欠陥なのでは?」とコメントするくらいの酷さだったのですからね。
セナが抜けたロータス、マクラーレンも翌年から未勝利になったりしましたよね。
ほんとドライバーの力量で変わるんですね(*^^*)
チームシューマッハから脱却出来ないでいるベネトン、離脱したシューマッハとドライビングスタイルの違うドライバー2人が加入しても変わる事が無かったですね。加えて長身のベルガーに合わせたヘッドプロテクターとベルガーの頭はインダクションポッドに入るハズのフレッシュエアを阻害し、一説には20%のエンジンパワーをロスしていたらしいですね。
フェラーリのよう💦
ベルガーのシート合わせのとき吸入口の兼ね合いでヘルメットに空力デザインを考えなかったのかなバーンとブラウンは
@@無敵五十 バーンとブラウンはもうフェラーリと話がついていてベネトンでは手を抜いていたりして😁
結局マシンのみならずチーム体制全て含めて「シューマッハスペシャル」だった訳なんだな。結論:ジョニー・ハーバートは凄い
実際にタイトル獲るか、迄はいかなくても前年圧勝したマシンの発展型だったので、アレジ·ベルガーコンビは5勝位は挙げてウィリアムズとのタイトル争いをすると思ってました。蓋を開けたら、あのずんぐりむっくりしたバーナードの失敗作(と言っても良い)に乗ったシューマッハが3勝も挙げて、余計アレジ·ベルガー組の情けなさが際立ってしまったシーズンでしたざんねん😢😢
ハーバートは2勝、ベルガーは1勝(初優勝は除いて)。アレジやフェルスタッペン、レートの批判ではないが、勝てるドライバーとそうでないドライバーの差がよく出ていたチームじゃないかな。
B195・・・片山右京に野心があったら、ドライブしてた可能性があったんだよなぁ…マシン特性の好みがシューと一緒だったし。
ベネトンに乗った右京、見てみたかった…
この年のアレジは特に序盤にミス連発だったのがねぇ。第1戦…アーバインに追突、第2戦…ヒルを追走中にコースアウトでタイムロス、第3戦…ピットアウト時にエンストで優勝争いから脱落、第4戦…スタート失敗でほぼ最後尾に落ちてその後にサロに追突、第5戦…スタート直後にジャックと接触&スピン1回&ピットロードスピード違反でペナルティ…。その後フラビオから(多分)ボロクソに説教されて、若干大人し目に走ったら何故かコンスタントに表彰台…で最後は鈴鹿でスタート直後にクラッシュでシーズン終了(泣)ポイントとランキングもキャリアハイだったが、数字以上に印象悪いわなぁ☹️🤨
B192の時はブランドルが「オン・ザ・レールのようだ」と乗りやすいコメントだったんだけどね。95年のリジェも同じマシンで乗りこなすのに苦労していたな。 パニスも「理解するのに3年掛かったと」言っていたし。 誰だったらシューマッハスペシャルのマシンを乗りこなせていたか? オーバーステア好みのドライバーが予想されるが。
片山右京はオーバーステア好みだったようなので、95年に移籍出来ていれば・・・と思ってしまいます。
エディーアーバインたね
シューマッハスペシャル
フェラーリでも。
この年のアレジとベルガーめっちゃ期待したけどなぁ〜!ミハエルの乗ってたマシーンも乗りこなせると思ってたのにね〜!
自分はミハエル・シューマッハは嫌いなのですが、ベネトンチームは好きです。最初のグリーンカラーとマイルドセブンの水色が好きでした。シューマッハ、バーン、ブラウンが抜けた時点でベネトンの低迷は避けられなかったと思いますが、メカクローム(ルノー)に見切りをつけて他のエンジンを探していれば再浮上の可能性もあったと思います。ベネトンは今はF1時代は過去の思い出と思っているみたいで、今は復帰にも関与もするつもりないみたいなのが残念です。
右京が来てたらリアがあまり変化してなかったかも・・・滑るマシンを好んでいたからね。
シューマッハにとって、右京は清涼剤になってほしかったんじゃないですかね。首脳陣とのゴタゴタに疲れていて、右京にオファーを出したのは、ブリアトーレじやなくてシューマッハの推薦だったんじゃと思ってしまいます。
どう見ても、右京移籍するべきでしたね。スポンサーなら遠慮するなと肩を押したい。
@@コーイック人生最大のミスだろうね移籍しなかったのは。日本人のあわれな一面を見たが
シューマッハの走り方が独特すぎたってことか
それから約10年後、このチームはルノーワークスとして再び成功する。その時のドライバーがアロンソ。
アレジとベルガーで良いドライバーの組み合わせにワクワクして見ていましたが、後にこんなにミハエル中心のマシンであることが分かり、専用マシンだととんでもないんだと思いました 。
80年代後半から90年にかけてチャンピオン争いしていたフェラーリに大抜擢されるも移籍した91年から暗黒時代に突入し、ミハエルが2年連続チャンプになったベネトンに96年に移籍するもベネトンは急速に速さをなくし、挙句は自身の代わりにミハエルが加入したフェラーリはここから黄金期へアレジは泣いて良い
片山右京も94~95頃にベネトンに行っておけば、ミハエルのNo.2でも勝てていたのに残念。
2輪の話ですが、今まさに“マルケス問題”に揺れるHONDA、HRCを見てるような気分になってきました。仮にマルク・マルケスが本当に抜けることになったとしたら、“マルケススペシャル”からどう軌道修正していくのか、この時のベネトンの二の舞いを踏まんよう願ってます。
マルケス以外では難しいマシン ここ数年快調なドカに乗った方が近道 アプリリアの後ろの今のホンダをみれば
アレジはB195を結構気に入っていたというね。B196でシューマッハスペシャルからの脱却を図って誰でも乗れるマシンを目指した結果中途半端で速さの無いマシンになってしまったのでは?
ミハエルスペシャル🤣👍ミハエル以外は乗りにくいセットに🥺
そもそも、95年のベネトン・ルノーも失敗作に分類される方のマシンでしたね。ミハエルもマシンが軽い状態での挙動には手を焼いていたくらいだし。翌96年は「チーム・シューマッハ」からの脱却を目指した結果、逆にバランスが悪くなってしまった印象です。まあ、これは説明にあったように、ベルガー、アレジとシューマッハでドライビングスタイルが異なるので致し方無かったですけど。ただ、モナコに関してはアレジ、災難でしたね。完全に優勝が狙える状況にありながらもトラブルでリタイア。改めて思い返してみると、このレース、アレジのF1キャリアで頻繁に見たようなレース展開でした。
バージボードのHYPEのロゴの上にキングフィッシャー航空のロゴが見える。この頃から関心があったのかなマリヤは。
ルノーエンジンじゃなくなったのって98年からでは?(確かメカクロームとかいうエンジンに)
アレジにとってフェラーリ最後の頃とベネトン一年目にかけてが一番ノッていた時期だった。それだけに2位かリタイア多いのが悔しかった「前走るアゴの長いヤツ止まらないかな」当時テレビの前で何度も思った。
アレジとベルガーのドライビングスタイルの違いによりそのあいだを取ったので中途半端なマシンになったと当時はいわれてましたね。アレジのほうが先に契約してNo.1待遇になるはずがベルガーもやってきてジョイントになってしまった。もしベルガーがこなければアレジ寄りに作れてもっと輝いたかも、とか思ってしまいます。
タバコスポンサーの歴史とかも見てみたいなぁ
この2人がまともに操れないほどシューマッハのドライビングは一味も二味も違うんだね。
セナ亡き後落ち込んでいたF1界を猛烈に沸かしてくれたシューマッハ+ベネトンの2年間の翌年でしたから、ひとまずは落ち着いてシーズンを追っていました。実際アレジとベルガーでタイトル獲れるかは兎も角、ウイリアムズと接線になるだろうと思ってたのでは流石に未勝利は啞然としました。色々理由は述べてはいますが、数勝はすると思いましたねぇ。
ベネトンとフェラーリの変則トレードだね。
アレジは一勝も上げることがなかったがコンスタントにポイントを稼いだがベルガーは185cmという長身のせいで彼の体格にB196のコックピットはあまり合わなかった。
なんかマクラーレンやフェラーリもコクピットが狭いってドライバーから文句でてましたね💦もしかしたらこの時期のF1マシン達自体が乗り心地悪かったのかも。
@@user-td2nr4ni3 レイトンハウスCG901一番極悪ドライバーの足型そのものに近いモノコック先端と踵だけ下にポコッと出たモノコック下面
@@crankyfranky9801 それは ひどい💦ドライバーに配慮ない💦
@@user-td2nr4ni3 カペリもさらに大柄なグージェルミンも常に打ち身スリ傷だらけだったそうですよ😫
@@crankyfranky9801 過酷なF1がより走るだけで過酷になるマシン💦
「ミハエルの穴を埋める」だとえっちぃので「ミハエルの抜けた穴を埋める」にすると好ましい
マイルドセブン 気合い入っているなあ
正直コンセプトを大幅変更せずにアレジを完全NO1にして臨んだ方がタイトル獲れたかは兎も角、スウショウあげウィリアムズに近づけたのでは?と30年近く経つ今も思ってます。
96年のベネトンは、成績だけでなくスポンサーも安定してない(´・ω・`)
カラーリングもマシンデザインもかっこいいですがちょっと残念💦他のウィリアムズはもちろんフェラーリやマクラーレンも前よりトラブルさえなければ走ればある程度は調子よかったのもあるかも。
なんかティレルヤマハっぽいのが良くなかったのかなカーナンバー3だと片山右京のイメージ強くてさ
プロストが言ってた事が全て。単に速いドライバーとチャンピオンになるドライバーとでは違うんだよ。シューは他のドライバーよりも勝利への執念が上だったって事だ。おそらくワンメイクレースやらしても結局勝つのはアイルトンやシューのような勝利に貪欲なタイプの人間だと思う。
マイケルがガチで走ってもレーシングカートで勝てなかったアントニオリウッツィはF1からすぐに消えた存在フェラーリ時代の話だけどね。
元々そういう特性のマシンだったのだと思う。それをシューマッハが速く走る為のセットアップで乗りこなしていたのではないかと。だからまっとうな癖ない車にしたら速さがなくなったら
当時のF1速報にミハエルのインタビューが乗ってましたが「ベネトンのマシンを皆はシューマッハスペシャルと言うがベネトンに移籍して初めて乗った頃からベネトンのマシンはこんな感じだったよ。」とあと、ベネトンは作戦で勝ってた所も多かったので細かい指示が嫌いなアレジ&ベルガーでは…ブリアトーレはドライバーに「俺の話を聞くときは片方の耳を塞げ」とキレてたみたいだし(指示が少しでも頭に残るようにと言う意味)
結果だけで、ドライバーの実力を語るのは微妙ですが…😅ナンバーワンドライバー待遇を希望するヒトが二人チームにいると空回りして、旨くいかなかった例ですね…前年と比較すると、ジョニーはなんだかんだ云いながらチームのコンストラクタータイトルに向けての粘り強い走りができてたような気がしますね😊結果が全て的な走りで、なんとかポイントゲットまでこぎつける感じでした。自分のおかれてる立場を理解しながらドライブしていたようなフシが…しかし96年は二人ともタイトル目指す走りですからね~かつてのマクラーレンのようなチーム体制がベネトンには構築できなかったということではないでしょうか…😅ベルガーはともかく、アレジは時折魅せるアグレッシブな走りが評価されてますが、レース戦略やマシン開発能力など疑問が残りますし、予選の速さだけで評価するのもどうかと思いますね😅
なんとなくチャンピオンをとるドライバーとそうじゃない人の違いがわかるような出来事です
タバコ会社の広告活動認めてくれないかな?そうすればチーム、ドライバーに資金入ってモータースポーツ盛り上がるのにレッドブルを除けばほとんど自動車関連からの資金しか期待できない
シューマッハを優先したからチャンピオン取れたが抜けたら低迷か。。難しいな。結果、どうしたら良かったんやろ
片山右京獲得に成功していたら右京もこのマシンに乗る可能性が有ったと言う事ですよね、シューマッハスペシャルとは真逆のコンセプトを基本に開発していれば上手く行けたかもしれませんね。^^
もしミハエルシューマッハがベネトンに残留していたら96年はウイリアムズ1強とはいかなかったかもですね…アレジとベルガーのコンビ継続は良かったがどこかセッティングを間違えたのかミハエルシューマッハ仕様に難儀したのか…
シューマッハで勝てるマシンはベルガー、アレジで表彰台止まりそしてベネトン崩壊。チームベネトンシューマッハだった気がする。
最大の失敗はサイドプロテクター
ドライバーが2人とも悪かったですね。一発の速さはあるが標準的なドライビングスタイルではない。セッティング・開発能力も皆無。チームリーダーでもない。セカンドドライバーレベルが2人ではどうにもならないでしょう。
ルノーが撤退したのって98年じゃない?
1997年ですよ。翌年からはカスタマー仕様のメカクロームに。
最強パッケージならジョニーがもっと活躍出来たハズでは?
リアが不安定
もう止めなよ。F1だけじゃ無いけど、無駄な GS垂れ流してタイヤ、オイル等、地球を汚すだけ汚して、環境破壊、EVがいい理由じゃ無いけど、レースなんて、本当に意味ないよ。
君が生きてる意味はもっと無意味ではないかな?
当時、ウィリアムズのサイドプロテクターにフィンを立てて規定を満たしたものを見たとき、「このチームが一番安全性を考えなくっちゃいけないのに、何だよこれ!」と思った。
フェラーリとベネトンだけがトデカいサイドプロテクターを付けてましたね😅
ジョニーは、キャリアとしては不遇ではあったのだけど、天賦の才を持ったドライバーだったのだと思う。
だってミカハッキネンとLotusで遜色ない走りしてたし、F1参戦初戦で6位入賞してるし、MAZDA787Bでル・マン優勝してるし…
@@マジックリンT ハーバードは初入賞4位だったと思った。
確かにジョニーはデビュー戦4位です。
それも優勝したマンセルからは10秒位しか離れて無かったはず。
個人的にはジョニーは単にドライバーとしての腕前ではハッキネンやシューマッハよりも上だったと思います。
シューマッハは王様に例えると曹操や斎藤道三、カエサル、フィリップ2世みたいな奸雄、梟雄タイプな人物でですからね。
チーム主導権やピット戦略など権謀術数や緻密な作戦で場を支配する所が。
ミハエル・シューマッハ離脱後のベネトンは徐々に優勝から見放される事になってしまうも…その2年後の1998年のウィリアムズにおいても1996年をもってウィリアムズから離脱したデイモン・ヒル、1997年にエイドリアン・ニューウェイ等も離脱してしまう事も考えると…。ウィリアムズ、ベネトンは王座陥落のチームへ…。
ポディウムに立つ、シューマッハとベルガー。あれだけの身長差があると、前年度のマシンの正常進化型のB196のコクピットは、ベルガーにとって狭いんだろうなと、改めて感じましたね。
改善されたB197では、ベルガーがその答えを出してくれましたが、ベネトンが消えるとは、その頃は思いもしなかったですね。
B196は優勝できなかったマシンだけど
カッコいいですね🏁
B196に手こずっていたベルガーですが、翌シーズンにかなり操縦性やバランスが改善されたマシンB197で、ドイツGPで意地のポール・トゥ・ウィンを決めてくれましたね。(これには自分も歓喜した)
しかしこれがベルガーのキャリアで最後の勝利、またベネトンチームにとっても最後の勝利となってしまうとは思わなかった。
そのレース、アレジ2位でワンツーフィニッシュでしたよね?
@@sakuhaya70402位はシューマッハで3位がミカ。アレジは5位か6位だったはず。
ちなみにアレジはモンツァでポールを獲得したけど決勝ではデビクルに逆転され2位フィニッシュだった…
@@willywonka6468 さん
自分の勘違いでしたか。
情報ありがとうございます m(__)m
ベネトン初勝利もB186でベルガーでしたよね~
ハンガリーかな
4:02 91年といい、アレジはつくづくウィリアムズには縁がない😅ウィリアムズに行っていたら何回か勝てていただろうに…。
ウィリアムズはドライバーをただの駒としか見てないから行かなくて正解。
マンセル、ヒルは言うまでもなく、セナ、プロストですら行って後悔したらしいし。
ドライバーの扱いに激怒してニューウェイがマクラーレンに行ったのは有名な話。
ゲルハルトは速いけど 車🏎️に合わせた乗り方が出来ないんで シューマッハスペシャルは乗りこなせないでしょう😅 そんなマシンで2勝したジョニーってやっぱりスゲー😉
さすが怪我治ってない足でデビューイヤーを飾りスチィワートを
優勝に導いた人だ。
アレジのファンなので当時、アレジ特集の雑誌をよく買っていました。
その中で確かAS-Fでの特集(96 開幕前)記事でシューマッハスペシャルと言われたB195をアレジは簡単に乗りこなしタイムも早かった。と書かれていた氣がしました。
それはシューとセッティングの好みが似ていたそうです。そしてベルガーの好みは二人と逆。とも。
そして196は、その中間を取った感じで結局、中途半端だったそうです。
AS+F私も買っていました。
カナダGPのアレジが優勝した写真に「これやりたくて(フェラーリに)優勝しました!」とシューマッハの顔が合成されていたり、「FORZA!ALESI」というアレジの手記のコーナーがありましたね。
最初のプライベートテストでアレジはB195でシューとタイムも遜色なし
ベルガーはシューのセッティングで走るもスピン。アレジ寄りのマシンだったらまだマシだったかもしれない
本当の真実のコメントの数々、
有り難う御座います。
何処の馬の骨やガラクタ供がワーワー
と何を言おうがベルガーとアレジは
最強のF1ドライバーなのですよ❕👍️
@@ナイトセイバーチャンネル
それ、私もAS+Fで拝見致しました(笑)
アレジのとシューのコラージュでしたが、
ベネトンのアレジの体付きが完全にシュー
の体付きだったので違和感アリアリでは
有りましたが(苦笑)
ですけどアレジは何に着けてもオシャレ
には煩い(うるさい)そうで、マシンの
カラーリングとかはピカイチでしたね。
更には開発能力に乏しすぎる等の短所を
独自のテクニックで走らせてリカバーする
トンでも無い技術も持ち合わせている事も
然り、タイヤと会話が出来る数少ない実力
の持ち主でも有りますからね。
(セナ亡き後からF1を見始め、気が付いたら誕生日が自分と殆ど近い理由でアレジを引退するまで熱烈に応援してました。)
この頃のシューマッハがいかに「特殊なスタイル」を好んだかっちゅうこと。
マシンのカラーリングはすごい爽やか
ブリアトーレの形振り構わないスタイルが嫌ってスタッフ根こそぎ引き抜いて時にはダーティーも辞さないドライビングをしていた人が言えるわけ無い
ベルガー「こんなピーキーなマシン乗れたもんじゃねえ。よくあいつ(シューマッハ)これでチャンピオン取ったな。」
シューマッハ「なんでこのマシン(フェラーリ412T2)であいつら(ベルガー、アレジ)勝てなかったんだ?」
うーんこの
それはおまえが受けて来た様な一極集中でフェラーリがやっていなかったからだよ
結果論だがアレジはNo.2待遇でもウイリアムズに行くべきでしたね
結局アレジはティレル時代が1番輝いていた
2度もチャンスを逃していたとはどうしようもない。最強のFW14を逃したのを目の当たりにしたらNo2でもFW18には乗りたいと思うけどね。ヒルには当時なら勝てそう感ある、まあ実際には無理だったろうけどね。
イタリア系フランス人のアレジにとってフェラーリは特別だったんだと思います…(T-T)F1の生涯成績からすると残念な結果でしたがフェラーリでのあの情熱的な走りは忘れられません(≧∇≦)b
フェラーリの誘惑に負けウィリアムズとの契約を蹴ったのが全て。ただ1997年にウィリアムズに乗っていればフレンツェンより活躍してたかもしれない
@@moririn-oq1qb
その背景にはウィリアムズが他の複数の
ドライバーにも同じ条件の交渉やオファー
もしていたらしく、不信感と失望に陥った
アレジの元にフェラーリからも話が来たとの
事で、個人的には当時のウィリアムズにも
非が有る感は拒めないんですよね。
アレジの引退表明後の最後のレース(鈴鹿)
では決勝レース前にウィリアムズの
テクニカルディレクターのパトリックヘッド
がアレジと口惜しそうに語り合っていたのが
印象的で、ウィリアムズが多々起こした
大きな選択的失敗の一つの象徴で有ったと、
セナ亡き後からF1を観始めたのと同時に
アレジファンとして応援してきた自分は
勝手ながらの解釈をしています。
もう一つアレジが如何に大きな存在の
F1ドライバーで在るかとの証として、
引退の前年は絶不振で引退を仄めかすも
FOCA会長バーニー・エクレストンからの熱意的な引退引き留めは涙物で、
『(ベルギーGP前辺りの前夜祭?で)
君は若いF1ドライバー達の模範なんだ!
だから絶対に引退などしてはいけない!』
との叱咤激励を受けたとの事。
当時のF1誌に載ってました。)
過剰にクイックなマシンはベルガーとアレジには合わないだろうな…って思っていたけどその通りなシーズンでしたね
正直その二人よりハーバートの方が乗りこなせるんじゃないかなって今でも思ってます
対応出来なかったのはベルガーで、逆に
アレジは対応出来ていたそうです。
(しかも楽しんでたとかw)
ただ、ベルガー好み寄りのマシン開発に成って
しまい、この部分でアレジのドライビングの
スタイルに影響が出てしまったのですね。
況してやこのシーズンにマクラーレンに
アドバイザー?として在籍していたプロストも
予選や決勝でウィリアムズに水を開けられて
いるベネトンのマシンに付いて、全体的に
挙動が安定しないベネトンのマシンに対し、
「ベネトンのマシンの何処かに欠陥が有る
のでは無く、ベネトンのマシン其の物自体が
欠陥なのでは?」とコメントするくらいの
酷さだったのですからね。
セナが抜けたロータス、マクラーレンも翌年から未勝利になったりしましたよね。
ほんとドライバーの力量で変わるんですね(*^^*)
チームシューマッハから脱却出来ないでいるベネトン、離脱したシューマッハとドライビングスタイルの違うドライバー2人が加入しても変わる事が無かったですね。
加えて長身のベルガーに合わせたヘッドプロテクターとベルガーの頭はインダクションポッドに入るハズのフレッシュエアを阻害し、一説には20%のエンジンパワーをロスしていたらしいですね。
フェラーリのよう💦
ベルガーのシート合わせのとき吸入口の兼ね合いでヘルメットに空力デザインを考えなかったのかなバーンとブラウンは
@@無敵五十
バーンとブラウンはもうフェラーリと話がついていて
ベネトンでは手を抜いていたりして😁
結局マシンのみならずチーム体制全て含めて「シューマッハスペシャル」だった訳なんだな。
結論:ジョニー・ハーバートは凄い
実際にタイトル獲るか、迄はいかなくても前年圧勝したマシンの発展型だったので、アレジ·ベルガーコンビは5勝位は挙げてウィリアムズとのタイトル争いをすると思ってました。蓋を開けたら、あのずんぐりむっくりしたバーナードの失敗作(と言っても良い)に乗ったシューマッハが3勝も挙げて、余計アレジ·ベルガー組の情けなさが際立ってしまったシーズンでしたざんねん😢😢
ハーバートは2勝、ベルガーは1勝(初優勝は除いて)。アレジやフェルスタッペン、レートの批判ではないが、勝てるドライバーとそうでないドライバーの差がよく出ていたチームじゃないかな。
B195・・・
片山右京に野心があったら、ドライブしてた可能性があったんだよなぁ…
マシン特性の好みがシューと一緒だったし。
ベネトンに乗った右京、見てみたかった…
この年のアレジは特に序盤にミス連発だったのがねぇ。
第1戦…アーバインに追突、第2戦…ヒルを追走中にコースアウトでタイムロス、第3戦…ピットアウト時にエンストで優勝争いから脱落、第4戦…スタート失敗でほぼ最後尾に落ちてその後にサロに追突、第5戦…スタート直後にジャックと接触&スピン1回&ピットロードスピード違反でペナルティ…。
その後フラビオから(多分)ボロクソに説教されて、若干大人し目に走ったら何故かコンスタントに表彰台…で最後は鈴鹿でスタート直後にクラッシュでシーズン終了(泣)
ポイントとランキングもキャリアハイだったが、数字以上に印象悪いわなぁ☹️🤨
B192の時はブランドルが「オン・ザ・レールのようだ」と乗りやすいコメントだったんだけどね。
95年のリジェも同じマシンで乗りこなすのに苦労していたな。 パニスも「理解するのに3年掛かったと」言っていたし。
誰だったらシューマッハスペシャルのマシンを乗りこなせていたか? オーバーステア好みのドライバーが予想されるが。
片山右京はオーバーステア好みだったようなので、95年に移籍出来ていれば・・・と思ってしまいます。
エディーアーバインたね
シューマッハスペシャル
フェラーリでも。
この年のアレジとベルガーめっちゃ期待したけどなぁ〜!ミハエルの乗ってたマシーンも乗りこなせると思ってたのにね〜!
自分はミハエル・シューマッハは嫌いなのですが、ベネトンチームは好きです。
最初のグリーンカラーとマイルドセブンの水色が好きでした。
シューマッハ、バーン、ブラウンが抜けた時点でベネトンの低迷は避けられなかったと思いますが、メカクローム(ルノー)に見切りをつけて他のエンジンを探していれば再浮上の可能性もあったと思います。
ベネトンは今はF1時代は過去の思い出と思っているみたいで、今は復帰にも関与もするつもりないみたいなのが残念です。
右京が来てたらリアがあまり変化してなかったかも・・・
滑るマシンを好んでいたからね。
シューマッハにとって、右京は清涼剤になってほしかったんじゃないですかね。
首脳陣とのゴタゴタに疲れていて、右京にオファーを出したのは、ブリアトーレじやなくてシューマッハの推薦だったんじゃと思ってしまいます。
どう見ても、右京移籍するべきでしたね。スポンサーなら遠慮するなと肩を押したい。
@@コーイック人生最大のミスだろうね移籍しなかったのは。
日本人のあわれな一面を見たが
シューマッハの走り方が独特すぎたってことか
それから約10年後、このチームはルノーワークスとして再び成功する。その時のドライバーがアロンソ。
アレジとベルガーで良いドライバーの組み合わせにワクワクして見ていましたが、後にこんなにミハエル中心のマシンであることが分かり、専用マシンだととんでもないんだと思いました 。
80年代後半から90年にかけてチャンピオン争いしていたフェラーリに大抜擢されるも移籍した91年から暗黒時代に突入し、ミハエルが2年連続チャンプになったベネトンに96年に移籍するもベネトンは急速に速さをなくし、挙句は自身の代わりにミハエルが加入したフェラーリはここから黄金期へ
アレジは泣いて良い
片山右京も94~95頃にベネトンに行っておけば、ミハエルのNo.2でも勝てていたのに残念。
2輪の話ですが、今まさに“マルケス問題”に揺れるHONDA、HRCを見てるような気分になってきました。仮にマルク・マルケスが本当に抜けることになったとしたら、“マルケススペシャル”からどう軌道修正していくのか、この時のベネトンの二の舞いを踏まんよう願ってます。
マルケス以外では難しいマシン ここ数年快調なドカに乗った方が近道 アプリリアの後ろの今のホンダをみれば
アレジはB195を結構気に入っていたというね。B196でシューマッハスペシャルからの脱却を図って誰でも乗れるマシンを目指した結果中途半端で速さの無いマシンになってしまったのでは?
ミハエルスペシャル🤣👍
ミハエル以外は乗りにくいセットに🥺
そもそも、95年のベネトン・ルノーも失敗作に分類される方のマシンでしたね。
ミハエルもマシンが軽い状態での挙動には手を焼いていたくらいだし。
翌96年は「チーム・シューマッハ」からの脱却を目指した結果、逆にバランスが悪くなってしまった印象です。
まあ、これは説明にあったように、ベルガー、アレジとシューマッハでドライビングスタイルが異なるので致し方無かったですけど。
ただ、モナコに関してはアレジ、災難でしたね。
完全に優勝が狙える状況にありながらもトラブルでリタイア。
改めて思い返してみると、このレース、アレジのF1キャリアで頻繁に見たようなレース展開でした。
バージボードのHYPEのロゴの上にキングフィッシャー航空のロゴが見える。この頃から関心があったのかなマリヤは。
ルノーエンジンじゃなくなったのって98年からでは?(確かメカクロームとかいうエンジンに)
アレジにとってフェラーリ最後の頃とベネトン一年目にかけてが一番ノッていた時期だった。それだけに2位かリタイア多いのが悔しかった「前走るアゴの長いヤツ止まらないかな」当時テレビの前で何度も思った。
アレジとベルガーのドライビングスタイルの違いによりそのあいだを取ったので中途半端なマシンになったと当時はいわれてましたね。
アレジのほうが先に契約してNo.1待遇になるはずがベルガーもやってきてジョイントになってしまった。
もしベルガーがこなければアレジ寄りに作れてもっと輝いたかも、とか思ってしまいます。
タバコスポンサーの歴史とかも見てみたいなぁ
この2人がまともに操れないほどシューマッハのドライビングは一味も二味も違うんだね。
セナ亡き後落ち込んでいたF1界を猛烈に沸かしてくれたシューマッハ+ベネトンの2年間の翌年でしたから、ひとまずは落ち着いてシーズンを追っていました。実際アレジとベルガーでタイトル獲れるかは兎も角、ウイリアムズと接線になるだろうと思ってたのでは流石に未勝利は啞然としました。色々理由は述べてはいますが、数勝はすると思いましたねぇ。
ベネトンとフェラーリの変則トレードだね。
アレジは一勝も上げることがなかったが
コンスタントにポイントを稼いだが
ベルガーは185cmという長身のせいで
彼の体格にB196のコックピットはあまり
合わなかった。
なんかマクラーレンやフェラーリもコクピットが狭いってドライバーから文句でてましたね💦
もしかしたらこの時期のF1マシン達自体が
乗り心地悪かったのかも。
@@user-td2nr4ni3
レイトンハウスCG901一番極悪
ドライバーの足型そのものに近いモノコック先端と踵だけ下にポコッと出たモノコック下面
@@crankyfranky9801 それは ひどい💦
ドライバーに配慮ない💦
@@user-td2nr4ni3 カペリもさらに大柄なグージェルミンも常に打ち身スリ傷だらけだったそうですよ😫
@@crankyfranky9801 過酷なF1がより走るだけで過酷になるマシン💦
「ミハエルの穴を埋める」だとえっちぃので「ミハエルの抜けた穴を埋める」にすると好ましい
マイルドセブン 気合い入っているなあ
正直コンセプトを大幅変更せずにアレジを完全NO1にして臨んだ方がタイトル獲れたかは兎も角、スウショウあげウィリアムズに近づけたのでは?と30年近く経つ今も思ってます。
96年のベネトンは、成績だけでなくスポンサーも安定してない(´・ω・`)
カラーリングもマシンデザインもかっこいいですが
ちょっと残念💦
他のウィリアムズはもちろんフェラーリや
マクラーレンも前よりトラブルさえなければ走ればある程度は調子よかったのもあるかも。
なんかティレルヤマハっぽいのが良くなかったのかな
カーナンバー3だと片山右京のイメージ強くてさ
プロストが言ってた事が全て。単に速いドライバーとチャンピオンになるドライバーとでは違うんだよ。
シューは他のドライバーよりも勝利への執念が上だったって事だ。おそらくワンメイクレースやらしても結局勝つのはアイルトンやシューのような勝利に貪欲なタイプの人間だと思う。
マイケルがガチで走ってもレーシングカートで勝てなかったアントニオリウッツィはF1からすぐに消えた存在
フェラーリ時代の話だけどね。
元々そういう特性のマシンだったのだと思う。
それをシューマッハが速く走る為のセットアップで乗りこなしていたのではないかと。
だからまっとうな癖ない車にしたら速さがなくなったら
当時のF1速報にミハエルのインタビューが乗ってましたが「ベネトンのマシンを皆はシューマッハスペシャルと言うがベネトンに移籍して初めて乗った頃からベネトンのマシンはこんな感じだったよ。」と
あと、ベネトンは作戦で勝ってた所も多かったので細かい指示が嫌いなアレジ&ベルガーでは…
ブリアトーレはドライバーに「俺の話を聞くときは片方の耳を塞げ」とキレてたみたいだし(指示が少しでも頭に残るようにと言う意味)
結果だけで、ドライバーの実力を語るのは微妙ですが…😅
ナンバーワンドライバー待遇を希望するヒトが二人チームにいると空回りして、旨くいかなかった例ですね…
前年と比較すると、ジョニーはなんだかんだ云いながら
チームのコンストラクタータイトルに向けての粘り強い走りができてたような気がしますね😊
結果が全て的な走りで、なんとかポイントゲットまでこぎつける感じでした。
自分のおかれてる立場を理解しながらドライブしていたようなフシが…
しかし96年は二人ともタイトル目指す走りですからね~
かつてのマクラーレンのようなチーム体制がベネトンには構築できなかったということではないでしょうか…😅
ベルガーはともかく、アレジは時折魅せるアグレッシブな走りが評価されてますが、レース戦略やマシン開発能力など疑問が残りますし、予選の速さだけで評価するのもどうかと思いますね😅
なんとなくチャンピオンをとるドライバーとそうじゃない人の違いがわかるような出来事です
タバコ会社の広告活動認めてくれないかな?
そうすればチーム、ドライバーに資金入ってモータースポーツ盛り上がるのに
レッドブルを除けばほとんど自動車関連からの資金しか期待できない
シューマッハを優先したからチャンピオン取れたが抜けたら低迷か。。
難しいな。
結果、どうしたら良かったんやろ
片山右京獲得に成功していたら右京もこのマシンに乗る可能性が有ったと言う事ですよね、シューマッハスペシャルとは真逆のコンセプトを基本に開発していれば上手く行けたかもしれませんね。^^
もしミハエルシューマッハがベネトンに残留していたら96年はウイリアムズ1強とはいかなかったかもですね…
アレジとベルガーのコンビ継続は良かったがどこかセッティングを間違えたのかミハエルシューマッハ仕様に難儀したのか…
シューマッハで勝てるマシンはベルガー、アレジで表彰台止まりそしてベネトン崩壊。チームベネトンシューマッハだった気がする。
最大の失敗はサイドプロテクター
ドライバーが2人とも悪かったですね。
一発の速さはあるが標準的なドライビングスタイルではない。セッティング・開発能力も皆無。チームリーダーでもない。
セカンドドライバーレベルが2人ではどうにもならないでしょう。
ルノーが撤退したのって98年じゃない?
1997年ですよ。翌年からはカスタマー仕様のメカクロームに。
最強パッケージならジョニーがもっと活躍出来たハズでは?
リアが不安定
もう止めなよ。F1だけじゃ無いけど、無駄な GS垂れ流してタイヤ、オイル等、地球を汚すだけ汚して、環境破壊、EVがいい理由じゃ無いけど、レースなんて、本当に意味ないよ。
君が生きてる意味はもっと無意味ではないかな?