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工藤俊作氏は後に別の部署に転属になりましたが、雷が撃沈された時に乗組員の方々が工藤俊作氏の夢に出たそうです。
それも有名な話ですね!
前の戦争中は敵味方にその手の話がありますね。
まさに帝国軍人、そして武士道の鑑ですね!大東亜戦争の歴史を学ぶのであればこのような事も知っておかないと!
「雷」に救助されたサムエル・フォール元海軍中尉(フォール卿)は、戦後恩人の工藤の消息を探し続け、氏が89歳で来日されたときの映像が残っています既に車イスが必要で それでも来日され 自衛隊員に両脇を支えられ 海自護衛艦に乗り 当時のことを語ったフォール卿歳は取っても イギリス海軍式の敬礼は 毅然としてカッコよかったまた 工藤俊作艦長の墓前で 車イスに座って手を合わせ 66年の時を経て 感謝の念を伝えられた姿も印象的だった(余談ですが)戦時中のこんな美談を オールドメディアは決して伝えない
これ以外だと、英軍輸送機を発見した陸軍か海軍の戦闘機が、輸送機に近づいたら窓に怯える女性や子供の姿を見て、「見なかった」事にして空域を離脱したり、プリンス・オブ・ウェールズ、レナウンを撃沈した海戦では、後に偵察をしていた偵察機から花束をその海域へ捧げたり……等のエピソードもあった様で。
それは初耳です!
イギリス軍の輸送機を見逃したのは台南空の坂井三郎一飛曹かな?
これは道徳の授業に必要だと思う
倍以上の敵兵に艦を乗っ取られても大変ですしね、丁重にもてなす方が変に刺激せず穏便に済ませられる。みたいな事もあったのかもかも
そのリスクは当時の兵士たちも考えたのではないかと思いますが、それでも救助に動けたのは凄いですよね!
マレー沖海戦の日本軍による救命活動に対する妨害がなかったことや生存者を乗せた駆逐艦に対する攻撃がなかったことからかエクセター士官が「万が一には日本館の方へ泳げ、そうすれば救助してもらえる」と話していたという話ですね。
戦いの中でも慈悲を忘れないいいエピソードですね
工藤艦長武士ですな。当時英語でスピーチなんてかなり崇高な人格品位教養のある方で、こういう事例を学校教育に絶対取り入れるべきでしょう。🇯🇵
この時工藤艦長は第一砲塔を除く砲塔の兵士を救助に向かわせ(敵艦または敵潜水艦に発見される可能性大にもかかわらず)、雷のマストには救助活動中の国際旗がたなびいた。
国際基準にも明るかったんですね!
この時に救助された英軍人が、工藤艦長の葬式に参列する為に来日したんじゃなかったでしたっけ?
本人と会いたかったそうですがすでにお亡くなりになられていたそうです・
電も救助に参加したのは初めて知りました😊
はい、実は参加していたそうですよ!
まっ単艦で行動するとか自殺行為だから随伴は居ただろうね
確かに!
本土で通学中の子供達に機銃を浴びせたアメリカ軍とは大違いやな。戦犯はそう言う奴らを言うんやで。
海軍も陸軍も人道的な人はたくさんいた。
そうです。私たちは広義として軍=悪になっていますが、個人で見ると人道的な人や出来事はたくさんあったみたいですね。
工藤中佐はまさに侍ですね。
教科書では教わらないことですね!
この海戦で栗田は1回目の謎ターンをしています。2回目はミッドウェイ海戦、3回目がレイテ沖海戦での有名な栗田ターンです。
武人の嗜み👍
かなり有名な話です。
現在、ルール無用で血で血を洗い56し合ってる世界中の前線の兵たちに諭してやりたい。
勝ち戦には余裕がある、敗けている側が残虐行為に走りがちその後の日米双方に美しからぬエピソードが生じたのも事実
戦争で起こりうる全てのことが美しいものだとは思いません。ですが、軍や軍人というだけで悪という印象が付いてしまった現代日本において知られてこなかったエピソードをもっと多くの人に知ってほしいと思っています。
知っていた。侍ですね。
語られてこなかったのがもったいないですよね
戦線にいた軍人には、侍がいました。アメリカと日本の昇進の違いが有ると思います。兵学校や士官学校の年次や成績にこだわり戦時体制でもこれが守られた。その弊害が開戦次の真珠湾攻撃の機動部隊の司令官に南雲が就いた事です。この時に南雲ではなく、山口多門を司令官にしていれば、早期講和が行われたかも知れない事です。
@@user-tm6ki1pl7p 歴史はたらればが面白いですね!
まあ実際はこの周辺で任務に当たってた帝国海軍がバラバラではあるが同じようなことをやってるんだよ。
表に出ることがなかった話ですね
捕虜収容所では地獄jの日々だったんだろう。
電と雷ほではなかったもののそこまで悪くなかったそうです。環境や衛星面はよくなかったでしょうがね。すべてが良かったというわけでもなく、嫌な看守もいたとのこと。
英兵「木の棒食わせんなや!💢」
それ…ゴボウやねん…
@@tanoshiru_ch 英兵「は?💢どう見たって木の棒じゃねぇか」
@@user-fe3cq1ew6f 食材なんだよ…
@@tanoshiru_ch 英「ほんまか?パクっ……………もう一個くれ」
@@user-fe3cq1ew6f 木の根っこ、だったかな?
それに比べて利根の艦長は…
そんな人もいるんです…!
上官の殺害命令を変更するよう意見具申しています。逆らえなかったのですね。
@@user-sw4ll2ml1i 軍や戦争はすべてが良いエピソードばかりではないということですね。良い面も悪い面も両方知る必要がありますねー
地底に沈む?
変か言い回ししてました…?
@@tanoshiru_ch 艦艇なら「海底」じゃないです?
@@Aocchich すみません!
工藤俊作氏は後に別の部署に転属になりましたが、雷が撃沈された時に乗組員の方々が工藤俊作氏の夢に出たそうです。
それも有名な話ですね!
前の戦争中は敵味方にその手の話がありますね。
まさに帝国軍人、そして武士道の鑑ですね!大東亜戦争の歴史を学ぶのであればこのような事も知っておかないと!
「雷」に救助されたサムエル・フォール元海軍中尉(フォール卿)は、戦後恩人の工藤の消息を探し続け、氏が89歳で来日されたときの映像が残っています
既に車イスが必要で それでも来日され 自衛隊員に両脇を支えられ 海自護衛艦に乗り 当時のことを語ったフォール卿
歳は取っても イギリス海軍式の敬礼は 毅然としてカッコよかった
また 工藤俊作艦長の墓前で 車イスに座って手を合わせ 66年の時を経て 感謝の念を伝えられた姿も印象的だった
(余談ですが)
戦時中のこんな美談を オールドメディアは決して伝えない
これ以外だと、英軍輸送機を発見した陸軍か海軍の戦闘機が、輸送機に近づいたら窓に怯える女性や子供の姿を見て、「見なかった」事にして空域を離脱したり、プリンス・オブ・ウェールズ、レナウンを撃沈した海戦では、後に偵察をしていた偵察機から花束をその海域へ捧げたり……等のエピソードもあった様で。
それは初耳です!
イギリス軍の輸送機を見逃したのは台南空の坂井三郎一飛曹かな?
これは道徳の授業に必要だと思う
倍以上の敵兵に艦を乗っ取られても大変ですしね、丁重にもてなす方が変に刺激せず穏便に済ませられる。みたいな事もあったのかもかも
そのリスクは当時の兵士たちも考えたのではないかと思いますが、それでも救助に動けたのは凄いですよね!
マレー沖海戦の日本軍による救命活動に対する妨害がなかったことや生存者を乗せた駆逐艦に対する攻撃がなかったことからかエクセター士官が「万が一には日本館の方へ泳げ、そうすれば救助してもらえる」と話していたという話ですね。
戦いの中でも慈悲を忘れないいいエピソードですね
工藤艦長武士ですな。当時英語でスピーチなんてかなり崇高な人格品位教養のある方で、こういう事例を学校教育に絶対取り入れるべきでしょう。🇯🇵
この時工藤艦長は第一砲塔を除く砲塔の兵士を救助に向かわせ(敵艦または敵潜水艦に発見される可能性大にもかかわらず)、雷のマストには救助活動中の国際旗がたなびいた。
国際基準にも明るかったんですね!
この時に救助された英軍人が、工藤艦長の葬式に参列する為に来日したんじゃなかったでしたっけ?
本人と会いたかったそうですが
すでにお亡くなりになられていたそうです・
電も救助に参加したのは
初めて知りました😊
はい、実は参加していたそうですよ!
まっ単艦で行動するとか自殺行為だから随伴は居ただろうね
確かに!
本土で通学中の子供達に機銃を浴びせたアメリカ軍とは大違いやな。戦犯はそう言う奴らを言うんやで。
海軍も陸軍も人道的な人はたくさんいた。
そうです。私たちは広義として軍=悪になっていますが、個人で見ると人道的な人や出来事はたくさんあったみたいですね。
工藤中佐はまさに侍ですね。
教科書では教わらないことですね!
この海戦で栗田は1回目の謎ターンをしています。2回目はミッドウェイ海戦、3回目がレイテ沖海戦での有名な栗田ターンです。
武人の嗜み👍
かなり有名な話です。
現在、ルール無用で血で血を洗い56し合ってる世界中の前線の兵たちに諭してやりたい。
勝ち戦には余裕がある、敗けている側が残虐行為に走りがち
その後の日米双方に美しからぬエピソードが生じたのも事実
戦争で起こりうる全てのことが美しいものだとは思いません。
ですが、軍や軍人というだけで悪という印象が付いてしまった現代日本において知られてこなかったエピソードをもっと多くの人に知ってほしいと思っています。
知っていた。侍ですね。
語られてこなかったのがもったいないですよね
戦線にいた軍人には、侍がいました。アメリカと日本の昇進の違いが有ると思います。兵学校や士官学校の年次や成績にこだわり戦時体制でもこれが守られた。その弊害が開戦次の真珠湾攻撃の機動部隊の司令官に南雲が就いた事です。この時に南雲ではなく、山口多門を司令官にしていれば、早期講和が行われたかも知れない事です。
@@user-tm6ki1pl7p
歴史はたらればが面白いですね!
まあ実際はこの周辺で任務に当たってた帝国海軍がバラバラではあるが同じようなことをやってるんだよ。
表に出ることがなかった話ですね
捕虜収容所では地獄jの日々だったんだろう。
電と雷ほではなかったものの
そこまで悪くなかったそうです。
環境や衛星面はよくなかったでしょうがね。
すべてが良かったというわけでもなく、嫌な看守もいたとのこと。
英兵「木の棒食わせんなや!💢」
それ…ゴボウやねん…
@@tanoshiru_ch 英兵「は?💢どう見たって木の棒じゃねぇか」
@@user-fe3cq1ew6f
食材なんだよ…
@@tanoshiru_ch 英「ほんまか?パクっ
……………もう一個くれ」
@@user-fe3cq1ew6f 木の根っこ、だったかな?
それに比べて利根の艦長は…
そんな人もいるんです…!
上官の殺害命令を変更するよう意見具申しています。逆らえなかったのですね。
@@user-sw4ll2ml1i
軍や戦争はすべてが良いエピソードばかりではないということですね。
良い面も悪い面も両方知る必要がありますねー
地底に沈む?
変か言い回ししてました…?
@@tanoshiru_ch 艦艇なら「海底」じゃないです?
@@Aocchich
すみません!