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ボツワナが真っ当な国だとよくわかりました。珍しいなーと思いました
ホームグラウンドに戻ってきた安心感w
ボツワナの歴史は「やる夫はアフリカで奇跡を起こすようです」で見たな。けっこう面白ろかった
またまた勉強になります。ありがとうございます!
🟢ボツワナの歴史(History of Botswana)2:24、8:27🟢ベチュアナランド保護領(Bechuanaland Protectorate)2:09、2:24、3:47🟢ボツワナ(Botswana)1:18、2:09、2:24、3:47、8:27🟢セチェレ1世(Sechele I)2:24🟢セレツェ-カーマ(Seretse Khama)3:47、7:09🟢ケット-マシレ (Quett Masire)8:04………🟢2024年ボツワナ総選挙 (2024 Botswana general election)1:14、10:31………🟢ケープ植民地(Cape Colony)2:24🟢トランスヴァール共和国(South African Republic)2:24、3:47🟢ドイツ領南西アフリカ(German South West Africa)2:24、3:15🟢南西アフリカ-南アフリカ委任統治領(South West Africa)3:15、3:470:35 ボツワナ(Botswana)🟡2024年10月30日にボツワナで総選挙 (2024 Botswana general election)がおこなわた。0:54🟡ボツワナ(Botswana)は、南部アフリカ地域の中央部にある-内陸の国。0:59 2024年ボツワナで総選挙🟡2024年10月30日にボツワナで総選挙 (2024 Botswana general election)がおこなわた。1:14🟡ボツワナは 1966年にイギリスから独立した。1:18🟡独立以来、ボツワナ民主党(Botswana Democratic Party)が政権を独占しつづけてきた。1:22🟡ボツワナは民主主義が機能している国。正当な形で政権が維持されつづけてきた。1:27🟡しかし、2024年10月30日のボツワナ総選挙 (2024 Botswana general election)で敗北。1:35🟡現職大統領のモクウィツィ-マシシ(Mokgweetsi Masisi)は退陣に追い込まれた。1:38🟡民主改革のためのアンブレラ(Umbrella for Democratic Change)という名の野党連合が結成され、指導者で弁護士のドゥマ-ボコ(Duma Boko)氏が-次期大統領に選ばれた。1:43🟡ボツワナはアフリカ諸国では珍しく- 民主主義が機能している国。1:55🟡ボツワナでは、独立以来、初めての政権交代となる。2:03🟡ボツワナは、イギリスの保護領のころ- ベチュアナランド保護領 (Bechuanaland Protectorate)と呼ばれていた。2:09、2:19🟣Bechuanaland Protectorate - Wikipedia ,1885ー1966🟣Mokgweetsi Masisi - Wikipedia 🟣2024 Botswana general election - Wikipedia ボツワナの歴史(History of Botswana)🟡南アフリカ共和国(トランスヴァール共和国)からツワナ系民族が移住したことがはじまり。2:24🟡クウェナ支族のセチェレ1世(Sechele I)が 首長国を作っていた。2:29🟡トランスヴァール共和国(南アフリカ共和国)は、入植者であるアフリカーナー(オランダ系白人)が1852年に建てた国。2:39🟡ドイツ帝国(German Empire)は、アフリカ南西部のナミビア(Namibia)を保護領にした。2:44 ※ドイツ領南西アフリカ(German South West Africa)🟡ボツワナは、トランスヴァール共和国(オランダ)と、ドイツ領南西アフリカ(ドイツ)に挟まれた王国だった。2:49🟡オランダとドイツから標的にされ、アフリカ大陸最南端にケープ植民地(Cape Colony)を保有していたイギリスに保護を求めた。2:53🟡1885年、ベチュアナランド保護領 (Bechuanaland Protectorate)になった。3:04 第一次世界大戦(World War I)🟡第一次世界大戦(World War I)でドイツ帝国は敗戦国となり-植民地を失った。3:15🟡ドイツ領南西アフリカ(German South West Africa)は、南アフリカ(South African)の委任統治領になった。3:25 ※南西アフリカ-南アフリカ委任統治領(South West Africa)🟡ベチュアナランド保護領 (Bechuanaland Protectorate)は- キツめの白人国家に囲まれてしまった。3:23🟡ベチュアナランド保護領(Bechuanaland Protectorate)の国民は- ツワナ系民族。2:24、3:33🟡宗主国のイギリスを最大限に利用して、周辺のアフリカーナー(Afrikaners)の圧力から逃れてきた。3:38🟣第一次世界大戦 - Wikipedia ,1914ー1918🟣World War I - Wikipedia 第二次世界大戦(World War II)🟡第二次世界大戦(WWII)後、 南アフリカ(South Africa)と南西アフリカ-南アフリカ委任統治領(South West Africa)の圧力が強まった。3:47🟡ベチュアナランド保護領の王子は、王位継承権をもつセレツェ-カーマ(Seretse Khama) 4:04🟡セレツェ-カーマ王子(Seretse Khama)は優秀な男だった。4:16🟡セレツェ-カーマ王子(Seretse Khama)はイギリスに留学し、紳士的で優秀だったため女性にモテた。4:18🟡イギリス留学中、イギリス人女性のルース-ウィリアムズ(Ruth Williams Khama)と恋に落ちて1948年9月に結婚した。4:25🟡第二次世界大戦(1939年9月ー1945年9月)後、まもない時期。4:31🟡ベチュアナランド保護領の王族とはいえ、黒人の男性が白人女性と結婚したことは物議を醸した。4:40🟡当時、人種隔離政策(Apartheid)をおこなっていた南アフリカ(South Africa)の干渉がはじまった。4:46🟡南アフリカ(South Africa)は- 人種隔離政策(Apartheid)を口実に介入。4:50🟡セレツェ-カーマ王子(Seretse Khama)に対し、王位継承権を放棄するよう圧力をかけた。5:01🟡イギリス自身も戦後復興のため、南アフリカ(South Africa)の資源(金-ダイヤモンドなど)が必要であり、セレツェ-カーマ王子(Seretse Khama)に圧力をかけた。5:05🟡保守的な人が多い ングワト族(ベチュアナランドに居住するツワナ人の有力部族)の長老たちも- 白人の嫁を歓迎せず、セレツェ-カーマ王子(Seretse Khama)の結婚に難色を示していた。5:17🟡叔父のツェケディ-カーマ ( Tshekedi Khama)も- 甥(Seretse Khama)を説得するためイギリスに渡った。5:25🟡そしてイギリス立ち合いのもと、セレツェ-カーマ王子(Seretse Khama)は王位継承権を放棄した。5:37🟣第二次世界大戦 - Wikipedia ,1939ー1945🟣World War II - Wikipedia
2 ベチュアナランド保護領🟡1956年、セレツェ-カーマ(Seretse Khama)は一市民として、ベチュアナランド保護領 (Bechuanaland Protectorate)に戻った。5:41🟡帰国したセレツェ-カーマ(Seretse Khama)は、ングワト議会の議員になった。5:45🟡1962年、ボツワナ民主党(Botswana Democratic Party)の前身となる「ベチュアナランド民主党」を結党。1:14、5:51🟡ベチュアナランド民主党は-(イギリスからの)独立運動を展開した。5:55🟡「ベチュアナランド民主党」は ベチュアナランドの王族がつくった政党であり- 穏健な保守政党。5:57🟡イギリスからの独立は望むが、イギリスと対立する気はなく-左翼的なことはおこなわない。6:04🟡それ以前から独立運動はおきていた。6:09🟡ベチュアナランド人民党 (Bechuanaland People's Party)という急進左派政党が独立運動をおこしていた。6:14🟡ローデシア(Rhodesia)や南アフリカ(South Africa)のような白人を追放する運動。6:23🟡おなじ独立派でも「ベチュアナランド人民党」と比べると、セレツェ-カーマ(Seretse Khama)の「ベチュアナランド民主党」は現実路線をとっていた。6:30🟡ベチュアナランド保護領の周辺国は- 人種隔離政策(apartheid)がおこなわれている南西アフリカ(South West Africa)やローデシア(現ジンバブエ共和国)6:34🟡「ベチュアナランド民主党」も人種隔離政策(apartheid)には反対の立場だが、経済断交や軍事的衝突を避けて-バランスを取って生き残りを図った。6:43🟡「ベチュアナランド民主党」は- 堅実的な政策を掲げて国民の支持を集めた。6:57🟡当時、東西冷戦(Cold War)の真っ只中。7:05🟡宗主国イギリスの信頼を得て、1964年には自治政府の設立を容認され、1966年にイギリスから独立した。7:09🟡イギリスからの独立に伴い、ベチュアナランド民主党は- ボツワナ民主党(Botswana Democratic Party)へ名前を変えた。7:19🟡ボツワナ民主党(Botswana Democratic Party)は、親米、親西欧路線です。7:31🟡ボツワナ民主党(Botswana Democratic Party)は、欧米資本を導入して- 国内開発を進めた。7:34🟡ボツワナ民主党(Botswana Democratic Party)は- ベチュアナランドの王族がつくった政党であり、結党時から圧倒的な勢力を誇っていた。5:57、7:38🟡セレツェ-カーマ大統領(Seretse Khama)は人格者で-独裁に墜ちなかった。7:46🟡失業問題が深刻化した1994年には総選挙 (1994 Botswana general election)がおこなわれ、「ボツワナ民主党」は議席を減らした。7:56 ケット-マシレ (Quett Masire)🟡ケット-マシレ (Quett Masire)はベチュアナランド民主党の創立メンバーで、セレツェ-カーマ(Seretse Khama)が大統領時代には副大統領を務めた。8:04🟡ケット-マシレ (Quett Masire)は大統領の任期を縮小し-三選を禁ずる政治改革をおこなった。8:14🟡ボツワナ民主党(Botswana Democratic Party)は- わりと西洋との価値観を共有できる政党。8:22🟣ボツワナの歴史 - Wikipedia 🟣Sechele I - Wikipedia ,1831ー1892🟣Seretse Khama - Wikipedia 🟣2024 Botswana general election - Wikipedia 🟣Botswana Democratic Party - Wikipedia 🟣Umbrella for Democratic Change - Wikipedia ,UDC🟣Mokgweetsi Masisi - Wikipedia 🟣Duma Boko - Wikipedia 🟣History of Botswana - Wikipedia 🟣Bechuanaland Protectorate - Wikipedia ,1885ー1966 ボツワナ(旧ベチュアナランド保護領)🟡ボツワナな経済的にも恵まれていた。8:27🟡当初は- 基幹産業は牧畜で-貧しい農業国でした。8:31🟡独立の翌年(1967年)にダイヤモンド鉱山がみつかった。8:39🟡しかも露天掘りできるダイヤモンド鉱山だった。8:43🟡ダイヤモンド鉱山がみつかったおかげで、ボツワナは急速に経済発展した。8:45🟡30年間の経済成長率は平均9% 8:47🟡現在、ボツワナは世界第2位のダイヤモンド産出国。8:57🟡ボツワナにおけるダイヤモンド産業は、GDPの約2割、政府歳入の約3割を占めている。9:03🟡将来的に- ダイヤモンド依存型の経済からの脱却を目指すため、模索をしている最中。9:08🟡ボツワナは資金があるのでさほど心配はないと思われた。9:17🟡しかし、コロナ禍の影響で-ボツワナの経済も失速。9:25🟡2021年以降-ボツワナ経済は再起したかに思われたが、2022年からウクライナ情勢(2022 Russian invasion of Ukraine)の影響で原油が値上がり、食料も値上がりした。9:33🟡ボツワナはインフレ(物価の上昇)が深刻化していった。9:41🟡さらに、2023年の後半から- ダイヤモンドの相場が下落。9:43🟡ボツワナの経済状況が厳しくなってきた。9:49🟡2024年の経済成長率は 1%に落ち込んだ。9:54🟡ボツワナ経済の低迷が影響し、2024年10月30日におこなわれたボツワナ総選挙 (2024 Botswana general election)で- ボツワナ民主党は議席を大幅に減らした。1:14、10:04🟡現職大統領のモクウィツィ-マシシ(Mokgweetsi Masisi)が退陣に追い込まれた。10:11🟠敬意を胸に身を引き-円滑な政権移行のプロセスに参加する。私は、民主主義のプロセスを誇りに思う-国民を尊重すると述べ、政権交代はスムーズにおこなわれた。10:14 ボツワナ民主党→民主改革のためのアンブレラ(Umbrella for Democratic Change) 2024年ボツワナ総選挙🟡建国以来、50年以上経ち- 初の政権交代となった。10:31🟡50年以上- 政権交代がおきなかったため、独裁政権や強権政府というイメージをもたれがちだが、世の中にはボツワナのような国もある。10:37🟣ボツワナの歴史 - Wikipedia 🟣Sechele I - Wikipedia ,1831ー1892🟣Seretse Khama - Wikipedia 🟣2024 Botswana general election - Wikipedia 🟣Botswana Democratic Party - Wikipedia 🟣Umbrella for Democratic Change - Wikipedia ,UDC🟣Mokgweetsi Masisi - Wikipedia 🟣Duma Boko - Wikipedia 🟣History of Botswana - Wikipedia 🟣Bechuanaland Protectorate - Wikipedia ,1885ー1966🔴2024年11月2日(朝日新聞)ボツワナで初の政権交代 退く大統領「民主主義は誇り、国民を尊重」🔴2024年11月1日(Sky News)Botswana election: BDP leader Mokgweetsi Masisi admits 'massive' defeat as voters change government after 58 years🔴2024年11月4日(Voice of America)New president says Botswana's smooth transfer of power sets example
ボツワナって無茶な白人排除しなかったから比較的安定していた。と記憶してる
セレツェ時代は外交もすごい匠な国だったんよな、今のそのうなんだろうか
Youzというyoutuberに先を越されたがわかりやすい解説恐れ入ります。
アフリカ推しの魔理沙さんも先を越されてました
ボツワナ、デビアス、人工ダイヤモンド。先生、ワクワクが止まりませぇん!
ボツワナのついでと言ったら何ですが、南アフリカもやって頂ければ幸いです。SOUTH AFRICA, HAMAS, IRAN, AND QATAR Reportなんてのが出たので、宜しければご解説願います。
アフリカの優等生だと習った記憶があります!
ボツアナ、ベチュアナランド→どっちも馴染みないです(笑)。トランスヴァールとかケープタウンは歴史で出ましたね。 南アフリカの歴史とかは、植民地時代から冷戦、冷戦後との経緯でかなり大きく変化してきてるんで、また詳し目に聞いてみたいね。
ボツワナは1人当たりのGDPが高いのでまあまあメジャーな国です!
都市伝説「陰謀論は、…」現実と、修正を求む!
べチュアナとボツアナって同じなんじゃないですか?
ボツワナなんて誰も興味湧かないトコ取り上げるって、このチャンネルの健全さを感じる。ただ経済では低脳の決まり文句、減税!財務省がー!と、話にならないけど。
人を低脳というあなたは低俗ですね😂語るに落ちています
ボツワナが真っ当な国だとよくわかりました。珍しいなーと思いました
ホームグラウンドに戻ってきた安心感w
ボツワナの歴史は「やる夫はアフリカで奇跡を起こすようです」で見たな。けっこう面白ろかった
またまた勉強になります。ありがとうございます!
🟢ボツワナの歴史(History of Botswana)2:24、8:27
🟢ベチュアナランド保護領(Bechuanaland Protectorate)2:09、2:24、3:47
🟢ボツワナ(Botswana)1:18、2:09、2:24、3:47、8:27
🟢セチェレ1世(Sechele I)2:24
🟢セレツェ-カーマ(Seretse Khama)3:47、7:09
🟢ケット-マシレ (Quett Masire)8:04
………
🟢2024年ボツワナ総選挙 (2024 Botswana general election)1:14、10:31
………
🟢ケープ植民地(Cape Colony)2:24
🟢トランスヴァール共和国(South African Republic)2:24、3:47
🟢ドイツ領南西アフリカ(German South West Africa)2:24、3:15
🟢南西アフリカ-南アフリカ委任統治領(South West Africa)3:15、3:47
0:35
ボツワナ(Botswana)
🟡2024年10月30日にボツワナで総選挙 (2024 Botswana general election)がおこなわた。0:54
🟡ボツワナ(Botswana)は、南部アフリカ地域の中央部にある-内陸の国。0:59
2024年ボツワナで総選挙
🟡2024年10月30日にボツワナで総選挙 (2024 Botswana general election)がおこなわた。1:14
🟡ボツワナは 1966年にイギリスから独立した。1:18
🟡独立以来、ボツワナ民主党(Botswana Democratic Party)が政権を独占しつづけてきた。1:22
🟡ボツワナは民主主義が機能している国。正当な形で政権が維持されつづけてきた。1:27
🟡しかし、2024年10月30日のボツワナ総選挙 (2024 Botswana general election)で敗北。1:35
🟡現職大統領のモクウィツィ-マシシ(Mokgweetsi Masisi)は退陣に追い込まれた。1:38
🟡民主改革のためのアンブレラ(Umbrella for Democratic Change)という名の野党連合が結成され、指導者で弁護士のドゥマ-ボコ(Duma Boko)氏が-次期大統領に選ばれた。1:43
🟡ボツワナはアフリカ諸国では珍しく- 民主主義が機能している国。1:55
🟡ボツワナでは、独立以来、初めての政権交代となる。2:03
🟡ボツワナは、イギリスの保護領のころ- ベチュアナランド保護領 (Bechuanaland Protectorate)と呼ばれていた。2:09、2:19
🟣Bechuanaland Protectorate - Wikipedia ,1885ー1966
🟣Mokgweetsi Masisi - Wikipedia
🟣2024 Botswana general election - Wikipedia
ボツワナの歴史(History of Botswana)
🟡南アフリカ共和国(トランスヴァール共和国)からツワナ系民族が移住したことがはじまり。2:24
🟡クウェナ支族のセチェレ1世(Sechele I)が 首長国を作っていた。2:29
🟡トランスヴァール共和国(南アフリカ共和国)は、入植者であるアフリカーナー(オランダ系白人)が1852年に建てた国。2:39
🟡ドイツ帝国(German Empire)は、アフリカ南西部のナミビア(Namibia)を保護領にした。2:44
※ドイツ領南西アフリカ(German South West Africa)
🟡ボツワナは、トランスヴァール共和国(オランダ)と、ドイツ領南西アフリカ(ドイツ)に挟まれた王国だった。2:49
🟡オランダとドイツから標的にされ、アフリカ大陸最南端にケープ植民地(Cape Colony)を保有していたイギリスに保護を求めた。2:53
🟡1885年、ベチュアナランド保護領 (Bechuanaland Protectorate)になった。3:04
第一次世界大戦(World War I)
🟡第一次世界大戦(World War I)でドイツ帝国は敗戦国となり-植民地を失った。3:15
🟡ドイツ領南西アフリカ(German South West Africa)は、南アフリカ(South African)の委任統治領になった。3:25
※南西アフリカ-南アフリカ委任統治領(South West Africa)
🟡ベチュアナランド保護領 (Bechuanaland Protectorate)は- キツめの白人国家に囲まれてしまった。3:23
🟡ベチュアナランド保護領(Bechuanaland Protectorate)の国民は- ツワナ系民族。2:24、3:33
🟡宗主国のイギリスを最大限に利用して、周辺のアフリカーナー(Afrikaners)の圧力から逃れてきた。3:38
🟣第一次世界大戦 - Wikipedia ,1914ー1918
🟣World War I - Wikipedia
第二次世界大戦(World War II)
🟡第二次世界大戦(WWII)後、 南アフリカ(South Africa)と南西アフリカ-南アフリカ委任統治領(South West Africa)の圧力が強まった。3:47
🟡ベチュアナランド保護領の王子は、王位継承権をもつセレツェ-カーマ(Seretse Khama) 4:04
🟡セレツェ-カーマ王子(Seretse Khama)は優秀な男だった。4:16
🟡セレツェ-カーマ王子(Seretse Khama)はイギリスに留学し、紳士的で優秀だったため女性にモテた。4:18
🟡イギリス留学中、イギリス人女性のルース-ウィリアムズ(Ruth Williams Khama)と恋に落ちて1948年9月に結婚した。4:25
🟡第二次世界大戦(1939年9月ー1945年9月)後、まもない時期。4:31
🟡ベチュアナランド保護領の王族とはいえ、黒人の男性が白人女性と結婚したことは物議を醸した。4:40
🟡当時、人種隔離政策(Apartheid)をおこなっていた南アフリカ(South Africa)の干渉がはじまった。4:46
🟡南アフリカ(South Africa)は- 人種隔離政策(Apartheid)を口実に介入。4:50
🟡セレツェ-カーマ王子(Seretse Khama)に対し、王位継承権を放棄するよう圧力をかけた。5:01
🟡イギリス自身も戦後復興のため、南アフリカ(South Africa)の資源(金-ダイヤモンドなど)が必要であり、セレツェ-カーマ王子(Seretse Khama)に圧力をかけた。5:05
🟡保守的な人が多い ングワト族(ベチュアナランドに居住するツワナ人の有力部族)の長老たちも- 白人の嫁を歓迎せず、セレツェ-カーマ王子(Seretse Khama)の結婚に難色を示していた。5:17
🟡叔父のツェケディ-カーマ ( Tshekedi Khama)も- 甥(Seretse Khama)を説得するためイギリスに渡った。5:25
🟡そしてイギリス立ち合いのもと、セレツェ-カーマ王子(Seretse Khama)は王位継承権を放棄した。5:37
🟣第二次世界大戦 - Wikipedia ,1939ー1945
🟣World War II - Wikipedia
2
ベチュアナランド保護領
🟡1956年、セレツェ-カーマ(Seretse Khama)は一市民として、ベチュアナランド保護領 (Bechuanaland Protectorate)に戻った。5:41
🟡帰国したセレツェ-カーマ(Seretse Khama)は、ングワト議会の議員になった。5:45
🟡1962年、ボツワナ民主党(Botswana Democratic Party)の前身となる「ベチュアナランド民主党」を結党。1:14、5:51
🟡ベチュアナランド民主党は-(イギリスからの)独立運動を展開した。5:55
🟡「ベチュアナランド民主党」は ベチュアナランドの王族がつくった政党であり- 穏健な保守政党。5:57
🟡イギリスからの独立は望むが、イギリスと対立する気はなく-左翼的なことはおこなわない。6:04
🟡それ以前から独立運動はおきていた。6:09
🟡ベチュアナランド人民党 (Bechuanaland People's Party)という急進左派政党が独立運動をおこしていた。6:14
🟡ローデシア(Rhodesia)や南アフリカ(South Africa)のような白人を追放する運動。6:23
🟡おなじ独立派でも「ベチュアナランド人民党」と比べると、セレツェ-カーマ(Seretse Khama)の「ベチュアナランド民主党」は現実路線をとっていた。6:30
🟡ベチュアナランド保護領の周辺国は- 人種隔離政策(apartheid)がおこなわれている南西アフリカ(South West Africa)やローデシア(現ジンバブエ共和国)6:34
🟡「ベチュアナランド民主党」も人種隔離政策(apartheid)には反対の立場だが、経済断交や軍事的衝突を避けて-バランスを取って生き残りを図った。6:43
🟡「ベチュアナランド民主党」は- 堅実的な政策を掲げて国民の支持を集めた。6:57
🟡当時、東西冷戦(Cold War)の真っ只中。7:05
🟡宗主国イギリスの信頼を得て、1964年には自治政府の設立を容認され、1966年にイギリスから独立した。7:09
🟡イギリスからの独立に伴い、ベチュアナランド民主党は- ボツワナ民主党(Botswana Democratic Party)へ名前を変えた。7:19
🟡ボツワナ民主党(Botswana Democratic Party)は、親米、親西欧路線です。7:31
🟡ボツワナ民主党(Botswana Democratic Party)は、欧米資本を導入して- 国内開発を進めた。7:34
🟡ボツワナ民主党(Botswana Democratic Party)は- ベチュアナランドの王族がつくった政党であり、結党時から圧倒的な勢力を誇っていた。5:57、7:38
🟡セレツェ-カーマ大統領(Seretse Khama)は人格者で-独裁に墜ちなかった。7:46
🟡失業問題が深刻化した1994年には総選挙 (1994 Botswana general election)がおこなわれ、「ボツワナ民主党」は議席を減らした。7:56
ケット-マシレ (Quett Masire)
🟡ケット-マシレ (Quett Masire)はベチュアナランド民主党の創立メンバーで、セレツェ-カーマ(Seretse Khama)が大統領時代には副大統領を務めた。8:04
🟡ケット-マシレ (Quett Masire)は大統領の任期を縮小し-三選を禁ずる政治改革をおこなった。8:14
🟡ボツワナ民主党(Botswana Democratic Party)は- わりと西洋との価値観を共有できる政党。8:22
🟣ボツワナの歴史 - Wikipedia
🟣Sechele I - Wikipedia ,1831ー1892
🟣Seretse Khama - Wikipedia
🟣2024 Botswana general election - Wikipedia
🟣Botswana Democratic Party - Wikipedia
🟣Umbrella for Democratic Change - Wikipedia ,UDC
🟣Mokgweetsi Masisi - Wikipedia
🟣Duma Boko - Wikipedia
🟣History of Botswana - Wikipedia
🟣Bechuanaland Protectorate - Wikipedia ,1885ー1966
ボツワナ(旧ベチュアナランド保護領)
🟡ボツワナな経済的にも恵まれていた。8:27
🟡当初は- 基幹産業は牧畜で-貧しい農業国でした。8:31
🟡独立の翌年(1967年)にダイヤモンド鉱山がみつかった。8:39
🟡しかも露天掘りできるダイヤモンド鉱山だった。8:43
🟡ダイヤモンド鉱山がみつかったおかげで、ボツワナは急速に経済発展した。8:45
🟡30年間の経済成長率は平均9% 8:47
🟡現在、ボツワナは世界第2位のダイヤモンド産出国。8:57
🟡ボツワナにおけるダイヤモンド産業は、GDPの約2割、政府歳入の約3割を占めている。9:03
🟡将来的に- ダイヤモンド依存型の経済からの脱却を目指すため、模索をしている最中。9:08
🟡ボツワナは資金があるのでさほど心配はないと思われた。9:17
🟡しかし、コロナ禍の影響で-ボツワナの経済も失速。9:25
🟡2021年以降-ボツワナ経済は再起したかに思われたが、2022年からウクライナ情勢(2022 Russian invasion of Ukraine)の影響で原油が値上がり、食料も値上がりした。9:33
🟡ボツワナはインフレ(物価の上昇)が深刻化していった。9:41
🟡さらに、2023年の後半から- ダイヤモンドの相場が下落。9:43
🟡ボツワナの経済状況が厳しくなってきた。9:49
🟡2024年の経済成長率は 1%に落ち込んだ。9:54
🟡ボツワナ経済の低迷が影響し、2024年10月30日におこなわれたボツワナ総選挙 (2024 Botswana general election)で- ボツワナ民主党は議席を大幅に減らした。1:14、10:04
🟡現職大統領のモクウィツィ-マシシ(Mokgweetsi Masisi)が退陣に追い込まれた。10:11
🟠敬意を胸に身を引き-円滑な政権移行のプロセスに参加する。私は、民主主義のプロセスを誇りに思う-国民を尊重すると述べ、政権交代はスムーズにおこなわれた。10:14
ボツワナ民主党→民主改革のためのアンブレラ(Umbrella for Democratic Change)
2024年ボツワナ総選挙
🟡建国以来、50年以上経ち- 初の政権交代となった。10:31
🟡50年以上- 政権交代がおきなかったため、独裁政権や強権政府というイメージをもたれがちだが、世の中にはボツワナのような国もある。10:37
🟣ボツワナの歴史 - Wikipedia
🟣Sechele I - Wikipedia ,1831ー1892
🟣Seretse Khama - Wikipedia
🟣2024 Botswana general election - Wikipedia
🟣Botswana Democratic Party - Wikipedia
🟣Umbrella for Democratic Change - Wikipedia ,UDC
🟣Mokgweetsi Masisi - Wikipedia
🟣Duma Boko - Wikipedia
🟣History of Botswana - Wikipedia
🟣Bechuanaland Protectorate - Wikipedia ,1885ー1966
🔴2024年11月2日(朝日新聞)
ボツワナで初の政権交代 退く大統領「民主主義は誇り、国民を尊重」
🔴2024年11月1日(Sky News)
Botswana election: BDP leader Mokgweetsi Masisi admits 'massive' defeat as voters change government after 58 years
🔴2024年11月4日(Voice of America)
New president says Botswana's smooth transfer of power sets example
ボツワナって無茶な白人排除しなかったから比較的安定していた。と記憶してる
セレツェ時代は外交もすごい匠な国だったんよな、今のそのうなんだろうか
Youzというyoutuberに先を越されたがわかりやすい解説恐れ入ります。
アフリカ推しの魔理沙さんも先を越されてました
ボツワナ、デビアス、人工ダイヤモンド。先生、ワクワクが止まりませぇん!
ボツワナのついでと言ったら何ですが、南アフリカもやって頂ければ幸いです。SOUTH AFRICA, HAMAS, IRAN, AND QATAR Reportなんてのが出たので、宜しければご解説願います。
アフリカの優等生だと習った記憶があります!
ボツアナ、ベチュアナランド
→どっちも馴染みないです(笑)。トランスヴァールとかケープタウンは歴史で出ましたね。
南アフリカの歴史とかは、植民地時代から冷戦、冷戦後との経緯でかなり大きく変化してきてるんで、また詳し目に聞いてみたいね。
ボツワナは1人当たりのGDPが高いのでまあまあメジャーな国です!
都市伝説「陰謀論は、…」現実と、修正を求む!
べチュアナとボツアナって同じなんじゃないですか?
ボツワナなんて誰も興味湧かないトコ取り上げるって、このチャンネルの健全さを感じる。ただ経済では低脳の決まり文句、減税!財務省がー!と、話にならないけど。
人を低脳というあなたは低俗ですね😂
語るに落ちています