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堀越二郎は、自分の最高傑作は零戦の前に作った九六式艦上戦闘機だと言ってますね。零戦は軍部の無茶振りに応えるため、安全基準さえ改変して作った彼にとっって妥協とあきらめの産物だったんじゃないでしょうか。
なるほど、そうだったんですか。96が良すぎたがために、零戦はさまざまな要求が付いてしまったんですかねー。職人タイプに見える二郎には苦渋の連続だったんでしょうね。
非力な栄21型エンジンの使用を海軍から強要されたからでしょう堀越はより馬力のあった金星エンジンで作りたかった戦闘機の設計はまずエンジンありきで機体設計をだけでは限界があって直ぐに陳腐化して破綻するそれが栄エンジン
96戦の設計では、堀越は自由に腕を振るい、新機軸をいくつも取り入れて成功した。零戦は、曽根技師によれば何とか使えるものができたという感想で、傑作ではなかったのでしょう。
@@miyamiya2237 実情はイメージとだいぶ違うもんですね。。
屁理屈言って夢壊すな✋🤬
当時、米西戦争(1898年)の結果、フィリピン、グアム、プエルトリコはアメリカの植民地、キューバは半植民地。
なるほど。そのタイミングで、グアム、フィリピンがアメリカ植民地化したんですねー☺️
そもそもそれ以前にアフリカから奴隷を連れてタダ働きさせてたし
@@okadatoshio8990ゼロ戦の最大高度も間違っている。ー万メートルまで飛べるし、ドイツJu49が世界初の与圧キャビン、試作機Ju EF61V1が高度15000mを常時飛行し、Ju86偵察機に生かされた。B29が宇宙船なら、Ju86は更に優れている。(プロペラ機が宇宙船な訳ない)
@@tennouheikabannzai なるほど、自分は戦闘・航空機には詳しくないので知りません出したが、Ju86がのちのB29以上にものを達成していたんですね、これはいいこと教えてもらいました!ありがとうございます。
急降下制限速度が670kmぐらいだったんだけど、最初の設計段階では800kmでも大丈夫だと構造設計したんですが、実際には風洞試験とか当時の試験技術の限界で実機で実際に試験したらそんな急降下制限速度は不可だと気づいたわけです。つまり最初から弱い機体設計をしたわけではなく、十分だと思った設計が間違っていたと後で気付いたわけです。あの長大な後続距離は実はパイロットにも負担が大で本来なら帰投できたはずの軽微な傷でさえ途中で駄目だとあきらめて自爆するという悪循環でパイロットをどんどん失っていったわけです。あまりに人間の命を軽視したことは、実はパイロットの方が機体よりも重要だと気づけなかったわけです。
人命軽視、この失敗はどんな名機でも補えないですよね。机上の空論的、数字上の凄い機体を作る事に夢中になり過ぎて、操作性などを見落としていたのですかね。
人命軽視ではあるけど、時代を経るごとに攻撃手段が防御手段に変わり新しい手段が攻撃手段として定着していくように(攻撃手段としての格闘戦→速度を活かした一撃離脱→これら近接戦闘→短距離空対空ミサイル→現在の中長距離空対空ミサイル)、高出力なエンジンを用意できなかった日本は軽量化して速度と格闘性能を高める方が生存率を上げやすかった上に(確実に敵の後ろを取ってしまえば撃たれないという当時の考え方)、高い上昇性能と格闘性能は攻撃手段として使えて一石二鳥だから零戦はある意味当時の日本として最適解ではあったと思うな。結果的に性能の陳腐化と改善不能なレベルだった基本設計と飛行特性の隙を突かれて、優位性が一切損なわれる事になる訳だけど。
ポイントを押さえた解説ありがとうございます!大変面白く、興味深いです☺️当時の思想や哲学が有っての、あの機体ですね。一瞬かも知れませんが、世界最高峰の性能を手にしたのは、私個人として誇らしい気持ちですが、残念ながらアメリカの対応力の高さ、研究に、してやられてやられてしまったのが残念😂
零戦の上昇力と航続力は当時のアメリカの戦闘機を遥かに越えていた、しかし その代償は安全率をき極めて下げるものだった、エースパイロットの坂井三郎さんも怖いと言われてました
エースの体感にしてそれでは、多くのパイロットは死を覚悟しての搭乗でしょうね。
貴重なコメント!坂井パイロットは批判されなかったのか気になりますが。
坂井は零戦の上昇力を活かし、急降下の加速の悪さを補う戦術をとっていた。後下方から攻める戦法だ。敵が急降下で逃げようとしても頭を押さえられるし、上昇で逃げると追い付いて撃墜するというものだった。これがF6F相手になると上昇力の優位点はほとんどなくなるのだが。
@@miyamiya2237 映画で見かける、戦闘シーンドッグファイト?がうまい?敵機の裏に着くことができるの理解でいいのかしら。
@@okadatoshio8990 零戦搭乗員たちの手記を読むと、ドッグファイトなんてほとんどやってないですね。 急降下で逃げるのが最善手とわかってしまえば、分の悪くなった格闘戦に付き合う米軍パイロットはほぼいないということでしょう。 そんな状況でも日本は格闘戦の訓練を中心にやってたみたいですが。
1978年か1979年の秋、プレーンズ・オブ・フェイム航空博物館の零戦が地元の上空を飛行しました。幻影を観ている様で、当時小学生の自分と同級生友達で大興奮した記憶がございます。
え!そんな事実があったんですか!その後、零戦はどうなったんでしょう?気になりますねー☺️
@@okadatoshio8990 さん 件の零戦はその後、何度か来日し日本で展示飛行しています。(最後は2000年代のレッドブルエアレースの時)当時はインターネットなど情報か簡単に入手出来ない時代でしたので…現在60歳以上の航空ファンの方々はご存知のはずです。自分もネットで調べましたが、広告チラシ宣伝が存在していたはずです。自分の憶測ですが70年代頃からGHQが規制緩和したからでは?その頃から図書館書店等では戦記書籍が沢山あり、毎日図書館に通い、毎週父親に、戦艦大和の全て零戦の全て等買ってもらい熟読していた時期でした。私の近所に民間の飛行場が今も存在するので、そこから離陸後街の上空しかも低空飛行を披露しました。
@@okadatoshio8990 さんその後件の零戦52型は、何度か来日し国内展示飛行しています。
@@grimreaper-k5r おー、そうでしたか!大切に今後も保管してもらいたいものですね!
高性能機であったのは確かだけど欠陥を小手先の対策で切り抜けようとしたものの米軍にばれてしまい後はただの標的機と化した
人的資源に対する理解が低くすぎて…。性能に全振りしてなければ、真珠湾もままならない状況だったような気もしますし、やっぱり、無謀な戦争だったんですかねー☺️
@@okadatoshio8990 開戦前軍部は昭和天皇に日本の行く末に対して戦って死ぬか座して死を待つかの二者択一を迫ったそうですつまり戦って勝利する選択肢をはじめっから持っていなかった
@@レスター-d6t 武士道と云うは死ぬことと見つけたり が良くない方向で働いてしまった感じですね。感情に任せで、分析を放棄してしまったのですかね。
B-29のエンジンのライトR-33系はエンジン1基に排気タービンが3個もついている豪華仕様。だから機内与圧も余裕。ただし与圧されているので、攻撃で穴開けられると吹き出されそうになった人の写真とかあります。
零戦はもちろん名機ですが、悔しいかなB29も凄い名機ですね。航空機の仕組みを一気に進化させてますね。そっか、穴が開くとそうなるって事かー😲
零戦の型番の21型の呼び方は、にじゅういちではなくて、にいいち型です。2番目の機体、1番目のエンジンという意味です。2番目の機体は空母搭載するためにエレベーター用に折り畳み式の翼にした機体です。
おー!恥ずかしながら、知りませんでした!いい情報ですね、機体の方式を聞いただけで、どんな機体がわかる様になってるんですね、
@@okadatoshio8990 こちらこそ余計なおせっかい失礼しました。1番有名な戦闘機だけにロマンはありますね。
碇義朗さんの戦闘機入門という本のシリーズがあります。ゼロ戦・隼・飛燕の元となる試作機が三菱、中島、川崎で試作されて比較テストが行われたことがありますね。最終的には三菱の試作機が96式艦上戦闘機~零式艦上戦闘機となり、中島の試作機が97式戦闘機、隼、疾風となり、川崎の試作機が飛燕になってます。陸軍は隼の頃から防弾設備も装備されていたのに対し、零式艦上戦闘機は装備されていなかったのが残念ですね。
読み応えありそうな本ですねー自分の様に大まかな知識しかない層にはありがたい本でしょうね☺️
戦争と言う時代で無ければ、堀越さんにより夢の航空機ができていたかも知れませんね、本当残念です。
まさにソレですね☺️学徒出陣などを思うと、先の大戦で多くの才能が奪われてしまいましたね。
零戦は米軍から恐れられましたが、最終的に零戦の脅威がなくなった戦争末期でも意外に評価が高かったのは(とはいえアメリカから見て大した戦闘機ではなかったですが)同時期に主力だった一式戦闘機(開発に糸川英夫が関わっております。)こと隼だった様です。ニューギニアで第二次世界大戦の米国のトップエースのニール・カービィーが登場するP47(恐ろしいくらいの性能差)を撃墜したり、戦争末期においても零戦以上の旋回性能で連合軍新鋭機でも度々敗北することがあるとされており戦争中恐らく日本最強の4式戦や紫電改よりも脅威と見られていた様でした。又当時の改良する度に持ち味の旋回性が無くなった零戦とは対照的に第二次世界大戦中日本の開発した戦闘機としては改良する毎に持ち味の旋回性能を犠牲にせず比較的に確実に性能がアップ(といっても世界の傑作機と比べると差はありますが)した戦闘機は一式戦だけでした。個人的に日本が防弾無くす等の犠牲なしで本気で開発してまともな軍用機が隼だったんじゃないかなと思います。陸軍の戦闘機で使用用途が違うので零戦と一概に比較は出来ませんが。。。。
詳しく、興味深いコメントありがとうございます😊隼は存じ上げてましたが、そんなに性能、評価がたかかったんですか。
日本陸軍のキ43一式戦闘機は、97式戦闘機の発展型であるが、陸軍の場合、ノモンハンの戦いで、ソ連のI-15や16が、7.7ミリ機銃をいくら打っても敵機を撃墜できないどころか、敵機の機銃弾により搭乗員に被害が出たこともあり、米軍の戦闘機には劣りますが、キ43一式戦闘機が開発された時から、仕様書に座席後部の防弾鋼板を備えるなどの防弾装備が盛り込まれていた。しかし、日本海軍の12試艦上戦闘機のちの零式艦上戦闘機は、96式艦上戦闘機の発展型ではあるが、海軍の要求性能は航続距離と旋回性、20ミリ機関砲搭載、落下増槽使用時航続距離3,000km以上という、当時としては1,000馬力級戦闘機で無茶な要求性能をしたため、極端な軽量化ゆえ急降下速度の制限とかが出てきて、なおかつ、防弾性能は、旋回、巴戦であれば敵機の銃弾を回避できるといった発想から、パイロットを守る防弾鋼板の要求がなかったということです。日本海軍は、96式と一式陸上攻撃機による爆撃攻撃をしていたが、国民党軍が揚子江沿いに重慶まで退却すると、日本海軍の爆撃機は、迎撃戦闘機の被害を受けてきたため、それに随伴して爆撃機を守る戦闘機が必要になり、零式戦闘機11型(艦上戦闘機として運用できるのが次の形式の21型)が開発された。こういったことから、開発時の零式艦上戦闘機には、防弾装備がなかったらしいです。ただ、本土防空戦になると、アメリカ軍機は2,000馬力級の戦闘機とB29の投入により、防空戦を行う日本軍機にもそれなりの防弾性能を持たなければならず、その装備のため性能低下を招いたようですよ。
@@okadatoshio8990 返信コメントありがとうございます。性能的には正直対米英戦開戦時から性能不足気味でした。但し、初期の連合軍機の主力のホーカーハリケーン、P40、バッファロー、F4Fに対し零戦以上の旋回性能と零戦程ではないが、上記連合軍機と比べて高い航続距離等の機体性能、そして一番に熟練パイロットが沢山いた為活躍してました。連合軍機に対し中期以降でもなんとか戦えていた(正直の言い方で後期の零戦程よりは新鋭機と戦えただけ。)理由に1.防弾が連合軍機程ではないが最初から施されていたこと。2.火力不足(これは対戦闘機に特化した軽戦をコンセプトに作られた為。)を少しでも補う為、弾丸に新型のマ103(榴弾)を使用したこと。3.改良型で連合軍機に対して十分ではないが隼の弱点の機体強度の弱さ(急降下すると空中分解してしまう。初期の零戦も)を強化、火力を強化(7.7mm機関銃×2から12.7mm機関砲×2を基本装備に)、翼を短くし最高速度を少し改善(但し連合軍機に対し不利)エンジン馬力を強化等を旋回性能を犠牲にせず改善出来た為。4.海軍航空隊に比べて防弾を装備してたことにより、熟練パイロットの生還率が少し高かった。5.海軍がほぼ零戦で戦っていたのに対し陸軍は2式単戦(開戦当初日本軍機としては最速、最高の急降下性能)、4式戦闘機(日本最強、個人的には戦争末期のは不良な物が多く戦力外だと思います。)5式戦闘機があり隼だけで戦ってはなかった。6.単機決戦の海軍航空隊と違い陸軍航空隊ではドイツに習い海軍より早く2機で1組の"ロッテ戦術"を取り入れていたこと。以上の6点(他にもあると思いますが。)により何とか新鋭機と最後まで戦えたんだと思います。又、隼は初期の零戦21型の爆弾搭載量が最高60kg爆弾×2発に対し250kg爆弾を翼のしたに2発搭載(但し飛行性能がかなり悪化する)でき、軽爆撃機、襲撃機の代用(零戦と戦闘機としての種別が違うので対比出来ませんが)として爆撃機のない部隊で襲撃機として運用されたりもしたみたいです。
@@ケンケン-w3z 熟練パイロット生存率、有無はもちろんだすが、ロッテ戦術を早く取り入れることが良かったですね。2機1組をロッテ戦術というのですね、今回で初めて知りました!ためになりました!
@@okadatoshio8990はい、皮肉な話でその陸軍航空隊が海軍航空隊より早く取り入れていた"ロッテ戦術"なのですが、それに似た戦術をアメリカの陸、海軍航空隊は零戦に対抗する為、2機1組で戦闘する"サッチウィーブ戦術"を取り入れ戦争中期以降(ミッドウェイ開戦から)に活用。これにより、その頃はまだ零戦に対抗出来る新鋭機がなかったのですが零戦に対し優位に戦えるようになります。
欧米は日本などと云う"未開国の半人間達"にまともな航空機が造れる訳が無い!と思い込みドイツ空軍に対する様な第一級の戦闘機でなく2~3級の戦闘機でも🇯🇵には十分対抗出来るとの油断が緒戦に於ける零戦の戦果に繋がったと考えられます。
大いに、そして多いに考えられるますねー。当時は欧米人以外は下にみてますよね。アメリカ人ば今でも下に見てそう😅
動画中でも言ってる様に日本はササッと片付くと思ってたんですね。
いつも楽しく拝見しています。アメリカはスペインからフィリピンを武力で奪取したと覚えています。第二次大戦前に独立を認めたものの、依然と軍隊を駐留させていたので形式的な独立という解説もあるようです。米比戦争でのある戦いで、米軍は島民皆殺しというジェノサイドを行ったという記録を見たことがあります。
沖縄戦とその後の基地問題を考慮すると日本も人ごとではないですね。
堀越二郎技師は零戦の後継機の烈風を開発していましたが量産されることなく終戦となりました。
名前が無茶苦茶かっこいいですね。アジテーション的な名前から、戦局の厳しさがもれ伝わりますね。
@@okadatoshio8990 烈風は不運なことに開発段階で東南海地震に遭遇したり、エンジン選択に難航を示したりとスムーズに対処できなかったのも苦止まれるところなんです。
量産されたとしても手練れのパイロットが居ない、燃料がないだから結果は変わらないでしょうね。
@@akibanokitune それもあり得たと考えます😀✋
堀越は映画でもあるけど優秀な飛行機を作りたがる完璧主義者だから良い戦闘機をつくるひとではないんだよ。天才すぎて革新的すぎるからな。戦闘機はある意味平凡なとこがある方が望ましい
人命軽視って言われていますが、零戦が開発されたころは防弾板などの防弾性能がある航空機は少なかったです。零戦と同時期に開発された「F2Aバッファロー」や「F4Fワイルドキャット」にも防弾板などはありませんでした。(「F4Fワイルドキャット」は後に防弾性能が付けられる)F4Fなどの「グラマン」と言われた戦闘機は”頑丈”と言われていますが、機体構造自体が頑丈なだけで貫通するかどうかは別の話になります。そもそも防弾性能なんて考えは無かったので、人命軽視とは言えません。それに「零戦に防弾性能を付けたところで」ってなります。長大な航続距離+欧米機を屠るための高い機動力=零戦です。非力なエンジンで相反する航続距離と機動力アップをしています。で、これに防弾をつけると航続距離はまぁ大丈夫ですが、ネジ一本一本、グラム単位まで削れるところを削りまくった結果得られた高い機動力が失われます。しかも、零戦に載せられる防弾板って7.7mm用なんですよね。それに対して米軍機は12.7mm。防弾板を付けたところで貫通されるので、ただの重りになります。機動力を上げて攻撃を避けることで生存率を上げる戦闘機から機動力を奪うと、何もできずただただ一方的に叩き落されるようになります。あと、「弱点バレてからはボロかすにやられた欠陥品」って言っている人がいますが、「弱点バレ&敵が次世代戦闘機&敵の数が自軍の数倍」っていう組み合わせだと、どの国の戦闘機でも負けます。しかも、航空機どうしの戦いって多少技術力の差があろうとも、数が多い方が基本的に勝ちます。「零戦対F22」っていうぐらいの差だと流石に無理ですが。ただ、赤松貞明っていう「P-51マスタング」75機の大編隊に単機で突入して「P-51」を撃墜して”無傷”で帰ってきたっていう、とんでもない逸話を持っている人もいます。
興味深い!面白いコメントありがとうございます😊ここだけじゃなく、皆さんに読んでもらいたいコメントですね。当時は当時なりの理由があったんですね。
赤松は編隊空戦の達人で編隊空戦の弱点を知っていたからこそ75機編隊相手に2機撃墜できた。赤松がやったことは単純。まず敵編隊の戦闘機と戦闘機の射線に入る。これで味方(敵にとって)を撃てないから機銃を無効化出来る。そして撃墜。単純だが出来るかと聞かれたら無理。
@@m1niku164 え!すごすぎます!ガンダムの世界でアムロがリックドムを12機追撃していましたが、それ以上ですね!現実にこんなすごい話があるなんて・・・すげーっす!
ドイツも首都に侵攻されるまで降伏しなかったんですけどねただヒットラーの取り巻きは降伏を画策してたみたいですけど
ホント、負け方って言うのは難しくですねー😊
勉強になりました!ありがとうございます😊勝ち目のない状態に追い込まれても突き進むっていうのありますよねー。岸田政権もそうですよねー。
岡田斗司夫ゼミは学びもあるし、面白いですよねー岸田政権も歴史から学ぶ…かな☺️
下から狙われる高射砲の到達高度も一万メートルでこの高度にしたんですよね。しかしエンジンは非常に極寒と低酸素で可動しなければならず、トラブルはあったそうです、話にもあった墜落原因はたぶんこれです。
いい情報ありがとうございます😊なるほど、当時としては完全無欠の存在だと思ってましたが、やはり欠点などはあったのですね…。
B29のエンジンは信頼性・耐久性に難があり、一回出撃する度にエンジン交換又はオーバーホールしていたといいます。与圧室に関しても、戦闘の無い空域を飛ぶには快適ですが、機銃弾や高射砲の破片が命中すると急減圧の危険に晒されました。しかも高高度からの爆撃は命中精度が悪いため、結局は低高度での爆撃に切り替えました。当然B29の損害は増えてしまい、米陸軍航空隊将兵はこの決定を下した司令官カーチス・ルメイを恨んだそうです。
@@f4f105 え!そいつは金食い虫ですね!確かに与圧室のアイデアは素晴らしいけど、その欠点ありますね。
@@okadatoshio8990 しかしそこまでのエンジン供給を可能にした米国の工業力&兵站の凄さが窺えますね。しかしその米国の工業力をもってしても、硫黄島・沖縄戦までの船舶(輸送船)と海軍乗組員の損耗は凄まじく、日本本土上陸作戦は不可能となりました。(開戦当初約800隻近くあった輸送船は半分の400隻まで損耗)たとえ輸送船の生産は追いついたとしても、海軍兵の育成は一朝一夕では成しえません。操舵士・航海士・エンジン・ボイラー技師・砲手など、海軍兵は全て「技術者」なのです。結局、米国の取れる作戦は「原爆投下」だけになってしまいました。終戦まで日本は中国大陸・東南アジアの占領地は殆ど確保。東南アジア諸国の独立・白人植民地主義からの脱却のため戦い抜きました。海での戦いは、アメリカを太平洋戦線に引っ張り出して時間稼ぎするための囮作戦に徹しています。日本軍は補給をないがしろにしていましたが、当たり前です。時間稼ぎのための囮部隊ですから。「太平洋戦線は、消耗戦とし、敵をとどめる」あくまでも日本の戦争目的は「東南アジア諸国の独立・白人植民地主義からの脱却」です。太平洋で勝っても負けても、東南アジア諸国が独立するための時間が稼げれば充分であるという戦争方針です。
@@f4f105 全く存じ上げませんでした!一見デタラメ、支離滅裂、朝令暮改に見える日本軍の戦略の裏には、そんな意味合いがあったのですか・・・。そこら辺を知れば知るほど、原爆はひどすぎます。
B-29も高高度で攻撃される事は無いだとうという事だったから、「弾さえ当たらなければ大丈夫」思想が入ってたんですね。この先を語ると震電の無念を語る人が出てくるかと思うんですけど、それはそれ。でも、実際は日本本土爆撃で高度を下げて攻撃した際に対空陣地の砲火で30%だっけ!?の損耗があったそうですね。意外と日本本土の防空システムの優秀さが語られないのが謎だと思います。
震電はゴジラで登場しましたね☺️大和や震電は、無意味なんですが、ロマン感じちゃいますねー。日本の防空が優秀だったんですか!なんだか意外に感じますね。
B29は当初は戦術爆撃の運用だったので、探知・迎撃できたんだと思います。爆撃から迎撃機を退避させる事にも成功していますしね。レーダーサイトは当時として相応のものだったと思いますが、アメリカの高高度戦術爆撃というドクトリンが優っていたという事だと思います。大和については、後の巨大タンカー「出光丸」の建造に活かされているので、無意味ともいえないと思います。何故か当時の優れていた部分が歴史からかき消されているかのような風潮は悲しく思います。
@@tenkochinu アメリカの高高度戦術爆撃というのは爆弾を狙った場所に落とすのが難しかったんだね。なので低空に降りてきたところを日本の戦闘機により相当な数のB29が撃墜されている。ある資料によると485機が日本で撃墜され、3041名の搭乗員が亡くなったそうだ。この亡くなった搭乗員の数は特攻で散っていた若者の数に匹敵する。しかしこういうことは殆ど語られないね。
@@tenkochinu 出光丸ですか!建造当時、最大級のタンカーだったんですね。思わず調べてしまいました、いい情報ありがとうございます!
@@tenkochinu残念ながら海外の対空砲による撃墜率は日本のそれをはるかに超えています。 ドイツはコテンパンにやられているように見えますが日本に向けられた爆撃機とは比べ物にならないほど数が投入されているためそう見えているだけで ドイツやイギリスアメリカ等々に比べ日本の対空システムは時代遅れになってしまっていた感じがあります
B29=空の王者
悔しいけど、頷けます。
実はアメリカ本土は無傷ではないです。シアトルの近くのブルッキングズ市を爆撃してます。他にもやってます。まあほぼ無傷と同じくらいの戦果でしたけど。
え?そうだったんですか。しかし、なんでシアトルなんでしょうかねー。
零戦初陣時は米国のグラマンF4では勝目は皆無他の頑丈な戦闘機も20ミリ機関砲が命中すれば木端微塵、機も洗練されて後のソ連のミグ25の衝撃と同等位だったんじゃない?
なるほど、結局、そんなところかも知れませんね…。パイロットや、その他の条件があるのにも関わらず、どっちが優れているのかを語りたくなるのはなんですかねー。
芸術品 と 量産品戦争で必要なのは、熟練じゃなくても操縦や整備ができる後者ってことですね。。。
なるほど。芸術的かは分かりませんが。優秀な量産品は整備し易く、シンプル。トヨタ・ハイエースやホンダ・カブの様なものなんですかね。
米軍の整備マニュアルは、誰でも分かりやすい様にイラスト付きのがあったそうですが、日本は?とゆうとベテランから口頭で教えられて、忘れて聞きに行ったら怒鳴られるとゆう理不尽がまかり通ったみたいです。戦闘機もクセがあるF4Uより、誰でも乗りこなす事が出来るF6Fが主力になった例がありますしね。
一応昭和17年に潜水艦から米本土爆撃した日本の零式小型水上偵察機がありますよ!しかも2回も.
えー!そんな歴史があったのですねー☺️知りませんでした。世界レベルの優秀な戦士や機体がなせる戦果ですね。
二式水戦ですね20mmという大砲まで装備した戦闘機です。
昭和17年8月15日、潜水艦・伊25号はアメリカ西岸に向け、横須賀港を出港しました。同年9月9日未明、零式小型水上偵察機に乗る藤田さんは、オレゴン州・・・と言うネット記事があります。
海軍は、陸軍のマレー上陸に随伴して共同戦線を張る心づもりでいました。真珠湾攻撃は陸軍の要請によるものです。アメリカはフィリピンを植民地化していたのに「アメリカはアジアに植民地を持っていない」などと動画では言われていますが・・・大東亜戦争の認識に関しては、正確に把握している人が少ないのが残念です。
なるほど、そうですねー、ww2、大東亜戦争などは、本人に探究心などがない限り、疎かににしてしまいがちですねー。社会科などで教育するにはバイアスが掛かりそうですし、歴史から学ばないのは愚かですし、難しいですね。風立ちぬ みたいな簡単な映画などをきっかけに、戦争ね真実を探る方が増えたら嬉しいですね。
零式戦闘機52型 じゃねえんだ一番有名なのが 零式戦闘機 艦上戦闘機52型本当に 零式艦上戦闘機52型だから
なるほど。使い分けしてないかもですね。
零戦は機動性に全振りした設定でアメリカ軍にワンショットライターとかフライングジッポーと言われたらしいね
また、それこそが潔し、と思いがちな国民性がありますかねー。
@@okadatoshio8990 ムスタングと正反対の設定www
侍は敵の攻撃をかわす考えですかね。西洋は鉄の鎧に盾🛡️
思想、文化の違いが機体に反映されてるとしたら、興味深いですね!
B29開発費はマンハッタン計画を上回っていた。
興味深い。苦々しいですが、費用対効果は絶大でしたね。
零戦は防弾装備が皆無だから人命軽視だと言われがちですが、開発当時のライバルの他国機も似たようなものでした。戦訓によって零戦も自動消火装置など防弾対策をしましたが、機体が重くなりエンジンは性能向上せずで段々と性能を落としていきました。
さまざまな、工夫、改善もエンジン性能の向上が有ってこそなんですね…残念😢
0:45機動性を得るために装甲を犠牲にし、弾は、当たらなければとうということはない。まさに、シャアの戦闘哲学ですな😮
赤い彗星が操るザクは装甲が薄いんでしたっけ?
@@okadatoshio8990 最初の頃は、そんな設定でした。シャアザクは、装甲を薄くして、通常の3倍のスピードを達成したとかなんとか。オリジンになると、補助スラスターやらなんやら付けて早くなってるという設定になってきましたが・・・。
当たらないわけないやないのwしかも向こうの機銃は射程距離も弾道性能も桁違いに優秀なんですから。
@@大祐綾田 日本の敗戦は必然のことでしたか・・・。
・正確には、B-29の本来の開発目的はドイツへの戦略爆撃であり、B-17がドイツの優秀な戦闘機(Me-163やMe-262等のロケット推進、ジェット推進も含む)に多数撃墜されたことから、準備したものの、数を揃えるまでにドイツが降伏したので、これを太平洋に転用したというのが実際ですね。当時のルメイ准将が指揮して成功させようとした非人道的戦略爆撃機論を完成させたくて、日本を標的にしたと言われています。・B-29は高度1200mを飛行して、日本の戦闘機による迎撃を困難にはしていますが、当然高高度爆撃のために命中率が著しく低く、目標に命中しない。そこで、夜間低空精密爆撃に戦略を変更しています。その結果、夜間戦闘機をほぼ持たなかった日本は苦戦し、また一回で300機を超える大編隊で都市を焼き尽くす作戦に転じました。日本の夜間戦闘機と言えば「月光」ですが、これが意外なほどに活躍しています(陸軍名称は屠龍)。北九州爆撃では20%以上の撃墜率を出して、結局製鉄所はほぼ無傷という結果に終わり、100機程度の爆撃ではまだダメと悟り、マリアナから大量の爆撃隊を送り出しています。日本も艦爆の彗星を改造した彗星夜戦等も出撃し迎撃しましたが、多勢に無勢で敗れたのが史実です。・日本が終戦間近に中々降伏しなかったというのは間違いかと思います。レイテ沖海戦の頃に、既に日本は天皇制を護持してくれれば、条件をすべてのむ形での降伏を出していますが、全て米国側に拒否されています。何度もこれを繰り返していますが、米国は応じませんでした。 理由は、「アジアにおける圧倒的な勝利」を共産圏に見せつけるため、ただその一点です。原子爆弾投下もそれが理由です。実験を兼ねて。終戦後も日本を植民地にはせず、その後日本の経済成長を支援したのも、全て「前進基地としての日本」が欲しかっただけという説が今は一般的でしょう(江藤淳 銃後の戦争)。
大戦末期には利用されてたんですね。なんだか、切ないですねー。
B29の飛行高度は、高高度の12,000mのはずです。飛行高度1,200mだったら、超精密爆撃ができるけど、日本軍の高射砲の砲撃や迎撃戦闘機の攻撃も苛烈になって、墜落されるのではないでしょうか?
@@笹原聖司-j6e 桁間違えですかね。
@@okadatoshio8990 そうなんですよね10,000m と 1,000m 海抜0mを基準にして考えると、気圧差および気温差は、高度10,000mは、人間にとってかなりキツイ世界10,000m~成層圏 気温 氷点下50度気圧 地上の1/4程度そのまま放り出されると、死亡確定 1,000m峠越えレベル耳ツンだけで済みます。
B29は高性能だけどけっきょく高高度で爆撃させたら明後日の方向に着弾するだけで無意味だからB17を運用するのと変わらない事させたらそれなりに被害でたのでB29なんて無駄だった。朝鮮戦争じゃジェットにカモにされてワンショットライターにされたしな。後日本は戦力そこそこ残ってたから植民地なんかにしたら死を恐れない世界一優秀なゲリラ兵の誕生になるので融和策とるしかなかった
半分はパイロットの技量、未熟者では20mm砲は当たらない
なるほど🧐修練を積む時間も資材も無いし、当時のパイロットを尊敬します。
集団戦になると速度も遅く銃の射程が短いゼロ戦が射撃ポイントに達する前に敵の僚機がカバーに入って遠方から12.7ミリを撃ってくる。防御力の無いゼロ戦はそれだけで簡単に火を噴いてしまう。ゼロ戦が強いのは1対1の場合だけです。
なるほど、零戦かっこいい!程度の知識だった、自分には思いも至らなかったです。ww1の空中戦なら、1vs1で零戦の運動性能を発揮出来たかもしれないけど、ww2にはもっと戦略論が重要なんですかね☺️
零戦は、海軍に振り回されて、エンジンの馬力アップも防弾装備の追加も出来ずにいた。海軍は、三菱の改良の提案を無視して航続距離と運動性能にこだわりし続けた。この為、B-29に対抗できる紫電改等の戦闘機の開発が遅れた。B-29も無敵の爆撃機では無かった。B-29は、第二次大戦中に、撃墜されたり、故障したりして485機失われている。搭乗員は、3,041名も戦死している。ネット参考。
面白い情報、ありがとうございます☺️非常に興味深いです!b-29は意外でした、アメリカはアメリカで苦労してたんですねー
B-29が高度10000mを巡航できたのは事実ですが、実際に昼間に高度10000mから日本の軍需工場を戦略爆撃してみたところ、爆弾が全然命中しなくて失敗してるんですよね。日本軍の高射砲による反撃での被害も意外に大きかった。司令官ハンセル准将は更迭され、悪名高いルメイに交代しています。ルメイは関東大震災を参考にした高度1500mからの夜間焼夷弾爆撃に戦術を180度切り替えて、日本を焼け野原にする大戦果を挙げました。
なるほど興味深いですね!関東大震災を参考と言うのは、街が火災に遭う事により、街の形が見えやすいって事ですかねー。日本人としては頭にくるけど、成果を上げる為に、人も作戦も素早く変更できるのは素早いですね。☺️
失敗したというのは、作戦劈頭の八幡空襲ですね。B-29の敵は強烈なジェット気流であり、日本の迎撃機は敵ではなく、実際ほとんど迎撃できていません。ジェット気流については、当の日本でさえ、よく分かっていなかったので、やむを得ないことでした。しかし米軍は次第に航空気象と航法に慣れ、むしろジェット気流を利用して侵入するようになるので、ますます日本機は迎撃困難となりました。日本陸軍主力の八八式七糎野戦高射砲の射高は9,100mですが、これはスペック上で、10000mに届くはずもなく、B-29が昼間高高度爆撃をする際は、ほぼ迎撃不可能でした。偵察機型のF-13は爆撃機型のB-29よりさらに高高度を飛行したので、迎撃を受けたことさえ皆無です。日本本土の軍事目標をあらかた破壊してしまったあと、第21爆撃集団の司令官が、ハンセルからルメイに交代します。
えっと、いろいろ突っ込みどころありますねえ。アメリカは独立を約束していたとはいえ、フィリピンを植民地にしていて、なおかつ華北・満州の利権を狙って日本と争っていて、東アジアで日本を屈服させるのは重要でしたよ。また、ヒトラーは降伏していませんよ。自殺後に後継者が継戦を命じられたのを無視して降伏です。ほぼ全土を蹂躙されて、仕方なく完全無条件降伏なので、日本のような交渉による降伏(と軍部の無条件降伏)とはちょっと違いますね。ちなみに連合艦隊壊滅はマリアナですね。堀越が96艦戦を最高傑作と言っているのは諸外国に全金属単葉というトレンドで追い付いたのがこの機体だからで、火力も貧弱で速度も航続もイマイチなので戦闘機としてはさほどの機体ではないですよね。零戦は別に傑作機ではないですよ。空中戦で撃墜された機体の75%は奇襲で落とされたそうです。そうなると、機数(生産性)・扱いやすさ・火力・頑丈さ・搭載性能(折り畳みなど)、どれをとってもF4Fに負けています。20㎜は戦闘機には当たらない上に弾数が少なく、7.7mmも初速が低い上に威力も低く、F4Fとは比べ物になりません。現に実は太平洋戦争の前期、F4Fと零戦のキルレシオはほぼ互角だそうです。後続だけは確かにすごいですが、結局空母戦でアウトレンジなんて実現していませんしね。そんな遠くの敵は見つけられないですし。索敵も通常は半径300カイリですから、F4Fだと最遠で見つかると届かないくらいの距離です。それに後続距離が伸ばせたがゆえに無理させられて消耗させられましたしね。しかもF4Fに比べて生産性の低い機体で整備も大変でしたしね。F4Fも格闘戦をやめて損害も出なくなりましたが、それ以前にもゼロ戦が圧倒していたわけではありませんね。何より無線機の性能が段違いで、相互支援もできませんし。結局エンジンが互角なら、機体性能もほぼ互角に帰結します。B29は結局は高硬度爆撃は当たらないので夜間低高度に切り替えましたよね。
詳しく解説、コメントありがとうございます。大変興味深いです。F4Fもかなり名機なのでしょうか。此処でのコメントであげる方おおいですね。F4F及び、アメリカ軍には一貫した設計思想が感じらますね、運動性能はもちろんですが、修理…整備のし易さも重要ですね。
零戦最大の弱点はエンジンですよ。要求性能に対して出力が低すぎた。だからあの設計にせざるを得なかった。海軍提示の要求性能に中島は「こんなの無理」と断念したのを実現にこぎつけただけでも成功です。航続距離がなければ重慶爆撃も太平洋域での作戦も成り立たなかったわけで。 Bf109やスピットファイアが改良しつつも終戦まで使えたのは、設計に余裕あったのと高出力エンジンが次々出てきたから。零戦は1943年には退役しているべき機種。でも、後継機開発する余裕が航空産業になかった。 エンジン技術はそうそう真似できるものではなく、工業力の蓄積ない日本は仕方なかった。水冷エンジンのクランクシャフトが作れなかったんですよ。自動車すら生産できなかった国が欧米と互角に戦えただけでも立派。当時の技術者工場労働者は世界レベルの優秀さです。
確かに!国産車作れてなったの忘れがちですね…それを思うと零戦をはじめ戦闘機を作れたら事自体が奇跡的ですね。内燃機関は難しいですね、スーパーコンピュータを使っても、思う様に性能向上出来ないのだから、当時はとんでもないねですかね。
エンジン開発出来てもガソリン品質で駄目今と違って日本は高分子工学で負けてるのが痛い。この時代のエンジンは過給器の能力がもろ影響するから高品質の燃料が不可欠。序でにエンジンオイルも駄目
@@PENN713z なるほど!突き詰めていくと、そこにも大きな差があったわけですか。。。
零戦ってカッコいいというよりはエレガントというか可憐なんだよね。日本の戦闘機は旋回制を良くするために翼が大きいそうで、その特徴が優雅さや可愛らしさを醸してるのかな?と。
良くない癖だと思いますが、散る者の美学、清さを感じてしまうんですよねー。幕末の志士や新撰組に感じるものに似た感じです。
堀越技師はラインにこだわったそうです。96艦戦、零戦、雷電、烈風・・みな尾部がとがってます。堀越が病気療養中に改造された32型は翼端が角型になりましたが、堀越は不機嫌になったとか。で、52型で丸く成形された。
真珠湾攻撃の空母加賀搭乗員戦闘機隊長であり空母隼鷹戦闘機隊長、三四三空飛行長をしていた志賀淑雄少佐は零戦を「深窓の令嬢」と表現した。後継機扱いの紫電改に対しては「下町のおてんば娘」と表現。洗練された飛行機ではないが志賀は「これは実戦で使える。グラマンのF6Fでもなんでも、牙を向いたイノシシみたいな飛行機には令嬢じゃだめだ。おてんば娘じゃなきゃ」と語った。
>米国は植民地を持っていないフィリピンを持っていたのでは?
その通りですよね。モンロー主義を説明しようとして、勘違いしたんじゃないでしようか。こんなミスをしてしまう所も、岡田先生のいい所であり、岡田斗司夫ゼミの名物です☺️
零戦という飛行機は、腕の確かな工員さんと優れたメカニック(整備士)と優れたパイロットの三拍子が揃って、無敵の強さを誇っていたんですよね。その内の一つでも欠けると途端に戦力(性能)が低下するんですよね。戦争の全般期に無敵を誇った理由が、優れた作りて、メンテナンス、搭乗員のお陰であったのでしょうね。戦いが進む中。零戦の最大の欠点である防御力の貧弱さによって、長年の年月をかけて作り上げた熟練パイロットが多く失われて行き戦力の低下を招いて行っったのでしょうね。優れたメカニックも多数戦死し、戦争の激化に伴い熟練工の多くも兵隊に取られてしまい、クオリティの低下を招き後は米国の飛行機に手も足も出ない状況に追い込まれて行ったのでしょうね。
なるほど。納得の説得力です。各一点を都合するのも難しいのに、それが三点ですか…。零戦が輝いたのはほんの奇跡の一瞬だったんですね。
???少佐「当たらなければどうということはない!」
前提条件が都合良過ぎんだろ☺️
フィリピンとかアメリカの植民地と思っていました!
そうですね。植民地でしたね。多分、モンロー主義をしゃべろうとして、間違えたんですよ☺️先生の間違えは、もはや岡田斗司夫ゼミの名物です。
車で言うと、スポーツカーみたいなものか。今の日本車は戦時中のグラマンみたいだな。
面白い事言いますねー☺️それは褒め言葉と捉えていいのかな☺️
Phillipines was a US colony.
1898〜1945
米海軍は日本の航空部隊に対する対空砲や戦闘機などの防御兵器に原爆開発のマンハッタン計画と同じ巨額の投資しているから結構日本軍機に対してビビってた。
え。ずいぶん巨額な予算を割いていたんですね☺️経済的な裏事情もありそうですが。敵に対してみくびる事なく備えられることは敵ながら流石ですねー☺️
@@okadatoshio8990 ベトナム戦争の様にアメリカは国民に支持されないと戦争の継続が難しくなるので味方の犠牲を減らすことなら巨額の国家予算を組んででも装備を揃えます。特攻という体当たりが作戦として行われて損害を受けている事は当時国民には隠蔽されてました。
@@akibanokitune 国民の声が軍隊の戦略に影響するのはアメリカならではですね。当時の日本軍部もそうであれば、特攻なんてしなかっただろうに・・残念。
あくまで持論だが零戦は使い手に左右される刀だと思ってる。グラマンやコルセアは使い手が誰であってもある程度扱える剣だと思う。零戦は素人が使うと弱いが撃墜王が乗ると強さが跳ね上がる。対してグラマンやコルセアは素人でもプロでも然程変わらないいと思う。あくまで動きが少し変わる程度の。零戦とグラマンやコルセアに同じ練度の搭乗員を乗せたときおそらく勝つのは零戦だと俺は信じてる。あくまで持論だから文句は受け付けない。
なるほど。操作性は重要な視点ですね、ユニバーサルデザインなんて言葉を考えもしない当時では、そこら辺も根性でカバーしろ!って感じだったですかねー。いい視点ありがとうございます😊
エンジンが凄いものをつくれたら!
正に!
超短期決戦だったら日本は勝てたのだろうか?月間空母、週間空母なんて言葉があったんだから国力で勝負する長期戦は勝てない。それは歴史が証明してるけど…
どうだったんですかねー☺️動画中で先生もおしゃってますが、初期の戦闘機の性能差でなんとかしようとしたのが戦争の泥沼化を呼んだんでしょうね。
ガタルカナルでもう少し粘ったら米国は和平に動いた説もあり、また沖縄戦でも徹底した持久戦を展開し続けたら講話に持ち込めた説がある。
日本軍に持久戦そのものが無理です。山本五十六も最初の1年は存分に暴れて見せるが、その後は艦隊を動かす燃料もなくなると
@@tomohikoo8949なるほど。そんな論もあるのですかー。補給線が整備されてたらどうなったかなー。
@@tomohikoo8949 ガダルカナルまで進出して飛行場まで作ったのは、米軍を太平洋方面に誘い出し、東南アジア諸国独立までの時間稼ぎをする必要があったからです。もし米軍が、大西洋~喜望峰~インド洋ルートで攻めて来られると英軍と共同戦線を構築され非常に厄介です、インド方面の独立が危うくなります。米軍を広大な太平洋におびき出すことが出来たので3年8か月の時間を稼ぐことが出来ました。
「1930年後期 設計の戦闘機としては・・・」と但し書きが必須でしょうまた 真珠湾攻撃は 山本五十六の駄々で決まったのでは?
確かにです、平時ですら、3年も経てば技術は進むでしょうし、戦時ならばなおさらでしょうねー。なるほど、山本五十六は開戦反対のイメージでしたが、そうだったんですか!勉強になります☺️
@@okadatoshio8990山本五十六については開戦反対派で間違いないですよ、政府大本営が対米戦を決めたから真珠湾を献策したしたんです。ネットには嘘八百言う工作員が一杯いるので注意して下さい
物理の法則的に格闘戦でゼロ戦には勝てない。じゃあどうするか?格闘戦をしなけりゃ良い。
戦略かでもアメリカさんに負けた感じがしますねー。余裕の差かなぁ。
逆に言えば格闘戦ならヘルキャットやコルセアであろうと勝てる。
@@m1niku164 これすごいことですね!ロマンありますね。
中期、後期には翼内タンク、パイロット周辺には防弾装備を付けて欲しかった。あと、20mm機銃の弾道改良、装弾数を増やす事も。多少、航続距離や旋回性を犠牲にしても、一人前になるまで時間とコストの掛かるパイロットが生還するのは最終的にコスパが良くなる。
まさに、その通り!コレが実現出来ていたら、もう少し違った結果だったんですかねー。
3:11 2回 空襲してますよ
みたいですねー。多分、本格的な…ってことでしょうね。
アメリカはアジアに植民地が無くアジアに無関心との見解は間違い!植民地争いに遅れアジアに取り付けなかったから他のヨーロッパ諸国に文句を言っただけ。ほんとは中国大陸に野心を持っていた。
そうですね。明らかな間違え☺️そこら辺の間違え、勘違いは岡田斗司夫ゼミの名物ですね☺️
52型丙の性能を見たら、重量馬力換算では2000馬力のF6F3ヘルキャットを上回り、ダイブスピードはほぼ同等。それ以外は全て零戦52型丙が優秀でした。兵站、用兵で負けたのだ。
戦闘機の性能自体は、私には分かりませんが、兵站、用兵に関しては同意します。物資では及ばないですが、それらで対応できていたらと感じます。
優秀な戦略家なども居たはずなのに上手くいかないもんですねー。
@@okadatoshio8990 はい。現在においても南西諸島の陸自、海自共に兵站や輸送能力は米軍に比べ、雲嶺の差とも聞いた事があります。米軍は100m進軍するごとにアイスクリームを頂けると、例えられる程らしいです(^_^;)
@@小松裕一郎-d1l アイスクリームですか😝
52型丙は両翼に13mm機銃を追加し、パワーアップを伴わない重量増加により零戦各型中で最低の操縦性であった。着陸時も失速に気を遣うようになったとのことだ。零戦搭乗員たちは、零戦もこんなにぎこちない戦闘機となってしまったかと嘆き、実戦では両翼の13mm機銃を下ろし、52型仕様で戦ったのだ。このことは土方敏夫の著書に書かれていたものだ。急降下は、制限速度より加速力が重要だ。機体重量とエンジン出力がものをいう。F6Fには到底かなわない。戦う機材としてみてもF6Fには到底かなわない。低空で巴戦をすれば勝てるかもしれないが、相手が乗ってこなければ成立しない。
4:38 アメリカはフィリピンを植民地にしてたよね?
そうですね。岡田先生のうっかり間違えは岡田斗司夫ゼミの華ですね☺️
日本機は部品の材質が悪かったので米軍に勝つのは無理だったですね
突き詰めるとそこですよね、道具もろくなものがあったかあやしいですし。
材質とゆうより基礎的な工業力が欧米より劣ってましたから、何かを削って性能をあげる方法がなかったのではないでしょうか?日本機ファンの方々には悪いんですけどエンジンひとつにしても、栄エンジンを切った張ったでいじくり倒して誉を作り上げましたけど、各部に無理がありすぎて稼働率が良くなかったですしね。
@@紅のプー太郎 当時の日本人にもそこら辺を冷静に分析できる人がいたでしょうに、なんで無理な戦争に突入してしまったんですかね・・・。
@@okadatoshio8990 ナチスドイツがイケイケドンドン!!の連戦連勝でしたし「それならば我が国も・・・・」と考える開戦派の軍部が支配的だったんじゃない?それにアメリカをナメ過ぎてた風潮(バカにしてた?)があり、視察をした方々はアメリカの底力を見抜いて反対してましたし、開戦前に何処かの研究所に行く末を試算させたら「短くて3年長く戦えて5年が限度で、日本は絶対に負けます」と結果が出てるんですけどね。まぁ~あんなチート過ぎる馬鹿げた国と戦争やって、よく3年9ヶ月も持ちこたえたもんですし、後年せめてアジアの独立を手助けしたと思いたいです。
なんかゼロ戦は防弾がぁ~みたいなコメントあるけど・・・各国の主力戦闘機の初期型は大した防弾装備は無かったのを都合が悪いからスルーしてるのかな?例外のソ連・日本陸軍は時期的に早くから・もしくは初期型から防弾鋼板等を装備してたけど、まぁいつも零戦は防弾があぁぁぁと言われるのは宿命かなw
なるほど。大戦初期は防御力の前に、運動性能を上げるのが先というのは各国共通の課題だったみたいですね。エンジンユニットの改良や航空力学の理解が進んだ後の防御力なのかしら。
デカい大国のアメリカに勝てるはずないよ、、😢
ん〜、いかにも。
アメリカの植民地ってハワイとかフィリピンは違うのか?
フィリピンは植民地でしたね。岡田斗司夫ゼミの名物、勘違いですかねー☺️ハワイも植民地時代あったのですか?いきなり併合だと思ってましたよ☺️
太平洋戦争後、日本をはじめ東南アジアのほとんどがアメリカ軍など国が再び占領地化していたよ、イギリスなどその後日本は独立して東南アジアもだんだんと独立していたよ、ほとんどが日本が円借款しジャングルを切り拓いて近代都市化してきたよ1960年〜1980年ぐらいまで
0戦が無かったら優秀な搭乗員こんなに死ななかっんではと個人的に思いますだから戦闘機としては良く無いと
おー、逆転の発想。でも。もっと性能の劣った戦闘機に搭乗した方が危ないのでは?
ゼロ戦の緒戦は、1940/9/13で、重慶上空、ゼロ戦は13機(内1機は機銃の故障で実質12機)敵は、国民党軍と米ソの戦闘機34機で、その内は27機を撃墜です (中国軍は国民党軍で共産党軍ではない、この点を注意で・・)なんで、米ソ機がいるのか・・・国民党軍を支援していたから・・・米は退役軍人の行動だとして、機体・装備や、軍を指導する人材も派遣していて経済的な支援もしていた ・・・既に日本の敵だった1940/9/23、北部仏印進駐1941/12/8、真珠湾攻撃なお、近年の研究では戦争への道筋を作っていたのは1941/10/16まで内閣を率いていた近衛文麿です 近衛と側近の風見章・尾崎秀実の3人が隠れ共産主義者だった(口だけ戦争拡大回避で、敗戦による赤化革命を目指していた)1918にコミンテルン発信の「日支闘争計画」で、支那と戦わせて日本の国力を削ぐ事・・のシナリオ通りです東條は1941/10/18首相就任で・・・東條は嵌められた(日本国民も嵌められた)
おー!!!読み応えあるコメント、ありがとうございます😊そうでしたかー、局面、局面では、ゼロ戦を始め、日本軍も健闘している様にみえますが、みんな米国の思う壺だったんですねー。悲しーです😭
21は「にいいち」。
日本軍の基本的な呼び方ですね。いちいち、にいいち、さんに、にいにい、ごに・・・・・。
聞き間違い、勘違いを防ぐ為だったりするんですかねー。濁音、半濁音ない方がいいですもんねー。
日本民族は優秀過ぎたんですね。それゆえ、GHQはあの様な日本国憲法を日本国に押し付けたんですね。
するどい! 日本国憲法は改憲してもいい部分ありそうですよねー。
パイロットの命が軽視され格闘戦が良いとかいっぱい飛行できても、被弾したら火が出る戦闘機など傑作でもない
確かにその通りですね。目が覚めました☺️
だから飛行機として、航空エンジニアリングとして傑作なのですよ。
@@trontfoxes どこが傑作?始めアメリカ恐れたが撤退して調べられた。エンジンの付いた紙飛行機です。苦情を言うパイロットいたが意見聞かない、ごう慢な日本海軍
@@trontfoxes なるほどね。確かにそれも言えますね。
@@okadatoshio8990 それに戦火が日本が画いた様に事が行かず、毎日普通にB29が飛来する頃の敗戦に近くなると、小学生にタガネ持たせ作る戦闘機のどこが傑作?日本は眠る巨人をお越したんだよ。工業力に差ありすぎる国に戦争仕掛けた報いは、でかかったでしょうが!
F6Fはもちろん実はF4Fと比較してもキルレシオ負けていたんだよね。零戦神話とはいったい・・・。
え!そんな事実があったんですか!知らなかったです☺️その神話こそ、日本人の精神的支柱であり、その後の険しい行く末に追い込まれる要因ですかねー。
初戦は零戦の方が有利でしたよ。キルレシオで優っていればあれだけ広大な地域の制空権を取る事は出来なかったはず。キルレシオは百分率で計算するから国力差により航空戦力が日本の10倍もの差があり数値の上では零戦1機でF4Fを10機相手にしてようやく同等のキルレシオになりますので1/10の戦力でこのキルレシオなら零戦は負けてないどろか同じ国力であればF4Fはボロ負けしている訳です。
一度だけ・・・・・・。青嵐による本土直接、爆撃。恐らく、世界唯一。
晴嵐がアメリカ本土、爆撃を成功したって事ですか?
@@okadatoshio8990 訂正します。青嵐を搭載するイ400は、結局、東海岸を目指して航行中に終戦を迎え、作戦は実行されなかったようです。成功しているのは、茨城県の沿岸から発射された風船爆弾の方です。
@@kuzucraft2 訂正ありがとうございます。なるほど、風船爆弾ですか。。また奇怪な兵器を使われたもんですね。
たしか潜水艦に積んでた偵察機?で、2回ほど爆撃に成功してなかったっけ?
零戦は超過禁止速度が800km台でくるくる回りやすい軽軽さのために構造材を極限まで削り、塗装の重さまで問題にした(一応迷彩のため塗装自体はしたがなるべく軽くなる計算をした)安全性が犠牲になるある意味恐ろしいほどのシンプル設計強度不足で急降下により速度超過でがたつき追いつけなくなるのも最初からの欠点であった技術が劣っていると言われた時代に登場時米海軍機相手の速度は悪くなかったがのちにあっという間に差をあけられて優速を利用した一撃離脱戦法を取られて追いつけなくなる事態になったくるくる旋回する性能は超攻撃的性能設計で旋回途中で他の戦闘機の射線に入る可能性を考えていなかった一撃離脱戦法の利点は生き残り率があがること、そのため欧米でドイツも含め100機以上を撃墜して生き残りができるパイロットが多数出た優秀な技量を持つパイロットは生還してまた敵機を撃墜できることこそが重要です零戦は当初背後から撃たれたときの座席への装甲も考えてないほど軽量化にこだわり、熟練搭乗員をバタバタ失ったくるくる旋回できることは搭乗員に望まれたがとうじの日本兵の思想は戦国時代の武士のしたたかな合理主義が失われた平和な江戸時代の現実離れした歴史観に影響されていると思われる何しろ幕末の佐幕派は長州兵が学んで実行した散兵戦という撃たれないため散って隠れて匍匐までして敵を撃つ最新のナポレオン戦法を卑怯千万と言っていたありさまだった
詳しいコメントありがとうございます!詳細で興味深いです。そうですねー、良くない捉え方の武士道を持ったままじゃ、なかなか合理主義的アメリカを越えるの難しかったかもですね。ちょっと古いですが 宇宙戦艦ヤマト なんかでも 死を美化してますし、戦闘機の性能以前に改める事ありそうですね。
ヒットラーは※殺(タヒ後)しても降伏していない(;¬_¬)
…あ。そうですね Σ(=゚ω゚=;) !
試験飛行中にテストパイロットを二人?失っていますね。
劇中でも、テスト飛行で失敗したシーンでてきますね、そうでしたか、2人でしたか…。
いくつか独自の進んだ技術もあったけど全体としては零戦は同世代の中じゃ一歩遅れた存在だけどね零戦が主力となる時期41年~42年は欧米じゃ時速600㎞台での戦いを想定してた想定よりやや遅れたアメリカを日中戦争で動員体制が出来てた日本が突いたという戦略的な条件の結果が緒戦の零戦の強さであって技術的に零戦が進んでたわけじゃない零戦が太平洋を進んでる頃、欧州ではもうP-51とFw190の戦いが始まってたからね
え?そうだったんですか!無意識のうちに零戦を誇らしく思っていただけに、ショックです☺️
当時の日本の技術水準で見れば誇らしく思っていいと思うよ零戦のおかげというか開発過程で挑戦したことが日本の技術を底上げできた面も確かにあるしでも動画で岡田さんが言ってることは年表にちゃんと照らせば正しくはない飛行機に関して言えば岡田さんって時々微妙なことを言う
岡田先生は研究者と言うより愛好家って感じですかねー☺️最後の最後に間違えって事がよくあります😅
アメリカの最初の植民地になりましたね😂
皮肉なもんです☺️
攻撃10000防御0
wwwまはに😂
もう過去の栄光にすがるのは止めましょう!恥ずかしくみじめに成るだけです。
おー!いいこと言う!でも、でも。せめて、三菱スペースジェットが成功していたなら…ZEROまでさかのぼってすがっちゃいます😂
零戦はイケイケ型戦闘機なので防弾は少なくて良いという発想。野蛮というわけではなく海軍の当初の戦略設計に合致しています。零戦の輝かしい戦闘本が大量に出ていますが、実際には3年目から袋叩き状態です。日本に撃墜王なんていません。有名なS氏は海軍の集まりで嘘ばかり書きやがってとOBに胸ぐらを掴まれています。山本五十六は映画だとイヤイヤ真珠湾を攻撃したようになってますが、あくまでも軍人です。やってみたかったはずです。それと日本には戦争をやめられない理由がありました。戦争は私たちが想像するのと全く違う顔をしています。だから戦争は怖い。
んー、興味深い🤨我々が知った、戦争の事実はほんの表面、一部なんでしょうね。語り部が変わる事により、新たな視点で戦争を知ることが出来そうですね、貴重なお話ありがとうございます☺️
非国民が
ゼロ式堀越不二子僕のおばあちゃんの友達のお父さん
マジですか!すごい👍
他人で草
禁じ手の防弾装備を省いたたが為に身体を射貫かれて多くの搭乗員が死んでいった職人芸に頼った極々少数の搭乗員たちも結局は死んでいった姿は美しいが絶対に作ってはいけなかった兵器
おっしゃる通り。激しく同意ですねー。日本人は死を美化しすぎな感じがあり過ぎますからねー?
海軍は、軍艦の防御にはうるさいのに飛行機の防御には無関心であった。爆撃機すら無防備だ。このギャップが少々不思議ではある。
まあ一式陸攻も無防備でしたから仕方ないですね。
禁じ手でしたっけ???そもそも米軍機のF4Fも当初は大した防弾装備はなかったはずだけど・・・
@@新城直衛-d6r もちろん十分ではなかったでしょうだが省くという発想は零戦だけ金星で作りたかった堀越の責任ではなく海軍が異常過ぎたあの無能極まりなかった陸軍さえ防弾板ていどはあった特に当時はエンジン性能≒戦闘機性能なのにろくなエンジンも開発出来ない後進国の日本が機体だけを弄くり回して80機種以上の雑多なものばかり作って結局敗北の憂き目に遭った零戦の派生型の多さがそれをよく物語ってる堀越の考え通りの金星搭載の零戦54型丙/64型が敗戦間際にようやく試作機が完成その数機はこの世に残っていない
米軍による軍事施設以外の市街地攻撃自体が国際法違反なのにね…。そこは触れてほしかった。スタッフも笑ってるけど、多くの先祖が戦って犠牲の上で今の生活が有るんだって思えないのかな…。この話を笑って話せる岡田さんやスタッフの神経が理解できない。
確かにおっしゃる通りだと思います。かく言う自分も、配信を何も思う事なく楽しんでいた身としては、反省をしなければいけませんね。岡田斗司夫先生のお喋りの楽しさに乗ってしまい、重要な事を見落としてました。
毎週新型出してきたジオンは負けた😂
まぁザビ家でゴタゴタしてて連邦軍の様なピラミッド型組織と違って〜様配下とか分断してて好き勝手やってて指揮命令にかなり問題あった。
新型がいのか、進化型がいいのか悩ましいっすね。
大戦当時に、アメリカでもゴタゴタがあったら勝てましたかねー。
所詮戦いは数よ1機のゲルググより10機のボール
@@akibanokitune そうゆうもんですか😆作中でボールが活躍してるシーンを見たことがありませんが・・・。あの手は何の役にたってるんですかね😁
人的被害の大小の認識は逆じゃね?
え。そうだったんですか。感覚と違うもんですね。
大戦後期の日本機の性能良くても搭乗員の質で負ける
経験値を積んだパイロットがどれだけいるかの差が如実に出てしまいましたねー。
@@okadatoshio8990 個人的に零戦は玄人の乗る兵器だと思うんですけど、どうですかねー?
ゼロ戦は海軍(源田実)のムチャぶりに応えた凡作ですよ。欧米のメッサーシュミットやスピットファイアーが戦前から終戦までエンジン強化したり主翼変更、武装強化で最後まで主力機だったのに零戦はわずかなパワーアップのみ。武装強化したら重くなって運動性悪化するので下したそうです。それも海軍の主張で翼面過重まで指定され逃げ道を塞がれた堀越技師が唯一自由に出来る軽量化で、1g単位まで削ってフレームに穴開け。おかげで水平飛行では問題なくても急降下では600km以上出すと主翼が捻じれる事も多々あったそうです。特攻機でも急降下でラダーが重くなり引き起こせず海に落ちた機も多数。
凡作ですか。客観的評価としてはそんな所なんでしょうね。自分を含めて日本人は、零戦を贔屓目で見てしまってるんでしょうね。まるで大戦下中の日本人の様に…。
お気持ちはわかりますが現代視線で見ると欠陥が多数出て来ます。特に発展性が無かったのが致命的ですね陸軍の隼も主翼に機銃搭載不可でしたが陸軍は毎年新鋭機を開発して戦争に間に合わせました。最後の五式戦闘機は飛燕がエンジン間に合わずで急遽開発した機でした。
零戦は、独空軍のフォッケウルフ機の模倣品だと聞いたことがあります。 フォルムが、そっくりですよね。
フォッケウルフはドイツの零戦とは呼ばれましたが、全く無関係です。アメリカもP35と言うP40の空冷エンジン機が零戦の模倣と言われましたがあんな駄作機と零戦では比較にもなりません。開発時だけは零戦は世界一の戦闘機でした。ただ開発時で完成したので発展性が皆無になったのが零戦の悲劇です。
@@零戦太郎-h7v 場当たり的な機体の連続だったのでしょうか、熟成をさせる前に実戦配備になってたのですかね・・・。
ニイイチと呼びます。
軍隊ならではの呼び方ですか。
@@okadatoshio8990 軍隊でもそれ以外でもニイイチと読みます。二は機体の改良で二番目、一はエンジンで一番目の事。改良される度、2、3と数字が増えていきます。
弱点バレてからはボロかすにやられた欠陥品
うー、返す言葉がない😭
フィリピンはアメリカの植民地でしょ😂
その通り。先生の特徴の一つ、勘違いです☺️
永遠のゼロでは、この戦闘機は、徹底的に批判された。
意外ですね。百田尚樹氏は好きな機体だと思ってました。
ただのポンコツ戦闘機
わー!厳しいですねー☺️
空飛ぶ棺桶
撃墜も哀しいけど、特攻はさらに言葉が出ない。
それは九九艦爆
それは露英米が描いたシナリオだから対応が素早いのですが‼️ただ時期迄は読めて無かった‼️もう少し先と読んでたと思われる。
B29の話ですか?
零戦とかのテクノロジーはほぼ欧米の技術だから。戦争を引き起こすために仮想敵に技術供与だの、経済封鎖だのやっていた。🇺🇸は日露戦争後から、いろいろ策謀をねっていたんだよ。
堀越二郎は、自分の最高傑作は零戦の前に作った九六式艦上戦闘機だと言ってますね。零戦は軍部の無茶振りに応えるため、安全基準さえ改変して作った彼にとっって妥協とあきらめの産物だったんじゃないでしょうか。
なるほど、そうだったんですか。
96が良すぎたがために、零戦はさまざまな要求が付いてしまったんですかねー。職人タイプに見える二郎には苦渋の連続だったんでしょうね。
非力な栄21型エンジンの使用を
海軍から強要されたからでしょう
堀越はより馬力のあった金星エンジンで作りたかった
戦闘機の設計はまずエンジンありきで
機体設計をだけでは限界があって直ぐに陳腐化して破綻する
それが栄エンジン
96戦の設計では、堀越は自由に腕を振るい、新機軸をいくつも取り入れて成功した。
零戦は、曽根技師によれば何とか使えるものができたという感想で、傑作ではなかったのでしょう。
@@miyamiya2237 実情はイメージとだいぶ違うもんですね。。
屁理屈言って夢壊すな✋🤬
当時、米西戦争(1898年)の結果、フィリピン、グアム、プエルトリコはアメリカの植民地、キューバは半植民地。
なるほど。
そのタイミングで、グアム、フィリピンがアメリカ植民地化したんですねー☺️
そもそもそれ以前にアフリカから奴隷を連れてタダ働きさせてたし
@@okadatoshio8990ゼロ戦の最大高度も間違っている。
ー万メートルまで飛べるし、
ドイツJu49が世界初の与圧キャビン、試作機Ju EF61V1が高度15000mを常時飛行し、Ju86偵察機に生かされた。
B29が宇宙船なら、Ju86は更に優れている。(プロペラ機が宇宙船な訳ない)
@@tennouheikabannzai なるほど、自分は戦闘・航空機には詳しくないので知りません出したが、Ju86がのちのB29以上にものを達成していたんですね、これはいいこと教えてもらいました!ありがとうございます。
急降下制限速度が670kmぐらいだったんだけど、最初の設計段階では800kmでも
大丈夫だと構造設計したんですが、実際には風洞試験とか当時の試験技術の限界で
実機で実際に試験したらそんな急降下制限速度は不可だと気づいたわけです。
つまり最初から弱い機体設計をしたわけではなく、十分だと思った設計が間違って
いたと後で気付いたわけです。あの長大な後続距離は実はパイロットにも負担が大で
本来なら帰投できたはずの軽微な傷でさえ途中で駄目だとあきらめて自爆するという
悪循環でパイロットをどんどん失っていったわけです。あまりに人間の命を軽視した
ことは、実はパイロットの方が機体よりも重要だと気づけなかったわけです。
人命軽視、この失敗はどんな名機でも補えないですよね。
机上の空論的、数字上の凄い機体を作る事に夢中になり過ぎて、操作性などを見落としていたのですかね。
人命軽視ではあるけど、時代を経るごとに攻撃手段が防御手段に変わり新しい手段が攻撃手段として定着していくように(攻撃手段としての格闘戦→速度を活かした一撃離脱→これら近接戦闘→短距離空対空ミサイル→現在の中長距離空対空ミサイル)、高出力なエンジンを用意できなかった日本は軽量化して速度と格闘性能を高める方が生存率を上げやすかった上に(確実に敵の後ろを取ってしまえば撃たれないという当時の考え方)、高い上昇性能と格闘性能は攻撃手段として使えて一石二鳥だから零戦はある意味当時の日本として最適解ではあったと思うな。
結果的に性能の陳腐化と改善不能なレベルだった基本設計と飛行特性の隙を突かれて、優位性が一切損なわれる事になる訳だけど。
ポイントを押さえた解説ありがとうございます!
大変面白く、興味深いです☺️
当時の思想や哲学が有っての、あの機体ですね。
一瞬かも知れませんが、世界最高峰の性能を手にしたのは、私個人として誇らしい気持ちですが、残念ながらアメリカの対応力の高さ、研究に、してやられてやられてしまったのが残念😂
零戦の上昇力と航続力は当時のアメリカの戦闘機を遥かに越えていた、しかし その代償は安全率をき極めて下げるものだった、エースパイロットの坂井三郎さんも怖いと言われてました
エースの体感にしてそれでは、多くのパイロットは死を覚悟しての搭乗でしょうね。
貴重なコメント!坂井パイロットは批判されなかったのか気になりますが。
坂井は零戦の上昇力を活かし、急降下の加速の悪さを補う戦術をとっていた。後下方から攻める戦法だ。敵が急降下で逃げようとしても頭を押さえられるし、上昇で逃げると追い付いて撃墜するというものだった。これがF6F相手になると上昇力の優位点はほとんどなくなるのだが。
@@miyamiya2237 映画で見かける、戦闘シーンドッグファイト?がうまい?敵機の裏に着くことができるの理解でいいのかしら。
@@okadatoshio8990 零戦搭乗員たちの手記を読むと、ドッグファイトなんてほとんどやってないですね。 急降下で逃げるのが最善手とわかってしまえば、分の悪くなった格闘戦に付き合う米軍パイロットはほぼいないということでしょう。 そんな状況でも日本は格闘戦の訓練を中心にやってたみたいですが。
1978年か1979年の秋、プレーンズ・オブ・フェイム航空博物館の零戦が地元の上空を飛行しました。幻影を観ている様で、当時小学生の自分と同級生友達で大興奮した記憶がございます。
え!
そんな事実があったんですか!
その後、零戦はどうなったんでしょう?
気になりますねー☺️
@@okadatoshio8990 さん
件の零戦はその後、何度か来日し日本で展示飛行しています。(最後は2000年代のレッドブルエアレースの時)当時はインターネットなど情報か簡単に入手出来ない時代でしたので…現在60歳以上の航空ファンの方々はご存知のはずです。自分もネットで調べましたが、広告チラシ宣伝が存在していたはずです。自分の憶測ですが70年代頃からGHQが規制緩和したからでは?その頃から図書館書店等では戦記書籍が沢山あり、毎日図書館に通い、毎週父親に、戦艦大和の全て零戦の全て等買ってもらい熟読していた時期でした。私の近所に民間の飛行場が今も存在するので、そこから離陸後街の上空しかも低空飛行を披露しました。
@@okadatoshio8990 さん
その後件の零戦52型は、何度か来日し国内展示飛行しています。
@@grimreaper-k5r おー、そうでしたか!
大切に今後も保管してもらいたいものですね!
高性能機であったのは確かだけど欠陥を小手先の対策で切り抜けようとしたものの米軍にばれてしまい後はただの標的機と化した
人的資源に対する理解が低くすぎて…。
性能に全振りしてなければ、真珠湾もままならない状況だったような気もしますし、
やっぱり、無謀な戦争だったんですかねー☺️
@@okadatoshio8990 開戦前軍部は昭和天皇に日本の行く末に対して戦って死ぬか座して死を待つかの二者択一を迫ったそうですつまり戦って勝利する選択肢をはじめっから持っていなかった
@@レスター-d6t 武士道と云うは死ぬことと見つけたり が良くない方向で働いてしまった感じですね。
感情に任せで、分析を放棄してしまったのですかね。
B-29のエンジンのライトR-33系はエンジン1基に排気タービンが3個もついている豪華仕様。だから機内与圧も余裕。ただし与圧されているので、攻撃で穴開けられると吹き出されそうに
なった人の写真とかあります。
零戦はもちろん名機ですが、
悔しいかなB29も凄い名機ですね。
航空機の仕組みを一気に進化させてますね。
そっか、穴が開くとそうなるって事かー😲
零戦の型番の21型の呼び方は、にじゅういちではなくて、にいいち型です。
2番目の機体、1番目のエンジンという意味です。2番目の機体は空母搭載するためにエレベーター用に折り畳み式の翼にした機体です。
おー!
恥ずかしながら、知りませんでした!
いい情報ですね、機体の方式を聞いただけで、どんな機体がわかる様になってるんですね、
@@okadatoshio8990
こちらこそ余計なおせっかい失礼しました。
1番有名な戦闘機だけにロマンはありますね。
碇義朗さんの戦闘機入門という本のシリーズがあります。
ゼロ戦・隼・飛燕の元となる試作機が三菱、中島、川崎で試作されて比較テストが行われたことがありますね。
最終的には三菱の試作機が96式艦上戦闘機~零式艦上戦闘機となり、中島の試作機が97式戦闘機、隼、疾風となり、川崎の試作機が飛燕になってます。
陸軍は隼の頃から防弾設備も装備されていたのに対し、零式艦上戦闘機は装備されていなかったのが残念ですね。
読み応えありそうな本ですねー
自分の様に大まかな知識しかない層には
ありがたい本でしょうね☺️
戦争と言う時代で無ければ、堀越さんにより夢の航空機ができていたかも知れませんね、本当残念です。
まさにソレですね☺️
学徒出陣などを思うと、先の大戦で多くの才能が奪われてしまいましたね。
零戦は米軍から恐れられましたが、最終的に零戦の脅威がなくなった戦争末期でも意外に評価が高かったのは(とはいえアメリカから見て大した戦闘機ではなかったですが)同時期に主力だった一式戦闘機(開発に糸川英夫が関わっております。)こと隼だった様です。
ニューギニアで第二次世界大戦の米国のトップエースのニール・カービィーが登場するP47(恐ろしいくらいの性能差)を撃墜したり、戦争末期においても零戦以上の旋回性能で連合軍新鋭機でも度々敗北することがあるとされており戦争中恐らく日本最強の4式戦や紫電改よりも脅威と見られていた様でした。
又当時の改良する度に持ち味の旋回性が無くなった零戦とは対照的に第二次世界大戦中日本の開発した戦闘機としては改良する毎に持ち味の旋回性能を犠牲にせず比較的に確実に性能がアップ(といっても世界の傑作機と比べると差はありますが)した戦闘機は一式戦だけでした。
個人的に日本が防弾無くす等の犠牲なしで本気で開発してまともな軍用機が隼だったんじゃないかなと思います。
陸軍の戦闘機で使用用途が違うので零戦と一概に比較は出来ませんが。。。。
詳しく、興味深いコメントありがとうございます😊
隼は存じ上げてましたが、そんなに性能、評価がたかかったんですか。
日本陸軍のキ43一式戦闘機は、97式戦闘機の発展型であるが、陸軍の場合、ノモンハンの戦いで、ソ連のI-15や16が、7.7ミリ機銃をいくら打っても敵機を撃墜できないどころか、敵機の機銃弾により搭乗員に被害が出たこともあり、米軍の戦闘機には劣りますが、キ43一式戦闘機が開発された時から、仕様書に座席後部の防弾鋼板を備えるなどの防弾装備が盛り込まれていた。
しかし、日本海軍の12試艦上戦闘機のちの零式艦上戦闘機は、96式艦上戦闘機の発展型ではあるが、海軍の要求性能は航続距離と旋回性、20ミリ機関砲搭載、落下増槽使用時航続距離3,000km以上という、当時としては1,000馬力級戦闘機で無茶な要求性能をしたため、極端な軽量化ゆえ急降下速度の制限とかが出てきて、なおかつ、防弾性能は、旋回、巴戦であれば敵機の銃弾を回避できるといった発想から、パイロットを守る防弾鋼板の要求がなかったということです。日本海軍は、96式と一式陸上攻撃機による爆撃攻撃をしていたが、国民党軍が揚子江沿いに重慶まで退却すると、日本海軍の爆撃機は、迎撃戦闘機の被害を受けてきたため、それに随伴して爆撃機を守る戦闘機が必要になり、零式戦闘機11型(艦上戦闘機として運用できるのが次の形式の21型)が開発された。こういったことから、開発時の零式艦上戦闘機には、防弾装備がなかったらしいです。
ただ、本土防空戦になると、アメリカ軍機は2,000馬力級の戦闘機とB29の投入により、防空戦を行う日本軍機にもそれなりの防弾性能を持たなければならず、その装備のため性能低下を招いたようですよ。
@@okadatoshio8990 返信コメントありがとうございます。
性能的には正直対米英戦開戦時から性能不足気味でした。
但し、初期の連合軍機の主力のホーカーハリケーン、P40、バッファロー、F4Fに対し零戦以上の旋回性能と零戦程ではないが、上記連合軍機と比べて高い航続距離等の機体性能、そして一番に熟練パイロットが沢山いた為活躍してました。
連合軍機に対し中期以降でもなんとか戦えていた(正直の言い方で後期の零戦程よりは新鋭機と戦えただけ。)理由に
1.防弾が連合軍機程ではないが最初から施されていたこと。
2.火力不足(これは対戦闘機に特化した軽戦をコンセプトに作られた為。)を少しでも補う為、弾丸に新型のマ103(榴弾)を使用したこと。
3.改良型で連合軍機に対して十分ではないが隼の弱点の機体強度の弱さ(急降下すると空中分解してしまう。初期の零戦も)を強化、火力を強化(7.7mm機関銃×2から12.7mm機関砲×2を基本装備に)、翼を短くし最高速度を少し改善(但し連合軍機に対し不利)エンジン馬力を強化等を旋回性能を犠牲にせず改善出来た為。
4.海軍航空隊に比べて防弾を装備してたことにより、熟練パイロットの生還率が少し高かった。
5.海軍がほぼ零戦で戦っていたのに対し陸軍は2式単戦(開戦当初日本軍機としては最速、最高の急降下性能)、4式戦闘機(日本最強、個人的には戦争末期のは不良な物が多く戦力外だと思います。)5式戦闘機があり隼だけで戦ってはなかった。
6.単機決戦の海軍航空隊と違い陸軍航空隊ではドイツに習い海軍より早く2機で1組の"ロッテ戦術"を取り入れていたこと。
以上の6点(他にもあると思いますが。)により何とか新鋭機と最後まで戦えたんだと思います。
又、隼は初期の零戦21型の爆弾搭載量が最高60kg爆弾×2発に対し250kg爆弾を翼のしたに2発搭載(但し飛行性能がかなり悪化する)でき、軽爆撃機、襲撃機の代用(零戦と戦闘機としての種別が違うので対比出来ませんが)として爆撃機のない部隊で襲撃機として運用されたりもしたみたいです。
@@ケンケン-w3z 熟練パイロット生存率、有無はもちろんだすが、ロッテ戦術を早く取り入れることが良かったですね。
2機1組をロッテ戦術というのですね、今回で初めて知りました!ためになりました!
@@okadatoshio8990はい、皮肉な話でその陸軍航空隊が海軍航空隊より早く取り入れていた"ロッテ戦術"なのですが、それに似た戦術をアメリカの陸、海軍航空隊は零戦に対抗する為、2機1組で戦闘する"サッチウィーブ戦術"を取り入れ戦争中期以降(ミッドウェイ開戦から)に活用。
これにより、その頃はまだ零戦に対抗出来る新鋭機がなかったのですが零戦に対し
優位に戦えるようになります。
欧米は日本などと云う"未開国の半人間達"にまともな航空機が造れる訳が無い!と思い込みドイツ空軍に対する様な第一級の戦闘機でなく2~3級の戦闘機でも🇯🇵には十分対抗出来るとの油断が緒戦に於ける零戦の戦果に繋がったと考えられます。
大いに、そして多いに考えられるますねー。
当時は欧米人以外は下にみてますよね。
アメリカ人ば今でも下に見てそう😅
動画中でも言ってる様に
日本はササッと片付くと思ってたんですね。
いつも楽しく拝見しています。
アメリカはスペインからフィリピンを武力で奪取したと覚えています。
第二次大戦前に独立を認めたものの、依然と軍隊を駐留させていたので形式的な独立という解説もあるようです。
米比戦争でのある戦いで、米軍は島民皆殺しというジェノサイドを行ったという記録を見たことがあります。
沖縄戦とその後の基地問題を考慮すると
日本も人ごとではないですね。
堀越二郎技師は零戦の後継機の烈風を開発していましたが量産されることなく終戦となりました。
名前が無茶苦茶かっこいいですね。
アジテーション的な名前から、戦局の厳しさがもれ伝わりますね。
@@okadatoshio8990 烈風は不運なことに開発段階で東南海地震に遭遇したり、エンジン選択に難航を示したりとスムーズに対処できなかったのも苦止まれるところなんです。
量産されたとしても手練れのパイロットが居ない、燃料がないだから結果は変わらないでしょうね。
@@akibanokitune それもあり得たと考えます😀✋
堀越は映画でもあるけど優秀な飛行機を作りたがる完璧主義者だから良い戦闘機をつくるひとではないんだよ。
天才すぎて革新的すぎるからな。戦闘機はある意味平凡なとこがある方が望ましい
人命軽視って言われていますが、零戦が開発されたころは防弾板などの防弾性能がある航空機は少なかったです。
零戦と同時期に開発された「F2Aバッファロー」や「F4Fワイルドキャット」にも防弾板などはありませんでした。
(「F4Fワイルドキャット」は後に防弾性能が付けられる)
F4Fなどの「グラマン」と言われた戦闘機は”頑丈”と言われていますが、機体構造自体が頑丈なだけで貫通するかどうかは別の話になります。
そもそも防弾性能なんて考えは無かったので、人命軽視とは言えません。それに「零戦に防弾性能を付けたところで」ってなります。
長大な航続距離+欧米機を屠るための高い機動力=零戦です。
非力なエンジンで相反する航続距離と機動力アップをしています。
で、これに防弾をつけると航続距離はまぁ大丈夫ですが、
ネジ一本一本、グラム単位まで削れるところを削りまくった結果得られた高い機動力が失われます。
しかも、零戦に載せられる防弾板って7.7mm用なんですよね。それに対して米軍機は12.7mm。
防弾板を付けたところで貫通されるので、ただの重りになります。
機動力を上げて攻撃を避けることで生存率を上げる戦闘機から機動力を奪うと、
何もできずただただ一方的に叩き落されるようになります。
あと、「弱点バレてからはボロかすにやられた欠陥品」って言っている人がいますが、
「弱点バレ&敵が次世代戦闘機&敵の数が自軍の数倍」っていう組み合わせだと、どの国の戦闘機でも負けます。
しかも、航空機どうしの戦いって多少技術力の差があろうとも、数が多い方が基本的に勝ちます。
「零戦対F22」っていうぐらいの差だと流石に無理ですが。
ただ、赤松貞明っていう「P-51マスタング」75機の大編隊に単機で突入して「P-51」を撃墜して”無傷”で帰ってきたっていう、
とんでもない逸話を持っている人もいます。
興味深い!
面白いコメントありがとうございます😊
ここだけじゃなく、皆さんに読んでもらいたいコメントですね。当時は当時なりの理由があったんですね。
赤松は編隊空戦の達人で編隊空戦の弱点を知っていたからこそ75機編隊相手に2機撃墜できた。赤松がやったことは単純。まず敵編隊の戦闘機と戦闘機の射線に入る。これで味方(敵にとって)を撃てないから機銃を無効化出来る。そして撃墜。単純だが出来るかと聞かれたら無理。
@@m1niku164 え!すごすぎます!
ガンダムの世界でアムロがリックドムを12機追撃していましたが、それ以上ですね!現実にこんなすごい話があるなんて・・・すげーっす!
ドイツも首都に侵攻されるまで降伏しなかったんですけどね
ただヒットラーの取り巻きは降伏を画策してたみたいですけど
ホント、負け方って言うのは難しくですねー😊
勉強になりました!ありがとうございます😊
勝ち目のない状態に追い込まれても
突き進むっていうのありますよねー。
岸田政権もそうですよねー。
岡田斗司夫ゼミは学びもあるし、面白いですよねー
岸田政権も歴史から学ぶ…かな☺️
下から狙われる高射砲の到達高度も一万メートルでこの高度にしたんですよね。しかしエンジンは非常に極寒と低酸素で可動しなければならず、トラブルはあったそうです、話にもあった墜落原因はたぶんこれです。
いい情報ありがとうございます😊
なるほど、当時としては完全無欠の存在だと思ってましたが、やはり欠点などはあったのですね…。
B29のエンジンは信頼性・耐久性に難があり、一回出撃する度にエンジン交換又はオーバーホールしていたといいます。
与圧室に関しても、戦闘の無い空域を飛ぶには快適ですが、機銃弾や高射砲の破片が命中すると急減圧の危険に晒されました。
しかも高高度からの爆撃は命中精度が悪いため、結局は低高度での爆撃に切り替えました。
当然B29の損害は増えてしまい、米陸軍航空隊将兵はこの決定を下した司令官カーチス・ルメイを恨んだそうです。
@@f4f105 え!そいつは金食い虫ですね!確かに与圧室のアイデアは素晴らしいけど、その欠点ありますね。
@@okadatoshio8990 しかしそこまでのエンジン供給を可能にした米国の工業力&兵站の凄さが窺えますね。
しかしその米国の工業力をもってしても、硫黄島・沖縄戦までの船舶(輸送船)と海軍乗組員の損耗は凄まじく、日本本土上陸作戦は不可能となりました。(開戦当初約800隻近くあった輸送船は半分の400隻まで損耗)
たとえ輸送船の生産は追いついたとしても、海軍兵の育成は一朝一夕では成しえません。
操舵士・航海士・エンジン・ボイラー技師・砲手など、海軍兵は全て「技術者」なのです。
結局、米国の取れる作戦は「原爆投下」だけになってしまいました。
終戦まで日本は中国大陸・東南アジアの占領地は殆ど確保。東南アジア諸国の独立・白人植民地主義からの脱却のため戦い抜きました。
海での戦いは、アメリカを太平洋戦線に引っ張り出して時間稼ぎするための囮作戦に徹しています。
日本軍は補給をないがしろにしていましたが、当たり前です。時間稼ぎのための囮部隊ですから。
「太平洋戦線は、消耗戦とし、敵をとどめる」
あくまでも日本の戦争目的は「東南アジア諸国の独立・白人植民地主義からの脱却」です。
太平洋で勝っても負けても、東南アジア諸国が独立するための時間が稼げれば充分であるという戦争方針です。
@@f4f105 全く存じ上げませんでした!
一見デタラメ、支離滅裂、朝令暮改に見える日本軍の戦略の裏には、そんな意味合いがあったのですか・・・。
そこら辺を知れば知るほど、原爆はひどすぎます。
B-29も高高度で攻撃される事は無いだとうという事だったから、「弾さえ当たらなければ大丈夫」思想が入ってたんですね。
この先を語ると震電の無念を語る人が出てくるかと思うんですけど、それはそれ。
でも、実際は日本本土爆撃で高度を下げて攻撃した際に対空陣地の砲火で30%だっけ!?の損耗があったそうですね。
意外と日本本土の防空システムの優秀さが語られないのが謎だと思います。
震電はゴジラで登場しましたね☺️
大和や震電は、無意味なんですが、ロマン感じちゃいますねー。
日本の防空が優秀だったんですか!なんだか意外に感じますね。
B29は当初は戦術爆撃の運用だったので、探知・迎撃できたんだと思います。
爆撃から迎撃機を退避させる事にも成功していますしね。
レーダーサイトは当時として相応のものだったと思いますが、アメリカの高高度戦術爆撃というドクトリンが優っていたという事だと思います。
大和については、後の巨大タンカー「出光丸」の建造に活かされているので、無意味ともいえないと思います。
何故か当時の優れていた部分が歴史からかき消されているかのような風潮は悲しく思います。
@@tenkochinu
アメリカの高高度戦術爆撃というのは爆弾を狙った場所に落とすのが難しかったんだね。なので低空に降りてきたところを日本の戦闘機により相当な数のB29が撃墜されている。
ある資料によると485機が日本で撃墜され、3041名の搭乗員が亡くなったそうだ。この亡くなった搭乗員の数は特攻で散っていた若者の数に匹敵する。しかしこういうことは殆ど語られないね。
@@tenkochinu 出光丸ですか!建造当時、最大級のタンカーだったんですね。
思わず調べてしまいました、いい情報ありがとうございます!
@@tenkochinu残念ながら海外の対空砲による撃墜率は日本のそれをはるかに超えています。 ドイツはコテンパンにやられているように見えますが日本に向けられた爆撃機とは比べ物にならないほど数が投入されているためそう見えているだけで ドイツやイギリスアメリカ等々に比べ日本の対空システムは時代遅れになってしまっていた感じがあります
B29=空の王者
悔しいけど、頷けます。
実はアメリカ本土は無傷ではないです。シアトルの近くのブルッキングズ市を爆撃してます。他にもやってます。まあほぼ無傷と同じくらいの戦果でしたけど。
え?
そうだったんですか。しかし、なんでシアトルなんでしょうかねー。
零戦初陣時は米国のグラマンF4では勝目は皆無他の頑丈な戦闘機も20ミリ機関砲が命中すれば木端微塵、機も洗練されて後のソ連のミグ25の衝撃と同等位だったんじゃない?
なるほど、
結局、そんなところかも知れませんね…。
パイロットや、その他の条件があるのにも関わらず、
どっちが優れているのかを語りたくなるのはなんですかねー。
芸術品 と 量産品
戦争で必要なのは、熟練じゃなくても操縦や整備ができる後者ってことですね。。。
なるほど。
芸術的かは分かりませんが。
優秀な量産品は整備し易く、シンプル。
トヨタ・ハイエースやホンダ・カブの様なものなんですかね。
米軍の整備マニュアルは、誰でも分かりやすい様にイラスト付きのがあったそうですが、日本は?とゆうとベテランから口頭で教えられて、忘れて聞きに行ったら怒鳴られるとゆう理不尽がまかり通ったみたいです。
戦闘機もクセがあるF4Uより、誰でも乗りこなす事が出来るF6Fが主力になった例がありますしね。
一応昭和17年に潜水艦から米本土爆撃した日本の零式小型水上偵察機がありますよ!しかも2回も.
えー!
そんな歴史があったのですねー☺️知りませんでした。
世界レベルの優秀な戦士や機体がなせる戦果ですね。
二式水戦ですね
20mmという大砲まで装備した戦闘機です。
昭和17年8月15日、潜水艦・伊25号はアメリカ西岸に向け、横須賀港を出港しました。同年9月9日未明、零式小型水上偵察機に乗る藤田さんは、オレゴン州・・・と言うネット記事があります。
海軍は、陸軍のマレー上陸に随伴して共同戦線を張る心づもりでいました。
真珠湾攻撃は陸軍の要請によるものです。
アメリカはフィリピンを植民地化していたのに「アメリカはアジアに植民地を持っていない」などと
動画では言われていますが・・・
大東亜戦争の認識に関しては、正確に把握している人が少ないのが残念です。
なるほど、
そうですねー、ww2、大東亜戦争などは、本人に探究心などがない限り、疎かににしてしまいがちですねー。
社会科などで教育するにはバイアスが掛かりそうですし、歴史から学ばないのは愚かですし、難しいですね。
風立ちぬ みたいな簡単な映画などをきっかけに、戦争ね真実を探る方が増えたら嬉しいですね。
零式戦闘機52型 じゃねえんだ一番有名なのが 零式戦闘機 艦上戦闘機52型本当に 零式艦上戦闘機52型だから
なるほど。使い分けしてないかもですね。
零戦は機動性に全振りした設定でアメリカ軍にワンショットライターとかフライングジッポーと言われたらしいね
また、それこそが潔し、と思いがちな国民性がありますかねー。
@@okadatoshio8990 ムスタングと正反対の設定www
侍は敵の攻撃をかわす考えですかね。西洋は鉄の鎧に盾🛡️
思想、文化の違いが機体に反映されてるとしたら、興味深いですね!
B29開発費はマンハッタン計画を上回っていた。
興味深い。
苦々しいですが、費用対効果は絶大でしたね。
零戦は防弾装備が皆無だから人命軽視だと言われがちですが、開発当時のライバルの他国機も似たようなものでした。戦訓によって零戦も自動消火装置など防弾対策をしましたが、機体が重くなりエンジンは性能向上せずで段々と性能を落としていきました。
さまざまな、工夫、改善もエンジン性能の向上が有ってこそなんですね…残念😢
0:45
機動性を得るために装甲を犠牲にし、弾は、当たらなければとうということはない。
まさに、シャアの戦闘哲学ですな😮
赤い彗星が操るザクは装甲が薄いんでしたっけ?
@@okadatoshio8990
最初の頃は、そんな設定でした。
シャアザクは、装甲を薄くして、通常の3倍のスピードを達成したとかなんとか。
オリジンになると、補助スラスターやらなんやら付けて早くなってるという設定になってきましたが・・・。
当たらないわけないやないのw
しかも向こうの機銃は射程距離も弾道性能も桁違いに優秀なんですから。
@@大祐綾田 日本の敗戦は必然のことでしたか・・・。
・正確には、B-29の本来の開発目的はドイツへの戦略爆撃であり、B-17がドイツの優秀な戦闘機(Me-163やMe-262等のロケット推進、ジェット推進も含む)に多数撃墜されたことから、準備したものの、数を揃えるまでにドイツが降伏したので、これを太平洋に転用したというのが実際ですね。当時のルメイ准将が指揮して成功させようとした非人道的戦略爆撃機論を完成させたくて、日本を標的にしたと言われています。
・B-29は高度1200mを飛行して、日本の戦闘機による迎撃を困難にはしていますが、当然高高度爆撃のために命中率が著しく低く、目標に命中しない。そこで、夜間低空精密爆撃に戦略を変更しています。その結果、夜間戦闘機をほぼ持たなかった日本は苦戦し、また一回で300機を超える大編隊で都市を焼き尽くす作戦に転じました。日本の夜間戦闘機と言えば「月光」ですが、これが意外なほどに活躍しています(陸軍名称は屠龍)。北九州爆撃では20%以上の撃墜率を出して、結局製鉄所はほぼ無傷という結果に終わり、100機程度の爆撃ではまだダメと悟り、マリアナから大量の爆撃隊を送り出しています。日本も艦爆の彗星を改造した彗星夜戦等も出撃し迎撃しましたが、多勢に無勢で敗れたのが史実です。
・日本が終戦間近に中々降伏しなかったというのは間違いかと思います。レイテ沖海戦の頃に、既に日本は天皇制を護持してくれれば、条件をすべてのむ形での降伏を出していますが、全て米国側に拒否されています。何度もこれを繰り返していますが、米国は応じませんでした。
理由は、「アジアにおける圧倒的な勝利」を共産圏に見せつけるため、ただその一点です。原子爆弾投下もそれが理由です。実験を兼ねて。終戦後も日本を植民地にはせず、その後日本の経済成長を支援したのも、全て「前進基地としての日本」が欲しかっただけという説が今は一般的でしょう(江藤淳 銃後の戦争)。
大戦末期には利用されてたんですね。
なんだか、切ないですねー。
B29の飛行高度は、高高度の12,000mのはずです。飛行高度1,200mだったら、超精密爆撃ができるけど、日本軍の高射砲の砲撃や迎撃戦闘機の攻撃も苛烈になって、墜落されるのではないでしょうか?
@@笹原聖司-j6e 桁間違えですかね。
@@okadatoshio8990
そうなんですよね
10,000m
と
1,000m
海抜0mを基準にして考えると、気圧差および気温差は、高度10,000mは、人間にとってかなりキツイ世界
10,000m~成層圏
気温 氷点下50度
気圧 地上の1/4程度
そのまま放り出されると、死亡確定
1,000m
峠越えレベル
耳ツンだけで済みます。
B29は高性能だけどけっきょく高高度で爆撃させたら明後日の方向に着弾するだけで無意味だからB17を運用するのと変わらない事させたらそれなりに被害でたのでB29なんて無駄だった。朝鮮戦争じゃジェットにカモにされてワンショットライターにされたしな。
後日本は戦力そこそこ残ってたから植民地なんかにしたら死を恐れない世界一優秀なゲリラ兵の誕生になるので融和策とるしかなかった
半分はパイロットの技量、未熟者では20mm砲は当たらない
なるほど🧐
修練を積む時間も資材も無いし、当時のパイロットを尊敬します。
集団戦になると速度も遅く銃の射程が短いゼロ戦が射撃ポイントに達する前に
敵の僚機がカバーに入って遠方から12.7ミリを撃ってくる。
防御力の無いゼロ戦はそれだけで簡単に火を噴いてしまう。
ゼロ戦が強いのは1対1の場合だけです。
なるほど、
零戦かっこいい!程度の知識だった、自分には思いも至らなかったです。
ww1の空中戦なら、1vs1で零戦の運動性能を発揮出来たかもしれないけど、ww2にはもっと戦略論が重要なんですかね☺️
零戦は、海軍に振り回されて、エンジンの馬力アップも防弾装備の追加も出来ずにいた。
海軍は、三菱の改良の提案を無視して航続距離と運動性能にこだわりし続けた。
この為、B-29に対抗できる紫電改等の戦闘機の開発が遅れた。
B-29も無敵の爆撃機では無かった。B-29は、第二次大戦中に、撃墜されたり、
故障したりして485機失われている。搭乗員は、3,041名も戦死している。ネット参考。
面白い情報、ありがとうございます☺️
非常に興味深いです!
b-29は意外でした、アメリカはアメリカで苦労してたんですねー
B-29が高度10000mを巡航できたのは事実ですが、実際に昼間に高度10000mから日本の軍需工場を戦略爆撃してみたところ、爆弾が全然命中しなくて失敗してるんですよね。日本軍の高射砲による反撃での被害も意外に大きかった。司令官ハンセル准将は更迭され、悪名高いルメイに交代しています。ルメイは関東大震災を参考にした高度1500mからの夜間焼夷弾爆撃に戦術を180度切り替えて、日本を焼け野原にする大戦果を挙げました。
なるほど
興味深いですね!
関東大震災を参考と言うのは、街が火災に遭う事により、街の形が見えやすいって事ですかねー。
日本人としては頭にくるけど、成果を上げる為に、人も作戦も素早く変更できるのは素早いですね。☺️
失敗したというのは、作戦劈頭の八幡空襲ですね。B-29の敵は強烈なジェット気流であり、日本の迎撃機は敵ではなく、実際ほとんど迎撃できていません。ジェット気流については、当の日本でさえ、よく分かっていなかったので、やむを得ないことでした。しかし米軍は次第に航空気象と航法に慣れ、むしろジェット気流を利用して侵入するようになるので、ますます日本機は迎撃困難となりました。日本陸軍主力の八八式七糎野戦高射砲の射高は9,100mですが、これはスペック上で、10000mに届くはずもなく、B-29が昼間高高度爆撃をする際は、ほぼ迎撃不可能でした。偵察機型のF-13は爆撃機型のB-29よりさらに高高度を飛行したので、迎撃を受けたことさえ皆無です。日本本土の軍事目標をあらかた破壊してしまったあと、第21爆撃集団の司令官が、ハンセルからルメイに交代します。
えっと、いろいろ突っ込みどころありますねえ。アメリカは独立を約束していたとはいえ、フィリピンを植民地にしていて、なおかつ華北・満州の利権を狙って日本と争っていて、東アジアで日本を屈服させるのは重要でしたよ。
また、ヒトラーは降伏していませんよ。自殺後に後継者が継戦を命じられたのを無視して降伏です。ほぼ全土を蹂躙されて、仕方なく完全無条件降伏なので、日本のような交渉による降伏(と軍部の無条件降伏)とはちょっと違いますね。
ちなみに連合艦隊壊滅はマリアナですね。
堀越が96艦戦を最高傑作と言っているのは諸外国に全金属単葉というトレンドで追い付いたのがこの機体だからで、火力も貧弱で速度も航続もイマイチなので戦闘機としてはさほどの機体ではないですよね。
零戦は別に傑作機ではないですよ。空中戦で撃墜された機体の75%は奇襲で落とされたそうです。そうなると、機数(生産性)・扱いやすさ・火力・頑丈さ・搭載性能(折り畳みなど)、どれをとってもF4Fに負けています。20㎜は戦闘機には当たらない上に弾数が少なく、7.7mmも初速が低い上に威力も低く、F4Fとは比べ物になりません。現に実は太平洋戦争の前期、F4Fと零戦のキルレシオはほぼ互角だそうです。後続だけは確かにすごいですが、結局空母戦でアウトレンジなんて実現していませんしね。そんな遠くの敵は見つけられないですし。索敵も通常は半径300カイリですから、F4Fだと最遠で見つかると届かないくらいの距離です。それに後続距離が伸ばせたがゆえに無理させられて消耗させられましたしね。しかもF4Fに比べて生産性の低い機体で整備も大変でしたしね。F4Fも格闘戦をやめて損害も出なくなりましたが、それ以前にもゼロ戦が圧倒していたわけではありませんね。何より無線機の性能が段違いで、相互支援もできませんし。結局エンジンが互角なら、機体性能もほぼ互角に帰結します。
B29は結局は高硬度爆撃は当たらないので夜間低高度に切り替えましたよね。
詳しく解説、コメントありがとうございます。
大変興味深いです。
F4Fもかなり名機なのでしょうか。
此処でのコメントであげる方おおいですね。
F4F及び、アメリカ軍には一貫した設計思想が感じらますね、運動性能はもちろんですが、修理…整備のし易さも重要ですね。
零戦最大の弱点はエンジンですよ。要求性能に対して出力が低すぎた。だからあの設計にせざるを得なかった。海軍提示の要求性能に中島は「こんなの無理」と断念したのを実現にこぎつけただけでも成功です。航続距離がなければ重慶爆撃も太平洋域での作戦も成り立たなかったわけで。
Bf109やスピットファイアが改良しつつも終戦まで使えたのは、設計に余裕あったのと高出力エンジンが次々出てきたから。零戦は1943年には退役しているべき機種。でも、後継機開発する余裕が航空産業になかった。
エンジン技術はそうそう真似できるものではなく、工業力の蓄積ない日本は仕方なかった。水冷エンジンのクランクシャフトが作れなかったんですよ。自動車すら生産できなかった国が欧米と互角に戦えただけでも立派。当時の技術者工場労働者は世界レベルの優秀さです。
確かに!
国産車作れてなったの忘れがちですね…
それを思うと零戦をはじめ戦闘機を作れたら事自体が奇跡的ですね。
内燃機関は難しいですね、スーパーコンピュータを使っても、思う様に性能向上出来ないのだから、当時はとんでもないねですかね。
エンジン開発出来てもガソリン品質で駄目
今と違って日本は高分子工学で負けてるのが痛い。
この時代のエンジンは過給器の能力がもろ影響するから
高品質の燃料が不可欠。
序でにエンジンオイルも駄目
@@PENN713z なるほど!
突き詰めていくと、そこにも大きな差があったわけですか。。。
零戦ってカッコいいというよりはエレガントというか可憐なんだよね。日本の戦闘機は旋回制を良くするために翼が大きいそうで、その特徴が優雅さや可愛らしさを醸してるのかな?と。
良くない癖だと思いますが、
散る者の美学、清さを感じてしまうんですよねー。
幕末の志士や新撰組に感じるものに似た感じです。
堀越技師はラインにこだわったそうです。96艦戦、零戦、雷電、烈風・・みな尾部がとがってます。堀越が病気療養中に改造された32型は翼端が角型になりましたが、堀越は不機嫌になったとか。で、52型で丸く成形された。
真珠湾攻撃の空母加賀搭乗員戦闘機隊長であり空母隼鷹戦闘機隊長、三四三空飛行長をしていた志賀淑雄少佐は零戦を「深窓の令嬢」と表現した。後継機扱いの紫電改に対しては「下町のおてんば娘」と表現。洗練された飛行機ではないが志賀は「これは実戦で使える。グラマンのF6Fでもなんでも、牙を向いたイノシシみたいな飛行機には令嬢じゃだめだ。おてんば娘じゃなきゃ」と語った。
>米国は植民地を持っていない
フィリピンを持っていたのでは?
その通りですよね。
モンロー主義を説明しようとして、勘違いしたんじゃないでしようか。
こんなミスをしてしまう所も、岡田先生のいい所であり、岡田斗司夫ゼミの名物です☺️
零戦という飛行機は、腕の確かな工員さんと優れたメカニック(整備士)と優れたパイロットの三拍子が揃って、無敵の強さを誇っていたんですよね。その内の一つでも欠けると途端に
戦力(性能)が低下するんですよね。戦争の全般期に無敵を誇った理由が、優れた作りて、メンテナンス、搭乗員のお陰であったのでしょうね。戦いが進む中。零戦の最大の欠点である防御力の貧弱さによって、長年の年月をかけて作り上げた熟練パイロットが多く失われて行き戦力の低下を招いて行っったのでしょうね。優れたメカニックも多数戦死し、戦争の激化に伴い熟練工の多くも兵隊に取られてしまい、クオリティの低下を招き後は米国の飛行機に手も足も出ない状況に追い込まれて行ったのでしょうね。
なるほど。納得の説得力です。
各一点を都合するのも難しいのに、それが三点ですか…。零戦が輝いたのはほんの奇跡の一瞬だったんですね。
???少佐「当たらなければどうということはない!」
前提条件が都合良過ぎんだろ☺️
フィリピンとかアメリカの植民地と思っていました!
そうですね。
植民地でしたね。多分、モンロー主義をしゃべろうとして、間違えたんですよ☺️
先生の間違えは、もはや岡田斗司夫ゼミの名物です。
車で言うと、スポーツカーみたいなものか。
今の日本車は戦時中のグラマンみたいだな。
面白い事言いますねー☺️
それは褒め言葉と捉えていいのかな☺️
Phillipines was a US colony.
1898〜1945
米海軍は日本の航空部隊に対する対空砲や戦闘機などの防御兵器に原爆開発のマンハッタン計画と同じ巨額の投資しているから結構日本軍機に対してビビってた。
え。ずいぶん巨額な予算を割いていたんですね☺️
経済的な裏事情もありそうですが。
敵に対してみくびる事なく備えられることは敵ながら流石ですねー☺️
@@okadatoshio8990
ベトナム戦争の様にアメリカは国民に支持されないと戦争の継続が難しくなるので味方の犠牲を減らすことなら巨額の国家予算を組んででも装備を揃えます。
特攻という体当たりが作戦として行われて損害を受けている事は当時国民には隠蔽されてました。
@@akibanokitune 国民の声が軍隊の戦略に影響するのはアメリカならではですね。
当時の日本軍部もそうであれば、特攻なんてしなかっただろうに・・残念。
あくまで持論だが零戦は使い手に左右される刀だと思ってる。グラマンやコルセアは使い手が誰であってもある程度扱える剣だと思う。零戦は素人が使うと弱いが撃墜王が乗ると強さが跳ね上がる。対してグラマンやコルセアは素人でもプロでも然程変わらないいと思う。あくまで動きが少し変わる程度の。零戦とグラマンやコルセアに同じ練度の搭乗員を乗せたときおそらく勝つのは零戦だと俺は信じてる。あくまで持論だから文句は受け付けない。
なるほど。
操作性は重要な視点ですね、ユニバーサルデザインなんて言葉を考えもしない当時では、そこら辺も根性でカバーしろ!って感じだったですかねー。
いい視点ありがとうございます😊
エンジンが凄いものをつくれたら!
正に!
超短期決戦だったら日本は勝てたのだろうか?
月間空母、週間空母なんて言葉があったんだから国力で勝負する長期戦は勝てない。それは歴史が証明してるけど…
どうだったんですかねー☺️
動画中で先生もおしゃってますが、初期の戦闘機の性能差でなんとかしようとしたのが戦争の泥沼化を呼んだんでしょうね。
ガタルカナルでもう少し粘ったら米国は和平に動いた説もあり、また沖縄戦でも徹底した持久戦を展開し続けたら講話に持ち込めた説がある。
日本軍に持久戦そのものが無理です。
山本五十六も最初の1年は存分に暴れて見せるが、その後は艦隊を動かす燃料もなくなると
@@tomohikoo8949なるほど。そんな論もあるのですかー。補給線が整備されてたらどうなったかなー。
@@tomohikoo8949 ガダルカナルまで進出して飛行場まで作ったのは、米軍を太平洋方面に誘い出し、東南アジア諸国独立までの時間稼ぎをする必要があったからです。
もし米軍が、大西洋~喜望峰~インド洋ルートで攻めて来られると英軍と共同戦線を構築され非常に厄介です、インド方面の独立が危うくなります。
米軍を広大な太平洋におびき出すことが出来たので3年8か月の時間を稼ぐことが出来ました。
「1930年後期 設計の戦闘機としては・・・」と但し書きが必須でしょう
また 真珠湾攻撃は 山本五十六の駄々で決まったのでは?
確かにです、
平時ですら、3年も経てば技術は進むでしょうし、戦時ならばなおさらでしょうねー。
なるほど、山本五十六は開戦反対のイメージでしたが、そうだったんですか!勉強になります☺️
@@okadatoshio8990
山本五十六については開戦反対派で間違いないですよ、政府大本営が対米戦を決めたから真珠湾を献策したしたんです。ネットには嘘八百言う工作員が一杯いるので注意して下さい
物理の法則的に格闘戦でゼロ戦には勝てない。じゃあどうするか?格闘戦をしなけりゃ良い。
戦略かでもアメリカさんに負けた感じがしますねー。
余裕の差かなぁ。
逆に言えば格闘戦ならヘルキャットやコルセアであろうと勝てる。
@@m1niku164 これすごいことですね!ロマンありますね。
中期、後期には翼内タンク、パイロット周辺には防弾装備を付けて欲しかった。
あと、20mm機銃の弾道改良、装弾数を増やす事も。
多少、航続距離や旋回性を犠牲にしても、一人前になるまで時間とコストの掛かるパイロットが生還するのは最終的にコスパが良くなる。
まさに、その通り!
コレが実現出来ていたら、もう少し違った結果だったんですかねー。
3:11 2回 空襲してますよ
みたいですねー。
多分、本格的な…ってことでしょうね。
アメリカはアジアに植民地が無くアジアに無関心との見解は間違い!植民地争いに遅れアジアに取り付けなかったから他のヨーロッパ諸国に文句を言っただけ。ほんとは中国大陸に野心を持っていた。
そうですね。明らかな間違え☺️
そこら辺の間違え、勘違いは岡田斗司夫ゼミの名物ですね☺️
52型丙の性能を見たら、重量馬力換算では2000馬力のF6F3ヘルキャットを上回り、ダイブスピードはほぼ同等。それ以外は全て零戦52型丙が優秀でした。兵站、用兵で負けたのだ。
戦闘機の性能自体は、私には分かりませんが、兵站、用兵に関しては同意します。
物資では及ばないですが、それらで対応できていたらと感じます。
優秀な戦略家なども居たはずなのに
上手くいかないもんですねー。
@@okadatoshio8990 はい。現在においても南西諸島の陸自、海自共に兵站や輸送能力は米軍に比べ、雲嶺の差とも聞いた事があります。米軍は100m進軍するごとにアイスクリームを頂けると、例えられる程らしいです(^_^;)
@@小松裕一郎-d1l アイスクリームですか😝
52型丙は両翼に13mm機銃を追加し、パワーアップを伴わない重量増加により零戦各型中で最低の操縦性であった。着陸時も失速に気を遣うようになったとのことだ。零戦搭乗員たちは、零戦もこんなにぎこちない戦闘機となってしまったかと嘆き、実戦では両翼の13mm機銃を下ろし、52型仕様で戦ったのだ。このことは土方敏夫の著書に書かれていたものだ。急降下は、制限速度より加速力が重要だ。機体重量とエンジン出力がものをいう。F6Fには到底かなわない。戦う機材としてみてもF6Fには到底かなわない。低空で巴戦をすれば勝てるかもしれないが、相手が乗ってこなければ成立しない。
4:38 アメリカはフィリピンを植民地にしてたよね?
そうですね。
岡田先生のうっかり間違えは
岡田斗司夫ゼミの華ですね☺️
日本機は部品の材質が悪かったので米軍に勝つのは無理だったですね
突き詰めるとそこですよね、
道具もろくなものがあったかあやしいですし。
材質とゆうより基礎的な工業力が欧米より劣ってましたから、何かを削って性能をあげる方法がなかったのではないでしょうか?
日本機ファンの方々には悪いんですけどエンジンひとつにしても、栄エンジンを切った張ったでいじくり倒して誉を作り上げましたけど、各部に無理がありすぎて稼働率が良くなかったですしね。
@@紅のプー太郎 当時の日本人にもそこら辺を冷静に分析できる人がいたでしょうに、なんで無理な戦争に突入してしまったんですかね・・・。
@@okadatoshio8990 ナチスドイツがイケイケドンドン!!の連戦連勝でしたし「それならば我が国も・・・・」と考える開戦派の軍部が支配的だったんじゃない?
それにアメリカをナメ過ぎてた風潮(バカにしてた?)があり、視察をした方々はアメリカの底力を見抜いて反対してましたし、開戦前に何処かの研究所に行く末を試算させたら「短くて3年長く戦えて5年が限度で、日本は絶対に負けます」と結果が出てるんですけどね。
まぁ~あんなチート過ぎる馬鹿げた国と戦争やって、よく3年9ヶ月も持ちこたえたもんですし、後年せめてアジアの独立を手助けしたと思いたいです。
なんかゼロ戦は防弾がぁ~みたいなコメントあるけど・・・各国の主力戦闘機の初期型は大した防弾装備は
無かったのを都合が悪いからスルーしてるのかな?
例外のソ連・日本陸軍は時期的に早くから・もしくは初期型から防弾鋼板等を装備してたけど、まぁいつも
零戦は防弾があぁぁぁと言われるのは宿命かなw
なるほど。
大戦初期は防御力の前に、運動性能を上げるのが先というのは各国共通の課題だったみたいですね。
エンジンユニットの改良や航空力学の理解が進んだ後の防御力なのかしら。
デカい大国のアメリカに勝てるはずないよ、、😢
ん〜、いかにも。
アメリカの植民地ってハワイとかフィリピンは違うのか?
フィリピンは植民地でしたね。岡田斗司夫ゼミの名物、勘違いですかねー☺️
ハワイも植民地時代あったのですか?
いきなり併合だと思ってましたよ☺️
太平洋戦争後、日本をはじめ
東南アジアのほとんどがアメリカ軍など国が再び占領地化していたよ、イギリスなど
その後日本は独立して
東南アジアもだんだんと独立していたよ、ほとんどが日本が円借款しジャングルを切り拓いて近代都市化してきたよ1960年〜1980年ぐらいまで
0戦が無かったら優秀な搭乗員こんなに死ななかっんではと個人的に思いますだから戦闘機としては良く無いと
おー、逆転の発想。
でも。もっと性能の劣った戦闘機に搭乗した方が危ないのでは?
ゼロ戦の緒戦は、
1940/9/13で、重慶上空、ゼロ戦は13機(内1機は機銃の故障で実質12機)
敵は、国民党軍と米ソの戦闘機34機で、その内は27機を撃墜です
(中国軍は国民党軍で共産党軍ではない、この点を注意で・・)
なんで、米ソ機がいるのか・・・国民党軍を支援していたから・・・
米は退役軍人の行動だとして、機体・装備や、軍を指導する人材も派遣していて経済的な支援もしていた
・・・既に日本の敵だった
1940/9/23、北部仏印進駐
1941/12/8、真珠湾攻撃
なお、近年の研究では戦争への道筋を作っていたのは1941/10/16まで内閣を率いていた近衛文麿です
近衛と側近の風見章・尾崎秀実の3人が隠れ共産主義者だった(口だけ戦争拡大回避で、敗戦による赤化革命を目指していた)
1918にコミンテルン発信の「日支闘争計画」で、支那と戦わせて日本の国力を削ぐ事・・のシナリオ通りです
東條は1941/10/18首相就任で・・・東條は嵌められた(日本国民も嵌められた)
おー!!!
読み応えあるコメント、ありがとうございます😊
そうでしたかー、局面、局面では、ゼロ戦を始め、日本軍も健闘している様にみえますが、みんな米国の思う壺だったんですねー。悲しーです😭
21は「にいいち」。
日本軍の基本的な呼び方ですね。いちいち、にいいち、さんに、にいにい、ごに・・・・・。
聞き間違い、勘違いを防ぐ為だったりするんですかねー。濁音、半濁音ない方がいいですもんねー。
日本民族は優秀過ぎたんですね。
それゆえ、
GHQはあの様な日本国憲法を日本国に押し付けたんですね。
するどい! 日本国憲法は改憲してもいい部分ありそうですよねー。
パイロットの命が軽視され
格闘戦が良いとかいっぱい飛行できても、被弾したら火が出る戦闘機など傑作でもない
確かにその通りですね。
目が覚めました☺️
だから飛行機として、航空エンジニアリングとして傑作なのですよ。
@@trontfoxes
どこが傑作?始めアメリカ恐れたが
撤退して調べられた。エンジンの付いた紙飛行機です。苦情を言うパイロットいたが意見聞かない、ごう慢な日本海軍
@@trontfoxes なるほどね。確かにそれも言えますね。
@@okadatoshio8990
それに戦火が日本が画いた様に事が行かず、毎日普通にB29が飛来する頃の敗戦に近くなると、小学生にタガネ持たせ作る戦闘機のどこが傑作?日本は眠る巨人をお越したんだよ。工業力に差ありすぎる国に戦争仕掛けた報いは、でかかったでしょうが!
F6Fはもちろん実はF4Fと比較してもキルレシオ負けていたんだよね。
零戦神話とはいったい・・・。
え!そんな事実があったんですか!
知らなかったです☺️
その神話こそ、日本人の精神的支柱であり、その後の険しい行く末に追い込まれる要因ですかねー。
初戦は零戦の方が有利でしたよ。
キルレシオで優っていればあれだけ広大な地域の制空権を取る事は出来なかったはず。
キルレシオは百分率で計算するから国力差により航空戦力が日本の10倍もの差があり数値の上では零戦1機でF4Fを10機相手にしてようやく同等のキルレシオになりますので1/10の戦力でこのキルレシオなら零戦は負けてないどろか同じ国力であればF4Fはボロ負けしている訳です。
一度だけ・・・・・・。
青嵐による本土直接、爆撃。
恐らく、世界唯一。
晴嵐がアメリカ本土、
爆撃を成功したって事ですか?
@@okadatoshio8990
訂正します。青嵐を搭載するイ400は、結局、東海岸を目指して航行中に終戦を迎え、作戦は実行されなかったようです。
成功しているのは、茨城県の沿岸から発射された風船爆弾の方です。
@@kuzucraft2 訂正ありがとうございます。
なるほど、風船爆弾ですか。。また奇怪な兵器を使われたもんですね。
たしか潜水艦に積んでた偵察機?で、2回ほど爆撃に成功してなかったっけ?
零戦は超過禁止速度が800km台でくるくる回りやすい軽軽さのために構造材を極限まで削り、塗装の重さまで問題にした(一応迷彩のため塗装自体はしたがなるべく軽くなる計算をした)安全性が犠牲になるある意味恐ろしいほどのシンプル設計
強度不足で急降下により速度超過でがたつき追いつけなくなるのも最初からの欠点であった
技術が劣っていると言われた時代に登場時米海軍機相手の速度は悪くなかったがのちにあっという間に差をあけられて優速を利用した一撃離脱戦法を取られて追いつけなくなる事態になった
くるくる旋回する性能は超攻撃的性能設計で旋回途中で他の戦闘機の射線に入る可能性を考えていなかった
一撃離脱戦法の利点は生き残り率があがること、そのため欧米でドイツも含め100機以上を撃墜して生き残りができるパイロットが多数出た
優秀な技量を持つパイロットは生還してまた敵機を撃墜できることこそが重要です
零戦は当初背後から撃たれたときの座席への装甲も考えてないほど軽量化にこだわり、熟練搭乗員をバタバタ失った
くるくる旋回できることは搭乗員に望まれたがとうじの日本兵の思想は戦国時代の武士のしたたかな合理主義が失われた平和な江戸時代の現実離れした歴史観に影響されていると思われる
何しろ幕末の佐幕派は長州兵が学んで実行した散兵戦という撃たれないため散って隠れて匍匐までして敵を撃つ最新のナポレオン戦法を卑怯千万と言っていたありさまだった
詳しいコメントありがとうございます!
詳細で興味深いです。
そうですねー、良くない捉え方の武士道を持ったままじゃ、なかなか合理主義的アメリカを越えるの難しかったかもですね。ちょっと古いですが 宇宙戦艦ヤマト なんかでも 死を美化してますし、戦闘機の性能以前に改める事ありそうですね。
ヒットラーは※殺(タヒ後)しても降伏していない(;¬_¬)
…あ。そうですね Σ(=゚ω゚=;) !
試験飛行中にテストパイロットを二人?失っていますね。
劇中でも、テスト飛行で失敗したシーンでてきますね、そうでしたか、2人でしたか…。
いくつか独自の進んだ技術もあったけど全体としては零戦は同世代の中じゃ一歩遅れた存在だけどね
零戦が主力となる時期41年~42年は欧米じゃ時速600㎞台での戦いを想定してた
想定よりやや遅れたアメリカを日中戦争で動員体制が出来てた日本が突いたという戦略的な条件の結果が緒戦の零戦の強さであって技術的に零戦が進んでたわけじゃない
零戦が太平洋を進んでる頃、欧州ではもうP-51とFw190の戦いが始まってたからね
え?そうだったんですか!
無意識のうちに零戦を誇らしく思っていただけに、
ショックです☺️
当時の日本の技術水準で見れば誇らしく思っていいと思うよ
零戦のおかげというか開発過程で挑戦したことが日本の技術を底上げできた面も確かにあるし
でも動画で岡田さんが言ってることは年表にちゃんと照らせば正しくはない
飛行機に関して言えば岡田さんって時々微妙なことを言う
岡田先生は研究者と言うより
愛好家って感じですかねー☺️
最後の最後に間違えって事がよくあります😅
アメリカの最初の植民地になりましたね😂
皮肉なもんです☺️
皮肉なもんです☺️
攻撃10000
防御0
wwwまはに😂
もう過去の栄光にすがるのは止めましょう!恥ずかしくみじめに成るだけです。
おー!いいこと言う!
でも、でも。
せめて、三菱スペースジェットが成功していたなら…
ZEROまでさかのぼってすがっちゃいます😂
零戦はイケイケ型戦闘機なので防弾は少なくて良いという発想。野蛮というわけではなく海軍の当初の戦略設計に合致しています。零戦の輝かしい戦闘本が大量に出ていますが、実際には3年目から袋叩き状態です。日本に撃墜王なんていません。有名なS氏は海軍の集まりで嘘ばかり書きやがってとOBに胸ぐらを掴まれています。山本五十六は映画だとイヤイヤ真珠湾を攻撃したようになってますが、あくまでも軍人です。やってみたかったはずです。それと日本には戦争をやめられない理由がありました。戦争は私たちが想像するのと全く違う顔をしています。だから戦争は怖い。
んー、興味深い🤨
我々が知った、戦争の事実はほんの表面、一部なんでしょうね。
語り部が変わる事により、新たな視点で戦争を知ることが出来そうですね、貴重なお話ありがとうございます☺️
非国民が
ゼロ式堀越不二子僕のおばあちゃんの友達のお父さん
マジですか!すごい👍
他人で草
禁じ手の防弾装備を省いたたが為に
身体を射貫かれて多くの搭乗員が死んでいった
職人芸に頼った極々少数の搭乗員たちも
結局は死んでいった
姿は美しいが絶対に作ってはいけなかった兵器
おっしゃる通り。
激しく同意ですねー。
日本人は死を美化しすぎな感じがあり過ぎますからねー?
海軍は、軍艦の防御にはうるさいのに飛行機の防御には無関心であった。爆撃機すら無防備だ。このギャップが少々不思議ではある。
まあ一式陸攻も無防備でしたから仕方ないですね。
禁じ手でしたっけ???そもそも米軍機のF4Fも当初は大した防弾装備はなかった
はずだけど・・・
@@新城直衛-d6r もちろん十分ではなかったでしょう
だが省くという発想は零戦だけ
金星で作りたかった堀越の責任ではなく海軍が異常過ぎた
あの無能極まりなかった陸軍さえ防弾板ていどはあった
特に当時はエンジン性能≒戦闘機性能なのに
ろくなエンジンも開発出来ない後進国の日本が機体だけを弄くり回して
80機種以上の雑多なものばかり作って結局敗北の憂き目に遭った
零戦の派生型の多さがそれをよく物語ってる
堀越の考え通りの金星搭載の零戦54型丙/64型が敗戦間際にようやく試作機が完成
その数機はこの世に残っていない
米軍による軍事施設以外の市街地攻撃自体が国際法違反なのにね…。そこは触れてほしかった。
スタッフも笑ってるけど、多くの先祖が戦って犠牲の上で今の生活が有るんだって思えないのかな…。
この話を笑って話せる岡田さんやスタッフの神経が理解できない。
確かにおっしゃる通りだと思います。
かく言う自分も、配信を何も思う事なく楽しんでいた身としては、反省をしなければいけませんね。
岡田斗司夫先生のお喋りの楽しさに乗ってしまい、重要な事を見落としてました。
毎週新型出してきたジオンは負けた😂
まぁザビ家でゴタゴタしてて連邦軍の様なピラミッド型組織と違って〜様配下とか分断してて好き勝手やってて指揮命令にかなり問題あった。
新型がいのか、進化型がいいのか悩ましいっすね。
大戦当時に、アメリカでもゴタゴタがあったら勝てましたかねー。
所詮戦いは数よ
1機のゲルググより10機のボール
@@akibanokitune そうゆうもんですか😆
作中でボールが活躍してるシーンを見たことがありませんが・・・。あの手は何の役にたってるんですかね😁
人的被害の大小の認識は逆じゃね?
え。
そうだったんですか。感覚と違うもんですね。
大戦後期の日本機の性能良くても搭乗員の質で負ける
経験値を積んだパイロットがどれだけいるかの差が如実に出てしまいましたねー。
@@okadatoshio8990 個人的に零戦は玄人の乗る兵器だと思うんですけど、どうですかねー?
ゼロ戦は海軍(源田実)のムチャぶりに応えた凡作ですよ。
欧米のメッサーシュミットやスピットファイアーが戦前から終戦までエンジン強化したり主翼変更、
武装強化で最後まで主力機だったのに零戦はわずかなパワーアップのみ。
武装強化したら重くなって運動性悪化するので下したそうです。
それも海軍の主張で翼面過重まで指定され逃げ道を塞がれた堀越技師が唯一自由に出来る軽量化で、
1g単位まで削ってフレームに穴開け。
おかげで水平飛行では問題なくても急降下では600km以上出すと主翼が捻じれる事も多々あったそうです。
特攻機でも急降下でラダーが重くなり引き起こせず海に落ちた機も多数。
凡作ですか。
客観的評価としてはそんな所なんでしょうね。
自分を含めて日本人は、零戦を贔屓目で見てしまってるんでしょうね。
まるで大戦下中の日本人の様に…。
お気持ちはわかりますが現代視線で見ると欠陥が多数出て来ます。
特に発展性が無かったのが致命的ですね
陸軍の隼も主翼に機銃搭載不可でしたが陸軍は毎年新鋭機を開発して戦争に間に合わせました。
最後の五式戦闘機は飛燕がエンジン間に合わずで急遽開発した機でした。
零戦は、独空軍のフォッケウルフ機の模倣品だと聞いたことがあります。 フォルムが、そっくりですよね。
フォッケウルフはドイツの零戦とは呼ばれましたが、全く無関係です。
アメリカもP35と言うP40の空冷エンジン機が零戦の模倣と言われましたがあんな駄作機と零戦では比較にもなりません。
開発時だけは零戦は世界一の戦闘機でした。
ただ開発時で完成したので発展性が皆無になったのが零戦の悲劇です。
@@零戦太郎-h7v 場当たり的な機体の連続だったのでしょうか、熟成をさせる前に実戦配備になってたのですかね・・・。
ニイイチと呼びます。
軍隊ならではの呼び方ですか。
@@okadatoshio8990 軍隊でもそれ以外でもニイイチと読みます。二は機体の改良で二番目、一はエンジンで一番目の事。改良される度、2、3と数字が増えていきます。
弱点バレてからはボロかすにやられた欠陥品
うー、返す言葉がない😭
フィリピンはアメリカの植民地でしょ😂
その通り。
先生の特徴の一つ、勘違いです☺️
永遠のゼロでは、この戦闘機は、徹底的に批判された。
意外ですね。
百田尚樹氏は好きな機体だと思ってました。
ただのポンコツ戦闘機
わー!
厳しいですねー☺️
空飛ぶ棺桶
撃墜も哀しいけど、特攻はさらに言葉が出ない。
それは九九艦爆
それは露英米が描いたシナリオだから対応が素早いのですが‼️ただ時期迄は読めて無かった‼️もう少し先と読んでたと思われる。
B29の話ですか?
零戦とかのテクノロジーはほぼ欧米の技術だから。戦争を引き起こすために仮想敵に技術供与だの、経済封鎖だのやっていた。🇺🇸は日露戦争後から、いろいろ策謀をねっていたんだよ。